縄文人と日本人には、遺伝的に何の繋がりも無いんだが

 表題の発言をTwitterで見かけました。来月(2019年9月)刊行予定の『神武天皇「以前」 縄文中期に天皇制の原型が誕生した』という単行本に対する、「ウヨの縄文推しもここまできた」との揶揄を受けての発言ですが、もちろん間違っています。日本列島の人類集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。現時点での「縄文人」の核DNA解析結果は、3000年前頃となる福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚(関連記事)、2500年前頃となる愛知県田原市伊川津町の貝塚(関連記事)、3800年前頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡(関連記事)からのものが報告されています。このうち高品質のゲノム配列が得られているのは、船泊遺跡の「縄文人」です。

 これら「縄文人」の核DNA解析から現時点でまず言えるのは、「縄文人」は既知の古代および現代の各地域集団との比較において、一つの分類群を形成するほど遺伝的に類似している、ということです。もちろん、今後ユーラシア東部において、「縄文人」と遺伝的により類似した古代集団が発見される可能性は低くありませんが、おそらく「縄文人」はユーラシア東部から日本列島到来した複数の集団の融合により形成されたので、「縄文人」そのものという遺伝的構成の古代集団が発見される可能性はかなり低いでしょう。考古学的にも、縄文文化は比較的孤立していることから(関連記事)、今後西日本の「縄文人」のDNA解析が進展しても、「縄文人」が、既知の古代および現代の各地域集団との遺伝的比較において、一つの分類群を形成する可能性はたいへん高い、と私は考えています。おそらく「縄文人」は、完全に一致するわけではないとしても、おおむね日本列島限定の孤立した文化集団で、遺伝的にも近隣地域の各地域集団とは明確に区別できただろう、と私は考えています。

 次に言えるのは、「縄文人」は現代の各地域集団との遺伝的比較で、大きくはアジア東部集団の変異内に収まりますが、その中でも日本列島も含めて沿岸部の地域集団とより類似している、ということです。これは、「縄文人」の祖先集団が、アフリカからユーラシア南岸経由でアジア南東部まで東進し、そこから北上したことを示唆します。あるいは、両者の類似性は一定以上の遺伝子流動の結果かもしれません。考古学的観点からは、シベリア中部のバイカル湖周辺地域に由来すると思われる細石刃が、北海道では25000年前頃以降、日本列島「本土」では20000年前頃以降に見られるので、「縄文人」の祖先集団の一源流として、北方からの流入も想定しておくべきかもしれません。また、「縄文人」は更新世に日本列島に拡散してきた集団の子孫である可能性が高いことも、「縄文人」のDNA研究では指摘されています。

 日本列島の各集団と「縄文人」との関係について諸研究で一致しているのは、縄文人との遺伝的近縁性の順番が、近い方からアイヌ集団→琉球集団→「本土」集団になる、ということです。船泊遺跡の「縄文人」のゲノムデータからは、「縄文人」の遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、本土集団では9~15%、琉球集団では27%と推定されています。もちろん、これは幅の大きい推定値なので、今後修正される可能性は高いでしょう。とくに問題となるのは、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られていないことです。西日本の「縄文人」との比較では、「本土」集団への「縄文人」の遺伝的影響が20%程度になる可能性も提示されています(関連記事)。「本土」集団のゲノムに影響を及ぼした「縄文人」はおもに西日本集団で、東日本集団はほとんど影響を及ぼしていないかもしれない、というわけです。西日本の「縄文人」の遺伝的構成は既知の東日本の「縄文人」のそれとは一定以上異なっている可能性が高そうです。そうだとすると、「縄文人」の遺伝的多様性は現時点での推定より高くなりそうですが、それでも、古代および現代の各地域集団との比較において、「縄文人」が一つの分類群を形成する可能性は高いと思います。遺伝的影響の推定値に幅がありますし、各集団の違いも大きそうですが、現代日本人が「縄文人」の遺伝的影響を一定以上受けていることは間違いないでしょう。その意味で、表題の発言は間違いと断定しても大過ないと思います。

 1999年に扶桑社より刊行された西尾幹ニ『国民の歴史』(関連記事)も一定以上影響を及ぼしているのかもしれませんが、20世紀末以降、「愛国的」というか「反左翼的」もしくは「反リベラル的」論者の中では、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」が措定され、現代日本社会の「確たる基盤・源流」として縄文時代が賞賛される傾向にあるように思います。そうした見解に疑問を抱く人々が、「縄文中期に天皇制の原型が誕生した」との謳い文句を揶揄し、否定したくなるのは理解できます。まあ、「原型」は使い勝手のよい言葉なので、天皇制の「原型」を強引に縄文時代に想定することもできるかもしれませんが。なお、天皇というか皇族が父系では「縄文系」との見解は、天皇の出自が「騎馬民族」の征服者だとか、百済王室の分家だとかいった与太話とは異なり、現時点では有力説の一つとして扱われるべきだと思います(関連記事)。

 縄文時代を称賛し、縄文時代から現代まで継続する一貫した「日本」を措定するような見解に懐疑的になるのは当然だと思います。しかし、現代日本人、とくに人口比率で圧倒的な多数派の「本土」集団のゲノムにおける、「縄文人」由来の領域の割合が10%程度と推定されていることを根拠として、弥生時代以降における縄文文化の影響はきわめて小さかった、と断定することもまた、問題だと思います。しかし、弥生時代以降に日本列島に渡来してきた集団は、一度に大量に移住してきたのではなく、何度かの大きな波はあったとしても、長期にわたる少数の集団で、後に人口増加率で遺伝的影響力を高めていった、と考えられますから、言語も含めて縄文時代の文化が、後の時代に強く継承されていった可能性は低くないと思います(関連記事)。ある地域の集団の遺伝的構成と文化の関係は、単純に置換もしくは継続で割り切れるものではない、と私は考えているからです(関連記事)。

 表題の発言者からは、私は有象無象の「ネトウヨ」の一人に他ならず、戯言を述べているように見えるかもしれません。しかし、縄文文化の弥生時代以降における影響云々といった私の見解はともかく、表題の発言は大間違いとの判断は正しいと確信しています。自分が嫌っていたり敵視したりしている政治思想や歴史認識の人の低水準な発言を見かけると、つい嬉しくなって一般化したり、粗雑な分類をしたりしたくなるのは、多くの人に共通する心理だと思います。もちろん、私も例外ではないので、自戒せねばなりません。その意味で、当然のことではありますが、表題の発言を根拠に、「アンチネトウヨ」の人類史認識はお粗末とか不勉強とか一般化するつもりはまったくありません。

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