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zoom RSS 中央・南アジアの古代DNA

<<   作成日時 : 2018/09/02 19:41   >>

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 中央・南アジアの古代DNAに関する研究(Narasimhan et al., 2018)が報道されました。本論文はまだ査読中なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、興味深い内容なので取り上げます。本論文は、イラン・中央アジア・南アジアの古代人362人の全ゲノムデータを新たに生成し、既知の古代人のゲノムデータと比較しました。年代は紀元前10000年〜紀元後1年頃となります。本論文の対象地域を大きく分けると、イランおよびトゥーラーン(現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン)、西部および中央部草原地帯と現在のカザフスタンおよびロシアを囲む北部森林地帯(森林・草原地帯)、北部パキスタン(南アジア)です。新たに生成されたゲノムデータは、イランおよびトゥーラーンからは132人、森林・草原地帯からは165人、南アジア)からは65人となります。イラン東部とトゥーラーンの銅器時代・青銅器時代(紀元前5600〜紀元前1200年)、シベリア西部森林地帯(紀元前6200〜紀元前4000年)、ウラル山脈の東側の草原地帯の銅器時代・青銅器時代(紀元前4700〜紀元前1000年)、パキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の鉄器時代と歴史時代(紀元前1200〜紀元後1年)の古代ゲノムデータは、刊行された人類のものとしては最初となります。

 本論文は、考古学・年代学的情報に基づき古代人を分類し、612人の古代人を含むデータセットを、南アジアの異なる246の民族集団の現代人と共に分析・比較しました。古代人の標本に関しては、少なくとも15000ヶ所の一塩基多型を分析できるものに限定されました。本論文が分析対象にした古代人は大きく祖型的な7系統に分類され、それぞれの系統の複雑な融合により、現代人へとつながる系統が形成されました。その7系統とは次の通りです。(1)紀元前7000年紀のアナトリア半島西部農耕民と関連した系統(AA)、(2)中石器時代ヨーロッパ西部に代表されるヨーロッパ西部の狩猟採集民(WHG)系統、(3)紀元前8000年紀までのイランのザグロス山脈地域の牧畜民に代表されるイラン農耕民関連系統(IA)、(4)ヨーロッパ東部の多様な遺跡の狩猟採集民に代表されるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)関連系統、(5)ユーラシア系統の深い源となるシベリア西部狩猟採集民(WSHG)、(6)漢人に代表される東アジア関連系統(EA)、(7)現代のアンダマン諸島住民と深く関連していると仮定されている古代祖型インド南部人関連系統(AASI)です。


●イランおよびトゥーラーン地域

 イランのザグロス山脈地域の初期農耕民(IA)は、他地域とは異なるユーラシア西部系統で、イランのもっと広範な地域の後の集団は、IA系統と初期アナトリア半島農耕民(AA)系統との混合により形成されました。AA系統の遺伝的要素は、イランの西部から東部にかけて、70%〜30%と低下していきます。また、3%程度のトゥーラーンの遺伝的要素も見られます。この地域的連続変異(クライン)は、紀元前7千年紀〜紀元前6千年紀における西方から東方へのコムギおよびオオムギの拡大と一致しており、AAが、西方のヨーロッパ方面だけではなく、東方のイラン方面にも拡大した可能性を示しています。イランにおけるAA系統の増加は、レヴァントからの先土器農耕民の拡散を反映している、との説もあります。しかし、メソポタミアの初期農耕民ではAAやIAの遺伝的影響が確認されていないので、この地域的連続変異がいつ確立したのか、決定は困難です。イラン東部やトゥーラーンでは、WSHGとの交雑も検出され、ユーラシア北部集団が、ヤムナヤ(Yamnaya)関連草原地帯牧畜民(SEMBA)の拡大前に、トゥーラーンに遺伝的影響を与えた、と推測されます。

 青銅器時代のトゥーラーンからは、紀元前2300〜紀元前1400年のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化とその直接的な後継文化の69人のゲノムデータが報告されています。大半の個体は、同一ではないにしても、トゥーラーン先住民の遺伝的変異内に収まり、その遺伝的構成は、BMACが60%、AAが21%、WSHGが13%と推定されています。BMAC 集団は、都市化の前から融合していたようです。BMAC集団のゲノムには、現代南アジア人のゲノムでは一般的な草原牧畜民系統が欠如しており、 BMAC は現代南アジア人の祖先ではなさそうです。つまり、現代南アジア人に遺伝的影響を与えた草原地帯牧畜民は、トゥーラーンを迂回したようです。BMAC 集団は、先行のトゥーラーン集団とは異なり、北上してきたAASI系統から5%程度の遺伝的影響を受けたようです。

 紀元前2300年頃までのトゥーラーンでは、BMAC遺跡の2人で、その前後のカザフスタンの複数の遺跡の人類遺骸と同様に、WSHG系統が観察されます。最も節約的な解釈は、BMACの前に中央アジアに広く拡散していたケルテミナー(Kelteminar)文化集団の影響です。重要なのは、トゥーラーンにおいて、紀元前3000年紀のBMACのどの個体にもSEMBA系統が見られないことです。SEMBAはまだこの地域には拡散していなかっただろう、というわけです。紀元前2100〜紀元前1700年前には、BMACの遺跡3ヶ所でSEMBA系統が確認され、SEMBA系統集団の南下が窺えます。

 また、紀元前3100〜紀元前2200年前のBMAC集団では、紀元前1200〜紀元前800年のインダス川流域北部のスワート渓谷地域集団と類似した遺伝的構成が見られます。この集団の遺伝的構成は、AASIから14〜42%、残りがIA系統とWSHG系統です。イランおよびトゥーラーンの同時代およびそれ以前の人類標本と同様に、これらの標本でも草原地帯牧畜民関連系統の証拠は見られませんでした。インダス文化集団から直接的に古代人のDNAを解析できたわけではありませんが、インダス文化とBMACの文化的交流の痕跡、インダス文化以後のスワート渓谷集団との遺伝的類似性、南アジアからの移住を示唆するかなりのAASIの 遺伝的要素、現代インド人の予想される古代型祖先集団との合致から、この時期のBMAC集団にはインダス文化集団、もしくは本論文がインダス文化周辺部(IP)と呼ぶ地域の集団からの移住があった、と推測されます。IPは、インダス文化との深い文化的関係が想定されています。ただ、上述したようにインダス文化集団の古代DNA解析はまだ報告されていないので、その他の可能性も想定されます。また、インダス文化は多様だったと考えらるので(関連記事)、その担い手の遺伝的構成は、インダス文化の各地域集団によりかなり異なっていた可能性も想定されます。


●草原・森林地帯

 WSHGの遺伝的構成は、30%程度のEHG 、50%程度の紀元前22000〜紀元前15000年頃の祖型北部ユーラシア人、20%程度のEA系統です。WSHG系統は草原地帯南部とトゥーラーンで見られ、カザフスタンの紀元前3000年紀初期の個体では80%ほどの遺伝的影響を与えており、紀元前2000年紀のカザフスタンとトゥーラーンの個体にも遺伝的影響を及ぼしています。紀元前2000〜紀元前1400年にかけて、ヨーロッパ東部とウラル草原地帯には遺伝的に比較的均質な集団が存在しました(SMLBA)。この集団は、草原地帯系統とヨーロッパ中期新石器時代農耕民(EMN)系統との混合です。これは、ヨーロッパ東部集団の西進と在来の農耕民との混合、さらにはその集団がウラルを越えて西方へと「逆流」してきた、との以前の見解と一致しています。

 SMLBA 西部集団の遺伝的構成は、EMN系統 が26%、SMLBA 系統が74%と以前の報告では推定されています。この地域のシンタシュタ(Sintashta)文化集団では、SEMBA・WSHG・EA系統の遺伝的影響が高くなる場合も見られ、多様な系統がいた、と推測されます。草原地帯南東端では紀元前1600〜紀元前1500年にもIA系統との顕著な交雑が見られ、トゥーラーンから草原への北方向の遺伝子流動がありましたが、同じ頃に、SMLBA 系統がトゥーラーンを通って南アジアへと移動しました。

 紀元前1700〜紀元前1500年には、複数の遺跡において、EA系統およびSMLBA 系統の残存集団の遺伝的影響が、最大で25%になる個体も確認されます。同様の遺伝的構成は、紀元前1500〜紀元前1000年前頃となる、草原地帯の後期青銅器時代でも見られます。こうしたEA系統要素は、後のスキタイ期と同様のタイプです。一方、現代南アジア人には、EA系統は無視してよいくらい低い割合しかありません。中央アジアには、まだDNAが解析されていない、東アジア関連系統と無視してよいくらいしか交雑していない集団がいて、後に南アジアに移住した、とも考えられます。しかし、南アジアの草原地帯牧畜民系統の少なくともいくつか、おそらくすべては、その起源が紀元前2000年紀の移住にあり、EA系統が草原地帯へと拡散する前に南方へと移動した、と考えられます。


●南アジア

 南アジアの現代人の形成過程に関しては、最近『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』を取り上げたさいに言及しましたが(関連記事)、本論文の見解はそれを更新すると言えるでしょう。現代インド人は、祖型南インド人(ASI)と祖型北インド人(ANI)とのさまざまな程度の混合により形成された、と考えられています。しかし、単純に両者の融合により形成されたのではありません。南アジアにおける現代インド人はおもに、アンダマン諸島の住民と近縁の、おそらくは更新世から南アジアに存在した集団(AASI)、新石器時代にイラン方面から南アジアに到来したIA、紀元前2000年紀に草原地帯より南下してきたSEMBA系統から構成されます。

 IP系統は在来のAASI系統にイラン方面から東進してきたIA系統の混合により形成されました。IP系統がおそらくはインダス文化衰退後に南アジア全域に拡散し、AASI系統と混合していったことにより、ASI系統が形成されました。ASI系統における遺伝的影響の比率はAASI系統が73%でIA系統が27%と推定されています。ANIは、トゥーラーンの農耕民関連系統(45%)とSEMBA系統(55%)の混合により形成されました。現代南アジアで見られるY染色体ハプログループR1aは草原地帯牧畜民に由来すると推測されており、SMLBAでは68%と高頻度ですが、本論文のデータでは、SEMBAでは見られません。これは、南アジアにおけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の低さを指摘した見解(関連記事)と整合的かもしれません。

 インド南部には、IP系統の割合の高い集団が存在し、パキスタン北部にも同様の集団が存在します。したがって現在でも、ASIとANIとが交雑していない集団は、南アジアに孤立して存在します。AASIは、東アジア系統・オーストラリア(およびニューギニア)系統・アンダマン諸島系統と共通祖先を有し、これらの系統は1回のみの東進で南アジアに達し、その後に各系統にすぐに分岐した、と推測されます。ASIと ANIはともに紀元前2000年紀初めには確実には形成されておらず、紀元前2000年紀、おそらくはインダス文化衰退後に、本格的に形成されたと推測されます。ASI形成の契機は紀元前3000年頃のインドへの西アジアの穀物・家畜の導入とも考えられます。あるいは、インダス文化衰退後のインダス川流域からの文化の東進と関連しているかもしれません。

 オーストロアジア語族はおそらく紀元前3000年紀に南アジアに到達して在来集団と交雑し、この時点ではASIはまだインド全域には拡散していなかったと思われます。紀元前1200〜紀元後1年のスワート渓谷の集団は遺伝的にIP集団と類似しているものの、SMLBA要素が22%以下ある点では異なります。これは、紀元前2000年紀にSMLBA系統が南アジア集団に統合されていた直接的証拠となり、SMLBA系統がこの頃に南方へと拡大した証拠と一致します。紀元前1000年紀のスワート渓谷の集団は、インドの地域的連続変異と類似する、草原地帯系統とAASI系統のもっと高い割合を有しており、南アジアにおいて、草原地帯関連系統が増加し、時代を通じてASI系統との追加の交雑があったことを示しています。


●考古学および言語学との関連

 IA系統とAASI系統の混合集団は紀元前3000年紀に確立し(IP)、IA系統とAASI系統の交雑は紀元前4700〜紀元前3000年と推定されています。つまり、IA系統はインダス川流域に紀元前4000年紀までには到達していたわけです。しかし、コムギ・オオムギ・ヤギ・ヒツジが紀元前7000年紀には西アジアから南アジアに到達しており、こうした家畜や栽培種は人間ともに移動することが珍しくないので、IA系統の南アジアへの拡散はもっと早かった可能性があります。これらの栽培種や家畜種がいつ南アジアに到達したかに関わらず、遺伝的証拠は、IP系統がANIとASIの両方に大きな割合で寄与しており、両系統は紀元前2000年紀には形成され、それはインダス文化の衰退とインド北部の定住パターンの大きな変化と重なっている、と示しています。

 倹約的な仮説は、SMLBA集団が紀元前2000年紀に南方へと移動し、インダス文化終末期にインダス周辺部関連集団と交雑してANIを形成し、IP系統集団はさらに南と東へと移動し、インドのAASI集団と交雑してASIを形成した、というものです。ドラヴィダ語族の拡大もまた、この過程と関連している可能性が高そうです。インド・ヨーロッパ語族の拡散はSMLBA集団の拡散と関連しており、考古学的証拠とも整合的と考えられます。また、これはカースト制度との関連も指摘されています。ヨーロッパでは、SEMBA集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族が拡散した、と考えられます。

 このような南アジアの現代人の形成史は、もちろん、細かく見れば色々と違いはあるのですが、ヨーロッパのそれと類似しています。まず、両地域とも紀元前7000年紀〜紀元前6000年紀に西アジアから農耕民集団が拡散してきて、在来の狩猟採集民集団と混合しました。その後、両地域には草原地帯牧畜民が到来し、在来の農耕民集団と融合し、現代の地域集団の基本的な遺伝的構成が形成されました。もっとも、ヨーロッパと南アジアに限らず、多くの地域では、後期更新世〜完新世にかけての人類集団の複雑な移住・混合により、現代の地域集団が形成されたのでしょう。東南アジアでも、先住の狩猟採集民・初期農耕民・もっと後の移住民の波という3系統の混合により現代人の遺伝的構成が形成された、と推測されており(関連記事)、インドやヨーロッパと類似している、と言えそうです。日本列島についても、複数の大きな移住の波が想定されており(関連記事)、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2018): The Genomic Formation of South and Central Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/292581

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