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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』31話〜34話

2019/02/18 03:44
31話「お母さんと呼んで」6
 マカロニは街で偶然、背後を気にしながら歩く若い女性を見かけ、気になって後を追いますが、その女性を見失います。ところが、その若い女性がボスを訪ねてきます。女性はボスと知り合いでした。女性は、義理の娘が誘拐されたとボスに相談します。本作ではたびたび、「甘ったれ」の若者が描かれますが、初期にはとくに多いように思います。今回も「甘ったれ」の若者が起こした狂言誘拐で、直接の血のつながりのない母親と娘との不和が背景となっています。話は全体として悪くなかったのですが、人物像が描かれていたとはいえ、娘の登場が終盤のみだったのはやや残念でした。誘拐された娘を演じたのは青木英美氏で、後に一係初代の事務員となります。犯人役として出演して後にレギュラーになったという点では、トシさんと同じですが、トシさんの場合は10年ほど間隔が空いていたのにたいして、久美ちゃんは半年も経過していませんでしたから、違和感を覚えた視聴者もいたかもしれません。


32話「ボスを殺しに来た女」9
 ボスは訪ねてきた若い女性に命を狙われますが、その女性の真の標的はボスの前任の係長だった石田でした。女性は逃亡しようとして重傷を負います。この女性を密かに慕う男性も絡んできて、話はかなり面白くなっています。女性の真の標的である出世第一の冷酷な管理職を演じたのは佐藤慶氏で、さすがに存在感があります。マカロニが石田に反発していくところは、視聴者も共感しやすいでしょうから、上手く話が構成されていると思います。マカロニが自分の感情を抑えて石田を助けるために犯人を射殺するという苦い結末も、大人向けの話として感じ入るところがありました。今回の脚本は鎌田敏夫氏で、これが本作での初脚本となりますが、本作の鎌田氏作品は、さすがに全体的に水準が高いと思います。


33話「刑事の指に小鳥が・・・」9
 漫画家の妻が、行き詰ってアル中になり、妻に暴力を振るうようになって、妻は自分に好意を持つ男性とともに夫を殺害します。妻は妊娠しており、夫からは堕胎するよう言われていました。また、夫が死ねばローンを組んでいた家は妻のものとなる手筈でした。妻は、自分の家と子供のために夫を殺そうとしたのでした。妻は夫を殺した直後に、共犯者の男性も殺害します。すでに冒頭で漫画家の男性は殺されており、回想場面で描かれます。漫画家の男性を演じたのは柳生博氏で、情けない役を演じると本当に上手いと思います。ともに漫画家を殺した男性は、かつて漫画家の妻につきまとっていたため殿下が対応しており、殿下は漫画家夫妻と面識がありました。ストーカーという言葉は当時まだ日本では使われていなかったでしょうが、昔から存在していたわけです。殿下は女性に肩入れしており、マカロニが女性を疑っても激昂するくらいでしたが、漫画家の男性の死体が発見され、女性を参考人として迎えに行き、殺されそうになります。初視聴時にこの時の選曲はどうも合わないと思ったのですが、再視聴でもその印象は変わりませんでした。漫画家の妻を演じたのは吉行和子氏で、狂気を秘めた妖しい役によく合っていたと思います。犯人は最初から明かされていましたが、吉行氏の好演もあって、なかなか楽しめました。当時はまだ殿下もマカロニやゴリさんとともに若手組の一人といった感じで、今回は若手刑事の悲恋ものという、本作の定番の一つとも言えそうです。なお、冒頭で殿下の妹が登場しますが、演じたのは後に登場した時とは異なり、中田喜子氏ではありませんでした。


34話「想い出だけが残った」8
 犯罪者たちと付き合いがある人物の中に、ボスのかつての恋人がいました。その女性は、今ではボスの同窓生の妻になっていました。その同窓生は、ボスに妻のことを相談しようとしますが、殺人事件で呼び出しのかかったボスは話を途中で切り上げます。ボスのかつての恋人は宝石密輸に関わっており、次に命を狙われる立場だと判明します。ボスはかつての恋人を救おうとしますが、かつての恋人は自殺を選択し、ボスの腕の中で亡くなります。今回はボスの過去が描かれ、厳しさと孤高というボスのキャラをはっきりとさせたという意味で、重要だったと思います。刑事に妻子は不要と考えたボスは、結婚も考えていた恋人との別れを選択しました。しかも、今回ボスは目の前で元恋人を死なせてしまったわけで、この後ボスが独身を貫いたことも納得する話になっていました。何とも悲しい結末でしたが、ボスがゴリさんをはじめとして部下の結婚に熱心だったことも、今回の話により説得的になったと言えそうです。
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ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造

2019/02/17 15:59
 ユーラシア東部の現生人類(Homo sapiens)集団の起源に関する研究(Matsumura et al., 2019)が公表されました。現生人類(解剖学的現代人)のユーラシア東部への拡散は65000〜50000年前よりもさかのぼる可能性があり、本論文もその見解を基本的には支持していますが、提示されている複数の証拠については、それぞれ疑問も呈されています(関連記事)。本論文は、ユーラシア東部への現生人類拡散の様相を、ユーラシア東部およびオセアニアの合計89集団からの現生人類の頭蓋計測データに基づき頭蓋データから検証しています。対象となったのは、現代人および後期更新世〜1700年前頃の古代人で、後期更新世の現生人類頭蓋は、47000〜16000年前頃のものです。

 本論文はその結果、オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。北方系には寒冷適応の可能性も指摘されています。現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、これを「第1層」と呼んでいます。中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。これら中国南部の14000〜5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、と推測されています。中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。

 アジア南東部において4500〜4000年前頃に顕著な文化的変化が生じた、とされてきました。この見解は、本論文の頭蓋データで改めて補強されます。国南部の5000〜4000年前の新石器時代集団と、アジア南東部の4000年前頃以降の集団と、もっと後のオセアニア(オーストラリア先住民系はパプア系を除いた、ポリネシア系など)集団は、北方系たる「第2層」との類似性が見られます。中国南部の農耕民集団がアジア東南部へと拡散し、やがてはアジア南東部の本土と島嶼部を経て、ついにはポリネシアまで拡散した、という有力説と整合的と言えるでしょう。ただ、アジア南東部の状況は複雑だったようで、「第2層」の拡散が遅れたことと、頭蓋形態に関しては地域差があり、それは「第1層」と「第2層」の混合比率の違いを反映している可能性がある、と指摘されています。日本列島の「弥生人」も「第2層」である北方系に分類されていますが、分析対象となったのは、土井ヶ浜(Doigahama)遺跡など「渡来系」とされる遺跡の頭蓋なので、「縄文系」要素が強いとされる弥生時代の人類遺骸も対象とすれば、また評価も変わってくるでしょう。また、この北方系はアメリカ大陸先住民との類似性も指摘されています。

 本論文は、広範な地域における「第2層」集団の強い類似性から、気候・食性などに起因する収斂ではなく、共通の遺伝的基盤がある、と推測します。つまり、「第1層」と「第2層」は遺伝的に明確に区分でき、早い時期に分岐したのではないか、というわけです。本論文はこれに関して、二つの仮説を提示しています。一方は、「第1層」集団が南方からシベリアへと拡散して寒冷地に適応して「第2層」が形成された、というものです。もう一方は、「第2層」の起源はアジア西部またはヨーロッパにあり、ユーラシア北部を東進してきた、というものです。本論文は、現時点では人類遺骸の少なさのためにアジア北東部の古代人の形態が不明確なので、どちらの仮説が有効なのか、解決できない、と慎重な姿勢を示しています。

 ただ本論文は、さまざまな証拠を考慮に入れて、北方系の「第1層」と南方系の「第2層」は早期に分岐し、前者はヒマラヤ山脈の北を、後者は南を東進してきた可能性が高い、と推測しています。北方経路はあまり明確ではありませんが、「第2層」は45000年前頃にユーラシア西部からシベリアを経由してユーラシア東部へと移住してきて、その考古学的指標は細石刃伝統ではないか、と本論文は想定しています。つまり単純化すると、(中国北部以南の)ユーラシア東部においては、元々は南方系の「第1層」が拡散しており、農耕開始とともに北方系の「第2層」が南下していき、ついにはポリネシアにまで拡散した、というわけです。日本列島も、このユーラシア東部の大きな流れの中に位置づけられます。同じく頭蓋計測データに基づいた研究では、現生人類の出アフリカは複数回で、ユーラシア東部へは、オーストラリア先住民系が最初に拡散した後、ユーラシア東部の多くの現代人の祖先集団が拡散してきた、と推測されており(関連記事)、本論文の見解と大きくは矛盾しないと思います。

 本論文は、これらの見解が遺伝学的研究とも整合的である、と指摘します。アジア南東部に関しては、狩猟採集民集団を基層に、中国南部から、まず農耕をもたらした集団が、次に青銅器文化をもたらした集団が南下してきた、と遺伝学的研究では推測されています(関連記事)。これは、アジア南東部では、南方系を基層に北方系が南下してきて現代人が成立した、とする本論文の大まかな見通しとおおむね整合的です。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア南東部の状況は複雑で、後期更新世の中国北部以南のユーラシア東部の現生人類集団は、「第2層」集団による「第1層」集団の置換とはいっても融合が多く、その比率は各地で異なっていたのでしょう。遺伝学的研究では、本論文が南方系の「第1層」とするホアビン文化(Hòabìnhian)集団と、北方系の「第2層」とする中国南部から南下してきた農耕集団との混合比率はほぼ半々だった、と推測されています(関連記事)。本論文でも、アジア南東部本土のオーストロアジア語族集団と、オセアニアにまで拡散したオーストロネシア語族集団は、それぞれ北方系と南方系の中間に位置づけられています。

 私は日本人なので、日本列島における人類集団の形成過程も気になります。本論文は、「縄文人」を「第1層」の南方系、「弥生人」を「第2層」の北方系と位置づけており、有力説である「二重構造モデル」と整合的です。「二重構造モデル」とは、更新世にアジア南東部方面から日本列島に移住してきた人々が「縄文人」となり、弥生時代にアジア北東部起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。ただ、「縄文人」に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)でもゲノム解析(関連記事)でも北方系と南方系との混合が指摘されており、単純に南方系とは言えないでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部の現生人類集団の形成過程をより詳しく解明するには、やはり古代DNA研究の進展が必要で、この分野の進展は目覚ましいだけに、今後の研究成果が大いに期待されます。


参考文献:
Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z
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マリファナ革命

2019/02/17 15:55
 歴史上、有力政治家ではない個人の行動が歴史を動かす契機になったことは珍しくなく、最近(とはもう言えなくなったかもしれませんが)では、「ジャスミン革命」の発端になった焼身自殺がよく知られているように思います。この他にも、アメリカ合衆国における人種差別問題でのバス・ボイコット事件が有名だと思います。もちろん、そうした事例の多くでは、すでに社会に広範な不満が蓄積されていたからこそ、個人の行動が大きな意味を有したのだと思います。解釈が妥当なのか分かりませんが、プロ野球の過去の事例に関して興味深い見解が20年ほど前に掲載されており、強く印象に残っているので、以下に引用します。


監督 東尾修

 通称トンビ。石毛・秋山・清原・デストラーデ・辻・佐々木・奈良原・久信・工藤・郭・石井・鹿取ら森の息のかかった常勝西武ナインを片っ端から粛正、猛スピードで和歌山県民軍団に変えていきながらなおかつ連覇を果たすという奇跡を起こした稀代の名将。その結果観客動員数が激減したが、そのぶんを松坂で補填して堤オーナーまで喜ばせてしまうのだから恐ろしい。兄貴、凄いっすよ!
 戦術としては、「垣内以外の一発は期待しない」という一見手堅いようで実は日本一ギャンブラーな戦い方をモットーとし、「ホームランは当たればでかいが抽選日を待つのがうざいドリームジャンボ。俺は一発コスって即換金できるインスタントなスチールでシコシコ稼ぐぜ!」と何がなんでも走ってくるという極度のギャンブル中毒患者の様相を呈している。
 また、いくら優勝しても手持ちのカードを取り替えたがるという病気の持ち主でもあり、取り替えるたびにカードの数字が悪くなっていくのだが、「東尾ギャンブル理論」に基づいて勝ち星が転がり込んでくるとう寸法だ。
 まあ、なんだかんだ言っても、清原が消えてくれてチームが「おのれ番長!」と一丸になったことが連覇の最大の要因でしょう。
 しかし今年は松坂を巡って依怙贔屓させたら日本一の堤オーナーと選手たちとの板挟みとなって、中間管理職の悲哀を感じさせられるシーズンであることは必定。最悪、連覇しても解雇というオチも考えられる。そうなったら西口ら和歌山組が一斉蜂起して「兄貴の復讐じゃいーっ!」と堤を急襲、西武が崩壊することは間違いない。

 なお、あまり本筋とは関係ないが、かつては外国人選手がタイトルを取りそうになると、全球団が結託してよってたかって邪魔をしくさっていたものである。しかし、いつのまにか、バースやブーマーなどの超一級ガイジンは別格として、ランスだのシーツだのといった海のものとも山のものともつかんポッと出の一発屋ガイジンまでが平然とタイトルをかっさらうようになった。
 いったいいつから、何故・・・とあれこれ考えてみたところ、こういう考えに到達した。多分、デービスが東尾ボールを投げた東尾をブン殴ってノックアウトしたあの瞬間から、日本球界はションベンちびって改心し、タイトルを取られそうになると敬遠責めにしてノイローゼに追い込んだりビーンボールでアゴを骨折させて始末するなどの不当なガイジン差別をやめたのではあるまいか。デービス自身はタイトルにありつけなかったものの、やっぱり乱闘は起こしてみるものである。私は、ポッと出外国人選手のタイトル獲得への道を開いたあのデービスの正義の一撃を、マリファナ革命と名付けてデービスの偉業を永遠にたたえたい!
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ジブラルタルの末期ネアンデルタール人の足跡

2019/02/17 09:55
 ジブラルタルの末期ネアンデルタール人の足跡に関する研究(Muñiz et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、ジブラルタルの沿岸にある砂丘斜面の後期更新世の動物の痕跡を報告しています。第4層や第5層では、アカシカ・アイベックス(野生ヤギ)・オーロックス(家畜ウシの原種である野生ウシ)・ヒョウ・ゾウの足跡が発見されており、これらは後期更新世にジブラルタルで発見された化石と対応しています。何よりも注目されるのは、人類の足跡も発見されていることです。第5層の年代は、光刺激ルミネッセンス法(OSL)により28450±3010年前と推定されており、海洋酸素同位体ステージ(MIS)2の初期となります。

 足跡を残したこの人類の推定身長は106.4〜126.2cmでは、現生人類(Homo sapiens)もしくはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の可能性が高そうですが、両者の足跡の違いについてはほとんど分かっていません。これまで唯一確認されているネアンデルタール人の足跡は、ルーマニアのヴァートップ洞窟(Vârtop Cave)のもので、年代は62000年前頃と推定されています。ただ、形態的にネアンデルタール人と確証されたわけではなく、年代と地理からネアンデルタール人のものと推定されているにすぎません。本論文は、ネアンデルタール人および現生人類の形態学的情報と照合し、ジブラルタルの砂丘に足跡を残した人類が現生人類である可能性を否定できないものの、ネアンデルタール人である可能性が高い、と指摘しています。

 もし本論文の見解が妥当だとすると、たいへん重要な発見となります。ネアンデルタール人の絶滅に関しては最近まとめましたが(関連記事)、ネアンデルタール人はヨーロッパでおおむね4万年前頃までに絶滅したと推測されています(関連記事)。しかし、イベリア半島南部では4万年前頃以降もネアンデルタール人が存在していた、との見解も提示されています(関連記事)。とくにジブラルタルでは、3万年前頃以降にネアンデルタール人が存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。

 ジブラルタルの事例も含めて、イベリア半島における4万年前頃以降のネアンデルタール人の存在の可能性を否定する傾向は根強く(関連記事)、最近も、現生人類はイベリア半島南部に4万年以上前に拡散しており、4万年前頃までにイベリア半島のネアンデルタール人が絶滅していた可能性を示唆する見解も提示されています(関連記事)。本論文の見解が妥当だとすると、ネアンデルタール人が現生人類とイベリア半島南部において1万年以上共存していた可能性も想定されるわけで、その意味で本論文は大いに注目されます。今後は、年代およびネアンデルタール人の足跡との推定が妥当なのか、検証が進むことを期待しています。


参考文献:
Muñiz F. et al.(2019): Following the last Neanderthals: Mammal tracks in Late Pleistocene coastal dunes of Gibraltar (S Iberian Peninsula). Quaternary Science Reviews.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2019.01.013
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大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第7回「おかしな二人」

2019/02/17 09:49
 嘉納治五郎は、三島弥彦にオリンピック出場を要請しますが、三島は断ります。しかし嘉納は、三島の負けず嫌いな性格を利用して挑発し、三島はオリンピック出場を決意します。一方、金栗四三は嘉納に説得されてオリンピックに出場する気になっており、実家に支援を願い出ていましたが、返事が来ないため、途方に暮れていました。しかし、ついに実家から手紙が届き、実家が渡航・滞在費用を負担することになり、四三はオリンピックに出場できる、と喜びます。ところが、四三の兄の実次は金作の目途が立っていないのに、四三に安請け合いしてしまったのでした。実次は金作に、四三は三島家で西洋式マナーの習得に苦労します。しかし、実次は何とか金を用立てることに成功します。

 今回は、1960年の東京の古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の場面がほとんど描かれず、対照的な四三と三島が中心となって物語がすっきりしていました。格差は普遍的な問題ですから、ドラマとして王道的であり、適度に喜劇調でもあったのでなかなか楽しめました。これまでのところ、近代前期の若者の上京物語として面白くなっていると思うのですが、視聴率は低迷しており、やはり異なる時代と状況が混在しており、場面転換の頻度が高いことに問題はありそうです。私はさほど困惑せずに視聴を続けられていますが、面倒と思う視聴者は少なくないのでしょう。
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日本の人類学には日本人の優秀性を証明しようという差別的な動機があった

2019/02/16 09:49
 表題の発言が流れてきましたが、全文を引用すると、

前にも指摘したが、日本の人類学(日本人起源論)には、周辺アジアの中での「日本人」(ヤマト族)の特異性、言わば優秀性を証明しようという差別的な動機があったののではないか。このことは発言者のお一人も述べられていたが、今は骨の計測値からDNAへと変わっているが、動機は変わっていないと思う

となります。「日本人」起源論に限らず、第二次世界大戦前、あるいは20世紀第3四半期の頃まで、本気で特定の民族や「人種」の優秀性もしくは劣等性を証明しようとした研究者は少なくなかったように思います。もちろん、研究者の動機を決定的に証明するのは困難なのですが、「人種」や民族の優劣が自明のものとされていた時代に、その根拠を人類学も含めて複数の学問分野の研究者たちが解明しようとしたのは、「自然な」こととも言えるでしょう。

 問題は、そうした傾向が現代において克服されているのか、ということです。現代では、各地域集団や民族集団の違いというか特異性とその形成過程を詳細に解明する傾向が強くなっています。これは、DNA解析技術の飛躍的な発展により可能となりました。その意味で、もちろん個々の研究者の動機を決定的に明らかにすることはできないとはいえ、「日本人(ヤマト族)」の特異性を証明しようという動機が多くの研究者にあると考えても不思議ではないでしょう。また今では、「日本人(ヤマト族)」内部の地域差の形成過程にも関心が寄せられ、研究が進められているくらいです。しかし、特異性の証明を「優秀性を証明しようという差別的な動機があった」と評価してしまえば、ほとんどの現代の研究者にたいする明白な誹謗中傷だと思います。あくまでも私の個人的な印象ですが、基本的に現代のほとんどの人類学者の思想的傾向は「リベラル」で、特定の民族や地域集団が他集団よりも優秀あるいは劣等と本気で証明するために研究している人はほとんどいないと思います。

 ただ、20世紀末の中国では、中国における人類集団の100万年以上にわたる長期の連続性を証明する、という明確な動機のもとに遺伝学的研究が進められた事例もあり、これは懸念されても不思議ではなく、じっさい、遺伝学に限らず中国の人類史関連の研究にたいしては、「中国政府は考古学を利用して、単一民族国家主義を強調し、『中国人』としての国民の意識を高めようとしている」との批判もあります(関連記事)。しかし、そうした動機で始められた、上海の復旦大学の遺伝学研究所が中心となった研究でも、当初の動機とは異なる、現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説を強く支持する結論が提示されており、中国の少なくとも遺伝学の研究者たちの大半?は、偏狭な民族意識に囚われているわけではないことが窺えます。現生人類の起源をめぐる議論は、中国の「核心的利益」に抵触することが少ないため、中国人研究者も(おそらく一般国民も)わりと自由に発言できるのでしょう。

 では、現代の人類学には差別的な動機はない、と言って問題解決なのかというと、そのような単純な話ではありません。現代の人類学におけるDNA研究の「帝国主義的性格」は、以前より指摘されていました。今や古代DNA研究の大御所の一人となった、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)の著者であるライク(David Reich)氏も、最近ニューヨークタイムズ紙で批判されました。この批判記事を知ってから1ヶ月ほど経過し、論評やライク氏の反論も含めて取り上げようとは考えているのですが、批判記事が長大で重要な論点を含んでいるので、怠惰で不見識な私としては取り上げるだけの気力がなかなか湧きません。

 主観としては差別的な動機がなくとも、結果として差別的な構造に加担してしまう、という事例は珍しくないと言えるでしょう。現代の人類学におけるDNA研究もそうした陥穽に陥っているのではないか、との指摘自体は重要だと思います。じつのところ現代日本においても、そうした問題が解決済とはとても言えません。おそらく世界でも、そうした問題はありふれているでしょう。人類遺骸ではなく遺物でも、かつての帝国主義諸国の博物館と遺物が発見された国々との間の返還をめぐる問題も珍しくありません。おそらく現代の人類学者のほとんどには、単純に帝国主義の時代的な意味合いでの差別主義的動機は存在しないでしょうが、だからといって構造的な差別に加担していないとは直ちに断定できないところが、現代的な難しさではあると思います。

 ただ私は、地域集団や民族集団間や性別に実質的な遺伝学的差異はない、というような「リベラル的な」見解には反対で、それを「政治的正しさ」から無視し続ければ、やがて大きな問題を招来するのではないか、と懸念しています(関連記事)。このように考えてしまうところが、私の「ネトウヨ」たる所以なのでしょう。まあ現時点では、私の知名度は限りなく皆無に近いので、「ネトウヨ」と罵倒されたことはありません。Twitterのアカウント凍結の可能性はありますが、情報収集の点で不便になるかもしれないとはいえ、対処策もあるので、本当に困ることもないでしょう。
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三谷博『維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ』

2019/02/16 09:46
 NHKBOOKSの一冊として、2017年12月にNHK出版から刊行されました。本書は西南内乱の頃までの維新史を概観しています。本書は近代化の進展する世界の中に日本を位置づけ、さらには日本も含めて近代世界の前提となる近世の世界も解説しており、単なる幕末史ではなく、近世史の復習にもなります。本書は、400ページ超という分量の多さもありますが、情報量の多い一冊になっており、とても一読しただけでは本書を的確にまとめられません。もちろん、これは私自身の近世・近代史理解の乏しさが原因でもあり、他の維新史関連の本も改めて再読したうえで、今後必ず本書を再読しなければならないでしょう。

 本書は基本的に、政治的課題という観点からの政治史となっています。目まぐるしく情勢の変転した幕末維新において、政治的課題はどのように変遷していったのか、またそれらの政治的課題にたいして、さまざまな政治勢力は何を優先し、また否定したのか、という観点からの政治史です。たとえば、ペリー来航前には、対外方針という観点から、公儀(江戸幕府)の諸勢力の方針がまとめられています。1863年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の8月18日の政変以降は、政権分与・長州処分・横浜鎖港が政治的課題となります。情勢の変転により政治的課題と諸勢力の提携関係も変容し、そこが維新史の複雑さになっているとは思いますが、本書の解説は丁寧で、理解しやすいと思います。

 本書は維新史において「公議」・「公論」という語を重視しており、その前提としてペリー来航前の近世社会の知的ネットワークの充実を指摘します。また本書は、「公議」・「公論」が前提とされたことから、幕府倒壊直前の諸勢力の政治的主導権争いにおいて、武力行使を想定しつつも多数派工作の方が重視され、その政治的経験が、大規模な変革だった維新における死者の少なさを可能にした、との見通しを提示しています。一方で本書は、幕末維新の諸勢力の中に、対外・対内戦争を通じて改革を実行しようと考えた者が少なくなかったことと、そうした動向の最後が西南内乱だったことを指摘しています。

 本書の興味深い見解としては、幕末の政治的大混乱はペリー来航ではなく1858年の政変(大老である井伊直弼による反対勢力の弾圧)に始まる、との指摘があります。これにより、近世の政治体制が大崩壊を始めた、との見通しを本書は提示しています。また、19世紀後半以降、「アジア」もしくは「東アジア」という新たな地域が創出された、との見解も興味深いものです。とにかく多岐にわたる論点を提示し、深く考えさせられる一冊になっているので、私にとって長く、本書は維新史の教科書となるでしょう。
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難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まり

2019/02/15 18:17
 天皇には「キリスト生誕年を起点にしてる西暦より長い2679年の歴史」があり、天皇は「世界で現存する唯一の皇帝」で「ローマ法王やエリザベス女王より格上の位」との発言(記事を公開しようとしたら削除されていました)にたいして、「ただのファンタジー」との揶揄があり、それにたいして、

1500年前に漢字が入ってくるよりさらに1100年前に「神武」という名前の「天皇」がいたんですね。不思議ですね。
まあ、実際は難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まりなんですけど。


との返信がありました。確かに、元の発言には問題があり、仮に自分のネットでの発言を多数の人々にある程度詳しく知られたならば、一定以上の人々からは「ネトウヨ」と認定されるだろう、と自覚している私でさえ(現時点では知名度が限りなく皆無に近いので、「ネトウヨ」と罵倒されることもないわけですが)、同意できないところが少なくありません。まず、現代というか近代以降の日本社会において、ヨーロッパの一部の君主(ロシアのロマノフ家やオーストリアのハプスブルク家など)を「皇帝」と表記し、漢字文化圏の伝統的な皇帝と同質とみなす観念が定着しているように思いますが、まずここが問われるべきでしょう。次に、天皇が「ローマ法王やエリザベス女王より格上の位」との観念は、現代日本社会において一部?の人々の間で常識とされているようですが、現在の各国の君主は基本的に同格で、「序列」は在位年で判断されているものだと思います。「王」が「皇帝」より格下という観念は、漢字文化圏の前近代的観念を(歪に?)継承したところが多分にあり、現代では破棄すべきと私は考えています。現代日本社会にとって、もはや保守すべきものは「西洋近代」ではないか、というのが最近の私の見解です。

 ただ、難波の倭王を百済の王が承認したのが「天皇」の始まり、との見解も、意味をよく理解できず、困惑します。天皇とは本来「もう一つの中華世界の皇帝(天子)」に他ならず、遅くとも推古朝以降の「(中華世界的)普遍性」を追求した長い歴史の中に位置づけるべきで、百済王の「承認」により始まると解釈できる問題ではない、と思います(関連記事)。また、日本(倭)と百済との関係については、百済の承認により倭の側の言動・観念が変容するといった百済上位の関係を想定するのは難しく、そもそも両者の密接な関係が現代日本社会の一部?では過大評価されており、それが歴史認識を歪めているのではないか、との疑問も残ります(関連記事)。
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先人たちの無能さをあざ笑う

2019/02/15 17:18
 先行研究を読まずにひたすら史料を読み、論理的に導かれる確固たる答えを得た後で初めて先行研究を読むと、先行研究が気づいていないことや読み間違っていることがたちどころに分かる、との発言にたいして、

人類が今までに培った技術を完全に無視して、自分の力だけで火星行き有人宇宙船を1から開発し、今まで月までしか行けなかった先人たちの無能さをあざ笑う。極端にたとえれば、そういうことをおっしゃってるんですよねえ…。

との指摘がありました。私も含めて多くの人が、この指摘は尤もだ、と思うことでしょう(火星への有人飛行は、大規模な自然災害や人災がなければ、数十年以内に達成される可能性が高いと予想しています)。現代人の生活・技術・学術水準は、過去の膨大な蓄積の上(巨人の肩の上)に成り立っています。しかし、自戒の念を込めて言うと、こうした思考に陥ることは少なくないように思います。たとえば、技術・政治体制・思想などにおいて、ある時点での達成度を後世の視点・評価基準から、未熟・不充分・後進的・守旧的などと評価してしまうことです。

 坂野潤治『日本近代史』では、「変革の相場」という概念が提示されています(関連記事)。幕末史において「変革の相場」は時代とともに上がっていき、王政復古の直前にいたって明確に「尊王倒幕」を唱えた者の方が、1857年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に「公武合体」を主張した橋本左内より、「変革度」が高いわけではなく、「変革の相場」を考慮して各人の「変革度」を測らないと、「王政復古」の日を見ず死んだ人々の思想を低く評価することになりかねない、と同書は指摘します(P22〜23)。出典を忘れましたが、同様のことは中国近代史でも指摘されています。1890年代に立憲君主制を主張することは、1920年代に共産主義を主張するよりも危険で勇気の必要な行為だったので、1890年代の立憲君主制論者の「不徹底」や「守旧性」を安易に批判すべきではない、というわけです。

 人類進化史においても、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との比較において、同様の問題があるように思います。ネアンデルタール人の絶滅に関してはさまざまな議論がありますが(関連記事)、ネアンデルタール人が現生人類よりも劣っていたから、との見解は今でも有力でしょう。そうした見解では、現生人類にはできたことがネアンデルタール人にはできなかった、と強調されます。たとえば、象徴的思考やある種の技術です。具体的な指標としては、洞窟壁画や投槍器・弓矢などの飛び道具がよく挙げられます。

 ここで問題となるのは、その比較が適切なのか、ということです。確かに、ネアンデルタール人が投槍器・弓矢を用いた証拠はまだないと思いますし、今後も得られることはないでしょう。しかし、投槍器の出現はアフリカでは7万〜6万年前頃、ヨーロッパでは5万〜4万年前頃までさかのぼる可能性があるとはいっても、確実な証拠は23500〜21000年前頃で、弓矢の直接的証拠は、ヨーロッパにおいて14000〜13000年前頃までしかさかのぼりません(関連記事)。これでは、飛び道具の本格的な使用はネアンデルタール人の絶滅後か、その直前の衰退期にまでしかさかのぼらない可能性も低くないでしょう。現生人類による本格的な飛び道具の開発・使用が、せいぜい非アフリカ系現代人の主要な遺伝子源となった集団の出アフリカの直前(7万〜6万年前頃?)までにしかさかのぼらないのだとしたら、ネアンデルタール人と現生人類との決定的な違いとして飛び道具が適切な事例となるのか、疑問です。しかも、本格的な飛び道具の開発・使用の年代がもっと繰り下がる可能性も低くないでしょう。さらに、ネアンデルタール人が20mほど離れた獲物に槍を投げ、投槍器と同程度の打撃を獲物に与えていた可能性も指摘されています(関連記事)。

 象徴的思考に関しても同様の問題があります。ネアンデルタール人には象徴的思考能力が欠けており、それが現生人類との競合に敗北した一因だった、との見解は根強いと思います。しかし、線刻(関連記事)などネアンデルタール人の象徴的思考能力の実例が次々と報告されており、ついには、ネアンデルタール人と現生人類との大きな違いと考えられていた洞窟壁画に関しても、ネアンデルタール人の所産である可能性の高いものが報告されました(関連記事)。すると今度は、ネアンデルタール人の壁画では形象的な線画が確認されていない、と指摘されました(関連記事)。この指摘は尤もなのですが、将来、ネアンデルタール人の描いた形象的な線画が確認される可能性は高いと思います。何よりも、現生人類の形象的な線画はネアンデルタール人の絶滅後か、せいぜい絶滅直前にまでしかさかのぼらない、ということが重要です(関連記事)。都市成立以降の文化と更新世の文化を比較して、更新世の現生人類は都市成立以降の現生人類と比較して愚かだった、と考える人は少ないでしょう。しかし、ネアンデルタール人にたいしては、そうした妥当とは言えない思考が今でも根強く残っているように思います。現生人類の文化も長い蓄積の上に成立したのであり、現生人類には可能でネアンデルタール人には無理だった項目の一覧を作成する前に、各項目は比較対象として妥当なのか、慎重に検証すべきだと思います。以上、まとまりのない雑然とした内容になってしまいましたが、日頃から考えていることを述べてみました。
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癌進化の遺伝的不安定性

2019/02/14 15:43
 癌進化の遺伝的不安定性に関する研究(Coelho et al., 2019)が公表されました。遺伝的不安定性は癌で広く見られ、変異率を上昇させて腫瘍発生を促進することがあります。この研究は、酵母で遺伝的不安定性の基盤となる機構を探索し、二倍体の酵母を用いて、複数の増殖阻害剤に対する抵抗性についての方向性選択が変異率に影響を及ぼす仕組みを明らかにしました。適応変異に対する選択が繰り返し起こると、変異率の上昇した株が生じました。遺伝的不安定性につながる遺伝子はほぼ全てがハプロ不全(アレルの一方の遺伝子欠失などにより、正常な一方のアレルのみからの発現ではタンパク質の量が不足することに起因する疾患)で、これは変異率を上昇させるのには1つの対立遺伝子の機能喪失だけで充分だと示しています。これらの遺伝子の一部にはヒトのホモログ(相同体)が存在し、ヒト細胞でも1つの対立遺伝子の欠失が遺伝的不安定性につながる、と示されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


がん:がん進化の酵母モデルではヘテロ接合性変異が遺伝的不安定性を引き起こす

がん:遺伝的不安定性の進化

 遺伝的不安定性はがんで広く見られ、変異率を上昇させて腫瘍発生を促進することがある。M Coelhoたちは今回、酵母で遺伝的不安定性の基盤となる機構を探索し、二倍体の酵母を用いて、複数の増殖阻害剤に対する抵抗性についての方向性選択が変異率に影響を及ぼす仕組みを決定した。適応変異に対する選択が繰り返し起こると、変異率が上昇した株が生じた。遺伝的不安定性につながる遺伝子は、ほぼ全てがハプロ不全で、これは変異率を上昇させるのには1つの対立遺伝子の機能喪失だけで十分であることを示している。これらの遺伝子の一部にはヒトのホモログが存在し、ヒト細胞でも1つの対立遺伝子の欠失が遺伝的不安定性につながることが示された。



参考文献:
Coelho MC, Pinto RM, and Murray AW.(2019): Heterozygous mutations cause genetic instability in a yeast model of cancer evolution. Nature, 566, 7743, 275–278.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-0887-y
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進化否定論者は「まともな人間」ではないのか

2019/02/13 16:14
 以前、私のTwitter上での発言を引用して、

人間は猿から進化したことを否定する人間がいまだにいるとは驚いた。人間というか正確を期すならヒト科だが、むろん進化した元の種も猿というか正確を期すなら霊長目に属することは周知の事実。

発言した人がいました。過疎アカウントにしては珍しい通知なので、進化否定論者は珍しくないので別に驚くようなことではなく、(進化否定論の根強い)アメリカ合衆国の事情は日本でもよく知られていると思います、と調査(Miller et al., 2006)を引用して返信したところ、

エホバの証人とかファンダメンタリストのことは存じてますが、アレはまともな人間だとは思っておりませんので。

返信がありました。そこで私は、ムスリムの間でも進化否定論が多いと日本でもよく言われているように思いますし、(引用した調査では)じっさい(ムスリムが圧倒的に主流の)トルコ共和国ではアメリカ合衆国よりもさらに進化否定論の割合が高いわけですが、と返信しました。「まともな人間」ではないと主張したのはエホバの証人やファンダメンタリストであってムスリムではない、との言い逃れは可能だ、との意見もあるかもしれません。しかし、進化否定論者の存在に驚いてみせて、進化否定論者はアメリカ合衆国では珍しくないとの指摘にたいして、アメリカ合衆国における進化否定論者の代表的存在というか、その割合がきわめて高そうなエホバの証人やファンダメンタリストを挙げて、「まともな人間だとは思っておりません」とまで言ったわけですから、上記引用文の発言主は進化否定論者を「まともな人間」とは思っていない、と判断するのが妥当なところでしょう。

 これは、近年のリベラリズムも含む近代以降のヨーロッパ的価値観とイスラム教的価値観との共存といった大問題(関連記事)にもつながっていると思うのですが、私の現在の見識・能力ではとても的確な解決策を提示できません(将来もまず間違いなく無理でしょうが)。そもそも、私も進化否定論を受け入れるつもりはまったくありませんが、進化否定論自体は、基本的に「まともな人間」ではないことの指標にはなり得ない、と考えています。進化否定論は直接的に人権を否定するわけではない、と私は考えているからです。エホバの証人やファンダメンタリストの世界観・価値観に問題があるとは思いますが(反中絶など)、それを言えば、イスラム教をはじめとして「(近代以降のヨーロッパ的価値観からは)問題のある」信仰・思想の人はおそらく多数いるわけで、そうした人々も対等で「まともな」相手と認めて、説得や共存を図るのが、思想・信仰の違いにより多くの人々が殺されてきた歴史を知る現代人の取るべき態度ではないか、と思います。

 なお、進化学への攻撃に関して近年では、「宗教右派」からだけではなく、「左派」からの攻撃もある、と指摘されています(関連記事)。「宗教右派」による進化学攻撃に関しては、広範な支持とそれに裏づけされた資金力や政治力といった問題があり、とても軽視できません。一方、「左派」からの進化学攻撃に関しては、アカデミズムの世界に確たる基盤を築いていることから、「宗教右派」とは違った意味で困難な問題であるとは思います。まあ「左派」に言わせれば、進化学の「一部」はIDW(Intellectual Dark Web)として差別の温床になっており、それを的確に批判しているだけなのだ、ということなのかもしれませんが(関連記事)。


参考文献:
Miller JD, Parker D, and Pope M.(2006): Public Acceptance of Evolution. Science, 313, 5788, 765-766.
https://doi.org/10.1126/science.1126746
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北アメリカ大陸都市部の2080年の気候予測

2019/02/13 16:10
 北アメリカ大陸都市部の2080年の気候予測に関する研究(Fitzpatrick, and Dunn., 2019)が公表されました。この研究は、気候アナログマッピング(特定の地点の予測される将来の気候を別の地点の現時点の類似した気候と結びつけて表示します)を用いて、2080年に北アメリカ大陸に居住する約2億5000万人の生活にたいする気候変動の影響可能性を明らかにしました。この研究では、2つの温室効果ガス排出量軌跡(21世紀を通じて増加し続ける軌跡と、2040年頃にピークに達してから減少する軌跡)を用いて、540カ所の都市部(アメリカ合衆国530ヶ所、カナダ10ヶ所)の気候アナログマッピングが行なわれました。

 その結果、21世紀を通じて排出量が増加し続けるシナリオに従った場合には、2080年の北米の都市部の気候が、概して南に平均850キロメートル離れた地点の現在の気候にかなり類似している、と明らかになりました。しかし、多くの都市部では、将来的な気候予測と現時点で最も類似した気候との間にかなり大きな差がありました。これは、2080年代には北アメリカ大陸の多くの都市が、現代に前例のない新しい気候を経験する可能性を示唆しています。この研究は、こうした知見によって、気候変動が都市部の住民に及ぼす影響に関する国民の意識を高めるための直感的な方法が得られる、と期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】北米の都市部の2080年の気候予測に現時点でそれぞれ最も近い地点

 北米の都市部540カ所について、予測される2080年の気候と現時点で最も類似した気候を示す地点を特定する分析結果について報告する論文が、今週掲載される。例えば、温室効果ガス排出量が2040年頃にピークに達するというシナリオに従えば、2080年のワシントンDCの気候は現在のアーカンソー州パラグールドに最も近いという。また、今回の研究では、ユーザーがそれぞれの都市部の分析結果を調べるためのウェブ・アプリケーションも紹介されている。

 今回、Matthew FitzpatrickとRobert Dunnは、気候アナログマッピング(特定の地点の予測される将来の気候を別の地点の現時点の類似した気候と結び付けて表示する)を用いて、2080年に北米に居住する約2億5000万人の生活に対する気候変動の影響可能性を明らかにした。この研究では、2つの温室効果ガス排出量軌跡(21世紀を通じて増加し続ける軌跡と、2040年頃にピークに達してから減少する軌跡)を用いて、540カ所の都市部(米国530カ所、カナダ10カ所)の気候アナログマッピングが行われた。

 その結果、21世紀を通じて排出量が増加し続けるシナリオに従った場合には、2080年の北米の都市部の気候が、概して南に平均850キロメートル離れた地点の現在の気候にかなり類似していることが判明した。しかし、多くの都市部では、将来的な気候予測と現時点で最も類似した気候との間にかなり大きな差があった。このことは、2080年代には北米の多くの都市で、現代に前例のない新しい気候を経験する可能性を示唆している。著者たちは、この知見によって、気候変動が都市部の住民に及ぼす影響に関する国民の意識を高めるための直感的な方法が得られることを期待している。



参考文献:
Fitzpatrick MC, and Dunn RR.(2019): Contemporary climatic analogs for 540 North American urban areas in the late 21st century. Nature Communications, 10, 614.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-08540-3
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邪馬台国関連の記事のまとめ

2019/02/12 03:25
 『ビッグコミックオリジナル』で連載中の『卑弥呼』も10話まで進行したので、この機会に、当ブログの邪馬台国関連の記事を以下にまとめます。


富の源泉としてのアトランティスと邪馬台国
https://sicambre.at.webry.info/200610/article_18.html

松木武彦『日本の歴史第1巻 列島創世記』(2007年11月刊行)
https://sicambre.at.webry.info/200711/article_16.html

田中史生『越境の古代史』
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_14.html

纏向遺跡で3世紀前半の大型建物跡発見
https://sicambre.at.webry.info/200911/article_11.html

広瀬和雄『前方後円墳の世界』
https://sicambre.at.webry.info/201010/article_3.html

足立倫行『激変!日本古代史』
https://sicambre.at.webry.info/201011/article_7.html

大津透『天皇の歴史01 神話から歴史へ』
https://sicambre.at.webry.info/201012/article_21.html

小路田泰直『邪馬台国と「鉄の道」』
https://sicambre.at.webry.info/201109/article_23.html

都出比呂志『古代国家はいつ成立したか』(岩波書店)
https://sicambre.at.webry.info/201109/article_30.html

渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』
https://sicambre.at.webry.info/201206/article_10.html

木下正史『日本古代の歴史1 倭国のなりたち』
https://sicambre.at.webry.info/201307/article_28.html

『週刊新発見!日本の歴史』第8号「古墳時代1 邪馬台国と卑弥呼の謎」
https://sicambre.at.webry.info/201308/article_8.html

『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』
https://sicambre.at.webry.info/201406/article_1.html

『岩波講座 日本歴史  第2巻 古代2』
https://sicambre.at.webry.info/201406/article_8.html

石川日出志『シリーズ日本古代史1 農耕社会の成立』第3刷
https://sicambre.at.webry.info/201412/article_16.html

吉村武彦『シリーズ日本古代史2 ヤマト王権』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201412/article_25.html

田中史生『国際交易の古代列島』
https://sicambre.at.webry.info/201604/article_17.html

森下章司『古墳の古代史 東アジアのなかの日本』
https://sicambre.at.webry.info/201611/article_4.html

佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_21.html

古代日本の女性首長
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_14.html

中公新書編集部編『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_35.html

百田尚樹『日本国紀』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_23.html

倉本一宏『内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで』
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_7.html

義江明子『つくられた卑弥呼 <女>の創出と国家』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_18.html
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アジア東部系と共通するラテンアメリカ系の明るい肌の色の遺伝的基盤

2019/02/11 11:29
 ラテンアメリカ系人類集団の色素沈着の遺伝的盤に関する研究(Adhikari et al., 2019)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。色素沈着に関しては、動物モデルで何百もの遺伝子が同定されています。ヒトに関しても、皮膚・目・髪の色に関する数十の遺伝子が特定されていますが、その多くはヨーロッパ系集団のものです。高緯度になるにつれてヒトの皮膚の色素沈着は減少する傾向にあり、これは紫外線からの保護と紫外線によるビタミンD生産と関連しています(関連記事)。紫外線の強い低緯度地帯では、皮膚癌の危険性を下げることになるため、紫外線をより遮断できる濃い色の肌が定着するような選択圧が生じるのにたいして、高緯度地帯では皮膚癌の危険性を高めるほど紫外線が強くないため、ビタミンD生産を妨げないよう、紫外線を吸収しやすい薄い肌の色の定着を促進する選択圧が生じます。また、肌の色とも関連する色素沈着関連遺伝子については、皮膚癌やビタミンD生産と関連する選択圧だけではなく、性選択の可能性も指摘されています。

 ただ、16世紀以降に地球規模で大規模な人口移動があったので、現在では、緯度と肌の色との関係はかなり複雑になっています。たとえば、ラテンアメリカのほとんどの都市では、住民の肌の色の明るさは多様です。これは、ラテンアメリカ系集団が、アメリカ大陸先住民・ヨーロッパ系・アフリカ系の混合により成立したためと考えられてきました。より明るい肌の人々はヨーロッパ系を祖先に有し、より濃い肌の色の人々はアメリカ大陸先住民系もしくはアフリカ系を祖先に有する、というわけです。本論文は、ラテンアメリカ5ヶ国(ブラジル・コロンビア・チリ・メキシコ・ペルー)の計6357人を対象に、肌・髪・目の色素沈着の遺伝的基盤を検証しました。

 本論文は、皮膚の反射率を測定し、肌の色素沈着の水準を推定しました。この手法は、サハラ砂漠以南のアフリカ人の肌の色の多様性を検証した研究でも用いられています(関連記事)。本論文は、このように肌・髪・目の色素沈着に関する情報を収集したうえで、ゲノム規模解析により、色素沈着と関連する遺伝子を推定しました。その結果、肌や目の色と関連する遺伝子座が特定されましたが、それらのうち、肌の色と関連する1遺伝子座(10q26)と目の色と関連する3遺伝子座(1q32・20q13・22q12)は新たに特定されたものです。

 肌の色と関連する遺伝子MFSD12の多様体の中には、肌の色を濃くするものもおもにサハラ砂漠以南のアフリカ系集団で確認されており、一部のインド人・メラネシア人・オーストラリア人にも見られます(関連記事)。本論文は、おもにアフリカ系で見られるMFSD12遺伝子の多様体とは異なる、肌の色を明るくする多様体をラテンアメリカ系集団で見つけました。この多様体はアジア東部系とアメリカ大陸先住民系のみに高頻度で見られ、アジア東部系とヨーロッパ系との分岐の後にユーラシア高緯度地帯で強い選択を受けていた、と推測されています。アメリカ大陸先住民系はアジア東部系と密接に関連しているというか、アジア東部系とヨーロッパ系の分岐の後も共通祖先を有していました。アジア東部系とアメリカ大陸先住民系は、36000±15000年前頃に分岐し、25000±1100年前頃まで遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。

 本論文は、ユーラシアの東西において、肌の色を明るくするような遺伝的多様体が定着する選択圧がそれぞれ生じた、と指摘します。ヨーロッパ系とアジア東部系では、肌の色の明るさと関連する遺伝的基盤の中には独立して進化したものがあり、その中にはアジア東部系とアメリカ大陸先住民系とで共有されているものもある、というわけです。肌の色の濃さに関しては、時として収斂進化もあった、というわけです。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も、色素沈着を妨げるような遺伝的多様体を有しており、その中には現生人類(Homo sapiens)には見られないものもある、と指摘されています(関連記事)。肌の色の濃さなど色素沈着と関連する遺伝的多様体に関しては、収斂進化が起きやすい、と言えるかもしれません。

 これまで、ラテンアメリカ系の肌の色の明るさは、ヨーロッパ系との関連で考えられる傾向にありました。しかし、ヨーロッパ系がアメリカ大陸に侵出してくるずっと前から、アメリカ大陸先住民系は、アジア東部系と共通する肌の色を明るくするような遺伝的多様体を有していた、と考えられます。上記の解説記事では、ヨーロッパ中心主義によりラテンアメリカ系の肌の色の明るさの遺伝的基盤のいくつかが見落とされていたのではないか、と指摘されています。また目の色に関しても、上記報道ではヨーロッパ中心主義が指摘されています。これまで、目の色に関しては青色と茶色の区別に焦点が当てられていました。しかし本論文は、目の色は広範な連続体だと示し、茶色から黒色への微妙な変化を指摘します。現代世界の知的基盤の多くが近代ヨーロッパ発祥であるため、仕方のないところはありますが、ヨーロッパ中心主義を克服する試みはヨーロッパやアメリカ合衆国で持続しているとはいえ、まだ不充分であることも否定できないのでしょう。


参考文献:
Adhikari K. et al.(2019): A GWAS in Latin Americans highlights the convergent evolution of lighter skin pigmentation in Eurasia. Nature Communications, 10, 358.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08147-0
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よくもわるくも中国人はもともと「アジア」や「東アジア」といった語は好まない

2019/02/11 10:42
 杉山正明氏関連の記事をまとめようとして、かつて当ブログで表題の一節を引用していた(関連記事)、と思い出しました。それと関連した調査をどこかで見かけた記憶があるのですが、今回見つけた論文(上ノ原.,2013)で引用されている調査がそうだったのか、はっきりとは思い出せませんでした。ただ、杉山氏の指摘を裏づける調査結果ではあると思います。本論文は、中華人民共和国・日本国・大韓民国・中華民国(台湾)というアジア東部4ヶ国を対象とした、国民意識と「東アジア人」意識の割合の調査が引用されています(かなり愛着とある程度愛着に区分されています)。調査自体は2008年とやや古いのですが、今でも参考にはなると思います。

 4ヶ国すべてで共通しているのは、国民意識よりも東アジア人意識の方がずっと低い、ということです。また、国民意識よりも東アジア人意識の方が、4ヶ国の差はずっと大きくなっています。国民意識は4ヶ国すべてで高く、中国(かなり愛着は48%、ある程度愛着は45%)と日本(かなり愛着は52%、ある程度愛着は44%)はかなり類似しています。韓国(かなり愛着は35%、ある程度愛着は53%)と台湾(かなり愛着は40%、ある程度愛着は48%)は日中よりもやや低いものの、それでも高水準になっています。一方、東アジア人意識の方は4ヶ国とも国民意識よりずっと低いのですが、日本(かなり愛着は4%、ある程度愛着は28%)と韓国(かなり愛着は4%、ある程度愛着は37%)は比較的高めなのにたいして、中国(かなり愛着は2%、ある程度愛着は8%)と台湾(かなり愛着は1%、ある程度愛着は10%)はかなり低くなっています。杉山氏は、「アジア」が好きなのは日本であって中国ではない、と指摘していますが、それは一定水準以上妥当なのかもしれません。以下、杉山氏関連の当ブログの記事です。


杉山正明『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_16.html

『興亡の世界史20 人類はどこへ行くのか』
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_7.html

杉山正明『ユーラシアの東西』
https://sicambre.at.webry.info/201104/article_24.html

杉山正明氏の明・朱元璋にたいする評価
https://sicambre.at.webry.info/201106/article_5.html

杉山正明『中国の歴史08 疾駆する草原の征服者』
https://sicambre.at.webry.info/201310/article_29.html


参考文献:
上ノ原秀晃(2013)「東アジアにおけるトランスナショナル・アイデンティティ」『日本版総合的社会調査共同研究拠点研究論文集』[13]P93-104
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009561594
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ネアンデルタール人の絶滅に関する議論

2019/02/11 06:51
 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅には高い関心が寄せられてきており、とても的確にまとめるだけの準備は整っていませんが、とりあえず、当ブログの関連記事一覧をまとめ、自分の現時点での見解を短く述べていきます。ネアンデルタール人の絶滅要因を大別すると、気候変動を中心とした環境説と、現生人類(Homo sapiens)との競合説になると思います。もちろん、多くの本・論文は複合的要因を指摘しているとは思います。環境説は、ネアンデルタール人も気候変動に応じて拡大・撤退・縮小を繰り返していたことから(関連記事)、単独では成立しないというか、究極的な要因にはならないと思います。

 もちろん、現生人類との接触がなく、気候変動などにより絶滅した地域的なネアンデルタール人集団も存在するでしょうが、種(分類群)としてネアンデルタール人が絶滅したのは、現生人類が拡散してある程度の期間の共存の後だったことから、やはり現生人類との競合が究極的な要因だったと考えるのがだとうでしょう。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。ネアンデルタール人はユーラシア中緯度地帯において長期にわたって、強力な競合種(分類群)が存在しないなか、寒冷化で打撃を受けても温暖化により回復してきたものの、現生人類が拡散してくると、現生人類との競合のため寒冷化による打撃から回復できなかったのだと思います。また、気候変動とはさほど関係なく、現生人類との競合により絶滅したネアンデルタール人の地域的集団もあったでしょう。

 現生人類との競合説を大別すると、潜在的能力説と後天的社会説になると思います。もっとも、これも単純に二分できるわけではありませんが。潜在的能力説では、ネアンデルタール人にはできなかった何かを現生人類ができた、と想定されます。それは、高度な言語・意思伝達能力や象徴的思考能力や高度な計画性などの認知能力です。それが技術や社会規模や行動に影響し、劣っている(効率的ではない)ネアンデルタール人は優れた(効率的な)現生人類との競合で敗北する運命にあった、と想定されます。もっとも最近では、両者の大きな違いの重要な考古学的根拠とされた洞窟壁画を、ネアンデルタール人が描いていた可能性も指摘されており(関連記事)、潜在的能力説の一部?で言われているほど、両者の潜在的能力の違いは大きくなかったかもしれません。また、両者の狩猟効率の違いの根拠とされてきた負傷率に関しても、ネアンデルタール人の絶滅からさほど年代の経過していない2万年前頃までで比較すると、頭蓋では大差がない、とも指摘されています(関連記事)。

 後天的社会説では、温暖な地域に起源があるため、ネアンデルタール人社会よりも人口密度が高く交流の盛んだった現生人類社会の方が、技術・集団規模・狩猟採集などの行動での効率などで優位に立ち、ネアンデルタール人は絶滅に追い込まれた、と想定されます。これと関連して、現生人類社会からネアンデルタール人社会への感染症もネアンデルタール人絶滅の一因と推測されています(関連記事)。ただ、更新世は完新世と比較してずっと人口密度が低いわけで、現生人類からの感染症がネアンデルタール人社会に大打撃を与えたかというと、疑問は残ります。また、ネアンデルタール人の絶滅要因として近親交配による遺伝的多様性の喪失説も提示されていますが(関連記事)、ネアンデルタール人社会で近親交配が一般的だったとは考えにくく(関連記事)、気候変動や現生人類との競合による衰退の結果としての近親交配の流行でしょうから、近親交配がネアンデルタール人絶滅の究極的な要因とは言えないと思います。

 ネアンデルタール人の絶滅に関してはこのように諸説ありますが、おそらくほとんどのネアンデルタール人の地域的集団の絶滅要因は複合的で、それぞれ異なった組み合わせだったと思います。また、ネアンデルタール人という種(分類群)の絶滅要因は、究極的には現生人類との競合と言えるでしょうが、さらに具体的な要因となると、まだじゅうぶんには解明できていないと思います。以下、ネアンデルタール人の絶滅に関する当ブログの記事です。重要な本や論文を取り上げた記事には●をつけています。


ネアンデルタール人はジブラルタルで24000年前まで生存?
https://sicambre.at.webry.info/200609/article_15.html

ネアンデルタール人の歯の手入れ、ネアンデルタール人の絶滅と気候との関係
https://sicambre.at.webry.info/200709/article_15.html

ネアンデルタール人の絶滅と衣服の関係
https://sicambre.at.webry.info/200801/article_5.html

ネアンデルタール人は食人習慣のために絶滅?
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_11.html

「ネアンデルタール人その絶滅の謎」『ナショナルジオグラフィック(日本版)』10月号
https://sicambre.at.webry.info/200810/article_15.html

●ネアンデルタール人の絶滅要因
https://sicambre.at.webry.info/200901/article_13.html

ヨーロッパにおけるネアンデルタール人から現生人類への移行と人口増加
https://sicambre.at.webry.info/201107/article_30.html

NHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか 第2集 グレートジャーニーの果てに』
https://sicambre.at.webry.info/201201/article_31.html

ネアンデルタール人なぜ絶滅
https://sicambre.at.webry.info/201208/article_3.html

中部〜上部旧石器移行期のヨーロッパにおける火山噴火の影響
https://sicambre.at.webry.info/201208/article_23.html

2つのエンディングストーリー
https://sicambre.at.webry.info/201307/article_25.html

●『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』
https://sicambre.at.webry.info/201312/article_1.html

ネアンデルタール人は小動物の狩猟に本格的に移行できずに絶滅?
https://sicambre.at.webry.info/201401/article_19.html

●ネアンデルタール人の絶滅要因の考古学的検証
https://sicambre.at.webry.info/201405/article_26.html

『ナショナルジオグラフィック』1996年1月号「ネアンデルタール人の謎」
https://sicambre.at.webry.info/201405/article_30.html

●ネアンデルタール人絶滅の新たな推定年代
https://sicambre.at.webry.info/201408/article_24.html

イベリア半島南東部の終末期ネアンデルタール人
https://sicambre.at.webry.info/201501/article_21.html

イベリア半島のネアンデルタール人の早期絶滅説
https://sicambre.at.webry.info/201502/article_28.html

佐野勝宏・大森貴之「ヨーロッパにおける旧人・新人の交替劇プロセス」
https://sicambre.at.webry.info/201504/article_26.html

松本直子「新人・旧人の認知能力をさぐる考古学」
https://sicambre.at.webry.info/201505/article_28.html

Pat Shipman『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_13.html

●ネアンデルタール人の絶滅の理論的検証
https://sicambre.at.webry.info/201602/article_18.html

現生人類からネアンデルタール人への伝染病の感染
https://sicambre.at.webry.info/201604/article_13.html

気候変動によるネアンデルタール人の絶滅
https://sicambre.at.webry.info/201605/article_13.html

●ネアンデルタール人像の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201606/article_19.html

赤澤威、西秋良宏「ネアンデルタール人との交替劇の深層」
https://sicambre.at.webry.info/201607/article_6.html

●ドイツにおけるネアンデルタール人の人口変動
https://sicambre.at.webry.info/201607/article_23.html

現生人類においてネアンデルタール人由来の遺伝子が除去された理由
https://sicambre.at.webry.info/201611/article_10.html

●現生人類の優位性に起因しないかもしれないネアンデルタール人の絶滅
https://sicambre.at.webry.info/201711/article_2.html

イベリア半島で他地域よりも遅くまで生存していたネアンデルタール人
https://sicambre.at.webry.info/201711/article_21.html

現生人類とネアンデルタール人の脳構造の違いに起因する認知能力の差(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201804/article_41.html

ヨーロッパ南部の初期現生人類の環境変動への適応
https://sicambre.at.webry.info/201804/article_21.html

NHKスペシャル『人類誕生』第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_25.html

『コズミック フロント☆NEXT』「ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか?」
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_44.html

ネアンデルタール人の絶滅における気候変動の影響
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_48.html

ネアンデルタール人と現生人類の頭蓋外傷受傷率(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_25.html

イベリア半島南部における4万年以上前のオーリナシアン
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_42.html

近親交配によるイベリア半島北部のネアンデルタール人の形態と絶滅
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_17.html
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近親交配によるイベリア半島北部のネアンデルタール人の形態と絶滅

2019/02/10 11:51
 近親交配によるイベリア半島北部のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の形態についての研究(Ríos et al., 2019)が公表されました。本論文は、ネアンデルタール人の遺跡として有名なスペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)洞窟遺跡のネアンデルタール人遺骸の形態について報告しています。イベリア半島南部は例外かもしれませんが(関連記事)、ネアンデルタール人は4万年前頃までに大半の地域でいなくなったと推測されています(関連記事)。ネアンデルタール人の絶滅要因に関しては議論が続いており、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との潜在的能力の違いが強調される傾向にあったように思います。しかし近年では、食資源獲得や象徴的思考などの点で、4万年前頃までの現生人類とネアンデルタール人とに大きな違いはない、との見解も提示されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人の絶滅に関して、潜在的能力の違いに起因するかもしれないとしても、より後天的な社会要因を重視する見解では、人口規模と社会的ネットワークの密度が重視されます。考古学では、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人から現生人類への「交替劇」のさいに、ネアンデルタール人と比較して初期現生人類の人口密度は10倍に増加した、と推定されています(関連記事)。一方、ネアンデルタール人は気候変動や現生人類との競合などにより断片化されていき、広範な社会的ネットワークを築けず、その結果として近親交配の頻度が高くなり、遺伝的多様性が低下していって絶滅にいたった、とも考えられます。

 ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属の現代人と比較しての低いヘテロ接合性から、ネアンデルタール人やデニソワ人は約3000人の有効人口規模の孤立した小規模集団だった、と推定されています(関連記事)。そのため、現生人類と比較して孤立しやすく、遺伝的多様性が低かったのでしょう。ただ、だからといって、ネアンデルタール人社会で近親交配が一般的だったとは言えません。近親交配の指標となるホモ接合性に関して、南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)のネアンデルタール人で顕著に高い一方で(関連記事)、クロアチアのネアンデルタール人は一部の現代人集団並だったからです(関連記事)。

 本論文は、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人は、ホモ接合性の累積長がデニソワ洞窟のネアンデルタール人より大きく、ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、遺伝的多様性が低いことから、近親交配の頻度の高い集団だったのではないか、と推測しています。さらに本論文は、近親交配の頻度の高さが形態(表現型)に現れているのではないか、との予測に基づき、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人遺骸の形態を検証しました。更新世のホモ属の発達異常の多さは近親交配の頻度の高さに起因するとの見解も提示されており(関連記事)、この予測は合理的と言えるでしょう。

 本論文は、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人の顎から肋骨・椎骨・手・膝・足まで多岐にわたって形態を検証し、少なくとも4個体において、現代人と比較して顕著に高い先天的異常頻度がある、と明らかにしました。たとえば、下顎乳犬歯の保持率は、現代人で0.001〜1.8%なのにたいして、エルシドロンのネアンデルタール人では15.38%です。膝の骨の先天的異常(三分膝蓋骨)頻度は、現代人で0.05〜1.7%なのにたいして、エルシドロンのネアンデルタール人では7.69%です。これらは、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人集団における遺伝的多様性の低さと近親交配頻度の高さを示している、と本論文は指摘します。

 近親交配が健康に与える影響は、現代人でも研究されており、いとこ間の子供では、近親交配ではない子供と比較して、性的成熟前の死亡率が3.5%、先天的異常頻度が1.7〜2.8%高く、その原因のほとんどは常染色体の劣性(潜性)遺伝です。個体数減少に起因する近親交配による健康状態の悪化は、ヒト以外でも、フロリダパンサーやスカンジナビアオオカミやスペインオオヤマネコなどで見られます。エルシドロン遺跡のネアンデルタール人集団の高い先天的異常頻度も、人口減少と近親交配の結果として解釈できる、と本論文は指摘します。

 ただ、こうした高頻度の先天的異常頻度は、胎児期や成長期の有害な環境が原因とも解釈できます。じっさい、エルシドロンのネアンデルタール人は、頻繁に飢餓に陥るような過酷な環境で育った、と推測されています(関連記事)。しかし、環境は更新世ホモ属の異常の一部しか説明できず、近親交配の影響が大きいだろう、と指摘されており(関連記事)、本論文も、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人集団の高頻度の先天的異常は、近親交配に起因するところが大きいのではないか、と推測しています。

 こうした先天的異常頻度の高さやそれに起因するだろう疾患・負傷率の高さにたいして、ネアンデルタール人社会では負傷者や病人にたいする有効な看護と健康管理が実践されており(関連記事)、エルシドロンのネアンデルタール人社会では肉食に頼らない食性と薬用植物の活用が推測されていることから(関連記事)、本論文はネアンデルタール人社会における回復力を指摘しています。これにより、ネアンデルタール人は孤立して遺伝的多様性が低くとも、長期にわたって存続できたのでしょう。

 ただ、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人集団は、他のネアンデルタール人集団よりも近親交配の頻度が高かったと推測され、じっさいに表現型(形態)でも先天的異常の頻度が高いことから、ネアンデルタール人社会の人口崩壊の始まりを表しているのではないか、と本論文は指摘しています。ネアンデルタール人は現生人類と比較して人口密度が低く、遺伝的多様性が低いものの、エルシドロン遺跡のネアンデルタール人集団のように、遺伝学でも形態学でも近親交配が一定水準を超えたと考えられる場合は、絶滅への道を歩み始めたと解釈しても的外れではなさそうです。じっさい、47000〜39000年前頃の複数の西方ネアンデルタール人(関連記事)は、5万年前頃のクロアチアのネアンデルタール人(関連記事)よりもヘテロ接合性の水準が低く、末期ネアンデルタール人の人口密度の低下と孤立による遺伝的多様性の低下を示しているかもしれません。

 おそらく、現生人類がヨーロッパに拡散する前にも、気候悪化などにより人口規模が縮小し、近親交配による弊害で絶滅していったネアンデルタール人集団は珍しくなかったのでしょう。それでも、競合者がいない場合は、一部地域のネアンデルタール人集団が耐えて、気候回復とともにまた拡大していったため、ネアンデルタール人全体では絶滅に至らなかったものの、現生人類という強力な競合者がヨーロッパに拡散してくると、ネアンデルタール人には回復するだけの余力はなく絶滅した、ということなのだと思います。

 一方、ユーラシアに拡散してきた初期現生人類に関しては、近親交配が避けられていたことを示唆する集団の存在も確認されています(関連記事)。これは、ユーラシアの初期現生人類の人口密度の高さと広範な社会的ネットワークと高い遊動性に起因するかもしれません。ユーラシアの初期現生人類の人口密度の高さは、ネアンデルタール人と初期現生人類の成人死亡率に現時点では違いが見られないことから、出生率の増加と乳児死亡率の低下に起因するかもしれない、と本論文は推測しています。

 本論文は、ネアンデルタール人集団の絶滅の始まりの指標として、形態が有効であることを示した点で、たいへん意義深いと思います。古代DNA研究は飛躍的に発展しつつありますが、それでも、その遺骸がほとんど4万年前よりもさかのぼるネアンデルタール人の古代DNA研究は容易ではありません。とくに、ネアンデルタール人と現生人類との接触という観点ではヨーロッパよりもずっと早いレヴァントは、ネアンデルタール人の絶滅過程を検証するうえでたいへん重要な地域となりますが、その気候条件からネアンデルタール人の古代DNA解析はかなり難しそうですから、形態からのネアンデルタール人の遺伝的多様性の変遷という観点の研究の進展が大いに期待されます。なお、この機会に、以下にエルシドロン遺跡関連の記事をまとめておきます。


ネアンデルタール人の食人習慣?
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_9.html

ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA分析と社会構造
https://sicambre.at.webry.info/201101/article_6.html

ネアンデルタール人は植物を食べていた
https://sicambre.at.webry.info/201207/article_29.html

ネアンデルタール人社会の性別分業
https://sicambre.at.webry.info/201502/article_23.html

ネアンデルタール人と現生人類のY染色体の違い
https://sicambre.at.webry.info/201604/article_9.html

歯石から推測されるネアンデルタール人の行動・食性・病気(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201703/article_10.html

現生人類とさほど変わらないネアンデルタール人の成長速度
https://sicambre.at.webry.info/201709/article_23.html


参考文献:
Ríos L. et al.(2019): Skeletal Anomalies in The Neandertal Family of El Sidrón (Spain) Support A Role of Inbreeding in Neandertal Extinction. Scientific Reports, 9, 1697.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-38571-1
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奈良時代に関する記事のまとめ

2019/02/10 09:52
 奈良時代に関する当ブログの記事もそれなりの本数になったので、一度まとめておきます。今後、奈良時代に関する記事を掲載した場合、追記していきます。


平川南『日本の歴史第2巻 日本の原像』(2008年1月刊行)
https://sicambre.at.webry.info/200802/article_8.html

鐘江宏之『日本の歴史第3巻 律令国家と万葉びと』(2008年2月刊行)
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_21.html

遠山美都男『古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_25.html

神野志隆光『複数の「古代」』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_44.html

東野治之『遣唐使』(岩波書店、2007年)
https://sicambre.at.webry.info/200808/article_1.html

溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』(岩波書店)
https://sicambre.at.webry.info/200902/article_7.html

田中史生『越境の古代史』
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_14.html

大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』
https://sicambre.at.webry.info/201002/article_27.html

吉川真司『天皇の歴史02 聖武天皇と仏都平城京』
https://sicambre.at.webry.info/201102/article_22.html

森公章『古代豪族と武士の誕生』
https://sicambre.at.webry.info/201301/article_22.html

荒木敏夫『古代天皇家の婚姻戦略』
https://sicambre.at.webry.info/201302/article_20.html

瀧浪貞子『敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡』
https://sicambre.at.webry.info/201305/article_4.html

『週刊新発見!日本の歴史』第11号「奈良時代1 聖武天皇と大仏造立」
https://sicambre.at.webry.info/201309/article_4.html

坂上康俊『シリーズ日本古代史4 平城京の時代』
https://sicambre.at.webry.info/201309/article_11.html

『週刊新発見!日本の歴史』第12号「奈良時代2 女帝と「怪僧」の時代」
https://sicambre.at.webry.info/201309/article_13.html

西宮秀紀『日本古代の歴史3 奈良の都と天平文化』
https://sicambre.at.webry.info/201402/article_20.html

廣瀬憲雄『古代日本外交史』
https://sicambre.at.webry.info/201404/article_26.html

『岩波講座 日本歴史  第2巻 古代2』
https://sicambre.at.webry.info/201406/article_8.html

荒木敏夫『敗者の日本史4 古代日本の勝者と敗者』
https://sicambre.at.webry.info/201411/article_2.html

勝浦令子『孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず』
https://sicambre.at.webry.info/201503/article_11.html

吉村武彦『蘇我氏の古代』
https://sicambre.at.webry.info/201601/article_3.html

倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』
https://sicambre.at.webry.info/201601/article_6.html

遠藤慶太『六国史 日本書紀に始まる古代の「正史」』
https://sicambre.at.webry.info/201604/article_6.html

田中史生『国際交易の古代列島』
https://sicambre.at.webry.info/201604/article_17.html

鈴木拓也『戦争の日本史3 蝦夷と東北戦争』
https://sicambre.at.webry.info/201605/article_6.html

大津透『日本古代史を学ぶ』
https://sicambre.at.webry.info/201605/article_24.html

三浦佑之『風土記の世界』
https://sicambre.at.webry.info/201606/article_3.html

倉本一宏『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』
https://sicambre.at.webry.info/201711/article_5.html

瀧浪貞子『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』
https://sicambre.at.webry.info/201711/article_12.html

古代貴族の歴史観
https://sicambre.at.webry.info/201801/article_8.html

佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』
https://sicambre.at.webry.info/201802/article_21.html

倉本一宏『藤原氏―権力中枢の一族』
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_4.html

漢籍と日本史料に見える異文化の名前・称号の理解
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_36.html

佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_51.html

橋昌明『武士の日本史』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_2.html

中公新書編集部編『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_35.html

美川圭『公卿会議 論戦する宮廷貴族たち』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_30.html

百田尚樹『日本国紀』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_23.html

桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす 混血する古代、創発する中世』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_2.html

文藝春秋編『日本史の新常識』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_22.html

倉本一宏『内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで』
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_7.html
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大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第6回「お江戸日本橋」

2019/02/10 09:45
 ストックホルムで1912年に開催されるオリンピック大会の国内マラソン予選大会に優勝した金栗四三は、予選大会で使用した足袋を作ってもらった播磨屋の主人と喧嘩してしまい、謝罪に行くと、播磨屋は改良した足袋を四三に渡します。短気でもからっとした性格という、陳腐ではあるものの、それ故に安定的な江戸っ子職人の人物像となっています。こうしたところは、娯楽ドラマとして手堅いな、と思います。

 予算が足りないなか、嘉納治五郎は何とか予算を捻出して四三をストックホルム大会に派遣しようとしますが、四三はオリンピックに出たくない、と言います。嘉納は激昂しますが、四三はそもそもオリンピックも知らず、予選会が重要なものだとの認識もなく、ただ自分の実力を試したかっただけでした。四三に失望した嘉納は三島弥彦にオリンピック大会に出場するよう促しますが、弥彦も出場しないと返答し、嘉納はすっかり意気消沈します。それでも嘉納は四三を説得し、感銘を受けた四三はオリンピック出場を決意します。

 今回の実質的な主人公は嘉納といった感じで、喜怒哀楽の激しい人物像は娯楽ドラマ向きだと思います。今回は全体的に娯楽調だったので、気軽に視聴できました。ただ、今回も1960年場面が挿入され、これが少なからぬ視聴者に避けられている要因かもしれません。とくに、語り手である古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の場面は、四三との関係がはっきりと見えてこないだけに、視聴者に避けられる要因になっているように思います。ただ、今後つながってくることを予感させる場面もあるので、楽しみに視聴を続けます。
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多地域進化説の復権

2019/02/09 12:57
 現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐって、1980年代には大激論が展開されました。一般的には、これは多地域進化説とアフリカ単一起源説との論争として理解されています。多地域進化説の成立過程については11年近く前(2008年)に整理しましたが(関連記事)、その源流として重要なのは、オーストラリア・アジア・アフリカ・ヨーロッパという4地域それぞれでの、相互の遺伝的交流も想定した長期の進化の結果として現代人が成立した、とのヴァイデンライヒ(Franz Weidenreich)氏の見解と、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続けた、とするブレイス(Charles Loring Brace IV)氏の人類単一種説です(関連記事)。現代的な多地域進化説の確立は、むしろ単一起源説よりやや遅いくらいです。多地域進化説は複雑なのですが、単純化していうと、現代人の各地域集団は100万年以上にわたる継続性があり、それでも相互の遺伝的交流により単一種であり続け、現代人へと進化していった、というものです(旧多地域進化説)。しかし、単一起源説が有力になっていくにつれて、ホモ・サピエンス(Homo sapiens)は200万年前頃から存在した、と大きく見解を変えました。「真の」ホモ属たるエレクトス(Homo erectus)の出現以降、ホモ属の違いは単一種内の些細な変異にすぎない、というわけです。さらに多地域進化説は、数的に圧倒的に優勢な外来集団(一般にいうところの現生人類)が外部から欧州に流入してきたことにより、ネアンデルターレンシスは混血という形で外来集団に吸収されて消滅した、というように見解を変えていきました(新多地域進化説)。

 アフリカ単一起源説では、現生人類の派生的特徴はアフリカでのみ進化し、アフリカ起源の現生人類が世界中へと拡散した、とされます。アフリカ単一起源説は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシア各地の先住人類との関係について、多少の交雑を認める見解(交配説)と、交雑はなかったとする見解(完全置換説)に分かれます。アフリカ単一起源説はまず形態学から主張され(関連記事)、その頃には、程度の差はあれども、交配説的な見解が有力でした。しかし、現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究が注目されて以降は、次第に完全置換説が有力になっていきます。とくに、ネアンデルタール人のmtDNA解析結果が初めてされてから、ネアンデルタール人の本格的なゲノム解析結果が公表される(関連記事)までの1997〜2010年の間は、完全置換説でほぼ決まりといった論調が強く、またこの間、多地域進化説は否定された、との認識が一般的だったように思います。

 しかし現在では、現生人類とネアンデルタール人との交雑が通説としてほぼ認められており、完全置換説は否定され、交配説が有力な仮説となっています。多地域進化説派はこうした動向を歓迎していますが、多くの研究者は、交雑を認めるにしても、古典的な多地域進化説が妥当だと認められるわけではない、と考えています(関連記事)。少なくとも、旧多地域進化説は今ではとても通用する内容ではない、と言えるでしょう。新多地域進化説は、現時点ではかなり説得力のある見解と言えるかもしれません。しかし、旧多地域進化説と単一起源説の間で激論が展開されていた時期に、すでに交配説は提唱されていたわけですから、ネアンデルタール人などの古代型ホモ属と現生人類との交雑を根拠に、多地域進化説の復権と言うのは妥当ではないかな、と思います。

 しかし、現生人類の起源と拡散に関する近年の研究の進展(関連記事)からは、多地域進化説の復権と言うのが妥当であるように思います。現在、現生人類の起源に関して有力な見解となりつつあるように思われるのが、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」です(関連記事)。多地域進化説は、アフリカとユーラシア全域を対象として単一の分類群(もしくは種)が100万年以上によたって維持・形成されていった、と想定している点では間違っていたものの、もっと狭い地域に関しては、多地域進化説的な想定が妥当ではないか、というわけです。

 さらに、これが当てはまるのはアフリカ起源の現生人類だけではないかもしれないという点からも、多地域進化説の復権と言えそうです。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万〜19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的で、多地域進化説的な想定が有効であるように思います。

 ホモ属の起源に関しても、多地域進化説的な見解が当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万〜180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、エレクトスが出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万〜275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。300万〜200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万〜200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりホモ属が形成されていった、との想定には少なくとも一定以上の説得力があるように思います。

 もちろん、現生人類やネアンデルタール人、さらにはホモ属の起源に関して、上述のような想定が妥当だとしても、多地域進化説の復権とはいえ、全面的な復権ではなく、部分的なものではありますが、単一起源説が正解で多地域進化説は間違いといった単純な理解は、もはや通用しないのではないか、と思います。もちろん、今後の研究の進展により、「現生人類アフリカ多地域進化説」も、否定されるか大きく修正されるようになるかもしれず、あくまでも現時点では妥当性が高いだろう、と私が考えているにすぎません。
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ローマ帝国関連の記事のまとめ

2019/02/09 06:56
 ローマ帝国に関する当ブログの記事もそれなりの本数になったので、一度まとめておきます。まとめる前から分かってはいましたが、本村凌二氏の著書が圧倒的に多くなっています。これからは他の著者の本も少しずつ読んでいこう、と考えています。今後、ローマ帝国に関する記事を掲載した場合、追記していきます。


本村凌二『興亡の世界史04 地中海世界とローマ帝国』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_13.html

栗田伸子・佐藤育子『興亡の世界史03 通商国家カルタゴ』
https://sicambre.at.webry.info/200910/article_9.html

ローマ帝国の東アジア人?
https://sicambre.at.webry.info/201002/article_10.html

本村凌二『古代ポンペイの日常生活』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201112/article_18.html

本村凌二『ローマ人に学ぶ』
https://sicambre.at.webry.info/201204/article_18.html

本村凌二『古代ローマとの対話 「歴史感」のすすめ』
https://sicambre.at.webry.info/201210/article_5.html

本村凌二、中村るい『古代地中海世界の歴史』
https://sicambre.at.webry.info/201309/article_20.html

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201311/article_1.html

本村凌二『はじめて読む人のローマ史1200年』
https://sicambre.at.webry.info/201409/article_2.html

本村凌二『愛欲のローマ史』(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201410/article_2.html

南川高志『ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像』
https://sicambre.at.webry.info/201509/article_5.html

井上文則『軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡』
https://sicambre.at.webry.info/201510/article_6.html

ベルトラン=ランソン『古代末期 ローマ世界の変容』
https://sicambre.at.webry.info/201511/article_5.html

ブライアン・ウォード=パーキンズ『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201511/article_13.html

小林登志子『文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ』
https://sicambre.at.webry.info/201511/article_18.html

南川高志『世界史リブレット人008 ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』
https://sicambre.at.webry.info/201603/article_6.html

本村凌二『ローマ帝国 人物列伝』
https://sicambre.at.webry.info/201611/article_1.html

桜井万里子、本村凌二『集中講義!ギリシア・ローマ』
https://sicambre.at.webry.info/201804/article_22.html

本村凌二『教養としての「ローマ史」の読み方』第3刷
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_22.html

ローマ帝国における近親婚
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_53.html
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森茂暁『戦争の日本史8 南北朝の動乱』

2019/02/09 06:52
 吉川弘文館より2007年9月に刊行されました。「南北朝」と題した一般向け書籍の叙述範囲をどこまでとするかという問題は、著者の歴史観も表れていて興味深いと思います。本書は、鎌倉時代後期の情勢や足利義持・義教が室町殿だった時代にも言及していますが、基本的には正中の変から南北朝の合一までを扱っています。南北朝時代の通史としては基本的な時代区分と言えそうです。本書は、南北朝時代を日本史上初の未曾有の大転換期だと指摘しています。それは、政治・経済・思想・文化の各方面における変革だった、というのが本書の見解です。

 本書は、観応の擾乱も含めて南北朝の騒乱を急進派対保守派という概念で把握し、騒乱が大規模化・長期化した要因としています。たとえば、高師直は急進派で足利直義は保守派(守旧派)というわけです。こう明確に区分すると確かに分かりやすいというか鮮やかではあるのですが、そのように割り切れるものなのか、疑問も残ります。この時代の宗教・文化・対外関係のみならず、近代における南北朝時代についての歴史認識とその影響も取り上げられています。大日本帝国の理念と南朝の王権至上主義とは酷似しており、それは北朝の後裔にも関わらず明治天皇が南朝を正統とみなしたことと無関係ではないだろう、との指摘は興味深いと思います。

 本書を読んでこの記事を執筆したのはかなり前のことで、はっきりと記憶していませんが、10年近く経過しているかもしれません。高師直を急進派、足利直義を保守派(守旧派)と区分する本書の見解に関しては、当時からやや疑問を抱いていたのですが、この問題に関してはその後、亀田俊和『高師直 室町新秩序の創造者』(関連記事)や亀田俊和『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(関連記事)が刊行されており、参考になると思います。
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鎌倉時代に関する記事のまとめ

2019/02/08 16:51
 鎌倉時代に関する当ブログの記事もそれなりの本数になったので、一度まとめておきます。今後、鎌倉時代に関する記事を掲載した場合、追記していきます。


本郷和人『武士から王へ−お上の物語』
https://sicambre.at.webry.info/200711/article_6.html

久米邦武「鎌倉時代の武士道」
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_13.html

本郷恵子『日本の歴史第6巻 京・鎌倉 ふたつの王権』(2008年5月刊行)
https://sicambre.at.webry.info/200806/article_11.html

五味文彦『源義経』
https://sicambre.at.webry.info/200809/article_18.html

中世の大震災
https://sicambre.at.webry.info/200811/article_19.html

美川圭『院政』
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_13.html

木村茂光『日本中世の歴史1 中世社会の成り立ち』(吉川弘文館、2009年)
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_28.html

小林一岳『日本中世の歴史4 元寇と南北朝の動乱』
https://sicambre.at.webry.info/200909/article_21.html

上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』
https://sicambre.at.webry.info/200910/article_11.html

川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』
https://sicambre.at.webry.info/200911/article_1.html

伊藤正敏『無縁所の中世』
https://sicambre.at.webry.info/201005/article_22.html

本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』
https://sicambre.at.webry.info/201101/article_8.html

東島誠『選書日本中世史2 自由にしてケシカラン人々の世紀』
https://sicambre.at.webry.info/201103/article_8.html

河内祥輔、新田一郎『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』
https://sicambre.at.webry.info/201104/article_1.html

細川重男『北条氏と鎌倉幕府』
https://sicambre.at.webry.info/201104/article_13.html

本郷恵子『選書日本中世史3 将軍権力の発見』
https://sicambre.at.webry.info/201104/article_26.html

榎本渉『選書日本中世史4 僧侶と海商たちの東シナ海』
https://sicambre.at.webry.info/201105/article_8.html

細川重男『鎌倉幕府の滅亡』
https://sicambre.at.webry.info/201106/article_16.html

野口実『武門源氏の血脈 為義から義経まで』
https://sicambre.at.webry.info/201202/article_4.html

本郷恵子『蕩尽する中世』
https://sicambre.at.webry.info/201203/article_4.html

細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』
https://sicambre.at.webry.info/201209/article_13.html

秋山哲雄『敗者の日本史7 鎌倉幕府滅亡と北条氏一族』
https://sicambre.at.webry.info/201307/article_15.html

『週刊新発見!日本の歴史』第6号「鎌倉時代1 源頼朝と武家政権の模索」
https://sicambre.at.webry.info/201307/article_24.html

『週刊新発見!日本の歴史』第19号「鎌倉時代2 京と鎌倉のダイナミクス」
https://sicambre.at.webry.info/201310/article_31.html

『週刊新発見!日本の歴史』第20号「鎌倉時代3 対モンゴル戦争は何を変えたか」
https://sicambre.at.webry.info/201311/article_7.html

『週刊新発見!日本の歴史』第21号「鎌倉時代4 鎌倉仏教の主役は誰か」
https://sicambre.at.webry.info/201311/article_19.html

鍛代敏雄『敗者の日本史11 中世日本の勝者と敗者』
https://sicambre.at.webry.info/201311/article_30.html

『岩波講座 日本歴史  第6巻 中世1』
https://sicambre.at.webry.info/201401/article_23.html

岡野友彦『院政とは何だったか 「権門体制論」を見直す』
https://sicambre.at.webry.info/201402/article_7.html

関幸彦『敗者の日本史6 承久の乱と後鳥羽院』
https://sicambre.at.webry.info/201403/article_5.html

呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』
https://sicambre.at.webry.info/201403/article_21.html

五味文彦『シリーズ日本中世史1 中世社会の始まり』
https://sicambre.at.webry.info/201608/article_19.html

近藤成一『シリーズ日本中世史2 鎌倉幕府と朝廷』
https://sicambre.at.webry.info/201608/article_24.html

倉本一宏『藤原氏―権力中枢の一族』
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_4.html

服部英雄『蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実』
https://sicambre.at.webry.info/201803/article_11.html

呉座勇一『陰謀の日本中世史』
https://sicambre.at.webry.info/201804/article_1.html

中世初期の日本仏教
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_38.html

佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_51.html

橋昌明『武士の日本史』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_2.html

中公新書編集部編『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_35.html

美川圭『公卿会議 論戦する宮廷貴族たち』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_30.html

百田尚樹『日本国紀』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_23.html

文藝春秋編『日本史の新常識』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_22.html

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_45.html

高橋典幸・五味文彦編『中世史講義 院政期から戦国時代まで』
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_47.html

新井孝重『戦争の日本史7 蒙古襲来』
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_2.html
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コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータ

2019/02/07 19:33
 コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2019)が報道されました。1100kmに及ぶコーカサス山脈は黒海とカスピ海の間に位置しており、コーカサス地域には上部旧石器時代以降の豊富な考古学的記録があります。コーカサス地域での新石器時代は8000年前以降に始まりました。鉱石・牧草地・木材といった天然資源が豊富なコーカサス地域は、発展していくメソポタミアの都市文化にとって重要な地域でした。

 西アジア・コーカサス地域・ユーラシア草原地帯・ヨーロッパ中央部の接触に関しては、7000〜6000年前頃に考古学と遺伝学の双方で証拠が得られています。こうした接触は6000〜5000年前に増加していき、車輪・ワゴン・銅合金・新たな武器や家畜品種などが好感されていきました。こうした接触によりヤムナヤ(Yamnaya)文化が形成され、やがてヤムナヤ文化集団は5000〜4000年前頃より拡散していき、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。車輪の開発やウマの家畜化の進展などによる移動力の増加が、こうした大移動の背景にあるのでしょう。コーカサス地域は、こうした人類集団と文化の移動・拡散において、重要な役割を果たしたのではないか、と考えられています。

 本論文は、おもに6500〜3500年前頃のコーカサス地域の45人のゲノム規模の一塩基多型データを生成し、既知の古代人や現代人のデータと比較しつつ、コーカサス地域、さらにはユーラシア西部の人類集団の移動・相互の関係を検証しています。これまでのコーカサス地域の現代人のゲノム解析からは、アナトリア半島や近東の集団との類似性と、隣接する北方の草原地帯との遺伝的不連続性が指摘されていました。常染色体やミトコンドリアDNA(mtDNA)のデータからは、コーカサス地域全体は遺伝的に比較的均質に見えるのにたいして、Y染色体は多様でより深い遺伝的構造を示し、地理的・民族的・言語・歴史的事象と一致します。本論文は、古代ゲノムデータの解析・比較により、こうしたパターンがどのように形成されてきたのか、検証しています。

 まず大まかに言えるのは、6500〜3500年前頃のコーカサス地域の人類集団の遺伝的構成は草原地帯と山岳地帯とで大きく分かれ、3000年にわたって安定的だった、ということです。つまり、人類集団の遺伝的構成は、コーカサス山脈の南方地域と北部の山麓地域とでは類似しているのに対して、コーカサス山脈の北部では、隣接していても、山麓地域と草原地域とでは明確に異なり、そうした構造が3000年にわたっておおむね安定的に継続した、ということです。銅石器時代〜青銅器時代には、コーカサス山脈は人類集団を遺伝的に分離する障壁とはならなかったようです。本論文は、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成になっている、と指摘しています。Y染色体では、ハプログループJ・G2・Lが多い山麓地域と、R1/R1b1およびQ1a2の多い草原地域とで明確に異なりますが、mtDNAのハプログループは両集団ともY染色体DNAハプログループよりも多様で類似しています。

 青銅器時代のコーカサス地域には、おもにコーカサス山脈以北のマイコープ(Maykop)文化(5900〜4900年前頃)とコーカサス山脈以南のクラアラクセス(Kura-Araxes)文化が存在し、後者は青銅器時代後期にかけて1期〜3期へと変容していきます(5600〜4300年前頃)。コーカサス山脈以北では、ヤムナヤ文化も拡大してきて、マイコープ文化から北部コーカサス文化(4800〜4400年前頃)へと変容していきます。こうした文化変容にも関わらず、生態系に対応した人類集団の遺伝的構成は比較的安定していました。

 さらに、マイコープ文化集団の担い手の遺伝的構成も、山麓地域と草原地域とで異なっており、文化変容が大規模な人類集団の移動を伴わず、在来集団による文化受容だったことを示唆しています。ただ、マイコープ文化期に、山麓地域には多いアナトリア農耕民系要素が草原地域では基本的に見られないか少ない一方で、アナトリア農耕民系要素が顕著に多い個体も草原地域マイコープ文化集団で2人確認されているので、山麓地域と草原地域とである程度の遺伝子流動があった、と推測されます。また、草原地域マイコープ文化集団には、ユーラシア北部・中央部に存在したと推測される、まだ識別されていない祖先集団(ゴースト集団)からの遺伝的影響を受けており、アメリカ大陸先住民集団や東アジア系集団との類似性をもたらしている、と推測されています。本論文の見解を私が文章にしても分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。
画像

 上述したように、コーカサス地域では現在、常染色体やmtDNAが比較的均質なのに対して、Y染色体では民族に応じた大きな違いが見られます。本論文は、現在のコーカサス北部集団には、鉄器時代以降に草原地帯集団から追加の遺伝子流動があった、と推測しています。考古学と歴史学からは、鉄器時代と中世におけるコーカサス地域への大量の侵入が指摘されていますが、この仮説の検証には、鉄器時代以降の古代DNA解析が必要になる、と本論文は慎重な姿勢を示しています。おそらく鉄器時代以降のコーカサス地域では、男性主体の征服活動があったのでしょう。

 また本論文は、ヤムナヤ文化系集団が、そのヨーロッパ西方への本格的な拡大の前に、ヨーロッパからわずかに遺伝的影響を受けた可能性も指摘しています。本論文はその候補として、ヨーロッパ中央部の球状アンフォラ(Globular Amphora)文化集団などを想定しています。ヤムナヤ文化集団のヨーロッパへの大規模な拡散の前に、ユーラシア西部では微妙な遺伝子流動があり、それはユーラシア草原地帯(東)からヨーロッパ(西)への一方向のみではなかった、というわけです。本論文は、考古学的証拠でも、ヨーロッパからメソポタミアまで含む文化の交流がヤムナヤ文化集団の本格的な拡大前より始まったことが示されていることから、ユーラシア西部では早くから広範囲の文化的・遺伝的交流があったのではないか、と指摘しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2019): Ancient human genome-wide data from a 3000-year interval in the Caucasus corresponds with eco-geographic regions. Nature Communications, 10, 590.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08220-8
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マウスの関節の再生

2019/02/06 03:33
 マウスの関節の再生に関する研究(Yu et al., 2019)が公表されました。哺乳類の再生能力は低く、切断創や外傷が生じると、通常はその部位に瘢痕組織が形成されます。先行研究では、骨形成タンパク質(BMP)2という増殖因子でマウス指の切断創を処置すると、骨断端の伸長が促されると明らかになっていますが、関節やその他の骨格要素の再生は起きませんでした。

 この研究は、マウスに別の増殖因子BMP9を用いた処置を行なうことで、関節軟骨に覆われた骨格要素と滑液腔からなる関節構造の形成が促された、と報告しています。ただし、この過程において、滑液腔の形成を開始させるためには、細胞がPrg4遺伝子を発現している必要がある、と明らかになりました。また、この研究は、切断創をBMP2とBMP9で連続的に処置すると、骨細胞と関節細胞の形成につながることも明らかにしました。この研究は一連の知見から、哺乳類の切断創の細胞には関節再生能力とそのための情報が保持されているという証拠が得られた、と主張しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【健康科学】マウスの関節の再生

 関節を損傷したマウスに対して、いくつかの増殖因子を組み合わせて関節の再生を促す方法について報告する論文が、今週掲載される。

 哺乳類の再生能力は低く、切断創や外傷が生じると、その部位に瘢痕組織が形成されるのが通例だ。先行研究では、マウスで、指の切断創を骨形成タンパク質(BMP)2という増殖因子を用いて処置すると骨断端の伸長が促されることが明らかになったが、関節やその他の骨格要素の再生は起こらなかった。

 今回、Ken Muneokaたちの研究グループは、マウスに別の増殖因子BMP9を用いた処置を行うことで、関節軟骨に覆われた骨格要素と滑液腔からなる関節構造の形成が促されたことを報告している。ただし、この過程において、滑液腔の形成を開始させるためには、細胞がPrg4遺伝子を発現している必要があることが分かった。また、Muneokaたちは、切断創をBMP2とBMP9で連続的に処置すると、骨細胞と関節細胞の形成につながることも明らかにした。

 Muneokaたちは、今回の研究によって、哺乳類の切断創の細胞には関節再生能力とそのための情報が保持されているという証拠が得られたと主張している。



参考文献:
Yu L. et al.(2019):BMP9 stimulates joint regeneration at digit amputation wounds in mice. Nature Communications, 10, 424.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-08278-4
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『卑弥呼』第10話「一計」

2019/02/05 16:06
 『ビッグコミックオリジナル』2019年2月20日号掲載分の感想です。前回は、トンカラリンの洞窟からの脱出に成功したヤノハを、祈祷部(イノリベ)の女性たちが日見子(ヒミコ)と認めて崇めるところで終了しました。今回は、祈祷部の長であるヒルメが、輿の中のヤノハに語りかける場面から始まります。ヒルメはヤノハに、日見子となったのでもはや下々の巫女に顔を見せてはならない、と言って、明日の昼まで輿の中にいるよう伝えます。ヒルメは、数名の巫女と一足先に種智院(シュチイン)へと戻り、ヤノハの世話は、祈祷女見習いたちへの講義を担当しているイクメが見ることになります。

 なぜ先に戻るのか、とヤノハに問われたヒルメは、百年ぶりに日見子が顕れたので、祝いの準備が必要だ、と答えます。ヒルメ様が発った後、誰かに襲われれば、自分はひとたまりもない、と言うヤノハに対して、誰に襲われるのだ、とヒルメはわざとらしく尋ねます。タケル王か鞠智彦(ククチヒコ)様だ、と答えるヤノハに、なぜそう思うのか、とまたしてもわざとらしく尋ねます。ヤノハはややきつい口調で、タケル王は自称日見彦(ヒミヒコ)なので、日見子の出現は看過できないはず、と答えます。ずる賢いだけあって、身の危険を誰よりも早く察するようだな、とヒルメは皮肉を言います。日見子が顕れたとの報せはまだ鞠智の里にも都(鹿屋のことでしょうか)にも届いていないから案ずるな、と冷ややかに言うヒルメに対して、すぐに届く、とヤノハは反論します。

 ヒルメが立ち去った後、輿から出たヤノハを、イクメは慌てて輿に戻そうとします。ヤノハは、自分を守るために残ったのが、戦女(イクサメ)2人と祈祷女(イノリメ)4人とイクメともう1人の計8人であることから、ヒルメは自分を殺そうとしているのだ、と推測します。ヒルメからイクメへ支持は、お暈(ヒガサ)さまが真上に来た時に発て、というものでした。敵に襲われたらお前はともに死ぬつもりなのか、それとも逃げろと言われているのか、と問われたイクメは返答に窮します。ヒルメは自分を殺そうと考えているはずだ、と改めてヤノハに問われたイクメは、トンカラリンより生還した日見子を命に代えても守る、自分は山社(ヤマト)を守る将軍ミマトの娘なので武術にも覚えがある、とヤノハに訴えます。

 ヤノハは思うところがあったのか、自分に天照さまが降りるというのは勘違いだった、自分は日見子ではない、とイクメに打ち明けます。しかしイクメは、トンカラリンからの生還者はヤノハだけだった、天照さまのお力なくしてどのように脱出できたのか、となおもヤノハを日見子と信じて疑いません。ヤノハは、日向(ヒムカ)の日の守(ヒノモリ)だった養母からお天道さまの動きを読むことと、植物・石・獣の習性を教わり、その知識を駆使して抜け出せたのだ、とイクメに打ち明けます。それでもイクメは、正直な人だとヤノハ感心します。自分を見捨てて皆と発ってくれ、自分はどこかに消える、とイクメに提案するヤノハですが、その知識も天照さまが降りた証だとイクメは言い、ますますヤノハを守ろうと決意を固めます。するとヤノハもついに覚悟を決め、イクメに策を授けます。

 その頃、志能備(シノビ)から報告を受けたウガヤは、トンカラリンから生還者が出た、と鞠智彦に伝えていました。日見子が出現したのか、と鞠智彦に問われたウガヤは、それはまだ分からない、と答えます。鞠智彦は、アカメという手練れの志能備を送り込んだのに、なぜ生還者が出たのか、疑問に思います。神降りを騙る者は、手足の骨を砕いて野に放つのが定めだが、生還者をどうするのか、とウガヤに問われた鞠智彦vは、会ってみたいので連れてこい、と命じます。どのようにトンカラリンを抜けて暗殺を防いだのか、ぜひ話を聞きたい、というわけです。

 一方、種智院では、祈りを捧げるヒルメに、日見子出現の噂が暈(クマ)の国の警備兵に届いており、討伐の兵も鞠智の里から贈られたと聞いている、と祈祷部の副長であるウサメが報告していました。ヤノハというか日見子の身を案じるウサメにたいして、ヤノハが真の日見子と思うか、とヒルメは問いかけます。ヤノハに天照さまが降りたのを見たこともなければ、お告げを聞いたこともない、というわけです。トンカラリンから無事に脱出した、と言うウサメにたいして、ヤノハは小賢しいので何か仕掛けがあるに違いない、とヒルメは言います。見殺しにするのか、とウサメに問われたヒルメは、天照さまにもう一度お伺いを立てる、と答えます。真の日見子ならば、殺されずに種智院に戻るだろう、というわけです。ヤノハが無事帰還すれば自分もヤノハを日見子と認めて仕えるが、その可能性は万が一にもないと思う、とヒルメはウサメに言います。

 その夜、ヤノハの世話を任された者たちが輿を担ぎ種智院へと向かっている途中で、鞠智彦の命を受けた兵士たちが現れます。日見子の護衛に来た、と巫女に言う指揮官らしき男性ですが、じっさいは日見子というかヤノハを拉致するために来たわけです。輿の中を見ようとする指揮官らしき男性に巫女たちは抵抗しますが、鞠智彦の命に背くのか、と言われて仕方なく中を見せます。しかし、そこには供え物があるだけで、ヤノハはいませんでした。兵士たちは、謀られた、と悟ります。

 その頃、ヤノハはウサメとともに草原で月を眺めていました。ヤノハに夢を問われたウサメは、皆と同じくこの国が平和になることだ、と答えます。ウサメに夢を問われたヤノハは、ただ生き延び、美味いものを食べて眠りたい時に眠り、誰にも邪魔されず自由に生きることだ、そのためだけに種智院に身を寄せた、と答えます。ヤノハが、自分の夢のためにはウサメたちの夢である倭国大乱に終止符を打つことが必要だと悟り、自分に倭国の歴史・地理・海の彼方の大陸のことなどを教えてほしい、とウサメに頼むところで、今回は終了です。


 今回は、ヤノハが卑弥呼となる道筋がはっきりと描かれました。ヤノハは自分が日見子(卑弥呼)の器ではない、と自覚していますが、生きることに必死で手段を選ばなかった結果、自分が現在置かれた状況では、日見子としてふるまい続けるのが最善の道だと覚悟を決めたのでしょう。しかし、暈の国の上層部には敵が多く、前途多難です。まず、ヒルメはヤノハへの敵意・殺意を隠そうとすらしていません。タケル王も鞠智彦も日見子というかヤノハを殺そうとするだろうから、それに任せておけばヤノハは殺されるだろう、とヒルメは楽観しているのでしょう。ヒルメはかつてウサメに、日見子が出現した場合、タケル王と鞠智彦が日見子を殺そうとするだろうが、味方は隠れたところに大勢いるので案ずるな、と諭したことがあります(第3話)。つまり、タケル王と鞠智彦が日見子を殺そうとしても、それを防げる、とヒルメは確信しているようなのですが、今回はその対策をとらず傍観するので、日見子たるヤノハは殺されるだろう、というわけです。

 一方、鞠智彦の側は、ヒルメの意図とは異なる行動をとろうとしているようです。鞠智彦は、暗殺者の志能備を退けてトンカラリンから脱出したヤノハに興味を抱き、直接話を聞こうとしています。鞠智彦は、話を聞いた後でヤノハを殺すつもりなのかもしれませんが、説得できるようなら、志能備として自分に仕えさせようと考えているのかもしれません。ともかく鞠智彦は、ヤノハが日見子だとまったく考えていないようで、タケル王が真の日見彦ではないと知っていることからも、そもそも日見子や日見彦の出現自体を信じていないのかもしれません。鞠智彦は冷静な武人といった感じで、大物感があります。一方、タケル王は小物感が否めませんし、顔もややモブっぽいので、ヤノハに立ちはだかる人物としては、鞠智彦の方が重要になりそうだ、と予想しています。

 ヒルメはヤノハが日見子だとまったく考えていませんし、鞠智彦も、ヤノハの生き抜く力を評価しているだけで、タケル王との関係からも、ヤノハを日見子と認めるつもりはまったくないようです。ヤノハが日見子となる道筋がはっきりと描かれましたが、このまますんなりと日見子と認められ、倭国大乱を平定するような話になるとはとても思えません。何よりも、暈の国は後の熊襲で、『三国志』の狗奴国だと思われますから、卑弥呼(日見子)とは対立することになります。ヤノハが日見子と広く認められるとしても、暈の国を脱出した後になりそうです。暈の国上層部はヤノハに敵対的ですが、ウサメはヤノハを日見子と認めて支えていくつもりのようですし、祈祷女やその見習いたちの多くも、素朴にヤノハを日見子と認めそうです。ウサメはややモブっぽい顔なので、退場は早そうですが、今後、ヤノハの弟(ヤノハは弟が死んだと考えていますが)などヤノハを支える人物が次々と登場しそうなので、楽しみです。また、ヤノハがモモソを殺したと知っているヌカデも再登場が予想されるので、日見子と認められたヤノハとどう関わっていくのか、注目されます。
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地上波版より分かりやすかったBS版『生命大躍進』第3集「ついに“知性”が生まれた」

2019/02/04 16:47
 4年前(2015年)にNHKスペシャルとして地上波で放送された『生命大躍進』がBS4Kで放送されたので、録画して視聴しました。BS版は基本的に地上波版と内容は変わらないと思いますが、やや放送時間が長いことと、芸能人の小芝居がないことから、地上波版では省略された解説もあります。このようなドキュメンタリー番組に芸能人が出演して小芝居をすることに私は昔から否定的で、『生命大躍進』第3集では地上波版で省略された重要な情報も解説されたことから、ますます批判的になりました。ただ、『生命大躍進』の出演者はガッキーだったので、つい小芝居を楽しみに見てしまいました。そんなことではいけない、とは思うのですが、凡人なのでつい評価が感情に左右されてしまいます。

 それはさておき、『生命大躍進』第3集(関連記事)BS版と地上波版の違いですが、地上波版では言及されなかったネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑が、BS版では取り上げられていました。昨年放送されたNHKスペシャル『人類誕生』第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」では両者の交雑が取り上げられていたものの、それまでのNHKスペシャルでは両者の交雑が言及されておらず、かなり偏っているというか、頑なな態度だという印象を私は視聴時に受けました(関連記事)。もちろん、何らかの明確な理由があるとか、省略してもとくに解説に支障がないとかならば、仕方のないところかもしれません。しかし、『生命大躍進』第3集の場合、ネアンデルタール人と現生人類との「知性」の違いの一因となり得る要素の解説として、重要な役割を担っていたように思うので、省略には疑問の残るところです。

 地上波版では、ネアンデルタール人と現生人類との「知性」の違い一因として、FOXP2遺伝子の発現に変化をもたらすような変異が挙げられ、やや詳しく解説されていました。FOXP2遺伝子は発話能力に関与している、と考えられているので(BS版第3集では学習能力との関連も指摘されていました)、ネアンデルタール人と現生人類との「知性」の違いの要因として、以前より有力な候補とされてきました。その意味で、FOXP2遺伝子への注目は説得的なのですが、BS版は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑について言及し、現代人のゲノムにおいて、FOXP2遺伝子を取り囲んでいる膨大なゲノム領域では、現代人のそれにネアンデルタール人由来のそれが見られない、との研究(関連記事)を取り上げることで、FOXP2遺伝子がネアンデルタール人と現生人類との「知性」の違いにおいてなぜ注目されるのか、より説得力のある解説になっていたと思います。

 FOXP2遺伝子の周辺領域の違いがFOXP2遺伝子の発現に影響を及ぼし、その具体的な効果はまだ不明としても、FOXP2遺伝子とその周辺領域に関しては、現代人にネアンデルタール人由来のものが見当たらないとなると、「ネアンデルタール人型」は「現生人類型」と比較して適応度が明らかに低く、排除されたのだ、との推測は妥当なものです。そこから、ネアンデルタール人は現生人類と比較して発話能力や学習能力が低く、それが現生人類との競合で絶滅した(より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)要因になった、との推測も一定以上の説得力があるとは思います。もちろん、そうした見解が本当に正しいのかは、さらなる検証が必要です。最近では、ネアンデルタール人と現生人類との認知能力の大きな違いの重要な根拠とされてきた壁画についても、ネアンデルタール人が描いていた、との見解も提示されており(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いは、1990年代後半〜2000年代に想定されていたほど大きくはないかもしれません。
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』26話・28話〜30話

2019/02/04 03:57
26話「みんな死んでしまった」8
 違う事件となりますが、話の流れとして25話の続きとなります。前回、一係全員が事件の捜査のために九州に来ましたが、事件解決後も九州出身のゴリさんは東京に戻らず熊本の実家に帰り、見合いをすることになります。ゴリさんの出身地は長崎県や宮崎県とされたとこともあったと記憶していますが、最終的には熊本県出身で落ち着きました。こうした矛盾は長期ドラマならではといったところでしょうか。いずれにしても、九州出身という点は変わりませんが。話の方は、ゴリさんが見合い相手と勘違いしてしまった女性と出会うところから始まります。ゴリさんは別人と勘違いされて事件に巻き込まれ、別人に成りすまして事件を解決しようとします。欲望の渦巻く閉ざされた世界での殺し合いが展開し、こうした謎解きは山さん・殿下やずっと後の登場となるスコッチ・デュークの方が適しているようにも思いますが、ゴリさんが手探り状態で謎を解明していく展開はなかなか楽しめましたし、オチがつけられていたのもよかったと思います。


28話「目には目を」4
 ボスとは因縁のある金融会社の滝沢社長の妊娠中の若い妻が誘拐されます。滝沢は警察の介入を拒否しますが、ボスは強引に捜査に踏み出します。ボスは滝沢に、金を貸している人間のリストを渡すよう求め、社長は渋りつつもボスに渡します。滝沢は金を貸していた人間を次々と自殺に追い込んでいましたが、証拠がないため、逮捕されずにいました。ボスは、滝沢に恨みを抱く人間が犯人ではないか、と考えていました。犯行の動機はありふれていますが、妊娠中の女性を誘拐するという展開は目新しいと思います。本作の主題である生命の尊さが前面に出た話になっていますが、欠番を除いて本作を全話視聴した今となっては、洗練されていない感は否めません。


29話「奪われたマイホーム」8
 山さんは妻と買い物中、住宅詐欺に引っかかった一家と偶然知り合います。一家の妻は加害者の元不動産屋を偶然見かけて追いかけ、そこに山さん夫妻が偶然通りかかったわけです。この元不動産屋の黒幕には葉村商事の社長がいました。一家の夫は葉村商事の社長を尾行して元不動産屋の居場所を見つけ、揉み合っているうちに殺してしまいます。山さんは、一家の夫に心情的に肩入れしつつも、捜査を進めます。山さんがかなり感情的な行動をとり、被害者の男性が葉村社長を殴っても止めないなど、初期の山さんは後年よりもかなり熱いとはいっても、やや意外な展開でした。むしろ、普段は無鉄砲な行動を山さんに窘められているマカロニの方が冷静です。最後の場面も、山さん夫妻が被害者家族の妻の入院先に向かうところで終わり、ボスが映っておらず、最後の場面には必ずボスがいる、というお約束は、この時点ではまだ確立していないようです。被害者家族の夫を演じたのは下條正巳氏で、後にゴリさんの父親役を演じることになります。葉村社長役は高品格氏で、さすがに存在感があります。


30話「また若者が死んだ」5
 前回はやや大人向けの話といった感じでしたが、今回はマカロニ主演となり、加害者も被害者も若者で、シンコも巻き込まれており、原点回帰?で青春ものといった感じです。知り合いの若い警官が殺されて苛立ち暴走するマカロニにたいして山さんは冷静で、いつものキャラ設定に戻った感があります。まあ、被害者との距離感の違いがありますから、前回が不自然で今回が自然というわけでもありませんが。やや残念なのは、犯人の若者たちの人物像や犯行にいたる経緯が終盤になって初めて描かれて、唐突感があったことですが、こういう構成も悪くはないかな、とも思います。とはいえ、犯人の人物像の掘り下げが浅く、物足りなさが残った感は否めません。
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ヒヒ属の複雑な進化史

2019/02/03 09:48
 ヒヒ属の進化史に関する研究(Rogers et al., 2019)が公表されました。ヒヒ属は霊長類の中でも現代人とは比較的近縁です。現生ヒヒ属は、サハラ砂漠以南のアフリカを中心に、アラビア半島西部〜南部沿岸に生息しています。現生ヒヒ属は、マントヒヒ(Papio hamadryas)、アヌビスヒヒ(Papio anubis、オリーブヒヒ)、ギニアヒヒ(Papio papio)、キイロヒヒ(Papio cynocephalus)、チャクマヒヒ(Papio ursinus)、キンダヒヒ(Papio kindae)の6種に区分されます。地理的に大きく南北に分けると、北方系がマントヒヒ・オリーブヒヒ・ギニアヒヒで、南方系統がキイロヒヒ・チャクマヒヒ・キンダヒヒです。これら6種は、生息範囲が一部重なりつつも分散しています。ヒヒ属の社会は各種により異なり、複雄複雌型が多いものの、単雄複雌型も存在します。本論文は、ヒヒ属のゲノムを解析し、その進化史を復元しました。

 ヒヒ属6種の系統関係は、大まかには地理的範囲と対応しています。まず、150万年前頃に北方系統と南方系統が分岐します。北方系統では、80万〜70万年前頃にマントヒヒ系統とオリーブヒヒおよびギニアヒヒの共通祖先系統が分岐し、オリーブヒヒ系統とギニアヒヒ系統は40万〜30万年前頃に分岐します。南方系統では、70万年前頃にキイロヒヒ系統とチャクマヒヒおよびキンダヒヒの共通祖先系統とが分岐し、60万年前頃にチャクマヒヒ系統とキンダヒヒ系統とが分岐します。

 さらに本論文は、ヒヒ属において複雑な交雑があったことを示しています。ギニアヒヒは、北方系統において130万年前頃に分岐して現在では絶滅した系統から、10%程度の遺伝的影響を受けています。キンダヒヒは、チャクマヒヒと近縁な南方系統と、北方系統3種の共通祖先から80万〜70万年前頃に分岐した系統より、ほぼ同程度の遺伝的影響を受けて形成された、と推定されています。この関係は複雑なので、以下に本論文の図を掲載します。
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 ヒヒ属は、500万年前頃に分岐したゲラダヒヒ属(Theropithecus)との間に繁殖力のある交雑個体を、1000万年前頃に分岐したアカゲザル(Macaca mulatta)との間に繁殖力のない交雑個体を産むことから(関連記事)、以前よりホモ属の各系統間の交雑の有無やその影響の理解に役立つのではないか、と考えられていました。本論文は、ヒヒ属の過去200万年間の分岐と複数回の交雑を明らかにし、改めてホモ属の進化史に役立つ可能性を示しました。ホモ属も過去200万年間に各系統間の複数回の交雑を含む、複雑な進化史が想定されているからです(関連記事)。もっとも、ヒヒ属は現在でも6種に区分できるのにたいして、ホモ属は現生人類(Homo sapiens)1種しか存在しない、という大きな違いがあります。

 こうしたホモ属とヒヒ属との類似点および相違点についての理解は、現生ヒヒ属の交雑状況を調査することで、さらに深まっていくのではないか、と期待されます。ヒヒ属は現在でも、野生状態で種間交雑が生じ、交雑個体は繁殖能力を有しています。一方で、交雑しつつも、各種間は遺伝子・表現型・行動の点で明確に分離され続けています。これは、現生人類やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった後期ホモ属の間で複雑な交雑がありつつも、各系統が短くとも10万年以上の期間、異なる分類群として存続し続けてきた状況と類似しています。遺伝子流動が一定以上の頻度で起きつつも隔離的状況はいかに維持されるのか理解するうえで、現在も交雑が続くヒヒ属は貴重な手がかりを示すと期待されます。

 オリーブヒヒとキイロヒヒの交雑個体は、頭蓋や歯の異常頻度が顕著に高くなっています。両種の交雑個体は繁殖能力を有するものの、適応度は非交雑個体よりも低く、それが両種の隔離を維持しているのかもしれません。これは、ホモ属の各系統間の交雑でもあり得そうなことです。チャクマヒヒとキンダヒヒの交雑個体では、チャクマヒヒからのY染色体DNAとキンダヒヒからのmtDNAを有する個体が、その逆の場合よりも少ない、と報告されています。これは、チャクマヒヒの雄とキンダヒヒの雌との間では生殖的隔離が生じていることを示唆します。それは、この組み合わせの交配を避けるようなもの(接合前隔離)か、流産の可能性を高めたり、交雑第一世代が生まれても、何らかの要因で繁殖能力がないか低かったりするようなもの(接合後隔離)が想定されます。現生人類とネアンデルタール人の交雑に関しても、ネアンデルタール人男性と現生人類女性との組み合わせでは、男児が生まれにくかったか、生まれても繁殖能力が低かった可能性も指摘されています(関連記事)。

 オリーブヒヒとマントヒヒの間でも交雑が起きています。しかし、両者の社会構造は大きく異なります。オリーブヒヒが母方居住で複雄複雌なのにたいして、マントヒヒは父方居住でハーレム様の単雄複雌社会を形成し、集団において1頭の雄が1頭もしくは複数の雌と排他的に交配します。両者の雑種雄は、少なくともおもに交雑個体で構成される集団においては、かなりの繁殖的成功を達成できます。表現型で認識可能な雑種個体群の地理的範囲は狭いものの、これら2種間の遺伝子流動への障壁の明確な証拠はありません。両者の間で遺伝子流動と分離がいかに共存しているのか、解明することは、後期ホモ属の進化史の理解に大きな手掛かりを提供することでしょう。ヒヒ属は、異なる種が現存しており、交雑も続いている現代人の近縁系統という点で、今後の研究の進展が大いに注目されます。


参考文献:
Rogers J. et al.(2019): The comparative genomics and complex population history of Papio baboons. Science Advances, 5, 1, eaau6947.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aau6947
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大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第5回「雨ニモマケズ」

2019/02/03 09:45
 オリンピック陸上競技予選会が開かれ、金栗四三はマラソンに出場します。参加選手は19人でした。スタート直後から雨が降り始め、雨が降ったり止んだりして時として厳しい日差しも受ける過酷な環境の中、次々と選手たちは脱落していきます。四三は、序盤は抑えてスタミナを温存し、他の選手が次々と脱落するなか、ついに先頭に立ってそのまま完走しました。しかも、当時の世界記録を大きく更新する激走で、嘉納治五郎は歓喜します。

 これで初回の最後とつながったわけで、この構成は悪くなかったと思います。相変わらず、古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の1960年の場面は邪魔かな、とも思うのですが、古今亭志ん生と四三との縁も少しずつ明かされてきたので、今後、意味のある描写なのだと思えるようになるかもしれず、期待しています。今回も近代前期の群像劇としてなかなか面白かったのですが、視点が頻繁に変わることもあり、昔からの大河ドラマ愛好者には受けないだろうな、と思います。視聴率の低迷もそこが要因なのでしょうが、私は最後まで楽しめそうです。
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