デニソワ人についてのまとめ(2)

 2年近く前(2017年9月)に種区分未定のデニソワ人(Denisovan)についてまとめましたが(関連記事)、その後に研究が大きく進展し、情報が古くなったので、再度整理します。当ブログで取り上げながら見落としてしまった関連情報もありそうなので、気づいたら追加・訂正していきます。


●基本情報

 デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、現生人類(Homo sapiens)ともネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも異なる後期ホモ属の分類群で、種区分は未定です。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。

 これは、デニソワ人に関する最初の研究が公表された2010年3月から2019年4月まで、デニソワ人と確認されている遺骸がいずれも断片的なので、更新世人類としては豊富な遺伝学的情報が得られていたものの、形態学的情報はわずかしか得られていなかったからです。一方、ネアンデルタール人でも現生人類でもないホモ属は、形態学的情報はそれなりに得られているものの、遺伝学的情報はまったく得られていないため、デニソワ洞窟以外で発見された、ネアンデルタール人でも現生人類でもないホモ属遺骸のどれがデニソワ人に分類されるのか、照合できない状況が続いていました。

 この状況は、チベット高原東部で発見された右側半分の下顎骨がデニソワ人と分類されたことで、今後大きく変わってくると期待されます(関連記事)。なぜならば、デニソワ人の形態学的情報がじゅうらいよりも大きく増加したため、ネアンデルタール人でも現生人類でもないホモ属遺骸との照合がずっと容易になったからです。チベット高原東部の下顎骨の分析では、遺骸のタンパク質の総体(プロテオーム)を解析し、アミノ酸配列を識別することで、系統を分類する手法が用いられました。この手法はデニソワ洞窟で発見された人類遺骸でも用いられ、1点の断片的な骨がホモ属と分類されたり(関連記事)、4点の断片的な骨がホモ属と分類されたりしており(関連記事)、その有益性が確認されています。

 まずは、デニソワ人遺骸に関する基本的な情報を以下の表1にまとめましたが、デニソワ洞窟で発見されたデニソワ人ではない遺骸も含めています。情報は今年1月に公表された研究におもに依拠していますが、推定年代は考古学的と遺伝学で大きく異なる場合もあり、あくまでも目安にすぎません(関連記事)。性別・年代を確認できなかった個体の欄は空白としています。この他にデニソワ洞窟では、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析によりデニソワ人と分類された頭頂骨の一部(関連記事)が発見されていますが、まだ詳細な研究が公表されていないと思いますので、今回は表から除外しました。
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●形態学的特徴

 上述のように、チベット高原東部の下顎骨が発見されるまで、デニソワ人の形態学的情報はわずかしか得られていませんでした。そうした中で、デニソワ人に分類されているデニソワ4・デニソワ8の臼歯はたいへん大きく、ネアンデルタール人や現生人類とは異なる祖先的特徴を有する、と指摘されていました(関連記事)。デニソワ4・デニソワ8の年代は異なるので、この臼歯の特徴はデニソワ人の一部の個体に見られる例外ではなく、デニソワ人に共通する特徴である可能性が高そうです。ただ、デニソワ人の臼歯のサイズは鮮新世の人類に匹敵するくらい大きいものの、後期更新世の現生人類やネアンデルタール人の中には、デニソワ人と同程度のサイズの臼歯を有する個体もいます。

 このように形態学的情報が乏しかったデニソワ人ですが、上述したように、チベット高原東部で発見された右側下顎骨(夏河下顎骨)がデニソワ人もしくはそのきわめて近縁な系統と確認され(関連記事)、デニソワ人に関する形態学的情報がじゅうらいよりも大きく増加しました。この下顎骨には歯も残っており、デニソワ洞窟のデニソワ人と同じくらい大きく、またホモ・エレクトス(Homo erectus)よりもネアンデルタール人や現生人類など他の中期更新世ホモ属と類似した点も見られます。ただ全体的には、夏河下顎骨は形態的にネアンデルタール人や現生人類と比較して祖先的特徴がより強いようです。夏河下顎骨と年代の近そうな類似したアジア東部のホモ属遺骸として、台湾沖で発見された下顎骨が挙げられています(関連記事)。また、中国河北省で発見された後期更新世のホモ属遺骸(関連記事)も、夏河下顎骨との類似性が指摘されています。デニソワ人はアジア東部に広く分布していたのかもしれません。


●DNA解析と系統樹における位置づけ

 形態学的情報がほとんど得られていなかったため、デニソワ人の研究は遺伝学が主流となりました。まずミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果が2010年3月に公表され(関連記事)、初めてデニソワ人という分類群が提示されました。その後2010年12月に核DNAの解析結果も公表されました(関連記事)。ここで問題となったのは、mtDNAと核DNAとで、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の系統関係が異なることです。ただ、種系統樹と遺伝子系統樹が一致しないことは、たとえばゴリラ・チンパンジー・ヒトのように、分岐してから(進化史の基準では)さほど時間の経過していない種の間では珍しくないので(関連記事)、とくに驚くべきことではないでしょう。

 この不一致は、後期ホモ属間の複雑な交雑と進化を反映しているかもしれないという意味で、注目されます。この問題を考察するうえで参考になるのが、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群です。SH集団には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)、祖先的特徴とネアンデルタール人の派生的特徴とが混在しています。そのため、SH集団は形態学的には、ネアンデルタール人の祖先集団もしくは初期ネアンデルタール人集団か、そのきわめて近縁な集団と考えられます。

 後期ホモ属の各系統の分岐年代は、研究により異なります。たとえば、核DNAに基づく推定分岐年代は、ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統では、765000~550000年前頃もしくは589000~553000年前頃、デニソワ人系統とネアンデルタール人系統では473000~445000年前頃もしくは381000年前頃との研究がある一方で(関連記事)、前者を751690年前頃、後者を744000年前頃とする研究や(関連記事)、前者を63万~52万年前頃、後者を44万~39万年前頃とする研究もあります(関連記事)。43万年前頃というSH集団の年代から、後者は遅くとも50万年以上前である可能性が高そうで、歯の分析からは、前者が125万~85万年前頃と推定されています(関連記事)。

 mtDNAに基づく推定分岐年代は、現生人類および(後期)ネアンデルタール人の共通祖先系統とデニソワ人系統とが141万~72万年前頃、ネアンデルタール人の祖先系統と現生人類の祖先系統が468000~360000年前頃です(関連記事)。なお、Y染色体のDNA解析では、ネアンデルタール人系統と現生人類系統の推定分岐年代は806000~447000年前頃です(関連記事)。以下にmtDNAと核DNAによる後期ホモ属系統樹を掲載しますが、このように推定分岐年代は研究により異なるので、図の年代は確定的ではありません。
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 この図で示されているように、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の系統関係において、mtDNAでは現生人類とネアンデルタール人が近縁関係にあるのにたいして、核DNAではネアンデルタール人とデニソワ人が近縁関係にあります。さらに問題となるのは、SH集団はmtDNAではデニソワ人と近縁で(関連記事)、核DNAではネアンデルタール人と近縁ということです(関連記事)。これら後期ホモ属の系統関係は、おそらく複雑な交雑を反映しているのではないか、と私は考えていますが、現時点ではまだ決定的な解釈は提示されていません。

 現時点で有力な一方の見解は、デニソワ人のmtDNAは遺伝学的に未知の人類系統(既知の人類遺骸の中に存在しているかもしれません)からもたらされたのではないか、というものです(関連記事)。この未知の人類系統は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐し、デニソワ人と交雑した、と推測されています。もう一方の有力な見解は、ネアンデルタール人のmtDNAは元々デニソワ人に近く、後にヨーロッパに拡散してきた遺伝学的に未知のホモ属系統(こちらも、既知の人類遺骸の中に存在しているかもしれません)により後期ネアンデルタール人型に置換された、というものです(関連記事)。この未知のホモ属系統は、デニソワ人およびネアンデルタール人系統よりも現生人類系統に近縁で、ユーラシアにルヴァロワ(Levallois)技術をもたらした可能性が指摘されています。SH集団のDNA解析からは、現時点では後者の見解が最も有力だと思います。そうだとすると、ドイツ南西部のネアンデルタール人のmtDNA解析から、ネアンデルタール人系統におけるmtDNAの置換は27万年前頃までに起きたのかもしれません(関連記事)。また、そもそもデニソワ人という分類学的実体があるのか、疑問視する見解も注目されます(関連記事)。

 デニソワ人の間の系統関係については、mtDNAの解析結果に基づく系統樹が、デニソワ洞窟の年代を報告した研究の図4に示されています(関連記事)。
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 より古いデニソワ2および8と、より新しいデニソワ3および4がそれぞれ分類群を形成しています。デニソワ人はデニソワ洞窟一帯に同じ系統が長期にわたって居住し続けたのではなく、気候変動などによりデニソワ洞窟一帯への拡散とそこからの撤退を繰り返し、デニソワ洞窟の10万年以上前のデニソワ人と10万年前以降のデニソワ人は祖先-子孫関係にはなく、異なる系統なのかもしれません。DNAが解析されているデニソワ人はデニソワ洞窟でしか確認されておらず、その遺伝的多様性は、複数の遺跡で発見されているネアンデルタール人とほぼ同等で、世界規模の現代人よりも低くなります。もちろん、デニソワ人にしてもネアンデルタール人にしても、今後の新たなDNA解析により遺伝的多様性が高くなる可能性はあります。なお、デニソワ人の遺骸からではありませんが、環境DNA研究の古代DNAへの応用により、デニソワ洞窟の中期更新世の堆積物からデニソワ人のmtDNAが確認されています(関連記事)。


●現生人類やネアンデルタール人との交雑

 上述のように、デニソワ人はデニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐した人類系統と交雑した、と推測されていますが、ネアンデルタール人や現生人類との間の複雑な交雑も指摘されています。これら後期ホモ属の系統関係と交雑については昨年3月にまとめましたが(関連記事)、その後も新たな研究が次々と公表されています。デニソワ人もネアンデルタール人も現生人類と交雑しましたが、多少の地域差があるとはいえ、非アフリカ系現代人にほぼ等しく遺伝的影響の見られるネアンデルタール人にたいして、デニソワ人の現代人への遺伝的影響には明確な地域差があり、ユーラシア西部ではほぼ見られない一方で、オセアニアでは顕著に高くなっています(関連記事)。

 デニソワ人の現代人各地域集団への遺伝的影響については、現代人のゲノムに占める他系統由来の領域のうち、ネアンデルタール人とデニソワ人の区別が曖昧なものもあることなどから確定的ではありませんが、最近の研究では、おおむねゲノムに占める割合は、パプア系では4~6%とネアンデルタール人の影響の2%程度より高く、アジア大陸部(南部・南東部・東部)では、0.17~0.33%と推定されています(関連記事)。また、デニソワ人とネアンデルタール人との交雑も指摘されています(関連記事)。ただ、得られたゲノム配列の品質の問題から、ネアンデルタール人や現生人類との交雑がはっきりと確認されているのはデニソワ3だけです(関連記事)。

 デニソワ人と現生人類との交雑の場所はアジア東部もしくは南東部(関連記事)、年代は54000~44000年前頃(関連記事)と推定されています。ただ、これはデニソワ人と現生人類との交雑を1回のみと想定した場合の推定で、複数回の交雑を想定する見解も提示されており、最近では複数回説の方が有力なように思えます。交雑複数回説はおおむね、デニソワ人が複数系統に分岐したことを想定しています。上述のように、デニソワ人は南シベリアとチベット高原東部でのみ確認されていますが、現代人でとくに強い遺伝的影響が見られるのはオセアニアなので、その生息範囲は広かったのではないか、と以前より推測されていました。

 具体的には、現代人に見られるデニソワ人の遺伝的影響の地域差から、デニソワ人は北方系と南方系に分岐し、前者はオセアニア系現代人の祖先と、後者はアジア東部・南部系現代人の祖先と交雑した、との見解が提示されています(関連記事)。さらにその後、デニソワ人は少なくとも3系統に分岐し、それぞれがパプア人系統やアジア東部系統と交雑し、そのうち1系統は3万年前頃以降も存在した可能性があり、ニューギニア島(更新世の寒冷期には、オーストラリア大陸やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)まで拡散していたかもしれない、との見解も提示されています(関連記事)。以下に掲載する、この研究の図4に、デニソワ人と現生人類との交雑についてまとめられています。
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 デニソワ人とネアンデルタール人の交雑については、デニソワ11が交雑第一世代と確認されています(関連記事)。デニソワ11は母がネアンデルタール人、父がデニソワ人で、13歳以上の女性と推測されています。デニソワ11の父親の系統は、デニソワ11の300~600世代前、つまり1世代を20~30年と仮定すると、136000~85000年前頃にネアンデルタール人と交雑した、と推定されています。ただ、デニソワ11の父親の系統が交雑したネアンデルタール人は、デニソワ11の母親のネアンデルタール人とは異なる系統と推測されています。また、高品質なゲノム配列が得られている唯一のデニソワ人であるデニソワ3の系統と、デニソワ11の父親の系統は、デニソワ3の7000年前に分岐した、と推定されています。なお、デニソワ人とネアンデルタール人の混合集団がオセアニアやアジア東部・南部の現代人の祖先と交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。デニソワ人とネアンデルタール人の交雑については、以下に掲載する、昨年8月に両者の交雑第一世代を報告した研究の図4にまとめられています。
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●人口史と生息範囲

 デニソワ人の遺伝的多様性の低さから、デニソワ人系統は現生人類系統との分岐後ずっと人口が減少していったか(関連記事)、人口が増大していっても、集団規模の小さい状態から急速に拡大し、遺伝的多様性が増大するじゅうぶんな時間がなかっただろう(関連記事)、と推測されています。ただ、この推測はデニソワ洞窟のデニソワ人1個体(デニソワ3)のゲノム解析に基づいており、上述のようにデニソワ人には複数系統存在した可能性が高そうなので、各系統は比較的孤立しており遺伝的多様性は低かったとしても、デニソワ人系統はデニソワ3から推測されるよりも遺伝的多様性が高かったのではないか、と思います。

 遺伝的多様性と関連してよく指摘されるのが、ネアンデルタール人やデニソワ人といった非現生人類ホモ属は近親交配のために絶滅したのではないか、ということです。じっさい、デニソワ洞窟のデニソワ人(デニソワ5)は半きょうだい(片方の親を共有するきょうだい関係)のような近親関係にあり、近い祖先の間でも近親交配が多かった、と推測されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)洞窟遺跡のネアンデルタール人集団も、近親交配の頻度の高さが指摘されています(関連記事)。ただ、近親交配が習慣となっていて絶滅要因になったというよりは、孤立して衰退していった結果として近親交配の頻度が高くなり絶滅した、考えるべきでしょう。現生人類も含めて更新世のホモ属では、発達異常の多さから近親交配頻度の高さが指摘されていますが(関連記事)、それも孤立・衰退の結果なのだと思います。クロアチアのネアンデルタール人でも(関連記事)デニソワ洞窟のデニソワ人(デニソワ3)でも(関連記事)直近の祖先での近親交配は確認されておらず、非現生人類ホモ属にも近親交配を避けるメカニズムが備わっていた可能性は高いでしょう。

 上述のように、デニソワ人は複数系統に分岐していき、各系統は比較的孤立していたのではないか、と推測されます。現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響が、ユーラシア西部系にはほとんど見られず、オセアニア系で顕著に高く、アジア東部や南部でわずかに見られることから(関連記事)、デニソワ人系統はネアンデルタール人系統と分岐した後、ユーラシア東部に拡散した、と推測されます。現時点では、デニソワ人は南シベリアのアルタイ山脈とチベット高原東部で確認されていますが、現代人への遺伝的影響の地理的範囲から、アジア南東部や南部にも存在した可能性が高そうです。デニソワ人の生息範囲については最近まとめましたが(関連記事)、ユーラシア東部に広く拡散し、上述のように(何らかの手段で渡海して)ニューギニア島まで拡散した可能性も想定されます。


●現代人の表現型への影響

 デニソワ人と現生人類との交雑で注目されているのは、現代人に残るデニソワ人由来と推定されるゲノム領域に、適応度に関わるような遺伝子があるのか、ということです。デニソワ人だけではなくネアンデルタール人に関してもよく言われるのが、現生人類はアフリカから世界各地へと拡散する過程で、デニソワ人やネアンデルタール人のような先住人類との交雑により拡散先の地域での適応的な遺伝子を獲得し、それが現生人類の拡散を容易にした、という説明です。具体的には、免疫に関わる遺伝子が取り上げられることが多く、たとえば、現代人のToll様受容体関連遺伝子のうち、ハプロタイプ7がデニソワ人由来と推測されています(関連記事)。その他のデニソワ人由来の免疫関連遺伝子としては、TNFAIP3がインドネシアとパプアニューギニアの現代人で確認されています(関連記事)。確かに、こうした免疫関連遺伝子が現生人類の新たな環境に有利に作用した可能性は高いと思います。ただ、それが現在は免疫疾患の原因となっていることもあるでしょう。

 この他には、現代チベット人に見られる高地適応関連遺伝子EPAS1の多様体がデニソワ人に由来する、と推測されています(関連記事)。このEPAS1遺伝子の多様体は血中のヘモグロビン値を低く抑え、高地への適応を高めます。上述のように、デニソワ人がチベット高原東部にも存在したと明らかになったことから、デニソワ人も高地に適応していた可能性が高くなりました。デニソワ人系統において高地適応関連遺伝子が選択され、それはデニソワ人との交雑を通じてユーラシア東部系現代人の祖先集団にも継承されたのでしょうが、高地に拡散したチベット人系統においてとくに選択圧により定着した、ということなのでしょう。なお、EPAS1遺伝子を含むDNA配列の解析から、チベット人系統においてもデニソワ人との複数回の交雑があった、と推測されています(関連記事)。また、平滑筋細胞の増殖・脂肪生成と関連した遺伝子においても、デニソワ人から現生人類への遺伝子流動の可能性が指摘されています(関連記事)。

 一方、デニソワ人やネアンデルタール人由来の遺伝子のなかには、かつては中立的だったか有益だったのに、現在の環境では適応度を下げているものもあります。免疫機能の強化はアレルギー反応をもたらすかもしれませんし、ネアンデルタール人由来の遺伝子では、鬱病の危険性を高める遺伝子多様体が指摘されています(関連記事)。また、具体的な影響はまだ不明ですが、現代人のゲノムに占めるデニソワ人もしくはネアンデルタール人由来と推定されている領域の割合が、常染色体よりもX染色体の方でずっと低くなっていることから、デニソワ人やネアンデルタール人と現生人類との交雑により繁殖能力が低下したのではないか、と推測されています(関連記事)。さらに、デニソワ人のゲノムの言語や発話・脳およびその発達・脳細胞シグナル伝達に関わる遺伝子のある領域は、現代人系統において排除されたのではないか、と推測されています(関連記事)。ネアンデルタール人のゲノムでも、発話や精巣の形成と関連する遺伝子は現代人では見られない、と指摘されています(関連記事)。

 このように、デニソワ人やネアンデルタール人との交雑は現生人類にとって、免疫関連遺伝子など適応度を上げたものもあるものの、適応度を下げたものもあると推測されます。現代人のゲノムに占めるデニソワ人やネアンデルタール人由来の領域の比率が低い(せいぜい2~6%)なのは、適応度を下げることが多かったからなのでしょう。ネアンデルタール人に関しては、現生人類と比較して人口規模が小さかったので、除去されなかった(強い選択圧に曝されなかった)弱い有害な遺伝的多様体が、交雑の結果より大規模な集団である現生人類に浸透すると除去されるのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、これはデニソワ人にも当てはまりそうです。現生人類がデニソワ人やネアンデルタール人との交雑により適応度を下げる遺伝的多様体を受け取ったのに、現代でもその遺伝的痕跡が残っているということは、後期ホモ属における異なる系統間の交雑が珍しくなかったからだと思います。

 なお、デニソワ人やネアンデルタール人との交雑が現生人類の適応度を下げたのは、染色体数が異なっていたからだ、との見解もありますが、デニソワ人の染色体数は現代人と同じく46本である可能性がきわめて高いので、系統関係から推測すると、ネアンデルタール人の染色体数も46本である可能性が高いと思います(関連記事)。つまり、現代人以外の現生大型類人猿(ヒト科)の染色体数は48本なので、チンパンジー系統と現代人系統の最終共通祖先の染色体数も48本だったものの、それ以降、遅くともデニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の最終共通祖先の時点では46本に減っていた可能性が高い、というわけです。なお、デニソワ人の肌・髪・眼の色は比較的濃かった、と推測されています(関連記事)。


●考古学的文脈と象徴的思考能力

 デニソワ洞窟のデニソワ人は考古学的な年代区分では、中部旧石器時代早期から中部旧石器時代中期を経て上部旧石器時代初頭(Initial Upper Palaeolithic)まで存在したことになります(関連記事)。デニソワ洞窟の中部旧石器時代の人工遺物は広い意味でネアンデルタール人と共通するところが多そうですから、デニソワ人がユーラシア西方から拡散してきたか、ユーラシア西部起源のネアンデルタール人が東進してきて中部旧石器をもたらしたのではないか、と思います。中部旧石器は伝統的な5段階の石器製作技術区分では様式3(Mode 3)となります(関連記事)。じゅうらい、アジア東部では様式3の石器技術は少ないとされていたのですが、近年では、北部となる中国内モンゴル自治区で47000~37000年前頃のムステリアン(Mousterian)様石器群が(関連記事)、南部となる貴州省では17万~8万年前頃のルヴァロワ(Levallois)技術石器群が発見されています(関連記事)。これらの中部旧石器の製作者がどの人類系統なのか不明だったのですが、チベット高原東部におけるデニソワ人の存在が確認されたことから、デニソワ人だった可能性は低くないと思います。

 デニソワ人の文化が中部旧石器であることは激しい議論を惹起しないでしょうが、問題は上部旧石器時代初頭の人工遺物、とくに装飾品のような象徴的思考能力の証拠となり得るものです。ネアンデルタール人に関しては、装飾品を製作したり壁画を描いたりした証拠が蓄積されつつあり(関連記事)、現生人類と同等ではないかもしれないとしても、一定水準以上の象徴的思考能力を有していた、と考えられます。そのため、ネアンデルタール人と近縁なデニソワ人にも一定水準以上の象徴的思考能力を想定できます。おもに今年1月に公表された研究(関連記事)に依拠して、以下の表2にデニソワ3より上層のデニソワ洞窟の上部旧石器時代初頭の主要な人工遺物をまとめました。
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 その他にもデニソワ洞窟では、50000~45000年前頃となるマンモスの牙製のティアラと思われる装飾品が発見されています(関連記事)。またその後の研究では、デニソワ洞窟の上部旧石器時代初頭の飾品や骨器の年代は48000~45000年前頃と推定されています(関連記事)。ロシアの研究者には、これらの人工遺物の製作者をデニソワ人と考える傾向があるようで(関連記事)、その可能性もあるとは思いますが、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)遺跡の現生人類DNA解析(関連記事)からは、現生人類がシベリアに到達したのは46880~43200年前頃と推定されているため、現生人類の所産である可能性の方が高いように思います。ただ、デニソワ人の本格的な研究はまだ10年に満たず、最近になって形態学的情報が飛躍的に増加し、今後研究が大きく進展しそうなので、現時点では判断を保留しておくのが無難かな、と思います。

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