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イランで発見されたネアンデルタール人の子供の歯

2018/10/23 16:54
 イラン西部のケルマンシャー(Kermanshah)州でネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の子供の乳歯が発見された、と報道されました。短い記事なので詳細は不明ですが、とりあえず備忘録としてまとめておきます。この報道はイラン文化遺産観光研究所の報告に基づいているようです。調査団を率いたヘイダリ=グラン(Saman Heydari-Guran)氏に直接取材したように読めますが、イラン文化遺産観光研究所の報告から引用しているのかもしれません。

 この乳歯にはネアンデルタール人的特徴が認められ、中部旧石器時代の石器と共伴していたそうです。年代は125000〜40000年前頃とサマン氏は述べているそうですが、この地域の中部旧石器時代ということでそう推測されているのでしょうか。ただ、その後でヘイダリ=グラン氏は、放射性炭素年代測定法ではこの歯は45000〜42000年前と推定される、と述べているそうです。試料には何が用いられたのか、この年代が較正されているのか、といったことも不明です。この乳歯は、イランで発見された最初の確実なネアンデルタール人遺骸となるそうです。ヘイダリ=グラン氏は、この子供は現生人類に近い特徴を有するネアンデルタール人だった、とも述べていますが、詳細は不明です。
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先コロンブス期アメリカ大陸は大規模に開発されていた

2018/10/23 16:52
 昨日(2018年10月22日)、人類が一度も居住したことがなさそうだ、と考えられていたエクアドルの雲霧林に、かつて人類が500年以上居住し、作物を栽培していた痕跡が確認された、との研究を取り上げました(関連記事)。以前は、このエクアドルの雲霧林のように、アメリカ大陸における先コロンブス期の人類の痕跡が見逃されていたことは少なくありませんでした。先コロンブス期アメリカ大陸には広大な「手つかず」の自然が広がっており、先住民は自然と「共生」していた、というわけです。しかし、『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』では、先住民が大規模に自然を開発し、豊かで複雑な社会を形成していた、と詳しく取り上げられています(関連記事)。同書では、北アメリカ大陸の「原生林」は必ずしも太古より存在し続けたのではなく、アメリカ大陸先住民の人口が激減し、人の手が加わらなくなったことによるところが大きく、リョコウバトやバイソンが激増したのも、先住民の人口激減による生態系の変容が原因だったのではないか、と推測されています。

 アマゾン流域に関しても、先コロンブス期には広大な「手つかず」の自然が広がっていた、との印象が強いがかもしれませんが、大規模に開発されていたことを報告した研究は少なくなく、当ブログでもこれまで何度か取り上げてきました。アマゾン川の支流の一つであるシングー(Xingu)川上流には、先コロンブス期に人口密度の高い集落が存在しており、大規模な環境開発が行なわれていた、と指摘されています(関連記事)。同じくアマゾン川の支流となる、ブラジルのタパジョース(Tapajós)川上流域でも、先コロンブス期に多数の人々が土地を開発して居住していた、と推測されています(関連記事)。こうしたアマゾン流域の諸遺跡は大規模な環境開発と複雑な社会を示唆しており、『アマゾン文明の研究』ではアマゾン流域における「文明」の存在も主張されています(関連記事)。

 このような知見は、アメリカ大陸先住民は自然と「共生」していた、との見解と整合的とは言えないかもしれません。じっさい、アメリカ大陸における更新世末期の大型動物の大量絶滅に関しては、環境要因を重視する見解もあるものの(関連記事)、やはり人為的要因が決定的だったと思われます(関連記事)。同様の事例はオーストラリア(更新世の寒冷期にはニューギニアと陸続きでサフルランドを形成していました)でも指摘されており、人類が初めて拡散してきた後期更新世に85%以上の大型動物が絶滅した、と推測されています(関連記事)。そもそも、現生人類(Homo sapiens)に限らずホモ属系統自体が、後期更新世には生態系に大きな影響を与えた可能性が指摘されています(関連記事)。

 アメリカ大陸に限らず、先住民が自然と「共生」していた、と考えることには慎重でなければならないと思います。『アマゾン文明の研究』では、アマゾン流域を大規模に開発していたモホス「文明」が、1300年頃までには衰退していた、と推測されています。アメリカ大陸の先住民もまた、環境を大規模に開発し、環境破壊の結果として衰退してしまった可能性を想定しておくべきでしょう。自然と「共生」していた、との先住民像は、先住民は素朴で単純な社会生活を送っていたことを前提としているという意味で、先住民の主体性を無視した軽蔑だと思います。それは、「障害者」を「純粋」と考えてしまうような心性とも通ずるものだと思います。私は中学生の頃に、明らかに左翼寄りだった社会科教師から、「障害者」にもずるいところがあるし、卑劣な人もおり、「健常者」と変わらないのだ、と教えられました。中学生の頃も今も、私は少なからぬ人から「ネトウヨ」と糾弾されそうではありますが(私が中学生の頃には「ネトウヨ」という言葉はありませんでしたが、もし存在した場合は、そう呼ばれても不思議ではなかった、という意味です)、その社会科教師の教えは、私にとって生きていく上での指針の一つであり続けています。
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中国から日本へのパンダ貸与

2018/10/23 16:50
 日本政府は新たなパンダ貸与について中国側と協議を進めていく、との考えを菅官房長官が示した、と報道されました。しかし私は、パンダの古代DNA研究に関して当ブログで取り上げた時に述べたように(関連記事)、中国から日本へのパンダ貸与には大反対です。一つには、パンダの貸与料が高額だからなのですが、もう一つというか、根本的な問題として、パンダは希少動物(近年、絶滅危惧種からは危急種に引き下げられたようですが)だからです。

 もちろん、高額な貸与料がパンダ保護に活用されてきた、という側面はあるのでしょうが、希少動物を長時間輸送して環境の異なる外国に貸与することは、保護・動物倫理の観点からは問題が大きいのではないか、と思います。それならば、パンダの生息域の研究・保護施設を充実させ、パンダのストレスにならないよう、映像機器を設置して世界にパンダの様子を放映し、その視聴料金をパンダの保護に活用すればよいのではないか、と思います。本来の生息環境とは異なる地域での生活がパンダにとってよいはずはなく、その意味では、日本での飼育はもちろん論外ですが、中国内とはいっても、たとえば北京の動物園でパンダを飼育することは問題視されるべきでしょう。

 諸外国でのパンダ受け入れは、「パンダ外交」と揶揄されるような中国政府の方針にも問題がありますが、中央政府・自治体など受け入れ側の国の行政機関と、パンダが間近で見られることを歓迎する受け入れ側の国の住民の方も、中国政府と同等以上に罪深いのではないか、と思います。見た目の愛らしい希少動物を間近で見られることを喜び歓迎するような心性は、現代日本社会における、鰻や鮪など激減と絶滅の可能性さえ指摘されている生物を平然とじゅうらい通り確保・調理し、食べる行為と根底で相通じているのではないか、と思います。それはまた、象牙製品をありがたがって流通させてしまう心性とも通じているでしょう。

 欲望の抑制は格差の固定・拡大にも容易につながりかねないので(逆に、欲望の解放も格差の固定・拡大にも容易につながりかねませんが)、安易に主張したくはありませんが、見た目の愛らしい希少動物であるパンダを間近で見たい、という欲望を現代日本社会は抑えるべきだと思います。この議論は、そもそも動物園は倫理的に許されるのか、という大問題ともつながるのですが、それに関しては考えがある程度まとまったら、いつか当ブログで述べるつもりです。まあ、目途はまったく立っていませんが。
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米朝首脳会談の第一候補はハワイ

2018/10/23 16:48
 朝鮮労働党幹部へのインタビュー記事が公開されました。正直なところ、本当に金正恩委員長に近い朝鮮労働党幹部にインタビューできたのか、疑問も残るのですが、以前当ブログで言及した、中華人民共和国における朝鮮民主主義人民共和国への認識・感情についての雑感(関連記事)とも関連するので、該当箇所を中心に備忘録として短く取り上げます。

 2回目の米朝首脳会談の可能性について報道されていますが、この記事によると、開催場所の第一候補はハワイのホノルル、第二候補はニューヨークに隣接したニュージャージー州にトランプ大統領が所有するゴルフリゾート、第三候補は板門店とのことです。もちろん、時期も気になるところですし、そもそもトランプ政権では2回目の米朝首脳会談が行なわれない可能性もあります。しかし、米朝首脳会談はトランプ大統領にとって支持層に訴えやすい外交的成果だったでしょうから、支持率の維持・浮揚を狙って2回目が行なわれる可能性は低くないと思います。

 注目されるのは、朝鮮労働党幹部の、

私は中国を長年、見続けているが、習近平政権になってわれわれに対する態度が変わった。一言で言えば、成金になったせいで傲慢になり、われわれを見下すようになったのだ。それでも金正恩委員長は、『血盟関係』のもとで共に朝鮮戦争で戦った時の恩を忘れず、できる限り気配りしている。だから朝米交渉の進展を懸念する習近平を宥め、理解を求めるため、3度も訪中したのだ。

だが、われわれは決して中国の属国ではないし、中国からの干渉や指図は絶対に受けない。アメリカが現在、中国に対して取っている態度と同様に、お節介で高圧的な中国とは距離を置く必要があると考えている


との発言です。北朝鮮で2011年末に金正恩政権が発足して以降、中国では「棄朝鮮」「厭朝鮮」関連の論調が多く見られるようになり、近年では、2013〜2014年頃と比較して、各種媒体で幅広く公然と議論されるようになって、中国の報道機関では以前とは異なり、北朝鮮の最高指導者である金正恩氏にたいする批判が公然となされている、との見解を上述の当ブログの記事で取り上げましたが、それと符合する発言だと思います。中国においてこうした言説が許可されているということは、中国の政治指導部にとって北朝鮮は丁重に扱い配慮すべき対象ではなく、国内世論を圧力に使ってもよいような低く見ている存在ということなのでしょう。もっとも、今年になっての中朝首脳の相次ぐ会談と、今年(2018年)になって急速に米中関係が緊張してきたことにより、中国における対北朝鮮言説も変容しているのかもしれませんが。
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エクアドルの森林における先住民集団の痕跡

2018/10/22 16:38
 エクアドルの森林における先住民集団の痕跡に関する研究(Caley et al., 2018)が報道されました。19世紀の旅行者たちは、エクアドルのキホスバレーの雲霧林について、「人類がこれまで一度も住んだことがない」ようだと述べています。しかし、本論文は、この谷にある湖の土壌コアを分析し、人類の痕跡を明らかにしました。雲霧林のコアから木炭・菌類・花粉が発見され、谷には500年以上にわたって人類が住み、作物を栽培し、土器を作り、火を焚いていたことが明らかになりました。

 キホスバレーにおける人類の居住の証拠は1588年頃に急に途絶えました。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期で、広範な火災が発生したことを示していました。この研究は、それ以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、この地が放棄された、との見解を提示しています。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったので、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちはキホスバレーの景観を未開の地と誤認した、と考えられます。

 この研究から、ヨーロッパ勢力による植民地の拡大が先住民社会に与えた破滅的な影響は、目に見える生態学的な側面を有していたことと、新熱帯区森林の人類による占有の証拠が、急激な再生により急速に覆い隠され得ることが示唆されました。この研究は、環境回復活動のための歴史的基準を知るには、古生態学的研究が必要だと指摘しています。さらに対象を拡大しての同様の研究が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


「手付かず」の森林は暴力の歴史を覆い隠していた

 一見して人間の手が加えられていないエクアドルの雲霧林は、人間がその地を何世紀にもわたって占有していたが、その居住がヨーロッパの植民地主義によって16世紀に断絶したという歴史を覆い隠していることを明らかにした論文が、今週掲載される。

 19世紀の旅行者たちは、同国キホスバレーの雲霧林を「人類がこれまで一度も住んだことがない」ようだと述べている。しかし、Nicholas Loughlinたちは、この谷にある湖の土壌コアを分析し、それが必ずしも正しくないことを明らかにした。彼らは、コアから木炭や菌類、花粉を発見し、その谷には500年以上にわたって人が住み、作物を栽培し、土器を作り、火を焚いたことを示したのである。

 居住の証拠は1588年頃に途絶えていた。土壌中木炭は、ヨーロッパ人の侵攻後のこの地域での戦闘の歴史記録と同時期に、広範な火災が発生したことを示していた。Loughlinたちは、以降の堆積物中の多くを雑草の花粉が占めていることから、その地が放棄されたと考えている。1718年までには、雲霧林に特徴的な花粉を産出する種が取って代わったことから、19世紀のヨーロッパ人旅行者たちがその景観を未開の地と誤認した理由が説明される。

 この研究から、植民地の拡大が先住民に与えた破滅的な影響が目に見える生態学的な側面を有していたこと、また、新熱帯区森林の人間による占有の証拠が急激な再生によって急速に覆い隠され得ることが示唆された。Loughlinたちは、環境回復活動のための歴史的基準を知るには古生態学的研究が必要であると述べている。



参考文献:
Loughlin NJD. et al.(2018): Ecological consequences of post-Columbian indigenous depopulation in the Andean–Amazonian corridor. Nature Ecology & Evolution, 2, 1233–1236.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0602-7
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上部旧石器時代〜青銅器時代のヨーロッパと近東のイヌのmtDNA

2018/10/21 18:52
 上部旧石器時代〜青銅器時代のヨーロッパと近東のイヌのミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する研究(Ollivier et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパにおいては、9000〜6000年前頃に各地で農耕が始まりました。ヨーロッパの農耕の起源は近東にあり、近東から初期農耕民がヨーロッパへと拡散してきたことで、ヨーロッパでも農耕が定着していきました。その過程は一様ではなく、ヨーロッパ西部および北部では狩猟採集社会が比較的遅くまで続きました。新石器時代以降のヨーロッパにおいて、近東系農耕民は在来のヨーロッパ狩猟採集民と混合していきましたが、その程度は各地で異なります(関連記事)。

 近東起源の農耕民は、ヒツジ・ヤギ・ブタといった家畜動物や、コムギ・オオムギ・エンドウマメ・ソラマメ・レンズマメといった栽培植物をヨーロッパに導入しました。しかし、農耕民の移住と関連した動物の地理的起源に関しては、常に単純化できるわけではありません。たとえば、ヨーロッパにはヒツジとヤギの野生原種は存在しませんでしたが、ブタとウシの野生原種は新石器時代が始まった頃には存在しており、それら在来種がヨーロッパで家畜化された、との見解も提示されていました。さらに、近東から導入された家畜が、ヨーロッパの在来野生種と交雑した痕跡が確認されており、問題は複雑です。

 イヌの場合、新石器時代よりも前に近東とヨーロッパのどちらにも、家畜イヌもイヌの野生原種であるオオカミも存在していたので、問題はもっと複雑です。近年、イヌはユーラシアの東西で相互に独立してオオカミから家畜化された、との見解が提示されました(関連記事)。ただ、その研究はmtDNAハプロタイプの置換も示しましたが、いつその置換が起きたのかは不明でした。デンプンの多い食餌への適応を示唆する、イヌの家畜化に関連するゲノムの特徴からは、イヌと農耕との密接な関連が窺え(関連記事)、近東起源の農耕民が他の家畜動物と共にヨーロッパへとイヌを連れてきた、と考えることも可能です。ただ、イヌの家畜化の地理的起源は単一との見解も提示されています(関連記事)。

 本論文は、上部旧石器時代〜青銅器時代のユーラシアの37ヶ所の遺跡からの合計99頭のイヌのmtDNAを分析しました。新石器時代よりも前のヨーロッパのイヌのmtDNAハプログループは全頭Cでした。新石器時代以降のヨーロッパのイヌのmtDNAハプログループは、Aが6頭、Dが21頭、Cが38頭となります。近東系はおもにハプログループDおよびAなので、近東からヨーロッパへと新石器時代にイヌが導入された、と推測されます。

 地域単位での相違も、近東からヨーロッパへの新石器時代以降のイヌの導入を示唆します。近東からヨーロッパへの初期農耕民の移住は、ヨーロッパ南東部から始まったと考えられます。ヨーロッパ南東部では、新石器時代の早い段階で、イヌのmtDNAハプログループがおおむねCからDへと置換されますが、ヨーロッパの他地域では新石器時代以降もハプログループDの頻度が低く、中央西部では20.8%、北西部では3.8%です。また、ヨーロッパのハプログループAに関しては、早期新石器時代よりも後に、草原地帯の遊牧移住民から導入された可能性が指摘されています。

 本論文は、中東からヨーロッパに農耕をもたらした初期農耕民はブタ・ウシ・ヒツジ・ヤギといった他の家畜とともにイヌを伴って拡散してきたのであり、イヌは初期農耕民にとって不可欠の存在だったのではないか、と指摘しています。ただ本論文は、対象としたイヌの頭数が少ないことと、より詳細なイヌの移動および在来のイヌとの融合パターンの解明には、核DNA研究が必要であることを、今後の課題として挙げています。また本論文は、オオカミのDNAデータを用いることができなかったので、オオカミとの交雑がイヌにどれだけの影響を及ぼしたのか、検証できなかったことも課題として挙げています。


参考文献:
Ollivier M. et al.(2016): Dogs accompanied humans during the Neolithic expansion into Europe. Biology Letters, 14, 10, 20180286.
https://doi.org/10.1098/rsbl.2018.0286
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大河ドラマ『西郷どん』第39回「父、西郷隆盛」

2018/10/21 18:49
 やっと今回から明治編となります。同じく西郷隆盛が主人公ということで、本作と比較対象になる『翔ぶが如く』は1990年放送で、今年(2018年)と日付・曜日が一致していますが、約2ヶ月半遅れて明治編が始まったことになります。今回は、1904年、西郷隆盛(吉之助)の長男の西郷菊次郎が京都市長に就任する場面から始まります。菊次郎は、父の隆盛から鹿児島に呼ばれた1869年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)から回想を始めます。

 菊次郎を迎えに来たのは、隆盛の妻である糸と下男の熊吉でした。菊次郎はなかなか西郷家に馴染めず、隆盛も糸も案じます。薩摩では、島津久光や下級武士が隆盛に不満をぶつけ、東京では政府内で方針が定まりません。一揆・暴動が頻発し、前途多難な中、大久保利通(正助、一蔵)は強気な姿勢を崩さず、隆盛の弟の従道(信吾)に、隆盛を東京に呼ぶよう説得させようとします。戊辰戦争で多数の人を死なせてしまったことから、隆盛は政府への出仕を一度は断りますが、従道に説得されて東京に行く決意を固めますが、糸は、もう少し鹿児島に留まるよう、隆盛を説得します。しかし、この話を聞いていた菊次郎は、隆盛に東京に行くよう、勧めます。

 明治編の初回は、おおむね西郷家の話が描かれました。上述したように、『翔ぶが如く』よりもかなり進行が遅れているので、1回使って西郷家の話を描くことは疑問なのですが、たびたび京都市長時代の菊次郎の回想が入るので、明治編は菊次郎の扱いが大きいのかもしれません。そうだとすると、1回使って西郷家の話を描く必要があったのかな、とも思います。しかし、薩摩藩の内情や新政府への人々の不満も多少は描かれたとはいえ、歴史ドラマとしては明らかに物足りなさが残ってしまいます。まあ、今更なので大きく失望したわけではありませんが。
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アメリカ人類遺伝学会の人種差別に関する声明

2018/10/21 09:59
 アメリカ人類遺伝学会(ASHG)の人種差別に関する声明(ASHG., 2018)が報道されました。この声明の内容はおおむね以下の通りです。


 ASHGは、白人優位主義の根拠として、遺伝学にたいする誤解・曲解が見られることを憂慮し、人種差別を扇動するような遺伝学の誤用・悪用を批判します。そのためには、遺伝学的知識を正確に理解しなければなりません。ヒト遺伝学の最前線の研究への支援を通じて、ASHGは遺伝学に関する人々の科学的知識と理解力を発展させ、人種差別的主張を促進するような遺伝学的議論を批判し続けます。

 生物学的に現代人は1種(Homo sapiens)に区分されますが、(人種・亜種など)さらに下位区分を設定することは生物学的に妥当ではありません。ヒトゲノムの多様性と個人の人種認識との間に明確な相関性はありますが、生物学的に分離されて異なるものとしての人種という伝統的概念はもはや成立しません。ヒトのほとんどの遺伝的多様性は勾配的分布なので、集団間の明確な境界を決められません。異なる集団の構成員の間にも、かなりの遺伝的重複があります。ゲノム多様性のそうしたパターンは、ヒトの歴史を通じての異なる集団の移住と混合により説明されます。

 遺伝学は「人種的純粋」という概念が科学的に無意味であることを明らかにしてきました。したがって、他集団に優越するある集団という主張に、遺伝学に基づく支持はあり得ません。個人の遺伝子はその表現型の特徴に影響を及ぼし、人種の自己認識は身体的外見に影響を受けるかもしれませんが、人種それ自体は社会的構築物です。集団を順序づけるために遺伝学を用いるようなあらゆる試みは、遺伝学の基礎的な誤解を示しています。過去10年間にDNA解析は飛躍的に発展し、個人の遺伝的祖先を正確に調べることも可能となりましたが、それは「人種的純粋」を定義するような人種差別的概念を支持するものではありません。


 以上、ざっとこの声明の内容を見てきました。21世紀になり、遺伝学、とくにDNA解析が飛躍的に発展したことで、今では大衆にとっても、自分のゲノム解析が費用・時間の点で現実的となりました。アメリカ合衆国では、16世紀以降の移民の遺伝的影響力が圧倒的に強いこともあり、個人のゲノム解析が盛んなようです。しかし、それが人種差別に利用される傾向も強くなってきたようで、研究者たちも憂慮してこうした声明を出したのだと思われます。

 確かに、ASHGの懸念はもっともだと思います。しかし、古代DNA研究の大家で今も次々と新たな論文を発表し続けるライク(David Reich)氏は、著書『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』において、現代人の各地域集団間で些細とは言えない遺伝学的差異がある、と指摘しています(関連記事)。それは現在の「政治的正しさ(PC)」に反するとみなされても仕方ないかもしれませんが、私は同書の見解を強く支持します。

 この声明が指摘するように、ヒトのほとんどの遺伝的多様性は勾配的分布で、集団間の明確な境界を決められませんし、異なる集団の構成員の間にもかなりの遺伝的重複があります。また、人類史において移住・混合は珍しくありません。しかしそれは、現代人の各地域集団間で、些細とは言えない遺伝学的差異がある、との見解を否定するものではありません。もちろん、『交雑する人類』が指摘するように、大半の特性は個人間の違いがあまりにも大きいので、「黒人」だから音楽の才能があるとか、ユダヤ人だから頭がよいとかいった固定観念に拘るのではなく、どの集団の誰でも、ある特性において能力を発揮できるような環境を整備することが必要だとは思います。

 現代人の各地域集団間で些細とは言えない遺伝学的差異がある、と認めることが必然的に人種差別を促進するわけではないでしょう。むしろ、『交雑する人類』が懸念するように、「政治的正しさ」を優先して現代人の各地域集団間の実質的な差異を無視し続けると、集団間の実質的な遺伝学的差異の確たる証拠を提示された時に右往左往して対処できなくなったり、抑圧により生じた空白を似非科学が埋めたりすることになり、かえって悪い結果を招来するかもしれません。

 上記の報道によると、乳糖耐性の有無が人種差別の根拠とされる事例もあるそうです。もちろん、上述したように、ヒトのほとんどの遺伝的多様性は勾配的分布で、集団間の明確な境界を決められず、異なる集団の構成員の間にもかなりの遺伝的重複があります。したがって、「白人」の中にも乳糖耐性を有さない人もいるわけで、人種差別における遺伝学の誤解・誤用がここにも見られます。なお、乳糖耐性と関連する変異はヨーロッパとアフリカ東部でそれぞれ独立して生じたと推測されており、アフリカや中東にも乳糖耐性を有する人が、とくに伝統的に家畜の乳を飲んできた集団において高い割合で存在します。乳糖耐性については、『カラー図解 進化の教科書 第2巻 進化の理論』(関連記事)にてやや詳しく解説されています(P187〜193)。


参考文献:
ASHG.(2018): ASHG Denounces Attempts to Link Genetics and Racial Supremacy. The American Journal of Human Genetics.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2018.10.011
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桐野作人『龍馬暗殺』

2018/10/21 09:56
 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2018年3月に刊行されました。坂本龍馬殺害(暗殺)事件(近江屋事件)への関心は高く、実行犯や黒幕などの「謎解き」が盛んです。しかし本書は、近江屋事件関連の史料を調査し、幕末のさまざまな殺害事件のなかでも近江屋事件は比較的よく解明されている方だ、と指摘します。竜馬を殺害したのは見廻組で、薩摩藩など幕府ではない組織の暗躍はなかった、というわけです。本書は、「謎解き」で提示されているさまざまな見解を意識して、関連史料と当時の情勢から近江屋事件を丁寧に解説しています。

 本書を読むと、近江屋事件が突発的ではなかった、と了解されます。1866年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)1月の寺田屋事件の前より、すでに龍馬は幕府に警戒される人物でした。龍馬は薩摩藩と長州藩との和解・提携に尽力し、両藩の提携が成立した直後、寺田屋で襲撃され(寺田屋事件)、幕吏を殺傷したことで、さらに幕府に警戒されることになりました。龍馬の動向を幕府側は監視しており、京都での龍馬の活動は、幕府側に筒抜けとまでは言えないとしても、かなりの程度把握されていたようです。龍馬はいつ殺害されても不思議ではなかったわけです。また、中岡慎太郎も幕府側に警戒されてはいたものの、近江屋事件においては襲撃対象ではなかった、とも指摘されています。

 近江屋事件を当時の政治情勢に位置づけているのも本書の特徴です。本書は、1867年後半の大政奉還前後の政治情勢を、「廃幕派」と「保幕派」に区分しています。以前は、「廃幕派」に含まれる「武力倒幕派」と「公議政体派」とがこの時期の政治情勢の対立軸とされ、前者の中岡や薩摩藩や長州藩などと、後者の龍馬や土佐藩などとの対立が想定され、そこから近江屋事件の黒幕として薩摩藩が挙げられることもありました。しかし、この時期の政治情勢の根本的な対立軸は「廃幕派」と「保幕派」で、後者は、幕府体制の存続と自勢力の死活的利害が一致していると認識していた、会津藩や桑名藩などでした。大政奉還において龍馬はほとんど活躍しておらず、薩摩藩の小松帯刀の貢献が大きかったのですが、「廃幕派」にたいする「保幕派」の危機感を高め、大政奉還後に「保幕派」が京都でクーデタを計画さえした、と本書は指摘します。この「廃幕派」にたいする「保幕派」の危機感・怨恨が、「廃幕派」のなかで当時知名度が高く、寺田屋事件で幕吏を殺傷したことから幕府にとって捕縛対象だった龍馬へと向かった、というのが本書の近江屋事件の見通しです。薩摩藩や土佐藩に直接武力を行使するのは難しくても、脱藩浪士の龍馬相手になら容易だった、というわけです。ただ、本書は、「廃幕派」の薩摩藩や土佐藩などにしても、藩内の意見は一致していなかった、とも指摘しています。

 本書からは、龍馬は幕末の浪士の一類型だったように思われます。脱藩浪士は旧所属藩の一般藩士との間に感情的な溝があり、幕府など敵対的勢力から狙われる危険のなか活動を続け、運が悪ければ落命しました。龍馬も、そうした多くの幕末の志士の一人だった、というわけです。本書は近江屋事件の単なる謎解きではなく、当時の政治情勢のなかに位置づけており、幕末政治史の解説にもなっています。本書は、近江屋事件の一般向け入門書として優れており、長く読み続けられることになるでしょう。
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今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている

2018/10/20 21:03
 表題の記事がそれなりに話題になっていますが、少なからず問題があると思います。たとえば、現生人類(Homo sapiens)は遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の2系統に大きく分かれる、とされていますが、これはかなり問題のある認識だと思います。確かに、現代人を「アフリカ人」・「ヨーロッパ人」・「東アジア人」・「オセアニア原住民」・「アメリカ原住民」などと遺伝学的に「グループ分け」することは可能です。しかし、ユーラシア系というか非アフリカ系は多様なアフリカ系のうち一部の系統から派生したと考えるべきで、非アフリカ系とアフリカ系を並置させるのは妥当ではありません。非アフリカ系の比較対象としては、アフリカの一部の系統が妥当でしょう。

 種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の年代は41000年前頃とされていますが、現時点では5万年前以降の個体は確認されていないと思います(関連記事)。まあ、これは些細な問題だと思いますが。大きな問題となるのは、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』では、現生人類がユーラシアで誕生したと主張されている、ということです。しかし、同書が提示しているのは、「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)・デニソワ人の共通祖先集団はアフリカからユーラシアへと最初に拡散したホモ属であるエレクトス(Homo erectus)で、その一部がアフリカに戻って現生人類系統へと進化した可能性です(関連記事)。現生人類の祖先系統はずっとアフリカにいたのではなく、かなりの時間をユーラシアで過ごしたのではないか、というわけです。なお、現生人類の起源に関して現在最も説得力があるのは、「現生人類アフリカ多地域進化説」だと思います(関連記事)。

 次に大きな問題となるのは、ヤムナヤ文化集団とヨーロッパの先住の農耕民との交雑が認められておらず、ほぼ完全な置換があった、と述べられていることです。確かに、『交雑する人類』の該当箇所をざっと再読してみて、やや誤解を招く表現・図であるようにも思われます。しかし、注意深く読めば、現代ヨーロッパ人が、更新世の狩猟採集民・新石器時代に中東からヨーロッパに移住してきた農耕民・ヤムナヤ文化集団に代表される青銅器時代の草原地帯遊牧民の交雑により成立した、と了解されます。確かに、ブリテン島では草原地帯遊牧民の到来により青銅器時代に劇的な遺伝的置換が起きましたが、ヨーロッパの他地域ではそうしたことは起きていない、と『交雑する人類』の著者であるライク(David Reich)氏も関わった研究で指摘されています(関連記事)。
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『卑弥呼』第4話「盟神探湯」

2018/10/20 14:05
 『ビッグコミックオリジナル』2018年11月5日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハがホオリを殺害したところで終了しました。今回は、ホオリを殺したヤノハを裁く場面から始まります。その場には、祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメと副長であるウサメ、種智院の戦部(イクサベ)の師長であるククリ、トヨタマをはじめとして祈祷女(イノリメ)たちがいました。ヤノハはヒルメやウサメから問い質されて、その時の様子を答えます。ヤノハはククリの許可を得て、広場にて独りで剣の練習をしていたところ、東の楼観から悲鳴を聞いたので、楼観に走った、と説明します。なぜ他人を呼ばなかったのか、と問われたヤノハは、空耳かもしれないと思ったからだ、と答えます。楼観に上った時の様子を問われたヤノハは、言い淀みます。とはいっても、演技でしょうが。ヒルメに促されたヤノハは、モモソが男性に組み敷かれていた、と答えて、裁きの出席者たちは動揺します。しかしヤノハが、モモソは必死に抵抗しており、自分が男性を背中から刺し、モモソは必死で操を守っていた、と答えると、裁きの出席者たちは安心します。

 裁きが終わり、種智院の戦部では戦女(イクサメ)たちがモモソについて、2日間ずっと臥せっている、と噂をしていました。モモソはヒルメの後継者として暈(クマ)の「日の巫女」の長になるはずがとんだ災難だ、とある戦女が言うと、別の戦女が、災難どころか種智院から追われるという噂もある、と言います。不逞の輩に操を奪われたならば、二度と天照大御神は降らないからです。するとヤノハが、噂をしていた戦女の一人に頭突きをして、モモソの操は自分が守った、根も葉もない噂は許さない、と激昂して殴りかかり、周囲の戦女たちがヤノハを止めます。おそらくヤノハは、激昂したように周囲に見せることで、モモソが操を守った、と人々に信じさせたかったのでしょう。

 この暴行が原因なのか、ヤノハは営倉穴(エイソウケツ)と呼ばれる牢に入れられます。すると、モモソが来訪してヤノハに話しかけます。ヤノハは、モモソが外に出られるようになったことに安心します。モモソは、自分のために牢に入ることになったヤノハに謝罪します。ヤノハは、気にするな、くだらない噂話に負けるな、とモモソを励まします。モモソはヤノハに、私の味方はヤノハだけだ、と伝えます。ヤノハはモモソに、明後日に種智院から離れるのでしばらく会えないが、必ず戻る、と約束します。するとモモソは、ヤノハがいなくては種智院で生きていけない、と言います。お前には天照大御神がいるだろう、と言うヤノハにたいしてモモソは、継母であるヒルメに、ヤノハは天照大御神の声が聞こえると伝えてみる、と約束します。そうすると、ヤノハは祈祷女となり、生還率の低い戦柱に選ばれずにすむ、というわけです。去っていくモモソに、無理をするな、とヤノハは呼びかけますが、その表情は満足そうでした。ホオリにモモソを襲わせ、モモソを助けることで、モモソを自分に依存させる、というヤノハの思惑通りに進んでいるからなのでしょう。

 モモソは祈りを捧げているヒルメに、ヤノハについてお願いがある、と切り出します。ヒルメは養女であるモモソに、ヤノハは明日には釈放されるので安心するよう、伝えます。ヤノハは優秀な戦女なので、一人前になってもらうために早々に実戦を経験させるが、恩人なので不安なのか、とヒルメはモモソに尋ねます。するとモモソは意を決して、ヤノハには天照大御神の声が聞こえるので、祈祷女になるべき逸材だ、とヒルメに伝えます。ヒルメは驚きつつも、検討する、とモモソに返答します。ヒルメは話題を変えて、モモソの操についての悪意ある噂を打ち消すために、盟神探湯(クガタチ)に挑んでみないか、とモモソに提案し、モモソは動揺を隠せませんでしたが、了承します。

 モモソが盟神探湯に挑むという話は、種智院の者たちにあっという間に広まりました。ヤノハは盟神探湯について知らなかったので、同じ戦女のヌカデに尋ねます。盟神探湯とは神前裁判で、モモソが操を本当に守れたのか、裁かれます。盟神探湯には二つの方法があり、一つは、探湯瓮(クカベ)という釜で湯を沸騰させ、その中に両手を入れ、火傷をしなければ真で、大火傷を負えば嘘と判定される方法です。なお、古代の盟神探湯と中世の湯起請は似ているものの、断絶しているそうです(関連記事)。もう一つはもっと危険で、毒蛇を入れた壺に手を入れ、咬まれれば嘘で、咬まれねば真と判定される方法です。通常は二つ用意され、裁かれる者が好きな方を選びますが、どちらにしても無事でいられた者はいないそうです。しかし、真と出れば、モモソはは百年振りに顕われた日見子(ヒミコ)と認められるだろう、とヌカデは言います。他の戦女たちは、天照大御神が憑依した人は半神で、この世を平和にして衆生を幸せに導くと言われている、と説明します。

 モモソが盟神探湯に挑む朝を迎え、ヤノハはモモソを訪ねます。モモソは落ち着いており、天照大御神のご意思次第、とヤノハに伝えます。お前には何としても生きていてもらわねばならない、とヤノハに言われたモモソはヤノハに感謝しますが、ヒルメにヤノハのことを頼んでおいたので、自分が死んでもヤノハは祈祷女に迎え入れられるだろう、と伝えます。するとヤノハは、毒蛇の壺を選ぶよう、モモソに言います。私はお前とこの乱世を共に生き残りたいのだ、とヤノハはモモソに力強く語りかけます。

 ヒルメとウサメをはじめとして多くの祈祷女と思われる者たちが見守るなか、モモソはヤノハに言われた通り毒蛇の壺を選び、さすがにヒルメ様の後継者で豪気だ、と祈祷女たちは感心します。モモソはしばらく毒蛇の壺に両腕を入れていましたが、咬まれた様子はなく、ヒルメをはじめとして祈祷女たちは、モモソは百年振りに顕われた日見子だ、と歓喜します。実はこれには仕掛けがあり、ヤノハは炭の煙から作った木酢液をモモソに渡して、両腕に塗るよう指示していました。蛇はこの臭いを嫌うので咬まれないだろう、というわけです。モモソがヤノハに感謝し、この時点から先のヤノハが、そこまでは私の計画に寸分の狂いもなかった、と回想するところで今回は終了です。


 今回も手段を選ばないヤノハの強烈な生き様が描かれ、弥生時代を舞台とした歴史創作ものとしてだけではなく、悪漢小説的な漫画としても楽しめました。とにかく、ヤノハの生への執着は強く、社会規範に囚われない生き様は、魅力的でもあります。一方モモソは、巫女として優れた才能を見せつつも受動的なところがあり、ヤノハに依存する凡人として描かれています。しかしモモソは、ヒルメから盟神探湯を提案された時は動揺を見せていましたが、当日の朝には落ち着いた様子でしたから、やはり尋常ではない人物という設定なのでしょう。今後、モモソがどう変わっていくのか、注目されます。モモソは現時点では、自分がなぜホオリに襲われたのか、気づいていないようですが、ホオリが殺される直前に自分にたいしてヤノハと呼びかけたことから、やがて真相にたどり着くかもしれません。現時点ではヤノハに依存しきっているように見えるモモソですが、モモソが卑弥呼(日見子)になるのだとしたら、どこかでモモソはヤノハ以上の「怪物」に成長するのかもしれません。

 種智院の人々は、盟神探湯の試練を切り抜けたモモソは日見子だと認めたようですが、このままモモソが日見子と認められ、倭国をまとめるような展開にはならないでしょう。それは一つには、前回ヒルメが指摘したように、暈(クマ)の国のタケル王が、日見子の出現により日見彦としての尊厳が失われるので、日見子を殺そうとするからです。しかし、ヒルメによると、味方は隠れたところに大勢いるので心配ない、とのことで、ケル王がどう動き、種智院の人々がどう抵抗するのか、注目されます。もう一つは、現在の舞台となっているだろう暈の国はおそらく『三国志』の狗奴国で、卑弥呼と敵対していたからです。ヤノハの仕掛けが露見して、ヤノハとモモソの一方もしくは両方が暈の国から追われるような展開になるのではないか、と予想しています。そのさい、どちらかは死に、生き残った方が卑弥呼(日見子)となるのかもしれません。毎回挿入されるヤノハの回想がどの時点からのものなのか、まだ分かりませんが、意外と早くヤノハはそうした状況に追い込まれ、その危地を脱して日向(ヒムカ)へと逃亡し、モモソから得た知識を活用して卑弥呼になる、という展開も考えられます。ともかく、次回も楽しみです。
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ジェンダー差と経済的発展およびジェンダー平等性との関係

2018/10/20 10:45
 ジェンダー差と経済的発展およびジェンダー平等性との関係についての研究(Falk, and Hermle., 2018)が公表されました。リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼といった基本的な選好は、人間の行動の基礎となります。経済学や心理学の諸研究は、選好における重要なジェンダー差を報告しており、職業選択や投資や教育機会におけるジェンダー差の基盤を説明します。選好におけるジェンダー差の起源と国家・文化間での可変性は多くの研究で扱われており、生物学的・進化的決定論と社会的環境の役割が議論されています。

 本論文は、76ヶ国の15歳以上の8万人を対象とした調査から、国内総生産(GDP)およびジェンダー平等性のような国家水準の変数と選好データ(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)を比較しました。これらのデータに基づいて、仮説が検証されました。データセットは、全大陸と広範な文化的および経済的発展水準の範囲を含むよう、選ばれました。総合すると、データは世界の人口および所得の約90%に相当する国家群から得られることになりました。多様な文化的・経済的範囲を対象としたことで、より信頼性の高い調査になった、というわけです。

 本論文が比較・検証したのは競合的な二つの仮説です。一方は社会的役割仮説で、以下のように想定されます。経済的により発展し、よりジェンダー平等的な国家では、ジェンダー間の選好の違いを緩和します。つまり、選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と負の相関を示します。もう一方は資源仮説で、以下のように想定されます。物質的・社会的資源のより大きな利用可能性は、生存のためのジェンダーに左右されない行動を軽減させ、ジェンダー特有の欲望を拡大させます。資源へのよりジェンダー平等的な利用可能性によって、ジェンダー間の相互に独立的な選好が現れ、結果として選好におけるジェンダー差は、経済的発展およびジェンダー平等性のより高い水準と正の相関を示します。

 分析の結果、選好におけるジェンダー差に国家間で大きな多様性がある、と明らかになりました。さらに、すべての選好(リスクを取ること・忍耐・利他主義・積極的および消極的相互主義・信頼)において、ジェンダー差とジェンダー平等性および経済的発展とは顕著に正の相関を示す、と明らかになりました。経済がより発展し、ジェンダー間がより平等になっていくと、選好におけるジェンダー差がより大きくなっていく、というわけです。つまり、社会的役割仮説よりも資源仮説の方が妥当となります。また本論文は、こうした選好の違いが、5種類の性格仮説(外向性・調和性・誠実性・神経症的傾向・経験への開放性)や価値優先順位のような、他の個性的な特性とも関連している可能性を指摘しています。

 本論文の知見は、基本的な選好におけるジェンダー差の要因として、ジェンダー特有の役割の影響も、生物学的または進化的な役割も排除しません。しかし本論文は、社会的発展への顕著な役割に寄与しない理論は不充分だと強調し、国家間のジェンダー特有の選好の独立した形成および表現を促進するさいに、物質的・社会的資源への利用可能性の向上と、ジェンダー間の平等なアクセスが重要である、と指摘します。ジェンダー特有の選好をジェンダー間の差別の理由としてはならず、ジェンダー特有の選好を妨げる物質的貧困やジェンダー間の不平等性を解消していかねばならない、ということでしょうか。

 本論文の知見は、ジェンダー差は誕生以降の経験や学習の差によりもたらされるもので、ジェンダー間の経験の差が縮小するにつれてジェンダー差も縮小する、というような見解を支持しているだろう(関連記事)、「リベラル」やフェミニズムの側の少なからぬ?人々にとって、不都合なものかもしれません。それでも本論文は、できるだけ「リベラル」やフェミニズムの側に寄り添おうとしているように思います。もちろん、本論文で検証対象となったような基本的な選好においても個体差はあり、それは、男性よりも身長の高い女性が珍しくないことと同様です。しかし、本論文の知見が示唆するように、基本的な選好においてジェンダー間で明確な生得的な違いがある可能性は高く、それは社会構造に大きな影響を及ぼすでしょう。

 社会設計においては、単に経済を発展させてジェンダー間の平等性を高めていけばジェンダー関連の社会問題は万事解決するというものではなく、ジェンダー間の生得的な違いが新たな社会問題を惹起する可能性は高いと思います。と言いますか、さほど注目されていないだけで、現時点ですでに生じている可能性は高いと思います。ジェンダー差は社会的に構築されたものにすぎない、との言説を「真理」としてしまえば、弊害は少なくないのではないか、と私は懸念しています。まあこんなことを言うと、無知な反動主義者とか差別主義者とか「ネトウヨ」とかミソジニーとか、少なからぬ人に罵倒・嘲笑されるのでしょうが、当ブログでは、私が妥当だと考えていることをなるべく淡々と述べていくつもりです。


参考文献:
Falk A, and Hermle J.(2018): Relationship of gender differences in preferences to economic development and gender equality. Science, 362, 6412, eaas9899.
https://doi.org/10.1126/science.aas9899
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鳥取市の弥生時代後期の人骨のmtDNA解析

2018/10/19 16:52
 鳥取市の弥生時代後期の人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析について報道されました。報道だけでは詳細は不明ですが、備忘録としてとりあえず取り上げます。鳥取市の青谷上寺地遺跡で出土した、弥生時代後期となる紀元後1〜2世紀の大量の人骨のmtDNAが解析され、そのほとんどの「特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通している」と明らかになったそうです。ほとんどが「渡来系」とされているハプログループに分類された、ということでしょうか。

 「縄文系の人々との交わりもある程度、進んでいたと考えられる時期」なのに、DNA解析の結果、「そうした特徴は見られず、研究グループは、新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています」とのことです。報道を読んだ限りでは、核DNA解析はまだ行なわれていないようなので、在来の「縄文系」との交雑については、今後の研究の進展を俟つしかないでしょう。たとえば、極端な想定になりますが、青谷上寺地遺跡の集団がほぼ完全な母系制を長期間維持していたとすると、ユーラシア大陸東部、おそらくは朝鮮半島から(直接か九州北部を経由して)山陰地方に移住してそれなりに時間が経過し、在来の「縄文系」との融合もある程度進んでいたとしても、mtDNAハプログループがほとんど「渡来系」である可能性も想定できる、と思います。

 まあ、そこまできょくたんな事例は想定しにくいので、青谷上寺地遺跡の集団は弥生時代後期におそらくは朝鮮半島から山陰地方に移住してきた集団で、「縄文系」との融合はまだあまり進展していなかった、という可能性が高そうです。縄文時代晩期以降、古墳時代にかけて、朝鮮半島を中心にユーラシア大陸東部から日本列島に移住してきた人々は少なからずいるでしょうが、平均的に渡来してきたというよりは、何度か大きな波があったのではないか、と思います。そうすると、ユーラシア大陸東部の戦乱と関連づけたくなりますが、研究の進展を慎重に俟つべきだと思います。
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志望大学の選択と大学での学業成績に対する遺伝的影響

2018/10/19 16:51
 志望大学の選択と大学での学業成績に対する遺伝的影響に関する研究(Smith-Woolley et al., 2018)が公表されました。この研究は、3000人の被験者と3000組の双生児から得た遺伝情報を解析して、若年成人の大学教育に関連する指標の個人差を遺伝子によってどの程度説明できるのか、調べました。この研究は、一卵性双生児と二卵性双生児を比較して、Aレベル試験の結果(合格すればイギリスの大学への入学資格が得られます)の個人差の57%、志望大学の選択の個人差の51%、志望大学の質(学業面の評判、卒業後の就職見込みなどの要因によって測定されます)の格差の57%、および大学での学業成績の個人差の46%が遺伝的要因によって説明される、と明らかにしました。

 これまでの研究では、小学校と中等学校における学業成績の個人差のかなりの部分が遺伝的要因によって説明される、と明らかになっています。これに対して、この研究は、こうした遺伝的要因の影響が大学入学以降も続いているという見解を提示し、その原因として、大学では学生が遺伝的要因の影響を受けた能力に基づいて受講科目や環境を自由に選べることを挙げています。さらに、この研究は、家族や学校といった「共有」環境が大学進学の決定に影響を与えているものの、大学での学業成績の個人差の一部を説明するのは、個別環境または「1人1人に固有の」環境である、と明らかにした。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【遺伝学】志望大学の選択と大学での学業成績に対する遺伝的影響の可能性

 若年成人による大学進学の決定、志望大学の選択、大学での学業成績は、遺伝子の影響を部分的に受けている可能性のあることを報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Ziada Ayorechたちの研究グループは、3000人の被験者と3000組の双生児から得た遺伝情報を解析して、若年成人の大学教育に関連する指標の個人差を遺伝子によってどの程度説明できるのかを調べた。Ayorechたちは、一卵性双生児と二卵性双生児を比較して、Aレベル試験の結果(合格すれば英国の大学への入学資格が得られる)の個人差の57%、志望大学の選択の個人差の51%、志望大学の質(学業面の評判、卒業後の就職見込みなどの要因によって測定される)の格差の57%、および大学での学業成績の個人差の46%が遺伝的要因によって説明されることを明らかにした。

 これまでの研究では、小学校と中等学校における学業成績の個人差のかなりの部分が遺伝的要因によって説明されることが明らかになっている。これに対して、Ayorechたちは、この遺伝的要因の影響が大学入学以降も続いているという考えを示し、大学では学生が遺伝的要因の影響を受けた能力に基づいて受講科目や環境を自由に選べることが原因である可能性があると主張している。さらに、Ayorechたちは、家族や学校といった「共有」環境が大学進学の決定に影響を与えているものの、大学での学業成績の個人差の一部を説明するのは、個別環境または「1人1人に固有の」環境であることを明らかにした。

 Ayorechたちは、双生児のデータを用いて、大学での成功を表す尺度に対する遺伝的影響と環境的影響を解明しただけでなく、DNAだけを用いて、大学での成功が遺伝的要因の影響を受けることも明らかにした。



参考文献:
Smith-Woolley E. et al.(2018): The genetics of university success. Scientific Reports, 8, 14579.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-32621-w
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気候変動による北アメリカ大陸のマルハナバチの個体数減少

2018/10/19 16:48
 気候変動による北アメリカ大陸のマルハナバチの個体数減少に関する研究(Sirois-Delisle, and Kerr., 2018)が公表されました。マルハナバチ種は、この100年間で分布域(マルハナバチ種が見られる地理的地域)が縮小し、個体数も減少しています。その一因として、ネオニコチノイド系殺虫剤やスルホキシイミン系殺虫剤といった農薬の問題もありますが(関連記事)、気候変動も一因となっており、マルハナバチは頻発する極端な気温現象の影響を受けやすい、と指摘されています。一部の花粉媒介生物種は、急激な気温の変化に対応して高緯度地域に移動していますが、マルハナバチ種の大半は、分布域の北限を超えて移動しておらず、分布域の南限では個体数が減少しています。

 この研究は、過去のマルハナバチの分布域変化のパターンとマルハナバチの女王バチの分散速度のデータを用いて、さまざまな気候の将来予測シナリオ(温室効果ガス排出量が、それぞれ2020年・2040年・2080年頃にピークを迎えるシナリオと、21世紀の終わりまで増加し続けるシナリオ)で想定される分布域変化をモデル化しました。その結果、温室効果ガス排出量が2020年にピークを迎えるという、気候変動の深刻さが最も小さなシナリオを用いた場合を含む全モデルにおいて、将来的に北アメリカ大陸のかなり広い地域でマルハナバチ種の個体数は著しく減少する可能性が高い、と示唆されました。

 マルハナバチの実際の分散速度(1年当たり10km)を用いた場合、モデル化されたマルハナバチ種の一部は、2070年に分布域が25%以上減少すると予測されました。また、これらのモデルから、多くのマルハナバチ種の分布域が拡大し、互いに重複する可能性が明らかになっており、分布域拡大の「ホットスポット」(おもにカナダのケベック州オンタリオとアメリカ合衆国ミシガン州北部)の存在が示唆されました。これらの地域では、保全管理活動によって多くのマルハナバチ種が一度に恩恵を受ける可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】北米でのマルハナバチの個体数減少が気候変動によって深刻化する恐れ

 北米のかなり広い地域で、気候変動を原因とするマルハナバチ種の個体数減少が今後さらに進む可能性が高いことを報告する論文が、今週掲載される。

 マルハナバチ種は、この100年間で分布域(この昆虫種が見られる地理的地域)が縮小し、個体数も減少している。その要因の1つが気候変動で、マルハナバチは頻発する極端な気温現象の影響を受けやすい。一部の花粉媒介生物種は、急激な気温の変化に対応して高緯度地域に移動しているが、マルハナバチ種の大半は、分布域の北限を超えて移動しておらず、分布域の南限では個体数が減少している。

 今回、Catherine Sirois-DelisleとJeremy Kerrは、過去のマルハナバチの分布域変化のパターンとマルハナバチの女王バチの分散速度のデータを用いて、さまざまな気候の将来予測シナリオ(温室効果ガス排出量が、それぞれ2020年、2040年、2080年頃にピークを迎えるシナリオと、21世紀の終わりまで増加し続けるシナリオ)で想定される分布域変化をモデル化した。その結果、全てのモデル(温室効果ガス排出量が2020年にピークを迎えるという、気候変動の深刻さが最も小さなシナリオを用いた場合を含む)において、将来的に北米のかなり広い地域でマルハナバチ種の個体数が著しく減少する可能性が高いことが示唆された。マルハナバチの実際の分散速度(1年当たり10キロメートル)を用いた場合、モデル化されたマルハナバチ種の一部は、2070年に分布域が25%以上減少すると予測された。また、これらのモデルから、多くのマルハナバチ種の分布域が拡大して互いに重複する可能性が明らかになっており、分布域拡大の「ホットスポット」(主にカナダのケベック州オンタリオと米国ミシガン州北部)の存在が示唆された。これらの地域では、保全管理活動によって多くのマルハナバチ種が一度に恩恵を受ける可能性がある。



参考文献:
Sirois-Delisle C, and Kerr JT.(2018): Climate change-driven range losses among bumblebee species are poised to accelerate. Scientific Reports, 8, 14464.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-32665-y
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ネアンデルタール人の洞窟壁画関連記事のまとめ

2018/10/18 16:56

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の洞窟壁画関連の記事がそれなりの本数となったので、今では、ネアンデルタール人ではなく現生人類(Homo sapiens)が描いただろう、と考えられているものも含めて、まとめてみます。以下は、フランスのショーヴェ=ポン・ダルク洞窟(Chauvet-Pont d'Arc Cave)を除いて、いずれもスペインの洞窟です。


●南部のネルハ洞窟(Nerja cave)

ネアンデルタール人の壁画?
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_9.html

ネアンデルタール人の壁画の続報
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_10.html

ネアンデルタール人の壁画に関する日本語での報道
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_17.html

当初の想定より新しいネルハ洞窟の壁画の年代
https://sicambre.at.webry.info/201708/article_30.html


●北部のエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟

さかのぼる旧石器時代のイベリア半島の洞窟壁画
https://sicambre.at.webry.info/201206/article_15.html

イベリア半島にある旧石器時代の洞窟壁画の年代の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201206/article_16.html

ネアンデルタール人所産の壁画の意義
https://sicambre.at.webry.info/201207/article_4.html

エルカスティーヨ洞窟の壁画の年代
https://sicambre.at.webry.info/201502/article_4.html


●北部のラパシエガ(La Pasiega)洞窟、西部のマルトラビエソ(Maltravieso)洞窟、南部のアルダレス(Ardales)洞窟

ネアンデルタール人の洞窟壁画(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_33.html

ネアンデルタール人の洞窟壁画との見解に懐疑的な報道
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_41.html

6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_33.html

6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直しへの反論
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_23.html


●ショーヴェ洞窟

ショーヴェ洞窟壁画の年代
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_9.html

ショーヴェ洞窟壁画を描いたのはまず間違いなくネアンデルタール人ではない
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_40.html


 これらのうち、ショーヴェ洞窟壁画を描いたのは発見当初より現生人類と考えられていましたが、ネアンデルタール人の所産との理解をネットで見かけたので、そうではない、という趣旨の記事を公開しました。ネルハ洞窟の壁画に関しては、当初はネアンデルタール人の所産である可能性が強く示されていましたが、その後、2万年前頃と明らかになり、ほぼ間違いなく現生人類の所産だと思います。エルカスティーヨ洞窟に関しても、当初はネアンデルタール人の所産である可能性が示唆されていましたが、この頃のエルカスティーヨ洞窟一帯は考古学的にはオーリナシアン(Aurignacian)期なので、現生人類の所産である可能性が高そうです。

 ラパシエガ・マルトラビエソ・アルダレスの3洞窟の壁画に関しては、当初、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いた決定的証拠として大いに注目されました。その後、反論も提示されましたが、再反論もなされており、やはりネアンデルタール人の所産である可能性がきわめて高いと思います。ただ、形象的な線画を描いたのがネアンデルタール人であるという決定的証拠はまだ得られていないようです。ネアンデルタール人も洞窟壁画を描いていたとなると、今後、形象的な線画の有無が現生人類とネアンデルタール人の決定的な違いとして一部?で強調されるようになるかもしれませんが、ネアンデルタール人も形象的な線画を描いた可能性は高い、と私は考えています。
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真核生物と近縁な古細菌の細胞骨格調節

2018/10/18 16:52
 真核生物と近縁な古細菌(アーキア)の細胞骨格調節に関する研究(Akıl, and Robinson., 2018)が公表されました。よく理解できてはいないのですが、重要な研究と思われるので、とりあえずまとめてみました。真核細胞の起源は明らかになっていません。最近、メタゲノミクス塩基配列解読によってAsgard上門アーキアで真核細胞遺伝子ホモログ候補が複数見つかり、これは真核細胞がアーキアドメイン内から進化したとする仮説と一致しています。しかし、これらの真核細胞様塩基配列の多くは相違が著しく、またこの上門アーキアに属する生物の実体が撮像されたり、培養が行なわれたりしていないため、アーキアのこのようなタンパク質が、真核細胞のそれらに対応するタンパク質と機能的にどの程度同等なのか、という疑問が呈されています。

 本論文は、Asgard上門アーキアが機能性のプロフィリンをコードしていると示し、このアーキア上門に属する生物が真核細胞の特徴の一つである調節されたアクチン細胞骨格を持つ、と明らかにしています。ロキ門アーキアのプロフィリン1、同じくプロフィリン2、それにオーディン門アーキアのプロフィリンは、プロフィリンの典型的な折りたたみ構造をとっていて、哺乳類のウサギアクチンと相互作用し、リン脂質依存的なGアクチンの隔離と、アクチンフィラメントの反矢尻端の伸長を促進できます。これは、12億年以上前に分岐した種間のタンパク質相互作用です。生化学的実験から、哺乳類アクチンがAsgard上門のプロフィリンの存在下で重合する、と明らかになっています。しかし、ロキ門・オーディン門・ヘイムダル門のプロフィリンは、矢尻端の伸長を妨げます。これらのアーキアのプロフィリンはアクチンフィラメントの自発的核形成も遅らせ、この影響はリン脂質が存在すると低下します。Asgard上門のプロフィリンはポリプロリンモチーフとは相互作用せず、プロフィリン–ポリプロリン間の相互作用は、おそらく真核生物ドメイン系統で後に進化した、と考えられます。

 これらの結果から、Asgard上門アーキアは祖先的で極性があり、プロフィリンによって調節されるアクチン系を持つと考えられます。Asgard上門のプロフィリンはリン脂質感受性なので、この系は膜に局在しているかもしれません。Asgard上門アーキアは、膜トラフィッキングやエンドサイトーシスに関わる真核生物様遺伝子候補もコードしていると予測されています。そのため、真核細胞の運動・ポドソーム・エンドサイトーシスで観察されるような、アクチンによって調節される真核細胞様の膜動態をこのようなアーキアがひき起こすことができるかはっきりさせるため、次に必要なのは画像化だと指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


細胞進化学:Asgard上門アーキアのゲノムにはアクチンを調節するプロフィリンがコードされている

細胞進化学:Asgard上門アーキアでは機能性プロフィリンがアクチン細胞骨格を調節する

 R RobinsonとC Akılは今回、Asgard上門アーキアに属するメンバーにコードされている真核細胞類似のタンパク質について、構造と機能を初めて解析したことを報告している。ロキ門の3つのプロフィリンに加え、トール門、ヘイムダル門、オーディン門のそれぞれ1つのプロフィリンについて、高品質な構造が解かれた。ロキ門のプロフィリンは、哺乳類アクチンと相互作用し、リン脂質依存的にGアクチンを隔離することが可能で、アクチンフィラメントの反矢尻端の伸長を促進できる。アーキアが持つ真核細胞様遺伝子の産物についてはほとんど分かっておらず、今回の研究はこのようなタンパク質が真核生物のタンパク質と同じような挙動をするのかどうかの検証に向けた重要な一歩である。これらの結果は、アーキアと真核生物の最終共通祖先の細胞生物学的性質や本来の姿の推定に明らかに関係しており、また、これによってAsgard上門アーキアに備わった真核生物様の特徴の1つに関する待望の機能データがもたらされた。



参考文献:
Akıl C, and Robinson RC.(2018): Genomes of Asgard archaea encode profilins that regulate actin. Nature, 562, 7727, 439–443.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0548-6
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文永の役日本勝利説は歴史修正主義?(追記有)

2018/10/17 17:51
 表題のような呟きがTwitterで流れてきました。まあ正確には、引用画像で流れてきたので、検索して見つけたわけですが。

アンゴルモア、100%見る気もしないけどよもや「実は日本が勝っていた」という歴史修正主義に走るつもりじゃないだろうな。

とのことです。『アンゴルモア』という漫画があることは私も知っており(読んだことはありませんが)、モンゴル襲来(文永の役・弘安の役)を扱った作品だと思っていたのですが、検索してみると、文永の役における対馬での戦いを扱っているそうです。『アンゴルモア』はアニメ化されて今年(2018年)7月〜9月まで放送されていたそうで、上記の発言はアニメ版を対象としているようです。近年でも、文永の役は日本側の惨敗だった、との見解をまともな研究者が提示することもあり(関連記事)、文永の役で日本が負けたとの見解を非専門家が主張しても、とくに問題はないと思います。しかし、文永の役日本勝利説は歴史修正主義的なのか、大いに疑問です。

 そもそも、戦争の勝利・敗北の判定には難しいところがあります。最も一般的と思われる基準は、開戦時の目的をどれだけ達成できたか、ということでしょうが、各陣営で目的が一致していない場合も多々あったでしょうから、判定は難しいと思います。また、開戦時の目的が曖昧だったり、途中から目的が変わったりすることも珍しくなく、たとえば豊臣政権の朝鮮侵略はその具体例です(関連記事)。その意味で、文永の役がどちら側の勝利だったのか、判定するのは難しいところがあります。

 しかし、25000とも27000とも33000とも推定されているモンゴル・高麗軍がわざわざ渡海して九州にまで攻めてきて、最終的には土地を占領できずに撤退したわけですから、モンゴルの敗北との評価もじゅうぶんあり得ると思います。少なくとも、「歴史修正主義」と判断されるほどの与太話ではないでしょう。文永の役も含めてモンゴル襲来を見直した研究では、文永の役の九州における戦闘は1日だけではなく10日ほど続き、大宰府まで攻め込んできたモンゴル・高麗軍を退けるなど、日本軍が善戦していた、と評価されています(関連記事)。モンゴル史研究の側からは、たとえば杉山正明『中国の歴史08 疾駆する草原の征服者』(関連記事)において、モンゴル側も日本側も自軍の敗北と考えたのではないか、と推測されています(P325)。

 確か、文永の役におけるモンゴル側の意図は威力偵察だった、との見解をどこかで読んだ記憶がありますが、それも有力な根拠のある推測ではないと思います。文永の役において、モンゴル・高麗軍が撤退し、戦闘において日本軍が惨敗したわけではなく、善戦していたらしいことから、日本が勝ったとの評価はさほど的外れではないと思います。もちろん、九州での当初の戦闘ではややモンゴル・高麗軍が優勢だったようですし、戦闘での被害者数は、あるいは日本軍の方が多かったかもしれません。しかし、それを根拠に日本の敗北とするのは、ノモンハン事件で日本軍が勝った、と評価するようなものでしょう(関連記事)。

 なお、上記の発言主は「わさび盛友」と名乗るアカウントです。わさび盛友氏は以前、今では凍結されたアカウントにて騎馬民族征服王朝説を支持する発言をしており、否定的に引用したことがあります。その時は、見かけた記憶があるものの、どこで見たのか、思い出せなかったのですが、その後、私がフォローしているアカウントとやり取りをしており(関連記事)、それをほぼリアルタイムで見ていた、と思い出しました。その時のわさび盛友氏のアカウントは凍結されているので、今では発言を確認することはできませんが、やり取りをしていたアカウントの発言からある程度のことは分かりますし、ある意味で衝撃的な発言でもあったので、私も割とよく覚えています。

 その時、わさび盛友氏は、日本史教科書の江戸時代の項目から「士農工商」という用語が消えることにたいして、「歴史修正主義」と批判していました。これにたいして、わさび盛友氏は、江戸時代の身分制度を否定する、と反発していました。それに対して、研究の進展により、江戸時代の身分制を示す用語として「士農工商」は相応しくないと明らかになった、と丁寧な説明があったのですが、わさび盛友氏は、『カムイ伝』に描かれた強烈な身分差別を否定するのか、と「反論」しました。さすがにこれには私も含めて多くの人が呆れたようです。

 そもそも、日本史教科書の江戸時代の項目から「士農工商」という用語が消えるのは、当時の身分制を示す用語として相応しくないと明らかになったからで、江戸時代の身分制を否定しているわけではありません。わさび盛友氏は、それを丁寧に解説されても認めるわけではなく、半世紀ほど前の漫画を「反論」の根拠として提示したわけで、本当にふざけた態度だと思います。本気でそう考えているのなら、知性にかなりの問題がありますし、理解していても自分の間違いを認めたくないだけで、ふざけた態度で誤魔化そうとしたのなら、人間性に問題があります。あるいは、その両方かもしれません。わさび盛友氏のこの態度は嘲笑されても仕方のないところで、ここまで愚劣な発言となると、アンチ「リベラル」のなりすましではないか、と疑いたくもなります。わさび盛友氏のその他の発言も少し読んでみた限りでは、本気である可能性の方がやや高いかな、と私は判断していますが。

 上述した文永の役に関する発言もそうですが、わさび盛友氏は自分の歴史観とは異なる見解を、安易に「歴史修正主義」と判断する傾向にあるようです。しかし、「士農工商」をめぐるやり取りにおける、歴史学の方法論・根拠・研究の進展を無視して、半世紀ほど前の創作を根拠に提示する、といったわさび盛友氏の言動は、まさに「リベラル」側でよく批判される「歴史修正主義」そのものだと思います。わさび盛友氏こそ、「リベラル」側の批判する「歴史修正主義者」と言うべきでしょう。なお、あまりにも低水準な懸念なのですが、一応念のために前もって述べておくと、現在・過去に関わらず「日本」を批判していることは、たとえその一定以上の割合が妥当だとしても、「歴史修正主義者」ではないことの証明にはまったくなりません。

 また、

ウヨさんやたら神風美化するけど北条時宗が元からの手紙無視したり使者切り捨てたりあり得ないことをしたから元が怒って元寇が起きたこととなんとか神風で追い返せたけど元から土地勝ち取ったわけじゃないから一生懸命戦った武士にあんまり恩賞与えられなくて幕府滅亡に繋がったこと知ってるのかな?

との呟きも見かけましたが、これは的外れだと思います。モンゴル襲来に関する近年の「ウヨさん」の見解は大まかには、神風を美化するのではなく(神風特攻隊を美化する「ウヨさん」は少なくないかもしれませんが)、日本軍が奮闘して勝利したのに、それを神風のおかげだと主張してきた歴史学は自虐的だ、というものだと思います。現代日本社会の非専門家層においても、モンゴル襲来に多少なりとも関心があるのならば、「神風史観」から脱却すべきなのだと思います(関連記事)。


追記(2018年10月18日)
 『アンゴルモア』でどこまで文永の役が描かれるのか分かりませんが、文永の役において対馬が占領されるところまでだとすると、日本が勝ったとの評価はかなり問題で、「(歴史捏造という程度の通俗的な意味合いでの)歴史修正主義」と言っても、大過はないかもしれません。しかし、わさび盛友氏は上記の発言以前に


鎌倉武士がモンゴル軍に勝ったとか、最強の軍団だとか。歴史修正主義どころか、歴史妄想主義ではないか。


とも呟いており、文永の役に限らず弘安の役に関しても、日本が勝ったとの評価は「歴史修正主義」、あるいはもっとひどい「歴史妄想主義」と考えているようです。ひじょうに偏向した認識だと思います。なお、本文では述べ忘れましたが、呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』では、文永の役におけるモンゴル軍優勢との見解は虚構で、初戦はモンゴル軍の事実上の敗北とみるのが妥当であり、一部で指摘されている、文永の役のモンゴル軍は威力偵察に過ぎず、撤退は予定通りだった、との見解も疑わしく、モンゴル軍が撤退したのは日本側の抵抗が予想以上に強力だったからではないか、と指摘されています(関連記事)。
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嗅覚と空間記憶の関連

2018/10/17 17:48
 嗅覚と空間記憶の関連についての研究(Dahmani et al., 2018)が公表されました。動物が嗅覚を持つようになったのは、環境におけるナビゲーションに役立てるためだったと考えられています。現在までに、嗅覚同定(何の匂いか特定すること)と空間記憶(環境中のさまざまな目標物同士の関係を学習し、認知地図を構築することに関与します)が関連している可能性を示すいくつかの証拠は集まっていますが、それらが直接検討されたことはありませんでした。

 この研究は、嗅覚同定と空間記憶が相互に関係しており、もしそうなら、両者が同じ脳領域に依存しているのではないかと仮説を立て、これらを示す直接的な証拠を探しました。この研究は、ボランティア57人が参加した実験で、さまざまな匂い(臭い)をかぎ分ける試験の成績が優秀だった被験者は、経路探索課題(仮想市街においてさまざまな目標物を手掛かりに進路を決定する課題)の成績も優秀だった、と明らかにしました。

 この研究はまた、磁気共鳴画像法を用いて、脳の左内側眼窩前頭皮質(mOFC)の厚みがあることと右海馬の容量が大きいことから、二つの課題における成績優秀者を予測できる、と見出しました。これは、嗅覚同定能力と空間ナビゲーション能力が同じ脳領域に基づいている可能性を示唆しています。さらに実施された試験では、mOFCに影響する脳病変を持つ9人の患者集団は、嗅覚同定課題と空間記憶課題の成績がいずれも低い、と明らかになりました。一方、mOFCに影響しない類似の脳病変を持つ9人の患者集団では、このような成績の低下は見られませんでした。

 今後さらに調べていく必要があるものの、これらの知見により、嗅覚の機能は元来、認知地図の構築と空間記憶を支えるものであったとする説が裏づけられた、とこの研究は主張しています。これはひじょうに興味深い研究だと思います。生物のある表現型が他の表現型と密接に遺伝的基盤を共有していることは珍しくないでしょうし、今後も次々と同様の事例が解明されていくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【神経科学】嗅覚と空間記憶が関連している可能性

 ヒトの嗅覚と空間記憶は関連しており、両者が同じ脳領域に依存している可能性があることを明らかにした論文が、今週掲載される。

 動物が嗅覚を持つようになったのは、環境におけるナビゲーションに役立てるためだったと考えられている。現在までに、嗅覚同定(何のにおいかを特定すること)と空間記憶(環境中のさまざまな目標物同士の関係を学習し、認知地図を構築することに関与する)が関連している可能性を示すいくつかの証拠が集まっているが、それらが直接検討されたことはない。

 今回、Veronique Bohbotたちの研究グループは、嗅覚同定と空間記憶が相互に関係しており、もしそうなら、両者が同じ脳領域に依存しているのではないかと考え、これらを示す直接的な証拠を探した。Bohbotたちは、ボランティア57人が参加した実験で、さまざまなにおいをかぎ分ける試験の成績が優秀だった被験者は経路探索課題(仮想市街においてさまざまな目標物を手掛かりに進路を決定する課題)の成績も優秀だったことを明らかにした。

 Bohbotたちはまた、磁気共鳴画像法を用いて、脳の左内側眼窩前頭皮質(mOFC)の厚みがあることと右海馬の容量が大きいことから、2つの課題における成績優秀者を予測できることを見いだした。このことは、嗅覚同定能力と空間ナビゲーション能力が同じ脳領域に基づいている可能性を示唆している。さらに実施された試験では、mOFCに影響する脳病変を持つ9人の患者集団は、嗅覚同定課題と空間記憶課題の成績がいずれも低いことが判明した。一方、mOFCに影響しない類似の脳病変を持つ9人の患者集団では、このような成績の低下は見られなかった。

 Bohbotたちは、今後研究を深めていく必要があるものの、今回得られた知見によって、嗅覚の機能は元来、認知地図の構築と空間記憶を支えるものであったとする説が裏付けられたと主張している。



参考文献:
Dahmani L. et al.(2018): An intrinsic association between olfactory identification and spatial memory in humans. Nature Communications, 9, 4162
https://doi.org/10.1038/s41467-018-06569-4
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家畜と野生動物の共存が有益になる可能性

2018/10/16 16:26
 家畜と野生動物の共存が有益になる可能性を報告した研究(Huypens et al., 2018)が公表されました。地球全体で見ると、野生動物の大半は保護区外に住んでいるため、野生動物と人間のそれぞれの要求の潜在的な衝突を生み出しています。こうした問題の典型例がアフリカ東部のサバンナで、ゾウやキリンなどの野生種の生息地であるとともに、人間や家畜の居住地にもなっています。土地利用を巡る対立はありふれたもので、家畜の管理と野生動物の管理の間には固有のトレードオフがある、という仮説が提示されています。

 この研究は、ケニア中央部のサバンナのさまざまな地域を調べ、野生動物が優位な地域、家畜が優位な地域、共存している地域を比較しました。その結果、家畜が野生動物と共存している地域では、ダニの数が減り、飼料になる植物の質が向上するとともに、収入が野生動物ツーリズムと食肉・乳製品の生産の両方を通して得られる、と明らかになりました。さらに、家畜と野生動物が共存する地域で、家畜による収入やツーリズムによる収入が減少することはありませんでした。保護区は、大型の移動性野生動物の存続可能集団を維持するには小さすぎることが多いので、これらの知見は、地球規模で土地を共有して共存していく可能性について楽観視できる理由の一つになる、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


家畜と野生動物の共存が有益になる可能性

 家畜と野生動物を共存させると、ある条件下では、環境にも人間の幸福にも有益になる可能性があることを報告する論文が、今週掲載される。野生動物は家畜や人間と遭遇すると負けることが多いことから、そうした有益な状況の解明は、大型動物や歴史的風土の維持に不可欠である。

 地球全体で見ると、野生動物の大半は保護区外に住んでいるため、野生動物と人間のそれぞれの要求の潜在的な衝突を生み出している。こうした問題の典型例が東アフリカのサバンナで、ここはゾウやキリンなどの野生種の生息地であるだけでなく、人間や家畜の居住地にもなっている。土地利用を巡る対立はありふれたものであり、家畜の管理と野生動物の管理の間には固有のトレードオフがあるという仮説が生まれている。

 今回Felicia Keesingたちは、ケニア中央部のサバンナのさまざまな地域を調べ、野生動物が優位な地域、家畜が優位な地域、共存している地域の行く末を比較した。その結果、家畜が野生動物と共存している地域では、ダニの数が減り、飼料になる植物の質が向上するとともに、収入が野生動物ツーリズムと食肉・乳製品の生産の両方を通して得られることが分かった。さらに、家畜と野生動物が共存する地域で、家畜による収入やツーリズムによる収入が減少することはなかった。

 保護区は、大型の移動性野生動物の存続可能集団を維持するには小さ過ぎることが多いので、今回の知見は、地球規模で土地を共有して共存していく可能性について楽観視できる1つの理由となる。



参考文献:
Keesing F. et al.(2018): Consequences of integrating livestock and wildlife in an African savanna. Nature Sustainability, 1, 10, 566–573.
https://doi.org/10.1038/s41893-018-0149-2
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門脇誠二「西アジアにおける新人の拡散・定着期の行動研究:南ヨルダンの遺跡調査(2017年度)」

2018/10/15 16:35
 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A02「ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」の2017年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 11)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P19-27)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、ヨルダン南部アカバ県のカルハ山一帯(約3 ㎢、標高約1000 m)にある、中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけての諸遺跡の調査結果を報告しています。カルハ山は死海地溝帯南部(アラバ渓谷)の東岸に位置し、隣接するヒスマ盆地がより東方のアラビア半島北西部に続いています。現在は年間降水量50mm以下の乾燥地帯で植生が乏しく、露出したカンブリア紀の砂岩に多くの岩陰が形成されており、その窪みに更新世以降の堆積物が残っています。

 トール・ファラジ(Tor Faraj)はカルハ山中心部の涸れ谷(ワディ・アガル)の北岸に位置する岩陰遺跡です。以前の調査で1.5 mほどの厚さの堆積が確認されており、そこから中部旧石器時代後葉の石器群が発見されています。D2層の遺物密度は低いものの、角礫が多く混じる堆積の下のE層では遺物密度が高く、堆積物に炭化物片や灰も混在しているので、炉址付近の居住痕跡と推測されています。有機物の保存は悪く、動物遺骸としては小さな破片のみが確認されています。D2層もE層も、C層と同様にルヴァロワ方式による剥片剥離が主体で、ポイントや石刃形態も発見されています。ただ、C層に比べると、単方向収束剥離によるルヴァロワ・ポイントが少なく、複数方向の剥離によってポイントや石刃、剥片形態を作り出す方式が多い、と指摘されています。この特徴はアムッド洞窟(Amud Cave)のB4層やウンム・エル・トゥレル遺跡のVI3層でも報告されています。

 トール・ファワズ(Tor Fawaz)は、カルハ山北部を北西から南東に延びる涸れ谷(ワディ・ヒュメイマ)の北岸に位置する岩陰遺跡です。以前の調査では、岩陰内の東端とテラス斜面の上部が発掘され、5千点以上の石器が収集されました。大型の石刃が特徴ですが、レヴァント地方上部旧石器時代の代表的文化であるアハマリアン(Ahmarian)やレヴァント地方オーリナシアン(Levantine Aurignacian)のどちらにも似ていないため、詳細な時期や文化が不明とされていました。再調査では、西側の発掘区で石器集中部が発見され、30〜45 cmの厚さの堆積から数千点の石器資料が回収されました。その技術形態学的な特徴は、剥片や石刃の打面が大きく、形態的にルヴァロワ様の尖頭器が含まれ、エンドスクレーパーなどの上部旧石器的な器種があることです。これらは上部旧石器時代初頭の石器群に類似していますが、剥片剥離の方向や放射性炭素年代から上部旧石器時代前葉への過渡期と推測されています。有機物の保存が悪く動物遺骸骨などは発見されていませんが、貝殻が5点収集されました。

 また、2016年度までに調査された遺跡の堆積物から年代測定も試みられているそうです。2016・2017年度の現地調査の結果、カルハ山一帯は文化的には、中部旧石器時代後葉(Late Middle Paleolithic)→上部旧石器時代初頭(Initial Upper Paleolithic)→上部旧石器時代初頭〜前葉への移行期(Initial‒Early Upper Paleolithic)→上部旧石器時代前葉(Early Upper Paleolithic)→終末期旧石器時代前葉(Early Epipaleolithic)と移行していくことが確認されました。カルハ山一帯では人類遺骸が発見されていませんが、レヴァントなど他地域の人類遺骸記録から、中部旧石器時代後葉にはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在していたものの、上部旧石器時代初頭以降は現生人類(Homo sapiens)の人口が増加し、遅くとも上部旧石器時代前葉までにネアンデルタール人は消滅していた可能性が高い、と本論文は推測しています。また本論文は、西アジアにおいても文化や行動の変化に地域差があった可能性は単位、とも指摘しています。


参考文献:
門脇誠二(2018)「西アジアにおける新人の拡散・定着期の行動研究:南ヨルダンの遺跡調査(2017年度)」『パレオアジア文化史学:ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明2017年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 11)』P1-5
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シャテルペロニアンの担い手の検証

2018/10/14 18:51
 シャテルペロニアン(Châtelperronian)の担い手を改めて検証した研究(Gravina et al., 2018)が公表されました。西ヨーロッパにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期は、現生人類(Homo sapiens)によるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の置換とも関連しており、高い関心が寄せられ、激しい議論が続いています。当ブログではこれまで、フランス西部〜スペイン北部で確認されるシャテルペロニアンをヨーロッパの中部旧石器時代〜上部旧石器時代の「移行期インダストリー」と把握してきましたが、本論文では、石刃・骨器・装飾品・顔料といった要素の見られるシャテルペロニアンは現在、西ヨーロッパで最初の真の上部旧石器時代インダストリーと考えられている、と指摘されています。

 ともかく、シャテルペロニアンはヨーロッパの人類進化史をめぐる議論において重要な役割を担っており、とくに、シャテルペロニアンの担い手がどの系統の人類なのか、という問題は注目されています。当初、シャテルペロニアンには上部旧石器的要素が見られることから、現生人類が担い手と考えられていました。その後、シャテルペロニアンの人工物とネアンデルタール人遺骸との共伴が報告され、ネアンデルタール人が担い手と考えられるようになりました。しかし、本論文が指摘するように、シャテルペロニアンとネアンデルタール人遺骸との共伴は、フランスの2ヶ所の遺跡でしか報告されていません。

 一つは、アルシ=スュル=キュール(Arcy-sur-Cure)のトナカイ洞窟(Grotte du Renne)のシャテルペロニアン層の最下層における散乱した歯と側頭骨で、もう一つは、サン=セザール(Saint-Césaire)のラ・ロシュ=ア=ピエロ(La Roche-à-Pierrot)のシャテルペロニアン層の部分的なネアンデルタール人骨格です。これらネアンデルタール人遺骸とシャテルペロニアンの関係をめぐって長く議論が続いており、シャテルペロニアンの担い手については、以下のような仮説が提示されてきました。

 まず、シャテルペロニアン層のネアンデルタール人の骨は攪乱の結果で現生人類が担い手という説(仮にA説としておきます)と、大きな攪乱はなく、ネアンデルタール人が担い手という説に大きくは区分されます。ネアンデルタール人が担い手という仮説はまず、シャテルペロニアンの象徴的思考を示す人工物が本当にシャテルペロニアンのものなのか否か、という点で分類されます。一方は、それら象徴的思考を示す人工物は後世の層からの嵌入であり、シャテルペロニアン期のものではない、と想定します(仮にB説としておきます)。

 さらに、それら象徴的思考を示す人工物がシャテルペロニアン期のものだと認めたうえで、その製作者がどの系統の人類か、という点で分類されます。シャテルペロニアン期にフランス西部〜スペイン北部にまで現生人類が進出していたのか、微妙な問題です。当時すでに現生人類がこの地域に進出していたとする立場からは、シャテルペロニアンに見られる象徴的思考を示す人工物はネアンデルタール人が現生人類から入手したか(仮にC説としておきます)、ネアンデルタール人が(あるいはその象徴的意味を理解せずに)模倣して作ったのだ、との見解が提示されています(仮にD説としておきます)。

 これに対して、ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを発展させたと主張する見解もあります(仮にE説としておきます)。また、ネアンデルタール人の所産と考えられる遺跡数が減少するなか、フランス南西部〜スペイン北東部にかけてシャテルペロニアンの遺跡が増加していることから、シャテルペロニアン遺跡の全てがネアンデルタール人の所産と考えると矛盾点が多く、現生人類がその形成に大きく関与していたのではないか、との見解(仮にF説としておきます)も提示されています(関連記事)。シャテルペロニアンは、ヨーロッパに限らず、現生人類によるネアンデルタール人の置換理由、さらには現生人類と比較してのネアンデルタール人の認知能力といった、関心の高い問題の解明の重要な手がかりになりそうだという点でも、注目されています。

 前置きが長くなってしまいましたが、本論文は、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡のネアンデルタール人遺骸が発見された層を改めて検証しています。その結果明らかになったのは、少なくともネアンデルタール人遺骸の一部は、二次埋葬や後世の嵌入により本来の年代と異なる層に位置している可能性は低そうで、本来その層にあっただろう、ということです。また、ネアンデルタール人遺骸の層では確かにシャテルペロニアン石器も発見されていますが、圧倒的に多いのはシャテルペロニアンより前のインダストリーであるムステリアン(Mousterian)石器で、ネアンデルタール人遺骸はシャテルペロニアンではなく、ムステリアンと関連づけるべきだ、と本論文は指摘しています。つまり、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡において、シャテルペロニアン人工物とネアンデルタール人遺骸が共伴していると示すような信頼性の高い証拠はない、というわけです。

 上述したように、シャテルペロニアンの担い手は、西ヨーロッパにおける中部旧石器時代〜上部旧石器時代の移行期と、現生人類によるネアンデルタール人の置換理由、さらには両者の認知能力の違いを理解するうえで重要となります。これまで、たびたび疑問が呈されてはいたものの、シャテルペロニアンの担い手をネアンデルタール人と想定する見解は一定以上支持されていたというか、圧倒的ではないとしても、むしろ優勢だったように思います。しかし本論文は、ネアンデルタール人とシャテルペロニアンとの関連を示す証拠とされた2ヶ所の遺跡のうち、ラ・ロシュ=ア=ピエロ遺跡では、それを示すような信頼性の高い証拠はない、と指摘しています。

 ただ、本論文の見解が妥当だとしても、ネアンデルタール人とシャテルペロニアンとの関連を示す証拠とされた2ヶ所の遺跡のうち、トナカイ洞窟の事例は依然として有効だと思います(関連記事)。もっとも、トナカイ洞窟におけるシャテルペロニアンとネアンデルタール人との関連も、今後の検証により否定されることになるかもしれません。もしそうなると、上述した、シャテルペロニアン遺跡の一部に現生人類が関与したとの仮説は有力になっていくかもしれません。もちろん、「先祖返り」して、シャテルペロニアンの担い手は現生人類との仮説が定着する可能性も考えられます。

 イベリア半島北部では、ムステリアンの終焉から数千年以上経過して、シャテルペロニアンと、現生人類が担い手の可能性のきわめて高そうなオーリナシアン(Aurignacian)とが、500〜1000年ほど重なっていることも注目されます(関連記事)。ヨーロッパのムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみでしょうから、現生人類の拡散してきた地域では、現生人類の影響も受けつつ上部旧石器的なインダストリーに移行したネアンデルタール人集団のみが、短期間とはいえ現生人類集団の圧力に抵抗できて共存した、とも考えられます。あるいは、シャテルペロニアンの担い手の一部もしくは全ては現生人類で、ネアンデルタール人との接触によりシャテルペロニアンを開発した、とも考えられます。

 ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを開発した可能性(上記区分ではE説)も考えられますが、イベリア半島北部ではオーリナシアンがシャテルペロニアンに先行しそうですから、シャテルペロニアンの全てもしくは一部がネアンデルタール人の所産だとしても、現生人類の影響を想定する方が妥当なのかもしれません。シャテルペロニアンの担い手は、現生人類と比較してのネアンデルタール人の認知能力の評価、さらにはネアンデルタール人の絶滅要因とも関わってくるだけに、シャテルペロニアンをはじめとして、ヨーロッパの中部旧石器時代〜上部旧石器時代の各インダストリーの担い手と起源・展開に関する研究の進展は注目されます。


参考文献:
Gravina B. et al.(2018): No Reliable Evidence for a Neanderthal-Châtelperronian Association at La Roche-à-Pierrot, Saint-Césaire. Scientific Reports, 8, 15134.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33084-9
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大河ドラマ『西郷どん』第38回「傷だらけの維新」

2018/10/14 18:50
 新政府軍と上野に立て籠もった彰義隊の戦いが始まります。彰義隊討伐には時間がかかる、と西郷吉之助(隆盛)は考えていましたが、大村益次郎の作戦により半日で鎮圧します。時代を先導してきて、「江戸無血開城」を達成して名声が頂点に達した感のある吉之助ですが、すでに時代に取り残されつつあることを示唆するような展開でした。これ以降、北陸・東北・北海道へと戦線は拡大し、新政府軍は鎮圧に1年以上を要しました(戊辰戦争)。

 この間、大村の要請を受けて吉之助は薩摩に戻り、薩摩藩の精兵を率いて東日本へと進軍します。吉之助の弟の吉二郎も従軍を希望し、戦死します。これも、名声が頂点に達するなか、吉之助の前途の暗さを予感させる展開でした。兄弟の絆や吉二郎の鬱屈が以前からもっと描かれていればよかったのですが、さすがに40回近く視聴を続けると、本作にそこまで望めないことは理解できるので、とくに不満はありません。吉之助は東京に留まらず、薩摩に帰国します。

 今回は全体的に暗いというか、吉之助の迷走が強調された印象を受けます。次回からの明治編も、こんな感じで進むのでしょうか。本作と比較対象になる『翔ぶが如く』は1990年放送で、今年(2018年)と日付・曜日が一致していますが、すでに8月5日放送分から明治編に入っており、本作は2ヶ月半ほど進行が遅れています。『翔ぶが如く』では10月14日放送分で、吉之助は大久保一蔵(正助、利通)と対立して敗れたことにより下野するのですが、本作の進行はあまりにも遅いと思います。明治編はかなり省略されることになりそうで、残念ではあります。西南戦争は2回ほど構わないので、吉之助の下野の前を少しでも多く描いてもらいたいものです。次回予告を見ると、語りが吉之助の長男である西郷菊次郎という設定のようで、これには驚きました。明治編では菊次郎が重要な役割を担うのでしょうか。
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Eric H. Cline『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』

2018/10/14 10:37
 エリック・H・クライン(Eric H. Cline)著、安原和見訳で、筑摩書房より2018年1月に刊行されました。原書の刊行は2014年です。本書は、後期青銅器時代となる紀元前1500〜紀元前1200年頃の、エジプト・ギリシア・アナトリア半島・レヴァントなど東地中海地域〜メソポタミア地域の諸勢力がいかに密接に結びついていたのか、詳しく解説していった後、紀元前13世紀末?〜紀元前12世紀前半もしくは半ば頃までの、この地域の諸勢力の衰退・滅亡や都市の崩壊・放棄などの広範な破滅的事象を解説していきます。後期青銅器時代において、東地中海地域〜メソポタミア地域まで「グローバル化」が進展していたものの、それが紀元前12世紀前半もしくは半ば頃までには崩壊し、鉄器時代へと移行していった、というのが本書の見通しです。

 本書の主題は、おも東地中海地域〜メソポタミア地域の古代「グローバル」文明の崩壊ですが、その前提となる紀元前1500〜紀元前1200年頃の東地中海地域〜メソポタミア地域の「グローバル」文明の解説が丁寧でたいへん面白く、有益だと思います。これは、後期青銅器時代のこの地域についてかなり解明されているからでしょう。それは、近代を主導したヨーロッパ系勢力(アメリカ合衆国も含みます)にとって、自らの起源とも関わるのでこの地域への関心が高く、研究が進展していることも一因なのでしょうが、当時この地域が世界で「最も先進的」だったので、複数言語の文字記録が多く残っているからでもある、と思います。

 本書が描く後期青銅器時代の東地中海地域〜メソポタミア地域像はたいへん魅力的です。後期青銅器時代におけるこの地域の、エジプト・ミュケナイ・ヒッタイト・ミタンニ・アッシリア・カッシートなどの諸勢力は、時に戦争・禁輸措置などで敵対しつつも、交易・外交交渉・婚姻などを通じて緊密なつながりを構築していました。本書はこうした状況を古代の「グローバル化」と呼んでいます。そこではある種の「国際社会」が成立していた、とも言えそうです。もっとも、解明が進んでいるとはいっても、3000年以上前のことですから、大きな限界はあり、見解の異なる問題は少なくありません。本書は、簡潔な根拠とともに丁寧に複数の見解を提示することが多く、この特徴は「古代グローバル文明」の「崩壊」についての解説で顕著です。単純明快な解説ではありませんが、一般向け書籍といえども、そうした良心的な姿勢が好ましいとは思います。

 本書の主題となる「古代グローバル文明」の崩壊について、本書は具体的な状況とその解釈にかなりの分量を割きつつ、その要因について検証しています。要因を論じるのにまず必要なのは具体的な状況の解明ですが、本書からは、各遺跡の崩壊状況とその要因、さらには年代についても、さまざまな議論がある、と了解されます。じっさい、全域が一律に崩壊したわけでもないようです。本書は、そうした具体的な状況に関するさまざまな解釈とその根拠を解説していきますが、まだはっきりしない点も多いようで、もどかしさもあります。

 後期青銅器時代の東地中海地域の「崩壊」について、それぞれの遺跡で崩壊年代について少なからずそれぞれ議論はあるものの、紀元前13世紀末?〜紀元前12世紀前半もしくは半ば頃にかけて、東地中海地域で多くの都市が破壊されたり放棄されたりしたことは確かなようです。この間、ミュケナイやヒッタイトのような当時の「大国」も崩壊し、エジプトも衰退した、と本書は論じます。古典的学説では、この崩壊をもたらしたのは「海の民」とされていましたが、現在では、地震・旱魃などの天災説や、「海の民」も含む諸集団の侵略や戦術の変化といった人災説など、さまざまな仮説が提示されており、本書はそれらの説を丁寧に取り上げています。

 本書はこうしたさまざまな仮説にたいして、慎重な表現を用いていますが、東地中海地域の「古代グローバル文明の崩壊」を旱魃や「海の民」の襲来など単一の要因に帰するのは間違いだろう、と主張します。本書の見解は妥当だと思いますが、一方で、一般向け書籍における単純明快な説明ではないだけに、不満を抱く読者は少なくないかもしれません。本書は、単一ではなく一連の災厄が複合的に作用して増幅されていき、緊密につながった「国際社会」が崩壊したのではないか、との見解(システム崩壊説)を提示しています。

 しかし本書は、システム崩壊説でも単純すぎるかもしれない、と指摘します。本書は代わりに複雑性理論を提示し、後期青銅器時代末期の東地中海地域の「崩壊」は、一部に変化があるとシステム全体が不安定になる事例として解釈できるかもしれない、と指摘します。ともかく、この「古代グローバル文明の崩壊」過程と要因が、たいへん複雑だった可能性は高く、今後の研究の進展により、さらに説得力のある仮説が提示されるのではないか、と期待されます。

 本書は広範な地域の多様な議論を取り上げてまとめており、著者が博学で整理能力に長けた人である、と了解されます。本書でも言及されていますが、「グローバル化社会」の崩壊の実例として、現代との類似性を見たり、現代への教訓を引き出したりする読者も少なくないでしょう。私も、現代社会の生活・文化水準が、天災・人災などにより大打撃を受けて低下する可能性を、常に懸念しておくべきだとは思います。まあ、天災とはいっても、その備えや事後の救済・復旧活動など人災的側面もあるのは、東日本大震災の事例からも現代日本人には分かりやすいと思います。また、人災とはいっても、戦争やテロや国内弾圧などだけではなく、政策も大きな影響を及ぼし得ることは、現在のベネズエラの事例からも明らかでしょう。

 ただ、本書を読んでも、「古代グローバル文明」の「崩壊」との評価がどこまで妥当なのか、やや疑問も残りました。それは、「崩壊」の前後でどれだけ具体的に変わったのか、本書の解説ではどうもはっきりしないように思えたからです。それは、本書に引用された膨大な参考文献を読んでいくべきなのかもしれませんが、「崩壊」の前後の比較について、もっと分量を割いて具体的に解説すべきだったのではないか、と思います。この点では、ローマ帝国西方の崩壊を論じた見解の方が、ずっと具体的で説得力があったように思います(関連記事)。もっとも、後期青銅器時代よりもローマ帝国の方がずっと史実は解明されているので、仕方のないところではありますが。
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6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直しへの反論

2018/10/13 11:36
 6万年以上前とされたイベリア半島の洞窟壁画の年代の見直しへの反論(Hoffmann et al., 2018C)が公表されました。今年(2018年)2月に、スペインの洞窟壁画の年代が6万年以上前までさかのぼると公表され(Hoffmann論文)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産である可能性が高いということで、大きな話題を呼びました(関連記事)。具体的には、北部となるカンタブリア(Cantabria)州のラパシエガ(La Pasiega)洞窟、ポルトガルとの国境に近く西部となるエストレマドゥーラ(Extremadura)州のマルトラビエソ(Maltravieso)洞窟、南部となるアンダルシア(Andalucía)州のアルダレス(Ardales)洞窟です。

 もっとも、これら3洞窟の壁画が現生人類(Homo sapiens)の所産である可能性も一部で指摘されていましたし(関連記事)、そもそも年代に疑問が呈されていることも当ブログで取り上げました(関連記事)。先月(2018年9月)、これら洞窟壁画の年代で古いものには肯定的証拠がなく、新しい年代は信頼性が高いものの、「芸術的」表現とは言えない、と指摘した批判(Slimak論文)が公表されました(関連記事)。本論文はこの批判への反論となります。以下、本論文の内容を短くまとめました。

 Slimak論文は、Hoffmann論文の見解が正しいとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、と指摘します。じゅうらい、ヨーロッパで最古の洞窟絵画はスペイン北部のカンタブリア州にあるエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟で発見されており、40800年前頃以前と推定されていました(関連記事)。Hoffmann論文はヨーロッパにおける洞窟壁画の年代が65000年前よりもさかのぼると推測したので、そうだとすると、ヨーロッパの洞窟壁画に25000年の空白期間が存在する、というわけです。しかし、それはHoffmann論文を誤解したためで、Hoffmann論文はそうした空白期間(中断)の存在を示唆していません。アルダレス洞窟の壁画のうち、年代の根拠とされた標本の一つであるARD16の45900年前という下限年代と、ARD 08・09・06標本の63700年前という上限年代および32100年前という下限年代は、Slimak論文の云う「空白期間」に該当します。じっさい、Hoffmann論文の65000年以上前の壁画を除外しても、数百点もの壁画と関連する年代値が、空白期間に該当します。またSlimak論文は、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物で覆われた二次生成物の年代の信頼性は高いと指摘しつつも、それが人為的なのか疑問を呈していますが、100年以上の研究で人為的と確定しており、さらには技巧的との認識すらあります。

 Hoffmann論文にたいするSlimak論文の疑問は、(1)年代測定の試料となった炭酸塩は、信頼性の高い年代が得られる「閉鎖系」ではなく、「開放系」だったのではないか、(2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている「非放射性」トリウム230により測定年代がじっさいより古くなってしまう可能性、(3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物による年代補正、という3点となります。本論文は、Slimak論文のこれら3点の疑問を検証しています。

 (1)Slimak論文が指摘するように、Hoffmann論文は系列的な標本抽出方法論を開放系か閉鎖系かの検証に用いました。第二次標本の年代は層序学的に正しく、外側から内側へと顔料に近づくにつれて、年代が古くなります。開放系では、第二次標本の年代学的順序がこのように秩序だっていることはほとんどあり得ません。Hoffmann論文は複数の第二次標本を用いて検証しており、閉鎖系ではなく開放系の炭酸塩を年代測定の試料としたのではないか、との疑念は払拭されます。

 (2)炭酸塩形成中の原料となる水に含まれている、いわゆる非放射性トリウム230の問題に関して、Hoffmann論文では、壁画の年代を測定した3ヶ所の洞窟すべてで、標本のなかに1000年前以降と年代測定されたものもありました。この結果は、水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれ、実際よりも古い年代値が得られた、とする仮説とまったく一致しません。水滴などによりトリウム230が形成中の炭酸塩に多く含まれたとすると、ウラン-トリウム年代法では1000年前以降という新しい年代は得られないからです。

 (3)炭酸塩形成中の原料となる砕屑物汚染の補正を考慮すると、ラパシエガ洞窟の標本(PAS34c)に大きな不確実性があるの確かで、Hoffmann論文でも補足で長く議論されました。Hoffmann論文は、選択した補正要因が、同じく砕屑物補正の影響を受けるウラン234/ウラン238の比率から見ても適切だと示しました。Slimak論文は、ラパシエガ洞窟の他の全標本と一致しない、PAS34cのウラン234/ウラン238比率を利用するよう提案しますが、その効果を説明していません。さらに、PAS34cを除外しても、ラパシエガ洞窟の他の標本であるPAS34aとPAS34bは53000年前という下限年代を示しており、ラパシエガ洞窟の壁画が上部旧石器時代よりも前であることを示唆しています。

 Slimak論文は、Hoffmann論文の結果に由来する年代線に基づき、PAS34の年代がもっと新しい、と論じています。しかし、3点のデータポイントに由来する年代線は妥当ではなく、最低限5点が必要となるでしょう。さらに、これらの皮殻タイプが短期間で形成されるとの推測は、以前の結果からは支持されません。ウラン-トリウム年代法により系列的に年代測定された流華石への仮説的例示からは、Slimak論文の年代線の誤りがどのように生じるのか、示します。Slimak論文の年代線は25000年間の洞窟壁画の空白期間という仮説と一致しませんし、その高い砕屑物補正は大まかに言って、標本が同年代という間違った推測の結果です。Slimak論文の年代線は、より新しい標本の結合に偏向しています。Slimak論文の手法は、PAS34a・b・c標本が同時代だと示せなければ、不適切です。

 炭酸塩標本は、砕屑物のトリウムによりある程度は汚染され、Slimak論文が提案した、トリウム232/ウラン238比もしくはトリウム232/ウラン234比の測定に基づく信頼性の閾値は完全に恣意的です。より重要なのは、適用された補正年代の信頼度です。各遺跡への年代とトリウム232/ウラン234比の間に明確な正の相関性はなく、その年代は砕屑物補正とは比較的関連していません。アルダレス洞窟では、標本ARD5およびARD13bの現実的なウラン238/トリウム232比の値は、依然として59000年前という下限年代を示します。この標本の補正年代がSlimak論文の推測する47000年前以降と示すには、ひじょうに非現実的な砕屑物性のウラン238/トリウム232比が要求されます。Hoffmann論文の砕屑物に関する年代補正は堅牢です。

 マルトラビエソ洞窟の標本は、より高い砕屑物のトリウムにより特徴づけられます。したがってHoffmann論文では、砕屑物構成を直接的に特徴づける余分な努力がなされました。マルトラビエソ洞窟からの堆積物が集められ、標本の砕屑物断片の代用物として分析されました。二次生成物柱もまた標本抽出され、一連の6点の成長層が年代測定され、堆積物に由来する補正を制御します。分析の結果、これらの標本は補正年代に大きく影響を及ぼすには充分ではない、と明らかになりました。Slimak論文は、マルトラビエソの手形は中部旧石器時代になる、というHoffmann論文の見解に疑問を呈しましたが、それは単一の標本に基づいた年代だという不正確な認識に基づくもので、退けられます。マルトラビエソ洞窟の一部の壁画の年代は、63600+9600-8400年前と推測されます。

 現時点での証拠に基づくと、ヨーロッパにおいて洞窟壁画は65000年前以前に始まって、旧石器時代にわたってずっと断続的に描かれた、との想定が最もあり得そうです。Slimak論文は、ヨーロッパ中央部のボフニチアン(Bohunician)とフランス地中海沿岸のネロニアン(Neronian)という二つの複合技術の年代が5万年前頃で、現生人類と関連している可能性を指摘します。Slimak論文は、年代の信頼性が高いと主張する、アルダレス洞窟の47000年前頃以降の赤い堆積物が人為的か疑問を呈していますが、上述したように、人為的である可能性は高いでしょう。しかし、それが人為的だったとしても、47000年前頃にヨーロッパに現生人類が到達していた可能性を指摘することで、ネアンデルタール人は洞窟壁画を描けなかった、と主張する人々にとって、Slimak論文の見解は受け入れやすくなっています。しかし、Hoffmann論文を改めて検証した結果、その推測には根拠がありませんでした。ヨーロッパ最古の現生人類はルーマニアのワセ1(Oase 1)下顎骨で、年代は4万年前頃以降です(関連記事)。一方、直接的に年代測定された5万〜4万年前頃のネアンデルタール人遺骸は、ヨーロッパ中で確認されています。これらの年代的なパターンは、ヨーロッパ最初の洞窟芸術の制作者がネアンデルタール人だと示唆しています。

 以上、ざっと本論文の指摘を見てきました。私は門外漢なので、ただちに的確な結論を下すことはとてもできませんが、乏しい知見で判断すると、本論文の反論の方にずっと説得力があるように思います。現時点では、ヨーロッパにおいて洞窟壁画を初めて描いたのはネアンデルタール人で、現生人類の影響はなかった、と考えるのが節約的だと思います。もちろん、現生人類がアフリカで独自に洞窟壁画を描き始めていたとしても不思議ではなく、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Hoffmann DL. et al.(2018C): Response to Comment on “U-Th dating of carbonate crusts reveals Neandertal origin of Iberian cave art”. Science, 362, 6411, eaau1736.
https://doi.org/10.1126/science.aau1736
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宋代以降の中国人を尊敬しない日本人

2018/10/12 16:49
 日本で尊敬される「中国人」の大半が宋代より前の人物である理由について論じた記事が公表されました。「春秋時代の中国人は生気に満ち溢れ、品格もあったと紹介したほか、漢や唐の時代の中国人は自信に溢れ、余裕と覇気があった」のに対して、「明や清の時代の中国人は鈍感で脆弱、そして創造力も失っていた」とか、春秋時代は「平等や独立が重視された時代」だったのに、「明や清の時代では、政府の役人は名声と利益以外に関心がなく、汚職が蔓延り、平等や独立はもちろん、尊厳や人格といったものも社会からなくなった」とか、率直に言って、大した根拠もない与太話としか思えません。しかし、信頼性の高い調査はないかもしれませんが、現代日本社会で尊敬される「中国人」の大半が宋代より前の人物である可能性は高いと思います。もちろん、王陽明など例外もいるでしょうが。

 この一因は、「元代以降の日本による中国軽視」の原因を分析した記事にたいする雑感で述べたこととかなり重なりますが、遣唐使の「廃止(実際は延期)」以降、「日本」は「中国」の影響を受けず独自の文化を発展させていった、との認識が現代日本社会の一般層では定着しているからでしょう(以下、煩雑になるので「中国」も「日本」も「」で括りません)。この認識が間違っており、唐滅亡以後も日本が中国文化の影響を強く受け続けたことは、河内春人「国風文化と唐物の世界」などで指摘されています(関連記事)。さらに、上記の雑感でも述べましたが、日本では江戸時代において中国文化への傾倒が頂点に達し、この状況が変わるのは、中国文化とは大きく異なる近代ヨーロッパ文化の本格的な受容以降のことでした。

 なお、上記の記事にたいして、「ふざけるな。宋王朝は中華文明の精華やぞ。現代の歴史家に妙に評価が高いモンゴル帝国(元王朝)が偉大なる中華文明を何百年も以前の水準に後退させた。モンゴル帝国の拡大は人類史最大の厄災だったんだよ」との呟きを見かけました。しかし、以前にも述べましたが(関連記事)、大元ウルス治下の中国において出版文化が盛んになり、朱子学が普及していったわけで、モンゴル帝国の拡大が「中華文明を何百年も以前の水準に後退させた」との評価は的外れだと思います。

 もっとも、「明代のはじめ100年あまりは、まったく文化不毛となった。社会の暗黒さと、文化や著述の限りない乏しさは、中国史上で突出している。モンゴル治下における中国社会・経済・文化の繁栄・活発ぶりとは、両極端である。むしろ、中国文化の良さの多くは、明代のはじめ100年いじょうの空白で、いったん断絶したといってもいい。野蛮なモンゴルを追いはらって、中華文明が蘇ったなどというのは、誤解もはなはだしい」との杉山正明氏の評価(関連記事)もまた、行き過ぎかもしれませんが。

 ただ、大元ウルスの中国統治への評価の低さには理由がないわけでもなく、14世紀の中国の混乱は、大元ウルスの統治の失敗と言えるでしょうし、中国統治に関しては、おそらく後のダイチン・グルン(大清帝国)の方が上手く行なっていたのだろう、とは思います。もっとも、これに関しても、14世紀におけるユーラシア規模の気候悪化の影響が大きかったとの見解も提示されており、日本においても、観応の擾乱も含む南北朝時代の争乱が長引いた背景になっていた、との指摘もあります(関連記事)。その意味では、華夷の区別を掲げ、中国社会における南北の経済格差を解消して南北を統合するために、先進的な南を後進的な北に合わせようとして、貿易・貨幣を制限して現物主義を採用し、江南を弾圧した初期明朝の政策(関連記事)も、単にその守旧的・理念的にすぎる傾向に起因する時代錯誤ではなく、ユーラシア規模の気候悪化により混乱した中国社会への対応として評価できるのかもしれません。
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ディプロドクス科恐竜の生活様式

2018/10/12 16:46
 ブロントサウルスなどの首の長い草食恐竜であるディプロドクス科恐竜の生活様式に関する研究(Woodruff et al., 2018)が公表されました。この研究は、これまでに発見されたものの中で最も小さなディプロドクス科恐竜の頭蓋骨(全長約24cm)を調べました。より大きな化石標本と比較すると、幼若体は単に成体を小型化したものではなく、自らの親(成体)よりも祖先に似た身体的特徴を有していた、と明らかになりました。この現象は「反復発生」として知られています。幼若体の身体的特徴は、個体が成長するとともに、成体に見られるような、より進化した(派生した)状態に変化していきました。

 この研究で検証された幼若体の頭蓋骨と歯の独特な特徴は、ディプロドクス科恐竜の生活様式を解明する手掛かりとなります。本論文は、成体の吻部が幅広くて四角いのに対して、幼若体の吻部は細く短いことから、幼若体の食餌には成体の食餌よりも多くの種類の植物物質が含まれていた可能性を示唆しています。また、成体がより開放的な生息地の地面で限られた種類の食物を採餌していたのに対し、幼若体は森林で採餌していた可能性も指摘されています。

 この研究は、こうした知見が、ディプロドクス科恐竜の親が仔の世話をせず、仔は森林で年齢別の群れの中で生活していたとする学説を裏付ける証拠になるかもしれない、と指摘しています。ディプロドクス科恐竜の孵化したての幼体と成体のサイズにきわめて大きな差があることから、親と仔が別れて生活したことで幼体が踏みつぶされないように保護され、また、幼若体の生息地が森林にあったことで捕食者からも守られていた可能性がある、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】ディプロドクス科恐竜のこれまでで最も小さな頭蓋骨から竜脚類恐竜の生活を解明する手掛かりが見つかる

 ディプロドクス科恐竜(ブロントサウルスなどの首の長い草食恐竜)の幼若体は、食餌内容や身体的特徴が成体とは異なっており、親から離れて別の群れで生活していた可能性を示唆する論文が、今週掲載される。

 今回D. Cary Woodruffたちの研究グループは、これまでに発見されたものの中で最も小さなディプロドクス科恐竜の頭蓋骨(全長約24センチメートル)を調べ、未成熟なディプロドクス科恐竜の知られざる側面を明らかにした。より大きな化石標本と比較すると、幼若体は単に成体を小型化したものではなく、自らの親(成体)よりも祖先に似た身体的特徴を有していたことが明らかになった。この現象は「反復発生」として知られる。幼若体の身体的特徴は、個体が成長するとともに、成体に見られるような、より進化した(派生した)状態に変化していった。

 今回の研究で検討された幼若体の頭蓋骨と歯の独特な特徴は、ディプロドクス科恐竜の生活様式を解明する手掛かりとなる。成体の吻部が幅広くて四角いのに対し、幼若体の吻部は細く短いことから、幼若体の食餌には成体の食餌よりも多くの種類の植物物質が含まれていた可能性が示唆される。また、成体がより開放的な生息地の地面で限られた種類の食物を採餌していたのに対し、幼若体は森林で採餌していた可能性があるという。Woodruffたちは、こうした知見が、ディプロドクス科恐竜の親が仔の世話をせず、仔は、森林で年齢別の群れの中で生活していたとする学説を裏付ける証拠となるかもしれないと考えている。ディプロドクス科恐竜の孵化したての幼体と成体のサイズに極めて大きな差があることを考えると、親と仔が別れて生活したことで幼体が踏みつぶされないように保護され、また、幼若体の生息地が森林にあったことで捕食者からも守られていた可能性があるという考えを、Woodruffたちは示している。



参考文献:
Woodruff DC. et al.(2018): The Smallest Diplodocid Skull Reveals Cranial Ontogeny and Growth-Related Dietary Changes in the Largest Dinosaurs. Scientific Reports, 8, 14341.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-32620-x
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鳥に食べられていたネアンデルタール人の子供

2018/10/11 16:51
 鳥に食べられていた痕跡のあるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の子供について報道されました。この研究は今年(2018年)のうちに考古学誌にて公表されるとのことで、現時点では詳細は不明です。ポーランドのキエムナ洞窟で数年前に長さ1cmほどの指の骨2本が発見され、5〜7歳の子供だと推定されているそうです。推定年代は115000年前頃で、ポーランドでは最古の人骨となるそうです(それまでの最古の人骨の推定年代は52000年前頃)。

 指の骨の表面は、多数の穴で覆われており、大きな鳥の消化器官を通過した結果だったと推測されています。子供が鳥に襲われて身体の一部を食べられた可能性も、死後に鳥の餌になった可能性も指摘されています。DNA解析は成功しなかったそうです。長さ1cmほどの指の骨でDNA解析が成功しなかったとなると、推定年代からネアンデルタール人と判断されたのでしょうか。キエムナ洞窟では石器も発見されていますが、ネアンデルタール人の洞窟利用が通年だったのか、季節ごとの短期間だったのか、不明とのことです。

 ネアンデルタール人に限らず人類が他の動物に食べられることは、とくに更新世においてはそう珍しいことではなかっただろう、と思います。たとえば、最近発表されて大きな話題となった、ネアンデルタール人と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の交雑第一世代個体(関連記事)は、ハイエナに食べられた可能性が指摘されています(関連記事)。もちろん、逆にネアンデルタール人が鳥を食べることはありましたし(関連記事)、鳥の爪・骨を装飾品に加工した可能性さえ指摘されています(関連記事)。
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イギリスのバイオバンクの遺伝学的データ

2018/10/11 16:49
 イギリスのバイオバンクの遺伝学的データに関する二つの研究が公表されました。イギリスのバイオバンクは、登録時に40〜69歳だった約50万人のイギリス人の遺伝的データと臨床データの情報資源で、健康と各種疾患の遺伝的基盤の研究に役立っています。参加者は2006〜2010年に集められ、モニタリングは今後も継続されます。バイオバンクに登録された最大のデータセットは遺伝子型と脳スキャンのデータで、これにより脳の構造と機能に影響を及ぼす遺伝子の研究が可能となります。

 一方の研究(Elliott et al., 2018)は、遺伝学的データとMRI脳画像データを解析しました。脳の構造と機能の遺伝的構成については、ほとんど分かっていません。本論文はこれを調べるために、イギリスのバイオバンクの8428人分の発見データセットを用いて、3144の機能的および構造的な脳の画像表現型(構造容量や病変の大きさや脳の白質の結合能と微細構造など)について、ゲノム規模関連研究を行ない、これらの表現型の多くが遺伝性であることを示しています。本論文は、一塩基多型と画像表現型の間に関連性の見られるクラスターを148個特定し、とくに顕著で説明可能な関連性としては以下のようなものが含まれていました。鉄の輸送と貯蔵の遺伝子は皮質下の脳組織の磁化率(アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患に関係します)に、細胞外マトリックスや上皮増殖因子の遺伝子は白質の微細構造や病変に、正中線の軸索発生を調節する遺伝子は脳橋の交差路の組織化に、全部で17個の遺伝子が発生・経路シグナル伝達および可塑性に関連していました。これらの知見は、神経および精神疾患(鬱病・多発性硬化症・脳卒中など)・脳の発生・加齢と関連する脳の遺伝的構成についての手掛かりを示しています。

 もう一方の研究(Bycroft et al., 2018)は、バイオバンクに登録された約50万人全員分のデータ(生物学的測定結果・生活様式の指標・画像データなど)を説明しています。イギリスのバイオバンクの遺伝学的データは、その規模と範囲において類を見ないものです。各参加者について、ひじょうに多様な表現型や健康関連の情報が利用可能で、その中には生物学的測定値・生活様式の指標・血中や尿中のバイオマーカー・体や脳の画像などの情報が含まれています。追跡情報は、健康記録と医療記録を結びつけることにより提供されます。全参加者からゲノム規模の遺伝子型データが集められており、新しい遺伝的関連や複合形質の遺伝的基盤を発見するための多くの機会を提供しています。本論文は、遺伝子型の品質・集団構造や遺伝的データの近縁性の特性・効率的なフェージングや遺伝子型のインピューテーション(これにより調べられる多様体の数が約9600万まで増加しました)などの遺伝的データの集中解析について報告しています。11のヒト白血球抗原遺伝子の古典的対立遺伝子変動について欠測値補完が行なわれた結果、ヒト白血球抗原対立遺伝子と多くの疾患との間の関連が知られているシグナルを回復できました。

 以上二つの研究は、人類進化の観点からも大いに注目されます。今後は、より広範な地域を対象に同様の研究が進展することを期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【遺伝学】英国バイオバンクからの見返りは数々の遺伝学的知見

 英国バイオバンクの遺伝学的データを中心に据えた2編の論文が、今週掲載される。これらの論文には、約50万人分のゲノム規模の遺伝学的データ、臨床測定結果、保健記録を含む全データセットに関する説明があり、脳の遺伝的構造に関する知見が示されている。

 英国バイオバンクは、登録時に40〜69歳だった約50万人の英国人の遺伝的データと臨床データの情報資源であり、健康と各種疾患の遺伝的基盤の研究に役立っている。参加者は2006〜2010年に集められ、モニタリングは今後も継続される。バイオバンクに登録された最大のデータセットは、遺伝子型と脳スキャンのデータで、これによって脳の構造と機能に影響を及ぼす遺伝子の研究ができる。

 今回、Jonathan Marchiniたちの研究グループは、バイオバンクに登録された8428人の遺伝学的データとMRI脳画像データの解析を行い、遺伝的バリアントとMRIスキャンで同定された特徴(構造容量、病変の大きさ、脳の白質の結合能と微細構造など)の関連を調べた。その結果、鉄分の輸送と貯蔵に関与する遺伝子が、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患に関係することがあるなど、さまざまな遺伝的関連が特定された。また、Marchiniたちは、シナプス可塑性と神経繊維の修復に関係すると考えられているタンパク質をコードする遺伝子や、うつ病、多発性硬化症および脳卒中に関与する遺伝子との関連を明らかにした。MRIスキャンにおいて同定された形質の多くには、遺伝性が認められた。この新知見は、脳の発生過程と老化過程だけでなく、さまざまな精神・神経疾患の生物学的基盤に関する我々の理解を深めるものとなっている。

 Marchiniたちのもう1編の論文では、バイオバンクに登録された約50万人全員分のデータ(生物学的測定結果、生活様式の指標、画像データなど)の説明が初めて示されている。この情報資源は、関係者以外の研究者にも公開されている。

 また、上記論文に関連したNews & Viewsでは、Nancy Cox が「英国バイオバンクには、ゲノムのバリエーションとヒトのありふれた病気との関係性の発見を助け、こうした関連の根底にある機構に関する我々の理解を進めることが期待できる」との見解を示している。


ヒトゲノミクス:高深度表現型解析とゲノムデータを含んだ英国バイオバンク情報源

ヒトゲノミクス:英国バイオバンクの脳画像表現型のゲノム規模関連研究

Cover Story:英国バイオバンク:英国の50万人の人々から得られた遺伝学的データと健康データ

 英国バイオバンクは、前向きコホート研究で、これまでに英国全域の40〜69歳の約50万人の人々から遺伝学的データと表現型データが集められている。参加者たちは、健康測定を受け、血液、尿、唾液の試料の他、自身の詳細な情報を提供するとともに、その後の健康追跡に同意している。J MarchiniとP Donnellyたちは今回、高分解能の遺伝学的データと遺伝学的関連研究におけるその使用の実証結果を含む、全コホートのデータセットを報告している。S SmithとJ Marchiniたちは別の論文で英国バイオバンク参加者の最初の8428人の脳画像、そして3144の機能的および構造的な脳画像の表現型についてのゲノム規模関連研究の結果を報告している。彼らは、形質の多くが遺伝性であることを見いだすとともに、こうした構造的・機能的測定の結果に関連する多くの領域を明らかにした。英国バイオバンクのデータセットと研究結果は全て、オープンアクセスリソースとして利用できる。



参考文献:
Bycroft C. et al.(2018): The UK Biobank resource with deep phenotyping and genomic data. Nature, 562, 7726, 203–209.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0579-z

Elliott LT. et al.(2018): Genome-wide association studies of brain imaging phenotypes in UK Biobank. Nature, 562, 7726, 210–216.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0571-7
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アフリカ東部の気候変動と現生人類の進化

2018/10/10 16:29
 アフリカ東部の気候変動と現生人類(Homo sapiens)の進化との関連についての研究(Owen et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。人類進化と気候変動とを関連づける仮説は多くあります。気候変動の証拠となるのは、陸上や湖や海洋のコア、花粉記録などです。しかし本論文は、そうした気候記録の多くは継続性がなく、その根拠となったコアなどが採取された地域と、人類遺骸や石器など人類の痕跡が発見されている地域との間の大きな地理的隔たりがあるので、気候変動と人類進化との相関性の証明は困難だと指摘します。

 本論文が気候変動の根拠としたのはケニアのマガディ湖(Lake Magadi)の堆積物で、575000年前頃以降の長期の乾燥化傾向と、それが湿潤-乾燥周期によりたびたび中断されたことを明らかにしました。本論文が強調しているのは、マガディ湖は人類の痕跡が多数発見されているオロルゲサイリー盆地(Olorgesailie Basin)に近い、ということです。そのため、マガディ湖の気候変動とオロルゲサイリー盆地の人類進化との相関性の検証に相応しい、というわけです。

 オロルゲサイリー盆地では、50万年前頃と32万年前頃とで石器技術に大きな違いがある(この間の層は浸食により失われているので、詳細は不明です)、と指摘されています(関連記事)。前期石器時代から中期石器時代への変化です。マガディ湖からの古気候記録が示すのは、この地域の激しい乾燥化は525000〜40万年前の間に起き、35万年前頃以降は、現在へと続く比較的持続した乾燥気候となります。周辺地域では、50万〜40万年前頃に多くの哺乳類が絶滅しており(オロルゲサイリー盆地では80%以上)、激しい気候変動の前後で石器技術に大きな変化が見られることから、本論文はアフリカ東部における気候変動と人類進化との相関性を指摘しています。

 より具体的には、激しい乾燥化というか、気候変動の予測困難性が、それへの適応のためにより大きな脳の進化を促し、新技術の石器の製作や、じゅうらいは見られなかった長距離輸送・交易といった新たな行動をもたらしたのではないか、という見通しを本論文は提示しています。つまり、予測困難な激しい気候変動が、アフリカにおいて現生人類の出現を促進したのではないか、というわけです。じっさい、30万年前頃には、アフリカ北部において現生人類的な人類遺骸が発見されています(関連記事)。もちろん、気候変動は人類進化に大きな影響を及ぼしているでしょうが、人口密度や接触機会の増加なども、人類進化の選択圧になり得たでしょう。今後は、より広範な地域での古気候の復元と人類進化との相関性の検証の進展が期待されます。


参考文献:
Owen RB. et al.(2018): Progressive aridification in East Africa over the last half million years and implications for human evolution. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1801357115
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