岡本隆司『世界史序説 アジア史から一望する』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2018年7月に刊行されました。本書は、東洋史研究者による新たな世界史構築への第一歩となる提言といった感じです。気宇壮大ではありますが、各分野の専門家からは、突っ込みが多いかもしれません。しかし、著者もそんな懸念は百も承知でしょうし、歴史学の研究が細分化され精緻になっていくなか、こうした試みは必要でしょう。また、じっさい、歴史学の研究者の間で「世界史」への意欲がなくなったわけではなく、近年では、グローバルヒストリーという概念が提唱されています。

 しかし本書は、グローバルヒストリーのような近年の「世界史」も、依然としてヨーロッパ、もっと限定すれば西ヨーロッパ中心主義で、アジア史のことをよく理解できていない、と強く批判します。ヨーロッパ史の研究の蓄積により構築されてきた概念で、アジア史をどれだけ正確に理解できるのか、と本書は疑問を呈しています。著者の他の一般向け書籍を何冊か読んできましたが、本書冒頭のヨーロッパ中心主義への批判はあまりにも攻撃的で、正直なところ困惑してしまいました。日本人のイギリス史研究者が論じるグローバルヒストリーにおいて、日本語の研究が参照されず、英語文献に依拠していることなど、著者にはグローバルヒストリーの現状に強い不満があるようです。

 そのような問題意識を前提として、本書はおもにアジア史を対象に議論を展開しています。本書のアジア史に関する見解については、本書が依拠する研究者の見解を少しは読んでいたこともあり、大きな違和感というか、意外な感はありませんでした。本書が重視するのは、モンゴル帝国の興隆とその後の崩壊をもたらした「14世紀の危機」で、「シルクロード」とも称されるユーラシア内陸部の経路から海上経路へと、経済の重心が移っていきました。こうした状況を前提として、「大航海時代」とその後のヨーロッパ勢力の覇権が到来します。本書はヨーロッパにおける近代化の条件として、官民一体の「法の支配」を挙げ、イギリスの果たした役割がきわめて大きかった、と指摘します。さらに本書は、そうした条件はヨーロッパ、とくにイギリスにおいてこそ成立したのであって、アジアでは成立し得なかったとして、ヨーロッパとアジアの違いを強調しています。

 本書は世界史とはいっても、前近代のサハラ砂漠以南のアフリカ・オセアニア・アメリカ大陸への言及は皆無といってよく、本書の意図からしてそれは当然なのかもしれませんが、世界史と銘打っている以上、やはり多少は言及があってもよかったのではないか、と思います。本書の見解で個人的に注目したのは、儒教はリアルな人間関係に基づく教義しか有さない中原の土俗的な論理で、仏教の広汎さ・精妙さ・深奥さには及びもつかない、との評価です。やはり、儒教にはある程度以上の普遍性はあっても、キリスト教・イスラム教はもちろん、仏教にも遠く及ばないのではないか、と思います。また、西欧中心主義はあらゆる学問の本質に埋め込まれている、との指摘も注目されます。前近代日本史の構造・展開は東アジア史、さらにはアジア史との共通性が少なく、むしろ西ヨーロッパと近似していた、との本書の見解については、今後も考え続けていきたいものです。

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