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zoom RSS mtDNAハプログループL3系統の起源

<<   作成日時 : 2018/06/25 04:31   >>

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 現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループL3系統の起源に関する研究(Cabrera et al., 2018)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の起源がアフリカにあることは、今では通説となっています。非アフリカ系現代人では、mtDNAのハプログループのうち、L3系統から派生したMおよびN系統のみが見られます。一方、アフリカ系現代人においては、L3系統のみならず、L0・L1など多様な系統が見られます。mtDNAハプログループにおいて、まずL0系統とその他の系統がし、次にL1系統とL2〜6系統が、といったように分岐していきました。

 L3系統はアフリカの多様な系統のなかの下位区分の一つにすぎず、非アフリカ系現代人のM・N系統は、そのL3系統のさらに下位区分にすぎない、というわけです。mtDNAでは、非アフリカ系現代人の多様性はアフリカ系現代人よりもずっと乏しくなっています。これはY染色体DNA(YD)においても同様で、まずハプログループA系統が他系統と、次にB系統と他系統とが分岐し、A・B系統はアフリカ系現代人のみに見られます。Y染色体DNAでも、非アフリカ系現代人の多様性はアフリカ系現代人よりもずっと低くなっています。

 L3系統において、非アフリカ系現代人のM・N系統でも、アフリカのL3系統でも推定合着年代は71000年前頃で、大きな違いはありません。そのため、現生人類の出アフリカは70000〜55000年前頃で、M・N系統はアフリカかその周辺地域で分岐した、と推定されてきました。現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いています(関連記事)。経路に関しては、アフリカ東部→アラビア半島南岸→西アジア南岸→南アジアという南岸経路説と、アフリカ北東部→シナイ半島→レヴァントという北方経路説とが提示されています。

 現在はやや優勢かもしれない南岸経路説では、mtDNAハプログループM・N系統はアフリカもしくはその周辺地域でL3系統から分岐し、ユーラシア南岸経由でオセアニアへと急速に到達した、と想定されています。したがって、アフリカからオセアニアにかけて(西から東にかけて)、mtDNAハプログループ間の分岐年代は新しくなっていく、と予想されます。しかし、mtDNAハプログループM・Nで最古の系統は東アジア南部とオセアニアに存在します。また、ハプログループM・N系統におけるそれぞれの合着年代は、西から東へという予想とは逆に、東から西へと新しくなっていきます。

 また、現生人類の出アフリカの年代に関しても、レヴァントには12万〜8万年前頃に初期現生人類が存在していましたし、ユーラシア東部では中国南部で12万〜8万年前頃の現生人類的な歯が発見されていますから(関連記事)、南岸経路説の想定よりも前に現生人類がアフリカからユーラシアへと拡散していたことになります。もっとも、これに関しては、こうした最初期のアフリカ外現生人類集団は、絶滅したか、非アフリカ系現代人にほとんど遺伝的影響を与えていない、とも説明できます。

 そこで本論文は、現生人類の出アフリカ経路の北方説を前提に、以前から一部で主張されていた、mtDNAハプログループL3系統のアジア起源説を検証しています。本論文の北方経路説の注目点は、現生人類の出アフリカの年代を125000年前頃と推測していることです。これにより、ユーラシア各地の初期現生人類(的な)化石の存在を説明できる、というわけです。もっとも、本論文はすでに昨年(2017年)査読前に公開されていたので、今年になって公表された研究は引用されていませんが、今年1月に、レヴァントの現生人類的な上顎の推定年代は194000〜177000年前頃になる、という研究が公表されています(関連記事)。したがって、このレヴァントの現生人類(的な)集団は早期にアフリカに撤退したと考えるか、本論文の出アフリカの年代を繰り上げる必要がありそうです。

 その問題はさておき、本論文が注目したのは、アフリカにおけるYDハプログループEの分布です。YDハプログループEは、一般的にはアフリカ起源と考えられていますが、ユーラシア起源ではないか、との見解も以前から提示されていました。本論文はまず、YDハプログループE系統とD系統との分岐年代が69000±14700年前と推定されており、L3系統における推定合着年代と近い、と指摘します。さらに本論文は、アフリカ内において、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統との頻度分布が強い正の相関関係にある、と指摘します。しかし、この相関関係は、地理的および言語的には強く現れていませんでした。文化的相関関係は見られない、というわけです。これは、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統との頻度分布の強い正の相関関係が、後期更新世もしくは完新世以降の大規模な移動、たとえば農耕民の拡散といった事象の反映ではないことを示しているのかもしれません。

 M・N系統におけるそれぞれの合着年代と地理的分布の関係、mtDNAハプログループL3系統とYDハプログループE系統の分布頻度の正の相関関係、化石記録、古気候などを根拠として、本論文は以下のような仮説を提示しています。まず、125000年前頃に、L3系統の祖型を有する現生人類がアフリカからユーラシアへと、シナイ半島→レヴァントを経由して中央アジアまで拡散しました(北方経路説)。中央アジアのヒマラヤ山脈に近いあたりで、L3系統の祖型を有する現生人類集団からL3系統が分岐し、75000年前頃以降の寒冷化にともない、南下しつつ東西へと拡散しました。西方へと向かった現生人類集団はL3基底部系統を有してアフリカへと拡散していきました。mtDNAハプログループL3系統の推定合着年代と、YDハプログループEとDの推定分岐年代から、E系統のアフリカへの推定流入年代は7万年前頃です。この頃に一部現生人類集団がユーラシアからアフリカへと「戻った」と推測されます。一方、ユーラシアに留まったL3系統からMおよびN系統が分岐し、6万年前頃よりユーラシア各地、さらにはオセアニアへと拡散していきました。また、このような初期現生人類集団の移動には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属の存在も影響を与えたかもしれません。

 以上、本論文の見解についてざっと見てきました。現生人類の拡散はアフリカからユーラシアへの一方通行だけではなかった、との見解は以前から提示されていましたし(関連記事)、mtDNAハプログループL3系統のユーラシア起源説についてもわずかながら情報を得ていたので、本論文の見解に驚愕することはありませんでしたが、じゅうらいの有力な仮説を否定するものだけに、一定以上の衝撃はあります。本論文の想定では、初期現生人類集団の拡散において性的非対称はなかったか強くなかったように思われますが、この観点からの研究の進展も期待されます。本論文の見解を確証するには、更新世の古代DNA解析数の蓄積が必要となるので、現時点では全面的に支持することはできません。本論文で問題となる期間・地域の人類遺骸はそもそも少なく、さらに低緯度地帯では更新世の古代DNA解析は困難という事情もありますが、この分野の技術革新には目覚ましいものがあるので、今後の研究の進展が大いに期待されます。


参考文献:
Cabrera VM. et al.(2008): Carriers of mitochondrial DNA macrohaplogroup L3 basal lineages migrated back to Africa from Asia around 70,000 years ago. BMC Evolutionary Biology, 18:98.
https://doi.org/10.1186/s12862-018-1211-4

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