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zoom RSS 天皇個人を批判する保守派は矛盾しているわけではない

<<   作成日時 : 2018/10/08 12:43   >>

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 現代日本社会では、自他ともに「保守派」と認めるような人が今上天皇を批判したり、今上天皇の意向を否定するような言動を示したりすることはさほど珍しくありません。「保守派」に批判的な人々が、これを揶揄したり、矛盾だと指摘したりすることも珍しくないのですが、「保守派」によるそうした言動は別に矛盾ではなく、むしろ「保守派」の論理に即している、と評価すべきように思います。

 歴史的に、天皇への批判的な言説や諫言はさほど珍しくありませんでした。平安時代最初期の徳政相論や中世の吉田定房奏状もその具体例と言えるでしょう。中世の慈円『愚管抄』にしても、その対象は、天皇位を譲って上皇となり、治天の君として朝廷を掌握していた後鳥羽院だったと思われますが、広い意味で天皇への批判的な言説や諫言の一例と言えるように思います。とくに中世は、古代以来の天皇の権威の低下により、天皇の側も新たな権威を模索していたものの、天皇に対する仮借なき批判は一般的だった、と指摘されています(関連記事)。

 しかし、ここで取り上げている「保守派」は、そうした長い歴史的経緯と無関係ではないとしても、直接的起源というか依拠する(理想とする)ところは、大日本帝国憲法公布や帝国議会開設の頃、さらには日清・日露戦争を経て確立した、明治国家(大日本帝国)体制である、と想定しています。この明治国家体制の確立に重要な役割を果たしたのが伊藤博文ですが、伊藤は師である吉田松陰から大きな影響を受けた、と指摘されています(関連記事)。

 それは、既存の体制を否定して絶対的なもの(たとえば、藩主や天皇)を設定する論理と、政治の運営にさいして、その絶対者に単に服従するのではなく、あるべき君主になるよう教導し、君主との信頼関係を基盤にする、という態度です。また、藩主の「意志」のもとに「有司」集団が藩政を指導し、特別な場合を除いて藩主は積極的に「意志」を示さない、という幕末期長州の体制も、伊藤に大きな影響を与えたようです。これら幕末期長州での伊藤の経験が、君主の直接的な政治関与を抑制する大日本帝国憲法体制の前提としてあるようです。

 明治国家体制に依拠する「保守派」にとって、重要なのは「あるべき」君主(天皇)・国家体制像であり、現実の天皇個人がそれらから逸脱することがあれば、それは「教導」の対象であり、「教導」するような近い関係になければ、批判や具体的行動に出るべきなのです。じっさい、二・二六事件などは、直接的な標的は現実の天皇個人(この場合は昭和天皇)というよりは「君側の奸」でしたが、1945年における終戦工作への批判・妨害活動や、8月のクーデタ計画などがありました。それらは、現実の天皇個人が「あるべき」君主像・国家体制像から逸脱しようとしていると考えられた時は、現実の天皇個人の意向に反したり、時には退位まで追い込んだりしても、「あるべき」君主像・国家体制像を護持するという「保守派」にとって正しい行動だった、というわけです。

 この観点からは、現代の「保守派」が「リベラル」寄りとされる今上天皇に不満を抱き、批判的なのもとくに矛盾ではありません。具体的には、靖国神社に参拝しないことや、生前退位の意向を示したことや、日本国憲法遵守の姿勢です。確定的ではありませんが、「保守派」の間には、今上天皇は女性天皇、さらには女系天皇を容認しかねない、との疑念があるかもしれず、その点でも今上天皇への不満は大きいのでしょう。そうした「保守派」に対しては、天皇の意向に逆らうのか、といった揶揄や矛盾の指摘は有効ではなく、もっと根源的なところで批判する必要があるのだと思います。

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