大河ドラマ『風と雲と虹と』第39回「富士噴火」

 良子は、玄道とともに将門と合流すべく道を進んでいましたが、そこへ源扶が兵を率いて現れます。扶は良子を捕らえようとしますが、そこへ大軍が現れたとの知らせを受けます。扶がその大軍を見に行っているすきに、扶の配下の兵は玄道・玄明たちに倒されてしまいます。玄明は、扶を今殺すつもりはないと見逃し、扶は逃げていきます。扶が見た大軍は、将門・その郎党・民人で、将門と良子・豊田丸は再会を果たします。その様子を離れた場所から見ていた武蔵に玄道が気づき、玄道と行動を共にしていた季重は久々に武蔵と再会し、感極まって泣き出します。坂東の情勢を知らせに伊予に行くという武蔵は、季重を誘い、季重は迷うことなく武蔵に付いていくことにします。

 その夜、民人は将門を迎えて酒宴を開いていました。しかし良子は元気がなく、将門が問い質すと、良子は貴子とはぐれたことを将門に詫びます。将門は、良子の咎ではないと言って良子を慰めます。そこへ員経が現れ、将門の下人の小春丸が、貴子について知っていることがある、と報告します。小春丸は、付き合っている女から聞いた話として、貴子が兵士たちに殺されて墓が立てられていることを、へらへらしながら将門に報告します。小春丸は、へらへらしながら褒美をねだり、さすがに員経は小春丸に褒美を与える約束をして、小春丸を遠ざけます。将門は員経とともに貴子の墓を見にいき、貴子の墓の前で、坂東に連れてこなければよかった、と号泣します。員経は、将門一人の責任ではない、と将門を慰めます。その様子を離れた場所で玄明と螻蛄婆が見ていました。

 良子と将門が合流した数日後、源護の館に良兼・良正・貞盛も集まり、将門への対策を議論します。良兼は、将門が出てきて蜂起した民人と合流したことを護に報告し、良正や貞盛の弟の繁盛は、民人の手ごわさを語ります。護は、しょせんは民人だと言って、国府の役人に頼んで法の名のもとに砦を取り払わせてはどうだろう、と提案しますが、護の娘で義勝の妻の詮子は、坂東では国府の権力には限界があり、国府の役人にできることではない、として父の提案に反対し、平野に将門を呼び寄せて正々堂々と合戦してはどうだろう、と提案します。良兼は詮子に同意し、詮子は満足そうに肯きます。

 護が貞盛の意見を求めると、いつも真っ先に逃げたり後詰と称して戦に加わらなかったりだとして、良正が貞盛を非難します。しかし貞盛は、人には得手不得手があると、相変わらず飄々として答え、護の提案に同意します。ただし、国府ではなくて、都の人臣最高位にある藤原忠平を頼るべきだ、と貞盛は提案します。しかし、良兼も良正も、この状況では悠長すぎるとして、貞盛の提案に反対します。詮子は、先の合戦で容易に勝てたのは、父祖の冥罰がくだったからで、人々にはその恐怖心がまだ残っているので、無駄に時間を過ごすべきではない、と父の護に進言します。

 将門は、新しい根拠地として石井を選び、民人とともに館を建設をします。将門の脚気は完治し、将門自身も足のことはすっかり気にならなくなっていました。良兼が兵を動員して常陸の府中へと向かったことを員経が知らせると、将門の配下の者たちの戦意は高揚し、不意打ちではなく堂々と平野で戦おう、と将門は力強く宣言します。良兼は、源扶・繁盛・佗田真樹らの軍勢を合わせて、良正の館へと向かいます。

 三宅清忠は、菅原景行と将門の弟の将平を訪ねます。再び合戦が起きそうなことを知らせると、将平は憂鬱そうな表情を見せます。清忠が尋ねると、私は戦が嫌いなのだ、と将平は答えます。景行は、戦が嫌いなのは民人も同じだと指摘し、自らを守るために民人は決起し、そのかぎりでは強いが、心の底では戦を嫌いだ、と指摘します。清忠は、それでも戦わねばならない時もあると言い、それはわかってはいるのだが、と景行も言います。

 景行の発言を訊いた将門は、自分も戦は嫌いであり、景行の言葉を肝に銘じておこう、と言います。さらに将門は、次の戦に勝つとすれば民人の力であり、すべてを決するのは民人の心なのだ、と言います。清忠は、先の戦いでの敗北は、父祖の冥罰の故という観念が人々の間にまだあるのではないか、との将平の懸念を将門に伝え、員経も同意します。将門は、それでも自分は元気になったし、勝てばよいのだ、と笑いますが、相手がどんな卑怯な手を使うか、分からないので、人々の不安を打ち消す妙策があればよいのだが、と言います。

 将門は、火雷天神に参ることを思い立ち、出陣の前日に参詣します。将門と員経が参詣すると、一人の老女が神がかり状態になり、火雷天神の旗を掲げて戦に行くことを告げます。また、老女は火山が噴火し、世の中がでんぐり返って変わることを告げます。螻蛄婆が計画したことかな、とも思ったのですが、将門への民人の信頼がこの神がかりをもたらした、という解釈のようです。将門は清忠を景行のもとへと派遣し、火雷天神の文字を旗に書いてもらうよう依頼し、景行は快諾します。

 承平7年(937年)9月19日、将門の率いる2000人以上の兵は、良兼・良正の連合軍と決戦を申し合わせた平野へと向かいましたが、良兼・良正連合軍は決戦に打って出ることはなく、筑波山へと撤退します。良正は、撤退して自軍の勢力圏で民人を集めようとしますが、民人は良正には応じず、兵は集まりませんでした。将門は、良兼・良正が正々堂々と戦わないことに憤り、引きずり出してやろうとし、良兼・良正を追撃しますが、良兼・良正は逃げ回るばかりで、将門軍は無人の地を進むばかりでした。員経は、こうも逃げ回っては良兼・良正は立ち直れませんなあ、と言い、憐れな、と将門は言います。これからどうするのだ、と清忠に訊かれた将門は、働くさ、大地が待っている、と言います。承平7年11月11日、将門は民人ともに開墾に精を出していましたが、11月だというのに暑く、妙な天気だと皆で不思議がっていました。そのとき、富士山が大噴火を起こす、というところで今回は終了です。

 今回は、将門が再起し、良兼・良正を圧倒する展開が描かれるのですが、将門が良兼・良正連合軍と決戦に向かったのが承平7年8月で、同月のうちに、良兼・良正連合軍に二度にわたって敗れ、本拠の豊田の館が焼け落ちてしまいます。しかし、承平7年9月19日には、将門は石井に新たな本拠地を築いたうえで、2000人以上の兵を動員しているわけで、意外にも短期間のことだと気づきます。話が重く、5回にもわたって将門の敗戦と再起が描かれてきたため、この間の出来事はかなり長く感じられたものです。源護の館の会議では、それぞれの人物の特徴がしっかり踏まえられた発言が用意されており、相変わらず人物造形がしっかりしているなあ、と感心します。

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この記事へのコメント

みら
2010年05月21日 00:55
こんばんわ
ごぶさたしてました。将門に活気が見え始め、今後が楽しみになってきましたね。
ここ数回の気の重い場面を一気に視聴していたんですね。

劉さんが詳細な備忘録をつけるので、私も場面がよみがえって来て楽しめます。

先日高知の県立文学館にいきました。『大河ドラマの軌跡』という企画展をおこなっていて、初回から今までの当時の使用された小道具や記事、台本などの展示に感激しました。

時間なかったので早々に引き上げてしまいましたが、寺田寅彦記念室がかなり素晴らしかったのを駆け足で、ほぼ見れなかったのは残念でした。もう一度行って見たいです。
佐川(さかわ)という土地にも青山文庫(山内家臣の蔵書らいいのですが武市の書簡もあるとこのとでした)も寄りたかったのですが、行けず・・広いので、とても4日間では廻りきれませんでした。
いずれ、劉さんも機会があったら是非四国へ。
2010年05月21日 23:58
四国旅行では収穫が多かったようですね。

四国・北海道・沖縄には行ったことがないので、そのうち行こうとは考えているのですが。

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