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zoom RSS 青木健『アーリア人』

<<   作成日時 : 2015/09/13 00:00   >>

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 講談社選書メチエの一冊として、講談社より2009年5月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して改めて面白いと思ったので、本書も読んでみました。本書の定義する「アーリア人」とは、インド・ヨーロッパ語族のうちインド・イラン系を指します。本書はおもに、そのうちイラン系を取り上げています。本書はこの「イラン系アーリア人」を、さらに中央アジアを中心とする範囲の騎馬遊牧民と、中央アジアのオアシス地帯やイラン高原の定住民とに区分します。ただ本書は、「アーリア人」の意味内容は時代により異なる、と注意を喚起しています。

 イラン系アーリア人のうち、騎馬遊牧民にはスキタイ人やパルティア人やサルマタイ人などが、定住民にはメディア人やペルシア人やバクトリア人やソグド人などが含まれます。本書は、これらの集団を列伝形式で概観していきます。本書も認めているように、この叙述形式だと、時代順の解説にならないこともありますし、同じ地域に存在した集団を個別に叙述してしまうことにもなります。その意味で、全体的な歴史像の把握がやや難しくなっている感もありますが、広範囲に存在したイラン系アーリア人の多様性と各集団の特徴を理解するのには適しているように思います。

 本書を読むと、西アジア〜中央アジアにかけても、ユーラシア東部と同じく、騎馬遊牧民と定住民との相克が長く続いたことが分かります。これは、前近代におけるユーラシア大陸の大きな歴史的動向と言えそうです。また、ペルシア帝国(クル王朝→ハカーマニシュ王朝)がメディア王国から大きな影響を受けていたことや、クル王朝・ハカーマニシュ王朝がペルシア帝国と呼ぶべき性格を強く有していたのにたいして、サーサーン王朝の方は「エーラーン(アーリア人)」帝国と呼ぶべき性格が濃厚だったことなど、興味深い論点を色々と知ることができました。

 サーサーン王朝に関する見解では、興味深いものが提示されています。サーサーン王朝下では、メソポタミア平原〜イラン高原の中間地帯で集中的な開墾が始まりました。これにより、紀元前3000年から続くメソポタミア平原の長い歴史のなかでも、サーサーン王朝の時代が農業生産力のピークだった、と本書では高く評価されています。しかし、6世紀からメソポタミア平原の土壌は疲弊していきます。7世紀前半にサーサーン王朝がビザンティン帝国相手に無理な戦争を仕掛け、その最中の628年にティグリス河で大氾濫が発生すると、メソポタミア平原の灌漑設備は破壊され、農業生産力は凋落の一途をたどります。これ以降現在にいたるまで、メソポタミア平原の灌漑設備は再建されなかった、と本書は評価しています。

 このメソポタミア平原の灌漑設備を破壊した628年のティグリス河での大氾濫により、サーサーン王朝は実質的に滅亡した、というのが本書の見解です。中央集権体制を充実させ、オリエント史上最盛期となる農業生産力を誇ったサーサーン王朝の人口は最盛期でも1000万〜1500万人程度で、ローマ帝国・ビザンティン帝国・唐と比較すると、国家としての実力はその数分の一にすぎない、と本書は指摘します。サーサーン王朝はローマ帝国やビザンティン帝国と並び立つ超大国ではなく、メソポタミア平原からの税収とイラン高原からの軍事力に依拠する脆弱な国家だったので、ティグリス河での大氾濫による灌漑設備の破壊で実質的に滅亡した、というわけです。

 サーサーン王朝末期のメソポタミア平原における天災・人災による破局は、その後の西アジアの歴史を大きく変える要因になった、と本書は指摘します。テュルク系が傭兵として西アジアに進出し、やがてさまざまな王朝を樹立していく前提として、西アジアの経済的衰退がある、というわけです。イスラーム勢力の拡大、その後のテュルク系諸族の進出など、7世紀前半は西アジアの大きな転換期だった、と評価する本書は、サーサーン王朝の実質的滅亡をもって古代オリエント文明は終焉したと言えるのではないか、との見解も提示しています。

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青木健『マニ教』
 これは9月18日分の記事として掲載しておきます。講談社選書メチエの一冊として、講談社より2010年11月に刊行されました。著者の他の著書『古代オリエントの宗教』を以前このブログで取り上げたことがありますが(関連記事)、その後再読して、マーニー教(マニ教)についての解説も含めて改めて面白いと思いましたし、マーニー教はシンクレティズムの時代においても際立っているように思えて興味を持っていたので、本書も読んでみました。著者の他の著書では、『アーリア人』もこのブログで取り上げています(関連記事)... ...続きを見る
雑記帳
2015/09/17 21:54
西アジアの没落
 当ブログでは「発展」や「先進的」といった言葉を安易に用いないように心がけているつもりなのですが、以前からの思いつきを文章にするうえで便利なので、今回はあえて使います。題名を忘れましたが、以前図書館で少し読んだグローバルヒストリー系の本が、人類史においては基本的にユーラシア西部が優位で、ユーラシア東部の優位は10世紀〜16世紀の間くらいだった、と主張していました(正確には覚えていませんが)。ユーラシア東部とはいっても、実質的には東アジア、もっと限定的に言えば「中国」だったように記憶していま... ...続きを見る
雑記帳
2018/09/17 11:19

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