『天智と天武~新説・日本書紀~』第84話「祟りの正体」

 これは3月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2016年3月25日号掲載分の感想です。前回は、藤原不比等(史)が、自身が史実を改竄させて編集させた史書『日本紀(日本書紀)』を何としても直さねば、と言って錯乱するところで終了しました。今回は、720年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)8月3日、不比等が四人の息子たち(今回も明示されていませんが、武智麻呂・房前・宇合・麻呂なのでしょう)や妻?や娘?に見守られながら、『日本紀』の改稿をできないまま死亡した場面から始まります。

 時は流れ、729年2月、不比等の四人の息子のうちの一人(後の方で描かれる死亡時の描写から判断すると武智麻呂と思われ、他の三人の息子である房前・宇合・麻呂も同様に判断できます)が、不比等の娘である(武智麻呂にとっては異母妹となる)光明子(安宿媛)を皇后の座に就けよう、と朝議の場で提案します。すると、房前がただちに賛成し、聖武天皇(首皇子)の叔母にあたる血筋で、品格・資質・美貌のどれをとっても皇后に相応しい、と言って宇合も賛同します。

 皇族らしき三人は、皇族ではない藤原氏がのさばっていることに不満を抱いているようですが、当時天皇だった聖武が藤原氏を外戚としており、藤原氏の言いなりになっていることから、表立っては反論できず、不満を小声でつぶやき合うことしかできませんでした。しかし、長屋王は決然としてこの提案に反対します。皇后は皇族から選ぶという古代からの決まりを崩してはならない、というわけです。もっとも、仁徳天皇の皇后である磐之媛命は臣下である葛城氏出身とされています。しかし、これはどこまで史実を伝えているのか不明であり、少なくとも欽明天皇(大王)以降、皇后(大后)は皇族(王族)から選ばれる、という慣習が定着していた可能性は高いでしょう。仁徳天皇の皇后の件は、本作でも取り入れられている不比等陰謀論的な見解では、藤原氏の娘を皇后とするための不比等の布石だった、とも解釈できそうです。

 長屋王が決然と反対したため、朝議の参加者も皇后は皇族出身でなければならない、と堂々と言い始めます。その数日後、長屋王は謀反の疑いで死に追いやられます。作中では、「長屋王をはじめ幼児にいたるまで皆殺しにされた(長屋王の変)」とありますが、長屋王は自害したとされており、長屋王の子供たちのうちでも、不比等の娘である長娥子の子供たちは殺されませんでした。作中では、長屋王と藤原氏との対立を強調するためなのか、長娥子の存在には触れられていません。729年8月、年号が天平と変わり、光明子が聖武天皇の皇后となります。不比等の四人の息子たちは得意満面といった感じです。しかし、737年、天然痘の流行により、不比等の四人の息子たちは相次いで亡くなります。

 光明皇后は四人の異母兄を相次いで亡くしたことを深く悲しむとともに、人々の噂に怯えていました。藤原氏の四兄弟が相次いで亡くなったのは、謀反の罪を着せられた長屋王の怨念のためであり、長屋王が死んで皇后の地位を得た光明子ばかりではなく、聖武天皇さえ祟られるかもしれない、と人々は噂していました。光明皇后は不安な心境を夫である聖武天皇に打ち明けます。過ぎたことを悔いても始まらない、と宥める聖武天皇ですが、光明皇后の不安は収まりません。祟りのせいなのか、皇太子だった我々の息子が夭折して以降、我々の間では子に恵まれないようになった、と言う聖武天皇は、大僧都に会ってみないか、と光明皇后に勧めます。救いの道を示してくれるかもしれない、というわけです。

 光明皇后と聖武天皇は大僧都に会って話を聞きますが、ひたすら経を唱えて祈りを捧げ、善行を積んで心を清らかに過ごしたら災いも去ってゆくものだ、という抽象的な返答でした。災いが長屋王の祟りなのか、と聖武天皇から尋ねられた大僧都は、一切の現象には因縁があり、思い通りにいかないのが世の常だ、とまたしても抽象的な一般論で返答します。不安を解消したくて大僧都に返答を求めた光明皇后にとって、こんな抽象的な一般論では当然役に立ちません。自分は一日も欠かさず祈祷に励み、お布施をし、供養に務めているのに災厄はひどくなる一方であり、これが長屋王の祟りならば鎮める手立てはないのか、と光明皇后は改めて大僧都に尋ねます。しかし大僧都にも妙案はなく、返答に詰まってしまいます。

 そこへ、大僧都の後ろに控える僧侶が、長屋王のような小物が祟っているのではない、と発言します。この僧侶は行信という者でした。大僧都や他の僧侶に口を慎むよう窘められた行信ですが、怯まず、自分は祟りの正体を知っている、と発言します。大僧都は行信を奥につれていけと命じますが、光明皇后は行信に発言を求めます。光明皇后から祟りの正体を尋ねられた行信は、蘇我入鹿だと答えます。なぜそう言えるのか、と聖武天皇に問われた行信は、自分の夢に入鹿が現れたからだ、と答えます。なぜ夢に入鹿が現れたのか、聖武天皇に尋ねられた行信は、自分は藤原(中臣)鎌足(豊璋)とともに入鹿を成敗した天智天皇(中大兄皇子)の曾孫だからだ、と答えます。行信は、自分の祖父は天智天皇の息子である大友皇子であり、入鹿の息子である天武天皇(大海人皇子)に殺された、と打ち明けます。行信はどちらかというと天智天皇系の顔ですが、さらに悪相になっている感があります。

 因果は今も変化しながらつながり、祟りという結果を生じさせている、と言う行信にたいして、どうすればよいのだ、と聖武天皇は尋ねます。すると行信は、自分たちはともに立ち向かって92年前の乙巳の変の時と同じく入鹿を滅ぼさなければならない、さもないとこちらがやられてしまう、と答えます。この返答に光明皇后も聖武天皇も怯えます。入鹿の怨霊は長屋王の変で復活し、強大になっているので、まずは霊を慰めるための墓を造らねばならない、と行信は光明皇后と聖武天皇に進言します。逆賊である入鹿の墓をどこに建てるのだ、と聖武天皇に問われた行信は、斑鳩にある蘇我宗家の邸宅跡を推薦します。そこは、地元の者が入鹿の祟りを怖れて近寄らないため、荒れ放題となっていました。

 貴人の墓のほとんどは、「八角形は地の支配者」を表すという大陸の思想に基づいて八角形墳なので、同様に蘇我宗家の邸宅跡地には回廊つきの立派な八角円堂を建てて霊を慰めようと思う、と行信は自分の構想を説明します。これにたいして、そうすれば供養できるだろうが、『日本紀』に書かれている極悪人にそこまでしなければいけないのか、と光明皇后は不満気です。しかし行信は、書かれたものすべてが真実とは限らない、と言います。自分は父(藤原不比等)を信じている、父は真実を後世に残そうと力を尽くした、と言う光明皇后にたいして、行信は何か思うことがありそうな様子ですが、話題を変え、蘇我宗家の邸宅跡近くにある法隆寺(斑鳩寺)について言及します。

 天武天皇に手厚く保護されてきた法隆寺ですが、天武天皇の死後は顧みられることもなく、寂れたままになっていました。行信は、この法隆寺を訪れてほしい、と光明皇后・聖武天皇夫妻に要請します。光明皇后も聖武天皇もこの提案を快諾し、お布施ならいくらでもする、と言います。しかし行信は、会ってほしいだけだ、と言います。それほどの高僧がいるのか、と聖武天皇に問われた行信が、そこにいるのは高僧ではなく蘇我入鹿だ、と答えるところで今回は終了です。


 今回は謎解きが進み、行信が登場して初回に戻る道筋がはっきりと見えてきたことから、いよいよ最終回が近づいたのだな、と改めて実感しました。予告は「法隆寺には大怨霊・入鹿を象った仏像が・・・・・・聖武帝夫妻を誘導する行信の狙いは!?次号、必見!」とあり、次号が最終回とは告知されていなかったので、残り2話といったところでしょうか。現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像は、聖徳太子の化身とされています。しかし本作では、天武天皇の父である蘇我入鹿を模した仏像という設定になっています。救世観音像がなぜ法隆寺夢殿に安置(封印?)されているのか、という謎の解明が本作の見所になっているように思います。今回は、その点で大きく話が進んだように思います。

 不比等の最期はもっと描かれるのかと思ったら、あっさりと退場となりました。実質的な最高権力者となり、権勢を振るっていた不比等は、子供の頃の誤解により恩人と宿敵を取り違えてしまったことに気づき、『日本紀』を訂正できないままで死んだわけですから、さぞ後悔していたことでしょう。不比等に関しては、その地位と権力にも関わらず、惨めな最期という印象が残ります。不比等も天智天皇や天武天皇や鎌足とともに「怪物」として描かれている感がありましたが、天智天皇やその娘の鸕野讚良皇女(持統天皇)に恩義を感じ、異母兄の仇と誤解して天武天皇を恨み続けていたことなど、意外と純粋な人という印象も受けます。もっと、藤原氏のことのみしか考えず、天皇・皇族は利用するだけで恩義を感じていない、という人物だと予想していました。

 不比等が冒頭であっさりと退場した今回は、光明皇后が実質的な主人公だった感があります。救世観音像は藤原四兄弟の相次ぐ病没に怯えた光明皇后(と聖武天皇?)の命により封印された、と以前から予想していたので(関連記事)、今回の展開は意外ではありませんでした。ただそれでも、謎はまだ解明されていないので、残り2話で何とか主要な謎は解明してもらいたいものです。行信が建てようとしている、入鹿の怨霊を慰めるための回廊つきの立派な八角円堂とは、現在の法隆寺夢殿のことでしょう。夢殿は法隆寺東院にあり、東院は斑鳩宮の跡地に建立された、と言われています。しかし今回、後に東院となる土地について、蘇我宗家の邸宅跡地だ、と行信が発言しています。すると、作中世界における上宮王家の位置づけがどうもよく分かりません。この時点ではすでに『日本紀(日本書紀)』があるわけで、そこには斑鳩における上宮王家の存在も記述されています。今回の行信の発言から推測すると、蘇我宗家をモデルに上宮王家が創作されたということでしょうか。この謎が残り2話で明かされることを願っています。

 行信については、法隆寺東院の創建に尽力したと伝わっており、後に厭魅の罪で左遷させられた僧侶と同一人物とも言われています。さらに本作では、行信が大友皇子の孫という設定も追加されました。この出自が行信に大きな影響を与えていることは間違いないでしょうが、予告にもあるように、行信の思惑はまだ不明です。大友皇子の孫ということは、葛野王の息子なのでしょうが、大友皇子は藤原鎌足の娘との間に娘を儲けた、とも伝わっているので、あるいはその娘の子供なのかもしれません。ただそうだとすると、天智天皇だけではなく鎌足も曽祖父である、と行信は光明皇后と聖武天皇に説明したでしょうから、葛野王の息子と考えるのがよさそうです。行信の目的はどうもよく分かりませんが、入鹿を模した仏像を封印することで、祖父の復讐を果たすとともに、祟りを生み出す復讐の連鎖を止めよう、と考えているのかもしれません。もっとも、行信が葛野王の息子だとすると、作中世界では行信は入鹿の子孫でもあるわけですが。行信の意図は、天智天皇の最期とその遺体がどうなったのかという謎とも関わってきそうなので、大いに注目されます。

 今回実質的な主人公だった光明皇后は、鏡王女に似た感じの美人で、親族想いの穏和で優しい感じの性格でした。光明皇后は、気が強く権勢欲旺盛な人物と予想していたので、夫の聖武天皇を立てるようなところが見られることも含めて、意外な人物造形でした。光明皇后は藤原氏の出自ということに拘っていたようですが、作中でもそうした感じで、歴史を改竄した父の不比等のことも、真実を後世に残そうとした正義の人と考えているような、純粋なところがあります。一方、夫の聖武天皇の方は、容貌もややモブ顔的で、個性の強くない人物造形のように思われました。この夫婦が入鹿を模した仏像を見てどう反応するのか、次回が楽しみです。

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