遠藤慶太『六国史 日本書紀に始まる古代の「正史」』

 これは4月6日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年2月に刊行されました。六国史とは、古代日本の「正史」たる『日本書紀(日本紀)』・『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』です。本書は、この六国史について、その成立過程や編纂者や特徴などを解説するとともに、六国史の興味深い記事を取り上げています。一般書ということで、無味乾燥とした解説書にならないよう、配慮しているのでしょう。

 六国史の面白い記述として印象に残るのは『日本後紀』に見える個性的な人物批評で、おそらく多くの人にもあるのでしょうが、もちろん私にもある下世話な欲望を刺激させられます。ただ本書は、平城天皇(上皇)への論評に見られるような、個性の強い『日本後紀』の人物批評も、時の政権の政治的立場に制約されたものであることを指摘しています。史書の人物批評に撰者の個性・見識が反映されることは確かですが、「国家」編纂の史書は「個人の作品」ではなく、共同の著作なのだ、というわけです。

 六国史の後、勅撰の史書は存在しません。「国家」が六国史を最後に史書の編纂を中止すると決めたわけではなく、10世紀半ばの村上天皇の代に勅撰史書の編纂が企図されましたが、結局完成しませんでした。9世紀後半になると、史書は日常の政務運営の手引書として利用されるようになりますが、そうした役割は各貴族の残す日記が担っていくことになります。これには、官人の出世が次第に家柄で決まるようになり、特定の職務が特定の家柄に固定されるようになっていく、という時代の流れが背景としてあるようです。そのような社会状況では日記があれば充分であり、わざわざ多大な労力・費用の必要な勅撰史書の編纂への意欲が朝廷では高まらなかった、ということのようです。

 本書は、六国史が後世においてどのように読まれたのか、ということにも1章を割いています。六国史は古典として重視され、書写されてきました。近世になると、出版業の興隆により六国史も多数出版されるようになりました。本書は、中世と近世との大きな違いとして、六国史が万人に開かれるようになったことを指摘しています。これは六国史に限らないことで、中世においては学芸が師弟間という閉鎖的で限定された空間・関係性で継承されたのにたいして、近世においては多くの人に開かれるものとなっていく傾向にあった、という社会状況の変化が背景としてあるようです。本書は一般向けの六国史の解説書としてなかなか工夫されており、楽しんで読み進められました。

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