さかのぼるヨーロッパにおけるペストの起源

 ヨーロッパにおけるペストの起源に関する研究(Rascovan et al., 2019)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパにおける農耕は、アナトリア半島からヨーロッパへの農耕民の移住により拡大・定着していった、と考えられています(関連記事)。こうしてヨーロッパでも新石器時代が始まり、新石器時代末期にかけて人口が増大していきました。また、土器や畜力や車輪や金属器の開発・利用といった技術革新も人口増加を促進する要因となりました。

 現在のモルドバやウクライナといったヨーロッパ東部では、6100~5400年前頃に巨大集落が出現し、1万~2万人もの人口を擁しました。トリポリエ文化(Trypillia Culture)として知られているこうした集落では、考古学的記録から、分業化の進展と人口密度の増加および多数の家畜と人間との高密な接触が指摘されています。これらは感染症出現の好条件です。大規模居住地は通常短命で、150年ほどで放棄されて焼かれ、すぐに再建されました。

 しかし、新石器時代末期となる5400年前頃以降しばらくは、そうした大規模集落が再建されることはなくなり、その理由はよく分かっていません。想定されている理由として有力なのは、森林の縮小または消滅といった環境破壊で、それは草原の拡大を促しました。それとも関連してポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの遊牧民集団のヨーロッパへの拡散も、新石器時代末期のヨーロッパ東部における大規模集落衰退の一因と推測されています。また、人口密度の増加から、感染症も有力な要因と考えられており、大規模集落の急速な放棄と焼却はその根拠とされます。こうした新石器時代末期のヨーロッパにおける集落の衰退は西部と北部でも続き、スカンジナビア半島では5300年前頃に始まった、と推測されています。

 本論文は、スウェーデン西部のファルビグデン(Falbygden)地域にあるゲクヘム(Gökhem)教区のフレールセガーデン(Frälsegården)羨道墓で発見された個体(Gökhem2)において、明確なペスト菌を確認しました。その個体は20歳の女性で、年代は5040~4867年前頃と推定されています。当時のこの地域は、漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker culture)に区分されています。同じ墓地の推定年代の近い(5040~4839年前頃)20歳くらいの男性(Gökhem4)でもペスト菌が確認されました。他の近隣の同時代の狩猟採集民集団では、ペスト菌は確認されませんでした。この狩猟採集民集団は円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture)に区分されています。農耕牧畜民集団は狩猟採集民集団よりも人口密度や動物との接触密度が高いので、古代の農村における感染症の出現は、考古学から推測されていました。

 Gökhem2のペスト菌のゲノム解析の結果、これは新たな系統「Gok2」と命名されました。Gok2系統は、青銅器時代にユーラシア大陸で流行した系統や現代まで続く系統といった既知の系統とは遠い関係にあります。ペスト菌に関しては、軽度の胃腸障害を引き起こす仮性結核菌がペスト菌に進化したのは過去1万年の間のことだった、と以前の研究で推測されています(関連記事)。本論文は、まずGok2系統と既知の他系統が6364~5250年前頃(5700年前頃)に分岐し、次に青銅器時代のヨーロッパで流行した系統と現代に続く系統が5625~4678年前頃(5100年前頃)に分岐した、と推測しています。Gok2系統と青銅器時代系統は、現代では確認されていません。ほとんどの現代的な系統は、中国に由来する可能性が高い、と推測されています。

 大きな遺伝的影響力を残したポントス-カスピ海草原遊牧民集団のヨーロッパへの拡大(関連記事)の前に、ペスト菌の主要な3系統(Gok2と青銅器時代と現代)が分岐したことなります。ヨーロッパ東部のトリポリエ文化のような新石器時代末期の大規模集落においてペスト菌は発生し、車輪の開発など技術革新による交易ネットワークの拡大にともない、ペスト菌はヨーロッパ北部も含むユーラシア各地に拡大したのではないか、と本論文は推測しています。ヨーロッパ東部がペスト菌の起源地で、交易により各地に拡散する過程で分岐していったのではないか、というわけです。Gok2系統の病原性の実験的証拠は得られていませんが、肺ペストの発症と関連する遺伝子が確認されているので、致死的だった可能性が高い、と本論文は推測しています。

 本論文の見解は、後期新石器時代と初期青銅器時代のペスト菌のゲノム解析に基づく、ヨーロッパにおけるペストの最初の出現は、ポントス-カスピ海草原遊牧民集団のヨーロッパ中央部・西部への拡大に伴っていた、という見解と一致しません。しかし、本論文の弱点も指摘されています。最も大きいのは、ペストの起源地と本論文が推測しているヨーロッパ東部において、新石器時代の人類遺骸からペスト菌が発見されていないことです。この研究に関わっていないクローゼ(Johannes Krause)氏は、ポントス-カスピ海草原遊牧民集団のヨーロッパ中央部・西部への拡散によりペスト菌はヨーロッパに拡大した、との見解は依然として有効だ、と指摘します。

 次に、ペスト菌が長距離交易ネットワークで伝染するのは難しいのではないか、とこの研究に関わっていないストックハマー(Philipp Stockhammer)氏は指摘しています。ペストを発症して数百kmも移動できないだろう、というわけです。ただ、当時の長距離交易が中継的なものだとすると、ペストの潜伏期間は2~7日程度とされていますから、新石器時代末期に交易を通じてペストが広範に拡散しても不思議ではないかな、とも思います。本論文の見解は魅力的ですが、やはりヨーロッパ東部で新石器時代末期の人類遺骸からペスト菌が確認されていないことは弱点ですから、それを埋めるような発見を期待しています。


参考文献:
Rascovan N. et al.(2019): Emergence and Spread of Basal Lineages of Yersinia pestis during the Neolithic Decline. Cell, 176, 1, 295–395.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.11.005

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この記事へのコメント

Alexandre Y
2019年03月26日 20:24
たまたまこの論文を読んでいてページのたどり着きました。簡単に読める説明を書いてくださりありがとうございます。
Morelli, Nat Genet 2010、Wagner, Lancet infect dis 2014と見合わせ、おもしろいなぁと思っています。
6世紀のペストと14世紀の黒死病は別系統であるものの、14世紀の方のペストはその子孫株が今でも見られ、6世紀の方は絶滅しているということらしい(Wagner)ので、14世紀になると都市の人口密度がよっぽど高かったのかな、とぼんやり想像しています。
ただ、生物はわかりますが、人類学はあまり勉強したことがなく、歴史はかじった程度なので、全体はいまひとつ理解した気がしません。
例えば、大集落は通常150年程度で廃棄される、というところ、一般論かのようですがどういうことかわかりません。neolithic declineの頃、よくあることだったのでしょうか?
こういう現在の公衆衛生学にもつながる研究が、人類学者の方からどう見えるのか、興味があります。
2019年03月27日 03:58
すみません、この時代・地域には詳しくなく、関連本や論文をいくつか読んだくらいなので、どこまで一般化できるのか、分かりません。私は、新石器時代後期~末期のヨーロッパ東部の特徴と認識したのですが、もっと範囲を広げて調べると面白そうです。

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