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前回の記事にたいして、子欲居さんからトラックバックをいただきました。この記事はその返信ですが、このブログのこれまでの記事で主張したいことはおおむね述べてきましたので、今回は手短に私見を述べることにし、私のほうも、この問題についてはとりあえずこの記事で最後にするつもりです。 「東アジア世界」を「中国漢字文明の影響交流圏」とする見解は、「東アジア世界論」についての私見(前編と後編)とあまり変わらないのですが、私との違いは、「影響交流圏」をどう定義・評価するか、ということでしょう。前近代の「チベット」が「中国文明」から影響を受けなかったとは私も考えていませんが、「中国」も「西アジア」や「南アジア」などから影響を受けているわけで、総合的に判断した場合、「チベット」を「東アジア世界」とする根拠は弱いというのが私の見解です。なお、前近代の「チベット」に「中国文明」に対する思慕の念はとくになかった、とこのブログで私は何度か述べましたが、これは「反発」ということではなく、関心の低さや大した価値をもたなかったということを念頭においての発言でした。 「中国」の定義は難しく、したがってその範囲の確定も難しいわけですが、基本的にこの概念は、漢字を核とした文化と分かちがたいものだと考えています。その意味で、たとえばキタイ帝国(遼)にしてもモンゴル帝国にしてもダイチン=グルン(清)にしても、「中国史」の範疇に収まる存在ではなく、もっと広い範囲で考察すべき対象なのだと思います。まあこの問題について、私がまだ勉強不足なのは否定できないので、今後もさらなる勉強が必要であり、そのうえで考えが変わることもあるとは思います。 |
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初歩的なチベット前近代史
「「チベット」と「中国文明」の関係(3)」について 劉公嗣さんの記事本文よりも、記事に付せられたコメントも含めてトラックバックを付けさせていただく結果となりますが、正直言って、私もそんなにチベット問題について勉強しているわけではありません。 ただ「後にチベット族を形成したであろう民族」ではなく、現在につながるチベット族が基本的に形成されたのは、唐初のソンツェン・ガンポ王がチベット高原を統一し、都をラサに定め、吐蕃王朝を開いてからでしょう。 面白いことに、「伝説では吐蕃王室は中国遼... ...続きを見る |
子欲居の中国語日記 2008/03/20 10:29 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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申し訳ありません。余りに長文なので、劉公嗣さんの『「東アジア世界論」についての私見(前編と後編)』をまだ読んでいませんでした。 |
子欲居 2008/03/19 00:22 |
表題を間違えていたので訂正しました。 |
劉公嗣(管理人) 2008/03/19 20:40 |
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