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zoom RSS 池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』

<<   作成日時 : 2017/02/12 00:00   >>

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 これは2月12日分の記事として掲載しておきます。岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2017年1月に刊行されました。本書は2月革命の勃発から10月革命の勃発までの約8ヶ月のロシアの政治情勢を解説していますが、その前後の時代も多少取り上げられています。副題に「破局の8か月」とありますが、本書を読んで改めて、この時期のロシアが破局的な情勢だったことが了解されます。2月革命後に成立した臨時政府は、けっきょくこの混乱した破局的情勢を収拾できなかったわけですが、それは、臨時政府の要人に第一次世界大戦を終結させるか、あるいは民衆を暴力的に抑え込む覚悟がなかったからだ、と指摘されます。

 この臨時政府の選択、さらにはロシア革命の前提として、ロシアにおける社会上層と下層との乖離が本書では指摘されています。1917年を迎えた時点で、ロシアにとって第一次世界大戦の終結とは、実質的に単独講和以外の選択肢が残されていませんでした。しかし、社会上層に属し、自由主義的で「穏健な」臨時政府の要人は西欧諸国と深く結びついており、ドイツを中心とする同盟国と単独で講和する決断を下すのは容易ではありませんでした。また、西欧諸国の価値観を強く受けていた臨時政府要人が、民衆を暴力的に抑え込む決断を下すこともまた、容易ではありませんでした。一方、西欧諸国との直接的結びつきをほとんど持たず、その価値観に共鳴しているわけでもない民衆は、西欧諸国からすると、私有権の無視といった暴力的で無秩序な行為に突き進みます。

 これは、ボリシェヴィキが2月革命後の混乱を収拾し、ロマノフ朝時代の最大領域からは縮小したとはいえ、広大な領域の国家を成立させ、軌道に乗せることができた理由も説明します。ボリシェヴィキは、自分たちの主要な支持層であった都市部労働者や兵士にたいしても、過酷な弾圧を実行しました。確かに、10月革命後から内戦期にかけてのボリシェヴィキの弾圧は過酷であり、後にはスターリン体制下の大粛清もありましたから、ボリシェヴィキを批判する見解はもっともなところです。

 ただ、本書にて描写されているように、2月革命以降のロシアにおける秩序の崩壊は深刻であり、いずれかの政治勢力が非常な決断を下さねば、長期的にはボリシェヴィキの統治以上の悲惨な事態が招来した可能性もあるのではないか、とも思います。とはいえ、もちろんボリシェヴィキの選択・統治を称揚することはできず、本書も指摘するように、ロシア革命の現実の推移がロシアから多くの可能性を奪ったことも否定できないでしょう。それは、穏健な議会政治・民主主義や私的所有権や自由など、西欧諸国の基本的な価値観です。ロシア革命を経て成立したソ連が崩壊しても、ロシアではなお、こうした課題が残されている、とも言えるでしょう。

 本書は、2月革命後のロシアの混沌とした情勢について、皇帝を廃したことにより、社会の底が抜けてしまったことが要因としてあるのではないか、と指摘します。家父長的規範が切断されたことにより、社会の「底が抜けた」のではないか、というわけです。このロシア革命の教訓は、現在でも重いものだと思います。もちろん、臨時政府の要人もそれぞれに将来の展望を抱きつつ、現実の情勢に対応したわけですが、シリア情勢などを見ると、広範な社会的合意を得た現実的な構想なしに、安易に体制を暴力的・非合法的に打倒しようとするものではないな、と思います。

 かりに、そうして体制を暴力的・非合法的に打倒できたとしても、その後にずっと悲惨な事態が招来する可能性は、けっして低くないでしょう。日本もそうですが、現在のある程度以上の経済水準の国は、当時のロシアよりも民衆の教育水準はずっと高いでしょう。しかし、社会階層の分断は深まっているようにも見えますので(門外漢なので、的確な根拠を提示できるわけではありませんが)、現代社会にとって、ロシア革命は過去の他人事と無関心ではいられないように思います。

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