ヤグノブ人の遺伝的歴史

 ヤグノブ人(Yaghnobis)の遺伝的歴史に関する研究(Cilli et al., 2019)が公表されました。アジア中央部は長きにわたって人類集団・遺伝子・言語・文化・商品の重要な経路・交差点となってきました。アジア中央部の歴史は、異なる人類集団の大規模な移動により特徴づけられ、最終氷期極大期(LGM)後に活発化し、新石器時代と青銅器時代にかなりの程度に達し、古代および中世までじょじょに増加していきました。アジア南部とヨーロッパには、青銅器時代にユーラシア中央部の草原地帯より遊牧民集団が拡大し、大きな遺伝的影響を残した、と推定されています。中世にはテュルク系の大移動やモンゴルの急速な拡大もありましたが、その激しい人類集団移動のため、アジア中央部の歴史の大半は複雑で未解明の点も多く、議論が続いています。

 このように複雑な形成史を有するアジア中央部集団の中で、ヤグノブ人は民族言語的および遺伝的観点の両方からひじょうに注目されています。ヤグノブ人は、中期イラン諸語の一つであるソグド語の直系と考えられているヤグノブ語話者なので、古代の遺伝的構成を保持しているのではないか、とも推測されていますが、ヤグノブ語の文献は19世紀後半までしかさかのぼらず、未解明の点が少なくありません。現在、ヤグノブ人は孤立した民族言語集団で、海抜2200~2600mに位置するタジキスタンのザラフシャン渓谷(Zarafshan Valley)上流のヤグノブ川(Yaghnob River)沿いに、歴史的に居住してきました。ただ、ソ連統治時代に一部が移住させられたこともありました。ヤグノブ川の上流はかなりの降雪量とネメトコン(Nemetkon)村以後の道路の欠如のため、1年のうち数ヶ月は事実上通行不能となります。

 地理的な孤立により、ヤグノブ川流域の人々は独自の言語・文化・生活様式とおそらくは遺伝的構成を何世紀にもわたって維持してきた、とも考えられます。ヤグノブ人は遺伝的に、イスラム教拡大前のイラン人と関連しているかもしれないとしても、今はイスラム教徒です。ヤグノブ人は現在500人未満と推定されており、21の村に居住し、農耕で生計を立てています。これまで、ヤグノブ人の遺伝的歴史はじゅうぶんには調査されておらず、標本数や精度に問題がありました。また、ヤグノブ渓谷外のヤグノブ人が調査対象となったことも本論文は指摘しています。本論文は、ヤグノブ川流域のヤグノブ人88人(ヤグノブ川流域のヤグノブ人の約2割)のDNAを解析し、常染色体だけではなくミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも対象として、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)を決定しました。

 mtDNAの分析では、アジア中央部集団はおおむねアジア東部集団と中東の中間に位置します。また、アジア中央部集団とアジア南部集団との違いも明確に示されます。しかし、ヤグノブ人は近隣のタジク人などアジア中央部の他集団とは異なり、中東集団に近縁です。ヤグノブ人のmtHgでは、ユーラシア西部集団に多いH(19.1%程度)とHV(38.2%程度)が多く、ユーラシア西部には基本的に見られないmtHg-Mの派生系統がほとんど存在しません。

 Y染色体DNAの分析でも、ヤグノブ人はタジク人などアジア中央部集団とは異なる分布を示し、アジア中央部集団と中東集団の間に、分散して位置づけられます。ヤグノブ人のYHgでは、中東に典型的なJ2とヨーロッパ東部およびアジア中央部に典型的なR1aがそれぞれ約30%ずつ、ヨーロッパ西部に多くアジア東部で欠けているR1bが約21%、多くのサブハプログループの祖となるKが約12%を占めます。ヤグノブ人のYHgではその他に、おもにアフリカや中東で見られるE1b1bもわずかながら見られます。

 常染色体の一塩基多型の分析では、ヤグノブ人は個体内のホモ接合性のひじょうに高い水準を示しました。これはミトコンドリアやY染色体と同じく多様性の減少を示しており、ヤグノブ人が長期にわたって孤立し、強い遺伝的浮動を経験した、という仮説のさらなる証拠となります。古代人を除いた場合、常染色体ではヨーロッパ集団からアジア東部集団への大まかな勾配が示され、ヨーロッパ集団とアジア南部集団も区別されます。ヤグノブ人はイラン人とタジク人(テュルク系)との中間に位置し、何人かはタジク人とわずかに重なります。ヤグノブ人に関しては全体的に、常染色体のデータはミトコンドリアのデータよりもY染色体のデータの方と一致します。

 古代人のゲノムデータも参照すると、ヤグノブ人の系統のうち新石器時代イラン系統が平均して44%を占め、これは現代イラン人の46%とほぼ同じです。しかし、ヤグノブ人と現代イラン人とでは古代人系統の比率の明確な違いも見られ、前期~中期青銅器時代草原地帯系統がヤグノブ人では32%にたいして現代イラン人では11%、新石器時代アナトリア農耕民系統がヤグノブ人では8%にたいして現代イラン人では25%を占めます。タジク人は現代イラン人よりもヤグノブ人に近いものの、集団内ではかなりの変異を示します。たとえば、アジア東部系の比率では、一部のタジク人がヤグノブ人よりも高いのにたいして、他のタジク人はヤグノブ人と同程度です。ヤグノブ人とタジク人のおもな違いはアジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いで、ヤグノブ人ではそれぞれ10%と44%にたいして、タジク人ではそれぞれ21%と30%になります。ヤグノブ人とタジク人は相互にユーラシアの他の集団とよりも類似しており、これは両者の間の最近の遺伝子流動を反映している、と推測されます。

 本論文は、mtDNAとY染色体および常染色体の一塩基多型を用いて、ヤグノブ人の歴史を推測しました。上述のように、ヤグノブ人は母系ではおもにユーラシア西部系となり、中東集団との古代のつながりを示します。これは、ヤグノブ人の長期の孤立と、男性に偏っていた稀な遺伝子流動事象が比較的最近起きたことを示唆します。言語学でも、ヤグノブ語はイラン語群に位置づけられます。男性に偏っていた遺伝子流動は、ヤグノブ人のY染色体が中東集団よりもアジア中央部集団と近い関係を示すことでも特徴づけられます。ただ、上述のようにヤグノブ人は父系でも他のアジア中央部集団と明確に区別できる特徴を示すため、その形成史は複雑です。こうした特徴は、ヤグノブ人における孤立の影響の可能性を示します。

 Y染色体やミトコンドリアといった片親性の遺伝的パターンは、小さな効果の集団規模によりある程度歪められるかもしれないので、本論文は常染色体全体を調査しました。上述のように、その結果、常染色体のデータはmtDNAのデータよりもY染色体DNAデータの方と一致します。常染色体データでは、ヤグノブ人はアジア中央部集団と中東集団との間に位置しますが、さらに、イラン人よりもタジク人の方に近縁と示されています。これは上述のように、イラン人と比較してヤグノブ人の方でアナトリア農耕民系統の割合が低く、逆に前期~中期青銅器時代草原地帯系統の割合ではイラン人の方がタジク人よりも低いことを反映しています。ただ、イラン人のデータがイラン全体の集団を反映しているのか、という問題が残っている、と本論文は注意を喚起します。ヤグノブ人とタジク人の類似性は示されていますが、上述のように、アジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いは、ヤグノブ人とタジク人が遺伝的に明確に区別できることを示しており、これはヤグノブ人の長期的な孤立による古代の遺伝的構成の保存を反映している、と推測されます。

 アジア中央部集団におけるアジア東部系の遺伝的影響の原因としては、テュルク系やモンゴル系の東進が想定されます。ヤグノブ人に見られるアラブ系集団との混合に関して、本論文はイスラム教勢力のアジア中央部への拡散との関連を推測しています。また、サハラ砂漠以南のアフリカ系の遺伝的影響が、イスラム勢力による奴隷貿易の結果として中東とアジア中央部にもたらされた可能性も指摘されています。北アメリカ大陸の事例もそうですが(関連記事)、遺伝学は過去の奴隷貿易の痕跡を示す方法も提供できます。

 ヤグノブ人は、近隣のタジク人集団との最近の遺伝子流動を除いて、長期的に孤立していたか、他のアジア中央部集団との遺伝子流動の水準が低かった、と推測されます。これは、上述した孤立しがちな地形での居住と一致しており、ヤグノブ人が遺伝的・言語的に長期にわたって独特な性格を維持し続けた理由と考えられます。しかし本論文は、ヤグノブ人の遺伝的構成から、かつてヤグノブ人の母体となった集団は広範な地域に存在していただろう、と推測しています。その中から、ヤグノブ人の直接的な祖先集団は孤立した地域に定住したため、その後の大規模な人類集団の移動の影響をあまり受けず、古代の遺伝的構成を比較的よく保持していただろう、というわけです。より詳細なヤグノブ人の歴史は、アジア中央部、とくにソグド人居住地の古代DNA研究により明らかになっていくだろう、との見通しを本論文は提示しています。


参考文献:
Cilli E. et al.(2019): The genetic legacy of the Yaghnobis: A witness of an ancient Eurasian ancestry in the historically reshuffled central Asian gene pool. American Journal of Physical Anthropology, 168, 4, 717–728.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23789

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