数千人のゲノム規模データから推定される人類進化史

 数千人のゲノム規模データから系統や人口史や自然選択を推定する新たな方法についての研究(Speidel et al., 2019)が公表されました。本論文は、数千人のゲノム規模データから系統や自然選択を推定する、「Relate」という新たな方法を開発しました。これにより推定される現代人の系統はひじょうに多様で、深い分岐年代を示しますが、じゅうらいの研究と同様に、サハラ砂漠以南のアフリカにおいて最も深い分岐年代を示します。今後、大規模な人口減少や移動が起きない限り、この構造が変わることはなさそうです。

 現代人では、非アフリカ系とアフリカ系の分離が20万年前頃以降に始まり、6万年前頃まで続いた、と推定されています。その後、非アフリカ系現代人系統は4万~2万年前頃に明確なボトルネック(瓶首効果)を経験した、と推定されています。アジア東部系となる北京の中国人(CHB)とヨーロッパ系統であるイングランド人およびスコットランド人(GBR)の明確な分離は3万年前頃と推定されています。こうして非アフリカ系現代人のユーラシア系統が東西に分離した後、東西それぞれで、CHBと東京の日本人、GBRとフィンランド人が、1万年前頃以降に分離していった、と推定されています。フィンランド人系統は9000~3000年前頃に第二のボトルネックを経験し、現代フィンランド人に多い遺伝病関連の遺伝子頻度を高めた、と推測されています。ユーラシア(非アフリカ)系統と分岐した後のアフリカ系統では、強いボトルネックは検出されませんでした。

 多少の違いがありますが、非アフリカ系現代人全員のゲノムには、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域が同じような比率で存在します。アジアおよびオセアニア系現代人は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)からの遺伝的影響も受けています。アジア東部および南部集団では、デニソワ人との15000年前頃以降の交雑が推定されています。中国南部で発見された15850~12765年前頃の祖先的特徴を有する人類が、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人やデニソワ人のような古代型人類集団との交雑集団かもしれない、との見解も提示されており(関連記事)、本論文の見解との関連が注目されます。非アフリカ系現代人集団では、ネアンデルタール人との3万年前頃までの交雑が推定されていますが、これは下限年代なので、正確な年代の推定にはさらなる検証が必要と指摘されています。アフリカ系集団においても、最近の研究(関連記事)と同様に、古代型人類集団との交雑が推定されていますが、それがどのような系統なのか、本論文も不明としています。

 自然選択に関しては、髪の色や体格指数(BMI)や血圧を含む複数のアレル(対立遺伝子)で確認されました。しかし、地域集団による違いも見られ、BMIに関して、ヨーロッパ北部および西部集団では強い選択が検出されましたが、アジア東部集団では強い選択は確認されませんでした。これは、アジア東部集団がヨーロッパ集団よりも強いボトルネックを経験し、選択の痕跡が弱められたからではないか、と推測されています。ボトルネックによる遺伝的浮動とともに自然選択も、現代人の各地域集団間の遺伝的構成および表現型の違いをもたらしたのでしょう。

 本論文は新たな方法である「Relate」をヒトゲノムに用いましたが、他の種でも機能するはずと指摘します。この新たな方法は自然選択と交雑も含む集団史の推定に有用で、今後多くの種に適用されていくのではないか、と期待されます。今後の課題の一つとして、古代DNA配列を蓄積して利用することも指摘されています。DNAの保存状況は年代よりも環境の方に大きく左右されるようなので、低緯度地帯のような高温地域は古代DNA研究に不利です。しかし、古代標本からのDNA抽出の新たな方法も提案されており(関連記事)、今後は高温地域でも古代DNA研究が進展するのではないか、と期待されます。


参考文献:
Speidel L. et al.(2019): A method for genome-wide genealogy estimation for thousands of samples. Nature Genetics, 51, 9, 1321–1329.
https://doi.org/10.1038/s41588-019-0484-x

最古の大麻喫煙

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、大麻喫煙の痕跡に関する研究(Ren et al., 2019)が報道されました。向精神的作用のある植物は、世界のさまざまな地域において儀式や宗教活動で使用されてきました。先史時代から歴史時代初期のユーラシア中央部で多く用いられたのは、ケシ(Papaver somniferum)やマオウ属種(Ephedra spp.)やアサ(Cannabis sativa)です。アサはアジア東部における最古の耕作植物の一つで、医療や儀式や繊維や油抽出などの目的で栽培されています。

 しかし、アサ属の植物は雑種複合体なの、分類に関して議論が続いており、野生個体群と栽培個体群との遺伝子流動が続いてきたことで、起源と拡散の研究は難しくなっていました。また、アサが先史時代の中国東部において油抽出のために栽培されたことは知られていますが、それ以外の地域での使用はよく分かっておらず、大麻の儀式化された消費の考古学的証拠は限られており、議論の余地があります。そのため、いつどのように、アサが大麻として用いられるようになったのか、そのための成分が進化してきたのか、詳しくは明らかになっていません。野生のアサはコーカサス山脈から中国西部までの冷涼な山麓に生えていますが、ほとんどの野生アサのカンナビノール(CBN)濃度は低く、最初に向精神的作用のあるテトラヒドロカンナビノール(THC)が高濃度で獲得された経緯は不明です。

 薬や儀式目的のアサは、経口摂取または乾燥させての煙や蒸気の吸入により使用されていました。現在、喫煙はパイプを用いることが多いのですが、これはアメリカ大陸から16世紀以降にユーラシアへともたらされた、と考えられており、それ以前の明確な証拠はありません。大麻の喫煙は、ヘロドトスが紀元前5世紀に『歴史』に記載しており、ユーラシアの一部の遺跡の炭化したアサの種子が報告されていますが、現在では疑問が呈されています。本論文は、中国西部のパミール高原のジルザンカル共同墓地(Jirzankal Cemetery)、別名クマン共同墓地(Quman Cemetery)の8ヶ所の墓で発見された、燃焼の痕跡のある石も入っている10個の木製火鉢を報告しています。ジルザンカル墓地の年代は2500年前頃です。

 本論文は植物化学分析により、ジルザンカル共同墓地の2500年前頃の木製火鉢10点のうち9点で、大麻が入れられ、焼かれていた証拠を明らかにしました。ヘロドトスによると、スキタイ人は熱い石の入った鉢でアサを燃やしており、ジルザンカル墓地の考古学的証拠と一致します。このジルザンカル墓地のアサは、中国北西部にある別の遺跡である加依墓地で発見されたアサにはないTHCが含まれていました。ジルザンカル墓地の大麻には、他の遺跡から発見されたものと比較して、THCが高濃度で含まれています。これは、そうした特製の大麻を人々が意図的に栽培した可能性を示唆します。また、大麻のTHC濃度は、交雑により高くなることも知られています。

 ジルザンカル墓地の人骨のストロンチウム同位体分析では、34人中10人が外来者と推測されています。ジルザンカル墓地では、アジア西部特有のガラス製ビーズと角型ハープが発見されており、当時からユーラシア東西間の交流があってアサの各個体群の交雑を促進し、より高いTHC濃度の系統を誕生させたかもしれない、と本論文は推測しています。ユーラシア東西の交流は漢代武帝期よりもずっと前から開かれており、相互に影響を及ぼしていた、と推測されます。金属器やコムギや家畜などを考えると、全体的にはユーラシア西部よりも東部の方がこの東西交流でより強い影響を受けた、と言えるでしょう。


参考文献:
Ren M. et al.(2019): The origins of cannabis smoking: Chemical residue evidence from the first millennium BCE in the Pamirs. Science Advances, 5, 6, eaaw1391.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw1391

アフリカ外最古となる人類の痕跡

 アフリカ外最古となる人類の痕跡に関する研究(Scardia et al., 2019)が公表されました。アフリカ北部で240万年前頃の石器が(関連記事)、中国北西部で212万年前頃の石器が発見されたことにより(関連記事)、人類は更新世初期にはすでにアフリカからアジアへと拡散していた、と明らかになりました。これらの石器には人類遺骸が共伴していませんが、現時点での証拠からは、190万年前頃と推定されているホモ・エレクトス(Homo erectus)の出現前に人類がアフリカからアジアへと拡散し、異なる環境に適応していったことを示唆します。アフリカでは280万~275万年前頃となるホモ属的な遺骸が発見されており(関連記事)、200万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した人類は、初期ホモ属だったかもしれません。

 レヴァントは伝統的に、アフリカ北部からアジア南西部への拡散経路として機能したと考えられてきましたが、210万年以上前の人類の確実な痕跡は確認されていませんでした。これまでは、レヴァントにおける最古となるかもしれない人類の痕跡はシリアのアインアルフィル(Aïn al Fil)で発見されたオルドワン(Oldowan)石器で、古生物学および磁気層序学から200万~180万年前頃と推定されています。イスラエルのイーロン(Yiron)遺跡では247万±7万年以上前のオルドワン石器が報告されていますが、層序関係への疑問からその年代は広く認められているわけではありません。レヴァントにおいてこれまで210万年以上前の確実な人類の痕跡が確認されていなかったのは、アラビアプレートの活動など地質作用により初期人類の痕跡が失われたからだろう、と本論文は推測します。

 本論文は、ヨルダン渓谷の東側にあるザルカ渓谷(Zarqa Valley)のダウカラ層(Dawqara Formation)で発見された石器群を報告します。古地磁気とアルゴン-アルゴン法とウラン・鉛年代測定法により、ダウカラ層の年代は252万~195万年前頃と推定されます。500mほどの範囲の4ヶ所の発掘地点(330・331・332・334)からの石器の年代は、248万年前頃(334下部)、224万年前頃(334上部)、216万年前頃(331)、206万年前頃(330)、195万年前頃(332)と推定されています。252万年前頃以前となるドゥレイル(Dulayl)層では石器は発見されませんでした。技術分類的観点からは、ダウカラ層の石器群はオルドワン(Oldowan)インダストリーに分類され、礫器・石核・剥片から構成されます。ダウカラ層の石器群の時期には、少なくとも3系統の石器を製作していたかもしれない分類群が存在しました。それは、初期ホモ属とホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)とホモ・ハビリス(Homo habilis)です。しかし、レヴァントではダウカラ層の時期の人類遺骸がまったく発見されておらず、本論文はダウカラ層の石器群の製作者について結論を提示していません。

 ザルカ渓谷の石器群は、更新世の最初期となる248万年前頃に、アフリカからアジアへの拡散経路となるレヴァントに人類が存在したことを確証しました。これは、初期ホモ属がエレクトスの出現よりもずっと前にアジアに存在したことを意味し、エレクトスの種内の多様性と、インドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の起源を説明できるかもしれません。フロレシエンシスの起源に関しては、ジャワ島のエレクトスから進化したという見解とともに、アウストラロピテクス属的な特徴を有する、エレクトスよりも祖先的な人類系統から進化した、との見解も有力です。祖先的形態を有する最初期ホモ属がアフリカからアジアへと拡散し、アジア南東部でフロレシエンシスへと進化したかもしれない、というわけです。

 更新世最初期の初期ホモ属のアフリカからアジアへの拡大は、ユーラシアにおける他のアフリカの動物相の拡散とも相関しており、気候変化とサバンナの拡大といった広い文脈に適合し、そうした環境変化が人類のアフリカからアジアへの拡散を促進したかもしれません。250万年前頃にアフリカからアジアへと拡散した初期ホモ属は、石器加工を繰り返し、石材として玄武岩よりも燵岩(チャート)を選択するといった能力も有していました。これは、資源を繰り返し観察して評価する技能を反映しており、環境変化に適応できる重要な資質となります。人類のアフリカからユーラシアへの拡散が250万年前頃までさかのぼる可能性はきわめて高く、人類進化史は、エレクトスが初めてアフリカからユーラシアへと拡散した人類だった、というような従来の想定よりもさらに複雑になってきました。今後、レヴァントとアジア東部との間で、200万年以上前の確実な人類の痕跡が発見される可能性は高いでしょう。また、200万年以上前のアフリカ外の確実な人類遺骸はまだ発見されていないので、石器だけではなく、人類遺骸の発見も期待されます。


参考文献:
Scardia G. et al.(2019): Chronologic constraints on hominin dispersal outside Africa since 2.48 Ma from the Zarqa Valley, Jordan. Quaternary Science Reviews, 219, 1–19.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2019.06.007

イタリア半島の人口史

 イタリア半島の人口史に関する研究(Raveane et al., 2019)が公表されました。現代ヨーロッパ人は、旧石器時代~中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民、アナトリア半島起源の新石器時代農耕民、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団の混合により形成されました(関連記事)。この草原集団は、ヨーロッパ東部およびコーカサスの狩猟採集民とイラン新石器時代農耕民系統の混合として説明されてきました。しかし、ヨーロッパ南東部の古代DNA分析では、コーカサス集団からの追加の遺伝的影響の存在が識別され、ヨーロッパ人のより複雑な系統構成を示唆します。イタリア半島のような地理的交差点の人口集団は、大陸の多様性を要約すると予想されますが、これまで体系的には研究されてきませんでした。そこで本論文は、イタリアの全20行政区から1616人と、140以上の世界規模の人口集団からの5192人の現代人標本で構成される包括的な一塩基多型データセットを分析し、それに古代人の利用可能なゲノムデータを追加して比較しました。

 現代イタリア人は遺伝的に大きく、サルデーニャ島と北部(北部および中央部北部)と南部(南部および中央部南部とシチリア島)の3集団に区分されます。現代イタリア人は、複数の古代系統の混合です。その基礎的な古代系統はおもに、アナトリア半島新石器時代農耕民(AN)・ヨーロッパ西方狩猟採集民(WHG)・ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)・コーカサス狩猟採集民(CHG)・イラン新石器時代農耕民(IN)です。これらの基礎系統の混合の結果、より新しい派生的古代系統である、ヨーロッパ早期新石器時代集団(EEN)、青銅器時代草原地帯集団(SBA)、青銅器時代アナトリア半島集団(ABA)が形成されます。現代イタリア人に占める基礎的な古代系統では、ANがおおむね56~72%と最多の比率を占め、サルデーニャ島では80%以上の高い比率を示します。ANの比率はイタリア南部よりも北部の方で高くなっており、AN以外はおおむねWHG・CHG・EHGで占められます。INはイタリア南部のみで検出されました。

 派生的な古代系統では、イタリア南部および北部で高い比率のABAとSBAが検出されました。ABAは南部で、SBAは北部で高い傾向を示します。この南北の違いについて、古代DNAから形成過程が推測されました。紀元前3400~紀元前2800年頃となるイタリアの人類のうち、レメデッロ(Remedello)個体といわゆるアイスマンは、それぞれANが85%と74%を占めていました。イタリア北部の鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団の紀元前2200~紀元前1930年頃の個体群は、ABAおよびANとSBAおよびWHGの混合としてモデル化されます。一方、シチリア島(南部集団)の鐘状ビーカー文化集団の紀元前2500~紀元前1900年頃の個体群は、SBAが5%未満で、ほぼABAで占められるとモデル化されました。イタリア半島南北のABAとSBAの比率の違いは、青銅器時代にまでさかのぼる、と推測されます。こうした古代の混合が起きた推定年代は、イタリアではおもに2000~1000年前頃で、ヨーロッパの他地域では2500年前頃です。

 本論文は、現代イタリア人におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺伝的影響も検証しました。非アフリカ系現代人のゲノムにはおおむね同じような比率でネアンデルタール人由来の領域が見られますが、地域による違いもあり、アジア東部はヨーロッパよりも有意に高い、と明らかになっています。さらに、ヨーロッパ内でも有意な違いが報告されており、北部は南部よりも高い、と示されています。シチリア島(イタリア南部集団)で確認されているように、ヨーロッパ南部では北部よりも強いアフリカからの遺伝的影響が見られるので、それがネアンデルタール人の遺伝的影響の違いに反映されているのかもしれません。しかし、アフリカ系統を有する個体群の除外後も、この点に関してイタリアとヨーロッパの他地域との違いが確認されました。この一因として、ネアンデルタール人の遺伝的影響を全くあるいは殆ど受けなかった出アフリカ系現生人類集団である、「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響が指摘されています(関連記事)。本論文の再検証でも、基底部ユーラシア人の遺伝的影響の可能性が依然として示唆されました。

 本論文は、表現型との関連でもネアンデルタール人の影響を検証しています。ネアンデルタール人の遺伝子の中には、表現型との関連が明らかなものもあります。たとえば、精巣や日光暴露の遺伝子発現量の増加関連遺伝子(IP6K3とITPR3)や、心血管と腎臓疾患の感受性関連遺伝子(AGTR1)や、脆弱角膜症候群関連遺伝子(PRDM5)などです。これらの中には、一部の現代人に継承されているものもあり、ホスホリパーゼA2受容体と関連しているPLA2R1遺伝子では、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率が、ヨーロッパ北部で少なくとも43%、ヨーロッパ南部ではほぼ35%となります。全体として、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの比率には地域的な違いが見られ、たとえば、アジア東部で低くヨーロッパで高いものがあります。またヨーロッパ内部では、北部で高く南部で低いものや、その逆もあります。これは、何らかの選択が作用した可能性を示唆します。

 上述のように、現代イタリア人の間の遺伝的な地理的パターンは、南部・北部・サルデーニャ島で3区分され、その遺伝的構造はヨーロッパの他地域と同様に、先史時代以来の人口集団移動に続く孤立と、歴史時代のヨーロッパ他地域からの混合を反映しています。古代および現代の遺伝的データの分析からは、イタリア人集団では、CHGとEHGに関連する系統が少なくとも2つの起源から派生している、と示唆されます。その一方はSBA系統で、ポントス-カスピ海草原からの遊牧民集団と関連していま。上述の鐘状ビーカー文化集団の事例で示されているように、SBA系統はヨーロッパ本土からイタリア半島に、遅くとも青銅器時代には到達していました。

 他方はCHG系統と関連しており、おもにイタリア半島南部に影響を及ぼしています。CHG系統の起源はまだ不明ですが、イタリア南部において青銅器時代に存在した可能性があります。CHGの比率はサルデーニャ島とイタリアの古い個体群でたいへん低いのですが、現代のイタリア南部集団で見られることから、相互に排他的ではない複数の可能性が想定されます。それは、イタリアの早期狩猟採集民において、CHGとの遺伝的類似性の異なる集団が複数存在した可能性や、新石器時代にイタリア半島に遺伝的影響を及ぼした複数の集団でCHG系統の比率が異なっていた可能性や、新石器時代以後にCHG系統が増加した可能性や、歴史時代のヨーロッパ南東部からイタリアへの人類集団の移動に影響を受けた可能性です。CHG系統がアナトリア半島とヨーロッパ南東部において後期新石器時代から青銅器時代にかけて一時的に出現することから、本論文は新石器時代以後の流入を示唆しますが、これは古代DNA標本の追加分析により明らかにされる問題だ、とも指摘します。

 歴史時代では、ローマ帝国末期の「大移動」期と、1300~1200年前頃となる、アラブ勢力のヨーロッパ南部への拡大が、イタリア半島の人口構造形成に役割を果たした、と本論文は推測します。とくにアフリカからの流入は、イタリア南部とサルデーニャ島において検出された多様性に寄与したかもれません。サルデーニャ島はヨーロッパの早期農耕民と遺伝的に最も密接に関連する人口集団と確認されているにも関わらず、両集団の間の単一の遺伝的継続性の証拠はありません。サルデーニャ島集団は完全には孤立しておらず、イタリアの他地域のように、遺伝子流動の歴史的事象を経験し、古代の系統とアフリカ系も含む他の構成要素の影響を受けた、と本論文は推測します。

 非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の地域的違いの理由については、ユーラシア西部集団における上述の基底部ユーラシア人の影響や、アジア東部系現代人の祖先集団とネアンデルタール人との追加の交雑などが提示されています。本論文は、ネアンデルタール人由来のハプロタイプの頻度に地域差があることから、何らかの選択が生じた可能性を指摘します。この問題も、今後の古代DNA研究の進展により解明されていくのではないか、と期待されます。

 ポントス-カスピ海草原からヨーロッパへの青銅器時代の遊牧民の移住は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの到来と関連しています。本論文は、おそらく青銅器時代に到達したイタリアにおける追加の系統を識別し、ヨーロッパ大陸へのインド・ヨーロッパ語族集団による複数の移住の波の可能性を提示します。これと関連して本論文は、たとえばエトルリア語のようなイタリアにおける非インド・ヨーロッパ語族が歴史時代にも存続したいたのは、イタリア半島におけるSBA系統比率の減少と関連しているかもしれない、と指摘します。ただ、これらの関連性は魅力的ではあるものの、適切な調査と検証には専門的で学際的な方法が必要になる、本論文は指摘します。


参考文献:
Raveane A. et al.(2019): Population structure of modern-day Italians reveals patterns of ancient and archaic ancestries in Southern Europe. Science Advances, 5, 9, eaaw3492.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw3492

イベリア半島西部への現生人類の拡散

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、イベリア半島西部への現生人類(Homo sapiens)の拡散に関する研究(Haws et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P83)。以下の年代は較正されたものです。イベリア半島への現生人類の拡散に関しては、とくに南部というかエブロ川以南をめぐって議論が続いています。ヨーロッパにおける現生人類拡散の考古学的指標となるのはオーリナシアン(Aurignacian)です。イベリア半島北部では、較正年代で43270~40478年前頃にオーリナシアンが出現した、と推定されています(関連記事)。ヨーロッパでは、現生人類の拡散から数千年ほどの4万年前頃までにネアンデルタール人は絶滅した、と推測されています(関連記事)。

 しかし、イベリア半島南部というかエブロ川以南に関しては、上部旧石器時代となるオーリナシアンの出現が他のヨーロッパ西部地域よりも遅れ、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)によるムステリアン(Mousterian)の中部旧石器時代が37000~36500年前頃まで続いた、との見解も提示されています(関連記事)。生物地理学的にはイベリア半島はエブロ川を境に区分される、という古環境学的証拠が提示されています。この生態系の違いが現生人類のイベリア半島への侵出を遅らせたのではないか、と想定されています(エブロ境界地帯モデル仮説)。

 しかし最近、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の調査から、現生人類はオーリナシアンを伴ってイベリア半島南部に43000~40000年前頃に到達した、との見解が提示されました(関連記事)。これに対しては、年代測定結果と、石器群をオーリナシアンと分類していることに疑問が呈されており、議論が続いています(関連記事)。再反論を読んだ限りでは、年代測定結果に大きな問題はなさそうですが、石器群をオーリナシアンと分類したことに関しては、議論の余地があるように思います。

 本論文は、ポルトガル中央部のラパドピカレイロ(Lapa do Picareiro)洞窟遺跡の石器群を報告しています。ラパドピカレイロ遺跡の石器群には特徴的な竜骨型掻器(carinated endscraper)や石核や小型石刃が含まれ、早期オーリナシアンと分類されてきました。この石器群は、中部旧石器時代の47000~45000年前頃の層と、38000~36000年前頃のまだ分類されていない考古学的層との間に位置します。本論文はこの放射性炭素年代測定結果と堆積データから、ラパドピカレイロ遺跡の早期オーリナシアンの年代を40200~38600年前頃となるハインリッヒイベント(HE)4と推定しています。これは、イベリア半島西部への現生人類の拡散が、以前の想定より5000年ほど早かったことを意味します。

 本論文は、オーリナシアンはイベリア半島北部経由でイベリア半島西端へと拡大した、と推測します。また本論文は、ドウロ(Douro)とタホ(Tejo)というイベリア半島の主要2河川経由でオーリナシアンがイベリア半島西端へと到達した可能性も指摘します。一方、上述のように、イベリア半島でもエブロ川以南では4万年前頃以降もネアンデルタール人が生存していた、との見解が提示されており、ラパドピカレイロ遺跡の近くのオリベイラ洞窟(Gruta da Oliveira)遺跡も、4万年前頃以後のネアンデルタール人の存在の可能性が指摘されています。本論文は、イベリア半島西部や南部で、現生人類とネアンデルタール人が数世紀もしくは数千年にわたって共存していた可能性を指摘します。イベリア半島における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期はかなり複雑だったかもしれず、ネアンデルタール人の絶滅理由の解明にも重要となるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Haws J. et al.(2019): Modern human dispersal into western Iberia: The Early Aurignacian of Lapa do Picareiro, Portugal. The 9th Annual ESHE Meeting.

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第35回「民族の祭典」

 ベルリンで夏季オリンピック大会の始まる前日の1936年7月11日、1940年夏季オリンピック大会の開催地を決定するIOC(国際オリンピック委員会)総会が開催されました。ローマが辞退したため、東京とヘルシンキの一騎討ちとなり、嘉納治五郎の演説の効果もあったのか、東京に決定します。嘉納に呼ばれて東京に戻って来た金栗四三も喜び、弟子の小松に1940年の東京大会で金メダルを取らせるよう、決意を固めます。いよいよベルリンで夏季オリンピック大会が始まり、ナチス政権による大規模で統制された内容に、嘉納をはじめとして日本人は圧倒されます。IOCのラトゥール会長はそんな嘉納に、東京はベルリンを真似る必要はない、と助言します。

 今回は、オリンピックの光と影が描かれました。本作はこれまでオリンピックの暗い側面も描いてきましたが、今回はナチス政権下の差別と日本の朝鮮統治の意味を問いかけるような内容にもなっており、近代史を舞台にした大河ドラマらしくなっていたように思います。田畑政治のベルリン大会への違和感を強調することで、ベルリン大会の問題点を浮き彫りにする構成はなかなかよかった、と思います。今回、シマの娘のりくが再登場しましたが、おそらくは五りんの母親なのでしょう。まだ、落語場面と本筋とのつながりは明示的ではありませんが、どのようにつながってくるのか、期待しています。

一般的だった後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動に関する研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P147)。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)という後期ホモ属からの遺伝的データは、近年飛躍的に増加しています。減数分裂の組み換えのため、各個体のゲノムはその祖先系統のゲノムのモザイク状となり、祖先系統由来の領域の長さと頻度は、集団の遺伝子流動の歴史を検証するのにたいへん有益です。つまり、より長い遺伝子移入領域は、より最近の遺伝子流動を示す、というわけです。

 本論文は、これら祖先系統からの領域を識別するために、新たに開発された経験ベイズ法を用いました。本論文の方法では、じゅうらいの方法とは対照的に、祖先系統からの領域はまばらで、しばしば混入する、と明確に示します。さらに本論文は、不確定な時系列のデータをモデル化するために有効とされる隠れマルコフモデルを用いて、ゲノムの特定領域における祖先系統を明らかにします。本論文は、網羅率が0.1倍と低くても確実に祖先系統を明らかにし、網羅率0.3倍のデニソワ人2個体のゲノムに遺伝子移入されたネアンデルタール人領域を見つけました。

 このモデルを全ての低網羅率のデニソワ人ゲノムに適用すると、より古いデニソワ2とデニソワ8は、それぞれ12%と10%のネアンデルタール人系統を有する、と明らかになります。この系統は最大20万塩基対のゲノム領域で見つかり、ネアンデルタール人系統からの遺伝子流動は30世代未満である、と強く示唆します。本論文はネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代であるデニソワ11(関連記事)も対象として、9万年前よりも古いデニソワ人すべてが、近い世代でかなりのネアンデルタール人系統を有していると見出し、ネアンデルタール人とデニソワ人との間の数万年にわたる繰り返しの相互作用示唆をします。さらに本論文は、高網羅率のネアンデルタール人(デニソワ5)におけるデニソワ人系統の領域を見つけ、これはネアンデルタール人とデニソワ人の双方で、交雑個体が繁殖力を有する、と示します。しかし本論文は、ずっと新しいデニソワ人(デニソワ4)ではネアンデルタール人との遺伝子流動の証拠を見出さず、この遺伝子流動は持続的ではなかったかもしれない、と指摘します。こうしたデニソワ人の基本的情報については、以前当ブログでまとめました(関連記事)。

 また本論文は、ユーラシア西部の現生人類の多数の遺伝的データを用いて、ネアンデルタール人から初期現生人類への遺伝子流動の時期をより詳細に解明しました。予想されたように、ネアンデルタール人系統の領域は一般的に(サハラ砂漠以南のアフリカ系を除いて)現生人類の間で共有されており、時間の経過とともにより短くなります。この遺伝子移入史は異なる3段階に区分できる、と本論文は指摘します。最初の段階は55000年前で、低水準の遺伝子流動が起きました。非アフリカ系現代人に見られるネアンデルタール人系統の大半は、55000~48000年前という比較的短い第二段階に初期現生人類集団にもたらされました。最終段階は、ヨーロッパの現生人類へのネアンデルタール人からの遺伝子流動事象で、4万年前頃に終了します。

 本論文はまとめとして、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の間の遺伝子流動は頻繁ではあったものの、遍在的ではなかった、と指摘します。デニソワ人とネアンデルタール人の間の遺伝子流動は、数万年続いた後は最小限に留まったように見えます。一方、遺伝子流動の推定される時期と、ネアンデルタール人への現生人類からの遺伝子流動の証拠の欠如は、現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の起源が、おもに現生人類のユーラシアへの拡大に起因し、おそらくは小規模な地域的ネアンデルタール人集団の局所的吸収を伴う、というモデルと一致します。

 本論文の見解はたいへん興味深いと思います。新たに開発された本論文の方法がどこまで有効なのか、門外漢の私には的確に判断できませんが、今後検証が進んでいくと思われます。後期ホモ属の間での遺伝子流動は珍しくなかったようですが、広範な地域・年代で均一に起きたわけでもなさそうで、今後はその詳細が解明されていく、と期待されます。そのためには、古代ゲノムデータの蓄積が必要となります。古代DNA研究は近年飛躍的に発展しているので、今後の研究の進展も大いに期待できます。ただ、DNAの保存状態への影響という点では、年代よりもむしろ環境の方が重要になってくるようですから、古代DNA研究における地域間の格差は今後ますます拡大していくかもしれません。


参考文献:
Peter B.(2019): Gene flow between hominins was common. The 9th Annual ESHE Meeting.

和田裕弘『織田信忠 天下人の嫡男』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年8月に刊行されました。本書は織田信忠の親族と事績を丁寧に解説しており、一般向けの信忠の伝記として今後長く定番になるでしょう。信忠は本能寺の変で落命したさいに数え年26歳で、すでに家督を継承していたとはいえ、実権は父の信長にあったので、一般的な印象はさほど強くないかもしれません。かつて(今でも?)言われていた俗説として、信長は徳川家康の嫡男である信康が優秀なのに対して、自分の嫡男の信忠が凡庸であることから、信康を警戒して自害に追い込んだ、というものがあります。

 しかし本書は、信康が自害した時点で、信忠の実績は信康を凌駕しており、他の戦国大名と比較しても遜色なかった、と評価しています。もちろん本書が指摘するように、信忠の実績は父である信長の威光あってのもの、という側面があったことは否定できません。しかし、信忠が、大軍を率いた1577年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の信貴山城攻めや1578年の播磨への救援や1582年の武田攻めなどで、大過なく功績を重ねてきたことは確かです。本書はとくに、信貴山城攻めについて、長年友好関係にあった上杉まで敵に回るなか、離反した松永久秀を短期間で攻め滅ぼした功績は大きかった、と指摘します。もしここで織田軍が退却するか城攻めが長期化すれば、織田は史実よりもずっと苦境に立たされていたかもしれない、というわけです。

 若くして落命したことと、父である信長の個性が強烈だったこともあるのか、信忠の逸話はあまり伝わっておらず、その中には信忠にとってあまり名誉とは言えないようなものもあります。たとえば、信忠の大きな功績と言える武田攻めでは、武田側に立つ軍記『高遠記集成』に、信忠は兵として勇敢であるものの、将の器ではない、とあるそうです。本書は、若い二代目が安全な本陣で堅城の攻略を命じても歴戦の兵卒が命懸けで攻めかかったのか分からないし、と信忠を弁護していますが、信忠はすでに大軍で実績を挙げているだけに、「天下人」の後継者としては軽率とも言えるかもしれません。

 信忠と父である信長との関係は、おおむね良好だったようですが、1581年には仲違いし、これは朝廷にも伝わるなど、広く知られていたようです。しかし、同年7月には和解しており、その後で尾を引いた形跡はない、と本書は指摘します。この父子仲違いは広く知られていただけに、1582年の本能寺の変のさい、信長がまず信忠の謀反を疑った、という話も生まれたのでしょう。その本能寺の変で、信忠が落ち延びることはじゅうぶん可能だったものの、それは結果論だろう、というのが本書の見解です。

イギリス海峡のイルカの汚染物質

 イギリス海峡のイルカの汚染物質に関する研究(Zanuttini et al., 2019)が公表されました。有害な有機汚染物質(とくに塩素を含む汚染物質)は、1970年代~1980年代に大部分の先進国で禁止されましたが、今でも海洋最深部の海洋生物から検出されています。こうした有機化合物にはさまざまな工業プロセスの副産物や殺虫剤が含まれており、脂肪や油に溶け込んでいます。環境汚染物質の濃度を調べる研究にはよくバンドウイルカが用いられます。これは、バンドウイルカの厚い脂肪組織層に有機化合物が蓄積するためです。

 この研究は、イギリス海峡のノルマンノ-ブレトン湾という生息地で自由に移動する、バンドウイルカ82頭の脂肪層に存在する有機汚染物質の濃度と皮膚の水銀濃度を測定しました。その結果、脂肪層から高濃度の汚染物質が検出され、その大部分(雄の場合は91%、雌の場合は92%)は、工業用流体に由来する塩素含有化合物でした。また、皮膚試料中の水銀濃度は、これまでに地中海とアメリカ合衆国フロリダ州のエバーグレーズに生息するバンドウイルカについて論文で報告された濃度に近い、と明らかになりました。この2海域は、水銀汚染のレベルの高いとすでに知られています。この研究は、ノルマンノ-ブレトン湾を特別保全区に指定して、ヨーロッパで最大級のバンドウイルカの沿岸個体群を保護すべきだという考えを表明しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】イギリス海峡にいるイルカの皮膚や脂肪層から汚染物質が見つかる

 ヨーロッパで最大級のイルカの沿岸個体群において、脂肪層と皮膚に高濃度の汚染物質(工業用流体、水銀など)が蓄積されているという見解を示す論文が掲載される。今回の研究では、イギリス海峡に生息する82頭のバンドウイルカに検出された水銀の濃度が、このイルカ種に検出された最も高い濃度に分類されることが示唆されている。

 有害な有機汚染物質(特に塩素を含む汚染物質)は、1970年代、1980年代に大部分の先進国で禁止されたが、今でも海洋最深部の海洋生物から検出されている。こうした有機化合物は、特にさまざまな工業プロセスの副産物や殺虫剤が含まれており、脂肪や油に溶け込んでいる。環境汚染物質の濃度を調べる研究にバンドウイルカが用いられることが多いが、これは、バンドウイルカの厚い脂肪組織層に有機化合物が蓄積することによる。

 今回、Krishna Dasたちの研究グループは、イギリス海峡のノルマンノ-ブレトン湾という生息地で自由に移動するバンドウイルカ(82頭)の脂肪層に存在する有機汚染物質の濃度と皮膚の水銀濃度を測定した。その結果、脂肪層から高濃度の汚染物質が検出され、その大部分(雄の場合は91%、雌の場合は92%)は、工業用流体に由来する塩素含有化合物だった。また、皮膚試料中の水銀濃度は、これまでに地中海と米国フロリダ州のエバーグレーズに生息するバンドウイルカについて論文で報告された濃度に近い。この2つの海域は、水銀汚染のレベルの高いことがすでに知られている。

 Dasたちは、ノルマンノ-ブレトン湾を特別保全区に指定して、ヨーロッパで最大級のバンドウイルカの沿岸個体群を保護すべきだという考えを表明している。



参考文献:
Zanuttini C. et al.(2019): High pollutant exposure level of the largest European community of bottlenose dolphins in the English Channel. Scientific Reports, 9, 12521.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-48485-7

レヴァントオーリナシアンの担い手

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、レヴァントオーリナシアン(Levantine Aurignacian)の担い手についての研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P171)。レヴァントとヨーロッパのオーリナシアン(Aurignacian)の強い類似性は以前から指摘されており、その年代関係から、レヴァントオーリナシアンはヨーロッパからレヴァントへと移動してきた集団によりもたらされた、と考えられていました。しかし、この時期のレヴァントの人類遺骸はたいへん少なく、この問題の解明を妨げてきました。

 本論文は、現生人類に区分されている55000年前頃の部分的な頭蓋冠が発見されたこと(関連記事)で有名な、イスラエルの西ガリラヤ(Western Galilee)地域のマノット洞窟(Manot Cave)で発見されたホモ属の乳歯3本と永久歯3本を報告しています。マノット洞窟の文化的区分は、上部旧石器時代前様(Early Upper Paleolithic)が46000~33000年前頃となり、46000~33000年前頃の前期アハマリアン(Early Ahmarian)と、39000~340000年前頃のレヴァントオーリナシアンに区分されます。

 本論文はこのマノット洞窟のホモ属の歯6本を、前期および中期更新世のホモ属やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)といったホモ属と比較しました。咬合面については、2本の歯はひじょうに摩耗していたため、評価できませんでしたが、これらマノット洞窟の歯は質的にも定量的にも詳しく分析されました。その結果、マノット洞窟の歯は現生人類とネアンデルタール人の特徴をさまざまに示す、と明らかになりました。たとえば、上顎第一小臼歯はひじょうに現生人類的ですが、乳歯の上顎第二大臼歯と永久歯の上顎第二大臼歯が現生人類に分類されるのか、不明です。さらに、乳歯の下顎第二大臼歯はネアンデルタール人に分類されるかもしれない、と本論文は指摘します。

 本論文はこれらの結果に基づき、レヴァントオーリナシアンの担い手が現生人類もしくはネアンデルタール人と現生人類との交雑集団である可能性を提示しています。さらに本論文は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑集団だった場合、それが在来集団だった可能性も、外来集団だった可能性も指摘します。非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団とネアンデルタール人との交雑はおそらくレヴァントで起き、年代は54000~49000年前頃と推定されているので(関連記事)、レヴァントオーリナシアンの担い手の中に、一部の形態でネアンデルタール人的特徴の強い個体がいても不思議ではないかもしれません。この問題の解明にはDNA解析がたいへん有効なのですが、レヴァントの4万年以上前の動物遺骸となると、残念ながらDNA解析は難しそうです。そのため、この問題の解明には、より多くのホモ属遺骸の発見が必要となるでしょう。


参考文献:
Sarig R. et al.(2019): Population composition and possible origin of the Levantine Aurignacian culture: the dental evidence. The 9th Annual ESHE Meeting.

過去136万年間の地中海の冬季降水量

 過去136万年間の地中海の冬季降水量に関する研究(Wagner et al., 2019)が公表されました。地中海性気候の特徴は、乾燥した夏季と湿潤な冬季の間の季節的な差違が大きいことです。冬季の降水量の変化は、地域的な社会経済の発展に重要ですが、第四紀の時間スケールで正確にシミュレートして再構築するのは困難です。この一因は、軌道配置、全球の氷床量、大気中の温室効果ガス濃度が異なる複数の氷期–間氷期サイクルにわたる、地域的な水文気候の記録が乏しいことにあります。さらに、変化とその持続性の根底にある機構はまだ調べられていません。

 本論文は、過去136万年にわたる地中海北中部の湿潤な冬季について、地域的な日射の季節による大きな差違と、夏季のアフリカの活発なモンスーンを伴って生じる傾向があった、と示しています。バルカン半島のオフリド湖から得られた今回の代理時系列は、過渡気候モデルによる784000年間のハインドキャスト(再予報)と合わせて、海面水温の上昇は、大陸の氷床量が少なく、大気中の温室効果ガス濃度が高い時期に局所的な低気圧の発達を増幅し、地中海に入る北大西洋低気圧を成長させた、と示唆します。最新の再解析データの比較からは、現在の地中海の降水量の駆動要因と、再構築された降水量の増大の駆動要因がやや類似している、と示されました。これらのデータは、多様な日射極大をカバーしているため、気候モデルの性能を検証する重要な基準となります。地中海の長期の気候変動ということで、人類進化史とも関わってくるだけに、今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Wagner B. et al.(2019): Mediterranean winter rainfall in phase with African monsoons during the past 1.36 million years. Nature, 573, 7773, 256–260.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1529-0

頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期人類の多様性と現生人類の起源

 頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期(35万~13万年前頃)人類の多様性と現生人類(Homo sapiens)の起源に関する研究(Mounier, and Lahr., 2019B)が報道されました。中期更新世後期のアフリカの人類化石記録の不足のため、現生人類の進化に関しては未解決の問題が多く残っています。アフリカ北部では、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡の現生人類的な遺骸が315000年前頃と推定されており、現生人類の起源がさかのぼる、と大きな話題になりました(関連記事)。アフリカ東部では、北部よりも多くの中期更新世後期の人類遺骸が発見されています。たとえばエチオピアでは、20万年前頃のオモ1号(Omo I)やオモ2号、16万年前頃のヘルト(Herto)の完全な成人頭蓋(BOU-VP16/1)と青年頭蓋冠(BOU-VP16/5)です。ケニアでは、30万~27万年前頃のグオモデ(Guomde)の頭蓋冠(KNM-ER 3884)や、30万~20万年前頃のエリースプリングス(Eliye Springs)のほぼ完全な頭蓋(KNM-ES 11693)です。タンザニアでは、ラエトリ(Laetoli)で30万~20万年前頃の頭蓋(LH18)です。アフリカ南部では、南アフリカ共和国のフロリスバッド(Florisbad)遺跡で259000年前頃の部分的な頭蓋です。

 これら現生人類との類似性が指摘される化石群にたいして、南アフリカ共和国では現生人類と大きく異なる形態のホモ・ナレディ(Homo naledi)が発見されており、推定年代は335000~236000年前頃です(関連記事)。本論文は、ナレディを除外した場合でも、アフリカの中期更新世後期の人類遺骸の形態はひじょうに多様だと指摘します。ナレディを除く現生人類との類似性が指摘される化石群のうち、オモ1号とヘルト遺骸は異論の余地のない最古級の現生人類と一般的に分類されています。その他の化石群は、派生的特徴と祖先的特徴の混在から、「古代型サピエンス」と呼ばれています。

 本論文は、化石および現代の現生人類集団の頭蓋を、他のホモ属化石と比較しました。対象になったのは、最初期ホモ属であるアフリカのハビリス(Homo habilis)、アフリカの初期ホモ属であるエルガスター(Homo ergaster)、アフリカ外では最古級(177万年前頃)のホモ属となるジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)のジョルジクス(Homo georgicus)、おもにユーラシア西部に分布したネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)です。ネアンデルタール人は、早期と後期の近東およびヨーロッパ南部およびヨーロッパ西部に区分されています。なお、エルガスターをエレクトス(Homo erectus)に含める区分は珍しくありませんし(むしろ一般的と言えるかもしれません)、ジョルジクスという種区分はまだ定着していないように思います。

 これらのホモ属頭蓋の分析・比較から、初期ホモ属は現生人類およびネアンデルタール人と大きく異なることが示されます。前期ホモ属と後期ホモ属の違いとともに、現生人類とネアンデルタール人が後期ホモ属の始まりもしくは前期ホモ属の終わりの頃まで、共通系統だったことを示しているのでしょう。ネアンデルタール人と現生人類も明確に区分されますが、早期現生人類と早期ネアンデルタール人は比較的近縁で、現代人と後期ネアンデルタール人はそれよりも遠い関係になっています。現生人類とネアンデルタール人系統で、それぞれ特殊化が進んだことを反映しているのでしょう。現生人類系統では、イスラエルのスフール(Skhul)とカフゼー(Qafzeh)に代表される早期現生人類が、現代人系統と大きく異なる分類群を形成します。現代人系統では、やや異なる2系統樹が示されましたが、アフリカ系統の多様性が高く、非アフリカ系統はアフリカ系統の一部から派生する、という点では一致しています。これらは、DNA解析による地域集団の系統樹とおおむね整合的です。

 本論文はこれら2系統樹から、現生人類の仮想最終共通祖先の頭蓋(vLCA)を提示しています。vLCA1も2も形態はほぼ同じで、球状であることや比較的高い額や弱い眉上隆起と顔面突出など、現生人類に特有とされるほとんどの形態学的特徴を有しています。しかし、下顎がやや突き出していることなど、祖先的特徴も示します。本論文はこのvLCA1および2を、ネアンデルタール人および現生人類、さらにはエチオピアのオモ2号・ケニアの11693・タンザニアのLH18・南アフリカ共和国のフロリスバッド・モロッコのイルード1号というアフリカの中期更新世後期の「古代型サピエンス」と比較しました。これら中期更新世後期のアフリカの「古代型サピエンス」では、フロリスバッドがvLCA1および2との類似性を最も強く示し、オモ2号はネアンデルタール人と現生人類の中間、イルード1号は分析によってはネアンデルタール人との類似性も現生人類との類似性も示します。

 アフリカの中期更新世後期のホモ属頭蓋は、195000年前頃のオモ1号と16万年前頃のヘルト人(BOU-VP16/1)の前までは、祖先的特徴と現代的特徴の混在を示し、完全に現代的ではありません。本論文は、現生人類の出現は急速で、断続平衡説的だったかもしれない可能性を提示しているものの、中期更新世の化石記録において長期の安定の証拠はない、と指摘します。さらに本論文は、現時点での証拠では気候変動による顕著な環境変化が想定され、中期更新世後期アフリカの人類化石記録における多様性の高さは顕著な環境変化と一致する、と指摘します。

 本論文はアフリカの中期更新世後期の「古代型サピエンス」頭蓋を、大きく3区分しています。一つは、東部のLH18に代表される、現生人類化石ともvLCAとも類似性の低い集団です。次に、北部のイルード1号で、現生人類とネアンデルタール人の中間的形態を示します。第三は、南部のフロリスバッドや東部の11693およびオモ2号です。この第三集団は現生人類との近縁性が示され、上述のようにフロリスバッドはとくに強い類似性を示します。フロリスバッド遺骸の時代には、現生人類とは大きく異なる形態のナレディが存在しており、中期更新世後期におけるホモ属内の形態の複雑さを強調します。本論文は、中期更新世後期のアフリカのホモ属の中には、ナレディのように現生人類の形成には関与していなかった系統もあるだろう、と推測します。つまり、そうした系統は気候変動の中で絶滅した、というわけです。現生人類は形態的に確立した後に、中期更新世後期のうちにレヴァント(関連記事)やアジア東部(関連記事)まで拡散した可能性がある、と本論文は指摘します。

 現生人類の起源地について、アフリカでも東部・南部・北部が提示されていますが、複雑なパターンも指摘されています。本論文は、中期更新世後期アフリカのホモ属化石では、南部のフロリスバッドと東部の11693およびオモ2号が、vLCAおよび早期現生人類とのより強い類似性を示す、と指摘します。一方、イルード1号のようにネアンデルタール人との類似性も示す北部集団は、ネアンデルタール人に種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と近縁な「前期型」から現生人類とより近縁な「後期型」のミトコンドリアDNA(mtDNA)をもたらした(関連記事)かもしれない、と本論文は推測します。現生人類の起源はおもにアフリカ南部集団で、東部集団も関わっていただろう、というわけです。

 本論文は、中期更新世後期における現生人類の出現過程は複雑だと強調します。35万~20万年前頃となる前半段階には、異なる表現型の現生人類的な集団が各地域で形成されていったかもしれない、と本論文は推測します。続く後半段階に、集団の交雑と合同にいたるような集団の断片化と差異的拡大の期間が続いた結果、現代的な集団(解剖学的現代人)が20万~10万年前頃に出現し、それはヘルトやスフールやカフゼーの個体に代表される、との見通しを本論文は提示しています。これは、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」と共通するところもあると思います(関連記事)。

 しかし本論文は、中期更新世後期のアフリカの地域的ホモ属集団すべてが等しく、あるいは少しでも、現生人類系統に遺伝的に寄与した可能性は低く、地域的絶滅と創始者効果が、解剖学的現代人の出現をかなりのところ形成しただろう、と指摘します。中期更新世後期のアフリカの「古代型サピエンス」とされてきた集団でも、北部は現生人類の確立にほとんど寄与せず、南部とおそらくは東部が主体になっただろう、というわけです。本論文はvLCAの形態について、20万~10万年前頃という現生人類成立の最終段階に近いと推測しています。さらに本論文は、現生人類のより古い化石が今後発見される可能性を指摘しています。

 あくまでも頭蓋データに基づいていますが、本論文の見解は遺伝学の研究成果とも整合的で、興味深いと思います。私は近年、現生人類の起源について上述の「アフリカ多地域進化説」を支持していますが、中期更新世後期のアフリカのホモ属のうち、現生人類に近いと思われる集団の一部が、絶滅して現生人類の確立に寄与しなかったり、寄与してもわずかだったりすることは充分想定されると思います。また、頭蓋の類似性から、ネアンデルタール人の「後期型」の起源が中期更新世後期のアフリカ北部の「古代型サピエンス」集団にあるかもしれない、との見解も注目されます。ただ、現時点ではやはり中期更新世後期のアフリカのホモ属化石の少なさは否定できず、今後の発見の増加により、さらに正確な現生人類進化史像が描かれるのではないか、と期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】現生人類の最終共通祖先のバーチャルな頭蓋骨

 全ての現生人類の最も近い共通祖先の頭蓋骨の仮想モデルを紹介する論文が掲載される。この研究成果は、ホモ・サピエンスの複雑な進化に関する手掛かりになると考えられる。

 今回、Aurelien MounierとMarta Mirazon Lahrは、現生人類集団(21集団)と化石人類集団(5集団)の頭蓋骨263点を調べ、系統発生的モデル化によって、全ての現生人類の最も近い共通祖先の頭蓋骨を仮説的仮想モデルとして再現した。次にMounierとLahrは、このバーチャルな頭蓋骨と中期更新世後期(約35万~13万年前)のアフリカのヒト族化石5点を比較して、このヒト族の集団が、ホモ・サピエンスの起源にどのような役割を果たしたのかを評価した。

 MounierとLahrは、これらのヒト族の系統がホモ・サピエンスの起源に等しく寄与したわけではなかったとする考えを示している。今回の研究結果は、ホモ・サピエンスがアフリカ南部の起源集団の合体、場合によってはそれに加えてアフリカ東部の起源集団との合体から生じた可能性があるという学説を裏付けている。また、MounierとLahrは、今回の研究で検討された化石の1つであるIrhoud 1がネアンデルタール人に形態が近いため、ホモ・サピエンスの起源がアフリカ北部である可能性は低いと主張している。



参考文献:
Mounier A, and Lahr MM.(2019B): Deciphering African late middle Pleistocene hominin diversity and the origin of our species. Nature Communications, 10, 3406.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11213-w

ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列を可能とする手法

 今月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催予定の人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の高品質なゲノム配列を可能とする手法についての研究(Hajdinjak et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P77)。近年、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の古代DNA研究が飛躍的に発展し、起源・移動・相互の関係性など人類史の理解を変えてきました。

 しかし多くの場合、古代の人類の内在性DNAは標本から抽出されたDNAの小さな断片なので、高品質なゲノム配列を得るのは困難でした。ネアンデルタール人に関してはこれまで、3個体のみで高品質なゲノム配列が得られてきました。1人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された13万~9万年前頃の女性個体で、網羅率は52倍(関連記事)、1人はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃の女性個体で(関連記事)、網羅率は30倍、もう1人は、まだ刊行されていませんが、南シベリアのアルタイ山脈のチャギルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟遺跡で発見された8万年前頃の個体で網羅率28倍です(関連記事)。低網羅率の配列も遺伝的歴史の多様な側面を再構築できますが、集団規模の推定や近親交配の水準といった高精度の分析の多くは、高品質なゲノム配列に依存しています。

 最近の研究では、内耳錐体骨や歯のセメント質ではDNAがより多く保存されているかもしれない、と指摘されています。また、内在性DNAの保存は、単一標本の数mmの距離内でさえかなり異なるかもれない、とも指摘されています。古代の人類遺骸は希少で価値が高いため、破壊的標本抽出をできる限り少なく抑えることが重要となります。通常の標本抽出では、与えられた骨もしくは歯の単一の場所から粉末約50mgを採取します。

 この研究は、ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟遺跡とベルギーのゴイエット(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne)遺跡のネアンデルタール人遺骸から、段階的方法での複数のより小さな標本を採取し、DNA回収を改善するのか、検証しました。この研究は、メズマイスカヤ1遺骸(肋骨断片)から8.5mg~27.2mg、メズマイスカヤ2遺骸(頭蓋断片)から2.5mg~35.1mg、ゴイエットのQ56-1遺骸(大腿骨断片)から5.8mg~53.8mgの骨粉を除去し、1標本あたり15~38の粉末サブセットと1抽出あたり粉末16.6mgを検証しました。

 この研究は、、汚染の影響を最小限に抑えるため、我々はDNA抽出の前に、各粉末の一定分量を次亜塩素酸ナトリウム0.5%溶液で処理しました。同じ標本からのDNA抽出は、現代人の汚染水準(0.2~50.3%)と同様に、内在性DNAの比率(0.07~54.7%)と核ゲノムの内容(0.01~78倍)で数桁異なります。抽出に用いられた粉末の量と、内在性DNAもしくは現代人のDNA汚染の水準の全体的な量との間に、顕著な相関はありませんでした。古代DNAの保存量は1標本内で大きく変わる、と改めて示されました。汚染除去手順と組み合わせ、より大きな1標本の代わりに複数の小さい亜標本群を人類遺骸から採取することで、DNA抽出量を劇的に改善するかもしれない、というわけです。

 この手法を用いて、上述のネアンデルタール人3個体から高品質なゲノム配列を得ることが可能となりました。このデータは、ネアンデルタール人の人口史、ネアンデルタール人系統に固有で時間の経過とともに変化した遺伝的多様体、ネアンデルタール人の適応の根底にある遺伝的基盤を解明するのに役立つ、と期待されます。この研究の手法は古代DNA研究を大きく発展させるかもしれず、大きな意義がありそうです。近年の古代DNA研究の発展は本当に目覚ましく、追いついていくのが大変なのですが、少しでも多くの研究を当ブログで取り上げていくつもりです。


参考文献:
Hajdinjak M. et al.(2019): Doubling the number of high-coverage Neandertal genomes. The 9th Annual ESHE Meeting.

鳴禽類の聴覚技能の学習

 鳴禽類の聴覚技能の学習に関する研究(Moore, and Nielsen., 2019)が公表されました。ヒトと鳴禽類が一生持ち続ける聴覚技能とコミュニケーション技能は、幼少期に体験した聴覚手掛かりから発達します。その結果、ヒトの聴覚皮質は他の音よりも発話音声に優先的に反応し、それと同様に、鳴禽類の聴覚皮質は合成音よりも囀りに優先的に反応します。しかし、この同調性が幼少期からずっと固定されているのか、それとも種特異的な発達の仕方があるのか、明らかになっていません。

 この研究は、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)とオナガキンセイチョウ(Poephila acuticauda)という2種の鳴禽類の囀りの発達と聴覚皮質におけるニューロンの同調性について調べました。囀りの学習には、同種の他の個体から学ぶ場合と異種の「里親」であるジュウシマツ(Lonchura striata domestica)に教えられる場合があります。この研究では、手本を示す個体が同種か異種かということとは無関係に、幼鳥が手本となる個体の囀りの真似を学んでおり、幼鳥の聴覚皮質ニューロンが、学習したさえずりの特定の音に同調するようになった、と明らかになりました。

 この研究はこうした知見により、鳴禽類の聴覚符号化が幼少期の音声コミュニケーションによって作り上げられる、と結論づけています。またこの研究は、ヒトの場合、幼少期に言語特異的な音声に触れたことから成人期の音声知覚を予測できることは、この鳴禽類の場合と同様の過程を用いて説明できる、という見解を提示しています。鳴禽類においては、音声コミュニケーションが聴覚符号化を作り上げていますが、同様の過程がヒトの幼児期の発話学習を下支えしているのではないか、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ヒトの発話について鳴き鳥から学べること

 近くにいる成鳥のさえずりを学習している幼い鳴き鳥の聴覚皮質の深層に存在するニューロンが、その成鳥のさえずりの音響特性に同調するようになることを示した論文が、今週掲載される。この研究は、鳴禽類において音声コミュニケーションが聴覚符号化を作り上げる仕組みを明らかにしており、これと同様の過程がヒトの幼児期の発話学習を下支えしている可能性を示唆している。

 ヒトと鳴禽類が一生持ち続ける聴覚技能とコミュニケーション技能は、幼少期に体験した聴覚手掛かりから発達する。その結果、ヒトの聴覚皮質は、他の音よりも発話音声に優先的に反応し、それと同様に、鳴禽類の聴覚皮質は、合成音よりもさえずりに優先的に反応する。しかし、この同調性が、幼少期からずっと固定されているのか、種特異的な発達の仕方があるのかは明らかでない。

 今回、Sarah WoolleyとJordan Mooreは、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)とオナガキンセイチョウ(Poephila acuticauda)という2種の鳴禽類のさえずりの発達と聴覚皮質におけるニューロンの同調性について調べた。さえずりの学習には、同種の他の個体から学ぶ場合と異種の「里親」であるジュウシマツ(Lonchura striata domestica)に教えられる場合がある。今回の研究では、幼鳥が、手本を示す個体が同種か異種かということとは無関係に、そのさえずりをまねることを学んでおり、幼鳥の聴覚皮質ニューロンが、学習したさえずりの特定の音に同調するようになったことが分かった。

 WoolleyとMooreは、以上の研究知見によって、鳴禽類の聴覚符号化が幼少期の音声コミュニケーションによって作り上げられることが明らかになったと結論し、ヒトの場合に幼少期に言語特異的な音声に触れたことから成人期の音声知覚を予測できることは、この鳴禽類の場合と同様の過程を用いて説明できるという考えを示している。



参考文献:
Moore JM, and Woolley SMN.(2019): Emergent tuning for learned vocalizations in auditory cortex. Nature Neuroscience, 22, 9, 1469–1476.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0458-4

2021年の大河ドラマは渋沢栄一が主人公の『青天を衝け』

 再来年(2021年)の大河ドラマは渋沢栄一が主人公の『青天を衝け』で、吉沢亮氏が演じる、と発表されました。再来年の大河ドラマについては、大隈重信もしくは福沢諭吉とのダブル主人公は予想していたのですが(関連記事)、一万円札の次の肖像に選ばれるという話題性もありますし、もともと知名度はそれなりにあると思いますので、納得の人選です。渋沢栄一が主人公ということで、幕末もそれなりに描かれるでしょうが、やはり近代の比重が大きそうです、本格的な近代史ドラマが期待されます。脚本は大森美香氏で、検索すると、『10年先も君に恋して』(関連記事)と朝ドラの『あさが来た』を視聴しており、そういえば『あさが来た』には渋沢栄一が登場していたな、と思い出しました。『あさが来た』はなかなか楽しめましたので、内容には期待しています。

 20代の男性が大河ドラマで主役を演じるのは2012年放送の『平清盛』以来となります。先週(2019年9月第2週)の『なつぞら』での天陽くんの最期がそこそこ話題になりましたから、相乗効果を狙ってのこの時期の発表でしょうか。大河ドラマの視聴率が低迷するなか、廃止も危惧していただけに、やや安堵していますが、大河ドラマで幕末と近現代の視聴率は苦戦する傾向にあるので、現在放送中の『いだてん~東京オリムピック噺~』のように、平均視聴率一桁もあり得るかな、と懸念しています。そうすると、大河ドラマ廃止論がNHKでも真剣に検討されるようになるかもしれません。まあ、来年は人気の戦国時代で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人が重要人物として登場するので、それなりの視聴率になりそうですから、しばらくは大河ドラマの廃止はないだろう、と予想しています。

ハリケーンは攻撃的なクモを助長する

 ハリケーンが攻撃的なクモを助長する、と報告した研究(Little et al., 2019)が公表されました。熱帯低気圧は、自然生息地に大規模な撹乱を生じます。しかし、低頻度で予測しがたいことが多いその事象の生態学的影響は、暴風雨の襲来前後で生息地を比較する必要があるため、研究するのが困難です。この研究は、2018年にアメリカ合衆国のメキシコ湾岸と大西洋岸を襲った3つの熱帯低気圧の前後で、集団生活を営むクモ(Anelosimus studiosus)のコロニーのサンプル調査を行ないました。

 この研究は、熱帯低気圧の経路を予想することにより、予想経路上にあるコロニーのサイズを評価し、それぞれのコロニーが模擬的被食者に対してどれだけ攻撃的に反応するかを調べました。この研究は、クモの巣を振動させて攻撃に出てきたクモを数え、さらに、低気圧の通過から48時間後に現地へ戻ってどのコロニーが生き残ったかを調べ、その後の2回の訪問で卵をいくつ産んだか、孵化した幼虫が何匹なのか、数えました。低気圧の前に攻撃性が高かったコロニーは、暴風雨襲来後の繁殖率と幼虫生存率が高い、と明らかになりました。一方、熱帯低気圧の影響を受けなかった地域では、穏やかなコロニーのほうが有利でした。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ハリケーンは攻撃的なクモを助長する

 熱帯低気圧の後では、攻撃的な性質のクモのコロニーの方が、穏やかな性質のクモのコロニーよりも生存率と繁殖率が高いことを明らかにした論文が今週掲載される。この研究は、極端な事象が、動物の行動の形成で役割を果たしている可能性があることを示唆している。

 熱帯低気圧は、自然生息地に大規模な撹乱を生じる。しかし、頻度が低く予測しがたいことが多いその事象の生態学的影響は、暴風雨の襲来前後で生息地を比較する必要があるため、研究するのが困難である。

 Alexander Littleたちは、2018年に米国のメキシコ湾岸と大西洋岸を襲った3つの熱帯低気圧の前後で、集団生活を営むクモ(Anelosimus studiosus)のコロニーのサンプル調査を行った。彼らは、熱帯低気圧の経路を予想することにより、予想経路上にあるコロニーのサイズを評価し、それぞれのコロニーが模擬的被食者に対してどれだけ攻撃的に反応するかを調べた。著者たちは、クモの巣を振動させて攻撃に出てきたクモを数え、さらに、低気圧の通過から48時間後に現地へ戻ってどのコロニーが生き残ったかを調べ、その後の2回の訪問で卵をいくつ産んだか、孵化した幼虫が何匹かを数えた。低気圧の前に攻撃性が高かったコロニーは、暴風雨襲来後の繁殖率と幼虫生存率が高かった。熱帯低気圧の影響を受けなかった地域では、穏やかなコロニーのほうが有利であった。



参考文献:
Little AG. et al.(2019): Population differences in aggression are shaped by tropical cyclone-induced selection. Nature Ecology & Evolution, 3, 9, 1294–1297.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0951-x

近東の家畜ウシの起源と遺伝的変容

 近東の家畜ウシ(Bos taurus)の起源と遺伝的変容に関する研究(Verdugo et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。絶滅したユーラシアのオーロックス(Bos primigenius)は10500年前頃に、肥沃な三日月地帯のユーフラテス川上流とティグリス川の間の限定的な地域で家畜化されましたが、その詳細な遺伝的起源とヒトの介在について詳細は不明です。現代の家畜ウシのミトコンドリアDNA(mtDNA)から、家畜ウシは母系では80頭程度が起源集団となり、遺伝的多様性が低いと推測されています。以下、単に「ウシ」といった場合、コブウシ(Bos indicus)ではない家畜ウシ(Bos taurus)を指します。

 ウシは母系では遺伝的多様性の低さが指摘されていますが、イギリスでは在来のオーロックスからの遺伝子流動があり、またインダス川流域からのコブウシからの遺伝的影響が近東で広がっていると指摘されているように、ウシと野生集団との関係は複雑です。ウシの起源に関しては二つの仮説があります。一方は近東のオーロックス起源を示唆しています。もう一方は、近東のウシ集団は東方からのコブウシの遺伝子移入の結果生じ、それは気候変動に対応した個別の能動的な過程か、または数千年にわたる消極的な融合だった、いうものです。

 本論文は、今では不明瞭な初期のウシのゲノムを分析するため、6頭のオーロックスを含む古代の67頭のウシ属からゲノム規模データを得ました。これは中石器時代から初期イスラム時代までとなり、近東というDNAの保存には適さない地域にも関わらず、平均0.9倍の網羅率が得られました。現代の家畜化されたウシ属の遺伝的多様性パターンは明らかになっており、ヨーロッパのウシ、アフリカ西部のウシ、アジア南部のコブウシに大まかには区分されます。近東やアフリカ東部のような地理的に中間のウシ集団は、遺伝的にはそれら3集団の中間に位置します。新石器時代~青銅器時代のウシは地理的には、バルカン、アナトリア半島およびイラン、レヴァント南部に3区分され、現代のアフリカとヨーロッパのウシはこれらと遺伝的に近縁ですが、コブウシはそれらと遺伝的距離がかなり遠くなります。これは、ウシの起源が少なくとも2つのオーロックス集団にあり、コブウシと家畜ウシが形成された、と示唆します。

 オーロックスに関しては、6頭のゲノムが解析されました。そのうち4頭は近東のもので、2頭は9000年前頃のレヴァント、1頭は7500年前のアナトリア、1頭は7000年前頃のアルメニアの個体です。この4頭は古代のアナトリア半島およびイランのウシと遺伝的に近縁で、その祖先系統と推測されます。この最初期の近東のウシのゲノムの痕跡は、後の混合により不明瞭になりました。

 コブウシは乾燥地域と熱帯地域に適応しており、その起源は8000年前頃と推定されています。しかし、肥沃な三日月地帯とインダス川流域との接触の考古学的証拠にも関わらず、コブウシのゲノムの影響がアジア南西部で検出されるようになるのは4000年前以後です。これ以降、近東やアジア中央部ではウシとコブウシの交雑集団が広く見られるようになります。この時期以降、コブウシの骨格証拠も確認されています。

 常染色体データとは対照的に、以前の研究で示されていたように、近東在来のウシのmtDNAのハプロタイプは持続しており、遺伝子移入は雄ウシによるものだったと推測されます。この急激な遺伝子流動は、4200年前頃の急激な気候変動事象として知られている、乾燥化の始まりに促進された可能性があります。この数世紀にわたる旱魃は、メソポタミアとエジプトの大国の崩壊およびインダス文化の衰退と一致しており、メーガーラヤン(Meghalayan)と呼ばれる完新世の最新の時代区分の開始年代となります。

 紀元前4000年以降のコブウシの流入は、適応とヒトの介在により起きた可能性が高そうです。その第一の根拠は、遺伝子移入の程度が単純な東西の勾配になっておらず、近東の西端となるレヴァントで著しいことです。第二の根拠は、遺伝子移入の範囲は広く、4000年にわたってほとんどコブウシの遺伝的痕跡が検出されなかったのに、比較的短期間でコブウシの遺伝的影響が拡大したことです。第三の根拠は、最大で70%のゲノム変化が観察されたのに対して、在来の家畜ウシのmtDNAのハプロタイプは保持されたことから、雄ウシの選択により遺伝子移入が起きたと考えられることです。家畜ウシとコブウシの交雑集団は、乾燥化が進んで気候で周辺地域に拡大したかもしれません。また、乾燥化による在来の家畜ウシの衰退も、コブウシの遺伝的影響の拡大の一因になったかもしれません。この時期に西方へのヒト移住の記録が残っており、スイギュウやアジアゾウのようなアジア南部の動物が近東に出現した、という考古学的証拠もあり、ヒトによる大型動物の移動が示唆されています。

 コブウシとの混合の前、レヴァント南部のウシは遺伝的にはアフリカの現代のウシと比較的近く、9000年前頃となる続旧石器時代のモロッコのオーロックスとはとくに近縁でした。7000年前頃の中石器時代のイギリスのオーロックスのゲノムは、近東の初期集団とは遠く離れており、新石器時代のバルカン集団と近縁でした。古代のウシにおけるこれらの遺伝的類似性は、多様な野生集団からの早期の家畜化を示唆します。レヴァントでは、レヴァントおよびアフリカ北部の類似したオーロックス系統が家畜化された、と推測されます。ヨーロッパでも、家畜ウシが導入された7000年以上前から、在来のオーロックスとの混合が始まった、と推測されます。

 これらのオーロックスは家畜ウシとは異なるmtDNAハプロタイプを有していますが、古代の家畜ウシは現代の家畜ウシに典型的なmtDNAハプロタイプを有します。そのため、家畜ウシはおもに雄のオーロックスと交配されたと推測されます。性的に成熟した雄ウシはその大きな身体サイズと攻撃性のために、新石器時代の村ではおそらく最も危険な家畜なので、オーロックスの雄による管理下ではない野外での受精は、初期の家畜ウシの管理で役割を果たしたかもしれません。

 アフリカ原産のウシの遺伝子の中には、熱帯感染症耐性関連などのように、アフリカのオーロックスの家畜化もしくは遺伝子移入によりもたらされた、と推定されるものもあります。しかし、古代レヴァントのウシのゲノムとアフリカ北部のオーロックスの遺伝的類似性は、この特徴が肥沃な三日月地帯の南部に起源があるかもしれない、と示唆します。ほぼアフリカのウシ集団で固定されている家畜ウシのmtDNAハプログループ(mtHg)は、レヴァント南部において最も高頻度で、それは最初期のウシでも見られますが、他の古代の家畜ウシでは見つかっていません。

 ウシは当初、肥沃な三日月地帯の北部の限られた遺伝的背景の集団に由来しましたが、この地域外の初期の家畜ウシは、ヨーロッパとアフリカの家畜ウシの祖先に特有のものも含めて、多様なオーロックス系統から遺伝的影響を受けました。4200年前以後、コブウシの拡大を反映する遺伝的構成の変容は、おそらく気候変動と関連して、アジア南西部および中央部の牧畜民の影響により進行しました。ウシに限らず、家畜化の進展は限定的な地域からの単純な拡散で説明できない場合が多そうで、これまでよく知らなかった分野だけに、今後は少しずつ調べていきたいものです。


参考文献:
Verdugo MP. et al.(2019):Ancient cattle genomics, origins, and rapid turnover in the Fertile Crescent. Science, 365, 6449, 173–176.
https://doi.org/10.1126/science.aav1002

Y染色体ハプログループDの改訂

 恥ずかしながら、3ヶ月近く前(2019年6月19日)に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂していた、と先週(2019年9月第2週)知りました。YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派のYHg- D1b1がD1a2aに変更されています。「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています。なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。なお、チベットで多数派のD1a2はD1a1bに、フィリピンで見られるD2はD1bに変更されています。

 このように変更された理由は、今年6月10日に公開された研究(Haber et al., 2019B)で、じゅうらいはYHg-DE*とされていたナイジェリア人の系統が、YHg-D0と新たに分類されたためだと思います。新たに提唱された分類名なので、既存の分類名を優先して整合的な分類とするため、D0と提唱された系統はD2にされたのだと思います。この研究は、じゅうらいのYHg-Dの名称を変更せずにすむように、D0という分類名を提案したので、そのままにしておけばよいのではないか、とも思うのですが、門外漢の私が的外れなことを言っているだけかもしれませんので、抗議するつもりも、否定してじゅうらいの分類名を使い続けるつもりもありません。


参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1241-1248.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368

アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成

 アジア南部の人口史関する二つの研究が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。なお、以下の主要な略称は以下の通りです。アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)、古代祖型インド南部人関連系統(AASI)祖型北インド人(ANI)、祖型南インド人(ASI)、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSMLBA)、前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSEMBA)、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化。

 一方の研究(Narasimhan et al., 2019)は、すでに昨年(2018年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時点よりデータも増加しているので、今回改めて取り上げます。本論文は、中石器時代以降のアジア中央部および南部北方の、新たに生成された古代人523個体のゲノム規模データと、品質を向上させた既知のゲノムデータ19人分を報告しています。これらと既知のデータを合わせて、古代人837個体分のデータセットが得られました。現代人では、686人のゲノム規模データと、アジア南部の246民族の1789人の一塩基多型データが比較されました。

 本論文(サイエンス論文)はこれらの個体を地理的に3区分しています。それは、182人分のゲノムデータが得られたイランおよびトゥーラーン(アジア中央部南部、現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン・キルギスタン)、209人分のゲノムデータが得られた草原地帯と北部森林地帯(ほぼ現在のカザフスタンとロシアに相当します)、132人分のゲノムデータが得られたパキスタン北部です。文化的に区分すると、(1)中石器時代・銅器時代・青銅器時代・鉄器時代のイランおよびトゥーラーンの集団で、紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化も含まれます。(2)シベリア西部森林地帯の早期土器(陶器)使用狩猟採集民で、北部ユーラシア人の早期完新世の遺伝的傾向を表します。(3)ユーラシア草原中央部の銅器時代・青銅器時代の牧畜民で、青銅器時代カザフスタン(紀元前3400~紀元前800年)を含みます。(4)アジア南部北方で、後期青銅器時代と鉄器時代と歴史時代を含み、現在のパキスタンに相当します。

 イランおよびトゥーラーンでは、アナトリア農耕民関連系統の比率が西から東にかけて減少するという勾配が見られます。紀元前九千年紀~紀元前八千年紀のイラン西部ザグロス山脈の牧畜民は、特有のユーラシア西部関連系統を有していたのにたいして、広範な地域のもっと後の集団は、この独特なユーラシア西部関連系統とアナトリア農耕民関連系統との混合系統です。銅器時代から青銅器時代にかけて、アナトリア農耕民関連系統の比率が、アナトリア半島で70%、イラン東部で31%、トゥーラーン東部で7%というように、東から西へと減少していく勾配が見られます。アナトリア半島でもイラン農耕民系統が見られるようになり、農耕と牧畜を担う集団が双方向に拡散し、在来集団と混合した、と推測されます。

 紀元前三千年紀には、イラン東部とトゥーランでは、最小限のアナトリア農耕民関連系統だけではなく、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)系統の混合も検出され、イラン農耕民関連系統の拡大前にこの地域に存在した、まだ標本抽出されていない狩猟採集民からの交雑を反映している、と本論文は推測しています。ユーラシア北部関連系統は、ヤムナヤ(Yamnaya)遊牧文化集団の拡大前にトゥーラーンに影響を及ぼしました。ヤムナヤ文化集団の遺伝的構成では、WSHG関連系統よりもヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)関連系統の方が多いので、ヤムナヤがこのユーラシア北部関連系統の起源だった可能性は除外できます。また、ヤムナヤ文化集団にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5aとY染色体ハプログループ(YHg)R1bもしくはR1aが高頻度で存在するものの、これらのハプログループは標本抽出されたイランおよびトゥーラーンの銅器時代~青銅器時代には見られないことからも、この見解は支持されます。

 紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化集団は、アジア南部集団の主要な起源ではありませんでした。イランおよびトゥーラーンの青銅器時代のBMACとその直後の遺跡から、紀元前3000~紀元前1400年頃の84人のゲノム規模データが得られました。この84人の大半はトゥーラーンの先住集団と遺伝的に近縁で、BMAC集団の起源集団の一つと考えられます。BMAC集団の遺伝的構成は、早期イラン農耕民関連系統が60~65%、アナトリア農耕民関連系統が20~25%、WSHG系統が10%程度です。BMAC集団は、先行するトゥーラーンの銅器時代個体群とは異なり、追加のアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統を2~5%ほど有しています。アジア南部におけるこの南方から北方への遺伝子流動は、インダス文化とBMACの間の文化的接触と、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地を示す考古学的証拠と一致しますが、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地では古代DNAは得られていません。一方、逆の北方から南方への遺伝子流動は検出されませんでした。BMAC集団のアナトリア農耕民関連系統比率はやや高いので、古代および現代のアジア南部人類集団の起源集団にはならないだろう、と本論文は推測しています。

 以前の研究(関連記事)では、BMAC集団をアジア南部の現代人集団の祖先集団の一つとする可能性が提示されていましたが、対象となる標本数が本論文の36点に対して2点と少なく、BMAC期もしくはアジア南部の古代DNAが欠けており、本論文はその見解に否定的です。紀元前2300年頃、BMAC関連遺跡でWSHG関連系統を有する外れ値の3人が観察されます。紀元前三千年紀には、カザフスタンの3遺跡とキルギスタンの1遺跡で、この3人の起源として合致したデータが得られています。紀元前2100~紀元前1700年頃には、BMAC関連遺跡で西方草原地帯前期~中期青銅器時代(EMBA)系統から派生した系統を有する3人の外れ値が観察されており、ヤムナヤ派生系統は紀元前2100年までにトゥーランに到達した、と考えられます。ヤムナヤ系統は紀元前二千年紀の変わり目までにアジア中央部へと拡大した可能性が高そうです。

 紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡から、11人の外れ値が観察されます。その遺伝的構成は、AHG関連系統が11~50%で、残りはイラン農耕民関連系統とWSHG関連系統の混合(50~89%)です。こうした外れ値の個体群では、BMAC関連系統では20~25%となるアナトリア農耕民関連系統が検出されず、BMAC集団が起源である可能性は否定されます。インダス文化集団の古代DNAなしに、これらの外れ値がインダス文化で一般的な遺伝的構成だった、と明確に述べることはできません。しかし、アナトリア農耕民関連系統が検出されず、11人全員でAHG関連系統の割合が高く、そのうち2人では現在おもにインド南部で見られるYHg- H1a1d2が確認され、インダス文化との交易の考古学的証拠があり、アジア南部関連の人工物が共伴していることから、この外れ値の11人はインダス文化後のインダス川上流近くの古代人86人の祖先として適合的だろう、と本論文は推測します。また、この11人におけるイラン農耕民関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400~紀元前3700年頃に起きたと推定されることから、11人の遺伝的構成がインダス文化集団を表している可能性は高い、と本論文は指摘します。

 ユーラシアの草原地帯および森林地帯系統の遺伝的勾配は、農耕出現後に確立しました。ユーラシア北部の後期狩猟採集民は、西方から東方へと、アジア東部系統が増加する勾配を示します。新石器時代と銅器時代には、この勾配に沿った異なる地域の狩猟採集民が、異なる地域の系統を有する人々と交雑し、5つの勾配を形成しました。そのうち2つは南方(アジア南西部とインダス川周辺部)で、残りの3つはユーラシア北部に存在しました。草原地帯および森林地帯の最西端にはヨーロッパ勾配があり、アナトリア農耕民の拡大により紀元前7000年後に確立し、ヨーロッパ西部狩猟採集民と交雑しました。黒海からカスピ海に及ぶ緯度のヨーロッパの東端の勾配は、ヨーロッパ東部狩猟採集民関連系統とイラン農耕民関連系統の混合から構成され、いくつかの集団では追加のアナトリア農耕民関連系統が見られます。ウラル山脈の東ではアジア中央部勾配が検出され、一方の端のWSHG個体と、もう一方の端のトゥーラーンの銅器時代~早期青銅器時代の個体で表されます。

 紀元前3000年頃に、ユーラシアの多くの集団の遺伝的構成は、西方のハンガリーから東方のアルタイ山脈まで、コーカサス起源のヤムナヤ文化集団系統に転換していきました。この前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯(WSEMBA)系統は、次の2000年にわたってさらに拡大して在来集団と混合し、西はヨーロッパの大西洋沿岸、南東はアジア南部まで到達しました。アジア中央部および南部に到達したWSEMBA系統は、最初の東方への拡大ではなく、第二の拡大によるもので、WSEMBA系統を67%、ヨーロッパ関連系統33%を有する集団でした。この中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原(WSMLBA)集団は、縄目文土器(Corded Ware)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化やペトロフカ(Petrovka)文化集団を含んでいます。WSMLBAとは異なる中期~後期青銅器時代ユーラシア中央草原地帯集団(CSMLBA)も検出され、おもにWSHG関連系統の中央草原地帯の青銅器時代牧畜民に由来する系統を9%ほど有しています。

 シンタシュタ文化集団では、50人のうち複数の外れ値が検出されました。外れ値の一つはWSHG関連のCSMLBA系統の比率が高く、二番目はWSMLBA系統の比率が高く、三番目はヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)系統の比率が高い、と明らかになりました。現在のカザフスタンとなる中央草原地帯では、紀元前2800~紀元前2500年頃の1人と、紀元前1600~紀元前1500年頃の複数個体が、イラン農耕民関連系統からの顕著な混合を示し、トゥーランを経由してのアジア南部へのCSMLBAの南進とほぼ同時期の、トゥーランから北方への遺伝子流動を示します。紀元前三千年紀半ばから始まったこうした人類集団の移動は、考古学的証拠で示される物質文化と技術の動きと関連しています。

 クラスノヤルスク(Krasnoyarsk)市の草原地帯遺跡で発見された紀元前1700~紀元前1500年頃の複数個体は、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)関連系統と25%程度のアジア東部関連系統と、残りのWSMLBA系統という遺伝的構成を示します。後期青銅器時代までに、ESHG関連系統はカザフスタンからトゥーラーンまで至る所で見られるようになります。これら紀元前千年紀から紀元後千年紀にアジア南部において文化的・政治的影響の見られる文化集団は、アジア南部現代人にアジア東部系統がほとんど見られないことから、アジア南部現代人の草原地帯牧畜民系統の重要な起源ではありません。その起源として有力なのは、草原地帯の中期~後期青銅器時代集団で、トゥーラーンへと拡散してBMAC関連系統と混合しました。総合すると、これらの結果は、アジア南部に現在広範に見られる草原地帯系統がアジア南部に到達したのは、紀元前二千年紀の前半と推定します。ヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民集団の拡大前後での遺伝的構成は、本論文の図3で示されています。
画像

 以前の研究では、アジア南部現代人集団は、ユーラシア西部集団と近縁な祖型北インド人(ANI)と、ユーラシア西部集団とは近縁ではない祖型南インド人(ASI)との混合により形成された、と推測されました。本論文はまず、インダス文化との接触が考古学的に示されている遺跡で確認された、上述の外れ値の11人を取り上げます。この11人は、2集団の混合としてモデル化できます。一方は、AHG関連系統集団、もう一方は90%程度のイラン農耕民関連系統と10%程度のWSHG関連系統の混合集団です。このインダス川流域系統に合致する人々は、アジア南部現代人の祖先の大半を構成します。これはアジア南部に特有の系統をもたらす西方からの遺伝子流動というよりも、インダス川流域集団の人々のもっと後のアジア南部人への寄与です。

 アジア南部北方の紀元前1700~紀元後1400年の間の117人では、紀元前2000年以降に草原地帯系統が見られます。これは2集団の混合としてモデル化され、一方はインダス川流域集団、もう一方は41%程度のCSMLBAと比較的高いイラン農耕民関連系統を有する59%程度のインダス川流域集団の亜集団です。現代インド人で見られる遺伝的勾配の形成に合致したモデルは起源集団として、CSMLBAもしくはその近縁系統と、インダス川流域集団と、AHG関連系統もしくはAHG関連系統を比較的高頻度で有するインダス川流域集団の亜集団を含みます。

 インド南部のいつくかの集団では、CSMLBA系統が見られません。これは、ASIのほぼ直系の子孫が現在も存在することを示し、ASIはユーラシア西部関連系統を有していないかもしれない、という以前の見解の反証となります。つまり、インド南部のユーラシア西部関連系統はANI のみがもたらしたのではなく、ASIはイラン農耕民関連系統を有していただろう、というわけです。イラン農耕民関連系統とAHG関連系統の混合は紀元前1700~紀元前400年頃と推定され、インダス文化の時点では、ASIは完全には形成されていない、と推測されます。

 インドには、パリヤール(Palliyar)やジュアン(Juang)といった、ユーラシア西部系統の影響の小さいオーストロアジア語族集団も存在します。ジュアン集団は、更新世からアジア南部に存在したと考えられ、ユーラシア西部系統要素のない古代祖型インド南部人関連系統(AASI)系統(48%)およびアジア東部起源のオーストロアジア語族の混合集団(52%)の混合系統と、AASI(70%)とイラン農耕民関連系統(30%)の混合集団としてのASIとの混合としてモデル化されます。農耕技術から、オーストロアジア語族はアジア南部に紀元前三千年紀に到来した、と推測されています。ANIは、草原地帯牧畜民系統との混合年代が紀元前1900~紀元前1500年頃と推定されることから、インダス文化衰退後に形成されたと推測されます。つまり、現代インド人の勾配を形成する主要な2集団であるASIとANIは、どちらも紀元前二千年紀の前には完全に形成されていなかっただろう、ということになります。

 アジア南部最北端となるパキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の青銅器時代・鉄器時代の複数個体では、草原地帯系統が、常染色体において20%程度になるのに、Y染色体では、草原地帯においてはほぼ100%となる系統(YHg- R1a1a1b2)が5%と顕著に低く、おもに女性を通じて草原地帯系統が導入された、と推測されます。しかし、現代のアジア南部では、常染色体よりもY染色体の方でCSMLBA関連系統がずっと多い集団も見られます。これは、おもに男性により草原地帯系統が拡散したことを示唆します。類似の事象はイベリア半島でも見られますが(関連記事)、アジア南部はイベリア半島ほど極端ではありません。アジア南部でY染色体において草原地帯系統の比率の高い集団は、司祭の地位にあると自任してきた集団に見られますが、この相関はまだ決定的とまでは言えません。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。
画像

 本論文は以上の知見から、アジア南部における完新世の人口史を以下のようにまとめます。紀元前2000年まで、イラン農耕民関連系統とAASI系統の異なる比率を有するインダス川流域集団が存在し、本論文はこれを多くのインダス文化集団の遺伝的特徴と仮定します。ASIは紀元前2000年以後に、このインダス川流域集団とAASI関連系統集団の混合として成立しました。紀元前2000~紀元前1000年の間に、CSMLBA系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合してANIを形成しました。紀元前2000年以後、ASI とANIが混合し、現代インド人に見られる遺伝的勾配を形成していき、アジア南部の現代の多様な集団が形成されました。

 インダス川流域集団はインダス文化の発展前となる紀元前5400~紀元前3700年に形成されます。これは、インダス川流域集団のイラン農耕民関連系統はインダス川流域狩猟採集民の特徴で、それはコーカサス北部およびイラン高原農耕民の特徴と同様だった可能性を提示します。イラン北東部の狩猟採集民におけるそうした系統の存在も、この可能性と整合的です。もう一つの可能性は、イラン高原から農耕牧畜集団が紀元前七千年紀にアジア南部へと拡大した、というものです。しかし、この仮説は、インダス川流域集団ではアナトリア農耕民関連系統がほとんど存在しない、という知見と整合的ではありません。

 そのため本論文は、アナトリア農耕民関連系統の東方への拡大がイラン高原およびトゥーラーンへの農耕拡大と関連していたという見解を支持しているものの、アジア南西部からアジア南部への大規模な移動は、イラン高原において全員にかなりのアナトリア農耕民関連系統が見られる紀元前6000年以後にはなかった、と推測しています。国家成立以前の言語は人々の移動に伴うのが通常なので、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族は、アジア南西部の農耕民拡大の結果ではないだろう、との見解を本論文は提示しています。

 これは、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族が草原地帯起源であることを示唆します。しかし、中期~後期青銅器時代の中央草原地帯とアジア南部の物質文化の類似性はひじょうに少ない、と指摘されています。ただ本論文は、ヨーロッパ西部起源と考えられるビーカー複合(Beaker Complex)文化が、ヨーロッパ中央部ではヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民系統を50%程度有する集団と関連していることから、物質文化のつながりの欠如は遺伝子拡散を否定するわけではない、と指摘しています。ヨーロッパでは、草原地帯系統集団が在来の物質文化を取り入れながら、遺伝的には在来集団に大きな影響を及ぼした、というわけです。

 本論文は、アジア南部集団が、ヤムナヤ文化集団に代表されるWSEMBAから、その影響を受けたCSMLBAを経由して(30%程度)、20%程度の影響を受けた、と推定しています。以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダスインダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と本論文は推測しています。これは、インダス文化の印章の記号(インダス文字)がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また本論文は、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定しています。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。

 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代~青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500~1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。


 もう一方の研究(Shinde et al., 2019)はオンライン版での先行公開となります。インダス文化の遺跡では何百人もの骨格が発見されていますが、暑い気候のためDNA解析は困難です。しかし近年、内耳の錐体骨に大量のDNAが含まれていると明らかになり、熱帯~亜熱帯気候の地域でも古代DNA研究が進んでいます。本論文(セル論文)は、インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された、多数の錐体骨を含む61人の遺骸からDNA抽出を試み、そのうち有望とみなされた1個体(I6113)から、31760ヶ所の一塩基多型データを得ることに成功しました。I6113は性染色体の配列比較から女性と推定され、mtHg-U2b2と分類されました。このハプログループは、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は、上述のサイエンス論文で云うところの、インダス川流域集団に位置づけられ、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。つまり、I6113もアナトリア農耕民関連系統を有していないわけです。I6113は、イランのザグロス山脈西部遊牧民とアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)との混合としてモデル化されます。つまり、イラン系統と更新世からアジア南部に存在した系統の混合というわけです。上述のように、サイエンス論文では紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡の外れ値となる11人はインダス文化集団からの移民との見解が提示されており、本論文(セル論文)でその具体的証拠が得られたことになります。インダス文化期のラーキーガリー遺跡ではI6113のような遺伝的構成が一般的だっただろう、と本論文は推測しています。

 本論文は、サイエンス論文の外れ値となる11人とラーキーガリー遺跡のI6113を合わせてインダス文化集団と把握しています。I6113には草原地帯系統が見られず、イラン系統が87%と大半を占めます。このインダス文化集団におけるイラン系統は、イラン系統が狩猟採集民系統と牧畜民系統に分岐する前に分岐した系統と推定されています。その推定年代は紀元前10000年よりもさかのぼり、イラン高原における農耕・牧畜の開始前となります。これは、インダス文化集団におけるイラン系統が、農耕開始前にアジア南部に到来したことを示唆します。紀元前7000年以後、イラン高原ではアナトリア農耕民関連系統が増加し、サイエンス論文で示されているように、西部ではアナトリア農耕民関連系統の比率が59%と高く、東部では30%と低い勾配を示します。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図3を掲載します。
画像

 本論文はこれらの知見から、アジア南部ではヨーロッパと同様に、最初に農耕の始まった肥沃な三日月地帯からの直接的な移住により農耕が始まったわけではない、と指摘します。ヨーロッパの場合は、アナトリア半島東部の狩猟採集民が外部からの大規模な移住なしに農耕を始め(関連記事)、その後でヨーロッパに拡散していきました。アジア南部の場合は、まだ特定されていない地域の狩猟採集民が、外部からの大規模な移住なしに農耕を始めたのだろう、と本論文は推測しています。ただ本論文は、アジア南部内で初期農耕民による大規模な拡大が起き、農耕の拡大とともに集団置換が起きた可能性も想定しています。そのような事象が起きたのか否かは、本論文が指摘するように、農耕開始前後の古代DNA研究で明らかになるでしょう。

 インダス文化集団は、アナトリア農耕民関連系統を有さず、イラン高原の古代の農耕民系統とは異なるイラン系統を有するため、アナトリア半島からアジア南部へ初期農耕民がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたとする仮説と整合的ではない、と本論文は指摘します。本論文はサイエンス論文と同様に、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。本論文は、I6113に代表されるインダス文化集団がインダス文化全体の遺伝的構成に共通している可能性を主張しつつも、まだ標本が少なく、今後広範囲で標本数を蓄積していき、定量的に分析していく必要がある、と指摘しています。サイエンス論文とセル論文の著者の一人でもあるパターソン(Nick Patterson)氏は、インダス文化集団は遺伝的にたいへん多様だっただろう、と推測しています。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487

Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第34回「226」

 1936年2月26日、二・二六事件が起きます。弟子の小松とともに東京に行こうとしていた金栗四三は、東京が大混乱しているため上京を断念します。田畑政治のいる朝日新聞社もクーデタ部隊に襲撃され、田畑は兵士に抵抗して負傷します。田畑は、恩人の高橋是清も殺害されたことに衝撃を受け、こんな非常時にも東京に夏季オリンピック大会を誘致しようとする嘉納治五郎に苛立ちますが、オリンピックを開催したいという気持ちは変わりませんでした。嘉納の本気を見た田畑は、東京へのオリンピック招致に尽力する決意を固め、IOC(国際オリンピック委員会)のラトゥール会長の接待を任されます。ラトゥール会長は、嘉納や杉村陽太郎が率直に謝罪し、国民の間でオリンピックが浸透していることに感銘を受け、東京招致に同意します。

 今回は二・二六事件が描かれたのに、高橋是清は回想でしか登場しませんでした。演者の萩原健一氏が今年(2019年)3月に亡くなりましたが(関連記事)、「主な出演シーンはすでに収録を終えられていました」とのことですから(関連記事)、二・二六事件の収録は予定されていたものの、収録前に亡くなったのでしょうか。萩原氏の本作での登場時間は短かったのですが、存在感を示したと思います。改めて、萩原氏が68歳で亡くなったことは残念だと思ったものです。今回は四三の場面がわりと長く描かれました。すでに田畑が主人公となって10回目ですが、今後も四三の出番はそれなりにありそうです。

ネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似しているデニソワ人の指

 デニソワ人(Denisovan)の手の小指に関する研究(Bennett et al., 2019)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Callaway., 2019B)が掲載されています。デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、現生人類(Homo sapiens)ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる後期ホモ属の分類群で、種区分は未定です(関連記事)。デニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)は3個体分解析されており、デニソワ人系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統との分岐は141万~72万年前頃と推定されています(関連記事)。一方、核DNAの解析では、デニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類系統との分岐が63万~52万年前頃、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の分岐が44万~39万年前頃と推定されています(関連記事)。もっとも、この推定年代には幅があり、もっと古い年代を提示している見解もあります(関連記事)。

 mtDNAと核DNAとで、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の系統関係は異なっているのですが、これに関しては、ネアンデルタール人のmtDNAは「デニソワ人型」だったのが、ある時点で現生人類系統とより近縁な系統のものに置換された、との見解も提示されています(関連記事)。デニソワ洞窟で発見されたデニソワ3(Denisova 3)はデニソワ人と分類され、高品質なゲノム配列が得られていますが、ネアンデルタール人との10万年前頃の交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。じっさい、デニソワ人とネアンデルタール人の交雑第一世代個体が確認されており(関連記事)、デニソワ人とネアンデルタール人の間の遺伝子流動が稀ではなかったことを示唆しています。以下は、デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類の系統関係を示した本論文の図1です。
画像

 mtDNAの解析されているデニソワ人個体は全てデニソワ洞窟で発見されていますが、その遺伝的多様性はイベリア半島からコーカサスのネアンデルタール人よりも高い、と明らかになっています(関連記事)。デニソワ人は、少なくとも2系統以上存在し、デニソワ人の遺伝的影響の高いメラネシア系現代人の祖先系統が交雑したのは、デニソワ3の系統とは異なる系統だった、と推定されています(関連記事)。こうした遺伝学的知見から、デニソワ人はアジアに広範囲に存在していた、と推測されています。

 しかし、デニソワ人の形態学的情報は少なく、デニソワ洞窟の3本の歯と、チベット高原東部に位置する中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された右側半分の下顎骨くらいです(関連記事)。夏河下顎骨は中国の中期更新世のホモ属との形態学的類似性が指摘されています。また、夏河下顎骨には、ネアンデルタール人特有の派生的特徴のいくつかが欠けている一方で、ネアンデルタール人的特徴も見られます。このように、乏しいデニソワ人遺骸は現時点では、中期更新世ホモ属、とくに中国の遺骸との類似性を示し、それより程度は劣るものの、ネアンデルタール人との類似性も示します。デニソワ洞窟のデニソワ人の永久歯の大臼歯は複雑な咬合形態を示し、遺伝学で推定されているデニソワ人と未知の古代型人類との交雑(関連記事)からも、古代型人類から継承した可能性は否定できません。

 本論文は、手の小指の骨であるデニソワ3の形態を報告します。この指骨は2009年に切断されてより小さな近位部とより大きな遠位部に二分されましたが、切断前の写真は失われてしまいました。この指骨のより小さな近位部分はドイツの研究機関に、より大きな遠位部はアメリカ合衆国の研究機関に送られました。遠位部は現在行方不明ですが、写真撮影され、mtDNAが解析されていました。本論文は、まず遠位部のmtDNAの全配列を近位部のそれと比較し、ともに同一個体のデニソワ3のものと確証しました。本論文は次に、画像データから二分される前のデニソワ3を復元し、分析しました。

 デニソワ3は、以前には骨端癒合の始まる前の未成熟な状態の6~7歳の女児のものと推定されていました。しかし、本論文の分析では、成熟間近の状態と評価されます。本論文は、デニソワ3を13歳半くらいの思春期個体と推定しています。デニソワ3の小指は、ネアンデルタール人、更新世の現生人類、フランスとベルギーの新石器時代から中世の現生人類と比較されました。近位部の幅を除いて、デニソワ3は現生人類の変異内に収まりますが、ネアンデルタール人は現生人類の変異内に収まりません。

 ネアンデルタール人の小指は現生人類とは大きく異なる、と考えられてきました。これは、ネアンデルタール人の寒冷適応というよりは、機能的適応と関連している、と推測されています。上述のように、デニソワ人は遺伝的に現生人類よりもネアンデルタール人の方と近縁にも関わらず、その小指はネアンデルタール人の特徴を示さず、ほぼ現生人類の変異内に収まります。ホモ・ハビリス(Homo habilis)の正基準標本(OH 7)やジョージア(グルジア)の初期ホモ属であるドマニシ(Dmanisi)集団との比較から、デニソワ3の小指の形態は祖先的特徴を表している可能性が高そうです。ネアンデルタール人特有の手の指の特徴は、ネアンデルタール人系統がデニソワ人系統と分岐した後に進化しただろう、というわけです。

 ネアンデルタール人の小指で、現生人類の変異内の真中に位置する唯一の標本はフランスのムラゲルシー(Moula-Guercy)遺跡で発見されており、その年代は10万年前頃と推定されています。これは、ネアンデルタール人特有の手の指の派生的特徴が、ネアンデルタール人の進化史でもかなり遅い時期に進化したことを示唆します。デニソワ人において、手の指の形態が現生人類と類似していることは、その臼歯の形態が中期~後期更新世の古代型ホモ属と類似しており、現生人類とは異なることと対照的です。今後、形態学的にデニソワ人を識別するさいには、部分的にネアンデルタール人よりも現生人類と類似している可能性があることを考慮しなければならない、と本論文は注意を喚起しています。

 種系統樹と遺伝子系統樹が一致しないことは、たとえばゴリラ・チンパンジー・ヒトのように、分岐してから(進化史の基準では)さほど時間の経過していない種の間では珍しくないので(関連記事)、本論文の見解はとくに驚くべきではないように思います。しかし、それを実証することには大きな意義があり、とくにデニソワ人は形態学的情報が遺伝学的情報と比較してきわめて少ないため、本論文の成果はたいへん貴重であり、注目すべきだと思います。やはり、部分的な身体部位から種を分類したり系統関係を推定したりすることはなかなか難しく、ゲノム解析の威力を改めて思い知らされますが、ゲノム解析の可能な遺骸は限られているので、今後も人類進化の理解において形態学的研究がきわめて重要であることは変わらないでしょう。


参考文献:
Bennett EA. et al.(2019): Morphology of the Denisovan phalanx closer to modern humans than to Neanderthals. Science Advances, 5, 9, eaaw3950.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw3950

Callaway E.(2019B): Lost Denisovan bone reveals surprisingly human-like finger. Nature, 573, 7773, 175–176.
https://doi.org/10.1038/d41586-019-02647-9

古澤拓郎『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』

 『叢書・知を究める』の一冊として(15)、ミネルヴァ書房より2019年4月に刊行されました。表題にあるように、本書は基本的に現生人類(Homo sapiens)のみを対象としています。本書の基調は、現生人類(人間)を「連続体(スペクトラム)」として把握することです。肌の色は何らかの能力と連動しているわけではなく、メラネシアの比較的狭い範囲でも遺伝的相違は大きく、人種区分は何の役にも立たないし、人間の性は連続的に変化するものだ、と本書は指摘します。本書は、人間を表す言葉として、区別を前提とする多様性よりも連続体の方がふさわしい、と主張します。

 本書のこうした見解は、いかにも現代の「先進諸国」の学術における主流を表している、と思います。本書の枠組みから外れた認識を表明するようなら、先進諸国の学界やマスメディアなど「リベラル」が主流の分野では異端視されることでしょう。その意味で本書は、「先進諸国」の主流・支配層でいるための、人類学的見地からの指南書にもなっているように思います。現代世界において、マスメディアなど「先進諸国」の影響力の強い分野の世界観・知的規範、つまり「リベラル」的価値観というか「正統派的学説」の一端を把握するのに、本書は有益だと思います。

 とはいっても、本書が偏向しすぎていると主張したいわけではありません。先住民は環境保護的といった素朴な観念について、そのように単純化できる問題ではないと指摘していることや、人間が介入することで自然がより豊かになることの解説など、私のような「アンチリベラル」側がつい押しつけてしまいがちな「リベラル」像とは異なる見解を、本書は提示しています。その意味で、生業や病気の解説など、本書には勉強なるところが多々あります。人口増加にも関わらずまだ食料不足が深刻になっていない理由として、人口が急増した地域では伝統的に肉食志向が弱く、穀類の消費が抑制されたからだ、といった指摘などは面白いと思います。

 ただ、人間の性を連続体と認識する主張にはやはり問題があると思います(関連記事)。人間の性的発達の最終結果の99.98%以上は明らかに男女です。性は過度に単純化されている、との指摘は誤解を招くものです。中間的な性は、性別が曖昧で、なおかつ(または)性的な遺伝子型と表現型が一致していない、ということであり、第三の性ではありません。性は連続体との主張も誤解を招きます。連続体とは連続的分布を意味するからです。人々を形態や遺伝子に基づいて性別に分類することに偏りがあるわけではありません。

 人種に関しても、通俗的な黒人・白人・黄人(黄色人種)という人種区分に大きな問題があり、それが多分に社会的構成概念としても、人口集団はそうではなく、人種は入れ子的な遺伝的構造の低解像度の描写です(関連記事)。人口集団間において実質的な遺伝学的差異があるのに、「正統派的学説」の立場から、それを無視したり、研究を抑制したりするようなことが続けば、集団間の実質的な遺伝学的差異の確たる証拠を提示された時に右往左往して対処できなくなるし、また抑圧により生じた空白を似非科学が埋めることになり、かえって悪い結果を招来するだろう、との懸念は妥当だと思います(関連記事)。人間の集団区分をより妥当なものとし、集団間の相違を提示しつつも、それに基づく差別は許されない、と明確に発信することの方が、人種区分は無意味と言ってすませることよりもずっと必要ではないか、と思います。

 まあ、主流派から見ると、こうした私の疑問は不勉強と偏見に起因する差別意識に他ならないのでしょうが。現代日本社会の「リベラル」派からは、私は「ネトウヨ」に他ならないと見えるでしょうし、「魂が悪い」などと罵倒されそうです。なお、私の「ネトウヨ」的価値観とは無関係(だと思います)なところで本書の問題点を挙げると、まずは精子にミトコンドリアは含まれないとの記述です(P61)。精子にもミトコンドリアはあり、受精後に分解されると思います。また、エピジェネティクスがラマルク説の原理をある程度指し示すことになった、と本書は評価していますが(P94)、エピジェネティクスとラマルク説は似て非なるものどころか、そもそも似ていると言えるのかさえ、疑問です。まあ、私のエピジェネティクスの理解は不足しているので、本書の見解を断定的に否定できるわけではありませんが。


参考文献:
古澤拓郎(2019)『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』(ミネルヴァ書房)

北海道で発見されたハドロサウルスの新種

 北海道で発見されたハドロサウルスの新種に関する研究(Kobayashi et al., 2019)が公表されました。ハドロサウルスは白亜紀後期(1億50万年前~6600万年前頃)の恐竜の中で最も繁栄した一群に分類され、その化石が、南北アメリカ大陸やユーラシアや南極で発見されています。この研究は、北海道の函淵(はこぶち)層の海洋堆積物で発見されたハドロサウルス科恐竜を新属新種(Kamuysaurus japonicus)に分類しました。海洋の影響を受けた環境でハドロサウルスの化石が発見されることは稀で、この発見は、こうした環境におけるハドロサウルスの多様性の理解に寄与する、と指摘されています。

 この化石標本は、全長約8メートルで、中型のハドロサウルス科恐竜の成体とされ、年代測定によって7200万年前のものである、と明らかになりました。この研究は、頭骨上に小さな稜があること、一列に短く並んだ神経棘が前方に傾いていることなどの固有の特徴を報告しています。この新種恐竜は、中国のLaiyangosaurus、ロシアのKerberosaurusなどの極東のハドロサウルスに近縁なことも示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】日本で発見されたハドロサウルスの新種が恐竜の多様性解明を進める

 白亜紀後期(1億50万年前~6600万年前)のハドロサウルス科恐竜の新種が発見されたことを報告する論文が、今週掲載される。この恐竜の化石は、日本で発見されたもので、極東におけるハドロサウルスの多様性と白亜紀後期のハドロサウルス科恐竜の進化についての理解を深めるものになっている。

 ハドロサウルスは白亜紀後期の恐竜の中で最も繁栄した一群に分類され、その化石が、北米、南米、アジア、ヨーロッパ、南極で見つかっている。

 今回、小林 快次(こばやし・よしつぐ)たちの研究グループは、北海道の函淵(はこぶち)層の海洋堆積物からハドロサウルス科恐竜の新属新種の化石を発見し、この恐竜をKamuysaurus japonicusと命名した。海洋の影響を受けた環境でハドロサウルスの化石が発見されることはまれで、今回の発見は、こうした環境におけるハドロサウルスの多様性の理解に寄与すると小林たちは考えている。

 この化石標本は、全長約8メートルで、中型のハドロサウルス科恐竜の成体とされ、年代測定によって7200万年前のものであることが判明した。小林たちは、頭骨上に小さな稜があること、一列に短く並んだ神経棘が前方に傾いていることなどの固有の特徴を報告している。この化石標本の分析からは、K. japonicusが、中国のLaiyangosaurus、ロシアのKerberosaurusなどの極東のハドロサウルスに近縁なことも示唆されている。



参考文献:
Kobayashi Y. et al.(2019): A New Hadrosaurine (Dinosauria: Hadrosauridae) from the Marine Deposits of the Late Cretaceous Hakobuchi Formation, Yezo Group, Japan. Scientific Reports, 9, 12389.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-48607-1

『卑弥呼』第24話「交渉」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年9月20日号掲載分の感想です。前回は、トメ将軍を陥れるような噂を流すよう、ヤノハがアカメに指示した場面で終了しました。今回は、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)で、戦部(イクサベ)の師長であるククリが、山社(ヤマト)の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと副長のウズメを見送る場面から始まります。暈軍と那軍が対峙する前線の伺見(ウカガミ、間者)から、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡り、那軍のトメ将軍は鞠智(ククチ)の里へ向かわず、山社に向かった、と報告を受けていたククリは、護衛を断るイスズに、今山社に向かうのは危険だ、と警告します。それでもイスズは、ウズメとともに山社へと急ぎます。

 山社では、クラトが焚火の用意をしていました。クラトを信じてよいのか、とヤノハに問われたミマアキは、誰よりも忠実な戦人だ、と答えます。ヤノハはミマアキに、夜明け前にイスズとウズメの魂を根の国に吸いとった「地の鏡」2枚を火にくべるよう、命じます。ヤノハは養母から、熱した直後の鏡は簡単に砕ける、と教えられていました。銅鏡を粉々にすれば黄泉の国への道は閉ざされ、イスズとウズメは助かる、というわけです。ヤノハはイスズとウズメを相手に天照の儀式を見せた時、同じように火を焚きましたが、それはイスズとウズメに助かる機会を与えるためでした。人生最大の勝負に臨んでいたのに、相手にも勝機を与えるとは、ヤノハにとって全ては遊戯なのだ、とミマアキは感心します。イスズとウズメは山社に帰ってこられるだろうか、とミマアキに問われたヤノハは、イスズとウズメの帰還とともに山社は勝利するはず、と答えます。その頃、イスズとウズメは山社の近くにまで戻っていました。日見子(ヤノハ)の意向通りヒルメを追放したものの、それで我々の魂を黄泉の国から戻してくれるのか、ウズメは心配していました。イスズは、日見子は冷徹なので、疑いを抱いた我々を許してくれるはずはないが、真の日見子にただ従うのが祈祷女の務めだ、とイスズはウズメを諭します。

 山社に迫った暈軍では、トメ将軍率いる那軍が背後に迫っていると報告を受けたタケル王が、不安げな表情でテヅチ将軍に自軍の勝算を尋ねていました。山社は高台なので我軍は有利とテヅチ将軍が返答すると、山社を落とすと同時に那軍を滅ぼせるな、とタケル王は安堵し、日見彦(ヒミヒコ)たる自分に負けはないと言っただろう、と勝ち誇ったような表情を浮かべます。今回、人物相関図が掲載されており、タケル王は「わがままで幼稚な性格の人物」とありますが、その通りだな、と笑ってしまいました。能天気なタケル王に対してテヅチ将軍は、我軍が有利なのは那軍が単独で攻めてきた場合で、我軍と那軍の交戦中に山社の軍が那軍に呼応して討って出れば、形勢は逆転する、と警告します。慌てたタケル王は、鞠智の里と以夫須岐(イブスキ)に援軍を要請するよう指示しますが、時間がない、とテヅチ将軍は言い、山社の出入りを完全に封じれば、ミマト将軍に那軍追撃の情報は届かないはずだ、とタケル王を安心させます。そこへ、山社に戻ろうとしたイスズとウズメを捕らえた、との報告がテヅチ将軍に届きます。

 ヤノハが熱した銅鏡を割っているところに、暈軍のテヅチ将軍より和議の申し出があった、とイクメが報告します。テヅチ将軍は、捕らえたイスズとウズメを斬首されたくなければ、タケル王と暈軍の無血入城を即刻認めよ、と要求してきました。イクメの弟のミマアキは、即刻拒否すべきと考えますが、ヤノハはミマアキを使者として派遣し、ミマアキは捕らえられて死を覚悟しているイスズとウズメに、割れた銅鏡を見せた後、テヅチ将軍に、日見子(ヤノハ)の返答を伝えます。それは、タケル王と暈軍の山社入場を認めるものの、武器全てを放棄するのが条件になる、というものでした。テヅチ将軍は一蹴しますが、門の上に立っている山社のミマト将軍は、半日で那軍が到来し、暈軍の背後を突く、我々の要求を呑まねば、その時我々は那軍に呼応して出撃する、と伝えます。那軍のトメ将軍の動向を山社が把握していることに衝撃を受けたテヅチ将軍に、日見子様は千里眼なのだ、とミマアキは言います。イスズとウズメが、日見子(ヤノハ)は我々を見捨てなかった、と希望を見出しているところで、今回は終了です。


 今回は、山社に攻め込もうとする暈軍とヤノハとの駆け引きが描かれました。ヤノハが銅鏡を割ったのは、山社「独立」後の統治に必要だろうイスズとウズメの完全な忠誠を得ようとするためでしょうか。那軍の動向といい、ここまではヤノハの思惑通り事態が進んでおり、日見彦たる暈のタケル王は窮地に立っています。そんな中でも、テヅチ将軍の発言に一喜一憂し、急に弱気になったり強気になったりするタケル王は、『天智と天武~新説・日本書紀~』の中大兄皇子(天智帝)から、美貌と能力と胆力を低下させたような感じで、小物としてキャラが立っているように思います。

 ヤノハがこの事態をどう収拾しようとしているのか、まだ全貌が見えてこないのですが、ヤノハが表明した方針から推測すると、タケル王には日見彦の地位を降りてもらうものの、暈の王としての地位は引き続き認める、と考えているのでしょうか。ただ、能力と人望は低いものの、権力への執着は強く、「わがままで幼稚な性格の人物」であるタケル王が、日見彦の地位から降りることを承認するようには思えません。とはいっても、タケル王の失態と手詰まりは明らかですから、タケル王が日見子の地位を保てるとは思えません。

 ただ、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、今後も卑弥弓呼(日見彦)と卑弥呼(日見子)が対立を続ける、と予想されます。そうすると、以夫須岐にいるタケル王の父親であるイサオ王がタケル王を追放し、別人を日見彦として擁立するのでしょうか。ここまで、ヤノハの思惑通り事態が進行しているように思えますが、暈の鞠智彦(ククチヒコ)とイサオ王は一筋縄ではいかない人物なので、今後ヤノハが再度苦境に立たされる場面もあるでしょう。ヤノハの弟のチカラオも近いうちに登場しそうですし、今後がひじょうに楽しみです。

異なる気候下におけるシロイヌナズナのゲノム選択

 異なる気候下におけるシロイヌナズナのゲノム選択に関する研究(Exposito-Alonso et al., 2019)が公表されました。気候変動は、生物個体群にたいして、変化して適応するか、絶滅に直面するか、いずれかを強いる自然選択の要因となります。しかし、気候変動に伴う生物多様性のリスクについての現在の評価では通常、自然選択による各個体群への影響がそれらの遺伝的構成に応じてどのように異なるのか、考慮されていません。この研究は、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)について入手可能な広範なゲノム情報を利用し、スペインとドイツで栽培した517のシロイヌナズナ自然系統の適応度が、降雨量の操作によってどのような影響を受けるのか、測定しました。これにより、ゲノム全体に働く選択の直接推測が可能になりました。

 その結果、自然選択がとくに強く働いていたのはスペインの高温乾燥地域で、そこでは系統の63%が死滅し、ゲノム規模の全多様体の約5%で自然選択による頻度の著しい変化が見られました。気候に駆動されるこうした多様体の自然選択の大部分は、実験場所により似た気候を有する地理的領域で見つかった遺伝的多様体が正の選択を受けていたことから、局所適応の特徴により予測可能でした。これらの予測はシロイヌナズナの分布域全域にわたり野外実験によって裏づけられ、こうした予測からは、この種の環境限界の辺縁に位置する地中海とシベリア西部の個体群が現在、気候に駆動されるものとして最も強い選択を受けている、と示されました。ヨーロッパでは旱魃の頻度や気温が上昇していることから、方向性のある自然選択はヨーロッパの南端から北へと移動するにつれて強まり、結果として多くのシロイヌナズナ在来個体群が進化のリスクにさらされる、とこの研究は予測しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生態遺伝学:現在および将来の気候においてシロイヌナズナのゲノムが受ける自然選択

生態遺伝学:異なる気候でシロイヌナズナのゲノムが受ける選択

 D Weigelたちは今回、スペインとドイツの2つの野外研究施設で、517のシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)系統を用いて異なる気候をシミュレートする実験を行った。そして、得られたデータセットを解析することで、ゲノム規模での自然選択のパターンや、そうした選択の環境の違いとの相関を調べた。著者たちはまた、シロイヌナズナのゲノムが受ける環境に関連した選択のシミュレーションを行い、こうした手法が、植物ゲノムが受ける気候変動に駆動される選択を予測するための原理証明方法となると提案している。



参考文献:
Exposito-Alonso M. et al.(2019): Natural selection on the Arabidopsis thaliana genome in present and future climates. Nature, 573, 7772, 126–129.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1520-9

気候変動に関連しているヨーロッパの洪水パターン

 ヨーロッパの洪水パターンと気候変動との関連を報告した研究(Blöschl et al., 2019)が公表されました。河川による洪水は大きな犠牲を伴う自然災害で、それに伴う年間損失額は約11兆4400億円と推定されており、持続的な経済成長と都市化によってますます増えると予想されています。大気が暖かいほど保水能力が大きくなることに起因して、気候変動により河川洪水が増加するのではないか、というわけです。しかし、降水量には地域差が生じると予想され、既存の研究では空間的な範囲と水文観測所の数が限られていたため、洪水パターンに関する大規模な観測データがなく、河川による洪水に対する気候変動の影響を決定することは困難でした。この研究は、1960~2010年に3738ヶ所の水文観測所から発表されたヨーロッパの河川流量観測のデータセットを分析し、洪水を引き起こす主たる要因(最大降水量・土壌水分レベル・気温)の変化を評価しました。

 その結果、ヨーロッパ北西部では秋季と冬季の降水量の増加によって洪水が増加し、ヨーロッパ南部の中規模および大規模な集水域では降水量の減少と蒸発量の増加によって洪水が減少し、ヨーロッパ東部では気温の上昇に起因する積雪と融雪の減少によって洪水が減少している、と示唆されました。ヨーロッパの地域的な洪水流量の傾向は、10年当たり約11%の増加から23%の減少まで幅があります。これらの知見は、今後100年の気候モデルの予測とほぼ一致しており、洪水管理戦略を設計するさいに気候変動の影響を考慮に入れる必要があることを示している、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境科学】ヨーロッパの洪水パターンは気候変動に関連している

 ヨーロッパにおける河川による洪水に明白な地域差が存在していることが、気候変動の地域的パターンと関連しているという見解を示した論文が、今週に掲載される。ヨーロッパで洪水の増えている地域と減っている地域がある理由を大陸規模で分析したのが今回の研究だ。

 河川による洪水は、大きな犠牲を伴う自然災害で、それに伴う年間損失額が1040億米ドル(約11兆4400億円)と推定されており、持続的な経済成長と都市化によってますます増えることが予想されている。降水量に地域差が生じることが予想され、洪水パターンに関する大規模な観測データがないため、河川による洪水に対する気候変動の影響を決定することは難しかった。

 今回、Gunter Bloschlたちの研究グループは、1960~2010年に3738か所の水文観測所から発表されたヨーロッパの河川流量観測のデータセットを分析し、洪水を引き起こす主たる要因(最大降水量、土壌水分レベル、気温)の変化を評価した。その結果、ヨーロッパには、10年間に洪水が11%以上増加した地域がある一方で、23%減少した地域があることがわかった。北西ヨーロッパで洪水の規模が増大しており、その理由は、極値降水量と土壌水分の増加にあるとBloschlたちは考えている。また、南ヨーロッパでは洪水の傾向が弱まっており、それが冬季降雨量の減少による可能性があることをBloschlたちは明らかにしている。

 以上の結果は、洪水管理戦略を設計する際に気候変動の影響を考慮に入れる必要があることを示しているとBloschlたちは結論付けている。



参考文献:
Blöschl G. et al.(2019): Changing climate both increases and decreases European river floods. Nature, 573, 7772, 108–111.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1495-6

節足動物の眼の進化

 節足動物の眼の進化に関する研究(Lindgren et al., 2019)が公表されました。昆虫や甲殻類などの節足動物に見られる複眼は、動物界で最も一般的な視覚器です。複眼の進化は遅くとも5億2000万年前頃までさかのぼり、初期の複眼の例を研究することで、節足動物の眼の視覚能力に関する手掛かりが得られるかもしれません。しかし、化石生成論的過程や続成過程の結果として起こる構造の変化や化学的変化により本来の特徴が変化して、現生種との比較が必要となる場合もあります。

 この研究は、デンマークで発見された5400万年前頃のガガンボの眼の化石の組成と微小解剖を分析し、現生種のガガンボの眼と比較して、化石生成過程で複眼がどのように変化したのかを調べました。その結果、保存状態が良好な古代のガガンボの視覚器官は、石灰化した複数の角膜レンズから構成され、それらはユーメラニン色素を含む側壁によって隔てられていた、と明らかになりました。一方、現生のガガンボの個眼隔壁にユーメラニンが存在することも確認されました。これらの個眼隔壁では、ユーメラニンが複眼中の個眼の最も外側に色素壁を形成し、これがキチン質の角膜を包含しています。ユーメラニンは、光受容体を光から保護する遮蔽体として機能している可能性があります。

 この研究は、ガガンボの眼の化石には水晶体構造が石灰化した徴候が見られるので、これは、眼を保護し、視覚に関与するキチン質の組織が石灰化したものだろう、との見解を提示しています。一部の絶滅した節足動物において、この石灰化が生きている間に起こっていた可能性が先行研究で示唆されていますが、この研究は、そのような鉱化作用があれば、視力障害が生じた可能性があり、むしろ、カルシウムの沈着は化石の保存過程で生じたアーティファクトだろう、との見解を提示しています。

 これらの知見により、最古の節足動物群の1つである三葉虫の石灰化した眼に関して、長年の仮説を再考する必要があるかもしれない、と指摘されています。三葉虫の眼は機械的強度のために部分的に鉱化していた可能性もあるものの、より蓋然性が高いのは有機質の組成だったことで、もしそうならば、屈折率分布型の視覚およびレンズ形状の高度な制御によって機能がより強化されていた、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【進化】眼の化石に新たな見方

 節足動物に光を遮蔽するメラニン色素があったことを示す最も古い記録が、5400万年前のガガンボの眼の化石から得られた。この発見について報告する論文が、今週掲載される。この眼の化石のさらなる分析では、ガガンボの眼の構造が化石生成過程でどのように変化したのかも明らかになった。この新たな知見で、他の化石化した節足動物(三葉虫など)の眼の構造に関するこれまでの解釈を見直す必要が生じる可能性がある。

 昆虫や甲殻類などの節足動物に見られる複眼は、動物界で最も一般的な視覚器だ。複眼の進化の歴史は、少なくとも5億2000万年前にさかのぼり、初期の複眼の例を研究することで、節足動物の眼の視覚能力に関する手掛かりが得られる可能性がある。

 今回、Johan Lindgrenたちのグループは、デンマークで見つかった5400万年前のガガンボの眼の化石の組成と微小解剖を研究し、現生種のガガンボの眼と比較して、化石生成過程で複眼がどのように変化したのかを調べた。その結果、化石標本と現生種の標本のいずれからもユーメラニン色素の証拠が観察された。この色素は、光受容体を光から保護する遮蔽体として機能している可能性がある。

 ガガンボの眼の化石には、水晶体構造が石灰化した徴候が見られ、Lindgrenたちは、眼を保護し、視覚に関与するキチン質の組織が石灰化したものとする見方を示している。一部の絶滅した節足動物において、この石灰化が生きている間に起こっていた可能性が先行研究で示唆されているが、Lindgrenたちは、そのような鉱化作用があれば、視力障害が生じた可能性があり、むしろ、カルシウムの沈着は、化石の保存過程で生じたアーティファクトだとする考えを提唱している。今回の研究で得られた知見により、最古の節足動物群の1つである三葉虫の石灰化した眼に関する長年の仮説を再考する必要があるかもしれない。


古生物学:昆虫化石の眼から明らかになった三葉虫の視覚と節足動物の遮蔽色素

古生物学:太古の眼から得られた新たな視点

 今回J Lindgrenたちは、5400万年前のガガンボの眼の化石によって、節足動物のメラニン遮蔽色素に関する最初の記録が得られるとともに、また別の節足動物である三葉虫の良好に保存された眼の構造についてのこれまでの解釈に疑問が呈されると報告している。化石化したガガンボの眼には構造の二次的石灰化の証拠が見られ、これらの構造は生存中はキチン質であったと考えられる。三葉虫の眼は方解石に富んでいたというのが通説であるが、今回の研究は、生存中の三葉虫の眼に含まれる方解石がはるかに少なかったことを示唆している。



参考文献:
Lindgren J. et al.(2019): Fossil insect eyes shed light on trilobite optics and the arthropod pigment screen. Nature, 572, 7772, 122–125.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1473-z

ヒトとマウスの脳領域の細胞種の比較

 ヒトとマウスの脳領域の細胞種の比較に関する研究(Hodge et al., 2019)が公表されました。ヒト大脳皮質の細胞構造を解明することは、ヒトの認知能力や疾患への感受性を理解する上で重要です。しかし、ヒトの大脳皮質と類縁の哺乳類の大脳皮質を区別するものが何なのかはまだよく分かっておらず、それはこれまでの比較データが裏づけに乏しく、ばらつきのあるものだったからです。たとえば、ヒトの大脳皮質は、マウスの大脳皮質と比べて、面積とニューロン数が1000倍以上で、大脳皮質の基本的な構造は哺乳類種において保存されているようですが、以前の研究では、ヒト大脳皮質の細胞構成が複数の点で異なっている、と指摘されていました。

 この研究は、単一核RNA配列解読法を用いて、ヒト大脳皮質の1領域である中側頭回の細胞タイプを分類しました。この研究では、ニューロン以外の細胞(6種類)、興奮性細胞(24種類)、抑制性細胞(45種類)の合計75種類の細胞タイプが特定されました。次に、この研究は、マウスの単一細胞RNA塩基配列データセットを用いて、ヒトとマウスの大脳皮質を比較し、ヒトについて特定された細胞タイプの大部分は、マウスにも対応する細胞タイプが存在する、と明らかにしました。

 一方、この研究は、対応関係にあるヒトとマウスの細胞タイプ間に遺伝子発現レベルの差異があることも見いだしました。たとえば、セロトニン受容体は、ヒトとマウスの間で2番目に大きく異なる遺伝子ファミリーでした。この結果は、セロトニンのシグナル伝達が関係する神経精神疾患のマウスモデルの使用に疑問を投げ掛けるものになった、とこの研究は指摘しています。モデル生物の使用に加えて、ヒトの脳を直接研究することが重要というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


神経科学:ヒトとマウスの脳領域の細胞種を比較する

 ヒト大脳皮質の1つの領域に存在する75種類の異なる細胞タイプを特定した解析についての論文が、今週掲載される。今回の解析研究では、このデータをマウス脳の類似した領域のデータと比較することを通じて、この大脳皮質領域の構造と細胞タイプに類似点がある一方で、広範な相違点のあることも明らかになった。この研究知見は、モデル生物の使用に加えて、ヒトの脳を直接研究することの重要性を強調している。

 ヒトの大脳皮質は、マウスの大脳皮質と比べて、面積とニューロン数が1000倍以上である。大脳皮質の基本的な構造は哺乳類種において保存されているように思われるが、以前の研究では、ヒト大脳皮質の細胞構成が複数の点で異なっていることが指摘されていた。

 今回、Ed Leinたちの研究グループは、単一核RNA配列解読法を用いて、ヒト大脳皮質の1つの領域である中側頭回の細胞タイプを分類した。今回の解析研究では、ニューロン以外の細胞(6種類)、興奮性細胞(24種類)、抑制性細胞(45種類)の合計75種類の細胞タイプが特定された。次に、Leinたちは、マウスの単一細胞RNA塩基配列データセットを用いて、ヒトとマウスの大脳皮質を比較し、ヒトについて特定された細胞タイプの大部分は、マウスにも対応する細胞タイプが存在することを明らかにした。

 一方、Leinたちは、対応関係にあるヒトとマウスの細胞タイプ間に遺伝子発現レベルの差異があることも見いだした。例えば、セロトニン受容体は、ヒトとマウスの間で2番目に大きく異なる遺伝子ファミリーであった。この結果は、セロトニンのシグナル伝達が関係する神経精神疾患のマウスモデルの使用に疑問を投げ掛けるものになったとLeinたちは考えている。


神経科学:ヒトとマウスの皮質における異なる特性を持つ保存された細胞タイプ

神経科学:ヒト大脳皮質細胞タイプの高分解能アトラス

 ヒトの大脳皮質と類縁の哺乳類の大脳皮質を区別するものが何なのかはまだよく分かっていないが、それはこれまでの比較データが裏付けに乏しくばらつきのあるものだったからである。E Leinたちは今回、ヒトの大脳皮質中側頭回の凍結試料を用いて単一核RNA塩基配列解読を行い、ヒト大脳皮質の包括的な遺伝子発現アトラスを作製した。今回のカバー率の深度は、アレン脳科学研究所で最近作られたマウスのアトラスとの高分解能比較を可能にし、その結果、意外なほどよく保存された細胞タイプが明らかになったが、それらの割合や層分布、遺伝子発現、形態に劇的な変化も見られた。これは、脳の機能や疾患の動物モデルから得られた結果を解釈する際には、注意を払う必要があることを強調している。



参考文献:
Hodge RD. et al.(2019): Conserved cell types with divergent features in human versus mouse cortex. Nature, 573, 7772, 61–68.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1506-7

同じアジア人を差別する輩は絶対に許さねえ

 表題の古谷経衡氏の発言がTwitterで注目されているようです。全文を引用すると、

俺は反米右翼の民族保守だ。と同時にアジア主義者だ。同じアジア人を差別する輩は絶対に許さねえ。アジア国家の政権批判は全然良い。だが同じアジア人へのいわれなき差別は絶対に許さん。

となります。差別は誰が相手であろうとよくない、ということくらいは古谷氏も百も承知でしょうから、この点は無視します。私が気になるのは、

日本は西側国家でほぼ唯一、アラブ寄りとみられている(その幻影も崩れつつあるが)。よってアメリカが主導するホルムズ海峡有志連合などには間違っても参加してはならない。イランは日本の友邦であるから、イランを刺激してはならない。断固参加NOというべし。

発言し、イランはアラブではない、と多くの人から指摘されたら、

イランは反イスラエル、湾岸諸国という視点から「広義のアラブ」の含意として文中で使用したことは間違いではないのではないか。

弁明した古谷氏の考える「アジア」とはどこなのか、ということです。イランをアラブの一地域くらいに考えているというか、アラブとイランの区別のつかない人は、現代日本社会においてかなりの割合で存在するのではないか、と思います。名門高校→東大法学部→有名大手企業で現在は管理職という私の知人は、管理職に就任するずっと前ですが、イランもアラブの一地域と考えており、この経歴の人でもその程度の認識なのか、と驚いたことをよく覚えています。現代日本人の多くにとって、やはりイランもアラブも縁遠い地域なのでしょう。

 古谷氏の認識もこの程度ですから、上述の発言における「アジア」とは、最近当ブログで述べたように(関連記事)、おそらくアジア東部を指すのでしょう。具体的な国は、中国と南北朝鮮と日本(と台湾?)です。そもそも、アジアという概念がヨーロッパ発祥で、近代になってさらにヨーロッパ中心的な性格を強めましたから、本来ならば根本的に見直すべきなのでしょう。文化(歴史)的にも遺伝的にも、アジア南西部は日本も含めてアジア東部よりもヨーロッパの方とずっと近縁ですから、たとえばイランを日本と同じ「アジア」に区分し、ヨーロッパと対比させるというような枠組みには無理が大きいと思います。とはいっても、私程度の見識と能力では、適切な代替案が容易に思い浮かぶはずもありませんが。

近親交配と健康への影響

 近親交配と健康への影響に関する研究(Yengo et al., 2019)が公表されました。この研究は、イギリスのバイオバンクに登録された456414人の匿名化データを用いて、親子間のような第一度近親者間と、異父(異母)兄弟姉妹間のような第二度近親者間といった、きょくたんな近親交配の存在状況を推定しました。この推定は、ホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)に基づいて行なわれ、これが一定数の健康転帰に関連するかどうか、検討されました。

 この研究は、対象者の中から第一度近親者又は第二度近親者の間に生まれた子であることを示唆する遺伝データの125人を同定しました。また、この研究は、このコホートにおいて、きょくたんな近親交配が、肺機能や視力や認知機能の低下といった健康への悪影響に関連していると明らかにし、以前の研究によって得られた知見の正当性を確認しました。さらに、近親交配によって生まれた子は一般に疾患リスクが高いことも明らかになりました。

 ただ、この研究は、きょくたんな近親交配の事例数が少なく、イギリスのバイオバンクに登録バイアスが働いている可能性が高い(イギリスのバイオバンクの参加者の健康状態と学歴が平均してその他の人々よりも高い)ため、今回のデータの解釈には注意を要する、と指摘しています。この研究は近親交配による適応度低下を改めて示しました。近親交配はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅要因とも言われていますが、ネアンデルタール人にも近親交配を避けるような認知メカニズムが生得的に備わっており、近親交配は気候変動や現生人類(Homo sapiens)との競合による衰退の結果であって、絶滅の究極要因とは言えないように思います(関連記事)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】近親交配と関連する健康転帰

 近親交配とその健康への影響可能性を分析する研究が行われ、その結果得られた知見を報告する論文が掲載される。

 今回、Loic Yengoたちの研究グループは、英国バイオバンクに登録された45万6414人の匿名化データを用いて、極端な近親交配、つまり第一度近親者間(例:親子間)と第二度近親者間[例:異父(異母)兄弟姉妹間]の交配の存在状況を推定した。この推定は、ホモ接合連続領域(ROH;両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)に基づいて行われ、これが一定数の健康転帰に関連するかどうかの検討も行われた。

 Yengoたちは、研究対象者の中から第一度近親者又は第二度近親者の間に生まれた子であることを示唆する遺伝データを持つ125人を同定した。また、Yengoたちは、このコホートにおいて、極端な近親交配が健康への悪影響(例えば、肺機能や視力、認知機能の低下)に関連していることを明らかにして、以前の研究によって得られた知見の正当性を確認した。さらに、近親交配によって生まれた子は一般に疾患リスクが高いことも明らかになった。

 Yengoたちは、極端な近親交配の事例数が少なく、英国バイオバンクに登録バイアスが働いている可能性が高い(英国バイオバンクの参加者の健康状態と学歴が平均してその他の人々よりも高い)ため、今回の研究のデータの解釈には注意を要することを指摘している。



参考文献:
Yengo L, Wray NR, and Visscher PM.(2019): Extreme inbreeding in a European ancestry sample from the contemporary UK population. Nature Communications, 10, 3719.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11724-6

試験でのパフォーマンス持続性の性差

 試験でのパフォーマンス持続性の性差に関する研究(Balart, and Oosterveen., 2019)が公表されました。この研究は、試験における受験者のパフォーマンスと、それが点数の男女差に及ぼす影響を二つの調査を行ないました。一方の調査では、15歳児の数学・科学・言語読解力のパフォーマンスを評価するために3年ごとに実施される、国際標準化試験「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」のデータが使用されました。2006・2009・2012・2015年に74ヶ国で実施された試験のデータが用いられ、読解力の試験では女子の成績が男子を上回り、数学と科学の試験では男子の成績が女子を上回っていた、と明らかになりました。これは、先行研究によって得られた知見を裏づけています。一方、試験の科目に関わらず、試験でのパフォーマンスの持続性は、女子が男子よりも高い、と明らかになりました。調査対象国の20%以上で、2時間の試験を実施した場合に、数学と科学の試験の点数における男女差が解消されたか、逆転していました。

 もう一方の調査では、さまざまな設問数の数学の試験(441例)における男女の成績のデータセットが用いられました。この調査では、設問数が多くなると試験の点数の男女差が縮まる、という関連性が認められました。STEM(科学・技術・工学・数学)の標準化された尺度は将来の教育とキャリアの選択や機会に影響する可能性があり、これらの知見は、試験でのパフォーマンスの持続性と設問数の多さが、STEM分野で働く女性が比較的少ないことを理解するさいのファクターである、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【教育】女性は男性より試験でのパフォーマンスが持続する

 読解力、数学、科学の試験において、女性は男性よりもパフォーマンスを持続させることができるという研究結果を報告する論文が掲載される。数学の試験では、長い試験(設問数の多い試験)の方が点数の男女差が小さくなるという関連性も認められた。

 今回、Pau BalartとMatthijs Oosterveenは、試験における受験者のパフォーマンスとそれが点数の男女差に及ぼす影響を調査するために2つの研究を行った。第1の研究では、15歳児の数学、科学、言語読解力のパフォーマンスを評価するために3年ごとに実施される国際標準化試験である「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」のデータが使用された。2006、2009、2012、2015年に74か国で実施された試験のデータが用いられ、読解力の試験では女子の成績が男子を上回り、数学と科学の試験では男子の成績が女子を上回っていたことが判明した。これは、先行研究によって得られた知見を裏付けている。一方、試験の科目にかかわらず、試験でのパフォーマンスの持続性は、女子が男子よりも高かった。調査対象国の20%以上で、2時間の試験を実施した場合に、数学と科学の試験の点数における男女差が解消されたか、逆転していた。第2の研究では、さまざまな設問数の数学の試験(441例)における男女の成績のデータセットが用いられた。この研究では、設問数が多くなると試験の点数の男女差が縮まるという関連性が認められた。

 STEM(科学、技術、工学、数学)の標準化された尺度が将来の教育とキャリアの選択や機会に影響する可能性があることを考慮すると、今回の研究で得られた知見は、試験でのパフォーマンスの持続性と設問数の多さが、STEM分野で働く女性が比較的少ないことを理解する際のファクターであることを示唆している。



参考文献:
Balart P, and Oosterveen M.(2019): Females show more sustained performance during test-taking than males. Nature Communications, 10, 3798.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11691-y

日本の多様性

 もう20年近く前(2001年5月24日)になりますが、大山誠一『聖徳太子と日本人』(風媒社、2001年)を取り上げました(前編および後編)。今となっては恥ずかしい限りですが、聖徳太子は架空の人物である、という大山説にたいして、批判的なところもあったとはいえ、当時はおおむね肯定的でした(関連記事)。その後、2008年頃までには大山説にかなり批判的になっており(関連記事)、近年ではおおむね否定的になりました(関連記事)。しかし今でも、「進歩的で良心的な」人が、大山説に肯定的な立場から聖徳太子「架空人物説」を「ネトウヨ」に突き付けている姿がたまに見られ、大山説の影響は根強いのだな、と残念に思います。やはり、地上波のテレビ番組でも取り上げられただけに、大山説は広く認知されているのでしょう。「ネトウヨ」に肯定的な立場から大山説を突き付けるような人は、聖徳太子の「存在を否定」すれば、「ネトウヨ」に精神的打撃を与えられる、とでも考えているのでしょうか。それはさておき、20年近く前も大山説に否定的だった見解の一つが、日本の多様性をめぐる評価です。『聖徳太子と日本人』は、以下のように述べています(P234)。

中国もインドもヨーロッパもアメリカも、確かに広いけれども、日本と比べて単調である。変化を感じない。それに反し、日本の多様性はどうだろう。北陸や東北の日本海側ほど雪が降るところは、地球上にないという。あるかも知れないが、人間が住んでいるところでは、ほかにないという。国境を越えると、もう違った世界ということが、どこでもそうなのだ。この日本の多様さは、まるで地球全体を凝縮したような感じである。

 20年近く前も、「欧州やインドや中国やアメリカは複雑多様な日本と比較して単調であるとの箇所は、正直なところ大山氏ほどの研究者にしては認識不足だと思う(特にインドについては)」と述べたのですが、その見解は今でも変わりません。今年(2019年)刊行された岡本隆司『世界史とつなげて学ぶ中国全史』(東洋経済新報社)は、日本史研究では日本の多様性が主張されることもあるものの、中国社会と比較すると日本社会はずっと単一的で均質的だ、と評価します(関連記事)。日本の多様性に関しては、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』の方が『聖徳太子と日本人』よりもずっと妥当な見解を提示している、と私は考えています。

アフリカ熱帯雨林の形成を助けている森林のゾウ

 森林のゾウとアフリカ熱帯雨林の形成に関する研究(Berzaghi et al., 2019)が公表されました。森林のゾウは、アフリカ中央部および西部の森林に分布しています。これまでの研究で、大型草食動物は生態系に重大な影響を及ぼし得る、と示されていましたが、ゾウがアフリカ熱帯雨林にどのような影響を及ぼすのか、ほとんど分かっていませんでした。この研究は、ゾウがアフリカ熱帯雨林の構造や生産性や炭素貯蔵量に及ぼす影響を分析しました。この研究はこれらの影響を、ゾウによる擾乱(幹の幅が30cm未満の植物の破壊と定義されました)を取り込んだシミュレーションモデルおよび野外データに基づいて定量化しました。

 その結果、ゾウによる擾乱に起因する森林の幹数の減少が、木々の間での光・水・空間の競争に変化をもたらす、と明らかになりました。こうした変化により、大きな木密度を持つ、より少なくより大きな木々が出現しやすくなり、これによって炭素貯蔵量が増加します。この研究は、ゾウが1㎢当たり0.5頭から1頭という典型的な密度の場合、ゾウによる擾乱が、森林バイオマスを1ヘクタール当たり最大60トン増加させると推定し、森林のゾウが絶滅すると、アフリカ中央部熱帯雨林帯の炭素貯蔵量が7%減少する可能性を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


森林のゾウはアフリカ熱帯雨林の形成を助けている

 森林のゾウが絶滅すると、森林バイオマスが減少し、中央アフリカ熱帯雨林帯の炭素貯蔵量が7%減少する可能性があることを示した論文が、今週掲載される。この研究は、ゾウがアフリカの熱帯雨林の構造を形づくる上で重要な役割を果たしていることを示している。

 森林のゾウは、中央および西アフリカの森林で見つかっている。これまでの研究で、大型草食動物は生態系に重大な影響を及ぼし得ることが示されていたが、ゾウがアフリカ熱帯雨林にどのような影響を及ぼすかはほとんど分かっていなかった。

 Fabio Berzaghiたちは、ゾウが、アフリカ熱帯雨林の構造や生産性、炭素貯蔵量に及ぼす影響を分析した。彼らはこれらの影響を、ゾウによる擾乱(幹の幅が30センチメートル未満の植物の破壊と定義)を取り込んだシミュレーションモデルおよび野外データに基づいて定量化した。その結果、ゾウによる擾乱に起因する森林の幹数の減少が、木々の間での光、水、空間の競争に変化をもたらすことが見いだされた。こうした変化によって、大きな木密度を持つ、より少なくより大きな木々が出現しやすくなり、これによって炭素貯蔵量が増加する。著者たちは、ゾウが一平方キロメートル当たり0.5頭から1頭という典型的な密度の場合、ゾウによる擾乱が、森林バイオマスを1ヘクタール当たり最大60トン増加させると見積もっている。



参考文献:
Berzaghi F. et al.(2019): Carbon stocks in central African forests enhanced by elephant disturbance. Nature Geoscience, 12, 9, 725–729.
https://doi.org/10.1038/s41561-019-0395-6

シンボリルドルフの海外遠征をめぐる議論

 13年前(2006年8月28日)、1980年代半ば~1990年代半ばの10年近く、最強クラスの馬の海外遠征が途絶え、これは明らかにシンボリルドルフの海外遠征の失敗の影響が大きかったと思う、と述べました(関連記事)。シンボリルドルフは4歳(当時の表記では5歳)までに無敗での三冠達成も含めて15戦13勝と素晴らしい実績を残し、日本の競馬界の大きな期待を背負って、1986年3月、アメリカ合衆国のサンタアニタ競馬場で行なわれたサンルイレイステークスGI(現在はサンルイレイハンデキャップGII)に出走しましたが、7頭立6着と、おそらくはほとんどの日本の競馬ファンにとって予想外の惨敗を喫してしまいました。結果的には、これがシンボリルドルフにとって最終レースとなりました。

 すでに遠征前よりオーナーと厩舎側は対立しており、遠征にはほぼ厩舎側は関われなかったのですが、惨敗後、野平調教師が週刊誌でシンボリルドルフは本調子には見えなかった、というような発言をしたことで、オーナー側と調教師側の間で「論争」になり、シンボリルドルフのような歴史的名馬にしては、何とも残念な現役晩年になってしまいました。当時、シンボリルドルフを嫌っていた私でも、シンボリルドルフの海外遠征での惨敗を残念に思いましたし、その後にオーナー側と調教師側が「論争」を始めたことに、居たたまれない気持ちになったものです。

 この「論争」に関して、手元に文献がないので正確ではありませんが、大橋巨泉氏は、調教師の言い分がほぼ全面的に正しい、と評価していました。調教師側の非としては、最初に週刊誌でオーナー側を批判したことが挙げられていた、と記憶しています。当時の論調をはっきり覚えているわけではありませんが、シンボリルドルフの状態をよく見極めずに強引に出走させたのではないか、との疑念から、オーナー側に批判的な声が大きかったように思います。一方、山野浩一先生のこの「論争」に関する評価は異なっています。以下、山野浩一『【競馬】全日本フリーハンデ1983-1988』(リトルモア、1997年)からの引用です(P569-570)。


敗戦の後にシンボリルドルフを巡って和田共弘オーナーと野平祐二調教師との間の週刊誌での大喧嘩があった。多くの人は醜い悪口の言い合いとか、シンボリルドルフのためによくないとか、両者のイメージダウンとかいうが、そういう考えこそ日本人の「甘えの構造」と「村意識、あるいは家族制度意識」というものに束縛された日本病的な考えだと思う。はっきりいって極めてレベルの高い議論で、日本競馬の問題点をよくついており、第二、第三のシンボリルドルフを生むためには避けて通れない問題だと思う。そして、シンボリルドルフのためにも、正しく必要不可欠な喧嘩である。もともと、オーナーと調教師の喧嘩などはいつの時代にもあるし、世界の競馬国のどこでも間断なくおこなわれていることだ。和田氏の発言が穏当でないという人もいるが、これも馬に本気の情熱をかける人間には当然のことで、外国の雑誌にはこれぐらいのことはいつも載っている。私はこういう議論を本気でせずに、人間の世界だけが円く治まることだけを考えてきたところに日本の競馬の最大の醜さを感じるし、日本文化の卑しさも感じるのである。誰もが本気で馬を愛するのなら、自らまず傷つかなければならない。私はそれを堂々と行った和田共弘氏と野平祐二調教師に真のホースメンの姿を感じることができる。その議論が競馬雑誌ではなく、通俗週刊誌に掲載されたことは残念だが、まあ、実情を知る人間にはしかたのないことと思う。現実に私も和田氏のあのような発言を耳にしていても、それを原稿にはできない。私個人としては書きたいが、雑誌社には雑誌社の事情もありポリシーもある。現実にこの議論を称賛する人間は私以外にさほどいないだろうから。
議論の内容に関していえば、全体としてやはり野平調教師の発言にごまかしがあると思う。むろん、野平祐二氏の調教師としての技能についてどうこうというところは、和田氏の発言が単に悪口にしかなっていない。これは野平調教師の今後の手腕に是非期待したいと思うし、一面で和田氏自身が長く評価してきたものを確実に持っていることは和田氏も認めなければならないだろう。だが、シンボリルドルフの管理について「シンボリルドルフだけを預かっているわけでないし、公人として他の仕事もある」というような発言はホースマンのものとは思えない。少なくとも、シンボリルドルフの存在よりも大きな意味を持つ用事など、この馬の調教師にとってはありえないはずだ。自分のことを言って恐縮だが、私は『新しい名馬のヴィジョン』を書くときには、作家としての仕事の90%を捨ててかかった。小説のほうでしなければならないことがあった時期には、競馬関係を『競馬ブック』一誌だけにしていた。ライフワークとはそういうものだと思う。そして、シンボリルドルフが野平調教師のライフワークでないというのなら、これも和田氏の発言を認めざるを得ないだろう。故尾形藤吉調教師がメイズイのためにどんなことをしていたか、武田文吾調教師がシンザンのためにいかなる日々を送ったかについては、野平調教師が我々部外者よりももっとよく知っているはずだ。
だが、むろん私は野平調教師を批判しようとしているのではない。野平調教師が故尾形調教師や武田調教師よりも愛馬精神がないなどとはまったく考えていない。一括したシステム管理の美浦トレーニング・センターで、故尾形調教師や武田調教師のような大御所ではない野平調教師にできることがどれだけ限定されていることか。野平調教師は、かなり昔から和田オーナーにあの発言のようなことを指摘されながらも、ずっと耐えてきたし、自分のプライドや面子を捨てるだけで治まることなら、そのようにしてきた。もともと、野平調教師と和田オーナーは同じ夢を見て、同じ希望を抱いてフランスに乗り込み、日本の競馬の貧しさを知り、本当の競馬の高い格調と研ぎ済まされた技術とすばらしい精神性に触れあった仲だ。だからこそ私は、野平調教師の発言にごまかしがあると思うのである。そして、そのようにごまかす必要もまた、先に述べたようなところに明らかである。
おそらく、和田オーナーもそう思うだろうし、私を含めた野平ファンの多くがそう思うだろうが、野平調教師が今の日本の競馬の世界で特別な存在であるのは、決して組織の中の人間としてうまくやっていけるからではない。野平調教師こそ、シンボリルドルフのために和田オーナーから指摘されるようなことしかできなかった状況に対し、本当の調教師の在り方を追求し、トレーニング・センターの馬不在の状況を改革していく人と期待してのものである。和田オーナーの名はシンボリルドルフによる革命的な調教方式によって日本の競馬史に大きな名を遺すであろう。しかし、組織の中の歯車の名はすぐに次の歯車に取り替えられるだけで忘れられるものだ。一人の野平ファンとして言わせていただくなら、「祐ちゃん、そこまで耐えることはないよ」と言いたい。カッコよく、感性の赴くままに精彩を放ってきた野平調教師が、「組織の一員」などと言わねばならないことに、私は大きな悲しみを禁じ得ない。もっとわがままをやろうよ。いざとなれば民間の牧場だって大歓迎してくれるし、我々のような競馬評論家の仕事だって決して見捨てたものではない。華々しく戦って、散ってしまったっていいではないか!

中国で「反日」デモが下火になった理由

 近年、中国での大規模な「反日」デモは報道されていないと記憶していますが、その理由について興味深い見解が掲載されていたので、以下に引用します。

このような過激な「愛国」行動を見て常に思うのは、ではなぜ彼らは日本や欧州、オーストラリアではなく、北京や上海など自国でやらないのか、ということだ。2000年代から2012年にかけて、中国で何度も反日デモが繰り返され、日本の大使館や商店が破壊や略奪にあったことは記憶に新しい。

実は8月18日に、北京で大規模な抗議活動が計画されていたのだという。ボイス・オブ・アメリカ(VOA)などの報道によると、香港で「反送中」デモが行われた18日に、北京の天安門広場で「国旗を守れ」という愛国デモが計画された。

ところが中国政府は支持をしなかったばかりか、この計画に関してネットを完全に封殺し、当日、天安門広場で大規模な警備を行い、「国旗を守る」いかなる愛国デモも認めなかったのだという。

これについて、カナダ在住の中国人作家で人権活動家の盛雪さんは、「不思議ではない」と次のように指摘した。

「中国の全体主義の政治体制は、あらゆる個人による意見表明を危険だと考えている。今の政権は特に強硬だ。たとえこの政府への支持を表明しても、潜在的な脅威とみなされてしまう。なぜなら人々が意見を公にしたり、人々が集まったりするだけで、一種の圧力とみなすからだ。意見表明に慣れた結果、突然政府への不満を言い出すのではないかと恐れている。それゆえ、たとえ中国の民衆が政府への支持を表明したくても、中国共産党が支配するこの状況では不可能なのだ。」

別の人権派弁護士も、2012年の反日デモを政府は当初認めたが、中国人の車の破壊や暴行事件、さらに政府への不満の声が起きたことで、当局は慌ててブレーキを掛けた、今回中国政府が香港問題で国内での愛国デモを認めないのも、こうした事件から得た教訓なのだと指摘した。

つまり中国政府は香港の抗議デモに対して、中国の民衆に国内で愛国デモを行わせようとはせず、海外の留学生や華人ら愛国者の力を利用しており、これを最近では「離岸(オフショア)愛国主義」と呼んでいると報じている。

以前本コラムでも紹介した中国の国営放送記者がイギリスで騒いだのもその一種だろう。


 つまり、「反日」デモ、さらには「愛国」デモに限らず、人々が意見を公にしたり集まったりすること自体を中国政府はきわめて警戒している、というわけです。支配者の側の心理という観点からは、説得力があると思います。もちろん、上記の見解だけで説明しきれる問題でもないのでしょうが。このような志向の中国が、今後ますます経済・軍事・政治で影響力を拡大していくと予想されますが、中国政府要人もおそらく認めているように(関連記事)、政治思想も含めて文化面の(あくまでも経済・軍事・政治と比較しての)弱さは否定できないでしょう。中国の影響力拡大については、経済・軍事・政治だけではなく、(広義の)文化面も注目しなければならないと思います。

 もっとも、中国の文化面でも、学術は現時点でも多くの分野で世界最先端級にまで発展しており、多くの分野で日本は突き放されているのではないか、と思うのですが、資金面からも、今後日中の差はますます拡大していくと予想されます。問題は、中国の抑圧的な体制が学術に与える悪影響ですが、分野によっては「核心的利益」に抵触して発展が妨げられることもあるかもしれません。今後の中国の動向と世界への影響について、地理的に比較的近い日本の一国民としては、やはりたいへん気がかりなので、今後も可能な範囲で追いかけていくつもりです。

退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明

 アメリカ合衆国の退役軍人の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の遺伝的解明に関する研究(Gelernter et al., 2019)が公表されました。成人の約7%が一生の間にPTSDを経験し、戦闘経験者のPTSD有病率が高い、と明らかになっています。PTSDの症状には、覚醒亢進や回避や心的外傷を引き起こした出来事の再体験などがあり、こうした症状によって日常生活が破壊されることもあります。しかし、心的外傷を受けると必ずPTSDを発症するわけではなく、遺伝的性質などの素因がPTSDのリスクに影響しています。

 この研究は、アメリカ合衆国の「Million Veteran Program」の参加者165000人のデータを解析し、PTSDの再体験症状(心的外傷を引き起こした出来事に関する悪夢やフラッシュバックなど)の遺伝的関連を調べました。その結果、PTSDに関連する8つのゲノム領域が特定され、その中でストレスホルモン受容体をコードする副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン受容体1(CRHR1)遺伝子と関連している可能性も明らかになりました。この関連解析は、ヨーロッパ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の両方のデータを使って実施されましたが、有意な関連が認められたのはヨーロッパ系だけでした。この研究は、ヨーロッパ系アメリカ人のサンプル数の多さが原因だった可能性を指摘しています。今後は、PTSDを発症しやすくなる遺伝子多様体が淘汰されなかった理由など、人類進化の観点からの研究の進展も期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


米国の退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明

 米国の退役軍人の遺伝情報を用いた大規模なゲノム規模関連解析が実施され、心的外傷後ストレス障害(PTSD)における心的外傷の「再体験」症状に関連する複数の遺伝子バリアントが特定された。今回の研究では、ストレスホルモン受容体をコードする遺伝子が関連している可能性も明確に示された。この結果を報告する論文が、今週掲載される。

 一生の間にPTSDを経験する者は成人の約7%を占め、戦闘経験者のPTSD有病率が高い。PTSDの症状には、覚醒亢進、回避、心的外傷を引き起こした出来事の再体験などがあり、こうした症状によって日常生活が破壊されることもある。しかし、心的外傷を受けると必ずPTSDを発症するわけではなく、遺伝的性質などの素因がPTSDのリスクに影響している。

 今回、Joel Gelernter、Murray Steinたちの研究グループは、米国のMillion Veteran Programの参加者16万5000人のデータを解析し、PTSDの再体験症状(心的外傷を引き起こした出来事に関する悪夢やフラッシュバックなど)の遺伝的関連を調べた。その結果、PTSDに関連する8つのゲノム領域が特定され、その中でストレスホルモン受容体をコードする副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン受容体1(CRHR1)遺伝子と関連している可能性も明らかになった。今回の関連解析は、ヨーロッパ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の両方のデータを使って実施されたが、有意な関連が認められたのはヨーロッパ系だけだった。この研究グループは、ヨーロッパ系アメリカ人のサンプル数が多かったことが原因だった可能性があると指摘している。



参考文献:
Gelernter J. et al.(2019): Genome-wide association study implicates CHRNA2 in cannabis use disorder. Nature Neuroscience, 22, 9, 1394–1401.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0447-7

クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自

 クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自に関する研究(Fernandes et al., 2019)が報道されました。人為的頭蓋変形はおそらく更新世にまでさかのぼり、広く世界中で見られ、20世紀まで続いた地域もあります。人為的頭蓋変形は長い時間を要する意図的で不可逆的な行為なので、生涯にわたって集団内の連帯を促進し、集団間の違いの視覚的表現の役割を果たす、と考えられます。頭蓋変形のタイプは多様で、頭蓋の変形部位とその形状により分類する見解も提示されています。頭蓋変形のタイプの分類とともに、その考古学的文脈と起源の理解も重要となります。頭蓋変形は古代ユーラシアに起源があり、複数地域で独自に発達したようです。

 考古学的証拠からは、頭蓋変形はフン人の移住にともないヨーロッパ中央部に導入された、と示唆されています。紀元後5~6世紀のいわゆる大移動期に、頭蓋変形はパンノニア平原(現代のオーストリア・クロアチア・ハンガリー・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニア)地域にまで拡大し、とくにサルマティア人・ゴート人・ランゴバルド人・ゲピト人・フン人の間で広まりました(一般的になりました、流行しました)。パンノニア平原の頭蓋変形を、「ドナウ流域タイプ」と分類する見解もあります。紀元後5~6世紀のパンノニア平原の頭蓋変形パターンは、軽度のものから強いものまで多様で、さまざまな頭蓋形状が含まれています。この頭蓋変形習慣の意味は、まだはっきりとは解明されておらず、貴種性の視覚的指標とか社会的地位の指標とかいった見解も提示されています。

 本論文は、クロアチア東部のオシイェク(Osijek)のヘルマノブ・ビノグラード(Hermanov vinograd)遺跡で発見された、紀元後5~6世紀(415~560年)の3人の部分的な遺骸についての分析を報告しています。この3人は全員、頭蓋は完全に保存されていました。3人のうち2人には頭蓋変形が確認され、これはアヴァール人到来前では最初に確認された事例となります。紀元後5~6世紀にかけてオシイェク一帯は、454年まではフン、473年までは東ゴート、567年まではゲピト、その後はアヴァールの支配下にありました。したがって、この3人はフン人か東ゴート人かゲピト人かもしれません。紀元後500年頃のバイエルンの人類集団に関する最近の研究は、頭蓋変形のない女性が他地域出身だった可能性を示唆しています(関連記事)。本論文は、オシイェクの3人に関して、その頭蓋変形タイプ、年齢、性別、健康度、DNAを分析します。

 オシイェクの3人(SU259・SU261・SU750)はいずれも思春期です。推定年齢は、SU259が14~16歳、SU261が12~16歳、SU750が12~14歳です。いずれも、骨に病気もしくは骨折の痕跡が見られますが、死亡前後の負傷の痕跡や解体痕は見られず、3人とも骨格は比較的頑丈なので、形態的には男性と推定されます。頭蓋変形は、SU261には見られませんでしたが、SU259とSU750では確認されました。SU259の頭蓋はかなり長く、傾斜しています。SU750の頭蓋は円形直立型の変形を示します。炭素と窒素の安定同位体分析では、SU750とSU261で分析に充分なコラーゲンが得られ、食性ではともに穀類への依存度がたいへん高く、動物性タンパク質の摂取量は比較的少なかった、と示唆されます。これは、5世紀のハンガリーの遊牧民の推定された食性とほぼ同じです。3人ともにDNAが解析され、遺伝的にも3人とも男性と明らかになり、形態学的評価と一致しました。網羅率は低いながら(0.0053~0.0077倍)ゲノムデータも得られ、SU259はアジア東部系現代人、その中でもカンボジア人に最も近く、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置します。

 オシイェクの3人は全員思春期の男性で、幼少期に健康状態が悪かったと推測され、病変の痕跡が骨格に見られるものの、何らかの病変や外傷が死因だった痕跡は確認されませんでした。本論文は、この3人が何らかの犠牲に供された可能性は低そうであるものの、ペルーの事例からも断定はできない、と慎重な姿勢を示します。SU261とSU750に関しては、栄養不足や代謝障害や感染症などの可能性が指摘されています。SU259の骨には治癒した痕跡が認められ、出生時の外傷や代謝障害やビタミンAの過剰摂取や白血病の可能性が指摘されています。本論文はこれらの知見から、3人が幼少期に栄養不足に関連する長期的な状態に苦しめられていた、と推測します。同時代の文献によると、大移動期のパンノニア平原では飢餓が頻発したようです。他の人類遺骸との比較から、オシイェクの3人の思春期男性は意図的に食事を与えられなかったのではないだろう、と本論文は推測しています。

 病理学や食性の点ではオシイェクの3人の思春期男性は類似していますが、頭蓋変形と遺伝的構成という点で、3人は大きく異なります。SU261には見られなかった頭蓋変形は、SU259とSU750で確認されていますが、上述のように前者は長い傾斜型、後者は円形型で、タイプが異なります。両者はともにドナウ川流域タイプの一部ですが、その中でもSU259の長い傾斜型は、ゲピト人もしくはフン人との関連も指摘されています。SU750の円形タイプはフン人の間でひじょうに高い割合で見られ、フン人のウラル山脈からドナウ川流域への拡大に伴い、この習慣も広まりました。同じ場所に埋葬された2人の頭蓋変形タイプが異なる理由は不明です。

 長い傾斜型の頭蓋変形を有するSU259は、上述のように遺伝的にはアジア東部系現代人と近縁です。主要な遺伝的構成がアジア東部系現代人と近縁な系統である個体が確認されたのは、大移動期ヨーロッパでは初めてとなりますが、すでに紀元後500年頃のバイエルンにおいて、1人の女性に関してはアジア東部系現代人との遺伝的類似性が指摘されていました。上述のように遺伝的には、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置しますが、この遺伝的構成は紀元後500年頃のバイエルンの人類集団とよく類似しています。SU261は、似たような遺伝的構成の紀元後500年頃のバイエルンの女生とは対照的に、頭蓋変形が確認されませんでした。

 これらの知見から、オシイェクの3人はフン人もしくはゲルマン人に関連している可能性が想定されます。頭蓋変形について、上述のように社会的地位や帰属集団の表明などの仮説が提示されていますが、本論文は、頭蓋変形のパターンもしくはその欠如が、少なくともオシイェクでは、大移動期のパンノニア平原でさまざまな文化が密接に相互作用する中、特定の文化集団と関連しているかもしれない、と推測しています。ただ、現時点では証拠が乏しいことも否定できず、本論文も指摘するように、問題の解明には遺伝学と考古学の組み合わせによる学際的研究の進展が必要となります。

 本論文の見解はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。一ヶ所に埋葬された思春期男性3人の遺伝的構成が大きくことなることはたいへん興味深いのですが、現時点ではその理由の解明は難しく、かなりのところ推測に留まってしまうことは否定できません。スキタイ人が多様な遺伝的構成の人々を組み込んでいったと推測されていることから(関連記事)、フン人など大移動期の遊動的な人類集団も同様だったと考えるのが、現時点では妥当なのかな、とも思います。フン人の起源について、アジア東部の匈奴だったという説は昔からありますが、文化的にも遺伝的にも、フン人が一定以上匈奴系統の影響を受けていた可能性を想定してもよさそうです。


参考文献:
Fernandes D, Sirak K, Cheronet O, Howcroft R, Čavka M, Los D, et al. (2019) Cranial deformation and genetic diversity in three adolescent male individuals from the Great Migration Period from Osijek, eastern Croatia. PLoS ONE 14(8): e0216366.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216366

気候変動により高まる夏の極端な気候現象の持続性

 気候変動により夏の極端な気候現象の持続性が高まる可能性を報告した研究(Pfleiderer et al., 2019)が公表されました。地球温暖化に伴って極端な高温現象と降水現象の発生頻度が全球的に上昇し、この傾向は、今後の温暖化によって継続すると予想されています。極端な高温と降水が増えると、人間の健康や農業や環境が影響を受けることもあり、たとえば森林火災のリスクが増加します。極端な気象現象については、強度や頻度を測定することが多いのですが、最も深刻な影響に関係することが多いのは、こうした現象の継続期間や持続性です。

 この研究は、北半球の中緯度地域における局地的気象条件の持続性に関するマルチモデル解析の結果を明らかにしています。この研究は、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すると仮定すれば、中緯度地域で2週間超の高温期に見舞われる確率が、少し前と比べて約4%増加する可能性があるという解析結果を示しています。この研究は北アメリカ東部に関して、暑さと日照りの持続性が最大20%増加する可能性を推定しています。また、この研究は、中緯度地域における洪水を引き起こす恐れのある1週間以上の豪雨に見舞われる確率が、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇するシナリオで、平均26%増加する可能性があるという結果も示されています。ただ、温暖化による気温上昇を摂氏1.5度とした場合には、上述した増加のほとんどが回避されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


気候変動によって夏の極端な気候現象の持続性が高まる

 全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すれば、北半球の中緯度地域では、夏の極端な気象現象(熱波、干ばつ、雨季など)の期間が長くなる可能性のあることが明らかになった。この新知見について報告する論文が、今週掲載される。

 地球温暖化に伴って極端な高温現象と降水現象の発生頻度が全球的に上昇し、この傾向は、今後の温暖化によって継続すると予想されている。極端な高温と降水が増えると、人間の健康と農業、環境が影響を受けることがあり、例えば、森林火災のリスクが増加する。極端な気象現象については、強度や頻度を測定することが多いが、最も深刻な影響に関係することが多いのは、こうした現象の継続期間や持続性だ。

 今回、Peter Pfleidererたちは、北半球の中緯度地域における局地的気象条件の持続性に関するマルチモデル解析の結果を明らかにしている。Pfleidererたちは、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇すると仮定すれば、中緯度地域で2週間超の高温期に見舞われる確率が、少し前と比べて約4%増加する可能性があるという解析結果を示している。そして、北米東部では、暑さと日照りの持続性が最大20%増加する可能性があるとされた。また、Pfleidererたちは、中緯度地域における洪水を引き起こす恐れのある1週間以上の豪雨に見舞われる確率が、全球の気温が産業革命前よりも摂氏2度上昇するシナリオで、平均26%増加する可能性があるという結果を示している。ただし、温暖化による気温上昇を摂氏1.5度とした場合には、上述した増加のほとんどが回避された。



参考文献:
Pfleiderer P. et al.(2019): Summer weather becomes more persistent in a 2 °C world. Nature Climate Change, 9, 9, 666–671.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0555-0

私はアジア人と呼ばれる事に抵抗がある

 表題の発言をTwitterで見かけました。全文を引用すると、

私はアジア人と呼ばれる事に抵抗がある。私は日本人だ。中国人や朝鮮人と同じグループの一員ではない。それではドイツ人やフランス人をあまり好まないイタリア人はヨーロッパ人か?なぜ無知な西洋人の都合に合わせる?私はいつも「いや、違う。日本人だ!」と大声で答えてやる。

となります。アジアといっても広範囲なので、たとえばイランやイラクといったアジア南西部も「同じアジア」と言われても、多くの日本人に実感がなくても不思議ではありません。文化(歴史)的にも遺伝的にも、アジア南西部は日本よりもヨーロッパの方とずっと近縁です。アジア南部や南東部は、仏教というつながりがあるので(仏教発祥地のアジア南部では、今や仏教はごく少数派ですが)、距離の観点からもアジア南西部よりは日本人にとって馴染み深いでしょうが、それでも、多くの日本人にとって「同じアジア」という認識は薄いでしょう。上記発言では中国や朝鮮が対象となっており、現代日本社会で「アジア」という時、やはり想定されるのはアジア東部が多いと思います。アジア東部では、多くの地域で前近代において漢字文化が共有されていた、という歴史的経緯もあります。

 しかし、以前当ブログで取り上げましたが(関連記事)、中華人民共和国・日本国・大韓民国・中華民国(台湾)というアジア東部4ヶ国を対象とした調査ではっきり示されているように、現代日本人における「東アジア人意識」はかなり低く、上記の発言のように中国人や朝鮮人を強く意識している場合ではなくとも、「東アジア人意識」を持たないか希薄な日本人は少なくないと思います。これは、近代以降、漢字文化という共通基盤が急速に変容もしくは失われたことも大きいと思います。ベトナム(一般的には東南アジアに区分されるのでしょうが)はほぼ完全に漢字文化から離脱しましたし、その動きは朝鮮半島でも見られ、とくに北部で顕著なようです。第二次世界大戦後、中国は簡体字を、日本は新字体を採用し、ともにまだ漢字文化とはいっても、大きな違いが生じました。

 根本的な問題としては、漢字は習得が容易ではなく、前近代において漢字文化を修めた者はごく一部に限られていた、という事情があると思います。こうした状況で近代化と言われる実質的なヨーロッパ化が進展したわけで、中国人や朝鮮人に対する敵意から「東アジア人意識」を否定するのはどうかと思いますが、歴史的経緯を踏まえると、「東アジア人」という共通意識がアジア東部において低いのは仕方のないところでしょう。宗教が仏教・道教・イスラム教などの併存状況であることも、「東アジア人意識」の醸成を妨げているように思います。

 上記のアジア東部4ヶ国では、いずれも国民意識よりも東アジア人意識の方がずっと低く、国民意識では大差はありませんが、「東アジア人意識」に関しては、中国と台湾は日本と韓国よりもさらに低くなっています。この状況は、少なくとも短期的には、今後大きく変わるとはとても思えません。また、アジア東部とはいっても、漢字文化圏ではない地域も多く、「東アジア」なる概念を、安易に中華人民共和国の実効支配領域(モンゴル南部やチベットなど)にまで拡大することには慎重であるべきだ、と思います。

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第33回「仁義なき戦い」

 1940年夏季オリンピック大会開催地を決定するオスロの国際オリンピック委員会総会が迫る中、嘉納治五郎は腰痛を再発し、副島道正がムッソリーニと会見することになります。1940年夏季オリンピック大会の開催地としてローマも立候補しており、ムッソリーニに開催地を東京へ譲ってもらうよう、要請しようとしたのでした。しかし、ムッソリーニとの会見の直前、副島は過労のため肺炎で倒れます。杉村陽太郎のとりなしもあり、回復した副島は再度ムッソリーニと会見します。病を押して会見に来た副島の熱意に感銘を受けたムッソリーニは、東京に譲ることを約束します。

 日本の関係者はもう東京で決定的と浮かれますが、総会ではローマがまだ候補地で残っていました。病気の副島に代わって総会に出席した杉村は、ムッソリーニとの約束を持ち出ますが、イタリアの委員は政治とスポーツは別だと言って譲りません。しかし、ムッソリーニの意向をやはり無視できず、イタリアは東京の支持を表明します。ところが、これが政治的圧力だとして、ラトゥール会長から投票の延期が提案されます。杉村はなおも東京への支持を訴えますが、ラトゥールからは、嘉納ならこんなことにはならなかった、と冷たく突き放されます。杉村は、東京への支持が嘉納への支持だったことを痛感します。嘉納はラトゥールを東京に招待し、接待することを提案します。

 今回は1940年夏季オリンピック大会開催地をめぐる駆け引きが描かれました。これまでの嘉納の人物造形と描写を活かした話になっていて、なかなか面白くなっていました。当時の国際情勢も踏まえた描写になっており、大河ドラマらしいと言えるように思います。一旦は東京への招致が決まりながら返上せざるを得なくなった理由の説明として、国際情勢の描写は必須だけに、ここはやや丁寧に描いていってもらいたいものです。今回は久々に美川が登場し、どこまで本当か分からない、関東大震災後の動向を語っていました。美川の発言も、当時の情勢を背景にしたもので、こうしたところは、大河ドラマらしさを意識しているのかな、とも思います。

古人類学の記事のまとめ(38)2019年5月~2019年8月

 2019年5月~2019年8月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2019年5月~2019年8月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

ボノボと未知の類人猿系統との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_2.html

アウストラロピテクス・セディバがホモ属の祖先である可能性は低い
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_16.html

母親の存在により増加するボノボの雄の適応度
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_42.html

チンパンジーによるカメの捕食
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_45.html

パラントロプス属の分類
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_6.html

音楽と発話に対するヒトとサルの脳の応答
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_22.html

3000年前から「石器」を製作していたヒゲオマキザル(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_51.html

ボノボの食性と人類の進化
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_37.html

歯から示されるアフリカヌスの食性と食料不足への対応
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_38.html

アナメンシスの頭蓋(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_57.html


●フロレシエンシス・ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類以外のホモ属関連の記事

アジア東部の中期更新世のホモ属
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_7.html

最古のオルドワン石器とその技術的系統
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_10.html

中期~後期更新世のアラビア半島における動物相の変化および人類の拡散との関係
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_49.html

アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_61.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人によるイヌワシの捕獲
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_5.html

歯の進化率から推測されるネアンデルタール人と現生人類の分岐年代
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_29.html

片山一道「地球上から消えた人々」
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_40.html

ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_19.html

『ドラえもん』「ネアンデルタール人を救え」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_25.html

12万年前頃のネアンデルタール人の核DNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_56.html

近藤修「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_6.html

ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_39.html

コーカサスにおける旧石器時代の黒曜石の輸送
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_43.html

ネアンデルタール人と現生人類との交雑をめぐる認識の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_35.html


●デニソワ人関連の記事

デニソワ人と確認されたチベット高原の中期更新世の下顎骨
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_4.html

デニソワ人の生息範囲
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_10.html

デニソワ人についてのまとめ(2)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_31.html

臼歯の歯根数から推測されるアジア東部での現生人類とデニソワ人の交雑
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_19.html

アジア南部~南東部における後期ホモ属の複雑な交雑
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_40.html

アジア東部で最古となる線刻
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_7.html


●フロレシエンシス関連の記事

フロレシエンシスの脳および身体サイズの進化
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_34.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

イベリア半島南部の最初期現生人類をめぐる議論
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_9.html

ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先集団のユーラシアでの進化
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_23.html

現生人類の初期の拡散をめぐる議論
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_35.html

森恒二『創世のタイガ』第5巻(講談社)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_44.html

双系的な現生人類社会
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_51.html

初期現生人類のユーラシア東部への拡散経路
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_20.html

澤藤りかい他「東アジア・東南アジアのヒトの遺伝的多様性とその形成過程」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_27.html

アフリカにおける現代人系統と未知の人類系統との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_34.html

Y染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_35.html

山極寿一、小原克博『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_44.html

高橋啓一「中国東北部~北部におけるマンモス-ケサイ動物群と北方系細石刃石器群」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_45.html

仲田大人「IUP(初期後期旧石器石器群)をめぐる研究の現状」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_48.html

山岡拓也「東南アジアにおける旧石器時代の考古資料と研究の特徴」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_50.html

髙倉純「北アジアにおける中期旧石器から後期旧石器時代にかけての編年の諸問題」
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_60.html

アフリカ外で最古となる現生人類化石(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_25.html

日本列島最古の石器を遺したのはデニソワ人などの旧人である
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_56.html

アフリカ東部における4万年以上前までさかのぼる人類の高地への進出
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_19.html

ヨーロッパのホラアナグマの絶滅における現生人類の影響
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_30.html

アジア中央部および北東部における現生人類の早期の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_34.html

近年における過去100万年の人類進化史研究の進展
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_37.html

現生人類ユーラシア起源説
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_49.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

現代日本人のY染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html

シナ・チベット語族の系統関係と起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_12.html

神武天皇のY染色体
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_21.html

「縄文人」のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html

鳥取市青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨のDNA解析補足
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_46.html

北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

日本列島の言語
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_4.html

愛知県の「縄文人」のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html

古墳時代中期の会津地方の支配層男性の復元像
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_13.html

Y染色体DNA解析から推測される縄文時代晩期の人口減少
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html

mtDNAに基づく漢人の地域的な違い
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_61.html

「縄文人」とアイヌ・琉球・「本土」集団との関係
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_32.html

天皇のY染色体ハプログループ
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_44.html

中国史の画期についての整理
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_51.html

縄文人と日本人には、遺伝的に何の繋がりも無いんだが
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_53.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

アメリカ大陸の人類史をめぐる政治的対立
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_50.html

アメリカ大陸北極域とシベリアにおける人類集団の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_17.html

16000年前頃までさかのぼる北アメリカ大陸における人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_62.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

バルト海東部地域のウラル語族の起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_18.html

バスク人の起源とインド・ヨーロッパ語族の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_20.html

ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_22.html

樹脂の塊から解析されたスカンジナビア半島の中石器時代の古代DNA
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_28.html

フランスのブドウの歴史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_21.html

ユーラシア草原地帯牧畜民の穀類消費の増加と地域間の相互作用
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_23.html

ポーランド中央部における新石器時代~前期青銅器時代の人類史
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_31.html

ペリシテ人の起源
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html

気候変動により分解の進むヴァイキング時代の遺物
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_30.html

ハンガリーとウラル地域の父系のつながり
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_54.html

フィンランド人のエキソーム塩基配列解読
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_29.html

遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

ヒマラヤ山脈の人類遺骸のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_41.html

ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_54.html


●進化心理学に関する記事

喫煙行動の関連遺伝子座
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_37.html

ニコチン受容体遺伝子と大麻の乱用との関係
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_4.html

性善説と性悪説
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_35.html

人種差別的な「科学的研究」の批判
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_55.html

遺伝的近縁性と親近感
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_21.html

平等と協力の関係
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_43.html


●その他の記事

Vybarr Cregan-Reid『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_17.html

mtDNAの選択における核DNAの影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_48.html

人類の分布範囲の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_56.html

アフリカ東部への牧畜の拡大
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_5.html

タンパク質解析が明らかにする人類進化
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_58.html

1970年代に社会主義への道を批判した市井人
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_21.html

アジア南部の現生人類の人口史
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_36.html

石浦章一『王家の遺伝子 DNAが解き明かした世界史の謎』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_41.html

近代日本において成果をあげた反進化論
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_45.html

過去2000年間における最近の気候変動の位置づけ
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_49.html

地域的な偏りのある人類進化研究
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_24.html

河辺俊雄『人類進化概論 地球環境の変化とエコ人類学』
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_46.html

太田博樹「ゲノム人類学から見たふたご研究」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_47.html



過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
https://sicambre.at.webry.info/200709/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(1)
https://sicambre.at.webry.info/200707/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(2)
https://sicambre.at.webry.info/200712/article_31.html

古人類学の記事のまとめ(3)
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(4)
https://sicambre.at.webry.info/200807/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(5)
https://sicambre.at.webry.info/200811/article_3.html

古人類学の記事のまとめ(6)
https://sicambre.at.webry.info/200812/article_26.html

古人類学の記事のまとめ(7)
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(8)
https://sicambre.at.webry.info/200909/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(9)
https://sicambre.at.webry.info/200912/article_26.html

古人類学の記事のまとめ(10)
https://sicambre.at.webry.info/201005/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(11)
https://sicambre.at.webry.info/201009/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(12)
https://sicambre.at.webry.info/201012/article_28.html

古人類学の記事のまとめ(13)
https://sicambre.at.webry.info/201105/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(14)
https://sicambre.at.webry.info/201109/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(15)
https://sicambre.at.webry.info/201112/article_28.html

古人類学の記事のまとめ(16)
https://sicambre.at.webry.info/201205/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(17)
https://sicambre.at.webry.info/201209/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(18)
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_3.html

古人類学の記事のまとめ(19)
https://sicambre.at.webry.info/201305/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(20)
https://sicambre.at.webry.info/201309/article_5.html

古人類学の記事のまとめ(21)
https://sicambre.at.webry.info/201401/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(22)
https://sicambre.at.webry.info/201405/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(23)
https://sicambre.at.webry.info/201409/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(24)
https://sicambre.at.webry.info/201501/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(25)
https://sicambre.at.webry.info/201505/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(26)
https://sicambre.at.webry.info/201509/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(27)
https://sicambre.at.webry.info/201601/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(28)
https://sicambre.at.webry.info/201605/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(29)
https://sicambre.at.webry.info/201609/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(30)
https://sicambre.at.webry.info/201701/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(31)
https://sicambre.at.webry.info/201705/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(32)
https://sicambre.at.webry.info/201709/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(33)
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(34)
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(35)
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(36)
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(37)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_1.html

16000年前頃までさかのぼる北アメリカ大陸における人類の痕跡(追記有)

 北アメリカ大陸における人類の痕跡が16000年前頃までさかのぼることを報告した研究(Davis et al., 2019)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。以下、注記しない限り、年代は放射性炭素年代測定法により較正されたものです。アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、20世紀末頃までクローヴィス(Clovis)文化説が有力とされていました。これは、14800年前頃以降に北アメリカ大陸の氷床が後退して出現した無氷回廊を経由して人類はベーリンジア(ベーリング陸橋)からアメリカ大陸へと拡散し、その最初の集団がクローヴィス文化の担い手だった、と想定する説です。一方、クローヴィス文化に先行するアメリカ大陸における人類の痕跡の報告事例も蓄積されてきており、無氷回廊の出現前に人類はベーリンジアから太平洋沿岸を南下してアメリカ大陸へと拡散したのではないか、との見解も提示されていました。

 本論文は、アメリカ合衆国アイダホ州西部のクーパーズフェリー(Cooper’s Ferry)遺跡(以下、CF遺跡)の発掘調査結果を報告しています。CF遺跡はコロンビア川の支流であるサーモン川沿いに位置します。地元の先住民であるネズパース(Nez Perce)集団は、この地をニペヘ(Nipéhe)と呼んでいます。CF遺跡では、石器とともに石器製作時のものと思われる石の破片も発見されており、炉床も確認されています。動物遺骸も共伴しており、ほとんどは断片的なので詳細な区分は困難ですが、中型~大型の哺乳類と推測されています。CF遺跡の年代は、骨と木炭を試料として放射性炭素年代測定法により推定され、最古の試料が16265~15795年前とクローヴィス文化に先行し、最新の試料が8515~8345年前となり、長期にわたって繰り返し人類が利用していたのではないか、と本論文は推測しています。

 本論文はCF遺跡の石器の中で有茎尖頭器に注目しています。有茎尖頭器はアフリカやレヴァントやヨーロッパで5万年前以後に出現し、北太平洋沿岸の現生人類の存在の証拠とされています。日本と韓国では、30000~23000年前頃の尖頭器は厚い石刃の再加工により製作されます。CF遺跡の有茎尖頭器のうち1点は、13610~13275年前の試料の下で、光刺激ルミネッセンス法(OSL)による13710±2620年前の試料の上に位置します。別の有茎尖頭器は、13475~13060年前の試料の下で、13610~13275年前の試料の上に位置します。CF遺跡の有茎尖頭器は、クローヴィス文化に見られる基部の広い有樋尖頭器ではなく、より古い時代の樋状剥離のないタイプです。このCF遺跡の有茎尖頭器と技術的に類似しているのが、日本で発見された16000~13000年前頃の両面尖頭器です。これは、北海道(立川)・本州北部・本州中央部および西部の3タイプに分類されていますが、このうち立川タイプがCF遺跡の有茎尖頭器と技術的にひじょうに類似している、と本論文は評価しています。CF遺跡のタイプとは形態的に異なる有茎尖頭器は、カムチャッカ半島のウシュキ湖(Ushki Lake)で13440~12640年前頃に出現しますが、ベーリンジアからはより早期のものは発見されておらず、起源は他の地域にあるようです。CF遺跡の有茎尖頭器は年代・技術的に日本の尖頭器と顕著に類似している一方で、CF遺跡の人工物はクローヴィス文化に先行し、重なっている期間もありますが、技術的には異なります。CF遺跡の初期集団は、文化的にアジア北東部とのつながりを示していますが、遺伝的にも、アメリカ大陸先住民の主要な祖先集団としてアジア東部および北東部系集団が想定されています(関連記事)。CF遺跡は、クローヴィス文化に先行するアメリカ大陸の異なる系統の文化だった、と本論文は評価しています。

 遺伝学では、ベーリンジアの孤立集団が19500年前頃以降に北アメリカ大陸の氷床を越えてアメリカ大陸へと南進していき(関連記事)、17500~14600年前頃にアメリカ大陸における南北両系統へと分岐していった(関連記事)、と推測されています。CF遺跡では、人類が16560~15280年前頃には存在しており、これはアメリカ大陸における最初の人類集団拡大の年代の範囲内となります。上述のように、北アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、ベーリンジア東部から無氷回廊を経由したとする説(クローヴィス最古説)と、氷河のない太平洋沿岸を南下した、とする説(太平洋沿岸南下説)があります。本論文が示したように、CF遺跡は無氷回廊が開く前に無氷回廊の南方に人類が存在したことを示す直接的証拠となります。これは、無氷回廊説ではなく太平洋沿岸南下説の方と整合的です。これは、遺伝学で示唆されている(関連記事)、北アメリカ大陸への人類最初の拡散後、人類が無氷回廊を経由して再度拡散した可能性を排除するわけではありませんが、そうした人類集団の移動はアメリカ大陸最初の人類の移住ではなかった、と本論文は指摘します。

 本論文は、クローヴィス最古説が成り立たないことを改めて示した、と言えるでしょう。CF遺跡の石器と北海道の石器との類似性については、アジア東部および北東部集団がアメリカ大陸先住民の主要な祖先集団となったことを改めて確認した、と思います。この集団の文化的多様性や、CF遺跡の有茎尖頭器の起源地については、シベリア北東部の上部旧石器(後期旧石器)的文化の研究がもっと進めば、より詳しく解明されるのではないか、と期待されます。本論文で言及されていたカムチャッカ半島の13440~12640年前頃の有茎尖頭器は、CF遺跡のそれとは異なりますが、今後シベリア北東部の後期更新世の遺跡で、CF遺跡や日本の立川タイプと類似した有茎尖頭器が確認される可能性は高いように思います。おそらく日本の16000~13000年前頃の尖頭器の起源は、シベリア北東部にあるのでしょう。アメリカ大陸先住民集団の形成過程については、古代DNA研究の進展によりかなり詳しく解明されてきたように思います。一方、日本列島も含むアジア東部集団に関しては、ヨーロッパはもちろんアメリカ大陸よりも遅れていることは否めないでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Davis LG. et al.(2019): Late Upper Paleolithic occupation at Cooper’s Ferry, Idaho, USA, ~16,000 years ago. Science, 365, 6456, 891–897.
https://doi.org/10.1126/science.aax9830


追記(2019年9月7日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間

 アフリカ南部の初期ホモ属の授乳期間に関する研究(Tacail et al., 2019)が報道されました。化石記録からの育児行動の推測は困難で、身体サイズや歯の発達や化学的な分析に基づいています。歯の組織の高解像度元素分析からは、幼少期の食性を推定できます。バリウムとカルシウムの比率から母乳育児とその経時的な減少を推定できますが、近年、乳歯のエナメル質のカルシウム同位体比(Ca44/Ca42)が、乳児期における授乳停止年齢に対応して変化する、と明らかになりました。本論文は南アフリカ共和国で発見された初期人類を対象に、歯のエナメル質のカルシウム同位体比を分析しました。対象となったのは、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)、初期ホモ属で、草食動物と肉食動物とゴリラが比較されました。

 分析の結果、母乳の消費を示す低いカルシウム同位体比は、初期ホモ属では測定されたものの、アフリカヌスとロブストスでは測定されませんでした。これは、アフリカヌスとロブストスでは、初期ホモ属よりも授乳量が少なく、なおかつ・あるいは授乳が低頻度で、授乳期間が短かったことを示唆します。初期ホモ属では、アフリカヌスとロブストスよりも長く授乳への依存度のずっと高い育児期間が続いた(おそらく3~4歳頃まで)、と推測されます。初期ホモ属におけるこの離乳の遅さは、出産間隔がアフリカヌスとロブストスよりも長かったことを示唆します。

 こうした初期ホモ属における母乳育児期間の長さ(離乳時期の遅さ)は、脳の発達のようなホモ属系統の特徴の出現と、社会構造の大きな変化に重要な役割を果たしたのではないか、と推測されています。この仮説を検証するには、化石記録におけるカルシウム同位体比のさらなる調査が必要となります。最近公表された研究でも、アフリカヌスの(母乳が主要な栄養源ではないという意味での)離乳時期の早さ(生後1年弱ほど)が指摘されていました(関連記事)。ただ、その研究では、アフリカヌスが定期的に食料不足に陥り、その時期には授乳で対応し、それが長期にわたった、とも推測されています。その意味で、アフリカヌスの方が初期ホモ属よりも出産間隔が短かったのか、まだ確定したとは言えないように思います。


参考文献:
Tacail T. et al.(2019): Calcium isotopic patterns in enamel reflect different nursing behaviors among South African early hominins. Science Advances, 5, 8, eaax3250.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax3250

『卑弥呼』第2集発売

 待望の第2集が発売されました。第2月集には、

口伝7「暗闘」
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_32.html

口伝8「東へ」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_6.html

口伝9「日見子誕生」
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_38.html

口伝10「一計」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_8.html

口伝11「聖地」
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_36.html

口伝12「四番目」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_9.html

口伝13「思惑」
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_33.html

口伝14「女王国」
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_8.html

が収録されています。連載時には「第*話」となっていましたが、単行本では「口伝*」となっています。単行本では「真説・邪馬台国伝」との副題がつけられています。それぞれの話については、上記の記事にて述べているので、ここでは繰り返しません。本作は207年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)頃の九州を舞台としています。これまでに明かされている世界観から推測すると、本作の邪馬台国は宮崎県(旧国名の日向)に設定されているようです。しかし、神武東征説話も取り入れられていることから、やがては畿内というか纏向遺跡が舞台になるかもしれません。本作の神武は、天照大神から数えて6代目の日見彦という設定です。おそらくは現在の奈良県にいるだろう神武(サヌ王)の子孫とヤノハがどう関わってくるのか、ということも今後注目されます。

 現時点ではほぼ九州の諸国・人物しか登場していませんが、今後は本州・四国、さらには朝鮮半島と後漢や魏も舞台になりそうで、司馬懿など『三国志』の有名人物の登場も予想されますから、ひじょうに雄大な規模の物語になるのではないか、と期待されます。現在の主要舞台である暈の国は、『三国志』の狗奴国で、後の熊襲でしょうから、日見彦たるタケル王は『三国志』の卑弥弓呼なのでしょう。そうだとすると、ヤノハが日見子(卑弥呼)と広く認められた後も、タケル王と鞠智彦(狗古智卑狗)は日見子たるヤノハと対立し、物語に深く関わってきそうです。現時点でもたいへん楽しめていますが、今後さらに面白くなりそうな要素が多いだけに、何とか長期連載になってほしいものです。

中新世のネズミの移動

 中新世のネズミの移動に関する研究(López-Antoñanzas et al., 2019)が公表されました。哺乳類の最大の亜科であるネズミ亜科は、1600万年前頃にアジア南部で出現したと考えられています。しかし、ネズミ亜科動物が最初に分散した時期と経路に関する仮説は明らかではありませんでした。この研究は、2013年と2018年にレバノンで発掘された歯の化石を分析して、これまでに発見されていなかった種の歯であることを明らかにし、新種(Progonomys manolo)に分類しました。この新種は1100万~1050万年前頃に生息していたProgonomys属の最古の種に形態学的に類似していると考えられ、Progonomys属の最も祖先的な種の一つだった、と示唆されています。Progonomys属は、ネズミ亜科動物が出現したと考えられているアジア南部から最初に分散したネズミ亜科動物です。レバノンはアフリカ大陸に近く、後にアフリカに定着したProgonomys属集団の祖先はこの新種である可能性が高い、と考えられています。

 Progonomys属のさまざまな種の歯の分析の結果、歯が進化の過程を通じて変化したことも明らかになりました。後期の種の方が臼歯の幅が広く、広食性種の雑食性食餌から狭食性種の草食性食餌への移行が示唆されました。これは、温暖湿潤だった中新世中期から乾燥の進んだ中新世後期への移行に関連しています。これらの新知見は、アラビア半島におけるProgonomys属の最初の記録となり、ユーラシア大陸とアフリカ大陸をつなぐレヴァント回廊の重要性を高め、ネズミ亜科の最古の大陸間分散についてさらに詳しい情報をもたらしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】中新世の「ネズミ」の移動の手掛かりとなる歯の化石

 先史時代のネズミ亜科動物(マウス、ラットやその近縁種が含まれる哺乳類の分類群)の新種が、レバノンで発見された化石から同定された。この新知見は、ネズミ亜科動物の最初のアジアからアフリカへの分散がレバント地方を経由したものだったことを示す初めての物理的証拠である。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 哺乳類の最大の亜科であるネズミ亜科は、1600万年前に南アジアで出現したと考えられている。しかし、ネズミ亜科動物が最初に分散した時期と経路に関する仮説は明確に示されていなかった。

 今回、Raquel Lopez-Antonanzasたちは、2013年と2018年にレバノンで発掘された歯の化石を分析して、これまでに発見されていなかった種の歯であることを明らかにし、この新種をProgonomys manoloと名付けている。Lopez-Antonanzasたちは、P. manoloが約1100万~1050万年前に生息していたProgonomys属の最も古い種に形態学的に類似していると考えており、このことからP. manoloは、Progonomys属の最も原始的な種の1つだったと示唆される。Progonomys属は、ネズミ亜科動物が出現したと考えられている南アジアから最初に分散したネズミ亜科動物である。

 レバノンがアフリカ大陸に近いことを考えると、後にアフリカに定着したProgonomys属集団の祖先がP. manoloである可能性が高いとLopez-Antonanzasたちは考えている。

 Progonomys属のさまざまな種の歯の分析が行われた結果、歯が進化の過程を通じて変化したことも明らかになった。後期の種の方が臼歯の幅が広く、広食性種の雑食性食餌から狭食性種の草食性食餌への移行が示唆された。これは、温暖湿潤だった中新世中期から乾燥の進んだ中新世後期への移行に関連している。

 以上の新知見は、アラビア半島におけるProgonomys属の最初の記録であり、ユーラシア大陸とアフリカ大陸をつなぐ「レバント回廊」の重要性を高め、ネズミ亜科の最古の大陸間分散についてさらに詳しい情報をもたらしている。



参考文献:
López-Antoñanzas R. et al.(2019): First levantine fossil murines shed new light on the earliest intercontinental dispersal of mice. Scientific Reports, 9, 11874.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47894-y

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』

 中公新書の一冊として、中央公論社より2019年2月に刊行されました。三条実美の一般的な評価は高くない、と言えるでしょう。歴史ドラマでも、おおむね優柔不断で優秀ではない人物として描かれてきたように思います。内閣制度導入の一因として、政治力に欠ける三条実美の更迭が必要だった、とも指摘されているくらいです(関連記事)。本書も、三条の政治的な手腕は同時代の岩倉具視・木戸孝允・大隈重信・大久保利通・伊藤博文たちには遠く及ばない、と評価しています。

 しかし本書は、課題が山積し、瓦解の危機に瀕していた明治政府が立憲政治をともかく確立するに至ったことに、「徳望」の人である三条の果たした役割は大きかった、と指摘します。優れた群臣の上に立ち続けて政府の瓦解を防ぐのに、高貴な家柄の出身で高潔な人格の三条は適任だった、というわけです。明治時代には脱身分化が進んでいきましたが、人々の意識が一朝にして変わるわけではありません。そうした状況において、高貴な家柄の出身でありながら進取の気性に富み、私欲が薄く義理堅い三条は政府の指導者として相応しかった、と本書は論じます。

 大名や公家の中には守旧的な人物も多く、幕末段階では時代を主導するような役割を担いながら、明治時代になるとその急進的な流れについていけない人物も少なからずいました。島津久光もその一人で、薩摩藩出身の西郷隆盛や大久保利通だけではなく、三条も島津久光の攻撃対象となりました。本書は、三条が進取の気性に富んだ人物に成長していった一因として、八月十八日の政変により京都から長州、さらには大宰府へと落ち延びたことを挙げています。狭い公家社会を離れてさまざまな階層と接したことが、三条の革新志向を促したのではないか、というわけです。

アナメンシスの頭蓋(追記有)

 アウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)の頭蓋に関する二つの研究が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Spoor., 2019)が掲載されています。これらの研究はオンライン版での先行公開となります。既知のアナメンシス化石はおもに顎と歯で、年代は420万~390万年前頃と推定されています。アナメンシスは最古のアウストラロピテクス属とされており、370万~300万年前頃のアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の祖先と考えられてきました。しかし、350万年以上前のアウストラロピテクス属の頭蓋はほとんど発見されていないので、初期アウストラロピテクス属の進化についてはよく分かっていませんでした。

 一方の研究(Haile-Selassie et al., 2019)は、新たなアナメンシス頭蓋を報告しています。本論文の分析手法で優れている点として、化石形状の歪みを修正し、欠落部分を推定する広範囲のデジタル復元が指摘されています。この化石はエチオピアのアファール(Afar)地域のウォランソミル(Woranso-Mille)研究地域で2016年に発見されたほぼ完全な頭蓋(MRD-VP-1/1、以下MRDと省略)で、年代は380万年前頃です。初期アウストラロピテクス属の保存状態の良好な頭蓋としては初の事例となり、その意味でたいへん貴重と言えるでしょう。MRDは矢状稜が発達しており頑丈で、長く突出した顔面を有しています。MRDの右側犬歯は初期人類としては最大です。こうした特徴から、全体的なサイズが小さいにも関わらず、MRDは成体の男性と推測されています。MRDの犬歯はひじょうに摩耗しています。MRDの歯には、アルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)やロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)といったMRDよりも前の初期人類と共通する特徴も見られます。MRDの上顎歯列はわずかにU字型です。MRDの顔面は、中部が広く上部が狭いという点で他のアウストラロピテクス属と類似しており、アウストラロピテクス属より早期の人類とは異なります。MRDの顔面はとくに上下に長く、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)の短く華奢な頭蓋とは対照的です。MRDの長くて狭い頭蓋に関しては、700万年前頃となる最初期人類(候補)のサヘラントロプス属との類似が指摘されています。MRDの神経頭蓋は多くの点で祖先的です。300万年前頃以降のアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)やパラントロプス属とMRDの類似性については、収斂進化と考えられるものの、今後さらに調査が必要だと本論文は指摘します。

 これらの知見から、アファレンシスよりも祖先的な形態を有するMRDはアナメンシスに分類され、系統学的には一貫してラミダスとアファレンシスの間に位置づけられます。現時点では、アナメンシスには少なくとも4つの個体群が存在したと考えられます。一方、エチオピアのミドルアワシュ(Middle Awash)で発見された390万年前頃の部分的な頭蓋(BEL-VP-1/1)はアファレンシスに分類されるので、アナメンシスとアファレンシスは短くとも10万年共存したことになります。分類には議論の余地があるものの、エチオピアのフェジェジ(Fejej)で発見された400万年前頃の歯も、アファレンシスに分類できるかもしれない、と本論文は指摘します。この400万年前頃の歯とBEL-VP-1/1はMRDよりも古いため、MRDのアナメンシス分類群がアファレンシスの祖先だった可能性は低いと考えられます。アファレンシスはアナメンシスから向上進化(単一の進化系統においてアナメンシスの後にアファレンシスが出現したと想定されます)したわけではなく、分岐進化した、と考えられます。アナメンシスの一部系統からアファレンシスが派生し、一方でアナメンシス系統も存続し、両系統は短くとも10万年共存していた、というわけです。しかし、まだ断片的な化石証拠しかないので、分類や進化に関してまだ決定的なことは言えない、と慎重な姿勢を示す研究者もいます。

 本論文は、380万年前頃のアフリカ東部には少なくとも2系統の人類が存在していた可能性の高いことを示しました。ウォランソミル研究地域も含めてアフリカ東部で発見された400万~300万年前頃の人類化石に関しては、複数の人類種の存在の可能性が指摘されています(関連記事)。アウストラロピテクス属に分類されているものとしてはバーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)やデイレメダ(Australopithecus deyiremeda)、異なる属としては、ケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)です。これらが単一種の形態多様性なのか、異なる種さらには属を示すのか、現時点の証拠ではとても断定できませんが、アウストラロピテクス属系統が400万年前頃には複数系統に分岐しつつあり、それが反映されている可能性はじゅうぶんあると思います。

 もう一方の研究(Saylor et al., 2019)は、MRDの年代を測定し、当時の環境を推定しました。火山灰層のアルゴン-アルゴン法により、MRDの年代は3804000±13000~3777000±14000年前と推定されました。MRDと共伴した脊椎動物化石および植物遺骸から、当時のウォランソミル地域は、あまり雨の降らない潅木地で、場所によっては草地と湿地と河畔林の割合が異なっていた、と推測されています。また、当時のウォランソミル地域は起伏が激しく、大地溝帯の活動を反映している、と考えられます。アナメンシスは多様な環境に適応していたようで、そうした中から、アファレンシスへと分岐していった系統も出現したのかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【化石】アウストラロピテクス・アナメンシスの頭蓋骨と向き合う

 エチオピアで発見された380万年前のヒト族のほぼ完全な頭蓋骨化石について記述した2編の論文が、今週掲載される。著者は、この頭蓋骨がアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)種のものだとしており、最も原始的なアウストラロピテクス属とその起源に関する新たな手掛かりがもたらされた。

 ヒト族のアウストラロピテクス属の最も原始的な種については、解明があまり進んでいない。これは、350万年前より古い頭蓋化石がほとんど見つかっていないためで、アウストラロピテクス属の最も原始的な系統として知られるアウストラロピテクス・アナメンシスの化石標本は420~390万年前のものとされ、主に顎と歯の化石だ。これに対して、後期の種については、350~200万年前のものとされる複数の頭蓋骨が知られている。

 今回、Yohannes Hail-Selassieたちの研究グループは、エチオピアのウォランソ - ミルで発見されたほぼ完全な頭蓋骨について、その歯と顎を基にアウストラロピテクス・アナメンシスの頭蓋骨としたことを報告している。この化石標本はサイズが小さいが、雄の成体のものである可能性が高い。一方、この頭蓋骨の形態が原始的であることから、この化石は、さらに古いヒト族(例えば、サヘラントロプス属やアルディピテクス属)との関連性を示しており、(有名な「ルーシー」の化石によって代表される)後代のアウストラロピテクス・アファレンシスとの直接的な関連性に関するこれまでの仮説に疑問を投げ掛けている。特に、この新知見は、向上進化(単一の進化系統においてアウストラロピテクス・アナメンシスの後にアウストラロピテクス・アファレンシスが出現した)ではなく、分岐進化(この2つの系統が少なくとも10万年間重複していた)が起こった可能性を示唆している。

 Hail-Selassieたちは、別の論文で、この頭蓋骨の年代と周辺環境について記述しており、アウストラロピテクス・アナメンシスが、あまり雨の降らない潅木地に居住し、その場所によって草地と湿地、河畔林の割合が異なっていたという見解を示している。

 同時掲載されるNews & Viewsでは、Fred Sporeが「この頭蓋骨が人類進化のもう1つの有名な象徴になりそうだ」と記し、この頭蓋骨の発見は「初期ヒト族の進化系統樹に関する[中略]我々の考え方に大きな影響を与えるだろう」と結論付けている。



参考文献:
Haile-Selassie Y. et al.(2019): A 3.8-million-year-old hominin cranium from Woranso-Mille, Ethiopia. Nature, 573, 7773, 214–219.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1513-8

Saylor BZ. et al.(2019): Age and context of mid-Pliocene hominin cranium from Woranso-Mille, Ethiopia. Nature, 573, 7773, 220–224.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1514-7

Spoor F. et al.(2019): Elusive cranium of early hominin found. Nature, 573, 7773, 200–202.
https://doi.org/10.1038/d41586-019-02520-9


追記(2019年8月31日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。



追記(2019年9月12日)
 論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。



古人類学:エチオピアのウォランソ・ミルで発見された380万年前のヒト族の頭蓋

古人類学:エチオピアのウォランソ・ミルで発見された中期鮮新世ヒト族頭蓋の年代とそれを取り巻く状況

古人類学:新たに発見された380万年前の頭蓋が明らかにするアウストラロピテクス属の起源

 アウストラロピテクス属(Australopithecus)の最初期のヒト族については、頭部の構造がほとんど知られていない。しかしそうした現状は、今回Y Haile-Selassieたちが、エチオピアのウォランソ・ミルで380万年前のアウストラロピテクス属の頭蓋を発見したことで変わるだろう。この頭蓋は、その特徴から、これまで主に顎と歯からのみ知られていたアウストラロピテクス・アナメンシス(Australopithecus anamensis)のものであることが示された。この頭蓋に見られる原始的な形態は、さらに古いヒト族であるサヘラントロプス属(Sahelanthropus)やアルディピテクス属(Ardipithecus)との関連性を示しており、「ルーシー」で知られるより年代の新しいアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)との直接的な関係に疑問が投げ掛けられた。著者たちはまた、同時掲載の論文で、アウストラロピテクス・アナメンシスが、主に乾性低木林からなり、さまざまな割合で草原、湿地、水辺林を伴う環境で生活していたことを明らかにしている。

哺乳類では進化的には相関していない代謝率と体温

 内温動物の進化において基礎代謝率と体温に関する研究(Avaria-Llautureo et al., 2019)が公表されました。鳥類および哺乳類における内温性の起源は、脊椎動物の進化における重要な事象です。内温動物は、高い基礎代謝率(BMR)により持続的に産生される熱を主に用いて、幅広い環境温度にわたり体温(Tb)を維持できます。内温動物にはまた、TbがBMRに影響を及ぼすという、重要な正のフィードバックループも存在します。こうしたBMRとTbとの間の相互関係のため、生態学や進化生理学では広く、内温動物の放散においてBMRとTbが連動して進化し、類似の傾向を伴って変化したはずである、と考えられてきました。しかし、過去のより低温の環境は、熱損失率の増大を補ってTbを一定に保つためにBMRに対して強い選択圧をかけた、とも考えられます。このように、BMRの増大を介した低い環境温度への適応は、BMRとTbとを切り離し、異なる進化経路を経てもこれらの形質に見られる現在の多様性をもたらした可能性があります。

 この研究は、哺乳類系統樹の枝の約90%および鳥類系統樹の枝の約36%で、BMRとTbとが切り離されていることを示しています。哺乳類では、BMRは方向性のある長期的な傾向を持たずに急激で爆発的な進化を遂げたのに対し、Tbはより体温の高い共通祖先からより低い体温へとほぼ一定の速度で進化しました。一方、鳥類では、BMRは方向性のある長期的な傾向を持たず、おもに一定の速度で進化したのに対して、Tbはより低い体温への適応進化を伴ってはるかに大きな速度で不均一に進化しました。さらに、哺乳類の場合のみですが、BMRの増大と低下の両方をもたらした急激な変化は、より低い環境温度への突然の気温変化と関係していました。これらの知見は、自然選択が、不利なことの多かった過去の多様な温度環境下で、哺乳類のBMRにおける多様性を効果的に利用していた、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化学:内温動物の進化において基礎代謝率と体温は本質的に独立していた

進化学:哺乳類では代謝率と体温は進化的には相関していない

 一般通念では、体温の上昇は生化学的な反応を加速させると考えられている。これは、代謝率が体サイズの分数乗に比例するという説、そしてそこから派生した、生態学的パターンの多くが体温と体サイズとの関係に関係しているという説の基盤となっている。しかし、体温と代謝率は関連している必要があるとする基本的な前提を疑う者はほとんどいない。今回C Vendittiたちは、系統発生を考慮に入れると、体温と代謝率との間には相関が見られないことを明らかにしている。それどころか、哺乳類が低温環境に定着した際に、自然選択は、予想される熱力学的影響から離れるように基礎代謝率を調節したのである。



参考文献:
Avaria-Llautureo J. et al.(2019): The decoupled nature of basal metabolic rate and body temperature in endotherm evolution. Nature, 572, 7771, 651–654.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1476-9

魚類の毒素蓄積における気候変動と乱獲の影響

 魚類の毒素蓄積における気候変動と乱獲の影響に関する研究(Schartup et al., 2019)が公表されました。海産物は30億人以上の人々の栄養源となっていますが、魚類は強力な神経毒であるメチル水銀の曝露源ともなっています。アメリカ合衆国では、メチル水銀への人口全体の曝露量の82%が海産魚介類の消費によるもので、マグロ(生および缶詰)だけで40%近くを占めています。無機水銀は、自然発生源および人為的排出源から大気中へ放出される量の約80%が海洋に沈着し、そこで一部が微生物によりメチル水銀に変換されます。捕食性魚類の体内では、環境中のメチル水銀濃度が100万倍またはそれ以上に濃縮されています。

 ヒトのメチル水銀への曝露は、小児での成人期まで持続する長期的な神経認知障害と関連づけられており、その社会的コストは世界で2兆円を上回ります。メチル水銀曝露のリスクを軽減するため、人為起源の無機水銀排出量を削減するための国際条約(水銀に関する水俣条約)が2017年に発効しました。しかし、この条約において国際目標が設定された時には、現在起こっている海洋生態系の変化が、人間に多く消費されている魚類(タラやマグロやメカジキなど)におけるメチル水銀の蓄積にどのように影響するのか、考慮されていませんでした。

 この研究は、海水温の上昇と乱獲が魚類のメチル水銀濃度に及ぼす影響を調査しました。この研究では、大西洋北西部のメイン湾の生態系および海底堆積物と海水中のメチル水銀濃度に関する30年以上のデータが用いられました。その結果、タイセイヨウマダラ(Gadus morhua)の組織中のメチル水銀濃度は、1970年代から2000年代までの間に最大23%上昇した、と明らかになりました。こうした変化の原因として、乱獲による魚類の食餌内容の変化が指摘されています。タラは、これまでより大型の被食魚(ニシンやロブスターなど)への依存度を高めており、これらの魚介類のメチル水銀濃度は、1970年代に餌としていた他の被食魚よりも高い、というわけです。

 この研究では、タイセイヨウクロマグロ(Thunnus thynnus)のメチル水銀蓄積量に対する近年の海水温変化の影響についても分析されました。その結果、海水温の低かった1969年以降の海水温上昇により、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀濃度が推定で56%上昇した一因となった可能性も明らかになりました。以前の研究では、海水温の上昇が一部の魚類におけるメチル水銀濃度の上昇と関連づけられていましたが、野生種にどの程度の変化が生じているのかについては、ほとんど解明されていませんでした。世界の水銀排出量は横ばい状態と報告されていますが、この研究は、海洋温暖化と漁業が魚類の水銀濃度調節の役割を果たしている、と示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】魚類における毒素蓄積に対する気候変動と乱獲の影響

 海水中の有毒なメチル水銀(MeHg)の濃度は1990年後半以降低下したにもかかわらず、海洋温暖化と乱獲による魚類の食餌内容の変化によって、人間が食べている魚類の一部でメチル水銀濃度が上昇している可能性のあることが明らかになった。この研究知見を報告する論文が、今週掲載される。

 海産物は多くの人々の栄養源となっているが、魚類は神経毒であるメチル水銀の曝露源ともなっている。メチル水銀曝露のリスクを軽減するため、人為起源の水銀排出量を削減するための国際条約(水銀に関する水俣条約)が2017年に発効した。しかし、この条約において国際目標が設定された時には、現在起こっている海洋生態系の変化が、人間が多く食べている魚類(タラやマグロなど)におけるメチル水銀の蓄積にどのように影響するかは考慮されていなかった。

 今回、Amina Schartup、Elsie Sunderlandたちの研究グループは、海水温の上昇と乱獲が魚類のメチル水銀濃度に及ぼす影響を解明するための研究を行った。この研究では、大西洋北西部のメイン湾の生態系と海底堆積物、海水中のメチル水銀濃度に関する30年以上にわたるデータが用いられた。その結果、タイセイヨウマダラの組織中のメチル水銀濃度は、1970年代から2000年代までの間に最大23%上昇したことが分かった。こうした変化の原因として、研究グループは、乱獲のために魚類の食餌内容が変化したことを挙げている。タラは、これまでより大型の被食魚(ニシン、ロブスターなど)への依存度を高めており、これらの魚介類のメチル水銀濃度は、1970年代に餌としていた他の被食魚よりも高い。

 今回の研究では、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀蓄積量に対する近年の海水温変化の影響についても分析が行われた。その結果、海水温の低かった1969年以降の海水温上昇が、タイセイヨウクロマグロのメチル水銀濃度の(推定)56%上昇の一因となった可能性が明らかになった。以前の研究で、海水温の上昇が、一部の魚類におけるメチル水銀濃度の上昇と関連付けられていたが、野生種にどの程度の変化が生じているのかについてはほとんど解明されていなかった。

 世界の水銀排出量は横ばい状態であることが報告されているが、今回の研究は、海洋温暖化と漁業が魚類の水銀濃度を調節する役割を果たしていることを示している。



参考文献:
Schartup AT. et al.(2019): Climate change and overfishing increase neurotoxicant in marine predators. Nature, 572, 7771, 648–650.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1468-9

ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容

 ヨーロッパにおけるブタの起源と遺伝的構成の変容に関する研究(Frantz et al., 2019)が公表されました。近東で遅くとも12500年前頃に始まった農耕・牧畜は、8500年前頃にアナトリア半島からヨーロッパへと拡散し始めました。この過程でヨーロッパに導入された、穀類のような栽培化された植物とヒツジやブタのような家畜化された動物は、すべて近東固有の野生種に由来すると考えられています。ただ、家畜化されたヤギやヒツジの祖先はヨーロッパにいませんでしたが、ウシとブタの場合、家畜の祖先となり得る野生種がユーラシアに広く分布しており、ヨーロッパで独自に家畜化された可能性もあります。ブタの場合、野生種(イノシシ)と家畜種の区別は、これまでおもに考古学的文脈とサイズに基づいていました。最近では、形態や安定同位体の分析も用いられています。ヨーロッパでは、歯のサイズにより家畜と識別された最初のブタは、8000年前頃までの最初期新石器時代農耕民と関連する遺跡で発見されており、これらの歯のサイズの違いは先史時代から現代まで続いています。考古学的証拠からは、近東の農耕民が拡散してくる前のヨーロッパのイノシシは、いずれも家畜に分類できないことから、ヨーロッパの狩猟採集民が在来の野生イノシシを独自に家畜化したわけではない、と考えられています。

 しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)に関しては、現代のヨーロッパのブタで近東系はほぼ完全に見られません。また、これまでの研究において、6000年前頃のパリ盆地のブタが近東系なのに対して、5900年前頃までにはヨーロッパ在来のイノシシ系統に置換されている、と明らかになっており、核DNAでも近東系が消滅した可能性は想定されます。このmtDNAの不連続の説明として、ヨーロッパ在来のイノシシからの遺伝子流動があります。家畜ブタは常に、野生集団と交雑している可能性があります。ニューギニアの事例からは、狩猟で雌の子ブタが捕獲され、成熟後に雄の家畜と交配する可能性が想定されます。そうすると、家畜ブタの子孫は母系ではヨーロッパ在来系となります。また、イノシシの雌の子孫が優れた特性を持っていると認識された場合、野生イノシシの雌の仔の獲得が慣行として定着したかもしれません。ヨーロッパの野生イノシシとの継続的な遺伝子流動のシナリオは、漸進的で不完全なゲノム置換を予測します。一方、ブタの家畜化がヨーロッパにおける完全に独立した事象だとしたら、ヨーロッパのブタはほぼ完全に在来のイノシシに由来する、と想定されます。本論文は、14000年前頃~現代のヨーロッパおよび近東のブタとイノシシ合計2099頭のDNAを解析し、ヨーロッパのブタの起源と遺伝的構成の変容を検証しました。そのうち古代標本は1318頭で、内訳はイノシシ262頭・家畜ブタ592頭・不明464頭です。古代のブタのゲノムデータに関しては、10倍以上の高網羅率が2頭、1~10倍の中網羅率が7頭、1倍未満の低網羅率が54頭となります。

 イノシシのmtDNAハプログループ(mtHg)は、大きく二分されます。一方はヨーロッパ系で、Italian・A・C・Y2です。もう一方は近東系で、Y1・ArmTです。これらのデータからも改めて、近東の農耕民がmtHg- Y1の家畜ブタを新石器時代にヨーロッパに持ち込んだ、と確認されました。ヨーロッパにおけるmtHg- Y1の最初の個体は新石器時代ブルガリアの8000年前頃のブタで、新石器時代における最後の個体は5100年前頃のポーランドのブタです。新石器時代以後にmtHg- Y1に分類されるブタは、ほとんどが地中海の島で確認されます。地中海島嶼部のmtHg- Y1の存在は、ヒツジとヒトの孤立したパターンと類似している、と本論文は指摘します。

 これらのデータはヨーロッパのブタにおけるmtDNAの完全な置換を示しますが、ヨーロッパ在来のイノシシからの遺伝子移入の結果なのか、在来のイノシシの家畜化の結果なのか、評価するのに決定的とは言えません。そのため本論文は、9000年以上にわたる、10倍以上の高網羅率の2頭、1~10倍の中網羅率の7頭、1倍未満の低網羅率の54頭の古代ゲノムデータを比較しました。家畜化に先行する古代のヨーロッパと近東のイノシシ遺骸内に、異なる系統(祖先)が存在します。38頭のイノシシのゲノムデータは、ギリシアの現代集団が近東系を33~38%、イタリアの現代集団は近東系を6~10%有している、と示します。これは、ヨーロッパの他地域よりも高い比率です。

 現代の家畜ブタのほとんどでは、そのゲノムに近東系統はほとんど見られません。ヨーロッパの家畜ブタを単一の集団とした場合、全体ではゲノムに占める近東系統は4%程度にすぎず、そのほとんどはイタリア・ハンガリー・スペインのいくつかの家畜品種(近東系は1.7~4.6%)に由来します。興味深いことに、こうしたヨーロッパの品種の大半は、現代の野生イノシシがより高い比率の近東系を有している地域に存在します。これらの品種は、19世紀に品種改良計画でヨーロッパに導入された中国のブタと混合しませんでした。これらのやや高い比率の近東系要素は、イタリア半島もしくはバルカン半島の在来イノシシとの交雑により獲得され、ヨーロッパに導入された中国ブタとの交雑の欠如の結果として維持された可能性が高そうです。現代のヨーロッパのブタでは、mtHgの約1/3は中国のブタに由来します。

 古代ブタのゲノムにおける近東系の比率も評価されました。青銅器時代のイラン(4300年前頃)とアルメニア(3500年前頃)のブタはヨーロッパ系統を有しておらず、ほぼ完全に近東のイノシシに由来します。ヨーロッパでは、高・中網羅率の古代家畜ブタのうち、近東系統を有している個体は、ドイツの7100年前頃の2個体で54%と9%、フランスの7100年前頃の1個体で15%、ブリテン島の4500年前頃の1個体で10%、1000年前頃のフェロー諸島の1個体で5%となります。このうち、近東系を54%ほど有するドイツの1個体はmtHgでも近東系のY1で、古代または現代のヨーロッパのイノシシのどれよりも多くの近東系を有しています。これらの結果は、近東から家畜ブタが導入されてから比較的短期間で、ヨーロッパのイノシシが家畜集団と混合していったことを示唆します。

 ヨーロッパの家畜ブタにおける近東系の消滅のより正確な年代と地域的違いを推定するために、54頭の低網羅率の古代ゲノムデータが比較されました。古代ヨーロッパのブタは、2集団に区分されます。第一集団は8頭で、近東のイノシシおよび古代近東の家畜ブタにより近い、と明らかになりました。その年代は、7650~6100年前頃です。この8頭のうち7頭は、近東系のmtHg- Y1を有しています。また、近東系に近いクリミアの7000年前頃の3頭は、在来系のmtHg-Y2を有しています。第二集団は、7100年前頃と6700年前頃の個体も含まれるものの、多くは第一集団より新しく、ヨーロッパの野生および現代の家畜ブタにより近縁です。つまり、ヨーロッパのブタにおいては、古いほど近東系の割合が高かったわけです。mtDNAのデータも考慮すると、5000年前頃にはミトコンドリアと核の両方で、ヨーロッパのブタからは近東系がおおむね消滅した、と本論文は推測しています。

 ヨーロッパの現代のブタでは、ゲノムに近東系が5%以上見られる品種はたいへん少なく、ヨーロッパのブタ全体での近東系の比率は最大でも4%程度で、ヨーロッパにおけるヒトによるブタの選択では、そのほとんどは近東系の遺伝子多様体ではなくヨーロッパ系のそれが対象になった、と推測されます。一方、メラノコルチン1受容体(MC1R)遺伝子の黒い毛をもたらす多様体は、アナトリア半島起源ながらヨーロッパにおいてもずっと存続してきた、と示唆されています。これもヒトによる選択の結果かもしれませんが、現時点では詳細は不明で、今後の研究の進展を俟たねばなりません。

 本論文の結果は、アナトリア半島のイノシシが10500年前頃に家畜化され、ヨーロッパに8500年前頃に導入された家畜ブタの祖先になった、と示します。しかし、5000年前頃の後期新石器時代までに、ヨーロッパのブタのゲノムにおける近東系の比率は大きく低下し、現代ヨーロッパのブタでは0~4%になりました。このほぼ完全なゲノム置換と近東系統の漸進的な消滅は、ヨーロッパ大陸部では3000年にわたって起き、それは近東系家畜ブタとヨーロッパのイノシシとの間の交雑の結果でした。これは、ヨーロッパのブタは独自に家畜化されたのではなく、外来の家畜ブタと在来のイノシシとのヒトによる意図的交配の継続的管理に由来することを示唆します。地中海地域では、ブタを季節的にヒトの居住地から離れさせるような管理がなされており、こうした慣行が、ブタとイノシシの間の遺伝子流動の機会をもたらしたのかもしれません。本論文は、ヨーロッパでは新石器時代にブタが導入された最初の頃から、こうした管理戦略が実践されていた可能性を示唆しています。

 ヨーロッパのイノシシから近東起源のブタへの遺伝子移入は、ヨーロッパのブタにおける近東系の比率を低下させました。しかし、上述のように、メラノコルチン1受容体(MC1R)遺伝子の黒い毛をもたらす多様体は、近東からヨーロッパへと初期農耕民により導入され、存続しました。本論文は、ヨーロッパの現代のブタの他のゲノム領域でも近東系の多様体は存在するかもしれないものの、そうした領域は4%以下と指摘します。ヨーロッパのブタにおける過去5000年のヒトの選択の大半は、近東農耕民が最初の2500年の家畜化の過程で選択したゲノム多様体ではなく、ヨーロッパのイノシシに由来するゲノム多様体だっただろう、と本論文は推測しています。

 外来集団が比較的小さく、在来の遺伝的に近縁な集団との交雑への強い障壁が存在しない場合、在来集団から外来集団への遺伝子移入の結果として、ほぼ全面的なゲノム置換も予想されます。ヨーロッパのブタはその事例となりますが、家畜種としては空前の大規模な置換だった、と本論文は指摘します。イヌやウマやウシなど、遺伝子移入は在来の野生集団と外来の家畜集団との間で一般的ですが、ブタはその起源系統が現代集団内ではほとんど検出できないほどの置換を経験した唯一の種だろう、と本論文は評価しています。他の家畜動物と比較して、ヨーロッパのブタは、導入された地域の近縁な野生種との生殖隔離の程度はずっと低かったのだろう、と本論文は指摘します。

 本論文はまとめとして、家畜化・栽培化は家畜化・栽培化された動植物の単純な拡散ではない、と指摘します。家畜化・栽培化は長く複雑な過程で、在来集団との継続的な交雑とヒトによる選択の結果として生じる、というわけです。緯度に大きな違いはなくとも、地形により気候は変わってきますし、病原体も同様です。近東とヨーロッパとで、ヒトの選択したブタの遺伝子多様体に大きな違いがあったとしたら、気候への適応と免疫が大きな要因だったのかもしれません。こうした家畜化・栽培化の検証はたいへん興味深く、より広範な地域での研究の進展が期待されますが、古代DNA研究ではやはりヨーロッパが他地域よりもずっと進んでいることは否定できないでしょう。今後は、日本列島も含めて他地域とヨーロッパとの差が縮小していくよう、期待しています。


参考文献:
Frantz LAF. et al.(2019): Ancient pigs reveal a near-complete genomic turnover following their introduction to Europe. PNAS, 116, 35, 17231–17238.
https://doi.org/10.1073/pnas.1901169116