エレクトスの性的二形

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の性的二形に関する研究(Villmoare et al., 2019)が公表されました。化石種の社会的行動の最重要な指標の一つは性的二形で、その社会構造の解明に役立ちます。多くの化石人類種には、性的二形のパターンを推定するのに充分な標本はありませんが、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)、パラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)、ホモ・エレクトス(Homo erectus)、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に関しては性的二形が研究されています。

 ほとんどの研究では、鮮新世およびいくつかの前期更新世の人類系統では性的二形がゴリラ属のように顕著に強かった、と推測されています。たとえば、ロブストス(関連記事)やアファレンシス(関連記事)などの研究があります。これらの研究は、鮮新世およびいくつかの前期更新世の人類系統ではゴリラのような単雄複雌のハーレム型社会が形成されていた、と示唆します。しかし、アファレンシスの性的二形はゴリラ属どころかチンパンジー属よりも弱く現代人(Homo sapiens)並だった、との見解も提示されています(関連記事)。

 エレクトスの性的二形に関しては、鮮新世の人類と現代人(Homo sapiens)の中間程度だった、との見解が有力でしたが、21世紀になって、155万年前頃のエレクトスの性的二形の大きさが指摘されており(関連記事)、初期エレクトスにおいても性的二形は鮮新世の人類並に顕著だった、との見解も提示されています(関連記事)。エレクトス化石は時空間的に広範に存在し(年代では100万年以上、地理的範囲ではアフリカおよびユーラシア中緯度地帯以下の全域)、かなりの形態的変異を示しており、性的二形の評価を難しくしています。

 性的二形の評価には化石だけではなく足跡も使えます。化石と比較しての足跡の利点は、時空間的にきわめて制約された標本を提供できることです。これは、エレクトスのような時空間的に広範囲に存在した分類群において有効になる、と本論文は指摘します。一方その欠点は、足でしか評価できないことです。しかし本論文は、化石も断片的であることから、これは大きな欠点にはならない、と指摘します。また足跡には、同一個体を複数回標本抽出してしまう危険性もあります。さらに、小柄な足の成体と子供との区別が困難という欠点もあります。

 本論文はこうした欠点を踏まえつつ、人類の足跡として、タンザニアのラエトリ(Laetoli)で発見された366万年前頃もの(関連記事)や、ケニアのイレレット(Ileret)で発見された150万年前頃のもの(関連記事)や、オーストラリアのウィランドラ湖(Willandra Lakes)の23000~19000年前頃のものや、ナミビアのウォルビスベイ(Walvis Bay)の500~400年前頃のものなどを分析し、ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)やチンパンジー中央部集団(Pan troglodytes troglodytes)やボノボ(Pan paniscus)といった現代人と近縁な現生類人猿と比較しました。チンパンジーとゴリラと現代人という現生種では、それぞれ足の長さと身長の間に強い相関が見られました。

 イレレットの足跡からは、これを残した人類集団の性的二形がアファレンシスやゴリラよりは弱かった、と推測されます。イレレットの足跡と同年代のアフリカ東部には複数の人類種が存在しましたが、本論文は、その化石から強い性的二形が推測されるボイセイは候補者ではなく、ハビリス(Homo habilis)とルドルフェンシス(Homo rudolfensis)はボイセイよりも性的二形は弱かったものの、年代からイレレットの足跡を残した可能性は低い、と指摘します。そのため本論文は、イレレットの足跡を残したのは(広義の)エレクトスだと推測しています。この前提に立つと、イレレットの足跡は、エレクトスがアファレンシスのような強い性的二形を示す、という解釈と矛盾し、ゴリラと現代人の中間型を示します。一方、ラエトリの足跡からは、アファレンシスがゴリラのような強い性的二形だった、と示唆されます。

 この結果は、エレクトスの性的二形はゴリラのように顕著に強くはないものの、現代人よりはやや強い、という見解と一致します。本論文は、エレクトスの性的二形を指摘した以前の研究(関連記事)は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡の185万~176万年前頃の小柄なホモ属化石を含めてしまったことが原因だろう、と指摘します。初期エレクトスにおいても性的二形は鮮新世の人類並に顕著だった、との見解(関連記事)についても、アフリカとジョージア以外のエレクトス化石を含めると、性的二形は現代人により近づく、と本論文は指摘します。

 本論文は、エレクトスの性的二形がゴリラやアファレンシスと現代人の中間であることから、エレクトスの向上進化の可能性を指摘します。強い性的二形は、社会構造では単雄複雌との強い関連が指摘されています。ただ本論文は、弱い性的二形が雄間の競合の欠如を示すとは限らず、弱い性的二形は特定の繁殖システムと関連づけられない、との見解も取り上げています。そのため、エレクトスの性的二形がその祖先であろうアファレンシスより弱くなった要因は何なのか、容易に断定できません。しかし本論文は、150万年前頃までにエレクトスが単雄複雌社会から移行した、との解釈が最も説得的だろう、と指摘します。エレクトスでは、その祖先であろうアウストラロピテクス属よりも、脳容量の増加と直立二足歩行へのさらなる特化により出産が困難になっており、これが性的二形の弱化と強く関連しているのかもしれません。


参考文献:
Villmoare B, Hatala KG, and Jungers W.(2019): Sexual dimorphism in Homo erectus inferred from 1.5 Ma footprints near Ileret, Kenya. Scientific Reports, 9, 7687.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44060-2

『卑弥呼』第33話「倭言葉」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年2月5日号掲載分の感想です。前回は、ミマト将軍が配下の者たちに、そなたらは家臣ではなく友だ、と言うところで終了しました。今回は、ヤノハが日向(ヒムカ)での幼少時を回想する場面から始まります。日向には内海(瀬戸内海でしょうか)や外海から多くの異人が訪れていました。肌の色の濃い男性二人に怯えるヤノハを、肌の色や顔立ちで人を判断してはいけない、と義母は諭します。男性二人の言葉も分からないと言うヤノハに、方言というか南の島の倭言葉だ、と義母は教えます。倭言葉は元々住んでいた人と、東西南北の島と大陸から来た人の言葉が混ざったものなので、心を空にして命がけで聞くと理解できる、と義母はヤノハに教えます。縄文時代の言語と弥生時代に大陸や周囲の島から流入してきた言語との混合により祖型日本語が形成された、という設定でしょうか。

 場面は現在に戻って鬼八の支配する千穂の祭祀場です。「鬼」たちの王らしき人物が刀を掲げて言葉を発すると、周囲の者たちも声をあげて呼応します。一斉に攻められれば我々はひとたまりもない、とオオヒコが懸念するなか、ヤノハはミマアキとクラトに指示を出し、「鬼」たちの王らしき男に攻めかかって制圧し、動けば王を殺す、と周囲の者たちを牽制します。周囲の者たちの動きは止まりますが、いつまで牽制できるのか確証はないため、「王」を人質に包囲を抜けるよう、イクメはヤノハに提案します。しかしヤノハは、ミマト将軍の援軍を待つ、と返答します。するとミマト将軍の娘のイクメは、父は勝つ戦をするので、本隊が来ないうちには攻めいらないだろう、と懸念します。しかしヤノハは、鬼八軍の最大の武器は恐怖なので、鬼八が人と分かれば、少人数でも勝算ありと判断して動くだろう、と答えます。

 すると、盾で体を防護したミマト将軍率いる兵士たちが鬼八の男たちを倒しながら現れます。兵数で圧倒されている相手をどのように倒したのか、と疑問に思うイクメに、鬼八たちは黒曜石製武器を使っており、鉄(カネ)も青銅(アオカネ)も知らないようだ、と説明します。しかし、鬼八たちの「王」を捕虜とし、ミマト将軍の兵が合流した後、鬼八たちに動きはありません。鬼八たちの「王」が命を捨てる覚悟ができた時、総攻撃が始まるが、テヅチ将軍の本隊が到着する巳の刻(午前10時頃)前に総攻撃が始まれば、厳しい覚悟をしなければならない、とミマト将軍はヤノハに状況を報告します。ヤノハはイクメに、悲観的にならないよう、諭します。

 沈黙が続いた後、突如として「王」も祭祀場を包囲している男たちも、呪文のようなものを唱え始めます。ミマト将軍とイクメは戦いの合図ではないか、と警戒しますが、ヤノハは、古の倭言葉と気づき、心を空にして命がけで聞くよう、イクメに命じます。すると、イクメにもその言葉が理解できました。この先の詞はイクメに教えてもらったので分かる、命懸けのついでに時間稼ぎにやってみる価値はある、と呟いたヤノハは、ミマアキとクラトを祭壇から降ろして自分が上がり、天降ます時に、先駆者還曰く、一神有りて天八達之衢に居り、上は高天原を光し、下は葦原中國を光す、と天孫降臨神話の一節を唱え始めます。すると、鬼八たちは呪文らしきものを止め、ヤノハをアマテラスオホミカミ・オホヒルメ(天照大御神)と称え始めます。その直後、テヅチ将軍の率いる本隊が到来し、我々の勝利だ、とオオヒコは言いますが、これは日見子(卑弥呼)様(ヤノハ)お一人の勝利だ、とミマト将軍は訂正し、イクメも父に同意します。鬼八たちが平伏してヤノハを崇めているところで今回は終了です。


 今回は、ヤノハが鬼八たちを精神的に制圧するところが描かれました。『三国志』によると卑弥呼(日見子)は鬼道により人々を掌握した、とありますから、ヤノハは鬼八たちを配下とするのでしょう。鬼八の武器は他の倭の人々と比較して見劣りするようですが、自領内とはいえ、山社(ヤマト)の精兵を多数殺害するくらいの戦闘力があり、森林や山地での活動には長けているようですから、ヤノハが倭国で権威を確立していくさいに、重要な戦力となりそうです。

 今回は、鬼八がどのような集団なのか、手がかりも示されました。本作では、縄文時代の言語と弥生時代に大陸や周囲の島から流入してきた言語との混合により祖型日本語が形成された、という設定のようなので、言語では地域差が大きいようです。そのため、鬼八のように孤立していた集団の言語はとくに、他地域の人々にとって聞き取るのは難しいようです。しかし、共通要素もあるので、ヤノハやイクメは理解できた、ということなのでしょう。鬼八がどのような集団なのか、まだ謎は多いので、今後明かされていくのが楽しみです。なお、とくに予告はありませんでしたが、次号は休載のようで、残念です。

ネアンデルタール人による二枚貝の道具としての使用

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)による二枚貝の道具としての使用に関する研究(Villa et al., 2020)が報道されました。本論文は、ブヨ洞窟(Grotta dei Moscerini)の中部旧石器時代の遺物について検証しています。ブヨ洞窟はイタリアのラティウム地方では最大級の沿岸洞窟の一つです。ブヨ洞窟は現代の海岸線に近く、約9mの層は1~44(上から下)に分類されています。火の使用の証拠は第11層以降のほとんどで確認されています。ブヨ洞窟遺跡の年代は電子スピン共鳴法(ESR)により測定され、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~4前期と推定されています。

 ブヨ洞窟遺跡の道具の素材は、ラティウム地方の他の文化よりも多様で、地元産ではない石材も用いられています。石核は剥片と同じくらいの頻度で再加工されています。ブヨ洞窟遺跡の石器密度は、一部の層を除いて他のヨーロッパの中部旧石器時代遺跡と比較して低く、洞窟の利用が継続的ではなかった可能性を示唆します。全体的に、人類によるブヨ洞窟の使用は短期間だったようです。中部旧石器時代のヨーロッパ南部の人類(おそらくはネアンデルタール人のみ)は遊動的だったのか、あるいは絶滅と再移住の複雑な動きの中で、異なる系統の複数集団が利用していたのかもしれません。

 ブヨ洞窟では171個の貝殻の道具が発見されており、二枚貝であるヨーロッパワスレ(Callista chione)に分類されています。ヨーロッパワスレの貝殻で製作された道具は、ヨーロッパの11ヶ所のムステリアン(Mousterian)遺跡で発見されており、10ヶ所がイタリア、1ヶ所がギリシアに存在します。しかし、ほとんどの遺跡では、ヨーロッパワスレの二次加工された貝殻はたいへん少なく、道具としては詳細に報告されてきませんでした。これまでに最もよく知られているのはイタリア南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)で、126個の二次加工された貝殻が発見されています。

 ブヨ洞窟では第42層から第14層までの多くの層で、二次加工されたヨーロッパワスレの貝殻が計171個発見されています。ヨーロッパワスレは食用に適しており、一部では焼かれた痕跡も見つかっていますが、ブヨ洞窟では火の使用痕跡が珍しくなく、二次加工後に焼かれた貝殻もあることから、食べられた可能性は排除できないものの、おもに削器の製作に用いられていたのだろう、と本論文は推測しています。その他にはムラサキイガイ(Mytilus galloprovincialis)も容易に大量採集できますが、その貝殻は二次加工されておらず、おそらくは食用のみに採集されました。

 ブヨ洞窟遺跡のヨーロッパワスレの貝殻の損傷や海洋生物の付着といった保存状態に基づき、その23.9%は生きたまま海中で採集された、と推定されています。これは、ネアンデルタール人による浅瀬での素潜りがあったことを示唆します。外耳道外骨腫の研究も、ネアンデルタール人による習慣的な潜水の可能性を支持します(関連記事)。釣り針はシャテルペロニアン(Châtelperronian)とオーリナシアン(Aurignacian)で用いられていた可能性が指摘されており、網の証拠はまだ上部旧石器時代でも確認されていませんが、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4にネアンデルタール人が使用した可能性も指摘されています。現生人類だけではなくネアンデルタール人も沿岸資源を常習的に利用できていた、ということなのでしょう(関連記事)。

 道具としての貝殻の使用はジャワ島の54万~43万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)でも確認されており(関連記事)、その行動の起源はかなり古く、現生人類とネアンデルタール人の分岐前までさかのぼる可能性が高そうです。ジャワ島のエレクトス系統は、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先から分岐したと考えられるからです。しかし本論文は、道具としての貝殻の体系的な使用と二次加工は、ブヨ洞窟を含めてイタリアとギリシアの一部の遺跡だけで確認されている、と指摘します。

 ブヨ洞窟のいくつかの層には1個もしくは複数の軽石が含まれています。これはイスキア島もしくはフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火前の火山噴火に由来し、年代は11万~4万年前頃と推定されています。このフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火がネアンデルタール人には大打撃になって絶滅に追い込まれた、との見解も提示されていますが、ネアンデルタール人も当時ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類も、この大噴火により持続的な影響を受けたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。本論文は、軽石はその堆積状況から海水や風によりブヨ洞窟に運ばれた可能性が低いため、ネアンデルタール人が収集して研削器として使用したのだろう、と推測しています。

 本論文は、ネアンデルタール人が環境と資源に対する深い知識を有し、潜水などにより海産資源も利用していたと考えられることから、以前には現生人類特有と考えられていたこうした知識・行動には深い進化的起源がある、と指摘します。ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が圧倒的に優勢だった1997~2009年頃と比較すると、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向は弱くなったように思います。とはいっても、ネアンデルタール人と現生人類とで何らかの潜在的な能力の違いがあった可能性は高く、今後はゲノム解析と遺伝子機能の特定の進展により、そうした違いがじょじょに解明されていくだろう、と期待されます。


参考文献:
Villa P, Soriano S, Pollarolo L, Smriglio C, Gaeta M, D’Orazio M, et al. (2020) Neandertals on the beach: Use of marine resources at Grotta dei Moscerini (Latium, Italy). PLoS ONE 15(1): e0226690.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0226690

中期~後期更新世の人類の外耳道外骨腫

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、中期~後期更新世の人類の外耳道外骨腫に関する研究(Trinkaus et al., 2020)が報道されました。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)における骨部外耳道に生じる骨増殖性隆起は、すでに20世紀初頭の時点で指摘されていました。その後、中期更新世の人類では、ネアンデルタール人3個体、ユーラシア東部の古代型ホモ属3個体、ユーラシア東部の早期現生人類(Homo sapiens)数個体、ユーラシア西部の上部旧石器時代現生人類1個体で、この症状が確認されました。

 この外耳道外骨腫に関しては、環境および遺伝的要因が指摘されており、現代では、水中スポーツ選手でよく観察されることから、サーファーズイヤーとも呼ばれています。外耳道外骨腫の環境要因としては、冷たい水と風が指摘されており、両者が組み合わされると発達が速くなる、と示されています。ただ、こうした外部環境要因だけではなく、耳道の軟組織の炎症による発症も指摘されています。外耳道外骨腫は多くの場合自覚症状がありませんが、耳垢栓塞の発症と感染症や進行性難聴につながる可能性も指摘されています。本論文は、おもにヨーロッパおよびアジア南西部の中部旧石器時代のネアンデルタール人と上部旧石器時代の現生人類を対象に、中期更新世後期の古代型ホモ属や中部旧石器時代の現生人類も加えて、外耳道外骨腫について検証しました。

 上部旧石器時代前期~中期の現生人類の外耳道外骨腫発生頻度は、中緯度地帯の湿潤環境の標本を除いて、20.8%と現代人の変異内に収まります。なお、中期更新世後期の古代型ホモ属では20%、中部旧石器時代の早期現生人類では25%、上部旧石器時代後期の現生人類では9.5%です。一方ネアンデルタール人では、外耳道外骨腫発生頻度は56.5%(判断の曖昧な2個体を除くと47.8%)で、現生人類を大きく上回っています。外耳道外骨腫発生頻度に年齢の違いはほとんどありませんが、症状の重い一部のネアンデルタール人に関しては、加齢との関連の可能性が指摘されています。性差に関しては、現代人では男性の方が高頻度ですが、ネアンデルタール人(男性60%、女性75%)でも上部旧石器時代前期~中期の現生人類(男性16.7%、女性28.6%)でも女性の方が高くなります。しかし本論文は、有意な差ではないと指摘します。

 これまで外耳道外骨腫発生頻度に関しては、高緯度では冷水が回避され、低緯度では水温が高いため、中緯度で最も高くなる、と予想されていました。この仮説は高緯度では確認されましたが、中緯度と低緯度では状況は複雑だと明らかになりつつあります。一般的に、中緯度では外耳道外骨腫発生頻度が高くなります。しかし、中緯度と赤道地帯の両方で、沿岸・河川・湖沼では一貫して外耳道外骨腫発生頻度が高く、考古学でも同様の結果が示されています。さらに、外耳道外骨腫発生には冷水への暴露は必要なく、冷風や湿った風への暴露だけでも充分である、と明らかになりました。また、外耳道外骨腫発生には遺伝的影響の可能性も指摘されていますが、集団差はまだ確認されておらず、現代人集団の発生頻度の違いはおもに環境と行動に関連している、と考えられています。これは上部旧石器時代後期の現生人類でも例外ではなく、外耳道外骨腫発生頻度は、中緯度地帯の湿潤環境集団よりも低く、高緯度地帯の乾燥環境集団よりもやや高くなっています。上部旧石器時代前期~中期の現生人類では、外耳道外骨腫発生頻度は現代人より全体的に高くなっています。

 ネアンデルタール人の外耳道外骨腫発生頻度は、現代人よりもかなり高くなっています。本論文は、対象としたネアンデルタール人は寒冷気候から温帯気候まで広範囲に及んでおり、気候要因だけと相関させることは困難だろう、と指摘します。本論文はこれを、ネアンデルタール人が水産資源を利用していたことと関連づけています。ネアンデルタール人が海産資源を利用していたことはすでに報告されており(関連記事)、ネアンデルタール人は陸上資源も水産資源も利用し、その狩猟効率と食性の範囲は現生人類よりも劣るものではなかった、とも指摘されています(関連記事)。ただ、後期更新世のヨーロッパ北西部のネアンデルタール人(関連記事)やフランスのネアンデルタール人(関連記事)が大型草食動物に強く依存していた、と指摘されているように、ネアンデルタール人は水産資源をほとんど利用せず、陸上草食動物に強く依存していた、という研究が多いことは否定できません。これに関しては、かつて沿岸に位置していた遺跡の多くが現在は海中にあるため、考古学的証拠の入手が困難になっている、と説明できますが、この説明が妥当なのか、今後も確証を得るのは難しそうです。

 本論文は、ネアンデルタール人の外耳道外骨腫発生頻度の高さを環境要因だけで説明できず、上部旧石器時代の現生人類でも、前期~中期と比較して水産資源利用の証拠が増加する後期において外耳道外骨腫発生頻度が低下し、多様な環境のユーラシア東部の初期現生人類でも外耳道外骨腫発生頻度が上昇していることから、衛生状態や遺伝的要因も影響しているかもしれない、と指摘します。ネアンデルタール人も含めて更新世人類の外耳道外骨腫発生頻度の高さには、水産資源の利用や環境や衛生状態や遺伝など複数の要因が関与しているかもしれない、というわけです。


参考文献:
Trinkaus E, Samsel M, Villotte S (2019) External auditory exostoses among western Eurasian late Middle and Late Pleistocene humans. PLoS ONE 14(8): e0220464.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0220464

大河ドラマ『麒麟がくる』第1回「光秀、西へ」

 いよいよ今年(2020年)の大河ドラマが始まりました。本作は知名度の高い明智光秀(十兵衛)が主人公で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が深く関わってくることから、制作発表の頃から期待値はかなり高かったように思います。しかし、昨年11月に斎藤道三の娘である帰蝶役の沢尻エリカ氏が逮捕されて降板となり、川口春奈氏が代役として起用され、それまでの収録分(10回分程度だそうですが)も撮り直しとなり、初回放送は2週間延期となってしまいました。

 放送開始前から躓いてしまった感のある本作ですが、例年よりも放送開始前に話題になったとも言えるわけで、近年、大河ドラマの視聴率が低迷しているだけに、人気の戦国時代で何とか大きく視聴率を回復してもらいたいものです。川口春奈氏に関しては、民放主演ドラマで低視聴率とマスコミに叩かれていた頃より、若手女優として応援していただけに、この機会に飛躍してもらいたいものです。とはいっても、考えてみると、川口氏の出演作品を視聴したことはなかったかもしれませんが・・・。沢尻氏の帰蝶を見たかったという気持ちは強いのですが、そうした気持ちを忘れさせるくらいの好演を川口氏には期待しています。

 さて、初回の内容ですが、まずオープニングは、いかにも大河ドラマといった感じの重厚な感じで、昨年の軽快な感じとは対照的ですから、声の大きな大河ドラマ愛好者には好評だろう、と思います。物語は、1547年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、美濃の明智荘に襲来した野盗を光秀たちが迎撃する場面から始まります。光秀は地の利を活かして野盗を撃退しますが、米俵は奪われます。光秀は野盗の鉄砲に興味を抱き、主君の斎藤利政(道三)に願い出て、堺へと旅立ちます。その途中で光秀は延暦寺を通過しますが、関で通行料を払わされ、こうした体験が後に織田信長に仕えるようになってからの焼き討ちとも関わってくるのでしょうか。

 光秀の前半生はよく分かっていないので、若き日に畿内を訪れてさまざまな人々と出会った、という話を描くのはよいと思います。今回光秀は、堺で三淵藤英や松永久秀と知り合います。このような創作(だろうと思います)で問題となるのは、自由に動かせるので松永久秀のような有名人と絡ませてみただけ、ということなのですが、そこは大家の脚本だけに、この若き光秀の畿内見聞が後々大きな意味を持ってくるのではないか、と期待しています。

 今回描かれた人間模様では、やはり利政・高政(義龍)親子の関係が注目されます。すでに両者の関係は上手くいっていないようですが、利政からすると、息子がまだ頼りないようで、その評価が露骨に示されているため、反発しているようです。ただ、まだ親子で殺し合いをするほど険悪な関係ではないようです。両者の関係の変化が今後どう描かれるのか、楽しみです。松永久秀は梟雄として語られてきましたが、近年では人物像が見直されているそうです(関連記事)。初回を視聴した限りでは、本作の久秀は豪快で強かな人物のようです。本作はよく知られた人物について新たな解釈を提示するそうですが、久秀はどうなのでしょうか。

 初回は全体的に、重厚な感も娯楽要素もあり、主要人物のキャラも立っていたので、大河ドラマとしては上々の滑り出しだと思います。声の大きな大河ドラマ愛好者にはおおむね好評でしょうし、私も楽しめました。もう一人の主人公らしい駒がどのように描かれるのか、不安もありますが、どのように本能寺の変へとつながっていくのか、ずっと楽しみに視聴を続けられそうです。近年、大河ドラマの視聴率低迷は深刻で、このまま低視聴率が続けば大河ドラマ廃止論も現実的になりそうですから、本作の視聴率が2016年放送の『真田丸』以上となるよう、期待しています。

 注目されていた帰蝶ですが、今回は終盤にわずかに登場しただけでした。おそらく、当初の予定よりも出番は減っているのでしょう。それでも、初回から登場し、おそらく終盤まで退場はないでしょうから、かなり重要な役割を担いそうです。本当に、沢尻氏はろくでもないことをやってくれたものだ、と残念でなりません。川口氏は本作が初の時代劇とのことですが、演技力抜群とは言えずとも、初々しい感じでなかなかよかったと思います。今後、出番は増えていくでしょうから、楽しみです。

ボノボとチンパンジーの集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較

 互いに最近縁の現生種である、ボノボ(Pan paniscus)とチンパンジー(Pan troglodytes)の集団内および集団間の雄同士の血縁度の比較に関する研究(Ishizuka et al., 2020)が公表されました。血縁関係は動物の理解にたいへん重要ですが、異なる集団における個体間の血縁パターンは、とくに大型哺乳類ではほとんど調査されておらず、それは野生での調査が困難だからです。ボノボとチンパンジーは、父系で複雄複雌集団を構成し、集団は分裂と融合を繰り返すといった点で、共通の社会システムを有しており、集団間の相互作用と異なる集団の個体間の血縁度を調査するのに効果的です。なお、最近の研究では、ボノボの雌はしばしば近隣集団に移動する、と示されています。

 しかし、集団間の関係は、チンパンジーでは基本的に敵対的で、雄がしばしば群れで攻撃し、異なる集団の雄を殺すこともあるのに対して、ボノボではより穏やかな集団間関係が見られます。ボノボでも集団間の雄同士の関係は敵対的ですが、雄のボノボは異なる集団の雄を攻撃して殺すようなことは滅多にありません。またボノボでは、雌が主導しての集団間の非敵対的な遭遇も起きることがあり、集団間の交尾さえしばしば観察されます。したがって、隣接集団間の繁殖は、チンパンジーよりもボノボの方が高頻度と予想されます。これは遺伝的研究でも示唆されており、集団外の雄の子かもしれない個体が、チンパンジーでは4ヶ所の生息地のうち1ヶ所でしか見つかっていないのに、ボノボでは3ヶ所全てで見つかっています。

 さらに、集団間の雄の移動は、チンパンジーよりもボノボの方で多く観察されています。これらの違いから、集団間での雄の遺伝子流動はチンパンジーよりもボノボの方が高頻度であり、チンパンジーよりもボノボの方が雄の血縁関係では集団間の差異は小さい、と予想されます。以前のいくつかの研究では、集団内の雄間の血縁度は、ボノボとチンパンジーでは近隣集団の雄間よりも高い傾向にある、と部分的に示されています。しかし本論文は、まだデータが不足している、と指摘します。本論文は、常染色体とY染色体のデータを用いて、ボノボとチンパンジーの雄の、集団内と集団間の血縁度の違いを検証しました。

 チンパンジーでは調査対象の5集団のうち3集団で、ボノボでは3集団すべてで、雄の平均血縁度は近隣集団間よりも集団内部の方が高い、と示されました。これは、両種が父系社会であることからの予想と矛盾しません。また、ボノボの方がチンパンジーよりも集団内の雄の平均血縁度が高いことも明らかになりました。しかし、全集団を対象とすると、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度の違いは、ボノボのみで有意な差が示されました。チンパンジーで有意な差が見られないのは、5集団のうち2集団の特異な理由に起因するかもしれません。この2集団のうちの一方では雄は2頭のみで、血縁関係にない可能性があります。この集団は1982~1996年にかけて規模が劇的に減少しました。もう一方の集団には15頭の雄がいました。以前の研究では、集団内の雄の数が少ない場合のみ、雄の平均的血縁度が高いと予想されています。一方の集団は雄が15頭と比較的多いため、平均血縁度は、集団内の雄間で低く、近隣集団とさほど変わらない可能性があります。そのため、集団内の雄と集団間の雄との平均的血縁度が、チンパンジーでは有意な差として示されなかったかもしれません。

 これまでの研究では、雄の繁殖の偏りはチンパンジーよりもボノボの方で高い、と示唆されてきました。これは、ボノボでは雄の繁殖成功がその母親の影響を大きく受けるのに対して、チンパンジーではそうではないからです(関連記事)。そのため、ボノボの集団内においてはチンパンジーの集団内よりも雄間の血縁度は増加する、と予想されます。一方、ボノボの方が頻繁に発生するかもしれませんが、ボノボでもチンパンジーでも、集団間の雄の遺伝子流動は稀です。ボノボやチンパンジーのような父系的社会の種で集団間の雄の遺伝子流動が稀である場合、異なる集団の雄間の平均血縁度は低いと予想されます。じっさい、ボノボとチンパンジーの両種で、隣接集団の雄間の平均血縁度は集団内の雄間の平均血縁度よりも低い、と示されています。したがって、集団内の雄間の血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で高くなり、近隣集団の雄間の血縁度は両種ともに集団内よりも低くなります。そのため、集団内でも近隣集団間でも、雄間の平均血縁度はチンパンジーよりもボノボの方で顕著に大きい、と予想されました。

 ボノボとチンパンジーとの比較では、集団間の雄の遺伝的距離は、常染色体でもY染色体でも有意な違いがありませんでした。そのため、雄の血縁度における集団間の違いがボノボとチンパンジーのどちらでより大きいのか、不明なままです。ただ、集団間の雄の遺伝的距離では、ボノボの方がチンパンジーよりも平均値は高く、ボノボにおいて集団内の雄間の平均血縁度と近隣集団の雄間の平均血縁度とで大きな違いがある、という観察結果と矛盾しません。また、ボノボの1集団では雄間のY染色体の遺伝的距離の値がひじょうに低く、これは集団の雄の低い遺伝的多様性の影響を受けているかもしれません。

 本論文の結果は、ボノボではチンパンジーよりも集団間の雄の攻撃が少ない、という観察からの、ボノボでは集団間の雄の血縁度がチンパンジーよりも有意に高い、という予想とは一致していません。これまでの研究では、雄間の同盟形成や協調的相互作用のパターンは、父系社会の種の集団における血縁度では説明されない、と提案されていました。父系社会の種では、血縁度は基本的に、同じ集団でも異なる集団でも、雄間の社会的相互作用のパターンを説明しないかもしれません。

 ボノボとチンパンジーで異なる集団の雄への攻撃性の説明としては、ボノボにおける発情期間の延長があります。チンパンジーが隣接集団から交尾相手の雌を略奪するために攻撃するのに対して、ボノボの雄にはそうした必要性が低いのではないか、というわけです。また、ボノボが異なる集団の雄とも採集できる、という事実との関連も指摘されています。ボノボはチンパンジーよりも地上の草本に依存しており、果実への依存度が低いと考えられることから、縄張りを守る必要性がチンパンジーよりも低いのではないか、というわけです。また、チンパンジーはボノボよりも採集に出かける構成員の数のバラツキが大きく、遭遇した集団同士の数が大きく違っている可能性を高めるので、激しい攻撃を誘発しているかもしれない、とも指摘されています。

 本論文は、大型哺乳類の精細な遺伝的構造がほとんど明かされていない中で、これらのデータは貴重である、とその意義を指摘します。本論文は、集団間の雄の血縁関係に関して、ボノボはチンパンジーと同等か、あるいはもっと異なっている、と示しました。上述のように、これは両種の行動からの予想とは異なります。ボノボとチンパンジーにおける、集団間の相互作用と集団間の雄の血縁度のパターンとの関連に関しては、さらなる研究が必要になる、と本論文は指摘します。


参考文献:
Ishizuka S. et al.(2020): Comparisons of between-group differentiation in male kinship between bonobos and chimpanzees. Scientific Reports, 10, 177.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-57133-z

最古のサソリ

 最古のサソリに関する研究(Wendruff et al., 2020)が公表されました。サソリは海中から陸上に移動した最初期動物群の1系統ですが、化石記録が少ないため、陸上での生活にいつどのように適応したのか、明らかになっていません。この研究は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のウォーキシャ生物相で発見され、約4億3750万年~4億3650万年前となるシルル紀初期のものと年代測定された、保存状態の良好な新属新種のサソリ(Parioscorpio venator)化石標本2点について報告しています。この化石は、スコットランドで発見された、これまで最古とされてきたサソリ種(Dolichophonus loudonensis)よりも古いことになります。

 この新属新種サソリには、他の初期の海洋生物に見られる祖先的特徴(複眼など)がいくつか見られる一方で、現代のサソリの特徴(先端に毒針のある尾など)も見られます。この新属新種サソリの2点の標本のいずれにも、内部構造が細かな点まで示されており、たとえば、くびれた砂時計型の構造体は、胴体の中心部分に沿っており、かなりの領域に及んでいます。この構造体は、現代のサソリだけでなく、現代のカブトガニの循環器系や呼吸器系とひじょうによく似ている、と指摘されています。この新属新種サソリの化石には肺や鰓が見つかりませんでしたが、陸上で呼吸できるカブトガニに似ていることから、最古のサソリは完全に陸生化していなかったかもしれないものの、陸上に移動して、長時間滞在していた可能性が示唆されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】最も古くから陸上を探検していたかもしれない先史時代のサソリの新種

 シルル紀初期(約4億3750万年~4億3650万年前)のものとされる先史時代のサソリの新属新種Parioscorpio venatorについて記述した論文が掲載される。今回の研究で得られた知見からは、P. venatorがこれまでに報告されたものの中で最古のサソリ種で、その海洋生息地から陸上に移動する能力を有していた可能性が示唆されている、この行動は、現代のカブトガニの行動に似ている。

 サソリは海中から陸上に移動した最初の動物の1つだが、化石記録が少ないため、陸上での生活にいつどのように適応したのかは明らかになっていない。

 今回Andrew Wendruffたちは、米国ウィスコンシン州のウォーキシャ生物相で発見され、シルル紀初期のものと年代測定された保存状態の良好な未知の化石種のサソリの標本2点について記述している。今回の研究により、スコットランドで発見され、これまで最も古いサソリ種とされてきたDolichophonus loudonensisよりも古い化石となった。

 P. venatorには、他の初期の海洋生物に見られる原始的な特徴(複眼など)がいくつか見られる一方で、現代のサソリの特徴(先端に毒針のある尾など)も見られる。2点のP. venatorの標本のいずれにも、内部構造が細かな点まで示されており、例えば、くびれた砂時計型の構造体が、胴体の中心部分に沿って、かなりの領域に及んでいる。この構造体は、現代のサソリだけでなく、現代のカブトガニの循環器系や呼吸器系と非常によく似ているとWendruffたちは考えている。

 P. venatorの化石には肺や鰓が見つからなかったが、陸上で呼吸できるカブトガニに似ていることから、最古のサソリが完全に陸生化していなかったかもしれないが、陸上に移動して、長時間滞在していた可能性が示唆されている。



参考文献:
Wendruff AJ. et al.(2020): A Silurian ancestral scorpion with fossilised internal anatomy illustrating a pathway to arachnid terrestrialisation. Scientific Reports, 10, 14.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56010-z

小惑星衝突による恐竜の絶滅とその後の生物相の形成を促した火山活動(追記有)

 小惑星衝突による恐竜の絶滅とその後の生物相の形成を促した火山活動に関する研究(Hull et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。非鳥類型恐竜が地球上の生物種の3/4とともに絶滅した白亜紀~古第三紀(K/Pg)境界大量絶滅に関しては、20世紀後半になって小惑星衝突説が有力になりましたが、インドのデカントラップ火山地域の噴火の影響も指摘されています(関連記事)。しかし、K/Pg境界大量絶滅期に発生したデカントラップからの大量の溶岩と小惑星衝突の相対的影響を解析するのは困難で、K/Pg境界大量絶滅の原因は依然として明確ではありません。

 この研究は、おもに溶岩の堆積に注目したデカントラップ火山活動の作用に関するこれまでの研究とは異なり、環境との関連がより深い1つの噴火特徴であるガス放出を評価しました。この研究は複数のシナリオでの炭素循環モデリングにより、デカントラップからのガス放出の年代および二酸化炭素と硫黄の排出の長期的な地球気温に対する影響を調べ、その結果とK/Pg境界絶滅イベント中の地球の古温度記録を比較しました。その結果、おもなデカントラップからのガス放出の少なくとも50%以上は小惑星衝突直前ではなく、それよりかなり前に起こっていた、と明らかになりました。

 そのためこの研究は、K/Pg境界絶滅イベントと同年代なのは小惑星衝突だけだった、と指摘しています。この研究は、ガス放出の年代には炭素循環が変化し、海が大量の二酸化炭素を吸収できるようになったことで、大量絶滅後にデカントラップ火山活動によって起こることが予測される地球の温暖化は制限された、と推測しています。デカントラップの火山活動は、K/Pg境界絶滅イベント後の新生代の種とその群生の登場を形成することに貢献した、というわけです。


参考文献:
Hull PM. et al.(2020): On impact and volcanism across the Cretaceous-Paleogene boundary. Science, 367, 6475, 266–272.
https://doi.org/10.1126/science.aay5055


追記(2020年1月21日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

筒井清忠編『昭和史講義 【戦前文化人篇】』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2019年7月に刊行されました。すべて筒井清忠氏編の、『昭和史講義─最新研究で見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義2─最新研究で見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義3─リーダーを通して見る戦争への道』(関連記事)、『昭和史講義 【軍人篇】』(関連記事)の続編となります。いずれも好評だったのか、続編が刊行されたのは喜ばしいことです。


●筒井清忠「まえがき」P9~17
 本論考はまず、昭和戦前の日本文化全体についてのまとまった本はなく、それは大きく思潮の変わった激変期だったことが根本にある、と指摘します。昭和前期には格差の大きい社会のなか、左翼的思潮が多くの文化人・知識人を捉え、思想・文学・映画・演劇・美術にまで及びました。それが、満洲事変の頃から左翼は弾圧もあって衰退し、多くの文化人・知識人は軍国主義支持へと転向していきます。それが敗戦により、再度左翼的なものが復活します。このように時世が短期間で激変するなか、戦中をなかったようにしたい文化人・知識人も多く、昭和戦前の文化史を扱うことはそうした古傷に触るため、昭和戦前の日本文化全体を扱った本はなかった、というわけです。しかし、この激変期の当事者たちがほとんど去った今、気兼ねすることなく客観的に扱える時期になった、と本論考は本書の意義を指摘します。


第1講●牧野邦昭「石橋湛山―言論人から政治家へ」P19~35
 石橋湛山は言論人として出発しましたが、早くから普通選挙運動のような政治にも関わっていきます。湛山の名声が高まったのは、浜口内閣の金解禁と緊縮財政を批判したからで、これ以降、その経済的知見を政府に高く評価され、政府関係の仕事も引き受けるようになります。その結果、湛山は財界人・学者・評論家・官僚・軍人などの結節点的存在になり、それが戦後に政治家を志したさいに役立ちました。ただ、湛山の名声が高まっていくなか、日本は湛山の主張した「小日本主義」とは反対の方向へと向かっていき、湛山も満洲や華北が日本の勢力下にあることを既成事実として認めていくようになります。それでも湛山は、経済のブロック化には反対し、その基本的な思想を堅持した、と本論考は指摘します。


第2講●苅部直「和辻哲郎―人間と「行為」の哲学」P37~50
 和辻哲郎には「日本人の伝統的心性」を正当化しているという評価もあり、それは的外れではないものの、普遍性と特殊性を強く意識し、同時代のヨーロッパの哲学・民族学・人類学を取り入れていったところもある、と指摘されています。和辻は、特殊性を強く意識した点では日本と西洋にそれぞれ独自の思想があり、価値を序列化するような姿勢を排する点で文化相対主義的なところがありましたが、一方で、1930年代から1945年までに猛威を振るった、人間倫理の普遍性を拒否するかのごとき「日本精神」論の誤りも指摘しており、和辻の議論には単純な読み方を許さないような複雑さが見られます。


第3講●佐々木閑「鈴木大拙―禅を世界に広めた国際人」P51~67
 鈴木大拙の世界観を形成するうえで重要な『大乗起信論』は、古代インドの仏教哲学書ではなく、6世紀に中国で漢文資料から寄せ集めて自己の見解を盛り込んだ継ぎ接ぎだった、と明らかになっているそうです。鈴木大拙の世界観において重要な「霊性」とは、思想というよりも思想を作成するための書式で、代入する変数により思想は異なってくる、と指摘されています。鈴木大拙が大日本帝国の戦争を支持し、ナチズムに理解を示したことと、第二次世界大戦後に軍国主義批判を展開したことについても、確定性のない書式としての霊性の表れと評価されています。


第4講●赤坂憲雄「柳田国男―失われた共産制を求めて」P69~84
 本論考は柳田国男を、農村から都市へと移住してきた近代日本の知識人の一人と把握し、置き去りにしてきた過去としての農村を嫌悪や侮蔑で語るか、柳田のように「同情ある回顧」で語るかにより、見えてくる日本文化の風景は大きく異なってくる、と指摘します。また本論考は、正統的な保守主義者である柳田が、伝統的な村落に潜む「共産思想」を見出していた、と指摘します。そこには、伝統的村落を貧しくしたものは「外部資本の征服」だった、という認識もあった、というのが本論考の見通しです。


第5講●千葉俊二「谷崎潤一郎―「今の政に従う者は殆うし」」P85~99
 谷崎潤一郎の作家人生にとって転機となったのは1923年の関東大震災で、この後、谷崎は関西に移住します。この関東大震災は、ヨーロッパの第一次世界大戦と同じく、思潮の大きな転機になった、と本論考は指摘します。ヨーロッパにおいては、悲惨な戦争を防げなかったことから理性による合理主義への限界が強く意識されるようになり、日本では、プロレタリア文学とモダニズム文学が勃興し、既成文壇の作家たちは動揺していき、芥川龍之介の自殺もその文脈で起きた、と本論考は解釈しています。また本論考は、戦前・戦後を通じて、谷崎が「今の政に従う者は殆うし」という姿勢を貫き、『春琴抄』は昭和初期の混乱した現実から逃避して関西に残る日本の伝統美に閉じ籠ろうとした作者の気持ちが象徴されているのではないか、との伊藤整の評価は谷崎がひじょうに喜んだ、という逸話を紹介しています。


第6講●前田雅之「保田與重郎―「偉大な敗北」に殉じた文人」P101~116
 保田與重郎は第二次世界大戦後、抹殺状態に置かれていた、と本論考は指摘します。それは、保田が戦争協力者にして若者を死に赴かせた張本人とみなされたからだろう、と本論考は指摘します。保田は戦後、公職追放となりましたが、「思想探偵」として参謀本部に密告する役割を果たしていた、とさえ言われました。保田が懲罰的に応召されていることからも、これは妄言と考えるべきなのでしょうが、戦後における保田への一般的な評価を反映している、と言えそうです。しかし本論考は、戦後の保田への批判はどれも的外れで、批判の多くは自分の罪を保田に押しつけたか、黙って批判に追随したのだろう、と指摘しています。


第7講●藤井淑禎「江戸川乱歩―『探偵小説四十年』という迷宮」P117~134
 本論考は江戸川乱歩の小説を、初期の本格ミステリー、中期の通俗長編、晩期の少年探偵団ものに分類し、中期の通俗長編が乱歩自身の低評価により過小評価されてきた、と指摘します。ただ、乱歩の自己評価の根拠とされてきた『探偵小説四十年』が、異なる時代の自伝を継ぎ接ぎした、言わば増築に次ぐ増築を重ねてきたものなので、これまでその利用には問題があった、と本論考は指摘します。


第8講●伊藤祐吏「中里介山―「戦争協力」の空気に飲まれなかった文学者」P135~150
 中里介山は戦前にはひじょうに著名な作家で、その代表作である『大菩薩峠』は長いだけではなく、深く面白く、その主人公である机龍之助は丹下左膳や木枯し紋次郎などに受け継がれるほどだった、と本論考は高く評価します。さらに、同時代の芥川龍之介は、百年後に名を遺すのは純文学作家よりも中里の方だろう、と予想しました。しかし、中里の知名度は現在では低く、本論考はその理由として、仇討物語として始まった『大菩薩峠』に仇討を超えた価値を見出した中里が『大菩薩峠』を粗雑に編集し、本文を読んだだけでは物語の流れが分からなくなってしまったことを指摘します。戦前の読者は、演劇や映画や口コミを通じて、『大菩薩峠』がどのような話なのか、認識していましたが、時代の経過に伴いそうした共通認識が失われると、『大菩薩峠』は一気に忘れられた、というわけです。また、中里は文学報国会への加入を拒否した珍しい作家でしたが、それは戦争反対を意味していたのではなく、『大菩薩峠』の成功により名誉と財産を得て自意識の肥大化した中里が、作家として報国の念を離れたことはない特別な存在だ、と自分を規定していたからでした。


第9講●牧野悠「長谷川伸―地中の「紙碑」」P151~167
 長谷川伸は苦労人の作家でした。実家は裕福だったものの長谷川が子供の頃に没落し、母親とも生き別れとなり、父親からは実質的に棄てられたのも同然の境遇でした。そこから作家として大成した長谷川は、庶民への哀憐の念を込めて作品を描き出していった、と本論考は評価します。作家として大成した長谷川はまた、表立った戦意高揚の文章を公表することは少なかったものの、広義の戦争協力者としては他の作家を圧倒していただろう、と本論考は指摘します。長谷川の功績としては弟子の育成もあり、山岡荘八や池波正太郎などがいます。


第10講●竹田志保「吉屋信子―女たちのための物語」P169~185
 吉屋信子は少女小説の作者として知られ、一人の女性と生涯を共にした同性愛者として、その先駆性が注目されています。同時代に、女性同士で共同生活を送った事例は他にもありますが、長期にわたって良好な関係を継続したことは特筆される、と本論考は評価します。ただ本論考は、それは吉屋が当時の女性としては破格の経済力と地位を獲得できたからこそ可能だったことであり、単に二人の愛情や意志の強さだけに還元して特権的に語ってしまうことは、当時の女性たちの絆を過小評価することになるだろう、と指摘します。


第11講●川本三郎「林芙美子―大衆の時代の人気作家」P187~201
 林芙美子は行商人の子供として生まれ、生涯庶民からの視点を貫いた、と本論考は評価します。林は戦争に協力した作家として指弾されます。本論考も、中国の民衆に対する加害者意識が林に欠けているところは責められるべきだ、と指摘します。しかし、林は単に戦意高揚を煽り、戦争を賛美したのではなく、その視点は黙々と任務を果たす下層の兵士たちにあった、と本論考は指摘します。こうした弱者への共感という点では、戦前・戦中・戦後において林は一貫していた、というのが本論考の評価です。


第12講●林洋子「藤田嗣治―早すぎた「越境」者の光と影」P203~221
 本論考は藤田嗣治を、20世紀前半にあって、誰よりも早く国際性と多文化性を持ち合わせた「越境」者ゆえの光と影を一身に背負った存在と位置づけています。藤田の戦争協力は戦後になって強く批判されましたが、戦争記録画の中でもアッツ島玉砕以降の一連の「玉砕図」が、現在ではむしろ厭戦的に見えるのに対して、「今日腕を奮つて後世に残す可き記録画の御用をつとめ得る事の出来た光栄をつくづくと有り難く感ずるのである」といった文章の方は、むしろ戦意高揚的に映る、と本論考は評価しています。


第13講●萩原由加里「田河水泡―「笑い」を追求した漫画家」P223~240
 本書で取り上げられている人物については、石橋湛山を除いて全員、詳しく知らないと言ってもよいくらいなのですが(石橋湛山についても、さほど詳しいわけではありませんが)、田河水泡の妻が小林秀雄の妹であることも知りませんでした。田河の代表作である『のらくろ』については、内務省より打ち切りを勧告された、という話が伝わっていますが、本論考は、それだけではなく、『のらくろ』の人気が低下していったこともあるのではないか、と推測しています。のらくろが一兵士から士官へと昇進するにつれて、頭の固い上司の裏をかいて飄々と生きるという作品の魅力が薄れていったのではないか、というわけです。


第14講●井上章一「伊東忠太―エンタシスという幻想」P241~256
 法隆寺の柱の膨らみを古代ギリシアの建築技法であるエンタシスと結びつけ、それはアレクサンドロス大王の東征によるヘレニズムの結果であった、という現在でも日本社会では根強そうな見解を強く主張して広めたのが伊東忠太でした。これは、インド以東の建築文化を侮る西洋史家に対する強い反発がもたらしたものでもありました。しかし、アジア中央部にはエンタシスは見当たらず、そもそもアレクサンドロス大王の百年ほど前に、ギリシアではエンタシスは用いられなくなりました。法隆寺の柱の膨らみの起源としては、北魏が有力なのですが、近代日本において、北魏よりもヨーロッパ文化の源流たるギリシアの影響という言説の方が受け入れられやすかった、というわけです。


第15講●片山杜秀「山田耕筰―交響曲作家から歌劇作家へ」P257~278
 本論考は、山田耕筰が1920年代に歌曲作家として成功するまで、「行きすぎた西洋近代派」で、当時の日本の文化・経済水準に合わず、名誉でも富でも本人が満足するような成功を収められなかった、と指摘します。山田は日本の前近代の民謡や三味線音楽に疎く、当時の日本人の求める音から浮き上がった「西洋派」と認識されてしまった、というわけです。その失敗を踏まえた山田は、日本伝統の音感の研究と活用を心がけ、1920年代に「赤とんぼ」などの歌曲で成功していきました。しかし、山田の本心は歌曲作家としての成功ではなく、オーケストラ曲やオペラなどの大規模音楽で、山田の著名な歌曲や童謡が生涯の限られた時期に偏っていることもそのためだった、と本論考は指摘します。


第16講●筒井清忠「西條八十―大衆の抒情のために生きた知識人」P279~298
 本論考は、大正期から昭和前期にかけて、日本の詩と歌は大きく変わった、と指摘します。まず、ほぼ全体的に文語文から口語文へと変わっていきました。また、童謡が現れ、子供向きの歌に詩人が大きく関わっていったことも世界的に異例でした。これは、地方の歌の変化として日本中を覆う新民謡の時代へとつながるとともに、各学校・地域・会社・組合など、あらゆる集団で歌が作られ、歌われるようになり、新聞・雑誌・映画などを通じて広がっていきました。本論考は、この大変動の中心にいてそれを領導したのが西條八十で、西條を「大衆化されたロマン主義」の中心人物だった、と評価しています。西條は童謡雑誌での活動を始めますが、本論考は、大正期童謡運動は明治期における上からの西洋音楽強制への反動で、これが昭和前期における下からのナショナリズムの一つの基礎になった、と指摘します。また本論考は、近代の方が地域的差異化を希求したのであり、前近代の方が共通性は高かった、とも指摘しています。

古墳時代の出雲人のDNA解析

 古墳時代の出雲人のDNA解析について報道されました。まだ報道でしか確認していませんが、たいへん興味深い研究だと思います。出雲市の猪目洞窟遺跡では1948年に3~7世紀頃の古墳時代のものと考えられる人類遺骸が発見されています。このうち6人で母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、「縄文系」と「渡来系」がそれぞれ3人ずつだった、とのことです。さらに、この6人のうちDNAの保存状態が良好だった「縄文系」と「渡来系」それぞれ1人ずつの核DNAが解析され、ともに東京都の古墳時代の人類や現代日本人よりも遺伝的に「縄文人」に近縁であることが明らかになったそうです。

 日本列島の本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣 の島々)から構成される「本土」集団が、遺伝的には「縄文人」と弥生時代以降の「渡来系」集団との混合で、後者の影響の方がずっと大きい、ということはほぼ通説になっています。しかし、「本土」集団の形成過程は一様ではなく、時代・地域による違いが大きかったのではないか、と予想されます。西日本は東日本と比較して、弥生時代以降の「渡来系」集団の影響が早期に大きくなったのでしょうが、西日本でも地域差があり、出雲はその進行が遅れた地域だったのかもしれません。ただ、出雲とはいっても1遺跡での調査だけに、より広くDNA解析が進まないと、一般化できないと思います。

マラリア媒介蚊の殺虫剤抵抗性機構

 マラリア媒介蚊の殺虫剤抵抗性機構エピに関する研究(Ingham et al., 2020)が公表されました。ピレスロイドを染み込ませた蚊帳は、アフリカでのマラリアに関連する罹患率と死亡率の大幅な低下の原動力となってきました。しかし、蚊帳による強い選択圧は、アフリカのハマダラカ属(Anopheles)個体群においてピレスロイドに対する抵抗性の拡大と上昇を引き起しており、マラリア防除によって得られた利益が無効になる恐れが生じています。この研究は、ガンビエハマダラカ(Anopheles gambiae)の肢に豊富に存在する化学感覚タンパク質であるSAP(sensory appendage protein)の1つ(SAP2)の発現が、この蚊にピレスロイド抵抗性を付与することを示します。

 SAP2の発現は、殺虫剤抵抗性の個体群で上昇していて、こうした蚊がピレスロイドに接触することでさらに誘導されます。ガンビエハマダラカでSAP2発現を抑制すると死亡率が完全に元に戻りますが、SAP2を過剰発現させると、おそらくSAP2のピレスロイド系殺虫剤への高親和性結合により抵抗性が上昇しました。ゲノム塩基配列解読データのマイニングにより、西アフリカの3ヶ国(カメルーン・ギニア・ブルキナファソ)の蚊個体群ではSAP2座位近傍に選択的一掃がある、と明らかになり、観察されたハプロタイプ関連の一塩基多型の増加は、ブルキナファソで報告されたピレスロイドに対する蚊の抵抗性の上昇を反映しています。この研究により、これまでに報告されていなかった殺虫剤抵抗性機構が明らかになり、この機構はマラリア防除の取り組みにたいへん重要な意味を持つと考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


マラリア:SAP2がマラリア媒介蚊をピレスロイドから保護する

マラリア:マラリア媒介蚊における殺虫剤抵抗性機構

 殺虫剤抵抗性の上昇は、マラリア防除における最大の難題の1つである。今回H Ransonたちは、マラリア媒介蚊が持つ殺虫剤抵抗性の新しい機構を報告している。彼らは発現の差異の解析、RNA干渉による遺伝子抑制とトランスジェニックによる過剰発現、殺虫剤への結合試験、集団遺伝学的解析を組み合わせて、化学感覚タンパク質であるSAP2がガンビエハマダラカ(Anopheles gambiae)にピレスロイド抵抗性を付与することを示している。今回の知見は、マラリアを伝播させる蚊個体群の殺虫剤抵抗性に対抗する新しい方法につながる可能性がある。



参考文献:
Ingham VA. et al.(2020): A sensory appendage protein protects malaria vectors from pyrethroids. Nature, 577, 7790, 376–380.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1864-1

小児期の鉛曝露による認知機能への影響

 小児期の鉛曝露による認知機能への影響に関する研究(Marshall et al., 2020)が公表されました。小児期の鉛曝露は、低濃度であっても、認知機能や行動の発達に悪影響を及ぼすことが知られており、その後の人生の社会経済的地位の低下にも関連する、と推測されています。しかし、小児期の社会経済的状態や鉛曝露と脳の発達に及ぼす作用との関係は、詳しく解明されていませんでした。

 この研究は、アメリカ合衆国全体の9~10歳の子供9712人について、脳の構造と認知テストの成績を評価しました。次にこの研究は、それぞれの子どもの居住経歴に基づき、ワシントン州保健福祉課の鉛リスクスコアを用いて、鉛曝露量を推定しました。すると、低所得家庭の子供は、高所得家庭の子供と比較して、認知テストの成績の平均が9%低い、と明らかになりました。また、鉛曝露リスクが最も高い地域に住む低所得家庭の子供は、同じ地域に住む高所得家庭子供と比較して、認知テストの成績がさらに3.1%低くなることも明らかになりました。また、鉛曝露リスクが高い低所得家庭の子どもは、鉛曝露リスクが低い地域に住む同様な社会経済的状況の子供と比較して、脳構造の発達障害が多い、と明らかになりました。

 この研究は、子供の血中鉛濃度を直接測定していないため、鉛曝露リスクは代替的な数字であることを注記しています。この研究は、鉛曝露リスクを少しでも下げることで、環境的により厳しい状況にある子供たちにより大きな恩恵がもたらされるかもしれない、と結論づけています。もちろん、子供の発達には鉛曝露リスクを下げた方がよいに決まっているのでしょうが、この研究からは、当然のこととはいえ、所得格差も重要であることが改めて窺えます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【医学研究】小児期の鉛曝露リスクと世帯収入が脳の発達に与える影響

 小児期の鉛曝露に関連して起こる認知機能と脳の発達の障害が、貧困によってさらに悪化する恐れがあることを報告する論文が掲載される。

 小児期の鉛曝露は、低濃度であっても、認知機能や行動の発達に悪影響を及ぼすことが知られていて、その後の人生の社会経済的地位の低下にも関連するとされている。しかし、小児期の社会経済的状態や鉛曝露と脳の発達に及ぼす作用との関係は、詳しく解明されてはいなかった。

 今回、Elizabeth SowellとAndrew Mashallのグループは、全米の9~10歳の子ども9712人について、脳の構造と認知テストの成績を評価した。次に著者たちは、それぞれの子どもの居住経歴に基づいてワシントン州保健福祉課の鉛リスクスコアを使って鉛曝露量を推定した。すると、低所得家庭の子どもは、高所得家庭の子どもに比べて、認知テストの成績の平均が9%低いことが分かった。また、鉛曝露リスクが最も高い地域に住む低所得家庭の子どもは、同じ地域に住む高所得家庭子どもに比べて、認知テストの成績がさらに3.1%低くなることも明らかになった。また、鉛曝露リスクが高い低所得家庭の子どもは、鉛曝露リスクが低い地域に住む同様な社会経済的状況の子どもと比較して、脳構造の発達障害も多いことが分かった。

 著者たちは、子どもの血中鉛濃度を直接測定していないため、鉛曝露リスクは代替的な数字であることを注記している。鉛曝露リスクを少しでも下げることで、環境的により厳しい状況にある子どもたちにより大きな恩恵がもたらされる可能性があると、著者たちは結論付けている。



参考文献:
Marshall AT. et al.(2020): Association of lead-exposure risk and family income with childhood brain outcomes. Nature Medicine, 26, 1, 91–97.
https://doi.org/10.1038/s41591-019-0713-y

アジア東部の中期~後期更新世ホモ属の頭蓋における外傷

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、アジア東部の中期~後期更新世ホモ属の頭蓋における外傷についての研究(Wu et al., 2011)が報道されました。本論文は、中華人民共和国広東省韶関市(Shaoguan)曲江区(Qujiang)馬壩(Maba)町の洞窟で発見されたホモ属頭蓋(馬壩1)の外傷を分析しました。馬壩1と共伴した動物化石から、年代は中期更新後期もしくは後期更新世と推測されています。共伴した脊椎動物の歯は、ウラン系列法により135000~129000年前と推定されていますが、これが馬壩1の正確な年代なのか、明確ではありません。ウラン-トリウム法では馬壩洞窟の流華石の年代が237000年前と推定されていますが、馬壩1との層序的関係は確定的ではありません。現時点では、馬壩1の年代は中期更新後期もしくは後期更新世前期の可能性が高そうです。

 馬壩1は当初、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)頭蓋との形態的類似性が主張されていましたが、その後は両者の相違が主張され、現在では馬壩1と中華人民共和国陝西省渭南市の大茘(Dali)遺跡で発見されたほぼ完全な頭蓋との類似性が指摘されており、馬壩1はアジア東部の現生人類(Homo sapiens)ではない後期ホモ属と考えられています。馬壩1が種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に分類される可能性もありますが、現時点では明確にはなっていません(関連記事)。

 馬壩1には平行な溝があり、大型齧歯類、おそらくはヤマアラシによるものと推測されています。しかし、馬壩1でそれ以上に注目されるのは、打撃による外傷で、前頭骨右側には窪みが見られます。この外傷の周囲では、骨髄炎や外膜感染の証拠は見られませんでした。この外傷は、局所的な鈍力打撃によるものと推測されます。また、この外傷は生前のもので、その後にある程度治癒し、馬壩1個体が長期間生存したことも推測されています。馬壩1個体はこの外傷のために出血し、脳震盪を起こした可能性が高く、それにより吐き気・嘔吐を覚え、さらには脳に損傷を被った可能性もあり、ほとんど動けなくなったかもしれないもと推測されています。それでもその後、馬壩1個体は長期間生存していたわけですから、介護があったと考えられます。

 こうした外傷の要因として、本論文は転んで岩に頭をぶつけてしまったというような事故の可能性も排除していませんが、最も可能性が高いのは対人暴力だろう、と指摘します。その場合、石器も含む石や、重い骨・木などで殴られた可能性が高い、と推測されています。中期~後期更新世の人類頭蓋の外傷は珍しくなく、本論文刊行後の研究では、43万年前頃のスペイン北部のホモ属頭蓋で、対人暴力による死亡事例が確認されています(関連記事)。おそらく更新世の人類において対人暴力は珍しくなく、それにより死亡することもあれば、介護を受けて一定以上の期間生き延びることもあったのでしょう。


参考文献:
Wu M. et al.(2011): Antemortem trauma and survival in the late Middle Pleistocene human cranium from Maba, South China. PNAS, 108, 49, 19558-19562.
https://doi.org/10.1073/pnas.1117113108

プエブロボニート遺跡の土器製作における性別分業

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、アメリカ合衆国ニューメキシコ州にある有名なプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡の土器製作における性別分業についての研究(Kantner et al., 2019)が報道されました。年齢や性に基づく分業は、現生人類(Homo sapiens)社会において普遍的に見られます。しかし、資料の乏しい古代社会の分業については、現代社会からの推論に依拠しているところが多分にあり、確実ではありません。これまで、アメリカ合衆国南西部の先住民集団に関する民族誌的記録などから、先コロンブス期のアメリカ大陸先住民集団の性別分業も推測されており、土器製作は伝統的に女性の役割だった、と考えられてきました。しかし、これはあくまでも後世の記録からの推測です。

 そこで本論文は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州にある有名なプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡の10~11世紀頃の土器985個を対象に、その性別分業を検証しました。本論文が土器製作者の性別判断の根拠としたのは指紋です。指紋には性的二形が見られ(指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いとされます)、80~90%の確率で性別を判定できる、とされます。プエブロボニート遺跡では、粘土を太い縄のようにして、螺旋状にぐるぐると巻いて器の形にする「波状文様土器」を製作していました。波状文様の土器は、親指と人差し指で粘土と粘土を挟んで貼り合わせていたので、粘土には製作者の指紋が残されています。これらの指紋を分析して製作者の性別を判定する、というわけです。

 プエブロボニート遺跡の土器の分析の結果明らかになったのは、12%ほどの性別不明のものを除いて、各集団により製作者の性別割合は異なるものの、男性の方が多い場合も珍しくなかった、ということです。性別の違いがほとんどなかったり、女性の方が多かったりする集団もありますが、男性の方が60%以上を占める集団もあります。これを時系列で見ると、初期には男性の割合が高かったものの、後には性差が縮小してほぼなくなる、というように変化していきます。本論文はこれを、周辺地域での土器需要の増加のためかもしれない、と推測します。当時、文化の中心地として急速に発展していたチャコ峡谷に多くの物資が流入していました。チャコ峡谷へと運ばれる土器の需要が高まり、プエブロボニート遺跡の多くの人々が土器製作に関わるようになったのではないか、というわけです。

 本論文が提示したプエブロボニート遺跡の土器製作者の性別分析は、後世の民族誌的記録などに依拠した過去の生活史の推測が危ういことを示したという意味で、たいへん意義深いと思います。プエブロボニート社会に関しては、母系世襲による権力継承の可能性が指摘されています(関連記事)。民族誌的記録などからの推測とは異なり、土器製作に男性も大きく関わっていたのは、そうした社会構造とも関連しているのかもしれません。また、プエブロボニート社会と、世界最古の都市とも言われるアナトリア半島中央部南方にある新石器時代のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡の社会との類似性も指摘されています(関連記事)。プエブロボニート社会とチャタルヒュユク社会はともに、儀式に基づく社会組織により特徴づけられ、これが生物学的血縁関係よりも優先される、というわけです。こうした社会構造が性別分業の有無とどう関連しているのか、よく分かりませんが、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Kantner J. et al.(2019): Reconstructing sexual divisions of labor from fingerprints on Ancestral Puebloan pottery. PNAS, 116, 25, 12220–12225.
https://doi.org/10.1073/pnas.1901367116

歴史書に「愛国ポエム」が挟まっていてもいい

 辻田真佐憲氏の表題の記事が昨年(2019年)末に公開されました。色々と疑問の残る記事ですが、まず、

昨今、歴史書は「著者の主張やイデオロギーを紛れ込ませない」のがいい本だとされている。中立客観を標榜し、事実を淡々と並べ、解釈は読者に委ねる。それが潔いとされているのである。

そもそも、中立客観を標榜している本に主張やイデオロギーが紛れ込んでいないわけではないし、もっといえば、「実証主義で歴史修正主義を屈服させる」というたぐいの主張が、物語を否定しているようで、なんの実証性もない、物語否定の物語(メタ物語)に依拠していることもしばしば見受けられる。

との認識は、多分に藁人形論法のように思います。ここまで言うなら、具体的な本・論文・(ネット上のものも含めての)言説を提示し、それらが一定以上影響力を有している、と示すべきでしょう。とくに疑問に思ったのは、当ブログでも取り上げた(関連記事1および関連記事2)『日本国紀』の評価です。辻田氏は同書について、

わたしは、さきの会話をしながら、百田尚樹の『日本国紀』を思い出さずにはいられなかった。同書も、教科書的な記述の合間に、著者の考え――あるひとはこれを「愛国ポエム」といっていたが――が挟まっていると指摘されている。そしてそれにエビデンスがないなどと批判されている。

とはいえ、この主観的な部分があるからこそ、逆に同書は広く受容されていると考えることもできるのではないか。

もとより、その内容がすべて正しいといっているのではない。ただ、「結局どうなの?」という声がなくならない以上、それを無理に封殺しようとすると、その受容を満たしてくれるものがかえって強く求められるといっているのである。


と評価しています。「主観的な部分がある」歴史関連本は珍しくありません。そうした中で『日本国紀』が売れて(実売部数は出版社が期待したほど、あるいは公称している程ではないかもしれませんが、一般的にはベストセラーに分類されるでしょう)、一時的?にせよ大きな話題になったのは、同書の著者とされている百田尚樹氏の作家個人としての人気が大きかったからだ、と私は考えています。つまり、同書は内容ではなく著者の属人的な要因によるベストセラーだった、というのが私見です。

 なぜそう考えるのかというと、以前の当ブログの記事でも述べましたが、同書は基本的に淡々とした叙述になっており、所々で主観的な叙述、辻田氏に言わせると「愛国ポエム」が挟まっているだけで、全体的には退屈な歴史書になっているからです。同書は歴史挿話集といった感じで、体系的な歴史物語にはなっていません。Amazonでの同書の評価はきわめて高いのですが(当然、少ないながら低評価もあります)、同書を高く評価した人に著書名を伏せて読ませたら、まず間違いなく退屈な本という評価が大半を占めるだろう、と私は考えています。また、近現代史の叙述では「愛国的」なところもあるものの、王朝交替説や九州王朝説や天智・天武非兄弟説に肯定的であることなど、全体的には反日的で自虐的だ、と批判する人も多いでしょう。仮に、同書の著者を朝日新聞記者として刊行したならば、同書を高く評価した人の多くは、近現代史では「真実の歴史」に媚びているところもあるものの、「反日自虐本」であることは隠せない、と罵倒したでしょう。

 同書は内容的には、「反日自虐本」との批判が殺到しても仕方のないところがありますが、それが、

日本は悪い国だと教育を受け、大東亜戦争がどんな戦争だったかを習うことも無い戦後生まれにはこの本が本当の「歴史教科書」だと思います。

とさえ評価されるのは、同書の著者とされている百田尚樹氏のこれまでの言論活動(本や雑誌やテレビやネットなど)から、百田氏のファンが多いためだと思います。百田氏が書いたことだから「愛国的な真実」に違いない、というわけです。このように多数の人々に属人的評価をさせてしまう、百田氏の作家あるいは言論者としての力量が優れていることは否定できません。「愛国ポエム」調の歴史的言説を提示したところで、百田氏のような売れっ子になれるのは本当にごく一部です。『日本国紀』が話題になり、少なからぬ?層に「愛国的な真実の歴史」として好意的に受け止められたのは、「愛国ポエム」という主観的要素があるからではなく、百田氏が築き上げてきた個人的人気のためだった、と私は考えています。人間は、何を言った(やった)かではなく、誰が言った(やった)かで判断する、とはよく言われることです。これを安易な属人的判断として批判するのは簡単ですが、世の中には悪意のある人もおり、属人的判断が必要であることも否定できないとは思います。

人類進化系統樹におけるアンテセッサーの位置づけと後期ホモ属の進化の場所

 人類進化系統樹におけるホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)の位置づけと、後期ホモ属の進化の場所に関する研究(Castro, and Martinón-Torres., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も含む後期ホモ属は広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化した、と考えられます。後期ホモ属においては、脳容量増加などの傾向が見られます。後期ホモ属の進化の場所はアフリカと考えられてきました。以前の有力説では、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先はハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)とされ、エチオピアのボド(Bodo)やドイツのビルツィングスレーベン(Bilzingsleben)中国の大茘(Dali)および鄖県(Yunxian)などの人類遺骸が含まれます。一方、アフリカの現生人類系統としてヘルメイ(Homo helmei)という種区分も提示されています。人類進化系統樹における位置づけの曖昧なホモ・アンテセッサーや種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も、広義のエレクトスから進化した後期ホモ属の一部です。

 アンテセッサーは20世紀末に、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先候補として提案されました。アンテセッサーは、スペイン北部のグランドリナ(Gran Dolina)洞窟遺跡で発見されたホモ属遺骸群の新たな種区分で、年代は85万~80万年前頃と推定されています。アンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統の推定分岐年代については、63万~52万年前頃(関連記事)とか751690年前頃(関連記事)とか複数説が提示されていますが、いずれにしても、アンテセッサーが最終共通祖先候補でも矛盾しない年代です。アンテセッサーは、未成熟個体でも成体でも現代人的な中顔面を示します。アンテセッサーのこうした現代人的形態は祖先的で、中期更新世のハイデルベルク人やネアンデルタール人のような中顔面は派生的との見解も提示されています。この見解では、現生人類の中顔面はボドやカブウェ(Kabwe)のようなアフリカの中期更新世人類から独立して派生した、と推測されています。

 こうした見解に対して、顔は形態学的および生理学的観点ではひじょうに複雑なシステムで、成因的相同は起きそうにない、との見解も提示されています。大茘や金牛山(Jinniushan)のような中期~後期更新世のアジア東部の人類に関しても、現代人的な中顔面は収斂進化ではなく、アンテセッサーからの共有祖先形質と考えられる、というわけです。さらに、アンテセッサーは頭蓋・下顎・歯・体骨格で、ネアンデルタール人などヨーロッパの中期更新世人類との共通の特徴が指摘されています。そのため、アンテセッサーがネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先系統と分岐した絶滅系統の可能性も提示されており、この見解では、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先はまだ特定されていないとこになります(関連記事)。しかし、アンテセッサーは単に世界中のホモ属の祖先形態を表しているのではなく、ユーラシア東部のエレクトスとは頭蓋や歯が異なることから、ネアンデルタール人と現生人類の分岐の場所に関する考察に役立つのではないか、と本論文は指摘します。

 まず、アンテセッサーはアフリカで進化し、後にアフリカでネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した、という想定です。この仮説の派生として、最終共通祖先候補であるハイデルベルク人と現生人類の中間的な種としてヘルメイが想定されるか、あるいはヘルメイが最終共通祖先候補とされます。この仮説が正しければ、アンテセッサーの特徴や、ネアンデルタール人のようないくつかの中期更新世人類系統の祖型的特徴がアフリカで見つかるはずです。

 次に、代替的でより節約的な仮説では、レヴァントも含むアジア南西部こそが、後期ホモ属進化の重要な舞台だった、と想定されます。アジア南西部の更新世の環境は比較的安定しており、生物多様性が高く、人類の居住に適している、と指摘されています。アジア南西部こそ、アンテセッサーだけではなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した場所だったのではないか、というわけです。この仮説では、進化の続くアジア南西部からヨーロッパ・ユーラシア東部・アフリカへと人類が移動した、と想定されます。この仮説は、ヨーロッパの中期更新世人類の多様性(関連記事)、ネアンデルタール人のアジア南西部起源、アンテセッサーに見られるヨーロッパとアジアとアフリカの共有祖先形質的な中顔面、75万~55万年前頃という最終共通祖先の推定存在年代を説明できます。

 120万~50万年前頃となる前期~中期更新世の移行期には、気候変動幅が41000年周期から10万年周期へと変わっていきました。この気候変動周期の変化以降、アフリカでは乾燥化が進んでいきましたが、気温や降水量も周期的に変動していき、温暖で湿潤な時期もありました。動植物相に影響を与えたこれらの変化により、レヴァント回廊が前期更新世後期および中期更新世の特定の期間に開き、ユーラシアからアフリカへの、また逆方向の人類集団の移動が異なる時期に起きた可能性は否定できない、と本論文は指摘します。

 本論文の見解は、「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先集団はアフリカからユーラシアへと最初に拡散したホモ属であるエレクトスで、その一部がアフリカに戻って現生人類系統へと進化した可能性を指摘する、遺伝学的見解(関連記事)とも整合的です。あるいは今後、アジア南西部こそ後期ホモ属の主要な進化の場所だった、との見解が有力になっていくのかもしれません。ただ私は、更新世におけるホモ属の出アフリカは珍しくなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先がアフリカで出現した可能性は高い、とまだ考えています(関連記事)。


参考文献:
Castro JMB, and Martinón-Torres M.(2019): Filling the gap. What does Homo antecessor tell us about the origin of the “emergent humanity” that gave rise to Homo sapiens? Journal of Anthropological Sciences, 97, 209-213.

先コロンブス期カリブ諸島の移住史

 先コロンブス期カリブ諸島の移住史に関する研究(Ross et al., 2020)が公表されました。カリブ海諸島は、大アンティル諸島・小アンティル諸島・バハマ諸島から構成されます。カリブ海には多数の島々が点在するので、人類や動物が島々に分散しやすくなりました。カリブ海諸島への人類の移住に関する有力説では、まずカヌーを用いた狩猟・漁撈・採集民の小集団が、石期となる紀元前5000~紀元前4000年頃に中央アメリカ大陸からユカタン半島を経由してイスパニョーラ島とキューバ島に拡散した、とされます。次に古期となる紀元前2500年頃に、トリニダード島から小アンティル諸島を経て大アンティル諸島へと移住があり、その後、土器期となる紀元前500年頃に、小アンティル諸島を経てオリノコ川河口からの移住があった、とされています。プエルトリコへの到達後、土器期におけるイスパニョーラ島・ジャマイカ島・キューバ島・バハマ諸島への植民の拡大の前に1000年の中断があった、というわけです。この移動経路は土器様式に基づいていますが、その詳細については激しい議論が続いています。

 カリブ海諸島のうち、バハマ諸島は最後に人類が定住した場所で、最古の人類はルーカヤン人(Lucayan)です。バハマ諸島における人類の最古の痕跡は紀元後8世紀初頭までさかのぼります。土器の分析から、バハマ諸島に固有ではない粘土が用いられている、と明らかになったため、バハマ諸島の最初の人類はイスパニョーラ島から到来した、と示唆されています。一方、中央バハマ諸島のルーカヤン人遺跡の放射性炭素年代は、キューバ島とのつながりを支持します。古代DNA研究では、カリブ海諸島の最初の人類は、南アメリカ大陸北部起源と示唆されていますが、これは1個体の解析結果に基づいている(関連記事)、と本論文は注意を喚起します。頭蓋データ、とくに顔面形態は古代DNAよりも時空間の範囲が広いため、人口構造解明の遺伝的指標として利用されています。本論文は顔面形態からカリブ海諸島における人類の拡散を検証します。

 本論文は、カリブ海地域の103人の頭蓋形態を分析しました。その結果明らかになったのは、バハマ諸島の個体群がイスパニョーラ島およびジャマイカ島の個体群との近縁で、キューバ島の個体群とはそれよりも遠い関係にある、ということです。また、プエルトリコ本島の個体群とベネズエラの個体群との近縁性も明らかになりました。本論文は、頭蓋データから総合的に、カリブ海諸島における複数回の異なる地域からの移住を推測しています。まず、紀元前5000年頃にユカタン半島経由でキューバ島と大アンティル諸島北部に移住がありました。次に、紀元前800~紀元前200年頃に、ベネズエラ沿岸からプエルトリコへとアラワク語集団が拡散してきました。最後に、紀元後800年頃にカリブ地域(ベネズエラ北西部)からイスパニョーラ島へと到達した集団が、急速にジャマイカ島およびバハマ諸島へと拡散しました。以下、先コロンブス期カリブ海地域における人類の拡散を示した本論文の図8です。
画像


 カリブ海地域における土器時代の拡散は1回のみとの見解が以前は有力でしたが、そうではなかった、と本論文は示しています。人類の移住と起源に関する議論では、近年飛躍的に発展している古代DNA研究が大きな威力を示しています。しかし、古代DNA研究はDNAの保存の問題から亜熱帯~熱帯地域には適していないので、今後もこうした地域では形態学的研究がひじょうに有効となるでしょう。また、近年急速に発展しているタンパク質解析は亜熱帯地域の200万年前頃の標本でも有効と示されているので(関連記事)、カリブ海地域の人類史の解明に大きく貢献するのではないか、と期待されます。


参考文献:
Ross AH. et al.(2020): Faces Divulge the Origins of Caribbean Prehistoric Inhabitants. Scientific Reports, 10, 147.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56929-3

ジャワ島におけるエレクトスの出現年代

 ジャワ島におけるホモ・エレクトス(Homo erectus)の出現年代に関する研究(Matsu’ura et al., 2020)が公表されました。人類の初期の拡散に関する議論では、ホモ・エレクトスのユーラシア東部における最初の出現年代が重要となります。1990年代半ば以降、アジア東部では最古の人類の年代が180万~170万年前頃までさかのぼる、との見解が受け入れられていくようになりましたが(関連記事)、これはじゅうらいの年代観を50万年ほどさかのぼらせることになります。そのため、エレクトスはアフリカで185万年前頃に出現した後、急速にアジア東部まで拡散した、と考えられました。

 一方、エレクトスはアジア南東部へと150万年以上前に拡散し(関連記事)、アジア北東部へと130万年前頃以後に拡散した、との見解も提示されています。これら150万年以上前のアジア南東部におけるエレクトスの存在を主張する見解は、ジャワ島のサンギラン(Sangiran)遺跡の人類遺骸の年代測定結果に基づいていますが、150万年以上前という年代の見直しを指摘する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、サンギラン遺跡における最初の人類の年代を再検証しました。

 サンギラン遺跡では合計100個以上の人類遺骸が見つかっています。しかし、その年代については議論が続いています。サンギラン遺跡では、バパン(Bapang)層とその下のより古いサンギラン層で人類遺骸が発見されています。バパン層の2m上の軽石普通角閃石(pumice hornblende)の年代は、アルゴン-アルゴン法で151万±8万年前となることから、サンギラン地域では150万年以上前から人類が存在していた、と考えられていました(関連記事)。しかし、別の研究では、バパン層の最下部の軽石と凝灰岩の年代はアルゴン-アルゴン法で90万~80万年前頃と推定されており、年代は確定していません。

 本論文は、以前の研究でアルゴン-アルゴン法により151万±8万年前という年代測定結果が得られた層を含むバパン層最下部、および人類遺骸下限年代となる可能性のある、サンギラン層の凝灰岩8層のジルコンを、フィッショントラック法とウラン-鉛年代測定法で改めて検証しました。その結果、バパン層最下部は971000±9000年前、という結果が得られました。一方、サンギラン層の凝灰岩8層の上限年代は155万年前と推定されました。

 サンギラン遺跡で比較的新しい人類遺骸はバパン層で発見されており、その下限年代は79万年前頃と推定されます。サンギラン遺跡で比較的古い人類遺骸はサンギラン層で発見されており、動物相の年代から127万年前頃と推定されています。本論文は、155万年前頃というサンギラン層の凝灰岩8層の上限年代と合わせて、サンギラン遺跡における最初の人類の出現は127万年前頃もしくは145万年前頃以降、と推定しています。

 サンギラン遺跡の人類は、形態学的にバパン層とサンギラン層の2集団に区分されています。より古いサンギラン層の個体群はひじょうに多様で、アフリカの170万~140万年前頃のエレクトスもしくはエルガスター(Homo ergaster)と類似した比較的祖先的な特徴を示します。より新しいバパン層の個体群は比較的派生的で、アジア東部の中期更新世のエレクトスに匹敵する、より大きな神経頭蓋と縮小した歯顎を有しています。

 更新世において、前期から中期の移行期となる120万~70万年前頃に気候が大きく変化し、生物相と環境に大きな影響を与えた、と明らかになっています。そのため本論文は、サンギラン遺跡におけるエレクトスの変化が、この自然環境の変化に関連している可能性を指摘しています。また本論文は、この変化が同じエレクトス集団内で起きた可能性もあるものの、移住の影響が大きかったかもしれない、と推測しています。アフリカから東進してきたか、アジア東部から南下してきた可能性が想定されます。

 本論文は、ジャワ島におけるサンギラン遺跡以外の最初期の人類遺骸とされている、東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)が、フィッショントラック法により149万年前頃以降とされ、サンギラン遺跡のエレクトスの最古の年代が上述のように127万年前頃もしくは145万年前頃以降であることから、ジャワ島への人類の拡散は現在の推定より新しく150万年前頃以降だろう、との見解を提示しています。これは、最近20年の主流的見解よりも20万年は繰り下がります。ジャワ島の古いエレクトスの比較的祖先的な形態については、祖先的特徴の保持か、ジャワ島のエレクトス系統において独立して派生した特徴だろう、と本論文は推測します。なお、ジャワ島の末期エレクトスの年代に関しても議論が続いていましたが、最近の研究では117000~108000年前頃と推定されています(関連記事)。


参考文献:
Matsu’ura S. et al.(2020): Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area. Science, 367, 6474, 210–214.
https://doi.org/10.1126/science.aau8556

松尾千歳『シリーズ・実像に迫る11 島津斉彬』

 戎光祥出版から2017年7月に刊行されました。本書は島津斉彬の生涯を、豊富な図版で分かりやすく解説しています。斉彬の背景として、島津がどのような家柄なのか、ということも鎌倉時代にまでさかのぼって簡略に説明されており、少ないページ数ながら、一般向け書籍としてなかなか配慮されていると思います。斉彬登場の背景として、琉球を服属させ、「中国」との交易にも関わっているという薩摩藩の特質や、曾祖父の重豪の個性は以前から多少認識していましたが、不勉強なため、おもに重豪の代に築かれた幕府・諸藩、とくに諸藩との人脈についてはよく知らなかったので、この点でも参考になりました。

 斉彬がひじょうに優秀な人物として評価されていたことは、一般層にも浸透しているように思いますが、斉彬の個性の形成に、その母親の弥姫(賢章院)が深く関わっていることは知りませんでした。弥姫は息子である斉彬の教育にたいへん熱心だったようで、漢文の素読をはじめとして、書や絵画や和歌も自ら教えたそうです。また、当時の大名家としては珍しく、弥姫は斉彬の乳母を置かず、自ら育てたそうです。弥姫が鳥取藩主の池田治道の娘であることも、本書で初めて知りました。

 斉彬をめぐっては、大規模な御家騒動(お由羅騒動)がよく知られているでしょうが、本書はその背景として、薩摩藩の財政再建をめぐる対立があった、と指摘します。斉彬の曾祖父である重豪の代に、開花政策と征夷大将軍の岳父としての交友関係の活発化により、薩摩藩の財政は悪化します。それに対する財政再建策は重豪の制作の否定でもあったので、重豪は激怒して息子の斉宣を隠居させ、その重臣を切腹させます。斉宣の息子(斉彬の父)である斉興は、調所広郷を重用して財政再建を強く進めます。

 斉興は息子の斉彬が西洋列強に対抗するため近代化を進めすぎて、重豪の代のように財政状況が悪化することを警戒し、斉彬への家督形象を渋り、ここに斉興とその側室の間の息子である久光も絡んで、薩摩藩では大規模な御家騒動が勃発します。しかし本書は、斉彬派が主張したようなお由羅・久光派による呪詛は誤解で、斉彬は久光を高く評価していた、と指摘します。ただ、西郷隆盛のような斉彬に抜擢された一部家臣は、久光に対して悪印象を抱き続けたようです。また本書は、斉興も近代化の必要は認めていたものの、斉彬の政策の行き過ぎとその結果としての財政破綻を警戒していた、と指摘します。

 本書は斉彬の改革について、同時代の幕府や他藩が軍事関係、つまり「強兵」に偏っていたのに対して、「富国強兵」を進めようとし、幕府や藩ではなく日本という視点で改革を進めようとしていたことを高く評価しています。斉彬が目指したのは公武合体による挙国一致体制で、幕府を否定した明治政府の体制とは異なりますが、斉彬の遺志を久光や家臣の西郷隆盛・大久保利通などが継承して明治政府が成立した、と本書は指摘します。なお、篤姫(天璋院)が13代将軍の家定の正室になったのは、一橋慶喜を将軍に擁立するための工作ではなかった、と本書は指摘します。

永久凍土の古気候学的証拠

 永久凍土の古気候学的証拠に関する研究(Vaks et al., 2020)が公表されました。北極圏では気候変動が急速に生じており、予測では、今世紀半ばまでに夏季の海氷が完全に失われる、と示唆されています。北半球の永久に凍った土壌(永久凍土)の温暖化に対する感度はあまり分かっておらず、その長期的傾向の監視は、海氷の傾向の監視より困難です。本論文は古気候データを用いて、シベリアの永久凍土は、北極圏に海氷が存在する場合は温暖化に対して強靭であるものの、海氷が存在しない場合は脆弱である、と示します。

 本論文は、連続した永久凍土の南端に位置するシベリアの洞窟の炭酸塩堆積物(洞窟二次生成物)のウラン–鉛年代測定により、その上の土が永久に凍っていなかった期間を複数明らかにしました。洞窟二次生成物の記録は、赤道から極への熱輸送が増大し、北半球が温暖化した時期である150万年前頃に始まりました。洞窟二次生成物の成長からは、洞窟の場所ではその当時永久凍土が存在しておらず、北半球が寒冷化した135万年前頃から頻繁に存在するようになり、40万年前頃以降に永続的になった、と示されました。この歴史には、海氷は40万年前頃までほとんど存在しなかったものの、その時期から永続的に存在するという、北極海の年間を通した海氷の歴史が反映されています。

 海氷が存在する場合の永久凍土の強靭さと、海氷が存在しない場合に増大する永久凍土の脆弱さは、熱輸送と水蒸気輸送の両方の変化により説明できます。海氷の減少は、北極圏の大気の温暖化の一因となる可能性があり、内陸奥地の温暖化をもたらし得ます。さらに、北極圏の開水域も、水蒸気の生成源を増やし、シベリアの秋季の降雪を増やして、地面を冬季の低い気温から断熱します。こうした過程により、40万年前頃以前の氷のない北極圏と永久凍土の融解の関係が説明されます。こうした過程が現代の気候変動の間継続すれば、夏季の北極海の氷が消失して、シベリアの永久凍土の融解が加速されるだろう、と本論文は指摘します。更新世の長期の気候変動は、人類進化との関連でも注目されます。


参考文献:
Vaks A. et al.(2020): Palaeoclimate evidence of vulnerable permafrost during times of low sea ice. Nature, 577, 7789, 221–225.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1880-1

2022年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』

 再来年(2022年)の大河ドラマは、源頼朝を支えた北条義時などの姿を描く『鎌倉殿の13人』に決定した、と報道されました。主人公は北条義時で、主演は小栗旬氏、脚本は三谷幸喜氏とのことです。大河ドラマの制作発表としては、2019年放送の『いだてん~東京オリムピック噺~』ほどではないとしても、かなり早いと思います。三谷氏脚本ということもあり、それだけNHKとしても力を入れている、ということでしょうか。2012年放送の『平清盛』が、当時としては大河ドラマ史上最低の平均視聴率を記録したため、しばらく源平ものはないと予想していたのですが、本作は平氏滅亡後の方がずっと比重は高いでしょうから、源平ものに分類すべきなのか、微妙なところです。

 ほぼ同じ題材の大河ドラマとして、1979年放送の『草燃える』があります。『草燃える』は傑作だと私は考えているので(関連記事)、これに匹敵し、さらに超えるのはなかなか難しいとは思いますが、傑作『真田太平記』(大河ドラマではありませんが)とほぼ同じ題材の、三谷氏脚本の2016年放送の大河ドラマ『真田丸』も素晴らしい内容でしたし、政治的駆け引きが中心の構成になりそうという点で三谷氏向きとも言えるでしょうから、話はかなり期待してよさそうです。配役がどうなるかまだ分かりませんが、『真田丸』から推測すると、『草燃える』で北条義時役だった松平健氏が北条時政役ではないか、と予想しています。また、初回から最終回まで重要人物として登場し続けるだろう北条政子を誰が演じるのかも注目されます。ともかく、今から放送が楽しみです。

極地域では優位な内温性の海洋捕食者

 極地域における内温性の海洋捕食者の優位に関する研究(Grady et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。地球の生物多様性の大部分は熱帯付近に集中し、赤道に向かって多様性が増すという緯度勾配を形成しており、これが陸上・海洋のほぼすべての動物・植物・昆虫で広範に観測されるパターンです。しかし、海洋哺乳類と海鳥の分布パターンはそれと正反対になっています。高緯度にある極寒の海では内温(恒温、温血)性の海洋哺乳類や海鳥が繁栄しており、海水温の低さによって動きが鈍く遅くなった外温(変温、冷血)性の被食者を常食として摂取しています。この研究は、熱帯にはアザラシやクジラやペンギンといった内温性の哺乳類や鳥類はほとんどおらず、熱帯の暖かい海に実際にコロニーを作っているのはイルカだけである、と指摘します。動物がこれほど異なる多様性パターンを示すのかは、まだ不明です。

 この研究は、クジラ・サメ・魚類・海鳥・爬虫類など上位998種の海洋捕食者の分布をデータベース化し、内温動物と外温動物の生物地理学における著しい違いを明らかにしました。この研究は次に、これらの種の捕食率と代謝と海水温をモデル化し、概して内温性の捕食者は「とろくて、まぬけで、冷血の」獲物を好む、と見出しました。海水温が下がれば、こうした条件で獲物を狩ることにかけは、内温動物のほうが外温動物よりも代謝的に有利、つまり代謝が速いというわけです。内温動物は代謝によって熱が発生して眼や脳の温度が上がり、場合によっては、狩りのさいの感覚能力が高まることもあります。またこの研究は、極地域の海水温上昇が続いた場合に、クジラやアザラシやペンギンなどの動物が直面すると思われる、新たな問題を浮き彫りにしています。


参考文献:
Grady JM. et al.(2019): Metabolic asymmetry and the global diversity of marine predators. Science, 363, 6425, eaat4220.
https://doi.org/10.1126/science.aat4220

チンパンジーにおける雄による子殺しへの雌の対抗戦略

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、チンパンジー(Pan troglodytes)における成体の雄による子殺しへの雌の対抗戦略に関する研究(Lowe et al., 2019)が報道されました。哺乳類では雄による乳児殺しが一般的です。これは、授乳中は月経が止まり、妊娠しなくなるため、雄が乳児殺しにより母親の授乳を止めてその出産間隔を短縮し、自身の子を儲ける可能性が高くなるため、雄の適応度を上昇させるからと考えられています。そのため、乳児でも幼い個体ほど、その虚弱性もあって狙われやすくなります。乳児殺しは大きな選択圧になるので、雌の側の対抗戦略が予測されます。

 乳児殺しはチンパンジーの複数集団で起きており、ほとんどの場合加害者は雄です。チンパンジーにおける雌の乱交は、乳児殺しへの対抗戦略の一つと考えられています。ここで重要なのは、雄の集団内順位から父親を予測できる、ということです(1~3位の雄の子は集団の約60%)。もっとも、チンパンジーは乱交社会で、そのため父性の混乱により、乳児殺しへの保護は充分には期待できませんが、これは乳児殺しの重要な背景となります。低順位の雄は一般に、子を儲ける可能性が低く、乳児殺し戦略により失うものは少ないのですが、乳児殺しの最大の危険性は、順位上昇中の雄から生じる、と予測されています。現在は自身の子が少ないものの、次に子を儲ける可能性が高いところまで順位を上げた雄は、失うものが少なく、得るものが多くなる、というわけです(ローリスクハイリターン)。

 そのため、乳児殺しは、子を儲ける機会の低い雄にとって、順位が上昇する時にはとくに適応的戦略となります。雌は体力的に雄の攻撃に対抗できず、乱婚社会で雄からの保護が充分は期待できないため、乳児殺しの危険性に対抗するには、乱婚に追加するか、もしくは代替する戦略が必要となります。なお、現時点での研究では、雄が父性を直接的に識別できている、と仮定できるだけの証拠は提示されていません。また、チンパンジーは柔軟に分裂して融合するので、雌はこれを乳児殺しへの対抗戦略として用いている可能性がある、と指摘されています。

 本論文は、成体の雄による乳児殺しの危険性に対する雌の対抗戦略について、ウガンダのブドンゴ森林のソンソ(Sonso)集団のチンパンジーの調査結果から、3通りの非排他的な可能性を検証しています。一つは、雌が子をより多く儲けている可能性の高い高順位雄からの保護を求める、というものです。次に、雌が乳児殺しの可能性のある雄への乳児の接近を避ける、というものです。最後に、雌が他の母親と提携して乳児の保護を求める、というものです。

 本論文の検証結果は、乳児の母親が集団内順位で急速に上昇している雄に最も強く反応する、と示します。乳児の母親は、そうした乳児殺しの危険性の高い雄との接触を減らしているわけですが、また同時に、高順位の雄との接触を増やそうとすることも明らかになりました。雌は雄の順位変動に敏感で、乳児殺しの危険性を減少させるよう適応的に反応する、というわけです。本論文は、こうしたチンパンジーの雌の乳児殺しの危険性への対抗戦略は、他のチンパンジー集団でも一般化できる、と予測しています。雄のチンパンジーについては、高順位の雄と競争するため複雑な同盟を用いる「策略家」と言われますが、本論文が示すように、雌もまた乳児殺しの危険性を減少させるため、雄の順位変動に敏感になり、集団内順位を急上昇させているような雄との接触を避けるという対抗戦略を採用する、「策略家」というわけです。


参考文献:
Lowe AE, Hobaiter C, and Newton‐Fisher NE.(2019): Countering infanticide: Chimpanzee mothers are sensitive to the relative risks posed by males on differing rank trajectories. American Journal of Physical Anthropology, 168, 1, 3–9.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23723

古代型ホモ属から現生人類への遺伝子移入の機能的結果と適応度

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)を中心に、古代型ホモ属から現生人類(Homo sapiens)への遺伝子移入の機能的結果と適応度の影響に関する研究(Rotival, and Quintana-Murci., 2019)が公表されました。出アフリカ系現代人の主要な祖先集団は、6万年前頃までにはアフリカからユーラシアへと拡散を始めた、と考えられています。現生人類はついには世界中へと拡散しましたが、その過程でネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属と遭遇し、交雑しました。本論文は、古代型ホモ属から現生人類への遺伝子移入の機能的結果と適応度について、出アフリカ系現代人における地域集団間の違いに注目しつつ、近年の研究成果を概観しています。

 本論文はまず、ネアンデルタール人からの遺伝子移入のコストについて検証しています。ネアンデルタール人から現生人類へと伝えられたアレル(対立遺伝子)の大半は有害だった、と示唆されています。また、現時点で利用できるネアンデルタール人ゲノムから、その遺伝的多様性は低く、現生人類と比較して1/10程度の有効人口規模と示唆されています。その結果、ネアンデルタール人においては、自然選択によりそのゲノムから有害な変異を除去する効率は、現生人類よりも低かった、と予測されています(関連記事)。ネアンデルタール人と現生人類の交雑の前の段階では、有害なアレルのより少ない現生人類の方が、適応度は高かっただろう、というわけです。

 有害な変異のほとんどが相加的と仮定すると、ネアンデルタール人のDNAは交雑後の現生人類のゲノムから急速に除去され、ユーラシアでは10%程度から現在の2~3%程度に低下する、と推定されました。ネアンデルタール人など古代型ホモ属からの遺伝子移入の割合は、遺伝子に対する選択圧の強さに大きく依存しています。逆に、有害な多様体が劣性(潜性)である場合、ネアンデルタール人由来のDNA領域が除去されずに残った可能性もあります。この場合、ヘテロ接合性を高め、有害な影響を減らすことにより、交雑個体群への選択的利点がもたらされます。ただ本論文は、ネアンデルタール人のゲノムに存在したアレルの有害性と、遺伝子移入されたハプロタイプに関する劣性もしくは相加的多様体の相対的影響の体系的定量化がさらに必要になる、と指摘しています。これにより、現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響およびその地域集団間の差について、より正確に理解できるようになるだろう、というわけです。

 次に本論文は、遺伝子移入された機能的アレルについて検証しています。自然選択は、遺伝子移入された古代型機能的アレルに大きな影響を与えました。古代型遺伝子移入は、プロモーターやタンパク質コード領域のような機能的関連領域では、エンハンサーのような他の領域と比較して、それほど顕著ではないようです。ゲノム全体で規模がより大きいことを考えると、エンハンサーはネアンデルタール人のアレルで最多となる機能的要素と推測されます。したがって、ネアンデルタール人の遺伝子移入の表現型の影響のかなりの部分は、エンハンサー活性の変化に関連する、と予想されます。これに関して本論文は、ディープラーニングと組み合わせることで、ネアンデルタール人特有の遺伝的多様体が現生人類の表現型に与える影響、さらには地域集団間の差について、さらに理解できるようになるかもしれない、と展望しています。

 次に本論文は、古代型機能的アレルのエピスタシスの不適合について検証しています。これまで、古代型ハプロタイプの調節効果を特徴づけるため、古代型と非古代型のアレルの相対的な発現が比較され、ネアンデルタール人のハプロタイプは一般的に発現水準が低くなる傾向にあり、それは脳と精巣で最も顕著である、と明らかになりました(関連記事)。これは、共通祖先を有する2子孫系統における不適合変異の固定というモデルで予測される、エピスタシス相互作用に起因するネアンデルタール人と現生人類の間の遺伝的不適合の発生を支持する、と解釈されています。現代人のX染色体と精巣付近での古代型系統の弱い発現は、交雑第一世代の繁殖能力が低いという見解を支持します(関連記事)。また、古代型ホモ属との交雑が、交雑個体の認知能力に影響を及ぼした可能性も示唆されています。本論文は、現生人類系統における機能的ネアンデルタール人アレルの除去に対するエピスタシス不適合の評価には、さらなる研究が必要と指摘しています。

 また本論文は、古代型ホモ属からの遺伝子移入による適応度について検証しています。現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNA領域の全体的な有害性にも関わらず、出アフリカ直後の現生人類が新たな環境に適応するさいに、古代型DNAが有益だった、との見解が次第に受け入れられてきました。ただ、正の選択の検出に用いられてきた痕跡は古代型遺伝子移入により残されたものと類似しているので、古代型ホモ属からの適応的遺伝子移入事象の検出は困難な作業のままです。遺伝子移入の適応的性質を効率的に把握するため、古代型集団と特定の現代人集団で共有されたアレルの統計的枠組みが提案されています(関連記事)。これにより、体脂肪の特定タイプから熱を発生させることで、イヌイットの寒冷適応に貢献しているのではないか、とされていたTBX15やWARS2の多様体が、デニソワ人由来と推測されています。また、免疫機能については、古代型遺伝子移入により現生人類の一部集団の適応度が向上した、と推測されています。その中には、ヨーロッパにおいて現生人類が新たな細菌やウイルスに対抗するのに有益だった、と推測されているものもあります(関連記事)。

 近年では、古代型ホモ属との交雑を通じて、失われた遺伝的多様性が回復された可能性についても注目されています。ネアンデルタール人など古代型ホモ属との交雑により適応的に遺伝子移入されたハプロタイプが、ネアンデルタール人固有ではない場合もあり、具体的にはOAS1遺伝子座です。現代ヨーロッパ人においてネアンデルタール人のハプロタイプとして存在するアレルのrs10774671-Gは、OAS1のスプライシングを変え、抗ウイルス活性を増加させます。興味深いことに、この多様体はアフリカ集団にも高頻度で存在します。これらの知見が示唆するのは、ユーラシアで起きたOAS1遺伝子座関連の遺伝子移入が、現生人類において出アフリカによるボトルネック(瓶首効果)で失われた有益なアレルを再移入した、と示唆します。まだ査読中の研究(Rinker et al., 2019)は、古代型ホモ属との交雑を通じての機能的アレルの再移入が一般的現象だった、と示唆します。しかし、そのような再移入された多様体が古代型遺伝子移入の適応的性質にどの程度寄与したのかは、現時点では未解決のままである、と本論文は指摘します。

 本論文は最後に、ネアンデルタール人以外の古代型ホモ属からの遺伝子移入について言及しています。これまで、古代型遺伝子移入の機能的結果を理解する研究のほとんどは、おもにネアンデルタール人と現代ユーラシア人、とくにヨーロッパ人を対象としてきました。しかし、デニソワ人のゲノム配列も報告されており、古代ゲノムの数は増加しつつあります。これは、現代のゲノムから直接的に古代型DNA領域の識別を可能にするとともに、古代の集団多様性パターンと、絶滅人類およびその現生人類との交雑史の解明に役立ちます。たとえば、現代オセアニア人のゲノムにおける古代型系統の分析と定量化は、デニソワ人の過去の歴史と、オセアニアの早期現生人類の適応にデニソワ人が貢献した程度を理解する手がかりとなります。同様に、早期アフリカ人もまた未知の古代型人類と交雑した可能性が次第に支持されるようになっていますが(関連記事)、さらなる調査が必要になる、と本論文は指摘します。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、私の知見・能力では全容を的確に理解することは無理ですが、少しずつ関連研究を追いかけていくつもりです。


参考文献:
Rinker DC. et al.(2019): Neanderthal introgression reintroduced functional ancestral alleles lost in Eurasian populations. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/533257

Rotival M, and Quintana-Murci L.(2020): Functional consequences of archaic introgression and their impact on fitness. Genome Biology, 21, 3.
https://doi.org/10.1186/s13059-019-1920-z

アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理

 アフリカ南部における中期石器時代の根茎の調理に関する研究(Wadley et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。植物は遺跡では残りにくいため、先史時代に関しては植物採集よりも狩猟の方が注目を集めています。しかし、過去の研究から、植物食が狩猟採集民において重要な食資源となり得たことは間違いありません。植物でも、根茎や球根などの地下植物はヒトにとって重要な炭水化物源となり、調理すると消化性が向上し、毒性が減少します。火を使用する前の地下植物の残骸はまだ確認されていません。イスラエル北部のフラ(Hula)湖畔にある、下部旧石器時代のアシューリアン(Acheulian)遺跡として有名なジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya‘aqov)では、78万年前頃の根茎が発見されています(関連記事)。その他にもアフリカ南部の遺跡では地下植物が発見されています。

 本論文は、南アフリカ共和国のボーダー洞窟(Border Cave)の中期石器時代層における根茎の調理の痕跡について報告しています。この根茎は、5BS層と4WA層で発見されました。年代は、少なくとも17万年前までさかのぼります。根茎を洞窟まで運べるのはヒトだけだと考えられます。これらの根茎は炭化しており、調理が示唆されます。ボーダー洞窟の中期石器時代前期の年代は、歯のエナメル質の電子スピン共鳴法によると、5BS層は177000年前頃に始まり、その直下の4WA層は150000年前頃に始まり、99000年前頃までには終わっていた、と推定されました。

 本論文は、ボーダー洞窟の根茎をその形態から全てヒポキシス属に分類し、その中の1種(Hypoxis angustifolia Lam)である可能性が高い、と推測しています。ヒポキシス属の根茎は栄養価が高く、必須ビタミンとミネラルも含まれます。また、ヒポキシス属の根茎は生でも食べられますが、調理すると柔らかくなり、さらに食べやすくなります。ヒポキシス属はボーダー洞窟周辺も含めてさまざまな土地で繁茂し、サハラ砂漠以南のアフリカやインド洋の複数の島にも分布しています。

 ヒポキシス属の根茎は、デンプン質の栄養価が高い食料となり、広範囲に分布することから、遊動的な初期のヒトにとって信頼できる主食源になった可能性があります。30万年前頃のアフリカ東部のヒト集団は、すでに数十km以上の広い活動範囲を有していた、と推測されています(関連記事)。ヒポキシス属根茎のようなデンプン質の栄養価の高い植物は、すでに火を制御できるようになっていたであろう中期石器時代の遊動的なヒト集団にとって重要な食資源になり、その遊動性を可能にした一因になった、と考えられます。


参考文献:
Wadley L. et al.(2020): Cooked starchy rhizomes in Africa 170 thousand years ago. Science, 367, 6473, 87–91.
https://doi.org/10.1126/science.aaz5926

『卑弥呼』第32話「将軍の告白」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年1月20日号掲載分の感想です。前回は、仮面を着けた男性たちに包囲されている千穂の祭祀場で、ヤノハが義母の教えを回想しながら祭壇にむかうところで終了しました。今回は、ミマト将軍とその配下の兵士たちが、祭祀場へと向かうべく森の中を急いでいる場面から始まります。ミマト将軍たちはその途中で、自軍の兵士たちが殺害されて木に吊るされているのを見つけます。弔いをしようと仲間を木から降ろそうとする兵士たちに、鬼退治が先だ、と言って祭祀場へと急ぐよう、促します。その先にも仲間の死体があり、精鋭が殺されたことに兵士たちは怯み始めますが、ミマト将軍は先へと急ぎます。森の端まで来たミマト将軍たちは、仮面を着けた多数の男性たちが祭祀場を包囲していることに気づきます。

 祭祀場では、鬼八荒神(キハチコウジン)に指示されたヤノハが祭壇となっている岩に立ち、生贄役のイクメやミマアキたちと「送り人」のオオヒコが心配そうに見守っていました。白髪の髪の長い男性の支持を受けた男たちは、ヤノハを岩の上に組み敷き、熊の被り物をした男性がヤノハへと斧を振り下ろそうとします。ここでヤノハが指令を出し、オオヒコやイクメやミマアキたちが一斉に反撃に出ます。ヤノハは熊の被り物をした男性を小刀で刺して殺し、この男は覡(カンナギ)だ、と言います。ミマアキは、覡というよりも呪い師と考えていました。オオヒコの投げた石で男たちのうち一人は倒され、イクメも小刀で男を一人倒します。ヤノハは、二人の男に守られている、白髪の髪の長い男性が王だ、と宣言します。イクメは弟のミマアキに、王(鬼八)を殺すよう、指示しますが、ヤノハは王を生け捕りにするよう、ミマアキに命じます。ミマアキとその恋人であるクラトは、王を守る二人の男性と対峙し、ミマアキはあっさりと小刀で刺しますが、クラトは槍で突かれそうになります。しかし、男の槍の穂先は石器で、クラトの金属製の小刀により折れてしまい、クラトは男を刺し殺します。すると、王は鉄製と思われる刀を抜きいて高く掲げ、まずい、とヤノハは言います。

 祭祀場の近くまで迫ったミマト将軍に、配下の兵士は、異形の男たちは言葉を持っているのだろうか、と尋ねます。ミマト将軍は、叫びにも我々の言葉に似ているようにも思える、と答えます。テヅチ将軍の本隊は巳の刻(午前10時頃)に到着するだろうから、それまで待機しよう、と進言する配下に対してミマト将軍は、それでは遅い、人柱も人柱に潜ませた兵も殺されるから、自分たちだけで背後を突く、と答えます。しかし、自軍は10人程度なのに敵は大勢だ、と怯む配下に対してミマト将軍は、勝算はある、と一括します。それでも配下は、普段から戦人は勝つのが使命で、勝利とは生き残ってこそである、と言ってきたミマト将軍に、今戦えば敗北は必至で、とてもミマト将軍らしからぬ言動だ、と諫言します。するとミマト将軍は、配下に謝り、日見子(ヒミコ)たるヤノハから、鬼八に献上した人柱の中に日見子(卑弥呼)様もいる、と打ち明けます。日見子様は、自らも命を賭けねば人心はまとまらないと考えているのだ、とミマト将軍は配下に説明します。

 ミマト将軍の説明に配下は納得しますが、ミマト将軍はさらに、これは偽りだ、と言って配下に謝罪し、本心を打ち明けます。人柱の中にイクメ・ミマアキという二人の子供を潜ませているので、その身を案じており、ただ子供たちに会いたいために、犠牲になった兵士たちにも配下の者にも冷淡に振舞った、というわけです。これは将軍としてはあってはならない利己心なので、皆の命を粗末に扱おうとしたことを今は恥じている、と配下に謝罪したミマト将軍は、テヅチ将軍の本隊を待とう、と提案します。すると配下たちは、ミマト将軍に勝算の根拠を尋ねます。自分たちの命は将軍に預けており、弱みや本音を正直に打ち明ける主君を助けずに何が家臣か、というわけです。ミマト将軍が、仮面を着けた男性たちは人で、その武器は、と言ったところで言い淀みます。家臣たちは一瞬困惑しますが、すぐにミマト将軍が配下の者たちに、そなたらは家臣ではなく友だ、と言うところで今回は終了です。


 今回は、ミマト将軍が実質的な主人公でした。剛毅で配下を大切にしながら、弱さも抱えており、それを打ち明ける率直さもある、というミマト将軍の人柄は、これまでの描写と整合的になっており、説得的であるとともに魅力的になっていました。本作の人物造形は巧みなのですが、ミマト将軍は現時点で、トメ将軍と鞠智彦(ククチヒコ)に次いで魅力的な人物造形になっているように思います。今後、九州のみならず四国や本州、さらには朝鮮半島や魏や呉の人物も登場するのではないか、と期待しています。ミマト将軍がこの苦境において、いかなる策を立てているのか、次回がたいへん楽しみです。

 鬼八荒神はまだ謎めいた存在ですが、ヤノハやイクメやミマアキたちにあっさりと殺されていったのは、油断が大きかったのでしょうか。森に兵士たちが潜んでいたことから、警戒していたはずですが、おそらく五瀬邑も過去に何度か同じ対策を取っており、その都度撃退していたので、今回もその繰り返しにすぎない、と楽観していたのでしょうか。祭祀場を包囲している男たちが、祭祀場で覡たちが殺されているにも関わらず、動いていない様子なのがなぜなのか、よく分かりませんが、あまりにも予想外のことが短時間で起きたため、対処できず呆然としている、ということでしょうか。あるいは、王らしき男性の合図まで待機しているのかもしれません。そうすると、王らしき男性が刀を抜いて掲げたことが合図で、祭祀場を包囲している男たちが殺到してくるのかもしれません。鬼八荒神は技術的には暈(クマ)など九州の倭の国々よりも劣っているようですが、王らしき男性は鉄製と思われる刀を有しており、これは五瀬邑からの貢物なのかもしれません。ヤノハがこの苦境をどう切り抜けるのか、注目されます。

中世バスク地方で見られる寒冷期におけるミトコンドリアへの選択圧とトレードオフ

 中世バスク地方におけるミトコンドリアへの選択圧とトレードオフに関する研究(Laza et al., 2019)が公表されました。エネルギーを生成し活性酸素を生産するミトコンドリアの機能障害は、神経変性疾患や代謝性疾患やリウマチ性病変や加齢および癌と関連する過程など、いくつかのヒト疾患の発症に影響を与えているかもしれない、とさまざまな証拠が示唆しています。本論文は、リウマチ性疾患の分析と、その発症および有病率におけるミトコンドリア系統の役割を検証します。

 骨関節炎の患者の軟骨細胞ではミトコンドリアの機能が変化する、と示されており、酸化ストレスを引き起こし、軟骨細胞のアポトーシス(自然死)と軟骨の分解を増加させます。現在まで、いくつかの研究は、ミトコンドリアのハプログループ(mtHg)とリウマチ性疾患との関係を分析しています。mtHg-H・Uは変性骨疾患を発症するより高い危険性と顕著に関連しており、重症度が高い、と報告されてきました。一方、mtHg- J・Tは骨関節炎の発症率と進行の減少と顕著に関連しており、mtHg-Jは乾癬性関節炎とも関連しています。

 しかし、ヨーロッパ集団のmtHgとリウマチ性関節炎との間に顕著な関連は見出されていませんでした。リウマチ性疾患の発症におけるmtHg-Hの役割は、高いエネルギー効率がより大きな酸化ストレスを生成し、軟骨の分解と変性骨疾患発症の危険性の原因となる活性酸素の生産を増加させる、というミトコンドリアの性質に起因します。他方、mtHg- J・Tの保護効果の要因としては、カロリーをアデノシン三リン酸(ATP)に変換する過程におけるエネルギー効率の低さに起因する、という可能性が挙げられます。これにより、活性酸素の生産量は低くなり、酸化ダメージは少なくなります。このメカニズムは細胞を自然死から保護し、骨関節炎の発病に関連する軟骨の変性を減少させます。

 いくつかのmtHgとリウマチ性疾患との差異を示す関連は、出アフリカ後の寒冷気候への現生人類(Homo sapiens)の適応過程と関連しているかもしれない、と示唆されています。mtHg-Hは現在、ヨーロッパで最も一般的(40~55%)で多様であり、その起源は30000~25000年前頃のアジア南西部にあり、22000年前頃以降の最終氷期極大期(LGM)以前に近東からヨーロッパへ拡散した、と推測されています。mtHg-Uの現代ヨーロッパにおける割合は11%ほどで、ヨーロッパ最古の系統と考えられており、アジア南西部で55000年前頃に出現し、ヨーロッパへと拡散した、と推測されています。mtHg-H・UはLGMにヨーロッパ南西部の待避所に存在し、その後に再拡大したため、その分布頻度は異なる人口統計学的および文化的要因により形成されました。異なる環境でのヒトの適応に不可欠ないくつかのミトコンドリア多様体は、特定の気候地域に住んでいた集団の生存と繁殖では適応的かもしれませんが、他の地域では適応的ではないかもしれません。

 本論文は、バスク州のサン・ミゲル・デ・エスカラーダ(San Miguel de Ereñozar)の13~16世紀の大規模な中世共同墓地で発見された163人の遺骸を分析することで、これらの疾患とmtHgとの関連を検証し、14~19世紀の小氷期における地球気温低下の影響を考察します。この小氷期には、北半球の気温が著しく低下し、氷河の増大と降水量の増加と不作・飢饉・紛争・疫病などの生存に悪影響がありました。これらの条件は、ミトコンドリアのエネルギー生産過程に影響を及ぼし、ミトコンドリア機能障害とリウマチ性疾患の発症を促進した、と考えられます。なお、バスク人の遺伝的起源は近隣のヨーロッパ集団と大きく違わないのですが、後期青銅器時代~早期鉄器時代以降には、他の近隣集団と比較して孤立傾向が強かった、と推測されています(関連記事)。

 この中世共同墓地で発見された163人中47人でリウマチ性疾患が見られました。本論文はこの163人のうち、リウマチ性疾患を示す47人とそれを示さない43人のミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析し、mtHgを決定しました。中世共同墓地の90人のmtHgは、H・U・T・K・R・J・HVの7系統に分類できました。最も多いmtHgはHの73.3%で、現在の同地域でも最多の割合(55.1%)です。中世と現代とで異なる点として挙げられるのは、mtHg-U・Jの割合が現代では中世よりも多いことなどです。中世共同墓地の90人で確認されたmtHgの7系統は、さらに18系統に細分されます。最も多いmtHgはH2(36.7%)で、H1(21.11%)→H3(6.67%)と続きます。これら中世共同墓地のmtHg-Hの割合は、現代の同地域よりも高くなっています。一方、mtHg- U5・J1などの割合は、中世共同墓地よりも現代の同地域の方が高くなっています。合計すると、中世共同墓地の90人のmtHgは55系統が確認され、高い多様性を示すので、同族結婚の可能性は棄却されます。

 リウマチ性疾患を示す47人において、mtHgの7系統(H・U・T・K・R・J・HV)のうちH・U・T・R・Jが確認されました。一方、リウマチ性疾患を示さない43人では、mtHgの7系統がすべて存在しました。mtHg-Hでは、56.1%が関節障害を示しました。他のmtHgでは、Hよりもはるかに低い頻度で、Uが続き、その後のT・R・Jでは5%未満ですが、10%の割合のUでは66.7%がリウマチ性障害を示しました。mtHg-Uでは関節障害を示すのは33.3%でした。mtHg- K・R・J・HVの頻度は低く、K・HVではリウマチ性疾患を示す個体は見られませんでした。リウマチ性疾患のタイプに関しては、mtHg-Hのほぼ半数が脊椎関節症(SpA)を示した一方で、他のmtHgの4系統は、統計的評価のできない小規模な標本を表します。さらに細分化したmtHgでは、最も頻度の高いH2において、66.7%で関節障害が見られます。またmtHg-H2では、他のリウマチ性疾患と比較して、脊椎関節症が57%とひじょうに高い割合で見られます。

 現代ヨーロッパ人は、現生人類が45000年前頃にヨーロッパに到来して以降の歴史により形成されました。現代ヨーロッパ集団のmtHgで最も多いHの分布に大きな役割を果たしたのはLGMの気候変動と考えられています。また、新石器時代のヨーロッパにおける遺伝的構造の変化も、mtHg-Hの多様化と頻度増加の要因と推測されています。mtHg-Hの割合が最も高いのはバスク地方も含めたイベリア半島北部で、そこからヨーロッパの北方と東方に向かって頻度は減少しますが、ウェールズ(約50%)は例外です。

 上述のように、一部のmtHgは変性関節疾患発症の危険性を高めますが、一方で他のmtHgには保護効果がある、と指摘されています。mtHg-Hには変性骨疾患発祥の危険性が高い一方で、mtHg- J・Tなどでは骨関節炎や乾癬性関節炎発症の危険性が低い、というわけです。本論文は、バスク地方の中世共同墓地で、mtHgとリウマチ性疾患との関連を示しました。mtHg-Hでは、その下位区分でリウマチ性疾患の割合に差があり、最も多いH2でリウマチ性疾患の割合が高いのに対して、H1ではリウマチ性疾患の割合が低い、と示されています。これは、mtHg-Hでも下位区分においてリウマチ性疾患発症の危険性と強く関連していることを示唆します。その他のmtHg- U・T・K・R・J・HVに関しては、標本数が少ないことから、リウマチ性疾患発症の危険性との相関は決定できない、と本論文は指摘します。

 これらの疾患におけるmtHgと保護もしくは非保護の役割との間の関係は、上述のようにミトコンドリアの性質に基づいています。つまり、エネルギーが生成されて熱が産生され、体温が維持されますが、活性酸素も産出されます。ミトコンドリアのエネルギー生産効率が高いと体温も維持されるのですが、その分、活性酸素もより多く産出されます。ヨーロッパのmtHgは、最終氷期における低温と関連した選択圧を受けた、と以前の諸研究で指摘されています。本論文は、小氷期の気温低下と食料不足もmtHgの選択圧となり、よりエネルギー効率の高いmtHgが選択されやすくなった、と提案します。上述のように、エネルギー効率の高いmtHgの1系統であるHは、中世において現代よりも高い頻度を有していますが、それは活性酸素の産出増加により、リウマチ性疾患、とくに脊椎関節症の頻度を高めることにもなります。これは生物学的トレードオフ(交換)です。ひじょうに興味深い研究で、他地域での研究の進展が期待されます。


参考文献:
Laza IM. et al.(2019): Environmental factors modulated ancient mitochondrial DNA variability and the prevalence of rheumatic diseases in the Basque Country. Scientific Reports, 9, 20380.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56921-x

牧野雅彦『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2009年1月に刊行されました。本書は、ドイツ視点からのヴェルサイユ条約締結へと至る交渉史ですが、副題にあるように、ウェーバーの言説と関与を取り上げることで、ヴェルサイユ条約の意義をより深く分析するとともに、外交における大きな転機となった第一次世界大戦末期から直後の世界的思潮を掘り下げています。「戦争責任」とウェーバーの「責任倫理」では「責任」に当たる原語が違うなど、基礎的知識の不足のため知らなかったことも多く、勉強になりました。

 講和条約交渉に限らず、一般的に交渉は難しいものですが、本書を読んで改めて痛感します。ドイツはアメリカ合衆国のウィルソン大統領の理想主義に期待を寄せるところがありましたが、本書を読むと、ドイツがウィルソン大統領の意図を必ずしも的確に読めていなかった、と了解されます。ただ、第一次世界大戦末期以降、世界的な民主主義の浸透とロシア革命により、一部指導層による従来の秘密外交をそのまま継続することはもはやできず、大衆の動向を強く考慮しなければいけなくなった激変期でしたから、情勢の読み間違いには仕方のないところもあり、ウィルソン大統領にしても、自分の構想の実現には挫折しました。

 ウェーバーは、第一次世界大戦の原因として第一にメシアを挙げていますが、興味深いのは、ロシアへの警戒感がひじょうに強いことです。ドイツは、フランスに負ければ領土の一部を失い、イギリスに負ければ海外貿易は麻痺するかもしれませんが、ロシアに負ければ独立を失うことになるだろうから、ロシアこそドイツに向けられた唯一の脅威であり、世界の文化に対する脅威でもある、とウェーバーは論じます。させにウェーバーは、ロシアの潜在的脅威は帝政崩壊後も存続するだろう、との見通しを提示しています。ここには、ドイツというかヨーロッパ西方知識人のロシアへの偏見もあるのでしょうが、真理の一面であることも否定できないように思います。じっさい、帝政ロシア崩壊後のソ連も、ソ連崩壊後の混乱を経たプーチン政権下のロシアにも、潜在的な膨張欲が見られます。もっとも、ロシア側に立てば、ヨーロッパこそロシアへの敵意に満ちており、防衛圏の確保はロシアの存続に必須なのだ、と反論できるでしょうし、それも真理の一面であることは否定できないでしょう。

一部の現代人で確認されたデニソワ人由来のミトコンドリアDNA

 一部の現代人で種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のミトコンドリアDNA(mtDNA)が確認された、と報告した研究(Bücking et al., 2019)が公表されました。核DNA中のミトコンドリアDNA配列(NUMT)の存在は、さまざまな真核生物で報告されています。ヒト参照ゲノムでは、合計755個のNUMTが確認されています。また、世界中の地域集団でさまざまなNUMTが特定されており、今後その数は増加する、と予測されています。NUMTのサイズはさまざまで、合計するとmtDNAのほぼ全体が含まれますが、その特定領域が優先的に挿入される証拠はありません。一般的にNUMTは核DNA内では非コード配列で、長い期間にわたる欠失や複製や変異などにより変わっていきます。最近の挿入では、mtDNAよりも核DNAの方が変異率は低いため、挿入時の配列が保存される傾向にあります。こうしたNUMT配列の頻度や存在もしくは不在パターンは、集団の遺伝的関係の研究に用いられています。NUMTは、現生種と絶滅種の交雑事象の検出にも用いられてきました。

 そこで本論文は、現生人類との交雑が確認されているネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)およびデニソワ人由来のNUMTが現代人の核DNAに存在するのか、検証しました。ネアンデルタール人とデニソワ人の核DNAの一部は、出アフリカ系現代人において低い割合ながら確認されています。ネアンデルタール人由来のDNA領域の割合は、出アフリカ系現代人のゲノムでは約2%と推定されており、各地域集団間で大きな違いはありませんが、デニソワ人に関しては地域集団間で大きな差があり、ユーラシア西部集団のゲノムではほとんど検出されず、ユーラシア東部およびアメリカ大陸先住民集団ではわずかに、オセアニア集団では4~6%程度確認されており、こうした古代型ホモ属と現生人類との交雑は複数回起きたのではないか、と推測されています(関連記事)。

 このように、ネアンデルタール人やデニソワ人のような古代型ホモ属から現生人類への核DNAの遺伝子移入は広く検出されていますが、現代人では古代型ホモ属に由来するミトコンドリアは確認されていません。ただ、現代人の核DNAにおける古代型ホモ属のNUMTはまだ体系的に調査されていません。現代人の核DNAに古代型ホモ属由来のNUMTが存在するとしたら、古代型ホモ属において起き、その後に古代型ホモ属の核DNAとともに現生人類に遺伝子移入されたか、古代型ホモ属のミトコンドリアが交雑により現生人類に継承され、その後に現生人類系統でNUMTが新たに発生した、という2通りが想定されます。後者では、古代型ホモ属女性と現生人類男性との交雑が起きたことを示します。この2通りの経路は、古代型ホモ属由来のNUMTの周囲のゲノム領域の調査で区別できます。前者の場合、その周辺領域も古代型ホモ属由来のDNAで構成される、と予想されます。後者の場合、NUMTが交雑により遺伝子移入された古代型ホモ属由来の領域に挿入されるのでなければ、周辺領域は現生人類のDNAで構成される、と予想されます。

 本論文は、古代型ホモ属由来のNUMTを検出するため、ネアンデルタール人とデニソワ人両方からの遺伝子移入が確認されているインドネシアとオセアニアの221人のゲノムを解析しました。その結果、5ヶ所の古代型ホモ属由来の候補となりそうなNUMTが検出されました。そのうちNUMT 1_5966は58塩基対で、ネアンデルタール人およびデニソワ人のmtDNAと共通しますが、ほとんどの現代人では1塩基対異なっており、古代型ホモ属との分岐前か、現生人類系統が各地域集団に分岐する前に挿入された可能性を本論文は提示しています。NUMT 2_3389は246塩基対で、全ての現代人および後期ネアンデルタール人と単系統群を形成してデニソワ人とは異なっており、これはmtDNAの系統樹と同様で、現代人の変異内から完全に外れているわけではありません。本論文は、これが現生人類の出アフリカ前に挿入された、と推定しています。

 NUMT hs37d5_2745は446塩基対で、現代人の変異内に収まりますが、デニソワ人および早期ネアンデルタール人系統(関連記事)と単系統群を形成し、ネアンデルタール人とは異なっています。これはmtDNAの系統樹と異なり、デニソワ人からのNUMTである可能性も考えられますが、本論文は、収斂進化の可能性もあるとして、古代型ホモ属由来であると判断するのは避けています。NUMT 4_1787はデニソワ人のmtDNAと同一で、オーストロネシア語のインドネシア西部集団の5人で検出されました。しかし、43塩基対しかなく、他の現代人とは1ヶ所のみで異なるので、本論文はデニソワ人のmtDNA由来と断定していません。

 NUMT 3_1384は251塩基対で、インドネシア東部およびニューギニアの15人で検出されました。これは現代人およびネアンデルタール人の変異内に収まらず、デニソワ人および早期ネアンデルタール人と単系統群を形成します。本論文は、これがデニソワ人由来のmtDNAである可能性を指摘します。上述のように、NUMT 3_1384がどのような経路で一部の現代人のゲノムに伝わったのか、その隣接領域が分析されました。すると、デニソワ人と一部現代人とで共有されているアレル(対立遺伝子)が特定されました。これは、デニソワ人においてNUMTが起き、現生人類の一部集団のゲノムに交雑により伝えられた可能性が高い、と示唆します。

 本論文は、ヒト参照ゲノムにないさまざまなNUMTを発見しており、今後解析対象を拡大すれば、この数は増加していくと予測されます。一部の集団にのみ固有のNUMTは、現生人類の出アフリカの頃かその後の挿入の可能性が高いと考えられるなど、NUMTは人類の進化と拡散を考察する手がかりとなるので、今後範囲を拡大しての研究の進展が大いに期待されます。また、これらの結果は、ヒト核ゲノムへのmtDNAの挿入が最近でも継続している証拠となります。人類の進化は今でも続いていること(関連記事)をNUMTも示している、と言えるでしょう。


参考文献:
Bücking G. et al.(2019): Archaic mitochondrial DNA inserts in modern day nuclear genomes. BMC Genomics, 20, 1017.
https://doi.org/10.1186/s12864-019-6392-8

マウンテンゴリラの雄の子育て

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、マウンテンゴリラ(Gorilla beringei beringei)の雄の子育てに関する研究(Rosenbaum et al., 2019)が報道されました。哺乳類では雄の子育ては稀ですが、ヒヒやゴリラやヒトなどで観察されています。これには、栄養状態の改善や子殺し・捕食などからの保護といった効果があり、乳児の生存率を高めています。雄は子育てにより自身の子の適応度を高められますし、あるいは自身の子ではなくとも、子の母親との交配機会を増やす効果があるかもしれません。

 本論文は、マウンテンゴリラにおける雄の子育ての機能を検証しています。マウンテンゴリラ集団の過半数は1頭の雄と雌および両者の間の子供から構成されますが(単雄複雌)、40%ほどでは繁殖年齢の複数の雄(最大では9頭ほど)が、雌やその仔と共存しています(複雄複雌)。マウンテンゴリラ集団の子の大半は支配的な雄が父親ですが、他の雄にも繁殖機会があります。マウンテンゴリラ集団では、乳児の死亡の20%ほどが殺害によるもので、ほとんどは外部集団によるものですが、集団内での殺害も稀にあります。この割合は社会的不安定期には37%にまで上昇します。

 複雄複雌のマウンテンゴリラ集団では、雄は自分の子か否かに関わらず、子育てに関わります。これには繁殖機会の増加という効果があるとも指摘されており、本論文はそれを検証します。本論文が調査した結果、子育てへの関与度合で下位1/3の雄の子の数に対して、中位1/3の雄は1.16倍、上位1/3は5.50倍である、と明らかになりました。雄の年齢や集団内の順位を考慮しても、子育てへの関与度合と子の数との間には強い相関が確認されました。本論文のデータは、子育てと繁殖成功の直接的要因を示すわけではありませんが、交配努力仮説と一致しています。雌は、乳児と最も関わる、またはとくに寛容な雄と優先的に交配する、というわけです。子育てに積極的に関わる社交的な雄は、雌により社会的に魅力的とみなされ、交配の機会が増加する、と考えられます。雌の選択は、交配システムや社会的集団構造と同じように、進化的には重要です。

 また本論文は、マウンテンゴリラ集団ではごく最近になって、雄の子育てと繁殖成功との関係が強化された可能性を指摘しています。マウンテンゴリラ集団はもともと、その顕著な性的二形や体格と比較しての精巣の小ささなどから、単雄複雌だった、と指摘されています。マウンテンゴリラと近縁で、175万年前頃に分岐したと推定されている(関連記事)ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)集団は、ほぼ単雄複雌です。また、ヴィルンガ山地のマウンテンゴリラに関する初期の記録では、集団はおもに単雄複雌です。複雄複雌のマウンテンゴリラ集団は、1990年代から2000年代初頭まで定期的には観察されませんでした。

 本論文はこれら複数の証拠から、マウンテンゴリラの複雄複雌集団はごく最近になって出現した、と推測します。いくつかの霊長類種では、雌が定期的に集団外の雄と交配しますが、行動観察データと遺伝的データからは、マウンテンゴリラでもニシローランドゴリラでも、雌が集団外の雄と交配することはひじょうに稀と確認されています。マウンテンゴリラにおける父系識別の明らかな欠如は、雄にとって自分の子の識別を可能とする単雄複雌の歴史が長かったという進化史の副産物で、その結果として現在の「誤った」父親の子育てパターンが生じたのかもしれない、と本論文は推測しています。

 集団のかなりの割合が進化的に新しい交配システムにいる場合、雄が自分の子を識別できない(しにくい)関係は、新たな進化の結果をもたらすかもしれない、と本論文は指摘します。既存の社会生態学的理論では、こうした関係が雄にコストをもたらす場合、識別メカニズムが進化するか、雄と乳児との相互作用の割合が低下する、と予測します。しかし、本論文のデータはそうした予測とは対照的に、雄と乳児との相互作用が識別の欠如において積極的に選択され得る、という証拠を提供します。これは、行動の柔軟性、この場合は社会的集団構造の変化がどのように、選択されて活性化していく新たな表現型多様性を生成するのかを示す、具体例となります。

 こうした動物の行動と繁殖成功との関係は、高い父性の確実性がない場合に、雄の投資の精巧な形態がどう進化するのか、一つの潜在的経路を示します。動物において雄の世話は、他のあらゆる交配システムとよりも、単雄単雌(一夫一婦)に関連していることが多くなっています。系統発生学的分析からは、成熟した雌が互いに孤独で不寛容であると、哺乳類の単雄単雌は進化する場合が多い、と示唆されます。しかしこれは、マウンテンゴリラの一部集団の事例を説明しません。

 ゴリラやヒヒなどは、一方もしくは両方の適応度上昇をもたらすような雄と乳児との間の関係を示しますが、それは最も極端で精巧な形でヒト(Homo sapiens)において発生します。ヒトでは、雄の世話は義務というよりも任意ですが、子供における雄の投資水準はある程度文化的に普遍的です。しかし、ヒトの形態的特徴および行動は、化石人類と同様に、単雄単雌(一夫一婦)が進化史のほとんどで支配的ではなかった、と示唆します。ヒトも含むいくつかの非単雄単雌の霊長類種で雄の子育てが発生するという事実は、雄の世話がいくつかの代替的な経路で進化し得る、と示唆します。本論文のデータは、雄と幼児との相互作用およびその交配努力が相互補完的だったとするシナリオに、証拠を提供します。このパターンは最初に、雄と若い個体の社会的絆の形成を促進するかもしれません。

 なお、ヒトの場合と同様に、ホルモンが雄の子育て行動の促進に役立つのか、調査中とのことで。ヒトの雄では、テストステロンは雄が父親になるにつれて低下し、新生児に注意を集中させるのに役立つ、と考えられています。テストステロンの低下は他の雄との競争能力を低下させるため、何らかの利益がなければならない、と考えられています。あるいはマウンテンゴリラにおいて、テストステロンが低下しない場合は、高水準のテストステロンと子育てが排他的ではないのかもしれません。

 本論文の見解は、雄の子育てへの関与の進化に複数の経路があり得た可能性を提示したという意味でも興味深く、たいへん注目されます。とくに、マウンテンゴリラと近縁なヒトの配偶システムがどのように進化してきたのか、推測するうえで参考になりそうです。本論文は、マウンテンゴリラの複雄複雌集団の出現というかある程度の一般化は20世紀末から21世紀初頭になってからと推測していますが、おそらくこれはマウンテンゴリラの柔軟性に基盤があり、過去にも時として複雄複雌集団が出現していたのではないか、と思います。20世紀末から21世紀初頭のマウンテンゴリラ集団の変化は、あるいはヒトの活動による生息域の縮小や気候変動などに対応した結果なのかもしれません。

 ヒトと最近縁なのはチンパンジー属で、その次がゴリラ属ですが、これら3系統の現在の社会形態から推測すると、これら3系統の最終共通祖先はおそらく単雄複雌集団で、時として複雄複雌集団も形成する柔軟性を備えていたのでしょう。そこからチンパンジー属系統は、捕食圧などから複雄複雌集団を維持しつつ、父性の確認と自身の子の世話よりも雄による精子競争に特化していき、ヒト系統はまた異なる進化を経ていったのでしょう。ヒト系統の場合、とくにホモ属以降、出産が困難になったことにより、ゴリラ属系統やチンパンジー属系統よりもずっと、単雄単雌(一夫一婦)的特徴が強くなり、父性の確実性が高くなり雄による子育ても維持・強くなっていった一方で、捕食圧への対抗などから複雄複雌集団を維持し、家族とより大規模な集団を両立させたのではないか、と考えているのですが、基本文献となる『家族進化論』も的確に整理できておらず(関連記事)、漠然とした思いつきにすぎないので、今後もこの問題は少しずつ調べていきます。


参考文献:
Rosenbaum S. et al.(2018): Caring for infants is associated with increased reproductive success for male mountain gorillas. Scientific Reports, 8, 15223.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33380-4

再来年(2022年)の大河ドラマの予想

 そろそろ再来年(2022年)の大河ドラマが発表されそうなので、予想してみます。まず大前提として、2年連続で時代が重なることはあまりなく、多少重なったとしても舞台となる地域は異なる場合がほとんどのようだ、ということが挙げられます。来年は渋沢栄一が主人公なので、近現代ものである可能性はひじょうに低く、序盤で幕末も描かれるでしょうから、幕末の可能性も低いでしょう。まあ、1980年代には近現代ものが3年続きましたが、近年の大河ドラマの視聴率低迷は深刻で、NHKもそれを気にしているようですから、視聴率が低い傾向にある近現代ものである可能性はほとんどないと思います。

 そうすると、やはり人気の高い戦国時代が最有力でしょうか。以前から当ブログで有力候補として推しているのは、知名度は低そうではあるものの、大河ドラマ化発表前の井伊直虎よりは知名度が上で、まだ主要な舞台となっていない佐賀県(肥前)の人物である、鍋島直茂とその妻(陽泰院)です。2018~2021年の主人公が男性ですから、陽泰院が主人公の可能性もじゅうぶんあります。NHK好みの夫婦愛を描けそうという点でも有力です。同じく戦国時代~江戸時代初期の人物で、立花宗茂も有力だと思います。ただ、宗茂は関ヶ原合戦以降の人生が長いので、そこが難点かもしれません。もっとも、それは伊達政宗も同様だったわけですし、大坂の陣と島原の乱もあるので、後半も見せ場は作れそうです。

 戦国時代と幕末以外では、かつては大河ドラマの定番だったものの、20年以上取り上げられていない忠臣蔵が考えられます。ただ、近年では忠臣蔵の人気低下が指摘されていますから、いかに大河ドラマの主要な視聴者層である高齢者にはなじみ深い題材とはいっても、今さら取り上げられるのか、疑問も残ります。とはいえ、かつての定番でしたし、今でも映画で取り上げられることもあるので、豪華な配役で派手にやる可能性もあるかな、とは思います。その場合、2018~2021年の主人公が男性ですから、主人公は大石内蔵助ではなく、その妻の「りく」もしくは瑤泉院になるかもしれません。

 その他の時代では、かつては大河ドラマの定番だったものの、20年以上取り上げられていない忠臣蔵が考えられます。ただ、近年では忠臣蔵の人気低下が指摘されていますから、いかに大河ドラマの主要な視聴者層である高齢者にはなじみ深い題材とはいっても、今さら取り上げられるのか、疑問も残ります。とはいえ、かつての定番でしたし、今でも映画で取り上げられることもあるので、豪華な配役で派手にやる可能性もあるかな、とは思います。その場合、2018~2021年の主人公が男性ですから、主人公は大石内蔵助ではなく、その妻の「りく」もしくは瑤泉院になるかもしれません。

 江戸時代であれば、田沼時代から化政文化まで描けるということで、松平定信ならあり得るかな、と思います。定信ならば、田沼意次との因縁も描けますし、町人文化の視点を打ち出して東洲斎写楽など著名な文化人も登場させれば、なかなか華やかになるのではないか、と思います。この時期を取り上げた時代劇は珍しくないので、衣装・小道具・セットの使いまわしや考証の点で、他の大河ドラマの空白期間よりも有利だと思います。これまでの大河ドラマの主人公はほとんどが武士かその妻だったので、新たな視点ということで、蔦屋重三郎を主人公としても面白いかもしれません。

 以上、まとめると、再来年(2022年)の大河ドラマの主人公(題材)の予想は以下のようになります。
◎最有力・・・鍋島直茂の妻(陽泰院)
○有力・・・・・立花宗茂
▲穴狙い・・・大石内蔵助の妻もしくは瑤泉院(忠臣蔵)、松平定信もしくは蔦屋重三郎

古人類学の記事のまとめ(39)2019年9月~2019年12月

 2019年9月~2019年12月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2019年9月~2019年12月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

Craig Stanford『新しいチンパンジー学 わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?』
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_48.html

鮮新世の温暖化
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_21.html

ヒトと大型類人猿の脳発生の違い
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_36.html

ヒト科の進化的放散と系統
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_54.html

ヨーロッパの中期中新世類人猿の二足歩行
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_40.html

母系制で平和的なボノボ社会
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_3.html

全現生種は同じ時間を進化してきた
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_16.html

アナメンシスとアファレンシスの年代の統計的推定
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_15.html

ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_19.html

閉経後のシャチの祖母は孫の生存率を高める
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_25.html

ボノボの詳細な形態とヒトとの共通性
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_56.html


●フロレシエンシス・ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類以外のホモ属関連の記事

アフリカ外最古となる人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_39.html

ヨーロッパ北西部最古のアシューリアン
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_55.html

アシューリアン期レヴァントにおける用途に適した石器の製作
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_57.html

ドマニシの前期更新世のサイの歯のタンパク質解析
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_11.html

顔面形態から推測されるハイデルベルク人の位置づけ
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_19.html

ホモ属の出現過程
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_17.html

ジャワ島の末期エレクトスの年代の見直し(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_35.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列を可能とする手法
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_29.html

ネアンデルタール人の足跡
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_44.html

イラン高原西部のネアンデルタール人の歯
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_64.html

20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_39.html

ネアンデルタール人が制作したによる猛禽類の爪の装飾品
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_10.html

1990年代のネアンデルタール人への低評価
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_55.html


●デニソワ人関連の記事

ネアンデルタール人よりも現生人類の方と類似しているデニソワ人の指
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_21.html

DNAメチル化地図から推測されるデニソワ人の形態(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_50.html

デニソワ洞窟の堆積物の微視的分析
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_61.html

現代アジア東部集団とデニソワ人の交雑の根拠とされた臼歯に関する議論
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_43.html


●フロレシエンシス関連の記事

フロレシエンシスの足
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_41.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

古澤拓郎『ホモ・サピエンスの15万年 連続体の人類生態史』
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_20.html

Y染色体ハプログループDの改訂
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_24.html

頭蓋の比較によるアフリカの中期更新世後期人類の多様性と現生人類の起源
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_30.html

レヴァントオーリナシアンの担い手
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_32.html

一般的だった後期ホモ属の各系統間の遺伝子流動
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_35.html

イベリア半島西部への現生人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_37.html

数千人のゲノム規模データから推定される人類進化史
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_41.html

現生人類の起源に関するモデル
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_56.html

ニア洞窟群の10万年以上前の人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_4.html

メラネシア人における古代型人類からの遺伝子移入
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_41.html

イベリア半島北部における上部旧石器時代の幼児の下顎
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_42.html

10万年以上前までさかのぼるかもしれないアジア南部への現生人類の拡散
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_43.html

現代人アフリカ南部起源説
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_35.html

森恒二『創世のタイガ』第6巻(講談社)
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_41.html

山本秀樹「現生人類単一起源説と言語の系統について」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_46.html

サハラ砂漠以南のアフリカにおける現生人類と未知の人類との交雑
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_14.html

4万年以上前までさかのぼるヨーロッパの投射技術
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_23.html

44000年以上前のスラウェシ島の形象的な洞窟壁画(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_27.html

Y染色体から推測される更新世におけるユーラシア東方から西方への大規模な移動
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_30.html

人類進化に関する誤解補足
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_53.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

最古の大麻喫煙
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_40.html

オホーツク文化人のハプログループY遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_5.html

日本人の身長関連遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_16.html

ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_18.html

中国のフェイ人(回族)の遺伝的起源
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_27.html

ヤグノブ人の遺伝的歴史
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_28.html

縄文人と弥生人の顔と性格の違いまとめ
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_44.html

天皇はなぜ「王(キング)」ではなく「皇帝(エンペラー)」なのか
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_46.html

皇位継承の根拠をY染色体とする言説について、竹内久美子氏より有本香氏の見解の方がずっとまとも
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_8.html

北條芳隆編『考古学講義』第2刷
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html

大西秀之「アイヌ民族・文化形成における異系統集団の混淆―二重波モデルを理解するための民族史事例の検討」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html

考古資料から人類集団の遺伝的継続・変容の程度を判断することは難しい
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html

松本克己「日本語の系統とその遺伝子的背景」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_44.html

梅津和夫『DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで』
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_53.html

アジア東部集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_2.html

アジア人のゲノム
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_9.html

皇位男系継承を「日本の存亡に関わる問題」とする竹内久美子氏の認識はある意味で正しい
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_12.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

末期更新世における大型動物の絶滅の影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_54.html

アメリカ合衆国における先住民の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_63.html

以前の見解よりも早期に起きていたマヤ社会における暴力的な争い
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_30.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_5.html

アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html

近東の家畜ウシの起源と遺伝的変容
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_25.html

イタリア半島の人口史
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_38.html

先史時代の育児
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_23.html

スカンジナビア半島の戦斧文化集団の遺伝的起源
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_25.html

ドイツ南部の青銅器時代の社会構造
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_29.html

チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_55.html

何故欧州の科学者はネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNAを公表しないのだろう?
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_15.html

長期にわたるローマ住民の遺伝的構成の変遷(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_21.html

中世カトリック教会による西洋工業化社会への心理的影響
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_23.html

社会的な父親と生物学的な父親の不一致率と人口密度および階級との相関
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_34.html

スコットランド人の遺伝的構造
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

イギリスにおける移住と遺伝子の差との関連
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_22.html

古代人が噛んだカバノキの樹脂に含まれる遺伝的情報
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_33.html


●進化心理学に関する記事

退役軍人の心的外傷後ストレス障害の遺伝的解明
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_6.html

試験でのパフォーマンス持続性の性差
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_11.html

人間の歌の普遍的パターン
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_42.html

『性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_4.html

感情を表す言葉における普遍性と多様性
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_39.html


●その他の記事

近親交配と健康への影響
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_12.html

鳴禽類の聴覚技能の学習
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_28.html

過去136万年間の地中海の冬季降水量
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_31.html

アフリカ東部の5000年前頃の巨大な墓地
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_52.html

久住眞理、久住武『ヒューマン 私たち人類の壮大な物語─生命誕生から人間の未来までを見すえる総合科学』
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_13.html

バンツー語族集団の拡大と適応
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_17.html

口蓋の差と母音の進化
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_31.html

南極の氷から推測される気候周期
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_4.html

注目が高まるY染色体
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_13.html

更科功『残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか』
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_30.html

家畜ウマの父系起源
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_38.html

脊椎動物の遺伝的な寿命予測
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_32.html

2010年代の古人類学
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_44.html

種系統樹と個々の遺伝子の近縁性が一致するとは限らない
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_46.html

20世紀を駆け抜けたフェミニスト田中寿美子さん
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_52.html

2019年の古人類学界
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過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
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古人類学の記事のまとめ(38)
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_1.html

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。ついに2020年を迎えました。毎年元旦には同じような記事を掲載しており、たまには変わったことを述べようと思うのですが、これといって思い浮かびません。今年も色々と不愉快なことが起きそうですが、人生には楽しみも多いのだ、と開き直ってしぶとく生きていき、古人類学を中心としてさまざまな分野で勉強と情報収集を地道に続けていくつもりです。昨年は、一昨年並には古人類学関連の文献を読めたと思います。ブログの記事更新数は、1年単位では過去最多となりました。これまでは、2018年の597本が最高でしたが、2019年は679本とこれまでの記録を大きく更新しました。それでも、古代DNA研究はとくにそうですが、最新の研究動向にはほとんど追いつけていないので、追いつくのは無理としても、関連文献を少しでも多く読んでいこう、と考えています。

 ただ、昨年は1年単位での記事更新数が過去最多だったとはいっても、Y染色体や縄文時代や皇位継承などで似たような記事を複数書いてしまった、と反省もしています。じっさい、過去の記事の流用と継ぎ接ぎで終わったような記事も複数掲載してしまいました。また、あまり拡散・定着しそうにない馬鹿げたものを揶揄するように取り上げたことも複数回あったので、そうした無駄なことは極力やらず、備忘録らしく論文や本をできるだけ多く取り上げていこう、と考えています。また、古人類学関連の記事はかなりの本数になったので、色々と主題を設定し、まとめる作業も進めていくつもりです。

 大きな買い物は昨年と一昨年でほぼ終わったと考えていますので、当分は節約を心がけていこう、と考えています。まあ、節約は個人や家族のような小単位では多くの場合で合理的な選択ですが、多くの人が節約に努めれば、社会は貧困化してけっきょく多くの人が苦しむことになります(合成の誤謬)。ほとんどの社会問題は結局のところ、トレードオフ(交換)と合成の誤謬に行きつくので、多くの社会問題は解決困難なのだろう、と私は考えています。もちろん私程度の知見では有効な具体策は思いつかないのですが、私は、こうした矛盾を抱えて解決策を講じていくのも人間の宿命だろう、と開き直り、しぶとく生き続けていきたいものです。

年末の挨拶

 いよいよ2019年も終わりが近づいてきました。ブログを始めてから13年半以上経過し、ほぼ毎日更新してきたものの、相変わらずの過疎ブログです。やはり、知名度が皆無に近い匿名人物のブログがある程度以上の人気を得るには、更新頻度もさることながら、有益な情報を提供するか、面白い記事を執筆しなければならないのでしょう。もちろん、多くの人が関心を持つような話題を取り上げることも重要になります。このブログでも多くの人が関心を持つような話題を取り上げることはありますが、有益な情報を提供できているわけでも、面白い記事を執筆できているわけでもないので、現状ではほぼ自分にとっての備忘録としてしか機能していない、と残念ながら認めざるを得ません。

 とまあ、昨年の大晦日の記事を流用して一部だけ修正したわけですが、どうも現在の能力・見識・気力では、今年を振り返って何か的確で有益なことを言えそうにありません。今年も、日本社会に関しては明るい話題より暗い話題の方がずっと多かったように思いますし、来年はもっと状況が悪化しそうですが、何とかしぶとく生き続けていきたいものです。来年も古人類学関連の情報を中心として、地道にブログの更新を続けていくつもりです。一年間この過疎ブログをお読みくださった方、さらには有益な情報を寄せてくださった方には感謝申し上げます。皆様よいお年を。

2019年の古人類学界

 あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2019年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。

(1)今年も大きく進展した古代DNA研究。

(2)タンパク質解析の人類進化研究への応用。

(3)人類の出アフリカの時期と経路をめぐる新たな証拠。


(1)近年ずっと繰り返していますが、今年も古代DNA研究の進展には目覚ましいものがありました。当ブログでもそれなりの数の古代DNA研究を取り上げましたが、知っていてもまだ取り上げていない研究も少なくありませんし、何よりも、まだ知らない研究もおおいのではないか、と思います。正直なところ、最新の研究動向にまったく追いついていけていないのですが、今後も少しでも多く取り上げていこう、と考えています。とりあえず、以下に当ブログで今年取り上げた研究を、数行程度で簡単に紹介していきます。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった「古代型ホモ属」と現生人類(Homo sapiens)との交雑については関心が高く、今年も重要な研究が相次いで公表されました。それらの研究で提示された見解には食い違いも見られますが、全体的に、交雑も含めて後期ホモ属の各系統間の相互作用はたいへん複雑だった、と示す傾向が強いように思います。20年前と言わず10年前と比較しても、人類進化、とくに後期ホモ属に関しては、かなり複雑な想定が必要とされているように思います。

 具体的には、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合系統とユーラシア東部およびオセアニアの現代人の祖先集団との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_35.html
現生人類と複数系統のデニソワ人とが複雑に交雑し、デニソワ人系統が3万年前頃までニューギニア島(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸と陸続きでサフルランドを形成)に存在した可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_19.html
デニソワ人やネアンデルタール人と近縁な絶滅ホモ属と現生人類との複雑な交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_40.html
ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_19.html
アフリカにおける現代人系統と未知の人類系統との交雑の可能性を指摘した研究などがあります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_34.html

 古代型ホモ属の新たなDNA解析結果も報告されており、ドイツとベルギーの12万年前頃のネアンデルタール人個体のDNA解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_56.html
ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_39.html
DNAメチル化地図からデニソワ人の形態を推測した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_50.html
DNAを直接解析したわけではありませんが、臼歯の歯根数からアジア東部における現生人類とデニソワ人の交雑の可能性を指摘した研究も注目されますが、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_19.html
これに対しては異論も提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_43.html

 古代型ホモ属絶滅後の現生人類の古代DNA研究も大きく進展しており、やはりヨーロッパを中心としてユーラシア西部を対象としたものが多く、当ブログでもそれなりの数を取り上げました。私がとくに注目した研究としては、アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html
アメリカ大陸北極域とシベリアにおける人類集団の変遷に関する研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_17.html

 また、古代DNA研究の威力を改めて示した研究として、十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_33.html
ペリシテ人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
これらは、前後の期間では検出されない、ある時期の微妙な遺伝的構成の変化を検出しています。十字軍兵士のDNA解析の事例は史料の裏づけにもなっており、歴史学においても古代DNA研究がますます活用されていくだろう、と予想しています。ユーラシア西部やアメリカ大陸と比較して遅れているユーラシア東部の古代DNA研究も進んでおり、北海道の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
愛知県の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html

 ただ、こうした古代DNA研究の問題点も指摘されています。古代DNA研究における植民地主義的性格を指摘した記事や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_43.html
古代DNA研究が「極右」に利用される可能性を指摘した論文があります。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html
また、古代DNA研究というよりは広く遺伝学、さらには「科学的研究」の中に、人種差別的性格があることを指摘した記事もあります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_55.html
これらの指摘の中には、同意できない見解も少なくないのですが、古代DNA研究が大きな問題を抱えていることも否定できないでしょう。


(2)このように古代DNA研究の近年の進展は目覚ましいのですが、年代に関しては限界があります。現時点でDNA解析に成功した個体は、人類では43万年前頃、それ以外の動物では78万~56万年前頃が最古の事例となります。そこで、古代DNA解析の限界年代を超えた古い年代の人類遺骸の遺伝的情報を得る手段として、タンパク質解析が注目されています。近年の古代タンパク質解析研究の進展に関する総説では、300万年以上前の動物遺骸のタンパク質解析も可能と指摘されています。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_58.html
人類ではありませんが、ジョージア(グルジア)の177万年前頃のサイ科動物のタンパク質解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_11.html
190万年前頃のギガントピテクスのタンパク質解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_19.html

 何よりも、チベット高原東部のホモ属下顎骨が、タンパク質解析により、それまではシベリア南部のアルタイ山脈の渓谷に位置するデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていなかったデニソワ人と確認されたことは、大きな成果だったと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_4.html
今後、古代DNA研究の困難な年代・地域の人類遺骸の遺伝的情報が得られていくだろう、と大いに期待されます。


(3)人類の出アフリカについては、現生人類とともに、それよりもはるかに古い最初のものも注目されます。最初の出アフリカは「異論の余地のない(アウストラロピテクス属的特徴をほとんど示さない)」ホモ属によるものだった、との見解が長きにわたって有力でした。しかし、近年ではジョージアでアウストラロピテクス属的な特徴も有する180万年前頃のホモ属遺骸も発見されており、見直されつつあります。レヴァントでは248万年前頃の石器が発見されており、人類の出アフリカが以前の有力説よりもはるかに古かったことを示唆していますが、人類遺骸はまだ発見されていないので、どの人類系統が最初にアフリカからユーラシアへと拡散したのか、不明です。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_39.html

 遺伝学的な証拠からは、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは6万~5万年前頃と推定されています。それ以前の現生人類の出アフリカは十数万年前頃で、レヴァントまで拡散したものの、絶滅したかアフリカに撤退した、と考えられてきました。しかし近年、現生人類の出アフリカの時期と範囲を見直すことになるかもしれないような証拠が提示されています。ギリシア南部では、21万年以上前と推定されている現生人類的な頭蓋が発見されています。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_25.html

 アジア南部でも10万年以上前までさかのぼる現生人類の痕跡の可能性が指摘されていますが、人類遺骸は発見されていないので、どの人類系統が担い手なのか、まだ断定できる段階ではありません。
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_43.html

 高地や砂漠などは人類にとって極限環境とされており、現生人類でも進出は遅れたと考えられていますが、現生人類の高地への拡散の最初期の事例として、47000~31000年前頃となるエチオピアの事例が報告されています。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_19.html


 上記の3区分に当てはまりませんが、その他には、ルソン島の後期更新世の新種ホモ属を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_17.html
中国南部の末期更新世の祖先的特徴を有する人類に関する研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_46.html
初期アウストラロピテクス属の進化を見直した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_57.html
最古のオルドワン(Oldowan)石器を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_10.html
研究がたいへん注目されます。


 この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。


2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_27.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_28.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_29.html

2007年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200712/article_28.html

2008年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200812/article_25.html

2009年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200912/article_25.html

2010年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201012/article_26.html

2011年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201112/article_24.html

2012年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201212/article_26.html

2013年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201312/article_33.html

2014年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201412/article_32.html

2015年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_31.html

2016年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201612/article_29.html

2017年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201712/article_29.html

2018年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_42.html

ボノボの詳細な形態とヒトとの共通性

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ボノボ(Pan paniscus)の詳細な形態に関する研究(Diogo., 2018)が報道されました。これまで、ヒト(Homo sapiens)は他の動物よりもはるかに特殊で複雑と考えられる傾向にありました。こうした見解は、特定の筋肉がヒトだけで進化し、その独特な身体的特徴をもたらした、と示唆します。しかし、こうした見解の検証は、これまでおもに単一標本の頭部または四肢のわずかな筋肉にのみ集中していた霊長類の柔組織の記述が少ないため、困難なままでした。野生と博物館の双方で、霊長類、とくに類人猿の解剖標本は希少です。

 本論文は、類人猿の形態に関する以前の全情報をまとめるとともに、自然界で死亡した何頭かのボノボの形態を分析し、ヒトの7種の異なる筋肉が存在するかどうか調べ、これらの7種の筋肉が類人猿に類似した形態で存在している、と明らかにしました。たとえば、ヒト二足歩行と一意的に関連しているといわれる腓骨筋は、検査したボノボの半分に存在していました。同様に、少なくともチンパンジー(Pan troglodytes)および/またはゴリラには、独自の洗練されたボーカルの進化と関連すると考えられていた斜披裂筋と、顔面コミュニケーションの進化と関連すると考えられていた顔面筋の笑筋が存在する、と明らかになりました。

 これらの知見からは、ヒトの軟組織の起源と進化が明らかに複雑で、かつ例外的ではない、と考えられます。これらの筋肉が類人猿に存在し、場合によっては特定の種の個体群の一部にしか存在しない理由について、何らかの選択圧があるのか、あるいは単に他の機能の副生成物に関連する進化的中立的な特徴なのか、より詳細に調べる必要がある、と本論文の著者であるディオゴ(Rui Diogo)氏は指摘します。ヒトは他の類人猿と明確に区別できるわけではなく、全体的にはあまり変わらないので、ヒトの体と進化史をよりよく理解するためには、霊長類の形態の徹底的な知識が必要になる、とディオゴ氏は指摘します。

 本論文の知見は、ヒトの特定の筋肉が、二足歩行や道具使用や声によるコミュニケーションや表情など、ヒトの特質に対する特別な適応の選択圧の結果として進化したという、ヒト中心の見解に疑問を呈しています。ヒトも類人猿の一種であり、ボノボやチンパンジーなど他の類人猿と共通する形態と進化史を有しています。これまで、ヒトの形態について、二足歩行や道具使用といったヒトの顕著な特徴と関連づけてその特有性が過大評価される傾向にあったのかもしれませんが、今後は、本論文のような霊長類の詳細な形態学的研究により、どこが共通でどこがヒト特有なのか、より正確に把握されるようになっていく、と期待されます。


参考文献:
Diogo M. et al.(2019): First Detailed Anatomical Study of Bonobos Reveals Intra-Specific Variations and Exposes Just-So Stories of Human Evolution, Bipedalism, and Tool Use. Frontiers in Ecology and Evolution, 6:53.
https://doi.org/10.3389/fevo.2018.00053

1990年代のネアンデルタール人への低評価

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)への評価は19世紀における発見以降、大きく変容してきました(関連記事)。ネアンデルタール人への評価がとくに厳しかったのは、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、現代人とは異なる分類群であることが明らかになった1997年から、ネアンデルタール人と現生人類との交雑が有力説になった2010年5月までだと思います。ただ、この間のネアンデルタール人への評価の低さは、それ以前の議論を踏まえたものだったというか、その「発展型」だったように思います。

 1980年代後半~1990年代前半にかけて、現生人類(Homo sapiens)の起源をめぐり、アフリカ単一起源説と多地域進化説との間で激論が展開されました。その中で、アフリカ単一起源説側において、ネアンデルタール人への評価をひじょうに低く推定する見解が目立つようになってきたのは、多地域進化説を強く意識したからではないか、と思います。多地域進化説を否定するために、現生人類とネアンデルタール人との違い、さらに言えば後者にたいする前者の優位を強調しようとしたのではないか、というわけです。その代表的な一般向け書籍(Stringer, and Clive., 1997)の訳者あとがきにて、河合信和氏は以下のように指摘しています(P367)。

総合的に見て、本書で一貫している論調は、ネアンデルタール人の「半人前」ぶりである。こんな程度で氷河期のヨーロッパをネアンデルタール人はよく生き延びられたものだ、といささか首を傾げたくなる。寒冷適応していたとはいえ、もう少し彼らに高い文化度を認めてやらないと、二万七千年前(サファラヤの最後のネアンデルタール人)までは生きられなかったのではなかろうか。新人に比べて、ネアンデルタール人に対する著者の態度はかなり厳しいと思う。

 今となっては、河合氏の指摘は的確なものだったと思います。現生人類の起源に関して、近年の傾向は多地域進化説の「復権」とも解釈とも解釈できるかもしれませんが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だったとまではとても言えず、アフリカ単一起源説が基本的には正しかった、と評価すべきでしょう(関連記事)。上記の河合氏の指摘はおもに考古学での評価についてですが、近年では、ネアンデルタール人と現生人類との技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、とも指摘されています(関連記事)。私は、認知能力においてネアンデルタール人と現生人類との間で潜在的な違いがあっても不思議ではないというか、その可能性が高いものの、ネアンデルタール人も現生人類に可能な行動の多くが可能だろう、と考えています。

 なお、ネアンデルタール人への評価の変遷に関して、「白人」のご都合主義によりネアンデルタール人の評価が好転した、という言説を取り上げたことがあります(関連記事)。これは、白饅頭(御田寺圭)氏という影響力の強いTwitterアカウント(あくまでも私の基準では)が、

「ネアンデルタール人がヨーロッパ人と混血していた」という事実が明らかになった途端、ネアンデルタール人想像図がイケメン化した現象、僕は忘れません。

と言及したこともあり、ネットではそれなりに浸透しているように思います。しかし、改めて確認してみると、その呟きは削除されていました。削除理由が批判されたからなのか否かまでは、確認できませんでしたが。御田寺圭氏は最近では大手サイトにも寄稿しており、ネットでは「論客」の一人として認知されるようになりつつあるのかもしれませんが、その「リベラル」を腐すような言説には、とても「リベラル」にはなれないと自覚している私のような不勉強で「魂の悪い」人間(関連記事)が安易に飛びついてはならない、と自戒すべきなのでしょう。


参考文献:
Stringer CB, and Clive G.著(1997)、河合信和訳『ネアンデルタール人とは誰か』(朝日新聞社、原書の刊行は1993年)

第65回東京大賞典結果

 近年では競馬への情熱をかなり失ってしまい、競馬関連の記事を掲載することが少なくなりましたが、有馬記念と東京大賞典だけは当ブログを始めてから毎年必ず取り上げてきたので、今年も記事を掲載することにしました。今年の東京大賞典には、無敗でチャンピオンズカップを勝った3歳のクリソベリルは出走してきませんでしたが、昨年(2018年)の1~3着馬のオメガパフューム・ゴールドドリーム・ケイティブレイブが出走してきて、GIとしてまずまずの出走馬構成になったと思います。

 レースは、アポロテネシーが逃げ、3番人気のケイティブレイブが差のない2番手という展開で続き、直線ではゴールドドリームが先頭に立ったものの、オメガパフュームが追い込んできて、内から差してきたノンコノユメと一騎討ちになり、ノンコノユメを突き放して1馬身差で連覇を達成しました。オメガパフュームは本当に大井の2000mでは強く、来年はJBCが大井開催となるので、帝王賞・東京大賞典と合わせて大レース3勝も狙えそうです。もちろん、大井開催以外の大レースでも有力ですが。デムーロ騎手は今年後半不調で色々と言われただけに、本当に安心するとともに、嬉しかったでしょう。ノンコノユメはもう大レースでは厳しいかな、と思っていましたが、まだ通用するようで、騙馬なのでまだ長く活躍し続けそうです。

人類進化に関する誤解補足

 昨年(2018年)9月に人類進化についてのよく見かける誤解をまとめましたが(関連記事)、その後、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)に関する誤解(関連記事)と、Y染色体ハプログループ(YHg)に関する誤解(関連記事)を取り上げました。ただ、mtHgとYHgに関する誤解は、さほど浸透していないというか、おそらく声の大きなごく一部の人々が騒いでいるだけのように思います。ネットでは、そうした声の大きな人々の発言が目立ちやすいので、その影響力を過大評価するなど、引きずられようにしないといけない、と自戒しています。

 その他に、7年前に現生人類(Homo sapiens)の起源に関する誤解を取り上げました(関連記事)。おそらく日本では今でも一般的にはあまり知られていないでしょうが、現生人類(Homo sapiens)の起源との関連でマスコミに大きく取り上げられた1980年代後半の現代人のmtDNAに関する研究(Cann et al.,1987)が、その後、試料選択とソフトの使用法の問題を指摘され、1992年までに基本的には否定されたことです(Shreeve.,1996,P98,312-314)。ただ、現代人の最終共通母系祖先が20万年前頃のアフリカにいただろうという当初の結論自体は、その後の研究でも基本的には揺らぎませんでした。

 また、Cann et al.,1987以前には、現生人類アフリカ単一起源説は提唱されていなかった、もしくはほとんど注目されていなかった、というような誤解もありますが(関連記事)、それ以前に形態学的研究からアフリカ単一起源説は提唱されていました(関連記事)。そもそも、現生人類多地域進化説自体も、類似した見解は1970年代以前より存在したとしても、現在認識されているような多地域進化説の成立は1980年代になってからと言うべきで(関連記事)、現生人類アフリカ単一起源説との比較でより歴史が長いとは言えないように思います。また、多地域進化説が成立当初より大きく変容したことも、あまり知られていないように思います(関連記事)。この点を無視して、近年の多地域進化説の「復権」傾向(関連記事)を受け入れてはならないでしょう。なお、多地域進化説の成立過程は、人種問題との関連でも注目されます(関連記事)。


参考文献:
Cann RL. et al.(1987): Mitochondrial DNA and human evolution. Nature, 325, 6099, 31-36.
https://doi.org/10.1038/325031a0

Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)

20世紀を駆け抜けたフェミニスト田中寿美子さん

 検索していて見つけた、表題の記事が興味深かったので、以下に備忘録として引用します(段落ごとに1行空けました)。


 田中さんの前半生、特に1945年の敗戦までは、夫稔男に導かれて社会主義活動家としての人生だった。戦前から戦後にかけて、女性史・女性論に取り組んだ女性たちのほとんどが、社会主義婦人論をベースに、物事を考え、運動にコミットしてきた。田中さんも、その一人であり、原始共産制から古代奴隷制、封建社会、そして資本主義社会へと、生産力の発展を原動力として人類史は推移し、その過程で、階級社会と女性差別が同時に発生したとする史的唯物論に基づく歴史観を前提として、階級社会を廃絶し、社会主義ないし共産主義社会の実現と共に男女差別も解消すると考えてきた。

 田中さんは、この社会主義婦人論を基に、フェミニズムの思想と運動にコミットしてきた。ところが、戦後、ボーヴォワールの『第二の性』などを読んだり、生物人類学者アシュレー・モンタギューの『女性、このすぐれたるもの』を翻訳したりする中で、社会主義婦人論の公式に疑問を持ち始めたようだ。1954年にアメリカのブリンマー大学に留学し、本格的に文化人類学を学んだことで、いよいよその思いが強くなったようだ。

 当時、社会主義婦人論の聖典とされた、エンゲルスの『家族・私有財産及び国家の起源』(1884)が定式化した乱婚→プナルア婚→対偶婚→単婚(一夫一婦婚)という家族進化論は、スイスの文化人類学者J.J.バッハホーヘンの「母権制」論や、アメリカの人類学者ルイス・H.・モルガンの著書『人類の血族と婚姻の諸体系』(1970)や『古代社会』(1877)に依拠していた。

 バッハホーヘンの「母権制」論は、家父長制社会成立による「女性の世界史的敗北」以前の古代社会で、女性が母性を持つ存在として、宗教的祭祀のみならず世俗的にも支配的な力を発揮したという論で、後に実証的にはその存在を否定されたものの、フェミニズムやユング派の精神分析等に大きな影響を与えた仮説である。モルガンは、インディアン社会(特にイロクオイ族)の研究を基に、人間社会の発展を、野蛮→未開→文明の3段階で説明する進化論的人類学を展開し、「アメリカ合衆国の人類学の父」とも呼ばれる人である。もっとも、このモルガンの議論は、ヨーロッパ白人文化の優位性を立証するものとして、後のアメリカ政府によるインディアン同化政策にも影響を与え、「科学的人種差別主義」とも呼ばれている。

 マルクスやエンゲルスが、史的唯物論を定式化した19世紀は、進化論が風靡していた時代であり、彼らは人類の歴史は進化してきたし、今後も進化し続けると考える中で、資本主義社会ないし階級社会を、人類史のある発展段階の一つにすぎず、やがて資本主義が崩壊し、階級のない社会、差別のない社会が到来するとの未来像を描くことができたともいえる。

 しかし、20世紀に入ると、世界各地でのフィールドワークが盛んに蓄積される中で、マリノフスキーやラドクリフ=ブラウンの機能主義人類学やレヴィ=ストロースの構造主義人類学が台頭し、「未開社会」にも、それぞれ一定の規範や諸制度が機能する文化や構造があるのであり、西洋社会の方が優れているとか、進んでいるとは一概に言えないとして、従来の西洋中心主義を批判する声が高まっていくことになる。後に女性学の「ジェンダー」概念生成に大きな影響を与えたマーガレット・ミードの『3つの原始社会における性と気質』(1935)、『男性と女性』(1949)なども、こうした人類学研究の地図の塗り替え作業の一環として位置づけることができよう。以上、素人の特権で、人類学の歴史を大雑把に単純化してまとめてみた。

 田中さんが留学した1954年は、ミードがコロンビア大学で教鞭をとり始めたことに象徴されるように、当時のアメリカは、進化主義ではない新しい人類学が幅を利かせていた時期であった。田中さんがイロクオイ族に関心を持ったきっかけは、たぶんモルガン→エンゲルスの言及の故ではないかと推測するが、しかし、これら先住民の文献を実際に読むに当たっては、動機はともかくとして、従来の進化主義的、発展段階論的人類学ではなく、機能主義的人類学の視点で読み解いた可能性が強い。田中さんはイロクオイ族の研究を論文にまとめ、帰国に際して送ったはずが、なにかのまちがいで、結局日本に届かなかったと、後に口惜しがっていた。だから、内容についてはついにわからずじまいだが。

 少なくとも、田中さんが母権制の存在を疑い、エンゲルス流の婚姻や家族の発展段階論の公式に疑問を抱いたことは疑いない。帰国後、加藤秀俊と共訳で、マーガレット・ミードの『男性と女性』を出版(1961)し田田中さんは、文化人類学を通じて、フェミニズム思想の新たな根拠づけを模索しようと考えたようだ。

 田中さんは、たまたま、中部スマトラのミナンカバウ地方に、母系制氏族が残っていることを知り、1956年暮れに、戦後まだ国交が樹立していなかったインドネシアのスマトラ島に、日本人として初めて入る機会を得て、現地で聞き取り調査を実施し、その報告を『婦人問題懇話会会報』(17号、1972)や、著書『パラシュートと母系制』(1986)に発表している。

 田中さんは、女性が男性を支配したとされる母権制の存在は否定しつつ、しかし、母系相続と母方居住制から成る母系社会では、女性が財産権とある程度の自由裁量権をもち、家父長制社会の女性たちに比べ、尊重され、自信を持って生活している事実を掘り起そうと考え、議員を辞めたら、本格的に母系社会の研究をしたいと常々話しておられた。実際には、療養生活のため、新たな研究をすることはできなかったが、ミナンカバウで出会ったジュスマ・マンシュルさんの伝記をどうしてもまとめたいということで、文化人類学者でミナンカバウに詳しい前田俊子さんの協力を得て、人生最後の著作『ジュスマ・マンシュルさん物語』を1991年に上梓した。ジュスマさんは、戦争中に、勤めていた百貨店からスマトラに派遣された日本人女性で、ミナンカバウの男性と結婚し、敗戦後もそのまま現地に留まった人である。


中略

 田中さんは自分とほぼ同世代(4歳年下)の社会主義活動家であり、かつ在野の人類学者でもあるリードさんに、親近感を持ったようで、ランチの間中、熱心に質問し、議論をしていた。残念ながら英語が苦手な私は、会話の内容についていけず、帰国して1年後に出版された邦訳本や、田中さんが月刊『ペン』(1974年10月号)に書かれた文章「ニュー・フェミニスト運動の展開―家族・性の抑圧からの解放」から、リードさんの思想の概要を知ったという体たらくであった。

 だが、今読み返してみると、田中さんがリードさんに傾倒した理由が、わかるような気がする。社会主義の公式論に疑問を抱いていた田中さんは、この頃、すでにアメリカのベティ・フリーダンやケイト・ミレット、イギリスのジュリエット・ミッチェルなどの著作を読んだり、婦人問題懇話会などを通じて、日本のウーマン・リブにも関心を示していた。しかし、家族からの解放や性の解放に問題を焦点化するラジカル・フェミニストたちに対しては、「女性の経済的独立、育児の共同化、家事の社会化」等がなければ「完全な性の自由を得る」ことはできないのであり、「現在、性の自由を主張し実行できる人たちは、底辺の婦人労働婦人たちではなくて、エリートの人々あるいは中流以上の経済力のある人たちなのである」と違和感を示し、資本主義体制の変革抜きに女性の解放はありえないとの立場を表明する。

 そして、アメリカで「社会主義政党」を名乗ってリブ運動に参加しているのは「リードさんたちのSWP(社会主義労働者党)のグループが一番目立ったものである」として、リードさんの議論に注目するわけである。田中さんに言わせれば、リードさんは、「資本主義は女性抑圧の物質的基礎」とする一方で、「フェミニスト運動は社会主義革命の欠くべからざる部分」と位置づける、アメリカの数少ない社会主義フェミニストであった。

 リードさんが、モルガン―エンゲルスの母権制論をそのまま支持していることについては、田中さんは、当時の文化人類学の成果を受け入れて、母権制と母系制を区別しなければいけないとしつつ、「母権制があったからなかったからということで、女性の権利や解放は否定されるべきではない」と主張。中絶の合法化や、無料の24時間託児所、家事の社会化等、「資本主義下の改良闘争の重要性」を説くリードさんたちの運動に共感を示したのであった。

 1970年前後から、マルクス主義をベースにしつつ、新たなフェミニズム理論を模索する動きが欧米各地で開始されるが、リードさんもそうしたマルクス主義フェミニストの先駆者の一人であったといえる。田中さんは、この後、議会活動等、現実の政治活動に忙しく、フェミニズム思想の新たな展開にどこまで目配りできたかは不明である。けれども、1970年代初頭に、少なくとも、当時最先端のフェミニズム思想に積極的に接触し、社会主義婦人論の公式から自由に、自分なりのフェミニズムを模索していた事実は特筆に値する。



 社会主義者の田中氏が第二次世界大戦後、エンゲルス流の婚姻や家族の発展段階論の公式に疑問を抱いていった、と述べられていますが、教条主義的解釈に安住することをよしとしない、田中氏の意欲的な姿勢が窺えます。エンゲルスはバッハホーヘンやモルガンの研究に依拠しましたが、モルガンの議論に「科学的人種差別主義」につながる側面があった、との指摘は重要だと思います。ただ、第二次世界大戦後に田中氏が新たな人類学として学んだマーガレット・ミードにしても、その後に批判されています。ラジカル・フェミニストに対する田中氏の批判は、現在でも通用するというか、現在の日本のフェミニズム的言論への重要な示唆になっているように思います。まあ、この問題は優先順位がさほど高いわけではなく、私の理解が浅いことはとても否定できませんが、今後も少しずつ調べていきたいものです。

とくに面白かった本(4)

 以前、ネットで取り上げた本のなかで、とくに面白かったものについて、2010年4月までの分(関連記事)と、2010年5月~2013年12月までの分(関連記事)と、2014年1月~2018年4月までの分(関連記事)をまとめました。今回は、2018年5月~2019年12月までの分を以下にまとめます。次からは、1年ごとにまとめていく予定です。


木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_14.html

David Reich『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_44.html

清水克行『戦国大名と分国法』
https://sicambre.at.webry.info/201809/article_51.html

Eric H. Cline『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_24.html

Louise Humphrey、Chris Stringer『サピエンス物語』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_7.html

馬場公彦『世界史のなかの文化大革命』
https://sicambre.at.webry.info/201811/article_44.html

桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす 混血する古代、創発する中世』
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_2.html

山極寿一『家族進化論』第4刷
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_13.html

義江明子『つくられた卑弥呼 <女>の創出と国家』
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_18.html

山田康弘『縄文時代の歴史』
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_42.html

篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html

大木毅『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_6.html

佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_14.html

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_5.html

浅野裕一『儒教 怨念と復讐の宗教』
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_38.html


 これらのなかでもとくにお勧めなのは、『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』、『戦国大名と分国法』、『家族進化論』第4刷、『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』、『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』です。

渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』

 PHP新書の一冊として、2019年9月にPHP研究所より刊行されました。本書は、1600年9月15日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の関ヶ原合戦の戦闘にまつわる見解・俗説を検証しているというより、関ヶ原合戦を長期の政治過程の転機として把握したうえで、そこへと至る政治情勢に関する見解・俗説を取り上げています。こうした本書の構成の前提として、関ヶ原合戦自体は1600年9月15日の西軍の戦術で結果を逆転できるものではなく、その時点ですでに勝敗は決定的になっていた、との認識があります。本書のこの認識は基本的に妥当で、政治情勢に関する見解・俗説を検証対象としたのは妥当だと思います。

 本書から窺える重要な教訓は、結果からの推測に陥らないよう、慎重に考えねばならない、ということです。たとえば、徳川家康は豊臣秀吉没後すぐに、あるいは秀吉の死が間近に見えてきた時点から、独自の政権(幕府)を開き、やがては豊臣氏を滅ぼす計算で行動していた、といった認識です。これは、それなりに一般層に浸透しているように思います。しかし本書からは、家康が豊臣政権の枠内で権勢を拡大していき、それに対する反発・警戒・恐怖が反家康陣営を結成させて関ヶ原合戦に至った、と窺えます。家康の行動にしても、秀吉という求心力の強い最高権力者が没して政治情勢が不安定な中で、まず豊臣政権の枠内で徳川家の安泰を図った、という側面が多分にあるように思います。しかし、おそらくは家康が当初は意図しない形で関ヶ原合戦に至り、その結果として、家康の地位は飛躍的に向上し、ついには幕府を開くことになりました。おそらく本書が指摘するように、織田信長没後の秀吉の行動にも、そうした側面が多分にあったのでしょう。

 結果論に陥らないよう注意しなければならないという点で言えば、そもそも史料自体が結果論から作られている場合も少なくない、と本書からは窺えます。これは、おもに編纂史料など二次史料に当てはまりますが、そこに所収されている書状でも、結果論に基づく偽作の可能性が高いものもあるようです。本書は、関ヶ原合戦において石田三成と上杉家重臣の直江兼続が事前に共謀していたとする説の根拠となる書状(編纂史料に所収)は、関ヶ原合戦の結果として上杉家が所領を大幅に削減された責任を、すでに家が断絶していた直江兼続に押しつけるための創作だった可能性が高い、と指摘します。なお、有名な「直江状」については、古くから偽作説が主張されてきましたが、その後は肯定説も提示され、現在でも議論が続いているようです。本書は、後世の創作・捏造・改竄である可能性を提示していますが、真偽を確かめるには原本の出現を待つしかない、とも指摘しています。

気候変動による環境ストレスが女性に及ぼす悪影響

 気候変動による環境ストレスと女性への影響に関する研究(Rao et al., 2019)が公表されました。家庭・地域社会・国家レベルで強化された確固たる社会構造は、男女各個人の気候変動の経験と気候変動に対する反応を形成しています。この状況下でのジェンダー研究により、移動性および資源の利用機会と役割分担が、気候の変化および社会構造と生活感受性により制約を受けている地域で、持続可能で平等かつ効果的な適応が重要である、と明確になりました。

 この研究は、アフリカとアジアの農業生態学的に異なる3地域(半乾燥地域・山岳地帯・氷河から溶けた水が流れ込んでいる河川地帯と三角州)における合計数千世帯を対象とした25の事例研究において、女性の行為主体性(有意義な選択や戦略的決定を行う能力)が適応応答にどのように寄与したのか、評価しました。その結果、大多数の事例で、男性季節労働者と女性の劣悪な労働条件が、制度上の欠陥又は貧困と組み合わさって、環境ストレス条件下の女性の戦略的意思決定能力を制約している、と見いだされました。また、この研究は、女性の活動が世帯構造や社会規範によって支持されている場合であっても、環境ストレスが女性に悪影響を及ぼすことも明らかにしました。

 この研究は、さまざまな状況下で女性の行為主体性を低下させる共通の条件を特定することにより、気候変動への適応能力を強化するために取り組めると考えられる重大な障害物が、男性季節労働者と女性の労働条件と貧弱な物質的条件である、と示唆しています。こうしたストレス要因は、世帯の適応戦略における女性が担う責任と負担の増大につながるかもしれない、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候変動】気候変動のホットスポットで環境ストレスが女性に悪影響を及ぼしている

 アフリカやアジアの気候変動のホットスポットでは、環境ストレスが女性の行為主体性(有意義な選択や戦略的決定を行う能力)に悪影響を及ぼしていることを示唆する論文が掲載される。こうしたストレス要因は、世帯の適応戦略における女性が担う責任と負担の増大につながる可能性がある。

 家庭、地域社会、国家レベルで強化された確固たる社会構造は、男女1人1人の気候変動の経験と気候変動に対する反応を形作っている。この状況下でのジェンダー研究により、移動性、資源の利用機会と役割分担が気候の変化、社会構造と生活感受性によって制約を受けている地域で、持続可能で平等かつ効果的な適応が重要なことが明確になった。

 今回、Nitya Raoたちの研究グループは、アフリカとアジアの農業生態学的に異なる3つの地域(半乾燥地域、山岳地帯、氷河から溶けた水が流れ込んでいる河川地帯と三角州)における合計数千世帯を対象とした25の事例研究において、女性の行為主体性が適応応答にどのように寄与したのかを評価した。その結果、大多数の事例で、男性季節労働者と女性の劣悪な労働条件が、制度上の欠陥又は貧困と組み合わさって、環境ストレス条件下の女性の戦略的意思決定能力を制約していることが見いだされた。また、Raoたちは、女性の活動が世帯構造や社会規範によって支持されている場合であっても、環境ストレスが女性に悪影響を及ぼすことを明らかにした。

 今回の研究は、さまざまな状況下で女性の行為主体性を低下させる共通の条件を特定することにより、気候変動への適応能力を強化するために取り組めると考えられる重大な障害物が、男性季節労働者と女性の労働条件と貧弱な物質的条件であることを示唆している。



参考文献:
Rao N. et al.(2019): A qualitative comparative analysis of women’s agency and adaptive capacity in climate change hotspots in Asia and Africa. Nature Climate Change, 9, 12, 964–971.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0638-y

胎児への大麻の影響

 胎児への大麻の影に関する研究(Frau et al., 2019)が公表されました。大麻入手の合法化が進むにつれて、悪阻や不安などの症状を治療するために大麻を使用する妊婦が増えてきています。大麻の使用が乳児の脳の発達に長期的な影響を及ぼす可能性を示す証拠が提示され始めていますが、そのメカニズムは明らかになっていません。この研究は、妊娠中のラットに大麻の主要な精神活性成分であるテトラヒドロカンナビノール(THC)を投与して、その仔が青年期に達した時に検査を行なうことで、出生前大麻曝露のラットモデルを作製しました。

 その結果、多くの精神疾患において損なわれている行動調節の指標となるプレパルス抑制パラダイムで、仔ラットのTHC感受性において雄は上昇しましたが、雌は上昇していない、と明らかになりました。また、報酬や動機付けに関与する脳領域(腹側被蓋野)のドーパミンニューロンの活動が亢進していることも観察されました。この研究は、アメリカ合衆国食品医薬品局(FDA)の承認薬であるプレグネノロンで青年期のラットを治療することにより、これらの行動とニューロンの変化を修正できました。プレグネノロンについては、大麻使用障害・統合失調症・自閉症・双極性障害の治療薬として臨床試験が行なわれています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【神経科学】母胎内でTHCにさらされたラットの脳と行動に生じる変化

 雄ラットでは、大麻の主要な精神活性成分であるTHCへの出生前の曝露が、前青年期におけるドーパミンニューロンの活動亢進と、THCの行動的影響に対する感受性の上昇に関連していることを示唆する論文が掲載される。

 大麻入手の合法化が進むにつれて、つわりや不安などの症状を治療するために大麻を使用する妊婦が増えてきている。大麻の使用が乳児の脳の発達に長期的な影響を及ぼす可能性のあることを示す証拠が出始めているが、どのようにしてそうなるのかは分かっていない。

 今回、Miriam Melisたちの研究グループは、妊娠中のラットにTHCを投与して、その仔が青年期に達した時に検査を行うことで、出生前大麻曝露のラットモデルを作製した。今回の研究では、多くの精神疾患において損なわれている行動調節の指標となるプレパルス抑制パラダイムにおいて、仔ラットのTHC感受性が雄は上昇したが、雌は上昇していないことが明らかになった。また、報酬や動機付けに関与する脳領域(腹側被蓋野)のドーパミンニューロンの活動が亢進していることも観察された。Melisたちは、米国FDAの承認薬であるプレグネノロンで青年期のラットを治療することにより、これらの行動とニューロンの変化を修正できた。プレグネノロンについては、大麻使用障害、統合失調症、自閉症と双極性障害の治療薬として臨床試験が行われているところだ。



参考文献:
Frau R. et al.(2019): Prenatal THC exposure produces a hyperdopaminergic phenotype rescued by pregnenolone. Nature Neuroscience, 22, 12, 1975–1985.
https://doi.org/10.1038/s41593-019-0512-2

ツキノワグマの食いだめ戦略

 ツキノワグマ(Ursus thibetanus)の食いだめ戦略に関する研究(Furusaka et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。ヒトをはじめとする動物は、食べることで得られる摂取エネルギーと、身体を動かすことで使われる消費エネルギーのエネルギー収支を健全に保つことで身体を維持しています。エネルギー摂取量がエネルギー消費量を上回ると体重は増え、逆の場合は体重が減少するため、エネルギー収支を明らかにすることで、栄養状態を評価できます。この研究は、ツキノワグマのエネルギー収支の季節変化とクマの食生活にとって重要な季節を明らかにするため、ツキノワグマのエネルギー収支に影響を及ぼす要因として、ツキノワグマにとって秋の主食であるブナ科の果実(ドングリ)の結実豊凶に着目し、エネルギー収支とドングリの結実豊凶との関係を調べました。

 この研究は、2005年から2014年にかけて、栃木県と群馬県にまたがる足尾・日光山地で追跡調査してきた計34頭の成獣に、日々の活動状態の計測が可能な機能を内蔵したGPS受信機を装着し、1日あたりのエネルギー消費量を計算しました。この研究はまた、山中で採取した1247個の糞からツキノワグマの食べ物を特定するとともに、野生のツキノワグマが採食している映像(計113時間)から、ツキノワグマが食べるそれぞれの食べ物の量を計算し、それぞれの食べ物のエネルギー量を掛け合わせることで、1日あたりのエネルギー摂取量を計算しました。この研究はそのうえで、エネルギー摂取量からエネルギー消費量を差し引くことで、1日あたりのエネルギー収支を算出し、季節間のエネルギー収支や、ドングリの豊作年と凶作年のエネルギー収支を比較しました。

 その結果、いずれの個体においても、春から夏にかけてのエネルギー収支はマイナスであったものの、秋には大きくプラスになる、と明らかになりました。また、ドングリの凶作年では、雌はエネルギー摂取量が減少することで、秋のエネルギー収支が低下することも明らかになりました。ツキノワグマは春から夏にかけてアリやキイチゴの果実などを食べます。これらはサイズも小さく、森の中に散らばって存在するため、ツキノワグマは効率的にエネルギーを摂取できません。一方、秋のツキノワグマは、木に登り、木の上にまとまって結実するドングリを食べるため、効率的にエネルギーを摂取できます。しかし、ドングリの凶作年では、雄に比べて行動圏が小さい雌は充分な量の食べ物を得られないため、エネルギー収支が低下した、と考えられます。

 この研究は、ツキノワグマのエネルギー収支が季節間で大きく変化し、秋のドングリで1年間に摂取するエネルギーの約80%を摂取、つまり食いだめを行なっている、と明らかにしました。これは、以前には不明であった野生のツキノワグマの栄養状態に関する様々な情報を得られることにつながります。また、秋のツキノワグマの人里への出没にドングリの凶作が影響していることは知られていましたが、他の季節の人里への出没にも前年のドングリの凶作が関係しているかもしれず、ツキノワグマの科学的な保護管理に大きく貢献する、と期待されます。


参考文献:
Furusaka S. et al.(2019): Estimating the seasonal energy balance in Asian black bears and associated factors. Ecosphere, 10, 10, e02891.
https://doi.org/10.1002/ecs2.2891

種系統樹と個々の遺伝子の近縁性が一致するとは限らない

 『ゲノム革命 ヒト起源の真実』で強調されているのは、種系統樹と遺伝子系統樹とは必ずしも一致しない、ということです(関連記事)。現代人(Homo sapiens)と近縁な現生系統としてゴリラ属とチンパンジー属がいますが、個々の遺伝子というかゲノム領域で比較すると、現代人とゴリラ属が近縁で、チンパンジー属がこれら2系統とはやや疎遠だとか、チンパンジー属とゴリラ属とが近縁で現代人がその2系統とはやや疎遠だとか、複数の系統樹が描けます。しかし、ゲノム全体の比較からは、現代人とチンパンジー属が近縁で、ゴリラ属がその2系統とやや疎遠であることは確定している、と同書は指摘します。また同書は、こうした不一致は分岐してから比較的新しい系統間で生じることが多い、と指摘します。

 種系統樹と遺伝的近縁性とが一致しないゲノム領域は、ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)では約30%と推定されています(関連記事)。これは、種系統樹と遺伝子系統樹との不一致や、ある系統において、特定のゲノム領域で選択圧や遺伝的浮動により急速に変異が蓄積した、という事例が想定されます。一部の遺伝子もしくはゲノム領域に基づく系統樹は危うい、と改めて了解されます。ただ、現代人とチンパンジー(Pan troglodytes)とニシローランドゴリラとで種系統樹と遺伝子系統樹とが一致しないゲノム領域に関しては、コード遺伝子の周辺ではかなり小さい傾向が見られます。とはいえ、現代人とゴリラ属の方が現代人とチンパンジー属よりも近縁な遺伝子もあるわけで、それは表現型やそれに基づく行動にも反映されることはあるでしょう。チンパンジー属には、発情兆候が明確であることや乱婚など、繁殖関連の行動の中に現生類人猿(ヒト上科)の中ではかなり特異的なものがあります。これはチンパンジー属でとくに派生的な特徴で、現代人とチンパンジー属よりも現代人とゴリラ属の方との近縁性を示し、何らかの遺伝的基盤があるのではないか、と予想しています。

 こうした種系統樹と遺伝的近縁性との不一致は、後期ホモ属の各系統間でも示唆されています(関連記事)。後期ホモ属では、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が近縁で、現生人類(Homo sapiens)はそれら2系統の共通祖先と分岐した、と推測されています。しかし、デニソワ人の手の指はネアンデルタール人よりも現生人類の方にずっと類似しています。これは、関連遺伝子では、ネアンデルタール人とデニソワ人よりもデニソワ人と現生人類の方が近縁であることを示唆します。10万年前頃のネアンデルタール人の手の指は現生人類と類似しているため、こうしたネアンデルタール人の手の指の特徴は、何らかの選択圧や遺伝的浮動による祖先型(デニソワ人と現生人類)との相違の拡大に起因するのではないか、と考えられます。また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では、デニソワ人とネアンデルタール人よりも、現生人類とネアンデルタール人の方が近縁で、これも種系統樹とは異なります。DNA解析技術の飛躍的進展により、遺伝的情報の蓄積は膨大なものになりましたが、一部の結果に惑わされて、的外れな推測をしないよう、自戒しなければなりません。

アマゾン川流域の火災により進むかもしれないアンデス山脈の氷河の融解

 アマゾン川流域の火災によりアンデス山脈の氷河の融解が進む可能性を報告した研究(Neto et al., 2019)が公表されました。この研究は、2000年から2016年までに収集した火災事象・煙流の動き・降水量・氷河融解に関するデータを用いて、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼がボリビアのゾンゴ氷河に及ぼす影響の可能性をモデル化しました。その結果、黒色炭素などバイオマス燃焼に由来するエアロゾルが、風によりアンデス山脈の熱帯氷河に運ばれる可能性がある、と明らかになりました。このエアロゾルは、熱帯氷河に運ばれることで、雪の中に堆積し、雪が黒色炭素や塵粒子により黒ずみ、その結果としてアルベド(光の反射率)が低下し、氷河の融解が進むかもしれません。

 この研究は、火災の季節がアマゾン川流域にとって最も危機的だった2007年と2010年のデータを集中的に解析し、積雪アルベドの低下について、黒色炭素のみが原因である場合と、以前に報告された量の塵が存在する状態で、黒色炭素が原因となる場合を調べました。この研究のモデルによれば、黒色炭素や塵が単独で氷河の年間融解量を3~4%増加させ、黒色炭素と塵の両方が存在する場合には、6%増加させる可能性があります。もし塵の濃度が高ければ、塵のみで氷河の年間融解量が11~13%増加し、塵と黒色炭素が存在する場合に12~14%増加する可能性がある、と推定されました。この知見は、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼の影響が、雪に含まれる塵に依存することを示唆しています。世界の食料需要に関連した圧力により、ブラジルの農業と森林伐採がさらに拡大すると考えられ、アンデス山脈の氷河に影響を与える可能性のある黒色炭素と二酸化炭素の排出量が増加するかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】アマゾン川流域の火災によってアンデス山脈の氷河の融解が進むかもしれない

 アマゾン南西部(ブラジル、ペルー、ボリビアのアマゾン川流域)の熱帯雨林の火災によって、アンデス山脈の熱帯氷河の融解が増加する可能性のあることを明らかにした論文が、今週掲載される。

 今回、Newton de Magalhaes Netoたちの研究チームは、2000年から2016年までに収集した火災事象、煙流の動き、降水量、氷河融解に関するデータを用いて、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼がボリビアのゾンゴ氷河に及ぼす影響の可能性をモデル化した。その結果、バイオマス燃焼に由来するエアロゾル(例えば黒色炭素)が、風によってアンデス山脈の熱帯氷河に運ばれる可能性のあることが判明した。この熱帯氷河に運ばれたエアロゾルは、雪の中に堆積し、雪が黒色炭素や塵粒子によって黒ずんでアルベド(光の反射率)が低下して、氷河の融解が進む可能性がある。

 Netoたちは、火災の季節がアマゾン川流域にとって最も危機的だった2007年と2010年のデータを集中的に解析し、積雪アルベドの低下について、黒色炭素のみが原因である場合と以前に報告された量の塵が存在する状態で黒色炭素が原因となる場合を調べた。今回作成されたモデルによれば、黒色炭素や塵が単独で氷河の年間融解量を3~4%増加させ、黒色炭素と塵の両方が存在する場合には6%増加させる可能性がある。もし塵の濃度が高ければ、塵のみで氷河の年間融解量が11~13%増加し、塵と黒色炭素が存在する場合に12~14%増加する可能性があるとされた。この知見は、アマゾン川流域におけるバイオマス燃焼の影響が、雪に含まれる塵に依存することを示唆している。

 世界の食料需要に関連した圧力により、ブラジルの農業と森林伐採がさらに拡大すると考えられ、アンデス山脈の氷河に影響を与える可能性のある黒色炭素と二酸化炭素の排出量が増加するかもしれない。



参考文献:
Neto NM. et al.(2019): Amazonian Biomass Burning Enhances Tropical Andean Glaciers Melting. Scientific Reports, 9, 16914.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-53284-1

2010年代の古人類学

 2010年代も残り10日を切り、この機会に2010年代の古人類学を振り返ります。2010年代にDNA解析技術の大きな向上により飛躍的に発展したのが古代DNA研究で、この流れは2020年代にさらに加速しそうです。この間の大きな成果としてまず挙げられるのが、2009年末の時点では否定的な人々の方が多かっただろう、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑がほぼ通説として認められるようになったことです。

 さらに大きな成果として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)という新たな分類群が設定されたことも挙げられます(関連記事)。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類を含めた後期ホモ属の関係はたいへん複雑で、相互に交雑していた、と推測されています。

 これにより、現生人類アフリカ単一起源説でも、現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの在来の人類集団を完全に置換した、という2009年末の時点では有力だっただろう見解は過去のものとなりました。これは現生人類多地域進化説の「復権」とも解釈できますが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だった、とはとても言えないでしょう(関連記事)。今後、古代DNA研究の進展により、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の単系統群とは大きく異なる系統の分類群が確認されることも期待されます。

 古代DNA研究の進展により、現代人の各地域集団の形成過程の解明も飛躍的に進み、とくにヨーロッパ集団に関してはかなり詳細に分かってきたのではないか、と思います。アジア南西部やアメリカ大陸に関しても、地域集団の形成過程は2009年末の時点と比較してずっと詳細に解明されている、と言えるでしょう。しかし、アジア東部を含むユーラシア東部に関しては、ユーラシア西部と比較して古代DNA研究がずっと遅れていることは否定できず、それだけに発展の余地があるとも言えます。しかし、その強大な経済力から今後の古代DNA研究の飛躍的な進展が期待される中国も、DNAの残存という点でヨーロッパと比較して自然環境は恵まれていないので、ヨーロッパとの差を縮めていくのは容易ではなさそうです(関連記事)。

 このように、古代DNA研究は2010年代に飛躍的に発展しましたが、地域と年代の点で限界があることは否定できません。現時点でDNA解析に成功した最古の人類は43万年前頃のイベリア半島北部集団で(関連記事)、これ以上古いDNAとなると、さらに寒冷な地域の人類化石が必要となりそうで、そうした年代・地域の人類化石は少ないので、50万年以上前の人類のDNAを解析することは難しそうです。こうした古代DNA研究の年代・地域の限界を大きく超えて遺伝的情報を得る手法として、近年大きく発展しつつあるタンパク質解析が注目されます(関連記事)。じっさい、190万年前頃の霊長類の歯でタンパク質解析が成功しており(関連記事)、歯はとくに残りやすい部位だけに、今後の人類進化研究への応用が期待されます。

 報告された人類化石で注目されるのは、2010年に報告された(関連記事)アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus)で、現時点では南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でしか確認されていません。セディバの推定年代は197万7000年±7000年前です(関連記事)。セディバにはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、報告者たちは現代人も含むホモ属の祖先ではないか、と示唆しましたが、その年代から、ホモ属の祖先である可能性は低い、と指摘されています(関連記事)。

 2015年に報告された280万~275万年前頃のホモ属的特徴を有するエチオピアの下顎化石は、ホモ属の起源を大きくさかのぼらせるとして、大きな注目を集めました(関連記事)。これ以降、ホモ属の起源を280万年前頃までさかのぼらせる傾向が強くなってきたように思いますが、全体的な形態は不明ですし、アウストラロピテクス・セディバのように、この個体がアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した分類群に属していた可能性もあります。おそらく、280万年前頃までにはホモ属的特徴が出現し始め、そうした特徴はじょじょに出現していき、200万~180万年前頃にほぼ異論の余地のないホモ属が出現したのでしょう。

 アウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した人類化石は、南アフリカ共和国で他にも発見されており、2015年にホモ・ナレディ(Homo naledi)と命名されました(関連記事)。報告者たちは当初、ナレディは鮮新世後期~更新世初期の人骨群で、アウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種である可能性が高い、と考えていました。しかし、その後になってナレディの年代は335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、これではとてもアウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種とは言えません。ナレディは、すでに現生人類的な集団の出現していた中期更新世後期のアフリカにおいても、おそらくは現生人類と大きく異なる系統の人類集団が存在していたことを示したという点で、たいへん貴重だと思います。人類史において、1種しか存在していないような時代は、最初期を除けば過去数万年程度のごく最近だけだったのかもしれません。

現代アジア東部集団とデニソワ人の交雑の根拠とされた臼歯に関する議論

 下顎大臼歯の歯根数から、現代アジア東部集団の祖先である現生人類(Homo sapiens)集団と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑の可能性を指摘した研究(Bailey et al., 2019)にたいする、批判(Scott et al., 2020)とそれへの反論(Bailey et al., 2020)が報道されました。以下、批判された研究はベイリー論文A、その批判はスコット論文、反論はベイリー論文Bとします。

 中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された16万年以上前の右側下顎骨は、タンパク質解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に分類されました(関連記事)。この夏河下顎骨には大臼歯で3本の歯根(3RM)が見られます。これは、アジアとアメリカ大陸以外では3.4%以下と稀ですが、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団では40%を超えるかもしれません。

 こうした特徴は、中華人民共和国広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)田東県(Tiandong County)林逢鎮(Linfeng Town)の独山洞窟(Dushan Cave)で発見された、15850~12765年前頃と推定されている初期現生人類(関連記事)にも、それよりもずっと古いアジア東部のホモ・エレクトス(Homo erectus)にも、またアフリカの初期現生人類にも見られません。近年まで3RMの最古の例は、フィリピンで発見された47500~9000年前頃の現生人類下顎骨でした。この現生人類遺骸では、下顎の両側で3RMが見られます。そのため最近まで、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団における3RMの高頻度は、現生人類がユーラシアへと拡散した後に獲得された、と考えられていました。

 しかし近年、ずっと古い3RMが報告されました。一つは、上述のチベット高原東部で発見された16万年以上前と推定されている夏河下顎骨です。もう一つは、台湾沖で発見された、非現生人類の澎湖1(Penghu 1)下顎骨(関連記事)でも3RMが確認されました。澎湖1の下顎は、頤のないことや厚いことなど「古代的」特徴を保持しており、その巨大な大臼歯の歯冠は、デニソワ人のそれとサイズが類似しています。夏河下顎骨と同様に、こうした巨大な大臼歯は、第三大臼歯の欠如と結びついています。こうした理由から、澎湖1とデニソワ人との近縁性が指摘されています。そのためベイリー論文Aは、3RMをアジア東部集団の祖先集団とデニソワ人との交雑によるものと推測しました(関連記事)。

 しかし、ベイリー論文Aの見解には疑問が残る、とスコット論文は指摘します。まず、夏河下顎骨では3RM は下顎第二大臼歯(LM2)に見られます。しかし、3RMはアジア東部集団およびその遺伝的影響を強く受けたアメリカ大陸先住民集団(関連記事)において、下顎第一大臼歯(LM1)では一般的であるものの、LM2では稀である、とスコット論文は指摘します。たとえば、LM1では38.4%ですが、LM2では1.4%です。3RMの頻度は、たとえば世界で最も高い集団であるアリュート民族でも、LM1では40.7%ですが、LM2では1.9%です。さらに重要なのは、夏河下顎骨の3RMは典型的な下顎大臼歯の3根(3RLM)とは異なる、ということです。第3根はひじょうに小さく、通常は他の歯根の約1/3のサイズで、遠心舌面にあります。しかし、夏河下顎骨の第3根のサイズは他の歯根と比較して1/3よりずっと大きく、遠心舌面ではなく近心舌面にあります。同様に、澎湖1下顎骨のLM2は、歯の近心と遠心の舌側の間に強い第3根を有しており、現代人とは発生する大臼歯も大臼歯での位置も異なります。

 スコット論文は、夏河下顎骨の3RLMが現代のアジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMと相同であることを示す証拠はじゅうぶんではなく、デニソワ人から現代アジア東部集団の祖先集団への遺伝子移入の証拠と解釈することはできない、と指摘します。さらにスコット論文は、交雑の表現型の特徴がまだ不明であることを指摘します。ヒト交雑個体は、両親それぞれの出自集団からの中間的もしくはモザイク状の特徴を示すだろう、としばしば想定されます。しかし、最近の研究が明らかにしているのは、遺伝的交雑はしばしば進化的革新につながる、ということです。したがって、潜在的な祖先的特徴のより強い表現型は、必ずしも遺伝子移入ではなく、単に古代型の特徴の保持を示唆しているのかもしれない、というわけです。絶滅種の研究において、残存しやすい歯は最も適した部位です。しかし、孤立した歯の特徴の過剰解釈には注意が必要である、とスコット論文は指摘します。

 スコット論文に対して、ベイリー論文Bは反論しています。まずベイリー論文Bは、LM2で3RLMが稀であるのは事実でも、3RLMはアジアと強く結びついている、と指摘します。少なくとも1つの臨床研究では、LM2の3RLMはアジア東部集団(およびその遺伝的影響の強い集団)では2.8%、それ以外の集団では1.7%と、アジア東部集団の方が60%ほど多く見られる、と報告されています。またベイリー論文Bは、3RLMの発現においてLM1とLM2もしくはLM3との違いがあるとしても、それが非相同的特徴を表していることにはなにない、と指摘します。歯科人類学と古人類学の文献では、異なる歯の位置の同じ特徴を相同的とみなしてきしたからです。

 夏河下顎骨の3RLMは現代人集団に見られる「典型的な」3RLMはではない、とのスコット論文の批判にたいしてベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMを再検証しました。その結果、夏河下顎骨のLM2は近心舌面起源と示され、その意味で、遠心舌面の位置を想定する「典型的な」3RLMとは異なるかもしれないものの、夏河下顎骨の3RLMは分岐した近心経路ではないことも示され、スコット論文の主張とは異なる、とベイリー論文Bは指摘します。さらにベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMが「単に古代型特徴の保持」という可能性を提示するスコット論文の見解には同意していません。3RLMは鮮新世もしくは更新世の他のあらゆる人類化石で観察されていないからです。

 ベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMのわずかに異なる形態学的特徴が非相同的である可能性は非常に低い、との結論を提示しています。さらにベイリー論文Bは、ほぼ排他的にアジア東部集団にしか存在しない3RLMが、わずかに異なる形状ではあるものの、アジアの非現生人類化石で発見されていることは、遺伝子移入でないとすれば、起こりそうもない偶然だ、と指摘します。歯根発達時期のわずかな違いは、遺伝的に相同的な特徴のわずかに異なる発現につながる可能性がある、とベイリー論文Bは指摘します。夏河下顎骨の3RLMが典型的な3RLMと相同的なのか、それとも最近のアジア東部集団におけるその発生は遺伝子移入の結果なのかどうかという問題の解明は、究極的には遺伝的基盤の特定に依拠する、とベイリー論文Bは指摘します。

 夏河下顎骨と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに違いがあることを指摘したスコット論文の意義は大きい、と思います。ただ、ベイリー論文Bが指摘するように、現時点での証拠からは、これを単に古代型の特徴の保持と断定することは、とてもできそうにありません。その意味で、現代人に見られる3RLMが、デニソワ人から現生人類への遺伝子移入によりもたらされた可能性もまだ充分あるとは思います。この問題の解明には、ベイリー論文Bが指摘するように、3RLMの遺伝的基盤の特定が必要になります。

 ただ、現時点で高品質のゲノム配列が得られているというか、そもそもDNAが解析されたのは南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の個体だけなので(関連記事)、デニソワ人が複数系統に分岐していた可能性(関連記事)を考慮すると、仮にデニソワ人と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに共通の遺伝的基盤があったとしても、アルタイ山脈のデニソワ人のゲノムにはその遺伝子多様体は見つからないかもしれません。つまり、アジア東部のデニソワ人系統においてのみ生じた変異かもしれない、というわけです。その意味で、スコット論文が提起した問題の解明には、3RLMの遺伝的基盤の特定とともに、アルタイ山脈以外のデニソワ人のDNA解析も必要になるでしょう。


参考文献:
Bailey SE, Hublin JJ, and Antón SC.(2019): Rare dental trait provides morphological evidence of archaic introgression in Asian fossil record. PNAS, 116, 30, 14806–14807.
https://doi.org/10.1073/pnas.1907557116

Bailey SE. et al.(2020): Reply to Scott et al: A closer look at the 3-rooted lower second molar of an archaic human from Xiahe. PNAS, 117, 1, 39–40.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918959116

Scott GR, Irish JD, and Martinón-Torres M.(2020): A more comprehensive view of the Denisovan 3-rooted lower second molar from Xiahe. PNAS, 117, 1, 37–38.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918004116

第64回有馬記念結果

 近年では競馬への情熱をかなり失ってしまい、競馬関連の記事を掲載することが少なくなりましたが、有馬記念と東京大賞典だけは当ブログを始めてから毎年必ず取り上げてきたので、今年も記事を掲載することにしました。今年の有馬記念には多くのGI馬が出走してきましたが、何よりも、現役最強馬のアーモンドアイも香港遠征を回避して出走してきたため、なかなか盛り上がっているように思います。じっさい、近年では最も豪華な出走馬構成になったように思います。圧倒的な人気となったのはもちろんアーモンドアイですが、鞍上のルメール騎手が、過去に騎乗してGIに勝った出走馬の中で、もう終わった感のあるレイデオロはともかくとして、まだ3歳で斤量でも有利なサートゥルナーリアよりも、遠征帰りのフィエールマンの方を警戒していたのは意外でした。

 レースは、アエロリットがひじょうに速い流れで後続を話して逃げましたが、さすがに速すぎて失速し、アーモンドアイは直線で先頭に並びかけたのですが、そこから伸びず、外から追い込んできたリスグラシューが突き抜けて、2着のサートゥルナーリアに5馬身差をつけて圧勝しました。リスグラシューの強さは分かっていたものの、この着差には驚きました。これで、リスグラシューが年度代表馬に選出されるのはほぼ確実でしょう。サートゥルナーリアは天皇賞(秋)で6着に負けてやや評価を落としていましたが、右回りの方が合う、ということでしょうか。来年は2000~2400mの王道路線で最強馬として君臨しそうです。3着はワールドプレミアで、状態がよかったのもありますが、菊花賞よりもさらに成長しているのでしょう。来年の天皇賞(春)の最有力馬と言えそうですし、2000~2400mでもサートゥルナーリア相手に好勝負できるようになるかもしれません。

 アーモンドアイは9着と完敗でしたが、熱発の影響もあったかもしれません。しかし、最大の敗因は、ひじょうに速い流れの中、仕掛けが早かったことだと思います。リスグラシューはアーモンドアイよりも仕掛けが遅く、この流れでは結果的に正解だったと思います。この流れで外を回る展開になったことも、アーモンドアイの敗因でしょうか。アーモンドアイの今後の予定は知りませんが、現役を続けて海外のレースに出走するとしても、凱旋門賞では勝ち目がほぼないように思います。そうすると、ドバイや香港の中距離レースを狙っていくことになりそうです。