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シナ・チベット語族の起源

2019/04/25 04:11
 シナ・チベット語族の起源に関する研究(Zhang et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。シナ・チベット語族は、インド・ヨーロッパ語族に次ぐ世界第2位の話者数を有する、とされています。シナ・チベット語族の起源に関しては、その地域・年代が長く議論されてきました。一方の「北部起源説」では、シナ・チベット語族の最初の拡大は6000〜4000年前頃(紀元後1950年基準)に中国北部の黄河流域で起き、土器や絹を生産し大規模な定住集落を有していた、新石器時代の仰韶(Yangshao)文化やもっと後の馬家窯(Majiayao)文化と関連している、と想定されています。もう一方の「南部起源説」では、シナ・チベット語族の早期の拡大は9000年前頃以前に中国南西部の四川省もしくはインド北東部の地域から起きた、と想定されています。その根拠は、これらの地域ではチベット・ビルマ語派の高い多様性が確認されるからです。

 本論文は、言語学・遺伝学・考古学・人類学の研究成果を統合し、109の言語における949の語彙の系統分析により、シナ・チベット語族の起源を検証しました。その結果、最も可能性が高いと推定されたのは、シナ・チベット語族の起源は中国北部の黄河流域にあり、5900年前頃に(7800〜4200年前頃)拡散・多様化が始まった、との想定です。これは「北部起源説」と整合的です。本論文は、シナ・チベット語族がシナ語派とチベット・ビルマ語派に大きく二分され、その後に各語派が分岐していき、その拡散は農耕拡大に伴っていた、との見解を提示しています。

 本論文の見解自体はとくに意外なものではないでしょうが、学際的研究による大規模データの分析で言語の拡散・分岐や人類集団の移動を復元する手法が示されたことは、たいへん意義深いのではないか、と思います。チベット人のゲノムの2/3は、アジア東部の初期農耕民で現代にも子孫を残してはいるものの、その遺伝的構成そのものは失われてしまった「黄河ゴースト集団」に由来し、残りの1/3はチベット在来の狩猟採集民集団に由来する、と推測されています(関連記事)。本論文の見解はこの推測とも整合的で、日本やチベットなど世界では少数地域にしか存在しないY染色体DNAハプログループDの起源やかつての分布域の推定という観点からも、アジア東部、さらにはユーラシア東部の古代DNA研究の進展が期待されます。

 また、頭蓋の分析からは、アジア東部・南東部において、農耕開始に伴う大規模な人類集団の移動が想定されています(関連記事)。つまり、本論文で想定されている中国北部の黄河流域の初期農耕民集団は、更新世の中国北部集団の遺伝的影響を受けているかもしれないとしても、その影響は小さく、農耕開始の頃に中国北部に拡散してきた外来集団だったのではないか、というわけです。これはあくまでも頭蓋形態に基づく推測ですから、この問題の解明には、やはりユーラシア東部における古代DNA研究の進展が必要となります。アジア東部の初期農耕民集団がどのように形成されたのか、現代日本人の形成過程とも大きく関わってくる問題でしょうから、日本人の私はたいへん注目しています。


参考文献:
Zhang M. et al.(2019): Phylogenetic evidence for Sino-Tibetan origin in northern China in the Late Neolithic. Nature.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1153-z
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鳥類多様性を低下させる国際貿易

2019/04/24 14:27
 国際貿易による鳥類多様性の低下に関する研究(Marques et al., 2019)が公表されました。経済発展と人口増加は農林産物の需要を創出し、自然生息地の利用可能地への転換を強化しています。持続可能な管理を実践しなければ、こうした要因は生物多様性や生態系プロセス(炭素貯蔵など)に悪影響を及ぼしかねません。この研究は、生物物理学的モデルと経済モデルを組み合わせることにより、2000〜2011年の間に土地利用活動によって絶滅の危機にさらされた鳥類種が121種になった、と推定しました。なお、16世紀初頭以降に世界で絶滅した鳥類種は140種と推定されています。

 同時期には、隔離された炭素の減少量が6%拡大しました。鳥類絶滅のほぼ1/3は牛畜産業が原因と考えられますが、生物多様性に対する影響の増加には、パーム油や大豆油など油糧種子の生産が最も強く関係していました。また、材木および木質燃料抽出のための林業活動が、炭素貯蔵能力を約30%低下させたことも明らかになりました。この研究は、商品の生産地と消費地との分離が進んでいることを実証するため、国際的サプライチェーンを結びました。その結果、2011年には、中南米の生物多様性への影響の33%、アフリカの生物多様性への影響の26%が、世界の他の地域での商品消費によって生じていた、と明らかになりました。この研究は、生物多様性の危機に対処するためには、各国政府が自国の経済活動による他地域への影響を認識して、世界の生物多様性に対する影響の小さな経済発展への転換を促進するべきである、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


国際貿易が世界の鳥類多様性を低下させる

 2000〜2011年にかけて、人口の増加と経済の規模拡大が、ますます多くの鳥類種を絶滅に向かわせ、世界の炭素貯蔵量を減少させたことを明らかにした論文が、今週掲載され。

 経済発展と人口増加は、農林産物の需要を創出し、自然生息地の利用可能地への転換を強化している。持続可能な管理を実践しなければ、こうした要因は生物多様性や生態系プロセス(炭素貯蔵など)に悪影響を及ぼしかねない。

 Alexandra Marquesたちは今回、生物物理学的モデルと経済モデルを組み合わせることにより、2000〜2011年の間に土地利用活動によって絶滅の危機にさらされた鳥類種が121種に上ったと推定した。(ちなみに、16世紀初頭以降に世界で絶滅した鳥類種は140種と推定されている。)

 同時期には、隔離された炭素の減少量が6%拡大した。鳥類絶滅のほぼ3分の1は牛畜産業が原因と考えられるが、生物多様性に対する影響の増加には油糧種子(パーム油や大豆油など)の生産が最も強く関係していた。また、材木および木質燃料抽出のための林業活動が、炭素貯蔵能力を約30%低下させたことも分かった。

 Marquesたちは、商品の生産地と消費地との分離が進んでいることを実証するため、国際的サプライチェーンを結んだ。その結果、2011年には、中南米の生物多様性への影響の33%、アフリカの生物多様性への影響の26%が、世界の他の地域での商品消費によって生じていたことが明らかになった。Marquesたちは、生物多様性の危機に対処するためには、各国政府が自国の経済活動による他地域への影響を認識して、世界の生物多様性に対する影響の小さな経済発展への転換を促進するべきであると示唆している。



参考文献:
Marques A et al.(2019): Increasing impacts of land use on biodiversity and carbon sequestration driven by population and economic growth. Nature Ecology & Evolution, 3, 4, 628–637.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0824-3
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都市化と花粉媒介昆虫

2019/04/23 02:39
 都市化と花粉媒介昆虫に関する研究(Baldock et al., 2019)が公表されました。都市化はハチやアブなどの花粉媒介昆虫を脅かしますが、過去の小規模研究では、都市の一部の地域が花粉媒介者の大個体群を支える可能性がある、と示されています。都市のさまざまな土地利用法が花粉媒介者に与える影響を明らかにすることは、生物多様性との調和性が高い都市を開発して、ハチをはじめとする花粉媒介種の減少を抑制するのに役立つ可能性があります。

 この研究は、イギリスのブリストル・エディンバラ・リーズ・レディングにおける植物と花粉媒介昆虫の分布を調査しました。それらの分布が、墓地・市民農園・人工的地表面(駐車場や工業団地など)・自然保護区・その他の緑地・公園・住宅の庭・道路沿いの緑地・歩道の9種類の主要な土地利用法の間で、どう異なるかを調べたわけです。その結果、住宅の庭と市民農園は、それ以外の種類の都会地域を上回る数の花粉媒介者を支えており、ハチの個体数は、人工的地表面の地域と比較して最高50倍に上る、と明らかになりました。この研究たちは、こうした差は花の多様性の違いによるものと考えています。同様に、高所得世帯の住宅の庭は概して花資源がより豊富で、誘引される花粉媒介者が多いことも明らかになりました。

 この研究は、さまざまな都市計画案の下で植物と花粉媒介者の群集がどのように変化するかをシミュレーションしました。その結果、市民農園を拡大すること、公園や道路沿いの緑地で花の数を増やすこと、裕福でない地域の緑地を充実させることはいずれも、都会の花粉媒介者を保全するための簡単で効果的な方策となる可能性が明らかになりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


花でいっぱいの庭がハチをごっそり引き寄せる

 花資源と花粉媒介者について、英国の主要4都市の360地点における大規模な研究の結果を報告する論文が、今週掲載される。

 都市化はハチやアブなどの花粉媒介昆虫を脅かすが、過去の小規模研究では、都市の一部の地域が花粉媒介者の大個体群を支える可能性があることが示されている。都市のさまざまな土地利用法が花粉媒介者に与える影響を明らかにすることは、生物多様性との調和性が高い都市を開発して、ハチをはじめとする花粉媒介種の減少を抑制するのに役立つ可能性がある。

 Katherine Baldockたちは、ブリストル、エディンバラ、リーズ、およびレディングにおける植物と花粉媒介昆虫の分布を調査した。そして、それらの分布が、9種類の主要な土地利用法[墓地、市民農園、人工的地表面(駐車場や工業団地など)、自然保護区、その他の緑地、公園、住宅の庭、道路沿いの緑地、歩道]の間でどう異なるかを調べた。

 その結果、住宅の庭と市民農園は、それ以外の種類の都会地域を上回る数の花粉媒介者を支えており、ハチの個体数は、人工的地表面の地域と比較して最高50倍に上ることが分かった。Baldockたちは、このような差は花の多様性の違いによるものと考えている。同様に、高所得世帯の住宅の庭は概して花資源がより豊富で、誘引される花粉媒介者が多かった。

 Baldockたちは、さまざまな都市計画案の下で植物と花粉媒介者の群集がどのように変化するかをシミュレーションした。その結果、市民農園を拡大すること、公園や道路沿いの緑地で花の数を増やすこと、裕福でない地域の緑地を充実させることはいずれも、都会の花粉媒介者を保全するための簡単で効果的な方策となる可能性が明らかになった。



参考文献:
Baldock KC. et al.(2019): A systems approach reveals urban pollinator hotspots and conservation opportunities. Nature Ecology & Evolution, 3, 3, 363–373.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0769-y
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ハイデルベルゲンシスの位置づけ

2019/04/22 03:21
 ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)の人類進化史における位置づけについて、2019年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Gomez-Robles., 2019)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P89)。ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)をネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)の共通祖先と想定する見解は、今でも有力と言えるでしょう。本報告は、歯の形態測定と祖先状態を復元する手法とにより、ハイデルベルク人の人類進化史における位置づけについて検証しました。

 本報告はこれらの手法を用いて、二つの知見を得ました。まず、ハイデルベルゲンシスはネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先で予想される歯の形態を示していません。対照的に、ハイデルベルゲンシスと分類されてきたヨーロッパの標本群は、ネアンデルタール人の歯の類似性を示します。次に、70万年前に先行する化石標本群は、早期ネアンデルタール人へと進化するにはきょくたんに急速な歯の進化を経験しなければならないので、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先の候補ではなさそうです。本報告は、ハイデルベルゲンシスに分類されてきたヨーロッパの標本群は、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先標本群の一部にはなり得ない、と指摘しています。本報告は、ハイデルベルゲンシスに分類されてきた)ヨーロッパの標本群はむしろ、系統学的にネアンデルタール人と関連しているか、ネアンデルタール人または現生人類とは関連しない絶滅系統だろう、との見解を提示しています。

 これらの知見から本報告は、ハイデルベルゲンシスの進化史における位置づけについて二つの可能性を想定しています。一方は、ヨーロッパのネアンデルタール人系統とアフリカの現生人類系統を含むような両者の共通祖先としてのハイデルベルゲンシスは有効な分類群ではない、というものです。本報告は、こちらが妥当だと主張しています。もう一方は、ネアンデルタール人との類似性を示すような標本群を除外するならば、ハイデルベルゲンシスというネアンデルタール人とも現生人類とも異なる種区分は成立するものの、その場合、ハイデルベルゲンシスはもはやネアンデルタール人または現生人類との進化的継続性を示さない、というものです。

 本報告の見解は、ハイデルベルゲンシスという種区分の問題を改めて強調しています。ハイデルベルゲンシスについては、形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとか(関連記事)、その正基準標本とされているマウエル(Mauer)で発見された下顎骨は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先と考えるにはあまりにも特殊化しているとか(関連記事)、指摘されています。ハイデルベルゲンシスをアフリカ起源の分類群とする見解もありますが(関連記事)、本報告が指摘するように、ハイデルベルゲンシスはもはや有効な分類群ではないとするか、ハイデルベルゲンシスという種区分を活かすならば、ネアンデルタール人とも現生人類とも関連しない分類群と考えるのが妥当ではないか、と思います。アフリカにいた現生人類とネアンデルタール人の共通祖先のうち、ヨーロッパに拡散した系統も分岐していき、ネアンデルタール人系統やマウエル系統が出現した、というわけです。


参考文献:
Gomez-Robles I. et al.(2019): Assessing the status of Homo heidelbergensis through dental morphology and ancestral state reconstruction approaches. The 88th Annual Meeting of the AAPA.
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十字軍兵士のDNA解析

2019/04/21 09:52
 十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究(Haber et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ユーラシアにおけるモンゴルの拡大やヨーロッパ系のアメリカ大陸征服といった人類集団の大規模な移動は、被征服地の人類集団の遺伝的構成を大きく変えました。11世紀末〜13世紀後半にかけての十字軍でも、何十万人ものヨーロッパ人が地中海東岸に押し寄せて戦いました。以前、現代レバノン人におけるヨーロッパ系のY染色体DNAハプログループ(YHg)が発見され、十字軍起源の可能性が指摘されました。その後、ゲノム解析により、現代レバノン人の遺伝的系統はほとんど、レバノンの青銅器時代集団と、外来のユーラシア草原地帯集団との紀元前1750〜紀元前170年頃の混合に由来する、と明らかになりました。つまり、現代のレバノン人の常染色体は十字軍の影響をほとんど受けていない、と推測されます。本論文は、この見解が妥当なのか、十字軍兵士のDNA解析により検証します。

 本論文が検証対象とした十字軍兵士は、レバノン南部のシドン(Sidon)遺跡です。この墓地には少なくとも25人が埋葬されており、イタリアで発行された十字軍の硬貨が共伴することなどから、十字軍兵士の埋葬地と推測されています。本論文は、そのうち9人のDNA解析に成功しました。また、レバノンのローマ帝国時代のコーネット・エド・デイル(Qornet ed-Deir)遺跡の5人(237〜632年)のDNAも解析されました。十字軍の兵士9人は全員男性でした。そのうち4人は現代およびローマ時代のレバノン人と近縁だったので、近東系と分類されました。3人はヨーロッパ系と分類されましたが、そのうち2人はスペイン人と近縁で、バスク人・フランス人・イタリア北部人とも近く、もう1人はサルデーニャ人と近縁でした。

 十字軍の兵士にヨーロッパ系と近東系が混在していたことについて本論文は、ヨーロッパ系の十字軍と近東系のムスリムが戦った後で同じ墓地に葬られたか、十字軍が近東系集団を軍に組み込んだ可能性を提示しています。史料では、十字軍と戦ったのはおもにシリア・イラク・エジプト・トルコ・ベドウィン出身のイスラム教徒で、また地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に加わった、とされています。現代レバノン人のキリスト教徒は遺伝的に墓で発見された近東系と最近縁の集団なので、地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に参加したとする史料が裏づけられた、と本論文は指摘します。十字軍兵士の出自は多様だったようです。また本論文は、3人のヨーロッパ系と4人の近東系以外の2人は、ヨーロッパ系と近東系の混合と推測しています。

 Y染色体DNAハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も分析されました。ヨーロッパ系3人と近東系4人はそれぞれ、出自から予想されるYHgとmtHgに分類されました。ヨーロッパ系のYHg はR1b で、mtHgはH2・H5・U5です。一方、近東系のYHgはE・T・J・Qで、mtHgはJ1もしくはHVです。混合系の2人は、YHgではヨーロッパ系に典型的なR1bで、mtHgは現代のヨーロッパ系と近東系に見られるHV0とT2です。本論文は混合系2人について、ヨーロッパ系の父親と近東系の母親の間の子供と推測していますが、両親自身が混合系だった可能性も指摘しています。

 本論文のデータは、十字軍時代にレバノンでヨーロッパ系と地元の近東系との間で混合が起きたことを示唆します。そこで本論文は、十字軍の前後にレバノンで起きた遺伝的構成の変化と、現代にどれだけの影響が残っているのか、検証しました。レバノンでは青銅器時代以後、ユーラシアの狩猟採集民および草原地帯集団系統の遺伝的影響の増加が見られます。これは、レヴァントにおけるユーラシア系統は十字軍およびローマ時代に先行する、と示唆します。次に、ローマ時代と中世の間に顕著な遺伝的構成の変化はなかった、と明らかになりました。本論文は、中世レバノン人と現代レバノン人との間に顕著な遺伝的構成の違いもなく、現代レバノン人への十字軍の遺伝的影響は検出困難なほど低い、と推測しています。

 本論文がDNAを解析したのは一部の十字軍兵士にすぎないでしょうが、十字軍の時代にヨーロッパ系と近東系の混合が一定以上起きたことを示唆します。ローマ時代と現代のレバノン人のDNA解析だけでは、十字軍の時代のヨーロッパ系と近東系の混合を見落としてしまう可能性があり、それは他地域・他の時代においても同様でしょう。それを検出し、さらには史料を裏づけたという意味で、本論文は古代DNA研究の威力を改めて示した、と言えるでしょう。今後の研究計画として、青銅器時代から鉄器時代への移行期の近東における遺伝的構成の変化の検証が挙げられています。イスラエルでは、後期銅器時代〜青銅器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の大きな変化が指摘されており(関連記事)、レバノンに関しても研究の進展が期待されます。


参考文献:
Haber M. et al.(2019): A Transient Pulse of Genetic Admixture from the Crusaders in the Near East Identified from Ancient Genome Sequences. The American Journal of Human Genetics.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2019.03.015
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大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第15回「あゝ結婚」

2019/04/21 09:49
 金栗四三は春野スヤとお見合いをすることになりました。スヤは池辺家に嫁いでいましたが、夫を亡くし、四三とスヤを結婚させ、四三を池辺家の養子にしよう、とスヤの義母と四三の兄の実次は考えていました。次の1916年ベルリン夏季オリンピック大会での雪辱を期す四三は、結婚はまだ早いとして断るつもりでしたが、兄の説得と自分のスヤへの想いに気づいてスヤとの結婚を決意し、池辺家の養子に入ります。まだ学生の四三はひとまず、スヤを熊本に残し、東京に戻ります。

 1912年のストックホルム夏季オリンピック大会マラソンでは熱射病で倒れたことから、翌年夏、四三は炎天下での練習に励んでいました。1914年春、四三の同級生は各地の学校に教員として赴任しますが、四三は教員にならずにマラソンの練習に励み、熊本には帰らず池辺家の養子入りも断る、と池辺家・実家に伝えます。周囲は猛反対しますが、嘉納治五郎は四三の決断を強く支持し、スヤも四三の決断を支持します。

 今回は四三とスヤとの結婚を中心に話が展開し、喜劇調でしたが、やや上滑りしていた感は否めませんでした。の今回は古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の場面もそれなりに長かったのですが、浜松で(旧制)中学生の「まーちゃん」との出会いが描かれ、おそらくもう一人の主人公である田畑政治でしょうから、本編との結びつきがやや見えてきた感もあります。こうした伏線は長期連続ドラマの楽しみの一つではありますが、新規視聴者の獲得にはほとんど結びつかないでしょうから、残念ながら視聴率は低迷し続けそうです。
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『卑弥呼』第15話「言伝」

2019/04/20 07:20
 『ビッグコミックオリジナル』2019年5月5日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが力強く、女王国たる山社の独立を宣言するところで終了しました。今回は、暈(クマ)と那の国境の大河(筑後川でしょうか)で、ヌカデが暈国側から那国側へと渡河しようとする場面から始まります。付き添いの男性兵士2人は、天照様のご加護を、那の将軍に一泡吹かせてやれ、とヌカデを励まします。男性兵士の一方が、あの女忍(メノウ)は生き残れると思うか、と問うと、もう一方の兵士は、どんな手練れの女忍でも10人中7人は渡河の前に死ぬ、と答えます。大河は、最初は穏やかでも中ほどは急流で、渡河できずに下流に流されて死ぬし、首尾よく渡河できても、那の警備隊に見つかって河縁で殺される、というわけです。暈軍と対峙している那軍を率いるトメ将軍はぬかりのない人だ、と暈軍でも高く評価されているようです。仮に那の河岸警備隊に見つからずとも、生きて将軍の陣地に入るのはほぼ不可能だ、良い女なのに惜しい、と2人の兵士は語り合います。

 大河を泳いでいるヌカデは、筏を見つけて不審に思います。暈と那の境となる大河に筏を出す漁夫はいないはず、というわけです。ヌカデは慎重に筏に近づいて乗りますが、荷を見つけただけでした。そこへアカメが現れ、自分の助けがなくとも渡河できそうだな、と言います。ヌカデはアカメに斬りかかりますが、アカメは軽やかにかわして、自分はお前の味方だ、と冷静に告げます。自分の顔を覚えていないのか、とアカメに問われたヌカデは、アカメが暈にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)にいたことを思い出します。祈祷女(イノリメ)見習いの一人だった、とアカメが言うと、祈祷女見習いは不出来な者を除いて全員トンカラリンの儀式に行かされ、一人を除いて死んだと聞いていたヌカデは、アカメへの警戒を解きません。ヤノハからの言伝を預かっている、と言うアカメにたいして、ヤノハは生きているのか、とヌカデは明るい表情で尋ねます。あの人がそう簡単に死ぬと思うか、と冷静に答えたアカメは、ヤノハが山社(ヤマト)におり、建国を宣言した、とヌカデに伝えます。アカメはヤノハに、オシクマ将軍の命を忘れて新たな任務に就くよう、伝えます。そのために荷を用意した、というわけです。その中には服が2着あり、1着は那の農民の普段着で、もう1着についてはこれから説明する、とアカメはヌカデに言います。筏で那の野営地まで送り届ける、と言うアカメにたいして、那軍にみつかってしまう、とヌカデは警戒します。するとアカメは自信に満ちた表情で、自分は志能備(シノビ)で、那の野営地には舟や筏で何度も潜入しているので、お前は休んでいろ、とヌカデに言います。

 山社では、楼観でヤノハとイクメが現状を語り合っていました。山社で最高位の祈祷女であるイスズが、ヤノハが真の日見子(ヒミコ)であるか、伺いを立てるために籠ってから2日経ちましたが、ヤノハとイクメには動きは見えません。何日経とうが答えは同じで、種智院の祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメと同じく、ヤノハを即刻捕らえるよう、天照様のお告げが出たとイスズは言うのだろう、とヤノハは考えていました。ヤノハは、イクメの父であるミマト将軍も、少し考えさせてくれと言って楼観より降りてから姿を見せないので、イスズやヒルメと同じ意見なのだろう、と言います。しかしイクメは、父はヤノハの申し出が可能なのか考えているようだ、と推測していました。山社は那軍や暈軍に攻められようとも1年は耐えられるものの、戦は攻撃こそ肝心なのに、攻めるための手勢も軍資金もないので、ミマト将軍はヤノハの提案を受け入れるべきか悩んでいる、というわけです。日向(ヒムカ)を山社に併合して租賦を徴収して募兵すればよい、と言うヤノハにたいしてイクメは、自分も同じことを父に言ったが、父は悩んでいた、と言います。

 それは、古老が発言を憚った言い伝えで(第12話)、かつて、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の王たちが日向のサヌ王と交わした盟約および呪いについてです。サヌ王は6代目の強力な日見彦(ヒミヒコ)で、『日本書紀』の神武と考えられます。サヌ王は天照大御神から、倭国を平和にしたいのなら東に向かえ、大倭豊秋津島(オホヤマトトヨアキツシマ)の日出処(ヒイズルトコロ)に新たな山社を建てよ、との神託を受けました。サヌ王は東方への出立を前に、筑紫島の王たちと盟約を結びました。それは、サヌ王が東の地より挙兵し、まつろわぬ西の国々を征服し、その時は筑紫島の国々も東征せよ、というものでした。つまり東西から従わない国々を挟み討ちにする、というわけです。サヌ王は出立にさいして日向の地に、サヌ王の血筋以外の者が日向を治めようとするなら、恐ろしい死がくだる、という呪いをかけました。そのため、日向には王がおらず、暈と都萬(トマ)が共同管理している、というわけです。山社建国を宣言した日見子たるヤノハが日向を合併すれば、暈と都萬が攻めてくるわけですが、ヤノハは成算があるのか、自信に満ちた表情で、それも面白い、と言います。

 アカメとともに那軍の野営地に到着したヌカデは、まるで市のように活気があり、さまざまな服装の人々がいることや見たことのなかった牛の存在に驚きます。牛は知詞島(チカノシマ、五島列島でしょうか)からもたらされ、重いものを運ぶのに役立ち美味い、とアカメは説明します。さまざまな人々の中には漢人らしき男性もおり、アカメによると、那は大陸の最新の兵器を積極的に入手しているようです。那軍の野営地の活気をヌカデに見せたアカメは、兵の士気は暈軍より那軍の方が上で、渡河できれば那軍は暈軍を蹴散らすだろう、と言います。アカメは庶民の家を訪ねて、ヌカデの着替えのために小屋を貸してくれ、と女性に頼みます。アカメはヤノハに報告するため、山社へと向かいます。使者の正装に着替えたヌカデがトメ将軍の陣地に行き、山社国からの使者と名乗り、トメ将軍との面会を求めるところで、今回は終了です。


 今回は、次回以降話が大きく動くことを予感させる内容となっており、謎解きが進んだこともあって、たいへん楽しめました。ヌカデはヤノハの指示でトメ将軍に面会を申し込みましたが、おそらくは和睦を提案するのでしょう。しかし、平民出身のトメ将軍にとって、戦は立身出世の重要な手段でしょうから、容易に暈軍との和睦に応じるとは思えません。それはヤノハも承知しているでしょうから、ヤノハがどのような条件をトメ将軍に提示するのか、注目されます。那国のトメ将軍はこれまで度々言及されており、今回改めて、暈国でも高く評価されていることが描かれました。トメ将軍はまだ言及されているだけで登場していませんが、次回登場することになりそうです。かなり優秀な将軍のようですが、一方で那国要人のウラは、暈軍を叩き潰せないのはトメ将軍の責任と考えています。この評価の食い違いが何を意味しているのか、ということも次回以降に明かされそうで、楽しみです。トメ将軍は、次回まで登場を引っ張っただけに、かなり重要な人物で、外見でもキャラが立っているのではないか、と期待しています。

 謎解きの点では、かつて東方に向かった日向のサヌ王が、九州の諸国と交わした盟約および呪いについて明らかになりました。サヌ王は天照大御神の神託を受けて東方に向かい、新たな山社を建てるとともに、九州の諸国とともに、中国地方や四国地方の日見子もしくは日見彦の支配に従わない諸国を討伐する、という構想を抱いていたようです。しかし、サヌ王は東の果ての日下という小さな国を得ただけだ、と語られており(第8話)、東西挟撃策はまだ実行されていないようです。本作の邪馬台国は、作中の地理的関係から推測すると日向(現在の宮崎県)に設定されているようです。しかし、サヌ王、つまり『日本書紀』の神武の東征は作中ではかなり重要な役割を担っているようですから、ヤノハが日見子(卑弥呼)と認められた後、晩年に現在の奈良県、具体的には纏向遺跡一帯に「遷都」する、という展開も考えられます。そうなるのか、まだ定かではありませんが、おそらくはまだ序盤なのにたびたびサヌ王の東征が言及されているのですから、近畿地方も含めて本州もやがて重要な舞台となることは間違いないだろう、と思います。魏や呉や遼東公孫氏の登場も予想されますし、かなり壮大な物語になりそうですから、なるべく長く続いてもらいたいものです。本作は私にとって、原作者が同じ『イリヤッド』や、作画者が同じ『天智と天武〜新説・日本書紀〜』を超える作品になるのではないか、と期待しています。
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更科功『進化論はいかに進化したか』

2019/04/20 07:16
 新潮選書の一冊として、新潮社より2019年2月に刊行されました。本書は2部構成になっています。第1部は進化のメカニズム、第2部は一般層の関心の高そうな具体的事例を取り上げています。本書は第1部でダーウィンを起点として、進化論がいかに変容してきたのか、解説しています。本書で強調されているのは、ダーウィン自身もその生涯において見解が変わっていったことと、ダーウィンの見解が現在そのまま受容されているわけではない、ということです。本書はこの観点から、進化やダーウィンについて広く見られる誤解を解説していきます。本書は、自然選択には安定化選択と方向性選択があることと、進化のメカニズムには遺伝的浮動・自然選択・遺伝子交流・突然変異があることを強調しています。詳しい人は本書の解説に異論・反論を主張するかもしれませんが、進化学の学説史に詳しくない私にとっては、全体的になかなか興味深い内容でした。

 ダーウィン以前に生物は進化すると考えた人はそれなりにおり、『種の起源』刊行直前には、すでにイギリスにおいて、肯定・否定はさておき、進化という概念はわりと身近なものになっていました。というか、18世紀の時点ですでに、知識層の間では進化という概念が一般的になっていた、と本書は指摘します。それでも現在までダーウィンが重視されるのは、ダーウィンの進化論がじゅうらいのものとは異なり、進化は直線的ではなく分岐していく、と想定したからです。ダーウィン『種の起源』は強烈に批判されることもあり、批判者の中にはキリスト教関係者もいました。しかし、キリスト教関係者の中にはダーウィンの提唱した自然選択の概念を的確に理解した者もおり、進化論の発展に寄与した、と本書は評価しています。ダーウィンの主張で進化と分岐進化は認められましたが、自然選択は不人気だった、と本書は強調します。そのため、20世紀初頭には、ダーウィニズムは死んだ、とよく言われていたそうです。

 人類の直立二足歩行と犬歯の縮小について、本書は一夫一婦制との関連で説明しています。本書は、直立二足歩行と武器の使用を結びつける見解に対して、石器の使用が直立二足歩行に数百万年以上先行することから、否定的です。しかし、以前当ブログでも述べましたが(関連記事)、直立二足歩行と投擲能力の向上とが関連していたとしたら、石器ではなくとも、地面に転がっている石を投げるだけで有効な攻撃になるわけで、直立二足歩行および犬歯の縮小を攻撃性と結びつける見解も、有力説の一つとして有効なのではないか、と思います。


参考文献:
更科功(2019)『進化論はいかに進化したか』(新潮社)
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犬と人間の健康との関係

2019/04/19 04:21
 犬と人間の健康との関係についての研究(Westgarth et al., 2019)が公表されました。成人は、週150分以上の中程度から激しい身体活動を行なうよう推奨されています。しかし、この推奨水準を達成できているのは、イギリスでは男性の66%と女性の58%にすぎず、アメリカ合衆国の成人では50%未満です。犬の飼育は身体活動を促進すると予想されていますが、この効果がイヌの飼い主の家族全員に生じるのかどうか、犬の散歩が他の形態の運動の代わりに行われているのかどうかについては、解明されていませんでした。

 この研究は、イギリスのウェストチェシャーの385家族(犬を飼っている成人191人、犬を飼っていない成人455人と子供46人を含みます)の自己申告による身体活動を評価しました。その結果、犬を飼っている人の方が犬を飼っていない人と比較して、ウォーキングをする頻度が高く、所要時間も長い、と明らかになりました。また、研究対象集団において、犬の散歩が他の身体活動に加えて行なわれており、他の身体活動の代わりではないことも明らかになりました。

 本論文で報告されているイギリスにおける犬の飼育が身体活動レベルに与える効果は、北アメリカ大陸とオーストラリアの集団を対象とした先行研究で報告された効果より大きい、と指摘されています。たとえば、この研究対象となったイギリスの集団において犬を飼っている人の64%が週150分以上犬の散歩を行ない、それがアメリカ合衆国では27%にすぎないことも報告されています。この差が生じている原因についてこの研究では、アメリカ合衆国とオーストラリアで(飼い主がいなくても運動できる)室外犬の占める割合がイギリスより高いなど、社会と気候のさまざまな違いが挙げられています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


イヌは人間のフィットネスにとっても最良の友か?

 イヌを飼っている人は、イヌを飼っていない人と比べて、身体活動の推奨ガイドラインを達成している人数が4倍(推定)に上るとする英国の1つのコミュニティーを対象とした分析結果が今週発表される。この研究知見には、人間が健康を保つ上でイヌが手助けをするという役割を果たすと考えられることが示されている。

 成人は、週150分以上の中程度から激しい身体活動を行うことが推奨されている。しかし、この推奨レベルを達成できているのは、英国では男性の66%と女性の58%にすぎず、米国の成人では50%に満たない。イヌを飼うことは、身体活動を促進すると予想されているが、この効果がイヌの飼い主の家族全員に生じるのかどうか、イヌの散歩が他の形態の運動の代わりに行われているのかどうかについては解明されていなかった。

 今回、Carri Westgarthたちの研究グループは、英国ウェストチェシャーの385家族(イヌを飼っている成人191人、イヌを飼っていない成人455人と子ども46人を含む)の身体活動(自己申告による)の評価を行った。その結果、イヌを飼っている人の方がイヌを飼っていない人と比べて、ウォーキングをする頻度が高く、所要時間も長いことが明らかになった。また、研究対象集団において、イヌの散歩が、他の身体活動に加えて行われており、他の身体活動の代わりに行われているのではないことも明らかになった。

 今回の研究論文で報告されている英国においてイヌを飼うことが身体活動レベルに与える効果は、北米とオーストラリアの集団を対象とした先行研究で報告された効果より大きい。例えば、Westgarthたちは、今回の研究対象となった英国の集団においてイヌを飼っている人の64%が週150分以上イヌの散歩を行い、それが米国では27%にすぎないことも報告している。この差が生じている原因について、Westgarthたちは、米国とオーストラリアで(飼い主がいなくても運動できる)室外犬の占める割合が英国より高いなどの社会と気候のさまざまな違いを挙げている。



参考文献:
Westgarth C et al.(2019): Dog owners are more likely to meet physical activity guidelines than people without a dog: An investigation of the association between dog ownership and physical activity levels in a UK community. Scientific Reports, 9, 5704.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-41254-6
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ヨーロッパの新石器時代巨石文化集団の構造

2019/04/18 15:40
 ヨーロッパの新石器時代巨石文化集団の構造に関する研究(Sánchez-Quinto et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパの農耕の起源はアナトリア半島にあります。紀元前7000頃以降、アナトリア半島の農耕民集団がヨーロッパへと拡散していき、紀元前4000年頃までには、ブリテン諸島やスカンジナビア半島を含むヨーロッパの北西部に到達しました。ヨーロッパ西部においては、早期新石器時代に巨石文化が広範に見られます。これらの巨石文化は、まずフランスで紀元前4500年頃に、ブリテン諸島では紀元前3700年頃に、スカンジナビア半島では紀元前3600年頃に出現します。フランス北西部起源の巨石文化はヨーロッパ北部だけではなく地中海にも拡大し、海路で拡散していった、と推測されています(関連記事)。

 これらの巨石文化の出現は農耕共同体の発展と関連していましたが、その詳細な起源と社会構造の大半は不明です。巨石文化は、羨道墓などの共通性から、世界観や社会構造が共有されているのではないか、と推測されています。それが窺えるのは巨石墓ですが、集団埋葬は明らかであるものの、共同体のどの構成員が墓に埋葬されているのか、これまで評価は困難でした。多くの墓ではヒト遺骸の保存状態が悪く、二次埋葬が行なわれている場合もあるからです。このように巨石墓に誰が埋葬されているのか、評価は困難なのですが、いくつかの墓では成人男女や子供が確認されており、家族の埋葬を示唆しています。

 本論文は、ヨーロッパ北西部のアイルランド島とオークニー諸島とゴットランド島の5ヶ所の巨石墓の被葬者24人と、スコットランドとチェコ共和国の非巨石墓の被葬者3人のDNAを解析しました。巨石墓の被葬者としては、アイルランド島では、プリムローズ・グランジェ(Primrose Grange)から11人(最古の個体は紀元前3790〜紀元前3660年、最新の個体は紀元前3500〜紀元前3360年)とキャロウモア(Carrowmore)から1人(紀元前3640〜紀元前3380年)、オークニー諸島ではミッドホーウェ(Midhowe)から2人(紀元前3630〜紀元前3370年と紀元前3360〜3100年)とライロ(Lairo)から1人(紀元前3360〜紀元前3100年)、スウェーデンのゴットランド島のアンサーヴ(Ansarve)から9人(最古の個体は紀元前3500〜紀元前3130年、最新の個体は紀元前2810〜紀元前2580年)、計24人のDNAが解析されました。非巨石墓の被葬者としては、スコットランドのバリントア(Balintore)から1人(紀元前3370〜紀元前3310年)、チェコのコリン(Kolin)から2人(紀元前4910〜紀元前4740年と紀元前4650〜紀元前4460年)のDNAも解析されました。これらが、既知の古代および現代ヨーロッパ人のDNAデータと比較されました。

 ヨーロッパ北西部(ブリテン諸島とスカンジナビア半島)の巨石墓被葬者は、他の同時代の農耕民集団と遺伝的に類似しており、その遺伝的構成は、大半のアナトリア半島農耕民集団と一部の中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民です。新石器時代の巨石文化のブリテン諸島集団とスカンジナビア半島集団は遺伝的にともに、ヨーロッパ中央部農耕民集団よりイベリア半島の農耕民集団の方と類似しています。これは、考古学的記録により示唆されてきたように、農耕民集団の大西洋沿岸移住経路説と整合的です。ブリテン島の新石器時代農耕民集団は、中石器時代のブリテン島の狩猟採集民の遺伝的影響を受けていない、との見解も最近では提示されています(関連記事)。これは、本論文とDNA解析をした標本が異なるための偏りというよりは、ブリテン島に到来した最初期農耕民集団はすでにヨーロッパの狩猟採集民と混合していた、と考えるのがよさそうです。

 巨石墓被葬者のDNA解析では、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はK・H・HV・V・U5b・T・Jとなり、I、もっと特定すればその亜系統であるI2aのみのY染色体DNAハプログループ(YHg)よりも多様です。このパターンは、巨石墓被葬者だけではなく、紀元前4千年紀の他の農耕民集団でも見られます。巨石墓被葬者のYHgの年代(本論文の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です)からは、プリムローズ(I2a2a1a1a系統)とアンサーヴ(I2a1b1a1)では父系の連続性が観察されます。YHg-I2系統はヨーロッパの中石器時代狩猟採集民では一般的で、ヨーロッパでは、在来の狩猟採集民集団男性とアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されます。新石器時代ヨーロッパ農耕民集団において、しばしばX染色体上よりも常染色体上の方で狩猟採集民由来のゲノム領域の比率が高いことからも、在来の狩猟採集民男性に偏ったアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されますが、X染色体上と常染色体上の狩猟採集民系の比率は地域・年代により異なっているので、在来の狩猟採集民と外来の農耕民集団との交雑の様相はある程度多様だった、と推測されます。

 本論文では、親族関係は第1級(親子もしくは全きょうだい)と第2級(半きょうだい・祖父母と孫・叔父もしくは叔母と甥もしくは姪)に区分されています。巨石墓被葬者では合計6組(第1級が2組、第2級が4組)の親族関係が推定され、たとえばプリムローズ2とプリムローズ17は第1級でおそらくは父親と娘、プリムローズ17と18は第2級の親族関係にある、と推定されました。ただ、YHgは低網羅率のため、きょうだい関係と推測されても、祖父と孫もしくは叔父と姪の関係の可能性を排除できない、と指摘されています。

 アイルランド島のプリムローズの巨石墓では、被葬者11人中9人が男性でした。ただ、ゴットランド島のアンサーヴ遺跡では被葬者9人中4人が女性だったように、プリムローズ遺跡ほど性比が偏っているわけではありません。全体的には、巨石墓被葬者は確かに男性に偏っていますが、それは非巨石墓被葬者と類似した性比です。また、推定される親族関係において、女性が含まれる場合もあることから、巨石墓の埋葬において男性の方が多いものの、女性も親族として排除されていたわけではない、と本論文は指摘します。

 プリムローズ7とキャロウモア4はともに男性で、親子の可能性が高そうです。両遺跡は2kmほど離れており、世代を超えた父系構造社会が地理的に拡大した可能性を本論文は指摘します。ヨーロッパ巨石文化集団における父系社会的構造は、新石器時代に父系親族集団間の競争によりY染色体のボトルネック(瓶首効果)が生じた、と想定する見解(関連記事)と整合的かもしれません。ただ本論文は、プリムローズとキャロウモアの新石器時代の父系的社会が、新石器時代のヨーロッパ全域に当てはまるのかについては、さらなる研究が必要と指摘しています。


参考文献:
Sánchez-Quinto F. et al.(2019): Megalithic tombs in western and northern Neolithic Europe were linked to a kindred society. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.1818037116
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1990年代以降に増加した北大西洋のプラスチック

2019/04/17 03:09
 北大西洋における1990年代以降のプラスチックの増加に関する研究(Ostle et al., 2019)が公表されました。プラスチックの生産量は1950年代以降に飛躍的に増加しましたが、世界の海洋でのプラスチック分布の記録はひじょうに少ないと指摘されています。連続プランクトン採集器(CPR)は、プランクトン試料を採集する機器で、1957年以降、北大西洋と隣接海域で650万海里以上を曳航されました。この研究は、CPRにプラスチックが絡み付いた時期を示す記録を用いて、1957〜2016年における北大西洋での海洋プラスチックの量の推移を調査し、得られたデータセットを基に、外洋のプラスチックが1990年代以降増加傾向に転じたという予想の正しさを確認した。CPRにプラスチックが絡み付く事例の発生件数は、2000年以降は約10倍に増加していました。また、過去20年間の増加に最も大きく影響したのが漁業関連のプラスチック(魚網など)の絡み付きで、CPRにプラスチックが絡み付く事例は、北海の南部海域で最も多いことも明らかになりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】北大西洋のプラスチックが1990年代以降に増えたことが確認された

 北大西洋とその隣接海域に存在するプラスチックの量が、1990年代以降に著しく増加したことを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究では、海洋試料採集器に絡まったプラスチックの記録を用いて、1957〜2016年の海洋プラスチックの発生に関するデータが生成され、これによって海洋に存在するプラスチックに関する最も古い記録が新たに加わった。

 プラスチックの生産量は、1950年代以降に飛躍的に増加したが、世界の海洋でのプラスチックの分布の記録は非常に少ない。

 連続プランクトン採集器(CPR)は、プランクトン試料を採集する機器であり、1957年以降、北大西洋と隣接海域で650万海里以上を曳航された。今回、Clare Ostleたちの研究グループは、CPRにプラスチックが絡み付いた時期を示す記録を用いて、1957〜2016年における北大西洋での海洋プラスチックの量の推移を論文にまとめた。そして、得られたデータセットを基に、外洋のプラスチックが1990年代以降増加傾向に転じたという予想が正しかったことを確認した。CPRにプラスチックが絡み付く事例の発生件数が、2000年以降は約10倍に増加していた。また、過去20年間の増加に最も大きく影響したのが漁業関連のプラスチック(魚網など)の絡み付きで、CPRにプラスチックが絡み付く事例は、北海の南部海域で最も多かった。



参考文献:
Ostle C. et al.(2019): The rise in ocean plastics evidenced from a 60-year time series. Nature Communications, 10, 1622.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-09506-1
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ブリテン島における新石器時代農耕民の起源

2019/04/16 16:39
 ブリテン島における新石器時代農耕民の起源に関する研究(Brace et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパにおける初期農耕は、アナトリア半島起源の農耕民集団(エーゲ海集団)によりもたらされました。このアナトリア半島農耕民集団は、ヨーロッパで中石器時代以来の在来狩猟採集民集団とじょじょに混合していった、と明らかになっています(関連記事)。ただ、地域によっては混合・同化が早期に進行した、と推測されています(関連記事)。

 本論文は、ゲノム規模の解析により、ブリテン島における中石器時代〜新石器時代の人類集団の遺伝的構成を検証しました。年代は紀元前8500〜紀元前2500年で、中石器時代の6人と新石器時代の67人が対象とされました。ブリテン島における農耕の開始は紀元前4000年頃で、ヨーロッパ大陸部と比較して1000年ほど遅れています。まず明らかになったのは、中石器時代のブリテン島の狩猟採集民は、ヨーロッパ西部狩猟採集民集団と遺伝的に類似している、ということです。

 しかし、ブリテン島の新石器時代農耕民集団は、遺伝的にはおもにアナトリア半島農耕民集団起源で、中石器時代以降の在来の狩猟採集民集団との混合はほとんどなかった、と明らかになりました。また、ブリテン島の初期農耕民集団は遺伝的にイベリア半島の農耕民集団と類似しており、ブリテン島最初の農耕民集団が西岸で確認されることから、ブリテン島への農耕民集団の到来は、アナトリア半島からヨーロッパ中央部を経ての英仏海峡経由という最短の海路ではなく、より広大な航海距離を必要とする大西洋経路だったのではないか、と推測されています。

 また本論文は、石器時代におけるヨーロッパの人類集団の色素沈着水準も検証しており、かなりの多様性があった、と推測しています。1万年前頃のブリテン島の人類の肌の色は濃かった、と推測されています(関連記事)。しかし、ヨーロッパに農耕をもたらしたアナトリア半島農耕民集団の肌の色は中間的で、目は茶色だった、と推測されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


英国の新石器時代のヒト集団の起源

 ブリテン新石器時代のヒト集団は、イベリアの新石器時代のヒトと共通の遺伝的類似性を有しており、これらの集団と現地の中石器時代の狩猟採集民との間にはほとんど混血が生じていなかったことを明らかにした論文が、今週掲載される。この知見は、地中海沿いの経路をたどった大陸の新石器時代の農耕民によって、ブリテン島に農耕がもたらされたことを示している。

 ヨーロッパ大陸の農耕は、エーゲ系の新石器時代の農耕民とともに、2本の主要な経路を通って伝来した。一方は地中海沿いの経路、もう一方はヨーロッパ中部を経由してヨーロッパ北部へ向かう経路である。この拡大する集団は、途上で現地の中石器時代の狩猟採集民と混血した。ブリテン島では、紀元前4000年頃に新石器文化が出現しており、これはヨーロッパ大陸の隣接地域で農耕への移行が起こってからほぼ1000年後のことであった。しかし、ブリテン新石器時代のヒト集団の起源は、これまでよく分かっていなかった。

 今回Mark G. Thomas、Ian Barnesたちは、ブリテン島で発見され、紀元前8500〜2500年と年代決定された中石器時代の6個体と、新石器時代の67個体に関して、ゲノム規模のデータ解析を行った。その結果、ブリテン新石器時代のヒト集団は主にエーゲ系の新石器時代の農耕民の血を引いており、イベリアの新石器時代のヒトに近いことが明らかになった。また、ブリテン中石器時代のヒトと流入したブリテン新石器時代のヒトとの間には、実質的な混血の証拠がほとんど認められないことも判明した。ブリテン島では、この血統の変化は農耕への移行と共に起こっていた。ヨーロッパの他の地域とは異なり、農耕への移行は、現地の狩猟採集民との間に見いだされる混血には影響されなかった。著者たちは、ブリテン島とイベリアの間で認められる新石器時代のヒトの遺伝的類似性は、大陸の農耕民が主として地中海沿いの経路をたどってブリテン島に移住したことを示していると主張している。



参考文献:
Brace S. et al.(2019): Ancient genomes indicate population replacement in Early Neolithic Britain. Nature Ecology & Evolution.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0871-9
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ファミリー劇場HDリマスター版『太陽にほえろ!』46話〜48話・50話・51話

2019/04/15 03:02
46話「黒幕は誰だ」9
 麻薬をめぐる大規模な陰謀が進行しつつあるなか、ボスは以前からの知人である三浦という裏社会の男性と裏取引をして、麻薬を摘発しようとします。今回はボスと三浦との駆け引きを中心に話が進み、いかにも大人向けの話といった感じです。何とも苦い最後もよいと思います。今回はボス主演作で、メインゲストは藤竜也氏ですから、日活映画を強く意識した作風になっている、と言えそうです。全体的にハードボイルド色の強い話となっており、喜劇調の話や青春ドラマ的な話やサスペンス的な話など、多様な内容の話が本作の長期放送を可能としたように思います。


47話「俺の拳銃を返せ!」8
 マカロニから拳銃を奪った若い男性が、相次いで人を襲撃していきます。その動機がなかなか分からず、不気味な印象を受けます。犯人の標的は、恋人の死因となった悪戯をした男たちでした。犯人が標的とした男性をビルの屋上に追い詰め、マカロニがその男性とともに犯人と対峙する場面は、見ごたえがあります。犯人を演じたのは森本レオ氏で、思いつめた感じの若い男性を好演していました。犯人に狙われた男性を演じたのは柳生博氏で、当人たちにとっては些細な悪戯が死亡事故にまで至り、命を狙われることになった小市民を好演しています。柳生博氏は、小市民を演じると本当に上手いと思います。


48話「影への挑戦」7
 シンコの刑事として、また一人の女性としての悩みが、不気味な感じの事件と絡んで描かれます。シンコの友人の兄である報道カメラマンは、かつてシンコとの結婚も意識していたくらいですが、ある写真を撮り、それが原因で命を狙われます。その写真は、もし公表されたら第三次世界大戦に発展しそうなくらい衝撃的なものである、と作中では示唆されます。命を狙われたカメラマンは、ベトナムで3年前に死んだことにして逃亡を続けていましたが、けっきょくカメラマンは殺害され、捜査もうやむやになってしまいます。本作で犯人が逮捕されない話は何回かありましたが、犯人やその黒幕の正体さえ不明のままだったのは今回くらいではないか、と記憶しています。ベトナム戦争を背景とした大がかりな陰謀を感じさせる不気味さと、シンコのカメラマンへの想いを交錯させて話が進み、なかなか面白いと思います。まあ、やや荒唐無稽な設定だった感は否めませんが。


50話「俺の故郷は東京だ!」7
 帰省して結婚する予定だった若い男女の部屋で、同郷の男性が殺されます。男は七曲署に出頭し、マカロニが担当することになります。男は容疑者扱いされても飄々としており、とても犯人であるようには見えません。捜査が進むと、殺された男性は恐喝の常習犯だったことが明らかになります。今回は、謎解き要素とともに、故郷をめぐる想いも見どころとなります。女性は東京を嫌って帰省しようとしますが、マカロニにとって東京は故郷で、故郷を悪く言われたくないマカロニの心情が描かれます。世間のしがらみに囚われない自由人のように見えるマカロニだけに、やや意外な描写でもありました。しかし、よく考えてみると、マカロニには熱いところもあるので、驚くことでもないかな、とも思います。同郷の若者たちの東京での複雑な関係はなかなか面白く、まずまず楽しめました。


51話「危険を盗んだ女」8
 女性スリ師が盗んだ財布には精巧な偽札が入っていました。今回は、この偶然から女性スリ師が狙われ、殿下とともに監禁されてしまったところを、一係が何とか発見して救出するまでが描かれます。話は、基本的に緊張感のあるサスペンスものですが、マカロニの場面を中心に喜劇調のところもあり、娯楽ドラマとしてなかなか工夫されていてよいと思います。女性スリ師を演じたのは大原麗子氏で、さすがに当時の芸能界の状況をよく知りませんが、本作のゲストとしては、出演時の役者格ではかなりの上位となるのではないか、と思います。まあ、本作出演後の役者格も含めたら、おそらく渡辺謙氏がゲストとしては最高なのでしょうが。
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ヨーロッパにおける旧石器時代の食人

2019/04/14 09:53
 ヨーロッパにおける旧石器時代の食人について、2019年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Bello et al., 2019)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P16)。当ブログにてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の食人について以前まとめましたが(関連記事)、食人行為は、その背徳性もあってか、関心が高いように思われます。人類学・考古学においても、とくに更新世の食人に関して激しい議論が続いています。

 論点の一つは、人類遺骸のさまざまな痕跡から食人行為を証明できるのか、ということです。しかし、少なからぬ人類遺骸の個々の事例で評価が分かれるとしても、更新世の人類社会において食人行為があったこと自体には、異論はほとんどないでしょう。それを踏まえたうえでさらに激しい議論となっているのは、食人行為の動機です。純粋に飢餓における栄養摂取だったのか、葬儀などの儀式だったのか、あるいは敵に対する復讐行為的なものだったのか、という問題です。

 本報告は、ヨーロッパにおける旧石器時代の食人と解釈されている事例を諸文献から集め、データを再評価しました。対象となった遺跡は複数のホモ属種と関連している60ヶ所以上で、そのホモ属種とは、アンテセッサー(Homo antecessor)とハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)とネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)です。本報告は、それらの遺跡のホモ属遺骸の解体痕や打撃痕や歯の痕跡の分布と頻度を検証しました。また本報告は、ホモ属と遺跡で発見された(ヒトを除く)動物の栄養価を評価しました。ホモ属の栄養価は、1個体あたりでは、大型草食動物よりも有意に低い、と評価されています(関連記事)。

 本報告は食人に関するデータの再評価の結果、時代が下るにつれて食人の頻度は増加し、ネアンデルタール人と現生人類ではより高い比率で見られる、と指摘します。また現生人類においては、儀式を伴うと考えられる食人の頻度も高くなっているそうです。調査対象となった遺跡で発見された(ヒトを除く)動物よりも、ホモ属の方が栄養価は顕著に低いことから、ヨーロッパにおける旧石器時代の食人の動機は純粋に栄養摂取的なものではなく、社会的もしくは文化的動機があったのではないか、と本報告は指摘しています。

 おそらく、ヨーロッパにおける旧石器時代の食人には、飢餓に迫られてのものもあるのでしょうが、儀式的なものも多く、それはネアンデルタール人と現生人類において高頻度だったのでしょう。もっとも、食人には社会的もしくは文化的動機があったとはいっても、その文脈がネアンデルタール人と現生人類とで大きく違っていた可能性もじゅうぶんありますし、ネアンデルタール人と現生人類それぞれで、集団間の違いもあったのでしょう。本報告は、ネアンデルタール人と現生人類との類似性を指摘する、近年のネアンデルタール人見直しの傾向(関連記事)に合致しているとも言えそうです。今後は、ヨーロッパ以外の地域での食人に関する研究の進展が期待されます。


参考文献:
Bello SM, Howe E, and Cole J.(2019): A review of prehistoric cannibalism in Europe: choice or necessity? The 88th Annual Meeting of the AAPA.
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アメリカ大陸におけるデニソワ人の遺伝的影響

2019/04/14 09:49
 アメリカ大陸におけるデニソワ人(Denisovan)の遺伝的影響について、2019年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Huerta-Sanchez et al., 2019)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P109)。種区分未定のホモ属であるデニソワ人は南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でのみ確認されており、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)との交雑が確認されているなど、遺伝学的情報は豊富に得られているものの、形態学的情報はほとんどありません(関連記事)。

 ネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型ホモ属(現生人類ではないホモ属)と現生人類との交雑が明らかになって以降、現代人における古代型ホモ属の遺伝的影響の研究は地域的にはユーラシアとオセアニアが中心で、アメリカ大陸に関しては遅れていました。これは、15世紀末以降、アメリカ大陸にヨーロッパとアフリカから多数の人が流入し(その中には奴隷貿易により連れてこられた人々も少なくありません)、現代のアメリカ大陸の人々を、ヨーロッパ系およびアフリカ系と遺伝的に区別するのが容易ではないためでもありました。もちろん、アメリカ大陸の現代人における古代型ホモ属の遺伝的影響に関する研究は進められつつありますが、交雑の定量化およびヨーロッパ系よりも高くアジア東部系と類似した水準という観察を超えての議論はほとんど提示されていない、と本報告は指摘します。

 本報告は、アメリカ大陸の現代人のゲノム解析に基づき、デニソワ人の遺伝的多様体の数と頻度を調べました。その結果明らかになったのは、アメリカ大陸におけるデニソワ人の遺伝的影響は集団間の変異幅が大きい、ということです。これに関して本報告は、15世紀末以降にヨーロッパとアフリカから多数の人々がアメリカ大陸に流入したことや、連続したボトルネック(瓶首効果)などといった人口史上の効果によるものではないか、と推測しています。たとえばペルー人は、アメリカ大陸の他集団よりも多数の高頻度のデニソワ人多様体を有しています。本報告はさらに、ゲノムのどの領域にデニソワ人由来の配列が集中しているのかも調べ、適応的な遺伝子移入があったのではないか、と示唆しています。


参考文献:
Huerta-Sanchez E. et al.(2019): The landscape of Denisovan ancestry in the Americas. The 88th Annual Meeting of the AAPA.
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大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』第14回「新世界」

2019/04/14 09:46
 今回から第2章となります。1912年のストックホルムでの夏季オリンピック大会から帰国した金栗四三ですが、マラソンで棄権という惨敗に終わったことから、国内の視線には厳しいものがありました。帰国したのは1912年9月なのに、四三と出迎えた人々の吐く息が白かったのはどうかと思いましたが、20世紀前半の東京では9月に10.5℃や10.6℃だったこともあるので、まあそこまで不自然ではないかな、とも思います。

 東京高等師範学校の学生と可児徳は四三に気兼ねして暖かく迎えますが、永井道明と二階堂トクヨは四三に敗因を厳しく問い質します。四三はそれでも、次回の夏季オリンピック大会を目指して努力を続けますが、永井と二階堂は、オリンピック出場は時期尚早で、マラソンのような遊戯の前にまず体力向上を図るべきだ、と主張します。今回は古今亭志ん生(美濃部孝蔵)の場面が長かったのですが、正直なところ、まだ四三の本筋と上手く接続していないので、今後の展開に期待したいところです。

 今回は第2章の初回でしたが、第1章の後日譚といった印象も受けました。区切りという点では、今回が第1章の最終回として相応しかったようにも思います。ともかく、第2章は第1章と上手く接続した形で話が始まり、今後に期待できそうな内容でした。視聴率の低迷が面白おかしくマスコミで取り上げられている本作ですが、私はたいへん楽しんでいます。本作にたいしては、大河ドラマらしくないという批判も根強くありますが、体育・スポーツという観点からの近代史にもなっており、歴史ドラマとして悪くないと思います。
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現代人系統の染色体数はいつ46本になったのか

2019/04/13 07:10
 現代人(Homo sapiens)も含む現生大型類人猿というかヒト科は、現代人を除いて48本(24対)の染色体を有しています。つまり、オランウータンもゴリラもチンパンジーも染色体数が48本なのにたいして、現代人の染色体数は46本(23対)です。まず、現代人・チンパンジー・ゴリラ・オランウータンの最終共通祖先からオランウータン系統が分岐しました。次に、現代人・チンパンジー・ゴリラの最終共通祖先から現代人・チンパンジーの共通祖先系統とゴリラの祖先系統が分岐しました。次に現代人・チンパンジーの最終共通祖先から現代人の祖先系統とチンパンジーの祖先系統が分岐しました。

 この分岐順から推測すると、現代人・チンパンジー・ゴリラ・オランウータンの最終共通祖先の染色体数は48本だった可能性がきわめて高い、と言えるでしょう。現代人・チンパンジー・ゴリラの最終共通祖先も、現代人・チンパンジーの最終共通祖先も、同様に染色体数は48本だった可能性がきわめて高いでしょう。そうすると問題になるのは、現代人系統において染色体数が46本になったのは、チンパンジー系統から分岐した後、いつだったのか、ということです。

 この問題に関しては、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類との生殖隔離との観点から説明しようとする人が少なくなかったようです(関連記事)。かつて、ネアンデルタール人と現生人類との交雑はなかった、との見解が圧倒的に優勢だった時期(1997〜2010年4月頃)には、その理由としてさまざまな見解が提唱されました。その一つが、両者の染色体数は異なっていたので、現代人にはネアンデルタール人の遺伝的痕跡が残っていないのだ、というような説明でした。つまり、染色体数が46本になったのは、ネアンデルタール人系統と分岐した後の現代人系統においてだった、というわけです。

 この問題で参考になるのが、そもそもなぜ現代人の染色体数は46本(23対)になったのか、ということです。現代人と最近縁の現存生物であるチンパンジーとの比較から、チンパンジーでは2A・2Bと2本になっている染色体が、現代人では2番染色体1本に融合している、と推測されています。この融合により、現代人の2番染色体には独特な反復配列が見られます。種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の高品質なゲノム配列(関連記事)においても、チンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)で見られないこの反復配列が特定されたため、デニソワ人の染色体数も46本だった可能性がきわめて高い、と言えるでしょう。

 後期ホモ属においては、まず現代人系統とネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統が分岐し、その後にネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐した、と推測されています(関連記事)。そのため、ネアンデルタール人、さらには現代人・ネアンデルタール人・デニソワ人の最終共通祖先の染色体数も46本だった可能性がきわめて高い、と言えるでしょう。そうすると問題となるのは、現代人系統において染色体数が48本から46本になったのはいつなのか、ということです。それはホモ属出現以降かもしれませんし、あるいはアウストラロピテクス属やそれ以前のことかもしれません。この問題の解決は困難かもしれませんが、いずれにしても、現代人系統はチンパンジー系統と分岐した後、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と分岐する前に、染色体数が48本から46本に減った可能性がきわめて高そうです。
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佐藤信編『古代史講義【戦乱篇】』

2019/04/13 07:05
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2019年3月に刊行されました。本書は、佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』(関連記事)の続編というか、対となる1冊だと言えるでしょう。以下、本書で提示された興味深い見解について備忘録的に述べていきます。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。


第1講●大高広和「磐井の乱」P13〜29
 磐井の乱が朝鮮半島情勢と深く関わっていた、と強調されています。磐井は有明海沿岸を中心とした実力者ではあるものの、磐井の墓とされる岩戸山古墳を含む八女古墳群と匹敵するような津屋崎古墳群が玄界灘沿岸に存在しており、九州全体を把握していたわけではない、と指摘されています。磐井が反乱を起こした原因は定かではないものの、前王権との直接的関係が薄かったと考えられる継体の即位や、ヤマト王権の朝鮮半島情勢への対応に不満があったのではないか、と推測されています。


第2講●加藤謙吉「蘇我・物部戦争」P31〜46
 587年の物部守屋が敗亡した戦い(丁未の役)について解説されています。物部氏は6世紀に日本に「公式に」仏教を伝えた百済との交渉に関わり、百済に渡って百済女性との間に子供(韓子)を儲けた男性もいることから、物部氏を排仏派とみなすことはできない、と指摘されています。物部氏と蘇我氏の対抗的関係としては、東漢氏や南河内の渡来人と提携した蘇我氏にたいして、西漢氏や中河内の渡来人と関係を深めていった物部氏という構図があったようです。

 当時の議政官であるマヘツキミを統括していたのがオホマヘツキミで、本論考は、蘇我馬子も物部守屋もオホマヘツキミであり、「大臣」と「大連」という表記の違いは、両者の出自の違いを反映しているのではないか、と推測しています。氏の成立前、葛城には擬制的な同族関係で結ばれた豪族の連合体が存在し、大王に弾圧されつつも生き延びた一族がおり、蘇我氏もその一員ではないか、と本論考は推測しています。

 本論考は、蘇我氏を新興氏族、物部氏をその前から有力な氏族と把握し、蘇我氏は物部氏よりも政治・軍事・経済で劣勢だった、と指摘します。では、なぜ蘇我氏が物部氏を追い落とせたかというと、本論考は、大王一族との婚姻関係およびマヘツキミ勢力との連携による物部氏の孤立を挙げています。本論考は、物部氏には大王との通婚の資格が基本的になく、また蘇我氏は葛城を中心とする在地豪族層にとって復権のさいの指導者的地位を求めたため、物部氏は孤立していった、と推測しています。


第3講●有富純也「乙巳の変」P47〜60
 本論考は乙巳の変を、国内における政治主導権争いと、アジア東部、とくに朝鮮半島情勢との関連から把握しています。乙巳の変の少し前から、朝鮮半島は激動の時代を迎えていました。百済が義慈王のもと新羅へと侵攻していき、新羅に助けを求められて拒否した高句麗では、泉蓋蘇文がクーデタを起こし、実権を握って国政を主導していきます。本論考は、乙巳の変で殺害された蘇我入鹿が、大臣独裁の高句麗型を目指したのではないか、と推測しています。


第4講●浅野啓介「白村江の戦い」P61〜84
 白村江の戦いだけではなく、その前後の情勢も解説されています。重要なのは、百済復興運動の中心となった鬼室福信のもたらした情報から、唐は戦いに介入してこないだろう、と倭(日本)の首脳層が判断していたことです。これは単なる希望的観測ではなく、唐の皇帝の高宗(李治)は大規模な軍の派遣に慎重だったものの、劉仁軌の進言により大規模な唐水軍が朝鮮半島へと派遣されました。倭の大敗の要因としては、律令体制に基づく秩序だった軍編成の唐軍と、地方豪族が兵を率い、それを中央豪族が統率するという、倭の未熟な軍編成が指摘されています。白村江の戦い以降、倭では山城が築かれますが、これは、海戦では勝ち目がないと判断されていた一方で、陸戦では百済軍も善戦していたからではないか、と推測されています。また唐には、攻撃されない限り倭へと攻め込む意思はなかっただろう、とも指摘されています。


第5講●北啓太「壬申の乱」P85〜104
 壬申の乱での大海人の勝因として、近江朝廷と東国の遮断が挙げられています。おそらく西国は、白村江の戦いで大打撃を受けて疲弊していたでしょうから、戦力としては東国が重要となったのでしょう。また、近江朝廷が各地に使者を派遣して援軍を要請したにも関わらず断られたように、近江朝廷への広範な不満があり、大海人がそれを自分への支持とできたことも大きかった、と指摘されています。大海人への支持は広範なもので、大豪族と中小豪族、あるいは中央豪族と地方豪族といった区分で、近江朝廷側と大海人側の支持を区分できない、とも指摘されています。さらに本論考では、近江朝廷側に大海人への警戒心が薄かったことも強調されています。大海人は近江朝廷にたいして反乱を起こして政権を奪い、改革を進めていきましたが、その改革が天智朝の延長線上にあったことも指摘されています。


第6講●山下信一郎「長屋王の変」P105〜123
 長屋王の変の要因としては、光明子を皇后とすることに反対するだろうから、藤原氏が排除した、との見解が長く通説でした。現在では、それだけではなく、長屋王と吉備内親王との間の息子が、聖武天皇と光明子との間に男子がいない中、皇位継承の有力者として危険視されていたことも挙げられています。聖武天皇と光明子との間の男子の夭逝により、聖武天皇と藤原氏は長屋王への警戒心を強めていった、というわけです。なお、いわゆる藤原四子が一枚岩となって長屋王を排除したのかについては、議論があるようで、不比等の次男の房前は長屋王と親しかった、との見解も提示されています。また、長屋王の失脚には、庇護者的存在だった叔母の元明上皇の死が大きかった、とも指摘されています。


第7講●松川博一「藤原広嗣の乱」P125〜141
 藤原広嗣の謀反の一因として、大宰府少弐への任命がよく挙げられますが、本論考は、当時の大宰府の重要性と、広嗣の父である宇合が大宰府の最高官である帥として手腕を振るったこと、当時帥は空席で、大弐は現地に赴任していないため広嗣が現地の最高責任者だったことから、大宰府少弐への任命は一概に左遷とは言えない、と指摘しています。また、広嗣の軍事力の基盤として、郡司層と大宰府官人が国司層を介さずに直接結びついていたことも挙げられています。


第8講●小倉真紀子「橘奈良麻呂の変」P143〜154
 橘奈良麻呂の変の背景として、孝謙天皇の皇位継承者としての正統性を疑問視する人々の存在を指摘する見解もありますが(関連記事)、本論考は、未婚の孝謙天皇が即位しても、その後の天皇を誰とするのか、という問題が残るので、孝謙天皇の正当性ではなく、皇位継承者が確定していないことを橘奈良麻呂たちは問題にしていたのだ、と推測しています。橘奈良麻呂の変の処罰者が443人と多かったことについて本論考は、藤原仲麻呂が橘奈良麻呂だけではなく、同母兄で右大臣の豊成を排斥しようとしたからではないか、と推測しています。


第9講●寺崎保広「藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱」P155〜168
 藤原仲麻呂の乱は、鈴印の争奪が焦点となったように、文書行政の定着を示す、と評価されています。乱の帰趨を決したのは、鈴印の奪取もあるにせよ、乱の直前に仲麻呂派が孤立していたことにある、と本論考は指摘します。仲麻呂が権力を掌握して独自の政策を遂行したのは757〜764年ですが、この間の政策について、単なる祖先顕彰や唐風趣味ではなく、その多くは現実的な課題に対応したものである、と評価されています。ただそれでも、仲麻呂の治世の後半には、じょじょに独断的・保身的傾向が強まっていく、とも指摘されています。


第10講●永田英明「律令国家の対蝦夷戦争」P169〜186
 律令国家と蝦夷との「38年戦争(774〜811年)」について解説されています。この間、一旦は律令国家に服従・協力していた蝦夷の豪族の離反が目立ち、両者の関係の不安定性が窺えます。蝦夷については、律令国家による名称にすぎず、その社会は多様で、広域的な政治統合が進んでいたわけではなく、個々の地域集団に明確な階層差が見られない、と指摘されています。一方で、蝦夷社会において、律令国家との戦いの中で、一定の軍事組織の形成と政治的統合への志向の可能性も見られる、とも評価されています。


第11講●佐藤信「平城太上天皇の変」P187〜202
 810年の「薬子の変」は、近年では「平城太上天皇の変」と呼ばれるようになってきています。その理由は、平城上皇の主体性を認める見解が定着してきたからです。じゅうらいは、嵯峨天皇がこの事変の責めを藤原薬子に一身に負わせたこともあり、薬子とその兄である仲成の主導性が強調されていました。嵯峨天皇は、父の桓武天皇が怨霊に悩まされ続けたことから、兄の平城上皇に寛大な姿勢を示したのではないか、と本論考は推測しています。平城太上天皇の変の影響は大きく、それは、平安京が都として固定される契機となったこと、天皇と太政官との連絡役として後宮女官に代わって設置されていた男性官人の蔵人が大きな重要な地位になっていったこと、飛鳥時代末期〜奈良時代には太上天皇が天皇と同等かそれ以上の権限を有していたのに、この事変以降、太上天皇が天皇と同等の権能を行使しなくなったことなどです。


第12講●鈴木景二「応天門の変」P203〜2221
 応天門の変に関しては色々と議論があり、本論考も、契機となった火災について真相は不明と指摘しています。本論考は、火災の真相はともかく、突発的事態に的確・迅速に対応できる能力の有無が、当時の主要人物の明暗を分けた、と指摘します。失脚した伴善男は、優秀な事務官僚ではあったものの、直情径行で他者への配慮に欠けた攻撃的人物で、没落しつつあった伴氏から大納言にまで出世していたことから妬んでいた人も多く、火災事件に関してはおそらく冤罪だったのに、事変を契機に足をすくわれたのではないか、と本論考は推測しています。一方、良房はこの事変に当初から関与していたわけではないものの、突発的な事態にも的確に対処できる能力を備えていた、と高く評価されています。また、この事変の背景として、良房と弟の良相との競合関係も指摘されています。また、社会背景としては、海賊の活発化や対外関係の悪化や天災なども指摘されています。清和天皇は、事変の8年後に大極殿などが炎上したことに大きな精神的打撃を受けており、伴善男が御霊として意識されていたかもしれない、との見解が提示されています。


第13講●森公章「菅原道真左降事件」P223〜239
 菅原道真が失脚した901年の昌泰の変について、その背景となる菅原氏の位置づけも含めて丁寧に解説されています。道真失脚の要因としては、学閥争い、「貴種」ではないのに大臣にまで昇進したことへの貴族社会の不満、醍醐天皇との間に確たる信頼関係を構築できなかったことなどが挙げられています。本論考はとくに、醍醐天皇との関係を重視しており、道真の娘が醍醐天皇の異母弟である斉世親王と婚姻関係にあったことも、醍醐天皇が道真に疑念を抱くことになった、と指摘されています。皇族として生まれたわけではない醍醐天皇は、道真の言動に過剰に反応してしまったのかもしれません。


第14講●寺内浩「平将門の乱・藤原純友の乱」P241〜253
 平将門・藤原純友の乱は、以前は承平・天慶の乱と呼ばれていましたが、現在では天慶の乱と呼ばれています。これは、承平年間の平将門の戦いは平氏一族の内紛で、国家への反逆は天慶年間になってからであり、藤原純友に至っては、承平年間には海賊を取り締まる側だったからです。ただ、すでに江戸時代に、藤原純友の反乱は天慶年間になってからとの見解が提示されており、それが近代になって承平年間からのこととされ、そのご再度、天慶年間になってからのことと改められました。また、天慶の乱の背景として、広範な気候や治安の悪化が指摘されています。


第15講●戸川点「前九年合戦・後三年合戦」P255〜270
 前九年合戦の主役とも言える安倍氏は、かつて蝦夷勢力の中か現れた「俘囚の長」で、「中央政府」たる朝廷の抑圧に抵抗した、と考えられていました。しかし近年では、安倍氏の出自について、中央貴族や奈良〜平安時代初期の移民系郡領氏族などの説が提唱され、まだ確定していないそうです。また、前九年合戦も後三年合戦も、単純に一まとめにできるのではなく、それぞれ二段階に分けられる、とも指摘されています。それぞれ戦いの主体が変わってくる、というわけです。
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現生人類と複数系統のデニソワ人との複雑な交雑(追記有)

2019/04/12 18:50
 デニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑に関する研究(Jacobs et al., 2019B)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文の概要は、すでに先月(2019年3月)7日〜3月30日にかけて、アメリカ合衆国テキサス州オースティン市で開催された第88回アメリカ自然人類学会総会にて報告されていました(関連記事)。種区分未定のホモ属であるデニソワ人は南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でのみ確認されており、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)との交雑が確認されているなど、遺伝学的情報は豊富に得られているものの、形態学的情報はほとんどありません(関連記事)。

 デニソワ人は、現代人ではオセアニア地域において他地域よりも遺伝的影響がずっと強く残っています。本論文の主要な調査対象地域でとくにデニソワ人の遺伝的影響が高いのは、アジア南東部の東部(おおむねワラセアと一致します)とニューギニア島です。本論文は、パプア人におけるデニソワ人の遺伝的影響を約4%と推定しています。しかし、これらの地域の更新世の古代DNA研究は困難なので、現代人のゲノム解析が重要となります。そこで本論文は、インドネシアとパプアニューギニアの島々の14集団から161人の、網羅率30倍以上となる高品質なゲノム配列を決定し、他地域の現代人およびデニソワ人のゲノム配列と比較しました。本論文はその結果、デニソワ人と現生人類との単一の交雑事象だけでは説明しにくい配列を見出し、デニソワ人系統における多様性および現生人類との複雑な交雑の可能性を提示しています。

 本論文は、デニソワ人をD0・D1・D2の3系統に区分しています。D0はすでに高品質なゲノム配列が得られているアルタイ地域のデニソワ人(関連記事)と最も近縁な系統です。まず、D2系統とD1およびD0の共通祖先系統が363000年前頃(12500世代前、95%の信頼性で377000〜334000年前)に分岐し、その後でD1系統とD0系統が283000年前頃(9750世代前、95%の信頼性で297000〜261000年前)に分岐した、本論文は推定しています。D0系統はその後、すでにゲノム配列が得られているアルタイ地域のデニソワ人系統と分岐した、と推定されています。

 本論文は、D2系統とD1およびD0の共通祖先系統の推定分岐年代が363000年前頃で、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の381000年前頃という推定分岐年代(関連記事)にたいへん近いので、D2系統をネアンデルタール人とデニソワ人の姉妹集団とみなすほうがよいかもしれない、と指摘しています。しかし、イベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃のホモ属遺骸群は、核DNA解析ではデニソワ人よりもネアンデルタール人の方と近縁なので、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統の分岐は遅くとも43万年前頃より前と考えられます(関連記事)。じっさい、両系統の分岐年代は25660世代前(744000年前頃)との推定もあります(関連記事)。この記事では、本論文の見解と異なりますが、D2系統もデニソワ人系統として扱います。

 注目されるのは、これらデニソワ人系統の現代人への遺伝的影響の地理的分布です。D0系統はアジア東部とシベリアに、D2系統はオセアニアとそれよりも影響が低いものの南東部を中心にアジアの東部および南部に分布します。ところが、D1系統はニューギニア島とその近隣の島々にしか分布しません。パプア人には、デニソワ人でもD1・D2系統のみの遺伝的影響が見られるわけですが、さらにデニソワ人由来の個々のゲノム領域の長さから、パプア人の祖先とデニソワ人との交雑年代は、D2系統が45700年前頃(95%の信頼性で60700〜31900年前)、D1系統が29800年前頃(95%の信頼性で50400〜14400年前)と推定されています。つまり、デニソワ人は地球上で最後の古代型ホモ属(現生人類ではないホモ属)だったかもしれない、というわけです。これらの関係をまとめた本論文の図4を以下に掲載します。
図4

 本論文は、これらの交雑の推定年代と現代人における遺伝的影響の地理的分布から、D1系統がニューギニア島もしくはアジア南東部の東部に存在した、と推測しています。つまり、D1系統は渡海した可能性がある、というわけです。現生人類ではないホモ属の渡海は、フローレス島に100万年以上前から人類が存在し(関連記事)、ルソン島に70万年前頃に人類が存在したこと(関連記事)を想起すると、あり得ると言えるでしょう。本論文は、デニソワ人の地理的範囲はユーラシア大陸の草原地帯から熱帯島嶼部まで多様で、海のような地理的障壁が、各系統の長期の生殖隔離を固定したのではないか、と推測しています。また、デニソワ人から現生人類への遺伝的影響としては、平滑筋細胞の増殖・免疫・脂肪生成などが指摘されています。

 デニソワ人と現生人類との交雑の様相は複雑だとする見解は、近年になって増えてきたように思います。たとえば、デニソワ人と現生人類との複数回の交雑を想定する見解や(関連記事)、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合集団もしくはデニソワ人と近縁な系統が現生人類と交雑したとする見解や(関連記事)、ネアンデルタール人およびデニソワ人と等距離の遺伝的関係にある系統が現生人類と交雑したとする見解(関連記事)などです。おそらく、本論文が主要な調査対象とした地域をはじめとして、古代DNA研究に適さない地域が広範に存在するため、後期ホモ属間の交雑で見落とされているものが多く、またより詳細な解明が阻まれているのでしょう。

 その意味で、現時点では後期ホモ属間の交雑に関する解釈は難しく、じっさい、この研究に関わっていないクーパー(Alan Cooper)氏は本論文の見解に否定的です。パプア人が30000年前頃以降にデニソワ人から高い遺伝的影響を有したのだとしたら、更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸とニューギニア島は陸続き(サフルランド)だったわけで、なぜオーストラリア先住民にもデニソワ人からの(他地域集団と比較して)高い遺伝的影響が残っているのか、というわけです。クーパー氏は、スンダランドでのデニソワ人と現生人類との交雑を提案しますが、本論文の著書の一人であるコックス(Murray P. Cox)氏は、D1とD2がともにアジア大陸に存在したのなら、長期にわたって混合しなかったことを説明できない、と反論しています。クーパー氏の指摘は、オーストラリア先住民がじゅうぶんな調査対象になっていない、という本論文の弱点とも関わっていくるのでしょうが、こうした問題も、急速に発展しているゲノム研究が解決していくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Jacobs GS. et al.(2019B): Multiple Deeply Divergent Denisovan Ancestries in Papuans. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.02.035


追記(2019年4月15日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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マウスの宇宙生活への適応

2019/04/12 18:46
 マウスの宇宙生活への適応に関する研究(Ronca et al., 2019)が公表されました。この研究は、マウスの寿命から見れば長期間(17〜33日)のミッションにおいて、国際宇宙ステーション(ISS)に乗せた20匹の雌マウス(16週齢および32週齢)と、それに対応する地上の対照マウスの映像を記録しました。この研究の目的は、動物がどのようにして宇宙環境に適応するかについて新たな知見を得ることで、この知見は、長期間の宇宙飛行に対するヒトの応答について解明を進めるうえで必要な、動物研究の結果の解釈に影響を及ぼす可能性があります。

 宇宙飛行したマウスは、採餌・セルフグルーミング・身を寄せ合う行動・社会的相互作用といった特有の行動が全て観察されました。研究終了時、宇宙飛行した全てのマウスは健康状態が良好で、体重が地上の対照マウスとほぼ同じでした。また、宇宙飛行したマウスは、実験期間を通じて活発で、動き回っており、新しい環境を探索して、飼育箱全体を利用していました。

 宇宙飛行したマウスの中で若齢のマウスは、ロケット打ち上げから7〜10日以内に特有の回転行動である「race-tracking行動(飼育箱の壁伝いに歩く行動)」を開始し、これはその後間もなく協調的な集団活動へと変化しました。こうした行動の原因としては、この運動に報酬効果があること、ストレス応答であること、微小重力環境では外部から刺激を受けない耳の平衡系が興奮すること、などが考えられています。ただこの研究は、この行動をとる理由を解明するためにはさらなる研究が必要と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【動物行動学】マウスはどのようにして宇宙生活に適応するのか

 国際宇宙ステーション(ISS)に設置されたNASAの齧歯類飼育箱内で宇宙飛行したマウスの初めての詳細な行動解析の結果を報告する論文が、今週掲載される。この動物研究は、宇宙の微小重力環境での長期生活がヒトに及ぼすと考えられる影響を解明する上で役立つ可能性がある。

 今回、April Roncaたちの研究グループは、マウスの寿命から見れば長期間(17〜33日)のミッションにおいて、ISSに乗せた20匹の雌マウス(16週齢と32週齢)と、それに対応する地上の対照マウスの映像を記録した。この研究の目的は、動物がどのようにして宇宙環境に適応するかについて新たな知見を得ることであり、今回の知見は、長期間の宇宙飛行に対するヒトの応答について解明を進める上で必要な動物研究の結果の解釈に影響を及ぼす可能性がある。

 宇宙飛行したマウスは、特有の行動(採餌、セルフグルーミング、身を寄せ合う行動、社会的相互作用)が全て観察された。研究終了時、宇宙飛行した全てのマウスは、健康状態が良好で、体重が地上の対照マウスとほぼ同じだった。また、宇宙飛行したマウスは、実験期間を通じて活発で、動き回っており、新しい環境を探索して、飼育箱全体を利用していた。

 宇宙飛行したマウスの中で若齢のマウスは、ロケット打ち上げから7〜10日以内に特有の回転行動、すなわちrace-tracking行動(飼育箱の壁伝いに歩く行動)を開始し、これはその後間もなく協調的な集団活動へと変化した。こうした行動の原因としては、この運動に報酬効果があること、ストレス応答であること、微小重力環境では外部から刺激を受けることがない耳の平衡系が興奮することなどが考えられる。ただし、Roncaたちは、この行動をとる理由を解明するためにはさらなる研究が必要だと結論付けている。



参考文献:
Ronca AE et al.(2019): Behavior of mice aboard the International Space Station. Scientific Reports, 9, 4717.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-40789-y
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ルソン島の後期更新世の新種ホモ属(追記有)

2019/04/11 17:16
 ルソン島の後期更新世の新種ホモ属に関する研究(Détroit et al., 2019)が報道(Tocheri., 2019)されました。ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)では2007年に人類の第3中足骨が発見されており、現生人類(Homo sapiens)のものとも言われていましたがはっきりとせず、更なる検証が必要だろう、との指摘もありました(関連記事)。本論文は、その後カラオ洞窟で新たに発見された、少なくとも3人(成人2個体と子供1個体)分となる20点の人類遺骸の分析・比較結果を報告しました。比較対象となったのは、現生人類やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やアフリカ・ヨーロッパ・アジアの初期ホモ属やアウストラロピテクス属やパラントロプス属です。

 本論文は、それらの分析・比較の結果、カラオ洞窟で発見された、既知の人類遺骸と合わせて13点(7本の歯・2個の手の骨・3個の足の骨と1個の大腿骨)を、ホモ属の新種に分類してルゾネンシス(Homo luzonensis)と命名しています。そのうち1個体の上顎には2本の小臼歯と3本の大臼歯が含まれます。ルゾネンシスの年代は、ウラン系列法により、67000〜50000年以上前と推定されています。ルゾネンシスのDNA解析には成功していないそうで、残念ながら、年代と環境から成功の可能性はかなり低いと予想されます。

 ルゾネンシスの形態は独特で、それが新種認定の根拠とされました。ルゾネンシスの大臼歯はかなり小さく、歯冠の比較からも、アジアのエレクトス(Homo erectus)や南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でのみ確認されている種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)とは異なります。ただ、ルゾネンシスの第一大臼歯には、インドネシアのいくつかのエレクトス化石との類似性が見られるそうです。また、ルゾネンシスの大臼歯の外部形態は現生人類と類似していますが、歯冠・EDJ(象牙質とエナメル質の接合部)・歯根には祖先的特徴が見られ、アウストラロピテクス属とパラントロプス属を含む早期人類と類似しています。ルゾネンシスのEDJは、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)以外の人類とは異なる形態を有しています。ルゾネンシスの小臼歯は他の人類と比較して大きいというか、大臼歯と小臼歯のサイズの比率が他の人類と大きく異なり、例外はパラントロプス属くらいです。

 アウストラロピテクス属の手と足の形態は、一般的に(現代人を除く)大型類人猿と現代人との中間と認識されていますが、それは、直立二足歩行と木登りの程度への適応度がどの程度の比率になっているのか、という問題です。ルゾネンシスとアウストラロピテクス属のアファレンシス(Australopithecus afarensis)やアフリカヌス(Australopithecus africanus)は、手と足の形態が類似しています。ルゾネンシスの指と爪先の骨は湾曲しており、多くの初期人類種と同様に、木登りが重要な行動の一部だったことを示唆します。つまり、ルゾネンシスの木登りの能力は(エレクトスおよびその子孫系統の)ホモ属よりも高かったのではないか、というわけです。しかし本論文は、ルゾネンシスの遺骸が断片的であることから、その歩行形態や手の操作能力の推測には限界がある、と指摘しています。全体的に、ルゾネンシスの歯・手・足の形態の組み合わせはたいへん独特で、研究者たちにとっても予想外でした。そのため、ルゾネンシスを人類進化系統樹においてどこに置づけるのか、判断が難しくなっています。

 上述の年代から、ルゾネンシスは5万年以上前にルソン島に存在していました。カラオ洞窟の近くのガヤン盆地(Cagayan Valley)では70万年前頃の人類の痕跡が発見されており(関連記事)、ルゾネンシスはルソン島に70万年以上前から存在していたかもしれません。そうだとすると、同じくアジア南東部となるインドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)とルゾネンシスは、中期更新世前期から後期更新世まで、アジア南東部の島嶼部に存在したことになります。もっとも、フロレシエンシスは前期更新世からフローレス島に存在した可能性が高そうですが(関連記事)。

 ルソン島もフローレス島も、更新世寒冷期の海水準が最低位の時さえ、大陸から到達するにはかなりの距離の渡海が必要です。ルゾネンシスもフロレシエンシスもどのように渡海したのか、現時点では確証がありません。ルゾネンシスとフロレシエンシスはともに、ホモ属では稀か存在しないものの、アウストラロピテクス属と類似した特徴も有しています。フローレス島と同じく、ルソン島も脊椎動物の固有性が高く、ルゾネンシスとフロレシエンシスのアウストラロピテクス属的な特徴は、島嶼化による収斂進化かもしれませんが、さらなる発見ともっと明確な証拠が必要と本論文は指摘しています。本論文は、更新世の非アフリカ系地域、とくにアジア南東部の島々における、ホモ属の進化・拡散・多様性の複雑さを強調しています。

 上記報道でトッチェリ(Matthew W. Tocheri)氏はさらに、ルゾネンシスがアフリカからの初期人類の拡散に関する有力説を書き換える可能性にも言及しています。じゅうらいの有力説では、人類は脳が大型化し、現代人のように直立二足歩行に特化したエレクトス以降にアフリカからユーラシアへと拡散した、と考えられています。つまり、ホモ属でも最初期のハビリス(Homo habilis)のような祖先的特徴の強い種はアフリカに留まった、というわけです。トッチェリ氏は、ルゾネンシスもフロレシエンシスも、アジア南東部のエレクトスの子孫である可能性が高いだろう、とも認めています。しかし、上述したように、ルゾネンシスとフロレシエンシスには、ホモ属においては稀でアウストラロピテクス属と類似した特徴も見られます。これを島嶼化による収斂進化と考えるにはあまりにも偶然の一致が多いように見える、とトッチェリ氏は指摘します。

 じっさい、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)では180万年前頃のホモ属が発見されていますが、脳容量が小さく、形態にはアウストラロピテクス属的なところがあります(関連記事)。また、中国では212万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。そのためトッチェリ氏は、最初にアフリカからユーラシアへと拡散した人類がエレクトスではなかった可能性を指摘しています。つまり、ハビリスのようなアウストラロピテクス属とホモ属の特徴の混在した人類系統がアフリカからユーラシアへと拡散し、アジア南東部や東部に到達して、ルゾネンシスやフロレシエンシスへと進化した可能性がある、というわけです。私は、ルゾネンシスもフロレシエンシスもスンダランドのエレクトスから進化し、アウストラロピテクス属的な特徴は祖先からの継承ではなく、島嶼化によるものではないか、との見解に傾いていますが、自信はありません。ともかく、更新世におけるアジア南東部や東部の人類進化史は、じゅうらいの想定よりもかなり複雑だったようで、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【考古学】フィリピンで見つかったヒト属の新種の化石

 フィリピンのカラオ洞窟で見つかった古代のヒト族の化石(数点の手と足の骨、大腿骨の一部、数点の歯)について報告する論文が、今週掲載される。これらの化石は、今から5万年前の更新世後期にルソン島で生活していたヒト属の新種を示す十分な証拠となる。

 70万年前に動物の屠殺が行われていたことを示す証拠と、67000年前のものとされる足の骨の化石1点の発見により、ルソン島にヒト族が存在していたことがすでに示されている。今回、Florent Detroit、Armand Mijaresたちの研究グループは、これらの化石が出土したカラオ洞窟の同じ地層で、さらに12点のヒト族の骨と歯の化石を発見し、それらが少なくとも3個体に由来することを明らかにした。この新たに発見された化石標本には、東南アジア島嶼部で生活していたヒト族フローレス原人(Homo floresiensis)などのヒト属種とは著しく異なる特徴(例えば、独特な小臼歯など)があった。今回の研究で明らかになった新種は、著者たちによってホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)と命名された。

 この地域におけるこれまで知られていなかった新種の存在は、東南アジア島嶼部がヒト属の進化において重要なことを強調している。


古人類学:後期更新世のフィリピンに生息していたヒト属の新種

Cover Story:アジアのヒト属:フィリピンで発見された新たなヒト族

 表紙は、新たに発見され「ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)」と名付けられたヒト族種の2本の大臼歯である。今回F Détroit、 A Mijares、 P Piperたちは、5万年以上前にフィリピンのルソン島に住んでいたこのヒト属(Homo)の、少なくとも3個体に属する歯、足と手の骨、大腿骨の一部からなる12点の標本をカラオ洞窟で発掘した。これらの骨は、2007年にこの洞窟で発見され年代が6万7000年前と推定された1点の足の骨に加わるもので、これらの新たな標本によって新種の正式な記載が可能になった。インドネシアのフローレス島で発見された小型のヒト族フローレス原人(Homo floresiensis)と並んで、今回のホモ・ルゾネンシスの発見は、ヒト属の進化における東南アジアの島嶼個体群の重要性を浮き彫りにしている。これら2種には違いがあるものの、両者の状況は類似していた可能性があり、共に、それ以前のヒト族が離島に隔離されて独自の進化の道筋をたどった残存個体群であると考えられる。



参考文献:
Détroit F. et al.(2019): A new species of Homo from the Late Pleistocene of the Philippines. Nature, 568, 7751, 181–186.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1067-9

Tocheri MW. et al.(2019): Previously unknown human species found in Asia raises questions about early hominin dispersals from Africa. Nature, 568, 7751, 176–178.
https://doi.org/10.1038/d41586-019-01019-7


追記(2019年4月13日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。



追記(2019年4月22日)
 講談社のサイトに解説記事が掲載されました。
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複雑社会の出現後に始まった道徳を説く神への信仰

2019/04/11 17:13
 道徳を説く神への信仰の起源に関する研究(Whitehouse et al., 2019)が公表されました。日本語の解説もあります。過去1000年間に「向社会的な宗教」の広がりが顕著になっています。このような宗教では、強力な「道徳律に従うことを求める神」、またはより一般的な道徳律違反に対する「超自然的な罰」(たとえば、仏教におけるカルマ)の存在が自明とされています。人々が協力して社会規範に従う理由は、小規模な社会では評判のコストだけで充分説明できそうですが、大規模で複雑な社会では、不正を行なう者が匿名性を隠れ蓑にして道徳的な罪を犯すかもしれません。複雑な社会の発展に関する有力な一仮説に、全てを見通す神が道徳律に従わせるための手段をもたらす、というものがあり、道徳律に従うことを求める神の存在と社会的複雑性とが関連していることは先行研究で示唆されていますが、両者の関係を巡っては論争があります。

 この研究は、世界史上の数百の社会の社会構造および宗教とその他の領域に関する標準化データを解析し、道徳律に従うことを求める神と社会的複雑性の関係を検証しました。この研究では、過去1万年間に世界の30の地域に存在した414の社会の記録を、社会的複雑性の評価基準(51種)と道徳律の超自然的強制の評価基準(4種)に基づいて系統的に符号化しました。その結果、道徳律に従うことを求める神への信仰は、社会的複雑性が増した後に起こり、「メガ社会」(人口が約100万人を超える社会)の出現後に起こる傾向がある、と明らかになりました。

 この研究は、道徳律に従うことを求める神への信仰は人間社会の複雑性が増すための必要条件ではなく、社会が一定の規模を超えた時に社会の協調性を維持するために必要な文化的適応だと考えられる、と主張しています。この研究はその原因について、多民族帝国で多種多様な人々を共通の高次権力に従わせるために必要だった可能性がある、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【社会科学】道徳を説く神への信仰は複雑社会の出現後に始まった

 道徳を説く神への信仰は人間社会の拡大の後に起こったもので、社会的複雑性を高めるために重要ではなかったことを報告する論文が、今週掲載される。

 ここ1000年間は「向社会的な宗教」の広がりが顕著になっている。このような宗教では、強力な「道徳律に従うことを求める神」、またはより一般的な道徳律違反に対する「超自然的な罰」(例えば、仏教におけるカルマ)の存在が自明とされている。道徳律に従うことを求める神の存在と社会的複雑性とが関連していることは先行研究で示唆されているが、両者の関係を巡っては論争がある。

 今回、Patrick Savageたちの研究グループは、世界史上の数百の社会の社会構造、宗教とその他の領域に関する標準化データを解析して、道徳律に従うことを求める神と社会的複雑性の関係を検証した。この研究では、過去1万年間に世界の30の地域に存在した414の社会の記録を、社会的複雑性の評価基準(51種)と道徳律の超自然的強制の評価基準(4種)に基づいて系統的に符号化した。その結果、道徳律に従うことを求める神への信仰は、社会的複雑性が増した後に起こり、「メガ社会」(人口が約100万人を超える社会)の出現後に起こる傾向のあることが判明した。Savageたちは、道徳律に従うことを求める神への信仰は人間社会の複雑性が増すための必要条件ではなく、社会が一定の規模を超えた時に社会の協調性を維持するために必要な文化的適応だと考えられると主張している。この原因について、Savageたちは、多民族帝国で多種多様な人々を共通の高次権力に従わせるために必要だった可能性があると結論付けている。


社会科学:世界の歴史を通じて、社会的複雑性は道徳を説く神に先立って出現した

社会科学:道徳を説く神と複雑な社会

 人々はなぜ協力し、社会規範に従うのか。小規模な社会では評判のコストだけで十分説明できそうだが、大規模で複雑な社会では、不正をする人が匿名性を隠れみのにして道徳的な罪を犯す可能性がある。複雑な社会の発展に関する1つの有力な仮説に、全てを見通す神が道徳律に従わせるための手段をもたらす、というものがある。今回P Savage(慶應義塾大学ほか)たちは、過去1万年にわたる世界各地の数百の社会の特徴を含む大規模な歴史的データセットで、社会的複雑性と超自然的な存在の信仰の時間的進化を調べることにより、この仮説を検証した。その結果、社会発展の初期には形式的な宗教的儀式が見られるが、道徳を説く神は、大規模社会が出現した後の遅い時期に現れる傾向があることが明らかになった。著者たちは、道徳を説く神は大規模で複雑な社会の誕生における主な要素ではなく、そうした社会がその後安定化して成長する上で役割を果たす可能性があると結論付けている。



参考文献:
Whitehouse H. et al.(2019): Complex societies precede moralizing gods throughout world history. Nature, 568, 7751, 226–229.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1043-4
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生息地により異なるカエルの鳴き声

2019/04/10 03:01
 生息地により異なるカエルの鳴き声に関する研究(Halfwerk et al., 2019)が公表されました。自然界における人工的な環境の拡大は動物のコミュニケーションに問題を生じさせ、騒音や光害が視聴覚シグナルを妨害する場合もあります。この研究は、都会での生活が雄のトゥンガラガエル(Physalaemus pustulosus)のシグナル伝達行動をどのように変化させたか、調査しました。

 この研究は、パナマ運河付近の都市部と森林の両方で、生息しているカエルの特徴的な「ガガッ」という鳴き声を録音しました。その結果、都会の雄は森林の雄と比較して鳴く回数が多く、鳴き声がより複雑である、と明らかになりました。実験室内でトゥンガラガエルの雌に向けて、都会の雄の鳴き声と森林の雄の鳴き声を再生したところ、雌の3/4は複雑さに勝る都会の雄の鳴き声に引き付けられました。

 都会のトゥンガラガエルを森林の生息地へ、森林のトゥンガラガエルを都会の生息地へそれぞれ移すと、都会のカエルは新たな環境で、鳴き声の複雑さを能動的に抑制できる、と明らかになりました。しかし、森林のカエルが都会の生息地で鳴き声を複雑化させることはありませんでした。この研究は、都会の世界では耳をそばだてている捕食者が森林と比較して少ないために、鳴き声を捉えられるリスクが低く、進化によって鳴き声の高度な柔軟性が選択されたのではないか、と考えています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


カエルはシティーボーイのほうがモテる

 都会の環境に生息するトゥンガラガエルの雄は、鳴き声が複雑であるため、森林に生息する雄よりも雌を引き付けやすいことを示唆する論文が、今週掲載される。今回の知見はまた、都市部のカエルは、自然生息地のカエルよりも捕食者が少ないため、派手な鳴き声を好むことも示唆している。

 自然界における人工的な環境の拡大は動物のコミュニケーションに問題を生じさせ、騒音や光害が視聴覚シグナルを妨害する場合がある。

 Wouter Halfwerkたちは、都会での生活が雄のトゥンガラガエル(Physalaemus pustulosus)のシグナル伝達行動をどのように変化させたかを調査している。Halfwerkたちは、パナマ運河付近の都市部と森林の両方で、生息しているカエルの特徴的な「ガガッ」という鳴き声を録音した。その結果、都会の雄は森林の雄と比較して鳴く回数が多く、鳴き声がより複雑であることが明らかになった。実験室内でトゥンガラガエルの雌に向けて、都会の雄の鳴き声と森林の雄の鳴き声を再生したところ、雌の4分の3は複雑さに勝る都会の雄の鳴き声に引き付けられることが分かった。

 都会のトゥンガラガエルを森林の生息地へ、森林のトゥンガラガエルを都会の生息地へそれぞれ移すと、都会のカエルは新たな環境で、鳴き声の複雑さを能動的に抑制できることが明らかになった。しかし、森林のカエルが都会の生息地で鳴き声を複雑化させることはなかった。Halfwerkたちは、都会の世界では耳をそばだてている捕食者が森林と比較して少ないために、鳴き声を捉えられるリスクが低く、進化によって鳴き声の高度な柔軟性が選択されたのではないかと考えている。



参考文献:
Halfwerk W. et al.(2019): Adaptive changes in sexual signalling in response to urbanization. Nature Ecology & Evolution, 3, 3, 374–380.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0751-8
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地球内核の形成時期

2019/04/09 03:09
 地球内核の形成時期に関する研究(Bono et al., 2019)が公表されました。地球内核が固化した時期についてはさまざまな見解が提示されており、25億年前とも5億年前とも推定されています。しかしこうした時期は、過去の地球磁場の性質を記録している岩石を分析することでより正確なものにできます。若い内核の境界で液体の鉄が固化することは、地球ダイナモ(外核における流体金属の対流運動で、地球磁場の原動力となります)の重要なエネルギー源になっていたと考えられます。複数のシミュレーションから、このエネルギーによる後押しが地球磁場強度の岩石記録に保存されていると予測されていました。

 この研究は、現在のカナダのケベック州東部において5億6500万年前に形成された斜長石と、単斜輝石の単結晶内で見つかった小さな磁性包有物に記録された地球磁場の過去の強度と方向を測定しました。その結果、この時期の地球磁場強度が前例にないほど低く、またこの時期には地磁気反転が頻繁に起きていたと明らかになりました。そのため、この時期には地球ダイナモは崩壊寸前だったと推測されています。こうした知見から、内核形成は、地球ダイナモを回復させて地球磁場による遮蔽を保つのに、ちょうどよい時に起きた可能性がある、と指摘されています。カンブリア紀の大爆発とも関わってくる知見かもしれないという点で、注目されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


地球内核はちょうどよい時に形成されたかもしれない

 地球の磁場は約5億6500万年前に最も強度が低くなり、その原動力となるダイナモは崩壊寸前だったことを示唆する論文が、今週掲載される。固体の地球内核の形成は地球磁場の強度を増大させたと考えられるので、今回の発見から、内核の固化がこの時までには完全に始まっていなかったことが示唆される。

 内核が固化した時期についての見積もりはさまざまであり、25億年前というものもあれば5億年前というものもある。しかしこうした時期は、過去の地球磁場の性質を記録している岩石を分析することでより正確なものにできる。若い内核の境界で液体の鉄が固化することは、地球ダイナモ(外核における流体金属の対流運動で、地球磁場の原動力となる)の重要なエネルギー源となっていたと考えられる。複数のシミュレーションから、このエネルギーによる後押しが地球磁場強度の岩石記録に保存されていると予測されていた。

 John Tardunoたちは今回、現在のカナダ・ケベック州東部において5億6500万年前に形成された斜長石と単斜輝石の単結晶内で見つかった小さな磁性包有物に記録された地球磁場の過去の強度と方向を測定した。その結果、Tardunoたちは、この時期の地球磁場強度が前例にないほど低く、またこの時期には地磁気反転が頻繁に起きていたことを見いだし、こうしたことから地球ダイナモは崩壊寸前だったと推測している。

 関連のNews & Viewsでは、Peter Driscollが、「内核形成は、地球ダイナモを回復させて地球磁場による遮蔽を保つのに、ちょうどよい時に起きた可能性がある」と述べている。



参考文献:
Bono RK. et al.(2018): Young inner core inferred from Ediacaran ultra-low geomagnetic field intensity. Nature Geoscience, 12, 2, 143–147.
https://dx.doi.org/10.1038/s41561-018-0288-0
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アジア東部における中期更新世ホモ属の多様性

2019/04/08 03:10
 アジア東部における中期更新世ホモ属の多様性についての研究(Xing et al., 2019)が報道されました。本論文は、中華人民共和国貴州省桐梓(Tongzi)県の艶輝(Yanhui)洞窟で1972年と1983年に発見された4個の人類の歯(240000〜172000年前頃)を、年代的には中期更新世後期、地理的にはアジア東部を中心としたホモ属の歯と比較しました。本論文はその結果、中期更新世のホモ属には複数の集団が存在した、と指摘します。一方は、分類学的に狭義のエレクトス(Homo erectus)として区分でき、北京市房山区の周口店(Zhoukoudian)や安徽省馬鞍山市和県(Hexian)や山東省沂源県(Yiyuan)のようなホモ属遺骸に代表されます。もう一方は、歯冠対称性などもっと後のホモ属に見られる派生的特徴を有する集団で、本論文は「非エレクトス」と呼んでいます。

 桐梓ホモ属には、強いシャベル状などアジア東部の中期更新世集団で一般的に見られる特徴をいくつか有しています。こうした特徴は、ジャワ島のサンギラン(Sangiran)遺跡の前期更新世ホモ属には存在しませんが、同じく前期更新世でも、雲南省楚雄イ族自治州元謀(Yuanmou)のホモ属には存在します。こうした特徴は一般的で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)系統において強く現れています。しかし、桐梓ホモ属の歯冠の形状は、ネアンデルタール人やヨーロッパの他の前期および中期更新世ホモ属とは異なります。そうした特徴は、前期更新世および中期更新世中期のサンギランや周口店や和県のホモ属でも観察されており、早期および最近の現生人類の範囲に収まります。つまり、桐梓ホモ属には祖先的特徴と派生的特徴が混在している、というわけです。

 こうした類似点にも関わらず、桐梓ホモ属の歯にはアジア東部の中期更新世中期のエレクトスとは異なる点が見られます。全体として、桐梓ホモ属の歯は古典的なエレクトスの形態学的パターンに合致せず、古代型サピエンスや古代型ホモ属に分類できるかもしれません。しかし本論文は、「古代型」という用語には「祖先的」という意味があり、派生的特徴が軽視されている、と指摘します。アジアの中期更新世ホモ属の多様性の文脈では、桐梓や貴州省の盤縣大洞(Panxian Dadong)や河北省張家口市の許家窯(Xujiayao)のようなホモ属は、いくつかの祖先的特徴を保持しているにも関わらず、派生的特徴もあることに注目すべきである、というわけです。こうした集団の特徴はもっと後のホモ属標本と関連しており、「古代型」という用語では適切に把握できない、と本論文は指摘します。

 こうしたホモ属に関しては、ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)という種区分も提案されています。しかし、ハイデルベルゲンシスという種区分をめぐっては論争があり、合意も形成されていないことから(関連記事)、本論文は、これらの集団を「非エレクトス」アジア東部中期更新世人類と呼ぶよう、提案しています。本論文では分析・比較対象とされなかった遼寧省営口市の金牛山(Jinniushan)遺跡のホモ属遺骸も、「非エレクトス」に区分できる可能性がある、と指摘されています。

 これら「非エレクトス」アジア東部中期更新世人類は北緯40度35分から北緯24度41分に分布し、わずかにアジア東部のエレクトス(36万〜10万年前頃)と重なります。さらに、アジアの前期更新世および中期更新世中期と許家窯ホモ属の歯冠の特徴から、狭義のエレクトスのゆっくりとした派生的特徴の進化と、典型的な「エレクトス」的特徴の喪失の可能性が指摘されています。一方本論文は、「非エレクトス」のアジア東部中期更新世人類が異なる系統を表している可能性も提案しています。また、アジア東部中期更新世後期のホモ属の歯には、現生人類(Homo sapiens)の範囲内に収まる特徴もあります。しかし、そうした派生的特徴はネアンデルタール人系統にも見られるので、「非エレクトス」と現生人類との関連を指摘するのには慎重でなければならない、と本論文は注意を喚起しています。

 現時点で利用可能な歯の証拠に基づくと、桐梓遺跡など非エレクトスのアジア東部中期更新世ホモ属は、現生人類系統もしくはネアンデルタール人系統に関連しているかもしれないものの、第三の系統を表しているかもしれない、と本論文は指摘します。最近のDNA研究により、中期〜後期更新世にかけてアジアに存在する種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在が明らかになりました(関連記事)。しかし、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でのみ確認されているデニソワ人の形態学的情報は乏しいので、本論文では形態学的な比較対象とはできず、非エレクトスのアジア東部中期更新世人類のDNA情報は欠けているので、両集団間の直接的比較が妨げられています。これらの「非エレクトス」がデニソワ人である可能性もあるものの、現時点では確証がありません。なお、和県(関連記事)・サンギラン(関連記事)・元謀(関連記事)・許家窯(関連記事)のホモ属については、以前当ブログで取り上げました。


参考文献:
Xing S, Martinón-Torres M, and Castro JMB.(2019): Late Middle Pleistocene hominin teeth from Tongzi, southern China. Journal of Human Evolution, 130, 96–108.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2019.03.001
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テレビ番組での五島勉氏への取材

2019/04/08 03:04
 昨日(2019年4月7日)、フジテレビ系『Mr.サンデー』で、五島勉氏が取材に応じた、と報道されました。テレビ取材を断ってきた五島氏は、音声だけという条件で取材に応じたそうです。内容はというと、子供たちには謝りたい、希望もあると書いておいた、という以前からの五島氏の弁明の繰り返しで、とくに目新しい情報はありませんでした。上記報道を読んだ限りでは、五島氏を糾弾するという性格は強くなく、やや好意的とさえ言える感じでもあり、基本的には、「あの人は今」的な懐古企画だったように思われます。

 当ブログも何度か述べてきましたが、私は五島勉氏のファンであり、単独のブログテーマを設定しているくらいです。いつか五島氏のまとめサイトを開設しようと考えているくらいですが、怠惰なこともありますし、優先順位のより高い趣味が他にもあるので、ほとんど進んでいません。まあ、本気で五島氏の思想・言説を検証しようとしたら、現代フランス語のみならず中世フランス語(「方言」も含めて)やラテン語も習得しなければならないでしょうから、さすがに自分の能力では無理そうだな、と思って尻込みしているということもあります。自分が元気でいる間に、五島氏の思想・言説と戦後日本社会の思潮との関係という観点から考察を執筆しよう、とは考えているのですが。五島氏には黙示録を題材にした新作の構想があるとのことで(関連記事)、何とかもう一冊、五島氏の新作を読みたいものです。
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デニソワ人のホモ属進化史における位置づけ

2019/04/07 07:25
 種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の人類進化史における位置づけについて、2019年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Stringer., 2019)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P103)。デニソワ人は南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でのみ確認されているホモ属系統です(関連記事)。本報告が指摘するように、デニソワ人に関しては、形態学的情報がほとんどない一方で、遺伝学的情報は更新世の人類としては豊富なので、形態学的情報がそれなりにある一方で、遺伝学的情報が皆無の、他地域のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)でも現生人類(Homo sapiens)でもないホモ属と照合することができません。

 ネアンデルタール人とデニソワ人の推定分岐年代には諸説ありますが、381000年前頃との見解(関連記事)について本報告は、もっとさかのぼるかもしれない、と示唆します。それは、デニソワ人の歯は大きく、イベリア半島北部の43万年前頃の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)のホモ属遺骸群とは対照的に、ネアンデルタール人の派生的特徴を欠いているからです。つまり、ネアンデルタール人とデニソワ人の分岐は遅くとも43万年前頃より前になる、というわけです。

 デニソワ人が確認された当初から、中国の後期ホモ属遺骸の中にデニソワ人がいるのではないか、と推測されていました。陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡や遼寧省営口市の金牛山(Jinniushan)遺跡のホモ属遺骸は祖先的特徴をより多く示し、ネアンデルタール人の派生的特徴がSH集団より少ないからです。しかし、河北省張家口市の許家窯(Xujiayao)遺跡(関連記事)や広東省韶関市の馬壩(Maba)遺跡や台湾沖の澎湖(Penghu)遺跡(関連記事)や河南省許昌市(Xuchang)の霊井(Lingjing) 遺跡(関連記事)のホモ属遺骸からは、中国の後期ホモ属の多様性と複雑性が窺えます。中国の後期ホモ属は単系統ではなかった可能性が高そうです。

 デニソワ人の遺伝的影響は、現代人ではオセアニア地域において高いので、アジア南東部には後期デニソワ人のような集団が存在したのではないか、と推測されています。しかし本報告は、アジア南東部のどの化石がデニソワ人に相当するのか、まだ確実な推測からほど遠い状況であることを指摘しています。デニソワ人のホモ属進化史における位置づけをより明確にするには、やはり、デニソワ洞窟以外においてデニソワ人と分類されるホモ属遺骸を発見することが必要となります。デニソワ洞窟以外で、保存状態の良好な遺骸のDNA解析に成功してデニソワ人と区分できれば、デニソワ人の形態学的情報が飛躍的に増加するので、デニソワ人の分布範囲について今よりずっと明らかになるでしょう。


参考文献:
Stringer CB.(2019): Placing the Denisovans in human evolution. The 88th Annual Meeting of the AAPA.
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アフリカのハイデルベルゲンシス

2019/04/06 09:26
 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)の共通祖先について、2019年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Mounier, and Lahr., 2019)この報告の要約はPDFファイルで読めます(P170)。20世紀初めにドイツのマウエル(Mauer)で発見されたホモ属の下顎は、ネアンデルタール人や現生人類やエレクトス(Homo erectus)といった当時の既知の人類遺骸と異なっていると考えられ、ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)という新たな種区分に分類されてきました。

 ハイデルベルゲンシスは、最近30年ほど、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先候補として注目されてきました。ネアンデルタール人と現生人類の分岐年代に関しては諸説ありますが(関連記事)、年代的には、中期更新世前期に存在したハイデルベルゲンシスは有力候補と言えるでしょう。そのため、ハイデルベルゲンシスをネアンデルタール人と現生人類の共通祖先とする見解は、21世紀にはかなり有力というか広く浸透してきたように思われます。

 しかし、本報告が指摘するように、ハイデルベルゲンシスの正基準標本とされるマウエル下顎と、ハイデルベルゲンシスと分類される標本群との間に、直接的な分類学的関連が示されねばなりません。本報告は、マウエル下顎とアフリカおよびヨーロッパの中期更新世化石記録との分類学的関連を検証し、ハイデルベルゲンシスがアフリカの分類群である可能性の高いことを指摘しています。アフリカにおいては、エチオピアで発見された85万年前頃のホモ属頭蓋が、前期更新世の最初期ホモ属であるエルガスター(Homo ergaster)および中期更新世のハイデルベルゲンシスと類似している、と指摘されています(関連記事)。アフリカにいたハイデルベルゲンシスのうち、ヨーロッパへと拡散した系統からネアンデルタール人が、アフリカに留まった系統から現生人類が進化した、というわけです。

 もっとも、ハイデルベルゲンシスについては、形態学的に多様性が大きく一つの種に収まらないほどの変異幅があるとか(関連記事)、マウエル下顎は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先と考えるにはあまりにも特殊化しているとか(関連記事)、指摘されています。しかし、ハイデルベルゲンシスという種区分に拘らなければ、本報告の検証を踏まえると、アフリカにいた現生人類とネアンデルタール人の共通祖先のうち、ヨーロッパに拡散した系統も分岐していき、ネアンデルタール人系統やマウエル系統が出現した、と考えられ、これは現時点ではかなり有力な見解になると思います。

 ただ、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先はアフリカからユーラシアに拡散した初期ホモ属の子孫で、そのうちの一部がアフリカに戻って現生人類へと進化した、との見解も提示されています(関連記事)。この見解も一定以上有力だと思いますが、その根拠は、ホモ属の出アフリカの回数が少なくなり節約的だから、というものです。しかし、ホモ属の出アフリカは、100万年以上の範囲で見ればさほど珍しいことではなく、何回もあった出アフリカのうち、ネアンデルタール人系統と関連がないものも少なからずあったのではないか、と私は考えています。また、ネアンデルタール人と近縁な、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が、ネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統と140万〜90万年前頃に分岐したホモ属系統と交雑した、と推測されているように(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先系統のうちユーラシアへと拡散した系統が、先住のユーラシアのホモ属と交雑したこともあったのでしょう。


参考文献:
Mounier A, and Lahr MM.(2019): Was Homo heidelbergensis in Africa? The 88th Annual Meeting of the AAPA.
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河上麻由子『古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで』

2019/04/06 09:25
 中公新書の一冊として、中央公論社より2019年3月に刊行されました。本書は、いわゆる倭の五王の時代から、遣隋使・遣唐使の時代を経て、「日中」の「国家間」の関係が途絶えた10世紀までを対象としています。倭の五王に関しては、武を最後に遣使が途絶えた理由として、日本列島における「天下」概念の成長・肥大化によるものではなく、武(雄略)死後の王位継承の不安定化が原因ではないか、と指摘されています。梁の「職貢図」に見える倭の使者に関しては、じっさいの姿ではなく文献に基づいて想像で描かれたのだろう、と推測されています。

 遣隋使については、600年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の第1回において、倭の使者が天を兄、日を弟としたことで文帝の不興を買った(関連記事)のではなく、文帝は夜中に政務を執ることにたいして訓戒したのだ、と指摘されています。本書はその理由を、「中国」は各国の信仰に関心を抱くものの、その是非を論じて使者を訓戒することはないから、と説明しています。本書は第2回の遣隋使について、仏教色が強いことを指摘し、倭の君主が称した「天子」とは、中華思想ではなく仏教用語だからだ、と本書は指摘します。さらに本書は、当時の慣例から、「日出処天使」は「私的な」書状で、それとは別に臣下の立場からの「公的な」書状があり、そのために煬帝(明帝)は倭の使者を不快に思いつつも、倭に使者を派遣したのではないか、と本書は推測しています。また本書は、倭が隋から冊封されなかったことについては、当時、朝鮮半島の諸国も隋から冊封されておらず、倭が隋からの冊封を要求しなかったのは当然だった、とも指摘しています。なお、第2回とは異なり第1回の遣隋使に仏教色がない理由についてて、隋の前身である北周において廃仏が行なわれており、隋の仏教への傾倒が601年まで明確ではなかったから、と本書は説明しています。

 遣唐使については、第1回の使者の帰国のさいに、唐が高表仁を倭へと派遣し、倭王(もしくは王子)との間委に「争礼」が起きたのは、唐による冊封を倭が拒否したためではなく、唐からの使者と倭王(王子)との間に儀式の場における上下の争いがあったからだ、と推測されています。本書はその根拠として、当時の唐が倭を冊封しようとする条件はなかったことを挙げています。最初期の唐は諸国の冊封に隋より熱心だったわけではなく、方針を転換してからも、かつて直接支配したわけではない倭を冊封する必然性はなかった、というわけです。遣唐使は朝貢だったことが強調されており、また原則として天皇一代に一度の事業だった、との見解を本書は採用しています。日本が道教の導入に消極的だったのは、唐の皇室が道教の祖とされていた老子の子孫と称していたため、道教の導入が唐の皇室の祖先崇拝を持ち込むことになると警戒したからではないか、と本書は推測しています。

 最後の遣唐使は838年となり、これ以降、前近代においては、天皇の名で「中国」と公的に関係を有することはなくなります。本書はその理由の一つを、天皇にのみ許されていた一代に一度の盛儀だった遣唐使(海外への公使派遣)は、個としての天皇が王権の中で突出していた状況でのことであり、平安時代初期を過ぎて、天皇が貴族社会に支えられる存在となると、海外への公使派遣の条件が失われたからだ、と説明しています。しかし、よく知られているように、「唐物」は日本に流入し続け、日本は「中国」の影響を受け続けます。遣唐使の時代よりも「唐物」の入手が容易になったことも、海外への公使派遣に朝廷が消極的だった一因である、と本書は指摘しています。ただ本書は、「日中」の「公的関係」が途絶えたことにより、貴族層が「中国」の文化に直接触れることはなくなったことから、貴族層による「唐物」の消費にしても、「中国」の流行から離れていった、と指摘しています。また本書は、「日中」の「公的関係」が途絶えたことにより、「中国」の最新技術を導入するための人材派遣もなくなり、技術面でも「中国」の流行から離れていった、と指摘しています。本書は「国風文化」の背景として、文化の消費者・生産者としての貴族層と、それを支える技術者層に入唐経験者がいなくなったことを挙げています。
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『卑弥呼』第14話「女王国」

2019/04/05 15:45
 『ビッグコミックオリジナル』2019年4月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハがアカメに、暈と那の境にいるヌカデという戦女に自分の言葉を伝えてほしい、と伝えるところで終了しました。今回は、筑紫島(ツクシノシマ)の穂波(ホミ)の国に日見子(ヒミコ)出現の報告が届く場面から始まります。ヲカ王は身分の高そうなトモ・「日の守(ひのもり)」のウテナと協議していました。神託受けたか問われたウテナは、困惑した様子で、何も受けていない、と答えます。では偽物だな、と言ったヲカ王は、穂波の現状を説明します。穂波は暈の援軍により鉄(カネ)の道を封鎖したので、那(ナ)の国と伊都(イト)の国から内海(うちうみ、瀬戸内海でしょうか)への通行料を徴収できるので、同盟国のタケル王の意に反することはできない、というわけです。ヲカ王は、タケル王より要請があれば、偽日見子討伐の兵を出す、と意気込みます。

 都萬(トマ)の国では、王君に次ぐ地位の巫身(ミミ)と巫身習(ミミナリ)がタケツヌ王に呼ばれました。その様子を見ていた父親が息子に都萬のことを説明します。倭国の内海支配しており、主神は月読(ツクヨミ)様です。月は夜の海では姿を見せないことがあるので、巫覡(フゲキ)は神の声を聞かねばなりません。つまり巫身とは元々耳の意味でした。タケツヌ王は二人に、暈(クマ)の国にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)から新たな日見子が顕れたことについて、月読尊が何か言ったのか、尋ねます。二人が返答に詰まると、偽物か本物か分からないのだな、とタケツヌ王は悟ります。巫身はタケツヌ王に、今は静観すべき時だと進言します。タケル王と新たな日見子のどちらに就くのか待つべきだ、というわけです。都萬と暈の間には日向(ヒムカ)があり、昔東方に向かったサヌ王の祟りを恐れて、タケル王も日向には手を出さない、と巫身に指摘されたタケツヌ王は、日向が緩衝地帯のおかげで、筑紫島で都萬だけが平和なのは確かだ、と頷きます。暈国の争いに我々はあくまで中立を保つべきだ、と巫身に進言されたタケツヌ王は、暈国内が乱れ、誰かが日向に侵入した時はどうするのか、と二人に問います。すると巫身は、月読様は誰であれ戦えと言うだろう、と答えます。

 伊都の国では、イトデ王が島子(シマコ)のオホチカに、韓(カラ)への航海について尋ねていました。最近は那も戦で忙しいので妨害もなく、極めて順調だと答えます。那は苦戦していると聞くが、とイトデ王に問われた兵庫子(ヒョウゴコ)は、暈国内にも乱れがあると報告されている、と答えます。もちろん、新たな日見子の出現のためでした。イトデ王はこの好機を活かすべく、島子には大陸より鉄を大量に輸入するよう、兵庫子には武器を製造して蔵に備えるよう、命じます。新たな日見子が生き残れば面白いのだが、と呟いたイトデ王は、この日見子を本物と思うか、禰宜のミクモに尋ねます。するとミクモは、奇妙な女だ、と答えます。その女に天照様は降りていないものの、天照様の降りた何者かの霊がついている、というわけです。それは面妖な、とイトデ王は呟きます。

 末盧(マツラ)の国では、ミルカシ女王が新たな日見子とされるヤノハの行方をアズ巫身に訪ねますが、アズ巫身は知らず、日の守であるミナクチも、ヤノハが潜伏中ということしか知りません。すると、ひとまず無事ですね、とミルカシ女王は嬉しそうに言います。ミナクチにとって、ミルカシ女王が新たな日見子を認めることは意外だったようで、アズ巫身は、末盧は平和を願う海人国なので、あまり肩入れしないよう、進言します。しかしミルカシ女王は、末盧が那と伊都に航路をふさがれて存亡の危機にあることから、新たな日見子が平和を天下に宣言するなら、我々は支持すべきではないか、とアズ巫身・ミナクチに提案します。

 那の国では、大陸(後漢)より金印を授かった偉大な王である、高祖ツラナギの墓前で、ウツヒオ王がウラ・サギリとともに礼拝をしていました。ウラはウツヒオ王に、暈との戦いで財政が逼迫しており、韓への未知は伊都に握られているので、このままでは衰退不可避だ、と進言します。ウラは、一国も早く暈を叩き潰すしかないのにできないのは、前線のトメ将軍に責任がある、と考えています。日の守であるサギリは、暈のタケル王が偽の日見彦(ヒミヒコ)であることは疑いないものの、和議も選択肢の一つだ、とウツヒオ王に進言します。ウラとサギリがともに戦いを早急に終わらせるよう考えていることを知ったウツヒオ王は、かすかな希望は新たな日見子だ、と呟きます。するとサギリは、トンカラリンの洞窟を抜けたので、新たな日見子は本物かもしれない、と言います。

 山社(ヤマト)では、ミマト将軍がイスズの話を天井裏で聞いていたヤノハに、絶体絶命なので、気の毒ではあるものの、誰の元に出頭するか自分で決めるよう、促します。するとヤノハは冷静に、まず私の話を聞いていただく約束ではないか、と問います。ミマト将軍に話を促されたヤノハは、タケル王と自分のどちらが本物なのか、尋ねます。返答に困っているミマト将軍に、そんなことはどうでもよい、問題はどちらが倭国を平和に導くかだ、とヤノハは指摘します。雲をつかむような話だと本気にしないミマト将軍は、日見子様のお話を遮るのは無礼千万だ、と娘のイクメに叱責されます。ヤノハはミマト将軍に、倭を平和にするためにはミマト将軍の覚悟が必要だ、と言います。ミマト将軍には、覚悟を決めて命を賭け、タケル王から自分を守ってもらいたい、というわけです。謀反を起こせということか、とミマト将軍に問われたヤノハは、謀反ではなく平和のためだ、と答えます。ヤノハはミマト将軍に、倭国大乱は鉄を巡る利権でも、那と伊都の意地の張り合いでもなく、日見子・日見彦を擁する国の王が倭統一の欲望を抱くからだ、と説明します。ヤノハはミマト将軍に、自分が日見子の座に就いたなら、国々の独立と各国の王の存続を認める、と自分の構想を打ち明けます。自分の立場をミマト将軍に問われたヤノハは、現人神ではなくただの女王だ、と答えます。山社は聖地ではなく国として独立し、どの国とも争わず、どの国も支配しない中立の国家になる、というわけです。天照大御神からの御神託ははどうなるのか、とイクメに問われたヤノハが、望むどの国の王にも分け隔てなく与える、と答えて、力強く女王国たる山社の独立を宣言するところで今回は終了です。


 今回は、筑紫島(九州)の諸国の様子が描かれ、本作の世界観がさらに明らかになり、たいへん楽しめました。各国の指導者層の名称は『三国志』を踏まえたものとなっており、歴史創作ものらしい雰囲気が出ていて良いと思います。各国の王と重要人物はそれぞれキャラが立っているように思われたので、今後ヤノハとどう絡んでくるのか、楽しみです。今回登場した諸国を『三国志』の諸国と照合すると、穂波=不弥、都萬=投馬、伊都と末盧はそのまま、那=奴、となりそうです。今回は地図も掲載されており、穂波は九州北東部というか旧国名の豊前、都萬は旧国名の豊後、伊都は福岡県糸島市付近、末盧は佐賀県唐津市付近、那は博多付近〜福岡県内陸部といった感じになりそうです。

 各国の置かれた状況はさまざまで、新たな日見子と噂になっているヤノハへの対応も異なります。こうした諸国の思惑の違いをヤノハがどうまとめていくのか、ヤノハの構想に諸国がどう反応するのか、という政治ドラマ的観点でも楽しめそうです。ヤノハは各国の王の存在を認める、と構想を打ち明けていますが、『三国志』では、卑弥呼(日見子)以外で王がいるのは、卑弥呼と敵対していた狗奴国と、女王国に統治されていた伊都国だけとなっています。現在は207年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)頃でしょうから、これかに約30年後の卑弥呼が魏に遣使した頃までには、穂波・都萬・末盧・那には王がいなくなるのでしょうか。この過程も描かれるのではないか、と期待されます。

 注目される情報としては、旧国名の日向とほぼ同じ領域と考えられる日向(ヒムカ)を統治している国がない理由として、東方に向かったサヌ王の祟りを恐れて、タケル王も手を出さないからだ、と説明されていることです。日向のサヌ王は6代目の日見彦で、『日本書紀』の神武と考えられます。サヌ王が東方に向かった理由は一部の者にしか知られていないようで、重大な秘密がある、と考えられます。おそらくこれは重要な伏線で、現在は九州が舞台となっていますが、独立した山社(ヤマト)が現在の纏向遺跡一帯に移る展開も予想されます。今後、本州はもちろん、魏や呉も関わってくる壮大な話になりそうで、楽しみです。

 各国の主要人物のキャラが立っているので、この点も楽しめなのですが、すでに以前から名前の出ている那のトメ将軍を、那の重要人物と思われるウラが低く評価していることは気になります。トメ将軍は戦上手とされていますが、平民出身とされているので、功績を挙げるために、国を傾けて危機に陥らせるような無用の戦いを続けている、とウラは考えているのでしょうか。まだ登場していないトメ将軍の人物像がどうなるのか、楽しみです。かなり豪快な人物ではないか、と想像しています。

 ヤノハが真の日見子なのか、各国の祈祷部的な存在の代表者たちの見解が分かれていることも注目されます。伊都の禰宜であるミクモは、ヤノハには天照様は降りていないものの、天照様の降りた何者かの霊がついている、と述べています。作中ではオカルト的な設定が一部採用されており、祈祷部の人々の霊感も個人差が大きい、ということでしょうか。ミクモはかなり霊感の強い禰宜のようで、女王国に統治されている諸国のなかで、伊都国にのみ王がいるとされていることと、関わってくるのかもしれません。当分は、ヤノハの構想提示を受けて諸国がどう反応するのか、という話が描かれそうで、諸国の思惑の違いがどう交差するのか、たいへん楽しみです。
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