『週刊新発見!日本の歴史』第35号「江戸時代8 動き始めた民衆の力」

 この第35号は11代将軍家斉の時代を対象としています。この時期に、商品経済の拡大などもあり、村落・所領の範囲を超えて広域的な民衆の動きが見られるようになったことが強調されています。また、この時期の村落内部の変化も指摘されており、村役人は世襲ではなく入札により選ばれることが多くなりました。村落における知識人層・文化の拡大が見られるのもこの時期の特徴で、全体としてこの第35号は、18世紀末~19世紀前半の11代将軍家斉の時代を、近代の胎動期として認識する傾向が強いように思います。

 この第35号の「新発見」的な見解は、駕籠訴には暗黙の作法があったことや、シーボルトの来日目的は日本の総合調査だったことなどでしょうか。ただ、これらはすでに一般にも浸透しつつある見解かもしれません。毎号掲載されている日本史教科書の変遷についての記事では、家斉の治世についての評価は、かつての教科書ではひじょうに低かったのに、近年の教科書では功罪相半ばするという評価に変わってきている、と指摘されています。また、それと連動して化政文化についての評価が変わってきていることも指摘されています。

 高校時代の日本史の授業でこの時代がどう扱われていたのか、すっかり忘れていたので、気になって当時の教科書(1989年3月刊行の山川出版社の『新詳説日本史』)を調べてみました。すると、この記事でも一部引用されていた、家斉の治世を厳しく評価する教科書とは、どうも私が使用していた山川出版社の『新詳説日本史』のようです。以下、該当箇所の引用ですが(脚注は省略しています)、確かに家斉の治世は酷評されています。


大御所時代と大塩の乱
 定信が老中を辞任したのち、政治の実権をにぎったのは11代将軍家斉であった。家斉は文化・文政時代を中心に在職し、1837(天保7)年に将軍職を家慶にゆずったのちも、大御所(前将軍)として実権をにぎりつづけた。50年間におよんだ家斉の治世は大御所時代ともよばれるが、その放漫な政治は、享楽的・営利的な風潮を強めた。このようなことから商人の経済活動は活発になり、庶民文化の花がひらくことにもなったが、関東の農村では治安がみだれ、政治は腐敗し、社会には退廃した空気がみなぎった。
 天保年間にはいると毎年のように凶作がつづき、天保の大飢饉となった。農村・都市には困窮した人々がみちあふれ、百姓一揆・打ちこわしが続発したが、幕府・諸藩はなんら適切な対策をたてることができなかった。

化政文化
 文化・文政時代を中心とする江戸時代後期の文化は、江戸の繁栄を背景に、都市に生活する人々の活力にささえられて広まっていった。江戸は上方とならぶ全国経済の中心地に発展し、多数の都市民を対象とする町人文化が最盛期をむかえた。この時代の文化は化政文化とよばれるが、あいつぐ改革のきびしい統制のなかで退廃と無気力の傾向がみち、人々は抑圧された本能をかすかな風刺や皮肉の文芸に発展させ、愛欲と笑いをもとめる方向にむかった。都市の繁栄、商人・文人の全国的な交流、出版・教育の普及、寺社参詣の流行などによって中央の文化は各地に伝えられ、また都市生活の多様化で文化の内容も多種多様なものとなっていった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック