イベリア半島の人類集団の長期にわたる遺伝的歴史(追記有)

 イベリア半島の人類集団の長期にわたる遺伝的歴史に関する2本の論文が報道されました。ユーラシア西部の古代DNA研究は盛んで、イベリア半島も例外ではありません。当ブログでも、イベリア半島の人類集団に関連する古代DNA研究を複数取り上げてきましたが、包括的なものとしては、新石器時代~青銅器時代を対象とした研究があります(関連記事)。末期更新世~青銅器時代までのイベリア半島の人類史を概観すると、アナトリア半島西部の農耕民がイベリア半島へと東進してきて新石器時代が始まり、在来の狩猟採集民集団と融合していきます。その後、銅器時代~青銅器時代にかけて、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団がヨーロッパに拡散し、イベリア半島も影響を受けました。こうした大雑把な認識を前提に、以下、2本の論文を取り上げます。


 一方の研究(Villalba-Mouco et al., 2019)は、13000~6000年前頃のイベリア半島の人類集団の遺伝的構成とその変容を検証しており、オンライン版での先行公開となります。最終氷期の後、ヨーロッパ西部・中央部では狩猟採集民集団の置換があった、と推測されています。それまでは、文化的にはマグダレニアン(Magdalenian)と関連する集団系がイベリア半島も含めて広範に存在しており、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2(Goyet Q-2)個体に代表されます。その後、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡で発見された14000年前頃の個体に代表される系統が、マグダレニアン集団(ゴイエットQ2)系統をほぼ置換した、と推測されています。最終氷期極大期(LGM)には、ヨーロッパではイタリアとイベリア半島が待避所的な役割を担い、人類も他の動物とともに南下して寒冷期を生き延びたのではないか、と推測されています。

 本論文は、後期上部旧石器時代2人・中石器時代1人・早期新石器時代4人・中期新石器時代3人のゲノム規模データを新たに得て、既知のデータと比較しました。すると、イベリア半島北東部のエルミロン(El Mirón)遺跡の18700年前頃の個体には、ゴイエットQ2系統とヴィラブルナ系統との混合が確認されました。さらに、アナトリア半島西部からの農耕民がイベリア半島に拡散してきた後の中期新石器時代の住民にも、異なる狩猟採集民2系統の痕跡が確認されました。本論文は、イベリア半島がヨーロッパでは例外的に新石器時代までゴイエットQ2系統の残存した地域で、アナトリア半島西部起源の農耕民とイベリア半島在来の狩猟採集民集団との混合が改めて確認された、と指摘します。

 イベリア半島では、遅くとも19000年前頃までにはゴイエットQ2系統とヴィラブルナ系統が融合しており、本論文は両系統の早期の融合を指摘します。本論文はイベリア半島における両系統の融合に関して、ゴイエットQ2系統がイベリア半島に存在し続け、ヴィラブルナ系統がイベリア半島に拡散してきた可能性を想定しています。また本論文は、両系統ともイベリア半島外起源で、独立してイベリア半島に到達して両系統が交雑したか、すでにイベリア半島外で交雑していた可能性も指摘しています。この問題の解決には、もっと多くの更新世ヨーロッパの現生人類(Homo sapiens)のゲノム解析が必要となるでしょう。


 もう一方の研究(Olalde et al., 2019)は、中石器時代から歴史時代まで、約8000年にわたるイベリア半島の住民のゲノム規模データを報告しています。内訳は中石器時代4人・新石器時代44人・銅器時代47人・青銅器時代53人・鉄器時代24人・歴史時代99人で、既知の古代人1107人および現代人2862人のゲノム規模データとともに分析・比較されました。本論文で分析対象となった個体のうち、中石器時代のイベリア半島で最古の個体は19000年前頃のエルミロン個体と類似していましたが、その後はヨーロッパ中央部の狩猟採集民との強い近縁性が見られるようになります。本論文はこれを、イベリア半島北西部には影響を及ぼしたものの、南東部には影響を及ぼさなかった遺伝子流動を反映している、と解釈しています。

 新石器時代~銅器時代には、アナトリア半島新石器時代農耕民系統・エルミロン系統・ヨーロッパ中央部狩猟採集民系統の混合が見られます。ただ本論文は、早期新石器時代の標本数は限定的なので、アナトリア半島西部から拡散してきた農耕民と先住の狩猟採集民との相互作用の詳細な解明には、より広範な地域の多くの標本数が必要になる、と指摘しています。中期新石器時代と銅器時代には、6000年前頃以降、狩猟採集民系統の増加が改めて確認されました。農耕民と狩猟採集民との融合が進展したのでしょう。中期新石器時代~銅器時代の狩猟採集民系統は、上部旧石器時代後期のエルミロン系統よりも、中石器時代のイベリア半島北部系統の方と類似しています。

 青銅器時代早期となる4400~4000年前頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡の男性は、後期更新世アフリカ北部系統と早期新石器時代ヨーロッパ系統の混合としてモデル化される、と本論文は指摘します。イベリア半島におけるアフリカ北部系の遺伝的影響はすでに中期新石器時代~銅器時代にも確認されており(関連記事)、本論文の知見はじゅうらいの見解と整合的と言えるでしょう。ただ本論文は、アフリカ北部からイベリア半島への遺伝子流動は、銅器時代と青銅器時代には限定的で、アフリカ北部系の遺伝的影響がイベリア半島で増加したのは過去2000年のことだった、とも指摘しています。

 4400~2900年前頃となる青銅器時代には、イベリア半島においてポントス-カスピ海草原地帯系統の遺伝的影響が増加します。4500~4000年前頃の14人には草原地帯の遺伝的要素が確認されない一方で、4000年前頃以降には、草原地帯系統の遺伝的影響が増加し、ゲノムでは40%ほどになる、と推定されています。銅器時代のイベリア半島で一般的だったY染色体DNAハプログループI2・G2・Hは、ほぼ完全にR1b系統に置換されました。つまり、草原地帯系統集団はイベリア半島において、女性よりも男性の方が強い遺伝的影響を及ぼした、というわけです。これは、X染色体上の非イベリア半島在来系の低い遺伝的影響からも支持されます。青銅器時代のカスティレヨ・デル・ボネテ(Castillejo del Bonete)遺跡の墓でも、草原地帯系統の男性と銅器時代のイベリア半島集団系統の女性が発見されています。本論文は、古代DNA研究は交雑の性差を確認できるものの、その過程を理解するには、考古学および人類学的研究が必要だ、と指摘しています。

 鉄器時代には、ヨーロッパ北部および中央部集団と関連する系統の増加傾向が見られます。この傾向は、後期青銅器時代もしくは早期鉄器時代におけるイベリア半島への遺伝子流動を反映しており、おそらくは骨壺墓地(Urnfield)文化の導入と関連している、と本論文は推測しています。また本論文は、草原地帯系統がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたヨーロッパ中央部または北部とは異なり、イベリア半島では、草原地帯系統の遺伝的影響の増加がインド・ヨーロッパ語族への転換を常に伴ったわけではない、と示唆します。これは、現在ヨーロッパ西部で唯一の非インド・ヨーロッパ語族であるバスク人には、かなりの水準の草原地帯系統の影響が見られるからです。本論文は、バスク人は草原地帯系統の遺伝的影響を強く受けたものの、言語はインド・ヨーロッパ語族に置換されなかった、と指摘します。バスク人に関しては以前、新石器時代になってアナトリア半島西部からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されていました(関連記事)。本論文の見解はそれと矛盾するわけではありませんが、草原地帯系統の強い遺伝的影響が指摘されています。バスク人に関しては、旧石器時代や中石器時代からイベリア半島で継続してきた集団で、比較的孤立していたのではないか、と長い間考えられてきましたが、そうした見解は現時点では支持しにくいように思います。ただ、草原地帯系統の強い遺伝的影響を受けた後、バスク人系統は比較的孤立していたようです。

 歴史時代では、紀元前5世紀から紀元後6世紀の24人のデータにより、地中海中央部・東部やアフリカ北部からの遺伝的影響があった、と推測されています。これに関しては、ローマの拡大による強い影響が想定されますが、それよりも前のギリシアや、さらにその前のフェニキアの植民活動の影響も指摘されています。また歴史時代では、地中海東部系と鉄器時代イベリア半島系に大きく二分され、多民族的な状況の町があった、と指摘されています。フェニキアの影響は、Y染色体DNAハプログループJ2の存在からも支持されます。こうした地中海中央部・東部の遺伝的影響はイベリア半島全域に及びましたが、バスク地方は例外だったようで、上述したようにバスク地方の孤立性が想定されます。また、ユダヤ系を反映しているだろうレヴァント関連系統も確認されました。ローマ帝国衰退期には、古典期とは対照的に、大きな長期的影響は小さかった、と推測されています。ただ、ユーラシア東部系のmtDNAハプログループC4a1aも見られ、東方からのローマ帝国への侵略を反映しているかもしれません。

 アフリカ北部からイベリア半島への遺伝子流動はイスラム期にも継続し、イスラム期前には見られない遺伝的痕跡と、アフリカ北部およびサハラ砂漠以南のアフリカ系統の増加が確認されます。イベリア半島南部の現代人はイベリア半島のイスラム期のムスリムの埋葬者よりもアフリカ北部系要素が少なく、ムスリムの追放とイベリア半島北部からの再移住の結果と推測されます。歴史学では長く通説だったというか、おそらくヨーロッパでは一般常識だろう、イベリア半島におけるイスラム教勢力の支配とその後のイスラム教勢力追放(レコンキスタ)が、古代ゲノム研究でも改めて確認されたのは、予想されたこととはいえ、興味深いものです。


参考文献:
Olalde I. et al.(2019): The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science, 363, 6432, 1230-1234.
https://doi.org/10.1126/science.aav4040

Villalba-Mouco V. et al.(2019): Survival of Late Pleistocene Hunter-Gatherer Ancestry in the Iberian Peninsula. Current Biology, 29, 7, 1169–1177.E7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2019.02.006


追記(2019年3月19日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

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