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zoom RSS 青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷

<<   作成日時 : 2018/10/07 13:46   >>

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 青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷に関する研究(Krzewińska et al., 2018)が報道されました。本論文は、おもにポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団のゲノムを解析し、ユーラシアの古代および現代の人類集団の既知のゲノムと比較しました。本論文の結論は、鉄器時代のユーラシア西部遊牧民集団の主要な起源はポントス-カスピ海草原東部にある、というものです。

 ポントス-カスピ海草原には青銅器時代〜鉄器時代にかけて多くの遊牧民集団が連続的に存在し、アジアとヨーロッパ双方の文化発展に大きな影響を及ぼしました。その中で最も有名なのは前期青銅器時代のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団で、その拡大はヨーロッパにコーカサス地域の遺伝的要素をもたらしました(関連記事)。ポントス-カスピ海草原の重要性は、このヤムナヤ文化集団の拡大だけではなく、その後の紀元前1800〜紀元後400年にかけての青銅器時代〜鉄器時代の連続した移住と文化的変容も同様です。

 紀元前1800〜紀元前1200年にかけてのポントス-カスピ海草原は、スルブナヤ-アラクルスカヤ(Srubnaya-Alakulskaya)文化集団の期間で、ウラルからドニエプル流域まで小さな居住遺跡が分布しています。青銅器時代〜鉄器時代の移行期となる紀元前1000年頃からは、キンメリア人を含む先スキタイ遊牧民集団がポントス-カスピ海草原西部に出現し始めます。紀元前700〜紀元前300年にはスキタイ人がポントス-カスピ海草原西部を支配し、新たな軍事文化を有する遊牧民として、アルタイ地域からカルパティア山脈までその勢力が及びました。スキタイ人は、ポントス-カスピ海草原に留まらず、カザフスタン草原まで支配したわけです。

 スキタイ人は紀元前300年頃に衰退し始めますが、これは西方のマケドニアと敵対していったことと、東方からのサルマティア人の侵略が大きかったようです。サルマティア人とスキタイ人は数世紀間共存したと考えられていますが、けっきょくはサルマティア人が優勢になり、スキタイ人は没落しました。サルマティア人は、類似した多くの遊牧民集団から構成されていたと考えられ、政治的にはローマ帝国東方の辺境地帯で最も政治的影響力を有しましたが、紀元後400年には、ゴート人とフン人の連続した攻撃により衰退しました。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団のゲノム構造はじゅうぶんには解明されていません。以前の研究では、スルブナヤ集団と後期新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパ集団との近縁性が指摘されていました。キンメリア人については、その遺伝的起源はあまり解明されていません。スキタイ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、ユーラシア草原地帯の東西の集団の混合が指摘されていました。スキタイ人でも東方のアルタイ地域のアルディベル(Aldy-Bel)文化集団は、中央アジアの東部集団との遺伝的類似性を示しますが、西方のポントス-カスピ海草原のスキタイ人集団との関係と起源に関する理解は貧弱です。サルマティア人の起源と他集団との遺伝的近縁性もあまり知られていませんが、ゲノム解析では東部ヤムナヤ文化集団および青銅器時代のヴォルガ川中流域のポルタフカ(Poltavka)集団との類似性が指摘されています。

 本論文は、後期青銅器時代〜鉄器時代にかけてのポントス-カスピ海草原の古代人のゲノム解析が不充分であることから、紀元前1900〜紀元後400年にかけての、ポントス-カスピ海草原の年代的に連続した異なる4文化集団の35人ゲノムを解析し、既知のユーラシアの人類集団のゲノムと比較することで、研究を前進させました。ゲノム解析の平均網羅率は0.01倍〜2.9倍です。内訳は、スルブナヤ-アラクルスカヤ人が13人、キンメリア人が3人、スキタイ人が14人、サルマティア人5人です。

 mtDNAハプログループでは、後期青銅器時代のスルブナヤ-アラクルスカヤ人がヨーロッパ人もしくはユーラシア西部人と関連するH・J1・K1・T2・U2・U4・U5に分類されたのにたいして、青銅器時代〜鉄器時代の移行期の遊牧民集団であるキンメリア人と、鉄器時代の遊牧民集団であるスキタイ人・サルマティア人には、中央アジアおよび東アジア系集団と関連するA・C・D・Mに分類される個体がいました。より古いスルブナヤ-アラクルスカヤ人に東アジア系mtDNAハプログループが見られないのは、草原地帯の集団の東アジア系ハプログループの出現が鉄器時代の遊牧民集団と関連しており、キンメリア人に始まるからかもしれません。Y染色体DNAハプログループでは、18人の男性のうち17人が、ハプログループRに分類されました。スルブナヤ-アラクルスカヤ人は、青銅器時代に拡大したR1aに分類されました。鉄器時代の遊牧民はほとんどがR1bに分類され、これはロシア草原地帯のヤムナヤ文化集団に特徴的です。例外はキンメリア人の男性1人で、ユーラシア東方集団と関連するQ1に分類されました。

 低〜中網羅率ですが、ゲノム解析の結果、さまざまな新知見が得られました。スルブナヤ-アラクルスカヤ人は現代のヨーロッパ北部・北東部集団と近縁です。青銅器時代〜鉄器時代移行期のキンメリア人は、遺伝的に均質ではありません。本論文でゲノム解析の対象となったスキタイ人は、スキタイの中核であるポントス草原北部の個体群で、高い集団内多様性を示します。スキタイ人は遺伝的に大きく3集団に区分され、それぞれ、ヨーロッパ北部集団・ヨーロッパ南部集団・コーカサス北部集団と近縁です。スルブナヤ-アラクルスカヤ人の1個体と、キンメリア人の最も新しい年代の個体と、サルマティア人全員も、コーカサス北部集団と近縁です。スキタイ人の1個体は、ユーラシア西部集団の遺伝的変異の範囲を超えて、東アジア人と遺伝的近縁性を示しています。

 スルブナヤ-アラクルスカヤ人はユーラシア西部集団の変異内に収まり、北東部および南東部アジア集団の要素を欠いています。一方、それに続くキンメリア人は全員、東方のシベリア集団の遺伝的要素を有していました。キンメリア人の最古の個体の遺伝的構成の比率は東方のアジア系とユーラシア西部系で等しく、2番目に古いキンメリア人個体は、ユーラシア東部とアメリカ大陸先住民集団で見られるY染色体DNAハプログループQ1に分類され、この頃よりポントス-カスピ海草原の遊牧民集団に東アジア系の遺伝的要素が入ってきたようです。

 スキタイ人は、上述したように遺伝的には多様で、複数の系統から構成されているため、起源の解明は困難です。東方スキタイ人がヤムナヤ文化集団と近縁な一方、西方スキタイ人は中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です。また、西方スキタイ人には、南アジアおよび東アジア系集団の遺伝的要素が欠けており、これもスキタイ人の遺伝的多様性の一因となっています。スキタイ人は、ユーラシアの半遊牧民集団や黒海地域のギリシア人など、多様な人々を組み込んでいったのではないか、と推測されています。じっさい、異なる遺伝的背景の個体が、同じ文化様式で埋葬されていたこともありました。スキタイ人は、遺伝的に大まかに言って、その前後にポントス-カスピ海草原を支配したキンメリア人とサルマティア人とも、近い関係にはあるものの直接的な祖先-子孫関係にはない、と推測されています。

 ウラル南部の個体も含むサルマティア人は草原地帯集団の変異内におおむね収まり、ウラル南部ではユーラシア西部の遊牧民集団の遺伝的構成が比較的維持された、と推測されています。サルマティア人の比較的高い遺伝的多様性については、遺伝子流動というよりも、大きな有効人口規模の結果かもしれない、と指摘されています。サルマティア人とキンメリア人の遺伝的近縁性も指摘されており、鉄器時代以降にユーラシア東部の遺伝的影響を受けつつも、ポントス-カスピ海草原においてユーラシア西部草原地帯の遺伝的要素が強く維持されてきた、と示唆されます。

 古代ゲノム解析から、ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代は、遊牧民集団の移動性の高い複雑な時代だった、と推測されます。青銅器時代〜鉄器時代にかけてポントス-カスピ海草原を支配した人類集団は、それぞれ前後の時代の集団と主要な直接的祖先-子孫関係にあったまでは言えませんし、ユーラシア東部からの遺伝的影響を受けているものの、大まかには、ポントス-カスピ海草原とウラル南部を起源地とする集団の遺伝的構成が維持され、ユーラシア西部の遊牧民集団が形成された、と言えそうです。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の遊牧民集団では、とくにスキタイ人において強い傾向が見られるようですが、拡散先の在来集団を同化させて組み込んでいったようです。遊牧民集団の柔軟性は、歴史学などでも指摘されていたと思いますが、それが古代ゲノム解析でも裏づけられた、ということなのでしょう。もっとも、これにより広範な地域に及ぶ強大な勢力を短期間で築くこともできますが、出自の異なる集団の合流で形成されているだけに、史実に見えるように、崩壊する時はあっけないのでしょう。

 ポントス-カスピ海草原の青銅器時代〜鉄器時代の遊牧民集団は、アジアとヨーロッパに遺伝的にも文化的にも大きな影響を及ぼしました。文化面では、乗馬・戦車(チャリオット)などが挙げられます。これらは考古学的検証が可能ですが、直接的証拠は乏しいとしても、おそらくはインド・ヨーロッパ語族も、草原地帯の遊牧民集団が広めた可能性は高いと思います。ユーラシア中央部の遊牧民集団は、とくに紀元前に関しては文字記録が少ないため、あるいは過小評価される傾向にあるかもしれませんが、古代ゲノム解析の進展により、その重要性が今後広く認識されていくのではないか、と予想されます。


参考文献:
Krzewińska M. et al.(2018): Ancient genomes suggest the eastern Pontic-Caspian steppe as the source of western Iron Age nomads. Science Advances, 4, 10, eaat4457.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aat4457

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