『天智と天武~新説・日本書紀~』第1巻(4)救世観音像

 まだ日付は変わっていないのですが、3月21日分の記事として掲載しておきます。(1)「乙巳の変前夜」
http://sicambre.at.webry.info/201303/article_6.html
(2)「乙巳の変」
http://sicambre.at.webry.info/201303/article_14.html
(3)鹿狩り
http://sicambre.at.webry.info/201303/article_16.html
の続きです。

 祖父の蘇我倉山田石川麻呂の仇を大海人に討ってもらおうと考えた大田皇女は、大海人と鵲を自邸に連れてきて母の遠智媛に引き合わせます。大海人を見た遠智媛は、その外見・声・物腰が入鹿にそっくりであることに驚きますが、不快な様子ではなく、むしろ懐かしさ・切なさといった感情を顔に浮かべます。恋愛感情というわけではないかもしれませんが、親戚ということもあって、遠智媛も聖人の入鹿を慕っていたのでしょう。しかし、遠智媛が入鹿の名前を出すと、遠智媛に仕えている侍女が慌てて止めます。大田皇女は、入鹿とは誰なのか、なぜ言っては駄目なのか、と老女に食い下がりますが、老女は大田皇女をその場から去らせようとします。大田皇女は大海人に近づき、祖父に関することだと言ってはいけないことだらけだ、たとえば海からとれる白くて辛いものとか、と訴えます。それは塩のことか、と鵲が言うと、遠智媛は突然取り乱し、過呼吸のような状態に陥ります。現代で言うと、パニック障害でしょうか。

 遠智媛が落ち着いて寝所で休むと、大海人は事情を大田皇女と老女に尋ねます。遠智媛をパニック障害に追い込み、大田皇女が祖父の仇だと考えているのは、百済の王子の豊璋です。649年春、飛鳥で変事が起き、遠智媛と大田皇女の親子は老女から中大兄皇子も出陣したとの報告を受けます。遠智媛は中大兄皇子の身を案じますが、それほど深刻ではなさそうで、大田皇女は快活に竹とんぼを飛ばして老女に叱られつつも、父は強いのだから大丈夫、と力強く言います。そこへ豊璋が訪ねてきて、「塩漬け」の入った壺を進上します。その「塩漬け」とは、遠智媛の父である石川麻呂の首で、遠智媛は発狂します。

 鹿狩りで大海人が豊璋を手玉に取る姿に胸のすく思いがした、という大田皇女は、祖父の石川麻呂の仇討に力を貸してくれるよう、大海人に改めて頼みますが、大海人は、凄惨な話に胸が痛むと言いつつも、自分が狩りで負かしたのは大田皇女の父の中大兄皇子であり、石川麻呂に罪を着せて自害に追い込んだのも豊璋ではなく中大兄皇子だ、と大田皇女に冷静に指摘します。しかし、大田皇女は目に涙を浮かべつつ、何も知らないのに父のことを悪く言わないで、悪いのは豊璋で、父は騙されている、豊璋に利用されているだけだ、と大海人に訴えます。老女は、大海人に大田皇女の気持ちを察してもらうために、石川麻呂が自害の直前に娘の遠智媛に宛てた文を見せます。その文には、乙巳の変前夜から石川麻呂が自害する直前までの「真相」が書かれていました。

 中大兄皇子が石川麻呂の娘の遠智媛を妻に迎えたいと言ってくると、石川麻呂は浮かれ、中大兄皇子が大君となり、遠智媛が男子を産めば石川麻呂は外戚になり、蘇我本宗家をもしのぐ名家となる、と豊璋に言われ、有頂天になりました。娘が中大兄皇子に嫁ぐことになった、と石川麻呂が入鹿に伝えると、入鹿は石川麻呂が期待したほどには祝福してくれませんでした。入鹿は、中大兄皇子に急接近している豊璋に用心するよう石川麻呂に警告しますが、豊璋は切れ者すぎてとっつきにくいものの悪い奴ではない、と石川麻呂は呑気に言います。すると入鹿は、豊璋には底知れぬ何かが・・・とまで言ったのですが、思い過ごしかもしれない、と言いなおして石川麻呂とともに笑い合います。その様子を、豊璋が密かに窺っていました。

 中大兄皇子に嫁いだ(この時期の婚姻関係を、女性が男性に嫁いだと表現することが妥当なのかというと、疑問の残るところですが)遠智媛が懐妊すると、石川麻呂はますます浮かれます。その様子を見て中大兄皇子と豊璋は石川麻呂に入鹿暗殺に協力するよう切り出します。百済は高句麗と友好関係を深め、新羅は唐と組んで百済どころか倭国(日本)まで属国にしようと目論み、新羅や唐に通じて倭国の情報を売って巨利を得ている人物がいる、と豊璋は石川麻呂に語り、その「売国奴」が入鹿であると示唆します。石川麻呂が愕然として証拠を尋ねると、中大兄皇子と豊璋は笑い出し、中大兄皇子は、義理とはいえ息子の言葉が信用できないのか、と石川麻呂に詰め寄ります。さらに中大兄皇子は、遠智媛をもらいに行った時に、片づけねばならない懸念があるが、力を貸してくれるだろうな、と石川麻呂に言ったことを持ち出し、娘と孫のためにも約束を果たすように、と石川麻呂を脅します。こうして、石川麻呂は入鹿暗殺に協力する状況に追い込まれてしまいました。

 幼い頃より入鹿と親しかった石川麻呂は、入鹿に相談しようとしてか、蘇我本宗家の邸宅へ向かおうとしますが、豊璋の配下の者たちに、妊娠中の遠智媛の命は保証できない、と脅迫され、ついに645年6月12日を迎え、入鹿は暗殺されてしまいました。右大臣に任命された石川麻呂ですが、入鹿暗殺に加担したことへの後悔から、浮かない日々を過ごしていました。落ち込んだ心境の日々を過ごしていたある晩、石川麻呂の前に入鹿の亡霊が現れます。これは後に明かされますが、大海人が鵲に明りを灯させ、入鹿とそっくりの自分の容貌を利用して入鹿に扮していたのでした。祟りに来たのだな、自分の罪は重いからそうしてもかまわない、と言う石川麻呂にたいして、入鹿の亡霊(に扮した)大海人は笑顔で否定し、石川麻呂は後悔の念から号泣します。

 入鹿の暗殺に加担したことを心底悔いた石川麻呂は、倭国に人質として来ている新羅の王子を呼び、秘密裡に仏像を作れる優秀な仏師を紹介してくれるよう頼みます。新羅の王子は不審に思いますが、石川麻呂の悩みが深そうなのを見てそれ以上は問い質さず、代わりに孝徳帝への取り次ぎを願い出ます。石川麻呂の取り次ぎで孝徳帝との面会の叶った新羅の王子は、百済の義慈王が息子の豊璋を通じて倭国を支配下に置こうと考えており、中大兄皇子は豊璋に利用されている可能性がある、と孝徳帝に進言します。

 新羅の王子の忠告をどう思うのか、と石川麻呂に尋ねられた孝徳帝は、即位後に三晩続けて入鹿が夢に出てきて、自分に何か言いたげだった、と告白します。初めは怖かったという孝徳帝ですが、次第に、入鹿には群を抜く先見の明があり、入鹿の政策を継承することが、国のためにもなると考え、中大兄皇子と豊璋の反対にも関わらず、難波に都を移し、遣唐使を視野に入れて、百済寄りの外交から脱却を進めているのだ、と石川麻呂に告白します。自分にも入鹿の霊が現れ、入鹿の鎮魂のために入鹿そっくりの仏像を作らせている、と石川麻呂も孝徳帝に告白し、孝徳帝もそれは妙案と喜びますが、逆賊とされた入鹿の仏像を作らせているとなれば、自分たちの命はない、と案じます。すると石川麻呂は、仏像制作は自分一人がやったことであり、大君は入鹿のやり残した制作を進めてください、と孝徳帝に言います。

 新羅の王子に仏師を紹介してもらった石川麻呂は、仏師に入鹿の面影を重ねて仏像を彫るよう命じます。中大兄皇子と豊璋は、この仏像のことはまだ知りませんが、新羅の王子が石川麻呂の取り次ぎで孝徳帝と面会した、との情報を得ました。中大兄皇子は新羅からの使者に難癖をつけて追い返そうとしたので、新羅の王子は孝徳帝に取りなしを頼み、孝徳帝は中大兄皇子を宥めようとしますが、中大兄皇子に睨まれて沈黙してしまいます。石川麻呂はこの頃にはもう、自分も中大兄皇子と豊璋によって死に追いやられることを薄々感づいていました。

 その後間もなく、新羅の王子は中大兄皇子と豊璋の館に兵が集まっていることを石川麻呂に報せ、逃げるよう忠告します。石川麻呂は、仏像の件を新羅の王子が引き継いでくれることを確認した後、飛鳥の山田寺に行き、遠智媛に文を届けるよう、従者に命じます。中大兄皇子と豊璋の率いる石川麻呂討伐軍が迫るなか、石川麻呂は穏やかな時を過ごし、軍隊が到着する前に、家族とともに自害しました。石川麻呂の死後、その身の潔白は証明されましたが、禍根を断つために、蘇我の血筋の遠智媛を殺すよう、豊璋は中大兄皇子に進言します。

 遠智媛は気が弱いから心配無用だと中大兄皇子は答えますが、豊璋は執拗に中大兄皇子に迫ります。ついに折れた中大兄皇子は、命だけは取ってはならない、と豊璋に命じます。さすがに中大兄皇子も身内は可愛いということなのでしょうが、この点は息子の真人(定恵)を溺愛する豊璋とも通ずるものがあるようです。こうして豊璋は、蘇我一族と自分たちに逆らう者への見せしめとして、遠智媛に父である石川麻呂の首の塩漬けを届けたのでした。大田皇女の気持ちを察したと言う大海人に、祖父の仇を討ってくれるのだと大田皇女は喜びますが、容易なことではないので、自分に何ができるのか、しばし考えさせていただきたい、と大海人は答えます。

 鵲は石川麻呂に仏像制作を命じられた仏師を探し当て、仏像制作の続行を依頼しますが、石川麻呂が自害したことに恐れをなした仏師は、依頼を断ります。すると大海人は、石川麻呂にしたように、入鹿の霊に扮して仏師を脅し、入鹿の霊に怯えた仏師は、仏像制作の続行を誓います。制作中の仏像を見た大海人は、一人にさせてくれと仏師と鵲に言い、一人になったところで、お久しぶりです父上、と呟きます。作中では、ここで初めて、大海人が月皇子であることが明示されます。中大兄皇子は豊璋に大海人の素性を調べさせていましたが、優秀な豊璋にも、大海人は忍者の一族に縁があるのではないか、ということまでしか把握できていません。中大兄皇子は調査があまり進展していないことに苛立ちますが、大海人が月皇子だと確信している様子です。

 中大兄皇子の使者が大海人を訪ね、鹿狩りの賭けで大海人が中大兄皇子から貰うことになった馬を受け取るように、と伝えます。大海人は中大兄皇子から馬を受け取る前に、宝皇女を訪ねます。大海人に近づくよう促した宝皇女は、月皇子と呼びかけ、入鹿の暗殺を防げなかったことを謝罪します。すると大海人は、もうよいのです、母上、と答え、二人は抱き合います。乙巳の変の後、どこでどう生きていたのか、と宝皇女は大海人に尋ねますが、それは忘れたし、今はもう大海人と名乗っている、と大海人は答えます。

 大海人の身を案じる宝皇女は、外に預けていた自分の子と公言すれば中大兄皇子もうかつに手を出せないだろう、と提案しますが、大海人は、中大兄皇子の従者に取り立ててもらうよう、宝皇女にとりなしてもらおうとし、殺されに行くようなものだ、と宝皇女は取り乱します。自分の子ながら、時としてその残酷さ・非情さにぞっとする、と宝皇女は言いますが、大海人は、一生怯えて生きたくはないし、これまでの苦労に比べたら兄に仕えるなど夢のようだ、と言います。そこへ中大兄皇子が訪ねてきて、母の宝皇女に大海人の正体を問い質します。本人に訊けばよいではないか、と言う宝皇女にたいして、父親だけではなく当人の命も狙った自分に正直に言うわけではない、と中大兄皇子が言ったところに大海人が現れ、激昂する中大兄皇子を宝皇女は宥めます。何でもするので従者にしてください、と大海人が中大兄皇子に頼み込むところで第1巻は終了です。

 原案・監修の園村昌弘氏によると、この作品の隠れ主人公は救世観音像とのことで、その救世観音像の制作の経緯が、第1巻の後半にて描かれました。救世観音像は元々、入鹿の鎮魂のために石川麻呂が制作を命じたのですが、それが聖徳太子の化身として伝えられるようになった経緯が、この作品の軸の一つとなるのでしょう。現時点では、おそらく藤原不比等が重要な役割を担うのではないか、と予想しています。乙巳の変から中大兄皇子の前に登場するまでの5年間、大海人がどう過ごしたのか、大海人という名前は何に由来するのか、まだ作中では明かされておらず、どのような勢力が大海人の後ろ盾となったのか、それが後の歴史にどのような影響を及ぼしたのか、ということも描かれるのではないか、と期待しています。

 第1巻は、長編物語(になるでしょうし、そう願っています)のつかみとしてはかなりよい出来になっており、今後も大いに期待できそうです。じっさい、第2巻に所収されるであろう第9話~第14話も面白く、『ヒストリエ』は単行本でしか追いかけていないので、連載作品の漫画としては、『イリヤッド』以来の楽しみな作品となりました。まあそもそも、『イリヤッド』の連載終了後は、漫画の連載を追いかけることもなくなりましたが。不比等黒幕論が今後強まるのではないか、との不安もないわけではありませんが、それでも傑作になりそうな予感があります。

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