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発毛促進の可能性があるビャクダン

2018/09/19 17:01
 ビャクダンが発毛を促進する可能性を報告した研究(Chéret et al., 2018)が公表されました。におい分子が鼻の特殊な細胞の表面にある嗅覚受容体により認識されると、においを感じるようになります。しかし、嗅覚受容体は体内の別の細胞にも発現しており、嗅覚以外の細胞機能を調節しています。この研究は、毛包上皮、とくに外毛根鞘に、嗅覚受容体OR2AT4が発現していることを明らかにしました。また、ヒトの頭皮組織外植片をサンダルウッド(ビャクダン)系合成香料で処理すると、毛包の角化細胞の細胞死が減り、外毛根鞘のタンパク質(インスリン様増殖因子1)の産生が増えることによって発毛が促進されることも明らかになりました。この研究は、脱毛の治療法を開発する上で、嗅覚受容体が標的となる可能性を指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【細胞生物学】ビャクダンは発毛を促進する可能性がある

 このほど実験室環境でヒトの頭皮組織を用いた実験で、サンダルウッド(ビャクダン)系合成香料によって発毛が促進されることを明らかにした論文が、今週掲載される。

 におい分子が鼻の特殊な細胞の表面にある嗅覚受容体によって認識されると、においを感じるようになる。しかし、嗅覚受容体は体内の別の細胞にも発現しており、嗅覚以外の細胞機能を調節している。

 今回、Ralf Pausたちの研究グループは、毛包上皮、特に外毛根鞘に嗅覚受容体OR2AT4が発現していることを見いだした。また、ヒトの頭皮組織外植片をサンダルウッド系合成香料で処理すると、毛包の角化細胞の細胞死が減り、外毛根鞘のタンパク質(インスリン様増殖因子1)の産生が増えることによって、発毛が促進されることを実証した。

 Pausたちは、脱毛の治療法を開発する上で、嗅覚受容体が標的となる可能性があると考えている



参考文献:
Chéret J. et al.(2018): Olfactory receptor OR2AT4 regulates human hair growth. Nature Communications, 9, 3624.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-05973-0
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妊娠中の母親のストレスによる仔への影響

2018/09/18 16:56
 妊娠中の母親のストレスによる仔への影響に関する研究(Jašarević et al., 2018)が公表されました。母体の膣液中に存在する微生物は、出生時に仔マウスの腸内に定着し、この腸内微生物叢(マイクロバイオーム)の組成が、その後に受けるストレスに対する仔の脳の応答に影響を及ぼします。マウスの場合には、出産前のストレスが母親の膣内微生物相を変化させ、雄の仔の出生後の脳機能に影響を及ぼすと知られていますが、この影響が微生物叢の変化の結果なのかどうか、明確になっていません。

 この研究は、ストレスを受けた妊娠マウスとストレスを受けていない妊娠マウスの膣液中の微生物を、帝王切開で生まれた直後の雄のマウス(出生前ストレスを受けたものと受けていないものの両方)に移植しました。その結果、子宮内でストレスにさらされた仔マウスとストレスを受けた母親の微生物相に出生時にさらされた仔マウスは、体重・腸内微生物相・ストレスホルモン濃度について、他のマウスと差がある、と明らかになりました。この研究は、これら影響の一部が、ストレスを受けていない雄の新生仔マウスに、ストレスを受けた母親の膣内微生物を移植することで再現できる、と明らかにしました。

 これに対して、ストレスを受けていない母親に由来する微生物を移植しても、子宮内でストレスにさらされた仔に生じた影響を解消できませんでした。このマウスの研究で得られた知見は、母親が妊娠中に受けたストレスが、出生前の仔に直接的に影響を及ぼすとともに、母親の膣内微生物相の変化により間接的に影響を及ぼすことも示しています。ヒトの場合、妊娠中の母親がストレスを受けることは、子の精神疾患のリスク因子ですが、このリスクが膣内微生物叢による影響なのか、明らかではありません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


妊娠中にストレスを受けた母マウスから仔に影響が及ぶ過程における母の膣内微生物の位置付け

 帝王切開で生まれた雄の新生仔マウスが、ストレスを受けた雌のマウスの膣内微生物にさらされた場合に、母親の体内でストレスを受けた雄の仔マウスに見られる生理状態の変化に一部類似した変化が観察されたことを報告する論文が、今週掲載される。この研究知見は、母体のストレスが発生に与える影響に関する理解の進展に道を開く可能性がある。

 母体の膣液中に存在する微生物は、出生時に仔マウスの腸内に定着し、この腸内マイクロバイオームの組成が、その後に受けるストレスに対する仔の脳の応答に影響を及ぼす。マウスの場合には、出産前のストレスが母親の膣内微生物相を変化させ、雄の仔の出生後の脳機能に影響を及ぼすことが知られているが、この影響が微生物叢の変化の結果なのかどうかは明確になっていない。

 今回、Tracy Baleたちの研究グループは、ストレスを受けた妊娠マウスとストレスを受けていない妊娠マウスの膣液中の微生物を、帝王切開で生まれた直後の雄のマウス(出生前ストレスを受けたものと受けていないものの両方)に移植した。その結果、子宮内でストレスにさらされた仔マウスとストレスを受けた母親の微生物相に出生時にさらされた仔マウスは、体重、腸内微生物相、ストレスホルモン濃度について、他のマウスと差があることが分かった。Baleたちは、この影響の一部が、ストレスを受けていない雄の新生仔マウスの雄にストレスを受けた母親の膣内微生物を移植することで再現できることを明らかにした。これに対して、ストレスを受けていない母親に由来する微生物を移植しても、子宮内でストレスにさらされた仔に生じた影響を解消できなかった。このマウスの研究で得られた知見は、母親が妊娠中に受けたストレスが、出生前の仔に直接的に影響を及ぼすとともに、母親の膣内微生物相の変化によって間接的に影響を及ぼすことも示している。ヒトの場合、妊娠中の母親がストレスを受けることは、子の精神疾患のリスク因子だが、このリスクが膣内微生物叢による影響なのかは明らかでない。



参考文献:
Jašarević E. et al.(2018): The maternal vaginal microbiome partially mediates the effects of prenatal stress on offspring gut and hypothalamus. Nature Neuroscience, 21, 8, 1061–1071.
https://doi.org/10.1038/s41593-018-0182-5
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人類の初期の出アフリカ

2018/09/17 11:22
 人類の出アフリカというと、現生人類(Homo sapiens)への関心が高そうですが、現生人類出現前に人類はアフリカから東南アジアにまで広範に拡散しており、人類の最初の出アフリカも注目されます。じゅうらい、人類の出アフリカは100万年前頃以降との見解が有力でしたが、その頃より、東南・東アジアにおける100万年以上前のホモ属の存在が主張されていました。この問題に関して大きな転機となったのは、ジョージア(グルジア)にあるドマニシ(Dmanisi)遺跡での、185万年前近くまでさかのぼるホモ属の痕跡だと思います(関連記事)。これにより、人類は遅くとも185万年前頃までにはアフリカからユーラシアへと拡散していたことが確定しました。

 次に問題となるのは、最初にアフリカからユーラシアへと拡散した人類はどの系統だったのか、ということです。人類の出アフリカは100万年前頃以降との見解が有力だった頃は、現代人よりも少ないとはいえ脳容量が増大し、首から下は現代人とさほど変わらなくなった、「真のホモ属」が初めてアフリカからユーラシアへと拡散した、と考えられていました。「真のホモ属」とは、広義のエレクトス(Homo erectus)およびその子孫系統の人類のことです。なお、アフリカの初期の「真のホモ属」を別種エルガスター(Homo ergaster)と分類する見解もあります。出アフリカのような「偉業」は、現代人並に長距離歩行能力が高くなり、現代人ほどではなくとも、一定以上、少なくともアウストラロピテクス属よりも「賢く」ないと無理だ、というわけです。

 しかし、ドマニシ遺跡の人類にはアウストラロピテクス属的な祖先的特徴と、ホモ属的な派生的特徴とが混在しており、その脳容量は546〜780㎤程度で、「真のホモ属」と分類するのに躊躇する見解があるのも不思議ではありません。ドマニシ人をホモ属の新種ジョルジクス(Homo georgicus)と分類する見解もあります。「真のホモ属」ではなくとも出アフリカは可能だったのではないか、というわけです。一方、「真のホモ属」が150万年以上前にアフリカから広範に拡散していた証拠も蓄積されつつあり、東南アジアではエレクトスと分類されるジャワ島の化石の年代が166万〜157万年前頃までさかのぼり(関連記事)、東アジアでは中華人民共和国陝西省藍田県で165万〜163万年前頃のエレクトスと分類される化石が発見されています(関連記事)。また、中国の河北省では、170万〜160万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。

 これらの知見からは、「真のホモ属」やそうではない祖先的特徴の強いホモ属が、190万年前頃以降にアフリカからユーラシアへと拡散した、と考えられます。しかし今年(2018年)になって、陝西省藍田県で212万〜126万年前頃のほぼ連続した地層で石器が発見され、アフリカからユーラシアへの人類の拡散はさらにさかのぼる可能性が指摘されています(関連記事)。この212万年前頃までさかのぼる陝西省藍田県の石器群は、確実な人類の痕跡では近隣どころかユーラシアに近い年代のものがなく、現時点ではほぼ完全に孤立しています。どのような系統の人類が担い手なのか、どのようにアフリカから拡散してきたのか、不明というわけです。注目されるのは、同じ中国でもかなり離れているものの、重慶市巫山県竜骨坡(Longgupo)遺跡で、200万年以上前と推定される石器らしきものが発見されていることです(関連記事)。220万年前頃、あるいはもっと前より、アフリカからユーラシアへと人類が拡散した可能性には注目すべきでしょう。

 問題となるのは、そうだとして、どの系統の人類が最初にアフリカからユーラシアへと拡散したのか、ということです。すでに、ドマニシ遺跡の事例から、「真のホモ属」ではなくとも出アフリカが可能なことは示されていますし、220万年前頃にすでに「真のホモ属」が出現していた可能性は、無視してよいほどではないものの、かなり低いとは思います。その意味で、「真のホモ属」ではない系統が人類史上最初にアフリカからユーラシアへと拡散した可能性が高そうです。アフリカには230万年前頃にはホモ属的な人類が存在しており、一応ハビリス(Homo habilis)と分類されてはいるものの、アウストラロピテクス属と区分する見解もあるなど分類については一致せず、さらには、280万〜275万年前頃までさかのぼるホモ属的な特徴を有する化石もエチオピアで発見されました(関連記事)。

 おそらく、アフリカでは300万年前頃かそのもう少し前以降にホモ属的な特徴が出現し始め、アウストラロピテクス属的な祖先的特徴とホモ属的な派生的特徴との混在するハビリス的な人類系統が出現し、分岐・交雑などの複雑な過程を経て、200万〜190万年前頃に「真のホモ属」が出現したのだと思います。もっとも、「真のホモ属」の出現以降も、ハビリス的な人類系統は存在し続けました(関連記事)。300万〜200万年前頃、おそらくは250万年前頃以降に、すでに石器を用いていたハビリス的な人類系統(複数かもしれません)が、アフリカからユーラシアへと拡散したのでしょう。アフリカからユーラシアへと200万年以上前に拡散したハビリス的な人類系統は、現代人の主要な祖先系統ではなさそうですが、あるいはわずかに現代人に遺伝的影響を及ぼしているかもしれません。
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西アジアの没落

2018/09/17 11:19
 当ブログでは「発展」や「先進的」といった言葉を安易に用いないように心がけているつもりなのですが、以前からの思いつきを文章にするうえで便利なので、今回はあえて使います。題名を忘れましたが、以前図書館で少し読んだグローバルヒストリー系の本が、人類史においては基本的にユーラシア西部が優位で、ユーラシア東部の優位は10世紀〜16世紀の間くらいだった、と主張していました(正確には覚えていませんが)。ユーラシア東部とはいっても、実質的には東アジア、もっと限定的に言えば「中国」だったように記憶しています。

 確かに、絹や紙や火薬など、ユーラシア東部から西部への影響は少なからずありますし、ルネッサンスや近世ヨーロッパに東アジアというか「中国」が影響を与えたとの見解もあり、それはかなりの程度妥当なのでしょう。しかし結局のところ、総合的に見てそうした影響は限定的で、ユーラシア西部から東部への影響の方がその逆より圧倒的に強く、それは、人類史において基本的には、ユーラシア西部の方が東部より優位で先進的だったからなのでしょう。ユーラシア東部世界が西部世界に与えた最大の影響はおそらくモンゴル帝国の拡大で、これは人類史上では例外的と言えるかもしれません。

 更新世においても、少なくとも現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界への拡散以降、石器技術や象徴的表現において、ユーラシア西部の方が東部よりずっと先進的だった、と評価するのは妥当なところでしょう。もちろん、数万年後に痕跡の確認できる要素だけでの評価に危ういところがあるのは否定できませんし、今後新たな発見もあるでしょうが、この評価が覆る可能性はきわめて低いと思います。さらに言えば、現生人類の拡散前においても、石器技術の点でユーラシア西部は東部よりも先進的でした。これは、道具に用いる材料の違いも指摘されていますが、人口密度の違い(東部よりも西部の方が高い)に起因するのかもしれません。

 完新世になって、農耕と牧畜も西アジアの方が東アジアよりも早く始まっているのですが、おそらく農耕と牧畜は、世界の複数の地域で独自に始まった可能性が高いと思います(関連記事)。都市・金属器・文字の使用も東アジアより西アジアの方が早く、文字は東アジアで独自に開発された可能性が高そうではあるものの、金属器は西アジアの影響を受けた可能性が高いでしょう。農耕と都市の成立以降も、コムギやヒツジやスイギュウなど、西アジアをはじめとして西方からの新たな作物・家畜が中国社会に大きな影響を与えた可能性が指摘されています(関連記事)。仏教もそうですが、中国をはじめとして東アジア世界は、より先進的な西アジアを中心としてユーラシアの西方世界から多大な影響を受けて成立した、と考えるべきでしょう。

 近年、中国では伝統文化たる儒教の復権が目立つようですが、中国の経済・軍事・政治力が増大したとしても、儒教が広範な影響力を及ぼすのは難しいでしょう。儒教はリアルな人間関係に基づく教義しか有さない中原の土俗的な論理で、仏教の広汎さ・精妙さ・深奥さには及びもつかず、ある程度以上の普遍性はあっても、キリスト教・イスラム教・仏教には遠く及ばないからです(関連記事)。普遍性では、儒教よりも中世前期日本の神国思想の方が上回っているのではないか、とさえ思えます(関連記事)。

 近世、さらには近代になって、ユーラシア西部の一地域であるヨーロッパの優位が決定的となり、ユーラシア東部は大きな影響を受けます。このように、人類史において基本的にはユーラシア西部が東部よりも優位・先進的だったのですが、その例外だったかもしれない期間が、上述したように10世紀〜16世紀です。この前後で、ユーラシア東部、もっと限定して東アジア、さらに限定して中国にたいして優位に立っていたユーラシア西部世界の地域が、西アジアからヨーロッパに変わっています。つまり、相対的に見れば、10世紀頃にかけて東アジアが台頭するとともに、西アジアが没落し、ユーラシア西部世界では、中世から近世にかけて相対的にヨーロッパが台頭したわけです。

 東アジアの台頭と西アジアの没落は、江南の経済成長といった要素も大きかったのかもしれませんが、西アジア自体の停滞・衰退といった側面もあるかもしれません。これに関してよく言われるのは、古くから栄えた西アジアでは環境破壊が進み、経済が停滞した、という見解です。ヨーロッパでも中世には開発と環境破壊が進んだものの、アメリカ大陸を征服したことで没落を免れ、東アジアでは江南などの「フロンティア」で開発が進んで経済が成長したので、古くから栄えていたので「フロンティア」がほぼ消滅していた西アジアは相対的に没落していった、というわけです。

 私は、西アジアの相対的没落はイスラム教の拡大と関連しているのではないか、と考えているのですが、思いつきにすぎないことは否定できません。イスラム教には技術革新や経済成長を妨げる要素が少なからずあるのではないか、というわけです。こんなことを言うと、イスラム教世界は先進的だったと指摘されそうですが、それはイスラム教に先進的要素があるというよりは、単にイスラム教の征服した地域が当時先進的だったにすぎないと思います。イスラム教には、技術革新や学術など広く文化の発展という点では阻害要因になる場合が多く、それは儒教にも通ずるものがあると思います。しかし、社会を維持するうえでイスラム教や儒教が有効なのは否定できません。とくに、現代の先進諸国の規範となっている「政治的正しさ」と比較すると、社会の維持においてイスラム教や儒教がずっと有効だと私は確信しています。

 前置きが長くなったというか、ほぼ前置きになってしまいましたが、以下が本題というか言いたかったことです。西アジアの没落に関しては、環境破壊の一例ともなりそうですが、青木健『アーリア人』にて興味深い見解が提示されています(関連記事)。同書では、サーサーン王朝下では、メソポタミア平原〜イラン高原の中間地帯で集中的な開墾が始まり、紀元前3000年から続くメソポタミア平原の長い歴史のなかでも、サーサーン王朝の時代が農業生産力の最盛期だった、と評価されています。しかし、6世紀からメソポタミア平原の土壌は疲弊していき、7世紀前半にサーサーン王朝がビザンティン帝国(東ローマ帝国)相手に戦争を仕掛けると、その最中の628年にティグリス河で大氾濫が発生してメソポタミア平原の灌漑設備は破壊され、農業生産力は凋落の一途をたどります。これ以降現在にいたるまで、メソポタミア平原の灌漑設備は再建されず、西アジアの経済は衰退していった、と同書は指摘しています。

 同書の評価が的確なのか、私の見識では判断の難しいところですが、西アジアの相対的没落の一因が628年のティグリス河大氾濫だったと考えると、その後の人類史の展開を整合的に解釈できるように思えます。なお同書では、サーサーン王朝は(統一時代の)ローマ帝国やビザンティン帝国や唐と並び立つ超大国ではなく、メソポタミア平原からの税収とイラン高原からの軍事力に依拠する脆弱な国家だったので、ビザンティン帝国との戦いには無理があり、ティグリス河での大氾濫による灌漑設備の破壊で実質的に滅亡した、と指摘されています。
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大河ドラマ『西郷どん』第35回「戦の鬼」

2018/09/16 20:46
 徳川(一橋)慶喜の大政奉還をめぐって、慶喜は本心では政権を返上するつもりはなく、断固として討つべし、と主張する西郷吉之助(隆盛)と、それは内戦になるとして反対する坂本龍馬とは激しく対立し、決別します。慶喜は、公家に政権を運営できるはずがないとして、依然として自分が政権を把握し続けるつもりでした。作中世界では、慶喜との関係が深い吉之助の方が慶喜の真意を見抜いていた、という話になっています。まあ、幕末に詳しい人からすると、この時期の吉之助と龍馬の間に深刻な政治構想の対立を想定することは問題なのかもしれませんが、吉之助と慶喜との関係が前半から描かれてきたことを活かした展開になっており、娯楽ドラマとしては有だと思います。吉之助は挙兵準備のため薩摩に帰り、島津久光・茂久(忠義)父子を説得した後、京都に戻ります。吉之助はそこで、坂本龍馬と中岡慎太郎が殺されたことを知ります。吉之助は龍馬の死にも自分の信念を曲げることなく、幕府を挑発して討幕に動くべく工作を指示します。

 一方で吉之助と大久保一蔵(正助、利通)は朝廷工作も進め、岩倉具視の助力も得て王政復古の大号令まで事態は進みます。続いて、小御所会議で吉之助と一蔵は岩倉の助力を得て慶喜を完全に追放しようとしますが、山内容堂や松平春嶽、さらには公家衆の多くも慶喜の完全追放には抵抗します。吉之助が御所の前に立っていることを知った松平容保と松平定敬は、吉之助を撃って殺すよう慶喜に進言しますが、自分は朝敵になりたくない、と慶喜は拒絶します。小御所会議が自分たちの思うように進んでいないことを知った吉之助は、容堂の前でわざと脅迫するようなことを一蔵に言います。容堂は沈黙し、慶喜は新政府から排除されることになります。京都から大坂へと退去した慶喜は、江戸での薩摩藩の挑発に憤る松平容保を抑え、薩摩藩の挑発に乗らないようにしますが、制御しきれず、ついに新政府軍と旧幕府軍との戦いが始まります。吉之助は薩摩藩の兵の前で、慶喜の首を取るのが目的だ、と力強く宣言します。これまで戦いを避けてきた吉之助が好戦的になったことに弟の信吾(従道)は戸惑い、吉之助を問い質しますが、吉之助は動じず、日本を異国に売り払おうとする慶喜を討つしかない、と弟に告げます。

 今回は大政奉還の直後から鳥羽伏見の戦いの直前という、幕末の大激動期が描かれ、さすがに前回と比較すると丁寧だったと思います。戦いを避けることに命をかけることさえあった吉之助が、話のうえでは短期間で戦いも謀略も厭わなくなったことに戸惑う視聴者は少なくないかもしれませんが、信吾の台詞はそれを予想・意識したものだったように思います。一応、安政の大獄以前から、吉之助と慶喜の関わりの深さや、慶喜が本質的には頼りにならない人物であることは描かれていたので、慶喜の本質を見抜いている吉之助が、日本を異国に売ろうとする慶喜を絶対に許せないと考えるのは、そこまで不自然ではないかな、と思います。少なくとも、吉之助と慶喜の関係は、娯楽歴史ドラマとしてわりとよく描けているのではないか、と思います。吉之助が、すでに多少なりとも面識のある勝安房守(麟太郎、海舟)や、もっと深い縁で結ばれている天璋院(於一、篤姫)との関わりのなかで、どう慶喜を許す(とはいっても、殺さないだけで蟄居に追い込むわけですが)のか、注目されます。
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本村凌二『教養としての「ローマ史」の読み方』第3刷

2018/09/16 05:53
 2018年5月にPHP研究所より刊行されました。第1刷の刊行は2018年3月です。本書は王政期から滅亡へといたるローマ史を時系列で語りつつ、通史というよりは、王政期から滅亡までのローマの歴史を規定した要因を探るという、問題史としての性格を強く打ち出しています。初期ローマであれば、同じ地中海地域の都市国家として始まりながら、なぜローマとギリシアは異なる政治体制を選択したのか、といった問題です。著者の他の著書を読んでいれば、目新しい点はあまりないかもしれませんが、相変わらず読みやすく、ローマの歴史的展開の背景に関する考察は興味深いものですし、ローマ史の復習にもなります。楽しく読み進められました。

 民主政に進んだギリシア(アテネ)と、共和政に進んだローマの違いは、構成員たる市民間の格差が比較的少なく平等だったギリシア(もちろん奴隷はおり、居住民の間の格差は大きかったわけですが)と、当初より格差の存在したローマという、社会構造の違いが大きかったのではないか、と指摘されています。本書は、ギリシアを「村落社会」、ローマを「氏族社会」と呼んでいます。ローマが大国になれてギリシア(アテネ)が大国になれなかった理由としては、ギリシアが独裁・貴族政・民主政という政体の三要素のどこかに偏り過ぎたのにたいして、ローマは共和政のなかに独裁(二人の執政官、時として独裁官)・貴族政(元老院)・民主政(民会)の要素をバランスよく含んでいたからだ、と指摘されています。

 また、ローマが大国になれた要因として、「公」への意識、つまり祖国ローマへの強い帰属意識があったことも重視されています。貴族層では「父祖の遺風」、平民層では「敬虔なる信仰心」がその背景にあった、と本書は指摘します。ローマ市民は、同時代の他地域の人々からは、敬虔だと思われていました。このような意識に基づき、何度も負けては立ち上がり、他国を征服していった共和政期ローマを、「共和政ファシズム」と呼んでいます。

 500年にわたって共和政を維持してきたローマが帝政へと移行した背景として本書が重視するのは、ローマ市民の意識の変容です。支配地が増え、平民は重い軍役で没落する一方、元老院を構成する貴族層は征服地の拡大により富裕になっていき、貧富の差が拡大します。この階級闘争的な過程で、「公」よりも自己愛・身内愛といった「個」を優先する意識が強くなっていきます。それと同時に、ローマにおいて以前から存在した、有力者によるより下層の人々の保護という、保護者(パトロヌス)と被保護者(クリエンテス)との関係が拡大・強化されていきます。これが、ポエニ戦争後100年以上にわたる内乱の一世紀およびその後の帝政の基盤になった、と本書は指摘します。この保護者と被保護者の関係が、最終的には頂点に立つ一人の人物たる皇帝に収斂される、というわけです。

 帝政期も当初は暴君がたびたび出現して混乱しますが、いわゆる五賢帝の時代には安定し、ローマの領土も最大となります。本書は、プラトンが唱えた「賢者による独裁」という理想に最も近い事例として、この五賢帝を挙げています。五賢帝の時代が終焉し、セウェルス朝を経てローマは軍人皇帝時代を迎えます。しかし本書は、軍人皇帝時代は単なる混乱期ではなく、分割統治・皇帝直属の機動軍の創設といった改革が模索され、進んだ時期とも把握し、在位期間が短く多くが殺害された皇帝たちのなかで、ウァレリアヌスとガリエス父子やアウレリアヌスのように、高く評価されるべき皇帝がいたことも指摘しています。本書は軍人皇帝時代の特徴として、支配層が変容していったことも指摘しています。ローマの支配層は当初、古くから続く元老院貴族でした。内乱の一世紀〜帝政初期にかけて、イタリアの新興貴族層が台頭し、帝政の支持基盤となります。軍人皇帝時代には、それまでの文人的な元老院貴族から武人層へと政治的主導権が移っていった、というのが本書の見通しです。軍人皇帝時代の諸改革の延長戦上に、ディオクレティアヌスによる安定があったのでしょう。

 軍人皇帝時代を経て専制君主政期になると、ローマ帝国においてキリスト教が確固たる基盤を築き、やがて現在のような大宗教にまで拡大します。本書はローマ帝国においてキリスト教が普及した理由として、社会下層からじょじょに広がったというよりも、皇帝による保護の方が大きかったのではないか、と指摘しています。キリスト教が国教化されてすぐ、ローマ帝国は分割され、二度と再統一されることはありませんでした。西ローマが分割後100年も経たずに滅亡したのにたいして、東ローマが1000年以上続いた理由として、西ローマでは都市が衰退していたのにたいして、東ローマでは都市が衰退していなかったからだ、と本書は指摘します。東ローマは西ローマよりも経済状況がよかったから長期にわたって存続したのだ、というわけです。

 このように、ローマ帝国は東西に分裂したと言われますが、本書はもっと長い視点でローマ帝国の分裂を把握しています。ローマ帝国は、オリエント・ギリシア・ラテンという三つの世界を統合しました。ローマ帝国の分裂後、これらの地域は最終的に、イスラム教・ギリシア正教・カトリックに分裂していきます。ローマ帝国の統合前と分裂後の各地域はおおむね対応しているのではないか、というわけです。本書はその要因として、言語の違いを挙げています。オリエント世界のセム語系・ギリシア世界のギリシア語・ラテン世界のラテン語および後に加わったゲルマン語です。

 ローマ帝国の滅亡に関して、本書は単なる衰亡ではなく、三つの側面から把握しています。一つは伝統的な史観とも言える経済的衰退で、社会資本が劣化していきます。本書はその背景として、奴隷制社会では奴隷に面倒なことをやらせるので、技術革新・経済成長への動機が乏しくなりがちであることを挙げています。次に、こちらも伝統的な史観と親和的と言える、国家の衰退です。本書はこの過程を、皇帝権力の低下→異民族の侵入→軍隊の強化→徴税強化による皇帝権力の低下という悪循環で把握しています。最後に、文明の変質です。本書はこれを、人々の意識が共同体から個人へと変容し、弱者を切り捨てるような平等な個人間の関係から、強者による弱者の保護を前提とする社会への変容と把握しています。本書はローマ帝国の分裂・滅亡を、単なる衰退ではなく、人々が異なる価値観を受け入れて時代に対応していった、古代末期という概念で把握すべきではないか、と提言しています。
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さかのぼるマダガスカル島における人類の痕跡

2018/09/15 11:29
 マダガスカル島における人類の痕跡は有力説よりさかのぼるかもしれない、と指摘した研究(Hansford et al., 2018)が報道されました。これまで、マダガスカル島への人類の到達は後期更新世になってからで、遅くとも2500年前までにはさかのぼる、とされていました。2400年以上前のキツネザルの骨には人為的な屠殺の痕跡が見られ、北部で発見された少数の細石器は4000年以上前と推定されています。ただ、アフリカ南部および東部のものと形態が類似したこれらの細石器の年代に関しては、直接的ではないことと、光刺激ルミネッセンス法(OSL)と放射性炭素測定法との間で年代が一致しない場合もあることから、確定的ではないとされています。マダガスカル島における人類の定住の考古学的証拠は1300年前から継続し、海岸の大半の居住は900年前から確認されています。考古学・遺伝学・言語学的データはすべて、マダガスカル島の住民は基本的にオーストロネシア人とアフリカ東部の人類集団に起源がある、と示しています(関連記事)。

 マダガスカル島における後期完新世人類到達説は、大型動物の絶滅の関連でも支持されています。完新世のマダガスカル島にはかつて、巨大キツネザル・カバ・ゾウガメ・巨大鳥などの大型動物が存在していましたが、体重10kg以上の動物は絶滅しました。これら大型動物の絶滅年代はすべて、2400〜500年前頃と推定されており、人類の関与が想定されています。おそらく、マダガスカル島における大型動物の絶滅要因として、(卵の採集も含めて)狩猟など人類の活動の影響は大きかったと推測されますが、その程度について詳細は不明で、環境変動との関連も想定されます。また、湖底堆積物コアからは、マダガスカル島において後期完新世にかなりの生態系の変化が示唆されており、これも後期完新世人類到達説と整合的と言えるかもしれません。

 しかし本論文は、マダガスカル島の2ヶ所の地点で発見された、死亡前後の骨に加撃痕(chop mark)や解体痕(cut mark)や陥没骨折(depression fractures)といった人為的痕跡の見られる大型鳥の放射性炭素測定法による較正年代を報告し、後期完新世人類到達説に疑問を呈しています。対象となったのは、一方の場所で10721〜10511年前のエピオルニス(Aepyornis maximus)で、もう一方の場所では6415〜6282年前となる同じ科の別の大型鳥(Mullerornis sp.)です。マダガスカル島における人類の痕跡は、じゅうらいの有力説よりも、少なくとも6000年以上さかのぼることになります。

 本論文は、マダガスカル島における人類の到達が初期完新世となる1万年前頃までさかのぼるとすれば、人類と後に絶滅した大型動物との共存期間がじゅうらいの想定よりもずっと長くなる、と指摘します。じゅうらいは、たとえば人類の最初の到達から150年以内に絶滅したと推測されているニュージーランドのモアのように、マダガスカル島でも、人類の到達から比較的短い期間で大型動物が絶滅し、それは人類の関与が要因だった、と考えられていました。しかし、マダガスカル島における人類の居住が1万年以上前までさかのぼり、かりに居住が継続的だったとしたら、大型動物絶滅の様相は異なったものだった可能性があります。完新世のほとんどの期間で、絶滅した大型動物にたいして、人類はさほど悪影響を及ぼしていなかったことになるわけです。

 一方、マダガスカル島に1万年以上前から人類が存在したとすれば、なぜその痕跡がこれまで確認されなかったのか、また初期完新世の人類はどこから来て、マダガスカル島や他地域の現代の人々とどのような関係があるのか、またはないのか、といった新たな問題が生じます。本論文は、マダガスカル島において前期完新世の人類の痕跡が考古学的に検出されてこなかった要因として、マダガスカル島の考古学的調査が開地遺跡に比較的集中しており、前期完新世の堆積層は稀にしか検証されてこなかったので、前期完新世の人類の存在が見逃されてきた可能性を指摘しています。また本論文は、前期完新世のマダガスカル島の人類はモザンビーク海峡を横断した短期間の移住民なので、考古学的痕跡が発見されにくい、という可能性も提示しています。これらの問題の解明には、今後の発掘調査を俟たねばならないのでしょう。

 マダガスカル島の初期完新世の人類の起源も不明です。かりに、上述した短期間滞在説が妥当だとすると、アフリカ東部説が正しそうですが、人類遺骸の発見は期待できそうにないだけに、石器など遺物の発見と分析・比較が解明の手がかりになりそうです。かりに、マダガスカル島において初期完新世からかなりの期間継続的に人類の居住があったとすると、その起源はアフリカ東部である可能性が高そうではあるものの、マダガスカル島や他地域の現代の人々とどのような関係があるのか、またはないのか、といった問題も注目されます。

 現時点では、遺伝学的研究からは、マダガスカル島の住民に初期完新世に移住してきた人類の影響が残っている、との知見は得られていませんが、あるいは今後、こうした観点から検証が進めば、マダガスカル島において、初期完新世人類集団が現代人に遺伝的影響を及ぼしている可能性も、指摘されるようになるのかもしれません。もちろん、マダガスカル島の初期完新世人類集団が、ある程度の期間マダガスカル島に継続して居住したとしても、どこかの時点で絶滅したか、アフリカ東部やその他の地域に移住した可能性も考えられます。マダガスカル島の人類史は今後大きく修正されるかもしれず、研究の進展が注目されます。


参考文献:
Hansford J. et al.(2018): Early Holocene human presence in Madagascar evidenced by exploitation of avian megafauna. Science Advances, 4, 9, eaat6925.
http://doi.org/10.1126/sciadv.aat6925
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プラスチック汚染によるウミガメへの影響

2018/09/14 16:43
 プラスチック汚染によるウミガメへの影響に関する研究(Wilcox et al., 2018)が公表されました。この研究は、ウミガメの剖検246例と、座礁データベースに登録された剖検記録706件のデータを調べました。その結果、幼若個体は成体よりもプラスチック摂取量が多く、消化管に残存するプラスチックの量は死因により異なる、と明らかになりました。プラスチック摂取量は、死因不明の場合が最も少なく、それに次いで少ない死因は、プラスチック関連でなかった場合(船との衝突や溺死など)でした。一方、プラスチック摂取量が最多だったのは、プラスチック摂取が死因の場合でした。246の剖検例のうち、体内にプラスチックが見つかったのは、幼若個体で23%、孵化個体で54%なのにたいして、亜成体では15%、成体では16%でした。また、体内に見つかったプラスチックの数量は1〜329個と幅があり、重量は最大10.41グラムでした。

 以上の知見から、採餌場所と生活史の段階がウミガメの死亡リスクに影響を及ぼす可能性が示唆されています。若齢個体は海流に乗って海を漂い、沿岸海域の海面に近い所で餌を得る傾向があり、そうした場所の方が、ウミガメの消化管に蓄積したり消化管穿孔を引き起こしたりする恐れのあるプラスチック製品で汚染されている可能性が高い、というわけです。この研究は、ウミガメのプラスチック摂取量と死亡リスクの関係のモデルとして、ウミガメの甲羅の長さおよび年齢に関して、プラスチックの摂取数量を考慮に入れたモデルが最良である、と見いだしました。この研究が作成したモデルは、世界的に特に沿岸海域で減少しつつあるウミガメの個体数にたいして、プラスチック汚染がもたらすリスクの定量化に向けた第一歩と言えます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】プラスチック汚染がウミガメにもたらすリスクは若齢の個体ほど大きい

 ウミガメがプラスチックの摂取によって死亡するリスクは、成体より若齢個体(幼若個体と孵化個体)の方が大きいことを報告する論文が、今週掲載される。

 今回、Britta Denise Hardestyたちの研究グループは、ウミガメの剖検246例と座礁データベースに登録された剖検記録706件のデータを調べた。その結果、幼若個体は成体よりもプラスチック摂取量が多いこと、そして消化管に残存するプラスチックの量は死因によって異なることが明らかになった。プラスチック摂取量は、死因不明の場合が最も少なく、死因がプラスチック関連でなかった場合(船との衝突、溺死など)がそれに次いで少なかった。一方、プラスチック摂取量が最多だったのは、プラスチック摂取が死因の場合だった。246の剖検例のうち、体内にプラスチックが見つかったのは幼若個体で23%、孵化個体で54%であるのに対し、亜成体では15%、成体では16%だった。また、体内に見つかったプラスチックの数量は1〜329個と幅があり、重量は最大10.41グラムだった。以上の知見から、採餌場所と生活史の段階がウミガメの死亡リスクに影響を及ぼす可能性が示唆される。若齢個体は海流に乗って海を漂い、沿岸海域の海面に近い所で餌を得る傾向があり、そうした場所の方が、ウミガメの消化管に蓄積したり消化管穿孔を引き起こしたりする恐れのあるプラスチック製品で汚染されている可能性が高いのだ。

 Hardestyたちは、ウミガメのプラスチック摂取量と死亡リスクの関係のモデルとして、ウミガメの甲羅の長さと年齢に関してプラスチックの摂取数量を考慮に入れたモデルが最良であることを見いだした。Hardestyたちが作成したモデルは、世界的に特に沿岸海域で減少しつつあるウミガメの個体数に対してプラスチック汚染がもたらすリスクの定量化に向けた第一歩と言える。



参考文献:
Wilcox C. et al.(2018): A quantitative analysis linking sea turtle mortality and plastic debris ingestion. Scientific Reports, 8, 12536.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-30038-z
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73000年前頃の描画(追記有)

2018/09/13 17:43
 73000年前頃の描画に関する研究(Henshilwood et al., 2018)が報道されました(報道1および報道2)。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。抽象的な描画は、装飾品などと共に「現代的な」認知能力および行動の指標となります。以前は、そうした指標の出現は現生人類が4万年前頃に拡散した後のヨーロッパで始まる、と考えられていました。しかし現在では、5万年以上前のそうした指標が、アフリカを中心にユーラシアでも確認されており、さらには、現生人類(Homo sapiens)だけではなくネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)にも、そうした指標の一部が確認されています。

 本論文は、そうした指標の新たな一例となる、南アフリカ共和国のブロンボス洞窟(Blombos Cave)で発見された、73000年前頃の長さ4cmとなる珪質礫岩の剥片を報告しています。この小剥片には、赤いオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)で6本の線と3本の線による斜交平行模様が描かれていました。こうした模様は線刻でも見られ、しかも73000年以上前のものもあります。たとえば、ジャワ島の43万年以上前の貝で線刻が確認されており、ホモ属でも現生人類やネアンデルタール人ではなくエレクトス(Homo erectus)の所産と考えられています(関連記事)。73000年前よりは新しいものの、イベリア半島(関連記事)やクリミア半島(関連記事)ではネアンデルタール人の所産と考えられる線刻が確認されています。

 一般的に、線刻の場合は肉を切り落とすなど他の行為の副産物にすぎない可能性もありますが、描画はむしろ意図的であることを否定するのが難しいと言えるでしょう。ブロンボス洞窟の小剥片の9本の線も、描画微視的・化学的・摩擦学的分析により、先端の幅が約1〜3mmの尖ったオーカー片により描かれた意図的なものと判断されました。また、これらの線は小剥片の端で途切れており、大きな石(もしくは岩)の上に描かれた、もっと複雑な模様だった可能性も指摘されています。また、オーカーは顔料としてだけではなく、日焼け止めとしても用いられたと推測されています。

 これは、描画としては現時点では世界最古の事例となります。これに近い年代の描画としては、一部が66000年以上前までさかのぼりそうなイベリア半島の洞窟壁画が知られており、ネアンデルタール人の所産と考えられています( 関連記事)。ただ、上記の報道1でも指摘されているように、この年代に疑問を呈する見解も提示されており、あるいはネアンデルタール人の所産ではないかもしれません。その次に古い描画は4万年前頃以降となり、相互に遠く離れたイベリア半島(関連記事)とインドネシアのスラウェシ島(関連記事)の洞窟で発見されています。ネアンデルタール人の所産とされているイベリア半島の洞窟壁画の事例を除けば、このブロンボス洞窟の小剥片の線は、抽象的な描画としては、現時点ではそれに次ぐ古さのものより3万年以上古いことになります。

 すでにブロンボス洞窟では、この線の描かれた小剥片と同じスティルベイ(Still Bay)複合技術の石器と関連する層で、象徴的思考など「現代的な」認知能力の指標となるような遺物が発見されています。たとえば、貝製のビーズや幾何学模様の刻まれたオーカーです。こうした幾何学的な線の模様は、オーカーに刻まれたり石に描かれたりしていたわけで、さまざまな媒体にさまざまな技術で抽象的な表現が描かれていたことになり、初期現生人類の「現代的」認知能力の新たな事例になるとともに、柔軟性を示している、とも言えるかもしれません。

 問題となるのは、7万年以上前には抽象的な幾何学模様は描かれていたものの、形象的表現はまだ見られないことです。上述の6万年以上前のイベリア半島の洞窟壁画を認めるとしても、形象的な壁画の年代はまだ不明です。現時点では、年代の確実な形象的表現は4万年前頃以降にしか確認されておらず、しかも近い年代に、相互に遠く離れたヨーロッパ西部と東南アジアで出現します。現生人類はこうした形象的表現を各地で独自に開発したのか、それともアフリカにおいて、もしくはアフリカからの拡散経路のどこかで開発して広まったのか、今後の研究の進展が注目されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【考古学】ヒトが初めて描いたのは石器時代の「ハッシュタグ」?

 ヒトによる最古の描画とされる赤い斜交平行模様が南アフリカ共和国で出土したことを報告する論文が、今週掲載される。

 南アフリカ共和国のケープタウンの東方の南海岸沿いにあるブロンボス洞窟では、行動的現生人類の文化活動を示す最古の証拠の一部が見つかっている。この洞窟では、10万〜7万年前のものとされる初期人類の人工遺物が大量に発見されており、例えば、貝殻ビーズ、彫り込みのある黄土土器の破片、予熱されたシルクリート(砂と礫が膠結してできたきめの細かい礫岩)から作られた道具がある。

 今回、Christopher Henshilwoodたちの研究グループは、研削されて表面が滑らかになったシルクリートの薄片に6本の線と3本の線による斜交平行模様が、赤色オーカー顔料で意図的に描かれていたことを発見したと報告している。これらの線は、薄片の端で途切れており、もっと大きな薄片上に描かれた模様の一部であったことが示唆されており、模様全体は、もっと複雑なものであった可能性がある。Henshilwoodたちは、この模様を再現する実験を行い、その結果に基づいて、先端の幅が約1〜3ミリメートルというとがったオーカークレヨンを使って描かれたという結論を導き出した。

 この描画が出土したブロンボス洞窟内の73000年前の堆積層からは、これまでに彫り込みのある黄土土器の破片が発見されており、この描画は、アフリカ、ヨーロッパ、東南アジアで発見されている抽象的描画や図形的描画を少なくとも3万年さかのぼる。今回の研究で得られた知見は、アフリカ南部の初期ホモ・サピエンスがいろいろな手法でさまざまな媒体を使ったグラフィックデザインを行う能力を有していたことを実証している。



参考文献:
Henshilwood CS. et al.(2018): An abstract drawing from the 73,000-year-old levels at Blombos Cave, South Africa. Nature.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0514-3


追記(2018年9月15日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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段階的に発達してきた植物の根

2018/09/13 17:41
 植物の根の進化に関する研究(Hetherington, and Dolan., 2018)が公表されました。根は維管束植物の体を構成する3つの器官系の1つで、体の固着・共生・栄養や水の吸収において役割を担っています。しかし、化石記録は断片的なものしかないため、根の起源は定かではなく、現生植物の根を定義づける唯一の特徴である、分裂組織(根端部が根冠に覆われた自己複製構造体)と呼ばれる自己複製構造の存在がいつ進化したのか、特定は困難です。

 本論文は、スコットランドにある、現時点では最古の陸上生態系である約4億700万年前の堆積層ライニーチャートを調査しました。ライニーチャートには現在知られている最古の陸域生態系の化石が含まれており、その保存状態はきわめて良好です。このライニーチャートからは、植物・地衣類・さまざまな節足動物の化石が見つかっています。本論文は、ライニーチャートにおいて最古となる発根軸(rooting axis)の分裂組織を複数発見した、と報告しています。これらの分裂組織は小葉類のヒカゲノカズラ網の植物(Asteroxylon mackiei)のもので、根冠を欠くものの、代わりに分裂組織の表面を覆う連続的な表皮が発達していました。

 現生ヒカゲノカズラ網を代表する植物としては、ヒカゲノカズラや、他の真葉植物より早く分岐した系統である、維管束植物(体内で水や栄養を移動させる組織を有する植物)があります。A. mackieiの発根軸および分裂組織は、根毛も根冠もなく、表面組織の連続層で覆われており、維管束植物の中でも特殊と明らかになりました。これは、現生の維管束植物では根冠の存在により定義される根が、維管束植物系統においてより遅くに現れた新機軸だった、との仮説を支持しています。

 したがって、根は段階的な様式で獲得された形質と考えられます。小葉類における根冠を有する根の比較的遅い起源は、根が単一の起源を持つのではなく複数回にわたって進化を遂げたとする仮説と一致し、小葉類の根と真葉類の根の間に見られる広範な類似性は、収斂進化の例と言えます。移行的な発根器官を有するA. mackieiの系統発生学的な位置は、根を持たない初期に分岐した陸上植物と発達した根を持つ派生的な植物との間にあり、この重要な位置づけは、植物の進化の過程で根がどのように「組み立てられた」のか、明らかにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【進化】現代の植物の根の特徴は段階的に発達してきた

 現在のような植物の根になるまでに少なくとも2度の進化が起こっており、根の特徴的性質は徐々に発達してきたことを報告する論文が、今週掲載される。この結論は、現在知られている最古の陸域生態系で発見された移行期の根の化石から導き出された。

 現生植物の根を定義付ける特徴は、分裂組織(根端部が根冠に覆われた自己複製構造体)であることだが、断片的な化石記録から根の分裂組織を見つけ出すのは難しく、根の進化的起源を解明することが難題になっている。

 今回、Sandy HetheringtonとLiam Dolanは、アバディーンシャー(英国スコットランド)にある4億700万年前の堆積層ライニーチャートを調べた。ライニーチャートには、現在知られている最古の陸域生態系の化石が含まれており、その保存状態は極めて良好だ。このライニーチャートからは、植物、地衣類、およびさまざまな節足動物の化石が見つかっている。著者たちは、ライニーチャートで出土した化石試料を顕微鏡で観察し、ヒカゲノカズラ網の植物Asteroxylon mackieiの根の分裂組織を発見した。現生するヒカゲノカズラ網を代表する植物としては、ヒカゲノカズラや、他の高等植物(真葉植物)より早く分岐した系統である維管束植物(体内で水や栄養を移動させる組織を有する植物)がある。

 著者たちは、A. mackieiの分裂組織には根毛も根冠もなく、表面組織の連続層で覆われていることを明らかにしている。A. mackieiの根のこうした構造は、維管束植物の中でも独特なものだ。著者たちは、A. mackieiの根が、現代の維管束植物の根に至る移行期のものと結論付け、この根冠のない移行期の構造がヒカゲノカズラ網植物で既に出現していたことを理由として、ヒカゲノカズラ網植物と真葉植物において、根冠のある根が、根を持たない共通祖先からそれぞれ独自に進化したとする学説を支持している。



参考文献:
Hetherington AJ, and Dolan L.(2018): Stepwise and independent origins of roots among land plants. Nature, 561, 7722, 235–238.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0445-z
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ランゴバルド人のゲノム解析

2018/09/12 18:49
 ランゴバルド人のゲノム解析に関する研究(Amorim et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパ西部は3世紀から10世紀にかけて、西ローマ帝国の崩壊と、その後の諸集団の「大移動」により、大きな社会文化的・経済的変容を経験しました。しかし、「蛮族」と呼ばれる諸集団の「大移動」やその社会的構造などに関しては、主体者の諸集団が基本的には文献を残しておらず、残された文献も、簡潔だったり、偏見に満ちていたり、時には数世紀後に書かれたりしているため、考古学的記録、おもには墓地の副葬品に依拠して研究が進められてきました。そのため、この時期のヨーロッパ西部に関しては不明な点が多く、議論が激しく続いています。

 このような「大移動」の担い手の諸集団の一つにランゴバルド人がおり、現代のハンガリーも含むパンノニアからイタリアへと侵攻し、紀元後568年にイタリアで王国を建て、イタリアの大半を支配したこの王国は774年まで継続しました。ランゴバルドは、「大移動」の担い手の諸集団のなかでは、比較的多くの文献が残っています。本論文は、考古学的にランゴバルド人との関連が指摘されている、6〜7世紀の2ヶ所の共同墓地の被葬者63人のゲノムを解析し、また同位体も分析しました。本論文が調査した墓地は、当時のパンノニアに位置するハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡と、イタリア北西部のコレーニヨ(Collegno)遺跡です。

 ソラッドとコレーニヨの被葬者はともに、遺伝的には現代ヨーロッパ人の範囲に収まります。しかし、両墓地の被葬者は現代の特定の国の住民と深い関係にあるわけではなく、多様な遺伝的分散を示し、本論文は両墓地の被葬者の遺伝的構成を、おもにヨーロッパ北部および中央部系統(以下、北部系統と省略)とヨーロッパ南部系統とに分けています。被葬者はおもに、北部または南部系統の強い個体(70%以上)、やや北部または南部系統の強い個体(50〜70%)に分類されます。本論文のゲノムデータ解像度からは、ヨーロッパ中央部・北部系統をさらに細分化することは困難です。Y染色体のハプログループは、常染色体から推測される地域のパターンとおおむね一致します。

 ソラッドの共同墓地には45の墓があり、考古学的および同位体分析から、ランゴバルド期に遊動的な集団により20〜30年ほど使われたにすぎない、と推測されています。男女比は1:0.65です。ソラッドでは、ゲノムデータから推測される系譜関係と副葬品と墓の位置から、中核的な1家系が存在したと推測されています。この中核的な1家系は3世代にわたっており、10人中8人は男性で、完全に南部系統の女性1人を除いて全員、遺伝的には北部系統の強い影響が見られます。この女性は、おそらくは外部集団からこの中核的な家系に迎え入れられたと思われます。同位体分析から、中核的な家系は他の家系(および特定の家系には分類されなかった個体群)よりも動物性タンパク質の摂取量が多い、と推定されています。また、同位体分析から、北部系統の影響の強い個体も南部系統の影響の強い個体もソラッド以外の地域から移住してきた、と推定されています。しかし、北部系統の影響の強い個体群の出身地域はより多様で、ソラッドの被葬者は単一の地域から移住してきたわけではなさそうです。副葬品に関しては明確な差があり、北部系統の影響の強い個体群は、南部系統の影響の強い個体群よりも、副葬品が豊富で豪華です。ソラッドでは、中核的な家系における女性の少なさから、北部系統の影響の強い遊動的な男系の家系が中核となり、他の家系(本論文で確認されたのは3家系)よりも優位に立っていた、と推測されます。

 一方、57の墓があるコレーニヨでも、ゲノムデータから推測される系譜関係と副葬品と墓の位置から、中核的な1家系が存在したと推測されています(その他に、2家系が識別されています)。この中核的な家系も北部系統の影響が強く、また副葬品に関して、北部系統の影響の強い個体群において、南部系統の影響の強い個体群よりも豊富で豪華という点は、ソラッドと同様です。また、遺伝的に南部系統の影響の強い個体群は、動物性タンパク質の摂取量がより少ない、と推定されており、この点でもソラッドと類似していますいます。一方、出身地に関しては、コレーニヨにはソラッドと異なる特徴が見られました。同位体分析から、コレーニヨの南部系統の影響の強い被葬者5人は、コレーニヨ周辺地域出身と推定されています。一方、遺伝的に北部系統の影響の強い中核的な家系ともう一つの別の家系に関しては、より早期の世代ではコレーニヨ以外の地域出身で、後の世代はコレーニヨ周辺地域で育ったと推定されています。中核的な家系の女性被葬者がより後の世代と推定されることから、男性中心の有力な家系が他地域からコレーニヨに侵攻してきて定着した、と推測されます。これらの知見は、ランゴバルド人がパンノニアからイタリアへと侵攻し、王国を建てたとする文献と整合的です。また、北部系統の影響の強い個体と南部系統の影響の強い個体との交雑も確認されています。

 ソラッドでもコレーニヨでも、6〜7世紀の共同墓地の被葬者と現代の住民とでは、遺伝的傾向が異なります。すでに、ヨーロッパの大まかな遺伝的構成は青銅器時代にはおおむね形成されていた可能性が高そうですが、古代末期の「大移動」などにより、その後も地域単位では遺伝的構成の変動が起きたものと思われます。本論文の知見からは、「大移動」の時期には、北部系統の遺伝的影響の強い男性主体の集団が、他地域に移住して征服するような事例が多かったのではないか、と推測されます。「大移動」の時代に限らず一般的に、征服的な移住では男性主体の傾向が強かったのかもしれません(関連記事)。もっとも、本論文が指摘するように、「大移動」の時代をより正確に理解するには、他の遺跡の人類遺骸のゲノム解析がもっと多く必要となるでしょうし、歴史学・考古学などとの学際的研究もさらに進展させねばならないでしょう。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究の進展の目覚ましさを思い知らされました。日本列島も含めて東アジアでも古代DNA研究が大きく進展するよう、期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


古ゲノム:ランゴバルド人の歴史を解明する手掛かりが得られた

 西暦紀元568年にパンノニア(現在のハンガリー西部)からイタリアに侵入し、その後200年以上にわたってイタリアの大部分を支配した蛮族(ランゴバルド人)の社会組織と移動を解明する手掛かりが古ゲノムDNAの解析によって得られた。この研究知見に関する論文が、今週掲載される。

 3〜10世紀の西ヨーロッパは社会文化的にも経済的にも変革期にあり、西ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパ全土で蛮族集団の移動があった。しかし、こうした蛮族社会の唯一の直接証拠は考古学的遺跡で発見されたものであり、この証拠を使って蛮族集団の正体と社会構造、移動パターンに関する推論が展開されてきた。6〜7世紀のパンノニアとイタリアの考古学的墓地遺跡からは、ランゴバルド人の移動に関する史料と矛盾しないパターンが示唆されているが、ランゴバルド人の社会と移動については不明な点がかなり多い。

 今回、Johannes Krause、Krishna Veeramah、Patrick Geary、David Caramelliたちの研究グループは、ソラッド(ハンガリー)とコレーニヨ(イタリア)という2カ所の墓地に埋葬されていた63体から採取した古ゲノムDNAの塩基配列解読と解析を行った。これまでの研究で、これらの遺体は、ランゴバルド人と関連付けられている。それぞれの墓地は、1つの大きな家系を中心にして組織されており、それぞれの墓地には、祖先と葬儀の風習を異にする集団が2つ以上埋葬されていることが明らかになった。

 ソラッドの墓地は、3代にわたる地位の高い男性中心の血縁集団を中心にして組織されており、それに加えて中央/北ヨーロッパ系という共通点があったと考えられる男性の集団の墓もあった。コレーニヨの墓地は、その地に定着してから数世代を経たコミュニティーを反映したものである可能性が高い。主に中央ヨーロッパ系と北ヨーロッパ系の家族集団の両方において、南ヨーロッパ系の人々との混血があったことを示す証拠もKrauseたちは発見した。この新知見は、ランゴバルド人がパンノニアから北イタリアまで長距離の移動をしたとする学説と矛盾しない。



参考文献:
Amorim CEG. et al.(2018): Understanding 6th-century barbarian social organization and migration through paleogenomics. Nature Communications, 9, 3547.
https://doi.org/10.1038/s41467-018-06024-4
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人類進化における犬歯の縮小

2018/09/11 17:10
 現代人(Homo sapiens)も類人猿の一系統です。現代人と他の類人猿との大きな違いとして、脳容量、とくに脳重比もありますが、犬歯の縮小も指摘されます。人類進化史においては、脳容量が他の類人猿とさほど変わらない段階で犬歯の縮小が見られるので、犬歯の縮小は、直立二足歩行への特化とともに、人類系統と他の類人猿系統とを区別する重要な指標とされています。『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』で述べられていたように(関連記事)、人類系統における犬歯の縮小は、一夫一妻制により雄同士の争い(同性内淘汰)が穏やかになったことの表れとの見解は有力なようです。

 一方、『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』で述べられていたように(関連記事)、人類系統における犬歯の縮小を、臼歯の拡大との相関で把握する見解もあります(上巻P92〜P98)。球根のような堅いものを食べるようになり、臼歯を拡大させるような選択圧が生じ、歯を収納する空間には限界があるので、同時に犬歯が縮小するような選択圧も生じた、というわけです。しかし、『絶滅の人類史』では、初期人類において横方向の咀嚼運動が発達していた証拠はなく、武器としてより重要な上顎犬歯が下顎犬歯よりも先に縮小しているので、人類系統における犬歯の縮小は、食性の変化も多少は関係しているかもしれないとしても、雄同士の戦いが穏やかになったことの表れだろう、と指摘されています(P57〜P58)。

 そもそも、初期人類の化石が少なく、犬歯がどのように縮小していったのか、また同性内淘汰の程度とも関連するだろう性的二型がどのように変わっていったのか、まだ的確に評価できる状況ではないでしょうから(残念ながら、将来もこの状況が大きく改善されるとはとても思えません)、難しい問題ではあります。ただ、それでもあえて推測していくと、『絶滅の人類史』の感想記事でも述べたように、犬歯の縮小は雄同士の戦いが穏やかになったことの表れとの見解に、そもそも私は疑問を抱いています。

 一夫一妻制では、たとえばハーレム型社会よりも雄同士の戦いが穏やかになる可能性は高いでしょうが、だからといって、雄同士の戦いがなくなるわけではなく、大きな犬歯は依然として有効だと思います。しかも、雄同士の争いの激しさと相関している場合が多いと思われる雄と雌の体格差(性的二型)は、異論もあるとはいえ(関連記事)、現時点での有力説では、アウストラロピテクス属でも現代人より大きく、ゴリラ並だった、とされています。『ヒトはどのように進化してきたか』第5版(関連記事)では、アウストラロピテクス属でも現代人の祖先である可能性の高そうな300万年以上前のアファレンシス(Australopithecus afarensis)は、チンパンジーよりも犬歯がかなり縮小していたものの、体格でも犬歯でも雄が雌よりも大きく、性的二型は大きかった、とされています(P396〜P406)。

 現代人の祖先である可能性の高そうなアファレンシスでも性的二型が現代人より大きくゴリラ並だったとしたら、雄同士の争い(同性内淘汰)が現代人より激しかったとしても不思議ではありません。化石証拠はまだ得られていないものの、現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジーとその次に近縁な現生系統のゴリラの犬歯が大きいことから、人類の祖先もチンパンジー系統と分岐するまでは犬歯がチンパンジーやゴリラのように大きかった、と考えられます。しかし、300万年以上前のアファレンシスにおいて、犬歯はかなり縮小して現代人に近づいています(それでも現代人より大きいのですが)。つまり、アファレンシスにおいては、雄同士の争いが激しかった一方で、犬歯は(現代人よりも大きいとはいえ)縮小していた可能性は高いわけで、犬歯の縮小は雄同士の争いがより穏やかになったことの指標になるとは言えないでしょう。

 では、犬歯の縮小はなぜ起きたのかというと、上述したように、食性の変化が選択圧になった可能性もありますし、犬歯を縮小させるような遺伝子発現の変化が別の表現型とも関わっていて、その表現型が適応度を向上させたことによる選択圧があったのかもしれません。また、犬歯の縮小(をもたらした遺伝子発現の変化)自体はとくに適応度の変化をもたらさず、単に遺伝的浮動により定着したのかもしれません。いずれにしても、犬歯の縮小は人類系統において適応度の大きな低下をもたらさなかった、ということになりそうです。

 雄同士の争いが依然として激しいのに、犬歯の縮小が適応度の大きな低下をもたらさなかった要因は直立二足歩行にあるのではないか、と私は考えています。闘争のさいに、直立二足歩行によりさらに効率的に可能となった、手と腕を用いての石や木などの使用が、鋭い犬歯の使用より効率的だったため、犬歯を縮小させるような遺伝的多様体の定着を妨げなかったのではないか、というわけです。巨大な犬歯は威嚇として有効ですが、それも、じっさいに使われるかもしれない、という前提(恐怖心)があってのことです。しかし、犬歯の使用には頭部を相手に密着させねばならず、奇襲攻撃ができたとしても危険です。一方、攻撃において木や石の使用は犬歯で噛みつくよりも安全です。

 とくに、石を投げることができれば、もっと安全です。現代人の投擲能力はおそらく現生種の中でも最高ですが、現代人並の投擲能力を可能とする形態が完成したのは、ホモ属でも200万年前頃以降に出現した広義のエレクトス(Homo erectus)だろう、と考えられています(関連記事)。しかし、現代人並の投擲能力を可能とする形態は短期間に一括して出現したのではなく、すでにアウストラロピテクス属の段階で一部が確認されています(関連記事)。おそらく、人類系統の投擲能力はチンパンジー系統と分岐した後に段階的にじょじょに向上していったのであり、チンパンジーも時として投擲行動を見せるように(速度・精度ともに現代人に遠くおよびませんが)、初期人類も石を投げていたとしても不思議ではない、と思います。もちろん、初期人類の投擲能力はエレクトス以降のホモ属には及ばないでしょうし、投擲行動を見せることはほとんどなかったかもしれませんが、雄同士の争いでは、石や木で殴れば犬歯の使用よりも効率的に相手を攻撃できるわけで、犬歯の縮小を妨げるような強い選択圧は生じなかった、と思います。

 では、アファレンシスにおいても雄同士の争いが激しかったとすれば、人類系統の配偶行動の変遷とはどう関連しているのか、という問題も注目されます。一般的に霊長類において、一夫一妻制のようなペア型の系統は、単雄複雌(たとえばゴリラ)や複雄複雌(たとえばチンパンジー)のような系統よりも性的二型は小さいとされ、現代人の性的二型もゴリラやチンパンジーより小さくなっています。しかし、現代人にもある程度の性的二型は見られるわけで、じっさい、歴史的にも、一夫一妻制が一般的ではあるものの、少数派(その多くは社会上層)とはいえ一夫多妻制は多くの社会で容認されてきました。もちろん、その他の配偶行動も見られますが、それは現生人類もしくはもっと拡大してホモ属の柔軟性を示すものだと思います。おそらく人類社会においては、単雄複雌から単雄単雌のようなペア型へと移行しつつも、ハーレム型のような単雄複雌も一定以上続いてきたのではないか、と思います。その移行時期の画期としては、直立二足歩行により特化し、頭脳が大型化した結果、出産と育児がじゅうらいよりも困難になり、さらに父親およびその親族側の育児への関与が要求されるようになっただろう、広義のエレクトスの出現を想定しています。

 なお、こうした人類社会の変化を、人類系統が発情期を喪失したことと関連づける見解も有力かもしれませんが、そもそも、この点に関して現代人とゴリラが類似していて、チンパンジーが異なっていることから、少なくとも現代人・ゴリラ・チンパンジーの最終共通祖先の段階では、発情徴候は明確ではなかった可能性が高いと思います(関連記事)。つまり、発情徴候の明確化に関しては、チンパンジー(およびボノボ)の進化が特異的というか、より進化していて、現代人やゴリラの方が祖先的なので、人類系統が発情期を喪失したという評価はあまり適切ではないだろう、というわけです。

 以上の私見は、少ない証拠から推測していったもので、将来大きく修正する必要が生じるかもしれません。上述したように、人類系統における性的二型の変遷は不明で、一般的には現代人の祖先と考えられているアファレンシスについても、性的二型が現代人よりも大きかったとの見解が有力な一方で、そうではない可能性も指摘されています。さらに、最初期の広義のエレクトスにおいても、性的二型はアファレンシスと大差がなく、チンパンジーよりも大きかった、との見解さえ提示されています(関連記事)。人類系統における性的二型やそれとも関連する配偶行動の変遷については、今後長く議論が続くことになりそうです。
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『人類誕生・未來編』「第1集・第2集・第3集」

2018/09/10 16:46
 今年(2018年)4・5・7月にNHKスペシャル『人類誕生』が3回にわたって放送されました(第1回および第2回および第3回)。そのリメイク版として『人類誕生・未來編』がBS1で放送されました。このリメイク版を視聴して改めて思ったのは、NHKのCGの質の高さです。詳しく比較したわけではないのですが、人類進化の解説に大きな修正はなかったと思います。大きく変わったのが、番組の案内役として未來を生きる老人「ドク」と謎の少女「eva」という2人が登場したことです。この2人は何者なのか、現代よりどれくらい先のことなのか、evaはどのような経緯で生まれたのか、という謎解きの点ではそれなりに楽しめました。人類進化の解説は、上述したように、NHKスペシャルと比較して大きく変わったわけではないと思いますが、上記の当ブログ記事で述べ忘れたことをいくつか付け加えておきます。

 第1集では、19万年前以降の寒冷化で、世界各地のホモ属のなかで、アフリカの現生人類(Homo sapiens)のみが深刻な危機に陥り、人類がそれまで食べていなかった貝を食べる好奇心の強い個体のみが生き延びた、との見解が提示されていました。確かに、人類が貝を恒常的に食していたと推定される最古の事例は、番組で紹介されていた、アフリカ南部のピナクルポイント(Pinnacle Point)遺跡で確認されており、その年代は164000年前頃までさかのぼります(関連記事)。しかし、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も同じ頃に貝を食べていたと推測されており(関連記事)、人類は20万年以上前より貝も食べていて、それが恒常的だった集団もいる、と考える方が妥当だと思います。50分弱の一般向け番組において最初期の人類から現生人類の出現までを扱うということで、かなり単純化・簡略化されたのは仕方のないところでしょうが、それにしても、貝を食べるような好奇心の強い現生人類個体のみが生き残った、との解説はあまりにも単純化しているというか、率直に言って間違いだと思います。

 そもそも、現生人類が東南アジアのエレクトス(Homo erectus)やヨーロッパのネアンデルタール人といった他のホモ属と比較して、19万年前以降の寒冷化でより大きな打撃を受けた、との見解自体に疑問が残ります。アフリカといっても環境は多様で、19万年前以降の寒冷化により一律に人類にとって居住が厳しくなった、というわけではないでしょう。そもそも、寒冷化は20万年以上前にも何度もあり、19万年前以降の寒冷化が特別だったはずはないと思います。また、ネアンデルタール人が寒冷気候に適応していたとはいっても、寒冷化にともない撤退・移住し、温暖化にともない拡大・移住した、ということを繰り返していた可能性は高いでしょう(関連記事)。19万年前以降の寒冷化により、他地域のホモ属への大きな影響はなかった一方で、アフリカの現生人類のみが大打撃を受けた、との想定は説得力を欠くと思います。さらに言えば、現生人類はすでに20万年以上前にアフリカからユーラシアに拡散していた可能性が高いと思います(関連記事)。もっとも、この「超早期」出アフリカ現生人類集団が、現代人にどれだけの遺伝的影響を及ぼしているのか、定かではなく、絶滅した可能性は低くないと思います。

 第2集ではネアンデルタール人が取り上げられました。はぐれたネアンデルタール人の少女を現生人類集団が迎え入れ、その少女と現生人類男性との間に子供が生まれた、という描写はリメイク版でも省略されませんでした。ネアンデルタール人と現生人類との交雑に関しては、ネアンデルタール人男性と現生人類女性の組み合わせのみだった、との見解が日本社会の一部?では浸透しているように思われるのですが、その証拠はまだ得られていないと思います(関連記事)。第2集の推定再現映像のように、ネアンデルタール人女性と現生人類男性との間にも交雑があり、その子孫が現代に存在していたとの想定は、無理筋ではないと思います。

 第3集では最後に、番組の案内役として登場した未來を生きる老人「ドク」と謎の少女「eva」の正体というか、世界観が描かれました。発達した技術のために人類はほぼ絶滅してしまい、アンドロイドのドクは罪滅ぼしとしてevaを「創り」、現生人類の記憶を伝えようとした、というわけです。ドクがevaにすべてを語り終えて動作を停止した後、evaは旅に出て物語は終わります。世界観は途中でかなりの程度見えてしまい、けっきょく予想通りだったのですが、陳腐な感が否めず、残念でした。ドクがアンドロイドなのは予想外で、これは悪くなかったと思います。このリメイク版を視聴し、『人類誕生』はなかなかの出来だった、と改めて思いました。今後も、数年に1回、こうしたシリーズがNHKスペシャルで放送されることを期待しています。
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大河ドラマ『西郷どん』第34回「将軍慶喜」

2018/09/09 18:59
 第二次長州征伐の最中に第14代将軍の徳川家茂が死亡し、長州藩との戦いで苦戦中の幕府は、勝安房守(麟太郎、海舟)を停戦交渉の使者として派遣します。幕府の苦境にさいしても、一橋(徳川)慶喜は第15代将軍に就任する素振りを見せませんでしたが、孝明帝に懇願されたことを契機として、将軍就任を決意します。慶喜との縁の深い西郷吉之助(隆盛)は、慶喜の将軍就任を予想していました。慶喜はフランスとの関係を強化し、幕府を立て直そうとします。そんな時、孝明帝が崩御し、吉之助と大久保一蔵(正助、利通)は岩倉具視に、幕府と天皇を引き離す好機だと進言します。吉之助は薩摩に帰国し、島津久光に上洛を進言します。有力諸侯を上洛させ、慶喜を牽制しよう、との意図でした。しかし、慶喜は久光以外の諸侯を懐柔しており、四侯会議は吉之助と一蔵の思惑通りにはいきませんでした。慶喜はフランスとの提携を強化しようとしますが、フランス公使ロッシュは幕府を支援する代償として、薩摩を差し出すよう、要求します。吉之助は、慶喜に見受けされた「ふき」から、慶喜が薩摩藩に対して何か画策している、と聞きます。さらに吉之助は、イギリス公使館の通訳のサトウから、慶喜が薩摩藩を差し出そうとしている、と聞かされます。しかし吉之助は、支援を申し出るサトウに対して、日本の問題は日本人が解決する、と毅然として答えます。

 慶喜が日本を異国に売ろうとしている、と知った吉之助は、武力討幕の意志を一蔵に打ち明けます。一蔵は決起を促すために長州藩をはじめとして有力諸藩に赴き、吉之助は岩倉に、討幕の勅命が出るよう朝廷工作を依頼します。薩摩藩が武力討幕に動くなか、坂本龍馬は、土佐藩重臣の後藤象二郎に倒幕の秘策を進言します。薩摩藩が武力討幕に動いていることを知った慶喜は、先手を打って大政奉還の方針を打ち出します。吉之助は大政奉還を進言した龍馬に不満で、慶喜はすぐに政権が返ってくると確信しての一時凌ぎで大政奉還を決意したにすぎない、と武力討幕の方針を変えようとはしません。一方龍馬は、幕府と諸藩とで戦争をしている場合ではない、と譲りません。

 今回は、第二次長州征伐での幕府の敗戦から、慶喜の将軍就任、孝明帝の崩御、四侯会議を経て大政奉還まで一気に進みました。ここは幕末でもとくに重要な時期なので、1話に盛り込むのは薩摩藩視点の大河ドラマとしてどうなのか、とさすがに疑問に思います。同じく西郷隆盛が主人公ということで、本作と比較対象になる『翔ぶが如く』は1990年放送で、今年(2018年)と日付・曜日が一致していますが、『翔ぶが如く』の9月9日放送分はすでに明治編で、大久保一蔵(正助、利通)は欧米視察団の一員としてすでに日本を発っています。これまでの展開が遅かったので、今回のように展開を速めるのはある程度仕方ないのかもしれないとはいっても、やり過ぎの感は否めません。まあ、本作が政治的描写に力を入れていないことは、私も含めて多くの視聴者は感じとっていたでしょうから、この展開に驚いている人は少ないだろう、とは思いますが。ただ、列強の脅威のなか、日本国内での戦いは避けねばならない、と考えていた吉之助が、強硬な武力討幕派に転じる過程は、駆け足の政治描写のなかで最低限は描かれていたと思います。まあ、この時期の政治構想に関して、吉之助と龍馬との対立を強調するような描写は、幕末に詳しい視聴者には不満が残るところでしょうが、あくまでも娯楽ドラマなので、これでもよいかな、とは思います。
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岡本隆司『世界史序説 アジア史から一望する』

2018/09/09 08:35
 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2018年7月に刊行されました。本書は、東洋史研究者による新たな世界史構築への第一歩となる提言といった感じです。気宇壮大ではありますが、各分野の専門家からは、突っ込みが多いかもしれません。しかし、著者もそんな懸念は百も承知でしょうし、歴史学の研究が細分化され精緻になっていくなか、こうした試みは必要でしょう。また、じっさい、歴史学の研究者の間で「世界史」への意欲がなくなったわけではなく、近年では、グローバルヒストリーという概念が提唱されています。

 しかし本書は、グローバルヒストリーのような近年の「世界史」も、依然としてヨーロッパ、もっと限定すれば西ヨーロッパ中心主義で、アジア史のことをよく理解できていない、と強く批判します。ヨーロッパ史の研究の蓄積により構築されてきた概念で、アジア史をどれだけ正確に理解できるのか、と本書は疑問を呈しています。著者の他の一般向け書籍を何冊か読んできましたが、本書冒頭のヨーロッパ中心主義への批判はあまりにも攻撃的で、正直なところ困惑してしまいました。日本人のイギリス史研究者が論じるグローバルヒストリーにおいて、日本語の研究が参照されず、英語文献に依拠していることなど、著者にはグローバルヒストリーの現状に強い不満があるようです。

 そのような問題意識を前提として、本書はおもにアジア史を対象に議論を展開しています。本書のアジア史に関する見解については、本書が依拠する研究者の見解を少しは読んでいたこともあり、大きな違和感というか、意外な感はありませんでした。本書が重視するのは、モンゴル帝国の興隆とその後の崩壊をもたらした「14世紀の危機」で、「シルクロード」とも称されるユーラシア内陸部の経路から海上経路へと、経済の重心が移っていきました。こうした状況を前提として、「大航海時代」とその後のヨーロッパ勢力の覇権が到来します。本書はヨーロッパにおける近代化の条件として、官民一体の「法の支配」を挙げ、イギリスの果たした役割がきわめて大きかった、と指摘します。さらに本書は、そうした条件はヨーロッパ、とくにイギリスにおいてこそ成立したのであって、アジアでは成立し得なかったとして、ヨーロッパとアジアの違いを強調しています。

 本書は世界史とはいっても、前近代のサハラ砂漠以南のアフリカ・オセアニア・アメリカ大陸への言及は皆無といってよく、本書の意図からしてそれは当然なのかもしれませんが、世界史と銘打っている以上、やはり多少は言及があってもよかったのではないか、と思います。本書の見解で個人的に注目したのは、儒教はリアルな人間関係に基づく教義しか有さない中原の土俗的な論理で、仏教の広汎さ・精妙さ・深奥さには及びもつかない、との評価です。やはり、儒教にはある程度以上の普遍性はあっても、キリスト教・イスラム教はもちろん、仏教にも遠く及ばないのではないか、と思います。また、西欧中心主義はあらゆる学問の本質に埋め込まれている、との指摘も注目されます。前近代日本史の構造・展開は東アジア史、さらにはアジア史との共通性が少なく、むしろ西ヨーロッパと近似していた、との本書の見解については、今後も考え続けていきたいものです。
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6世紀後半〜7世紀前半のアレマン人のゲノム解析

2018/09/08 11:53
 6世紀後半〜7世紀前半のアレマン人のゲノム解析結果を報告した研究(O’Sullivan et al., 2018)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。アレマン人は紀元後3〜8世紀にライン川上流東部盆地およびその周辺地域に居住していたゲルマン人部族連合体で、ゴート族と遠縁とされています。アレマン人はしばしばローマ帝国と衝突し、西ローマ帝国の滅亡後の497年に、メロヴィング朝フランク王国のクローヴィス1世(Clovis I)により征服されました。

 本論文は、アレマン人の墓地で発見された人類遺骸のゲノムを解析しました。紀元後580〜630年頃と推定されているこの墓地はドイツ西部のニーダーシュトツィンゲン(Niederstotzingen)にあり、1962年に発見されました。この墓地には1〜12号の墓があります。8号墓と11号墓にはそれぞれウマが1頭と2頭葬られており、7号墓に葬られている個体は不明ですが、その他の墓には人間が葬られています。各墓には基本的に1人ずつ葬られていますが、3号墓と12号墓には3人ずつ葬られています。これらの墓に応じて埋葬者も分類されています(1、3A、12Bなど)。この合計13人の被葬者は、成人が10人、子供が3人(推定年齢は、0.5〜2歳、2歳、9〜11歳)で構成されています。

 ストロンチウムおよび酸素同位体の分析から、被葬者3Bと10を除いて全員がニーダーシュトツィンゲン周辺地域の出身と推定されています。3Bと10は、スイス・ドイツ間のアルプス山麓出身と推定されています。1人のみおよび複数人が葬られている複数の墓があることから、全員が同時に葬られたわけではない、と考えられています。また、この墓地では、武器・防具・宝石・馬具など多くの副葬品が発見されており、保存状態は良好です。これらの副葬品は、ビザンティン・ランゴバルド・フランクとの関連が指摘されています。こうした豪華な副葬品からも、被葬者は戦士貴族層だったと考えられます。したがって、この墓地は紀元後6〜7世紀のアレマン人社会全体の傾向を反映しているわけではないだろう、と指摘されています。これらの埋葬者には外傷や疾患の兆候が見られないため、死因は不明です。この墓地の埋葬者の死因に関しては、ペストが原因のユスティニアヌス疫病の可能性も指摘されていましたが、疫病バクテリアやペスト菌と一致するDNAの痕跡は見つからず、埋葬者の死因は不明のままです。

 DNA解析の結果、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループに関しては、被葬者13人全員が分類されました。たとえば、4・9・12BはX2b4に、1・3AはK1aに、2・5はK1a1b2a1aに分類されます。Y染色体DNAでも、10人が各ハプログループに分類されました。そのうち8人は、現代ヨーロッパ西部で最も高い頻度(70%以上)であるR1bに分類されます。この8人のうち5人は、同じサブグループR1b1a2a1a1c2b2b1a1に分類されます。被葬者3Bは、現代ヨーロッパの北部・西部・東部では稀(5%以下)であるものの、コーカサスでは高頻度(70%以上)で、ヨーロッパ南部や近東で10〜15%見られるG2a2b1に分類されます。

 被葬者3C・6・12Cの骨格は華奢なので、以前には女性とも推定されていましたが、Y染色体DNAが確認され、男性と確定しました。また、Y染色体ハプログループが特定されなかった3人も、X染色体と常染色体の一塩基多型の比率から、男性と推定されています。被葬者は全員男性というわけです。これは、当時の埋葬における軍事的機能や貴族の社会的構造を反映しているかもしれません。ヨーロッパでは古代末期に同様の埋葬パターンが見られます。これは、当時の埋葬における軍事的機能や貴族の社会的構造を反映しているかもしれません。

 ゲノム規模のデータが得られた8人のうち、6人(1・3A・6・9・12B・12C)はヨーロッパ北部・東部・中央部の現代人と遺伝的類似性を示しています。一方、被葬者3Bおよび3Cは、ヨーロッパ南部・地中海東部の現代人との遺伝的類似性を示しています。しかし、3Bと3Cは相互に近い系統関係ではありません。北方系6人のうち、12Cを除いて5人は親族関係にあると推定されています。具体的には、9と12Bが兄弟、9の息子が3Aと1、1の息子が6と推定されています。これら親族関係にある5人の副葬品のうち、3Aと12Bがビザンティン、6がランゴバルド、9がフランクと関連している、と指摘されています。当時のアレマン人社会においては、親族関係にはあっても、多様な文化を取り入れていたことが窺えます。

 上述したように、3Bおよび10は他地域で育った、と推定されています。3Bは遺伝的にもヨーロッパ南部・地中海東部の現代人と近いので、他地域の部族集団からアレマン人社会に迎え入れられた、と考えられます。文化的にも遺伝的にも、当時のアレマン人社会貴族層は外部に開かれていた、と考えられます。一方、3Cは遺伝的にはアレマン人とは遠い関係にある一方で、同位体分析ではアレマン人社会で育った、と推定されています。3Cは人質として子供時代にアレマン人社会貴族層に迎え入れられた、とも考えられます。当時の民間伝承では、部族間で子供を人質として交換していた、と語られています。埋葬者のうち何人かが子供の人質として北方に連れてこられたとすると、養子関係を結んだ部族に戦士として育てられたでしょう。しかし、同盟関係悪化のさいは、部族間交渉において人質とされることもありました。もっとも、こうした慣行が広範だったのか明らかではない、とも指摘されています。

 上述したように、この墓地は戦士貴族層のものと思われるので、アレマン人社会全体の傾向を反映しているわけではない、と考えられます。遺伝的・文化的な「外部社会」への「開放性」は、民衆においても同様だったのか定かではない、というわけです。今後は、より広範な階層の人々の古代DNA解析の進展が期待されます。それにしても、ヨーロッパの古代DNA研究の進展は本当に目覚ましく、日本人の私から見ると羨ましい限りです。今後、日本列島、さらには東アジアでも、古代DNA研究が飛躍的に発展することを期待しています。


参考文献:
O’Sullivan N. et al.(2018): Ancient genome-wide analyses infer kinship structure in an Early Medieval Alemannic graveyard. Science Advances, 4, 9, eaao1262.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aao1262
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田園地帯のハリネズミ集団

2018/09/07 16:35
 田園地帯のハリネズミ集団に関する研究(Williams et al., 2018)が公表されました。ハリネズミ集団に関する研究は都市部では盛んですが、田園地帯のハリネズミについてはほとんど解明されていません。これまでの研究は、規模が小さすぎてより広い地域に関する知見が得られないか、対象範囲が広すぎて根本的な生物学的影響や人為的影響が明確にならないかのどちらかでした。この研究は、ハリネズミの存否を調べるための足跡追跡用トンネルを使って、2014〜2015年にイングランドとウェールズのさまざまな生息地の261地点で調査を行ないました。その結果、ハリネズミの存在が検出されたのは、わずか55ヶ所でした。これは、田園地帯のかなりの部分にハリネズミが生息していないことを示しています。

 ハリネズミの個体数減少に関する過去の研究は、ハリネズミとアナグマの相互作用がもたらす悪影響に重点が置かれていました。この研究での調査から、アナグマの巣穴が多く分布する地域ではハリネズミの個体数が少ない場合が多い、と明らかになりました。この研究は、アナグマが、捕食と食料資源の奪い合いにより悪影響を及ぼすと認めていますが、ハリネズミとアナグマが共存している地域も明らかになりました。ハリネズミとアナグマの関係を解明するには、さらなる研究が必要となります。この研究で、調査地点のうちの70ヶ所ではハリネズミとアナグマのいずれも生息していないと明らかになっており、ハリネズミとアナグマの生活を維持できない田園地帯が一部存在する、と示されました。この研究はその理由として、土地管理が強力に行なわれたことを挙げ、それにより餌となる生物と適切な生息地が減った、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【生態学】田園地帯のハリネズミ集団のモニタリング

 英国のイングランドとウェールズの田園地帯に生息するハリネズミ集団を脅かすと考えられる要因についての評価が行われた。今週掲載されるこの論文では、田園地帯のハリネズミ集団に関する全国調査の結果が報告されており、著者は、この調査結果を今後のハリネズミの個体数モニタリングで基準値として用いることができるという考えを示している。

 ハリネズミ集団に関する研究は都市部では盛んに行われているが、田園地帯のハリネズミについてはほとんど解明されていない。これまでの研究は、規模が小さ過ぎてより広い地域に関する知見が得られないか、対象範囲が広過ぎて根本的な生物学的影響や人為的影響が明確にならないかのどちらかだった。

 Ben Williamsたちの研究グループは、ハリネズミの存否を調べるための足跡追跡用トンネルを使って、2014〜2015年にイングランドとウェールズのさまざまな生息地の261地点で調査を行った。その結果、ハリネズミの存在が検出されたのは、わずか55カ所だった。これは、田園地帯のかなりの部分にハリネズミが生息していないことを示している。

 ハリネズミの個体数減少に関する過去の研究は、ハリネズミとアナグマの相互作用がもたらす悪影響に重点が置かれていた。今回の調査から、アナグマの巣穴が多く分布する地域ではハリネズミの個体数が少ない場合が多いことが明確になった。Williamsたちは、アナグマが、捕食と食料資源の奪い合いによって悪影響を及ぼすことを認めているが、今回の研究で、ハリネズミとアナグマが共存している地域も明らかになった。ハリネズミとアナグマの関係を解明するには、さらなる研究が必要となる。今回の研究で、調査地点のうちの70カ所はハリネズミとアナグマのいずれも生息していないことが明らかになっており、ハリネズミとアナグマの生活を維持できない田園地帯が一部存在することが示された。Williamsたちは、その理由として土地管理が強力に行われたことを挙げ、それによって餌となる生物と適切な生息地が減ったことを指摘している。



参考文献:
Williams BM. et al.(2018): Reduced occupancy of hedgehogs (Erinaceus europaeus) in rural England and Wales: The influence of habitat and an asymmetric intra-guild predator. Scientific Reports, 8, 12156.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-30130-4
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氷河の融解により高まる津波の危険性

2018/09/07 16:33
 氷河の融解により津波の危険性が高まる恐れを報告した研究(Higman et al., 2018)が公表されました。氷河が気候温暖化により融解し後退すると、岩盤斜面を支えられなくなり、落石や雪崩を引き起こすことがあります。また氷河の後退は、新たな水域の形成、あるいは既存の水域の拡大をもたらし、たとえば、アラスカ・パタゴニア・ノルウェー・グリーンランドの海岸線沿いで津波が起こりやすくなります。この研究は、2015年10月17日にアメリカ合衆国アラスカ州のティンドル氷河の末端で地滑りが発生し、1億8000万トンの岩石がターン・フィヨルドに流れ込み、津波を引き起こした際の野外観測結果を報告しています。

 この地滑り自体は約2㎢の陸地に影響を及ぼし、津波の影響は20㎢以上にも及びました。この時の波の遡上高は、地滑りがあった場所からターン・フィヨルドを挟んで向かいの陸地(海岸または静水面より高い構造物)まで、193mに達しました。この津波により残された独特な堆積記録は、木の破片・土壌・岩石を含む最大数mの厚さの堆積層で、テクトニクスによる津波の典型的な堆積層(砂質堆積物からなる薄い堆積層)とは大きく異なっている、と明らかになりました。これらの堆積層は、類似の津波事象(古津波を含む)の同定と解釈に役立ち、その発生頻度と規模の理解を深めることができる、と考えられています。この研究で報告された観測結果は、地滑りと津波の危険をモデル化するための基準となるもので、氷河の作用で形成された山岳地帯付近での自然災害の発生頻度と規模を高めると考えられる、気候変動の間接的影響への注意を喚起しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境科学】地すべりが引き起こす津波のリスクが氷河の融解によって高まる恐れ

 高山帯において山岳氷河と永久凍土の融解が長期間継続すると、不安定になった斜面が露出し、津波を引き起こす地すべりの発生危険性が高まることを報告する論文が、今週掲載される。

 氷河が、気候温暖化によって融解し後退すると、岩盤斜面を支えられなくなり、落石や雪崩を引き起こすことがある。また、氷河の後退は、新たな水域の形成、あるいは既存の水域の拡大をもたらし、例えば、アラスカ、パタゴニア、ノルウェー、グリーンランドの海岸線沿いで津波が起こりやすくなる。

 今回、Bretwood Higmanたちの研究グループは、2015年10月17日に米国アラスカ州のティンドル氷河の末端で地すべりが発生し、1億8000万トンの岩石がターン・フィヨルドに流れ込み、津波を引き起こした際の野外観測結果を報告している。この地すべり自体は約2平方キロメートルの陸地に影響を及ぼし、津波の影響は20平方キロメートル以上にも及んだ。この時の波の遡上高は、地すべりがあった場所からターン・フィヨルドを挟んで向かいの陸地(海岸または静水面より高い構造物)まで、193メートルに達した。Higmanたちは、この津波によって残された独特な堆積記録は、木の破片や土壌、岩石を含む最大数メートルの厚さの堆積層で、テクトニクスによる津波の典型的な堆積層(砂質堆積物からなる薄い堆積層)とは大きく異なっていることを明らかにした。これらの堆積層は、類似の津波事象(古津波を含む)の同定と解釈に役立ち、その発生頻度と規模の理解を深めることができると考えられる。

 従って、今回の研究で報告された観測結果は、地すべりと津波の危険をモデル化するための基準となるもので、氷河の作用でできた山岳地帯付近での自然災害の発生頻度と規模を高めると考えられる気候変動の間接的影響への注意を喚起している。



参考文献:
Higman B. et al.(2018): The 2015 landslide and tsunami in Taan Fiord, Alaska. Scientific Reports, 8, 12993.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-30475-w
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マルハナバチのコロニーの適応度に影響を及ぼすスルホキシイミン系殺虫剤

2018/09/06 16:23
 スルホキシイミン系殺虫剤のマルハナバチのコロニーの適応度への影響に関する研究(Siviter et al., 2018)が公表されました。集約農業では現在、作物の収量を最大にするために農薬に依存しています。ネオニコチノイド類は世界的に最も広く使用されている殺虫剤ですが、重要な花粉媒介者などの標的外生物に悪影響を及ぼしていることを示す証拠が増えていることから、法的な再評価が行なわれ、代替製品を開発する需要が生じています。これまで、当ブログでも何度か、ネオニコチノイド系殺虫剤のハチへの影響に関する研究を取り上げてきました。ネオニコチノイド系殺虫剤は、トウヨウミツバチ(Apis cerana)の長期嗅覚学習(関連記事)、ミツバチのコロニー(関連記事)、野生ミツバチ(関連記事)、セイヨウオオマルハナバチ(Bombus terrestris)の女王バチの新コロニー形成(関連記事)に影響を及ぼすことが明らかになっています。

 後継品として最も有望なのはスルホキシイミン系の殺虫剤で、ネオニコチノイド系殺虫剤に耐性を有する昆虫種を標的とする有効な殺虫剤であると明らかになり、中国・カナダ・オーストラリアで承認され、いくつかのEU加盟国で認可申請手続きが進められています。スルホキシイミン系農薬が花粉媒介者に及ぼす亜致死性の影響は、標準的な生態毒性評価で検出されることは稀ですが、より大きな生態学的規模で重大な影響を及ぼす可能性があるため、そうした潜在的な亜致死性影響の先制的な評価が急務となっています。また、スルホキシイミン系殺虫剤とネオニコチノイド系殺虫剤は生物学的作用機序が同じなので、花粉媒介生物に対するスルホキシイミン類の亜致死的影響の調査も必要となりますが、まだじゅうぶんには行なわれていません。

 この研究は、実験室環境でセイヨウオオマルハナバチ(Bombus terrestris)のコロニーを、スルホキシイミン系殺虫剤の一種であるスルホキサフロルに曝露させた上で、野外環境中に放出すると、セイヨウオオマルハナバチの働きバチと繁殖能力のある雄の生産量が有意に減少する、と明らかにしました。この実験で、成長期の初期にあった25のコロニーを控えめな量のスルホキサフロルに2週間曝露させたところ、曝露後2〜3週間で、これらのコロニーと26の対照コロニーとの間で個体数の差が生じ始め、この差は、コロニーの生活環が完了するまで持続しました。スルホキサフロルに曝露されたコロニーでは、繁殖能力のある仔が54%減少しました。

 この結果は、コロニーの生活史の初期段階においてセイヨウオオマルハナバチの小規模コホートがスルホキサフロルに曝露されると、コロニーの適応度に長期的な影響が及ぶ可能性のあることを示唆しています。これに対して、採餌行動や花粉量に差はありませんでした。この研究は、科学的根拠に基づく法律がなければ、スルホキサフロルへの曝露により、ネオニコチノイド系殺虫剤が花粉媒介生物に及ぼした環境影響と同じような結果が生じる可能性がある、と予測しており、規制当局に対し、新規殺虫剤の使用認可を行う前に致死的影響と亜致死的影響の評価を行なうよう、求めています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【生態学】スルホキシイミン系殺虫剤がマルハナバチのコロニーの適応度に影響を及ぼす

 ネオニコチノイド系殺虫剤の重要な代替品と期待される新しいクラスの殺虫剤が、マルハナバチのコロニーに対して亜致死的影響を及ぼす可能性があることを報告する論文が、今週掲載される。

 スルホキシイミン系殺虫剤は、ネオニコチノイド系殺虫剤に耐性を有する昆虫種を標的とする有効な殺虫剤であることが明らかになり、中国、カナダ、オーストラリアで承認され、いくつかのEU加盟国で認可申請手続きが進められている。ところが、スルホキシイミン系殺虫剤とネオニコチノイド系殺虫剤は、生物学的作用機序が同じで、花粉媒介生物に対するスルホキシイミン類の亜致死的影響の調査は十分に行われていない。

 今回、Harry Siviterたちの研究グループは、実験室環境でセイヨウオオマルハナバチ(Bombus terrestris)のコロニーをスルホキシイミン系殺虫剤の一種であるスルホキサフロルに曝露させた上で、野外環境中に放出すると、セイヨウオオマルハナバチの働きバチと繁殖能力のある雄の生産量が有意に減少することを明らかにした。この実験で、成長期の初期にあった25のコロニーを控えめな量のスルホキサフロルに2週間曝露させたところ、曝露後2〜3週間でこれらのコロニーと26の対照コロニーとの間で個体数の差が生じ始め、この差は、コロニーの生活環が完了するまで持続した。スルホキサフロルに曝露されたコロニーでは、繁殖能力のある仔が54%減少した。この結果は、コロニーの生活史の初期段階においてセイヨウオオマルハナバチの小規模コホートがスルホキサフロルに曝露されると、コロニーの適応度に長期的な影響が及ぶ可能性のあることを示唆している。これに対して、採餌行動や花粉量に差はなかった。

 Siviterたちは、科学的根拠に基づく法律がなければ、スルホキサフロルへの曝露によって、ネオニコチノイド系殺虫剤が花粉媒介生物に及ぼした環境影響と同じような結果が生じる可能性があると考えており、規制当局に対し、新規殺虫剤の使用認可を行う前に致死的影響と亜致死的影響の評価を行うことを求めている。


生態学:スルホキサフロルへの曝露はマルハナバチの繁殖成功率を低下させる

生態学:マルハナバチに対するスルホキシイミン系農薬の亜致死性の影響

 スルホキシイミン系の殺虫剤は、ネオニコチノイド類の後継品となる可能性が最も高い農薬であり、世界の国々ですでに使用が認可されているか認可が検討されている。H Siviterたちは今回、スルホキシイミン系殺虫剤スルホキサフロルへの曝露が、野外で実際に曝露する量で、マルハナバチに対して亜致死性の影響を及ぼすことを報告している。この農薬にさらされたコロニーでは、生産されるワーカーや雄の生殖虫の数が著しく少なかった。この知見は、ネオニコチノイド類の直接的な代替品としてスルホキシイミン類を使用することに対して警告を発するものである。



参考文献:
Siviter H, Brown MJF, and Leadbeater E.(2018): Sulfoxaflor exposure reduces bumblebee reproductive success. Nature, 561, 7721, 109–112.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0430-6
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哺乳類の生殖形質の進化時期

2018/09/06 16:20
 哺乳類の生殖形質の進化時期に関する研究(Hoffman, and Rowe., 2018)が公表されました。哺乳類はおもに生殖様式によって定義され、卵生種もごくわずかに存在しますが、一般に胎生で、母乳で仔を育てます。哺乳類ステム系統における形態・生理・行動の変化は、少数の仔に対する母親の高い投資を特徴とする生殖戦略や、脳の拡大に関連した初期の頭蓋発達における異時的変化の出現など、生殖および成長の著しい変化を伴っていました。哺乳類やその祖先の仔が成体と一緒に化石に保存されることは珍しく、新生仔や胎仔はさらに稀少なので、これらの変化の時期および順序はまだ明らかになっていません。

 本論文は、非哺乳類単弓類としては初となる、孵化前あるいは孵化直後の幼体の化石記録について報告しています。アメリカ合衆国アリゾナ州北東部のカイエンタ累層の前期ジュラ紀(約1億8400万年前)の堆積物から、哺乳形類(Mammaliamorpha)犬歯類に属するトリティロドン類カイエンタテリウム(Kayentatherium wellesi)の良好な保存状態の多数の孵化期幼体が、母親のものと推定される骨格と共に発見されました。トリティロドン類カイエンタテリウムは真正の哺乳類ではないものの、形態的には爬虫類と哺乳類の中間体である、いわゆる「哺乳類型爬虫類(哺乳類様動物)」と称される分類群(単弓類)に属し、哺乳綱トリティロドン科に分類されています。これらの幼体の単一の集合体は少なくとも38個体で、これは現生哺乳類で報告されている一腹仔数の範囲を大きく上回りますが、ワニなどの爬虫類では範囲内に収まり、一腹仔数の減少は哺乳類進化においてより後に起こった、と明らかになりました。

 この発見は、仔数の多さが羊膜類の祖先的状態であったことを裏づけるとともに、哺乳類ステム群における一腹仔数の減少の時期を絞り込むものとなります。発見された孵化期幼体は、サイズはきわめて小さいものの、頭骨の全体的な形状は成体のものと類似しており、個体発生におけるアロメトリー(相対成長)的な顔の伸長は認められませんでした。その成長パターンは、「大きな眼と短い顔」という哺乳類の幼体を連想させる顔つきよりも、トカゲのものによく似ているのではないか、というわけです。唯一認められる正のアロメトリーは、咀嚼筋系を支える骨と関連するものでした。カイエンタテリウムは、哺乳型類(Mammaliaformes)の基部において頭蓋構造の再構成をもたらしたと仮定されている、急激な脳拡大事象の直前に分岐した、と考えられます。カイエンタテリウムに見られる仔数の多さとほぼアイソメトリー(等成長)的な頭蓋成長との関連は、大脳化とそれに伴う代謝および発生の変化が、哺乳類の生殖におけるその後の変化を駆動した、というシナリオと一致します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【進化】哺乳類の生殖形質の進化時期の特定に役立つ動物の家族の化石

 哺乳類に似た動物の成体と仔が一緒に保存された化石について記述された論文が、今週掲載される。米国アリゾナ州で出土したこの新しい化石標本は、1億8400万年前のものとされ、現生哺乳類の生殖戦略と成長戦略が進化した道筋に光を当てる。

 哺乳類を定義する特徴が生殖であることは、ほぼ間違いないだろう。つまり、ほとんど全ての哺乳類が卵生ではなく胎生であり、母乳で仔を育てる。哺乳類は進化するにつれて、産仔数が相対的に減少して個体当たりの母親の投資が大きくなるとともに、幼少期の頭蓋骨の発達に変化が生じて脳が大型化する傾向を示している。しかし、哺乳類やその祖先の仔が成体と一緒に化石に保存されることは珍しく(新生仔や胎仔はさらに稀少)、こうした進化のタイミングは正確に分かっていない。

 今回、Eva HoffmanとTimothy Roweは、現在の米国アリゾナ州北東部で発掘されたジュラ紀初期のKayentatherium wellesiの、成体(母親と推定されている)と共に埋没した仔の一群の化石の発見を報告している。K. wellesiは、真正の哺乳類ではないが、哺乳類様動物の1種である哺乳綱トリティロドン科に属している。

 この一群には38体の仔が含まれていたが、これは哺乳類で予想される産仔数の2倍で、爬虫類の場合に匹敵する。K. wellesiの仔の頭蓋骨は、成体とは大きさが異なるが、形状は似ている。このことは、K. wellesiが現生爬虫類と同じように成長し、現生哺乳類の成熟段階に見られる頭蓋骨の伸長は起こらなかったことを示唆している。このように産仔数の多さと頭蓋骨の均一な成長とが結び付いていることは、脳の大型化が哺乳類の生殖と発達に変化を生み出したとする学説を裏付けている。


古生物学:ジュラ紀のステム群哺乳類の孵化期幼体と哺乳類の生殖および成長の起源

古生物学:哺乳類の生殖様式の起源

 哺乳類は、その名称が示すように、主に生殖様式によって定義される。現生哺乳類には卵を産むものがごくわずかに存在するが、哺乳類は一般に胎生であり、母乳で仔を育てる。哺乳類の生殖の進化史をたどるのは難しく、それは哺乳類の成体が歯以外の痕跡を後世に残すことがまれで、幼体の化石はさらに希少なためである。今回E HoffmanとT Roweは、北米西部の前期ジュラ紀(1億8400万年前)の堆積層で発見された、カイエンタテリウム(Kayentatherium wellesi)という動物の少なくとも38個体の孵化期幼体からなる化石の集合体とその母親と推定される成体の骨格を報告している。カイエンタテリウムは真の哺乳類ではなくトリティロドン類で、形態的には爬虫類と哺乳類の中間体である、いわゆる「哺乳類型爬虫類」と称される分類群(単弓類)に属する。38個体という一腹仔数は哺乳類に考えられるものとしては多過ぎるが、ワニなどの爬虫類では十分範囲内で、一腹仔数の減少は哺乳類進化においてより後に起こったことが示された。また、これらの幼体の頭蓋は成体のそれを縮小したものに似ており、その成長パターンは「大きな眼と短い顔」という哺乳類の幼体を連想させる顔つきよりもトカゲのものによく似ていることが示唆された。こうした顔つきの変化も同様に、その後の哺乳類進化において生じたと考えられる。今回の発見は、哺乳類進化の幕開けにおける動物の家族生活の1こまを映し出すものである。



参考文献:
Hoffman EA, and Rowe TB.(2018): Jurassic stem-mammal perinates and the origin of mammalian reproduction and growth. Nature, 561, 7721, 104–108.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0441-3
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『卑弥呼』第1話「日向の女」(追記有)

2018/09/05 19:18
 『ビッグコミックオリジナル』2018年9月20日号掲載分の感想です。待望の中村真理子氏の新作が始まりました。『天智と天武〜新説・日本書紀〜』の完結(関連記事)後、中村氏の新作としてカエサルの伝記が予告されてからずいぶんと経過し、今年(2018年)6月に読み切りとして『さらばカエサル』が『ビッグコミックオリジナル』に掲載されました(関連記事)。『さらばカエサル』にて「中村氏は近々再登場!!」と告知されていて楽しみにしていたのですが、卑弥呼が題材となり、今でも邪馬台国論争にはそれなりに関心があるので、本作の今後の展開には大いに期待しています。

 本当は、『天智と天武〜新説・日本書紀〜』の空白期間とも言うべき、天武・持統・文武朝を描く連載が始まってほしかったのですが、それは『卑弥呼』完結後の楽しみにとっておきます。もっとも、『卑弥呼』もできるだけ長く続いてほしいものではありますが。原作はリチャード・ウー氏で、長崎尚志氏の原作者名義の一つですから、この点では『イリヤッド』と同じで、その意味でもたいへん楽しみです。なお、『イリヤッド』での原作者名義は東周斎雅楽で、『イリヤッド』にはリチャード・ウー(漢字表記では呉文明)という人物が登場します(関連記事)。『イリヤッド』の最終回(関連記事)から11年以上経過し、再び『ビッグコミックオリジナル』を月2回購入することになり、日常生活における楽しみが増えました。新たにテーマを設定しようかとも思ったのですが、あまり増やし過ぎても面倒なので、当分は『天智と天武〜新説・日本書紀〜』に分類しておきます。


 さて、初回の内容ですが、まずは、主人公のヤノハらしき人物が、洞窟もしくは地下牢で、自分は暗闇の中で死ぬ、思い返せば、短いが波瀾万丈の人生だった、と回想する場面から始まります。おそらくこれは、今回よりもかなり先の場面なのでしょうが、これが最終回につながるのか、あるいは途中でつながってさらに物語が展開するのか、気になるところです。この冒頭の場面もそうですが、謎解き要素のかなり強い作品になりそうで、この点でも大いに楽しめそうです。

 実質的な物語は、100人以上の首が野原に晒されている場面から始まります。時は弥生時代、場所は日向(ヒムカ)です。この「ヒムカ」が具体的にどこなのか、今回は断定されていませんが、かなりの程度は推測可能だと思いますので、後述します。野原には見張りの男性が二人立っており、ヤノハ(この時点ではまだ名前と出自は明かされていません)が草陰に隠れて密かに窺っていました。やがて日食が始まり、見張りの男性二人が動揺したところを、ヤノハは相次いで襲撃して殺し、養母(ということはこの時点では不明なのですが)の首を奪い取り、立ち去ります。

 その後しばらくして、多くの人の首が晒されている野原に、ヒルメという身分の高そうな女性とその従者たちが現れます。トヨタマという従者は、この地の武器はまだ青銅なので、鉄の武器には太刀打ちできないだろう、とヒルメに語ります。やがて日食も終わり、ヒルメ一行は先を急ぎます。賊は穂波(ホミ)の国の者だろうか、とトヨタマに尋ねられたヒルメは、ここは日向なので、穂波の者が都萬(ツマ)を越えて来ることはできないだろう、と答えます。従者の男性は、内海(うちうみ)から上陸した五百木(イオキ)の海賊だろう、と言います。いつまで倭国では戦乱が続くのか、と嘆くトヨタマを、それも近く終わる、とヒルメは諭します。ヒルメたちは殺された見張り二人に気づき、見張りがいたのは祟りを恐れていたからで、槍の穂先にはこの地の「日の守(ひのもり)」の首があったに違いない、とヒルメは指摘します。従者の一人から、見張り二人は青銅の刀で殺されている(傷口を見て判断できるのでしょうか?)、と報告を受けたヒルメは、武器は劣っていても手練れがいるのだな、と感心します。賊の一団が近隣で襲撃を続けているだろう、ということから、ヒルメたちはこの場を立ち去ります。

 崖の近くにまでやって来たヒルメたちは、ヤノハが養母を埋葬しようと穴を掘っているところに遭遇します。ヤノハは警戒心と敵意を露にして刀を抜きますが、ヒルメは冷静に、自分たちは敵ではないので刀を下ろせ、とヤノハに伝えます。それでも刀を下ろさないヤノハに、ヒルメの従者の男性であるホオリが、ヒルメは暈(クマ)の国の「日の巫女の長」だ、と言ってヤノハの無礼を咎めます。ヤノハは、暈からわざわざ物見遊山にでも来たのか、と憎まれ口を叩きます。ヤノハによると、日向はどの国にも属さないものの、暈が守ることになっていたそうです。多くの者が殺された後になって何をしに来たのだ、と言いたくなるのはよく分かります。ヒルメは、日向は遠く、報せを聞いて駆けつけたが手遅れだった、と答えます。

 なぜ危険を冒してまで首を奪ったのか、と尋ねられたヤノハは、「おっかあ」が天照(アマテラス)様に召されるためだ、と答えます。ヒルメは、ヤノハが「日の守」の養女だったと悟ります。ヤノハはそれなりの年齢(10代半ば〜後半?)なのに、顔や体に黥(イレズミ)を入れていない、とヒルメの従者の女性であるイクメが指摘します。『三国志』の『魏書』「烏丸鮮卑東夷伝」には、「男子無大小皆黥面文身」とあります。本作の日向では、一定以上の年齢になると、「日の守」とその後継者候補?を除いて男女は全員黥を入れる、との設定なのでしょうか。「お暈(ひがさ)さま」が欠けた時、賊(見張り二人)が動揺するのを狙って襲ったようだから、「日の守」の養女ゆえに天照様の動きが読めるのか、とヒルメは言いますが、ヤノハは反応しません。穴を掘り続けてよいのか、とヤノハに問われたヒルメは、ホオリに手伝うよう命じます。

 邑は全滅したので「日の守」は継げないだろうから、これからどうするのだ、とヒルメに問われたヤノハは、養母を供養した後は、ただひたすら生き残ることだけを考える、と答えます。本当の両親や兄弟姉妹はいないのか、とヒルメに問われたヤノハは、生みの親の顔は知らず、弟はいたが、昨夜の襲撃で逃げ遅れたので生きてはいないだろう、と答えます。ヤノハが忠義者であることから、連れ帰るよう、イクメはヒルメに進言し、自分もそう考えていた、とヒルメは答えます。しかし、トヨタマは浮かない顔で、「日の巫女」の見習いとするには年をとっている、と言います。するとヒルメは、戦部(イクサベ)に入れて鍛えるのはどうか、と提案し、イクメも賛同します。ヒルメは、養母を葬り無反応なヤノハを、自分たちに同行しないか、と誘います。イクメも、見習いとして「種智院(シュチイン)」で修業しないか、とヤノハを誘います。ヤノハは立ち上がり、ヒルメに付いてく決意を示します。ヤノハはヒルメに名を訊かれ、ここで初めてヤノハという名が明かされます。おそらくずっと後の時点からの回想でしょうが、その時の私には彼らに従うしか生きる術がなかった、と当時のヤノハの心境が語られています。

 ヒルメは、暈の国にある、「日の巫女」集団の学舎である種智院(さすがに空海との関連がある、という設定ではないでしょうが)で修業を始めます。そこにいるのは、師を除けば見習いの女性だけでした。イクメが講師として、倭国について生徒たちに教えます。倭国は八つの島からなり、100以上の国があって100年ほど各国が争っている(倭国大乱)、とイクメは解説します。生徒から戦いの原因について問われたイクメは、鉄と答えて解説を続けます。鉄の原料は韓(から)よりもたらされ、商いを独占しているのは那(ナ)・松浦(マツラ)・怡土(イト)の三国です。那国は穂波と協定を結び、川を渡って内海に出る権利を獲得しました。那国は大倭豊秋津島(オホヤマトトヨアキツシマ)および伊予之二名島(イヨノフタナシマ)の諸国と独占的に鉄の商いができるようになったわけです。那の富は倭国一で暈以上ですが、内海に接する五百木・伊予・宍戸(アナト)・伯方(ハカタ)が那に通行税を要求し、さらにその取り分をめぐって争いを起こしました。一方、鉄を入手する道が閉ざされた秋津島の他の20余国が決起し、倭国は混沌を極めています。

 このイクメの解説の場面には地図が掲載されています。ただ、当時使われていたものなのか、読者への説明の便宜的なものなのか、はっきりしません。この地図が作中設定を正確に反映しているならば、作中の諸国を『三国志』の諸国と照合すると、那=奴、松浦=末盧、怡土=伊都、穂波=不弥となりそうです。作中の地図は現代のような正確なものではないのですが、那・松浦・怡土は通説にしたがって九州北部の佐賀県〜福岡県と設定されているようです。穂波は九州北東部というか、旧国名の豊前に相当するように見えます。都萬は穂波の南に位置し、旧国名の豊後に相当しそうです。しばらくは本作の舞台になりそうな暈は、現在の行政区分で言えば熊本県と鹿児島県に相当しそうです。後の熊襲とも関わりがある、という設定でしょうか。日向は地図には明記されていないのですが、暈の東で都萬の南に位置する区域が空白になっており、ここが日向のようです。後の旧国名の日向、現在の行政区分では宮崎県に相当するようです。日向の武器は鉄製でないとヒルメが語っていますが、弥生時代〜古墳時代初期の宮崎県の鉄器出土数は、鹿児島県を除く九州の他県よりずっと少ないので、その意味でも、本作のヒムカは宮崎県と考えてよさそうです。ここまでは九州となります。内海は瀬戸内海で間違いなさそうです。伯方は瀬戸内海の島で、五百木・伊予・二名島は四国の国のようです。宍戸は現在の行政区分では山口県のようで、大倭豊秋津島は山口県より東の本州を指しており、吉備や畿内もその中にまとめられているようです。九州の一国たる暈の人々の視点なので、本州の国々への関心はさほど高くないのでしょうか。

 倭国大乱とのイクメの解説を聞いた生徒たちは、それを鎮めるのが暈の王であるタケル様なのですね、と目を輝かせて言います。王の名前がタケルであることからも、暈の国は後の熊襲とつながりがある、という設定のように思えます。イクメも、タケル王こそ真の日見彦(ヒミヒコ)で、タケル王に天照様のお告げが降りれば世は太平だ、と生徒たちに誇らしげに語ります。しかし、いつタケル王に平和のお告げが降りるのか、と訊かれたイクメは、分からないと答えて、それまでにお前たちは懸命に、天照様への奉仕の心・暈の国の言い伝え・漢字を学ぶのだ、と諭します。生徒たちは、漢字と言われても何のことか、分からないようです。イクメは、海の向こうには韓、帯方郡の先には巨大な帝の国があり、今は後漢と呼ばれている、漢字では、暈の国は「日」の下に「軍」と記す、つまり天照様の下で戦うという意味だ、と生徒たちに教えます。すでに、倭国では一部の人々が漢字を使っていた、という設定なのでしょうか。後漢や魏との通交の必要上、漢字を解する知識層は存在したでしょうが、その役割を担ったのは、朝鮮半島にいた漢人系役人で、日本列島に定住したか、日本列島と朝鮮半島を往復していたのではないか、と思います。ここで解説文にて、日の巫女は総勢千人で、王の側近の紫の冠位が最高で、全部で12色あり、日の巫女全員と祈祷部(イノリベ)の長であるヒルメは紫の冠位で、二番目の薄紫色の冠位は副長のウサメだ、と明かされます。7世紀初頭に制定されたとする冠位十二階につながる制度がすでにこの時代にあった、という設定なのでしょうか。

 ヤノハはイクメの講義を受けつつ、戦部で訓練を始めます。戦部の師長はククリという名の男性です。戦部とは日見彦および日見彦に仕える巫女集団を守る女性だけの近衛兵だ、とククリは説明します。お前たちにはあらゆる武器を教え込む、お前たちの命は天照様のもので、手がちぎれようとも足がもげようとも、王と日の巫女集団を守るのが使命だ、とククリは見習いの女性たちに伝えます。解説文にて、戦部は祈祷部を頂点とする多くの部の最下層で、見習のヤノハの服の色は薄黒と明かされています。この時代に、すでに6世紀の部につながるような制度があった、という設定なのかもしれません。ヤノハは、ヌカデと捔力(すもう)の訓練を始めます。この時代の捔力は、現在の相撲とは異なり、蹴り合って勝負を決めるようなものだった、とされています。ヤノハは多少苦戦しつつも相手を圧倒しますが、そのまま殺しそうな勢いだったので、周囲が慌てて止めます。ヤノハの狂気が伝わってくる描写でした。

 訓練を終えたヤノハが建物の屋根に登って景色を眺めていると、女性が話しかけてきます。あの山が山杜(ヤマト)で、国ではなく天照大御神(アマテラスオオミカミ)に一番近い聖地だ、そこで我々の年長のおよそ千人の巫女が平和を祈っている、とその女性はヤノハに説明します。その女性は、モモソと名乗ります。モモソは赤の衣を着ており、日の巫女の最高位で祈祷女見習いなのに、屋根に登ってよいのか、とヤノハに訊かれたモモソは、気分転換に外の世界を見たくなった、と答えます。モモソは、自分は祈祷女になる前に死ぬ運命なのだ、とヤノハに明かします。ヤノハにその理由を訊かれたモモソは、「トンカラリン」と答えます。それは天照がどの巫女に降るか見る命がけの儀式で、ヒルメはそれを復活させるようだ、とモモソはヤノハに明かします。疑問に思うヤノハに、倭国大乱を鎮めるには日見子(ヒミコ)がどうしても必要だ、とモモソは説明します。ヒミコとは誰だ、とヤノハに問われたモモソは、直接は答えず、暈のタケル王に天照様が降りるという話は虚構で、その虚構ゆえに倭国のほとんどの人は死ぬ運命だ、とヤノハに伝えます。なぜそんなことが分かるのか、とヤノハに問われたモモソは、私には未来が見える、と笑顔で答えます。モモソとの出会いが、自分を暗闇と死へと導いた、とヤノハが回想するところで今回は終了です。


 初回だけではまだ本作の世界観・設定がよくつかめず、その意味では謎解き要素が多いとも言えるわけで、今後どのように明かされていくのか、楽しみです。本作の舞台は明らかに九州だと思います。予告では、邪馬台国論争とも絡めて本作が紹介されていましたが、本作が邪馬台国九州説を採用している、と判断するのは時期尚早かな、と思います。本作には山杜(ヤマト)という山が登場し、邪馬台国の由来とされるのでしょうが、倭国大乱が鉄をめぐる西日本諸国の広汎な争いと設定されているようなので、それを鎮めて倭国をまとめた卑弥呼(本作では日見子?)が、新たに都を畿内というか纏向に定める、という展開も予想されます。

 まだ本作の世界観はすべて明かされていないでしょうし、日本列島に限らず重要人物も続々と登場するでしょうから、現時点で本作の今後を予想するのはなかなか困難です。そう考えると、『天智と天武〜新説・日本書紀〜』は、関連史料がこの時代よりはるかに多いるだけに、謎解き要素という点では本作より少なかったな、と思います。卑弥呼の時代は、『三国志』の時代でもあります。『三国志』で倭国の扱いがわりと大きいのは、倭国の朝貢および魏からの冊封に、晋王朝の実質的な開祖とも言うべき司馬懿が深く関わっているからかもしれず、その意味で、司馬懿など『三国志』の有名人物の登場も予想されます。邪馬台国論争は現代日本社会ではかなり人気のある歴史的話題で、『三国志』の時代もそれに劣らず人気のある時代なので、両者を結びつけるような展開になれば、本作が高い人気を得ることになるのではないか、と期待されます。

 まあ、あまり先のことを予想しても仕方ないので、今回だけの情報である程度分かったことに限定して述べていきます。まず、言語はある程度共通しているようです。もっとも、漫画表現として、意思疎通困難な描写にすると読者に負担がかかる、という配慮もあるのかもしれませんが。次に、天照大神信仰は、少なくともある程度広範な地域で確立しているようです。もっとも、今回読んだ限りでは普遍的な太陽神信仰といった感じで、もちろん、まだ皇祖神といった要素は見られません。もっとも、本来の皇祖神はアマテラスではなくタカミムスヒとも指摘されています(関連記事)。

 それはさておき、鉄の流通をめぐる深刻な対立や技術・経済格差はあるにせよ、少なくとも九州においては、言語・信仰・風俗に関して共通点は多いようです。しばらくは暈の国(現在の熊本県と鹿児島県?)が舞台でしょうが、九州の他国、さらには四国・本州の各国も舞台となっていき、ある程度の文化の違いはあっても、基本的には類似した世界観において抗争・提携が展開していきそうです。朝鮮半島や後漢、さらには魏も舞台となりそうで、そうなった時に、文化の違いとそれに起因する摩擦や学習がどのように描かれるのか、楽しみです。

 本作の主人公は、明示されているわけではないのですが、ヤノハと考えて間違いなさそうです。今回冒頭の、ヤノハが洞窟もしくは地下牢で死を覚悟している時点からの回想を時々挟みつつ、物語は進行していきそうです。ヤノハの回想と今回描かれた狂気の側面から推測すると、ヤノハは暗殺や各種謀略など「汚れ仕事」に手を染めることになりそうです。モモソとの出会いにより自分は暗闇と死へと導かれた、とヤノハは回想していますから、モモソとの関わり合いのなかで、ヤノハは「堕ちていく」ことになるのでしょう。本作の主題はヤノハとモモソの関係性になる、と現時点では予想しています。ヤノハも強い性格の持ち主のようですから、モモソに一方的に利用されることはないでしょうし、未来が見えるというモモソも、得体の知れないところがあるので、ヤノハに担がれるだけということはないでしょう。信頼と不信、愛情と憎悪、嫉妬と尊敬といった複雑な関係性が両者の間で描かれるのではないか、と思います。あるいは、両者の性愛的な関係も描かれるかもしれません。

 そのモモソは、おそらく多くの読者が予感しているでしょうが、後の卑弥呼だと思います。名前は、卑弥呼の人物比定において有力説だろう倭迹迹日百襲姫命に由来するのでしょう。そうだとすると、現時点では九州が舞台と思われますが、後には纏向遺跡一帯が舞台となり、箸墓古墳の築造まで描かれるのかもしれません。ともかく、色々と謎解き要素の多い作品になりそうですし、現在はまだ後漢王朝の時代ですが、後には魏王朝が成立し、司馬懿などの有名人物の登場も予想されますから、今後の展開が楽しみです。第2話も、初回に続いて巻頭カラーとのことで、『ビッグコミックオリジナル』編集部も本作にはかなり力を入れているようです。編集部もそれだけ本作に手応えを感じているのでしょうが、本作が編集部の期待以上の高い人気を得て、長期間続くよう願っています。


追記(2018年9月6日)
 都萬は『三国志』の投馬だと思います。近年では、投馬国は本州と思いこんでしまっていたので、本文執筆時には思いつきませんでした。投馬国が九州、旧国名では豊後にあるとすると、『三国志』ではそこから南に行くと邪馬台国があるとされているので、邪馬台国は現在の宮崎県、旧国名では日向にある、ということになりそうです。ただ、本文でも述べたように、モモソが後の卑弥呼(本作では、倭国においては本来、日見子という表記と設定されているようですが)である可能性は高そうなので、最終的には奈良県の纏向遺跡一帯が邪馬台国になるのではないか、と予想しています。邪馬台国は九州にも畿内にも存在した、というわけです。確か、黒岩重吾氏がそのような説を提唱していたと記憶していますが、自信はありません。日向から奈良(大和)への東遷ということで、神武東遷説話とも絡めて話が進行しそうな気もします。そうだとすると、魏王朝も描かれるでしょうし、かなり雄大な物語になりそうで、今後の展開がひじょうに楽しみです。
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小児期の生活が思春期を迎える年齢に及ぼす影響

2018/09/04 16:45
 小児期の生活が思春期を迎える年齢に及ぼす影響についての研究(Magid et al., 2018)が公表されました。エネルギー面で高コストと考えられている男性の生殖投資は、テストステロン値・思春期のタイミング・身長に反映され、地域の環境と相関すると考えられています。しかし、男性の生殖投資が小児期の発達中に決定づけられるのか、成人期にも影響を受けるのか、あるいは民族性によって異なるのか、などといったことはよく分かっていません。

 この研究は、小児期にイギリスへ移住したバングラデシュ人男性を対象に調査を実施しました。その結果、バングラデシュからイギリスへと移住した男性たちは、社会経済学的地位が同様で出生以来イギリスに居住し続けているヨーロッパ系イギリス人男性と比較して、身長が同等以上で、唾液中のテストステロン値が高い、と明らかになりました。また、バングラデシュにとどまっている男性との差が最大となるのは、8歳になる前にイギリスに移住した男性たちであることも明らかになりました。

 この研究は、生殖的発達への投資が、感染症との闘いなどエネルギーを要する小児期の他の過程と「トレードオフ(交換)」の関係にあるのだろう、と論じています。これらの知見は、移住者女性における思春期の開始と生殖ホルモン値に関する既報の研究に類似しており、世界的に裕福さと栄養状態が向上する中で、思春期のタイミングやホルモン関連疾患がどのように変化していくのかを理解する上で役立つ、と考えられます。進化的観点からも注目される研究だと思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


小児期が男性の生殖投資に影響する

 英国で育つバングラデシュ人の少年は思春期が早く、成人後のテストステロン値が高く、バングラデシュ在住者よりも長身となることを示唆する論文が、今週掲載される。こうした違いは、感染症への曝露など、小児期に経験する同類の環境要因で生じるものと考えられる。

 エネルギー面で高コストと考えられている男性の生殖投資は、テストステロン値、思春期のタイミング、および身長に反映され、地域の環境と相関する。しかし、男性の生殖投資が小児期の発達中に決定付けられるのかどうか、成人期にも影響を受けるのかどうか、あるいは民族性によって異なるのかどうかはよく分かっていない。

 Kesson Magidたちは、小児期に英国へ移住したバングラデシュ人男性を対象に研究を行った。その結果、こうした移住者たちは、社会経済学的地位が同様で出生以来英国に居住し続けているヨーロッパ系英国人男性と比較して、身長が同等以上であり、唾液中のテストステロン値が高いことが明らかになった。また、移住した男性とバングラデシュにとどまっている男性との差が最大となるのは、8歳になる前に移住した男性たちであることも分かった。

 Magidたちは、生殖的発達への投資が、感染症との闘いなど、エネルギーを要する小児期の他の過程と「トレードオフ」の関係にあるのだろう、と論じている。今回の研究結果は、移住者女性における思春期の開始と生殖ホルモン値に関する既報の研究に類似している。こうした知見は、世界的に裕福さと栄養状態が向上する中で、思春期のタイミングやホルモン関連疾患がどのように変化していくのかを理解する上で役立つと考えられる。



参考文献:
Magid K. et al.(2018): Childhood ecology influences salivary testosterone, pubertal age and stature of Bangladeshi UK migrant men. Nature Ecology & Evolution, 2, 1146–1154.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0567-6
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二酸化炭素の排出により損なわれる人間の栄養状態

2018/09/03 16:43
 二酸化炭素の排出が人間の栄養状態に与える影響についての研究(Smith, and Myers., 2018)が公表されました。大気中の二酸化炭素濃度は、思い切った気候変動緩和策が取られない限り、今後30〜80年間に550 ppmを超えてしまう、と予想されています。二酸化炭素濃度がこのような値まで上昇すると、多くの主要作物に含まれる鉄・タンパク質・亜鉛の量が3〜17%減少する、と推定されています。このような食物栄養素の減少は、健康転帰の悪化につながる可能性があります。この研究は、大気中二酸化炭素濃度の上昇が151ヶ国の国民の鉄分・タンパク質・亜鉛分の摂取量の充足性に及ぼす影響を、225種の食物についての年齢別・性別の入手可能性モデルを使って調べました。

 その結果、大気中二酸化炭素濃度が上昇すると、2050年までに、1億7500万人が新たに亜鉛欠乏症になり、1億2200万人が新たにタンパク質欠乏症になる、と明らかになりました。また、妊娠可能年齢の女性と5歳未満の子供の計14億人が、貧血の有病率が20%を超える国に居住し、食事からの鉄分摂取量が4%以上減少することになる、と予想されています。飢餓状態が顕著に悪化し、こうした変化を補うための政策実施への機運が高まるまでに、栄養欠乏症の有病率と重症度は全世界で増加してしまう可能性があります。この点が特に懸念されているのが、アフリカ・南アジア・東南アジア・中東です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


二酸化炭素の排出が人間の栄養に悪影響を及ぼす可能性

 今後、大気中の二酸化炭素濃度が上昇すると、世界の多くの地域で人間の栄養状態が損なわれる恐れのあることを報告する論文が、今週掲載される。

 大気中の二酸化炭素濃度は、思い切った気候変動緩和策が取られない限り、今後30〜80年間に550 ppmを超えてしまうことが予想されている。二酸化炭素濃度がこのような値まで上昇すると、多くの主要作物に含まれる鉄、タンパク質、亜鉛の量が3〜17%減少すると推定されている。このような食物栄養素の減少は、健康転帰の悪化につながる可能性がある。

 今回、Matthew SmithとSamuel Myersは、大気中二酸化炭素濃度の上昇が151カ国の国民の鉄分、タンパク質、亜鉛分の摂取量の充足性に及ぼす影響を、225種の食物についての年齢別・性別の入手可能性モデルを使って調べた。

 その結果、大気中二酸化炭素濃度が上昇すると、2050年までに、1億7500万人が新たに亜鉛欠乏症になり、1億2200万人が新たにタンパク質欠乏症になることが明らかになった。また、妊娠可能年齢の女性と5歳未満の子どもの計14億人が、貧血の有病率が20%を超える国に居住し、食事からの鉄分摂取量が4%以上減少することになるとされる。

 飢餓状態が顕著に悪化し、こうした変化を補うための政策実施への機運が高まるまでに、栄養欠乏症の有病率と重症度は全世界で増加してしまう可能性がある。この点が特に懸念されているのが、アフリカ、南アジア、東南アジア、中東である。



参考文献:
Smith MR, and Myers SS.(2018): Impact of anthropogenic CO2 emissions on global human nutrition. Nature Climate Change, 8, 9, 834–839.
https://doi.org/10.1038/s41558-018-0253-3
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中央・南アジアの古代DNA

2018/09/02 19:41
 中央・南アジアの古代DNAに関する研究(Narasimhan et al., 2018)が報道されました。本論文はまだ査読中なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、興味深い内容なので取り上げます。本論文は、イラン・中央アジア・南アジアの古代人362人の全ゲノムデータを新たに生成し、既知の古代人のゲノムデータと比較しました。年代は紀元前10000年〜紀元後1年頃となります。本論文の対象地域を大きく分けると、イランおよびトゥーラーン(現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン)、西部および中央部草原地帯と現在のカザフスタンおよびロシアを囲む北部森林地帯(森林・草原地帯)、北部パキスタン(南アジア)です。新たに生成されたゲノムデータは、イランおよびトゥーラーンからは132人、森林・草原地帯からは165人、南アジア)からは65人となります。イラン東部とトゥーラーンの銅器時代・青銅器時代(紀元前5600〜紀元前1200年)、シベリア西部森林地帯(紀元前6200〜紀元前4000年)、ウラル山脈の東側の草原地帯の銅器時代・青銅器時代(紀元前4700〜紀元前1000年)、パキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の鉄器時代と歴史時代(紀元前1200〜紀元後1年)の古代ゲノムデータは、刊行された人類のものとしては最初となります。

 本論文は、考古学・年代学的情報に基づき古代人を分類し、612人の古代人を含むデータセットを、南アジアの異なる246の民族集団の現代人と共に分析・比較しました。古代人の標本に関しては、少なくとも15000ヶ所の一塩基多型を分析できるものに限定されました。本論文が分析対象にした古代人は大きく祖型的な7系統に分類され、それぞれの系統の複雑な融合により、現代人へとつながる系統が形成されました。その7系統とは次の通りです。(1)紀元前7000年紀のアナトリア半島西部農耕民と関連した系統(AA)、(2)中石器時代ヨーロッパ西部に代表されるヨーロッパ西部の狩猟採集民(WHG)系統、(3)紀元前8000年紀までのイランのザグロス山脈地域の牧畜民に代表されるイラン農耕民関連系統(IA)、(4)ヨーロッパ東部の多様な遺跡の狩猟採集民に代表されるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)関連系統、(5)ユーラシア系統の深い源となるシベリア西部狩猟採集民(WSHG)、(6)漢人に代表される東アジア関連系統(EA)、(7)現代のアンダマン諸島住民と深く関連していると仮定されている古代祖型インド南部人関連系統(AASI)です。


●イランおよびトゥーラーン地域

 イランのザグロス山脈地域の初期農耕民(IA)は、他地域とは異なるユーラシア西部系統で、イランのもっと広範な地域の後の集団は、IA系統と初期アナトリア半島農耕民(AA)系統との混合により形成されました。AA系統の遺伝的要素は、イランの西部から東部にかけて、70%〜30%と低下していきます。また、3%程度のトゥーラーンの遺伝的要素も見られます。この地域的連続変異(クライン)は、紀元前7千年紀〜紀元前6千年紀における西方から東方へのコムギおよびオオムギの拡大と一致しており、AAが、西方のヨーロッパ方面だけではなく、東方のイラン方面にも拡大した可能性を示しています。イランにおけるAA系統の増加は、レヴァントからの先土器農耕民の拡散を反映している、との説もあります。しかし、メソポタミアの初期農耕民ではAAやIAの遺伝的影響が確認されていないので、この地域的連続変異がいつ確立したのか、決定は困難です。イラン東部やトゥーラーンでは、WSHGとの交雑も検出され、ユーラシア北部集団が、ヤムナヤ(Yamnaya)関連草原地帯牧畜民(SEMBA)の拡大前に、トゥーラーンに遺伝的影響を与えた、と推測されます。

 青銅器時代のトゥーラーンからは、紀元前2300〜紀元前1400年のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化とその直接的な後継文化の69人のゲノムデータが報告されています。大半の個体は、同一ではないにしても、トゥーラーン先住民の遺伝的変異内に収まり、その遺伝的構成は、BMACが60%、AAが21%、WSHGが13%と推定されています。BMAC 集団は、都市化の前から融合していたようです。BMAC集団のゲノムには、現代南アジア人のゲノムでは一般的な草原牧畜民系統が欠如しており、 BMAC は現代南アジア人の祖先ではなさそうです。つまり、現代南アジア人に遺伝的影響を与えた草原地帯牧畜民は、トゥーラーンを迂回したようです。BMAC 集団は、先行のトゥーラーン集団とは異なり、北上してきたAASI系統から5%程度の遺伝的影響を受けたようです。

 紀元前2300年頃までのトゥーラーンでは、BMAC遺跡の2人で、その前後のカザフスタンの複数の遺跡の人類遺骸と同様に、WSHG系統が観察されます。最も節約的な解釈は、BMACの前に中央アジアに広く拡散していたケルテミナー(Kelteminar)文化集団の影響です。重要なのは、トゥーラーンにおいて、紀元前3000年紀のBMACのどの個体にもSEMBA系統が見られないことです。SEMBAはまだこの地域には拡散していなかっただろう、というわけです。紀元前2100〜紀元前1700年前には、BMACの遺跡3ヶ所でSEMBA系統が確認され、SEMBA系統集団の南下が窺えます。

 また、紀元前3100〜紀元前2200年前のBMAC集団では、紀元前1200〜紀元前800年のインダス川流域北部のスワート渓谷地域集団と類似した遺伝的構成が見られます。この集団の遺伝的構成は、AASIから14〜42%、残りがIA系統とWSHG系統です。イランおよびトゥーラーンの同時代およびそれ以前の人類標本と同様に、これらの標本でも草原地帯牧畜民関連系統の証拠は見られませんでした。インダス文化集団から直接的に古代人のDNAを解析できたわけではありませんが、インダス文化とBMACの文化的交流の痕跡、インダス文化以後のスワート渓谷集団との遺伝的類似性、南アジアからの移住を示唆するかなりのAASIの 遺伝的要素、現代インド人の予想される古代型祖先集団との合致から、この時期のBMAC集団にはインダス文化集団、もしくは本論文がインダス文化周辺部(IP)と呼ぶ地域の集団からの移住があった、と推測されます。IPは、インダス文化との深い文化的関係が想定されています。ただ、上述したようにインダス文化集団の古代DNA解析はまだ報告されていないので、その他の可能性も想定されます。また、インダス文化は多様だったと考えらるので(関連記事)、その担い手の遺伝的構成は、インダス文化の各地域集団によりかなり異なっていた可能性も想定されます。


●草原・森林地帯

 WSHGの遺伝的構成は、30%程度のEHG 、50%程度の紀元前22000〜紀元前15000年頃の祖型北部ユーラシア人、20%程度のEA系統です。WSHG系統は草原地帯南部とトゥーラーンで見られ、カザフスタンの紀元前3000年紀初期の個体では80%ほどの遺伝的影響を与えており、紀元前2000年紀のカザフスタンとトゥーラーンの個体にも遺伝的影響を及ぼしています。紀元前2000〜紀元前1400年にかけて、ヨーロッパ東部とウラル草原地帯には遺伝的に比較的均質な集団が存在しました(SMLBA)。この集団は、草原地帯系統とヨーロッパ中期新石器時代農耕民(EMN)系統との混合です。これは、ヨーロッパ東部集団の西進と在来の農耕民との混合、さらにはその集団がウラルを越えて西方へと「逆流」してきた、との以前の見解と一致しています。

 SMLBA 西部集団の遺伝的構成は、EMN系統 が26%、SMLBA 系統が74%と以前の報告では推定されています。この地域のシンタシュタ(Sintashta)文化集団では、SEMBA・WSHG・EA系統の遺伝的影響が高くなる場合も見られ、多様な系統がいた、と推測されます。草原地帯南東端では紀元前1600〜紀元前1500年にもIA系統との顕著な交雑が見られ、トゥーラーンから草原への北方向の遺伝子流動がありましたが、同じ頃に、SMLBA 系統がトゥーラーンを通って南アジアへと移動しました。

 紀元前1700〜紀元前1500年には、複数の遺跡において、EA系統およびSMLBA 系統の残存集団の遺伝的影響が、最大で25%になる個体も確認されます。同様の遺伝的構成は、紀元前1500〜紀元前1000年前頃となる、草原地帯の後期青銅器時代でも見られます。こうしたEA系統要素は、後のスキタイ期と同様のタイプです。一方、現代南アジア人には、EA系統は無視してよいくらい低い割合しかありません。中央アジアには、まだDNAが解析されていない、東アジア関連系統と無視してよいくらいしか交雑していない集団がいて、後に南アジアに移住した、とも考えられます。しかし、南アジアの草原地帯牧畜民系統の少なくともいくつか、おそらくすべては、その起源が紀元前2000年紀の移住にあり、EA系統が草原地帯へと拡散する前に南方へと移動した、と考えられます。


●南アジア

 南アジアの現代人の形成過程に関しては、最近『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』を取り上げたさいに言及しましたが(関連記事)、本論文の見解はそれを更新すると言えるでしょう。現代インド人は、祖型南インド人(ASI)と祖型北インド人(ANI)とのさまざまな程度の混合により形成された、と考えられています。しかし、単純に両者の融合により形成されたのではありません。南アジアにおける現代インド人はおもに、アンダマン諸島の住民と近縁の、おそらくは更新世から南アジアに存在した集団(AASI)、新石器時代にイラン方面から南アジアに到来したIA、紀元前2000年紀に草原地帯より南下してきたSEMBA系統から構成されます。

 IP系統は在来のAASI系統にイラン方面から東進してきたIA系統の混合により形成されました。IP系統がおそらくはインダス文化衰退後に南アジア全域に拡散し、AASI系統と混合していったことにより、ASI系統が形成されました。ASI系統における遺伝的影響の比率はAASI系統が73%でIA系統が27%と推定されています。ANIは、トゥーラーンの農耕民関連系統(45%)とSEMBA系統(55%)の混合により形成されました。現代南アジアで見られるY染色体ハプログループR1aは草原地帯牧畜民に由来すると推測されており、SMLBAでは68%と高頻度ですが、本論文のデータでは、SEMBAでは見られません。これは、南アジアにおけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の低さを指摘した見解(関連記事)と整合的かもしれません。

 インド南部には、IP系統の割合の高い集団が存在し、パキスタン北部にも同様の集団が存在します。したがって現在でも、ASIとANIとが交雑していない集団は、南アジアに孤立して存在します。AASIは、東アジア系統・オーストラリア(およびニューギニア)系統・アンダマン諸島系統と共通祖先を有し、これらの系統は1回のみの東進で南アジアに達し、その後に各系統にすぐに分岐した、と推測されます。ASIと ANIはともに紀元前2000年紀初めには確実には形成されておらず、紀元前2000年紀、おそらくはインダス文化衰退後に、本格的に形成されたと推測されます。ASI形成の契機は紀元前3000年頃のインドへの西アジアの穀物・家畜の導入とも考えられます。あるいは、インダス文化衰退後のインダス川流域からの文化の東進と関連しているかもしれません。

 オーストロアジア語族はおそらく紀元前3000年紀に南アジアに到達して在来集団と交雑し、この時点ではASIはまだインド全域には拡散していなかったと思われます。紀元前1200〜紀元後1年のスワート渓谷の集団は遺伝的にIP集団と類似しているものの、SMLBA要素が22%以下ある点では異なります。これは、紀元前2000年紀にSMLBA系統が南アジア集団に統合されていた直接的証拠となり、SMLBA系統がこの頃に南方へと拡大した証拠と一致します。紀元前1000年紀のスワート渓谷の集団は、インドの地域的連続変異と類似する、草原地帯系統とAASI系統のもっと高い割合を有しており、南アジアにおいて、草原地帯関連系統が増加し、時代を通じてASI系統との追加の交雑があったことを示しています。


●考古学および言語学との関連

 IA系統とAASI系統の混合集団は紀元前3000年紀に確立し(IP)、IA系統とAASI系統の交雑は紀元前4700〜紀元前3000年と推定されています。つまり、IA系統はインダス川流域に紀元前4000年紀までには到達していたわけです。しかし、コムギ・オオムギ・ヤギ・ヒツジが紀元前7000年紀には西アジアから南アジアに到達しており、こうした家畜や栽培種は人間ともに移動することが珍しくないので、IA系統の南アジアへの拡散はもっと早かった可能性があります。これらの栽培種や家畜種がいつ南アジアに到達したかに関わらず、遺伝的証拠は、IP系統がANIとASIの両方に大きな割合で寄与しており、両系統は紀元前2000年紀には形成され、それはインダス文化の衰退とインド北部の定住パターンの大きな変化と重なっている、と示しています。

 倹約的な仮説は、SMLBA集団が紀元前2000年紀に南方へと移動し、インダス文化終末期にインダス周辺部関連集団と交雑してANIを形成し、IP系統集団はさらに南と東へと移動し、インドのAASI集団と交雑してASIを形成した、というものです。ドラヴィダ語族の拡大もまた、この過程と関連している可能性が高そうです。インド・ヨーロッパ語族の拡散はSMLBA集団の拡散と関連しており、考古学的証拠とも整合的と考えられます。また、これはカースト制度との関連も指摘されています。ヨーロッパでは、SEMBA集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族が拡散した、と考えられます。

 このような南アジアの現代人の形成史は、もちろん、細かく見れば色々と違いはあるのですが、ヨーロッパのそれと類似しています。まず、両地域とも紀元前7000年紀〜紀元前6000年紀に西アジアから農耕民集団が拡散してきて、在来の狩猟採集民集団と混合しました。その後、両地域には草原地帯牧畜民が到来し、在来の農耕民集団と融合し、現代の地域集団の基本的な遺伝的構成が形成されました。もっとも、ヨーロッパと南アジアに限らず、多くの地域では、後期更新世〜完新世にかけての人類集団の複雑な移住・混合により、現代の地域集団が形成されたのでしょう。東南アジアでも、先住の狩猟採集民・初期農耕民・もっと後の移住民の波という3系統の混合により現代人の遺伝的構成が形成された、と推測されており(関連記事)、インドやヨーロッパと類似している、と言えそうです。日本列島についても、複数の大きな移住の波が想定されており(関連記事)、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2018): The Genomic Formation of South and Central Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/292581
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大河ドラマ『西郷どん』第33回「糸の誓い」

2018/09/02 19:39
 薩摩藩と長州藩との提携が成立した後、その貢献者の一人である坂本龍馬が、宿泊していた寺田屋で幕吏に襲撃されます。寺田屋を脱出した龍馬は重傷を負い、薩摩藩邸に匿われます。龍馬は西郷吉之助(隆盛)に誘われて、妻のお龍と共に薩摩へと向かいます。奔放な龍馬とお龍に吉之助の妻の糸は翻弄されます。幕府は長州藩の再度の征伐を諸藩に命じますが、薩摩藩は従えない、と大久保一蔵(正助、利通)は堂々と幕府重臣に宣言します。

 幕府と長州藩の戦争が始まる中、龍馬は長州藩に向かいます。龍馬はお龍を薩摩に残していくつもりでしたが、龍馬と生死を共にする覚悟を決めているお龍を見た糸は、お龍に龍馬が長州藩に行くことを伝えます。そんな中、イギリス公使パークスが薩摩藩を訪れ、島津久光たちと会見します。パークスは、宴会だけで薩摩藩との交渉が進まないことに苛立ち、交渉を打ち切ろうとします。そこへ吉之助がイギリス船に単身で乗り込み、パークスと交渉します。天皇と将軍がいる現状で誰と交渉すればよいのか、とパークスに問われた吉之助は、薩摩藩が天皇中心の国家を樹立する、と返答します。パークスは吉之助を信用し、交渉は成功します。糸は、愛加那(とぅま)に嫉妬していたことを打ち明け、吉之助を支える、と誓います。

 今回は吉之助と糸が夫婦としての関係を確たるものにする過程が描かれました。そこへ龍馬とお龍とを絡めたのは、物語として悪くはなかったと思います。まあ、同じく西郷隆盛が主人公ということで、本作と比較対象になる『翔ぶが如く』の進行と比較すると、もう9月なのにそんなことをやってよいのか、とも思いますが。Twitterなどネットで本作の感想を少し検索すると、罵倒・批判する人が多く、その気持ちがまったく分からない、とまで思いませんが、放送開始前の期待値が低かったためか、私はそれなりに楽しんで視聴を続けています。とくに、演者は全体的に健闘しているのではないか、と思います。
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橋昌明『武士の日本史』

2018/09/02 07:17
 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2018年5月に刊行されました。本書は武士を視点に据え、通俗的な日本史像・武士像を見直しています。著者は武士見直し論の代表的研究者の一人で、本書は著者の武士論の一般向け集大成といった感もあります。著者の他の著書をそれなりに読んできたので、私にとって本書の見解はとくに意外ではなかったのですが、古代から現代までを射程に入れ、武士成立論から武具や武士の道徳の変遷と多岐にわたって議論が展開されているので、改めて情報を整理できるとともに、新たに得た知見も多く、たいへん有益でした。

 著者の専門は中世史でもとくに前期なので、近世史や近現代史に関する本書の認識に関しては、専門家からは色々と異論があるかもしれません。それでも、門外漢には、本書の価値を大きく損ねるほどの瑕疵はなかった、と思えました。成立期を中心とした武士見直し論は一般層にもそれなりに浸透しているように思いますが、古代後期〜中世前期は、戦国時代や幕末や近現代ほど一般層の関心は高くない時代でしょうから、本書の見解が意外というか新鮮に思えた読者は少なくいかもしれません。ただ、本書でも指摘されているように、著者の武士成立論には都偏重との批判も依然として多いようです。また、平氏政権を「六波羅幕府」と規定する著者の見解への賛同者は少ないようです。本書を読むうえで、これらの点は注意しておかねばならないでしょう。

 元々著者の武士見直し論は、武士成立における都の役割の重視といった古代〜中世前期の問題に限らず、広く日本史像と武士像を見直す視野の広いもので、本書最大の魅力もその点にあると思います。本書は思想史、さらには日本人の武士に関する認識の変遷にもかなりの分量を割いており、武士の在り様や規範が中世初期と近世とで大きく異なるのに、近代以降の日本では、近世以降の武士道徳を基盤に近代になって創出されたような武士像・武士道徳が、広く国民の規範として持ち出され、日本人の意識を規定している、と指摘します。そうした規範が巨大な負の影響を及ぼしたという側面は多分にあるでしょうから、安易に「サムライ**」などと言ってしまう現代の社会風潮にたいして、懐疑的な視線を向けることは絶対に必要でしょう。
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古人類学の記事のまとめ(35)2018年5月〜2018年8月

2018/09/01 07:46
 2018年5月〜2018年8月のこのブログの古人類学関連の記事を以下に整理しておきます。なお、過去のまとめについては、2018年5月〜2018年8月の古人類学関連の記事の後に一括して記載します。私以外の人には役立たないまとめでしょうが、当ブログは不特定多数の読者がいるという前提のもとに執筆しているとはいえ、基本的には備忘録的なものですので、今後もこのような自分だけのための記事が増えていくと思います。


●ホモ属登場以前の人類関連の記事

初期人類の多様性と気候の関係
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_21.html

社会的相互作用により協調する2匹のサルの脳
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_39.html

アフリカ南部の初期人類の頭蓋
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_46.html

アファレンシスの幼児の足
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_9.html

人類の器用な手の進化の要因
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_26.html

アフリカ南東部の過去200万年間の気候変動とロブストスの絶滅
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_3.html


●ネアンデルタール人・現生人類以外のホモ属関連の記事

ルソン島における70万年前頃の人類の痕跡
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_5.html

ナレディの頭蓋形態
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_26.html

ジャワ島のエレクトスをめぐる研究動向(2)
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_46.html

中国北部の212万年前頃の石器
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_19.html

アラビア半島中央部のアシューリアン
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_18.html

石器製作技術と手の動作
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_34.html


●ネアンデルタール人関連の記事

ネアンデルタール人による石の意図的な線刻
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_9.html

NHKスペシャル『人類誕生』第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_25.html

ネアンデルタール人の食人行為
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_24.html

ネアンデルタール人の雌とホモサピエンスの雄は生殖することがほとんどないか、全くない?
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_41.html

『コズミック フロント☆NEXT』「ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか?」
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_44.html

ネアンデルタール人による近距離狩猟
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_47.html

ネアンデルタール人の火起こし
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_31.html

ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_36.html

ネアンデルタール人の絶滅における気候変動の影響
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_48.html


●フロレシエンシス関連の記事

人類史上少なくとも2回独立して起きた島嶼化
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_4.html


●現生人類の起源や象徴的思考に関する記事

アフリカ東部における中期石器時代〜後期石器時代への移行
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_19.html

レヴァントの早期上部旧石器時代の年代
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_27.html

人類の眉弓の機能
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_34.html

ホモ属における脳容量増大の要因
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_38.html

現生人類と古代型ホモ属との交雑の論点整理
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_8.html

現生人類の起源と進化
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_32.html

現生人類はどのように進化したのか
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_40.html

森恒二『創世のタイガ』第3巻(講談社)
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_42.html

mtDNAハプログループL3系統の起源
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_45.html

多地域進化説の成立過程補足(人種問題との関連)
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_3.html

現生人類アフリカ多地域進化説
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_20.html

現生人類の起源と拡散をめぐる新展開
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_36.html

門脇誠二「西アジアにおける新人の拡散・定着期の行動研究:南ヨルダンの遺跡調査」
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_43.html

David Reich『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_44.html

現生人類の生態的地位
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_47.html

ショーヴェ洞窟壁画の年代
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_9.html

ヨーロッパの人類史
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_30.html

現生人類の心理的傾向の進化
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_39.html

出穂雅実「北東アジアにおける現生人類の居住年代と行動を復元する際の諸問題」
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_44.html


●日本列島やユーラシア東部に関する記事

DHC会長独占手記「アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だった」
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_2.html

縄文時代における九州と朝鮮半島との交流
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

東南アジアの古代ゲノム解析
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_29.html

古墳時代の東北地方の豪族の形態・DNA・食性
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_47.html

日本列島にはいつから人類が存在したのか
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_4.html

清家章『埋葬からみた古墳時代 女性・親族・王権』
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_6.html

縄文時代から弥生時代への移行
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_12.html

「朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主」との言説に関する備忘録
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_20.html

「縄文人」の起源
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_28.html

22000年前頃のパンダのmtDNA解析
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_37.html

現代東南アジア人の形成過程
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_11.html

NHKスペシャル『人類誕生』第3集「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_25.html

日本列島における土器利用の変遷
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_27.html

『洋泉社ムック歴史REAL 日本人の起源』
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html

春秋戦国時代における性差の拡大
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_21.html


●アメリカ大陸における人類の移住・拡散に関する記事

北アメリカ大陸北西部の先住民集団のゲノム解析
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_3.html

アメリカ大陸先住民集団の形成史の見直し
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_2.html

クローヴィス文化の埋葬遺骸の年代の見直し
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_38.html

アメリカ大陸在来イヌの起源と現代のイヌへの影響
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_15.html

現代ペルー人の形成史
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_22.html

アメリカ大陸への人類最初の移住経路
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_17.html


●ネアンデルタール人滅亡後のユーラシア西部に関する記事

インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

ユーラシア草原地帯の人類集団史とB型肝炎ウイルス感染の痕跡
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_28.html

アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_1.html

完新世最初期の急激な気候変動に対応した人類
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_26.html

新石器時代におけるイベリア半島からアフリカ北西部への移住
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_48.html

ヤギの家畜化
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_12.html

中世ヨーロッパにおけるハンセン病の遺伝的リスク
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_17.html

農耕よりもさかのぼるパン作り
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_29.html

ストーンヘンジの埋葬者の出身地
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_10.html

レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_35.html


●進化心理学に関する記事

他者の笑顔への反応
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_16.html

原田隆之『サイコパスの真実』
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_21.html

協力行動と不確実性の許容との関係
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_27.html

子供は外国語を話す相手でも声の調子から感情を認識できる
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_31.html

仲間が危険を冒すと自分も危険を冒しやすい
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_52.html

テストステロンと商品選択の関係
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_6.html

社会的相互作用の遺伝的決定因子
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_7.html

確率論的ゲームにおける協力の進化
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_21.html

配偶者による暴力の進化的起源
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_11.html

知能と神経症傾向に関連する遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_54.html


●その他の記事

毛髪の色に関連する遺伝子
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_6.html

最終氷期極大期から完新世までの温度変動
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_10.html

日焼けと関連する遺伝的要因
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_17.html

太田博樹『遺伝人類学入門 チンギス・ハンのDNAは何を語るか』
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_31.html

遺伝子発現に影響を及ぼす局所環境
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_37.html

新石器時代における人類のY染色体の多様性激減の要因
http://sicambre.at.webry.info/201805/article_48.html

類人猿の新たな高解像度ゲノム
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_18.html

繰り返されていたグレートバリアリーフの移動
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_19.html

人類史における移住・配偶の性的非対称
http://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

松田洋一『性の進化史 いまヒトの染色体で何が起きているのか』
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_23.html

ディンゴのオーストラリアへの到来年代
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_32.html

最終氷期極大期の開始時における氷床形成の詳細
http://sicambre.at.webry.info/201807/article_41.html

マダガスカル島の人口史
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_5.html

ヤンガードライアス期の氷河深部の融解
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_15.html

アフリカ中央部の人口史
http://sicambre.at.webry.info/201808/article_22.html

交雑する人類
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_28.html

読み書き計算と関連する遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_55.html



過去のまとめ一覧

古人類学の記事のまとめ(0)
http://sicambre.at.webry.info/200709/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(1)
http://sicambre.at.webry.info/200707/article_29.html

古人類学の記事のまとめ(2)
http://sicambre.at.webry.info/200712/article_31.html

古人類学の記事のまとめ(3)
http://sicambre.at.webry.info/200804/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(4)
http://sicambre.at.webry.info/200807/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(5)
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古人類学の記事のまとめ(6)
http://sicambre.at.webry.info/200812/article_26.html

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古人類学の記事のまとめ(11)
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古人類学の記事のまとめ(12)
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古人類学の記事のまとめ(13)
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古人類学の記事のまとめ(14)
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古人類学の記事のまとめ(15)
http://sicambre.at.webry.info/201112/article_28.html

古人類学の記事のまとめ(16)
http://sicambre.at.webry.info/201205/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(17)
http://sicambre.at.webry.info/201209/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(18)
http://sicambre.at.webry.info/201301/article_3.html

古人類学の記事のまとめ(19)
http://sicambre.at.webry.info/201305/article_1.html

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http://sicambre.at.webry.info/201309/article_5.html

古人類学の記事のまとめ(21)
http://sicambre.at.webry.info/201401/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(22)
http://sicambre.at.webry.info/201405/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(23)
http://sicambre.at.webry.info/201409/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(24)
http://sicambre.at.webry.info/201501/article_2.html

古人類学の記事のまとめ(25)
http://sicambre.at.webry.info/201505/article_1.html

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古人類学の記事のまとめ(27)
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古人類学の記事のまとめ(29)
http://sicambre.at.webry.info/201609/article_1.html

古人類学の記事のまとめ(30)
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古人類学の記事のまとめ(34)
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読み書き計算と関連する遺伝子

2018/08/31 17:36
 読み書き計算と関連する遺伝子についての研究(Lee et al., 2018)が公表されました。この研究は、100万人以上の研究対象者の遺伝組成と学歴を調べました。このように大きなサンプルサイズの研究だったので、学校教育の修了年数に関連する遺伝的多様体が1200種以上同定され、座位の数は過去のさまざまな研究で見つかった数の10倍を超えました。また、この研究は、個々の対象者のテスト成績・数学能力の自己申告・最終的に修了した数学のクラスのレベルを調べ、これらの関連形質について数百の遺伝的関連を見つけました。

 これらの調査により教育との関連が示唆された遺伝子は、出生前と出生後の脳内での発現レベルが高く、神経伝達物質の分泌とシナプス可塑性において役割を担っています。この関連する遺伝的座位の大規模なデータセットは、遺伝子と環境が相互作用して認知表現型に影響を及ぼす過程に関する今後の研究で役立つことが予想されます。こうした能力への選択圧という進化史的観点からの研究の進展も期待されます。また、「能力」と遺伝子との関連は次第に明らかになりつつありますが、それがもたらす問題は大きなものになるのではないか、とも懸念されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


読み書き計算ができることの遺伝的性質

 100万人以上を対象とした研究で、教育に関連する多数の遺伝的バリアントが新たに同定されたことを報告する論文が、今週掲載される。これらのバリアントを含む遺伝子の候補は、脳の発達とニューロン間情報伝達において役割を担っている。

 今回、Daniel Benjaminたちの研究グループは、100万人以上の研究対象者の遺伝組成と学歴を調べた。このように大きなサンプルサイズの研究であったため、学校教育の修了年数に関連する遺伝的バリアントが1200種以上同定された。座位の数は、過去のさまざまな研究で見つかった数の10倍を超えた。また、Benjaminたちは、個々の対象者のテスト成績、数学能力の自己申告、および最終的に修了した数学のクラスのレベルを調べ、これらの関連形質について数百の遺伝的関連を見つけた。

 今回、教育との関連が示唆された遺伝子は、出生前と出生後の脳内での発現レベルが高く、神経伝達物質の分泌とシナプス可塑性において役割を担っている。この関連する遺伝的座位の大規模なデータセットは、遺伝子と環境が相互作用して認知表現型に影響を及ぼす過程に関する今後の研究で役立つことが予想される。



参考文献:
Lee JJ. et al.(2018): Gene discovery and polygenic prediction from a genome-wide association study of educational attainment in 1.1 million individuals. Nature Genetics, 50, 8, 1112–1121.
https://doi.org/10.1038/s41588-018-0147-3
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知能と神経症傾向に関連する遺伝子

2018/08/30 17:07
 知能と神経症傾向に関連する遺伝子についての二つの研究が公表されました。一方の研究(Savage et al., 2018)は、25万人以上の遺伝的データと知能の測定値を解析しました。その結果、知能に関連する205の座位(そのうち190座位が新規)と、1016の特異的な遺伝子(そのうち939遺伝子が新規)が見つかりました。この研究は、これらの解析結果に基づき、知能が高い場合にはアルツハイマー病とADHD(注意欠陥・多動性障害)にたいする防御効果が認められる、との見解を提示しています。またこの研究は、神経系の発達とシナプス構造に関連する遺伝的経路も同定しました。

 もう一方の研究(Nagel et al., 2018)は、鬱病と統合失調症の重要なリスク因子である神経症傾向について調べました。この研究では、約50万人について解析が行なわれ、神経症傾向に関連する500以上の遺伝子が同定されました。この研究は、神経症傾向には2つの異なる遺伝的サブクラスターがあり、一方が鬱気分、もう一方が不安感に関連している、との見解を提示しています。これら二つの研究から、認知の神経生物学的性質と遺伝学的性質に関する新たな手掛かりがもたらされました。これらの研究で得られたデータセットは、今後の神経精神疾患の研究に役立つのではないか、と指摘されています。また、こうした遺伝子の進化過程も注目されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


知能と神経症傾向に関連する遺伝子が新たに見つかる

 知能と神経症傾向に関連する数百の遺伝的座位が新たに同定され、認知機能の解明がかなり幅広く進んだことを報告する2編の論文が、今週掲載される。

 今回、Danielle Posthumaたちの研究グループは、25万人以上の遺伝的データと知能の測定値を解析した。その結果、知能に関連する205の座位(うち190座位が新規)と、1016の特異的な遺伝子(うち939遺伝子が新規)が見つかった。Posthumaたちは、今回の解析結果に基づいて、知能が高い場合に、アルツハイマー病とADHDに対する防御効果が認められるという考えを示している。また、Posthumaたちは、神経系の発達とシナプス構造に関連する遺伝的経路も同定した。

 もう1つの論文で、Posthumaたちは、うつ病と統合失調症の重要なリスク因子である神経症傾向について調べた。この研究では、約50万人について解析が行われ、神経症傾向に関連する500以上の遺伝子が同定された。Posthumaたちは、神経症傾向には2つの異なる遺伝的サブクラスターがあり、一方がうつ気分、もう一方が不安感に関連していると説明している。

 これら2報の論文から、認知の神経生物学的性質と遺伝学的性質に関する新たな手掛かりがもたらされた。Posthumaたちは、今回の研究で得られたデータセットが今後の神経精神疾患の研究に役立つと考えている。



参考文献:
Nagel M. et al.(2018): Meta-analysis of genome-wide association studies for neuroticism in 449,484 individuals identifies novel genetic loci and pathways. Nature Genetics, 50, 7, 920–927.
https://doi.org/10.1038/s41588-018-0151-7

Savage JE. et al.(2018): Genome-wide association meta-analysis in 269,867 individuals identifies new genetic and functional links to intelligence. Nature Genetics, 50, 7, 912–919.
https://doi.org/10.1038/s41588-018-0152-6
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アリの分業の進化

2018/08/30 17:04
 アリの分業の進化に関する研究(Ulrich et al., 2018)が公表されました。集団生活は人間社会の特徴の一つで、その開始時に得られる最初の適応度利益は、社会性の進化における最大の障壁であると考えられており、進化学では、これらの利益はひじょうに小さな集団規模で生じる必要がある、と予測されています。こうした利益は、一部には、集団規模が大きくなるにつれて効率が上がるという、スケーリング効果から生じると考えられています。社会性昆虫や他の分類群では、集団生活の利益は分業に起因すると提案されてきました。分業は、役割の遂行における個体間の多様性および個体内の一貫性(特化)で特徴づけられます。しかし、社会性が出現したさいの集団はおそらく小さく、補完的というより、むしろ冗長である可能性のある機能を有する、類似した個体からなっていたと考えられるます。自己組織化の理論からは、分業は比較的小さく単純な集団からも出現可能と示唆されています。しかし、集団規模が分業や適応度に及ぼす影響についての実験的データは、まだ明確ではありません。

 人間よりもさらに精緻な分業は社会性昆虫のコロニーで見られ、専門化した身体的に異なる社会階級の間で作業が分担されています。生殖能力のある女王バチ・雄バチと生殖能力のない雌の働きバチが、その一例です。しかし、社会性昆虫の祖先が個々に生活していたところからこの分業が最初に生じた過程については、これまで解明されていませんでした。この研究は、小さな群れで生活するクビレハリアリ(Ooceraea biroi)の100個のコロニーを調べました。クビレハリアリのコロニーには女王アリはおらず、全てのアリがよく似た働きアリで、全個体で繁殖を行ないます。このコロニーの繁殖期には、アリたちは最も活発になり、食料を集めるアリと幼虫の世話をするアリに分かれます。この研究は、クビレハリアリに油性マーカーで印を付け、繁殖期のアリの動きをデジタルカメラで追跡観察しました。

 この研究は、このようにアリのコロニーにおいて自動化された行動追跡を長期にわたって行ない、数理モデル化と組み合わせることで、社会性集団のサイズの増大が6個体程度の小さな集団であっても、きわめて類似したワーカーの間に分業を生じさせ得ることを示しました。行動に及ぼすこうした初期効果は、コロニーの安定した状態を維持する恒常性および1個体当たりの適応度(生存率・繁殖レベル・発育のタイミングなど)の大幅な向上と関連していました。このモデルは、恒常性の向上がおもに集団サイズ自体の増大と、程度はより小さいものの分業の増加により引き起こされることを示唆しています。この結果は、小さく均一な社会性集団において、分業・恒常性の向上・適応度の向上が自然に生じる得ることと、したがって、集団規模の増大に関連したスケーリング効果が、集団生活の初期段階において社会的一体性を促進できることを示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【動物行動】アリの分業はどのように生じたのか

 アリの群れにおける有益な分業は、コロニーが大きくなると生じ、わずか6匹いれば分業が始まることを報告する論文が、今週掲載される。この研究知見は、複雑な社会性が出現する過程についての我々の理解を深めている。

 作業を遂行する際に分業をして効率を高めることができるというのは、集団生活の大きな利点であり、人間社会の特徴の1つだ。これよりもさらに精緻な分業が社会性昆虫のコロニーで見られ、専門化した身体的に異なる社会階級の間で作業が分担されている。生殖能力のある女王バチ・雄バチと生殖能力のない雄の働きバチが、その1例だ。しかし、社会性昆虫の祖先が個々に生活していたところからこの分業が最初に生じた過程については、これまで解明されていなかった。

 今回、Daniel Kronauerたちの研究グループは、小さな群れで生活するクビレハリアリ(Ooceraea biroi)の100個のコロニーを調べた。クビレハリアリのコロニーには女王アリはおらず、全てのアリがよく似た働きアリで、皆で繁殖を行う。このコロニーの繁殖期には、アリたちは最も活発になり、食料を集めるアリと幼虫の世話をするアリに分かれる。Kronauerたちは、クビレハリアリに油性マーカーで印を付け、繁殖期のアリの動きをデジタルカメラで追跡観察した。

 Kronauerたちは、コロニーに少なくとも6匹のアリがいれば分業が生じ得ることを明らかにした。そして、コロニーを形成する個体の数が増えると、それぞれの働きアリが活動に対する専門性を高め、コロニーにおける行動の多様性が増した。さらに、それぞれの個体ごとのコロニーへの適応度(生存率、繁殖レベル、発育のタイミングなど)も上昇した。



参考文献:
Ulrich Y. et al.(2018): Fitness benefits and emergent division of labour at the onset of group living. Nature, 560, 7720, 635–638.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0422-6
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