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zoom RSS 「縄文人」の起源

<<   作成日時 : 2018/06/13 16:10   >>

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 日本人の起源に関しては、「南方系」の「縄文人」と「北方系」の弥生時代以降の渡来民との混合により形成されたとする、「二重構造モデル」が一般層にもそれなりに浸透しているように思います。この仮説では縄文人は南方系と想定されているのですが、形態学でも遺伝学でも、縄文人は南方系との合意が形成されているわけではありません。頭蓋形態の変異量の地域差からは、縄文人が北方系との見解が提示されています(関連記事)。6750〜5530年前頃の文時代前期となる富山県富山市呉羽地区の小竹貝塚の人骨群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、北方系と南方系が混在している、と指摘されています(関連記事)。

 縄文人の核DNA解析も行なわれており、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚で発見された3000年前頃の人類遺骸からは、縄文人が現代の東ユーラシア各地域集団との比較において最も早く分岐した、と推測されています(関連記事)。ただ、あくまでも、3000年前頃の東北地方南部の縄文人の事例であり、縄文人も地域・年代によりある程度以上の違いがあった、と考えられます。三貫地縄文人の核DNA解析からは、縄文人が北方系と南方系のどちらなのか、判断できません。縄文人の起源の解明には、多様な地域・時代の縄文人とともに、ユーラシア東部の多様な地域における更新世後期〜完新世中期までの人類遺骸のゲノム解析が必要となるでしょう。ただ、ユーラシア東部でも南方地域の更新世人類遺骸のゲノム解析は難しいでしょうし、日本列島でも、更新世の人類遺骸は南方諸島を除いてほとんど発見されていません。おそらく今後もこの状況が大きく改善されるとは期待しにくいので、縄文人の起源については、半永久的にかなりの程度推測の域に留まらざるを得ないでしょう。

 現時点での証拠からあえて推測すると、縄文人は北方系と南方系の混合集団で、ユーラシア東部にかつて存在した縄文人の(複数の)祖先集団というか近縁集団は、その後の移住・混合・置換により当初の遺伝的構成を喪失したのではないでしょうか。この問題に関しては、ユーラシア大陸を北方と南方それぞれで東進してきてユーラシア東部で混合した集団が、対馬海峡経由で日本列島へと渡って日本列島最初期の住民となり、縄文人の主要な祖先集団となったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。現時点では、縄文人の起源についてはこの見解が有力ではないか、と思います。

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