ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造

 ユーラシア東部の現生人類(Homo sapiens)集団の起源に関する研究(Matsumura et al., 2019)が公表されました。現生人類(解剖学的現代人)のユーラシア東部への拡散は65000~50000年前よりもさかのぼる可能性があり、本論文もその見解を基本的には支持していますが、提示されている複数の証拠については、それぞれ疑問も呈されています(関連記事)。本論文は、ユーラシア東部への現生人類拡散の様相を、ユーラシア東部およびオセアニアの合計89集団からの現生人類の頭蓋計測データに基づき頭蓋データから検証しています。対象となったのは、現代人および後期更新世~1700年前頃の古代人で、後期更新世の現生人類頭蓋は、47000~16000年前頃のものです。

 本論文はその結果、オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。北方系には寒冷適応の可能性も指摘されています。現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、これを「第1層」と呼んでいます。中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。これら中国南部の14000~5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、と推測されています。中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。

 アジア南東部において4500~4000年前頃に顕著な文化的変化が生じた、とされてきました。この見解は、本論文の頭蓋データで改めて補強されます。国南部の5000~4000年前の新石器時代集団と、アジア南東部の4000年前頃以降の集団と、もっと後のオセアニア(オーストラリア先住民系はパプア系を除いた、ポリネシア系など)集団は、北方系たる「第2層」との類似性が見られます。中国南部の農耕民集団がアジア東南部へと拡散し、やがてはアジア南東部の本土と島嶼部を経て、ついにはポリネシアまで拡散した、という有力説と整合的と言えるでしょう。ただ、アジア南東部の状況は複雑だったようで、「第2層」の拡散が遅れたことと、頭蓋形態に関しては地域差があり、それは「第1層」と「第2層」の混合比率の違いを反映している可能性がある、と指摘されています。日本列島の「弥生人」も「第2層」である北方系に分類されていますが、分析対象となったのは、土井ヶ浜(Doigahama)遺跡など「渡来系」とされる遺跡の頭蓋なので、「縄文系」要素が強いとされる弥生時代の人類遺骸も対象とすれば、また評価も変わってくるでしょう。また、この北方系はアメリカ大陸先住民との類似性も指摘されています。

 本論文は、広範な地域における「第2層」集団の強い類似性から、気候・食性などに起因する収斂ではなく、共通の遺伝的基盤がある、と推測します。つまり、「第1層」と「第2層」は遺伝的に明確に区分でき、早い時期に分岐したのではないか、というわけです。本論文はこれに関して、二つの仮説を提示しています。一方は、「第1層」集団が南方からシベリアへと拡散して寒冷地に適応して「第2層」が形成された、というものです。もう一方は、「第2層」の起源はアジア西部またはヨーロッパにあり、ユーラシア北部を東進してきた、というものです。本論文は、現時点では人類遺骸の少なさのためにアジア北東部の古代人の形態が不明確なので、どちらの仮説が有効なのか、解決できない、と慎重な姿勢を示しています。

 ただ本論文は、さまざまな証拠を考慮に入れて、北方系の「第1層」と南方系の「第2層」は早期に分岐し、前者はヒマラヤ山脈の北を、後者は南を東進してきた可能性が高い、と推測しています。北方経路はあまり明確ではありませんが、「第2層」は45000年前頃にユーラシア西部からシベリアを経由してユーラシア東部へと移住してきて、その考古学的指標は細石刃伝統ではないか、と本論文は想定しています。つまり単純化すると、(中国北部以南の)ユーラシア東部においては、元々は南方系の「第1層」が拡散しており、農耕開始とともに北方系の「第2層」が南下していき、ついにはポリネシアにまで拡散した、というわけです。日本列島も、このユーラシア東部の大きな流れの中に位置づけられます。同じく頭蓋計測データに基づいた研究では、現生人類の出アフリカは複数回で、ユーラシア東部へは、オーストラリア先住民系が最初に拡散した後、ユーラシア東部の多くの現代人の祖先集団が拡散してきた、と推測されており(関連記事)、本論文の見解と大きくは矛盾しないと思います。

 本論文は、これらの見解が遺伝学的研究とも整合的である、と指摘します。アジア南東部に関しては、狩猟採集民集団を基層に、中国南部から、まず農耕をもたらした集団が、次に青銅器文化をもたらした集団が南下してきた、と遺伝学的研究では推測されています(関連記事)。これは、アジア南東部では、南方系を基層に北方系が南下してきて現代人が成立した、とする本論文の大まかな見通しとおおむね整合的です。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア南東部の状況は複雑で、後期更新世の中国北部以南のユーラシア東部の現生人類集団は、「第2層」集団による「第1層」集団の置換とはいっても融合が多く、その比率は各地で異なっていたのでしょう。遺伝学的研究では、本論文が南方系の「第1層」とするホアビン文化(Hòabìnhian)集団と、北方系の「第2層」とする中国南部から南下してきた農耕集団との混合比率はほぼ半々だった、と推測されています(関連記事)。本論文でも、アジア南東部本土のオーストロアジア語族集団と、オセアニアにまで拡散したオーストロネシア語族集団は、それぞれ北方系と南方系の中間に位置づけられています。

 私は日本人なので、日本列島における人類集団の形成過程も気になります。本論文は、「縄文人」を「第1層」の南方系、「弥生人」を「第2層」の北方系と位置づけており、有力説である「二重構造モデル」と整合的です。「二重構造モデル」とは、更新世にアジア南東部方面から日本列島に移住してきた人々が「縄文人」となり、弥生時代にアジア北東部起源の集団が日本列島に移住してきて先住の「縄文系」と混血し、現代日本人が形成されていった、とする仮説です。ただ、「縄文人」に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析(関連記事)でもゲノム解析(関連記事)でも北方系と南方系との混合が指摘されており、単純に南方系とは言えないでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部の現生人類集団の形成過程をより詳しく解明するには、やはり古代DNA研究の進展が必要で、この分野の進展は目覚ましいだけに、今後の研究成果が大いに期待されます。


参考文献:
Matsumura H. et al.(2019): Craniometrics Reveal “Two Layers” of Prehistoric Human Dispersal in Eastern Eurasia. Scientific Reports, 9, 1451.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-35426-z

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