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ヨーロッパの人類史

2018/08/18 14:13
 中期更新世〜青銅器時代までのヨーロッパの人類史を遺伝学的観点から検証した研究(Lazaridis., 2018)が公表されました。近年の遺伝学的諸研究が整理されており、たいへん有益だと思います。とくに、図はよく整理されていて分かりやすいと思います。本論文には当ブログで近年取り上げた研究が多く引用されており、それらを再度参照しつつ、読み進めていきました。また、最近刊行された『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)と併せて読むと、さらに理解が深まると思います。私も、近いうちに同書を再読しようと考えています。

 下部旧石器時代(前期〜中期更新世)〜中部旧石器時代(中期〜後期更新世)までのヨーロッパには、現生人類(Homo sapiens)とは異なる系統のホモ属が存在していました。これらの人類の遺伝学的情報に関しては、今年(2018年)3月に一度まとめました(関連記事)。ヨーロッパで最古となる人類のDNAは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群から得られており、核DNAでは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方に近縁で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では現生人類やネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁となります(関連記事)。本論文が対象とするのは、このSH人骨群の存在した43万年前頃以降のヨーロッパとなります。ただ本論文は、43万年前頃〜現生人類が拡散してくるまで(45000年前頃?)のヨーロッパの人類史をネアンデルタール人系統に集約させていますが、もっと複雑だった可能性が高いように思います(関連記事)。

 45000年前頃かそれ以前より、ヨーロッパには現生人類が拡散してきて、中部旧石器時代から上部旧石器時代へと移行します。ヨーロッパのネアンデルタール人は4万年前頃には絶滅したとされていますが(関連記事)、イベリア半島ではさらに3000年ほどネアンデルタール人生存の可能性が指摘されています(関連記事)。ただ、現時点では、遺伝的に明確に現代ヨーロッパ人系統とつながる最古の個体は、ヨーロッパロシアで確認された39000〜36000年前頃の個体までしかさかのぼらず(関連記事)、西ヨーロッパの35000〜34000年前頃のベルギーの個体がそれに続きます。一方、クロアチアの42000〜37000年前頃の現生人類個体は、その4〜6代前にネアンデルタール人と交雑し、現代には子孫を残していない、と考えられています(関連記事)。そのため、4万年前頃のナポリ近郊の大噴火により、ヨーロッパの現生人類とネアンデルタール人は絶滅して後続の現生人類に置換された、とも考えられますが、この大噴火がヨーロッパの初期現生人類を絶滅させたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。

 ベルギーの、現代ヨーロッパ人系統とつながる最初期の個体は、他の同年代の西ユーラシア人よりも多くの対立遺伝子を近い年代の東アジア人と共有しており(関連記事)、しかもmtDNAハプログループでは、ユーラシア東部やオセアニアでは高頻度で見られるものの、現代のユーラシア西部ではほとんど確認されていないM系統に分類されます。これは例外ではなく、21000年前頃となる最終氷期極大期前のヨーロッパには、他にもmtDNAハプログループMが存在していました。こうしたユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性は、グラヴェティアン(Gravettian)と関連する31000〜26000年前頃のイタリア・ベルギー・チェコの集団や、マグダレニアン(Magdalenian)と関連する19000〜15000年前頃のスペイン・フランス・ドイツ・ベルギーの集団では消滅していました。ヨーロッパの大半では15000年前頃までには、西ヨーロッパ更新世狩猟採集民集団(WHG)が優勢となり、現代の南部および北部ヨーロッパ人に遺伝的影響を残しています。WHGには、ヨーロッパの周辺地域、とくにアナトリア半島の集団との遺伝的類似性も見られます。東ヨーロッパでは、WHGと上部旧石器時代シベリア狩猟採集民との混合により、狩猟採集民集団(EHG)が形成されました。EHGは北ヨーロッパの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼしました。

 ヨーロッパには9000年前頃よりアナトリア半島から農耕民が拡散してきて、しだいに農耕が定着していきます。WHG系統は前期新石器時代のハンガリーや6000〜5000年前頃までのドイツではまだ強い遺伝的影響力を有していたものの、しだいにアナトリア半島からの農耕民と融合し、その独自の遺伝的構成は失われていきました。このアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民は、仮定上の存在である「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響を受けていました。基底部ユーラシア人は、他の非アフリカ系と101000〜67000年前に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推定されています。後期〜末期更新世を通じて、おそらくは自然選択もあり、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は減少していきました。そこへ、基底部ユーラシア人の遺伝的影響を受けたアナトリア半島からの農耕民がヨーロッパに拡散してきて在来のWHGやEHGと融合したので、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響はさらに低下し、現在では東アジア系現代人よりも低くなっています。基底部ユーラシア人は中東の農耕民とコーカサスの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼし、後にはユーラシア西部集団に強い影響力を有することになりました。

 現代ヨーロッパ人の基本的な遺伝的構成は、この新石器時代に確立した集団に、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯の遊牧民がヨーロッパに拡散してきて融合したことで成立します。銅石器時代〜青銅器時代の間の草原地帯の集団は、東ヨーロッパに8000年以上前に存在したEHGと、現代アルメニア人と関連する南方集団と、コーカサスの狩猟採集民と、イランの農耕民との混合の結果成立しました。この草原地帯の集団が騎馬遊牧民となり、5000年前頃からヨーロッパに拡散したことで、とくに中央部と北部に関しては大きな影響を及ぼした、と明らかになっています。ただ、草原地帯遊牧民のヨーロッパにおける遺伝的影響については、地域的な違いが見られる、とも指摘されています(関連記事)。この草原地帯遊牧民は、おもにヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と考えられており、東方にも拡散して南および西アジアとヨーロッパにインド・ヨーロッパ語族を普及させた、と想定されているのですが、南および西アジアに関しては、この見解に疑問も呈されています(関連記事)。

 このように、古代DNA研究の進展によりヨーロッパの人類史に関して多くのことが解明されました。しかし、同時に多くの問題が新たに浮かび上がってきた、と本論文は指摘します。35000年前頃以降にヨーロッパに出現した現代ヨーロッパ人と遺伝的につながっている最初の人類集団はどこから到来したのか、中東集団は基底部ユーラシア人とどのよう過程を経て交雑したのか、基底部ユーラシア人系統が直接ヨーロッパに拡散しなかった理由、WHGが15000年以上前に最終氷期以前の人類と事実上置換した理由、EHGを創出することになった古代シベリア集団の西進理由、草原地帯からの移住民がヨーロッパで大きな遺伝的影響力を有するようになった理由などです。今後、こうした問題も古代DNA研究の進展により解明されるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Lazaridis I.(2018): The evolutionary history of human populations in Europe. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 21-27.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.06.007
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絶滅危惧種のサンゴの繁殖に役立つかもしれない人工構造物

2018/08/17 17:14
 人工構造物が絶滅危惧種のサンゴの繁殖に役立つ可能性に関する研究(Henry et al., 2018)が公表されました。原油掘削施設・ガス掘削施設・難破船・再生可能エネルギー設備などの人工構造物が世界のさまざまな海洋で増えていることで、侵入種の蔓延を促進するなど、海洋生態系にさまざまな悪影響をもたらしている可能性があります。しかし、こうした人工構造物が、絶滅危惧種の新たな生息地や採餌場となり、地理的分布域を広げることで保全に役立つ可能性があるかどうかは、あまり解明が進んでいません。

 この研究は、コンピューターアルゴリズムを用いて、保護対象種であるイシサンゴ目の深海サンゴ(Lophelia pertusa)について、幼生を北海の洋上施設(原油掘削施設・ガス掘削施設など)の付近に放流した時の分散過程をモデル化しました。その結果、幼生は、個々の構造物に定着したサンゴ集団の間を移動し、遠く離れた海域で生息する自然集団に到達することさえある、と予測されました。これらの幼生は、移動先において既存のサンゴ集団を補充したり、損傷したサンゴ礁に定着したりする可能性があります。

 この知見は、北海に存在する人工構造物が、密に連結したサンゴ生態系のクラスターのネットワークを形成していて、そのネットワークが国境をまたいで数百キロメートルに及ぶことを示唆しています。これらの人工構造物は飛び石として機能し、サンゴのネットワークの一体性を保持し、海洋循環が弱まった時期にサンゴの回復力を高める可能性があります。今後数十年間は気候変動のために海流が弱まると予想されるだけに、この知見は重要性を増していくだろう、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】人工構造物が絶滅危惧種のサンゴの繁殖に役立つかもしれない

 海洋上の人工構造物(原油掘削施設、ガス掘削施設、難破船、再生可能エネルギー設備など)は、人間からの圧力と気候変動の脅威にさらされている生物種集団同士を結び付け、それらの生き残りのチャンスを高める可能性があることを明らかにしたモデル研究について報告する論文が、今週掲載される。

 人工構造物が世界のさまざまな海洋で増えていることで、侵入種の蔓延を促進するなど、海洋生態系にさまざまな悪影響がもたらされる可能性がある。しかし、こうした人工構造物が、絶滅危惧種の新たな生息地や採餌場となり、地理的分布域を広げることで保全に役立つ可能性があるかどうかはあまり解明が進んでいない。

 今回、Lea-Anne Henryたちの研究グループは、コンピューターアルゴリズムを用いて、保護対象種である深海サンゴLophelia pertusa(イシサンゴ目)について、幼生を北海の洋上施設(原油掘削施設、ガス掘削施設など)の付近に放流した時の分散過程をモデル化した。その結果、幼生は、個々の構造物に定着したサンゴ集団の間を移動し、遠く離れた海域で生息する自然集団に到達することさえあると予測された。これらの幼生は、移動先において、既存のサンゴ集団を補充したり、損傷したサンゴ礁に定着したりする可能性がある。

 この研究知見は、北海に存在する人工構造物が、密に連結したサンゴ生態系のクラスターのネットワークを形成していて、そのネットワークは国境をまたいで数百キロメートルに及ぶことを示唆している。これらの人工構造物は飛び石として機能し、サンゴのネットワークの一体性を保持し、海洋循環が弱まった時期にサンゴの回復力を高める可能性がある。今後数十年間は気候変動のために海流が弱まることが予想されるだけに、この知見は重要性を増していくだろう。



参考文献:
Henry LA. et al.(2018): Ocean sprawl facilitates dispersal and connectivity of protected species. Scientific Reports, 8, 11346.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-29575-4
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交雑する人類

2018/08/16 18:21
 先月(2018年7月)、『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』を当ブログで取り上げましたが(関連記事)、原題は『Who We Are and How We Got Here』で、邦題は直訳ではありません。しかし、邦題は同書の主旨をよく反映しており、適切だと思います。同書は、現代の各地域集団が太古からずっとその地域に居住し続けたわけではなく、集団間の複雑な移住・交雑により形成されていき、その集団間の関係は、現代のヨーロッパ系と東アジア系よりも遠いことが珍しくなかった、と強調しています。確かに、人類は交雑する分類群なのでしょう。

 近年、現生人類(Homo sapiens)の起源に関して、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類は形成されていった、とする「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思います(関連記事)。さらに言えば、おそらくホモ属も、300万〜200万年前頃に、アフリカ各地の複数の集団間の交雑により形成されたのではないか、と私は考えています。もっとも、現時点では確たる根拠を提示できるわけではありませんが。また、こうした特徴は人類系統に限らず、現代ではコンゴ川で生息域が分断されている、現代人の最近縁の現生種となるチンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)は、乾燥化によりコンゴ川の水位がきょくたんに低下した短期間に交雑していたのではないか、と推測されています(関連記事)。

 このように、人類史において移住・交雑は珍しくなかった、と明らかになってくると、それを移民受け入れの根拠とし、「純粋な民族」に拘るナチス的な世界観を批判する見解も提示されています(関連記事)。しかし、人類史において普遍的だから現在もそれを受け入れるべきだという主張は、自然主義的誤謬に倣えば歴史(先例)主義的誤謬と言うべきで、直接的には移民・難民受け入れの根拠としてはならないでしょう。もっとも、人類史において普遍的であるのは、それ相応の深い理由があるからと考えられるので、その点を踏まえてよく理由を理解したうえで対応すべきだとは思います。

 交雑は交流に包含される行為ですから、現在では、一般的には「善」とみなされているでしょう。現在は削除されてしまったTwitterアカウントは、「ネアンデルタール人のDNAを受け継いだので、ホモ・サピエンスは病気に強くなった。交雑は善なのだ。交雑を忌み嫌い、純血種にこだわるのはナチス」とさえ呟いていたくらいです。もっとも、交雑は「病気に強くなった」ような「利点」ばかりではありません。現代人の中には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に由来する生存の危険性を高める遺伝子も確認されています(関連記事)。

 しかし、より本質的な問題は、交雑が友好的・平和的なものとは限らない、ということです。もちろん、確証は不可能ですが、現生人類とネアンデルタール人との交雑にしても、暴力的なものがなかった可能性はきわめて低いと思います。また、直接的に暴力を用いた強姦だけではなく、社会的に抑圧された状況下での交雑の進展も想定されます。たとえばアメリカ大陸のうち現代パナマ人では、母系では先住民系が圧倒的に優勢(約83%)なのに、父系では、ヨーロッパも含む西ユーラシアおよび北アフリカ系が優勢(約60%)です(関連記事)。ヨーロッパ系とアメリカ大陸先住民系との交雑・融合により現代アメリカ大陸の住民が形成された、と言えば「善」なる「美しき」交流に聞こえるかもしれませんが、その実態は配偶行動にさいしての優勢なヨーロッパ系による先住民系男性の排除で、大きな抑圧があったのではないか、と容易に想像され、それは歴史学など他分野の研究成果とも整合的と言えるでしょう。一般に、人類史において征服を伴うような移住・交雑には、配偶行動における性的非対称が起きやすいとも考えられ(関連記事)、その意味でも、交雑に抑圧的な側面もあったことは想定しやすいように思います。

 交雑のもっと本質的な問題は、現代(「先進」諸国の)社会において同じく「善」とみなされている多様性との関連です。現生人類は短期間で世界中に拡散できたが故に均質で、交通手段の発達した近年ではさらに均質化していっているかもしれず、逆に、現生人類以外の多様な人類が存在した時代のアジアは、各ホモ属種が「閉じ込められ」た故に多様だったのだ、との指摘もあります(関連記事)。「善」と考えられている多様性が、多分に「孤立」や「分断」に起因しているとすると、手放しで賞賛することはできません。だからといって、均質化の進展を手放しで賞賛してよいものでもないので、悩ましいところです。「リベラル」の側からすれば、交雑も時として含む交流により、「普遍的価値観」の点では均質化し、その他の点では多様性を維持すればよい、との想定なのかもしれませんが、そのように上手くいくのか、はなはだ疑問です(まだ思いつきの段階にすぎませんが)。

 日本列島も、「交雑する人類」の例外ではありません。「縄文人」の形成過程については、まださほど明らかになっておらず(関連記事)、日本列島も含めてユーラシア東部圏の古代DNA研究の進展を俟つしかありませんが、弥生時代以降、日本列島において「置換」と言ってもよいくらい、遺伝的構成に大きな変化が生じた可能性は高そうです(関連記事)。日本社会において、日本人単一民族説はむしろ第二次世界大戦後に常識となり、それは植民地帝国としての現実が失われたからでした(関連記事前編および関連記事後編)。日本人単一民族説は、現代日本人における弥生時代以降の渡来系の圧倒的な遺伝的影響を前提としても成立するものだと思いますが、同説の支持者は、縄文時代以来、遺伝的にも文化的にも日本なる独自の集団が存在し続けてきた、と想定する傾向が強いように思われます。それは歴史認識として問題があるとは思いますが、一方で、弥生時代以降の渡来系の圧倒的な遺伝的影響を根拠に、現代日本社会において縄文時代の影響などほとんどないだろう、と想定しているような言説もまた、とても確証されたものではない、と思います(関連記事)。
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キンカチョウの色覚

2018/08/16 18:18
 キンカチョウの色覚に関する研究(Caves et al., 2018)が公表されました。動物は、多くの状況において、個体間で連続的に変化するシグナルを用いて互いを評価します。こうしたシグナルは概して、シグナル発信者の質の差異を反映しています。シグナル受信者は、シグナルの連続的な変化を連続的に知覚して応答する、と多くの場合は考えられています。一方で、弁別や分類、またはその両方には限界があるため、シグナルの知覚および応答は非連続的である可能性もあります。弁別とは、2つの刺激を区別する能力のことで、たとえば、色相中の互いに似通った色を見分けられるかどうかなどのことです。分類は、類似性に基づいて刺激が分類されるかどうかに関連し、たとえば、色相中の質的に類似した複数の色を、区別が可能であっても似た色と特定することなどを意味します。範疇知覚(カテゴリー知覚)とは、連続的に変化する刺激を分類する機構で、受け手の知覚系において、それぞれの刺激を一定数のカテゴリーに分類処理する機構で、同じカテゴリー内における違うもの同士を判別するのではなく、範疇の境界に照らして弁別に関する特定の予測を行ないます。

 この研究は、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)を対象に、色覚について検証しました。雄のキンカチョウの嘴の色は、薄い橙色から暗赤色まで幅があります。雌のキンカチョウは、橙色よりも赤色の嘴の雄を交配相手として好み、赤い嘴は細胞性免疫の多様性と正の相関を示しています。しかし、雌がこのような色の多様性を連続的に知覚しているのか、それともカテゴリカル知覚を示しているのかは、まだ明確になっていません。そこでこの研究は、雌のキンカチョウを対象に、食物報酬プロトコルを用いて、オレンジ色から赤色の色スペクトルにわたる8刺激をカテゴリー化し、判別する試験を実施しました。まず、紙製の円板を作り、単色で塗りつぶしたものと半分ずつ別の色で塗りつぶしたものを作製します。雌のキンカチョウは、1色塗りの円板と2色塗りの円板を混在させておいたところで、最初に2色塗りの円板だけをひっくり返すように訓練し、色の組み合わせとは関係なく、1色塗りと2色塗りを認知できるようにしました。

 実験結果から、雌のキンカチョウは1つの色カテゴリー内の異なるものを同一のものとは知覚しないものの、判別能力はカテゴリーの境界を越えたもので最も急激に上昇することが示唆されました。また、この研究は、こうしたカテゴリー化は、色刺激の輝度だけでは説明できず、鳥類の光受容器の感度の結果として生じた可能性はひじょうに低いことを明らかにしています。雌のキンカチョウは雄の嘴の色を、赤色とオレンジ色というわずか2つのカテゴリーで知覚している、というわけです。この知見は、鳥類のカテゴリカル色知覚を初めて実証したもので、鳥類の色知覚、より一般的にはシグナルの進化に関する理解を深めます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【動物学】雌のキンカチョウは赤からオレンジまでの色の違いをどのように知覚するのか

 雌のキンカチョウは雄のくちばしの色を、赤色とオレンジ色というわずか2つのカテゴリーで知覚していることを報告する論文が、今週掲載される。この研究知見は、鳥類のカテゴリカル色知覚を初めて実証したものであり、鳥類の色知覚、より一般的にはシグナルの進化に関する我々の理解を深めている。

 カテゴリカル知覚とは、連続的に変化する刺激の受け手の知覚系において、それぞれの刺激を一定数のカテゴリーに分類処理する機構で、同じカテゴリー内における違うもの同士を判別するのではなく、知覚境界を挟んで反対に位置する違うもの同士を判別する。雄のキンカチョウのくちばしの色は、薄いオレンジ色から暗赤色まで幅がある。雌のキンカチョウは、オレンジ色よりも赤色のくちばしを持つ雄を交配相手として好み、赤いくちばしは細胞性免疫の多様性と正の相関を示している。しかし、雌が、このような色の多様性を連続的に知覚しているのか、カテゴリカル知覚を示しているのかは明確になっていない。

 今回、Stephen Nowickiたちの研究グループは、雌のキンカチョウを対象として、食物報酬プロトコルを用いて、オレンジ色から赤色の色スペクトルにわたる8つの刺激をカテゴリー化し、判別する試験を実施した。Nowickiたちは、紙製の円板を作り、単色で塗りつぶしたものと半分ずつ別の色で塗りつぶしたものを作製した。雌のキンカチョウは、1色塗りの円板と2色塗りの円板を混在させておいたところで、最初に2色塗りの円板だけをひっくり返すように訓練し、色の組み合わせとは関係なく、1色塗りと2色塗りを認知できるようにした。実験結果から、雌のキンカチョウは1つの色カテゴリー内の異なるものを同一のものとは知覚しないが、判別能力はカテゴリーの境界を越えたもので最も急激に上昇することが示唆された。また、Nowickiたちは、このカテゴリー化は、色刺激の輝度だけでは説明できないこと、これらのカテゴリーが鳥類の光受容器の感度の結果として生じた可能性は非常に低いことを明らかにしている。


視覚:鳴禽類の一種における色シグナルの範疇知覚

視覚:色は見る者次第

 範疇知覚(カテゴリー知覚)とは、刺激の受信者の知覚系が連続的に変化する刺激を異なる範疇に分類する機構のことで、範疇境界の異なる側に位置する色同士は弁別するが、同じ範疇内のものは弁別しない。今回S Nowickiたちは、キンカチョウ(Taeniopygia guttata)の雌が、雄のくちばしの色(雄の質の評価シグナルのよく研究された例)を、連続的知覚ではなく範疇知覚の様式で知覚していることを示唆する証拠を示している。自然界で見られるくちばしの色の差異に対応した色刺激を用いた実験から、雌が雄のくちばしの色をわずか2つの範疇に知覚的に分類することが示された。さらに、この分類が刺激の明るさだけによるものではないこと、そしてこれらの範疇が鳥類の光受容器の波長識別機能の結果としては生じていないことも明らかになった。著者たちが述べているように、これが評価シグナルの範疇知覚に関する最初の実証例であるとすれば、重要である可能性がある。



参考文献:
Caves EM. et al.(2018): Categorical perception of colour signals in a songbird. Nature, 560, 7718, 365–367.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0377-7
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酵母細胞の染色体融合

2018/08/16 18:16

 酵母細胞の染色体融合に関する論文2本が公表されました。真核生物のゲノムは染色体で分割されますが、その数は種によって異なります。たとえば、ヒトの染色体は23対、類人猿は24対であるのに対し、雄のトビキバハリアリは1対しか持っていません。昆虫では種間の染色体数が大きく異なります。こうした種差の原因は、偶発的なテロメア融合やゲノム重複事象である可能性がひじょうに高いのですが、染色体が複数あることの利点・染色体の総数の変化に対する生物種の耐性については、まだ解明されていません。

 一方の研究(Shao et al., 2018)は、機能を備えた、染色体が1本だけの酵母を、16本の線状染色体を含む出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)一倍体細胞で、染色体の末端同士の融合とセントロメアの削除を連続的に行なうことにより作製しました。16本の無傷状態の線状染色体を融合して1本の単一染色体にすると、セントロメアに関連する染色体間相互作用の全て、テロメアに関連する染色体間相互作用の大部分、染色体内相互作用の67.4%が失われるため、染色体の全体的な三次元構造に顕著な変化が生じます。しかし、染色体を1本だけ持つ酵母細胞と野生型酵母細胞は、ほぼ同一のトランスクリプトームと類似したフェノームプロフファイルを持っていました。この巨大な1本の染色体は細胞の生命を支えることができるものの、これを含む酵母株はさまざまな環境での増殖が遅く、競争力・配偶子産生能・生存能力が低下しています。この研究は、染色体の構造と機能に関して、真核生物の進化を調べる手法の1つを実証したものだ、と評価されています。

 もう一方の研究(Luo et al., 2018)は、CRISPR–Cas9を用いた酵母染色体の融合に成功し、16本から2本までの範囲で徐々に染色体数を減少させた、一連のほぼ同質遺伝子系統の酵母株を作製しました。約6メガ塩基の染色体を2本持つ株では、トランスクリプトームに多少の変化が見られたものの、大きな異常を示さず増殖しました。さらに、16本の染色体を持つ株を、染色体数がより少ない株と交配させたさいに、2つの傾向が明らかになりました。染色体数が16本より減少すると、胞子の生存率は顕著に低下し、染色体が12本の株では10%未満となりました。染色体数がさらに減少すると、酵母の胞子形成は停止しました。染色体が16本の株と8本の株とを交配させると、完全な四分子形成が大きく減少し、胞子形成が1%未満になり、そこから生存能力のある胞子は得られませんでした。しかし、8本、4本あるいは2本の染色体を持つ株同士の間での同型交配では、優れた胞子形成が行なわれ、生存能力を有する胞子が産生されました。これらの結果から、8つの染色体間の融合事象は生殖能を持つ酵母株を隔離するのに充分だと示されました。出芽酵母は、予想以上によく染色体数の減少を許容していた、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【遺伝学】酵母細胞の適応度を大きく損なうことなくその染色体を融合させる

 酵母の染色体は通常は16本だが、わずか1本あるいは2本の染色体しか持たない新しい酵母株が作られたことを報告する2編の論文が、今週掲載される。

 真核生物のゲノムは、染色体で分割されるが、その数は種によって異なる。例えば、ヒトの染色体は23対、類人猿は24対であるのに対し、雄のトビキバハリアリは1対しか持っていない。こうした種差の原因は、偶発的なテロメア融合やゲノム重複事象である可能性が非常に高いのだが、染色体が複数あることの利点、そして染色体の総数の変化に対する生物種の耐性については解明されていない。

 これら2編の論文の著者は、CRISPR-Cas9技術を用いて、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)のゲノムを編集して新しい酵母株を作製し、その都度、染色体の数を徐々に減らしていった。Zhongjun Qinたちの研究グループは、全ての遺伝情報が1本の染色体に統合された新しい酵母株を作製し、Jef Boekeたちの研究グループは、独自に2本の染色体を有する酵母株を作製した。v

 融合が起こると染色体の3次元構造が大きく変化するが、これらの新しい酵母株は、わずかな数の非必須遺伝子の欠失を除けば、正常なS. cerevisiaeと同じ遺伝物質を含んでいる。これらの修飾された酵母細胞は、予想外にロバストで、さまざまな条件下で培養しても重大な増殖異常は起こらなかった。しかし、融合した染色体を持つ酵母株は、適応度がわずかに損なわれており、有性生殖に欠陥があるため、修飾されていない酵母株との競争ですぐに敗れる可能性がある。以上の研究知見は、染色体の数が多いことの利点を説明する第1歩になるかもしれない。


ゲノム編集:機能を備えた、染色体を1本だけ持つ酵母を作り出す

ゲノム編集:染色体融合による核型の改変は酵母の生殖隔離を引き起こす

ゲノム編集:酵母細胞では染色体の数を減らしてもその適応度にはほとんど影響がない

 真核生物の染色体の数は種によって大きく異なっている。だが、さまざまな種が染色体数の変動にどの程度耐えられるのかは分かっていない。今回、酵母染色体を連続的に融合させて数を減らしていく実験を2つの研究グループが別々に行い、J Boekeたちは染色体を2本にまで減らした酵母株を、Z Qinたちは染色体を1本にまでに減らした酵母株をそれぞれ作製した。改変された酵母細胞では適応度が一部の環境でわずかに低下し、有性生殖が最も大きく影響を受けた。だが、このような細胞は、巨大な染色体の三次元構造に大規模な再編成が起こっていたにもかかわらず、意外にも健常であった。



参考文献:
Luo J. et al.(2018): Karyotype engineering by chromosome fusion leads to reproductive isolation in yeast. Nature, 560, 7718, 392–396.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0374-x

Shao Y. et al.(2018): Creating a functional single-chromosome yeast. Nature, 560, 7718, 331–335.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0382-x
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敗戦と司馬史観(追記有)

2018/08/15 18:46
 何かの記念日に毎年同じ話題を書くのも芸がないと思い、これまで8月15日に戦争関連の話題に言及したのは、ブログを始めた2006年だけだったのですが(関連記事)、たまには戦争関連の記事を掲載してみます。私は中学生の頃から二十代前半の頃まで、具体的には1985〜1994年頃まで、小説だけではなく随筆も含めて、司馬遼太郎作品の熱心な愛読者でした。司馬作品を読まなくなったのは、特定の歴史事象や人物にたいする評価を不快に思ってある時から急にアンチになったからではなく、歴史学者の一般向け書籍をじゅうらいよりも読むようになり、そちらの方が面白くなって、自然に司馬作品から離れていったからでした。すでに司馬氏が亡くなった1996年2月12日の時点で、司馬作品にやや冷めていたことを覚えていますが、1998年頃には司馬作品で語られる歴史像・人物評価にかなり批判的になっており、当ブログでは、司馬作品と通ずる織田信長像を提示する堺屋太一氏の見解を批判的に取り上げたこともあります(関連記事)。

 第二次世界大戦における大日本帝国の敗戦へといたる過程について、いわゆる司馬史観では、敗戦までの昭和期の軍人の異常性と、明治期の軍人・政治家の「健全性」が対照的に強調され、両者が切断されました。この見解に関しては、司馬作品の熱心な愛読者だった頃から疑問に思っていたのですが、その後、すっかり批判的になりました。ただ、大敗北で落ち込んだ日本国民にとって、敗戦までの昭和期の軍人を日本史から切断し、その異常性を強調することが、ある種の癒し・国民統合として作用したことも否定できないのではないか、と今では思います。小説・随筆などでそうした史観を提示したことも、司馬氏が一時は(今でも?)国民的作家たり得た一因だったのでしょうし、敗戦後の日本社会においてそうした物語が求められた、という側面も多分にあるのだと思います。織田信長についても同様で、司馬氏は敗戦後日本の願望・癒しとしての織田信長像を提示したのではないか、と私は以前から考えています。司馬氏の提示した信長像は、敗戦によりいっそう強固となった欧米への劣等感を払拭してくれるような、後進性を超越した近代的・先進的・独創的英雄で、敗戦後の日本には、そうした英雄を待望する感情が根底にあったのだと思います。まあ、それが戦後日本人にとっての「癒し」において、高度経済成長よりも重要だった、というわけではありませんが。

 信長はさておき、第二次世界大戦における大日本帝国の敗戦へといたる過程についてですが、別に敗戦までの昭和期の軍人および政治家・官僚・財界人・知識人・報道機関などは、その中に「異常」と呼べるような個人が何人かいたとしても、全体的にはとくに「異常」だったわけではなく、敗戦までの昭和期日本の個々の決断は、人類史において普遍的に見られるものだったと思います。多大な犠牲を払って獲得した土地・利権を手放したくないとか、犠牲者数が増加したので安易な講和はできないとか、あそこに攻め込んでも某国(組織)は大して反応を見せないだろうとか、大破局という結果を知っている後世の人々には愚劣極まりない決断に見えることも、基本的には自己評価が高く楽観的な、普遍的人間心理に基づくものです。それだけに、過去にも、モンゴルに滅ぼされたホラズムや普仏戦争時の第二帝政下のフランスなど珍しい事例ではなく、今後も同じ誤りを犯す可能性はありますし、現在進行形で犯しているものでもあるのだと思います。また、広い視野で判断できる人は昔も今も少なく、ましてやそれを理解して実行に移せる人はもっと少なく、さらには、視野が狭くごく狭い自分の世界・組織に生きる強硬派を上手く抑えられるような手腕の人はごく少数、と考えるべきでしょう。大日本帝国と同様の大失敗はいつどこでも起き得ることで、完全に防ぐことは不可能なのですが(少なくとも現代人には)、多様な意見を堂々と主張できる空間を確保することは、大日本帝国のような破局を防ぐのに役立つとは思います。

 もちろん、多様な意見を堂々と主張できる空間を確保できたところで、破局にいたるかもしれない現在進行形の問題を解決できるとは限りません。それは、上述したように、広い視野で判断できる人は昔も今も少ない、といった問題もあるのですが、ほとんどの社会問題は結局のところ、トレードオフ(交換)と合成の誤謬に行きつくからではないか、と思います。とくに経済問題はそうですが、人間社会には多分にゼロサムゲーム的なところがあります。あちらを立てればこちらが立たずで(トレードオフ)、何かを変えようとすれば、特定の範囲の人々に犠牲・減益(精神的なものも含めて)を強いる場合が多く、したがって抵抗も起きます。

 また、個人も含めて小さな単位では合理的な行動が、より広範な単位では不利益になることは珍しくありません(合成の誤謬)。質素倹約は個人や家庭単位では将来の不測の事態に備えるという点でも合理的な選択で、多くの社会で美徳とされますが、多くの人が質素倹約に努めれば、社会が貧困化してけっきょくは多くの人が苦しむことになります。子供を持たない生活は、個人もしくは夫婦単位では、子供の過ちの責任を負う機会を減らすことができ、生活水準を下げずにすみますし、仕事もしくは趣味の点で生き甲斐を感じる機会を増やせるという点で、じつに合理的な選択です。しかし、多くの人がそのような選択をとったら、社会は崩壊します。こう言うと、人口減少は結構なことだ、と言い出す知識階層の人々が少なからずいるのですが、そういった人々が情報を発信するネット環境にしても既存マスメディアにしても、それらを運用するために必要なものとして、水道・電気・道路に限らず多くの社会資本の維持が必要だと考えると、人口減少を受け入れるべきだ、といったことを安易に言うべきではないと思います。少なくとも現在の快適な生活の何割かを捨て去ること、さらには死ぬ可能性が高くなることを覚悟で発言すべきでしょう。

 人口減少に限らず、多くの社会問題はトレードオフと合成の誤謬に行きつくので、解決は難しくなっています。その昔、リベラルと自称する歴史学者が、普段はブラック企業と自民党政権を罵倒し、自分はファシズムについて考え抜いた、安倍政権はファシズムだと言い張り、人口減少を恐れるな、経済成長のパラノイアから脱せよ、と主張していました。しかしその歴史学者はある時、自分のお勧めの本について、Amazonでポチっと、と実にお気楽に発言し、私は呆れ果てたものです。「Amazonでポチっと」本を購入することに、どれだけの社会資本の維持が必要なのか、またどれだけの負担を関連企業・組織の従業員に強いているのか、まったく思いが及んでいない様子でした。自分にとっての快適さの一つが、多くの人々の犠牲の上に成り立っていることが、まったく見えていなかったのでしょう。その意味で、ある社会問題の改善は、ある範囲の人々の利益を侵害することが多々あります。それが、ごく狭い範囲の支配層ならば、「不正な特権」の是正だから正しいではないか、との意見もあるでしょう。しかし、多くの場合、そのように単純な事例ではないと思います。

 最近話題になった東京医大の件にしても、より広く見れば医療従事者にたいする過重負担が根底にあります。看護師による患者殺害容疑など、医療従事者にたいする過重負担が要因と思われる歪みは可視化されたものでも少なくなく、改善は急務です。しかしそれにより、全員がいつ経験しても不思議ではない病気・負傷の治療の水準が、現在よりもある程度以上低下することは避けられないでしょう。しかも、それは貧困層にたいしてより大きな影響を与える可能性が高いと思います。医療従事者の労働環境は直ちに是正されねばなりませんが、そのさいに、日本の住民全員が、治療水準のある程度以上の低下を受け入れる覚悟が必要でしょう。もちろん、なるべく公平感を損なわないような制度設計が望まれますし、その担保には多様な言論空間が必要でしょうが、あちらを立てればこちらが立たずで、日本全体での合意はなかなか難しいと思います。こういう問題こそ、政治家が一定以上の有権者から嫌われる覚悟を持って決断し、進めねばならないのでしょう。後半は表題から外れた内容になってしまいましたが、この機会に、まとまりがないとしても、普段の思いつきを文章にしてみよう、と思った次第です。


追記(2018年8月15日)
 述べ忘れましたが、終戦記念日が現在のように8月15日に固定されたのは1950年代半ば以降で、占領期の新聞報道では、9月2日が事実上の終戦記念日として位置づけられていました(関連記事)。また、東京医大の件に関しては、もちろん、性差など医療従事者にたいする過重負担よりもさらに広範な社会問題が根底にあります。
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睡眠不足と引きこもりの関係

2018/08/15 18:45
 睡眠不足と引きこもりの関係についての研究(Simon, and Walker., 2018)が公表されました。この研究は、18人の健康な成人を睡眠検査室に集めて、一晩断眠させた上で社交性を調べる心理テストを実施しました。このテストで、断眠した被験者は、他の人々を避ける傾向を示しました。また、他者の接近を警告する脳領域が断眠により過敏になることも明らかになりました。さらに、被験者と無関係の参加者1033人が、被験者のビデオ映像を見て、断眠した者の方が睡眠をとった者よりも孤独だと評価し、断眠した被験者のビデオ映像を見た後に自らの孤独感が有意に増した、と評価しました。

 これらの結果は、睡眠が不足すると、他者との社会的距離を長くとるようになり、断眠した者と接触した者も孤独感が増す可能性のあることを示唆しています。このような関連に性差があるのかどうか、あるいは年齢に応じて変化するのかどうかを見極めるには、さらなる実験が必要ですが、睡眠と孤独感の間に一定の関係が存在している可能性のあることが、この研究結果で示唆されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


神経科学:睡眠不足が引きこもりに結び付く可能性

 18人の被験者を対象とした研究で、睡眠の完全な欠如は、引きこもりと孤独の神経・行動プロファイルと関連することが分かった。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Matthew WalkerとEti Ben Simonは、18人の健康な成人を睡眠検査室に集めて、一晩断眠させた上で社交性を調べる心理テストを実施した。このテストで、断眠した被験者は、他の人々を避ける傾向を示した。また、他者の接近を警告する脳領域が断眠によって過敏になることも判明した。さらに、被験者と無関係の参加者1033人が、被験者のビデオ映像を見て、断眠した者の方が睡眠をとった者よりも孤独だと評価し、断眠した被験者のビデオ映像を見た後に自らの孤独感が有意に増したと評価した。以上の結果は、睡眠が不足すると、他者との社会的距離を長くとるようになり、断眠した者と接触した者も孤独感が増す可能性のあることを示唆している。

 このような関連に性差があるのかどうか、あるいは年齢に応じて変化するのかどうかを見極めるには、さらなる実験が必要だが、睡眠と孤独感の間に一定の関係が存在している可能性のあることが、今回の研究結果で示唆された。



参考文献:
Simon EB, and Walker MP.(2018): Sleep loss causes social withdrawal and loneliness. Nature Communications, 9, 3146.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05377-0
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コアラのゲノム解析

2018/08/14 16:24
 コアラのゲノム解析結果を報告した研究(Nagel et al., 2018)が報道されました。本論文は、ロングリード塩基配列解読技術と光学マッピングを用いて、コアラの高品質ゲノムを組み立てました。これは、有袋類のゲノム塩基配列としては、これまでに記録されたものの中で最も完全なものとなります。ゲノム解析の結果、コアラでは解毒酵素に関連する遺伝子ファミリーの拡大が見られる、と明らかになりました。これによりコアラは、フェノールを豊富に含むユーカリの葉を食べても生きていくことができます。さらに本論文は、栄養価が最も高く、水分を多く含む葉を選び出すために役立つコアラの嗅覚受容体遺伝子と味覚受容体遺伝子の目録を作成しました。

 また本論文は、免疫遺伝子クラスターについて包括的なアノテーションも実施し、これにより、コアラ集団に一般的に見られるクラミジア感染症に関する研究が可能になるかもしれません。コアラは、生息地の減少・集団の分断化・疾患感受性がいずれも顕著になり、脅威にさらされています。本論文の知見から、コアラの過去の個体数動態を再構築し、現在の集団内の多様性を評価することが可能となります。コアラのゲノムは、今後のコアラの保全活動を形作る際に利用できる内容豊富な情報源と言えます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ゲノミクスでコアラを絶滅から守る

 コアラのゲノム塩基配列について報告する論文が、今週掲載される。このデータは、有袋類のゲノム塩基配列として、これまでに記録されたものの中で最も完全なもので、コアラの独特な生物学的性質を解明する上で手掛かりとなる。また、コアラが発症する疾患の治療に役立ち、コアラの保全活動にとって有益な情報となる可能性もある。

 今回、Rebecca Johnsonたちの研究グループは、ロングリード塩基配列解読技術と光学マッピングを用いてコアラの高品質ゲノムを組み立てた。その結果、このゲノムでは解毒酵素に関連する遺伝子ファミリーの拡大が見られることが明らかになった。これによってコアラは、フェノールを豊富に含むユーカリの葉を食べても生きていくことができる。次に、Johnsonたちは、栄養価が最も高く、水分を多く含む葉を選び出すために役立つコアラの嗅覚受容体遺伝子と味覚受容体遺伝子の目録を作成した。また、免疫遺伝子クラスターについて包括的なアノテーションも実施し、これによってコアラ集団に一般的に見られるクラミジア感染症に関する研究が可能になるかもしれない。

 コアラは、生息地の減少、集団の分断化、疾患感受性がいずれも顕著になり、脅威にさらされている。今回の知見から、コアラの過去の個体数動態を再構築し、現在の集団内の多様性を評価することが可能となる。今回発表されたコアラのゲノムは、今後のコアラの保全活動を形作る際に利用できる内容豊富な情報源と言える。



参考文献:
Nagel M. et al.(2018): Adaptation and conservation insights from the koala genome. Nature Genetics, 50, 8, 1102–1111.
https://dx.doi.org/10.1038/s41588-018-0153-5
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アフリカ中央部の人口史

2018/08/13 16:38
 アフリカ中央部の人口史に関する研究(Patin, and Quintana-Murci., 2018)が公表されました。西のコンゴ盆地から東のヴィクトリア湖まで広がる広大なアフリカ中央部は、大半が密集した熱帯雨林で覆われており、世界でも有数の生物多様性の高い地域です。アフリカ中央部には狩猟採集民とバンツー語族の農耕民がおり、生業だけではなく、生活様式や疾患への感受性も異なります。ほとんどの農耕民共同体は定住で、農村や都市に住んでいますが、熱帯雨林狩猟採集民は伝統的に熱帯雨林の野営地にしばしば小屋を建てて住み、別の野営地へと定期的に移動します。本論文では、このアフリカ中央部の熱帯雨林狩猟採集民を、コンゴ盆地の西部諸集団とヴィクトリア湖周辺の東部諸集団とに区分しています。熱帯雨林狩猟採集民は、世界でもかなり小柄な方の集団です。

 バンツー語族農耕民は現在のナイジェリア南東部やカメルーン西部が起源地で、農耕の開始は5000〜3000年前頃となり、この頃、とくに3000年前頃以降に急速に拡大した、と推定されています。この頃にアフリカ中央部では土器や磨製石器が出現し、熱帯雨林狩猟採集民とバンツー語族農耕民との交流が古くからあったことを示唆しています。両者の関係は現在でも維持されており、熱帯雨林狩猟採集民の中には、近隣の農耕民への強い社会経済的依存のために、一定期間定住する集団もいます。熱帯雨林の酸性土壌のため、アフリカ中央部の人類遺骸はたいへん少なく、人口史の推定が難しくなっています。後期更新世におけるアフリカ中央部の最古の人類遺骸の年代は、25000〜20000年前頃となります。アフリカでも現生人類(Homo sapiens)系統と古代型ホモ属との交雑の可能性が指摘されていますが(関連記事)、アフリカでは古代型ホモ属のDNAがまだ解析されていないので、確定したわけではありません。

 本論文は、現代人のDNA解析に基づき、アフリカ中央部の人口史を復元しています。熱帯雨林狩猟採集民系統とバンツー語族農耕民系統との推定分岐年代は、研究により違いはありますが、6万年以上前となる可能性がきわめて高そうです。熱帯雨林狩猟採集民では、東部系と西部系の推定分岐年代が18000(30000〜7000)年前頃、東部と西部で各地域集団が分岐していったのが9000(13000〜3000)年前頃と推定されています。バンツー語族で東部系と西部系が分岐したのは、9000年前頃よりも前と推定されています。

 アフリカ中央部では完新世になって熱帯雨林が増大しますが、4000年前頃以降は縮小します。これは、バンツー語族農耕民の拡大と同じ頃のことです。アフリカ中央部・東部・南部のバンツー語族の遺伝的違いは比較的小さく、最近、とくに3000年前頃以降の急速な拡大を示唆しています。遺伝学・言語学的研究からは、バンツー語族は最初に熱帯雨林を通って南下した、と推測されています。ただ、バンツー語族の人口増は5000〜3000年前頃に始まる拡大のみでは説明できず、農耕開始前にすでにある程度以上の人口を有していたのではないか、と推測されています。

 バンツー語族はアフリカ中央部へと拡散し、在来の熱帯雨林狩猟採集民と交雑した、と考えられています。その遺伝的影響は、バンツー語族農耕民から熱帯雨林狩猟採集民の方が、その逆より大きかった、と推定されています。そのため、熱帯雨林狩猟採集民の中には、バンツー語族農耕民の遺伝的影響を強く受けた集団も存在します。また、バンツー語族農耕民から熱帯雨林狩猟採集民への遺伝的影響は全体的には性的に非対称で、男性に偏っていた、と推測されています。こうした配偶行動における性的非対称性は、人類史において珍しくなかったようです(関連記事)。ただ、西部の熱帯雨林狩猟採集民全集団で性的非対称の交雑が確認されるわけではなく、集団間の婚姻習慣は多様だったことが窺えます。

 上述したように、熱帯雨林狩猟採集民系統とバンツー語族農耕民系統との推定分岐年代は60000年以上前となりますが、両者の有効人口規模の違いは、5000〜3000年前頃からのバンツー語族農耕民の最初の拡大前の事象に起因しているようで、両系統が農耕開始前から異なる適応の歴史を有する、と示唆されています。そうした地域的適応の具体例として想定されているのは、熱帯雨林狩猟採集民の小柄な体格や繁殖の早期化です。こうした表現型は食料の比較的乏しい熱帯雨林で適応的だっただろう、というわけです。アフリカ中央部における地域的適応としては、マラリア耐性関連遺伝子が有名で、研究が進んでいます。ただ本論文は、適応的痕跡の多くはまだその遺伝的構造が確定したわけではない、と注意を喚起しています。

 上述したように、バンツー語族農耕民の拡大は5000〜3000年前頃に始まり、急速な拡大は3000年前頃以降と最近になってのことでなので、新たな生態系への適応に、在来の熱帯雨林狩猟採集民との交雑により獲得したと推定される遺伝子が役立った、と推測されています。たとえば、ヒト白血球型抗原(その中でもHLA-D)やマラリアへの耐性関連遺伝子がそうです。もっとも、上述したように、アフリカ中央部における人類遺骸は少なく、古代DNA研究は他地域、とくにヨーロッパと比較すると大きく遅れています。また本論文は、アフリカ中央部では現代人の高品質なゲノム配列にもまだ地域的偏りがあり、じゅうぶんとは言えない、と指摘しています。その意味で、アフリカ中央部における人口史の復元はまだ不充分と言うべきなのでしょうが、それだけに、進展の余地が大きいとも言えるわけで、今後の研究が楽しみです。


参考文献:
Patin E, and Quintana-Murci L.(2018): The demographic and adaptive history of central African hunter-gatherers and farmers. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 90-97.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.07.008
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春秋戦国時代における性差の拡大

2018/08/12 18:56
 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、春秋戦国時代における性差の拡大に関する研究(Dong et al., 2017)が公表されました。春秋戦国時代に成立し、その後(とくに後漢以降)20世紀初頭まで東アジアにおいて大きな影響力を有し続けた儒教には、女性蔑視傾向が見られます。こうした男性と比較しての女性の低い社会的地位が春秋戦国時代に成立していたのか、まだよく明らかにはなってません。本論文はこの問題を、空間的には中国でもいわゆる中原を、時間的には新石器時代から春秋戦国時代までを対象として、考古学的観点から検証しています。具体的には、安定同位体分析による当時の人類の食性の推定、人類遺骸による体格の測定、墓地の規模・埋葬品の分析です。

 なお、本論文では、紀元前5000〜紀元前2900年頃が新石器時代の仰韶(Yangshao)文化期、紀元前2600〜紀元前1900年頃が後期新石器時代、紀元前1700〜紀元前221年が青銅器時代、紀元前771〜紀元前221年が東周時代とされています。東周は紀元前256年に滅亡しているので、今回は東周時代ではなく春秋戦国時代との表記を用います。春秋戦国時代の人類遺骸に関しては、中華人民共和国河南省鄭州市新鄭市の鄭韓故城(Ancient City of Zheng Han)の暢馨園(Changxinyuan)と西亜斯(Xiyasi)で発見されたものが分析されました。春秋戦国時代の動物データは、鄭韓故城の墓地がある天利(Tianli)から得られました。

 中原で農耕が始まったのは紀元前8000年頃で、まずアワ(Setaria italica)やキビ(Panicum miliaceum)が栽培されるようになりました。紀元前の中原における栽培作物のなかでC4植物はアワとキビのみです。コムギ(Triticum aestivum)とオオムギ(Hordeum vulgare)が西方から中原に導入されたのは後期新石器時代(紀元前2600〜紀元前1900年頃)ですが、後期新石器時代と青銅器時代において、一貫してアワやキビよりも植物遺骸に占める比率は低かったようです。ダイズ(Glycine max)の栽培は中原では後期新石器時代に始まり、しだいに重要な作物になっていきました。漢王朝においてコムギ・オオムギ・マメ類は、貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧でした。漢王朝末期には、製粉技術の革新により、コムギは麺類に用いられる価値の高い食材と認識されるようになりました。

 中原での動物の家畜化は、更新世から家畜化が進んでいただろうイヌを除けば、ブタから始まります。仰韶文化期の遺跡の動物の骨ではシカ・イヌ・ブタの割合が多く、家畜に限定されていませんでした。しかし、青銅器時代になると、遺跡の動物の骨は家畜の割合が支配的となります。後期新石器時代以降、中原にも他地域から家畜が導入されるようになります。家畜化されたウシ(Bos taurus)が出現するのは後期新石器時代となる紀元前2500〜紀元前2000年頃、ヒツジの出現も後期新石器時代で、スイギュウ(Bubalus bubalus)が南アジアから中原に導入されたのは青銅器時代となる紀元前1000年頃です。わずかではありますが、青銅器時代の遺跡ではトラの骨も見つかっています。儀式で用いられたのかもしれません。

 安定同位体分析による人類の食性の推定の結果、C4植物のアワやキビは新石器時代以降ずっと重要な作物だったとはいえ、春秋戦国時代になると、次第に他地域から新たに導入されたC3植物のコムギ・オオムギ、また同じくC3植物で在来野生種から栽培化が進んだと思われるダイズの消費の割合が増えてきた、と明らかになりました。ここで重要なのは、安定同位体分析から、C3植物の消費の増大が女性で男性よりも有意に見られ、(肉だけではなく卵なども含めて)動物性食料の消費の減少と関連している、と明らかになったことです。本論文は、女性の食性においてマメ類の占める割合が増加したのではないか、と推測しています。一方、仰韶文化期の食性はかなり多様で、姜寨(Jiangzhai)遺跡を除いて食性に有意な性差は見られませんでした。上述したように、コムギ・オオムギ・マメ類は、漢代において貧困層の飢饉対策用の社会的地位の低い食糧でした。これは、新石器時代と比較して、女性の社会的地位が低下したことを示唆する証拠となりそうです。

 現生人類(Homo sapiens)の平均身長は男性の方が女性より高いのですが、人類遺骸の分析から、仰韶文化期と比較して春秋戦国時代には、その差が拡大しました。これも春秋戦国時代に女性の社会的地位が男性との比較で低下していったことの証拠とされていますが、食性の影響が大きかったように思われます。春秋戦国時代の中原の女性が、男性との比較で仰韶文化期よりも動物性タンパク質の摂取量の比率が低下したとしたら、男性との身長差が拡大したとしても不思議ではないでしょう。本論文は、春秋戦国時代には家庭において、もはや食事が男女で共有されておらず、親が女子よりも男子に偏った投資をしていた可能性を指摘しています。

 これらは生前の社会状況ですが、死後においても性差が拡大した、と本論文は指摘します。埋葬において、墓地の規模・副葬品では、仰韶文化期には大きな性差は見られませんでした。しかし、春秋戦国時代になると、墓地の規模・副葬品で明らかに男性を優遇した状況が見られます。本論文は、骨格で識別された性と社会文化的な性(ジェンダー)とは必ず一致するわけではないものの、墓地の変遷はジェンダーの役割と不平等に関連する社会経済的変化への強い示唆になる、と指摘しています。

 本論文は、比較的性差の少ない新石器時代から、生前には親が女子よりも男子に多く投資し、死後には男性が女性よりも埋葬で優遇されるような社会が春秋戦国時代に形成された理由として、文化的規範を挙げています。儒教に見られるような女性蔑視には確たる社会的背景があったのではないか、というわけです。では、そうした文化的規範が成立した理由についてですが、本論文は、コムギ・オオムギなどの作物やウシなどの新たな家畜が他地域から導入され、生存戦略が変化し、社会がより複雑化したことと関連しているのではないか、と推測しています。

 性差の拡大は人類史における大問題で、かなり複雑な背景があるでしょうから、私が的確に全体像を把握することはほとんど無理と思われるのですが、共同体の拡大およびその延長としての国家の成立、さらにはその過程での軍事行動の重要性増大と深く関わっているのではないか、と漠然と考えています。もちろん、個体差は大きいとしても、更新世までの進化の過程が形成されていった、さまざまな表現型における男女の生得的な違いも重要ではないか、と思います。この問題に関しては、少しずつ情報を得て考え続けていくつもりです。


参考文献:
Dong Y. et al.(2017): Shifting diets and the rise of male-biased inequality on the Central Plains of China during Eastern Zhou. PNAS, 114, 5, 932–937.
https://doi.org/10.1073/pnas.1611742114
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大河ドラマ『西郷どん』第30回「怪人 岩倉具視」

2018/08/12 18:54
 一橋(徳川)慶喜に見切りをつけた西郷吉之助(隆盛)は、倒幕へと動き出し、近衛家を頼りますが、孝明帝は慶喜を頼りきっており、近衛家は情勢不利と判断して消極的です。吉之助は近衛家で岩倉具視のことを聞き、すでに岩倉と面識のある大久保一蔵(正助、利通)に、岩倉との面会を仲介してもらえないか、と頼みます。一蔵は渋りつつ吉之助を岩倉が蟄居している邸宅に案内します。吉之助は岩倉に倒幕の意志を打ち明け、岩倉は吉之助から金を受け取り、協力すると吉之助に伝えますが、岩倉は吉之助と一蔵を賭場に案内するだけで、

 吉之助に協力する様子はありません。吉之助はその賭場で、桂小五郎(木戸孝允)と再会します。桂は吉之助にたいして恨み節全開で突き放した態度を取りますが、吉之助は桂に、薩摩藩と長州藩との提携を申し出ます。桂は吉之助の提案を一蹴し、一蔵と斬り合いになりかけますが、岩倉が仲裁します。岩倉は吉之助に、倒幕は叶うかもしれない、と伝えます。吉之助は岩倉に仕えて、岩倉が大人物であることを知ります。倒幕を訴える吉之助に、自分は孝明帝から嫌われてしまった、と自暴自棄になった岩倉を、吉之助はなおも見捨てようとせず、一蔵は呆れます。吉之助に連れて来られた薩摩藩士たちに持ち上げられてもなお、自暴自棄な岩倉でしたが、息子たちが赦免され、自分も孝明帝から見捨てられていないと知り、政治への意欲を取り戻します。

 今回は岩倉と吉之助との出会いが描かれ、吉之助は一蔵だけではなく岩倉と桂にも倒幕の意志を明らかにし、物語としては第一の山場である江戸開城へとはっきりと動き出しました。岩倉の人となり、岩倉と吉之助との出会い、岩倉の復活までの経緯が描かれたのは、悪くないと思います。しかし、次回でようやく、いわゆる薩長同盟の前の吉之助と坂本龍馬とのやり取りが描かれるわけで、率直に言って進行が遅すぎると思います。同じく西郷隆盛が主人公ということで、本作と比較対象になる『翔ぶが如く』は1990年放送で、今年(2018年)と日付・曜日が一致しています。『翔ぶが如く』で薩長同盟が描かれたのは7月1日放送分で、本作では8月26日放送分になりそうですから、約2ヶ月遅れていることになります。明治編が『翔ぶが如く』と比較して随分と短くなりそうで、これでは吉之助を主人公とする意味があったのか、と疑問に思ってしまいます。
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竹中亨『ヴィルヘルム2世 ドイツ帝国と運命を共にした「国民皇帝」』

2018/08/12 08:29
 中公新書の一冊として、中央公論新社から2018年5月に刊行されました。「あとがき」にあるように、ヴィルヘルム2世は、傲慢で独善的、癇性で衝動的、自信過剰で自己顕示欲が強烈という、とても個人的には付き合いたくはない人間です。しかし本書は、ヴィルヘルム2世には柔弱で依存心の強いところもあった多面的で矛盾した人物で、人格的矛盾こそ最大の人格的特徴だった、と指摘しています。このようなヴィルヘルム2世の人格形成の要因として、誕生時に起因する左腕の障害が一因ではないか、と本書は推測しています。この障害を克服すべく、母親から厳しい教育を強いられたヴィルヘルム2世は、母親と母親に言いなりの傾向にある父親を激しく嫌うようになります。

 イギリス王家出身の母親(ヴィクトリア女王の長女)は、イギリスを模範として疑わない理想主義的なところがあり、その母親への反発から、ヴィルヘルム2世はイギリスを激しく攻撃したこともあります。しかし、ヴィルヘルム2世には生涯にわたってイギリスへの敬慕があり、イギリスは重要なアイデンティティの一部を形成していました。一方でヴィルヘルム2世は、イギリス的な自由主義傾向の強い両親への強い反発から、祖父のヴィルヘルム1世を敬慕し、祖父もまた、自由主義的な息子夫婦(ヴィルヘルム2世の両親)への不満から、孫に期待をかけていました。このように、ヴィルヘルム2世の中では、イギリス的要素とプロイセン的要素とが混在しており、本書はこの点でもヴィルヘルム2世の矛盾した人格を強調しています。

 大宰相のビスマルクは、自由主義への警戒からヴィルヘルム2世に接近し、当初は両者の関係は良好でした。しかし、ヴィルヘルム2世の場当たり的な外交方針は、緻密なビスマルクの外交方針を破綻させるものであり、両者の関係は悪化していきます。けっきょく、ヴィルヘルム2世は即位後、宰相のビスマルクを罷免します。両者の衝突は、外交方針の違いというだけではなく、皇帝専制を志向するヴィルヘルム2世と、実質的な政権運営者としての宰相たるビスマルクとの対立でもありました。しかし、宰相のビスマルクを罷免しても、近代国家において皇帝が専制的に政治を運営するのは事実上不可能で、ヴィルヘルム2世がじっさいに政治に及ぼした影響は、報道などから受ける印象と比較してずっと小さいものでした。さらに、上述した個性から窺えるように、ヴィルヘルム2世は衝動的で、皇帝専制政治を志向するとはいっても政務に熱心とは言えず気まぐれで、これがドイツ帝国の政治を迷走させたところは多分にあるようです。

 本書からは、ヴィルヘルム2世のこのような個性が、宿敵のフランスだけではなく、イギリスとロシアも敵に回すという不利な状況で第一次世界大戦を迎え、ついには敗北して帝政が崩壊するにいたった過程において、一定以上の役割を果たした、と窺えます。しかし本書は、ヴィルヘルム2世を、単に気まぐれで政治的にはドイツ帝国に悪影響を及ぼした暗君として描くのではなく、ヴィルヘルム2世の強い自己顕示欲に基づく行動が、各領邦の強い自立性により成立していたドイツ帝国の一体性を強めていき、ドイツ人の国家としての統合が進んだ、という側面も指摘しています。本書は、日本語で読めるヴィルヘルム2世の簡潔な評伝として、今後長く読み続けられていく良書と言えるでしょう。
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アラビア半島中央部のアシューリアン

2018/08/11 13:55
 アラビア半島中央部のアシューリアン(Acheulean)石器群に関する研究(Shipton et al., 2018B)が報道されました。アフリカ・南アジア・ヨーロッパの間に位置するアラビア半島は、下部旧石器時代となるアシューリアンの拡散において重要な位置を占めていると言えそうですが、アラビア半島のアシューリアンに関する情報は少なく、過小評価されています。アシューリアンは緯度55度以下に拡散しましたが、アシューリアンの担い手であるホモ属集団がどのように新たな環境に適応できたのか、詳細は不明です。本論文は、アラビア半島中央部のダワドミ(Dawadmi)町サッファーカ(Saffaqah)村近くのアシューリアン遺跡群を調査し、当時の人類の環境適応について検証しています。

 サッファーカ遺跡群では、握斧(handaxes)や鉈状石器(cleavers)も含む、100万個近いアシューリアン石器群が表面採集されています。サッファーカ遺跡群は、アラビア半島の東西両岸(ペルシア湾側と紅海側)のどちらからもほぼ同距離(500km)となる内陸部に位置しています。サファーカ遺跡は、ワディアルバティン(Wadi al Batin)川とワディサブハ(Wadi Sabha)川という、現在では枯れてしまったアラビア半島の当時の主要な2河川の源流近くに位置します。当時、アラビア半島は現在よりもずっと湿潤でした。サッファーカ遺跡群では、旧河川近くやそこからやや離れた地点で複数の遺跡群が確認されており、遺跡群から離れた地点でも石器群が見つかっています。サッファーカ遺跡群の年代については、いくつかの石器がウラン-トリウム法により20万年以上前と推定されています。

 サッファーカ遺跡群のアシューリアン石器群については、ルヴァロワ(Levallois)技術の要素も以前報告されましたが、本論文の分析では否定されています。石器群の分析から、当時の人類の手先は現代人と同様に器用だった、と推測されます。サッファーカ遺跡群のアシューリアン石器群の特徴は、技術的にたいへん安定している、ということです。これは、レヴァントのジスルバノトヤコブ(Gesher Benot Ya'aqov)遺跡のアシューリアン石器群とも一致する傾向だ、と指摘されています。アラビア半島中央部のアシューリアンは、保守的傾向がたいへん強かったのではないか、というわけです。

 この保守的傾向は、石材選択でも見られます。サッファーカ遺跡群の石器群の大半(各遺跡での比率は約82〜99%)は安山岩で製作されましたが、石英・流紋岩・花崗岩も多少ながら石材として用いられました。断片的な石英は旧河川近くの平野で露出していますが、握斧の制作にじゅうぶんな大きさの石英は遺跡群の一つから7kmほど離れた丘で容易に入手できます。しかし、サッファーカ遺跡群の人類集団(以下、SQ集団と省略します)が丘で石材を入手した証拠は見つかりませんでした。やや遠く、丘を登ることでカロリー消費も多くなるとはいえ、SQ集団は、より適した石材を(多少の?)手間暇かけて入手するよりも、手軽に入手できる丘よりも近くの石材を選択し続けた、というわけです。これは、後の人類集団であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や初期現生人類(Homo sapiens)が、時として山や丘を登って石材を入手したことと対照的です。

 石器構成の比率が、遺跡の場所により異なる傾向を示すことも、SQ集団の保守的傾向を示す、と指摘されています。河畔の遺跡群では河川からやや離れた遺跡群よりも、10mm以上の剥片がずっと少なく、初期段階の両面加工石器が顕著に少ない(まったくない河畔の遺跡もあります)一方で、両面加工石器はずっと多い、と明らかになりました。SQ集団は、河川からやや離れた場所で石器を加工し、精選した加工品を河畔に持ち込んで生活していたのではないか、と推測されます。アラビア半島の当時の人類集団は、アラビア半島の東西沿岸から河川沿いに中央部に拡散した、と考えられますが、そうした河川志向の傾向をずっと強く維持し続けたようです。

 本論文は、このようにSQ集団の保守的傾向を強調します。アシューリアン石器が高密度で発見されていることから、サッファーカ遺跡群の人類集団は繁栄したのだろう、と本論文は推測しています。SQ集団は、器用な手先と熟練した技術を有していたものの、石器群の分析からは、堆積物の分析により推測される環境変動に適応した様子が窺えず、乾燥化に対応できずにアラビア半島中央部を放棄したのではないか、と本論文は指摘します。SQ集団はあまりにも保守的だったので、環境変動に適応できず、撤退もしくは絶滅したのではないか、というわけです。アラビア半島中央部における中部旧石器時代の石器密度の低さと、サッファーカ遺跡群の石器群に中部旧石器的要素が見られないことからも、アラビア半島中央部におけるSQ集団のようなアシューリアン集団は中部旧石器時代の集団と連続しなかったのではないか、と本論文は指摘しています。

 SQ集団はまず間違いなくホモ属でしょうし、中期更新世前期にはホモ属は広範な地域に拡散します。それは、当時のホモ属の適応能力の高さを示しているとも解釈できそうですが、当時のホモ属による寒冷地域や乾燥地域の利用は限定的で断続的だった、と本論文は指摘します。SQ集団の事例からも、当時の人類の環境利用は後の人類集団と比較して限定的だったのではないか、というわけです。本論文は、SQ集団がホモ属のどの系統なのか、とくに論じてはいませんが、上記報道ではエレクトス(Homo erectus)と明記されています。広義だとしても、SQ集団がエレクトスに分類される可能性は低い、と私は考えていますが。

 すでに前期更新世において、ホモ属は広範な地域に拡散していたと思われます。そのため、前期〜中期更新世のホモ属の環境変動への適応能力は高かったように思われますが、本論文が指摘するように、そうした見解が確証されたとはまだ言えない状況でしょう。当時のホモ属は似たような環境に拡散し、気候変動により環境が変わると(たとえば寒冷化や乾燥化)、撤退するか絶滅した、という事例も多かったのではないか、と思います。

 ただ、本論文はSQ集団の保守的傾向を過大評価しているのではないか、との懸念も残ります。確かに、石材選択や石器技術に関してSQ集団は保守的だったかもしれませんが、食料の獲得などでは、もっと柔軟な行動をとっていたかもしれません。これは、人類遺骸の同位体分析などで明らかにできそうですが、アラビア半島で発見された更新世の人類遺骸はたいへん少なく、今後も劇的に増加するとは期待しにくいので、確証の難しい問題です。また、石材選択の節約的行動にしても、消費エネルギーを抑制する合理的行動とも解釈できるかもしれません。世界の広汎な地域で、前期〜中期更新世にかけての同様の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Shipton C, Blinkhorn J, Breeze PS, Cuthbertson P, Drake N, Groucutt HS, et al. (2018B) Acheulean technology and landscape use at Dawadmi, central Arabia. PLoS ONE 13(7): e0200497.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0200497
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アメリカ大陸への人類最初の移住経路

2018/08/10 17:57
 アメリカ大陸への人類最初の移住経路に関する研究(Potter et al., 2018)が報道されました。アメリカ大陸への人類最初の移住は、アメリカ合衆国の領土が深く関わっている問題ということもあってか、高い関心が寄せられてきました。この問題に関しては近年、人類はアメリカ大陸最初の広汎な文化であるクローヴィス(Clovis)の数千年前にベーリンジア(ベーリング陸橋)から太平洋沿岸経由でアメリカ大陸へと拡散し、海洋資源に高度に依存しつつ、南下して南アメリカ大陸南端まで急速に到達した、との見解(沿岸仮説)が有力になっています。中には、沿岸仮説で確定した、との論調も見られるそうですが、本論文は、改めて他の可能性も検証しています。

 沿岸仮説の対抗になりそうなのは、以前は通説だった内陸部の無氷回廊経由説です(無氷回廊仮説)。本論文はまず、アメリカ大陸への人類最初の拡散当時の地形と生態を復元します。遺伝学からは、アメリカ大陸先住民集団における最初の分岐は17500〜14600年前頃で、おそらくは北アメリカ大陸の氷床の南でのことだった、と推測されています(関連記事)。この後期〜末期更新世に人類はベーリンジア東部からアメリカ大陸へと拡散していったと考えられますが、この時期の北太平洋沿岸は、一般に考えられているのとは異なり、気温上昇による海面上昇にさいしても、半分以上は水没したわけではありませんでした。沿岸仮説の弱点は、北太平洋沿岸では12600年以上前の確実な遺跡がまだ発見されていないことです。

 無氷回廊仮説の弱点は、アメリカ大陸最初の人類はクローヴィス文化集団だった、との以前の有力な仮説と結びついていたことで、無氷回廊が開けたのはクローヴィス文化の直前と想定されていました。その後、アメリカ大陸においてクローヴィス文化以前の人類の痕跡が次々と報告されるようになり、そのために沿岸仮説が有力になっていきました。しかし本論文は、内陸部氷床は19000年前頃に融け始め、古生態系分析から、15000〜14000年前頃に無氷回廊が人類の拡散経路として開けていた可能性がある、と指摘しています。

 アラスカ内陸部では、タナナ川(Tanana River)流域で14200年以上前までさかのぼる人類の痕跡が確認されています。14200年以上前に、タナナ川流域へ北太平洋沿岸から進むことも可能ですが、15000〜14000年前頃には開けていた無氷回廊経由でもじゅうぶん可能というか、こちらの方が距離はずっと短くなります。また、14000〜13000年前頃のベーリンジア東部における黒曜石の長距離移動は内陸からの東西方向で、内陸では沿岸の黒曜石は実質的には発見されておらず、内陸資源への依存を示している、と本論文は指摘します。さらに本論文は、シベリア・極東ロシア・ベーリンジアのアメリカ大陸拡散前の集団は、沿岸環境よりも内陸環境に適応しており、最初期のアメリカ大陸の人類集団も一般的には陸上生活に適応しており、沿岸利用の証拠は限定的と指摘します。

 こうした知見を踏まえた本論文の見解は、沿岸仮説は確定的との評価も学界や一般報道・書籍で見られるものの、現時点での証拠からは、無氷回廊(内陸)仮説よりも優勢とは言えない、というものです。本論文は、沿岸仮説も無氷回廊仮説も現時点ではともに拒絶されるものではなく、両者は共存できるかもしれない、と指摘しています。アメリカ大陸への人類の拡散は複数あったかもしれない、というわけです。本論文は、この問題に関しては地形学的な調査が必要だ、と指摘しています。本論文が指摘するように、沿岸仮説で確定的との論調が近年では珍しくないような印象を私も受けていましたが、まだ調査・検証が必要なようです。


参考文献:
Potter BA. et al.(2018): Current evidence allows multiple models for the peopling of the Americas. Science Advances, 4, 8, eaat5473.
https://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aat5473
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サントリーニ火山の噴火時期

2018/08/10 17:56
 サントリーニ火山の噴火時期に関する研究(Ehrlich et al., 2018)が公表されました。サントリーニ火山の噴火は、青銅器時代の地中海における年代順配列を整合させるための固定点となっていますが、この火山噴火の時期を正確に決定することは困難でした。最近、サントリーニ火山の岩石破片の中に埋もれていたオリーブの木の枝を用いた年代測定が行なわれ、その噴火時期が紀元前1627〜1600年と推定され、紀元前1500年とする考古学者たちのそれまでの学説を1世紀以上さかのぼることになりました。この年代測定は、オリーブの枝の最も外側の年輪が火山噴火によって生きたまま埋もれる直前に形成された、という前提に立っていました。

 この研究は、オリーブの木の枝の最も外側の年輪が形成されるのは木が死滅する直前なのかどうか、さらに、この年輪を信頼性の高い年代測定に利用できるかどうかを評価するため、オリーブの現生種の木の幹から採取した試料20点と、2013年に伐採された枝から採取した試料11点について、放射性炭素濃度分析を実施しました。その結果、いずれの試料群においても、樹皮に最も近い層から採取された試料の年代測定結果に最大40〜50年の幅がある、と明らかになりました。

 この知見から、オリーブの木において、目視で確認できる年輪が系統的に形成されず、同じ木の中で死滅時よりもかなり前に成長の停止してしまう部分があるという現象は一般的である、と示唆されます。この知見は、サントリーニ火山で発見されたオリーブの枝の年代測定によって得られる結果の解釈に異を唱えるもので、エーゲ海・エジプト・レバント地方の考古学史にとって重要なだけでなく、考古学的に保存されたオリーブの木を用いる今後の研究にとっても重要となる可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】オリーブの木の枝はサントリーニ火山の噴火時期をめぐる論争を解決していないのかもしれない

 サントリーニ火山の噴火時期を決めるために用いられたオリーブの木の枝が、実際の噴火より40〜50年前のものだった可能性のあることを報告する論文が、今週掲載される。

 サントリーニ火山の噴火は、青銅器時代の地中海における年代順配列を整合させるための固定点となっているが、この火山噴火の時期を正確に決定することは難しかった。最近、サントリーニ火山の岩石破片の中に埋もれていたオリーブの木の枝を用いた年代測定が行われ、その噴火時期が紀元前1627〜1600年とされ、紀元前1500年とする考古学者たちのそれまでの学説を1世紀以上さかのぼることになった。この年代測定は、オリーブの枝の最も外側の年輪が火山噴火によって生きたまま埋もれる直前に形成されたという前提に立っていた。

 今回、Elizabetta Boarettoたちの研究グループは、オリーブの木の枝の最も外側の年輪が形成されるのは木が死滅する直前なのかどうか、そして、この年輪を信頼性の高い年代測定に利用できるかどうかを評価するため、オリーブの現生種の木の幹から採取した試料20点と、2013年に伐採された枝から採取した試料11点について、放射性炭素濃度分析を行った。その結果、いずれの試料群においても、樹皮に最も近い層から採取された試料の年代測定結果に最大40〜50年の幅があることが判明した。この研究知見から、オリーブの木において、目視で確認できる年輪が系統的に形成されないこと、そして、同じ木の中で死滅時よりもかなり前に成長が停止してしまう部分があるという現象が一般的であることが示唆される。

 今回の知見は、サントリーニ火山で発見されたオリーブの枝の年代測定によって得られる結果の解釈に異を唱えるもので、エーゲ海、エジプト、およびレバント地方の考古学史にとって重要なだけでなく、考古学的に保存されたオリーブの木を用いる今後の研究にとっても重要となる可能性がある。



参考文献:
Ehrlich Y, Regev L, and Boaretto E.(2018): Radiocarbon analysis of modern olive wood raises doubts concerning a crucial piece of evidence in dating the Santorini eruption. Scientific Reports, 8, 11841.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-29392-9
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ヤンガードライアス期の氷河深部の融解

2018/08/10 17:54
 ヤンガードライアス期の氷河深部の融解に関する研究(Rainsley et al., 2018)が公表されました。北極氷河は、2200年までの海水準上昇のうち19〜30ミリメートルに関与すると予測されています。しかし、この予測では、海面下で氷河に影響を及ぼす可能性のある海洋学的変化が考慮されていません。この研究は、堆積物データに基づいたコンピューターモデリングにより、13000〜11500年前頃となるヤンガードライアス期におけるグリーンランド氷床と、メキシコ湾流を含む海流系である大西洋の南北方向の鉛直循環(AMOC)の相互作用を再構築しました。

 その結果、ヤンガードライアス期にヨーロッパの大陸性氷河が急激に成長したものの、海洋性氷河の質量はかなり減少した、と明らかになりました。この氷河質量の減少は、海面水温が低かったにもかかわらず、比較的高温で塩分濃度の高い海面下の海流の強まりにより生じた可能性が示されています。この知見は、ヤンガードライアス期のグリーンランド南部において、大気温度より海洋循環の方が重要だったとする仮説を裏づけています。

 この研究は、将来的にグリーンランド氷床の融解水が北大西洋循環に影響を及ぼし、海面水温が上昇して海洋性氷河の侵食が進み、北大西洋へのさらなる淡水注入が起こる可能性を想定してます。この知見は、海面上昇の将来予測においては、大気の変化とともに海洋学的変化を考慮に入れることの重要性をはっきりと示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】過去のデータが示唆する海流の変化による氷河深部の融解

 メキシコ湾流を含む海流系である大西洋の南北方向の鉛直循環(AMOC)が1万3000〜1万1500年前(ヤンガードライアス期)にグリーンランド氷床に及ぼした影響を評価した結果について報告する論文が、今週掲載される。この研究知見からは、ヤンガードライアス期に起こったAMOCの変化(この時期には大気温度と海面水温が最大で摂氏10度低下したと考えられる)によって深海が温暖化し、グリーンランド南東部の北極氷河の浸食が進んで、北大西洋への淡水の注入が増加した可能性のあることが示唆されている。

 北極氷河は、2200年までの海水準上昇のうち19〜30ミリメートルに関与すると予測されている。しかし、この予測では、海面下で氷河に影響を及ぼす可能性のある海洋学的変化が考慮されていない。今回、Eleanor Rainsleyたちの研究グループは、堆積物データに基づいたコンピューターモデリングによって、ヤンガードライアス期におけるグリーンランド氷床とAMOCの相互作用を再構築した。その結果、ヤンガードライアス期にヨーロッパの大陸性氷河が急激に成長したが、海洋性氷河の質量はかなり減少したことが明らかになった。この氷河質量の減少は、海面水温が低かったにもかかわらず、比較的高温で塩分濃度の高い海面下の海流が強まったことで生じた可能性が示されている。この研究知見は、ヤンガードライアス期のグリーンランド南部において、大気温度より海洋循環の方が重要だったという仮説を裏付けている。

 Rainsleyたちは、将来的にグリーンランド氷床の融解水が北大西洋循環に影響を及ぼし、海面水温が上昇して、海洋性氷河の侵食が進み、北大西洋へのさらなる淡水注入が起こる可能性があると考えている。この研究知見は、海面上昇の将来予測においては、大気の変化とともに海洋学的変化を考慮に入れることの重要性をはっきりと示している。



参考文献:
Rainsley E. et al.(2018): Greenland ice mass loss during the Younger Dryas driven by Atlantic Meridional Overturning Circulation feedbacks. Scientific Reports, 8, 11307.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-29226-8
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共通の進化的起源を持つ頭蓋プラコードと神経堤

2018/08/09 17:04
 頭蓋プラコードと神経堤の進化的起源に関する研究(Horie et al., 2018)が公表されました。脊椎動物の特徴の一つは、神経堤と呼ばれる胚性組織の存在です。しかし、神経堤がある部位には頭蓋プラコードも存在しており、プラコードと神経堤のどちらが先に生じたのか、よく分かっていません。この研究は、細胞系譜追跡・遺伝子機能阻害・単一細胞RNA塩基配列解読解析を組み合わせ、脊椎動物の祖先型である尾索動物(被嚢類)のカタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)における側板外胚葉の特性について調べました。尾索動物(被嚢類)の胚性神経組織は、プラコードと神経堤両方の特性を持つことが知られています。

 ホヤにおける側板外胚葉のパターン形成と、脊椎動物の神経板外胚葉の区画化の間には顕著な類似点があります。どちらの系も、Six1/2、Pax3/7、Msxbの順次的な発現パターンを示し、これらは連動する調節性相互作用のネットワークに依存しています。ホヤでは、この区画化ネットワークは、それぞれに異なるものの連性のあるタイプの感覚細胞を生み出し、これらは脊椎動物の頭蓋プラコードや神経堤から派生するものと類似性が見られます。

 この研究は、ホヤにたいして単純な遺伝子機能阻害を行なったところ、ある一つの感覚細胞タイプから他のタイプへの転換が引き起こされたので、尾部の双極性ニューロンに着目しました。これらのニューロンは側板外胚葉の尾部領域から生じ、脊椎動物の神経堤から派生する後根神経節の特性を持つためです。尾部の双極性ニューロンは、ホヤのオタマジャクシ型幼生の側板の最前領域から生じる原始的プラコードの感覚細胞タイプである、付着突起感覚細胞に容易に形質転換しました。形質転換の証拠は、全胚の単一細胞RNA塩基配列解読解析により確認されました。これらの知見は、側板外胚葉の区画化が脊椎動物の出現より前に起こり、頭蓋プラコードと神経堤の両方の進化の共通起源だった、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化学:脊椎動物の神経堤と頭蓋プラコードに共通する進化的起源

進化学:頭蓋プラコードと神経堤は共通の進化的起源を持つ

 脊椎動物の特徴の1つは、神経堤と呼ばれる胚性組織の存在である。しかし、神経堤がある部位には頭蓋プラコードも存在しており、プラコードと神経堤のどちらが先に生じたのかを知ることは難しい。尾索動物(被嚢類)の胚性神経組織は両方の特性を持つことが知られており、M Levineたちは今回、尾索動物のカタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)の幼生で神経板境界領域の発生を遺伝学的に解析し、神経板境界部全体が、拡張された原始的プラコードの特性を持つことを示している。彼らはプラコードが神経堤の進化に先行していたと結論し、ホヤの神経板の区画化に用いられる遺伝子ネットワークが、脊椎動物の頭蓋プラコードと神経堤を区別する基盤となっていると示唆している。



参考文献:
Horie R. et al.(2018): Shared evolutionary origin of vertebrate neural crest and cranial placodes. Nature, 560, 7717, 228–232.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0385-7
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認知機能低下とリンパ管の機能不全との関連

2018/08/09 17:03
 認知機能低下とリンパ管の機能不全との関連についての研究(Mesquita et al., 2018)が公表されました。加齢は多くの神経学的病変の主要なリスク因子の一つですが、その機構については明らかになっていません。リンパ管は、体組織が生み出す細胞残屑や有害分子などの老廃物を除去する作業を行なっています。髄膜リンパ管は、中枢神経系を取り囲む膜の内部に位置し、高分子を排出するリンパ管のネットワークです。髄膜内のリンパ管は、齧歯類・非ヒト霊長類・ヒトで見つかっていますが、中枢神経系における髄膜リンパ管の機能と中枢神経系の病変における髄膜リンパ管の役割については、解明が進んでいません。

 この研究は、中枢神経系の脳脊髄液と間質液に含まれる高分子が髄膜リンパ管を通って頚部リンパ節へ排出される、と明らかにしました。また、髄膜リンパ管の機能不全を起こした若い成体マウスに学習障害と記憶障害が見られることも明らかになりました。この研究は、老齢マウスの髄膜リンパ管の機能に見られる著しい不全が、老化に伴う認知機能低下の諸側面の一部と関係している可能性を指摘しています。また、血管内皮細胞増殖因子Cを投与された老齢マウスにおいて、脳脊髄液と間質液に含まれる高分子が髄膜リンパ管から排出・除去される能力が改善され、その結果、学習と記憶の成績が向上しました。

 さらに、アルツハイマー病のトランスジェニックマウスモデルにおいては、髄膜リンパ管の機能不全によって髄膜におけるアミロイド沈着が促進されており、これはヒトの髄膜の病変に極めてよく似ていました。この研究は、髄膜リンパ管の機能を増強することが、老化に伴う神経疾患の予防または発症遅延のための有望な治療標的だろう、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【神経科学】マウスの認知機能低下にリンパ管の機能不全が関連している

 髄膜リンパ管は、中枢神経系を取り囲む膜の内部に位置し、高分子を排出するリンパ管のネットワークだ。この髄膜リンパ管の機能不全が、アルツハイマー病の症状と老化に伴う認知機能低下の悪化要因と考えられることがマウスの研究から明らかになったことを報告する論文が、今週発表される。

 髄膜内のリンパ管は、齧歯類、非ヒト霊長類、およびヒトで見つかっているが、中枢神経系における髄膜リンパ管の機能と中枢神経系の病変における髄膜リンパ管の役割については、解明が進んでいない。

 今回、Jonathan Kipnisたちの研究グループは、中枢神経系の脳脊髄液と間質液に含まれる高分子が髄膜リンパ管を通って頚部リンパ節へ排出されることを明らかにした。また、髄膜リンパ管の機能不全を起こした若い成体マウスに学習障害と記憶障害を見いだした。Kipnisたちは、老齢マウスの髄膜リンパ管の機能に著しい不全が認められ、これが、老化に伴う認知機能低下の諸側面の一部と関係している可能性を指摘している。また、老齢マウスに血管内皮細胞増殖因子Cを投与したところ、脳脊髄液と間質液に含まれる高分子が髄膜リンパ管から排出・除去される能力が改善され、その結果、学習と記憶の成績が向上した。

 さらに、アルツハイマー病のトランスジェニックマウスモデルにおいては、髄膜リンパ管の機能不全によって髄膜におけるアミロイド沈着が促進されており、これはヒトの髄膜の病変に極めてよく似ていた。Kipnisたちは、髄膜リンパ管の機能を増強することが、老化に伴う神経疾患の予防または発症遅延のための有望な治療標的だと考えている。


アルツハイマー病:加齢とアルツハイマー病における髄膜リンパ管の機能的側面

Cover Story:脳からの排液:髄膜リンパ管による脳脊髄液からの老廃物除去の障害が認知機能の低下と関連付けられた

 リンパ管は、体組織が生み出す細胞残屑や有害分子などの老廃物を除去する作業を行っている。J Kipnisたちは今回、脳もこうしたシステムを使っていて、脳脊髄液中の巨大分子老廃物を移動させて、髄膜(脳を包む膜)にあるリンパ管を通して排出することを明らかにしている。彼らは、正常マウスでは、髄膜リンパ系が損なわれると、認識機能が低下することを見いだした。また、加齢によってリンパ系が損傷し、リンパ系の機能を修復すると、「脳の老廃物除去能」が回復し、記憶力が向上することも示された。さらに、アルツハイマー病マウスモデルを用いて、髄膜リンパ管が破壊されると、アミロイドβタンパク質が排出されにくくなって脳に蓄積され、アミロイド病変が悪化することも明らかになった。著者たちは、髄膜リンパ系の衰えを標的にすれば、加齢に関連する認知機能障害と闘うのに役立つ有用な治療手段となる可能性があると述べている。



参考文献:
Mesquita SD. et al.(2018): Functional aspects of meningeal lymphatics in ageing and Alzheimer’s disease. Nature, 560, 7717, 185–191.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0368-8
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長期にわたるHox遺伝子の発現開始の仕組み

2018/08/08 16:58
 長期にわたるHox遺伝子の発現開始の仕組みに関する研究(Pascual-Anaya et al., 2018)が公表されました。Hox遺伝子群は、動物胚において各領域が主要な体軸に沿って適切に運命指定されるさいに、きわめて重要な役割を果たしています。これらの遺伝子は一般に、Hox遺伝子クラスター内のそれぞれの位置にしたがって限定された空間的領域で発現し(空間的共線性)、これは左右相称動物全体で保存されている特徴でもあります。有顎脊椎動物(顎口類)では、クラスター内の位置によりHox遺伝子の発現開始も決まり、この特徴はクラスター全体の時間的共線性(WTC)として知られています。無脊椎動物では、この現象はサブクラスターレベルの時間的共線性として認められています。しかし無顎脊椎動物(円口類)では、Hox遺伝子の発現プロファイルがほとんど分かっておらず、顎口類に見られるWTCの進化的起源はいまだに明らかではありません。

 本論文は、円口類のHox遺伝子が発生中にWTCにしたがって発現することを示します。脊椎動物の2つの主要分類群に対応する3つの異なる種(ヌタウナギ・ヤツメウナギ・サメ)のHoxレパートリーおよびHox遺伝子発現プロファイルを調べた結果、遺伝子がクラスター全体の時差パターンに従って発現している、と明らかになりました。これは、無顎脊椎動物と有顎脊椎動物ではゲノムの進化や形態的出力が著しく異なっているにも関わらず、過去5億年にわたってWTCが保存されてきたことを意味します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


ヌタウナギとヤツメウナギのHox遺伝子から脊椎動物における時間的共線性の保存が明らかになる

 Hox遺伝子群は、動物胚において各領域が主要な体軸に沿って適切に運命指定される際に極めて重要な役割を果たしている。これらの遺伝子は一般に、Hox遺伝子クラスター内のそれぞれの位置に従って限定された空間的領域で発現し(空間的共線性)、これは左右相称動物全体で保存されている特徴である。有顎脊椎動物(顎口類)では、クラスター内の位置によってHox遺伝子の発現開始も決まる(この特徴はクラスター全体の時間的共線性[WTC]として知られる)が、無脊椎動物では、この現象はサブクラスターレベルの時間的共線性として認められる。しかし無顎脊椎動物(円口類)では、Hox遺伝子の発現プロファイルがほとんど分かっておらず、顎口類に見られるWTCの進化的起源はいまだに謎に包まれている。今回我々は、円口類のHox遺伝子が発生中にWTCに従って発現することを示す。脊椎動物の2つの主要分類群に対応する3つの異なる種(ヌタウナギ、ヤツメウナギ、およびサメ)のHoxレパートリーおよびHox遺伝子発現プロファイルを調べた結果、遺伝子がクラスター全体の時差パターンに従って発現していることが明らかになった。これは、無顎脊椎動物と有顎脊椎動物ではゲノムの進化や形態的出力が著しく異なっているにもかかわらず、過去5億年にわたってWTCが保存されてきたことを意味する。



参考文献:
Pascual-Anaya J. et al.(2018): Hagfish and lamprey Hox genes reveal conservation of temporal colinearity in vertebrates. Nature Ecology & Evolution, 2, 859–866.
https://dx.doi.org/10.1038/s41559-018-0526-2
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配偶者による暴力の進化的起源

2018/08/07 16:57
 配偶者による暴力の進化的起源に関する研究(Stieglitz et al., 2018)が公表されました。近親者間暴力は、繁殖能力を持つ個々の配偶者に直接的な害を及ぼすにも関わらず、広く見られる現象です。そうした暴力には、教育水準・女性の権利状況・アルコールや薬物の乱用といった、いくつかの行動的・社会経済的要因が関連づけられています。これらの諸要因は、近親者間暴力の重要な引き金ですが、基盤となる進化的な機序が存在するか否かはまだ不明です。

 この研究は、ボリビアのアマゾンに住むチマネ(Tsimané)族の5ヶ村の異性愛の女性105人にインタビューしました。チマネ族は、暴力や男性の社会的優位性に関する歴史がそれほど強く見られない文化を持つ、と知られています。調査の結果、婚姻関係にある親密な相手からの暴力を受ける女性たちは、暴力を受けない女性たちより、平均して多くの子どもを産んでいる、と明らかになりました。このパターンは、カップルが幼少期に近親者からの暴力を受けていたか否か、また男性側に他の同性に対して過去に暴力を振るった経験があるか否かとは無関係に見られました。過去の調査結果では、チマネ族の女性が求める家族の規模は平均して男性よりも小さいと示されているので、理想の家族規模をめぐる意見の対立がある場合に、近親者間暴力が子の数を増やすよう作用している可能性がある、とこの研究は示唆しています。

 この研究では、近親者間暴力の究極的(または進化的)な駆動要因に加えて、経済的・社会的なストレスなどの直接的な機序もしくは動機、さらには暴力に対する考え方(いずれも進化上の適応度を高める基盤となる可能性があります)にも焦点が合わせられました。この研究は、近親者間暴力がもたらす、配偶者および家族にとっての進化上の損失と利益が明らかになれば、そうした暴力を防ぐための組織的な取り組みに役立つのではないか、との結論を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


パートナーによる暴力に進化的起源はあるのか?

 ボリビアの先住民チマネ族では、親しいパートナーによる暴力(近親者間暴力)を受ける女性たちの方が、暴力を受けていない女性たちよりも平均して多くの子どもを産んでいることを示唆する論文が、今週掲載される。

 近親者間暴力は、繁殖能力を持つ個々のパートナーに直接的な害を及ぼすにもかかわらず、広く見られる現象である。そうした暴力には、教育レベルや、女性の権利状況、アルコール・薬物の乱用といった、いくつかの行動的・社会経済的要因が関連付けられている。これらの諸要因は、近親者間暴力の重要な引き金ではあるが、基盤となる進化的な機序が存在するか否かは不明である。

 Jonathan Stieglitzたちは、ボリビアのアマゾンに住むチマネ族の5つの村の異性愛の女性105人にインタビューを行った。チマネ族は、暴力や男性の社会的優位性に関する歴史がそれほど強く見られない文化を持つことで知られる。調査の結果、婚姻関係にある親密なパートナーからの暴力を受ける女性たちは、暴力を受けない女性たちより、平均して多くの子どもを産んでいることが判明した。このパターンは、カップルが幼少期に近親者からの暴力を受けていたか否か、また男性側に他の同性に対して過去に暴力を振るった経験があるか否かとは無関係に見られた。過去の調査結果では、チマネ族の女性が求める家族サイズは、平均して男性よりも小規模であることが示されていることから、Stieglitzたちは、理想の家族サイズをめぐる意見の対立がある場合に、近親者間暴力が子の数を増やすよう作用している可能性があると示唆している。

 今回の研究では、近親者間暴力の究極的(ないし進化的)な駆動要因に加えて、経済的・社会的なストレスなどの直接的な機序もしくは動機、さらには暴力に対する考え方(いずれも進化上の適応度を高める基盤となる可能性がある)にも焦点が合わせられた。Stieglitzたちは、近親者間暴力がもたらす、パートナーおよび家族にとっての進化上の損失と利益が明らかになれば、そうした暴力を防ぐための組織的な取り組みに役立つのではないかと結論している。



参考文献:
Stieglitz J. et al.(2018): Marital violence and fertility in a relatively egalitarian high-fertility population. Nature Human Behaviour, 2, 565–572.
https://dx.doi.org/10.1038/s41562-018-0391-7
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ストーンヘンジの埋葬者の出身地

2018/08/07 16:55
 ストーンヘンジの埋葬者の出身地に関する研究(Snoeck et al., 2018)が公表されました。ストーンヘンジは、イギリスにおける最大級の新石器時代後期の墓地遺跡で、これまでおもにその建設に関する研究が進められてきましたが、ストーンヘンジの周辺で生活していた人々やストーンヘンジに埋葬された人々については、ほとんど明らかになっていません。

 この研究は、ストロンチウム同位体分析法を用いて、ストーンヘンジで発掘された25体の火葬遺体(紀元前3180〜2380年と推定されています)に由来する骨の断片を再分析し、その再分析結果を現代のイギリスの植物・水・歯のデータに基づいた記録と比較しました。その結果、25体のうち15体がストーンヘンジ出身者で、残りの10体は、死ぬ直前にストーンヘンジ周辺との結びつきがなく、死亡するまでの少なくとも10年間はイギリス西部で過ごしていた可能性がひじょうに高い、と推定されています。

 また遺体の火葬は、さまざまな種類の燃料を用いて、さまざまな条件下で行なわれたことも示唆されています。ストーンヘンジ周辺地域出身者と同定された遺体の火葬は、ウェセックス地方の地形と矛盾しない広大な土地で生育した樹木由来の薪を山積みにして行なわれたのにたいして、その他の遺体の火葬には、西ウェールズにあるような、樹木が密生している森林地で伐採された木材の薪が用いられた、と明らかになりました。こうした分析結果から、ストーンヘンジで発掘された遺体の一部が、別の場所で火葬に付された後、埋葬目的でストーンヘンジに運ばれてきたのではない、と推測されています。と考えている。

 なお、ブリテン島では紀元前2500年頃を境に、住民の遺伝子プールのおよそ90%は置換した、と推定されています(関連記事)。ストーンヘンジを築いた集団の遺伝的影響は、ブリテン島の現代人の間ではかなり低いようです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】ストーンヘンジにウェールズ出身者も埋葬されていた

 ストーンヘンジに埋葬された新石器人の一部が、地元出身でなかったことを示唆する研究について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究では、人間の火葬遺体の分析が新たに行われ、埋葬された人々の一部が英国西部の別の地域(西ウェールズである可能性が非常に高い)の出身者であり、埋葬するためだけにストーンヘンジまで運ばれた人もいた可能性のあることが明らかになった。

 ストーンヘンジは、英国で最大級の新石器時代後期の墓地遺跡であり、これまでは主にその建設に関する研究が行われてきたが、ストーンヘンジの周辺で生活していた人々やストーンヘンジに埋葬された人々についてはほとんど分かっていない。

 今回、Christophe Snoeckたちの研究グループは、ストロンチウム同位体分析法を用いて、ストーンヘンジで発掘された25体の火葬遺体(紀元前3180〜2380年のものとされる)に由来する骨の断片を再分析し、その再分析結果を現代の英国の植物、水、および歯のデータに基づいた記録と比較した。その結果、Snoeckたちは、そのうち15体がストーンヘンジ出身者で、残りの10体は、死ぬ直前に地元との結び付きがなく、死亡するまでの少なくとも10年間は英国西部で過ごしていた可能性が非常に高いことが示唆されたと結論付けている。

 また、今回の研究からは、遺体の火葬はさまざまな種類の燃料を用いて、さまざまな条件下で行われたことも示唆されている。地元出身者と同定された遺体の火葬は、ウェセックス地方の地形と矛盾しない広大な土地で生育した樹木由来の薪を山積みにして行われたのに対し、その他の遺体の火葬には、西ウェールズにあるような、樹木が密生している森林地で伐採された木材の薪が用いられたことが示された。Snoeckたちは以上の分析結果から、ストーンヘンジで発掘された遺体の一部が、別の場所で火葬に付されてから、埋葬目的でストーンヘンジに運ばれてきたことが示されていると考えている。



参考文献:
Snoeck C. et al.(2018): Strontium isotope analysis on cremated human remains from Stonehenge support links with west Wales. Scientific Reports, 8, 10790.
https://dx.doi.org/10.1038/s41598-018-28969-8
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ショーヴェ洞窟壁画の年代

2018/08/06 17:01
 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、フランス南部のアルデシュ(Ardèche)県ヴァロン=ポン=ダルク(Vallon-Pont d’Arc)にあるショーヴェ=ポン=ダルク洞窟(Chauvet-Pont d'Arc Cave)の壁画の年代に関する研究(Quiles et al., 2016)が報道されました。なお、以下の放射性炭素年代測定法による年代は基本的に較正されたものです。ショーヴェ=ポン=ダルク洞窟(以下、ショーヴェ洞窟と省略)の壁画は1994年に発見され、当初は壁画の形式論的観点から、22000〜18000年前頃となるソリュートレアン(Solutrean)期のものと推測されていました。しかし、その後、放射性炭素年代測定法により壁画の年代が32000〜30000年前頃と推定され、大きな話題を呼びました。

 ショーヴェ洞窟の年代データは、(2016年時点での)最近15年間で350点以上得られています。これらの中にはウラン-トリウム法や熱ルミネッセンス法や塩素36測定法によるものがあり、放射性炭素年代測定法に基づくものは259点、そのうち未刊行のものは80点となります。放射性炭素年代測定法の試料は、洞窟の床の炭化物・壁画表面の炭化物・動物の骨の3通りに分類されます。放射性炭素年代測定法による信頼度68%の年代は以下のようになります。なお()内は信頼度95%の年代です。

 地面の炭化物では、36700〜36400(37000〜36200)年前、34200〜33700(34400〜33500)年前、31100〜30800(31400〜30700)年前、28800〜28300(29700〜27900)年前となります。壁画の炭化物では、36100〜34600(36600〜34000)年前、31400〜29500(31900〜29000)年前となります。ホラアナグマの骨では、44000〜41700(48300〜41500)年前、35600〜35300(35900〜35100)年前、33300〜33000(33500〜32700)年前となります。

 これらの推定年代から、(まず間違いなく)現生人類(Homo sapiens)が洞窟を利用したのは、37000〜33500年前頃と31000〜28000年前頃の2期で、この期間に壁画を描いた、と推測されます。現生人類の洞窟壁画としては古い部類になりますが、インドネシアのスラウェシ島では39900年前頃の現生人類の所産と考えられる洞窟壁画が発見されているので(関連記事)、ショーヴェ洞窟の壁画は現生人類の所産としては最古ではなさそうです。なお、現時点で最古の洞窟壁画は66700年前頃以前までさかのぼり、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の所産と考えられています(関連記事)。また、現生人類が洞窟を利用した第1期にはホラアナグマも洞窟を利用していた、と考えられます。もっとも、同居していたとは考えられず、考古学的な時間枠ではごく短期間、相互に洞窟を利用したのでしょう。

 上述したように、放射性炭素年代測定法以外の年代測定法も用いられ、熱ルミネッセンス法や塩素36測定法では、岩石の年代測定から洞窟の崩落年代が推定されました。塩素36測定法からは、洞窟での崩落が29400±1800年前、23500±1200年前、21500±1000年前の3回起きた、と推測されます。最初の崩落の後、現生人類はショーヴェ洞窟を放棄したと推測され、現生人類もその他の大型動物も、1994年の発見までショーヴェ洞窟に入らなかったようです。


参考文献:
Quiles A. et al.(2016): A high-precision chronological model for the decorated Upper Paleolithic cave of Chauvet-Pont d’Arc, Ardèche, France. PNAS, 113, 17, 4670–4675.
https://doi.org/10.1073/pnas.1523158113
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大河ドラマ『西郷どん』第29回「三度目の結婚」

2018/08/05 18:47
 西郷吉之助(隆盛)は1年振りに薩摩に帰ります。島津久光は相変わらず吉之助を嫌っているようで、吉之助は大功を挙げたとはいえ、前途洋々とはいかないようです。吉之助は大久保一蔵(正助、利通)を呼び出して倒幕の意思を伝え、助力を要請しますが、「国父」たる久光も藩主の茂久も幕政参加を志向していることと、倒幕に動けば薩摩藩が孤立することを懸念し、一蔵は倒幕には否定的で、吉之助の要請を断ります。西郷家の者が吉之助に結婚を勧めるなか、川口雪篷が島流しの罪を許され、西郷家に居候することになります。

 幕府は一旦薩摩藩の参勤交代を免除しますが、一橋(徳川)慶喜の意向で再度参勤交代を命じられ、激昂した久光は吉之助に八つ当たりします。しかし、吉之助は久々に謝罪し、予想外の吉之助の態度に久光は困惑します。吉之助は久光の歓心を買い、薩摩藩を倒幕へと導こうとします。吉之助は改めて一蔵に、慶喜は再度長州藩を征伐しようとするので、そのさい薩摩藩は長州藩と結んで幕府に対抗すべきだ、と一蔵を説得しますが、一蔵は再度拒絶します。

 今回は薩摩藩内のみが舞台となり、政治的な話もありましたが、ほぼ吉之助の結婚話だけが描かれました。正直なところ、恋愛物語としてはさっぱり面白くなかったのですが、吉之助と一蔵のやり取りは、今後の展開を多少は期待させるような内容で、それなりに楽しめました。同じく西郷隆盛が主人公ということで、本作と比較対象になる『翔ぶが如く』は1990年放送で、今年(2018年)と日付・曜日が一致しています。『翔ぶが如く』は8月5日放送分から明治編に入りましたが、本作はまだ薩摩藩と長州藩との提携まで話が進んでいません。さすがに進行が遅すぎると思うのですが、元々明治編は短い予定だったのでしょうか。
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飯倉章『1918年最強ドイツ軍はなぜ敗れたのか ドイツ・システムの強さと脆さ』

2018/08/05 11:02
 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2017年12月に刊行されました。本書は第一次世界大戦におけるドイツの敗北を検証しています。第一次世界大戦でドイツは最終的に敗北し、帝政は崩壊したのですが、西部戦線ではイギリスとフランス、東部戦線ではロシアを相手に4年以上戦い、時に大勝することもありました。もっとも、ドイツは当時まだ(かろうじて)大国の一つだったオーストリア=ハンガリー帝国と、かつての大国だったオスマン帝国と同盟関係にありましたし、1917年の革命で混乱したロシアでは、最終的に権力を掌握したボリシェヴィキ政権がドイツと講和しましたが、それを考慮に入れても、イギリス・フランス・ロシアを相手に4年も戦い続けたドイツの強さは驚異的だと思います。

 本書は、ドイツの強さには「ドイツ・システム」があり、それは脆さにもなっていて、EUで「ドイツの独り勝ち」とも言われる現代にも、「ドイツ・システム」に起因する強さと脆さが同居している、と指摘しています。しかし、ドイツ史に疎い私からすると、家父長制的な権威主義文化に起因する「ドイツ・システム」の強さと脆さとはいっても、正直なところ、俗流的な比較文化論の枠組みにあるのではないか、と思えました。本書は、現代ドイツのサッカー代表チームに関しても「ドイツ・システム」で説明しており、サッカーにまったく興味がなく(ただ、競技自体には興味がありませんが、利権・腐敗構造にはそれなりに関心があります)、高校までの体育の授業での経験から大まかなルールを知っている程度の私にとっては、本書の見解の妥当性がどの程度のものなのか、判断できないのですが、サッカーに詳しい読者はどのように考えるのでしょうか。

 本書は、プロイセン主導による統一ドイツ帝国(とはいっても、オーストリアは除外されているわけですが)の支配構造として、皇帝(国王)・首相・参謀総長のトライアングルという図式を提示し、これが第一次世界大戦後半には崩れてしまい、ドイツの敗戦へとつながった、との見通しを提示しています。しかし、正直なところ、このトライアングルの成立から安定期を経て崩壊期にいたるまで、「ドイツ・システム」という本書の提示する枠組みでの説明が、成功しているようには思えませんでした。確かに、第一次世界大戦におけるドイツの判断の過ちは興味深い事例ではあるものの、本書の解説からは、かなりの程度普遍的な失敗でもあるように思えました。色々と不満を述べてきましたが、ドイツ視点の第一次世界大戦史の一般向け書籍としては、本書は当たりだと思います。
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聖徳太子関連の記事のまとめ

2018/08/04 17:20
 ブログ開始前の分も含めて、聖徳太子関連の記事をまとめてみます。関連記事一覧は本文の後に掲載します。聖徳太子といえば、大山誠一氏の架空人物説が一般層にもかなり浸透したように思います。大山氏の一般向け著書である『<聖徳太子>の誕生』(吉川弘文館、1999年)が刊行されてから20年近く経過し、この間、民放キー局・全国紙・発行部数の多そうな雑誌などでそれなりの回数取り上げられことが大きかったのでしょう。私もかつては、疑問を呈しつつも、大山説、とくに聖徳太子関連の史料批判にはおおむね同意していました。今となっては恥ずかしい限りですが。

 その後、当初より大山説の弱点だと考えていた聖徳太子の創作者とその理由についてはもろちん、大山説の史料批判(その大半は、大山氏の独創というよりは先行研究の参照でしたが)についても、問題のあることが指摘されています。たとえば、大山説では『三経義疏』が聖徳太子の作ではなく、中華地域での作であることは自明視されていますが、『三経義疏』における仏教理解の古さと変格漢文の使用から、日本(倭)人の作であり、聖徳太子の作とは断定できないものの、その可能性は高い、との見解も提示されています。

 また、大山説では、「聖徳太子」という表記は誤りで、「厩戸王」が正しいとされ、教科書にも影響を与えていますが、「厩戸王」が江戸時代後期まで見られない表記なのに対して、「聖徳太子」は8世紀半ば頃成立の『懐風藻』に見えます。さらに、『日本書紀』には「聖徳太子」という名称そのものはありませんが、「敏達紀(巻廿)」には「東宮聖徳」、「推古紀(巻廿二)」には「上宮太子」とあるので、『日本書紀』成立の頃には、「聖徳太子」という表記が用いられる要素は出そろっていた、と言えそうです。

 もっとも、「聖徳太子」よりも「厩戸王」の方がまだしも妥当な表記だ、との見解にも一定以上の説得力があるかもしれません。通説とまでは言えないかもしれませんが、7世紀初頭のヤマト政権には後世の皇太子制のようなものはなかった、との見解が有力だと思われるからです。その意味で、太子という表記は適切とは言えないかもしれません。もっとも、これもすでに多くの人が指摘しているでしょうが、それならば、「欽明天皇」や「推古天皇」のような表記も問題視されるべきではあるでしょう(天皇号の成立については、天武朝説が有力ではあるものの、それよりも前との説も根強くあるようです)。ただ、『隋書』によると、当時の倭国には太子が存在したことになっています。これが中華王朝の知識層の常識(皇帝や王などの君主がいるならば太子もいるだろう)による誤認なのか、当時すでに後の皇太子制に類似したものがあったのか、門外漢には判断の難しいところです。

 それはさておき、元服・出家・還俗など人生の節目に新たな名を名乗ることの多かった前近代の日本の人物を、高校までの教育の水準において「当時の(正しい)名前」で表記することに拘るのにあまり意味があるとも思えないので、「聖徳太子」から「厩戸王」に表記を変更したり、両者を併記したりする必要はなく、「聖徳太子」のままでよいのではないか、と思います。「聖徳太子」表記の問題に関して、大山説は歴史教育を混乱させただけではないか、と私は考えています。

 もっとも、『日本書紀』では、後世の作文ではないかとも疑われている十七条憲法は聖徳太子の作と明示されているのにたいして、準同時代史料の『隋書』で確認のとれる冠位十二階や遣隋使については聖徳太子の関与が明示されていないことなど、通俗的に漠然と思い描かれてきた聖徳太子像を見直す必要はあるでしょう。しかし、だからといって、「聖徳太子」は「架空の人物」だったとの見解は妥当ではないでしょう。以下、聖徳太子関連の記事の一覧です。


大山誠一『聖徳太子と日本人』(前編)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read005.htm

大山誠一『聖徳太子と日本人』(後編)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read006.htm

聖徳太子架空人物説
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history033.htm

中日新聞社説で取り上げられた聖徳太子非実在説
https://sicambre.at.webry.info/200802/article_15.html

遣隋使をめぐる『隋書』と『日本書記』の相違について
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_12.html

新川登亀男『聖徳太子の歴史学』
https://sicambre.at.webry.info/200803/article_33.html

遠山美都男『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』
https://sicambre.at.webry.info/200901/article_22.html

最近の聖徳太子研究
https://sicambre.at.webry.info/201011/article_2.html

遠山美都男『聖徳太子の「謎」』
https://sicambre.at.webry.info/201303/article_1.html

聖徳太子は実在せず? 高校日本史教科書に「疑う」記述
https://sicambre.at.webry.info/201303/article_30.html

『週刊新発見!日本の歴史』第3号「飛鳥時代1 蘇我氏と大王家の挑戦」
https://sicambre.at.webry.info/201307/article_6.html

遠山美都男『敗者の日本史1 大化改新と蘇我氏』
https://sicambre.at.webry.info/201311/article_38.html

篠川賢『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』
https://sicambre.at.webry.info/201312/article_10.html

石井公成 『聖徳太子 実像と伝説の間』
https://sicambre.at.webry.info/201602/article_3.html

吉川真司『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』
https://sicambre.at.webry.info/201605/article_3.html

吉田一彦『シリーズ<本と日本史>1 『日本書紀』の呪縛』
https://sicambre.at.webry.info/201702/article_4.html

歴史は妄想であってはならない(「聖徳太子」表記をめぐる議論)
https://sicambre.at.webry.info/201703/article_20.html

瀧浪貞子『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』
https://sicambre.at.webry.info/201711/article_12.html
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マダガスカル島の人口史

2018/08/04 12:55
 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、マダガスカル島の人口史に関する研究(Pierron et al., 2017)が公表されました。マダガスカル島の現代人の起源については、歴史学・言語学・民族誌・考古学・遺伝学的研究から、アフリカ東部と東南アジアの大きな影響を認める点では合意が成立していますが、両者の融合の場所・時期・様相については議論が続いており、国民の起源という敏感になりやすい問題なので、加熱する傾向にあるようです。

 マダガスカル島の現代人の起源に関するじゅうらいの諸研究では、東南アジアから到来したオーストロネシア語族系と、アフリカ東部から到来したバンツー語族系のどちらが遺伝的には優勢なのか、という点で異なる見解が提示されることもあり、マダガスカル島における人類集団の形成にさいしての地理的多様性が示唆されています。本論文は、そうした「矛盾」解消のために、マダガスカル島全域にわたる257ヶ村の住民のDNAを解析しました。母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)の完全な配列は2691人分、父系遺伝となるY染色体DNAのデータは1554人分、ゲノム規模の一塩基多型250万ヶ所のデータは700人分となります。

 mtDNAのハプログループでは、M23を除いて全系統がマダガスカル島外で確認され、東・東南アジアまたはアフリカのいずれかに由来します。マダガスカル島住民のmtDNAでは、ヨーロッパもしくは中東からの遺伝子流動の証拠は見られませんでした。mtDNAハプログループにおけるアジア系とアフリカ系の割合は地域により異なりますが、マダガスカル島全体では、アフリカ系42.4%にたいしてアジア系50.1%とさほど変わりません。ただ、マダガスカル島全体で割合は均一ではなく、地理的多様性が見られます。アフリカ系のmtDNAハプログループはほぼ全てバンツー語族に由来します。マダガスカル島でのみ確認されているM23の起源は1200±300年前頃と推定されており、マダガスカル島到達以前にバンツー語族系とオーストロネシア語族系とが交雑し、マダガスカル島に到達した、という可能性は低そうです。

 Y染色体ハプログループではmtDNAハプログループと対照的な結果が得られ、マダガスカル島全体ではアフリカ系70.7%にたいしてアジア系20.7%です。その他には、わずかながらヨーロッパ系と中東系が見られますが、ヨーロッパ系では、西ヨーロッパからの影響は限定的と推測されています。Y染色体ハプログループでも、アジア系とアフリカ系の割合には地域的多様性が見られました。このような配偶行動における父系と母系の非対称性は、人類史において珍しくなかったようです(関連記事)。

 ゲノム規模のデータからは、主要な祖先集団はオーストロネシア語族系(アジア系)とバンツー語族系(アフリカ系)で、マダガスカル島全体での平均的な遺伝的構成要素は、アフリカ系が59.4±0.4%、アジア系が36.6±0.4%、西ユーラシア系(中東系とヨーロッパ系)が3.9±0.1%となります。しかし、個人差は大きく、アフリカ系要素は26.1〜92.6%まで幅広くなっています。ゲノムの共有領域の長さの比較から、分岐年代も推定されています。マダガスカル島住民の祖先集団のうち、アジア系が母集団と推定されるボルネオ島南部集団と分岐したのは3000〜2000年前頃、アフリカ系が母集団と推定されるアフリカ南部のバンツー語族と分岐したのは1500年前頃と推定されています。

 これらの遺伝データを総合すると、マダガスカル島の現代人の遺伝的起源はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジア、とくにボルネオ島南部のオーストロネシア語族に由来し、ユーラシア西部(中東とヨーロッパ)からの遺伝的影響は限定的です。推定分岐年代からは、アジア系がアフリカ系よりも先にマダガスカル島に到達した、と推測されます。ただ、これはあくまでも母集団との推定分岐年代であり、じっさいの到来年代とその住民の遺伝的構成を解明するには、古代DNA研究の進展が必要でしょう。

 マダガスカル島全体では現代人の遺伝的起源についてこうした傾向が見られますが、地域間の違いが大きいのも特徴となっています。母系(mtDNA)では、アフリカ系は北部、とくに沿岸部において高頻度で(60%以上)、アジア系は中央部・南部で高頻度となっています(中央部で60%以上、南部で50%程度)。父系(Y染色体DNA)では、アジア系は比較的高頻度の中央部でも30%程度で、アフリカ系は北部や南部沿岸などで高頻度(南部沿岸では80%以上)となっています。ゲノム規模のデータでは、アジア系は中央部で60%以上に、他の地域ではおおむね20〜30%程度となっています。アフリカ系は、中央部で30%未満と低いものの、他の地域ではおおむね50〜60%台で、北西部沿岸では70%以上となります。

 上述したように、マダガスカル島住民の主要な祖先集団はほぼ、アフリカ南東部のバンツー語族と、東南アジアのオーストロネシア語族な由来します。マダガスカル島においては、遺伝的構成が地理的に単一的ではなく多様で、性的に偏った移住も見られることから、マダガスカル島への植民は独立して起きたと推測されます。上述したように、どこかマダガスカル島の外部地域でアフリカ系とアジア系が融合してから植民したのではない、というわけです。また、遺伝的構成の地理的多様性から、アジア・アフリカ両系統の融合はマダガスカル島の各地域において独立して生じた、と推測されます。

 上述したように確定的とは言えませんが、現時点での知見からは、2000〜1000年前頃の間に、アジア系が先にマダガスカル島へと移住し、その後でアフリカ系がマダガスカル島北部へと移住してきた、と考えるのが妥当だと思われます。その後、1000〜500年前頃の間にアフリカ系は南部へと拡散しましたが、これは男性に偏ったものだった可能性が高そうです。アジア系の遺伝的影響が強い中央部集団は、アフリカ系の南下によるアジア系との混合の進んだ1000年前頃の前後に、有効人口規模が大きく減少したと推定されています。有効人口規模はあくまでも繁殖に関わった個体数なので、疫病や飢饉などによる人口激減というよりは、中央部への小集団の移住による創始者効果ではないか、と推測されています。その後、500〜100年前頃には各地域集団が構造化されていきましたが、100年前頃からは、植民地化の影響もあって島内での移住が進み、とくに沿岸部では均一化もある程度進みました。それでも、マダガスカル島の現代人においては、地域間の遺伝的多様性が依然として見られます。


参考文献:
Pierron D. et al.(2017): Genomic landscape of human diversity across Madagascar. PNAS, 114, 32, E6498–E6506.
https://doi.org/10.1073/pnas.1704906114
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人類史上少なくとも2回独立して起きた島嶼化(追記有)

2018/08/03 17:25
 インドネシア領フローレス島の小柄な(平均身長約145cm)人類集団ランパササ(Rampasasa)のDNA解析結果に関する研究(Tucci et al., 2018)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。ランパササ集団は「ピグミー」とも呼ばれます。ピグミーとは、本来はアフリカの熱帯雨林地域の狩猟採集民集団を指しますが、人類も含む小柄な生物集団をピグミーと呼ぶことは珍しくなく、本論文の表題にも用いられています。

 本論文は、ランパササ集団32人全員の250万ヶ所の一塩基多型を解析し、10人の完全なゲノムを配列しました。その結果、興味深いことが明らかになりました。脂肪酸代謝に関与するFADS(脂肪酸不飽和化酵素)関連遺伝子では、最近の正の選択が確認されました。これは、フローレス島に到達したランパササ集団系統が、小型ゾウや海産物などを食べるようになった、食性の変化と関連しているのではないか、と推測されています。

 注目されるのは、ランパササ集団の低身長の遺伝的理由です。身長は多遺伝子性で(もちろん、栄養状態もひじょうに重要ですが)、ヨーロッパ系現代人では多くの身長関連遺伝子が同定されています。これらのうち、ランパササ集団では、低身長と関連する遺伝的多様体が高頻度で見られる、と明らかになりました。ランパササ集団は、5万年前頃?のメラネシアへの現生人類(Homo sapiens)最初の到達、過去5000年間の東アジアとニューギニアからの移住により形成され、遺伝的には東アジア系現代人と最近縁となります。東アジア系現代人にも、ヨーロッパ系現代人で確認された低身長と関連する遺伝的多様体は見られますが、その頻度はランパササ集団よりずっと低くなっています。

 これは、ランパササ集団が、ヨーロッパ系や東アジア系との分岐後に、身長を低下させるような選択圧を受けてきたことを示唆します。そうした選択圧が生じた理由として考えられるのは島嶼化です。島嶼化は生物で広く見られる現象です。比較的小さな島で食料や捕食者が少ない時に、大型動物は小型化し、小型動物は大型化します。たとえばフローレス島では、ラットが巨大化してネコのようなサイズに、ゾウが小型化して大きなブタ程度の体重になりました。キプロス島では、カバがアシカのサイズにまで縮小ました。もちろん、じっさいにフローレス島で島嶼化が進行したことを確証するには、周辺地域も含めて、ランパササ集団の祖先の古代DNAの解析が必要となるでしょうが、現時点での証拠からは、ランパササ集団の低身長はフローレス島における島嶼化の実例である可能性がきわめて高い、と言えそうです。現生人類における島嶼化による小型化は、アンダマン諸島でも起きた可能性が指摘されています。

 注目されるのは、フローレス島には5万年前頃まで、現生人類とは大きく異なる系統と思われるホモ属集団が存在していたことです(関連記事)。このホモ属集団はフロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されています。フロレシエンシスはランパササ集団よりも平均身長は低く、約106cmです。フロレシエンシスの低身長も、以前から島嶼化の実例と考えられていました。フローレス島で異なる人類集団がともに低身長であることから、フロレシエンシスが後続のランパササ集団に遺伝的影響を与えた可能性も想定されます。しかし、上述したように、ランパササ集団に高頻度で見られる低身長と関連する遺伝的多様体は、ヨーロッパ系および東アジア系現代人でも見られ、少なくともある時点以降の現生人類系統において共通するものだと考えられます。そのため、フロレシエンシスがランパササ集団に低身長と関連する遺伝的多様体を伝えた可能性は低そうです。

 本論文は、フロレシエンシスがランパササ集団に遺伝的影響を与えたのか、間接的証拠だけではなく、具体的に検証しています。フロレシエンシスのDNA解析には成功していないので、フロレシエンシスと現代人とのゲノムを直接比較することはできません。そこで本論文は、現生人類と交雑したことが明らかになっているネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノムを参照し、ランパササ集団に(遺伝学的に)未知の人類系統の遺伝的影響が見られるのか、検証しました。その結果、ランパササ集団は、ネアンデルタール人の遺伝的影響をある程度、それよりも少ないながらもデニソワ人の遺伝的影響も受けているものの、未知の人類系統の遺伝的影響は受けていない、と明らかになりました。そのため本論文は、ランパササ集団はフロレシエンシスの遺伝的影響を受けていない、と結論づけています。

 ただ、デニソワ人の人類進化史上における位置づけについては異論もあり、ランパササ集団の祖先系統と交雑した非現生人類系統がネアンデルタール人とデニソワ人のみだからといって、ランパササ集団とフロレシエンシスとの遺伝的近縁性が否定されるのか、やや判断に迷うところです。デニソワ人に関しては、分類学的実態を有さず、唯一確認されている南シベリアのアルタイ地域の個体群は、ネアンデルタール人と別の古代型ホモ属とが交雑して形成されたのであり、その古代型ホモ属と近縁の集団が東南アジアに存在し、デニソワ人と共通するゲノム領域をニューギニアやオーストラリアの現代人系統にもたらした、との見解が提示されています(関連記事)。この古代型ホモ属については東南アジアのエレクトスが想定されており、もしそうだとすると、フロレシエンシスが東南アジアのエレクトスから進化した可能性はじゅうぶん考えられますから、本論文の想定以上に、ランパササ集団とフロレシエンシスとの遺伝的関係は近いかもしれません。とはいっても、ランパササ集団にとって、フロレシエンシスよりもネアンデルタール人の方が遺伝的関係はずっと近いことになりますが。

 本題から外れてしまいましたが、デニソワ人の人類進化史における位置づけがどうなろうとも、人類進化史において、フロレシエンシスとランパササ集団がそれぞれ異なる島嶼化を経験した可能性はきわめて高そうです。島嶼化は人類進化史において少なくとも2回独立して起きたわけで、人類系統においても他の動物と同じく島嶼化はじゅうぶん起き得るものだったのでしょう。なお、フロレシエンシスの手首と足は同じホモ属でも現生人類やエレクトス(Homo erectus)とは異なり、それは木登り能力の高さと関係があるかもしれない、と指摘されています。フロレシエンシスは、コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)より逃れるために木に登っていたのではないか、というわけです。この木登り能力の高さは、フロレシエンシスの起源とも関わってきそうですが、この問題については、今後新たな情報を得たら当ブログにて取り上げる予定です。


参考文献:
Tucci S. et al.(2018): Evolutionary history and adaptation of a human pygmy population of Flores Island, Indonesia. Science, 361, 6401, 511-516.
https://dx.doi.org/10.1126/science.aar8486


追記(2018年8月6日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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アフリカ南東部の過去200万年間の気候変動とロブストスの絶滅

2018/08/02 16:37
 アフリカ南東部の過去200万年間の気候変動に関する研究(Caley et al., 2018)が報道されました。アフリカの初期人類には、おそらくは現代人というかホモ属の祖先だっただろう華奢型と、絶滅しただろう「頑丈型」とが存在していました。アフリカの「頑丈型」初期人類は、一般にはパラントロプス属に分類され(アウストラロピテクス属と分類する見解もあります)、アフリカ東部の系統はエチオピクス(Paranthropus aethiopicus)とボイセイ(Paranthropus boisei)、南部の系統はロブストス(Paranthropus robustus)と分類されています。これら3種の系統関係には不明なところがあり、エチオピクスからボイセイとロブストスが派生したとの見解が有力ですが、アフリカ南部ではアウストラロピテクス属のアフリカヌス(Australopithecus africanus)からロブストスが、アフリカ東部ではエチオピクスからボイセイが進化した、との見解も提示されています(諏訪.,2006)。つまり、パラントロプス属と分類されている人類群は単系統群ではないかもしれない、というわけです。

 その問題はさておき、本論文についてですが、アフリカ南東部の過去200万年間の気候変動を復元し、人類進化との関連で論じています。過去200万年間のアフリカ東部の気候変動は、人類進化史において仮定されている役割の理解という観点から興味を持たれてきたにも関わらず、まだじゅうぶんには絞り込まれていません。アフリカ北東部の希少な古気候記録からは、じょじょに乾燥化する状況、あるいは安定した水文気候が示唆されています。対照的に、熱帯域のアフリカ南東部のマラウイ湖(Lake Malawi)の記録からは、過去130万年にわたってじょじょに湿潤な気候になる傾向が明らかになっています。

 こうした過去の水文学的な変化を制御した気候強制力も議論の的になっており、水文学的変化にたいして局地的な日射強制力が支配的である、と示唆した研究もあります。一方で別の研究では、インド洋における海面水温の変化が影響を及ぼしている可能性が指摘されています。本論文は、アフリカ南東部(南緯20〜25度)の水文気候が、低緯度域の日射強制力(歳差と離心率)と高緯度域の氷体積の変化の相互作用により制御されていることを示しています。この結果は、過去214万年間のインド洋南西部の海面水温の再構築結果と組み合わせた、リンポポ川(Limpopo River)流域の水文学的変化の複数の代理指標による再構築結果に基づいています。

 本論文は、マラウイ湖の記録から示唆される水文気候の変化とは対照的に、リンポポ川流域が100万〜60万年前頃まで長期にわたって乾燥化していたことを明らかにしました。マラウイ湖における湿潤化の証拠と併せると、この結果は、高緯度域における氷体積の増大に応答して、降雨帯が赤道域に向かって収縮したことを示唆しています。陸域生態系における森林面積あるいは湿地面積が減少することで、アフリカ南東部の水文気候の変化は、その長期的な状態と著しい歳差変動の両方の観点から、初期人類の進化史、とくにロブストスの絶滅に関与していた可能性がある、と本論文は指摘しています。注目されるのは、明らかにホモ属ではないロブストスの絶滅年代が、60万年前頃までくだる可能性が提示されていることで、これまでにも散々指摘されていますが、人類進化史において、現生人類(Homo sapiens)のみが存在している現代は異例な時期と言えるでしょう。


参考文献:
Caley T. et al.(2018): A two-million-year-long hydroclimatic context for hominin evolution in southeastern Africa. Nature, 560, 7716, 76–79.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0309-6

諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)
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ハリケーンによるトカゲの自然選択

2018/08/02 16:35
 ハリケーンによるトカゲの自然選択に関する研究(Donihue et al., 2018)が報道されました。ハリケーンはひじょうに破壊的で、人命や生活に損害をもたらすだけでなく、生態系にも甚大でしばしば長期に及ぶ影響を与えます。ハリケーンによる大量死の事例は数多くありますが、ハリケーンによる死が無差別に生じるのか、もしくはハリケーンにより、たとえば強風に耐える能力など、ある種の身体的特性が優先的に選択されるのか、明らかになっておらず、ハリケーンに誘導される自然選択についてはまだ実証されたことがありません。

 本論文は、西インド諸島のタークス・カイコス諸島全域で広く見られる小型のトカゲであるアノールトカゲの一種(Anolis scriptus)について個体群の調査を終えた直後、ハリケーン「イルマ」と「マリア」に襲われた対象個体群の再調査を行ない、しがみつく能力に関連する形態形質が最初の調査からの6週間で変化したのか、調べました。具体的には、肢の長さと指先裏のパッド表面積の変化です。これらの測定項目は、いずれもアノールトカゲのしがみつき能力に影響を及ぼし、生息地の利用状況と歩行運動様式に関係があると考えられています。

 その結果、ハリケーン後に生き残っていたトカゲ個体群では、ハリケーン前に存在した個体群との比較で、体サイズ・相対的四肢長・趾下薄板のサイズに違いが見られました。ハリケーン後の個体群は、その前の個体群よりも、指先裏のパッドの表面積が有意に増加し、平均的に前肢は長く、後肢は短くなっていました。アノールトカゲ47匹を1匹ずつ、木の枝の代わりに細くて丸い棒につかまらせてから、送風機で風を当てる実験では、前肢が長い方が木の枝をしっかりとつかめるものの、後肢が長いと強風の当たる表面積の増加のため不利になる、との知見が得られました。

 偶然の事態により行なわれたこの研究は、直前と直後の比較を用いてハリケーンが引き起こした選択を調べた初めての試みで、ハリケーンが個体群内で表現型の変化を誘導し得ることを実証するとともに、その原因が自然選択であることを強く示唆しています。今後数十年できょくたんな気候事象はさらに激しく頻繁になると予測されており、進化の動態の理解においては、これらの潜在的に重大な選択事象の影響を組み入れる必要がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】ハリケーンによるトカゲの自然選択が実際に観察された

 木の枝に上手にしがみつけるトカゲ類の方がハリケーンを生き延びる可能性が高い、という自然選択が実際に働いた事例について報告する論文が、今週掲載される。

 ハリケーンなどの自然災害は、生態系に壊滅的影響を及ぼし、大規模な死をもたらす。しかし、ハリケーンによる死が無差別に生じるのか、もしくはハリケーンによってある種の身体的特性(例えば、強風に耐える能力)が優先的に選択されるのかは、明らかになっていない。

 今回、Colin Donihueたちの研究グループは、西インド諸島のパインケイ島とウォーターケイ島という2つの隣接する島で、体の小さなアノールトカゲ(Anolis scriptus)の個体群の研究を終えた直後に、偶然にも2つのハリケーン(イルマとマリア)の上陸という予想外の事態に遭遇した。これはハリケーンの直接的な影響を調べるめったにない機会であったため、Donihueたちは、ハリケーンが過ぎ去った後に現地に戻ってフォローアップ調査を行った。そして、それぞれの島の個体群について、ハリケーンの前後で肢の長さと指先裏のパッド表面積がどのように変化したのかを調べた。この2つの測定項目は、いずれもアノールトカゲのしがみつき能力に影響を及ぼし、生息地の利用状況と歩行運動様式に関係があると考えられている。これら2つの島でハリケーンを生き延びたアノールトカゲの個体群は、ハリケーンの前と比べて、指先裏のパッドの表面積が有意に増加し、平均的に前肢は長く、後肢は短くなっていた。

 また、Donihueたちは、A. scriptusの指先裏のパッドの表面積としがみつき能力が関連していることを確認し、ハリケーンの強風にさらされたアノールトカゲを動画撮影して、どのように木の枝にしがみつくのかを説明している。強風になびいている時の姿勢から、Donihueたちは、前肢が長い方が木の枝をしっかりとつかめるが、後肢が長いと強風が当たる表面積が増すため不利になる、という考えを示している。

 Donihueたちは、今後数十年間に極端な気候事象の頻度と強度の高まりが予想されることから、進化動態を解明する際には、このような特定の深刻な気候事象を考慮に入れる必要があると結論付けている。



参考文献:
Donihue CM. et al.(2018): Hurricane-induced selection on the morphology of an island lizard. Nature, 560, 7716, 88–91.
https://dx.doi.org/10.1038/s41586-018-0352-3
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島のカラスは脳が大きい

2018/08/01 16:33
 生息場所によるカラスの脳サイズの違いに関する研究(Sayol et al., 2018)が公表されました。ニューカレドニアカラス・ハワイガラス・キツツキフィンチが道具を用いることは、島で高度な認知能力の進化が起こることを示唆しています。しかし、島嶼種と大陸種の間に相対的な脳サイズの差があるかどうかを調べた研究は、これまでのところカラス属と霊長類の研究の2例しかなく、いずれの場合も、島での生活と体サイズに対する脳サイズとの関連は認められませんでした。

 この研究は、鳥類種1931種(島嶼種110種と大陸種1821種)の標本11554点の脳サイズのデータセットを用いて、地震活動や火山活動によって海洋底が隆起してできた海洋島に生息する鳥類種の脳が、大陸に生息する近縁種より大きい傾向にあることを明らかにしました。この研究は、その原因として、島で生活する方が環境の予測がつきにくく、結果として大きな脳が選択された、との見解を提示しています。島で生活をしていると、状況が悪化しても生息地の移動に制約があるため、個体がきめ細かな行動反応を模索し、それに依存せざるを得ない、というわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】島に暮らす鳥は脳が大きい

 海洋島(地震活動や火山活動によって海洋底が隆起してできた島)に生息する鳥類種は、大陸に生息する近縁種よりも脳が大きいことを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究では、このような差が生じた原因について、定着の成功度の差ではなく、海洋島で起こった進化の過程の結果であることが示唆されている。

 ニューカレドニアカラス、ハワイガラス、そしてキツツキフィンチが道具を用いることは、島で高度な認知能力の進化が起こることを示唆している。しかし、島嶼種と大陸種の間に相対的な脳サイズの差があるかどうかを調べた研究は、これまでのところカラス属と霊長類の研究の2例しかなく、いずれの場合も、島での生活と体サイズに対する脳サイズとの関連は認められなかった。

 今回、Ferran Sayolたちの研究グループは、鳥類種1931種(島嶼種110種と大陸種1821種)の標本1万1554点の脳サイズのデータセットを用いて、海洋島に生息する鳥類種の脳が大陸に生息する近縁種より大きい傾向が見られることを明らかにした。Sayolたちは、その原因として、島で生活する方が環境の予測がつきにくく、結果として大きな脳が選択された、という考えを示している。島で生活をしていると、状況が悪化しても生息地を移動するという可能性に制約があるため、個体がきめ細かな行動反応を模索し、それに依存せざるを得ないと考えられる。



参考文献:
Sayol F. et al.(2018): Predictable evolution towards larger brains in birds colonizing oceanic islands. Nature Communications, 9, 2820.
https://dx.doi.org/10.1038/s41467-018-05280-8
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