黒田基樹『戦国大名 政策・統治・戦争』

 平凡社新書の一冊として平凡社より2014年1月に刊行されました。著者は、1980年代以降に大きく進展した戦国大名研究を踏まえて、現時点における戦国大名像を一般読者に提示する、という意図で執筆したそうです。著者の他の著作(ちくま新書『百姓から見た戦国大名』)や『週刊新発見!日本の歴史』第27号「戦国時代2 戦国大名たちの素顔」など(関連記事)を読んでいたこともあり、本書で提示されている戦国大名像は私にとって大きな違和感はありませんでした。以下、備忘録的に本書の見解について述べていきます。

 戦国時代の大名について幕府・朝廷との関係を重視する「戦国期守護論」は、畿内・西国に限られた現象であり、戦国時代の有力武士勢力の定義たり得ないとし、「自分の力量」で領国を支配していることを本書は重視します。戦国大名は支配基盤としての「村(大名は個々の百姓ではなく村単位で把握していました)」と権力基盤としての「家中」から成り立っており、それらをもとに広範な一定領域(領国)を排他的・一円的に支配している、というのが本書における戦国大名の基本的な定義となります。

 戦国大名は、「家中」を構成する家臣団相互および村相互の争いを抑制し、領国において「平和」を維持することで、支配の正当性を得ていました。家臣団相互の争いは、それぞれの家臣団の領地たる村同士の争いに起因するところがありました。中世社会の原則たる自力救済を否定することにより、戦国大名の領国支配は成立していました。この「平和」な領国において、村は自らの属す政治領域として戦国大名を認識するようになります。本書は、戦国大名と村との関係と、現代の国民国家と国民との関係に相似性を見出し、戦国大名の国家を現在の領域国家につらなる起源として把握しています。

 総合的にみると、本書は現時点での一般向け戦国大名論として優れており、今後当分は一般読者にとって基準となるのではないか、と思います。ただ、残存史料の問題があるとはいえ、分析対象がほとんど東国大名、それも大半は後北条家であることは気になります。今後、他地域の大名との比較の進展が望まれます。織豊政権への展望について、本書は戦国大名研究と織豊政権研究との間の乖離を憂慮しており、その乖離を埋める研究はすでに現れつつあるものの、今後はこの点も問題になりそうです。

 本書はこの問題について最後に少し言及しているだけなのですが、戦国大名と織豊政権、さらには幕藩体制との類似性に重きを置いているようです。本書は両者の決定的な違いを、戦時体制の現実性の有無に求める見通しを提示しています。この見通しとも関連して、織豊政権の戦国大名にたいする優越的な先進性という見解に本書は否定的です。むしろ信長は最終段階に入ってようやく、他の戦国大名が到達しているレベルに追いついてきたという表現も可能なほどだ、と本書では述べられています。

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