山田康弘『老人と子供の考古学』

 歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2014年7月に刊行されました。縄文時代の墓制研究から、老人と子供に着目して縄文時代の社会を一般向けに再構成しようとした意欲作です。縄文時代の墓制研究について、その基礎と方法論、さらには限界と難しさが詳しく解説されており、有益だと思います。本書の特徴は、考古学のみならず人類学・民俗学の研究成果も取り入れ、北アメリカ大陸といった日本列島以外の事例も積極的に援用して縄文時代の社会を再構成しようとしていることで、著者の視野の広さ・博学が印象に残ります。

 本書は終始慎重な姿勢を崩さないので、縄文時代は階層社会だったとか、あるいはそうではなかったとか、明快に断定はしません。その意味で、一般向け書籍としてはもどかしさもあると言えるかもしれませんが、良心的と考えるべきでしょう。本書は、そもそも階層社会とはどう定義され、考古学的には何をもってその指標と判断できるのか、階層社会と階級社会とはどう違うのか、といった基本的でそれ故に難しい問題についても、研究史に簡潔に言及しつつ、解説していきます。

 本書の描く縄文時代像は、地域や時代によって多様な変化を見せ、複雑化と単純化を繰り返しつつも、全体としては次第に複雑化していった、というものです。縄文時代は、均質な社会が続いたわけでも、単純な右肩上がりの発展を見せたわけでもない、というわけです。本書の提示する縄文時代像は、一般向けとしては派手ではなく地味と言えるかもしれませんが、大枠では妥当なのだろう、と思います。やはり、1万年以上の時代を固定的・均質的に把握するのには無理がある、と言うべきでしょう。

 本書は縄文時代の老人と子供についても、人類学・民俗学や日本列島以外の地域の研究成果を参照しつつ、慎重に考察していきます。子供については、たとえば中世ヨーロッパにおいて、人間は幼児からいきなり大人になり、子供期が存在しないというか、固有の性格を有する時期と認識されていなかった、というような見解も提示されています(関連記事)。本書はそうした見解も踏まえたうえで、縄文時代において、墓制上は大人と子供が区別されていたことや、抜歯のような通過儀礼の存在からも、大人と子供の区分が存在したことはほぼ確実だ、と主張しています。

 一方、縄文時代の老人については、墓制上は老年期の人々が他の年齢段階の人々と比較して厚遇されていたわけではないことから、「長老」や「老人」と言えるような人物は縄文時代にはいなかったか、考古学的には抽出不可能である、との見解を本書は提示しています。これは、縄文時代はさほど階層化が進んでおらず、私有制もあまり発達していなかったことと関係しているのではないか、というのが本書の見通しです。また、自主的か強制的かはさておき、「隠居」制度が存在した可能性も本書は想定しています。

 本書は最後に、縄文時代の死生観として、再生・循環型と系譜型の二つが存在しており、それが日本列島の社会に通時的に存在し、時代により一方が強調されることがあったことを指摘しています(たとえば、近代においては系譜型死生観が必要とされました)。正直なところ、系譜型死生観が縄文時代にどの程度明確な形で存在していたのかとなると、やや疑問の残るところです。素人考えですが、初期前方後円墳での祭祀が基本的には一代限りのものだったとすると、系譜型死生観が確立していくのは、早くても古墳時代中期以降ではないのか、と思います。

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