チンパンジーとボノボの分岐

 チンパンジー(Pan troglodytes)とボノボ(Pan paniscus)の分岐について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Zihlman et al., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P 319)。チンパンジー属のチンパンジーとボノボは、250万~80万年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。両種の分岐に関しては、チンパンジーが母集団となってボノボが派生した、との見解が広く支持されています。これは、おもに社会性・道具使用・狩猟といった行動的証拠に基づいており、ボノボの解剖学的証拠は無視される傾向にあった、と本報告は指摘します。

 本報告は、チンパンジー属の成体18頭の解剖体骨と、20頭のボノボおよび2亜種25頭のチンパンジーの骨格データに由来する、骨格および軟組織両方の証拠に基づき、チンパンジーとボノボの分岐を検証しています。一部の頭蓋顔面および歯の特徴は、チンパンジーとボノボを統計的に区別しますが、体重および頭蓋容量では区別されませんでした。チンパンジー属の体組成(骨・筋肉・皮膚など)は、雌もしくは雄の間での種内変異をほとんど示しません。年齢と体重の一致したボノボとチンパンジーの雌の比較は、いくつかの統計的に有意な程度が体幹と四肢の比率における違いを反映している、と示します。同種の雄と比較した比較した雌は、ボノボでは骨格の程度で統計的な違いを示さないのに対して、チンパンジーの雄は雌から離れます。

 これら解剖学的比較の結果はチンパンジーの雄を外れ値として示し、ボノボではなくチンパンジーが分岐した種である、という仮説を支持します。これらの比較をゴリラとアウストラロピテクス属に拡張することで、分岐したチンパンジーの解剖学と行動に関する進化史と潜在的選択圧がより明確に見えてくる、と本報告は指摘します。チンパンジー属の化石はほとんど発見されていないので、チンパンジーとボノボの分岐に関する問題の解明には、現時点では現生種の形態とゲノムの比較が有効となりそうです。


参考文献:
Zihlman A.(2020): Pan paniscus or Pan troglodytes? The case for a divergent Pan troglodytes. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

真珠貝の進化に影響する気候変動

 気候変動が真珠貝の進化に影響する可能性を報告した研究(Takeuchi et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。日本では19世紀後半から真珠養殖が盛んに行なわれ、美しい真珠を広く養殖・商品化できるようになりました。一方、遺伝学的・進化論的な観点では、真珠の母貝であるアコヤガイ(Pinctada fucata)について、これまでほとんど理解されてきませんでした。アコヤガイのゲノムは2012年に解読されており、この研究は、西太平洋の各地で採集したアコヤガイのゲノムの塩基配列データを分析・比較し、各地の個体群が遺伝的および地理的にどのように異なるのか、解明しました。この分析結果により、アコヤガイが時間の経過に伴って起こった環境変化に対し、どのように適応してきたのか、推測できます。アコヤガイの遺伝学的集団構造の理解は、気候変動を考慮した効果的かつ的確な保護戦略を構築する上で重要です。アコヤガイは西太平洋に広く分布しているので、遺伝的分化を理解するには良いモデルとなります。

 アコヤガイを使った日本の真珠生産は、一世紀にわたって成功を収めましたが、その後、赤潮の頻発と感染症の拡大が打撃となり、1990年代には生産が激減しました。さらにこの時期には、中国産アコヤガイが日本の真珠養殖水域に導入されたことから、アコヤガイ個体群の遺伝的多様性が失われるのではないか、と懸念されました。この研究は、アコヤガイをよりよく理解して保護するために、日本本島・沖縄近辺を含む南西諸島南部・中国・ミャンマー・カンボジアの各地から採取した約200個体の標本を分析しました。近年における日本のアコヤガイ集団と中国のアコヤガイ集団の混合による影響を最小限に抑えるため、分析には2000年から2003年に採取した凍結標本が用いられました。ゲノム解析では、36203個の一塩基多型が分析されました。

 この研究は、個体群の分布としては北部に当たる日本本島のアコヤガイと、南部にあたる南西諸島・中国・カンボジアの個体群とは、遺伝的に離れていることを明らかにしました。しかし、陸地による障壁で隔てられているわけではない日本本島と南西諸島のアコヤガイが、なぜ遺伝的に異なるのかは大きな謎です。黒潮の強い海流により、アコヤガイは南西諸島から本島に容易に移動でき、個体群は混合すると想定されるからです。この研究は謎の解明のため、さまざまな環境要因(海面水温・海水中の酸素・二酸化炭素・リン酸塩・硝酸塩・塩分濃度)と遺伝的多様性との関連を調べました。統計解析の結果、海面水温と酸素濃度が遺伝的変異と強く相関していました。日本本島と南西諸島の個体群との間の遺伝的差異は、各地域の環境条件への適応と関係があるかもしれない、というわけです。

 この知見はアコヤガイの変遷の理解にも役立ちます。2万年前頃となる最終氷期極大期の海洋表面温度は現在よりかなり低く、日本のアコヤガイの個体群は日本本島に存在しませんでした。しかし最終氷期以降、日本の気温は上昇し、6000年前には現在よりも2度から3度高くなってピークに達し、アコヤガイの分布は日本本島へと北上しました。将来の気候変動と海水温上昇がアコヤガイの分布に影響するかもしれないため、研究者たちは、今後もアコヤガイの遺伝子研究を続けていく予定とのことです。


参考文献:
Takeuchi T. et al.(2020): Divergent northern and southern populations and demographic history of the pearl oyster in the western Pacific revealed with genomic SNPs. Evolutionary Applications, 13, 4, 837–853.
https://doi.org/10.1111/eva.12905

関幸彦『戦争の日本史5 東北の騒乱と奥州合戦』

 吉川弘文館より2006年11月に刊行されました。本書は、前九年合戦・後三年合戦・奥州合戦(源頼朝が奥州藤原氏を攻め滅ぼした戦い)を扱っています。一般書ながら、研究史の把握・整理が多いのが特徴となっています。本書は、東北地方と河内源氏という共通点を有するこれら三合戦から、中世的世界の成立の経緯・背景・その意味、頼朝の御家人たちの間で共有され、近代以降の日本社会の歴史認識にも影響を及ぼした記憶の創造過程といった問題を論じています。戦闘そのものの描写は少なめで、その背景・意義の解説が主体となっていることも特徴です。

 本書は東北地方で行なわれた合戦を扱っているだけに、東北の勢力についての解説が多くなっていますが、前九年合戦・後三年合戦において、奥州合戦の時と比較するとずっと「未熟」だったとはいえ、河内源氏が坂東武者を動員していたことや、東北の勢力が坂東の勢力との提携も企図していたことにも言及しており、坂東の動向にもそれなりの分量を割いています。また、奥州藤原氏をはじめとして東北の在地勢力が、都の諸権門と強いつながりを有していたこともに言及されており、奥州藤原氏やその前の東北の「覇者」だった清原氏や安倍氏は、必ずしも「中央から独立した勢力」とは言えない、と指摘されていることも注目されます。

脊椎動物の手の起源

 脊椎動物の手の起源に関する研究(Cloutier et al., 2020)が公表されました。魚類から四肢類(肢が4本の脊椎動物)への進化は、脊椎動物の進化において最も重要な変化の一つです。四肢類の出現は3億7400万年前頃と推定されていますが、その起源に関する仮説は、中期および後期デボン紀(3億9300万~3億5900万年前頃)の数少ない四肢類様魚類化石の解剖学的構造に大きく依存しており、その出現時期がさらにさかのぼるかもしれいない、と指摘されています。エルピストステゲ類として知られるタクソンには、パンデリクティス(Panderichthys)、エルピストステゲ(Elpistostege)、ティクタアリク(Tiktaalik)が含まれますが、いずれの標本からも胸鰭の完全な骨格構造はまだ明らかにされていません。

 本論文は、カナダの後期デボン紀の地層から出土したエルピストステゲの一種(Elpistostege watsoni)の、関節のつながった全長1.57 mの標本について報告しています。これは既知の化石の中で最も完全なエルピストステゲ類の化石標本です。高エネルギーCT(コンピューター断層撮影)により、胸鰭の骨格には近位から遠位の方向に4列の放射骨(そのうち2列は分岐した手根骨を含みます)が並び、遠位には指および指と推定される要素が2列ある、と明らかになりました。この骨格パターンは、これまで胸鰭に発見されている中で最も四肢類に近い骨の配列ですが、この胸鰭は放射骨の遠位に鱗状鰭条も保持していました。

 本論文は、脊椎動物の手は主として、エルピストステゲ類のごく典型的な遊泳用の胸鰭の内部に埋もれた骨格パターンから生じた、との見解を提示しています。エルピストステゲの胸鰭には、四肢類では失われている、魚類に典型的な鰭条が残っていますが、内部では手首と手の要素が著しく進化しており、これらの魚類が陸上へと進出して四肢類になったさいに、いつでも表面化できる状態にあった、というわけです。エルピストステゲは他の全ての四肢類と姉妹タクソンの関係にある可能性があり、その付属肢の特徴により、魚類と陸生脊椎動物との境界線はさらに曖昧なものとなりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


進化:初期の魚類に「指」があったことを示す化石

 このほど胸鰭に指のような付属肢の骨格を持つ化石魚が発見され、脊椎動物の手(前肢)の起源に関する手掛かりが得られた。この化石は、魚類から陸生脊椎動物への進化の1段階を示すと考えられている魚類Elpistostege watsoniの最も完全な標本である。この研究報告が、Nature に掲載される。

 四肢類(4本足の脊椎動物)が出現したのは約3億7400万年前だったことが、骨格化石から示唆されているが、それより古い化石の一部に四肢の痕跡があり、出現時期がさらにさかのぼることを示唆している可能性がある。これまでのところ、脊椎動物が陸上に移動した時の進化の記録は、デボン紀中期から後期(3億9300万年~3億5900万年前)の四肢類様魚類Elpistostegaliaの化石数点に大きく依存している。しかし、これらの化石からは、胸鰭(前鰭)の完全な骨格構造が明らかにならなかった。

 今週掲載されるRichard Cloudier、John Longたちの論文では、これまでに発見された最も完全なElpistostegaliaの化石について説明している。これは、長さ1.57メートルのE. watsoniの化石標本で、カナダのケベック州ミグアシャのエスクミナック層から発見された。この研究で、Cloudierたちは、高エネルギーX線CTスキャンを用いて、胸鰭の完全な骨格構造を明らかにした。E. watsoniの胸鰭骨格には、2本の識別可能な指があり、この他に指と推定されるものがあと3本あったが、胸鰭には鰭条も保持されていた。Cloudierたちは、こうした骨の配置は、胸鰭で見つかった最も四肢類に類似した実例だと結論付け、脊椎動物の手は、Elpistostegaliaの胸鰭内の骨格パターンから生じたという見解を示している。


進化学:エルピストステゲと脊椎動物の手の起源

進化学:脊椎動物の手の起源

 四肢類(肢が4本の脊椎動物)の祖先に近縁な化石魚類であるエルピストステゲ(Elpistostege)の、全長1.57 mに及ぶ既知で最も完全な標本が発見され、陸生脊椎動物への進化について新たな手掛かりがもたらされた。エルピストステゲは、パンデリクティス(Panderichthys)およびティクタアリク(Tiktaalik)と共にエルピストステゲ類を構成する。これらの魚類の一部(特にパンデリクティスとティクタアリク)からは多くの情報が得られているが、いずれの標本からも、後に手へと進化を遂げる胸鰭の完全な骨格構造はこれまで明らかにされていなかった。今回J Longたちは、この新たな標本の胸鰭についてCT(コンピューター断層撮影)スキャンを行い、四肢類の手首や指の骨に似た配置の骨格パターンを明らかにしている。エルピストステゲの胸鰭には魚類に典型的な鰭条が残っているが(四肢類では失われている)、内部では手首と手の要素が著しく進化しており、これらの魚類が陸上へと進出して四肢類になった際に、いつでも表面化できる状態にあったと考えられる。



参考文献:
Cloutier R. et al.(2020): Elpistostege and the origin of the vertebrate hand. Nature, 579, 7800, 549–554.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2100-8

乳児の食物アレルギーのリスクを低減する妊娠中の母親の腸内微生物

 妊娠中の母親の腸内微生物が乳児の食物アレルギーのリスクを低減する、と報告した研究(Vuillermin et al., 2020)が公表されました。妊娠中の母親の腸内マイクロバイオーム(細菌叢)は、胎児の免疫系の発生・発達を促進する上で重要な役割を果たしています。これに対しては、特定の細菌種の不在が免疫関連疾患の発症リスクの高さと関連している、との学説が提起されています。

 この研究は、オーストラリア人コホートの母親1064人の妊娠中の腸内細菌叢を分析し、その子供について、1歳になるまで3ヶ月ごとに調査を行ないました。この調査の結果、腸内細菌Prevotella copriが検出された母親の子供は食物アレルギーになりにくい、と分かりました。こうした防御的関連性が最も多く見られたのは、脂肪分と繊維分の多い食餌を取る母親でした。また、大家族であることや妊娠第3三半期に抗生物質を投与されていないことが、妊娠中の腸内細菌叢にP. copriが含まれることと相関していました。

 この知見を他の集団で裏づけ、プロバイオティクスやバイオマーカーとしてのP. copriの可能性を評価するためには、さらなる研究が必要ですが、この研究は、妊婦に対する抗生物質の投与管理や母親の腸内細菌叢を最適な状態に維持する食餌の重要性が明確になった、と指摘します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


健康:妊娠中の母親の腸内微生物が乳児の食物アレルギーのリスクを低減する

 妊婦のマイクロバイオームに細菌Prevotella copriが含まれることは、その子が生後1年以内に食物アレルギーを起こすリスクが低いことと関連していることが明らかになった。この新知見について報告する論文が、Nature Communications に掲載される。

 妊娠中の母親の腸内マイクロバイオームは、胎児の免疫系の発生・発達を促進する上で重要な役割を果たしている。これに対しては、特定の細菌種が存在していないことが、免疫関連疾患の発症リスクが高いことと関連しているとする学説が提起されている。

 今回、Peter Vuillerminたちの研究チームは、オーストラリア人コホートの母親(1064人)の妊娠中の腸内マイクロバイオームを分析し、その子どもについて、1歳になるまで3か月ごとに調査を行った。この調査の結果、腸内細菌P. copriが検出された母親の子どもは食物アレルギーになりにくいことが分かった。こうした防御的関連性が最も多く見られたのは、脂肪分と繊維分の多い食餌を取る母親だった。また、大家族であることや妊娠第3三半期に抗生物質を投与されていないことが、妊娠中の腸内マイクロバイオームにP. copriが含まれることと相関していた。

 今回の研究によって得られた知見を他の集団で裏付け、プロバイオティクスやバイオマーカーとしてのP. copriの可能性を評価するためには、さらなる研究が必要である。それでも、Vuillerminたちは、妊婦に対する抗生物質の投与管理や母親の腸内マイクロバイオームを最適な状態に維持する食餌の重要性が、今回の研究結果によって明確になったと考えている。



参考文献:
Vuillermin PJ. et al.(2020): Maternal carriage of Prevotella during pregnancy associates with protection against food allergy in the offspring. Nature Communications, 11, 1452.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14552-1

DNAメチル化が正確に継承される分子機構

 DNAメチル化が正確に継承される分子機構に関する研究(Nishiyama et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。DNAメチル化はDNAのシトシンの炭素原子にメチル基 が共有結合で付加される化学反応です。メチル化されたDNAはメチル化DNA結合タンパク質を呼び込み、遺伝子発現の抑制など様々な生命現象に重要な役割を果たします。DNAメチル化はヒストン修飾とともに古くから知られるエピジェネティック修飾です。エピジェネティック修飾とは、DNAおよびその足場として働くヒストンタンパク質に起こる化学修飾で、遺伝子発現のオンとオフを決めたり、特定のタンパク質を呼び寄せたりする目印として働きます。近年、DNAの配列情報への直接的な変異と合わせて、エピジェネティック修飾の制御機構の破綻(エピジェネティック変異)が様々な疾患に関わっている、と明らかになってきました。

 エピジェネティック修飾は、遺伝子発現制御をはじめとして様々な生命現象に重要な役割を果たします。DNAメチル化は遺伝子発現のオンとオフを決めることで、細胞の特性を決める細胞記憶として働きます。したがって、細胞増殖に伴うメチル化パターンの正確な継承は、その細胞の特性を維持するために不可欠で、DNAが複製されるさいには、DNAメチル化パターンも同時に正確に継承される必要があります。この仕組みの破綻は異常な発生・分化に加えて、細胞の癌化や染色体不安定化を引き起こす原因となる、と考えられています。このような背景のもと、DNAメチル化継承の分子機構の全貌を明らかにすることは重要な課題となっています。

 DNAメチル化継承にはDNAメチル化酵素DNMT1(非メチル化DNAをメチル化するDNMT3A/3Bに対して、DNMT1はDNA複製部位に特異的に局在し、DNA複製時に生じる片鎖メチル化DNAを好んでメチル化する活性を有します)とUHRF1 (Ubiquitin-like containing PHD and Ring finger 1) という二つのタンパク質が重要な働きをしています。UHRF1は複製時に一時的に生じる片鎖メチル化DNAに特異的に結合するタンパク質で、DNMT1のDNAメチル化部位局在に不可欠な役割を果たします。これまでにUHRF1を介したヒストンH3(細胞内のDNAを巻き付けているヒストンタンパク質の一つで、UHRF1によりユビキチン化されるとDNMT1との結合能を獲得します)のマルチプルモノユビキチン化が、DNMT1によるDNAメチル化継承に重要である、と分かっていましたが、DNMT1を複製装置に局在させるメカニズムや、UHRF1がそれをどのように制御するのかは明らかでありませんでした。

 ユビキチンは76アミノ酸からなる小型のタンパク質で、基質となるタンパク質のリジン残基に共有結合で付加され、タンパク質のユビキチン化は、タンパク質の安定性や機能を大きく変化させるシグナルとして、重要な役割を果たします。ユビキチン化には、ポリマー化ユビキチンが基質タンパク質に付加されるポリユビキチン化(タンパク質分解・DNA損傷応答・免疫応答におけるシグナルとして働きます)と、1個のユビキチンが付加されるモノユビキチン化の二つの様式が存在します。その中でも、UHRF1によるユビキチン化は、複数のリジン残基を標的としてモノユビキチン化するマルチプルモノユビキチン化と分かってきました。

 この研究は、アフリカツメガエルの未受精卵の抽出液に脱膜処理をした精子の核を加えた、無細胞系を用いました。この実験系は、通常細胞内でしか起こらない染色体の複製を試験管内で再現することが可能なので、生化学的な解析に優れています。この抽出液から得たDNMT1複合体を質量分析で網羅的に解析したところ、DNMT1と特異的に結合する因子としてPAF15(DNA複製因子であるPCNAと相互作用することや、癌細胞で高発現を示すことが分かっていたものの、その機能や制御については不明でしたが、UHRF1によりユビキチン化されることで、DNMT1と相互作用する新たなDNAメチル化制御因子と明らかになりました)を新たに発見しました。

 さらに、無細胞系を用いた詳細な解析の結果、PAF15がDNA複製時にPCNA(DNA複製の中心的因子で、DNAポリメラーゼをはじめ様々なDNA複製因子と相互作用します)を介して染色体に結合すること、UHRF1(DNMT1をメチル化DNA部位に集積するために必要なタンパク質で、片鎖メチル化DNAや特殊なヒストンの化学修飾状態を読み取ることでDNAメチル化部位特異的に結合し、ヒストンH3をユビキチン化する役割を担うと知られていたE3ユビキチン化酵素です)によりPAF15のN末ドメインに保存された二つのリジン残基がモノユビキチン化を受けることが、PAF15とDNMT1の相互作用に不可欠である、と分かりました。ヒストンH3は細胞内のDNAを巻き付けているヒストンタンパク質の一つで、UHRF1によってユビキチン化されると、DNMT1との結合能を獲得します。

 また、通常時は染色体上のDNMT1のほとんどはユビキチン化PAF15と結合していましたが、ヒストンH3のユビキチン化レベルの上昇やDNMT1とユビキチン化H3との相互作用がPAF15の機能阻害に伴い観察されました。これは、PAF15のユビキチン化がDNMT1のDNAメチル化部位への局在を制御する主要経路で、ヒストンH3のユビキチン化はバックアップシステムとして働いている可能性を示唆します。重要なことに、マウスES細胞において、PAF15のユビキチン化部位のアミノ酸に変異を導入したところ、ゲノム全体のDNAメチル化レベルが大きく低下し、PAF15がDNAメチル化維持を保証する因子である、と明らかになりました。

 この研究はさらに、UHRF1によるPAF15のユビキチン化の分子機構を解明するために、大型放射光施設Photon Factoryの強力なX線源を用いて、PAF15とUHRF1の複合体構造をX線結晶構造解析法で決定しました。その結果、PAF15のN末端配列が、UHRF1のもつPHDドメイン(UHRF1中央部に存在する機能ドメイン。UHRF1によるヒストンH3の認識やユビキチン化に必須であり、ヒストンH3のN末配列を読み取ります)により特異的に認識され、この相互作用がPAF15のユビキチン化に重要である、と分かりました。UHRF1のPHDドメインはヒストンH3のN末端配列も認識・結合すると知られており、UHRF1による基質認識に共通性がある、と初めて明らかになりました。

 DNAメチル化酵素は抗癌剤の作用点としても注目を集めており、この研究は、DNAメチル化継承の新たなメカニズムを明らかとした学術的な意義に加えて、DNAメチル化酵素阻害剤の開発推進に大きく寄与する可能性を示しています。今後、PAF15を標的とする脱ユビキチン化酵素の探索、またDNMT1とユビキチン化PAF15/ヒストンH3の結合を阻害する小分子化合物のスクリーニングなどにより、さらなる研究の発展を図る予定とのことです。また、PAF15は様々な癌細胞で高発現していると報告されており、PAF15の高発現がDNAメチル化制御に与える影響を明らかにすることは、今後の重要な課題と考えられます。


参考文献:
Nishiyama A. et al.(2020): Two distinct modes of DNMT1 recruitment ensure stable maintenance DNA methylation. Nature Communications, 11, 1222.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15006-4

イギリスにおける生物多様性の回復

 イギリスにおける生物多様性の回復に関する研究(Outhwaite et al., 2020)が公表されました。生物多様性の大規模研究は、保全の取り組みが確実に的を射ているようにする上で重要です。しかし、生物多様性の傾向に関する広範囲の分析には、無脊椎動物群の多くが登場しません。昆虫たちの減少を報じた最近の研究は懸念を巻き起こしましたが、論文の基礎データは不充分である場合が多い、と指摘されています。この研究は、1970年以降のイギリスにおける5000種を超える無脊椎動物・コケ類(蘚類・苔類・ツノゴケ類といった非維管束植物)および地衣類の存在状況に関する年次的傾向を分析しました。全国的なモニタリング計画29件のデータを利用することにより、1970~2015年の全国的な変化が種ごとに推定されました。

 その結果、全生物種の2015年の平均存在度は1970年との比較で11%高い、と明らかになりました。存在度の上昇率は、昆虫が5.5%、コケ類および地衣類が36%でした。昆虫以外の無脊椎動物のみが6%超の減少を示しました。淡水種は、20年近くにわたる減少を経て、2015年までに約7%回復しました。しかし、個々の種の汎存性と希少性の間には変化があり、群集構成が変化しつつある、と示唆されました。そうした変化は、環境規制の導入につながる可能性があります。しかし、この研究は、生物多様性の幅広い低下は大規模な土地利用変化および産業革命により1970年代以前に起こっていたようだ、と注意を促しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】英国の生物多様性の回復を示す何らかの兆候か

 5000種を超える無脊椎動物、非維管束植物、地衣類を分析することにより、過去45年間で英国の生物多様性に複雑な変化が生じたとする報告が、Nature Ecology & Evolutionに掲載される。今回の知見は、これらの生物種の2015年の平均存在度が、1970年よりも11%高くなったことを示唆している。

 生物多様性の大規模研究は、保全の取り組みが確実に的を射ているようにする上で重要である。しかし、生物多様性の傾向に関する広範囲の分析には無脊椎動物群の多くが登場してこない。昆虫たちの減少を報じた最近の論文は懸念を巻き起こしたが、論文の基礎データは不十分である場合が多い。

 Charlotte Outhwaiteたちは、1970年以降の英国の5000種を超える無脊椎動物、コケ類(蘚類、苔類、ツノゴケ類といった非維管束植物)および地衣類の存在状況に関する年次的傾向を分析した。全国的なモニタリング計画29件のデータを利用することにより、1970~2015年の全国的な変化が種ごとに推定された。

 その結果、全生物種の2015年の平均存在度は1970年との比較で11%高かったことが明らかになった。存在度の上昇率は、昆虫が5.5%、コケ類および地衣類が36%であった。昆虫以外の無脊椎動物のみが6%超の減少を示した。淡水種は、20年近くにわたる減少を経て、2015年までに約7%回復した。しかし、個々の種の汎存性と希少性の間には変化があり、群集構成が変化しつつあることが示唆された。

 そうした変化は環境規制の導入につながる可能性がある。しかしOuthwaiteたちは、生物多様性の幅広い低下は大規模な土地利用変化および産業革命によって1970年代以前に起こっていたようだと注意を促している。



参考文献:
Outhwaite CL. et al.(2020): Complex long-term biodiversity change among invertebrates, bryophytes and lichens. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 384–392.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1111-z

大河ドラマ『麒麟がくる』第10回「ひとりぼっちの若者」

 明智光秀(十兵衛)のことで悩み元気のない駒は、孤児だった自分を迎え入れてくれた旅芸人一座の座長の伊呂波太夫と再会します。伊呂波太夫の一座は各地を巡っており、尾張の織田信秀も訪ねていました。駒は伊呂波太夫から、子供の頃自分を火事から救ってくれた美濃の人物は、桔梗の紋の服を着ていた、と知らされます。ということは、明智一族で、光秀の亡父だったかもしれません。1549年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)11月、三河に今川軍攻め寄せ、織田信秀の息子の信広が捕らえられます。今川は織田に、織田の人質となっている松平竹千代(徳川家康)と信広の交換を要求します。

 この人質交換で三河が今川に制圧されることを懸念した斎藤利政(道三)は、光秀に尾張に行って情報を収集するよう命じます。信長は人質交換に反対し、異母兄の信広を見殺しにすべきと信秀に進言します。信長の母の土田御前は、弟の信勝を後継者とするよう進言しますが、信秀は、秩序を乱すべきでないと退けます。帰蝶に会いに行った光秀は信長と再会します。光秀は気づかれていないと思っていたようですが、信長は覚えていました。鉄砲の生産地を当てたこともあり、光秀をやや気に入ったのか、信長は母の愛を求めて得られなかった自分の心情を打ち明けます。そこへ竹千代がやって来て、自分の父(松平広忠)を殺されたことは気にしない、と言います。

 今回は、駒の過去が明かされたこともありますが、やや明かされた信長の人物像と、信長と竹千代のやり取りが見どころでした。信長は、まだ思慮の足りないところがあるとはいえ、冷酷なところも鋭いところもあり、少年時代の信長としては人物造形に成功しているように思います。竹千代は、ひじょうに聡明で精神的に強い子供として描かれています。本作におけるこれまでの竹千代の扱いは大きいので、家康が今後重要な役割を果たすのではないか、と予感させます。信長も竹千代も怪物じみたところがあるのに対して、光秀は優秀ではあるものの、まだ底知れない怖さは見せていないように思います。これまでの作風から推測すると、未登場の羽柴秀吉(藤吉郎)も怪物的な人物のように思います。そうした怪物たちの間で光秀が翻弄され、本能寺の変が起きる、という展開なのかもしれません。ともかく、序盤からしっかり伏線が張られて、それが回収される予感がしますから、今後もたいへん楽しみです。

大相撲春場所千秋楽

 今場所は新型コロナウイルス流行のため無観客での開催となり、本当に味気なかったのですが、力士の息遣いから土俵を踏む音までしっかりと聴こえ、その意味では興味深く見られました。力士たちも戸惑ったでしょうが、何とか無事に開催を終えられたのは何よりでした。優勝争いは、9日目まで全勝で単独首位に立った白鵬関が独走するのかと思ったら、10日目と12日目に負け、12日目が終わった時点で西前頭13枚目の碧山関が1敗で単独首位に立つという、先場所に続いて大波乱を予感させる展開となりました。

 しかし、碧山関は13日目に隆の勝関相手に悪癖が出て安易に引き負けてしまい、14日目には白鵬関に負け、優勝争いから脱落しました。13日目まで2敗の鶴竜関は14日目に3敗の朝乃山関を物言いのつく際どい相撲ながら破り、千秋楽結びの一番で白鵬関との相星決戦に挑むことになりました。鶴竜関は6日目に先場所優勝の徳勝龍関に敗れて2敗となり、今場所も休場に追い込まれるのではないか、と懸念した人は私も含めて少なくなかったでしょうが、よく立て直してきたと思います。白鵬関は、12日目の正代関との一番があまりにも雑で、本当に驚かされました。衰えへの苛立ちもあるのでしょうが、無観客という異常な状況のなか、相星決戦にまで持ち込んだのは、さすがに百戦錬磨といった感じです。結びの一番は、激しい巻き替えの応酬となり、白鵬関が鶴竜関を寄り切って44回目の優勝を決めました。なかなか見ごたえのある内容で、満足しています。鶴竜関としては、自分が上手を引いて白鵬関に上手を与えていない時点で攻めたかったところです。大波乱を予感させた終盤でしたが、横綱同士の相星決戦となったのは、よかったと思います。

 久々の一人大関である貴景勝関は今場所大不振で、どこか状態が悪かったのでしょうが、7勝8敗と負け越しました。今場所大関昇進のかかった朝乃山関は、千秋楽に貴景勝関に勝って11勝4敗としました。朝乃山関はこれで直近3場所の合計が32勝となり、今場所後の大関昇進の可能性が出てきましたが、今場所は大関昇進見送りとなっても、来場所再度挑戦することになり、地力はつけてきていますので、大怪我をしなければ、近いうちに大関に昇進できそうです。押し相撲の貴景勝関が2場所続けて優勝もしくはそれに準ずる成績を残すのはなかなか難しそうなので、現時点で最も横綱に近いのは朝乃山関かもしれません。

 ただ、以前と比較して八百長が激減しているという推測が正しいとしたら、横綱はもちろん、大関への昇進も今後かなり少なくなりそうで、朝乃山関も横綱昇進は容易ではないでしょう。その意味で、朝乃山関がもっと地力をつけるまであと1年くらい、白鵬関と鶴竜関には引退しないでもらいたいものですが、ともに満身創痍だけに、朝乃山関が横綱に昇進する前に引退する可能性は低くなさそうです。さらに、朝乃山関が大怪我などで伸び悩むと、横綱不在が長期化しそうで、今後がたいへん心配ではあります。これは、日本社会における少子高齢化の進展により、以前よりも大相撲に入門してくる若い男性の素質が劣っていることとも関係しているように思います。その意味で、現在上位陣が手薄なのは、若手が「だらしない」からというよりは、少子高齢化の進展という日本社会の根本的問題に起因すると言うべきで、解決は容易ではないでしょう。

チベット高原の人口史

 チベット高原の人口史について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Zhang et al., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P319)。砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境への人類の進出は、人類の認知能力にも関わってくる問題なので、注目されてきました。平均標高が海抜4500mを超えるチベット高原は、人類にとってとくに厳しい環境なので、極限環境への人類の進出時期をめぐる議論で重要となります。

 極限環境に進出できた人類は現生人類(Homo sapiens)だけだった、との見解も提示されていましたが(関連記事)、中期更新世に種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がチベット高原に存在した、と確認されています(関連記事)。チベット高原における現生人類の居住は、人類遺骸こそ発見されていないものの、後期更新世となる4万~3万年前頃の上部旧石器時代の石器群で確認されています(関連記事)。

 本報告は、既存の考古学的および遺伝学的データの批判的再調査に基づいて、二つの包括的なモデルを定式化しています。その一方は、全先住入植者が最新の移民に置換されたという不連続な居住モデルで、もう一方は、更新世の現生人類の到着から始まった継続的居住です。両モデルは、人類の生存と適応に関する見解が大きく異なります。両モデルとも、狩猟採集民集団がチベット高原に早期に移住した可能性を認めていますが、不連続モデルはもちろん、連続モデルでも、現代チベット人の遺伝子プールに早期狩猟採集民集団系統が一定以上の割合で存在するのか、不明とされています。

 また、現代チベット人の祖先集団とデニソワ人との間の交雑が、チベット高原への現生人類の継続的な居住の前に起きた可能性も指摘されています。現代チベット人にはデニソワ人由来と推定される高地適応関連遺伝子が確認されており(関連記事)、デニソワ人のような非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑は、高地に限らず、現生人類の多様な環境への適応を促進したかもしれません。


参考文献:
Zhang P. et al.(2020): Models for Population History of the Tibetan Plateau: Toward an Integration of Archaeology and Genetics. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

現代人における古代型ホモ属由来の遺伝子の多様性

 現代人における非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)由来の遺伝子の多様性について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Kelsey, and Huerta-Sanchez., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P311)。現代人の遺伝的多様性は、過去の移動と相互作用により形成されてきました。非アフリカ系現代人系統はアフリカを離れて以来、ランダムな変異と、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属との交雑という両方により、多くの新たな多様体を獲得してきました。非アフリカ系現代人系統と古代型ホモ属との交雑後、古代型アレル(対立遺伝子)はさらに地域的な選択と人口統計学的事象により形成されていきました。

 本報告は、「古代型」多様体がどの程度非アフリカ系現代人集団の新たな遺伝的多様性に寄与したのか、定量化します。本報告はそのため、アフリカでは稀で、非アフリカ系現代人系統がアフリカを離れた後に生じた可能性の高い、古代型ホモ属と非アフリカ系現代人の間で特有の共有された変異を検証しました。本報告はさらに、これらのアレルを、チンパンジーとヒトの祖先に関連する派生的もしくは祖先的なものと識別し、「古代型」多様体を、新たな変異として非アフリカ系集団において生じた可能性の高い多様体と比較しました。その結果、派生的な新規アレルの5.5~7%と祖先的な新規アレルの65%は古代型ホモ属と共有されており、おそらくは遺伝子移入によりもたらされました。

 非アフリカ系集団の「古代型」遺伝的多様性のパターンは、非アフリカ系現代人系統がユーラシア全域に拡散し、さらにアメリカ大陸に移住した時に起きた連続的なボトルネック(瓶首効果)を考慮すると予想されるものと、ほぼ一致します。しかし一部の集団は、予想よりも多いもしくは少ない古代型ホモ属の多様体を有しており、選択圧が世界の各地域で異なって作用してきたことを反映しています。非アフリカ系現代人集団における古代型系統の割合は低水準ですが、古代型アレルは地域ごとに個体群を分類するのに充分な情報を含んでいる、と本報告は明らかにしています。これは、現代人集団で生き残っている古代型アレルが、しばしば単一集団に固有か、別の進化的過程により形成されている、と示唆します。


参考文献:
Kelsey JA, and Huerta-Sanchez E.(2020): Characterizing Archaic Hominin Variation in Human Populations. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

クラウン群鳥類の起源(追記有)

 クラウン群鳥類の起源に関する研究(Field et al., 2020)が公表されました。クラウン群鳥類の進化の最初期に関する理解は、中生代の鳥類の化石記録がきわめて少ないため、進んでいません。クラウン群鳥類の最も古い系統分岐は白亜紀に起きたと知られていますが、クラウン群鳥類の最も古く分岐したサブクレードである古顎類(ダチョウとその仲間)、キジカモ上目(キジ類およびカモ類)、新鳥上目(それ以外の全ての現生鳥類)を代表する中生代のステム系統は、化石記録の空白、とくに2億5千万~6600万年前頃となる中生代の確実な化石が1個しか見つかっていないため、明らかになっていません。そのため、祖先的なクラウン群鳥類の生態・生物地理学・分岐年代に関する重要な疑問にはまだ答えが得られていません。

 本論文は、キジカモ上目の最終共通祖先の付近に位置づけられ、クラウン群鳥類の進化史の初期において重要な系統的空白を埋める、新たな中生代化石について報告しています。ベルギーで発見されたこの化石の年代は白亜紀末のマーストリヒチアン期となる6680万~6670万年前頃で、三次元的に保存されたほぼ完全な頭蓋および付随する頭蓋後方の要素から構成され、新属新種(Asteriornis maastrichtensis)に分類されました。「Asteriornis」という名称は、ギリシャ神話に登場するウズラに姿を変えた流星の女神Asteriaに由来します。この化石は、中生代のクラウン群鳥類であるとじゅうぶんに裏づけられている数少ない一つで、優れた頭蓋化石を有する化石としては初めての中生代クラウン群鳥類です。他にこれと近い年代でよく知られているクラウン群鳥類は、南極で発見された種(Vegavis iaai)だけです。

 この推定体重400g弱の新属新種クラウン群鳥類には、キジ類様の特徴とカモ類様の特徴を併せ持つこれまで報告されたことのない特徴が見られ、以前に報告された同地域のイクチオルニス様の分類群とほぼ同時期に存在したことは、クラウン群鳥類と鳥群ステム鳥類とが共存していたことを示す直接的な証拠となります。北半球におけるその存在は、クラウン群鳥類の起源がゴンドワナ大陸にあるとする生物地理学的な仮説に疑義を唱えるもので、その比較的小さなサイズと沿岸生態環境に生息していた可能性は、クラウン群鳥類が白亜紀末の大量絶滅を生き延びるのに影響を与えたとする、生態学的フィルター説を裏づけているかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


進化:現生鳥類が初めて出現した頃

 新たに発見された鳥の頭蓋骨化石は、これまでに報告された中で最古の「現生」鳥類の一種とされ、鳥類が多様化した時期に関する手掛かりになるという考えを示した論文が、今週、Nature に掲載される。この化石は、年代測定によって約6680~6670万年前のものとされ、現代のカモやニワトリに見られる特徴がある。今回の研究によって得られた知見は、現生鳥類が白亜紀末の大量絶滅の直前に出現したことを示している。この大量絶滅は、大型の小惑星または彗星の衝突によって引き起こされた。

 クラウン群鳥類には、全ての現生鳥類とその全ての子孫(現生種と絶滅種)の共通祖先が含まれる。その初期進化については、化石記録に空白部分があるため、あまり解明が進んでいない。特に中生代(およそ2億5000万年から6600万年前)については、十分な裏付けのある分類群がわずか1つしかなく、後はクラウン群鳥類とのつながりがあいまいな数点の化石断片だけだ。このほど、ベルギーのマーストリヒト層で発見された中生代の化石鳥が、新属新種(Asteriornis maastrichtensisと命名)とされ、化石記録の空白部分を埋める上で役立つかもしれない。

 Daniel Fieldたちの論文で、このAsteriornisの化石は、保存状態がよく、ほぼ完全な3次元の頭蓋骨が含まれていることが報告されている。この化石には、陸鳥のような特徴と水鳥のような特徴が組み合わさっており、例えば、嘴は、現代の陸鳥に類似している。Asteriornisという名称は、ギリシャ神話に登場するウズラに姿を変えた流星の女神Asteriaに由来している。この名称は、白亜紀末期の小惑星の衝突が間近に迫っていたことと家禽との類似性を反映している。Fieldたちは、Asteriornisの体重を400グラム弱と見積もった。このように比較的小型で、海洋堆積物の中から発見されたことは、Asteriornisが海岸に生息する鳥であった可能性を示しており、鳥類のクラウングループの多様性のかなりの部分の起源が海岸に生息する鳥に類似しているという仮説を裏付けている。


古生物学:ヨーロッパの後期白亜紀の新鳥亜綱の鳥類化石から明らかになったクラウン群鳥類の起源

古生物学:初期の鳥類

 新種の化石鳥類Asteriornis maastrichtensisがベルギーの白亜紀末期の地層から出土した。この化石鳥類は現生鳥類と同様の姿をしており、カモ類やニワトリを生じた系統から古くに分岐した分類群に属する。今回の発見は、現生鳥類に似た鳥類が、近縁の恐竜類が絶滅するはるか以前にすでに分岐し始めていたことを示している。他にこれと近い年代でよく知られているクラウン群鳥類は、南極で発見されたVegavis iaaiのみである。



参考文献:
Field DJ. et al.(2020): Late Cretaceous neornithine from Europe illuminates the origins of crown birds. Nature, 579, 7799, 397–401.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2096-0


追記(2020年3月24日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

千葉聡『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』

 講談社ブルーバックスの一冊として、講談社から2020年2月に刊行されました。本書は一般向けを意識してか、進化の実態や仕組みといった学術的な解説だけではなく、進化学に関わった研究者たちの人間模様話も取り上げており、単に進化学の解説書というだけではなく、読み物としても優れていると思います。たとえば、ガラパゴス諸島が進化論発祥の聖地というような認識は20世紀初頭まではなく、ダーウィンの息子のフランシスは19世紀末に、ダーウィンが進化に気づいたのはビーグル号航海の途上だった、と指摘していました。ダーウィンはガラパゴス諸島でダーウィンフィンチの観察により進化に気づいた、との俗説も誤りで、ダーウィンはガラパゴス諸島に滞在中、ダーウィンフィンチにはまったく関心を抱かなかったそうです。

 本書でおもに取り上げられている貝類の進化をめぐる研究の進展と人間模様は興味深いのですが、私がとくに関心を抱いたというか、今後調べてみようと思ったのは、新学制以降の日本の高校生物における進化の扱いです。本書は、かつて日本の高校では進化が教えられず、それどころか、1980年代の日本の大学では総合説を扱う講義すら稀だった、と指摘します。著者は1960年生まれで、私は1972年生まれですが、本棚にまだ残していた私が高校時代に使用していた生物参考書を読んでみると、少ない分量ながら進化は取り上げられていました。高校時代の生物の授業については、遺伝に関すること以外ほとんど忘れてしまったので、授業で進化が取り上げられたのか、覚えていませんが、参考書で言及されているので、当時の学習指導要領では授業で教えられることになっていたのだろう、と思います。

 本書は、新学制以降の日本において進化学が軽視された理由として、科学への政治介入、海外動向への無関心、権威主義を挙げています。本書では、科学への政治介入として、第二次世界大戦後の日本において、ソ連で採用されたルイセンコ学説が遺伝学・進化学・古生物学で強い影響力を有した、ということを挙げています。1960年代には、分子生物学の劇的な発展により、遺伝学ではルイセンコ学説がほぼ消えましたが、進化学・古生物学では1980年代初頭まで勢力を維持していた、と本書は指摘します。本書によると、プレートテクトニクス理論とともに総合説も、「親米的」として否定された、とのことです。「ブルジョワ的」・「西側的」といった理由で、プレートテクトニクス理論の普及を日本の「左翼」が妨げたことは、日本でもわりと知られるようになったと思いますが、総合説も同様の扱いを受けたとは、恥ずかしながら知りませんでした。まあ、「左翼」の側には言い分があるでしょうし、そもそも「左翼」も一枚岩ではないでしょうが。この問題については、もっと深く調べる必要がありそうです。

 権威主義の側面としては、いわゆる今西進化論がメディアや文化人の間で総合説に代わるものとして一世を風靡した、と本書は指摘します。しかし本書は、今西進化論に対して、当時の進化学の世界標準でも、とても評価に耐えるものではなかった、と厳しい評価を下しています。これは世界的な動向への関心の低下につながったかもしれません。また本書は、1980年代の日本において、ポストモダン思想と生物学の合体から生まれた特異な進化説が総合説を否定した、と指摘します。また本書は、1970年代、アメリカ合衆国において、化石記録が示す進化は総合説だけでは説明できない、と主張する学派の影響を受けたことも指摘します。なお、旧学制の日本において、進化論の扱いがきわめて政治的で繊細な問題だったことも指摘されています(関連記事)。


参考文献:
千葉聡(2019)『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』(講談社)

『卑弥呼』第36話「ナツハ」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年4月5日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハがイクメに、平和のためなら自分はいくらでもウソをつき、人を欺く覚悟だ、と言い放つところで終了しました。今回は、暈(クマ)の国の夜萬加(ヤマカ)にて、洞窟の奥深く出女性が骨を焼いて占っている場面から始まります。女性に占ってもらうため人々が並び、犬が女性を守るかのように待機しています。女性は焼いた骨のヒビを見て、ある男性に占いの結果を伝えます。その男性の娘は、玉杵名(タマキナ)の大人(タイジン)から四番目の嫁に望まれていましたが、待てばもっと良い縁がある、と女性は男性に告げます。

 その次に入って来たのは鞠智彦(ククチヒコ)でした。外にも中にもやたら犬がいるな、と鞠智彦に問われた女性は、自分を鬼道に通じた呪い女と勘違いし、襲おうとする輩が多いので、息子が侍衛として置いてくれた、と答えます。女性によると、この息子は実子ではないものの、息子のように自分を慕う、とのことです。そなたの心根がよいのか、それとも息子が優しいのか、と鞠智彦に問われた女性は、どうでもよかろう、と苛立ち、何を占ってほしいのか鞠智彦に尋ねます。すると鞠智彦は、山杜(ヤマト)を国として興した新たな日見子(ヒミコ)のことだ、と答えます。この発言に女性は鞠智彦の方を振り返り、四肢を砕かれ野に放置されたヒルメ(第23話)と明らかになります。荒爪山(アラツメヤマ)に恐ろしいほど未来を言い当てる巫女がいると聞いて訪れた鞠智彦は、この巫女が暈にある「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の元長だったヒルメと予想しており、冷静です。一方ヒルメは、鞠智彦が訪ねてきたことに驚きます。鞠智彦はまだヒルメが生き残っていたことに敬服します。

 ヒルメはすがるような表情で、何を占えば自分をここから救い出してくれるのか、と鞠智彦に尋ねます。すると鞠智彦は、占ってほしいのではなく、事実を知りたい、と答えます。日見子(ヤノハ)とはどんな女だ、と鞠智彦に問われたヒルメは、日見子を騙るのはヤノハという下賤な小娘なので、即刻討つべきだ、と即答します。鞠智彦は、新たな日見子の名がヤノハだと初めて知ります。なぜヤノハをそれほど嫌うのか、と鞠智彦に問われたヒルメは、モモソを殺したからだ、と答えます。モモソとは日鷹(ヒタカ)の戸波(トバ)殿の娘か、と鞠智彦は呟きます。モモソは自分の養女で次の種智院の、と言いかけたヒルメを、嘘を言うな、と鞠智彦は一喝します。ヒルメはモモソを日見子に祭り上げ、暈に反旗を翻す計略を立てていたのだろう、というわけです。そんなことはない、と狼狽するヒルメにたいして、鞠智彦は倭を泰平に導くには王が二人必要と言います。一人は、夜に星々と語らい、明日のお暈(ヒガサ)さまの黄泉返りを祈る王で、もう一人は昼に実際の政治を行なう王です。つまり、暈の国における鞠智彦とタケル王(鞠智彦に殺されましたが)です。

 鞠智彦は、ヒルメがモモソを夜の女王、ヤノハを昼の女王にしていたなら、暈どころか倭も統一していたかもしれない、と惜しみます。ヤノハを認めず心底嫌っているヒルメは納得しませんが、ヤノハはあと数日で日向(ヒムカ)を手に入れる、残念ながら誰も止められない、と鞠智彦はヒルメに伝えます。どうするのか、ヒルメに問われた鞠智彦は、ヤノハに会って日見子と認めるだけだ、と答えます。ヒルメは鞠智彦に、自分の話を信じてほしい、ヤノハは偽物の日見子だ、と必死に訴えますが、鞠智彦は冷ややかに、本物か偽物かはもはや関係ない、自分が見ているのは誰に天運があるかということだけ、と言い放ちます。ヤノハは生きるためにモモソを殺したのだろう、と言う鞠智彦に対して、その通り、ヤノハには人としての心がない、と必死に訴えますが、そなたは天運をつかむには心がありすぎたようだな、と鞠智彦は冷ややかに言って立ち去ります。

 霊霊(ミミ)川(現在の宮崎県を流れる、古戦場で有名な耳川でしょうか)では、ヌカデが船団を率いていました。その様子を見ていた二人は、日向の事情と絡めて語り合います。この船団には鉄が積まれていました。日向には鉄器がなく、青銅器さえ珍しく、使用されている道具はほぼ石器です。日見子(ヤノハ)は日向の邑々に、自分に従えば鉄とその加工法を伝授する、と布告しました。硬い鉄は鋤や鍬や斧に使えば、硬い土を耕せ、木を倒せて、水を引けます。二人の邑の長も、ヤノハのいる霊霊川河口の霊霊津(ミミツ)の里に向かいました。霊霊津の里では、イクメがヤノハに、ヌカデが3日後に到着し、日向の全邑長約千人が集まる、と報告していました。日向の7万戸の民全員が日見子(ヤノハ)様に従うことに同意した、とイクメは嬉しそうに報告します。霊霊津からサヌ王(記紀の神武天皇と思われます)は日出処に向け出港したそうで、東征を終えた一族は、聖地を侵した我々を倒すためにいずれ戻ってくるだろうから、それまでに我々は筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の国々の戦を終わらせる、とヤノハは決意を語ります。サヌ王に勝つには心がいる、と言うヤノハは、自分・イクメ・ミマト将軍・ミマアキ・ヌカデの名を挙げます。この5人が心を一つにしなければならない、というわけです。ここで『三国志』の「官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮」という邪馬台国の要人を挙げた一節が引用されます。伊支馬がイクメ、彌馬升がミマト将軍、彌馬獲支がミマアキ、奴佳鞮がヌカデというわけです。

 夜萬加では、暈の志能備(シノビ)の棟梁らしき男性に、鞠智彦がイクメのことを尋ねていました。イクメを助けたのは棟梁の配下のナツハでした。海賊の僮奴だった子供を買い、ナツハと名づけ志能備として育てた、というわけです。ナツハが赤の他人のヒルメを母のように慕う理由を問われた志能備たちは、実母が目の前で殺されたのだろう、まだ乳離れしないガキだ、と答えます。ナツハの志能備としての腕は優れており、犬どころか狼まで自在に操る、と聞いた鞠智彦は、ナツハに会いたいと言いますが、ナツハが異形であることを理由に志能備の者たちは消極的です。ナツハは海賊に弄ばれて実に醜悪で、言葉を発しない、というわけです。鞠智彦は、それでもナツハに会いたい、と言います。自分は志能備の者たちと同じく、戦に明け暮れてとっくに心は死んでいる、というわけです。ただ鞠智彦は、心が死なねば天運はつかめない、過酷な運命のなか、なおも心を残す者は久しく見ていないので、興味が湧く、とも言います。すると、志能備の者がナツハを呼び、体の左半分側のみ刺青の入れられたナツハが狼とともに登場するところで、今回は終了です。


 今回は主人公のヤノハがほとんど登場しませんでした。日向の戸数7万戸からも、本作の邪馬台国が日向(現在の宮崎県)であることはほぼ確実だと思います。ヤノハは、サヌ王の一族が故地である日向に攻めてくるだろう、と考えています。日向から東へ向かったサヌ王の一族が現在どうなっているのか、作中ではまだ明かされていませんが、現時点で紀元後207年頃のようなので、纏向遺跡の発展とどう絡めてくるのか、気になるところです。サヌ王の一族が纏向遺跡一帯を中心に勢力を拡大して九州の山社国(邪馬台国)連合を圧倒するとも考えられますが、本作の主人公はヤノハなので、山社国がサヌ王の一族と手を結び、纏向遺跡一帯に「遷都」するのではないか、と予想しています。ともかく、壮大な話になりそうで楽しみです。

 今回は重要な情報が明かされました。第23話にて、四肢を砕かれて野に放置されたヒルメの前に10匹ばかりの狼を率いていた人物が現れましたが、これがナツハという少年で、ヒルメを助けました。子供の頃に海賊に奴隷とされ、酷い扱いを受けてきて(言葉を発さないのはそのためでしょう)、犬だけではなく狼も操る特殊な能力を有し、母を目前で殺されたとなると、予想していたように、ナツハはヤノハの弟であるチカラオなのでしょう。ナツハはヒルメを慕っていますが、そのヒルメが惨い仕打ちに遭ったのはヤノハが原因ですし、ヒルメはヤノハに強い憎悪感情を抱いています。『三国志』にあるように、卑弥呼(日見子)となったヤノハを支える「男弟」となるのがチカラオ(ナツハ?)と予想していたのですが、この経緯からすると、姉弟が再会し、単純に弟が姉に協力するという展開にはならないかもしれません。鞠智彦はヤノハを日見子(卑弥呼)と認める方針のようですが、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、山社国(邪馬台国)連合とは対立を続けるのでしょう。それとも絡めて、ヤノハとチカラオ(ナツハ?)の関係がどのように描かれるのか、たいへん楽しみです。

オゾン層の回復を遅らせているかもしれないCFCバンクからの排出

 CFC(クロロフルオロカーボン)バンクからの排出がオゾン層の回復を遅らせているかもしれない、と報告した研究(Lickley et al., 2020)が公表されました。大半の国々は、モントリオール議定書に定められた製造工程におけるCFC使用の全廃に同意しました。しかし、冷蔵庫・エアコン・断熱材などのすでに使用されている製品(CFCバンク)からのCFCの排出は続いています。最近、CFC-11排出量の増加という予想外の事態が判明し、CFCバンクからの排出を定量化して、CFCの生産再開による排出量の規模を正確に評価する必要性が明確になりました。

 この研究は新しい統計的枠組みを用いて、CFCバンクの規模とそれに対応するCFC-11、CFC-12、CFC-113の排出量を評価しました。その結果、これらの排出量が以前の評価で示されたものをかなり上回っており、CFC-11、CFC-12、CFC-113の現在の推定排出量の大きな部分を占めている、と明らかになりました。ただ、2012年以降の生産再開によるCFC-11排出量の増加は除かれています。モントリオール議定書のもとで、CFC-113の使用は一部の用途で依然として許されていますが、この研究で報告されている排出量は、以前の研究により推定された排出量を上回っており、CFC-113の供給源について疑問が生じています。

 この研究は、現在のCFCバンクから大気中への排出によりオゾンホールの修復が最大6年遅れ、その排出量が90億メートルトン(二酸化炭素換算)に達している、と推定していまする。この新たな知見は、CFCバンクの回収・破壊によるCFC排出量減少の必要性を明確に示している、とこの研究は指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


気候科学:CFCバンクからの排出がオゾン層の回復を遅らせているかもしれない

 すでに廃止されたが今も使用されている特定の用途からのクロロフルオロカーボン(CFC)の排出量は従来の想定を上回っているという見解を示した論文が、Nature Communications に掲載される。CFCの大気中への排出は、南極のオゾンホールの修復を遅らせ、排出量は90億メートルトン(二酸化炭素換算)に達している可能性があるとされる。

 大部分の国々は、モントリオール議定書に定められた製造工程におけるCFC使用の全廃に同意した。しかし、冷蔵庫、エアコン、断熱材などのすでに使用されている製品(CFCバンク)からのCFCの排出は続いている。最近になってCFC-11排出量の増加という予想外の事態が判明し、CFCバンクからの排出を定量化して、CFCの生産再開による排出量の規模を正確に評価する必要性が明確になった。

 今回、Megan Lickleyたちの研究チームは、新しい統計的枠組みを用いて、CFCバンクの規模とそれに対応するCFC-11、CFC-12、CFC-113の排出量を評価した。その結果、これらの排出量が以前の評価で示されたものをかなり上回っており、CFC-11、CFC-12、CFC-113の現在の推定排出量の大きな部分を占めていることが明らかになった(ただし、2012年以降の生産再開によるCFC-11排出量の増加を除く)。モントリオール議定書のもとで、CFC-113の使用は一部の用途で依然として許されているが、この論文で報告されている排出量は、以前の研究によって推定された排出量を上回っており、CFC-113の供給源について疑問が生じている。Lickleyたちは、現在のCFCバンクから大気中への排出によってオゾンホールの修復が最大6年遅れ、その排出量が90億メートルトン(二酸化炭素換算)に達していると推定している。この新たな知見は、CFCバンクを回収、破壊してCFC排出量を減少させる必要性を明確に示しているという結論をLickleyたちは示している。



参考文献:
Lickley M. et al.(2020): Quantifying contributions of chlorofluorocarbon banks to emissions and impacts on the ozone layer and climate. Nature Communications, 11, 1380.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15162-7

氷期と間氷期の原動力

 氷期と間氷期の原動力に関する研究(Bajo et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。258万年前頃~現在までとなる第四紀は、一般に氷期と間氷期を繰り返す特徴があるとされ、北半球の大部分では、大陸ほどの大きさの氷床が凍った海水のように拡大・縮小と浸食を繰り返しています。中期更新世気候遷移期(MPT、125万~70万年前頃)より前には、第四紀の地球における氷河周期は約4万年ごとに繰り返していました。しかしMPTの間、第四紀の氷期パターンは基本的に約10万年間隔で移動と拡大を繰り返しました。MPT以前の4万年周期は、地球軌道の傾き(自転軸傾斜)の周期的変動により引き起こされた、と広く認められているものの、軌道強制力理論ではMPT以降の長い氷期・間氷期をじゅうぶんには説明できません。

 地球の氷河時代周期の軌道理論を評価するさいの主な課題は、年代特定によく使用される深海堆積物記録の年代がもともと不確かなことです。しかし、正確に年代推定された洞窟二次生成物の記録を用いて、64万年前頃までの海洋堆積物に記録された氷期終了の年代を決定した最近の研究によると、むしろMPT以降の間隔は軌道変化により引き起こされる短いサイクルである、と示唆されています。この研究は、イタリアの洞窟二次生成物にウラン・鉛年代測定法を適用して、新たに高精度で海洋堆積物記録の年代を制約し、それを過去数百万年間に起こった11回の氷河拡大・退氷事象にまで拡張しました。この研究は、MPT以降の最初の2回の退氷事象が2回の自転軸傾斜周期に分けられることを示し、MPTの最中も後も、第四紀を通して、地球の自転軸傾斜は依然として氷期・間氷期周期の主な原動力である、と結論づけました。気候変動は人類進化にも大きな影響を与えてきたと考えられることからも、注目される研究です。


参考文献:
Bajo P. et al.(2020): Persistent influence of obliquity on ice age terminations since the Middle Pleistocene transition. Science, 367, 6483, 1235–1239.
https://doi.org/10.1126/science.aaw1114

アハルテケの起源

 トルクメニスタン原産の馬とされるアハルテケの起源について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Zhu., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P319)。この研究は、中華人民共和国新疆(Xinjiang)ウイグル自治区石河子(Shihezi)市十戸窯(Shihuyao)村の墓で発見された、2200年前頃の漢代と1100年前頃の唐代のウマの遺骸のDNAを解析し、6頭の高品質なミトコンドリアゲノムが得られました。

 この6頭の、母系となるミトコンドリアゲノムのハプログループ(mtHg)はBとDに文明されました。ユーラシア他地域の古代および現代の標本との比較により、十戸窯村の墓の唐代の2頭は、アハルテケと母系で直接的に遺伝的関係を有する、と明らかになりました。これは、アハルテケの系統としては既知の最古の個体となります。文献と考古学的証拠から推測されるアハルテケの集団史では、アハルテケの普及において古代のシルクロードが大きな役割を果たした、と明らかになりました。

 これらの知見は、アハルテケのようなウマの家畜化と拡散、ユーラシア東西間の文化的交換、新疆が有する重要な位置といった歴史への新たな洞察を提供します。本報告の提示した事例は文献の残っている時代のことですが、ユーラシア東西間の交流は、草原地帯を中心として文字の開発される前から行なわれていた、と考えられます。さらに、これは現生人類(Homo sapiens)だけではなく、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような非現生人類ホモ属においても同様だったと考えられ(関連記事)、人類史におけるユーラシア草原地帯の重要性は完新世だけではなく更新世も同様だったようです。


参考文献:
Zhu S.(2020): Molecular archaeological methods to explore the traces of Akhal-Teke in China. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

デニソワ人由来のチベット人の高地適応関連遺伝子

 種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に由来するチベット人の高地適応関連遺伝子について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Huerta-Sanchez et al., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P126)。高地に居住するチベット人は、高地適応関連遺伝子を有しています。そのうちの一つが、酸素供給の変化への生理学的反応を調節しているEPAS1遺伝子で、正の選択の顕著な痕跡を示すだけではなく、デニソワ人由来と推定されています(関連記事)。

 本報告は、デニソワ人からチベット人の祖先集団へのEPAS1遺伝子の移入と選択の年代を推測しています。EPAS1遺伝子がデニソワ人からチベット人の祖先集団にもたらされたのは4万~3万年前頃ですが、それがすぐに有益なアレル(対立遺伝子)として選択対象になったのではなく、もっと最近になってから有益なアレルとして選択されていった、と本報告は推測しています。チベット人の主要な祖先集団の一部がデニソワ人と交雑したのはユーラシア東部でもさほど高度の高い地域ではなく、その後でチベット高原のような高地に拡散した、ということでしょうか。

 ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性を報告した研究では、高地適応関連遺伝子のEGLN1とEPAS1の高地適応型アレル頻度の違いから、両遺伝子における高地適応型ハプロタイプの頻度上昇時期が異なると推測されていましたが、その正確な時期についてはより多くの標本が必要になる、と指摘されていました(関連記事)。本報告はその研究と整合的で、さらに詳しく解明している、と言えそうです。チベット高原における16万年以上前のデニソワ人存在の可能性が指摘されていますが(関連記事)、デニソワ人はユーラシア東部に広範に分布しており、チベット人の主要な祖先集団の一部がデニソワ人と交雑した地域は、チベット高原ではないのかもしれません。


参考文献:
Huerta-Sanchez E. et al.(2020): Methods to infer the timing of admixture and selection in high altitude populations. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

ヨーロッパ東部における後期新石器時代の漸進的な遺伝的混合

 ヨーロッパ東部における後期新石器時代の漸進的な遺伝的混合に関する研究(Immel et al., 2020)が公表されました。ヨーロッパ東部の考古学的記録では、農耕生活様式の最初の証拠は紀元前六千年紀に現れ、その頃に、たとえば紀元前5400~紀元前4900年頃となる線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)のようなドナウ川流域の新石器時代社会が、カルパティア山脈地域に拡大し始めました。これらの早期農耕文化に続いて、新たな社会であるククテニ・トリピリャ(Cucuteni-Trypillia)文化複合(CTC)が、現在のルーマニア東部・モルドヴァ・ウクライナ西部および中央部を含む広大な地域に出現しました。CTCは、新石器時代末期から前期青銅器時代にかけて、2000年(紀元前5100~紀元前2800年)にわたってヨーロッパ東部で繁栄し、一般的には前期・中期・後期に区分されます。

 CTCはその地理的位置のため、紀元前5000~紀元前3400年頃となるレンジェル(Lengyel)文化や、紀元前4000~紀元前2800年頃となる漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker、略してFBC)や、紀元前3100~紀元前2400年頃となる球状アンフォラ文化(Globular Amphora、略してGAC)のようないくつかの同時代文化と関係がありました。紀元前4100~紀元前3600年頃の中期CTCには数百人もしくは数千人の居住者がいたかもしれず、巨大集落の大規模遺跡、確立した農業経済、高水準の社会組織、高度な冶金術がCTCの特徴です。しかし、その後、これらの集落はほとんど放棄されました。後期CTCの個体群には、前期青銅器時代のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のような、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とするユーラシアの広大な草原地帯に居住していた集団との相互作用の考古学的証拠があります。

 先史時代ヨーロッパ東部のCTCの重要性にも関わらず、CTCと関連する人々の遺伝的構成、近隣集団との混合の程度、もしくは連続する文化的集団との継続性の水準については、ほとんど知られていません。これは、CTC関連遺骸の顕著な不足に起因します。これまでに発見されたCTC関連ヒト遺骸はおもに後期のもので、ウクライナのヴァーテバ洞窟(Verteba Cave)と呼ばれるトリピリャ文化遺跡の遺骸のDNAのみが解析されていました。紀元前3700~紀元前2900年頃となるヴァーテバ洞窟の8人に関するミトコンドリアDNA(mtDNA)研究は、アナトリア半島およびヨーロッパ中央部農耕民に典型的な6系統の母系を明らかにしました。そのうち2個体はmtDNAハプログループ(mtHg)U8b1で、ヨーロッパの狩猟採集民から派生したかもしれません。その後、紀元前3900~紀元前3600年頃となるヴァーテバ洞窟の男性4人のゲノム規模分析からは、主要な新石器時代系統(80%)と小さな狩猟採集民系統(20%)が推定されています。

 本論文は、ポクロフカ5(Pocrovca V)とゴーディネスティ1(Gordinești I)という、現在のモルドバ共和国の2ヶ所の後期CTC遺跡で発掘された女性4人のゲノム規模データを提示します。内訳は、ポクロフカ5遺跡が成人3人(ポクロフカ1・2・3)、ゴーディネスティ1遺跡が推定年齢9歳の子供1人です。この女性4人の年代は紀元前3500~紀元前3100年頃で、ヴァーテバ洞窟の男性の数百年後となります。本論文は、これら新たな標本群と既知のデータを組み合わせて、ヨーロッパ東部先史時代のこの重要な時期における集団移動と動態をより詳細に提示します。

 mtHgは、9歳のゴーディネスティ1がU4a1、20~25歳のポクロフカ1がK1a1、35~40歳のポクロフカ2がT2c1d1、60~65歳のポクロフカ3がT1aです。この4人の間で親族関係は確認されませんでした。この4人には、ペスト菌や結核菌などの感染の兆候は検出されませんでした。主成分分析では、ゴーディネスティ1とポクロフカ1および3が、ヴァーテバ洞窟遺跡の男性4人と密接なドイツとハンガリーのより新しい年代の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker、略してBBC)個体群と近縁な一方で、ポクロフカ2はLBK個体群と近縁で、その次にアナトリア半島とセルビアのスタルチェヴォ(Starčevo)の新石器時代農耕民と近縁です。

 モルドバの後期CTCの女性4人は、混合モデルではアナトリア新石器時代農耕民系統が最も多く、次に狩猟採集民系統となります。また、ゴーディネスティ1とポクロフカ1および3はかなりの草原地帯系統を有しています。ゴーディネスティ1とポクロフカ1および3はヴァーテバ洞窟遺跡のCTC男性4人と近縁な一方で、ポクロフカ2はスタルチェヴォの個体群と系統のほとんどを共有しています。モルドバの後期CTCの女性4人は、アナトリア新石器時代農耕民系統よりもLBK系統から、また草原地帯関連系統よりもヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の方から強い遺伝的影響を受けている、と推測されます。草原地帯系統関連系統のなかでは、ウクライナ中石器時代とヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)とヤムナヤ系統の影響はコーカサス狩猟採集民系統(CHG)よりも高く、この3系統の影響はほぼ同等と推定されています。ある程度明確に混合モデル化できたのはポクロフカ1で、LBK系統が41~60%、草原地帯関連系統が8~18%、WHG系統が29~41%です。

 上述のように、CTCはヨーロッパ東部先史時代において重要な役割を果たしていますが、ヒト遺骸の不足に起因する古代DNA研究の停滞により、CTCに関連する人々の起源についての現在の知識はかなり限定されています。これまで、CTC個体群のゲノム規模データは、ヴァーテバ洞窟遺跡の男性4人に限定されていましたが、そこで発見されたヒト遺骸の大半は頭蓋と下顎で、死亡前後の外傷や死後の人為的痕跡が明確に示されています。一方、本論文で新たに分析された後期CTCの女性4人の遺骸には、対人暴力の痕跡は見られません。この4人が発見されたポクロフカ5遺跡とゴーディネスティ1遺跡は近接しており、ヴァーテバ洞窟遺跡からそれぞれ数百km離れています。最近、CTC大規模集落はその高い人口密度によりユーラシア全域に拡大するペスト菌系統の発祥地になった、との見解が提示されました(関連記事)。上述のように、後期CTCの4人の女性ではペスト菌感染の痕跡は検出されませんでしたが、ポクロフカ5遺跡の女性3人は、暴力の痕跡がなく、複数の埋葬地で発見されたことから、本論文は伝染病による死の可能性も指摘します。

 後期CTCの4人の女性は、ゲノム規模データから、アナトリア農耕民とLBK個体群に共通の新石器時代農耕民系統と、草原地帯関連系統と、WHG系統を示します。このうち、新石器時代農耕民系統が最大の割合(41~60%)を示しますが、そのうちアナトリア農耕民よりもLBK個体群の方と近縁です。CTCでも、ヴァーテバ洞窟遺跡の個体群では新石器時代農耕民系統が同様に大きな割合を示しますが、むしろアナトリア農耕民起源と推測されています。CTC集団とLBK集団の遺伝的近縁性は、考古学的証拠によっても裏づけられます。CTCの経済と文化の基礎はヨーロッパのボイアン(Boian)およびスタルチェヴォ文化で見られ、LBKからさらに影響を受けた、と本論文は推測します。

 上述のように、後期CTCの女性4人では草原地帯関連系統が検出されました。草原地帯関連系統からCTC集団への遺伝子流動は、紀元前3500年頃には起きていたことになります。この頃、草原地帯ではトリピリャ関連の発見物が増加します。草原地帯関連系統は、ヨーロッパ東部紀元前2800年頃の縄目文土器文化(Corded Ware、略してCWC)の前に、草原地帯よりも西方のヨーロッパ東部に出現していたわけです。ヨーロッパ東部は、在来集団と侵入してくる草原地帯関連集団との間の古い遺伝的接触地域で、これはウクライナで発見された、紀元前4045~紀元前3974年頃と紀元前3634~紀元前3377年頃の2個体でも確認され、この2個体ではアナトリア新石器時代関連系統と草原地帯関連系統との混合が見られます。しかし、ウクライナのこの2人はまだ狩猟採集民の生活様式だったのに対して、後期CTCの女性4人は農耕文化生活様式でした。

 CTC集団に草原地帯関連系統をもたらした可能性のある集団として、本論文はユーラシア東部中石器時代集団を挙げています。たとえば、ウクライナの中石器時代集団やEHGですが、本論文はもっと後のヤムナヤ牧畜民集団の可能性も指摘しています。後期CTC集団と近隣の前期青銅器時代ヤムナヤ文化集団との混合は、紀元前3300~紀元前2600年頃の考古学的記録にも見られます。ヤムナヤ文化と後期CTCとの共存期間は短いものの、両方の集落では物資交換の証拠が発見されています。考古学的および本論文の遺伝的知見からは、ヨーロッパ東部における、完全な置換ではなく、継続的な接触と漸進的な遺伝的混合と緩やかな文化的変化が想定されます。しかし、この仮説は、ヤムナヤ文化集団の騎馬民がヨーロッパ中央部に多数で征服的に移動してきた、との仮説(関連記事)と競合します。ゴーディネスティ1とポクロフカ1および3が、もっと後の青銅器時代もしくはBBC個体群と遺伝的類似性を示したことはとくに驚くべきではなく、それは異なる集団からそれぞれ独立してかなりの草原地帯関連系統が流入してきたからです。

 後期CTC個体群と同時代のFBCおよびGAC個体群との遺伝的類似性は、共通の起源および/または進行中の相互作用を示します。ヴァーテバ洞窟のmtDNA研究ではすでに、CTCとFBCの個体群間の母系での高い類似性が示されています。これは、CTCとFBCの地理的範囲が近いことで説明できます。CTCとFBCの集落遺跡は重なっており、CTCからFBCやGACへの定期的な接触および交易が考古学的に確認されています。後期CTC個体群の遺伝的構成は比較的高い多様性を示唆し、数百kmという近さを考えると驚くべきことです。本論文の知見は、ある文化内の人口動態を示し、特定の考古学的集団と関連した個体群の明らかに安定して均一な構成という概念に疑問を呈しています。考古学と古代DNA研究の政治的悪用の阻止という観点(関連記事)からも、本論文が提示した疑問は重要だと思います。


参考文献:
Immel A. et al.(2020): Gene-flow from steppe individuals into Cucuteni-Trypillia associated populations indicates long-standing contacts and gradual admixture. Scientific Reports, 10, 4253.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-61190-0

大河ドラマ『麒麟がくる』第9回「信長の失敗」

 1549年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)2月、斎藤利政(道三)の娘の帰蝶は織田信長へと嫁ぎますが、祝言の日、信長は不在で、帰蝶が信長と会えたのは翌日でした。信長は帰蝶に率直に謝ります。尾張の織田と美濃の斎藤が同盟を締結したと知った駿河の今川義元は、信秀が苦境に立たされていると判断し、尾張へ攻め入ると決断し、従属している三河の松平広忠を帰国させますが、その途中で襲撃されて殺害されます。ここで、菊丸が竹千代の伯父の水野信元か松平家に仕える者と明かされます。帰蝶とともに末森城に両親を訪ねた信長は、父の信秀に松平広忠の首を献上します。松平広忠を襲撃させたのは信長だったわけです。父の信秀に喜んでもらえると思った信長ですが、まだ斎藤利政は信用できない、現時点で今川と戦えば勝てない、と言って信秀は激怒します。光秀は叔父の光安に命じられて美濃の妻木家を訪ね、幼馴染の煕子と再会します。これは、光秀と煕子を結婚させようという光安の意図でした。

 今回、初めて信長が本格的に描かれました。信長は、まだ思慮が足りず、両親に認められたい純粋な少年といった感じです。下層の者たちにも慕われているところも描かれていますが、この時点で後年の活躍を想像するのはなかなか難しいように思います。信長の成長がどのように描かれるのか、本作の楽しみの一つとなりそうです。光秀の出番は少なめでしたが、後の妻となる煕子との再会で、二人の縁が語られました。もっと早くから言及されていてもよさそうなものですが、本作では駒や帰蝶の方が重要人物ということでしょうか。

ニシローランドゴリラの縄張り意識

 ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)の縄張り意識に関する研究(Morrison et al., 2020)が公表されました。ゴリラは、行動圏(生活し移動する空間)が広く、複数の群れの行動圏が広範囲にわたって重複しており、群れの間での攻撃が少ないため、縄張り意識を持たない、と広く考えられています。この研究は、大規模なカメラトラップ調査により、コンゴ民主共和国の60㎢の領域に生息するニシローランドゴリラの群れ(8群、合計113頭)を監視し、それぞれの群れの行動圏を決定しました。その行動圏には一部重複がありましたが、ニシローランドゴリラは、同じ日に別の群れが訪れた場所における摂食回避の傾向を示し、その場所が別の群れの行動圏の中心部分に近いほど、回避行動をとる可能性が高い、と明らかになりました。

 この研究は、ニシローランドゴリラが他の群れの行動圏の中心部分を避けて、紛争を防止している可能性がある、と考えています。行動圏の中心部分は、物理的攻撃やドラミング(胸を打ち鳴らす仕草)により防御されていると考えられるからです。また、この研究は、大きな群れの方が小さな群れよりも中心部分を防御しやすいと考えられる、と明らかにしています。ゴリラの群れの間の相互作用は、社会的・家族的関係と縄張り意識により影響されるため、ゴリラの社会構造がこれまで考えられていたよりも複雑である、と示唆する証拠が増えてきており、この研究により得られた知見もそうした証拠の一つとなりました。

 チンパンジー(Pan troglodytes)で観察されたきょくたんな縄張りに基づく暴力は、縄張りの防衛が現在の戦争の進化的基盤になった、という証拠として用いられてきました。戦争はチンパンジーとヒト(Homo sapiens)の間で共有される進化的特徴というわけです。しかし、この戦争は、人類史における集団間の相互作用の少数派を表しているかもしれません。相互作用のより一般的なパターンは、じっさいにはゴリラで示唆されたものにより近く、行動圏の中心と相互寛容の大きな重複地域があるかもしれません。じゅうらいの推定よりも複雑なゴリラの社会構造は、所属集団間の相互作用と縄張りの要素がどのように同時発生するのか、調査するための貴重なモデルになるかもしれません。これは、早期人類集団の社会進化を理解するのにとくに重要で、きょくたんな縄張りに基づく暴力と、大規模な協力に必要な集団間の寛容の両方の能力を示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


動物学:ニシゴリラは縄張り意識を持っているかもしれない

 ニシゴリラの群れは、自らの行動圏の中心部分を近隣の群れから防御していると考えられることが研究によって明らかになった。この知見は、ニシゴリラが縄張り意識を持っていることを示唆していると考えられる。この研究結果を報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。

 ゴリラは、行動圏(生活し移動する空間)が広く、複数の群れの行動圏が広範囲にわたって重複しており、群れの間での攻撃が少ないため、縄張り意識を持たないと広く考えられている。

 今回、Robin Morrisonたちの研究チームは、大規模なカメラトラップ調査を行って、コンゴ共和国の60平方キロメートルの領域に生息するニシゴリラの群れ(8群、合計113頭)を監視し、それぞれの群れの行動圏を決定した。その行動圏には一部重複があったが、ゴリラは、同じ日に別の群れが訪れた場所で摂食を回避する傾向を示し、その場所が、別の群れの行動圏の中心部分に近いほど、回避行動をとる可能性が高かった。

 Morrisonたちは、ゴリラが他の群れの行動圏の中心部分を避けて、紛争を防止している可能性があると考えている。行動圏の中心部分は、物理的攻撃やドラミング(胸を打ち鳴らす仕草)によって防御されていると考えられるからだ。また、Morrisonたちは、大きな群れの方が小さな群れよりも中心部分を防御しやすいと考えられることを明らかにしている。

 ゴリラの群れの間の相互作用は、社会的、家族的関係と縄張り意識によって影響されるため、ゴリラの社会構造がこれまで考えられていたよりも複雑であることを示唆する証拠が増えてきており、今回の研究によって得られた知見もそうした証拠の1つとなった。



参考文献:
Morrison RE. et al.(2020): Western gorilla space use suggests territoriality. Scientific Reports, 10, 3692.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-60504-6

大規模な生態系崩壊のモデル化

 大規模な生態系崩壊のモデル化に関する研究(Cooper et al., 2020)が公表されました。生態学上のレジームシフトは、安定した生態系が持続的に大きく変化することで、突然起こることが多く、「転換点」に達するとフィードバックループによって駆動される可能性があります。レジームシフトの発生頻度は、気候変動と環境悪化により上昇すると予想されますが、生態系の大きさと崩壊速度の関係は明確に解明されていません。これが明らかになれば、環境破壊を低減するための適応管理戦略を実施する場面の特定で役立つ可能性があります。

 この研究は、4つの陸上生態系、25の海洋生態系、13の淡水生態系の変化に関する報告から得られたデータを解析しました。その結果、大規模生態系のレジームシフトが、小規模な生態系よりもゆっくり起こる傾向が分かりましたが、一方で、生態系の規模が大きくなるにつれて、崩壊に要する時間が長期化するペースは鈍化するため、大規模な生態系の崩壊が不相応に急速だと明らかになりました。

 この研究は、コンピューターモデルにより裏づけられた統計的関係を用いて、アマゾン川流域(約550万平方キロメートル)の規模の生態系の崩壊過程が約49年で完了するかもしれない、と推定しました。また、カリブ海のサンゴ礁(約2万平方キロメートル)の規模の生態系が崩壊するまでの時間は、崩壊が始まってからわずか15年ほどである可能性も明らかになりました。

 アマゾン川流域の熱帯雨林やカリブ海のサンゴ礁のような脆弱な大規模生態系は、崩壊の開始によりわずか数十年で崩壊が完結するかもしれない、というわけです。この研究は、生態系の変化がこれまで考えられていたよりも急速に起こる可能性があり、人類がそうした変化に備える必要性を指摘します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生態学:大規模な生態系の崩壊をモデル化する

 脆弱な大規模生態系(例えば、アマゾン川流域の熱帯雨林やカリブ海のサンゴ礁)で崩壊が起こり始めると、わずか数十年で崩壊が完結する可能性のあることを示唆するモデル研究について報告する論文が、Nature Communications に掲載される。

 生態学上のレジームシフトは、安定した生態系が持続的に大きく変化することであり、突然起こることが多く、「転換点」に達するとフィードバックループによって駆動される可能性がある。レジームシフトの発生頻度は、気候変動と環境悪化によって上昇すると予想されるが、生態系の大きさと崩壊速度の関係は明確に解明されていない。このことが明らかになれば、環境破壊を低減するための適応管理戦略を実施する場面を特定する上で役立つ可能性がある。

 今回、John Dearingたちの研究チームは、4つの陸上生態系、25の海洋生態系、13の淡水生態系の変化に関する報告から得られたデータを解析した。その結果、大規模生態系のレジームシフトが、小規模な生態系よりもゆっくり起こる傾向が分かったが、一方で、生態系の規模が大きくなるにつれて、崩壊に要する時間が長期化するペースが鈍化するため、大規模な生態系の崩壊が不相応に急速なことが明らかになった。Dearingたちは、コンピューターモデルによって裏付けられた統計的関係を用いて、アマゾン川流域(約550万平方キロメートル)の規模の生態系の崩壊過程が約49年で完了する可能性があると推定した。また、カリブ海のサンゴ礁(約2万平方キロメートル)の規模の生態系が崩壊するまでの時間は、崩壊が始まってからわずか15年ほどである可能性も明らかになった。

 Dearingたちは、生態系の変化がこれまで考えられていたよりも急速に起こる可能性があり、人類がそうした変化に備える必要があるという結論を示している。



参考文献:
Cooper GS, Willcock S, and Dearing JA.(2020): Regime shifts occur disproportionately faster in larger ecosystems. Nature Communications, 11, 1175.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15029-x

益尾知佐子『中国の行動原理 国内潮流が決める国際関係』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年11月に刊行されました。本書は、中国の対外行動(国際関係)が、国内の政治潮流、さらに根本的には中国の社会構造に規定される、と論じます。その社会構造とは外婚制共同体家族で、家父長が家族に対して強い権威を有します。息子たちは家父長に服従し、家父長の地位を継承すべく兄弟たちと激しく競争します。兄弟の関係は比較的平等ですが、激しい競合があります。また、息子たちが常に家父長に従順とは限らず、「父殺し」も起き得るため、家父長と息子たちの間には潜在的に緊張した関係が存在します。これが中国社会全体を貫いており、中国全体の「家父長」は中国共産党政治局常務委員である「党中央」、その「息子」たちは共産党の下部機関や国家機関や軍部になる、というのが本書の基本的な認識です。一方日本社会では兄弟間の格差が明確で、権限が家父長1人に集約されているのではなく分散しており、組織全体としては時期を問わず安定しているものの、責任の所在が明確ではない、と本書は指摘します。

 本書はこの認識に基づき、中国の内政と外交の行動原理を説明していきます。正直なところ、通俗的な比較文化論ではないか、多民族の中国社会を単純化しているのではないか、などといった疑問が残りますが、専門家ではない私の的外れな疑問かもしれません。家父長の権威のもと息子たちは家父長の意向を忖度して競合的に動き、息子同士の連携は弱い、という構造が中国全体にも当てはまる、と本書は指摘します。共産党の下部機関も国家機関も軍部も、中国全体の「家父長」たる「党中央」の意向を忖度し、むしろ先取りして「家父長」から高い評価を得ようとして、他の組織と連携せずに競合していく、というわけです。

 ただ、家父長の権威が強いとはいっても個人差があり、それにより中国の行動も変わってくる、と本書は指摘します。強力な最高指導者であれば、その意向に基づいて一定以上統制された行動となりますが、弱い最高指導者とみなされれば、各組織が表面上は最高指導者に敬意を払いつつも、自らの利害のために比較的自由に行動する、というわけです。そのため、外国からは中国が強硬路線と穏健路線のどちらを採用しているのか、分かりにくくなることがある、というわけです。本書は、強力な最高指導者の具体例として毛沢東元主席や習近平主席、弱い指導者の具体例として胡錦濤前主席を挙げています。中国の行動原理をすっきりと説明してくれる本書ですが、鵜呑みにするのではなく、自分でも少しずつ調べていくつもりです。

新型コロナウイルスに関する研究

 現在、世界規模で大問題となっている新型コロナウイルスに関する二つの研究が公表されました。一方の研究(Wu et al., 2020)は、1人の患者についての調査を報告しています。重症急性呼吸器症候群(SARS)やジカウイルス感染症などの新興感染症は、公衆衛生にとって大きな脅威です。精力的な研究の取り組みにも関わらず、新しい疾患が、いつ、どこで、どのように出現するのか分からないことが、大きな不確実性の原因となっています。最近になって、中華人民共和国湖北省武漢市で重篤な呼吸器疾患が報告されました。2019年12月12日に最初の患者が入院してから、2020年1月25日の時点で少なくとも1975例が報告されています。疫学調査では、この集団発生は武漢の海鮮市場に関連がある、と示唆されています。

 本論文は、この海鮮市場で働いていて、発熱・眩暈・咳を含む重症の呼吸症候群に罹患し、2019年12月26日に武漢中央病院に入院した1人の患者についての研究を報告します。この患者の気管支肺胞洗浄液試料のメタゲノムRNA塩基配列解読から、コロナウイルス科(Coronaviridae)の新しいRNAウイルス株が特定され、「WH-Human 1」コロナウイルスと命名されました(「2019-nCoV」とも呼ばれます)。完全なウイルスゲノム(29903ヌクレオチド)の系統発生解析から、このウイルスは、これまでに中国のコウモリに見つかっているSARS様コロナウイルスのグループ(ベータコロナウイルス属、Sarbecovirus亜属)に最も近縁(ヌクレオチド類似性89.1%)と明らかになりました。この集団発生は、ウイルスが動物から波及し、ヒトで重篤な疾患を引き起こす能力を保持している、と浮き彫りにしています。

 もう一方の研究(Zhou et al., 2020)は、新型コロナウイルスの起源を検証しました。2002年の重症急性呼吸器症候群の集団発生以来、原因ウイルスを保有する自然宿主であるコウモリからは、多数のSARS関連コロナウイルス(SARSr-CoV)が発見されてきました。これまでの研究で、一部のコウモリSARSr-CoVはヒトに感染し得る、と明らかにされています。本論文は、武漢市でヒトに急性呼吸器症候群のエピデミックを引き起こした新型コロナウイルス(2019-nCoV)の特定と特性解析の結果を報告しています。このエピデミックは2019年12月12日に始まり、2020年1月26日までに、検査で確定したのは2794例(うち死亡は80例)に達しました。

 集団発生の初期段階で、5人の患者から完全長のゲノム塩基配列が得られました。これら5例の塩基配列はほぼ同一で、SARS-CoVとは塩基配列に79.6%の同一性が見られました。本論文はまた、2019-nCoVが、コウモリコロナウイルスの1つと全ゲノムレベルで96%の同一性を持つ、と示しています。保存された7つの非構造タンパク質の配列に対してペアワイズ解析を行なったところ、このウイルスがSARSr-CoV種に属する、と分かりました。さらに、1人の重症患者の気管支肺胞洗浄液から単離した2019-nCoVが、数人の患者の血清により中和できました。注目すべき知見として、2019-nCoVは、細胞への侵入にSARS-CoVと同一の受容体、すなわちアンギオテンシン変換酵素II(ACE2)を用いていることも確認されました。


参考文献:
Wu F. et al.(2020): A new coronavirus associated with human respiratory disease in China. Nature, 579, 7798, 265–269.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2008-3

Zhou P. et al.(2020): A pneumonia outbreak associated with a new coronavirus of probable bat origin. Nature, 579, 7798, 270–273.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2012-7

白亜紀のハチドリサイズの恐竜(追記有)

 白亜紀のハチドリサイズの恐竜に関する研究(Xing et al., 2020)が公表されました。ミャンマー北部で見つかる9900万年前頃の琥珀に封入された骨からは、他の堆積環境では通常保存されないような、小型の動物相の軟部組織や骨格構造についての前例のない手掛かりが得られます。そうした標本には多様な脊椎動物のものが含まれますが、そのうちエナンティオルニス類鳥類の骨格が保存されている標本はこれまでに7点報告されており、成体と見られる少なくとも1点を含むそれら全ては、石質物質から回収された標本よりも小さいことが知られています。

 本論文は、保存状態がきわめて良好な小型の鳥類様頭蓋について報告しています。その特徴から、この頭蓋は新属新種(Oculudentavis khaungraae)のものと確認されました。「Oculudentavis」とは、「犬歯鳥」という意味です。この新種恐竜は既知で最小の中生代恐竜と考えられ、そのサイズは、頭蓋骨の長さが7.1mmと、最小の現生鳥類マメハチドリ(Mellisuga helenae)に匹敵します。この新種恐竜標本には、頭蓋の融合の独特なパターンやトカゲの眼に似た固有派生形質的な眼の形態など、小型化の制約を示唆する特徴が複数保存されています。円錐状に並んだ強膜小骨は瞳孔が小さかったことを明示しており、これは昼行性の活動を示唆しています。この新種恐竜の上顎と下顎には多数の鋭い歯があり、それぞれの顎に合計29~30本の歯が生えていた、と推定されています。この新種恐竜は捕食者で、歯がなく花蜜を餌にする同じようなサイズの現生鳥類とは異なり、小型の節足動物や無脊椎動物を餌にしていた可能性がひじょうに高い、と示唆されています。

 小型化は隔離された環境で起こることが最も多いので、この新種恐竜の小さなサイズは、この琥珀がテチス海横断島弧(Trans-Tethyan arc)を構成する島の1つで形成されたとする、以前の見解と一致します。この新種恐竜のサイズおよび形態は、これまで知られていなかったボディープランと、これまで発見されていなかった生態を示唆しています。この発見は、脊椎動物の体サイズの下限を明らかにする上で、琥珀封入物が持つ可能性を浮き彫りにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


古生物学:ハチドリほどの小さなサイズの、琥珀に保存されていた恐竜

 琥珀に閉じ込められた頭蓋は、鳥類様恐竜の新種であり、これまでに報告された中生代の恐竜の中で最も小さい可能性のあることが明らかになった。この頭蓋について記述した論文が、今週、Nature に掲載される。

 琥珀の内包物は、これまで得られなかった小動物の軟組織と骨格構造に関する知見をもたらしている。これは、小動物の軟組織や骨が脆弱なために他の堆積物にほとんど保存されていないからだ。この論文で、Jingmai O’Connor、Luis Chiappeたちは、ミャンマー北部で出土した約9900万年前の琥珀の中で見つかった鳥類の頭蓋に似た非常に小さな頭蓋について記述している。この頭蓋骨を持つ恐竜は、Oculudentavis khaungraaeと命名された。この保存状態の良い標本の頭蓋骨の長さはわずか7.1ミリメートルで、この恐竜が、現生鳥類の中で最も小さなマメハチドリのサイズに近かったことを示されている。

 Oculudentavisとは、「犬歯鳥」という意味で、この恐竜の生活様式を解明する上で手掛かりとなる注目すべき特徴を反映している。この頭蓋の大部分は、トカゲの目に似た大きな眼窩が占めている。この眼窩は開口部が狭く、入射光が少ないことから、Oculudentavisは昼光条件下での活動に適していることが分かる。その上顎と下顎には多数の鋭い歯があり、この研究チームは、それぞれの顎に合計29~30本の歯が生えていたと推定している。以上の新知見からは、Oculudentavisが捕食者であり、歯がなく花蜜を餌にする同じようなサイズの現生鳥類とは異なり、小型の節足動物や無脊椎動物を餌にしていた可能性が非常に高いことが示唆されている。

 同時掲載のRoger BensonのNews & Views論文によれば、「この数年の間にミャンマー琥珀から予想外の知見が得られた」とされる。Bensonは、この新知見を踏まえて、「今後もこうした発見が続く可能性は高く、特に体サイズの小さな動物についてそれが言える」という考えを示している。


古生物学:ミャンマーで発見された白亜紀のハチドリサイズの恐竜

Cover Story:小さな大発見:琥珀の中に保存されていた小さな恐竜の完全な頭蓋

 表紙の琥珀のかけらは、差し渡しで31.5 mmしかない。これはミャンマーで発見されたもので、既知最小の中生代の恐竜のものと思われる完全な頭蓋を含んでいる。今回J OʻConnorたちは、この頭蓋が約9900万年前の原始的な鳥類に似た新種の恐竜のものであることを明らかにし、Oculudentavis khaungraaeと命名した。頭蓋自体は、長さが14.25 mmしかなく、この生物のサイズが、現生鳥類で最小のマメハチドリ(Mellisuga helenae)と同じくらいであったことになる。眼の小さな開口部は、O. khaungraaeが、明るい昼間の環境で活発に活動していたことを示唆しており、顎に並んだ長い歯列は、主に無脊椎動物を捕食していたことを思わせる。この小さなサイズの化石は、恐竜の小型化がこれまで考えられていたより早く進んでいた可能性を示唆している。



参考文献:
Xing L. et al.(2020): Hummingbird-sized dinosaur from the Cretaceous period of Myanmar. Nature, 579, 7798, 245–249.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2068-4


追記(2020年3月14日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

海底下の微生物が生き続ける仕組み

 海底下の微生物が生き続ける仕組みについての研究(Li et al., 2020)が公表されました。地球の上部地殻には微生物が存在すると知られていますが、岩石化した海洋下部地殻は調査が困難なため、地球上における生物学的な最後の辺境の一つとなっています。海底下の堆積物中あるいは火成岩質の基盤中に生息する微生物相にとって、増殖を支えるため、または資源枯渇時に基礎代謝に必要なエネルギーを確保するために充分な炭素資源やエネルギーを得ることは困難です。この研究は、地球の下部地殻が海底に露出しているインド洋アトランティス海台の、海底下10~750mに生息する低生物量の微生物群集の用いる生存戦略が、限定的で予測不能な炭素源およびエネルギー源によりどのように影響を受けるのか、調査しました。

 酵素活性・脂質バイオマーカー・マーカー遺伝子の解析と顕微鏡法により、細胞密度がきわめて低く(1㎤当たり細胞2000個未満)、分布の不均一な生存生物量が検出されました。予想外の従属栄養過程(有機物を食料源とするプロセス)に関与する遺伝子の発現には、多環芳香族炭化水素の分解、炭素貯蔵分子としてのポリヒドロキシアルカン酸の利用、酸化還元反応やエネルギー産生に関与し得る化合物を産生するためのアミノ酸の再利用において役割を担うものなどが含まれていました。この研究は、深成地殻中の微生物が、おそらくは海底下の流体または海水の循環によって届けられると考えられる有機炭素資源や無機炭素資源とエネルギー資源とを組み合わせることにより、割れ目や多孔質岩石の中でどのようにして生存できているのか、という問題についての手掛かりを提示します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


微生物学:微生物が海底下で生き続けるための仕組み

 海底下に生息する微生物群集に関する研究によって最大で海底下750メートルの群集が発見され、こうした極限環境で微生物が生き続けるためのメカニズムに関する手掛かりが得られた。この研究成果について報告する論文が、今週Nature に掲載される。

 地球の上部地殻には微生物が存在することが知られているが、海洋下部地殻に関する情報は少ない。海底下の岩石に生息する微生物相が生き続けることには困難が伴う。その環境で、成長やその他の過程に必要な炭素とエネルギーを十分に得ることが難しいからだ。

 今回、Virginia Edgcombたちの研究チームは、地球の下部地殻が露出しているインド洋のアトランティス海台の海底下から岩石試料を採取し、発掘された海洋下部地殻から活性の高い微生物群集を発見した。Edgcombたちは、こうした微生物の酵素活性測定値とmRNA回収量に基づいて、細胞活性レベルが非常に低いと判定し、予想外の従属栄養プロセス(有機物を食料源とするプロセス)を複数同定した。例えば、エネルギーの生産と貯蔵に使用できる化合物を生産するためのアミノ酸のリサイクルだ。こうした適応は、深海生物圏で散在する少量の資源をめぐる競争を反映したものだとEdgcombたちは考えている。

 Edgcombたちは、微生物相の多様性と活動がアトランティス海台下の微生物に類似しているかどうかを判定するには、海洋下部地殻のさらなる探査が必要だと指摘している。



参考文献:
Li J. et al.(2020): Recycling and metabolic flexibility dictate life in the lower oceanic crust. Nature, 579, 7798, 250–255.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2075-5

ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体DNA解析

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のY染色体DNA解析結果を報告した研究(Petr et al., 2020)が公表されました。本論文はまだ査読中なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。古代DNA研究により、移住・置換・遺伝子流動など、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)と現生人類(Homo sapiens)の複雑な進化史が明らかにされてきましたが、古代型ホモ属と現生人類の関係の考察は、大半が常染色体に基づいています。一方、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAは、それぞれ母系と父系での単系統のみの遺伝情報を示しますが、性特異的な移住やその他の文化現象のような人口史の多様な側面に独自の視点を提供します。

 ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類においては、mtDNAと常染色体での系統関係の不一致が明らかにされてきました(関連記事)。常染色体ゲノムでは、ネアンデルタール人およびデニソワ人系統が現生人類系統と765000~550000年前頃に分岐した、と推定されています(関連記事)。しかしmtDNAでは、ネアンデルタール人はデニソワ人よりも現生人類と近縁で、その推定分岐年代は468000~360000年前頃です。43万年前頃のスペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)集団は早期ネアンデルタール人とされていますが、mtDNAでは現生人類よりもデニソワ人の方と近縁で、常染色体ではネアンデルタール人系統に位置づけられます(関連記事)。

 これらの知見から、ネアンデルタール人は元々デニソワ人に近いmtDNAを有しており、後に現生人類と関連する早期系統からの遺伝子流動経由で完全に置換された、との見解が提示されています。ネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体は、古代型ホモ属と現生人類の間の分岐や遺伝子流動に関する重要な情報を追加できます。しかし、ネアンデルタール人のY染色体のわずかなコーディング配列を除いて、これまでネアンデルタール人とデニソワ人のY染色体の研究はありませんでした。スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡(関連記事)やベルギーのスピ(Spy)遺跡およびロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡(関連記事)のネアンデルタール人のY染色体は解析されてきましたが、Y染色体全体の包括的な研究を可能とする内在性DNAは、じゅうぶんは得られていませんでした。

 本論文は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡のデニソワ人2個体と、スピ・メズマイスカヤ・エルシドロン遺跡のネアンデルタール人1個体ずつのY染色体DNAを改めて解析しました。デニソワ人は、84100~55200年前頃のデニソワ4(Denisova 4)と136400~105600年前頃のデニソワ8(Denisova 8)、ネアンデルタール人は、39000~38000年前頃のスピ94a(Spy 94a)と45000~43000年前頃のメズマイスカヤ2(Mezmaiskaya 2)と53000~46000年前頃のエルシドロン1253(El Sidrón 1253)です。Y染色体のうち計690万塩基対が標的領域とされ、平均網羅率は、デニソワ4が1.4倍、デニソワ8が0.8倍、スピ94aが0.8倍、メズマイスカヤ2が14.3倍、エルシドロン1253が7.9倍です。

 これらの解析の結果、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体はそれぞれ単系統群(クレード)を形成する、と明らかになりました。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核ゲノムとは異なり、ネアンデルタール人と現生人類が近縁と明らかになりました。現代人のY染色体ハプログループ(YHg)で最も早く分岐したのはA00ですが(関連記事)、ネアンデルタール人のY染色体系統は、デニソワ人系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統が分岐した後で、全現生人類系統と分岐したことになります。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体での系統関係は、核ゲノムのそれとは一致せず、mtDNAのそれと一致します。以下、ネアンデルタール人3個体とデニソワ人2個体のY染色体系統樹を示した本論文の図2Aです。
画像

 Y染色体の各系統の推定分岐年代は、YHg-A00と他の現生人類系統では249000年前頃、現代人系統とデニソワ人系統では70万年前頃、現生人類系統とネアンデルタール人系統では35万年前頃です。ネアンデルタール人3個体の最終共通祖先の推定年代は10万年前頃です。Y染色体におけるデニソワ人系統と現生人類系統の推定分岐年代は、常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代とよく一致しており、現生人類系統とデニソワ人系統のY染色体の分岐は単純な集団分岐の結果と示唆されます。一方、Y染色体におけるネアンデルタール人系統と現生人類系統の推定分岐年代は常染色体ゲノムに基づく推定分岐年代よりもかなり新しく、mtDNAで推測されている、現生人類に近い系統からネアンデルタール人系統への遺伝子流動と一致します。エルシドロン遺跡のネアンデルタール人のY染色体に関する研究(関連記事)では、現生人類系統とネアンデルタール人系統の推定分岐年代は588000年前頃です。一方、本論文ではそれが35万年前頃とかなり新しく、その理由として本論文は、以前の研究ではデータ量が限定的だったことを指摘しています。

 上述のように、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類のY染色体における系統関係は、mtDNAのそれと一致し、核(というか常染色体)ゲノムのそれとは一致しません。これは、古代型ホモ属系統と分岐した後の現生人類系統において、現代人系統と早期に分岐した絶滅系統がネアンデルタール人系統と交雑し、ネアンデルタール人系統にデニソワ人系統よりも現生人類系統に近いmtDNAとY染色体をもたらした、と考えられます。以前の研究では、現生人類からネアンデルタール人への数%程度とわずかな遺伝子流動が指摘されています(関連記事)。この条件におけるmtDNAとY染色体の置換は、通常の進化ではひじょうに起きにくいと考えられます。

 しかし、有効人口規模が現生人類よりも小さいネアンデルタール人においては、現生人類よりも多い有害な変異の蓄積の可能性が指摘されており、じっさい、ネアンデルタール人3個体のエクソン領域に関しては、現代人よりも有害なアレル(対立遺伝子)を多く有している、と明らかになっています。本論文は、有効人口規模が小さい場合のシミュレーションにより、ネアンデルタール人のY染色体が現生人類のY染色体よりも適応度がわずかでも低い場合、完全置換率に強い影響を与える、と明らかにしました。具体的には、ネアンデルタール人のY染色体適応度が1%低い場合でも、2万年後の置換率は25%に増加し、2%低い場合は置換率が50%に増加します。こうした予測は、Y染色体と同じく単系統遺伝となるmtDNAにも当てはまります。これらの結果は、ネアンデルタール人におけるより高い遺伝的荷重が、ネアンデルタール人のmtDNAおよびY染色体という単系統遺伝の置換可能性の増加と相関していることを示します。繁殖と受精力におけるY染色体の重要性を考慮すると、Y染色体の有害な変異または構造的多様体が、のシミュレーションよりも適応度にずっと大きな影響を与えるかもしれない、と本論文は指摘します。

 後期ネアンデルタール人のY染色体は、37万~10万年前頃の間に、ネアンデルタール人やデニソワ人よりも現生人類系統と近縁な絶滅系統からもたらされた、と推測されます。上述のように、早期ネアンデルタール人である43万年前頃のSH集団は、mtDNAでは後期ネアンデルタール人よりもデニソワ人に近いと明らかになっていますが、Y染色体でも同様だろう、と本論文は予測しています。後期ネアンデルタール人のゲノムから推測される、現生人類からネアンデルタール人への限定的な遺伝子流動を考慮すると、後期ネアンデルタール人におけるmtDNAとY染色体の完全に置換は意外ですが、ミトコンドリアと常染色体の不一致は集団遺伝学理論では予測されており、動物の種間交雑では比較的一般的です。本論文は、2集団間の交雑における単系統遺伝子座の遺伝的荷重の違いが、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAとY染色体の置換の要因だろう、と指摘します。

 ひじょうに興味深い研究で、今後、古代型ホモ属のY染色体DNA解析数さらに増えていくよう、期待しています。デニソワ人と確認されている個体はネアンデルタール人と比較してひじょうに少ないので、古代型ホモ属のY染色体DNA解析は当分ネアンデルタール人が中心となりそうですが、まず注目されるのは、本論文でも言及されている早期ネアンデルタール人のSH集団です。SH集団は43万年前頃と後期ネアンデルタール人やデニソワ人よりもずっと古いだけに、Y染色体DNAの解析は難しいかもしれませんが、何とか成功してもらいたいものです。また、ネアンデルタール人系統内でも核DNAとmtDNAで系統の不一致が指摘されているので(関連記事)、Y染色体ではどうなのか、さらに詳しい研究の進展が期待されます。


参考文献:
Petr M. et al.(2020): The evolutionary history of Neandertal and Denisovan Y chromosomes. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.09.983445

気候変動により脅かされるキツネザルの生息地

 気候変動によるキツネザルの生息地縮小の可能性を報告した研究(Morelli et al., 2020)が公表されました。世界の生物多様性の5%が存在するマダガスカルでは、気候変動・外来種の侵入・乱獲・生息地の消失と分断化など、主要な地球規模の重大な脅威が全て起きています。マダガスカルに生息するキツネザル種は、全101種のうちの96%が絶滅危惧種に指定されており、世界で最も絶滅の危機に瀕した脊椎動物分類群の一つとなっています。エリマキキツネザルは、マダガスカルの熱帯雨林で繁殖する数々の植物種の種子を散布する唯一の動物種であるため、エリマキキツネザルの生態的地位は、健全な熱帯雨林の生息地の表現としてひじょうに適しています。

 この研究は、気候変動と生息地の消失が、それぞれ単独で、あるいは両者が組み合わさって、マダガスカルの森林の長期的生存にどのように影響するのか、推定しました。この研究では、森林伐採が行なわれないような厳格な保護と、森林伐採が行なわれることもあるような緩やかな保護という、二つの森林保護条件下における2070年までの熱帯雨林の被覆率の変化をモデル化しました。数十年間の研究成果が集積された結果、エリマキキツネザルに適した生息地が、2070年までに森林伐採を原因として29~59%減少し、気候変動を原因として14~75%減少し、両者を原因として38~95%減少する可能性がある、と明らかになりました。

 この知見は、マダガスカル東部の熱帯雨林の脆弱な状態を浮き彫りにしています。この生態系と住民は、気候変動と森林伐採によって脅かされています。この研究は、マダガスカルの生物多様性ホットスポットの持続性を確保するには、森林の厳格な保護が必要と主張しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候変動】キツネザルのすみかが気候変動に脅かされている

 マダガスカルの代表種であるエリマキキツネザルの生息地の38~93%が、気候変動と森林伐採の結果として失われる可能性があることを報告する論文が掲載される。

 世界の生物多様性の5%が存在するマダガスカルでは、気候変動、外来種の侵入、乱獲、生息地の消失と分断化など、主要な地球規模の重大な脅威が全て起こっている。マダガスカルに生息するキツネザル種は、全101種のうちの96%が絶滅危惧種に指定されており、世界で最も絶滅の危機に瀕した脊椎動物分類群の1つとなっている。エリマキキツネザルは、マダガスカルの熱帯雨林で繁殖する数々の植物種の種子を散布する唯一の動物種であるため、エリマキキツネザルの生態ニッチは、健全な熱帯雨林の生息地の表現として非常に適している。

 今回、Andrea Baden、Toni Lyn Morelli、Adam Smithたちの研究グループは、気候変動と生息地の消失が、それぞれ単独で、あるいは両者が組み合わさって、マダガスカルの森林の長期的生存にどのように影響するのかを推定した。今回の研究では、厳格な保護(森林伐採が行われない)と緩やかな保護(森林伐採が行われることがある)という2つの森林保護条件下における2070年までの熱帯雨林の被覆率の変化をモデル化した。そして数十年間の研究成果が集積された結果、エリマキキツネザルに適した生息地が、2070年までに森林伐採を原因として29~59%減少し、気候変動を原因として14~75%減少し、両者を原因として38~95%減少する可能性のあることが明らかになった。

 今回の研究結果は、マダガスカル東部の熱帯雨林の脆弱な状態を浮き彫りにしている。この生態系と住民は、気候変動と森林伐採によって脅かされている。Badenたちは、この生物多様性ホットスポットの持続性を確保するには、森林の厳格な保護が必要だと主張している。



参考文献:
Morelli TL. et al.(2020): The fate of Madagascar’s rainforest habitat. Nature Climate Change, 10, 1, 89–96.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0647-x

アメリカ合衆国における「逆人種差別」の認識

 アメリカ合衆国における「逆人種差別」の認識に関する研究(Earle, and Hodson., 2020)が公表されました。西洋諸国に広がる政治的分極化と極右的な運動の高まりの一因は、非「白人」を優遇しているとされる社会において「白人」が差別に直面しているという認識にあると考えられています。最近の実験的研究で、一部の「白人」系アメリカ合衆国の人々は、「黒人」に対する差別の減少が「白人」に対する差別の高まりを伴っていると考えている、と示唆されました(ある種のゼロ・サム思考)。しかし、これまでの研究は小規模で、アメリカ合衆国の人々を代表するものではなく、こうしたゼロ・サム的考えがどれほど広まっているのか、不明でした。

 この研究は、アメリカ合衆国全体を対象とした4つの大規模なデータセットの解析により、さまざまな集団によって報告された差別の実際の程度と、そうした経験に対する認識の両方について評価しました。その結果、どの集団も、「黒人」系アメリカ合衆国人は「白人」系アメリカ合衆国人より大きな差別を経験していると認識しており、また回答者は全般的に、差別が逆転していると考えていない、と明らかになりました。しかし、2集団が経験した差別のギャップの大きさに関する考えは、集団により異なっていました。差別の程度の差に関して、「白人」の回答者および共和党支持者は、「黒人」の回答者および民主党支持者より小さいと考えていました。「白人」の回答者・共和党支持者・「白人」の共和党支持者はまた、差別の個人的な経験に基づいて実際に報告されているよりもギャップは小さい、と認識していました。

 この研究は、「逆人種差別」という考えが、過去に報告されたほど広がっているわけではないものの、人種および支持政党が、アメリカ合衆国内の異なる集団が直面する差別の程度に対する認識の差に部分的に関連する、と示唆しています。人種差別も含めて差別には、進化において生得的に獲得された認知メカニズムに起因するところが多分にあると思います。もちろん、だからといって差別が正当化されるわけではなく、ヒトには差別を否定するような生得的な認知メカニズム(深い進化的基盤を有すると考えられる平等な扱いへの志向)もあるとは思います。そうした認知メカニズムを的確に理解することは、差別の抑制に役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【社会】米国における「逆人種差別」の認識

 米国人は一般に、黒人に対する人種差別の減少が白人に対する偏見の増加につながると考えていないことを報告する論文が掲載される。今回の研究から、黒人と白人の双方の米国人について差別が経時的に減少していることをが示された。しかし、黒人と白人の間に見られる、差別に関するギャップの大きさに対する認識は、人種や支持政党によって異なっていた。

 西洋諸国に広がる政治的分極化と極右的な運動の高まりの一因は、非白人を優遇しているとされる社会において白人が差別に直面しているという考えにあると考えられている。最近の実験的研究で、一部の白人米国人は、黒人に対する差別の減少が白人に対する差別の高まりを伴っていると考えていることが示唆された(ある種のゼロ・サム思考)。しかしながら、これまでの研究は小規模で、米国民の代表するものではなく、こうしたゼロ・サム的考えがどれほど広まっているかは不明であった。

 Megan EarleとGordon Hodsonの研究チームは今回、米国全体を対象とした4つの大規模なデータセットを解析することで、さまざまな集団によって報告された差別の実際の程度と、そうした経験に対する認識の両方について評価した。その結果、どの集団も、黒人米国人は白人米国人より大きな差別を経験していると認識しており、また回答者は全般的に、差別が逆転していると考えていないことが分かった。しかしながら、2つの集団が経験した差別のギャップの大きさに関する考えは、集団によって異なっていた。白人の回答者および共和党支持者は、差別の程度の差は、黒人の回答者および民主党支持者より小さいと考えていた。白人の回答者、共和党支持者、白人の共和党支持者はまた、差別の個人的な経験に基づいて実際に報告されているよりもギャップは小さいと捉えていた。

 今回の研究は、「逆人種差別」という考えが、過去に報告されたほど広がっているわけではないものの、人種および支持政党が、米国内の異なる集団が直面する差別の程度に対する認識の差に部分的に関連することを示唆している。



参考文献:
Earle M, and Hodson G.(2020): Questioning white losses and anti-white discrimination in the United States. Nature Human Behaviour, 4, 2, 160–168.
https://doi.org/10.1038/s41562-019-0777-1

エチオピアの早期現生人類の身体化石

 エチオピアの早期現生人類(Homo sapiens)の身体化石について、2020年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Brasil., 2020)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P35)。解剖学的現代人の出現は人類進化研究において長く大きな関心を集めてきました。しかし、早期現生人類の形態と進化に関する知識は既知の化石記録に制約されており、現時点では、地理的にも年代的にも化石記録はまばらです。さらに、化石記録は圧倒的に頭蓋と歯が多く、頭蓋より下の身体化石には断片的で遊離した状態のもの多く、現生人類の身体サイズおよび形態進化に関する理解を制約します。こうした制約を考慮すると、早期現生人類の詳細な進化のさらなる理解には、追加の化石、とくに個体の身体化石が必要です。

 エチオピアのミドルアワシュ計画(The Middle Awash project)では、10万年前頃と推定されているハリビー(Halibee)の中期石器時代世紀で、早期現生人類の部分的骨格を発見するという成果が得られています。この個体の骨格のほとんどが保存されており、脊柱の一部、肩帯および腰帯、長骨すべて、手と足のいくつかの化石を含んでいます。同じ堆積層では、7個体分のいくつかの身体化石も発見されています。これらの化石はひじょうに豊富な中期石器時代遺物と関連づけられており、巨大で多様な動物相遺骸群の一部でもあるので、行動的および生態的背景も推測できます。ハリビー化石群は、その年代および地理的位置から、現代人の祖先もしくは密接に関連する集団に位置づけられそうなので、現代人の形態の進化に関する理解に重要です。

 本報告が指摘するように、早期現生人類の形態と進化に関する理解は、化石記録が乏しいために制約されています。その意味で、ハリビー遺跡の10万年前頃の身体化石は、早期現生人類の形態と進化を解明するうえでたいへん重要になりそうですから、大いに注目されます。現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、というような見解が有力になりつつあるように思います(関連記事)。アフリカ全体が現生人類の起源地というわけで、その意味で、アフリカ各地の異なる年代の早期現生人類化石の発見が重要となるでしょう。


参考文献:
Brasil MF.(2020): Early Homo sapiens postcranial fossils from Middle Awash, Ethiopia. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

2020年度アメリカ自然人類学会総会(ネアンデルタール人とデニソワ人のABO式血液型)

 来月(2020年4月)15日~4月18日にかけて、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市で第89回アメリカ自然人類学会総会が開催される予定ですが、コロナウイルスの感染状況によっては中止されるかもしれないようです(関連記事)。アメリカ自然人類学会総会では、最新の研究成果が多数報告されるだけに、古人類学に関心のある私は大いに注目しています。総会での各報告の要約はPDFファイルで公表されているのですが、まだいくつかの報告をざっと読んだだけです。とりあえず今回は、とくに興味深いと思った報告(Villanea et al., 2020)を取り上げます(P297)。

 この研究は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のABO式血液型におけるハプロタイプ構造を検証しています。ABO式血液型遺伝子の遺伝的多様性は現代人(Homo sapiens)においてよくよく特徴づけられており、世界中で観察されているABO式血液型の表現型多様性と対応しています。しかし、現代人と近縁な絶滅ホモ属(古代型ホモ属)であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のデニソワ人(Denisovan)のABO式血液型遺伝子は、ほんど注目されてきませんでした。

 この研究は、ネアンデルタール人2個体とデニソワ人1個体を含む、28集団の2500人における、ABO遺伝子座の遺伝的多様性を分析しました。本報告の要約では詳細は省略されていますが、この古代型ホモ属3人とはおそらく、高品質なゲノム配列が得られている、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡で発見されたデニソワ人個体(関連記事)およびネアンデルタール人個体(関連記事)と、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡のネアンデルタール人(関連記事)でしょう。

 分析の結果、現代人集団におけるABO式血液型頻度の以前の推定が改めて確認されました。次にこの研究は、現代人のABO遺伝子座のハプロタイプを用いて、古代型ホモ属3人のABO遺伝子型を決定しました。アルタイ地域のネアンデルタール人個体は、O型アレル(対立遺伝子)の派生的なネアンデルタール人多様体をホモ接合型で有しています。一方、クロアチアのネアンデルタール人個体はAOのヘテロ接合型を有し、そのA型アレルは派生的なネアンデルタール人多様体でしたが、O型アレルは現代人集団と共有される祖先的多様体でした。デニソワ人個体はO型アレルの祖先的多様体をホモ接合型で有し、これは現代人と広く共有されています。

 この研究で注目されるのは、アルタイ地域のネアンデルタール人に見られる、派生的なネアンデルタール人型のO型アレル多様体が、ヨーロッパおよびアジア南部の現代人においてひじょうに低頻度で見られ、遺伝的距離分析から、この派生的なO型アレルはネアンデルタール人系統と現代人系統の遺伝子流動により遺伝子移入された、と推測されることです。この研究でも改めて、ネアンデルタール人と現生人類との交雑が確認されました。ABO式血液型頻度は現代人の各地域集団間で多様なので、ネアンデルタール人やデニソワ人でも各地域集団により頻度は異なっていた、と考えられます。とはいえ、現時点ではもちろん、将来も、ネアンデルタール人やデニソワ人の各地域集団間のABO式血液型頻度の違いを高い精度で推測するだけの標本数が得られる可能性は低そうですが。なお、アメリカ自然人類学会総会に関するこのブログの過去の記事は以下の通りです。


2019年度(第88回)
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_50.html
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_51.html
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_53.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_1.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_10.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_11.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_23.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_24.html
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_34.html

2018年度(第87回)
https://sicambre.at.webry.info/201804/article_46.html

2017年度(第86回)
https://sicambre.at.webry.info/201705/article_13.html

2016年度(第85回)
https://sicambre.at.webry.info/201606/article_23.html

2015年度(第84回)
https://sicambre.at.webry.info/201504/article_15.html

2014年度(第83回)
https://sicambre.at.webry.info/201404/article_22.html
https://sicambre.at.webry.info/201404/article_34.html
https://sicambre.at.webry.info/201404/article_37.html
https://sicambre.at.webry.info/201405/article_5.html
https://sicambre.at.webry.info/201405/article_7.html

2013年度(第82回)
https://sicambre.at.webry.info/201304/article_30.html

2012年度(第81回)
https://sicambre.at.webry.info/201204/article_20.html

2011年度(第80回)
https://sicambre.at.webry.info/201104/article_27.html

2010年度(第79回)
https://sicambre.at.webry.info/201004/article_23.html

2009年度(第78回)
https://sicambre.at.webry.info/200905/article_27.html

2008年度(第77回)
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_20.html
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_28.html
https://sicambre.at.webry.info/200804/article_32.html

2007年度(第76回)
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_32.html
https://sicambre.at.webry.info/200704/article_11.html


参考文献:
Villanea FA, Fox K, and Huerta-Sánchez E.(2020): ABO blood type variation in archaic humans: haplotype structure in Neanderthals and Denisovans. The 89th Annual Meeting of the AAPA.

言語脳活動の遺伝と環境の影響度

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、言語脳活動の遺伝と環境の影響度に関する研究(Araki et al., 2016)が公表されました。日本語の解説記事もあります。これまで、言語機能は生まれた後、両親をはじめとする周囲の環境の影響を受けて形成される一方で、ある特定の遺伝子異常により言語障害が生じることから、遺伝的な影響もあることが知られていました。語彙力や流暢さなど実際の言語の能力に関しては、古くから双生児間で似ていることが報告されていましたが、言語の中枢である大脳の活動については、遺伝と環境がどの程度影響を与えているのか、不明でした。

 これまでに脳磁計(脳の神経細胞が発する微弱な磁気を計測する医療用計測装置で、磁気のパターンから脳での電気活動を高精度に推定でき、脳波に近い信号ではあるものの、脳波よりも空間分解能が高い、と考えられています)を用いて様々な脳活動が計測されており、中でも左前頭葉でみられるβ帯域(13-25Hz)や低γ帯域(25-50Hz)の脳活動が言語機能に関連している、と明らかにされてきました。この研究は、遺伝的に100%一致する一卵性双生児と約50%一致する二卵性双生児を対象として、言語に関する課題を与えた時の脳活動を脳磁計にて計測し、低γ帯域(25-50Hz)の脳活動の強さを一卵性と二卵性双生児群で比較することにより、言語機能に関する脳活動の遺伝と環境の影響度を調べました。

 この研究は、大阪大学大学院医学系研究科附属ツインリサーチセンターの研究の一環として行なわれ、同センターによりリクルートされた一卵性双生児28組、二卵性双生児12組を対象として行なわれました。3文字のひらがなもしくはカタカナの名詞(「あひる」や「メロン」など100単語)をスクリーンに提示し、その名詞に関連する動詞を思い浮かべてもらい、その際の脳活動を脳磁計により計測しました。この研究は、計測した脳活動の中で、低γ帯域(25-50Hz)の脳活動が左前頭葉に限局して出現することに着目し、その脳活動の強さを算出しました。

 その結果、脳活動の強さについては、一卵性ペア、二卵性ペアでそれぞれ比較すると、一卵性ペアで高い類似性が認められました。さらに、遺伝と環境の影響度を共分散構造分析(データのばらつきを基に、直接見ることのできないデータに潜む変数を同定する解析方法で、双生児研究では盛んに利用されており、あるデータに対して遺伝と環境の影響がどれくらいあるのか、推定できます)で算出することにより、遺伝と環境の影響度がいずれも50%程度である、と明らかになりました。つまり、言語機能における左前頭葉の脳活動は遺伝と環境から同程度影響を受けて形成されているわけです。

 この研究は、言語脳機能の形成が環境によってもかなり左右されることを明らかにしました。今後の展望として、言語教育においてどのような方法が学習効率を向上させるかなど、効率的な言語教育法の開発につながることが挙げられています。通俗的には、人間の能力は氏(生得的、遺伝子)と育ち(環境)のどちらなのか、といった問題設定がしばしばなされますが、もちろん、「能力」も含めて人間の表現型は遺伝子と環境の相互作用により発現していくものです。ただ、個々の表現型に関してどちらの影響がより強いのか、という問いかけは重要ですから、その意味でこの研究は意義があると思います。また、言語進化の観点からも注目される研究です。


参考文献:
Araki T. et al.(2016): Language-related cerebral oscillatory changes are influenced equally by genetic and environmental factors. NeuroImage, 142, 241–247.
https://doi.org/10.1016/j.neuroimage.2016.05.066

大河ドラマ『麒麟がくる』第8回「同盟のゆくえ」

 帰蝶に依頼されて織田信長の様子を探りに尾張に潜入した明智光秀(十兵衛)は、漁から戻って来た信長が自ら魚をさばいて安く売り、庶民から慕われている様子を見て、奇妙な男だと感じます。信長が帰蝶の夫に相応しいのか、光秀は悩みますが、母には大事なのは美濃だと言われます。帰蝶は光秀に尾張へ行くべきと言わせ、信長に嫁ぐ決意を固めます。光秀が帰蝶を説得したと報告を受けた斎藤利政(道三)は光秀を褒めます。

 しかし、織田と結ぶことに反対の利政の息子の高政(義龍)は、同志と思っていた光秀が裏切ったと怒っていました。高政は光秀を土岐頼芸と引き合わせ、帰蝶を信長に嫁がせないよう、改めて伝えます。光秀は、海に面した尾張の豊かさを強調し、尾張と組むことにより美濃は戦わずして豊かになれる、と主張しますが、高政は旧来の秩序の維持を重視し、あくまでも織田と結ぶことに反対し、二人は決裂します。1549年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)2月、帰蝶は信長へと嫁ぎます。織田と斎藤との提携を知った今川義元は、尾張への侵攻を決断します。

 今回は、帰蝶が光秀への想いを諦め、信長に嫁ぐ決意を固めるまでが描かれました。帰蝶も駒も互いに光秀への想いに気づいており、帰蝶が光秀への想いを断ち切るまでの描写はなかなかよかったと思います。これもすべて昨年(2019年)11月後半以降に撮り直したのかと思うと、つい見方が甘くなってしまいます。帰蝶の決意以上に今回注目されるのは、光秀と高政との決裂です。高政は光秀を学友として信頼し、将来自分が当主となった折には光秀を頼りにしようと考えていただけに、光秀が帰蝶に信長へ嫁ぐよう進言したことを裏切りと考えたのは仕方のないところでしょう。

 高政と父の利政との不仲というか、高政の父への不信感は初回から描かれていましたが、本作では、それが伝統秩序を重視する高政および美濃国人衆と、それを軽視して利害を重視する利政との対立という構造で描かれています。光秀は、学友として高政を支えたいという気持ちもありつつも、都と堺を見たうえで、尾張の繁栄も実見した経験から利政側に立つ、という流れになっています。実際にはそのように単純化できないのかもしれませんが、利政と高政の対立の結末を考えると、歴史ドラマとして面白い描写になっていると思います。これまでのところ、集権化も含めて強引な政策を進めようとした利政が国人衆に離反された、という流れで利政は敗死しそうで、利政の今後の心理描写も楽しみです。

アフリカ東部における異なる石器技術の長期の併用とエレクトス頭蓋

 アフリカ東部における異なる石器技術の長期の併用と、石器と共伴したホモ・エレクトス(Homo erectus)頭蓋に関する研究(Semaw et al., 2020)が報道されました。エチオピアのアファール(Afar)地域のゴナ計画研究地区(The Gona Project study area)では、260万~200万年前頃のオルドワン(Oldowan)石器が多数発見されています。オルドワンは、5段階の伝統的な石器製作技術の区分では様式1(Mode 1)とされます(関連記事)。ゴナでの200万年前頃以降の堆積物には、様式2(Mode 2)となるアシューリアン(Acheulian)石器群が見られます。

 ゴナ地区ではホモ・エレクトス(Homo erectus)の骨盤が発見されており、その形態と進化の理解を深めました。本論文は、ゴナ地区で発見された2個体のエレクトス頭蓋を分析し、石器とエレクトスの関係を検証しています。ゴナ地区のエレクトス頭蓋の一方は、BSN12(Busidima North)で発見されたの126万年前頃の部分的な頭蓋冠(BSN12/P1)で、その年代は、頭蓋冠と関連する、ブーリヒナン(Boolihinan)凝灰岩(BHT)と同じ噴火によるものと考えられる、エチオピアのアワッシュ川上流のメルカクンチュレ(Melka Kunture)層から、1262000±34000年前と推定されています。BSN12/P1には様式1および2の石器が共伴します。もう一方は、BSN12の北東約5.7 kmに位置するDAN5(Dana Aoule North)で発見された、保存状態のより良好なエレクトス頭蓋(DAN5/P1)ですDAN5/P1にも様式1および2の石器が共伴し、年代は160万~150万年前頃と推定されています。

 DAN5とBSN12の石器群には、握斧や10cm 以上の長さとなる両面もしくは片面を調整した大型の石器(large cutting tools、略してLCT)などの様式2石器群と、非成形石核などの様式1石器群が含まれます。石材のほとんどは、近くの川岸で採取できる粗面岩や流紋岩や玄武岩です。DAN5のLCTはエチオピア南部のコンソ(Konso)やケニアのコキセレイ(Kokiselei)のような他の早期アシューリアン遺跡と広い類似性を共有していますが、一部の詳細は異なります。DAN5とBSN12の握斧の約半分は大礫で作られましたが、175万年前頃以降のコンソ遺跡の握斧の大半は剥片で作られています。コンソの早期握斧はDAN5よりも平均して長く、わずかに薄いようです。ゴナとコンソの石器群の違いはおそらく石材の特徴と関連しており、ゴナではコンソよりも小さな石材がより多く用いられました。

 BSN12/P1成人頭蓋冠には、右眼窩縁・前頭鱗・左頭頂部の一部が含まれます。頭蓋内容量は800~900 mlと推定されます。眼窩上隆起の頑丈さから、BSN12/P1は男性と推測されます。より保存状態の良好なDAN5/P1には、頭蓋冠と上顎の大半が含まれます。DAN5/P1の推定頭蓋内容量は598 mlで、既知のアフリカの成人エレクトスでは最小となります。DAN5/P1は、犬歯こそないものの、その歯槽は小さく、女性と推測されます。BSN12/P1とDAN5/P1はホモ・エレクトス(Homo erectus)の形態的特徴を共有しますが、全体的なサイズなどいくつかの点では異なります。DAN5/P1は185万~176万年前頃のジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)頭蓋や、ケニアの160万~150万年前頃の学童期(juvenile、6~7歳 から12~13歳頃)個体(KNM-ER 42700)や、ケニアの95万年前頃のオローゲサイリエ(Olorgesailie)頭蓋(KNM-OL 45500)と類似しており、頭蓋内容量の小ささや後頭部のわずかな湾曲などを有する点で、典型的なアジアのエレクトス頭蓋とは異なります。

 BSN12/P1は、タンザニアの化石(Olduvai Hominid 9)やエチオピアの100万年前頃の化石(BOU-VP-2/66)といったアフリカの標本だけではなく、アジア南東部および東部の人類化石とも、より長く低い頭蓋冠や厚い眼窩上隆起を有する点で類似しています。2点のゴナ標本における解剖学的変異については、いくつかの仮説を提示できます。まず、より古いDAN5/P1は新しいBSN12/P1よりも、小さなサイズや華奢な頭蓋冠や弱い眼窩上隆起といった祖先的特徴を保持しており、両者の違いはアフリカのエレクトス内の長期的な向上進化に起因する、というものです。次に、ゴナのエレクトス2個体のサイズと形態的変異は、おもに単一種内の性的二形の結果というものです。最後に、アファール地域におけるホモ属において、以前には認識されていなかった分類学的多様性を反映しているかもしれない、というものです。

 動物相から、DAN5は草原土壌の河岸森林地帯と、BSN12はより開けた草原地帯と推測されます。ゴナのエレクトスは、川の近くの開けた生息地に隣接する森林地帯に住んでいたようです。DAN5/P1の右上顎第一大臼歯の安定同位体分析から、食性はC3植物もしくは雑食(卵や昆虫や草食動物など)と推測されます。ただ、DAN5/P1の炭素13値は既知の前期更新世ホモ属ではかなり低い点で注目されますが、その解釈にはデータが不足している、と本論文は指摘します。

 本論文は現時点での証拠から、DAN5/P1とBSN12/P1の解剖学的変異を、エレクトスが広く分散し長く続いた性的二形の種だったから、と推測しています。ゴナの2個体よりも前のドマニシの人類も、エレクトスの標本内ではサイズと性的二形の顕著な程度を示す、と本論文は指摘します。エレクトスの広範な分散と低い人口密度は、中断された遺伝子流動の時間に起因する地域固有形態の発達機会を作りました。近年の古代DNA研究で示されているように、遺伝子流動の一時的な中断は必ずしも種分化をもたらさず、数十万年の分離の後でも、人類は互いを交配可能な相手と認識できます。この小さく分散した集団間の遺伝子混合の中断は、多くの主要な形態および行動的属性を共有するものの、かなりの表現型多様性を示す高度に多型な種につながり得ます。

 ゴナの考古学的記録は、この仮説と大まかに一致しています。長期にわたるエレクトスと様式1および2石器群の併用は、小さく分散した集団間の保存された行動的特徴と伝統を示唆するからです。初期のアシューリアン遺跡は、LCTとの関連でほぼ様式1の石核および剥片も有しており、さまざまな遺跡で確認されています。さらに、アフリカ東部の160万~150万年前頃の多くの遺跡には様式1の石器しか含まれていませんが、これに関してはおそらく過小報告されている、と本論文は指摘します。DAN5でもBSN12でも様式1および2両方の石器が発見されていますが、BSN12では様式2の石器がほとんどなく、容易に見過ごしてしまうかもしれません。そのため、注意深く見ていけば、多数の様式1石器群の中に様式2石器もあると推測され、それが見落とされて様式1遺跡と判断される場合も少なくないだろう、というわけです。ゴナの証拠が示唆するのは、様式1遺跡のほとんどは広義のエレクトスの所産で、最近まで根強かった「単一種/単一技術」で想定されるような異なる人類種の共存ではない、ということです。エレクトスの石器技術には多様性がある、というわけです。

 エレクトスの小集団を含むいくつかの初期人類集団は、180万年前頃までにアフリカからユーラシアへと拡散しました。ドマニシ遺跡の年代からは、それがアシューリアンの開発前だった可能性があります。アフリカに残った集団がアシューリアン技術を開発し、後にアジアへの移住に伴い拡散した可能性が最も高そうです。複数の人類種による同年代の2つの異なる技術の共存という可能性も提示されていましたが、本論文は、アフリカに残ったエレクトスが様式2のアシューリアン技術を開発し、可変的かつ柔軟に、様式1および2の両方を使用した、と主張します。

 アシューリアン石器の製作には大きな石材と複雑で高度な製作が必要ですが、様式1の石器は、鋭利な切断剥片が必要な時はいつでも製作されました。石器の機能は石器技術のさまざまな表現において重要になるかもしれません。BSN12の豊富な動物相化石では、解体痕もしくは叩き石による打撃痕は識別されませんでした。しかし、DAN5の動物相化石では、人類による動物消費の証拠と一致するような痕跡が確認されました。ゴナの証拠は、エレクトスが集団水準の行動的多様性および柔軟性を有しており、様式1および2両方を長期にわたった併用していた、と示唆します。

 ただ、この研究には関わっていない碩学のウッド(Bernard Wood)氏は、ゴナの2ヶ所で発見された人類頭蓋の前後数十万年間も石器は製作されていたかもしれない、と指摘し、エレクトスによる製作との判断に慎重な姿勢を示します。また、本論文はエレクトスにおける強い性的二形の可能性を指摘しますが、最近の研究では、エレクトスの性的二形はゴリラ属やアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)と現代人との中間程度と推測されています(関連記事)。性的二形は社会構造との関連も指摘されており、その意味でも今後の研究の進展が注目されます。


参考文献:
Semaw S. et al.(2020): Co-occurrence of Acheulian and Oldowan artifacts with Homo erectus cranial fossils from Gona, Afar, Ethiopia. Science Advances, 6, 10, eaaw4694.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaw4694

神経発達に由来するショウジョウバエの行動の個性

 ショウジョウバエの行動の個性に関する研究(Linneweber et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。動物の行動の個性の起源に関する通俗的な認識の大半は、「氏」(行動を導くのは遺伝ゲノム)か「育ち」(行動を導くのは経験と環境)か、という規範的な枠組みにあります。ほぼ全ての動物において、固有の行動癖は遺伝学的に同じ個体間でも普通に見られることで、脳の解剖学的構造の自然な発達変異と同じですが、脳の発達の個体差から個体の行動が予測できるか否かは、まだ研究されていません。

 この研究は、ショウジョウバエにおける行動の個性に関する神経発達の非遺伝性起源について報告しています。自由に歩くショウジョウバエに道筋を示すと、直線的に歩く傾向のある個体もいれば、うろうろする個体もいます。この研究は、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を対象に、DCN(Dorsal Cluster Neurons)と呼ばれる視覚系神経細胞の配線の仕組みの個体差が、道筋をたどるというハエの行動における個性の現れにどうつながるのか、検証しました。

 その結果、DCN発達におけるランダム変異がハエ一匹一匹の脳回路に固有の非対称性をもたらし、それがハエの行動を強く誘導している、と明らかになりました。DCN配線の非対称性が強いほど道筋に合わせることが上手く、したがって直線的に歩いた、というわけです。この研究は、ランダムな神経変異と動物の行動の個性の関係を明示しています。正常な神経発達の先天的な混乱が遺伝的に類似する個体群に行動の多様性を生み出すポイントで、同様の仕組みはヒトなどの他の種にも存在すると考えられる、というわけです。


参考文献:
Linneweber GA. et al.(2020): A neurodevelopmental origin of behavioral individuality in the Drosophila visual system. Science, 367, 6482, 1112–1119.
https://doi.org/10.1126/science.aaw7182

飼い犬に見られる不安や問題行動

 飼い犬に見られる不安や問題行動に関する研究(Salonen et al., 2020)が公表されました。この研究は、フィンランドの飼い犬13700頭について、飼い主の報告に基づいて調査し、72.5%の飼い犬が攻撃性や恐怖心などの問題行動を示した、と明らかにしました。最も多かった不安様形質は騒音感受性で、32%の飼い犬が1種類以上の騒音を怖がり、花火を特異的に怖がった犬が26%いました。2番目に多い不安様形質は恐怖心で、29%の犬に見られました。具体的には、他の犬に対する恐怖心(17%)、見知らぬ人間に対する恐怖心(15%)、新たな状況に対する恐怖心(11%)でした。

 騒音感受性、特に雷に対する恐怖心は、高所や地面(たとえば、金属の格子板やピカピカの床)を怖がることと同じように、年齢とともに高くなりました。若齢の犬は、放置されると物品を損傷し、物品に放尿することが、老齢の犬よりも多く、注意力が散漫になったり、極度に活発になったり、自分の尻尾を追いかけたりすることも多い、と明らかになりました。雌犬は恐怖心を示すことが多かったものの、雄犬は雌犬よりも攻撃的かつ過度に活発で、衝動的になることが多いことも明らかになりました。

 この研究は、犬種間の違いについても明らかにしました。騒音感受性が最も強かったのがロマーニョ・ウォーター・ドッグ、ホイートンテリアと雑種で、恐怖心が最も強かったのがスパニッシュ・ウォーター・ドッグ、シェットランド・シープドッグと雑種でした。ミニチュア・シュナウザーの10.6%が見知らぬ人間に対して攻撃性を示しましたが、ラブラドール・レトリーバーでは0.4%にすぎませんでした。この研究によって得られた数々の知見は、犬の不安や行動に関する問題が犬種間で一定以上共通している可能性を示唆しています。こうした状態になる犬を減らすには、たとえば繁殖政策の実施や生活環境の改善などに注力すべきである、とこの研究は指摘しています。下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


動物行動学:飼い犬に普通に見られる不安や問題行動について

 犬の種類を問わず普通に見られるとされる不安や問題行動について詳しく調べた結果を報告する論文が、Scientific Reportsに掲載される。今回の研究で、最も一般的な不安様形質が騒音感受性で、その次が恐怖心であることが示唆されている。

 今回、Hannes Lohiたちの研究チームは、フィンランドの飼い犬(1万3700頭)について、飼い主の報告に基づいた調査を行い、72.5%の飼い犬が問題行動(攻撃性、恐怖心など)を示したことを明らかにした。最も多かった不安様形質は騒音感受性で、32%の飼い犬が1種類以上の騒音を怖がり、花火を特異的に怖がった犬が26%いた。2番目に多い不安様形質は恐怖心で、29%の犬に見られた。具体的には、他の犬に対する恐怖心(17%)、見知らぬ人間に対する恐怖心(15%)、新たな状況に対する恐怖心(11%)だった。

 騒音感受性、特に雷に対する恐怖心は、高所や地面(例えば、金属の格子板やピカピカの床)を怖がることと同じように年齢とともに高くなった。若齢の犬は、放置されると物品を損傷し、物品に放尿することが、老齢の犬よりも多く、注意力が散漫になったり、極度に活発になったり、自分の尻尾を追いかけたりすることも多かった。雌犬は恐怖心を示すことが多かったが、雄犬は、雌犬よりも攻撃的で、過度に活発で、衝動的になることが多かった。

 Lohiたちは、犬種間の違いについても明らかにした。騒音感受性が最も強かったのがロマーニョ・ウォーター・ドッグ、ホイートンテリアと雑種で、恐怖心が最も強かったのがスパニッシュ・ウォーター・ドッグ、シェットランド・シープドッグと雑種だった、ミニチュア・シュナウザーの10.6%が見知らぬ人間に対して攻撃性を示したが、ラブラドール・レトリーバーでは0.4%にすぎなかった。

 今回の研究によって得られた数々の知見は、犬の不安や行動に関する問題が犬種間で共通している可能性を示唆している。こうした状態になる犬を減らすには、例えば、繁殖政策の実施や生活環境の改善などに注力すべきだとLohiたちは指摘している。



参考文献:
Salonen M. et al.(2020): Prevalence, comorbidity, and breed differences in canine anxiety in 13,700 Finnish pet dogs. Scientific Reports, 10, 2962.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59837-z

岡田晋吉『太陽にほえろ!伝説』

 ちくま文庫の一冊として、筑摩書房より2020年2月に刊行されました。本書の親本『太陽にほえろ!伝説 疾走15年私が愛した七曲署』は、2003年に増補決定版として日本テレビ放送網より刊行されました。この増補決定版の親本は1996年に日本テレビ放送網より刊行されました。本書の親本は、以前図書館で読んだと記憶していますが、もうその記憶は薄れてしまいましたし、全作品リストも掲載されているので、文庫化を契機に資料用として購入しました。

 本書を読んで改めて思うのは、制作者側と視聴者側とでは『太陽にほえろ!』への想いが異なる、ということです。もちろん、制作者側とはいっても、プロデューサー・監督・脚本家・出演者などで違ってくるでしょうし、そもそも想いは一人ずつ違ってくるもので、それは視聴者でも同様だと思います。ただ、制作者側と視聴者側とでは、やはり『太陽にほえろ!』への想いに大きな違いが生じやすいとは思います。視聴者は基本的に放送された作品しか知らず、制作時の苦労は見えてきません。そこが最大の違いかな、とは思います。著者が選んだ「ベスト・エピソード100」に、私のお気に入りの話が入っていなかったり、逆に意外な話が入っていたりするところに、制作者側と視聴者側の意識の大きな違いが窺えます。

 すっかり忘れていた話も多いのですが、ボギー役の世良公則氏は、『太陽にほえろ!』のプロデューサーである著者から劇中で歌うよう、何度か要請されても、最後まで歌わなかったそうです。世良氏は演技の世界と歌の世界を峻別し、自分の歌は『太陽にほえろ!』には合わない、と言っていたそうですが、世良氏への印象通りの話です。石原裕次郎氏は、亡くなる2週間前に見舞いに訪れた著者に、ラガー役だった渡辺徹氏は太りすぎなので、医者の指導で食生活を変えなければいけない、と言っていたそうです。もうその頃には石原氏は肉体的にも精神的にもかなり厳しい状態だったのでしょうが、それでも若い役者を気遣うところが、石原氏らしいと思います。ベスト・エピソード100もそうですが、本書を読んで視聴当時のことが思い出され、懐かしくなりました。購入して正解だったと思います。

ヒトの足の進化

 ヒトの足の進化に関する研究(Venkadesan et al., 2020)が報道されました。日本語の解説記事もあります。ヒトの足は、剛性が高く、アーチを備えていますが、これらの特徴は効率的な直立歩行に必須です。ヒトが足の親指の付け根を使って体を押し出す時、足には体重よりも大きな力がかかり、そのため足の中央部分は湾曲します。しかし、足はこの大きな力に耐える充分な強度があるため、その形状を維持できます。これに対して、ベルベットモンキーやマカクやチンパンジーやゴリラなど他の霊長類は、比較的柔軟性の高い扁平な足を持っています。ヒトの足の構造から高い剛性がどのように生じるのか、という点に関するこれまでの研究の大部分は、踵から母指球に至る足部内側縦アーチ(MLA、内側縦足弓)に着目していましたが、足を横断する足根横アーチ(TTA、足根骨横足弓)の役割を検討していませんでした。TTAはMLAと連携し、ヒト特有の足の剛性を生み出しており、そのためヒトは倒れることなく体を前に蹴り出せます。これは、他の霊長類が木の枝をつかむためにより柔軟性のある足を必要とするのと対照的です。

 この研究は、足の剛性がTTAによって生じているのかどうかを調べるため、ヒトの足について曲げ試験を行ないました。まず、ミッドフットのコンピュータ・シミュレーションとプラスチックモデルの両方が作成され、一定量曲げるのに必要な力が測定されました。その結果、より顕著なTTAを備えたプラスチックモデルとシミュレーションでは、より平坦な足のモデルよりも剛性が高く、曲げの影響を受けにくい、と明らかになりました。逆にこれらのモデルでは、MLAの曲率を増加させても、剛性にほとんど影響しませんでした。その後、長さ・厚さ・TTA曲率が異なる足のメカニカルなモデルの曲げ試験では、シミュレーションとプラスチックモデルの実験と同様に、より顕著なTTAを持つ足の模倣体を曲げようとすると、より剛性がある、と明らかになりました。最後に、献体された足において、縦アーチ組織をそのままにして足の横アーチ組織を切断すると、足の剛性が約半分に低下しました。この研究は、TTAが足の剛性の40%以上に関係している、と推測しています。紙を横方向に折りたたむと、縦の剛性が高くなるように、TTAが足において同じような役割を果たしている、というわけです。

 この研究はまた、絶滅人類種を含む霊長類全体におけるTTAの進化についても調べました。その結果、MLAとTTAが完全に発達しているのはホモ属だけと明らかになりました。MLAはまだホモ属が存在しなかっただろう300万年以上前に出現しましたが、180万年前頃のホモ属にはTTAも備わるようになりました。この知見は、2つの隣接したアーチの組み合わせにより足の縦方向の剛性が生み出されている、と示唆しています。さらに、ヒトの足の進化には、いくつかの段階があり、それにより効率的な歩行と走行が可能になったことも明らかになりました。また、ヒトの足の模倣を目指す義肢や、脚付きロボットの設計を改良できる可能性や、整形外科手術によって痛みが緩和する患者とそうでない患者がいる理由の解明や、靴職人が顧客の足をスキャンすることで、足の全体的な構造に基づき、個人に合わせた提案ができるようになる可能性など、この研究の応用も期待されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


生体力学:二足歩行のために作られたヒトの足

 ヒトの足に備わった2つの独特なアーチによって二足歩行と二足走行が可能になったという結論を示した論文が、今週Nature に掲載される。この新知見は、ヒトの足の進化を解明するための新たな手掛かりであり、ロボットの足の設計を改良するためにも役立つ可能性がある。

 ヒトの足は、剛性が高く、アーチを備えているが、これらの特徴は、効率的な直立歩行に必須である。これに対して、他の霊長類(チンパンジー、ゴリラ、マカクなど)は、比較的柔軟性の高い扁平な足を持っている。ヒトの足の構造から高い剛性がどのように生じるのか、という点について研究者は議論を重ねてきた。先行研究の大部分は、踵から母指球に至る足部内側縦アーチ(MLA)に着目していたが、足を横断する足根横アーチ(TTA)の役割を検討していなかった。

 今回、Madhusudhan Venkadesanたちの研究チームは、足の剛性がTTAによって生じているのかどうかを調べるため、ヒトの足について曲げ試験を行った。その結果、TTAが足の剛性の40%以上に関係していることが明らかになった。紙を横方向に折りたたむと、縦の剛性が高くなるように、TTAが足において同じような役割を果たしていると考えられるのだ。

 また、Venkadesanたちは、絶滅したヒト族種を含む霊長類全体におけるTTAの進化についても調べた。その結果、MLAとTTAが完全に発達しているのはホモ属だけであることが分かった。この知見は、2つの隣接したアーチの組み合わせによって足の縦方向の剛性が生み出されていることを示唆している。さらに、ヒトの足の進化には、いくつかの段階があり、それによって効率的な歩行と走行が可能になったことも分かった。

 同時掲載のNews & Views論文(Glen Lichtwark、Luke Kelly共著)では、これと同じ機構を直接応用して、ヒトの足を模倣することを目指す義肢や脚付きロボットの設計を改良できる可能性が指摘されている。


生体力学:ヒトの足の剛性と横アーチの進化

生体力学:ヒトの歩き方

 ヒトが二足でうまく歩行できる理由の1つは、ヒトの足がまるで板バネのように高い剛性を有することにある。つまり、力が加えられると曲げ抵抗が働くのである。これは、脚と地面の間で伝達される力が効率的に結合することを意味する。この特徴は一般に、踵と母指球の間の足底が地面に接しないようにしている顕著なアーチ形状である内側縦足弓(内側縦アーチ;MLA)と関連付けられている。しかし、MLAが足の剛性の総合的な測定結果と必ずしも相関しないという問題も指摘されている。一方で、MLAと直交する足根横足弓(足根横アーチ;TTA)はこれまで検討されてこなかった。今回M Venkadesanたちは、実験とモデリングの両方を用いて、TTAがいかにしてMLAとともに進化してきたか、そしてそれがヒトの歩行にどのように寄与しているのかを明らかにしている。



参考文献:
Venkadesan M. et al.(2020): Stiffness of the human foot and evolution of the transverse arch. Nature, 579, 7797, 97–100.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2053-y

『卑弥呼』第35話「ウソ」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年3月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが、自分こそはその昔日向に残ったサヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の末裔だ、と鬼八荒神に宣言するところで終了しました。今回は、鞠智彦(ククチヒコ)が、日見彦(ヒミヒコ)と自称していた暈(クマ)のタケル王を、トンカラリンの洞窟で殺害したことを回想する場面から始まります。鞠智彦は以夫須岐(イフスキ)にて、暈の最高権力者にしてタケル王の父であるイサオ王に謁見します。日見子(ヒミコ)と名乗る女子(ヤノハ)について教えてくれ、とイサオ王に言われた鞠智彦は、ヤノハが日向(ヒムカ)を領土とするため山社(ヤマト)を出た、と答えます。都萬(トマ)の国が黙っているとは思えない、と言うイサオ王に対して、ヤノハは我々が思うより賢いようで、まず都萬も手出しできない千穂に向かった、と鞠智彦は答えます。鬼退治とは、その女子(ヤノハ)の命運もそこで尽きるな、と冷笑するイサオ王に対して、逆に鬼どもを平定すると自分は思う、と鞠智彦答えます。他国がどう動くのか、イサオ王に問われた鞠智彦は、少なくとも那(ナ)は山社を国として認めるだろう、と鞠智彦は予想します。するとイサオ王は、日見子(ヤノハ)に会って、生き残るためには我々の側につくしかないと説くよう、鞠智彦に命じます。ヤノハを容易には説得できないと考えている鞠智彦に対して、那とヤノハを結ばせてはならない、とイサオは厳命します。息子のタケル王は日見彦として自ら雄々しく死んだのだろうな、とイサオ王に問われた鞠智彦は、今回の戦の責任を取って自害した、と答えます。するとイサオ王は、ウソの臭いを放っているぞ、と鞠智彦に言います。イサオ王は、一応否定する鞠智彦をそれ以上問い詰めることはなく、日見子の説得は頼んだ、ウソ・甘言など何を用いてもよい、と言います。

 末盧(マツラ)国では、ミルカシ王が、タケル王がトンカラリンでお隠れになり、新たな日見子(ヤノハ)がトンカラリンから静観したので、日見子が千穂を制圧したら我々は使者を送るべきだと思う、と言います。山社を国として認めるべきか、問われた日の守(ヒノモリ)のミナクチは、那の王がいち早く山社と和を結ぶという噂が流れており、そうなれば使者を送るべきだ、と答えます。その返答に満足したのか、ミルカシ王は微笑み、百年ぶりに真の日見子様が現れたのだから、と言います。

 伊都(イト)国では、イトデ王が島子(シマコ)のオホチカ・兵庫子(ヒョウゴコ)・禰宜のミクモと今後の方針を検討していました。那と山社の急接近を契機に戦は那が有利となり、伊都に権益が侵されるという事態に、伊都国の主従は、伊都国も本物か否かはさておき、新たな日見子を認める、という方針でまとまります。

 穂波(ホミ)の国では、ヲカ王が身分の高そうなトモ・日の守のウテナと協議していました。ウテナは、タケル王が没した今、戦況は那軍有利なので新たな日見子を認めるべきだ、とヲカ王に進言します。しかし、トモは反対します。どう考えてもヤノハにはウソの臭いが満ちている、というわけです。那の島子のウラが密かに穂波に入り、都萬へと逃亡した件について問われたトモは、兵を率いる将として迂闊だった、と反省します。軍にウラへ加担した輩がいる、という噂についてヲカ王に問い質されたトモは、あくまでもウソ偽りの情報だ、と答えます。

 都萬の国では、那から亡命してきたウラが、都萬の国では王に次ぐ地位の巫身(ミミ)および巫身習(ミミナリ)とともに、タケツヌ王に拝謁していました。ケヌツ王はウラに温情をかけ、都萬はウラと同じく月読命を主神と奉ずるので、第二の故郷と思い、好きなだけ留まるようにと言い、タウラは感謝します。新たな日見子(ヤノハ)をどう思うか、タケツヌ王に問われたウラは、偽物だと即答します。ヤノハは身分卑しきトメ将軍と通じ、那のウツヒオ王まで篭絡してしまったので、サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の故地である日向征服を策すヤノハに一刻も早く派兵すべきだ、とウラはタケツヌ王に訴えます。ところが、最初はそう思っていたタケツヌ王は、考えが変わった、と言います。手始めに千穂に向かった日見子(ヤノハ)は実に頭がよい、とタケツヌ王は指摘します。万一鬼退治に成功すれば、天照大御神からサヌ王までの山社である千穂と、百年前からの現在の山社という、二つの聖地を手中に収めたことになるからです。そうすると、ヤノハを日見子と認める国も出るはずで、ヤノハ討伐に派兵すれば、謀反人とされて他国に攻め込まれる理由を与えるかもしれない、とタケツヌ王はウラに説明します。タケツヌ王は、今の日見子がウソの現人神でも、認めてしまう方が得策かもしれない、とウラに指摘します。

 千穂の「あららぎの里」では、ヤノハの命により、千穂の首領であった鬼八荒神(キハチコウジン)こと15代目ハシリタケルがオオヒコにより斬首されました。ハシリタケルは、自分の首・胴・手足を別々の場所に埋葬するよう、遺言を残しました。ハシリタケルは地神となって里を守りたいのだろう、と考えたヤノハは、その要望を叶えてやるよう、ミマアキに指示します。ヤノハは、「鬼」と言われていた千穂の男たちについて、自分に忠誠を誓ったのでこれ以上の流血は無意味と言い、解放するよう、ミマアキに命じます。イクメが自分に何か訊きたそうだと思ったヤノハは、遠慮しないよう、イクメに言います。するとイクメは、ヤノハがサヌ王の末裔なのか、尋ねます。ヤノハは笑顔で、ウソに決まっているではないか、と答えます。自分は育ての母がどこかから拾ってきた身で、名もなき貧しい出自だろう、というわけです。イクメはヤノハの返答に衝撃を受けつつ、死を覚悟したハシリタケルに平然とウソをついたのか、と尋ねます。ヤノハは真面目な顔に戻り、ウソをつかねば千穂の者たちは反抗し、自分の望む平和は得られない、と言います。ヤノハはイクメに、人の性に関する自分の考えを述べます。人とは互いに憎み合って殺し合い、平和には最も無縁な生き物なので、戦いのない世とは多くの偽善とウソでのみ成り立つ虚構の世界だ、というわけです。ヤノハの考えに真理を認めつつも、なおも肯定することを躊躇うイクメに対して、平和のためなら自分はいくらでもウソをつき、人を欺く覚悟だ、とヤノハが言い放つところで今回は終了です。


 今回は、新たな日見子たるヤノハをめぐるそれぞれの国と人の思惑と、それをめぐるウソが描かれました。イサオ王は鞠智彦のウソを見抜き、鞠智彦も畏れる人物として描かれています。鞠智彦やトメ将軍も大物として描かれていますが、それぞれさらに上の地位の人物がいるのに対して、イサオ王の上に立つ人物はおらず、イサオ王は現時点では本作において最も大物感のある人物のように思います。暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、イサオ王の計画は失敗に終わり、暈と山社(邪馬台国)を中心とする勢力とは対立することになるのでしょう。すでに、那が山社国の承認に動き出そうとしているのを見て、ヤノハを真の日見子か怪しんでいる都萬のタケツヌ王でさえ、ヤノハを日見子と承認する選択肢を考えています。おそらく、暈を除く九州(筑紫島)の諸国はヤノハを日見子と認め、新たな国である山社を盟主として同盟を組み、暈と山社連合との間で戦いが続くのでしょう。その前に、イサオ王に命じられた鞠智彦がヤノハを訪ねるのでしょうが、作中でもとくに人物造形が魅力的で大物感のある鞠智彦とヤノハとの初対面がどのように描かれるのか、たいへん楽しみです。また、今は九州だけが舞台となっていますが、今後は四国と本州、さらには朝鮮半島と魏だけではなく呉も描かれるかもしれず、この点も楽しみです。

世界の島嶼鳥類の多様性を説明するモデル

 世界の島嶼鳥類の多様性を説明するモデルについての研究(Valente et al., 2020)が公表されました。定着・種分化・絶滅は、種の豊富さの全球パターンに影響を与える動的な過程です。この島嶼生物地理学の理論は1963年に提唱されました。島嶼生物地理学の理論では、これらの過程の種の多様性の蓄積への寄与は、島の面積と隔離度に依存する、と予測されています。しかし、適切なデータも解析ツールもこれまで利用可能ではなかったため、種分化を無視できないような島嶼に関して、この予測のロバストで全球的な検証は行なわれてきませんでした。この研究は、こうしたデータとツールの不足という問題に取り組み、島嶼の鳥類について、定着・絶滅・種分化の速度が島の面積および隔離度とどのように共変化するのかを規定する、一般的関係の経験的な形態を明らかにしています。

 この研究は、596の鳥類分類群を含む世界各地の41の海洋群島の陸生鳥類相に基づき、島嶼鳥類に関する全球的な分子系統学的データセットを構築し、新たな解析法を用いて、定着・種分化・絶滅の島嶼特異的な速度の、島の特徴(面積および隔離度)への感度を推定しました。得られたモデルは、高い説明力で複数の全球的な関係を予測できました。すなわち、定着は隔離度の増大に伴って減速し、絶滅は面積の増大に伴って減速し、種分化は面積と隔離度の増大に伴って加速する、と明らかになりました。島嶼生物地理学の理論的基盤を、分子系統学的データに含まれる経時的情報と組み合わせることにより、地球規模で見られる生物多様性の変動を司る基本的な関係を明らかにするための強力な手法が得られます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生態学:世界の島嶼鳥類の多様性は単純な動的モデルによって説明される

生態学:島嶼の鳥類で裏付けられた島嶼生物地理学の理論

 MacArthurとWilsonは1963年、定着、種分化、絶滅の種の多様性の蓄積への寄与は生息地の面積と隔離度に依存する、とする島嶼生物地理学の理論を提唱した。今回L Valenteたちは、島嶼の鳥類における、この理論の全球規模での検証について報告している。彼らは、世界各地の41の海洋群島の陸生鳥類相に基づいて、島嶼鳥類の定着および種分化の時期に関する全球的な分子系統学的データセットを構築した。そして、定着、種分化、絶滅の島嶼特異的な速度の島の面積および隔離度への感度を推定する動的モデルを開発することで、定着が隔離度の増大に伴って減速し、絶滅が面積の増大に伴って減速し、種分化が面積および隔離度の増大に伴って加速することを見いだした。これらの結果は、島嶼生物地理学理論の重要な予測を裏付けている。



参考文献:
Valente L. et al.(2020): A simple dynamic model explains the diversity of island birds worldwide. Nature, 579, 7797, 92–96.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2022-5

確率を理解しているオウム

 確率を理解しているオウムに関する研究(Bastos, and Taylor., 2020)が公表されました。この研究は、対象の動物が統計を理解しているかどうか、判定するための基準の検証のため、実験を行ないました。この研究は、以前に霊長類とヒト乳児で行われた研究にひじょうによく似ています。まず、6羽のミヤマオウム(Nestor notabilis)を訓練して、報酬が得られることを黒色と、報酬が得られないことをオレンジ色と関連づけさせました。その後、2つの透明な広口瓶に黒色とオレンジ色の木片(トークン)を混在させ、それぞれの瓶の中からミヤマオウム(ケアオウム)に見えないように1個の木片を取り出し、それぞれの手の中に握り、オウムに差し出して選ばせる実験を行ないました。黒とオレンジの木片の相対頻度は、瓶により異なっていました。

 その結果、ミヤマオウムは、報酬が得られる色のトークンの出現頻度の高い広口瓶から取り出された木片を選ぶ傾向を示しました。ただし、この出現頻度は、相対頻度であり、絶対頻度である必要はありませんでした。次に、広口瓶の中に仕切板を水平に差し込んで、仕切板の上にある木片だけを取り出せるようにして報酬が得られる木片の割合を変えたところ、ミヤマオウムはこの物理的制約に感づき、報酬の得られる木片が取り出される確率の高い広口瓶の方を選びました。さらに、ミヤマオウムは、以前に報酬の得られる木片を差し出すことが多い、という「バイアス」を示した実験者が差し出すトークンを選ぶ傾向も示しました。先行研究では、真の統計的推論ができるのはヒトと(非ヒト)大型類人猿だけとされていました。こうした複雑な高次認知過程を鳥類が有すると明らかにすることは、統計的推論の進化史を解明する上で役立つとされます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


動物学:確率を理解しているオウム

 ニュージーランド産のミヤマオウム(ケアオウム)は、確率を理解し、それに基づいて行動できることを報告する論文が、今週Nature Communications に掲載される。これは、大型類人猿以外の動物が統計的推論を行うことを初めて報告した論文だ。

 今回、Amalia BastosとAlex Taylorは、研究対象の動物が統計を理解しているかどうかを判定するための基準を検証することを目的とした実験を行った。今回の研究は、以前に霊長類とヒト乳児で行われた研究に非常によく似ている。まず、Blofeld、Bruce、Loki、Neo、Plankton、Tazという名の6羽のミヤマオウムを訓練して、報酬が得られることをブラック色と関連付け、報酬が得られないことをオレンジ色と関連付けさせた。そして、2つの透明な広口びんにブラック色とオレンジ色の木片(トークン)を混在させ、それぞれのびんの中からオウムに見えないように1個のトークンを取り出し、それぞれの手の中に握り、オウムに差し出して選ばせる実験を行った。ブラックとオレンジのトークンの相対頻度は、びんによって異なっていた。

 その結果、ミヤマオウムは、報酬が得られる色のトークンの出現頻度の高い広口びんから取り出されたトークンを選ぶ傾向を示した。ただし、この出現頻度は、相対頻度であり、必ずしも絶対頻度である必要はなかった。次に、広口びんの中に仕切板を水平に差し込んで、仕切板の上にあるトークンだけを取り出せるようにして報酬が得られるトークンの割合を変えたところ、ミヤマオウムは、この物理的制約に感づき、報酬の得られるトークンが取り出される確率の高い広口びんの方を選んだ。さらに、ミヤマオウムは、以前に報酬の得られるトークンを差し出すことが多いという「バイアス」を示した実験者が差し出すトークンを選ぶ傾向も示した。

 先行研究では、真の統計的推論ができるのはヒトと大型類人猿だけとされていた。この種の複雑な高次認知過程を鳥類が有することを明らかにすることは、統計的推論の進化史を解明する上で役立つとされる。



参考文献:
Bastos APM, and Taylor AH.(2020): Kea show three signatures of domain-general statistical inference. Nature Communications, 11, 828.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14695-1

鳥の卵の色の多様性

 鳥の卵の色の多様性に関する研究(Wisocki et al., 2020)が公表されました。鳥の卵の色と模様はさまざまですが、こうした多様性の主要因については分かっていません。たとえば、濃い色素は薄い色素よりも多くの熱を吸収するため、色の濃い卵殻は寒冷な地域で有利と考えられますが、温暖な地域の方が強い有害な紫外線放射も遮断します。同様に、濃い色素は抗菌特性がより強いため、温暖湿潤な地域で有利と考えられます。薄い色素は捕食者の目につきやすいものの、捕食者は暑い地域の方に多い傾向があります。

 この研究は、自然史博物館のコレクションに由来する634種の卵の明度と色合いを測定することにより、卵殻の色の全般的パターンを調べました。そのパターンをそれぞれの種の地理的繁殖地域にマッピングすると、気温と日射が共に低く、(穴の中やカップ状の巣ではなく)巣が地上で開放的に作られる場合に、卵の色が著しく濃くなる、と明らかになりました。次に、色合いと明度がさまざまな卵(ニワトリ、アヒル、ウズラ)を日射に曝露しました。その結果、色の薄い卵よりも色の濃い卵の方が、孵卵温度を長時間維持できる、と明らかになりました。これらの知見は、温度調節が卵殻色決定の主たる要因となっている可能性を強く示唆しています。なお、現生鳥類の色付き卵の起源は恐竜の中でも獣脚類において生じた一度の進化にある、と推測されています(関連記事)。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化学】鳥の卵の色はなぜ多様なのか

 生息地の気候が寒冷で巣が開放的な鳥は、濃い色の卵を産む傾向があることを明らかにした論文が掲載される。色の濃い色素によって、日光にさらされた卵は内部の温度を維持できる時間が長くなるのではないか、とその研究は示唆している。

 鳥の卵の色と模様はさまざまであるが、こうした多様性の主たる要因は分かっていない。例えば、濃い色素は薄い色素よりも多くの熱を吸収するため、色の濃い卵殻は寒冷な地域で有利と考えられるが、有害な紫外線放射も遮断する。紫外線は温暖な地域の方が強い。同様に、濃い色素は抗菌特性がより強いため、温暖湿潤な地域で有利と考えられる。薄い色素は捕食者の目につきやすいが、捕食者は暑い地域の方に多い傾向がある。

 Daniel Hanley、Phillip Wisockiたちは、自然史博物館のコレクションに由来する634種の卵の明度と色合いを測定することにより、卵殻の色の全般的パターンを調べた。そのパターンをそれぞれの種の地理的繁殖地域にマッピングすると、気温と日射が共に低く、(穴の中やカップ状の巣ではなく)巣が地上で開放的に作られる場合に、卵の色が著しく濃くなることが明らかになった。

 次に、色合いと明度がさまざまな卵(ニワトリ、アヒル、ウズラの卵)を日射に曝露した。その結果、色の薄い卵よりも色の濃い卵の方が、孵卵温度を長時間維持できることが明らかになった。以上の知見を総合すると、温度調節が卵殻色決定の主たる要因となっている可能性が強く示唆される。



参考文献:
Wisocki PA. et al.(2020): The global distribution of avian eggshell colours suggest a thermoregulatory benefit of darker pigmentation. Nature Ecology & Evolution, 4, 1, 148–155.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-1003-2

脳における言葉と歌の区別

 脳における言葉と歌の区別に関する研究(Albouy et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。音楽と言葉は多くの場合、互いに切り離せない形で関係し合っているため、ヒトにとって、単一の連続した音波において旋律と言葉を切り離して認識するという能力には、大きな困難が伴います。現在、言葉の知覚は短時間の一時的な時間変調を処理する能力に強く依存しているのに対して、旋律の知覚は周波数変動など音のスペクトル構成の詳細な処理に依存する、と考えられています。これまでの研究では、左および右大脳半球のニューロンが、それぞれ言葉と音楽の処理に特化している、と示唆されています。しかし、脳におけるこのような非対称性が、言葉と音楽における異なる音響的特徴によるのか、それとも脳内領域の特異的なニューロンネットワークによるのかは、依然として不明です。

 この研究は、オリジナルの10の文章をオリジナルの10の旋律と組み合わせて100曲のアカペラ(無伴奏の歌)を作成し、時間(言葉)領域とスペクトル(旋律)領域の聴覚情報を組み込みました。この研究は、歌に操作を加え、それぞれにおいて時間領域とスペクトル領域のいずれかを選択的に減弱させられるような録音方法を用いました。その結果、時間情報を減弱させると言葉の認識が障害されるものの、音楽の認識には影響がない、と明らかになりました。他方、旋律の知覚が障害されるのは、歌においてスペクトル情報を減弱させた場合のみでした。同時に行なわれたfMRI脳スキャニングにより非対称的なニューロン活動が示され、言葉の情報の解読は主として左脳の聴覚皮質で行われていたのに対して、旋律の情報は主として右脳で処理されていました。

 ヒトが用いる音の中でも最も独自のものである言葉と音楽の知覚は、異なる大脳半球において歌の音響的構造に特異的な特徴に反応するよう特化して適応したニューロンシステムにより可能になっている、というわけです。ヒトの重要な特徴である言葉の進化は昔から高い関心を集め続けてきましたが、言葉の進化と歌との関連も指摘されるなど、言葉の起源については現在でも議論が続いています。この研究は、言葉の起源と進化を検証するうえで重要な手がかりを明らかにしており、たいへん注目されます。


参考文献:
Albouy P. et al.(2020): Distinct sensitivity to spectrotemporal modulation supports brain asymmetry for speech and melody. Science, 367, 6481, 1043–1047.
https://doi.org/10.1126/science.aaz3468

地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史

 地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。紀元前3000年頃、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を起源とする人々が西進し始め、ヨーロッパ中央部の在来農耕民と交雑し、縄目文土器(Corded Ware)文化集団の系統の1/3に寄与し、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団との関連においてヨーロッパ西部で拡大しました。イベリア半島では、草原地帯系統が紀元前2500年頃までに外れ値の個体群に出現し、紀元前2000年頃までにイベリア半島集団へと完全に混合しました。地中海東部のクレタ島では、紀元前2400~紀元前1700年頃となる中期~後期青銅器時代のミノア文化期の報告されている個体群では、草原地帯系統がほとんど確認されませんが、早期イラン牧畜民と関連した集団由来の系統(イラン関連系統)の約15%がゲノムで見られます。

 しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600~紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500~紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11~12.13倍)です。

 まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。


●バレアレス諸島

 バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。

 中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。

 鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361~紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。


●シチリア島

 シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500~紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。

 シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800~紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。

 後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。


●サルデーニャ島

 サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74~77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。

 このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345~紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473~紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。

 外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643~紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。

 サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762~紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391~紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。

 これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。

 サルデーニャ島現代人集団は、4~5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56~62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。

 これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。


●まとめ

 本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。

 第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。

 第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345~紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473~紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932~紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000~3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。

 第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。

 最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38~44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17~23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。


参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0

西秋良宏「アフリカからアジアへ」

 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』所収の論文です。現生人類(Homo sapiens)には固有の「現代的行動」があり、そのために世界中に拡散して非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)を置換した、との見解が以前は有力でした。しかし本論文は、拡散期の現生人類の行動が多様であることから、この見解に疑問を呈しています。また、現生人類は拡散していく過程で、行動や文化を発展させてきた、とも指摘されています。現生人類が世界中の多様な環境に適応できた理由として、古代型ホモ属とは異なる生得的な認知能力の高さを想定する見解が根強いことを、本論文は指摘します。ただ本論文は、古代型ホモ属と現生人類との間に学習行動の違いは見られるものの、それが生得的な能力差を反映しているのか、考古学的証拠だけでは判断が難しい、と慎重な姿勢を示します。それは、学習の在り様や各集団の文化的特徴を決める要件はあまりにも多岐にわたっているからです。

 そこで本論文は、社会の総合力が学習行動の違いに関わっていたのではないか、と推測します。総合力とは、歴史あるいは文化です。古代型ホモ属も現生人類も、文化の力に依拠して生存していたことに違いはありません。本論文は、拡散先の自然環境および先住集団との関係を検証しています。拡散先の自然環境が故地と類似し、先住集団が存在しないか希薄、あるいは外来文化をそのまま受容した場合や、先住集団が拡散集団に駆逐した場合、故地の文化がそのまま拡散先でも維持されます。拡散先が故地とは異なる自然環境だった場合、それに応じて故地とは異なる技術を発展させます。先住集団や同時に拡散してきた複数集団の技術が混合する場合も想定されます。本論文は、ヒトの拡散を議論するには、少なくとも、集団の拡散先の自然環境、先住集団との関係、その相互作用の三つを考察する必要がある、と指摘します。それにより、古代型ホモ属から現生人類への交替が急速に進んだ地域、両者の共存が長かった地域、現生人類の拡散がなかなか進まなかった地域が分かれたかもしれない、というわけです。

 アジアの自然環境は多様で、考古学的証拠も多様です。本論文が着目したのは、石器製作技術の違いです。石刃・小石刃の分布は、生物地理区分での旧北区とよく一致します。ただ、生物地理区分は近年改訂が提案されており、たとえば中国と日本は新たな地理的区分(中国・日本区)として設定されています。本論文は、新旧の地理的区分のどちらが考古学的証拠の解釈に適切なのか、判断は難しい、と慎重な姿勢を示します。ただ本論文は、中国・日本区のような中間的な地理的区分を設定すると、更新世における石器製作技術の変動と気候変動とを組み合わせて説明できるかもしれない、と指摘します。寧夏回族自治区の水洞溝1遺跡の4万年前頃の上部旧石器時代初頭の石器群は、西方由来と推測されるものの、定着したわけではなく、本格的な石刃石器群が定着するのは寒冷期となる2万数千年前の細石刃文化になり、中間的な地域では気候変動により考古学的証拠も異なってくる、というわけです。同じく中間的な日本列島でも、初期の上部旧石器は南方を主体としつつも北方要素も一部見られ、寒冷期となる2万数千年前に押圧剥離技術による細石刃石器群が定着します。

 本論文は一方で、拡散先の生物地理的環境に初期現生人類の文化・技術が大きく影響された、との想定とは異なるかもしれない事例として、オーストラリアを挙げています。オーストラリアの環境は、アジア南東部の森林地帯とは異なり、内陸に砂漠や草原地帯が広がります。しかし、オーストラリアの初期現生人類で石刃や小石刃が発達したわけではありません。本論文は、アジア南部や南東部の森林地帯で西方の技術がフィルタリングされ、それ以降に再興された要素もあれば、そうではなかった要素もあるかもしれない、と指摘します。本論文は、自然環境と技術との単純な対応が見られない場合には、文化伝達理論が有効かもしれない、と指摘します。

 本論文は現生人類と古代型ホモ属との文化的交流の可能性も取り上げています。現生人類にとってユーラシア中緯度地帯以北は新天地となり、それ以前から適応していた古代型ホモ属の防寒技術を採用した可能性がある、というわけです。たとえば、皮なめしに特化した道具とされる骨製のヘラは、ネアンデルタール人の遺跡の方でより古いものが見つかっており、ネアンデルタール人から現生人類への文化的影響の証拠になるかもしれない、と指摘されています(関連記事)。また、竪穴で暖を取るタイプの住居遺構も、ネアンデルタール人遺跡でより古い事例が喫県されています。

 石器製作技術における古代型ホモ属と現生人類との交流の可能性の事例として、本論文はアジア西部を挙げています。アジア西部は、現生人類とネアンデルタール人の共存期間が最も長い地域と考えられており、7万~5万年前頃には両者の遺骸が複数の遺跡で発見されています。本論文は、ルヴァロワ(Levallois)技術で製作された、小さい尖頭器を特徴とするタブン(Tabun)B型石器群に注目しています。タブンB型と共伴している人類遺骸はすべて、現時点ではネアンデルタール人です。ネアンデルタール人はヨーロッパ起源と考えられますが、これと類似したヨーロッパの石器技術はまだ知られていません。二次加工の尖頭器はヨーロッパからアジア中央部までのネアンデルタール人分布域で一般的でしたが、レヴァントのタブンB型石器群のように無加工のルヴァロワ尖頭器をと要する例はほとんど知られていません。本論文は、アフリカ北部の初期現生人類において、二次加工せずにルヴァロワ石器を利用する文化が一般的だったことから、ネアンデルタール人のタブンB型は現生人類との交流の結果発展したのではないか、と推測しています。

 本論文は、チンパンジーでも飼育下では現代人の指導に従って石器を製作する事例が知られており、それよりもずっと近縁な関係にあるホモ属の各種間で文化的な交流や伝達もあっただろう、と指摘します。文化の拡散・定着には若い世代への継承が必要となりますが、それを、親から子への垂直伝達、親世代の他人から伝えられる斜行伝達、子と同世代の間で伝えられる水平伝達に分類する見解があります(関連記事)。親世代から継承される場合、現生人類から古代型ホモ属への確率が0ではない限り、古代型ホモ属から現生人類への技術継承はあり得る、と予測されます。現生人類集団の侵入と交替がゆっくり起きた場合、古代型ホモ属の文化が継続するように見えます。また、現生人類と古代型ホモ属は交雑しましたから、垂直伝達のみでも古代型ホモ属の文化が現生人類集団に浸透することもあり得ます。

 本論文は、アジア各地への現生人類の拡散を考えるうえで、まず証拠のそろっているヨーロッパの事例を取り上げます。20万年以上前にギリシアまで現生人類が拡散した、との見解も提示されていますが(関連記事)、それよりもさらにヨーロッパ奥地にまで拡散したのか定かではなく、現生人類がヨーロッパに広範に拡散したのは、5万年前頃以降の上部旧石器時代初頭集団です。ただ、当初は中部旧石器時代に典型的なムステリアン(Mousterian)遺跡も多数あり、ネアンデルタール人と現生人類が共存していた、と考えられます。ネアンデルタール人は4万年前頃までに絶滅し、その背景として5万~4万年前頃の複数回のきょくたんな寒冷期が挙げられています。4万年前頃、プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)式の小石刃石器群を有する現生人類集団がヨーロッパに拡散しており、ヨーロッパへの現生人類の拡散は大きく2回あった、と考えられます。

 こうした二段階による交代劇を理論的に予想したのが第6章(関連記事)です。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の共存を可能にしたのは、一つには環境で、アジア西部では、砂漠を現生人類が、森林をネアンデルタール人がおもに開発していました。生態的地位が異なっていた、というわけです。ヨーロッパでは、ネアンデルタール人の継続的な人口減少により、侵入してきた現生人類の利用可能な空間が拡大していた可能性も指摘されています。共存を可能にしたもう一つの要因は、第二波の現生人類集団にはネアンデルタール人集団を圧倒する高い技術があった、ということです。アジア西部では上部旧石器時代初頭の技術、ヨーロッパでは上部旧石器時代前期のプロトオーリナシアンの小石刃技術です。

 広範なアジアの他地域について同じモデルで説明できるのか、議論の対象となり得ます。本論文は、北回りでは現生人類の侵入と古代型ホモ属との交替が速やかに起きたように、南回りでは共存期間が長かったかもしれないように見える、と指摘します。中国南部では、4万年以上前に現生人類が到来した、との見解が提示されている一方で、石器技術は前代からの剥片石器群が継続しています。こうした対照性は共存に適した生態的地位の有無に依存するのかもしれない、と本論文は推測します。草原地帯よりも森林地帯の方が集団は分断されるので、共存の可能性は高く、島嶼部ではなおさらである、というわけです。

 現生人類と古代型ホモ属との「交替劇」に関しては、第6章も指摘するように人口も要因になると考えられます。本論文はこれに関して、かりに現生人類と古代型ホモ属との認知能力が同じだとしても、アフリカからは常に高い技術を有したヒト集団が出現したはずだ、との見解を取り上げています。ヒトの文化や行動は時間の経過により新たなものが創造されたり、改良されたりしますが、集団内で継承されるため蓄積して複雑さを増していきます。ヒトは他人から学ぶ社会学習を発達させているので、それが「文化的歯止め」となり、集団内に文化要素が留まります。この場合、歴史のある大集団は、社会学習により蓄積された他の集団よりも多くの文化を保有しています。人口が圧倒的に多く長期にわたる文化蓄積を経験したアフリカの現生人類集団と、出アフリカ後のユーラシアで新たな文化蓄積を果たさねばならない古代型ホモ属の小集団では、技術のレパートリーの原資や蓄積に差があって当然と予測できる、というわけです。本論文は、古代型ホモ属から現生人類への交代劇を文化の視点から理解するには、文化進化の理論研究をさらに深めていく必要がある、と指摘しています。


 なお、西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』の本論文を除く各論文の記事は以下の通りです。

門脇誠二「現生人類の出アフリカと西アジアでの出来事」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_38.html

西秋良宏「東アジアへ向かった現生人類、二つの適応」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_39.html

Robin Dennell「現生人類はいつ東アジアへやってきたのか」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_40.html

海部陽介「日本列島へたどり着いた三万年前の祖先たち」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_46.html

高畑尚之「私たちの祖先と旧人たちとの関わり 古代ゲノム研究最前線」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_48.html

青木健一「現生人類の到着より遅れて出現する現代人的な石器 現生人類分布拡大の二重波モデル」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_51.html


参考文献:
西秋良宏(2020B)「アフリカからアジアへ」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第7章P221-244

大河ドラマ『麒麟がくる』第7回「帰蝶の願い」

 尾張にもまだ敵を抱える織田信秀は、大垣城を斎藤利政(道三)に奪われます。体調に不安を覚える信秀は、尾張国内・今川・斎藤という三方の敵を同時に相手にするのは困難と判断し、斎藤と和議を結ぼうとします。都から駒とともに美濃に帰還した明智光秀(十兵衛)は家に戻りますが、そこへ帰蝶が訪ねてきます。信秀は和議の条件として、嫡男の信長に利政の娘を嫁がせるよう、提示します。父の利政に信長に嫁ぐよう言われた帰蝶は反発し、光秀は叔父の光安経由で、帰蝶の気持ちを確かめるよう、命じられます。帰蝶は光秀に、かつて父の命で嫁いだ土岐頼純を父に毒殺されたことから、信長に嫁ぐのは嫌だと皆に伝えてほしい、と光秀に頼みます。

 帰蝶を説得できないと答えた光秀に利政はいったん激怒しますが、光秀を呼び戻し、国を豊かにするための和議だ、と真意を明かします。利政は改めて、帰蝶を説得するよう、光秀に命じます。その帰り、光秀は斎藤高政(義龍)に呼ばれ、稲葉良通たち国人衆とともに、織田との和議に反対するよう説得されますが、まだ迷っています。帰蝶は光秀に、うつけと言われているものの、美濃ではまだ誰も見たことのない信長をじっさいに見て、どのような人物か教えてほしい、と頼みます。信頼する光秀の信長への評価を聞いてから嫁ぐかどうか判断する、というわけです。光秀は帰蝶の想いを受け止めて尾張に潜入します。

 今回は、帰蝶と光秀が幼少時より親しくしており、帰蝶が光秀を信頼し、想いを寄せている、という設定で話が進みました。これは以前から描かれていたので、説得力はあったと思います。帰蝶は初々しさと気丈さを見せており、今のところは川口春奈氏の起用は正解だったように思います。まあ、撮り直しとなり、川口氏に寄せた演出に変えているところもあるのかもしれませんが。当時の尾張情勢と、美濃における利政と息子の高政や国人衆との対立も簡潔に描かれ、歴史ドラマとしてなかなかよいと思います。利政の真意に光秀が動かされた描写は、今後光秀に大きな影響を与えそうで、注目されます。信長は最後に顔見世程度の出番でしたが、おそらくは大河ドラマ愛好者の多くが想定・期待する信長像とは大きく異なりそうですから、これが本作の評価と視聴率に重大な影響を及ぼすでしょう。不安もありますが、楽しみでもあります。

中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史

 中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史に関する研究(Marcus et al., 2020)が報道されました。サルデーニャ島は、100歳以上の割合が高く、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような自己免疫疾患や病気の割合が平均よりも高いため、病気や加齢に関連する可能性のある遺伝的多様体を発見するために注目されてきました。サルデーニャ島の現代人全体の遺伝的多様体の頻度は、しばしばヨーロッパ本土とは異なり、ヨーロッパ本土では現在ひじょうに稀な遺伝的多様体も見られ、その独特な遺伝的構成が研究されてきました。

 アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島の現代人とよく似ていました。また、スウェーデン・ハンガリー・スペインなど、離れた地域の初期農耕民も、遺伝的にはサルデーニャ島の現代人とよく似ていました。この類似性の理解には、ヨーロッパにおける人口史の解明が必要です。ヨーロッパにおける現代人に直接的につながる人類集団は、まず旧石器時代と中石器時代の狩猟採集民です。次に、新石器時代農耕民集団が紀元前7000年頃以降に中東からアナトリア半島とバルカン半島を経てヨーロッパに到来し、在来の狩猟採集民集団と交雑しました。紀元前3000年頃以降にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とするユーラシア草原地帯の集団がヨーロッパに拡散し、さらに混合しました。これらヨーロッパの現代人を構成した遺伝的系統は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)・初期ヨーロッパ農耕民(EEF)・早期草原地帯集団としてモデル化できます。サルデーニャ島の人類集団は早い段階で高水準のEEF系統の影響を受け、その後は比較的孤立しており、ヨーロッパ本土とは異なり草原地帯系統の影響をほとんど受けなかった、と推測されています。しかし、このサルデーニャ島の人口史モデルは、古代ゲノムデータではまだ本格的に検証されていませんでした。

 サルデーニャ島の最古の人類遺骸は2万年前頃までさかのぼります。考古学的記録からは、サルデーニャ島の人口密度は中石器時代には低く、紀元前六千年紀の新石器時代の開始以降に人口が増加し、紀元前5500年頃、新石器時代の土器はサルデーニャ島を含む地中海西部に急速に拡大した、と推測されています。後期新石器時代には、サルデーニャ島の黒曜石が地中海西部で広範に見られ、サルデーニャ島が海洋交易ネットワークに統合されたことを示唆します。青銅器時代の紀元前1600年頃に、独特な石造物で知られるヌラーゲ文化が出現します。ヌラーゲ文化後期の考古学および歴史学的記録は、ミケーネやレヴァントやキプロスの商人など、いくつかの地中海集団の直接的影響を示します。紀元前9世紀後半から紀元前8世紀前半にかけて、現在のレバノンとパレスチナ北部を起源とするフェニキア人がサルデーニャ島南岸に集落を集中して設立したため、ヌラーゲ文化の集落はサルデーニャ島の大半で減少しました。サルデーニャ島は紀元前6世紀後半にカルタゴに支配され、紀元前237年にはローマ軍に占領されて、その10年後にローマの属州となりました。サルデーニャ島はローマ帝国期を通じて、イタリアおよびアフリカ北部中央と密接につながっていました。ローマ帝国崩壊後、サルデーニャ島は次第に自立していきましたが、ビザンツ帝国をはじめとする地中海の主要勢力との関係は続きました。

 サルデーニャ島の住民は集団遺伝学において長く研究されてきましたが、その理由の一部は、上述のように医学にとって重要なためです。サルデーニャ島の現代人集団は遺伝的に複数の亜集団に分類されており、中央部と東部の山岳地帯は比較的孤立しており、WHGおよびEEF系統がわずかに多い、と明らかになっています。サルデーニャ島集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、コルシカ島と文化・言語的つながりのある北部において、中央部と東部の山岳地帯より遺伝的構成の変化が大きく、21人の古代mtDNA研究では、サルデーニャ島特有のmtDNAハプログループ(mtHg)のほとんどは新石器時代かその後に起源があり、それ以前のものはわずかだった、と推測されています。サルデーニャ島のフェニキア人居住地のmtDNA分析では、フェニキア人集団とサルデーニャ島集団との継続性と遺伝子流動が推測されています。カルタゴおよびローマ期の大規模共同墓地では、3人でβサラセミア多様体が見つかっています。

 本論文は、放射性炭素年代で紀元前4100~紀元後1500年頃となる、サルデーニャ島の20ヶ所以上の遺跡で発見された70人のゲノム規模データを生成します。本論文は、サルデーニャ島の人口史の3側面を調査します。まず、紀元前5700~紀元前3400年頃の新石器時代の個体群です。当時、サルデーニャ島に拡大した初期の人々はどのような遺伝的構成だったのか、という観点です。次に、紀元前3400~紀元前2300年頃の銅器時代から紀元前2300~紀元前1000年頃の青銅器時代です。考古学的記録に観察される異なる文化的移行を通じて、遺伝的転換はあったのか、という観点です。最後に、青銅器時代以後で、地中海の主要な文化とより最近のイタリア半島集団は、検出可能な遺伝子流動をもたらしたのか、という観点です。本論文は、サルデーニャ島の初期標本はヨーロッパ本土の初期農耕民集団と遺伝的類似性を示し、ヌラーゲ文化期を通じて混合の顕著な証拠はなく比較的孤立しており、その後は、地中海北部および東部からの交雑の証拠が観察される、との見通しを提示します。

 サルデーニャ島の70人の古代DNAに関しては、完全なmtDNA配列と、120万ヶ所の一塩基多型から構成されるゲノム規模データが得られました。核DNAの平均網羅率は1.02倍です。70人の内訳は、中期~後期新石器時代が6人、早期銅器時代が3人、中期青銅器時代早期が27人、ヌラーゲ文化期が16人で、それ以後では同時代でも遺伝的相違が大きいため、遺跡単位で分類されています。フェニキアおよびカルタゴの遺跡では8人、カルタゴ期では3人、ローマ期では3人、中世は4人です。これらの新石器時代~中世にかけてのサルデーニャ島の人類遺骸からのDNAデータが、ユーラシア西部およびアフリカ北部の既知のデータと比較されました。

 中期~後期新石器時代のサルデーニャ島の個体群は遺伝的に、新石器時代ヨーロッパ西部本土集団、とくにフランスの個体とよく類似していますが、イタリア半島など同時代の他地域の標本数が不足している、と本論文は注意を喚起しています。中期~後期新石器時代ののサルデーニャ島個体群は、早期新石器時代のアナトリア半島集団と比較して、WHG系統の存在が特徴となっています。サルデーニャ島の中期新石器時代~ヌラーゲ文化期までの52人に関しては、mtDNAハプロタイプが全員、Y染色体ハプロタイプが男性34人中30人で決定されました。mtHgは、HVが20人、JTが19人、Uが12人、Xが1人です。同定されたY染色体ハプログループ(YHg)では、11人がR1b1b(R1b-V8)、8人がI2a1b1(I2-M223)で、新石器時代のイベリア半島で一般的なこの2系統で過半数を占めます。YHgでR1b1bもしくはI2a1b1を有する既知の最古の個体はバルカン半島の狩猟採集民および新石器時代個体群で、両者ともに後に西方の新石器時代集団で見られます。

 サルデーニャ島では、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、遺伝的連続性が確認されます。対照的に、ヨーロッパ中央部のような本土では、新石器時代から青銅器時代にかけて、大きな遺伝的構成の変化が見られます。qpAdm分析では、サルデーニャ島の中期および後期新石器時代の個体群が、ヌラーゲ期の個体群の直接的祖先である可能性を却下できません。qpAdm分析ではさらに、新石器時代アナトリア系統との混合モデルにおいて、WHG系統はヌラーゲ期を通じて安定して17±2%のままと示されます。中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群では、たとえば後期青銅器時代のイベリア半島集団のような、顕著な草原地帯系統は検出されません。また、イラン新石器時代およびモロッコ新石器時代系統のどちらも、中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群には遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島個体群には、遺伝子流動の複数の証拠が見つかっています。サルデーニャ島の現代人集団は、ヌラーゲ文化期と比較して、遺伝的にはユーラシア西部・アフリカ北部集団により近縁です。これは、草原地帯系統の割合が現在のヨーロッパ本土集団より低いとはいえやや見られるようになり、地中海東部系統がかなり増加したためです。ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団には、複雑な遺伝子流動があった、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団における遺伝子流動を直接的に評価するため、17人の古代DNAが直接解析されました。新たな系統の流入という推定と一致して、ヌラーゲ文化期後にはmtHgの多様性が増加しました。たとえば、現在アフリカ全体では一般的であるものの、サルデーニャ島ではこれまで検出されていなかったmtHg- L2aです。YHgでも、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期まで見られず、現代人では15%ほど存在するR1b1a1b(R1b-M269)がカルタゴ期と中世で確認されます。また、カルタゴ期遺跡ではYHg-J1a2a1a2d2b(J1-L862)、中世個体ではYHg-E1b1b1a1b1(E1b-L618)が見られます。YHg-J1a2a1a2d2bはレヴァントの青銅器時代個体群で最初に出現し、サルデーニャ島の現代人では5%ほど見られます。

 これらを踏まえてモデル化すると、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期までほぼ新石器時代アナトリア系統とWHG系統で占められていたのが、ヌラーゲ文化期後には草原地帯系統と新石器時代イラン系統と新石器時代アフリカ北部(モロッコ)系統が加わります。草原地帯系統と新石器時代イラン系統はともに0~25%の範囲でモデル化されます。また、フェニキア期~カルタゴ期の遺跡の6人では、20~35%と高水準のアフリカ北部系統が推定されました。サルデーニャ島の現代人でも、わずかながら検出可能なアフリカ北部系統が見られます。しかし、このフェニキア期~カルタゴ期の遺跡から現代までの直接的連続性のモデルは却下されます。対照的に、ヌラーゲ文化期後の他の遺跡の個体は全員、サルデーニャ島現代人の単一の起源としてモデル化可能です。

 古代のサルデーニャ島個体群に最も近い現代人は、東部のオリアストラ県(Ogliastra)とヌーオロ県(Nuoro)の個体群です。興味深いことに、カルタゴ期のオリアストラ県の個体は、他の個体群と比較してオリアストラ県の個体群と遺伝的により近縁です。また、サルデーニャ島北東部の個体群はヨーロッパ本土南部集団により近く、サルデーニャ島南西部の個体群は地中海東部により近くなっています。これは、サルデーニャ島における地中海北部系統と地中海東部系統の地域間の混合の違いを反映している、と示唆します。

 このように、中期~後期新石器時代のサルデーニャ島個体群は、地中海西部の他のEEF集団と同様に、本土EEFとWHGの混合としてモデル化されます。この期間のサルデーニャ島の男性のYHgは大半がR1b1b(R1b-V88)とI2a1b1(I2-M223)で、両方ともバルカン半島の中石器時代狩猟採集民および新石器時代集団で最初に出現し、後にイベリア半島のEEF集団でも多数派ですが、新石器時代アナトリア半島もしくはWHG個体群では検出されていません。これらは、紀元前5500年頃にヨーロッパ地中海沿岸を西進した新石器時代集団からのかなりの遺伝子流動の結果と考えられます。ただ本論文は、中期新石器時代よりも前のサルデーニャ島やイタリア半島の常染色体の古代DNAが不足しているので、この遺伝子流動の時期と影響について、北方もしくは西方からのどちらが重要なのか確定的ではない、と注意を喚起しています。中期新石器時代のサルデーニャ島個体群のWHGの推定割合はそれ以前のヨーロッパ本土のEEF集団より高く、ヨーロッパ本土では混合の進展に伴いしだいにWHG系統の割合が増加することから、サルデーニャ島への遺伝子流動には時間差があったことを示唆しますが、最初の地域的な交雑の結果か、あるいは本土との継続的な遺伝子流動の結果だったかもしれません。この問題の解決には、サルデーニャ島の中石器時代および早期新石器時代個体群のゲノム規模データが必要となります。

 中石器時代から紀元前千年紀初めまで、サルデーニャ島への異なる系統の遺伝子流動の証拠は見られません。この遺伝的構造の安定性は、紀元前3000年頃以降、ユーラシア中央部草原地帯からかなりの遺伝子流動があったヨーロッパの他地域と、しだいにWHG系統が増加していったヨーロッパ本土の多くの早期新石器時代および銅器時代とは対照的です。上述のように、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、サルデーニャ島個体群ではWHGの割合が約17%で安定しています。イベリア半島の鐘状ビーカー(Bell Beaker)集団のように、遺伝的に類似した集団からの遺伝子流動の可能性は否定できませんが、草原地帯系統の欠如は、サルデーニャ島がヨーロッパ本土の多くの青銅器時代集団から遺伝的に孤立していたことを示唆します。また、現在ヨーロッパ西部において最も高頻度で、紀元前2500~紀元前2000年頃のブリテン島とイベリア半島への草原地帯系統の拡大と関連しているYHg- R1b1a1bが、ヌラーゲ期の紀元前1200~紀元前1000年頃まで見られないことも、中石器時代から紀元前千年紀初めまでのサルデーニャ島の遺伝的孤立の証拠となります。サルデーニャ島からの標本数が増加すれば、微妙な交雑を検出できるかもしれませんが、サルデーニャ島が青銅器時代ヨーロッパの大規模な遺伝子流動から孤立していた可能性は高そうです。考古学的記録からは、サルデーニャ島はこの期間に地中海の広範な交易網の一部に組み込まれていましたが、それが遺伝子流動と結びついていないか、類似した遺伝的構造の集団間のみで交易が行なわれていた、と考えられます。とくに、ヌラーゲ文化期は遺伝的構成の変化が検出されず、その石造建築の設計はミケーネなど東方集団からの流入によりもたらされた、という仮説に反します。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島では、地中海北部および東部からの遺伝子流動の証拠が見られます。フェニキアおよびカルタゴ期の遺跡で、最初に地中海東部系の出現が観察されます。地中海北部系統はそれよりも後に出現し、サルデーニャ島北西部の遺跡で確認されます。ヌラーゲ文化期後の個体の多くは、直接的な移民もしくはその子孫としてモデル化できますが、他の個体は在来のヌラーゲ文化期の系統をより高い割合で有します。全体的に、ヌラーゲ文化期後の系統の多様性は増加し、これは、イベリア半島(関連記事)やローマ(関連記事)やペリシテ人(関連記事)など、鉄器時代以後の地中海も対象にした詳細な古代DNA研究と整合的です。

 サルデーニャ島の現代人は、古代標本で観察された遺伝的変異内に収まり、同様のパターンは、鉄器時代に系統多様性が著しく増加し、その後は現在まで減少していくイベリア半島とイタリア半島中央部でも見られます。サルデーニャ島においては、東部のオリアストラ県とヌーオロ県の現代人ではヌラーゲ文化期後の新たな系統の割合が低く、他地域よりもEEFやWHG系統の割合が高くなっています。サルデーニャ島内を対象とした主成分分析は、オリアストラ県の個体群が比較的孤立していた可能性を示唆します。サルデーニャ島北部は、ヌラーゲ文化期後に地中海北部系統の影響をより強く受けた、と推測されます。これらの結果は、紀元前にフェニキア人およびカルタゴ人がおもにサルデーニャ島の南部および西部沿岸に居住し、コルシカ島からの移民はサルデーニャ島北部に居住した、とする歴史的記録と一致します。

 本論文は紀元前二千年紀後のサルデーニャ島における遺伝子流動を推測し、これはサルデーニャ島の遺伝的孤立を強調した以前の研究と矛盾しているように見えますが、他のヨーロッパ集団との比較では、サルデーニャ島が青銅器時代~ヌラーゲ文化期に孤立していたことは確認されます。また、ヌラーゲ文化期後の混合にしても、おもに草原地帯系統が比較的少ない集団に由来する、と推測されます。その結果、サルデーニャ島の現代人集団はヨーロッパの他地域と比較してひじょうに高い割合のEEF系統を有しており、アイスマンのような銅器時代ヨーロッパ本土の個体と高い遺伝的類似性を示します。高い割合のEEF系統を有する集団としてバスク人が知られており(関連記事)、サルデーニャ島集団との遺伝的関係が示唆されていました。本論文でも、現代バスク人と古代および現代のサルデーニャ島集団との類似性が示されました。サルデーニャ島集団もバスク人も異なる起源の移民の影響を受けているものの、共有されたEEF系統が地理的分離にも関わらず遺伝的類似性を示すのだろう、と本論文は推測しています。

 サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡の個体群では、アフリカ北部および地中海東部系統との強い遺伝的関係が示されました。これは、以前の古代DNA研究でも示されている(関連記事)、フェニキア人の地中海における拡散を反映していると考えられます。また、サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡でも、早期の方がアフリカ北部系統の割合は低く、アフリカ北部系統との交雑が後のカルタゴの拡大に特有だったか、異なる系統の到来だった可能性を示します。アフリカ北部系統の割合は、フェニキアおよびカルタゴ期よりも後では低下しており、サルデーニャ島も含むヨーロッパ南部のいくつかの集団における、低いものの明確に検出されるアフリカ北部系統の割合という観察と一致します。ローマでも、アフリカ北部系統の割合が帝政期以後に低下します(関連記事)。

 本論文は、古代DNA研究における古代と現代との遺伝的連続性および変容について、古代DNAの標本数の少なさと、現代(医学的な目的での遺伝情報収集)と古代では標本が異なるバイアスで収集されていることから、一般化に注意を喚起します。本論文はそれを踏まえたうえで、サルデーニャ島においては、中期新石器時代から後期青銅器時代まで、遺伝子流動が最低限か、遺伝的に類似した集団の継続の可能性が高いことを指摘します。ヌラーゲ文化期の始まりも、明確な遺伝子移入により特徴づけられません。鉄器時代以降のサルデーニャ島は、地中海の広範な地域と結びついていました。地中海西部を対象とした他の研究でも同様の結果が得られており、サルデーニャ島は新石器時代以降遺伝的に孤立してきた、という単純なモデルよりも実態は複雑だったことを示します。サルデーニャ島の現代人には地域的な違いも見られ、歴史的な孤立・移住・遺伝的浮動により、独特なアレル(対立遺伝子)頻度が生じた、と考えられます。この遺伝的歴史の解明は、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような、サルデーニャ島も含めて地中海全域の遺伝性疾患を理解するのに役立つでしょう。


参考文献:
Marcus JH. et al.(2020): Genetic history from the Middle Neolithic to present on the Mediterranean island of Sardinia. Nature Communications, 11, 939.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14523-6

新生児の代謝に影響を与える母親の腸内微生物

 母親の腸内微生物が新生児の代謝に影響を与えることを報告した研究(Kimura et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。バランスの取れた微生物叢は良好な健康状態と関連しており、微生物叢の異常や変化は、肥満・心疾患・糖尿病など複数の疾患および障害と関連しています。母親の微生物叢が乳児の健康に与える影響は充分立証されていますが、胎児の段階で母親の腸内微生物が子の微生物叢にどのように影響するのか、あまり明らかになっていません。

 この研究は、とくに細胞および腸内微生物と器官のシグナル伝達を刺激する微生物叢由来代謝物である短鎖脂肪酸(SCFA)に重点を置き、マウスモデルでこの問題を検証しました。その結果、妊娠している母親の腸内微生物によって作られた短鎖脂肪酸が、GPR41およびGPR43(脂肪細胞上のタンパク質受容体)の細胞シグナル伝達を介して子の神経細胞・腸細胞・膵臓細胞の分化を刺激する、と明らかになりました。この発達過程は子がバランスの取れたエネルギーレベルを維持するうえで有用であり、微生物を完全に欠損した母親の子は肥満や耐糖能障害などのメタボリックシンドロームに非常にかかりやすい、と明らかになりました。

 これらの知見からは、たとえば食事の変更を推奨するなど、母親の微生物叢を標的とすることで、子を将来の代謝疾患から守る予防戦略を提供できる可能性が示唆されます。またこの研究は、1つの特定のSCFA(プロピオン酸)が、子の代謝疾患発症予防において重要な役割を果たした、と明らかにしました。したがって、プロピオンの補給が、可能性のある治療経路となるかもしれませんが、妊娠中のこの方法の安全性と有効性はまだ決定されていない、とも指摘されています。


参考文献:
Kimura I. et al.(2020): Maternal gut microbiota in pregnancy influences offspring metabolic phenotype in mice. Science, 367, 6481, eaaw8429.
https://doi.org/10.1126/science.aaw8429

両生類に広く見られる生体蛍光

 両生類の生体蛍光に関する研究(Lamb, and Davis., 2020)が公表されました。これまでに生体蛍光(生物が光エネルギーを吸収して蛍光を発すること)が観察された両生類は、サンショウウオ1種とカエル3種だけでした。この研究は、32種の両生類のそれぞれ1~5個体に青色光と紫外光を当てて、これらの個体が発する光の波長を分光測定しました。その結果、研究対象の全ての両生類種が蛍光を発した、と明らかになりました。ただ、蛍光のパターンは種によって大きく異なっており、斑点・縞模様・骨の形などがあり、全身蛍光もありました。

 両生類は、緑色光や青色光に感受性のある桿体細胞が眼に含まれているため、生体蛍光により低光量下で互いの位置を特定している、と本論文は推測しています。生体蛍光により、両生類とその環境との間のコントラストが高くなり、他の両生類により容易に検出できるようになる、というわけです。両生類の生体蛍光は、他の生体蛍光性の生物種で観察されているように、隠蔽擬態(カムフラージュ)・捕食者擬態・配偶者選択に役立っている可能性があります。

 この研究は、生体蛍光の基盤となる機構として、皮膚・分泌物・骨の中に蛍光タンパク質と蛍光化合物が存在していることを挙げ、あるいは一部の両生類の色素胞(色素を有し、光を反射する細胞)の化学組成と構造的組成が関係している可能性を指摘しています。これらの知見は、現生両生類の祖先が生体蛍光能力を有しており、その結果、現生両生類の間に生体蛍光現象が広まったことを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


動物学:生体蛍光は両生類に広く見られるものかもしれない

 生体蛍光(生物が光エネルギーを吸収して蛍光を発すること)が、両生類(サンショウウオ、カエルなど)に広く見られるという見解を示す論文が、Scientific Reports に掲載される。これまでに生体蛍光が観察された両生類は、サンショウウオ(1種)とカエル(3種)だけだった。

 今回、Jennifer LambとMatthew Davisは、32種の両生類のそれぞれ1~5個体に青色光と紫外光を当てて、これらの個体が発する光の波長を分光測定した。その結果、研究対象の全ての両生類種がすべて蛍光を発したことが分かった。ただし、蛍光のパターンは、種によって大きく異なっており、斑点、縞模様、骨の形があり、全身蛍光もあった。

 両生類は、緑色光や青色光に感受性のある桿体細胞が眼に含まれているため、生体蛍光によって低光量下で互いの位置を特定しているとLambとDavisは考えている。生体蛍光によって、両生類とその環境との間のコントラストが高くなり、他の両生類によって容易に検出できるようになるのだ。両生類の生体蛍光は、他の生体蛍光性の生物種で観察されているように、隠蔽擬態(カムフラージュ)、捕食者擬態、配偶者選択に役立っている可能性がある。

 LambとDavisは、生体蛍光の基盤となる機構として、皮膚、分泌物、骨の中に蛍光タンパク質と蛍光化合物が存在していることを挙げ、あるいは一部の両生類の色素胞(色素を有し、光を反射する細胞)の化学組成と構造的組成が関係している可能性を指摘している。

 以上の知見は、現生両生類の祖先が蛍光を発する能力を有しており、その結果、現生両生類の間に生体蛍光現象が広まったことを示唆している。



参考文献:
Lamb JY, and Davis MP.(2020): Salamanders and other amphibians are aglow with biofluorescence. Scientific Reports, 10, 2821.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59528-9

山本博文『歴史をつかむ技法』第4刷

 新潮新書の一冊として、新潮社から2013年11月に刊行されました。第1刷の刊行は2013年10月です。本書は、歴史をどう理解するのか、専門家がその「技法」を一般向けに解説しています。専門家にとっては当然の常識でも、一般層はほとんど知らないというか理解していないことは、歴史学に限らずほとんどの分野で見られます。本書は、専門家がその大きな溝を埋めようとした試みと言えるでしょう。それが成功しているのかとなると、私の見識では判断が難しいのですが、本書からもう一歩先に進むための読書案内がない点は失敗のように思います。

 私も含めて一般層が何気なく使う歴史用語の由来や、そこにどのような問題が潜んでいるのか、といった問題も本書は取り上げていますが、これは一般層が気づきにくいだけに、有益な解説になっていると思います。また、歴史学を裁判に例えているのは、分かりやすくてよいのではないか、と思います。じっさい、歴史学と裁判との間には強い類似性があるのではないか、と非専門家の私も思います。歴史の法則をめぐる本書の解説も、一般層には分かりやすいのではないか、と思います。本書は、偶然に見える個々の歴史的事件にも、それぞれの時代に一貫した動因や要因がある、と指摘します。

 本書はそうした歴史学の基礎的な概念に関する抽象的な解説だけではなく、邪馬台国の頃から日露戦争の頃までの日本史の大きな流れも概説として提示しています。著者の専門は近世史なので、やや分量の多い古代史や中世史に関しては、専門家からは異論があるのではないか、と思います。ただ、高校までの日本史教育の後、とくに日本史を学ばず、関連する本もあまり読んでこなかったものの、日本史には興味があり再度学んでみたい、というような層にはこれでよいのではないか、と思います。たとえば、足利義昭が武田信玄や上杉謙信などを糾合して「信長包囲網」を作った、と本書は述べますが、武田信玄存命の頃は、織田信長と上杉謙信は友好関係にあったと思います。