海面上昇による世界沿岸部への影響

 海面上昇による世界沿岸部への影響に関する研究(Kulp, and Strauss., 2019)が公表されました。この研究は、新しい数値標高モデル(CoastalDEM)を用いて、地球上で極端に高い水位の沿岸海域の影響を受ける人口を評価しました。CoastalDEMは、従前のモデルの垂直バイアスを低減するために役立つニューラルネットワークを使用しており、全世界で現在の満潮線より低い陸地に合計1億1000万人が居住し、現在の洪水位より低い陸地に2億5000万人が居住している、と推定しています。この推定結果は、それぞれを2800万人と6500万人とした先行研究による推定人口とは対照的です。

 この研究はCoastalDEMを用いて、2020年までに温室効果ガス排出量がピークに達する低炭素排出シナリオでは、2100年の時点で予想海面水位より低い陸地に1億9000万人が居住し、温室効果ガスの排出量が21世紀を通じて増加する高排出シナリオでは、2100年の時点で予想洪水位より低い陸地に最大6億3000万人が居住する、という見解を提示しています。現在は、満潮線からの高さが10m未満の陸地に10億人が居住し、洪水位からの高さが1m未満の陸地に2億5000万人が居住している、とこの研究は推定しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】世界の沿岸部は従来の推定よりも海面上昇に対して脆弱になっている

 世界の海岸線で、海面上昇と沿岸洪水に対する脆弱性が、従来の推定の3倍に達していることを示唆するモデル研究について報告する論文が掲載される。

 今回、Scott KulpとBenjamin Straussは、新しい数値標高モデル(CoastalDEM)を用いて、地球上で極端に高い水位の沿岸海域の影響を受ける人口の評価を行った。CoastalDEMは、従前のモデルの垂直バイアスを低減するために役立つニューラルネットワークを使用しており、全世界で現在の満潮線より低い陸地に合計1億1000万人が居住し、現在の洪水位より低い陸地に2億5000万人が居住していると推定している。この推定結果は、それぞれを2800万人と6500万人とした先行研究による推定人口とは対照的だ。

 Kulpたちは、CoastalDEMを用いて、2020年までに温室効果ガス排出量がピークに達する低炭素排出シナリオでは、2100年の時点で予想海面水位より低い陸地に1億9000万人が居住し、温室効果ガスの排出量が21世紀を通じて増加する高排出シナリオでは、2100年の時点で予想洪水位より低い陸地に最大6億3000万人が居住するという見解を示している。現在は、満潮線からの高さが10m未満の陸地に10億人が居住し、洪水位からの高さが1m未満の陸地に2億5000万人が居住しているとKulpたちは推定している。



参考文献:
Kulp SA, and Strauss BH.(2019): New elevation data triple estimates of global vulnerability to sea-level rise and coastal flooding. Nature Communications, 10, 4844.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-12808-z

小型のティラノサウルス

 小型のティラノサウルスに関する研究(Nesbitt et al., 2019)が公表されました。巨大なティラノサウルスは8000万~6600万年前の後期白亜紀に繁栄しました。しかし、ティラノサウルス類の起源は、現在の北アメリカ大陸で中期白亜紀に起こった海水準上昇に伴う標本発見の全般的空白のため、ほとんど明らかにされていません。この研究は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州のズニ盆地で新たに発見されたティラノサウルス類の骨格2点を報告しています。これは、中期白亜紀のティラノサウルス類としてこれまでで最も完全に近い標本です。

 現地のズニ語でコヨーテを表す「suski」から「Suskityrannus hazelae」と命名されたこの恐竜は、頭蓋の全長が25~32 cmでした。その標本は若齢個体のものでしたが、S. hazelaeは成体でもTyrannosaurus rexのような後期白亜紀の近縁種と比較してはるかに小型だった、と推定されました。S. hazelaeは小型でしたが、走ることに特別に適応した足と強力な咀嚼力を備えていました。こうした特徴の組み合わせは、初期のティラノサウルス類やその後の大型化したティラノサウルス類では確認されていません。この研究は、解析の結果、S. hazelaeは最初期の種を分けた最小の種と後期白亜紀の巨大種の間の中間的なティラノサウルス類として位置づけられ、ティラノサウルス類の進化史における重大な空白を埋める、と結論づけています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


小さなティラノサウルスが大きな空白を埋める

 米国ニューメキシコ州で出土した小型のティラノサウルス類恐竜の新発見種の化石について記載した論文が、今週報告される。その標本は、それぞれ複数の骨が保存されている若齢の2個体の骨格であって約9200万年前のものと推定されており、解明が進んでいないTyrannosaurus rexやその近縁種の起源に関する洞察をもたらす。

 巨大なティラノサウルスは、8000万~6600万年前の後期白亜紀に繁栄した。しかし、ティラノサウルス類の起源は、現在の北米で中期白亜紀に起こった海水準上昇に伴う標本発見の全般的空白のためにほとんど明らかにされていない。S Nesbittたちは、ニューメキシコ州のズニ盆地で新たなティラノサウルス類の骨格を2点発見した。その化石は、中期白亜紀のティラノサウルス類として史上最も完全に近い標本である。現地のズニ語でコヨーテを表す‘suski’からSuskityrannus hazelaeと命名されたこの恐竜は、頭蓋の全長が25~32 cmであった。その標本は若齢個体のものであったが、S. hazelaeは成体でもT. rexのような後期白亜紀の近縁種と比べてはるかに小型であったと推定された。S. hazelaeは、小型ではあったが、走ることに特別に適応した足と強力な咀嚼力を備えていた。こうした特徴の組み合わせは、初期のティラノサウルス類やその後の大型化したティラノサウルス類には認められない。

 研究チームは、解析の結果、S. hazelaeを最初期の種を分けた最小の種と後期白亜紀の巨大種の間の中間的なティラノサウルス類として位置付け、この新種がティラノサウルス類の進化史における重大な空白を埋めるものと結論付けている。



参考文献:
Nesbitt SJ. et al.(2019): A mid-Cretaceous tyrannosauroid and the origin of North American end-Cretaceous dinosaur assemblages. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 892–899.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0888-0

現代日本社会の特徴をよく表している発言

 Twitterにて、現代日本社会の特徴をよく表していると思う発言を見かけました。以下に全文を引用します。

俺ちまたではネトウヨとか言われてんだけどね、わかるっしょ、ネトウヨになる理由が。海外のあまりにもひどい配送、病院、学校、運用、契約書無視、誠意皆無対応なんかに毎日毎日毎日触れてるとそうなっちまうんだよ!! 日本のサービスは真面目だし日本人嘘つかないからさ…もう疲れたよ。

 発言者の「めいろま」氏は、私が6年近く前(2013年11月14日)にTwitterを始めた頃から有名人だったようで、私もTwitterを始めてすぐに知ったと記憶しています。私が初めて知った頃の「めいろま」氏は有名な「出羽守」で、むしろ「ネトウヨ」から毛嫌いされているような人だったと記憶していますが、近年では、上記の発言にあるように、アンチ「ネトウヨ」の人々から「ネトウヨ」と批判・罵倒・嘲笑されているようです。その理由として、外国(確かイギリス在住だったと記憶しています)の諸サービスのひどさにたいして、日本のサービスのよさが挙げられています。もちろん、外国、もっと限定してイギリスといってもサービスにより違いがあり、日本が常に優れているとは限らないのでしょうが、全体的に、日本のサービスが世界において良好な部類に入る可能性は高いだろう、と私は考えています。その意味で、上記のような感想は本音なのだろうな、とも思います。

 もっとも、こうしたサービスのよさが、しばしば厳しい労働環境の犠牲の上に成立していることも否定できないでしょう。こうした「お客様」優先主義こそ、現代日本社会の最も深刻な病巣ではないか、と私は以前から考えています。しかし、それが消費者にとって快適なものであることも間違いありません。日本社会で生まれ育ち、ずっと日本国籍を保有してきた私から見て、日本社会は、消費者としてのみ過ごすならばかなり快適だと思います。その意味で、外国からの観光客にとっては悪くない国だと思います。しかし、労働者として生活する場合、日本社会では不愉快な経験をしてストレスを溜めてしまう可能性がかなり高いことも確かだと思います。

 以前にも述べましたが(関連記事)、多くの社会問題はトレードオフ(交換)と合成の誤謬に行きつくものだと思います。良好なサービスによる快適さは、しばしば厳しい労働環境の犠牲の上に成立しています(トレードオフ)。しかし、日本の労働者は全員消費者であり(逆に、日本の消費者は全員労働者とは限りませんが)、つい快適さのために良好なサービスを求めてしまいます。現代日本社会の厳しい労働環境も、邪悪な個人や特定階層の陰謀ではなく、個々の合理的な選択の積み重ねという側面が多分にあります(合成の誤謬)。そのため、社会問題の改善は難しく、もちろん私程度の知見では有効な具体策は思いつかないのですが、こうした矛盾を抱えて解決策を講じていくのも人間の宿命だろう、と開き直るしかないでしょうか。

チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析

 チャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡の被葬者のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Chyleński et al., 2019)が公表されました。アナトリア半島中央部南方にあるチャタルヒュユクは新石器時代の有名な遺跡で、世界最古の都市とも言われています。その年代は紀元前7100~紀元前5950年頃です。チャタルヒュユク遺跡は住宅単位の建物の集合体で、中には多くの被葬者がいる精巧な建物もあり、特別な地位を示唆しています。当初、同じ建物の被葬者は血縁関係にある、と推測されていました。その後、異なる家屋間の埋葬の不均一な分布から、核家族の居住する多くの家屋から構成される、より大きな世帯共同体の埋葬場所と推測されました。被葬者の歯の形態に基づく最近の研究では、生物学的類似性の近い個体群がいくつかの建物にまたがって埋葬されている、と推測されています。これは、埋葬の血縁関係パターンの欠如の証拠と解釈されました。

 アナトリア半島中央部および南西部の新石器時代文化は、ユーフラテス川上流域からの影響を受けて発達したと考えられており、紀元前九千年紀後半のアナトリア半島中央部に見られる新石器時代生活様式がいくぶん確認されています。アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用と考えられています(関連記事)。さらに、アナトリア半島中央部の集団は独自の新石器時代文化を形成しているため、ヨーロッパへの農耕拡散には大きく関わっていない、との見解も提示されています。しかし、チャタルヒュユクは大規模ですから、広範囲の交換ネットワークの一部で、他地域との交流もあったと考えられています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析結果を提示し、遺跡内の被葬者の親族関係と他地域集団との比較を報告しています。

 本論文は、チャタルヒュユク遺跡南区域の隣接する同年代(紀元前6450~紀元前6380年頃)の4つの建物(80・89・96・97)を調査対象としました。どれも、特別な地位を表す建物ではない、と考えられています。89棟を除く3棟では10人以上が埋葬されていました。合計では、80棟の16人、89棟の5人、96棟の10人、97棟の6人、の計37人から47点の標本が得られました。このうちmtDNAハプログループ(mtHg)を分類できたのは10人で、男性4人、女性3人、性別不明3人とされています。年齢別では、幼児2人、子供3人、思春期2人、成人3人(そのうち1人は50歳以上)と推定されています。mtHgは、U3b、U5b2、U、N、K1a17、W1c、K、H、H+73、X2b4と全員異なっており、多様です。これらチャタルヒュユク遺跡新石器時代人のmtDNAデータは、新石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサスからバルカン半島までの古代人と比較されました。新石器時代アナトリア半島中央部集団は、他の中近東およびヨーロッパの新石器時代~銅器時代集団の変異内に収まる一方で、草原地帯集団および狩猟採集民集団とは離れています。

 上述のように、チャタルヒュユク遺跡の10人のmtHgはすべて異なります。mtHgが分類された10人のうち最多の4人が埋葬されている96棟では、性別が推定されている3人の内訳は、男児と女児と老人女性が1人ずつとなります。こうしたmtHgの高い多様性は父方居住制で説明できます。ただ、この問題の解明にはY染色体DNAの解析が必要となります。96棟はまだ全体が発掘されていないため、まだ10人しか発見されておらず、今後さらに増加するかもしれません。歯の分析からも、被葬者の分布と親族関係に明確な相関は認められませんでした。そのため、チャタルヒュユク遺跡では埋葬にさいして、生物学的血縁関係は主因ではなかった、との見解も提示されています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡と北アメリカ大陸の南西プエブロ(Pueblo)社会との類似性を指摘しています。プエブロ社会は、儀式に基づく社会組織により特徴づけられ、生物学的血縁関係よりも優先されます。チャタルヒュユク遺跡の埋葬の不均一な分布からも、この仮説が支持されます。しかし本論文は、核家族3~4世代よりもずっと大きな血縁関係集団が1家屋に埋葬されている可能性も提示しています。この問題の解明には、ゲノムデータが必要となります。

 チャタルヒュユク遺跡の新石器時代集団は、遺伝的には他のアナトリア半島中央部新石器時代~銅器時代集団、とくにトルコ北西部のマルマラ(Marmara)地域の新石器時代集団と類似しています。以前の研究でも、ゲノムデータからマルマラ地域の新石器時代集団の起源はアナトリア半島中央部と推定されています。また、アナトリア半島中央部の新石器時代文化は独特で、レヴァントやメソポタミア北部の新石器時代と異なるとされていますが、本論文のmtDNA解析も、アナトリア半島中央部新石器時代集団が肥沃な三日月地帯の新石器時代集団とは異なる、と示しています。これは、アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用だったことを示唆し、ゲノムデータからも裏づけられています(関連記事)。新石器時代の社会構造の解明において、大規模なチャタルヒュユク遺跡の役割は大きいと言えるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Chyleński M. et al.(2019): Ancient Mitochondrial Genomes Reveal the Absence of Maternal Kinship in the Burials of Çatalhöyük People and Their Genetic Affinities. Genes, 10, 3, 207.
https://doi.org/10.3390/genes10030207

ヒト科の進化的放散と系統

 ヒト科(大型類人猿)の進化的放散と系統に関する研究(Rocatti, and Perez., 2019)が公表されました。ヒト科の進化的放散に関しては、生態学的および行動学的特徴とともに、身体サイズ・移動関連形態・頭蓋のサイズおよび形態の多様化も見られます。とくに人類系統においては、頭蓋のサイズおよび形態においてヒト科の他種とはかなり異なっていました。ただ、人類系統に限らず、ヒト上科(類人猿)というクレード(単系統群)の進化的放散において、頭蓋のサイズと形態の変化は重要でした。それは、霊長類の多くの生物的側面に関連すると考えられているからです。とくに、移動形態や食性や社会構造のような生態学的および行動学的特徴における変化は、クレードにおける特有の頭蓋形質の変化と関連しています。霊長類では具体的には、移動と大後頭孔の相対的位置や、食性と歯列のサイズおよび形態や、社会的集団サイズと脳の頭蓋内鋳型の密接な関係に見られます。本論文は、ヒト上科の現生種および化石標本の頭蓋データから、ヒト科の進化的放散による多様化について検証します。

 まず、ヒト上科においてヒト科とテナガザル科の明確な違いが改めて確認されました。頭蓋の特徴の多様化パターンからは、漸進的な変化が確認されましたが、過去400万年では異なる変化が見られます。これは、以前の研究での想定よりも複雑な進化を示唆し、本論文はヒト科の非漸進的な頭蓋進化を提示しています。ヒト上科クレードにおいて、中新世ではむしろ継続的な傾向が見られますが、鮮新世~更新世にかけては、とくにヒト科クレードにおいて、すべてのサブクレード間で形状の多様性が増加します。

 この鮮新世~更新世にかけての断続平衡モデルに近い非継続的進化過程では、ヒト上科の頭蓋顔面進化が、絶滅および現生種の単一の適応的放散の結果なのか、それとも気候と生態系の変化および/あるいは行動学的・形態学的な重要な変化に起因する連続した適応的放散なのか、まだ不明です。本論文は、形態測定分析により、ヒト上科霊長類にはかなりの頭蓋顔面サイズおよび形態の変動がある、と示します。これらの結果は、新規の多様な形態が比較的短期間に急速に進化した結果としての、異なる適応的放散を示唆するかもしれません。しかし本論文は、そうした急速な進化が少ない化石標本に起因するデータ不足の結果にすぎないかもしれない可能性も指摘します。

 本論文はヒト科の進化的放散の要因について、環境変動を挙げています。過去1000万年、アフリカ東部および南部では、大地溝帯の変動など地球規模での変化が生じました。その結果、アフリカ熱帯地域において、高木密度と草原およびサバナ(疎林と低木の点在する熱帯と亜熱帯の草原地帯)が相互に、縮小・拡大していきました。これは、チンパンジー系統と人類系統の分岐の要因になったかもしれません。アフリカ東部では、森林・小規模な林地・草原が斑状に分布するようになります。この広範な生態的地位は、400万年前頃にはアウストラロピテクス属系統が占拠するようになり、アウストラロピテクス属は広範な地域の資源を利用できました。草原の拡大は、アウストラロピテクス属クレードの重要な適応的特徴である直立二足歩行にも関連しているかもしれません。こうした変化は、アフリカ大陸内外において、消費される資源の量と多様性を増加させ、生態的地位と生息地の広範な占拠を伴ったかもしれません。

 また本論文は、気候変化も含む環境変動とともに、文化革新もヒト科の形態学的多様性と関連する要因だった可能性を指摘します。本論文は、ヒト科の進化的放散の根底にある地理的多様性もおそらく気候変化および文化的革新と関連しており、ヒト上科内のいくつかの事例では、異所性が新種出現の主要な原因の一つだったかもしれない、と示唆します。本論文は、ヒト科の放散と関連する要因の複雑さから、地理的および適応的要因を含むさまざまな進化的放散過程があった、と想定しています。しかし本論文は、観察された大進化パターンの要因の解明には、より多くの古気候および考古学的データが必要になる、と指摘しています。

 本論文はまとめとして、ヒト科の進化的多様化は漸進的で継続的な過程ではなく、過去1000万年に変化していき、より複雑で変動的だった、と示唆しています。最近のいくつかの研究はホモ属の多様化に焦点を当てていますが、本論文は、ヒト進化のよりよい理解には、異なる進化的スケールでの過程の複雑さを明確に扱う将来の研究が必要である、と指摘しています。小規模パターンがおそらくは小進化の過程に関連しているのに対して、大進化規模におけるパターンはおそらく、複数のクレードにまたがって作用する発達的・生態学的・進化的過程と関連しているのではないか、と本論文は推測します。また本論文は、大進化の多様化を調査する進化的研究には、古生物学的データの追加が重要になる、と指摘します。現生種を用いての系統学的比較方法は予備的でしかない、というわけです。

 本論文が具体的に提示するヒト上科系統樹は、おおむね通説に合致したものです。テナガザル科とヒト科はそれぞれ異なるクレードを形成し、ヒト科ではオランウータン亜科とヒト亜科がそれぞれ異なるクレードを形成します。ヒト亜科では、ゴリラ系統(ゴリラ族)とヒトおよびチンパンジー系統(ヒト族)がそれぞれ異なるクレードを形成します。もちろん、チンパンジー系統と人類系統もそれぞれ異なるクレードを形成しますチンパンジー系統では、チンパンジーとボノボがそれぞれ異なるクレードを形成します。ここまでは、通説と同じと言えるでしょう。しかし、本論文の人類進化系統樹に関しては、異論も少なくないかもしれません。以下に、本論文のヒト上科系統樹および各標本の位置を示した図4を掲載します。
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 本論文が対象としているのはアウストラロピテクス属以降ですが、まず、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)とその他の系統が分岐します。アファレンシスは、300万年前以降の全人類系統の共通祖先との見解が有力でしょうから、これは通説とおおむね合致すると言えそうです。「頑丈型」と言われるパラントロプス属はクレードを形成し、エチオピクス(Paranthropus aethiopicus)からロブストス(Paranthropus robustus)とボイセイ(Paranthropus boisei)が派生したとされます。この見解は今でも一定以上有力かもしれませんが、頑丈型については、アフリカ南部のアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)→ロブストスの系統と、アフリカ東部のアウストラロピテクス・アファレンシス→エチオピクス→ボイセイの系統に分かれ、クレードを形成しない、との見解もあります(関連記事)。

 ホモ属へとつながる系統では、アウストラロピテクス属でもアフリカヌス系統とホモ属の共通祖先系統との分岐が示されています。その後のホモ属系統は、ハビリス(Homo habilis)とその他の系統が分岐します。ハビリスが全ホモ属の共通祖先系統になった、との見解は今でも一定以上有力でしょうから、その意味では本論文の見解は有力説と整合的と言えそうです。しかし、そもそもハビリスという分類群自体がどこまで妥当なのか、問われるべきだと思います(関連記事)。

 本論文の系統樹で議論になりそうなのはこの後のホモ属の分岐で、まずフロレシエンシス(Homo floresiensis)と他のホモ属系統が分岐します。これは、フロレシエンシスがハビリスのようなエレクトス(Homo erectus)よりもっと祖先的なホモ属系統から進化した、とする見解(関連記事)と整合的です。もっとも私は、フロレシエンシスはアジア南東部のエレクトスから進化した、とする見解(関連記事)の方が有力と考えています。この後のホモ属の分岐で、ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)系統と他のホモ属系統が分岐する、という点も議論となりそうです。ルドルフェンシスがフロレシエンシスよりも現生人類(Homo sapiens)系統と近縁だとすると、私にとってはかなり意外です。

 エレクトスの出現以降の分岐は、おおむね有力説と合致しています。まずエレクトス系統と他のホモ属系統が分岐します。ナレディ(Homo naledi)については、系統樹における位置づけが明確ではありませんでしたが(関連記事)、本論文では、エレクトス系統の分岐の後に、他のホモ属系統と分岐した、とされています。おそらく、この推定は妥当だと思います。その後は、現生人類系統とハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)およびネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)系統が分岐します。ここで問題となるのは、ハイデルベルク人という分類群の妥当性で(関連記事)、これは上述のハビリスと同様なのですが、本論文が指摘するように、この問題の解明にはより多くの化石データが必要なのでしょう。


参考文献:
Rocatti G, and Perez SI.(2019): The Evolutionary Radiation of Hominids: a Phylogenetic Comparative Study. Scientific Reports, 9, 15267.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-51685-w

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

 1959年、田畑政治たちは1964年夏季オリンピック大会を東京に招致しようとしていましたが、IOC(国際オリンピック委員会)総会で演説予定だった外交官が負傷し、田畑たちは嘉納治五郎を看取った平沢和重に演説を依頼します。しかし、1964年に東京で夏季オリンピック大会を開催するのは時期尚早だと考える平沢は、その要請を断ります。そんな平沢に、田畑は1945年以来の自分たちのオリンピックへの熱い想いを語り始めます。

 今回は敗戦後の流れが一気に描かれ、ダイジェスト的な感じでした。回想場面も多く、最終章を迎えて、これまでの描写を踏まえた集大成の始まりを予感させました。1954年の時点でのフィリピンにおける反日感情の強さと、田畑へのオリンピックの熱意を結びつける話の流れはよかったと思います。田畑が1953年の衆院選に出馬したことは知りませんでしたが、自民党公認と言ってしまったのはまずかったな、と思います。まだ保守合同前で自民党結成前だったからです。調べてみたら、田畑は自由党から出馬し、立候補者中8人(定数4)6位でした。脚本では自由党になっていたのかもしれませんが。

瀧浪貞子『持統天皇 壬申の乱の「真の勝者」』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年10月に刊行されました。本書は、小説など創作では、冷酷な人物として描かれることが多いように思われる持統天皇(鸕野讚良)の伝記です。本書は持統を、強靭な精神力の持ち主で、自身の血脈に固執する、激しい情念に燃える生一本な性格の人物と把握しています。この持統の個性と決断が、譲位の制度化をもたらし、不執政天皇への道を開きました。平安時代以降に頻出する幼少天皇も、持統の選択の延長線上にある、と言えるでしょう。また本書は、持統の決断が女帝の在り方も変えた、と指摘します。息子の草壁皇統に拘った結果、女帝の役割は中継ぎに限定されてしまった、というわけです。

 本書は読みやすく、なかなか興味深い内容になっていますが、全体的に独特な見解が目立ち、やや困惑してしまいました。もちろん、門外漢で近年は古代史の勉強が停滞している私の感想ですから、本書の見解が近年では通説的立場にあるのかもしれません。しかし、女帝はそもそも当面の政治的緊張緩和のために必要とされた、との見解には説得力があると思いますが、女帝の息子には皇位継承権がなかった、との見解には疑問が残ります。本書は、推古「天皇」の「皇太子」として息子の竹田ではなく甥の厩戸が立てられたことなどを根拠としていますが、そもそも推古朝において皇太子制に類するものがあったのか、ということから問題にすべきではないか、と思います。また、『隋書』を根拠に皇太子制的なものが当時から存在したとしても、推古即位時には竹田がすでに死亡していた可能性も考えられます。当然本書は、皇極「天皇」の治世における中大兄(天智天皇)の皇位継承権も認めておらず、乙巳の変により中大兄には「天皇」即位の可能性が開け、孝徳「天皇」の皇太子になった、と指摘します。しかし、孝徳没後に皇極が重祚したことについては(斉明天皇)、孝徳の「皇后」で中大兄の妹の間人に即位を断られたので、皇極が仕方なく重祚し、中大兄はすでに皇太子だったので、皇位継承権を失わなかった、と本書は説明します。正直なところ、これはかなりご都合主義的な解釈ではないか、と私は考えています。

 壬申の乱の要因について本書は、天智が長男の大友皇子を即位させようとしたからだ、と主張します。これは一般にも広く浸透している見解と同じように見えて、かなり異なります。本書は、天智の次はすでに大海人(天武天皇)の即位が決まっており、大海人は東宮(皇太子)に立てられていたので、天智は大海人の次に大友を即位させるよう、大海人に要請し、これに対して自分の息子を即位させようとしていた大海人もその妻である鸕野讚良も不満を抱き、大友(近江朝廷)打倒を当初から計画して、大海人は出家して鸕野讚良とともに吉野に一旦退いたのではないか、と推測します。確かに、大海人と病床の天智とのやり取りは、本書の見解の方がすっきりします。大海人は、自分には皇位(大王位)への野心はないと意思表示したうえで、大友はまだ即位させるには若いので、まずは天智の「皇后」である倭姫王が即位すればよいと進言した、というわけです。ただ、そもそも大海人に即位資格が認められていたのか、ということが問題になると思います(関連記事)。大海人は天智朝において「大皇弟」と呼ばれていましたが、これは本質的には天皇(大王)の弟という意味にすぎず、すでに甲子の宣などで政治的存在感を示していた大海人に対する敬称だった、とも考えられます。大海人は東宮に立てられたという『日本書紀』の記事は、大海人を正当化する捏造だった可能性も低くはないと思います。まあ、私も自分の見解にさほど自信があるわけでもないので、本書の見解が間違いだと断定するつもりはまったくありませんが。

 夫の天武と息子の草壁死後の持統について、『万葉集』の編纂に関わり、天武を神に祭り上げ、草壁を原点とする「草壁皇統」の創出と孫の珂瑠(文武天皇)の即位に尽力した、との本書の見解はおおむね妥当だと思います。本書は、天武を神に祭り上げて草壁を皇統の原点としたのは、当時天武の息子が複数存命で、天武を皇統の原点とすると軽の即位にとって脅威だったからだ、と推測しています。もっとも、凡庸で体も弱い草壁と、優秀な大津という本書の対比は通俗的にすぎるかな、とも思います。じっさいにそうだった可能性は高いかもしれませんが、本書ではこの対比が確定した大前提とされているように思えたので、そこは引っかかるところです。

地球規模のミミズの生物多様性パターン


 地球規模のミミズの生物多様性パターンに関する研究(Phillips et al., 2019)が公表されました。日本語の解説記事もあります。この研究は、世界57ヶ国の7000ヶ所近いサンプリング場所で得られたミミズに関するデータを評価しました。ミミズはひじょうに多様な生物の総称で、世界中の土壌に豊富に分布しています。ヒトがミミズの姿そのものを見かけることはあまりありませんが、ミミズが行動には土壌環境を改変させる力があります。ミミズはトンネルを掘り、地下の行動圏を食べながら進むさいに、生態系全体にわたって地盤改良や有機物分解や栄養循環といった重要な機能を果たしています。しかし、「生態系エンジニア」としてこうした重要な役割を果たしているにもかかわらず、地球規模のミミズの多様性や分布、あるいはミミズが直面している脅威に関してはほとんど知られていません。

 この研究は、こうした地球規模のパターンを理解することは、気候変動などに起因してミミズの群集が変化した場合に、ミミズにより提供されている重要な生態系機能や生態系サービスがどのように変わるのか、予測するうえで重要だと指摘しています。この研究は、ミミズの群集の広範なデータセットをまとめ、多様性と個体数の地球規模のパターンを地図に表し、ミミズの生物多様性を形成している環境要因を評価して、地球全体にわたって地域ごとにミミズの群集をモデル化しました。その結果、気候変数、とくに降水量と気温が、世界規模でミミズの生物多様性を予測するさいに最も重要と示されました。

 こうしたパターンは地上の生物でも同様に観測されていますが、個体数と生物量の分布はまったく異なっています。この研究は、熱帯の低緯度地域で生物多様性が最大になる多くの動植物とは違い、ミミズの種の豊かさと個体数は一般に中緯度地域で最大になる、と明らかにしました。この結果により、ミミズの分布が気候に対してひじょうに敏感だと浮き彫りになりました。しかし、ミミズの群集が進行中の気候変動にどのように反応するのか、あるいは陸上生態系の機能全体にとってそれが何を意味するのかは、依然として不明なままである、とも指摘されています。


参考文献:
Phillips HRP. et al.(2019): Global distribution of earthworm diversity. Science, 366, 6464, 480–485.
https://doi.org/10.1126/science.aax4851

崩壊しやすくなった南極の棚氷

 南極の棚氷が崩壊しやすくなったことを報告した研究(Dickens et al., 2019)が公表されました。この研究は、過去の氷質量減少を駆動した要因と過去の氷質量減少が現状に及ぼした影響を調べるために、南極半島の北東端で採取された海底堆積物コアに保存されていた単細胞藻類の酸素同位体を分析し、6250年間の氷河融解水の流出に関する記録を構築しました。同位体値が低くなると、氷河から流出する淡水の量が増える関係にあります。この記録から、氷河からの流出量は1400年以降に増加傾向に転じ、1706年以降には前例のない水準に達し、さらに1912年以降には氷河の融解が顕著に加速した、と確認されました。これらの知見は、この地域の棚氷の薄化が約300年間に加速度的に進行し、そのため人為起源の温暖化が進むにつれて棚氷が崩壊しやすくなった、という可能性を示唆しています。

 この研究は、薄化の加速が南半球環状モードの変化と部分的に関連していた、と推測しています。この南半球環状モードの変化により、南極半島東部で偏西風が強くなり、大気の温暖化と棚氷の融解が起きましたが、その一方で温暖な海水がウェッデル環流に流入し、棚氷の底面融解を促進した可能性がある、というわけです。もっと最近になって、これと同様の南半球環状モードの変化が高い頻度で観測されるようになりましたが、これは、温室効果ガスの濃度とオゾン濃度低下による支配的影響を反映しており、今後、氷質量減少の加速につながる可能性がある、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【気候科学】300年間の薄化で崩壊しやすくなったと考えられる南極の棚氷

 南極半島東部の棚氷は、数百年にわたる薄化のために崩壊しやすくなった可能性があるという研究結果を報告する論文が、今週掲載される。

 今回、William Dickensたちの研究グループは、過去の氷質量減少を駆動した要因と過去の氷質量減少が現状に及ぼした影響を調べるために、南極半島の北東端で採取された海底堆積物コアに保存されていた単細胞藻類の酸素同位体を分析して、6250年間の氷河融解水の流出に関する記録を構築した。同位体値が低くなると、氷河から流出する淡水の量が増える関係にある。

 この記録から、氷河からの流出量は1400年以降に増加傾向に転じ、1706年以降には前例のない水準に達し、さらに1912年以降には氷河の融解が顕著に加速したことが認められた。これらの知見は、この地域の棚氷の薄化が約300年間に加速度的に進行し、そのため人為起源の温暖化が進むにつれて棚氷が崩壊しやすくなったという可能性を示唆している。

 Dickensたちは、薄化の加速が南半球環状モードの変化と部分的に関連していたと考えている。つまり、この南半球環状モードの変化によって、南極半島東部で偏西風が強くなり、大気の温暖化と棚氷の融解が起きたが、その一方で温暖な海水がウェッデル環流に流入し、棚氷の底面融解を促進した可能性があるというのだ。もっと最近になって、これと同様の南半球環状モードの変化が高い頻度で観測されるようになったが、これは、温室効果ガスの濃度とオゾン濃度低下による支配的影響を反映しており、今後、氷質量減少の加速につながる可能性がある。



参考文献:
Dickens WA. et al.(2019): Enhanced glacial discharge from the eastern Antarctic Peninsula since the 1700s associated with a positive Southern Annular Mode. Scientific Reports, 9, 14606.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-50897-4

最古の四肢類の形態

 最古の四肢類の形態に関する研究(Beznosov et al., 2019)が公表されました。デボン紀の四肢類における既知の多様性はこの数十年間で著しく増大していますが、それらの化石記録の大半は、全容の分からないわずかな断片で構成されています。デボン紀の四肢類の形態学的および古生物学的な特徴を解釈するための枠組みは、イクチオステガ(Ichthyostega)とアカントステガ(Acanthostega)のほぼ完全な化石が中心で、より完全性が低く部分的に復元可能なヴェンタステガ(Ventastega)やチュレルペトン(Tulerpeton)の断片化石は補助的な役割を担っています。これら4属はいずれも年代が後期ファメニアン期(約3億6500万~3億5900万年前)と推定されており、これは既知最古の四肢類の断片化石よりも1000万年新しく、既知最古の四肢類の足跡化石より3000万年近く新しい、と推定されています。

 本論文は、ロシアで発見され、年代がファメニアン期の最初期(約3億7200万年前)と推定された四肢類の新属新種(Parmastega aelidae)について報告しています。この標本は、頭蓋骨および肩帯の復元を可能とする三次元的な化石片から構成されています。この新属新種の隆起した眼窩・側線管・わずかに骨化した頭蓋後方の骨格は、おもに水生で、水面を遊泳する動物だった、と示唆しています。ベイズ法および節約法に基づく系統発生学的解析では、得られた系統樹の大半でパラマステガ類が他の全ての四肢類の姉妹群に位置づけられました。


参考文献:
Beznosov PA. et al.(2019): Morphology of the earliest reconstructable tetrapod Parmastega aelidae. Nature, 574, 7779, 527–531.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1636-y

マウスの記憶学習を変化させる微生物叢

 マウスの記憶学習を変化させる微生物についての研究(Chu et al., 2019)が公表されました。多細胞生物は、ウイルス・細菌・菌類。寄生生物の複雑なコンソーシアム(微生物叢と総称されます)と共に進化してきました。哺乳類では、微生物叢の組成の変化は多くの生理学的過程(発生・代謝・免疫細胞機能など)に影響を及ぼすことがあり、さまざまな疾患への感受性と関連づけられています。微生物叢の変化はまた、社会的活動・ストレス・不安関連応答など、多様な神経精神疾患と結びつけられている宿主行動も変えることができます。しかし、微生物叢がニューロン活動や宿主行動に影響を及ぼす機構については、まだほとんど分かっていません。

 この研究は、マウスの微生物叢の操作が恐怖消去学習にどのような影響を及ぼすのか、調べました。消去学習とは、手掛かり刺激と関連づけられた出来事を変化させた時に生じる過程で、それに応じて行動が変化します。この研究はマウスを訓練し、特定の雑音とフットショック(脚に電気ショックを与えること)を関連づけさせました。これにより恐怖反応が生じ、この雑音を聞いたマウスは、すくみ行動を示しました。次に、この雑音を聞かせて電気ショックを与えるという処置を止めると、対照マウスによる条件づけされたすくみ行動は程度が弱まりましたが、無菌マウスまたは抗生物質を投与したマウス(微生物叢が枯渇したマウス)は、恐怖反応を示し続けました。また、微生物叢を選択的に再定着させる実験からは、微生物叢由来のシグナルが成体期の正常な消去学習を回復させられるるのは、新生仔期の限られた発生期間に再定着を行った場合のみである、と明らかになりました。

 微生物叢の枯渇は、神経細胞における遺伝子発現の変化およびニューロン構造の学習関連変化の異常と関連している、とこの研究は報告しています。また、この研究は、無菌マウスにおいて発現量が減少した4種類の微生物由来化合物を突き止めました。これらの化合物は、先行研究で神経精神疾患との関連が指摘されています。総合すると、これらの知見は、マウスの行動とニューロンの活動に微生物叢(と関連する代謝産物)が関わっていることを示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【神経科学】マウスの記憶学習を変化させる微生物

 このほど行われたマウスの研究で、腸内微生物相の破壊が学習行動にどのような影響を及ぼすのかが詳しく解明された。その結果について報告する論文が掲載される。腸内微生物相の変化と宿主の行動の変化が関連していることが先行研究で示唆されていたが、その背後にある駆動力が何なのかは分かっていない。今回の研究では、恐怖反応に関連するニューロンの機能と構造を調節する微生物由来のシグナルが見つかった。

 今回、David Artisたちの研究グループは、マウスの微生物相の操作が恐怖消去学習にどのような影響を及ぼすのかを調べた。消去学習とは、手掛かり刺激と関連付けられた出来事を変化させた時に生じるプロセスであり、それに応じて行動が変化する。今回の研究で、Artisたちは、マウスを訓練して、特定の雑音とフットショック(脚に電気ショックを与えること)を関連付けさせた。これによって恐怖反応が生じ、この雑音を聞いたマウスは、すくみ行動を示した。次に、この雑音を聞かせて電気ショックを与えるという処置を止めると、対照マウスによる条件付けされたすくみ行動は程度が弱まったが、無菌マウスまたは抗生物質を投与したマウス(つまり、微生物相が枯渇したマウス)は、恐怖反応を示し続けた。

 微生物相の枯渇は、神経細胞における遺伝子発現の変化とニューロン構造の学習関連変化の異常と関連していたことをArtisたちは報告している。また、Artisたちは、無菌マウスにおいて発現量が減少した4種類の微生物由来化合物を突き止めた。これらの化合物は、先行研究で神経精神疾患との関連が指摘されている。総合すると、これらの知見は、マウスの行動とニューロンの活動に微生物相(と関連する代謝産物)が関わっていることを示している。


神経科学:微生物相がニューロン機能と恐怖消去学習を調節する

神経科学:微生物相は学習に影響を及ぼし得る

 微生物相が宿主のニューロン機能、ひいてはその行動にも影響を及ぼし得ることを示す証拠はあるものの、こうした相関関係を駆動する機構についてはほとんど分かっていない。今回D Artisたちはマウスで、微生物相の操作が、迷走神経とは無関係な様式で恐怖消去学習に対し負の影響を及ぼし得ることを明らかにしている。特定の発生期間に典型的な微生物相を再定着させると、成体期の消去学習が正常なものへと回復した。従って、微生物相に由来するシグナルは、初期の脳発生と成体の両方において、学習に影響を及ぼし得る。



参考文献:
Chu C. et al.(2019): The microbiota regulate neuronal function and fear extinction learning. Nature, 574, 7779, 543–548.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1644-y

老齢期に生じる個体差の要因

 老齢期に生じる個体差の要因に関する研究(Mahmoudi et al., 2019)が公表されました。加齢に伴う慢性炎症(インフラメージング)は老化の中心的な特徴ですが、これが特定の細胞に及ぼす影響についてはほとんど分かっていません。繊維芽細胞は大半の組織に存在し、創傷治癒に寄与します。繊維芽細胞はまた、誘導多能性幹(iPS)細胞への再プログラム化に最も広く使われている細胞タイプで、こうした再プログラム化は再生医療や若返り戦略に関係する過程です。この研究は、老齢マウスの培養線維芽細胞は炎症性サイトカインを分泌しており、個体間でiPS細胞への再プログラム化効率のばらつきが大きい、と示しています。

 個体間のばらつきは老齢の特徴である、と新たに分かってきていますが、その根底にある機構は不明です。この研究は、そのばらつきの駆動要因を特定するため、再プログラム化効率が異なる若齢マウスと老齢マウスの培養線維芽細胞について、マルチオミクスプロファイリングを行ないました。この手法から、老齢マウスの培養線維芽細胞には炎症性サイトカインを分泌する「活性化繊維芽細胞」が含まれていて、培養細胞中の活性化繊維芽細胞の割合がその培養の再プログラム化効率と相関する、と明らかになりました。

 細胞培養間で培養上清を交換する実験から、活性化繊維芽細胞が分泌する外因性因子は、個体間で再プログラム化効率がばらつく原因の一部である、と示され、TNFなどの炎症性サイトカインが重要な要因である、と明らかになりました。さらに、老齢マウスはin vivo(遺伝子を編集する酵素をコードするDNAを直接人体に注入する方法)での創傷治癒速度にばらつきを示すことも分かりました。単一細胞RNA塩基配列解読解析から、治癒速度の速い老齢マウスと遅い老齢マウスの創傷には、サイトカインの発現やシグナル伝達に違いを持つ異なる繊維芽細胞亜集団があることも明らかになりました。

 したがって、繊維芽細胞構成の変化と、繊維芽細胞が分泌する炎症性サイトカインの比率が、個体間におけるin vitro での再プログラム化にばらつきを引き起こし、in vivoでの創傷治癒速度に影響を及ぼす可能性があります。この研究は、こうしたばらつきは個体間で異なる確率論的な老化の軌跡を反映している、と推測し、高齢者におけるiPS細胞の作製や創傷治癒を改善するための個別化戦略の開発に役立つだろう、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


幹細胞:老化した繊維芽細胞の不均一性は再プログラム化や創傷治癒のばらつきと関連する

幹細胞:老齢期に生じる個体差の駆動要因

 個体間のばらつきは、新たに分かってきた老化の特徴であるが、何がこのばらつきを引き起こすのかは分かっていない。S MahmoudiとE Manciniたちは今回、老齢マウス由来の培養繊維芽細胞では、誘導多能性幹(iPS)細胞への再プログラム化効率において個体間のばらつきが大きいことを示している。再プログラム化効率の異なる繊維芽細胞のプロファイリングから、老齢マウスの繊維芽細胞培養にはいわゆる「活性化繊維芽細胞」が含まれており、これらの細胞が炎症性サイトカインを分泌し、培養細胞の再プログラム化効率を決定することが分かった。これは間違いなく再生医療や若返り戦略に関係してくる。さらに、異なるサイトカインプロファイルを持つ繊維芽細胞の別個の亜集団があるために、in vivoでの治癒が遅い個体や速い個体という個体間のばらつきが生じることも分かった。このようなばらつきは、個体間の確率論的な老化軌跡の違いを反映している可能性があり、高齢者におけるiPS細胞の作製や創傷治癒を改善するための個別化戦略の開発に役立つかもしれない。



参考文献:
Mahmoudi S. et al.(2019): Heterogeneity in old fibroblasts is linked to variability in reprogramming and wound healing. Nature, 574, 7779, 553–558.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1658-5

天皇はなぜ「王(キング)」ではなく「皇帝(エンペラー)」なのか

 一昨日(2019年10月22日に即位の礼が行なわれたためか、天皇への一般的関心が高まっているようで、Y染色体を根拠に男系維持を主張したり、中にはろくに理解できずに「神武天皇由来のY遺伝子」と発言したりする人もいますが(関連記事)、この問題に関しては以前述べたので繰り返しません(関連記事)。なお、皇族の天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、「縄文系」のD1a2(旧D1b)とする見解がネットではそれなりに浸透しているようですが、皇族(もちろん男性限定です)がYHg- D1a2だと示す確実な証拠はまだ提示されていないと思いますし、そもそもYHg- D1a2のうち、現代日本社会において多数派のD1a2a(旧D1b1)が「縄文系」であると確定したわけではない、と私は考えています(関連記事)。

 天皇への関心が高まる中、表題の記事が公開されました。すべてに突っ込むだけの気力・見識は今の私にはありませんが、そもそも、ローマ帝国に淵源のあるヨーロッパの皇帝概念と、漢字文化圏の皇帝概念とを安易に同一視すべきではないというか、そもそも前者を漢字文化圏の概念である皇帝と訳すこと自体に問題が内包されている、と考えるべきなのでしょう。両者を同一視することで、さまざまな誤認や新たな(あるいは現代日本社会の一部でしか通用しないような)価値観が創出されているのではないか、とも思います。表題の記事も、慣習的かつ儀礼的なもので法的なものではなく、序列が公式に定められているわけでもない、と断りつつも、国際社会において、皇帝である天皇は王よりも格上と見なされる、と述べています。こうした認識と類似した、天皇が「ローマ法王やエリザベス女王より格上の位」との観念は、現代日本社会において一部?の人々の間で常識とされているようですが、現在の各国の君主は基本的に同格で、「序列」は在位年で判断されているものだと思います。異なる歴史的経緯を踏まえた各文化圏の君主号は容易に外国語に翻訳できるようなものではなく、その地位や「格」を自文化の概念で判断することは難しいでしょう。「王」が「皇帝」より格下という観念は、漢字文化圏の前近代的観念を(歪に?)継承したところが多分にあり、現代では破棄すべきと私は考えています。現代日本社会にとって、もはや保守すべきものは「西洋近代」ではないか、というのが最近の私の見解です。

 具体的に表題の記事の問題点をいくつか述べると、近世以降にヨーロッパでは天皇を「皇帝」と呼ぶことが定着した、という指摘です。確かに、『日本誌』では天皇は皇帝と紹介されていますが、一方で征夷大将軍も(世俗の)皇帝とされています。といいますか、近世ヨーロッパにおいて日本は世界7帝国の一つ(他は、ロシア、神聖ローマ、トルコ、ダイチン・グルン、ペルシア、インド)と認識されるようになりましたが(関連記事)、その前から日本の「皇帝」とみなされていたのは、おおむね征夷大将軍(天下人)だったと思います。17世紀前半、ルイス・ソテロはスペイン国王に征夷大将軍を「皇帝」と紹介しており、19世紀初頭、ロシア皇帝からの国書でも、皇帝は征夷大将軍とされていました。

 また表題の記事は、天皇は「皇帝」と名乗らず、「天皇」と名乗った、と述べていますが、天皇とは本来「もう一つの中華世界の皇帝(天子)」に他ならないと思います(関連記事)。養老令(おそらく大宝令でも)儀制令では、日本国君主の称号は場面により天子・天皇・皇帝と使い分ける、と規定されています。天皇と(中華)皇帝との同質性が軽視されているのは、近代になって日本国君主の称号の表記がほぼ天皇に一元化された一方で、中華世界では唐代半ば以降に(おそらくは)君主の称号として天皇号が用いられなかったからなのでしょうが、その近代日本においても、皇帝が用いられることもありました。これは、中世~近世後期にかけて天皇号は公的には用いられなかったことが、一般にはあまり知られていない(だろう)こととも関連しているのでしょう。

 表題の記事は、天皇は「中国皇帝に対抗する」とも述べていますが、天皇号が正式に採用された後の遣唐使において、日本国君主は天皇とも皇帝とも天子とも名乗っていなかったようです。これは、日本が唐に冊封されていなかったとはいっても、朝貢していたので当然の話で、日本側が唐にたいして皇帝やそれに類する天皇(天武朝とかなり時代の重なる唐の高宗が天皇号を用いています)と称していたら、外交上の大問題となっていたことでしょう。当時の日本は、唐に対して「主明楽美御徳」と称していました(関連記事)。「主明楽美御徳」は「スメラミコト」で、日本国君主の称号の訓読みです。おそらく日本側は、唐にとって馴染みのない称号を用いることで、唐とは対等であるという理念と、唐の朝貢国であるという現実とが大きく齟齬をきたさないように配慮したのでしょう。唐は「主明楽美御徳」を日本国君主(天皇)の名と誤認しています。これも、日本側が意図的に唐に誤解させようとした可能性が高いとは思いますが、唐側もある程度は事情を把握しており、朝貢国の確保のためにあえて理解していないように振舞ったのかもしれません。

有機農業への転換が温室効果ガス排出量に及ぼす影響

 有機農業への転換が温室効果ガス排出量に及ぼす影響に関する研究(Smith et al., 2019)が公表されました。この研究は、イングランドとウェールズで有機農法による食料生産へ全面転換することが温室効果ガスの正味排出量に及ぼす影響を、ライフサイクルアセスメントによって評価しました。その結果、有機農法による食料生産が、慣行農法と比較して、作物で20%、家畜で4%の排出量削減につながる、と明らかになりました。しかし、有機農法への全面転換により、大半の農産物は40%台の生産不足になる可能性がある、という予測も示されました。この研究の試算によれば、不足分を補うために必要な海外の土地面積は、現在イングランドとウェールズの食料生産に利用されている面積のほぼ5倍となります。

 こうした分析結果に基づいて、この研究は、温室効果ガス排出量が正味で現在のレベルの1.7倍になるかもしれない、と推測しています。この研究は、温室効果ガス排出量に対する畜産の寄与度を考えれば、肉の消費を減らすことが重要な役割を果たし、人間の食用作物と炭素の貯留のために土地を開放できる可能性があると主張する一方で、環境的に持続可能な食料生産を達成できる単一のアプローチが存在する可能性は低い、と結論づけています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【環境】有機農業への転換が温室効果ガス排出量に及ぼす影響を評価する

 英国のイングランドとウェールズで、有機農法による食料生産へ全面転換した場合の温室効果ガス排出量の変化を評価した結果を報告する論文が掲載される。この研究では、有機農業によって温室効果ガス排出量が減少すると予測された一方、国内の食料生産量の減少を補うための海外での土地利用の増加を考慮に入れると、温室効果ガスの正味排出量は増加してしまうことが示唆された。

 今回、Guy Kirkたちの研究グループは、イングランドとウェールズで有機農法による食料生産へ全面転換することが温室効果ガスの正味排出量に及ぼす影響をライフサイクルアセスメントによって評価した。その結果、有機農法による食料生産が、慣行農法と比較して、作物で20%、家畜で4%の排出量削減につながることが判明した。しかし、有機農法への全面転換によって大半の農産物が40%台の生産不足となる可能性があるという予測も示された。Kirkたちの試算によれば、不足分を補うために必要な海外の土地面積は、現在イングランドとウェールズの食料生産に利用されている面積のほぼ5倍となる。この分析結果に基づいて、Kirkたちは、温室効果ガス排出量が正味で現在のレベルの1.7倍になる可能性があるという考えを示している。

 Kirkたちは、温室効果ガス排出量に対する畜産の寄与度を考えれば、肉の消費を減らすことが重要な役割を果たし、人間の食用作物と炭素の貯留のために土地を開放できる可能性があると主張する一方で、環境的に持続可能な食料生産を達成できる単一のアプローチが存在する可能性は低いと結論付けている。



参考文献:
Smith LG. et al.(2019): The greenhouse gas impacts of converting food production in England and Wales to organic methods. Nature Communications, 10, 4641.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-12622-7

縄文人と弥生人の顔と性格の違いまとめ

 3年ほど前(2016年6月11日)に表題の記事が公開されましたが、性格云々の話はともかく、外見の記述に関しては、現代日本社会における一般的な認識に近いと思います。こうした認識は近年になって主流になったというよりは、かなり以前から存在したのではないか、と思います。すでに1980年代に、子供向けの雑誌で、「縄文人」と「弥生人」の典型として有名人が挙げられていて、「縄文人」は吉永小百合氏、「弥生人」は岩下志麻氏でした。なお、「弥生人」で最も有名な卑弥呼は、宮殿に籠って運動不足だっただろうから、淡谷のり子氏のような外見だっただろう、という失礼な一文があったことも記憶しています。

 上記の記事のような「縄文人」と「弥生人」に関する認識は現代日本社会においてかなり浸透していると思われますが、まず問題となるのは、この場合の「弥生人」が「渡来系弥生人」、つまり弥生時代にアジア東部から到来した人々およびその子孫と想定されていることです。そうした「弥生人」の定義は現代日本社会において一般的なので、現代日本人は「縄文人」と「弥生人」の混合で、後者の方が遺伝的影響はずっと高い、といった言説も珍しくないわけですが、やはり、「弥生人」と言う時は弥生文化の担い手と定義するのが妥当なところで、「渡来系弥生人」に限定するのは問題だと思います。

 それは、弥生時代にも「渡来系弥生人」がまず到来したであろう九州において、北西部で「縄文人」的な形態の人類遺骸が発見されており、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、東北地方の弥生時代の男性は遺伝的に「縄文人」の範疇に収まるからです(関連記事)。「弥生人」は形態的にも遺伝的にも多様で、現代日本人の形成過程として、「縄文人」と「弥生人」を対比させ、両者の混合および後者のずっと強い遺伝的影響と説明するのは妥当ではない、と私は考えています。これは「縄文人」についても言えることで、「縄文人」をあまりにも均質な集団として把握することは問題だと思います。

 ただ、あくまでもまだ東日本限定ですし、年代による違いも考慮しなければなりませんが、「縄文人」は「弥生人」よりもずっと遺伝的に均質である可能性が高い、と私は考えています(関連記事)。現代日本人の形成過程に関しては、「縄文人」でもどの地域集団がより大きな影響を残しているのか、弥生時代以降にアジア東部から到来した集団の遺伝的影響の拡大においてどのような地域差と年代差があるのか(現時点では東日本の「縄文人」のゲノムデータしか得られていないので、今後、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られれば、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響の推定値は上方修正される可能性が高い、と私は考えています)、またアジア東部から到来した集団の起源地はある程度限定的なのか、それともかなり多様なのか、大きな移住の波は1回なのか複数回なのか、などといった観点から検証されていくのだと思います。

 ある文化集団を遺伝的に均一と考える傾向については、最近も懸念が呈されています(関連記事)。古代DNA研究の進展により、民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような19世紀~20世紀前半にかけての潮流に逆戻りしているのではないか、というわけです。こうした潮流を強く推し進めていったのがナチスでした。しかし、古代DNA研究でも、ある文化集団における遺伝的多様性が指摘されるようになっており、日本列島でも縄文時代~弥生時代の古代DNA研究が進めば、既知の集団との比較でとても特有の1集団にまとめられないような、「弥生人」の遺伝的多様性が明らかになっていくのではないか、と予想しています。

10万年以上前までさかのぼるかもしれないアジア南部への現生人類の拡散

 アジア南部沿岸の中部旧石器時代の年代に関する研究(Blinkhorn et al., 2019)が公表されました。アジア南部は現生人類(Homo sapiens)のアフリカから東方への拡散経路の中心に位置しており、現生人類の拡散をめぐる議論で重要な役割を担っています。しかし、その頃のアジア南部の人類遺骸は少ないので、考古学および古環境のデータがこの問題の解明に重要となります。当初、現生人類のアフリカからの拡散は6万年前頃以降と推定され、急速な移動の可能なアジア南部沿岸が重視されており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも支持されていました。

 過去10年、この問題に関して学際的な研究が進み、現生人類のアジア南部への拡散が128000~71000年前頃となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)5までさかのぼる、と主張されるようになりました。また、後期更新世のアジア南部は、砂漠から熱帯雨林、広大な低地河川流域から高地まで、多様な生態系で構成されていることも明らかになってきました。これは、後期更新世の現生人類が、更新世末までに世界中の極限環境に進出し、「専門家」になっていった、とする見解(関連記事)と整合的です。

 こうしたアジア南部の後期更新世の多様な環境の中で、資源の観点からアジア南部沿岸地帯は人類にとって有利な環境と考えられます。本論文は、アジア南部海岸線に近く(現代の海岸線からは約25km)、ナイラ渓谷(Naira Valley)に位置する、インドのグジャラート(Gujarat)州カッチ(Kachchh)県のサンダヴ(Sandhav)遺跡の中部旧石器時代の痕跡について報告しています。サンダヴ遺跡周辺の現在の気候は、平均気温が17.9~32度、年間平均降水量が350mm以下です。アジア南部の現在の海底地形は、完新世におけるかなりの堆積が推定されていることから、更新世の地形を反映しているとは限らない、と本論文は指摘します。サンダヴ遺跡では、中部旧石器時代の石器群が複数地点で識別された一方で、現生人類拡散の指標とされる細石器群は上層でしか確認されませんでした。サンダヴ遺跡はレベル1~11に区分されており、レベル5~6では中部旧石器が確認されています。レベル6の年代は、赤外光ルミネッセンス法(IRSL)でMIS5前半に相当する113800±12810年前です。

 サンダヴ遺跡におけるレベル6の石器群の113800±12810年前という年代は、アジア南部西方の中部旧石器としては最古となります。アジア南部全体で最新の下部旧石器となるアシューリアン石器群は、インド北部のマドゥヤプラデーシュ(Madhya Pradesh)州のミドルサン渓谷(Middle Son Valley)で発見されており、年代は13万年前頃です。MIS5には、現在のカッチ県では夏季モンスーンが強くなり、C4植物群が繁茂していた、と推測されています。人類にとってより好適な環境が出現しただろう、というわけです。MIS5には、カッチ県のような沿岸地域も、内陸部となる近隣のタール砂漠も類似した環境だった、と推測されています。

 サンダヴ遺跡では複数の有舌尖頭器が発見されており、ルヴァロワ(Levallois)技術の使用とともに、インド東部のジュワラプーラム(Jwalapuram)遺跡のようなアジア南部の他の遺跡と同様にアジア南部西方の中部旧石器時代石器群に分類されます。サンダヴ遺跡の複数の有舌尖頭器は、アジア南部における有柄技術の最初の指標となるかもしれません。近年のアジア南部に関する学際的研究では、中部旧石器技術に関連するMIS5のアジア南部への現生人類の拡散が支持されることから、本論文はアジア南部の中部旧石器時代のこうした有柄技術を、現生人類の拡散と直接的に関連している、と評価しています。ただ本論文は、アジア南部における有舌尖頭器の出現が着柄技術における機能的に顕著な特徴の独立した革新なのか、アテーリアン(Aterian)のように西方の人類集団からの文化的継承遺産なのか、解決するには比較研究が必要になる、と指摘します。

 現生人類の出アフリカに関しては、回数・年代・経路などをめぐって議論が続いていますが、遺伝学的研究では、6万年前頃のアフリカからの1回のみの沿岸拡散モデルが有力とされています(関連記事)。しかし、サンダヴ遺跡の証拠は、アジア南部の大陸部と沿岸部両方におけるMIS5での中部旧石器技術の共有から、6万年前頃よりもずっと早い現生人類拡散モデルの方を支持する、と本論文は指摘します。正直なところ、中部旧石器時代までの石器技術に関しては、人類遺骸の共伴がひじょうに少なく、その担い手がどの人類系統なのか、現時点での断定は難しいと思います。

 かりに、本論文の主張するように、MIS5にアジア南部に現生人類が拡散していたとしたら、その集団は絶滅して現在に子孫を残さなかったか、その後でアフリカから拡散してきた非アフリカ系現代人の主要な祖先集団に吸収され、現代人にはわずかしか遺伝的影響を残していないと想定すると、遺伝学的研究とも整合的かな、と考えています。アジア南部には、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が存在したかもしれず(関連記事)、現生人類が拡散してきた時に交雑があったかもしれないという点でも、現生人類のアジア南部への初期の拡散は注目されます。


参考文献:
Blinkhorn J. et al.(2019): The first directly dated evidence for Palaeolithic occupation on the Indian coast at Sandhav, Kachchh. Quaternary Science Reviews, 224, 105975.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2019.105975

イベリア半島北部における上部旧石器時代の幼児の下顎

 イベリア半島北部における上部旧石器時代の幼児の下顎に関する研究(Garralda et al., 2019)が公表されました。ヨーロッパで確実な現生人類(Homo sapiens)の化石が見つかるのは上部旧石器時代以降です。しかし、そうした化石はひじょうに少なく部分的で、考古学的背景が不明なものもあります。本論文は、1912年にスペイン北部のカンタブリア州にあるエルカスティーヨ(El Castillo)洞窟で発見された不完全な幼児の下顎(Castillo C)の分析結果を報告します。カスティーヨCには、同一個体のものと考えられる頭蓋断片も含まれます。カスティーヨCは当時、「オーリナシアン(Aurignacian)-デルタ」と呼ばれていた旧石器時代初期に区分されていました。

 エルカスティーヨ(El Castillo)洞窟では、4万年前頃までさかのぼる壁画が発見されています(関連記事)。エルカスティーヨ洞窟では、中世から下部旧石器時代にいたる長期の人類の痕跡が確認されています。旧石器時代では、上(新しい年代)から順にマグダレニアン(Magdalenian)→リュートレアン(Solutrean)→グラヴェティアン(Gravettian)→オーリナシアン(Aurignacian)と続きます。ここまでは現生人類が担い手と考えられる上部旧石器時代となります。初期マグダレニアンの層からは多数の動産美術品が発見されています。中部旧石器時代となるその下のムステリアン(Mousterian)は長く続いたようで、文化的変動が観察されます。その担い手は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と考えられています。その下は下部旧石器時代となり、アシューリアン(Acheulian)石器群が発見されています。このアシューリアン石器群の発見されている層が人類の痕跡の最下層となります。

 上述のように、カスティーヨCは当初、文化的には「オーリナシアン-デルタ」期に位置づけられました。発掘位置の正確な記録が残っていないため、本論文は当時の記録を精査し、遺跡と改めて照合することで、放射性炭素年代測定により、非較正年代で24720±210年前、較正年代で29300~28300年前という結果を得ました。これはグラヴェティアン(Gravettian)期に相当する年代で、カスティーヨCは巣穴など堆積後の作用によりオーリナシアン層まで移動した、と考えられます。カスティーヨCの年齢は4~5歳程度と推定されており、性別は不明とされています。

 カスティーヨCは形態面では、ヨーロッパのオーリナシアン(Aurignacian)およびグラヴェティアン(Gravettian)期の幼児化石、さらには現代の幼児化石と比較されました。その結果、現代の幼児との違いがいくつか観察されるものの、おおむね現生人類の範囲内に収まり、ネアンデルタール人との明確な違いを示します。同位体分析では、カスティーヨCの食性は多様だった、と推測されます。カスティーヨCには多数の解体痕(cutmarks)が確認されましたが、歯の痕跡は見当たらず、ハイエナのような肉食獣に消費されたのではなく、ヒトによる処理と考えられます。しかし、それが葬儀と関連しているのか、それとも食人行為の結果なのか、現時点では判断が困難です。また、食人行為が葬儀と関連している可能性も想定しておかねばならないでしょう。


参考文献:
Garralda MD. et al.(2019): The Gravettian child mandible from El Castillo Cave (Puente Viesgo, Cantabria, Spain). American Journal of Physical Anthropology, 170, 3, 331–350.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23906

メラネシア人における古代型人類からの遺伝子移入

 メラネシア人における古代型人類からの遺伝子移入に関する研究(Hsieh et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。人類は起源地から拡散していったさい、新たな環境に適応するよう、選択圧を受けたと考えられます。これはとくに現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散で注目されています。一塩基多型(SNVs)のゲノム調査からは、地域的な遺伝的適応と、現生人類がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった現生人類とは異なる古代型人類から交雑により獲得した遺伝子多様体と、その後の正の選択の証拠が得られてきました。

 ゲノムの構造多型(SV)は50塩基対以上の欠失・挿入・重複・逆位多型の総称で、50塩基対より小さい欠失・挿入に相当するインデルや、1塩基対の置換である一塩基多型とは区別され、SVの中の欠失と重複はコピー数多型(CNVs)とも呼ばれます(関連記事)。より大きなコピー数多型は一般的に有害で、疾患と関連していますが、ヒトの適応的コピー数多型の事例も報告されてきました。しかし、現代人のコピー数多型が地域的適応の遺伝的基盤にどの程度貢献しているのか、他の人類から遺伝子移入されたコピー数多型が適応的選択の標的だったのかどうかについては、ほとんど知られていません。

 本論文は、メラネシア人の間で古代型人類から選択的に遺伝子移入されたコピー数多型のゲノム規模の証拠を体系的に調査しました。メラネシア人は、熱帯の島環境に住んでいるため、植生・感染症・身体サイズへの適応を発達させた可能性があります。さらに、メラネシア人はその歴史のほとんど(過去5万年)で比較的孤立しており、外部集団からの主要な遺伝的影響は、過去3000年間のおもにアジア東部系集団からのものに限定されています。メラネシア人はまた、古代型人類ネアンデルタール人とデニソワ人(Denisovan)から、それぞれ1~3%と3~5%程度の遺伝的影響を受けており、古代型人類からの遺伝的影響は現代人の各地域集団の中では最大と推定されています。

 本論文は、高品質なゲノム配列の得られている古代型人類3個体から、5135個のコピー数多型のデータベースを構築しました。この3個体とは、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されたデニソワ人(関連記事)およびネアンデルタール人(関連記事)と、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見されたネアンデルタール人です(関連記事)。本論文は、これら古代型人類3人のコピー数多型データを、266人の現代人および72頭の非ヒト大型類人猿と比較しました。402個の人類特有のコピー数多型のうち、約13%となる51個はユーラシアの古代型人類3人と非アフリカ系現代人の間で共有されており、このうち一部は古代型人類から現生人類への遺伝子移入によりもたらされた可能性があります。本論文は、現代人の中でも、古代型人類から最も大きく遺伝的影響を受けているメラネシア人における、古代型人類からの遺伝子移入および選択されたコピー数多型を調査しました。

 本論文の人口統計学的モデルでは、アジア東部人からメラネシア人への比較的高い遺伝子流動が示されます。メラネシア人でもとくに低地集団ではアジア東部系の遺伝的影響が高く、約1/3となります。メラネシア人の間で、正の選択の潜在的な兆候を示すコピー数多型37個が発見され、そのうち19個はおそらく古代型人類からの遺伝子移入と推測されました。適応的遺伝子移入のコピー数多型候補のうち、多くは代謝(ACOT1とACOT2など)、発達および細胞周期もしくはシグナル伝達(TNFRSF10DとCDK11AとCDK11Bなど)、免疫反応(IFNLR1など)と関連する遺伝子の近傍もしくはその内部に位置しますが、そのパターンは複雑です。

 メラネシア人の16番染色体短腕(16p11.2)には、デニソワ人起源で、現代メラネシア人の祖先集団に17万~6万年前に遺伝子移入されたと推定される、383000塩基対以上の長大な重複が存在します。この重複は多様なメラネシア人集団において79%以上という高頻度で存在しますが、他の現代人地域集団にはほぼ見られず、正の選択の痕跡を示します。本論文はこの領域の重複が現生人類系統とデニソワ人系統で独立して起きた、と推測しています。

 メラネシア人の8番染色体短腕(8p21.3)では、6000塩基対の欠失と、38000塩基対の重複からなるコピー数多型が確認され、このハプロタイプはネアンデルタール人起源で、12万~4万年前頃にネアンデルタール人から現生人類へと遺伝子移入された、と推測されています。このハプロタイプの割合はメラネシア人では44%ですが、他の現代人地域集団ではほぼ皆無です。本論文は、このコピー数多型において、メラネシア人における部分的な選択的一掃と一致する痕跡が確認される、と指摘しています。

 人類集団における地域的適応の根底にある遺伝的多様体を特徴づけることは、人類進化研究において重要な目標の一つです。しかし、ほとんどの研究では、新しい有益な変異として生じるか、もしくはネアンデルタール人とデニソワ人など古代型人類との交雑により導入された、適応的な一塩基多型に注目してきました。ゲノムにおいてより多くの塩基対に影響を与える欠失もしくは重複を通じて生成されたコピー数多型の適応的役割は、より強い選択圧を受けるという証拠にも関わらず、ほとんど調査されていないため、あまりよく理解されていませんでした。

 本論文は、古代型人類と現代人のゲノム配列により、適応的な遺伝子移入のコピー数多型遺伝子座を特定し、特徴づけました。本論文は、選択的および適応的な遺伝子移入コピー数多型の増加の、人類進化における潜在的役割を強調します。近隣の遺伝子座に作用する正の選択に起因する潜在的な「ヒッチハイク」効果の可能性は除外できないものの、候補となる遺伝子座の周囲の大きな効果の他の機能的変異(たとえば、非同義多様体)が欠如していることは、これらの選択兆候の基盤が、本論文で特定された層別化されたコピー数多型と、おそらくはその内部の遺伝子にあった、と示唆されます。

 遺伝子型と表現型との関係についての理解が限られているため、16番染色体短腕(16p11.2)と8番染色体短腕(8p21.3)のコピー数多型の機能的予測は困難ですが、16番染色体短腕には胚発達における制御に影響するかもしれない、ヒト特有の遺伝子重複拡大と関連する適応的兆候が含まれています。この遺伝子座は複雑な再発生の構造的再配列も示しており、自閉症の一因との関連が指摘されています。8番染色体短腕(8p21.3)では、メラネシア人のDUP10Dアレル(対立遺伝子)は、ネアンデルタール人に由来し、ヒトの骨格筋の既知の制御兆候と重なる、近隣の欠失を伴っています。

 大きなゲノムの獲得と喪失には、生物の表現型に影響を及ぼし得る遺伝子を作る可能性があります。さまざまな古代型人類と現生人類との間の遺伝子流動に関する理解が進むにつれて、古代型人類から現生人類へと継承された遺伝子多様体が、アフリカから世界各地へと拡散した現生人類にとって、新たな環境への適応に有利に作用した、との見解が定着してきました。移入されたコピー数多型も、有益なアレルの貯蔵庫として機能することにより、アフリカから新たな環境に拡散してきた現生人類とって重要な役割を果たしたかもしれない、と本論文は推測します。

 本論文はさらに、メラネシア人のコピー数多型の研究により、現在の参照ゲノムには欠けている大規模な遺伝的多様性がある、と指摘します。現代人集団において特徴づけられる大規模な遺伝的多様性と遺伝子の理解の進展には、コピー数多型の研究による参照ゲノムの発展が必要というわけです。本論文は、現生人類と古代型人類との交雑だけではなく、現代人の遺伝的基盤をさらに深く理解するための方法を提示したという点でも、大いに注目されます。今後、他の地域集団でも同様の研究が進めば、現生人類と古代型人類との交雑も含めて、さまざまな側面でこれまでには気づかれなかった新たな知見が得られるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Hsieh P. et al.(2019): Adaptive archaic introgression of copy number variants and the discovery of previously unknown human genes. Science, 366, 6463, eaax2083.
https://doi.org/10.1126/science.aax2083

『卑弥呼』第27話「兵法家」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年11月5日号掲載分の感想です。前回は、那国がトメ将軍を裏切ったので、即刻兵を率いて渡河(筑後川と思われます)しなければ、トメ将軍は百日以内に死ぬ、という天照大御神からのお告げをヤノハがトメ将軍に伝えるところで終了しました。今回は、その7日前の那と暈の境界の場面から始まります。大河(筑後川と思われます)で男性の船頭は那の兵士たちに呼び止められます。大河を渡るのは御法度というわけです。兵士たちが密輸なら即刻死刑だと船頭を脅すと、中から青い服を着たアカメが現れます。兵士たちは、その服の色からアカメを祈祷女(イノリメ)と誤認します。アカメは山社(ヤマト)から逃れてきた祈祷女と名乗り、兵士たちの上官に会いたい、と言います。

 アカメはトメ将軍不在の留守を預かるホスセリ校尉と面会します。ホスセリ校尉に暈(クマ)の国の状況を尋ねられたアカメは、山社に日見子(ヒミコ)を名乗る女子が現れ、国内には内乱の兆しがある、と答えます。日見子と名乗った女子(ヤノハ)はタケル王に簡単に成敗される、と思っていたホスセリ校尉にたいして、ヤノハがしぶとく生き残り、国としての山社の独立を宣言した、とアカメは説明します。祈祷部(イノリベ)はその女子を日見子と認めたのか、とホスセリ校尉に尋ねられたアカメは、日の巫女の到来を信ずる者と信じない者に割れたが、信ずる側が勝ち、偽物と主張していた、暈の国にある日の巫女集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部の長であるヒルメは捕縛され、自分は隙を見て命からがら逃亡してきた、と答えます。トメ将軍が山社に向かったから山社に戻れるだろう、とホスセリ校尉に言われたアカメは、そうはならないようだ、と言ってトメ将軍謀反の噂を告げます。

 那国の「首都」である那城(ナシロ)では、ウツヒオ王が島子(シマコ)のウラと日の守(ヒノモリ)のサギリを呼び、対応を検討していました。島子のウラは、以前と変わらず、トメ将軍は信用ならない、とウツヒオ王に改めて訴えました。サギリは、トメ将軍が裏切り者とは信じられないが、万が一トメ将軍が兵を都に向ければ一大事だ、と言います。そんなサギリを、肝が小さいとウラは嘲り、トメ将軍の謀反は事実なので、成敗するだけだ、と主張します。サギリは、トメ将軍が勇猛果敢であることから、慎重な姿勢を示しますが、ウラは、たとえ不敗の将軍でもたった500人の兵士たちで何ができるのか、国境にはホスセリ校尉の率いる9000人の兵士たちがいるのだ、と事態を楽観しています。するとサギリは、その9000人の兵士たちがトメ将軍と真っ向から戦えるほど剛毅なのか、と疑問を呈します。戦人は最強の武人を敬い畏れるので、9000人の兵士たちがトメ将軍につく可能性もある、というわけです。ウラは慌てて、伊都(イト)・穂波(ホミ)・都萬(トマ)の国境に配した兵士たちを呼び戻すよう、ウツヒオ王に進言し、ウツヒオ王は悩みます。

 トメ将軍は暈の国内にある閼宗(アソ)山(阿蘇山)の近くにいました。トメ将軍に「アソ」の意味を問われたヌカデは、先祖の魂が戻らないよう塞ぐ場所と答えます。トメ将軍は、人の魂や黄泉返りといった人智を超えた事象は何も信じていないので、日見子(ヤノハ)の千里眼を今も疑っている、と打ち明けます。即刻兵を率いて渡河(筑後川と思われます)しなければ百日以内に死ぬ、という天照大御神からのお告げをヤノハから伝えられたトメ将軍は、すぐには納得しませんでした。するとヤノハは、トメ将軍が筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)でもはや並ぶ者のない武人で秀ですぎた、と指摘します。戦人として称賛されて何が悪い、とトメ将軍に反問されたヤノハは、称賛の裏には悪意もあり、悪意とは称賛の倍あるものだ、と答えます。たった500人で大河を渡り、鬼神と名高きオシクマ将軍を一蹴し、その勢いで兵を進めて暈のタケル王を追い詰めたトメ将軍を、那の王族・太夫・貴人・戦人・民・奴婢は畏怖し、那国の新たな王になろうとしているのではないかと考えるだろう、とヤノハは指摘します。その流言を那の王は一笑にふすほど、トメ将軍を信頼しているのか、と問われたトメ将軍は反論できません。急いで那国に戻るべきとヌカデはトメ将軍に進言し、ヤノハは、一刻の猶予もないため、ヌカデを案内役に那への最短の道を行くよう、トメ将軍に勧めます。その道を使えば、鞠智彦(ククチヒコ)の手勢と遭遇する危険もない、というわけです。それが、閼宗山を横断する経路でした。

 日見子(ヤノハ)の千里眼が信じられないなら、なぜ日見子の勧めに従ったのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、海の向こうの大陸の帝の住む大国(当時は後漢)には、昔より兵法家と呼ばれる人々がいる、と自分の考えを説明し始めます。兵法とは戦の勝利を天運に頼らず、分析と研究と人為によって実現する学問で、兵法家として有名な先人には、太公望呂尚や孫武や呉起がいます。その偉大な兵法家に共通するのは、まず第六感の存在を信じないことでした。見る・聞く・嗅ぐ・触れる・味わうという人の五感に加えて、第六感とは、千里眼や預言や神との語らいなど、人智を超えた能力です。トメ将軍は、日見子(ヤノハ)にそれがあるとは思えない、とヌカデに打ち明けます。しかし、日見子は研ぎ澄まされた五感の持ち主で、優れた分析力と冷徹非情な決断力がある、というのがトメ将軍の評価でした。200年前(じっさいはこの時点から400年前頃)、大陸に韓信という前漢の高祖(劉邦)の知恵袋がおり、貧しい出自の不良で、生き残るためには恥を捨てて人の股すらくぐり、勝利のためならどんな汚い手も使って見方さえ欺いた男だったが、日見子はその大兵法家の韓信に似ているような気がする、とトメ将軍はヌカデに説明します。それ故に、トメ将軍は日見子の発言なら何か根拠があると思った、というわけです。

 山社では、日見子たるヤノハが、テヅチ将軍とミマト将軍に日向(ヒムカ)を併合するよう命じましたが、テヅチ将軍は躊躇います。ヤノハは、山社が国となるには日向が必要で、得るのは今しかない、と説明します。しかし、日向は古のサヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の地で、両隣の暈と都萬がいかなる侵攻も許さないだろう、と言ってミマト将軍も躊躇います。日向出身のヤノハは、日向は誰からも守られず、見捨てられ、(瀬戸内海と思われる)内海(ウチウミ)の賊の餌食になっているので、山社の侵攻は日向の民の望みでもある、と両将軍を説得します。暈と都萬の連合軍をどう倒すのか、とテヅチ将軍に問われたヤノハは、タケル王が姿を消した今、暈があえて兵を差し向けるだろうか、また、平和に倦んだ都萬が単独で挙兵するだろうか、と反問します。その説明を聞いたミマト将軍は、ヤノハが優れた兵法家だと感心します。それでもテヅチ将軍は、サヌ王の盟約は筑紫島全土に及んでいる、と日向侵攻に消極的です。サヌ王の盟約とは、東征するサヌ王がかけた、自分の血筋以外の者が日向を治めようとするなら恐ろしい死がくだる、という呪いのため、日向には王がおらず、暈と都萬が共同管理していることです(第15話)。伊都・穂波・末盧といった国々がわざわざ他国の領土を踏み越えて派兵するだろうか、とヤノハに反問されたテヅチ将軍は、那国の動向を心配していました。するとヤノハは、那国では近く内乱が起きる、と断言します。それでテヅチ将軍も得心し、ミマト将軍が意気揚々と日向への侵攻を決意するところで、今回は終了です。


 今回は、トメ将軍の視点からヤノハの本質が描かれました。初期から存在を言及されていながら、他の主要人物よりも登場の遅かったトメ将軍ですが、的確にヤノハの本質を見抜いており、大物感があるので、たいへん魅力的な人物造形になっています。ヤノハは、近いうちに那国で内乱が起きる、と予想していますが、これも新生「山社国」成立のための計画の一環なのでしょう。どのように展開していくのか、楽しみですが、トメ将軍は大物感のある人物だけに、ヤノハの思惑通りに事態が進むとは限らないかもしれません。また、暈の鞠智彦とイサオ王も大物感のある人物で、『三国志』からは、新生「山社国」成立後、暈と「山社国」は対立を続けると予想されるので、その意味でも、ヤノハの思惑通り事態が進むのではなく、今後ヤノハが窮地に陥るような事態もありそうです。

 トメ将軍をめぐる事情も少し描かれ、那国の島子であるウラは、以前の描写(第14話)でも示唆されていましたが、明らかにトメ将軍を嫌っています。これは、トメ将軍が島子の地位を望んでおり、島子を務めるだけの能力・経験・人々の信頼があるので、自分の特権的地位を奪われるかもしれない、と警戒しているためなのでしょう。一方、那国の日の守であるサギリは、トメ将軍を信頼し、その能力を認めつつも、警戒もしているようです。トメ将軍は庶民出身なので、その点で那国上層部にはトメ将軍への軽視・警戒があるのかもしれません。主要人物のキャラは立っていますし、謎解き要素もあるので、今後『天智と天武~新説・日本書紀~』以上に楽しめる話になるのではないか、と期待しています。

20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡

 20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡に関する研究(Carter et al., 2019)が報道されました。人類の拡散経路の解明は人類進化史研究において重要です。近年まで、島や砂漠や山岳地帯といった特定の環境は人類にとって居住に適さず、現生人類(Homo sapiens)によって初めて可能になった、との見解が有力でした(関連記事)。また、海や大河は現生人類ではない人類にとって障壁として機能したと考えられており、航海は「現代的行動」の指標の一つとされてきました。そのため、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など現生人類ではない人類の拡散経路は陸上に限定されていた、と考えられてきました。

 しかし、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がチベット高原に進出していた、と最近確認されました(関連記事)。また、意図的な航海なのか漂流なのか、議論が続いていますが、フローレス島では現生人類ではないホモ属フロレシエンシス(Homo floresiensis)の存在が確認されており、やスラウェシ島でも現生人類ではなさそうな人類の痕跡が発見されています(関連記事)。現生人類の拡散経路でも、海上の役割をめぐって議論が激化しています。

 こうした人類の拡散経路をめぐる議論で、東地中海のエーゲ海地域は長い間無視されてきました。アナトリア半島西部とギリシア本土を隔てるエーゲ海は、現生人類ではない人類にとって通行不可能な障壁だっただろう、と考えられてきたわけです。そのため、現生人類ではない人類によるアジア南西部からヨーロッパへの拡散経路は、陸上のマルマラ・トラキア回廊と想定されていました。また、現生人類のヨーロッパへの初期の拡散も、この経路が想定されていました。地中海における本格的な航海は中石器時代に始まった、というわけです。しかし、最近の考古学および古地理学的研究により、このモデルは見直されつつあります。

 エーゲ海には、古地理学的復元により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5e・7・11といった間氷期には島々の間に海が存在したものの、MIS8・10・12といった氷期には海面が低下したため、アナトリア半島やギリシア半島と陸続きになった、と推測されています。氷期に出現したエーゲ海盆地は、生態学的に豊かな低地と湖などの淡水港を有する、人類にとって魅力的な土地でした。これは、現在のエーゲ海のキクラデス諸島での人類の活動を仮定していますが、その直接的証拠はこれまで提示されていませんでした。

 ステリダ(Stelida)はキクラデス諸島で最大のナクソス島(Naxos)の北西沿岸に位置しています。ステリダには石器製作にとって高品質のチャート採石場があり、剥片が散乱していて、過去の人類の使用を証明しています。ステリダ石器群は1981年に発見された当初、暫定的に早期新石器時代もしくは続旧石器時代と分類されました。しかし、ステリダ石器群はキクラデス諸島のもっと後の新石器時代や青銅器時代の石器群と似ておらず、一方でナクソス島くらいの大きさの地中海の島では更新世の人類の痕跡が確認されていなかったため、議論は複雑化していきました。最近では、エーゲ海島嶼部の植民は早期完新世までしかさかのぼらない、との見解が提示されました。エーゲ海島嶼部の下部および中部旧石器は、よく年代測定された石器群が少ないことから、更新世における人類の存在の確実な証拠にはならない、と指摘されています。

 現生人類ではない人類のエーゲ海島嶼部の通過もしくは居住の有無は、人類の認知能力に関する理解に大きな意味を有する、と一般に受け入れられています。この潜在的重要性を考えると、堅牢な根拠が必要で、それは豊富な標本サイズや石器タイプや技術の分類だけではなく、層序化された発掘からの健全な化学的年代測定も含まれる、と本論文は指摘します。本論文の著者たちは、これらの問題を念頭に置いて、2013年にステリダで発掘調査を開始しました。本論文は、エーゲ海中央で最初に発掘された層序化系列を、中期更新世から完新世までのよく確認されて年代測定された層からの人工物とともに詳述します。

 ステリダの調査地区は、岩相層序ではLU1~LU8に、土壌層序ではS1~S5に区分されています。LU1がS1、LU4aとLU4bがS2に、LU5がS3、LU6がS4、LU7がS5に相当します。石器は、最古層となるLU8を除いて全ての層で豊富に存在します。年代は赤外光ルミネッセンス法(IRSL)で測定され、LU7が198400±14500年前、LU6が94100±6500年前、LU5が22100±1500年前、LU4が18200±1300年前、LU3が14900±1000年前、LU2が12900±900年前です。LU5とLU6の間は侵食により年代が大きく離れています。

 ステリダではほぼ石器の人工物約12000点が発見され、そのうち9000点以上は年代測定された層のものでした。これらの石器の大半は、製作の初期段階で生じたもので、最終段階の石器は他の場所での使用のために少なかった、と推測されています。ステリダ石器群には、下部旧石器時代から上部旧石器時代を経て中石器時代までの石器群と、製作・形状・修正が一致しているものも含まれます。LU1には典型的なエーゲ海中石器時代石器群が含まれており、LU1からLU5では上部旧石器時代のものと分類される石器群が発見されました。この上部旧石器時代的な石器群の中には、オーリナシアン(Aurignacian)に見られる竜骨型スクレーパー(carinated scrapers)や、彫器・掻器・石刃などが含まれています。

 LU1からLU5には中部旧石器時代のルヴァロワ(Levallois)および円盤状石核技術の石器群も含まれています。これらの中には、ギリシア本土で発見され、ネアンデルタール人の所産とされているムステリアン尖頭器も含まれます。またLU1からLU5には、下部旧石器時代から中部旧石器時代早期にかけての地中海東部非アシューリアン(Acheulean)剥片伝統石器群も発見されており、スクレーパーや両面石器が含まれています。LU6ではルヴァロワおよびその疑似石器群が発見され、より大きな剥片や石刃様剥片などが含まれます。LU7の石器群は風化が進んでいたため分類が困難で、スクレーパーなどが含まれています。LU7の年代は198400±14500年前で、下部旧石器時代もしくは中部旧石器時代早期に相当します。

 本論文は、中期更新世にまでさかのぼる人類の痕跡に関して、おおむね明確に分類されて年代の確かな石器群を報告しており、エーゲ海中央における中期更新世の、おそらくは現生人類ではない人類も含む活動に関する最初の確実な証拠を提供します。以前には、アナトリア半島とギリシア本土にだけ、ネアンデルタール人やそれ以前の人類が存在した、と考えられていました。ギリシア南部では豊富なムステリアン石器群が発見され、ネアンデルタール人の所産とされているので、ナクソス島が中部旧石器時代の一時期にはギリシア本土およびアナトリア半島と陸続きになったことを考えると、ネアンデルタール人がナクソス島に存在していたとしても不思議ではない、と本論文は指摘します。

 また、ネアンデルタール人には短距離航海が可能だった、との見解も提示されており(関連記事)、あるいはナクソス島が大陸部と陸続きではなかった時代にも、ネアンデルタール人が大陸部から拡散してきた可能性も考えられます。アナトリア半島西部やレスボス島でも下部旧石器時代の石器群が発見されており、レスボス島ではその年代が258000±48000~164000±33000年前と推定されており、中期更新世にアナトリア半島西部からエーゲ海中央に人類が拡散してきた可能性も考えられます。これは、現生人類ではない人類も、マルマラ・トラキア回廊以外の経路でヨーロッパに拡散してきた可能性を示唆します。

 ステリダでの中期更新世の人類の痕跡は、まだ現生人類ではない人類の航海の証拠とはなりません。ステリダの下部~中部旧石器時代の人類の痕跡は断続的だった可能性があるので、ナクソス島が陸続きだった氷期にのみ人類が移動してきたかもしれない、というわけです。ネアンデルタール人やそれ以前の人類による航海の可能性が排除されるわけではありませんが、その証明には、石器や人類遺骸の直接的な年代測定と、更新世の海水準変動の正確な年代が必要になる、と本論文は指摘します。

 ステリダの事例は、人類のヨーロッパへの拡散経路に関する有力説の再考を促します。また、ナクソス島も含むエーゲ海中央は、淡水や動植物など資源に恵まれているため、氷期には人類にとって待避所になった可能性もあります。本論文は、エーゲ海中央は人類にとって魅力的だったものの、その資源の分布状況はモザイク状で、また新たな病原体への対応など、その利用・移動には革新的な適応戦略が必要だっただろう、と指摘します。また本論文は、寒冷期に湖も存在するエーゲ海中央に陸路で拡散してきた人類が、温暖期に向かって海面が上昇する中で、短距離航海技術を開発した可能性も指摘します。

 本論文は、フローレス島などアジア南東部島嶼部の前期~中期更新世の人類も、航海技術を開発していたかもしれない、と指摘します。私は、偶然の漂着の可能性の方が高いのではないか、と考えているのですが、確信しているわけではありません。本論文は現生人類の拡散に関しても、オーストラリアへ5万年前頃までに到達した可能性が高いことから、ヨーロッパでもマルマラ・トラキア回廊だけではなく、エーゲ海中央経由の事例があったかもしれない、と指摘します。本論文は、現生人類ではない人類も含めて、更新世の遺跡の探索はじゅうらいよりも広範囲でなければならない、と指摘します。今後、世界各地の島嶼部で、現生人類ではない人類の痕跡の報告が増えていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Carter T. et al.(2019): Earliest occupation of the Central Aegean (Naxos), Greece: Implications for hominin and Homo sapiens’ behavior and dispersals. Science Advances, 5, 10, eaax0997.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax0997

浅野裕一『儒教 怨念と復讐の宗教』

 講談社学術文庫の一冊として、2017年8月に講談社より刊行されました。本書の親本『儒教 ルサンチマンの宗教』は平凡社新書の一冊として1999年5月に平凡社より刊行されました。本書は儒教の開祖とも言うべき孔子を、怨念と復讐に囚われた誇大妄想の人物と指摘します。孔子は、有徳の聖人こそが受命して天下を統治するという徳治主義を主張し、自らを周王朝の礼に通じた聖人と自負していました。本書は、孔子が自分こそ新王朝の開祖に相応しいと自負しており、門人にも同時代の人々にもそう認識されていた、と指摘します。

 しかし、現実の孔子は高貴な家柄の出自ではなく、周王朝の礼を体系的に学べたわけではないので、当然それを体得できていたわけではなく、孔子の主張した礼(儀式体系)は、多分に孔子の創作・妄想だった、と本書は指摘します。さらに、現実の孔子は新王朝の開祖どころか、当時存在した多くの国の一国で重用されることさえほとんどありませんでした。有徳の聖人こそが受命して天下を統治するという徳治主義および孔子こそ聖人だったという主張と、現実の孔子には新王朝の開祖どころか政治的実績がほとんどないという矛盾解消に怨念と復讐を募らせていき、晩年の孔子もその後の儒教も苦しい説明を強いられた、というのが本書の見通しです。

 儒教側はこの矛盾解消のために、孔子を王、さらには帝へと格上げしようとします。漢代以降、紆余曲折はありましたが、儒教側の努力が実り、ついに唐代に孔子は王号を獲得します。その後も変動はありつつも、大元ウルスにおいて孔子の権威は頂点に達し、帝の目前にまで迫ります。明代前半期にも、孔子の権威の絶頂期は続きました。しかし、16世紀の嘉靖帝(世宗)の治世において、大礼問題を契機として、孔子は王号を剥奪されます。これは、嘉靖帝が道教に傾倒していたことも大きいようです。これまでにも、孔子を帝へと格上げしようという動きは何度かありましたが、皇帝権威の並立という問題から、見送られてきました。歴代中華王朝において、儒教を国家の理念としつつも、現実の政治指導者である皇帝の権威・理念と、孔子を帝にまで格上げしようとする言わば儒教「原理主義」との間には、潜在的な敵対関係が続いていた、と言えるのかもしれません。

 孔子の権威を確立しようという儒教側の最後の人物として、本書は康有為を挙げています。康有為は、孔子には実質的に聖人としての確たる事績がない、という儒教の根本的な弱点を解消するために、孔子よりも前の古代を暗黒時代として描き、孔子を中華文化の創始者として位置づけようとしました。近代における「西洋の衝撃」にたいして、「改革者」として分類されることの多い康有為ですが、単にヨーロッパ近代に接近しようとしたのではなく、長期にわたる儒教側の怨念・復習に基づく運動の最終走者でもあった、というわけです。「孔子教」を確立しようという康有為の試みはすぐに挫折し、中国は儒教をいかに克服するのか、という問題と本格的に向き合い、試行錯誤していくことになります。

 しかし、中国においては経済発展とともに、儒教再評価の動きが盛んになってきています。伝統文化を反近代的として一方的に否定するだけではなく、見直そうとする社会的余裕が生じてきた、ということでしょうか。しかし本書は、いわゆる新儒学について、儒教から務めて宗教色を取り除き、近代西欧哲学と宋学を混淆した個人の倫理思想へと模様替えを図っているものの、宗教の宿す毒気が抜かれているので、確かに見かけは上品だとしても、逆にその分だけ迫力もなくなり、至って面白みに欠けるので、こんなつまらないもので中国世界の未来が切り開かれるとは思えない、と辛辣な評価をくだしています。「リベラル」志向の中国研究者の一部?の間で、新儒学と「ポリコレ」との調和への期待もあるのかもしれませんが、本書が指摘するように、新儒学に中国世界の未来を切り開くような力はないでしょう。

 孔子の主張した礼が多分に創作で、孔子が自分こそ新王朝の開祖に相応しいと自任しており、儒教はその論理と現実との矛盾に苦慮した、との本書の見解は確かに魅力的ですし、説得力があるとは思います。長い歴史を誇る秦王朝と異なり、歴史が浅く社会最上層の人々が中枢だったとはとても言えず、本書の云う「無頼の軍事集団を基盤に成立した」漢王朝にとって、儒教の提示する(創作を多分に含んだ)儀礼体系でも必要とされて採用されていった、との本書の見通しも妥当だと思います。ただ、誇大妄想の孔子の主張は当初から少なからぬ人々の支持を得ており、それ故に儒教は戦国時代を生き残ることもできたように思います。その理由については、上天信仰と先王尊崇という中華世界の規範の枠組みに収まっていたから、との説明はできるものの、根本的なところは本書を読んでもはっきりとしませんでした。社会が大きく変わっていき、下層からも台頭する人々が現れるなかで、孔子の提示する礼は社会秩序の維持に有用だとして魅力的に思えたのかな、とも思います。また、本書は儒教と孔子の虚偽性を厳しく指摘しますが、人類の宗教と開祖にはそうした性格が濃厚な場合も少なくないでしょうから、とくに儒教だけの問題とは言えないでしょうが、儒教においてそうした性格がとくに強い、とは言えるかもしれません。

 以前にも述べましたが、現代日本社会においても、儒教の克服は依然として大きな課題とすべきではないか、と私は考えています(関連記事)。本書を読んで、その考えはさらに強くなりました。毛沢東政権期の儒教攻撃には行き過ぎがあったとしても、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みは基本的には間違っていなかったと思います。近代日本では、教育勅語が大きな影響力を有して敗戦まであからさまな批判が躊躇されたように、近代化の中でなし崩し的に儒教が都合よく取り入れられたように思われ、その意味で、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みの意義は現代日本社会でも大きい、と私は考えています。

オルドビス紀の集団行動(追記有)

 オルドビス紀の集団行動に関する研究(Vannier et al., 2019)が公表されました。集団的な社会的行動は、数百万年にわたる自然選択によって進化してきたことが知られており、数々の実例が現生節足動物によって示されています。たとえば、鎖のようにつながった状態で移動するチョウやガの幼虫、アリやイセエビです。しかし、集団行動の起源と初期の歴史は、ほとんど知られていません。この研究は、約4億8000万年前となるモロッコのオルドビス紀前期の節足動物である三葉虫の一種(Ampyx priscu)の化石が、直線状に集まった状態で数例見つかったことを報告しています。

 この三葉虫は体長が16~22mmで、胴体の前面に頑丈な棘があり、胴体の後方に向かって一対の非常に長い棘がありまし。この三葉虫化石の集合体それぞれで、各個体は胴体の前面を同じ方向に向けて一列に並び、棘を介して他の個体との接触を維持していました。この研究は、観察された化石のパターンのスケールを考慮すると、このように一貫した直線性と方向性の原因が、受動的運搬や水流による堆積であった可能性は低く、移動中に突然死んだ可能性の方が高い、と推測しています。たとえば、嵐に遭遇し、堆積物中に生き埋めになった、というわけです。

 この研究は、三葉虫が海底を伝って移動していたことから、集団移動しており、長く伸びた棘を使って身体的接触を行ない、一列での移動を維持した可能性がひじょうに高い、と推測しています。嵐によって三葉虫の環境が撹乱されると、それが運動センサーと触覚センサーによって感知され、それに対するストレス応答として、三葉虫はもっと静かな深い海域への集団移動に駆り立てられた、というわけです。同様の行動は、現代のイセエビにも見られます。

 これに対して、今回観察された化石のパターンの原因は、性的に成熟した個体が産卵場に移動する季節的な繁殖行動であった可能性もあります。この三葉虫は盲目なので、棘と化学物質を介した感覚刺激を用いて協調していた可能性がある、というわけです。この発見は、約4億8000万年前の節足動物が、その神経の複雑さを利用して、現生動物と同じような一時的な集団行動を発達させた可能性を明らかにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】整然と並んでいた4億8000万年前の節足動物

 古代の節足動物の複数の化石が直線状に整列した状態で発見され、これは、集団行動を示しており、環境からの合図に応答したもの、あるいは繁殖のための季節的移動の一環とする見解を示した論文が、今週掲載される。今回の研究で得られた知見からは、現生動物と同じような集団行動が早ければ4億8000万年前から存在していたことが示唆されている。

 集団的な社会的行動は、数百万年にわたる自然選択によって進化してきたことが知られており、数々の実例が現生節足動物によって示されている。例えば、鎖のようにつながった状態で移動するチョウやガの幼虫、アリやイセエビだ。しかし、集団行動の起源と初期の歴史は、ほとんど知られていない。

 今回のJean Vannierたちの論文には、モロッコのオルドビス紀前期(約4億8000万年前)の三葉虫(節足動物)の一種であるAmpyx priscusの化石が直線状に集まった状態が数例見つかったことが記述されている。A. priscusは、体長が16~22ミリメートルで、胴体の前面に頑丈な棘があり、胴体の後方に向かって一対の非常に長い棘があった。Vannierたちが調べたA. priscusの化石の集合体のそれぞれで、個々のA. priscusが、胴体の前面を同じ方向を向けて一列に並び、棘を介して他の個体との接触を維持していた。Vannierたちは、今回観察された化石のパターンのスケールを考慮すると、このように一貫した直線性と方向性の原因が、受動的運搬や水流による堆積であった可能性は低く、A. priscusが移動中に突然死んだ可能性の方が高いと考えている。例えば、嵐に遭遇し、堆積物中に生き埋めになったというのだ。

 Vannierたちは、A. priscusが海底を伝って移動していたことから、集団移動を行い、長く伸びた棘を使って身体的接触を行い、一列での移動を維持した可能性が非常に高いという考えを示している。嵐によってA. priscusの環境が撹乱されると、それが運動センサーと触覚センサーによって感知され、それに対するストレス応答として、A. priscusがもっと静かな深い海域への集団移動に駆り立てられたと考えられる。同様の行動は、現代のイセエビにも見られる。これに対して、今回観察された化石のパターンの原因は、性的に成熟した個体が産卵場に移動する季節的な繁殖行動であった可能性もある。A. priscusが盲目であることから、Vannierたちは、三葉虫が棘と化学物質を介した感覚刺激を用いて協調していた可能性があるという仮説を提示している。

 今回の発見は、4億8000万年前の節足動物がその神経の複雑さを利用して一時的な集団行動を発達させた可能性を明らかにしている



参考文献:
Vannier J. et al.(2019): Collective behaviour in 480-million-year-old trilobite arthropods from Morocco. Scientific Reports, 9, 14941.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-51012-3


追記(2019年10月23日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

ヒトと大型類人猿の脳発生の違い

 ヒトと(ヒト以外の)大型類人猿の脳発生の違いに関する研究(Kanton et al., 2019)が公表されました。ヒトがチンパンジー系統と分岐して以来、その脳は劇的に変化しました。しかし、この分岐に関与した遺伝的過程と発生過程は充分に解明されていません。この手がかりとなりそうなのが誘導多能性幹細胞から成長させた脳オルガノイド(脳様組織)で、実験室内で脳発生の進化を研究する可能性を生み出しています。この研究はヒト特異的な遺伝子調節の変化を探索するため、幹細胞から作製した脳オルガノイドを解析し、ヒトに特異的な遺伝子調節の変化を調べた。

 この研究はまず、細胞構成を解析し、ヒト脳オルガノイド発生の全過程(多能性段階から神経外胚葉段階と神経上皮段階を経て、その後、前脳の背側と腹側・中脳・後脳の領域内のニューロン運命へと分岐します)にわたる分化の経路を再構築しました。異なるiPSC株から作製したオルガノイドでは、脳領域の構成は多様でしたが、脳領域の遺伝子発現パターンは、どのオルガノイドでも、おおむね再現性が高い、と明らかになりました。次にチンパンジーとマカクの脳オルガノイド解析では、これら2属の霊長類と比較して、ヒトのニューロンの発生はゆっくり起こる、と明らかになりました。発生過程上の同じ時点での比較では、チンパンジーとマカクザルの脳オルガノイドの皮質ニューロンへの種分化の方が、ヒトの脳オルガノイドよりも顕著です。

 分化経路を偽時系列的に整列させると、ヒト特異的な遺伝子発現は、大脳皮質における前駆細胞からニューロンへの細胞系譜に沿った、異なる細胞状態に起因する、と分かりました。クロマチン接近可能性は皮質発生中に動的に変化し、ヒトとチンパンジーの間には、ヒト特異的な遺伝子発現や遺伝的変化と相関した接近可能性の分岐がある、と明らかになりました。最後に、単一核RNA塩基配列解読解析により、成体の前頭前皮質におけるヒト特異的な発現がマッピングされ、成体期まで持続する発生生物学的相違と、成体の脳だけで起こる細胞状態特異的な変化が特定されました。

 この研究は、大型類人猿の前脳発生の時間的な細胞アトラスを提供し、ヒトに固有の動的な遺伝子調節の特徴を明らかにし、これらのデータが、ヒトとチンパンジーの発生中の脳で異なっている遺伝子調節機構に関する、さらなる研究の指針になると結論づけています。脳はヒトの派生的進化の中でもとくに注目されますから、近縁の霊長類との比較を通じて、その遺伝的過程と発生過程、さらには選択圧についての研究が進展することを期待しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【神経科学】ヒトと大型類人猿の脳発生の違いはどのように生じたのか

 ヒトの脳の発生に関する新知見とヒトとその他の大型類人猿の脳発生過程との違いを示した研究論文が、今週掲載される。この論文は、ヒト特有の脳発生の特徴を明らかにし、ヒトと他の霊長類の脳発生過程の違いがどのように生じたのかを概説している。

 ヒトがチンパンジーや他の大型類人猿から分岐して以来、ヒトの脳は劇的に変化した。しかし、この分岐に関与した遺伝的過程と発生過程は十分に解明されていない。誘導多能性幹細胞から成長させた脳オルガノイド(脳様組織)は、実験室内で脳発生の進化を研究する可能性を生み出している。

 今回、Barbara Treutleinたちの研究グループは、ヒト特異的な遺伝子調節の変化を探索するため、ヒト幹細胞由来の脳オルガノイドの分析を4か月にわたる多能性細胞からの発生過程において実施した。次に、Treutleinたちは、チンパンジーとマカクザルの脳オルガノイドを比較して、ヒトの脳オルガノイドの発生との違いを調べた。そして、発生過程上の同じ時点で比較したところ、チンパンジーとマカクザルの脳オルガノイドの皮質ニューロンへの種分化の方が、ヒトの脳オルガノイドよりも顕著なことが分わかった。この結果は、ヒトの神経発生がチンパンジーとマカクザルの場合よりも遅いことを示唆していると考えられる。

 Treutleinたちは、今回の研究で得たデータが、ヒトとチンパンジーの発生中の脳で異なっている遺伝子調節機構に関するさらなる研究の指針になると結論付けている。


発生生物学:オルガノイドの単一細胞ゲノムアトラスから明らかになったヒト特異的な脳発生の特性

発生生物学:ヒトの脳発生は他の大型類人猿からどのように分岐したか

 ヒトの脳発生に独特な遺伝的プログラムや発生プログラムを調べるために、B Treutleinたちは今回、ヒトや他の大型類人猿の幹細胞から脳オルガノイドを作製した。単一細胞トランスクリプトミクス、細胞構成解析、およびゲノムプロファイリングから、ヒトの分化経路が明らかになり、この分化経路はオルガノイドの全発生段階を通じてヒトに独特なものであることが明らかになった。加えて、ヒトのニューロン発生は他の大型類人猿に比べて、ゆっくりと進行することが分かった。



参考文献:
Kanton S. et al.(2019): Organoid single-cell genomic atlas uncovers human-specific features of brain development. Nature, 574, 7778, 418–422.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1654-9

長寿関連タンパク質

 長寿関連タンパク質に関する研究(Zullo et al., 2019)が公表されました。ヒトで寿命を延長する機構についてはよく分かっていません。神経系が老化の調節に関与している、とこれまでの研究から示唆されていますが、神経系と老化の関係を裏づける機構の解明は困難でした。この研究は、死後のヒト脳組織における遺伝子発現パターンを調べ、85歳以上の長寿者において、転写因子RESTの発現が上昇して、神経興奮に関連する遺伝子を抑制していた、と明らかにしました。

 モデル生物である線虫の一種(Caenorhabditis elegans)を用いた研究では、老化に伴って神経興奮の上昇が見られ、全体的な興奮抑制、あるいはグルタミン作動性またはコリン作動性ニューロンにおける興奮を抑制すると、寿命が延長しました。一方、RESTオルソログ遺伝子であるspr-3とspr-4の機能喪失変異は、神経興奮を上昇させ、長寿命であるdaf-2変異体の寿命を短縮しました。野生型の線虫では、spr-4を過剰発現させると興奮が抑制され、寿命が延長しました。RESTやその線虫オルソログおよび神経興奮低下はいずれも、長寿命に関連するフォークヘッド型転写因子FOXO1(哺乳類)とDAF-16(線虫)を活性化させ、寿命と神経活動パターンとの因果関係を示唆しています。

 中枢神経系には数多くの興奮性ニューロンと抑制性ニューロンが存在し、それぞれシナプス活動を増加させたり減少させたりします。この研究は、全般的な興奮レベルと抑制レベルの不均衡が老化過程に寄与している可能性を指摘し、神経活動を弱めるRESTという哺乳類の転写因子の役割を強調しています。この研究は、RESTの発現レベルを高め、興奮性ニューロンの活動を減少させる方法を使って老化に影響を及ぼすことが可能だ、との見解を提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【遺伝学】長寿に関連するRESTタンパク質

 脳内の全般的な神経活動レベルにはRESTと呼ばれるタンパク質が介在しており、脳内の神経活動レベルが寿命に影響している可能性のあることを示唆する論文が掲載される。この知見は、モデル生物とヒトを用いたさまざまな研究に基づいており、ヒトの老化を遅らせるための新たなアプローチを模索する研究者を支援できるかもしれない。

 神経系が老化の調節に関与していることがこれまでの研究から示唆されているが、神経系と老化の関係を裏打ちする機構を解明することは困難だった。今回、Bruce Yanknerたちの研究グループは、死後のヒト脳組織における遺伝子発現パターンを調べて、長寿者(85歳以上)の場合に神経興奮とシナプス機能に関連する遺伝子の発現が低下していることを明らかにした。

 また、モデル生物を使った研究では、薬物や遺伝子操作によって脳内の神経興奮やシナプス活動のレベルを低下させることで、線虫の寿命を延ばせることが分かった。また、神経活動レベルを高めた実験では、逆の効果が得られた。以上の知見は、寿命と神経活動パターンとの因果関係を示唆している。

 中枢神経系には数多くの興奮性ニューロンと抑制性ニューロンが存在し、それぞれシナプス活動を増加させたり減少させたりする。Yanknerたちは、全般的な興奮レベルと抑制レベルの不均衡が老化過程に寄与している可能性があると考えており、神経活動を弱めるRESTという哺乳類の転写因子の役割を強調している。そして、Yanknerたちは、RESTの発現レベルを高め、興奮性ニューロンの活動を減少させる方法を使って老化に影響を及ぼすことが可能だとする見解を示している。


加齢:神経興奮とRESTによる寿命の調節

加齢:RESTと神経興奮は寿命に影響を及ぼす

 ヒトの寿命を延ばすものは何か。B Yankner、J Zullo、D Drakeたちは今回、非常に長寿な人々の脳において、神経興奮の下方調節に関与すると考えられる転写シグネチャーを明らかにしている。転写抑制因子RESTが、これらの変化を仲介すると予測される。彼らは、線虫の一種Caenorhabditis elegansをモデルとして用い、神経興奮の抑制により実際に寿命が延長すること、そしてこの過程は、RESTや線虫オルソログの転写因子により仲介されていることを実証した。RESTオルソログの機能喪失変異は、神経興奮を上昇させ、長寿命のdaf-2変異個体の線虫の寿命を短縮したのに対し、RESTオルソログの過剰発現は、野生型線虫個体の寿命を延長した。同様に、脳でのREST遺伝子の条件的欠失は、加齢マウスにおいて大脳皮質の活動やニューロンの興奮性を上昇させた。RESTやその線虫オルソログおよび神経興奮低下はいずれも、長寿命に関連するフォークヘッド型転写因子FOXO1(哺乳類)とDAF-16(線虫)を活性化させる。従って、線虫からヒトに至るまで、神経興奮の状態は、RESTや関連転写因子により調節される老化過程の中心的モジュレーターである可能性がある。



参考文献:
Zullo JM. et al.(2019): Regulation of lifespan by neural excitation and REST. Nature, 574, 7778, 359–364.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1647-8

喫煙と糖尿病

 喫煙と糖尿病に関する研究(Duncan et al., 2019)が公表されました。2型糖尿病は非喫煙者よりも喫煙者の方にずっと多く見られますが、その機序はよく分かっていません。この研究は、糖尿病関連遺伝子Tcf7l2が齧歯類の脳の内側手綱(mHb)領域で密に発現しており、そこでニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR)の機能を調節している、と明らかにしました。マウスとラットのmHbで転写因子TCF7L2シグナル伝達を阻害すると、ニコチン摂取量が増加します。ニコチンは、TCF7L2に依存してmHbを刺激することにより、血糖レベルを上昇させます。

 ウイルス追跡実験により、mHbから膵臓への多シナプス性の接続が明らかになり、ニコチン摂取経験のある野生型ラットでは、グルカゴンとインスリンの循環血中レベルが上昇しており、糖尿病に似た血糖恒常性の調節不全が見られました。これとは対照的に、Tcf7l2変異ラットは、ニコチンのこのような作用に抵抗性を示します。これらの知見から、ニコチンには手綱核–膵臓軸に対する刺激作用があり、これがニコチンの嗜癖性と糖尿病促進作用を結びつけており、TCF7L2はこの刺激作用を調節している、と示唆されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


神経科学:手綱核のTCF7L2はニコチン嗜癖と糖尿病を結び付ける

Cover Story:喫煙のシグナル:ニコチン嗜癖と糖尿病リスクの増大をつなぐニューロンのフィードバックループ

 喫煙は2型糖尿病のリスクを劇的に高めるが、こうした効果の根底にある機序はまだよく分かっていない。今回P Kennyたちは、ラットでは、ニコチンによって活性化される脳内のニューロンと、膵臓による血糖調節を結び付けるシグナル伝達回路を、転写因子TCF7L2が媒介していることを明らかにしている。著者たちは、脳の内側手綱領域のニューロンに発現するニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR)がニコチンによって活性化されると、膵臓によるグルカゴンとインスリンの放出だけでなく、ニコチンに対する有害な応答も生じることを示している。この結果、血糖レベルが上昇し、糖尿病の発症リスクが高まる。さらに、血糖レベルの上昇は、内側手綱領域のニューロンが発現するnAChRを抑制することによってフィードバックループを生み出し、喫煙に対する有害な応答を妨げるため、ニコチン嗜癖が強くなるのを助ける。TCF7L2は、シグナル伝達回路全体を変化させるので、ニコチン嗜癖と糖尿病リスクの増大とを結び付けている。



参考文献:
Duncan A. et al.(2019): Habenular TCF7L2 links nicotine addiction to diabetes. Nature, 574, 7778, 372–377.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1653-x

ゲノム編集による進化の再現

 ゲノム編集による進化の再現に関する研究(Karageorgi et al., 2019)が公表されました。適応の遺伝学的機構を特定するには、DNA塩基配列の進化と表現型と適応度の間のつながりを解明する必要があります。収斂進化は、適応形質の根底にある候補変異を特定するための指標として使用でき、また新しいゲノム編集技術は、全生物においてこれらの変異の機能的な検証を容易にしています。この研究は、これらの手法を組み合わせて、毒素である強心配糖体を産生する植物にコロニーを形成するよう独立して進化したオオカバマダラ(monarch butterfly;Danaus plexippus)など、昆虫綱の6目における収斂の典型例を検証しました。

 これらの昆虫の多くは、強心配糖体の生理的標的であるナトリウムポンプ(Na+/K+-ATPアーゼ)のαサブユニット(ATPα)において、アミノ酸置換を平行進化させました。この研究は、強心配糖体の特殊化に関連する、ATPα中の反復変化した3つのアミノ酸部位(111、119、122)が関与する変異経路について報告しています。この研究は次に、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)において天然のAtpα遺伝子にCRISPR–Cas9塩基編集を行ない、オオカバマダラ系統に起こった変異経路を再現しました。この研究は、in vivo、in vitro、in silicoで、強心配糖体に対する耐性を付与して標的部位の感受性を失わせる経路を示しています。この経路の結果、オオカバマダラのように強心配糖体に非感受性の三重変異体「monarch fly」が生じました。「monarch fly」は変態期間中に少量の強心配糖体を保持しており、これは、オオカバマダラにおいて捕食者を防ぐために最適化されてきた形質です。

 このようなアミノ酸置換が進化した順序は、エピスタシスを介して拮抗的な多面発現が軽減されることで説明されます。この研究は、オオカバマダラが、あるクラスの植物毒素に対する耐性を進化させて、最終的に捕食されにくくなり、生態学的群集内の種の相互作用の性質を変化させた仕組みを明らかにし、収斂形質の教科書的な例の起源と機能的な遺伝学的基盤について最初の包括的な解析を示すことで、進化生物学の基本的な問題に関する手掛かりを提示しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化遺伝学:ゲノム編集によりオオカバマダラの毒素耐性の進化を再現する

進化遺伝学:平行進化の経路

 収斂が自然界でこれほどよく見られるのはなぜだろうか。この現象の顕著な例の1つは、昆虫が、強力な植物毒素に対する耐性を進化させてきた機構である。例えば、強心配糖体という毒素は、通常はNa+/K+-ATPアーゼを標的とするが、昆虫綱の6つの目では、この酵素のアミノ酸置換を平行進化させることにより、このような毒素に対する耐性を獲得している。しかし2つの疑問が残っている。1つ目は、これらの繰り返し進化した4回のアミノ酸変異は耐性を付与するのに十分なのかどうか。2つ目は、これほど遠縁の昆虫に、これらの平行進化した変異が生じたのはなぜなのか、である。N Whitemanたちは今回、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)においてCRISPR–Cas9を用いて、オオカバマダラの系統で観察される変異経路の進化の順序で、この4つのアミノ酸置換のそれぞれをノックインして調べた。オオカバマダラは、これらの毒素に耐性があるだけではなく、その毒素を体内に蓄積して自己防御する種である。今回の結果は、収斂形質の教科書的な例の起源と機能的な遺伝学的基盤について最初の包括的な解析を示すことで、進化生物学の基本的な問題に関する手掛かりを示している。



参考文献:
Karageorgi M. et al.(2019): Genome editing retraces the evolution of toxin resistance in the monarch butterfly. Nature, 574, 7778, 409–412.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1610-8

乳幼児死亡率の地理的格差

 乳幼児死亡率の地理的格差に関する研究(Burstein et al., 2019)が公表されました。小児(5歳未満)の死亡は全世界で減少しており、1950年に1960万人だった死亡数が2017年には540万人となり、2017年の小児の死亡の93%は、中低所得国で起きています。国連の持続可能な開発目標(SDG)のターゲット3.2は、予防可能な小児の死亡を2030年までになくすと定めています。この目標を達成する上でかなりの進展がありましたが、地方行政区分レベルでは依然として死亡率にばらつきがあります。

 SDGのターゲット3.2に近づくには、小児の死亡率と傾向を十分に解明する必要があります。この研究は、2000年から2017年までのアフリカ・アジア・中東・北米・中南米・オセアニアの99の中低所得国の5歳未満児の死亡に関する高分解能地図を作製しました。この研究は、国レベルで、調査対象国の小児死亡率が2000年から2017年までに41%減少した、と示しています。2017年の小児の死亡数が最も多かったのはインド・ナイジェリア・パキスタン・コンゴ民主共和国ですが、それぞれの国内で死亡数の分布に偏りがありました。この研究は、地理的格差がなければ、これらの国々で2000年から2017年までに起こった小児の死亡の32%を防げた、と推定しています。さらに、研究対象地域でSDG ターゲット3.2の目標値である少なくとも1000人当たり25人という死亡率を達成していれば、2017年には推定260万人の5歳未満児の死亡を回避できた可能性がある、とこの研究は報告しています。この研究は、5歳未満児の死亡が多い地域群・死亡率削減の進捗のパターン・地理的不均衡の特定を可能にし、全人口の健康状態改善に資する適切な投資および対策に情報をもたらします。

 国連人権高等弁務官で、前チリ大統領であるバチェレ(Michelle Bachelet)氏は、小児の死亡を減らすには、病気の子供が確実に医者に診てもらえるようにすることよりも、広範な努力が必要だと主張しています。バチェレ氏は、死亡に寄与する要因とはけっきょく、病気よりも広範な困難である貧困・無力化・差別・不正の解消に失敗していることで、この研究が提示しているような確かなデータに対しては、政府と社会のあらゆる分野で対策を講じられなければならない、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【健康科学】乳幼児の死亡に関する世界地図が示す地理的格差

 低所得国と中所得国の5歳未満児の死亡率に関する詳細な世界地図が作製され、2000年から2017年までの死者数が1億2300万人と推定されていることを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、小児が5歳に満たずに死亡するリスクについて、出生地による格差がどの程度あるのかを調べた。こうした格差の原因を調べることは、全世界の予防可能な小児の死亡をなくすことを目的とした政策や公衆衛生プログラムへの有益な情報提供に資する可能性がある。

 小児の死亡は、全世界で減少しており、1950年に1960万人だった死亡数が、2017年には540万人となり、2017年の小児の死亡の93%は、中低所得国で起こっている。国連の持続可能な開発目標(SDG)のターゲット3.2は、予防可能な小児の死亡を2030年までになくすと定めている。この目標を達成する上でかなりの進展があったが、地方行政区分レベルでは、依然として死亡率にばらつきがある。

 予防可能な小児の死亡をなくすという目標の達成に近づくには、小児の死亡率と傾向を十分に解明する必要がある。この必要性に応えるため、Simon Hayたちの研究グループは、2000年から2017年までのアフリカ、アジア、中東、北米・中南米、オセアニアの99の中低所得国の5歳未満児の死亡に関する高分解能マップを作製した。Hayたちは、国レベルで、調査対象国の小児死亡率が2000年から2017年までに41%減少したことを示している。2017年の小児の死亡数が最も多かったのはインド、ナイジェリア、パキスタン、コンゴ民主共和国だが、それぞれの国内で死亡数の分布に偏りがあった。Hayたちは、地理的格差がなければ、これらの国々で2000年から2017年までに起こった小児の死亡の約3分の2を防ぐことができたと推定している。さらに、研究対象地域でSDG ターゲット3.2の目標値である少なくとも1000人当たり25人という死亡率を達成していれば、2017年には推定260万人の5歳未満児の死亡を回避できた可能性があるとHayたちは報告している。

 同時掲載のWorld Viewでは、国連人権高等弁務官のMichelle Bachelet(前チリ大統領)が、小児の死亡を減らすには、病気の子どもが確実に医者に診てもらえるようにすることよりも広範な努力が必要だと主張している。Bacheletは、「死亡に寄与する要因とは、結局、病気よりも広範な困難である貧困、無力化、差別、不正の解消に失敗していることなのである。今週号に掲載されるデータのような確かなデータに対しては、政府と社会のあらゆる分野で対策を講じられなければならない」と指摘している。


健康科学:2000~2017年に発生した1億2300万人の新生児死亡、乳児死亡、幼児死亡のマッピング

健康科学:世界の乳幼児死亡の不均衡

 多くの国々で、過去数十年間に乳幼児の生存が国家レベルで改善されてきたが、地域的な進捗には今なお大きなばらつきがある。5歳未満児(乳幼児)の予防可能な死亡を2030年までに国際連合の持続可能な開発目標(ゴール3)のターゲット3.2のとおりに減少させる取り組みに情報をもたらすため、S Hayたちは今回、地球統計学的モデルを用い、99の低中所得国の5歳未満の乳幼児に関して、2000年から2017年までの死亡率および死亡数の高分解能の地図を製作した。それらの地図から、2030年までに乳幼児死亡率を低下させることに向けた進捗の程度には、一部の国では、いまだに大きな地理的不均衡が存在することが明らかになった。死亡率の高い地域、死亡率削減の進捗の代表例、地理的不均衡を特定することにより、研究チームは、究極的にはさらに的を絞った介入および公衆衛生投資に情報をもたらすことになると期待している。



参考文献:
Burstein R. et al.(2019): Mapping 123 million neonatal, infant and child deaths between 2000 and 2017. Nature, 574, 7778, 353–358.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1545-0

口蓋の差と母音の進化

 口蓋の差と母音の進化に関する研究(Dediu et al., 2019)が公表されました。言語は、文法や語だけでなく音も異なります。これまでの研究では、言語の進化に対する文化的および環境的な影響に焦点が合わせられており、声道の構造に差異があっても、言語の多様性にはほとんど影響はない、と考えられてきました。この研究は、ヒトの口蓋の形状が、異なる語族で聞かれる5つの母音の発音にどのように影響を及ぼすかについて調べました。

 4つの広域の民族言語グループ(ヨーロッパ人およびヨーロッパ系の北米人、北インド人、南インド人、中国人)を代表する被験者107人のMRIスキャンに基づくコンピューターモデルを用いた結果、全てのグループにおける硬口蓋のさまざまな形状が、5つの母音全ての音響および調音のわずかな差を生む、と明らかになりました。この研究はさらに、そうした個人レベルの発話の特異性は、世代を経るごとにさらに大きくなった可能性がある、と示しています。この研究は、言語の進化に声道の構造が果たす役割を深く理解するためには、さらなる研究が必要だと指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


口蓋の差が、母音の進化を方向付けてきた可能性

 ヒトの口蓋の形状は、異なる言語集団にわたる小さな系統的な発話パターンに影響を及ぼしている可能性のあることを示した論文が、今週掲載される。

 言語は、文法や語だけでなく音も異なる。これまでの研究では、言語の進化に対する文化的および環境的な影響に焦点が合わせられていた。声道の構造に差異があっても、言語の多様性にはほとんど影響はないと考えられてきた。

 今回Dan Dediuの研究チームは、ヒトの口蓋の形状が、異なる語族で聞かれる5つの母音の発音にどのように影響を及ぼすかについて調べた。4つの広域の民族言語グループ(ヨーロッパ人およびヨーロッパ系の北米人、北インド人、南インド人、中国人)を代表する被験者107人のMRIスキャンに基づくコンピューターモデルを用いた結果、全てのグループにおける硬口蓋のさまざまな形状が、5つの母音全ての音響および調音のわずかな差を生むことが明らかとなった。Dediuたちはさらに、そうした個人レベルの発話の特異性は、世代を経るごとにさらに大きくなった可能性があることを示している。

 研究チームは、言語の進化に声道の構造が果たす役割を深く理解するためには、さらなる研究が必要だと結論している。



参考文献:
Dediu D, Janssen R, and Moisik SR.(2019): Weak biases emerging from vocal tract anatomy shape the repeated transmission of vowels. Nature Human Behaviour, 3, 10, 1107–1115.
https://doi.org/10.1038/s41562-019-0663-x

以前の見解よりも早期に起きていたマヤ社会における暴力的な争い

 マヤ社会における暴力的な争いについての研究(Wahl et al., 2019)が報道されました。古典期(紀元後250~950年)におけるマヤ社会の争いについてはこれまで、儀式的なものであり、その範囲は限定的だと見なされてきました。一方で、古典期末期(紀元後800~950年)における暴力的な争いの証拠は、マヤ文明の崩壊を促進した、争いの段階的拡大と解釈されてきました。に広範な争いが生じていたことを明らかにしています。

 この研究は、古典期末期よりかなり早い時期となる紀元後697年5月21日に、ウィツナル(現在のグアテマラ北部)が2回にわたって攻撃を受けて焼き払われたと記された、ウィツナル南部に位置する古代マヤ都市ナランホで発見されたエログリフで刻まれた碑文を解析しました。その結果、この碑文は、紀元後7世紀の最後の10年の間に起きた大規模な火災により生じた、ウィツナル近くの湖で見つかった明瞭な炭化層を有する古環境的な証拠と結びつけられました。ウィツナル全域にわたって主要なモニュメントが広範に破壊・焼失したという考古学的証拠も、この結びつきを支持します。堆積物の分析からは、この火災事象後に土地利用の急激な減少が生じたと明らかになり、攻撃がウィツナルの人々に深刻な悪影響を及ぼした、と示唆されました。

 この知見は、極端な暴力的な争いは古典期末期に限定的なものであり、環境ストレスや限られた資源をめぐる競争の高まりの結果として生じたものである、という従来の説に疑問を投げかけています。マヤ低地における繁栄と芸術的洗練の頂点とされる時期に、人々の間で都市の広域の崩壊につながる暴力的な争いが繰り広げられていたのではないか、というわけです。今後は、より広範な地域での研究の進展が期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


マヤ社会における暴力的な争いは、考えられていたよりも早くから起こっていた

 マヤ低地で、繁栄と芸術的洗練のピークとされる時期に、人々の間で過激な争いが起きていたことを示す証拠について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究から、マヤ社会では、従来考えられていたよりも早い時期に、都市の広域の崩壊につながる暴力的な争いが繰り広げられていたことが示唆される。

 古典期(西暦250~950年)におけるマヤ社会の争いについてはこれまで、儀式的なものであって、その範囲は限定的だと見なされてきた。一方で学者たちは、古典期末期(西暦800~950年)における暴力的な争いの証拠を、マヤ文明の崩壊を促進した、争いの段階的拡大と解釈してきた。

 今回、David Wahlの研究グループは、マヤ社会では、古典期末期よりかなり早い時期に広範な争いが生じていたことを明らかにしている。Wahlたちは、西暦697年5月21日にウィツナル(現在のグアテマラ北部)が2回にわたって攻撃を受けて焼き払われたと記された、ウィツナル南部に位置する古代マヤ都市ナランホで発見されたヒエログリフで刻まれた碑文を解析した。そして、彼らは、この碑文を、西暦7世紀の最後の10年の間に起きた大規模な火災によって生じた、明瞭な炭化層を有するウィツナル近くの湖で見つかった古環境的な証拠と結び付けた。ウィツナル全域にわたって主要なモニュメントが広範に破壊・焼失したという考古学的証拠も、この結び付きを支持するものである。堆積物の分析からは、この火災事象後に土地利用の急激な減少が生じたことが明らかになり、攻撃が、ウィツナルの人々に深刻な悪影響を及ぼしたことが示唆された。

 今回の知見は、極端な暴力的な争いは古典期末期に限定的なものであって環境ストレスや限られた資源をめぐる競争の高まりの結果として生じたものである、という従来の説に疑問を投げ掛けるものだと、Wahlたちは述べている。



参考文献:
Wahl D. et al.(2019): Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya. Nature Human Behaviour, 3, 10, 1049–1054.
https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x

ドイツ南部の青銅器時代の社会構造(追記有)

 ドイツ南部の青銅器時代の社会構造に関する研究(Mittnik et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。古代DNA研究により、ヨーロッパ中央部における先史時代の遺伝的変化が明らかにされてきました(関連記事)。しかし、その社会構造に関しては、未解明の点が多く残されています。考古学では、前期青銅器時代には、豪勢な墓が確立していったことから、階層的な社会的構造が進展した、と考えられています。同位体分析では、広範な地域にわたる長期の族外結婚ネットワークの存在が示唆されています。

 本論文は、後期新石器時代から中期青銅器時代までの、小さな農場が密集するドイツ南部のレヒ川渓谷における、高解像度の遺伝的・考古学的・同位体データを提示します。本論文は、これらレヒ川渓谷の後期新石器時代~中期青銅器時代遺跡群の104人のゲノム規模データを生成し、約120万ヶ所の一塩基多型データでその遺伝的系統と親族家系を推定されました。この時期のレヒ川渓谷の文化的区分は、紀元前2750~紀元前2460年頃の縄目文土器文化(Corded Ware culture、CWC)、紀元前2480~紀元前2150年頃の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)、紀元前2150~紀元前1700/1500年頃の前期青銅器時代、紀元前1700~紀元前1300年頃の中期青銅器時代(MBA)となります。後期新石器時代~中期青銅器時代レヒ川渓谷集団(以下、レヒ川渓谷集団)の遺伝的データは、993人の古代人および1129人の現代人と比較されました。また、レヒ川渓谷の後期新石器時代~中期青銅器時代の139人のストロンチウムおよび酸素同位体データが得られ、生涯の移動履歴が推定されました。

 レヒ川流域集団は遺伝的にはヨーロッパ集団の範囲内に収まり、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の青銅器時代牧畜民と中期新石器時代および銅器時代ヨーロッパ人の間に位置します。レヒ川流域集団の古代系統は、青銅器時代以降の多くのヨーロッパ集団と同様に、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統とアナトリア農耕民系統とポントス-カスピ海草原の牧畜民であるヤムナヤ(Yamnaya)系統の混合として表されます。レヒ川流域集団では、BBCから中期青銅器時代にかけて次第にアナトリア農耕民系統の割合が増加しており、新石器時代以来のヨーロッパの在来集団と、後期新石器時代以降となるポントス-カスピ海草原からの外来集団(ヤムナヤ系集団)との混合の進展を示します。

 CWC 集団ではX染色体と比較して常染色体でヤムナヤ系統の割合が顕著に高いことから、ヤムナヤ系の割合の高い集団と在来集団との当初の混合は、前者の男性と在来集団の女性に偏っていた、と示唆されます。これは、後期新石器時代~青銅器時代にかけてのヨーロッパにおけるヤムナヤ系集団の拡大では男性が主体だった、とする以前の見解と一致します(関連記事)。しかし、後のレヒ川流域集団ではこうした性的偏りは観察されていません。レヒ川流域集団男性のY染色体ハプログループ(YHg)は、ほとんどが紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部および西部で高頻度のR1b1a1b1a1a2で、ヤムナヤ系統を有するCWC 集団の拡散に由来すると推測されます。このCWC 集団がヨーロッパ中央部に拡散してきて定着し、ヤムナヤ系統の割合の低い在来集団との混合が次第に進展していった、と考えられます。

 ストロンチウムと酸素の同位体比は、男性と未成年よりも女性において外来者が多かたことを明らかにします。これは、男性が出生地に居住し続けたか、出生地に埋葬されるという父方居住制を示唆します。すでに以前の研究では、後期新石器時代~前期青銅器時代のレヒ川渓谷において父方居住の配偶形態と、知識の伝達における女性の役割が指摘されており(関連記事)、本論文は以前の研究を改めて確認し、さらに詳しく解明しています。ただ、成人男性のうち3人は例外的で、思春期に出生地を離れ、成人になると帰郷した、と推測されます。外来の女性は、思春期もしくはその後にレヒ川流域に到来した、と推測されます。

 レヒ川渓谷集団の血縁関係も推定され、2世代が3家系、4世代が1家系、5世代が2家系です。10組の親子関係のうち、母親と子供の組み合わせは6組で、子供は全員男性でした。また、10組の親子関係のうち、9人の子供は成人でした。これは、息子ではなく娘が出生地を離れた、と示唆しており、同位体比から推測される父系的な族外婚と一致します。ミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づくと、レヒ川渓谷集団では母系が継続しなかったのに対して、父系は4~5世代続いたと推定されます。さらに、YHgで支配的なR1b系統に分類されない男性は、同じ墓地に近親の被葬者がいないことも明らかになりました。

 副葬品では、男性における短剣や斧や鏃といった武器と、女性における銅製頭飾・太い青銅製足輪・装飾された銅製ピンなどといった精巧な装飾品は、おそらく社会的地位と関連しており、豊かな副葬品はその家系の富と地位を示す、と考古学では指摘されています。前期青銅器時代のレヒ川渓谷集団の墓地では、複数世代にわたる家系で男女双方ともに副葬品の顕著な蓄積が見られます。これを男女に分けて分析すると、この相関は男性で顕著です。武器は、親族のいない男性の墓地よりも、親族のいる男性の墓地で顕著に多く残っています。WEHR遺跡では、16人のうち母親と息子2人の計3人のみに副葬品が備えられており、富と地位が両親から子供へと継承されていたことを示唆します。成人間近の個体でも副葬品が充実しており、社会的地位は、自らの活動により獲得していくというよりもむしろ、出自により継承されることを示唆します。中核的家族は通常、隣接して埋葬されており、社会的つながりが強調されています。POST遺跡では、副葬品の高い地位は墳墓の建設と木製の柱により強調されます。これは、中核的家族への所属と精巧な形式の埋葬とのつながりを示唆します。

 各データを総合すると、埋葬者は、血縁関係があり副葬品の豊富な個体群と、それとは異なる2集団が識別されました。この2集団の構成員は、中核的家族とともに各農場で居住していた、と推測されています。その一方は外来の女性で、プレアルプス低地を越えてレヒ川流域に到来した個体もいます。これらの女性は血縁関係があり副葬品の豊富な個体群と血縁関係にはありませんが、そのほとんどで副葬品が豊富でした。もう一方は、他の個体群と血縁関係がなく、副葬品も乏しい個体群です。血縁関係のある副葬品の豊富な集団、血縁関係のない副葬品の豊富な集団、血縁関係のない副葬品の乏しい集団という3集団の間では、古代系統の顕著な違いは見られませんでした。豊かな副葬品と血縁関係を考慮すると、異なる地位および血縁関係の人々はおそらく同じ農場に居住し、複雑で社会的に階層化された組織だっただろう、と本論文は推測しています。復元された家系図と改善された個人の直接的推定年代を考慮すると、POSTの墓地では、家系全体の年代は233~169年になる、と本論文は推測しています。

 古代の家族構造と社会的不平等の調査は、古代の人類集団の社会的組織の理解に重要となります。これまで、前期青銅器時代における社会的地位の違いは、多数の小作農と少数の傑出した支配層として推測されてきました。この支配層は、裕福な農民もしくは広大な地域あるいは集団を社会的・経済的に支配した王および王族と考えられてきました。本論文は、前期青銅器時代における社会的不平等の異なる形態を示します。それは、富と地位を子孫に継承するより高い地位の核となる血縁関係にある構成員と、血縁関係になく裕福で地位の高い外来女性と、地元出身で地位の低い個体群から構成される複雑な家族構造です。本論文は、こうした社会構造が700年以上という長期にわたって安定的に継続した、と推測しています。

 副葬品の比較に基づくと、高い地位の外来女性の何人かは、レヒ川渓谷から少なくとも350km東方となる現在のドイツ東部やチェコ共和国に存在した、ウーニェチツェ(Únětice)文化集団から到来しました。ドイツ南部のほとんどの前期青銅器時代の証拠はレヒ川渓谷遺跡群とたいへん類似しており、レヒ川渓谷のような社会的構造はずっと広範な地域に存在した、と本論文は推測しています。さらに本論文は、前期青銅器時代レヒ川渓谷集団の社会構造は、血縁関係にある人々と奴隷から構成される、古典期ギリシアやローマの家族制度と類似しているように見える、と指摘します。ただ、使用人的なそうした社会構造は、古典期よりもずっと前に存在していたのではないか、というわけです。本論文は、学際的な方法で先史時代の社会構造を明らかにしています。伝統的な個別の方法では解明の難しい先史時代の社会構造も、学際的な方法ではかなりの程度分かるようになる可能性を提示したという意味で、本論文は注目されますし、こうした方法が広く用いられ、研究が大きく進展するだろう、と期待されます。

 本論文は、前期青銅器時代のドイツ南部において、すでに社会的地位と富が出自に基づいて継承されており、階層化社会が確立していた、と示します。社会的地位の高い家系の女性は、外部の集団に送り出されて地位の高い家系の男性と結婚し、地位の低い人々は配偶機会に恵まれないか、そもそも墓地に埋葬されることが少なかった、と考えられます。また本論文は、前期青銅器時代のドイツ南部の社会が父系的だったことも示しています。社会的地位の上下で古代系統の割合が大きく変わらないことと、地位の低い男性のYHgが支配層のR1b系統とは異なっていることから、ヤムナヤ系統の割合の高い外来集団、おそらくはCWC集団が男性主体で征服者としてドイツ南部に拡散してきて、その男系子孫が高い社会的地位を確立して継承していった一方で、在来の男系子孫は社会低層に追いやられ、配偶機会も少なくなっていった、と推測されます。

 こうした父系的社会は世界各地で珍しくありませんが、現生類人猿が現代人の一部を除いてすべて非母系社会を形成することから、人類は元々母系社会で、「社会的発展」により父系社会に移行した、という説明は根本的に間違っている、と私は考えています(関連記事)。この問題についてはまだ勉強不足なので明快には述べられないのですが、類人猿はずっと非母系社会を形成しており、ヒト・チンパンジー・ゴリラの最終共通祖先の時点で時として父系的な構造の社会へと移行し、チンパンジー系統では明確な父系社会へと移行し、ヒト系統では、父系に傾いた非母系社会から、双系的な社会を形成していったのではないか、と考えています。そうした中で、母系に特化した社会も形成されたのであり、母系社会は人類史においてかなり新しく出現したのではないか、というのが現時点での私の見解です。


参考文献:
Mittnik A. et al.(2019):Kinship-based social inequality in Bronze Age Europe. Science, 366, 6466, 731–734.
https://doi.org/10.1126/science.aax6219


追記(2019年10月17日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

ヤグノブ人の遺伝的歴史

 ヤグノブ人(Yaghnobis)の遺伝的歴史に関する研究(Cilli et al., 2019)が公表されました。アジア中央部は長きにわたって人類集団・遺伝子・言語・文化・商品の重要な経路・交差点となってきました。アジア中央部の歴史は、異なる人類集団の大規模な移動により特徴づけられ、最終氷期極大期(LGM)後に活発化し、新石器時代と青銅器時代にかなりの程度に達し、古代および中世までじょじょに増加していきました。アジア南部とヨーロッパには、青銅器時代にユーラシア中央部の草原地帯より遊牧民集団が拡大し、大きな遺伝的影響を残した、と推定されています。中世にはテュルク系の大移動やモンゴルの急速な拡大もありましたが、その激しい人類集団移動のため、アジア中央部の歴史の大半は複雑で未解明の点も多く、議論が続いています。

 このように複雑な形成史を有するアジア中央部集団の中で、ヤグノブ人は民族言語的および遺伝的観点の両方からひじょうに注目されています。ヤグノブ人は、中期イラン諸語の一つであるソグド語の直系と考えられているヤグノブ語話者なので、古代の遺伝的構成を保持しているのではないか、とも推測されていますが、ヤグノブ語の文献は19世紀後半までしかさかのぼらず、未解明の点が少なくありません。現在、ヤグノブ人は孤立した民族言語集団で、海抜2200~2600mに位置するタジキスタンのザラフシャン渓谷(Zarafshan Valley)上流のヤグノブ川(Yaghnob River)沿いに、歴史的に居住してきました。ただ、ソ連統治時代に一部が移住させられたこともありました。ヤグノブ川の上流はかなりの降雪量とネメトコン(Nemetkon)村以後の道路の欠如のため、1年のうち数ヶ月は事実上通行不能となります。

 地理的な孤立により、ヤグノブ川流域の人々は独自の言語・文化・生活様式とおそらくは遺伝的構成を何世紀にもわたって維持してきた、とも考えられます。ヤグノブ人は遺伝的に、イスラム教拡大前のイラン人と関連しているかもしれないとしても、今はイスラム教徒です。ヤグノブ人は現在500人未満と推定されており、21の村に居住し、農耕で生計を立てています。これまで、ヤグノブ人の遺伝的歴史はじゅうぶんには調査されておらず、標本数や精度に問題がありました。また、ヤグノブ渓谷外のヤグノブ人が調査対象となったことも本論文は指摘しています。本論文は、ヤグノブ川流域のヤグノブ人88人(ヤグノブ川流域のヤグノブ人の約2割)のDNAを解析し、常染色体だけではなくミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも対象として、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)を決定しました。

 mtDNAの分析では、アジア中央部集団はおおむねアジア東部集団と中東の中間に位置します。また、アジア中央部集団とアジア南部集団との違いも明確に示されます。しかし、ヤグノブ人は近隣のタジク人などアジア中央部の他集団とは異なり、中東集団に近縁です。ヤグノブ人のmtHgでは、ユーラシア西部集団に多いH(19.1%程度)とHV(38.2%程度)が多く、ユーラシア西部には基本的に見られないmtHg-Mの派生系統がほとんど存在しません。

 Y染色体DNAの分析でも、ヤグノブ人はタジク人などアジア中央部集団とは異なる分布を示し、アジア中央部集団と中東集団の間に、分散して位置づけられます。ヤグノブ人のYHgでは、中東に典型的なJ2とヨーロッパ東部およびアジア中央部に典型的なR1aがそれぞれ約30%ずつ、ヨーロッパ西部に多くアジア東部で欠けているR1bが約21%、多くのサブハプログループの祖となるKが約12%を占めます。ヤグノブ人のYHgではその他に、おもにアフリカや中東で見られるE1b1bもわずかながら見られます。

 常染色体の一塩基多型の分析では、ヤグノブ人は個体内のホモ接合性のひじょうに高い水準を示しました。これはミトコンドリアやY染色体と同じく多様性の減少を示しており、ヤグノブ人が長期にわたって孤立し、強い遺伝的浮動を経験した、という仮説のさらなる証拠となります。古代人を除いた場合、常染色体ではヨーロッパ集団からアジア東部集団への大まかな勾配が示され、ヨーロッパ集団とアジア南部集団も区別されます。ヤグノブ人はイラン人とタジク人(テュルク系)との中間に位置し、何人かはタジク人とわずかに重なります。ヤグノブ人に関しては全体的に、常染色体のデータはミトコンドリアのデータよりもY染色体のデータの方と一致します。

 古代人のゲノムデータも参照すると、ヤグノブ人の系統のうち新石器時代イラン系統が平均して44%を占め、これは現代イラン人の46%とほぼ同じです。しかし、ヤグノブ人と現代イラン人とでは古代人系統の比率の明確な違いも見られ、前期~中期青銅器時代草原地帯系統がヤグノブ人では32%にたいして現代イラン人では11%、新石器時代アナトリア農耕民系統がヤグノブ人では8%にたいして現代イラン人では25%を占めます。タジク人は現代イラン人よりもヤグノブ人に近いものの、集団内ではかなりの変異を示します。たとえば、アジア東部系の比率では、一部のタジク人がヤグノブ人よりも高いのにたいして、他のタジク人はヤグノブ人と同程度です。ヤグノブ人とタジク人のおもな違いはアジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いで、ヤグノブ人ではそれぞれ10%と44%にたいして、タジク人ではそれぞれ21%と30%になります。ヤグノブ人とタジク人は相互にユーラシアの他の集団とよりも類似しており、これは両者の間の最近の遺伝子流動を反映している、と推測されます。

 本論文は、mtDNAとY染色体および常染色体の一塩基多型を用いて、ヤグノブ人の歴史を推測しました。上述のように、ヤグノブ人は母系ではおもにユーラシア西部系となり、中東集団との古代のつながりを示します。これは、ヤグノブ人の長期の孤立と、男性に偏っていた稀な遺伝子流動事象が比較的最近起きたことを示唆します。言語学でも、ヤグノブ語はイラン語群に位置づけられます。男性に偏っていた遺伝子流動は、ヤグノブ人のY染色体が中東集団よりもアジア中央部集団と近い関係を示すことでも特徴づけられます。ただ、上述のようにヤグノブ人は父系でも他のアジア中央部集団と明確に区別できる特徴を示すため、その形成史は複雑です。こうした特徴は、ヤグノブ人における孤立の影響の可能性を示します。

 Y染色体やミトコンドリアといった片親性の遺伝的パターンは、小さな効果の集団規模によりある程度歪められるかもしれないので、本論文は常染色体全体を調査しました。上述のように、その結果、常染色体のデータはmtDNAのデータよりもY染色体DNAデータの方と一致します。常染色体データでは、ヤグノブ人はアジア中央部集団と中東集団との間に位置しますが、さらに、イラン人よりもタジク人の方に近縁と示されています。これは上述のように、イラン人と比較してヤグノブ人の方でアナトリア農耕民系統の割合が低く、逆に前期~中期青銅器時代草原地帯系統の割合ではイラン人の方がタジク人よりも低いことを反映しています。ただ、イラン人のデータがイラン全体の集団を反映しているのか、という問題が残っている、と本論文は注意を喚起します。ヤグノブ人とタジク人の類似性は示されていますが、上述のように、アジア南部系統と新石器時代イラン系統の割合の違いは、ヤグノブ人とタジク人が遺伝的に明確に区別できることを示しており、これはヤグノブ人の長期的な孤立による古代の遺伝的構成の保存を反映している、と推測されます。

 アジア中央部集団におけるアジア東部系の遺伝的影響の原因としては、テュルク系やモンゴル系の東進が想定されます。ヤグノブ人に見られるアラブ系集団との混合に関して、本論文はイスラム教勢力のアジア中央部への拡散との関連を推測しています。また、サハラ砂漠以南のアフリカ系の遺伝的影響が、イスラム勢力による奴隷貿易の結果として中東とアジア中央部にもたらされた可能性も指摘されています。北アメリカ大陸の事例もそうですが(関連記事)、遺伝学は過去の奴隷貿易の痕跡を示す方法も提供できます。

 ヤグノブ人は、近隣のタジク人集団との最近の遺伝子流動を除いて、長期的に孤立していたか、他のアジア中央部集団との遺伝子流動の水準が低かった、と推測されます。これは、上述した孤立しがちな地形での居住と一致しており、ヤグノブ人が遺伝的・言語的に長期にわたって独特な性格を維持し続けた理由と考えられます。しかし本論文は、ヤグノブ人の遺伝的構成から、かつてヤグノブ人の母体となった集団は広範な地域に存在していただろう、と推測しています。その中から、ヤグノブ人の直接的な祖先集団は孤立した地域に定住したため、その後の大規模な人類集団の移動の影響をあまり受けず、古代の遺伝的構成を比較的よく保持していただろう、というわけです。より詳細なヤグノブ人の歴史は、アジア中央部、とくにソグド人居住地の古代DNA研究により明らかになっていくだろう、との見通しを本論文は提示しています。


参考文献:
Cilli E. et al.(2019): The genetic legacy of the Yaghnobis: A witness of an ancient Eurasian ancestry in the historically reshuffled central Asian gene pool. American Journal of Physical Anthropology, 168, 4, 717–728.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23789

中国のフェイ人(回族)の遺伝的起源

 中国のフェイ人(Hui)の遺伝的起源に関する研究(Wang et al., 2019B)が公表されました。フェイ人(回族)おもにイスラム教徒により構成され、中国全土に分布しており、中国において公認された56の民族集団の一つです。フェイ人の起源と多様化については、大規模な人類集団の移動を伴うものなのか、それとも単純な文化伝播だったのか、長く議論が続いています。文献によると、中国にイスラム教が流入してきたのは唐代で、それ以降、多くの兵士・商人・政治的使者が、アジア中央部やアラビア半島やペルシアからおもにシルクロード経由で中国へと移住してきました。現在の中国のイスラム教徒はこうした移民の子孫と考えられています。現在、フェイ人の大半は漢人の言語(中国語)を話しますが、その文化はイスラム教の信仰と実践のため漢人とは明確に異なります。たとえば、フェイ人はイスラム教の戒律にしたがって豚肉を食べず、白い帽子もしくはスカーフを着用します。

 遺伝的証拠からは、フェイ人の起源がおそらくは在来のアジア東部集団の大規模な融合を含む、と示唆されます。父系となるY染色体の縦列型反復配列(STR)分析は、中国北東部の遼寧省(Liaoning)と中国北西部の寧夏(Ningxia)回族自治区のフェイ人との、シナ・チベット語族話者アジア東部集団との類似性を示唆します。中国北西部の甘粛省(Gansu)のフェイ人の常染色体STRに関する研究もまた、中東もしくはヨーロッパからフェイ人への実質的な遺伝子流動の証拠を示しません。中国北西部の新疆(Xinjiang)ウイグル自治区のフェイ人では、ユーラシア西部人起源の母系ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の割合はわずか6.7%です。中国北部だけではなく、中国南部に関する以前の研究もまた、フェイ人とアジア東部在来集団との類似性を示しており、たとえば海南省(Hainan)の回輝語(Utsat)フェイ人はチャンパ王国の住民の子孫と考えられていますが、遺伝的にはチャム人(Cham)や他のアジア南東部集団よりもずっと、海南省在来のリー(Hlai)集団の方と近縁です。身体測定の証拠もまた、フェイ人と多くのアジア東部集団との近縁性を示唆しており、たとえば、甘粛省(Gansu)と寧夏回族自治区のフェイ人は、アジア東部集団共通の身体的特徴を有しています。

 本論文は、限られた遺伝的マーカーと不充分な標本抽出だった以前の遺伝的研究では、フェイ人イスラム教徒におけるユーラシア東西の混合に明確な答えを提示できなかった、と指摘します。そのため本論文は、中国全体の23のフェイ人集団から近い親族関係にない621人の男性に関して、100ヶ所以上のY染色体の一塩基多型と、17ヶ所のY染色体STRを分析しました。その結果は、フェイ人全体の父系ではアジア東部集団特有の系統が大半を占めるものの、ユーラシア西部のさまざまな地域と関連した多様な系統との混合の痕跡も見られる、と明らかになりました。

 フェイ人の男性621人のY染色体ハプログループ(YHg)は、C・D1・N・O・E・F・G・H1a・I・J・L・Q・R1・Tと多様です。フェイ人23集団では、それぞれYHgの割合は大きく異なっています。YHg-O・C・D1・Nは南方起源と推定され、アジア東部における南方から北方への経路を示します。これら4YHgはアジア東部および南東部集団では92.87%を占めているので特有の系統と考えられており、ユーラシア西部ではヨーロッパ北部の高頻度のYHg-Nを除いてほとんど存在しません。これら4YHgは本論文の調査対象のフェイ人集団でも一般的で、フェイ人全体では69.73%を占めます(フェイ人の各集団単位の割合を平均すると74.25%です)。フェイ人のユーラシア東部YHgの割合は、泰安市(Tai'an)では50%で、桂林市(Guilin)と温州市(Wenzhou)と玉環市(Yuhuan)では100%となります。漢人との遺伝的類似性を示すYHg-C・O1a1・O2a1b(旧O3a1c)・O2a2b1(旧O3a2c1)・O2a2b1a1(旧O3a2c1a)のフェイ人集団における頻度は、それぞれ8.21%・5.64%・12.2%・11.3%・9.66%となります。YHg-O1b2(旧O2b)はほぼ日本と韓国でしか見られず、フェイ人全体では3.54%となります。YHg-O1b2は中国東岸の江蘇省(Jiangsu)高郵市(Gaoyou)のフェイ人集団で37.5%の割合を示します。この高郵市フェイ人集団におけるYHg-O1b2の割合は同じ地域の漢人よりも高く、漢人全体では0.3%にすぎません。YHg-O1b2は、以前はユーラシア東部で広範に見られたものの、漢人ではおおむね駆逐されてしまい、日本と韓国でしか高頻度で見られない、ということでしょうか。

 ユーラシア西部集団特有のYHg-J・R1は、フェイ人ではそれぞれ7.88%と13.36%となります。YHg-Jはおそらく中東に起源があり、アフリカ北部・ヨーロッパ・アジア中央部および南部に拡散していきました。YHg-J1はおもにアフリカ北部とレヴァントに分布しており、フェイ人全体では1.77%となります。YHg-J2の起源はおそらく肥沃な三日月地帯にあり、新石器時代農耕民の拡大に続いて地中海へと拡散し、フェイ人全体では5.79%を占めます。YHg-R1・R2aはユーラシア西部とアジア南部および中央部に広く分布し、フェイ人全体では12.39%を占めます。YHg-R2aはおもにアジア南部および中央部に存在し、フェイ人全体では0.97%を占め、本論文の調査対象では山東省(Shandong)済南市(Jinan)のフェイ人集団でのみ確認されました。

 ユーラシア西部では比較的高頻度で見られるものの、アジア東部では稀なYHg-E・F・G・H1a・I・L1a1・L1a2・Tもフェイ人では確認されます。YHg-Qはフェイ人全体では3.54%を占め、漢人の割合(3.3%)とほぼ同じです。フェイ人全体ではユーラシア西部系YHgは約30%を占めます。上述のように、ユーラシア西部関連YHgはフェイ人の各集団により割合が大きく異なります。桂林市・温州市・玉環市・永順県(Yongshun)のフェイ人集団ではユーラシア西部関連YHgが見つかりませんでしたが、寧夏回族自治区・大理市(Dali)・松潘県(Songpan)・平頂山市(Pingdingshan)・洛陽市(Luoyang)のフェイ人集団では約40%を占めます。ユーラシア西部では比較的高頻度のYHg-E・F・G・H1a・I・J・L・Q・R1.Tは、フェイ人では各集団により割合が大きく異なります。たとえば、YHg-Eは中国南西部の雲南省(Yunnan)では高頻度ですが、YHg-Tは天津市(Tianjin)でのみ確認されています。フェイ人におけるこれら多様なユーラシア西部系統の散在的分布は、フェイ人の各集団の起源が中東・ヨーロッパ・アジア南部および中央部と多様だったことを示唆します。

 本論文は、中国のフェイ人の父系の歴史に関する包括的調査結果を提示しました。本論文は、フェイ人がユーラシア西部集団から父系で遺伝的影響を受けた、と示します。フェイ人の父系におけるユーラシア西部系の割合は約30%となります。一方、現代のフェイ人の遺伝的構造は、フェイ人の父系で大半(約70%)を占める在来のアジア東部人口(集団)によりおもに形成された、と示します。アジア東部および南東部特有で、漢人では高頻度のYHg-Oはフェイ人の54.9%を占め、在来アジア東部人口(集団)の大規模同化(融合)を含むフェイ人の起源を示唆します。

 YHgに基づくフェイ人集団の全体的な位置づけは、アジア南部および中央部集団とともに、ユーラシア西部集団とアジア東部集団の中間に位置づけられ、フェイ人集団がアジア東部人およびユーラシア西部人と類似性を有する、というYHg分類に基づく観察と一致します。しかし、フェイ人では父系と母系で不一致が見られる集団も存在します。新疆ウイグル自治区のフェイ人では、ユーラシア西部関連YHgは35.29%を占めますが、ユーラシア西部関連mtHgは6.7%にすぎません。また、Y染色体と比較して、常染色体STRではユーラシア西部集団からの遺伝子流動の痕跡の高い割合も見つかりませんでした。したがって、フェイ人の混合は、おそらく男性に偏っていた、と推測されます。

 こうした移住のさいの性差は他地域でも見られます(関連記事)。こうした性差パターンは中国南部漢人やチベット・ビルマ語派集団でも観察されますが、フェイ人ほど極端ではありません。本論文はこれに関して、二つの理由を提示しています。まず、アジア中央部・アラビア半島・ペルシアから中国へ移住してきて最初にフェイ人を形成したのは、兵士・商人・政治的使者で、おもに男性だったからです。第二は、フェイ人の配偶制度です。フェイ人はおもに自集団内で結婚する内婚制を実施しており、通常は漢人女性がフェイ人男性と結婚するさいにイスラム教に改宗するような、性的に偏った配偶パターンを示します。ただ、新疆ウイグル自治区のフェイ人集団で見られる性的に偏った配偶パターンは、比較のmtDNAデータがないため、フェイ人全体に当てはまるのか、不明だと本論文は注意を喚起しています。本論文の成果はたいへん興味深いものですが、フェイ人の形成史をよりよく理解するには、やはり古代DNA研究が必要となり、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Wang CC. et al.(2019B): The massive assimilation of indigenous East Asian populations in the origin of Muslim Hui people inferred from paternal Y chromosome. American Journal of Physical Anthropology, 169, 2, 341–347.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23823

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第39回「懐かしの満州」

 1945年5月、古今亭志ん生(美濃部孝蔵)は三遊亭圓生とともに満洲に慰問に行きます。その志ん生と圓生を、兵士として満洲にいた小松勝が訪ねてきます。小松は志ん生に、落語での走る場面がおかしいと指摘し、志ん生は激怒します。志ん生と圓生は当初1ヶ月の滞在予定でしたが、船の燃料不足のため、滞在を続けるうちにソ連が侵攻してきて、志ん生と圓生は軍隊から脱走した小松とともに大連まで逃亡します。小松は大連でソ連軍兵士に見つかり、逃亡しようとして射殺されます。

 今回はほぼ古今亭志ん生の話となりましたが、やっと落語部分と本筋が本格的につながったように思います。確かに、美川との大連での再会も含めてなかなか上手く計算された話の構造になっていたとは思いますが、正直なところ、深く感銘を受けるところまではいきませんでした。本作の視聴率低迷の一因は、落語部分と本筋の分離にあると私は考えていますが、やはりここが本作の欠陥になっているかな、との印象は残念ながら変わりませんでした。それでも、私にとっては全体的に、本作は大河ドラマ史上でも上位との評価は変わりません。最近は暗い話が続きましたが、次回以降は復興と1964年の東京オリンピックに向けて明るい方向へと変わっていくでしょうから、楽しみです。

スカンジナビア半島の戦斧文化集団の遺伝的起源

 スカンジナビア半島の戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)集団の遺伝的起源に関する研究(Malmström et al., 2019)が報道されました。まず、本論文で取り上げられるおもな文化の略称を先に記載しておきます。戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)、縄目文土器文化(Corded Ware culture、CWC)、鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)、円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)、単葬墳文化(Single Grave Culture、SGC)、櫛目文土器文化(Combed Ceramic Culture、CCC)。

 紀元前3000年頃に、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の牧畜民がヨーロッパ中央部へと拡散していき、その影響力は現代ヨーロッパ人に強く残っています。これはヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡大によるものと考えられており、ヨーロッパ各地で多様な文化集団を形成していきました。ヤムナヤ文化集団の拡大範囲の北西部では、縄目文土器文化(Corded Ware culture、CWC)がその代表例で、ヨーロッパ北部および中央部に紀元前3000~紀元前2000年前頃に分布していました。しかし、CWCの形成におけるヤムナヤ文化集団の移住の影響に関しては、文化伝播もしくは地域的発展と人類集団の移住およびその遺伝的影響のどちらが重要だったのか、議論が続いています。

 また、ヨーロッパ中央部・スカンジナビア半島・バルト海東部では、ヤムナヤ文化集団の移住と混合の遺伝的痕跡が確認されているものの、そうした移住はさまざまな地域で異なる経路をたどったと考えられており、移住がヨーロッパにおいて人口史にどのような影響を与えたのか、正確には明らかではありません。スウェーデンでは、CWCは戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)と呼ばれています。紀元前3000~紀元前2800年頃に始まるBACは、現在のスウェーデン中部とノルウェー南部までのスカンジナビア半島と、フィンランド北西部のバルト海東側にまで分布していました。

 これらバルト海周辺地域に関しても、BACおよびCWCの拡散が文化伝播もしくは地域的発展なのか、それとも外来集団により導入されたのか、議論が続いてきました。以前の考古学的研究は、BACおよびCWCを共通の文化的・社会的慣行を伴うものとして把握しており、埋葬習慣と土器形式と舟形戦斧の均一性を強調しました。最近では、これらの見解は単純すぎると議論されており、BACおよびCWC内の地域的パターンと特徴が強調されています。以前の考古遺伝学的研究では、BACおよびCWCの個体群のゲノム解析がポーランド(関連記事)やフィンランドおよびロシア北西部(関連記事)などで行なわれてきましたが、スカンジナビア半島でのBACの出現もCWC内の移住パターンの特徴と時間および地理的経緯については、まだよく解明されていません。

 本論文は、スカンジナビアにおけるBAC出現の様相をよりよく理解するため、現在のスウェーデン・エストニア・ポーランドの、紀元前3300~紀元前1660年頃と推定されている11人のDNAを解析しました。ゲノム規模網羅率は0.11~3.24倍です。遺伝的に、11人のうち男性は5人、女性は6人と推定されています。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は全員、Y染色体ハプログループ(YHg)は3人が分類されました。

 11人のうち5人はBACおよびCWCの遺跡で発見されており、そのうち2人はポーランドのオブワチュコボ(Obłaczkowo)、1人はエストニアのカルロヴァ(Karlova)、2人はBAC埋葬地であるスウェーデンのベルグスグレーヴェン(Bergsgraven)で発見されました。年代は、オブワチュコボの2人(poz44とpoz81)が紀元前2880~紀元前2560年頃、カルロヴァの1人(kar1)が紀元前2440~紀元前2140年頃、ベルグスグレーヴェンの2人(ber1とber2)は紀元前2640~紀元前2470年頃です。

 11人のうち6人は、BACおよびCWCではない遺跡で発見されています。そのうち5人はおもに漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)と関連している巨石墓に埋葬されており、2人(ros3とros5)がスウェーデン南部のヴェステルイェートランド(Västergötland)のレッスベルガ(Rössberga)で、3人(oll007とoll009とoll010)がスウェーデン南部のスカニア(Scania)のエルスヨ(Öllsjö)で発見されています。年代は、ros3とros5が紀元前3330~紀元前2920年頃、oll007が紀元前2860~紀元前2500年頃でBACの2人と重なっており、oll009とoll010はスカンジナビア半島の新石器時代後期~青銅器時代となる紀元前1930~紀元前1660年頃です。6人のうち残りの1人(ajv54)はスウェーデンのゴットランド(Gotland)の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)遺跡となるアジュヴァイド(Ajvide)で発見され、年代は紀元前2900~紀元前2680年頃です。

 BACおよびCWC遺跡の個体群は、巨石墓からのoll007も含めてmtHgでは、石器時代狩猟採集民と関連しているU4・U5と、新石器時代農耕民と関連しているH1・N1a・U3に分類されます。これはCWC遺跡の他の個体群に見られるmtHgの変異内におおむね収まりますが、本論文で新たに報告されたmtHg-U3およびN1aは、CWC遺跡で発掘された個体群では報告されていません。

 本論文で新たにYHgが分類された男性3人では、BAC遺跡のber1とCWC遺跡団のpoz81がともにYHg- R1aで、これは既知のCWC文化遺跡個体群の主流YHgです。またCWC集団では、少数派ながらYHg- R1bやYHg- I2aも見られます。YHg-R1aはヨーロッパ中央部および西部の新石器時代農耕民や狩猟採集民の間では見つかっていませんが、ヨーロッパ東部の狩猟採集民と銅器時代集団では報告されてきました。ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ文化集団ではほとんどがYHg- R1bで、YHg-R1aではありません。この他に、レッスベルガのros5がYHg- IJと分類されています。

 本論文は新たにDNAを解析した11人のうち、分析が可能な個体の表現型についても報告しており、カルロヴァの1人(kar1)には乳糖耐性関連アレル(対立遺伝子)が確認されています。また外見に関しては、髪の色は明暗両方、目の色も茶色と青色両方が見られました。炭素と窒素の安定同位体値からは、アジュヴァイドの1人(ajv54)を除いて、陸生の食性だったと明らかになっています。ベルグスグレーヴェンの個体のストロンチウム同位体データ、少なくともそのうち1人は死ぬ少し前にベルグスグレーヴェンに移住してきた、と示しています。

 11人のゲノム分析と既知のゲノムデータとの比較は、以前の結果を改めて確認します。第一に、ヨーロッパ全域の早期および中期新石器時代農耕民と中石器時代狩猟採集民は明確に分離します。第二に、ヨーロッパの狩猟採集民間の亜構造はおおまかに東西の勾配と対応していますが(WHGたるヨーロッパ西部狩猟採集民とEHGたるヨーロッパ東部狩猟採集民)、スカンジナビアは例外です(関連記事)。第三に、ほとんどの後期新石器時代および青銅器時代個体群は現在のヨーロッパ中央部および北部の人類集団と重なり、これはポントス-カスピ海草原からのヤムナヤ牧畜民関連の侵入集団との混合に起因します。

 スカンジナビア半島では、漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、FBC)と円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、PWC)と戦斧文化(Battle Axe Culture、BAC)という考古学的に異なる3文化間の明確な遺伝的分離が見られます。PWC遺跡の新石器時代採集民は遺伝的に中石器時代スカンジナビア半島狩猟採集民と類似していますが、農耕民集団との類似性もやや見られ、おそらくはスカンジナビア半島における狩猟採集民と農耕民集団の混合に起因します。

 BAC遺跡の個体群は、ヨーロッパの他のCWC遺跡の個体群との関連を明確に示します。とくに、スウェーデン南部のエルスヨ遺跡のoll007個体は、直接的にはCWC遺物と関連していませんが、年代的にはCWCと重なっており、CWCの個体群と一群を形成しており、それはもっと新しい年代のエルスヨ遺跡の2人(oll009とoll010)も同様です。エストニアのカルロヴァ個体とポーランドのオブワチュコボの個体群もBAC個体群と類似しており、バルト海地域全体のBACおよびCWC個体群との強い遺伝的類似性を示しているようです。オブワチュコボの2個体も含めてCWCの何人かは、ヤムナヤ牧畜民と関連する草原地帯系統と密接に類似します。これらの個体群は、CWC個体群でも年代は最古と推定されており、全体としてCWC個体群では、時間の経過とともに草原地帯系統の減少という類似した明確な傾向が見られます。

 本論文は、スカンジナビアへのCWC関連集団の拡大を調査し、CWCおよびBAC関連個体群で見られる系統の割合をよりよく理解するため、アナトリア農耕民とヨーロッパ西部狩猟採集民とヤムナヤ草原地帯牧畜民という3起源の系統のモデリングを実行しました。CWC個体群のほとんどはヤムナヤ系統(草原地帯系統)の割合が高いのですが、アナトリア農耕民およびヨーロッパ西部狩猟採集民系統も見られます。スウェーデンのBAC個体群も同様です。BACと同年代ではあるものの文化が不明か、何百年も早く巨石墓に葬られたエルスヨといった他の個体群は、スウェーデンの他地域の典型的なBAC個体群と同じ遺伝的構成を示します。

 BAC関連個体群は高い草原地帯系統を有しますが、ほとんどの他のCWC個体と比較してその割合は相対的に低くなっています。しかし、エストニアのカルロヴァのCWCの女性個体(kar1)もBAC関連個体群と類似しています。対照的に、ポーランドのオブワチュコボの2個体(poz44とpoz81)は草原地帯系統のひじょうに高い割合(90%以上)を示しており、もっと後のポーランドのCWC関連個体群とは異なりますが(関連記事)、ドイツやリトアニアやラトヴィアの他のCWC関連個体群とは類似しています。

 BAC集団の形成史に関しては複数のモデルが提示されており、PWC集団に関しては直接的な祖先か否か、判断が分かれていますが、CWC集団に関しては全モデルで一致して主要な祖先とされており、スウェーデンのBAC集団は他のCWC集団からの移住なしには出現しなかった、と推測されています。さらに詳しく見ていくと、BAC集団はエストニアのCWC関連集団の姉妹集団としては適合しますが、ポーランドもしくはリトアニアのCWC集団とは姉妹集団としては適合しません。これは、CWC集団とBAC集団との間の系統の多少の違いを示唆します。混合モデルでは、スカンジナビア半島におけるBAC集団の出現に関して、バルト海地域東部からのCWC集団の直接的移住、もしくはバルト海地域南部からCWC集団がスカンジナビア半島に移住し、FBC集団と混合した、と推測されます。本論文は、より多くの標本からゲノムデータを得ることで、さらに詳細な形成史が推定できる、と見通しています。以下に、スウェーデンのBAC集団の形成史に関する本論文の図3を掲載します。
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 本論文はこれらの知見を踏まえて、CWC遺跡群の人々は、紀元前三千年紀より前にはヨーロッパ北部および中央部には存在しなかった遺伝的系統を有する、と改めて指摘します。この草原地帯系統は、上述のように紀元前3000年頃にポントス-カスピ海草原からヨーロッパ東部へと拡散を始めたヤムナヤ文化牧畜民集団にまでさかのぼります。この遺伝的構成は、バルト海周辺地域のDNA解析されたBACおよびCWCの全個体において、遺伝的系統では最大の割合を示します。

 ここで注目されるのは、上述のように、これまでに分析された最初期のCWC個体群では草原地帯系統の割合が最も高いのに(90%以上)、もっと後の個体群ではこの割合がより低い、ということです。これは、アナトリア農耕民系統へとその遺伝的系統のほとんどをたどれるヨーロッパ北部のFBC集団のような、侵入する集団と在来集団との混合の漸進的過程を示します。この過程は、おもに侵入する男性と在来の女性との混合により推進されました(関連記事)。混合過程は、CWCの全体的な範囲にわたって明らかで、FBC集団もしくはその遺伝的に関連した集団が見つかっていないバルト海東部沿岸のような地域でさえ、確認されています。こうした混合の背景としては、CWC全体の交換ネットワークもしくはバルト海東部地域への特定の移住が想定されます。後者の場合、その潜在的な起源地域は、現在のポーランドもしくはスウェーデンで、そうした地域ではCWC集団の到達に先行するFBC集団が見つかっています。

 BACおよびCWC個体群で見られる父系の起源はよく分からないままです。これまでの研究では、CWC個体群のYHgはR1aで、推定されるヤムナヤ文化集団の大半はYHg- R1bとされています。YHg-R1aは中石器時代と新石器時代のウクライナで見られます。これは、ヤムナヤおよびCWCは父系的社会を形成し、まだDNA解析が進んでいないヨーロッパ中央部および北部の集団が、BACおよびCWCの父系の直接的起源だった可能性を提起します。

 スカンジナビ半島アの中期新石器時代の巨石墓はFBCと関連づけられています。しかし、BACおよびその後の文化で共通する人工物からは、後の文化集団による再利用が示唆されています。FBC関連のエルスヨ遺跡の巨石墓に埋葬された個体(oll007)はBACと同年代で、遺伝的にはBAC個体群とひじょうに類似しています。したがって、考古学的には巨石墓の再利用は早いと推定され、本論文の知見は、じっさいのFBC関連巨石墓をBAC集団も埋葬地として利用していたことを示す、最初の証拠になるかもしれません。これは、デンマークの単葬墳文化(Single Grave Culture、SGC)でも同様かもしれない、と本論文は指摘します。

 BACはスカンジナビア南部でFBCを置換しましたが、以前には在来集団の文化的変容との見解も提示されていました。しかし、本論文の知見で改めて確認されたように、スカンジナビア半島のBAC集団はより広範なCWC集団の一部で、外来集団の移住によりその遺伝的構成に草原地帯系統がもたらされ、ヨーロッパ西部狩猟採集民・アナトリア農耕民・草原地帯牧畜民の各系統の混合を示します。スカンジナビア半島のBAC集団は、紀元前2600年頃よりも前のバルト海沿岸南部もしくは東部地域のCWC個体群よりも、アナトリア農耕民関連系統を有しており、FBC集団との混合を示唆します。こうしたBAC個体群の混合系統は、すべての常染色体分析で明らかで、mtHgでも同様ですが、YHgでは外れたパターンを示します。これは、ヤムナヤ文化とその後のCWC集団で見られる、男性に偏った移住および混合過程を反映しているのでしょう。

 ただ、BAC集団が外来集団と在来集団との混合により形成されたのか、確定的ではなく、スカンジナビア半島以外で混合した集団が移住してきた可能性も考えられます。たとえば、BAC集団は櫛目文土器文化(Combed Ceramic Culture)のような他のバルト海東部地域の集団との特別な遺伝的関連性を示しません。CWCの人々はおもに陸路で拡散していたので、ヨーロッパ中央部から現在のデンマークやスウェーデンへと移住してきた、と推測されます。この期間にバルト海地域では土器の技術的交換が確認されており、遺伝子流動と関連していたかもしれませんが、まだ確証はありません。

 本論文は最後に、BAC個体群からの遺伝的データはまだ限定的で、本論文の知見から推測される遺伝子流動のパターンは、スカンジナビア半島への単一の移住事象と、社会的および技術的交換の広範なネットワークを伴う継続的過程の両方と一致する、と指摘します。この問題のより詳細な解明には、もっと多くの古代ゲノムデータが必要となります。ヨーロッパを中心にユーラシア西部の古代DNA研究の進展は目覚ましく、ユーラシア東部圏の日本人である私としては羨ましくなりますが、今後はこの格差が縮小していくほど、ユーラシア東部の古代DNA研究が進展することを期待しています。


参考文献:
Malmström H. et al.(2019): The genomic ancestry of the Scandinavian Battle Axe Culture people and their relation to the broader Corded Ware horizon. Proceedings of the Royal Society B, 286, 1912, 20191528.
https://doi.org/10.1098/rspb.2019.1528

伊藤之雄『大隈重信』上・下

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2019年7月に刊行されました。大隈重信は83歳まで生き、若き日より政治の場で活躍し、76歳で首相に就任し(第二次大隈内閣)、78歳まで務めただけに、取り上げるべき事柄は多く、新書で取り上げるとなると、過不足なく適切にその事績を叙述するのはなかなか難しいと思います。本書は新書としては大部の上下2巻構成になっていますが、冗長であるとの印象はまったく受けず、大隈の活動がいかに長く、また近代日本の成立と深く関わっていたのか、改めて思い知らされました。本書は長く、大隈の入門書として読まれ続けることでしょうし、日本近代史の復習にも適していると思います。

 本書はまず、大隈がどのような業績を挙げたのか分かりにくい人物だと指摘します。大隈は生前たいへん人気のある政治家で、その葬儀は国民的な盛り上がりを見せました。しかし、そうした人気が大隈の業績への適切な評価に基づいていたのかというと、進歩的とか庶民的とか、曖昧な印象によるところが多分にあったのでしょう。近現代史に詳しくない私も、大隈の業績となると、的確に答えることはできません。むしろ、1881年に人生のほぼ半ばで失脚した後は、おもに在野で活躍し、政治的には外相として不平等条約改正に失敗し、その後で2度首相に就任したとはいえ、最初は短期間で退陣してほとんど実績を挙げられず、2回目は対華21ヶ条要求でむしろ日本に悪影響を残したと私は認識しており、政治家としてはむしろ悪印象を抱いていました。

 本書はその大隈の事績を、幕末の若き日から晩年まで丁寧に追いかけています。佐賀藩士の息子として生まれた大隈は、藩主として、さらには隠居後も佐賀藩の実権を掌握していた鍋島閑叟(直正)の方針もあり、幕末の段階では顕著な功績を挙げたとまでは言えませんが、上層部に優秀な人物と認められ、明治新政府でも重用されます。大隈はまず財政と外交で人々に有能さを印象づけ、木戸孝允の派閥の一員として頭角を現します。ただ本書は、外交で活躍したとはいっても、大隈には本格的な英語力はなかった、と指摘します。

 木戸に重用された大隈ですが、そのあまりにも急進的な姿勢により、次第に木戸に疎まれるようになります。大隈は若い頃からたいへんな自信家だったようで、自分の方針を容易に曲げませんでした。それが、地元の長州や世界の実情をより詳しく把握するようになった木戸には、危ない政治方針と見えたようです。木戸よりもさらに漸進的な改革を志向した大久保も、当初はそうした理由で大隈を警戒していました。しかし大隈は、単なる強情な自信家ではなく、若き日より上層部に取り入るだけの話術も備えていた、と本書は評価します。大隈が明治新政府で1881年まで決定的に失脚しなかったのは、有能であるとともに、大隈のこうした側面も大きかったのでしょう。

 1881年に失脚した後の大隈は、政界中枢との関係を保ちつつ、おもに在野から政党を育てていくことで政権復帰を画策し続けます。それは首相や外相など大臣に就任したことで実現しますが、在任期間は短く(第二次政権は約2年半とやや長めですが)、充分な実績を残せたかというと、疑問の残るところです。これは、大隈の個性や選択の誤りもあるでしょうが、薩長土肥とはいっても、最も政治的勢力の弱い肥前出身だったことが、生涯にわたって政治的足枷になっていたのではないか、と思います。政党の育成に関しても、大隈は有力な競合相手である自由党、さらには自由党系が主勢力の一端を担って成立した立憲政友会に、長く遅れをとっていました。

 けっきょくのところ、1881年以後、大隈は政治家としておおむね不遇で、とくに日露戦争後は不遇な時期が長く続きました。そうした中でも大隈は政権復帰の意志を捨てず、政権中枢とつかず離れずの関係を維持し、各地を遊説し、軍部とも接触して捲土重来を期していたようです。この時期、大隈は東西「文明」の融和を唱え、新聞を盛んに利用し、自分が開明的で庶民的な大物政治家であることを印象づけていました。これが、上述の大隈の人気の高さと好印象に大きく貢献したのでしょう。とはいえ本書は、大隈に外国語の基礎的能力と外遊経験がなく、失脚してからは政権中枢に復帰した期間が短かったと指摘しつつも、大隈の外交についての知見が伊藤博文をはじめとして元老と比較してさほど見劣りするものではなかった、と評価しています。また大隈は、比較的早い時期から、経済に関しては政府の介入よりも民間の活力を重視する立場をとり、現代的に言えば「小さな政府」論者でした。

 日露戦争後の政治的に不遇な時期を経て、大隈は1914年に再度首相に就任します。これは、第一次護憲運動の盛り上がりとシーメンス事件により、薩長藩閥勢力への批判が高まったことと、大隈の国民的人気を背景にしており、第一次護憲運動は大隈自身の大きな功績ではないので、幸運だったとも言えますが、各地での遊説など上述の不遇な時期の活動が結実したことも確かでしょう。第二次大隈政権は、後の原敬内閣と比較すると、軍部の掌握などで不充分な点はありましたし、何よりも対華21ヶ条要求は大きな禍根を残しましたが、大隈の長年の悲願である政党政治への道を整備したことも否定できないでしょう。

 大隈は若き日よりイギリス風の政党政治を目標として、近代黎明期においておおむね急進的な政治的立場で活動してきました。しかし大隈は原理主義的な政治家ではなく、妥協や状況に応じての政策変更も示してきました。また大隈は、自分と敵対したり自分を裏切ったりした人物でも受け入れる寛容さを、加齢とともに身につけていきました。このように成熟した政治家として成長したことで、当時としては異例の高齢での首相再登板もあったのでしょう。外遊経験や外国語の基礎力がなかったことに起因する、外国情勢判断の誤り(その最たるものが第二次政権での対華21ヶ条要求です)もありますが、本書は総合的には大隈を大物政治家として評価しています。

 全体的に、1881年に失脚して以降の長い後半生において、大隈が政治家として顕著な実績を残したとは言えないでしょうが、大隈のような大物政治家の政党政治への試行錯誤があってこそ、日本でも政党政治が定着していったのだと思います。それが第二次世界大戦へと向かう過程で崩壊したことは残念ですが、第二次世界大戦後の政党政治の再建も、戦前の蓄積があってこそだと思いますので、大隈をはじめとして戦前の政党政治への努力が無駄に終わったとは言えないでしょう。大隈は単純な理解のできない多面的で複雑な人物なのでしょうが、本書はそうした側面をよく描いている伝記になっているのではないか、と思います。

先史時代の育児

 先史時代の育児に関する研究(Dunne et al., 2019)が報道されました。授乳や離乳など、小児期の食餌に関する研究は、過去の社会の乳児の死亡率や出生率を理解する上で重要な意味を有します。乳児の骨のコラーゲンおよび歯の象牙質の試料の窒素安定同位体解析から離乳の時期に関する情報が得られていますが、先史時代の乳児がどのような食物を摂取していたのかについては、ほとんど知られていません。乳児に食餌を与えるのに使用されていた可能性がある既知の最古の土器は、5000年以上前となる新石器時代のヨーロッパで発見されており、こうした器はその後、青銅器時代および鉄器時代を通してより一般的なものになっていきました。

 こうした容器に関しては、乳児の授乳に用いられていたという考えが示されていますが、病人や衰弱した人に食餌を与えるのに使われていたとも示唆されており、また実際に何を入れていたのか、突き止めるのは困難でした。その理由の一つは、注ぎ口の開口部が小さいことにあります。この研究はこうした課題を克服するため、バイエルン地方で発見された口の開いた椀状の容器3個を調べました。そのうちの2個は紀元前800~紀元前450年頃となる鉄器時代初期の墓地から出土し、残りの1個は、紀元前1200~紀元前800年頃となる後期青銅器時代の大きな共同墓地から出土しました。これらの容器は、0~6歳の子どもたちの遺骸の側で発見されました。

 この研究は、容器の脂質残留物を分析し、生乳を含む動物性食品由来の脂肪酸を同定しました。2個の容器は反芻動物(種は特定されていません)の乳を入れるために使用されたと考えられ、1個の容器では反芻動物以外の乳(ブタの乳や母乳かもしれません)の混ざった残留物が見つかりました。この研究はこうした新知見から、これらの容器、離乳期に動物の乳を補助食品として乳児に与えるために使用された可能性を示す証拠になる、と指摘します。ただ、乳児に動物の乳を飲ませる習慣が広く普及していたとは考えられず、母親の死亡などの事情により母乳を飲ませられない状況での非常手段だったのだろう、との指摘もあります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【考古学】先史時代の哺乳瓶か

 ドイツのバイエルン地方にある青銅器時代と鉄器時代の乳児の墓で発見された注ぎ口の付いた小型の土器が、乳児や幼児に動物の乳を飲ませるために使用されていた可能性が非常に高いことが明らかになった。これらの人工遺物の分析は、有史以前のヒト集団における離乳のやり方に関する手掛かりをもたらしている。分析結果を報告する論文が、今週掲載される。

 液体を注ぐことのできる口の付いた土器の容器は、5000年以上前の新石器時代のものが発見されている。こうした容器は、乳児の授乳に用いられていたという考えが示されているが、実際に何を入れていたのかを突き止めるのは困難だった。その理由の1つは、注ぎ口の開口部が小さいことにある。この課題を克服するため、今回の研究で、Julie Dunne、Richard Evershedたちのグループは、バイエルン地方で発見された口の開いた椀状の容器(3個)を調べた。そのうちの2個は、紀元前800~450年のものと年代決定された鉄器時代初期の墓地から出土し、残りの1個は、紀元前1200~800年のものと年代決定された後期青銅器時代の大きな共同墓地から出土した。これらの容器は、0~6歳の子どもたちの遺骸のそばで発見された。

 Evershedたちは、容器の脂質残留物の分析を行い、動物性食品(生乳を含む)由来の脂肪酸を同定した。2個の容器は、反芻動物の乳を入れるために使用されたと考えられ、1個の容器には、反芻動物以外の乳(ブタの乳や母乳の可能性あり)が混ざった残留物が見つかった。以上の新知見は、これらの容器が、離乳期に動物の乳を補助食品として乳児に与えるために使用された可能性を示す証拠となるとEvershedたちは考えている。


考古学:先史時代の小児の墓から出土した陶器の哺乳瓶に見つかった反芻動物の乳

考古学:先史時代の育児

 今回、ドイツ・バイエルン州の青銅器時代と鉄器時代の乳児の墓から出土した小型の飲み口付きの土器3点には、かつて反芻動物の乳が入れられており、場合によっては粥状の肉も少量混ぜられていた可能性があることが明らかになった。この研究は、先史時代の乳児に食餌を与えるため、または離乳のために用いられていた食品の種類に関する直接的な証拠をもたらすものである。調べた器のうち2点は、バイエルン州の前期鉄器時代の墓地から出土したもので、年代は紀元前800~紀元前450年と推定されている。第3の器は後期青銅器時代(同じくバイエルン州)のもので、推定年代は紀元前1200~紀元前800年である。乳児に食餌を与えるために用いられていた可能のある器で最古のものは、5000年以上前の新石器時代までさかのぼる。



参考文献:
Dunne J. et al.(2019): Milk of ruminants in ceramic baby bottles from prehistoric child graves. Nature, 574, 7777, 246–248.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1572-x

白亜紀/古第三紀境界後の回復期間

 白亜紀/古第三紀境界後の回復期間に関する研究(Alvarez et al., 2019)が公表されました。約6600万年前、ユカタン半島北部のチクシュルーブでの小惑星衝突により、海洋生態系がほぼ瞬時に崩壊しました。この白亜紀/古第三紀(K/Pg)境界においては、おそらく、海洋食物網の底辺における多様性の壊滅的な喪失が引き金となり、全栄養水準にわたる連鎖的な絶滅が引き起こされ、海洋の生物地球化学的な機能が著しく破壊されました。とくに、海面と深海との間の炭素循環の擾乱が生じたと考えられます。絶滅後の期間全体にわたる充分に詳細な生物データが存在しないため、生態系の復元力および生化学的機能がどのように回復したのかに関して、理解は限られており、生態系の「回復」に要する時間の見積もりには、100年未満から1000万年までの開きがあります。

 本論文は、K/Pg境界が13000年単位とひじょうに細かく、1300万年に及ぶナノプランクトンの時系列を用いて、絶滅後の群集では180万年にわたって極めて不安定な状態が続き、その後、復元力の特徴を示すより安定な平衡状態の群集が出現したことを明らかにしています。より多様な細胞サイズを有する、この新たな平衡状態の群集への移行が起きたのは、炭素循環の回復および充分に機能する生物ポンプの存在を示す指標と同時期でした。これらの知見は、生態系の回復と生物地球化学的な循環との間には、これまで移出生産の代理指標から示唆されてきたよりも長いものの、分類学的な豊富さの回復よりはずっと短い時間スケールにわたって、根本的なつながりが存在することを示唆しています。群集の安定性と生物ポンプの効率の両方が再び出現しても種の豊富さが低いままであったという事実は、群集の復元力および生化学的な機能には種数よりも生態学的機能の方が重要であることを示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


生物地球化学:大量絶滅からの回復では多様性が生態系の機能と復元力から切り離される

生物地球化学:白亜紀/古第三紀境界の後の回復期間

 白亜紀/古第三紀(K/Pg)境界におけるチクシュルーブでの小惑星衝突は、恐竜を絶滅させただけでなく、全球の生態系にも著しい影響を及ぼした。例えば、炭素を海面から深海底へと輸送する「炭素ポンプ」にも大規模な破壊が起こったが、最近の一部の研究からは、こうした炭素ポンプは衝突から約170万年後までに回復したことが示唆されている。これに対し、種の多様性によって評価される生態系の回復には、最長で1000万年を要したことがよく知られている。今回S AlvarezとS Gibbsたちは、K/Pg境界が非常に細かく(1万3000年単位で)記録されている国際深海掘削計画(ODP)の掘削コアから得られた、石灰質ナノプランクトンの極めて詳細な記録を提示している。この記録からは、石灰質ナノプランクトン群集では、衝突の約200万年後まで極めて不安定な状態が続き、その後ほぼ安定した状態に回復してさらなる大半の摂動に対して復元力を備えるようになったが、種の豊富さは低いままだったことが明らかになった。それらの時期からは、安定性の回復と炭素ポンプの回復とが同時に起きていたことも示唆された。



参考文献:
Alvarez SA. et al.(2019): Diversity decoupled from ecosystem function and resilience during mass extinction recovery. Nature, 574, 7777, 242–245.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1590-8

鮮新世の温暖化

 鮮新世の温暖化に関する二つの研究が公表されました。いずれも、現在の温暖化だけではなく、人類進化に関しても有益な知見になっているという点でも、注目されます。一方の研究(Dumitru et al., 2019)は、鮮新世温暖期における全球平均海水準を絞り込んでいます。鮮新世などの過去の温暖期における海水準の変化の再構築により、長期の温暖化に対する海水準と氷床の応答に関する知見が得られます。鮮新世温暖期の全球平均海水準(GMSL)の見積もりは複数存在しますが、これらには数十mの開きがあるため、過去と将来の氷床の安定性の評価が妨げられています。

 本論文は、産業革命前よりも気温が平均して2~3°C高かったピアセンジアン(360万~258万年前頃)中期の温暖期において、全球の氷量の変化に起因して全球平均海水準が現在より約16.2 m高く、海洋の熱膨張を含めると約17.4 m高かった、と示します。この結果は、さらに温暖だった鮮新世の気候最温暖期(産業革命前よりも気温が約4°C高かったと推定されています)には、全球平均海水準が現在の海水準より23.5 m高く、熱膨張を加えるとさらに1.6 m高かったことを示しています。本論文は、地中海西部(スペインのマヨルカ島)から得られた洞窟内二次生成物に基づく、439万~327万年前の全球平均海水準データを6点提示とています。この記録は、海水準との関係が明確で、ウラン・鉛法年代の信頼性が高く、期間が長い点で類がなく、潜在的な海水準上昇の不確かさの定量化を可能にします。これらのデータは、氷床が温暖化に非常に敏感であることを示すとともに、将来の氷床モデルの較正において重要な目標を与えます。


 もう一方の研究(Grant et al., 2019)は、鮮新世における海水準変動の振幅と起源を明らかにしています。地球は現在、300万年以上前の「中期鮮新世温暖期」に最後に存在した気候へと向かっています。当時は、大気中の二酸化炭素の濃度は約400 ppmで、軌道強制力に応答して全球の海水準が振動しており、全球平均海水準の最大値は、現在の値よりも約20 m高かった可能性があります。この規模の海水準上昇をもたらすには、グリーンランド氷床・西南極氷床・東南極といった海洋性氷床の広範囲にわたる後退あるいは崩壊が必要です。しかし、氷期–間氷期サイクルにおける海水準変動の相対的な振幅は、まだあまり絞り込まれていません。

 本論文はこの課題に取り組むため、現代の波による堆積物輸送と水深の間の理論的な関係を較正し、その手法を、ニュージーランドのワンガヌイ盆地から得られた厚さ800 mの鮮新世の連続的な浅海堆積物における粒子のサイズに適用しました。この手法で得られた水深の変動からは、地殻変動による沈降を補正した後、相対的海水準(RSL)の周期的な変動が得られました。本論文では、中期~後期鮮新世(330万〜258万年前)頃の氷期–間氷期サイクルにわたって、海水準が平均して13 ± 5 m変動していたことを示します。得られた記録は、深海の酸素同位体記録から導かれる全球の氷の代理指標とは関係がなく、海水準サイクルは、離心率の変動による330万〜270万年前頃の軌道歳差によって調整される、南極大陸の日射の2万年周期の変化と一致しています。

 したがって、氷床が南極大陸において安定化し、北半球において増大するため、海水準変動は、地軸の傾きの41000年周期のサイクルによって調整されます。厳密には、全球平均海水準の変化の絶対値ではなく、相対的海水準の変化の振幅が得られました。一方、氷河性地殻均衡に基づく相対的海水準の変化のシミュレーションでは、これらの記録は、地球の中心に対して記録されていない全球平均海水準として定義される、ユースタティック海水準に近いことを示しています。しかし、この見積もりにより、保守的な仮定の下では、鮮新世の最大海水準上昇が25 m未満に限定され、今世紀に予測されている気候条件の下での極域の氷量の変動に新たな制約条件が与えられました。


参考文献:
Dumitru OA. et al.(2019): Constraints on global mean sea level during Pliocene warmth. Nature, 574, 7777, 233–236.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1543-2

Grant GR. et al.(2019): The amplitude and origin of sea-level variability during the Pliocene epoch. Nature, 574, 7777, 237–241.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1619-z

腸内微生物とメンタルヘルスとの関係

 腸内微生物とメンタルヘルスとの関係についての研究(Valles-Colomer et al., 2019)が公表されました。腸内の微生物代謝とメンタルヘルスとの関係は、微生物相研究の複雑な対象課題です。腸内微生物相と脳のコミュニケーションについては、主として動物モデルで研究が行なわれており、ヒトでの研究は後れを取っています。この研究は、微生物相の特性が生活の質(QOL)や鬱とどのように関連しているか、検証しました。

 この研究では、「Flemish Gut Flora Project(FGFP)」に参加した1054人について、微生物相データを鬱に関する自己申告データおよび一般開業医による診断データとの組み合わせによる解析で、メンタルヘルスに正の関連あるいは負の関連を持つ特異的な腸内細菌グループが見つかりました。鬱病患者では、恒常的にCoprococcus属とDialister属の細菌群が乏しく、これはFGFPとは別のコホート研究Dutch LifeLinesDEEPに参加した1063人でも確かめられました。

 またこの研究は、ヒトの神経系と相互作用する可能性のある分子の生産能力や分解能力に基づいて、腸内微生物相の機能のカタログを作成しました。このカタログを用いて前述の研究参加者の一部(治療抵抗性の大鬱病患者と、対照となる健常者を含みます)から得た糞便メタゲノムのデータを解析した結果、腸内細菌相の潜在的なドパミン代謝物合成能と精神的QOLに正の関連がある、と明らかになりました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


腸内微生物とメンタルヘルスとの関係が判明

 特定の腸内細菌がうつに関連することが、それぞれ1000人以上からなる2つの独立したヒト集団を調べて明らかになったことを報告する論文が、今週掲載される。この知見はバイオインフォマティクス解析によって得られたもので、実験によって確かめる必要はあるが、微生物相と脳の関係を調べる今後の研究を方向付け、加速させるかもしれない。

 腸内の微生物代謝とメンタルヘルスとの関係は、微生物相研究の複雑な対象課題である。腸内微生物相と脳のコミュニケーションについては、主として動物モデルで研究が行われており、ヒトでの研究は後れを取っている。

 Jeroen Raesたちは今回、微生物相の特性が生活の質(QOL)やうつとどのように関連しているかの研究を行った。Flemish Gut Flora Project(FGFP)に参加した1054人について、微生物相データを、うつに関する自己申告データおよび一般開業医による診断データと組み合わせて解析したところ、メンタルヘルスに正の関連あるいは負の関連を持つ特異的な腸内細菌グループが見つかった。うつ病患者では、恒常的にCoprococcus属とDialister属の細菌群が乏しく、このことはFGFPとは別のコホート研究Dutch LifeLinesDEEPに参加した1063人でも確かめられた。

 またRaesたちは、ヒトの神経系と相互作用する可能性のある分子の生産能力や分解能力に基づいて、腸内微生物相の機能のカタログを作成した。このカタログを用いて前述の研究参加者の一部(治療抵抗性の大うつ病患者と、対照となる健常者を含む)から得た糞便メタゲノムのデータを解析した結果、腸内細菌相の潜在的なドパミン代謝物合成能と精神的QOLに正の関連があることが明らかになった。



参考文献:
Valles-Colomer M. et al.(2019): The neuroactive potential of the human gut microbiota in quality of life and depression. Nature Microbiology, 4, 4, 623–632.
https://doi.org/10.1038/s41564-018-0337-x

顔面形態から推測されるハイデルベルク人の位置づけ

 先月(2019年9月)19日~21日にかけてベルギーのリエージュで開催された人間進化研究ヨーロッパ協会第9回総会で、ホモ属進化史におけるハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)の位置づけ現生人類(Homo sapiens)の拡散に関する研究(Arsuaga et al., 2019)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P76)。現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は中期更新世の共通祖先から進化した、と遺伝的データは示唆します。その最終共通祖先として有力なのがハイデルベルク人ですが、異論も少なくはなく(関連記事)、両系統の最終共通祖先の形態はよく分かっていません。

 本論文は、アフリカとユーラシアのホモ属化石および現代人の合計791個体の顔面形態を分析し、この問題を検証しました。多くの化石ホモ属の顔は現代人よりも大きくて頑丈であり、現生人類系統における華奢化を示しますが、ネアンデルタール人系統においても、顔面の華奢化傾向が見られます。本論文は、化石標本には部分的なものも多いため、CTスキャンも用いて欠落データを推定し、分析しました。その結果、現生人類は化石標本でも現代人標本でも、ネアンデルタール人およびハイデルベルク人から明確に区分されました。一方、広義のハイデルベルク人標本はネアンデルタール人と重なります。

 本論文は、相対成長(アロメトリー)が、ハイデルベルク人とスペイン北部の通称「 骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡の早期ネアンデルタール人と古典的ネアンデルタール人の間の顔面形態の違いを説明する一方で、ハイデルベルク人と化石および現代の現生人類の違いを説明していない、と指摘します。さらに本論文は、広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)標本であるアフリカ東部のKNM-ER 3733およびジャワ島のサンギラン17(Sangiran 17)と、ホモ・ハビリス(Homo habilis)標本であるKNM-ER 1813は、顔面サイズの違いを考慮すると、現生人類とクラスター化する、と指摘します。

 そのため本論文は、ハイデルベルク人の顔面形態はネアンデルタール人への派生的進化を示している、と主張します。対照的に現生人類は、より一般的で祖先的な広義のエレクトスの顔面形態の多くの側面を保持しています。本論文は、ネアンデルタール人はおそらくハイデルベルク人から進化し、現生人類はそうではなかった、と推測します。現生人類系統とハイデルベルク人系統が分岐した後、ハイデルベルク人系統で派生的進化が起き、その(一部の?)系統からネアンデルタール人が進化しただろう、というわけです。本論文は、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の形態は、ハイデルベルク人とは異なっており、よりエレクトスに類似していたのではないか、と推測しています。


参考文献:
Arsuaga JL, Martinón-Torres M, and Santos E.(2019): Homo heidelbergensis is not your ancestor. The 9th Annual ESHE Meeting.

ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ヒマラヤにおける人類集団の長期の遺伝的安定性に関する研究(Jeong et al., 2016)が報道されました。高地帯は人類の恒久的居住が遅れた場所の一つで、それは、起伏の多い地形や寒冷気候や低酸素や資源の相対的不足といった問題のためです。人類の恒久的居住地域として、ヒマラヤ山脈とチベット高原よりも高い場所は実質的になく、たいへん過酷な環境と言えるでしょう。現代人集団のゲノム規模研究は明確に、ヒマラヤ山脈がアジア東部集団とユーラシア西部集団との間の遺伝子流動への障壁だった、と示しています。しかし、ヒマラヤ地域全体の文化的および言語的多様性の広範な証拠も提示されており、地域を超えた接触の長い歴史を示しています。

 現在利用可能な考古学的および解剖学的データと現代人集団の遺伝的データは、最初のヒマラヤ地域の居住者の起源に関して、アジア南部・アジア中央部・低地アジア南東部・高地アジア東部という各地域の集団が想定されており、定説は確立していません。同様にその後のヒマラヤ地域の人口史に関しても、どの集団が強い影響を及ぼしたのか、ほとんど合意は形成されていません。高地環境の恒久的居住には多くの生理学的適応が必要で、最近の遺伝学的研究は、チベット人とチベット高原東部からネパールへと600~400年前頃に移住してきたシェルパ人における、低酸素症の適応の核たる正の選択の痕跡を識別してきました(関連記事)。

 現時点では、チベット人とシェルパ人だけが、アジア東部高地集団としては、ゲノム規模の研究が行なわれてきました。しかし、チベット高原の人口史と高地適応が熱心に研究されてきたのにたいして、チベット高原よりもずっと遅れるヒマラヤ地域への人類の拡散については、あまり明らかになっていません。ヒマラヤ地域は長い間、チベット高原とアジア南部(インド亜大陸)を結ぶ自然の回廊および交易経路として機能してきたため、その歴史の解明は重要です。さらに、ヒマラヤ地域の初期の拡散とその後の遺伝子流動における高地低酸素症への適応の役割は、完全に未解明です。そこで本論文は、古代DNA研究により、こうした問題に取り組みました。

 ネパールのムスタン王国のアンナプルナ保護地域(Annapurna Conservation Area)は主要な高地回廊(海抜2800~4500m)で、人類遺骸を含むヒマラヤ地域では最古となる既知の遺跡が確認されています。アンナプルナ保護地域(ACA)の先史時代の副葬品には、アジア西部(オオムギやコムギやレンズ豆やヒツジなど)とアジア東部(コメ)両方の家畜化・栽培化された品種が含まれます。在来の実用品に加えて、威信材には銅製装飾品や紅玉髄製ビーズなどアジア南部との強いつながりを示唆するものが含まれており、アジア中央部や新疆との接触を示唆する竹籠や木製家具なども含まれています。1750年前頃以後には、中国の絹、サーサーン王朝やインド中央部と南端のガラス製ビーズ、チベット西部やムー・カシミール州東部の地方であるラダック(Ladahk)やキルギスタンで見られるものと類似した金や銀のマスクも確認されています。ヒマラヤ渓谷の埋葬慣習は、当初は新疆で観察されたものと類似していましたが、1500年前頃以後には、複数起源だったかもしれないものの、おもにアジア西部文化と関連するような慣習を含みます。したがって、ヒマラヤ地域の早期人類集団は、イランから中国東部にいたるまで、ひじょうに広い地理的範囲から影響を受けた、というわけです。

 物質文化の複雑さを考慮すると、現在利用可能な考古学的データからは、こうした文化変容が、集団置換と文化的拡散のどちらに起因するのか、あるいは両方が影響していたのか、判断できない、と本論文は指摘します。さらに、現代人集団か言語学および遺伝学的データの解釈は、チベット帝国の興亡や大規模な戦争や現代国民国家の確立と関連した、過去1300年にわたる複数の歴史的記録に見えるチベット人移民により複雑化されています。これらの理由から、古代人のゲノム分析は、高地ヒマラヤの人類集団史についての競合する仮説の解決に直接的な手段を提供する、と本論文は指摘します。

 本論文はACAへの移住と早期集団史を調査するため、3150~2400年前頃のチョクホパニ(Chokhopani)、2400~1850年前頃のメブラク(Mebrak)、1750~1250年前頃のサムヅォング(Samdzong)という異なる3文化期の、8人のゲノム規模配列と高網羅率のミトコンドリア配列を得ました。チョクホパニ期では1個体(C1)、メブラク期では3個体(M63・M240・M344)、サムヅォング期間(Samdzong)では4個体(S10・S35・S40・S41)のDNAが解析されました。核DNA解析では、網羅率は0.044倍(M344)~7.253倍(C1)で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、網羅率は20.8倍(M344)~1311.0倍(S41)です。S40を除いて全員男性です。

 この8人のゲノム規模データは、ネパールのシェルパ人4個体とチベット人2個体を含む、各地の現代人と比較されました。ACA の3期間に及ぶ8人全員は、現代のアジア東部集団と遺伝的に最も密接に関連していました。さらに本論文は、核DNA解析で網羅率1倍以上の5個体(C1・M63・S10・S35・S41)で、アジア東部のどの集団とより近縁なのか、検証しました。全体として、ACAの5人はチベット人やシェルパ人といった現代のアジア東部高地集団ときわめて近縁です。

 高地適応関連遺伝子では、EGLN1の一塩基多型の1ヶ所(rs186996510)で、ACAの5人のうち解読できた4人は全員、高地適応型のアレル(対立遺伝子)を有していました。これはチベット人では高頻度で確認されていますが、低地のアジア東部人では稀です。機能的研究では、このアレルは低酸素状態での酸素恒常性維持の役割を果たす、とされています。もう一方の高地適応関連遺伝子であるEPAS1では、高地適応型のアレルを有していたのは、5人のうち年代の新しい2人(S35・S41)でした。これらの結果は、ACAの古代集団と現代アジア東部高地集団との遺伝的類似性というゲノム規模データでの比較と一致します。また本論文は、高地適応関連遺伝子のEGLN1とEPAS1の高地適応型アレルの頻度の違いから、両遺伝子における高地適応型ハプロタイプの頻度上昇時期が異なると推測していますが、その正確な時期についてはより多くの標本が必要になる、と指摘しています。なお、チベット人に見られるEPAS1の高地適応型アレルについては、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)からの遺伝子流動が指摘されています(関連記事)。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、ACAの8人全員で分類されました。C1がD4j1b、M63がM9a1a1c1b1a、M240がM9a1a2、M344がZ3a1a、S10がM9a1a1c1b1a、S35がM9a1a、S40がF1c1a1a、S41がF1dです。いずれも、現代のネパール人および/またはチベット人で見られ、現代インド人とパキスタン人では稀か存在しないハプログループです。ACAの8人で最古の個体となるC1のmtHg- D4j1bは、現代チベット人では主流のD4のサブグループです。現代チベット人のmtHg- D4は他のアジア東部集団のハプログループとは推定で27000~26000年前頃と深い分岐を示し、ACA集団と現代のアジア東部高地集団との遺伝的類似性を改めて支持します。Y染色体ハプログループ(YHg)では、核DNAの解析で網羅率2倍以上の4人で分類でき、C1・S10・S35がYHg-O2a2b1a1、S41がYHg-Dで、現代チベット人では、前者が29.86%、後者が54.50%と高い割合を示します。母系を示すmtHgだけではなく、父系を示すYHgでも、ACA集団と現代チベット人との遺伝的類似性が示されました。

 遺伝的水準では、ヒマラヤ地域はアジア南部とアジア東部の人類集団間の強い遺伝的障壁として機能してきた、と解釈されます。これは、ユーラシアの大半の人類集団構造の距離による一般的な孤立パターンとは顕著に異なります。ヒマラヤは長い間、南方ではなく北方への遺伝子流動の顕著な障壁として機能しており、この遺伝的境界は少なくとも過去3000年間安定している、と示されます。本論文で分析されたACA集団の8人は、現代アジア東部集団、その中でもとくにチベット人やシェルパ人のような高地集団と強い遺伝的類似性を示します。したがって、ヒマラヤ地域の最初の住民がアジア南部やアジア中央部やアジア南東部から到来したとか、これらの集団がその後でヒマラヤ渓谷の集団を置換したとか、もしくは大規模に混合したとかいう想定は支持されない、と本論文は指摘します。

 一方、ヒマラヤ地域の集団への遺伝子流動では、データは南方からよりも北方からの方が容易と示しており、これは、南方よりも北方の方が高低差は小さい、という地形上の理由に起因する、と本論文は推測します。ヒマラヤ地域の北側の集団は、長期間にわたって中程度の高地に留まり、遺伝的および文化的適応を蓄積できましたが、南側の集団にはそうした適切な緩衝地帯がなかった、というわけです。この想定は、チベット高原の考古学的記録により裏づけられます。チベット高原北東部の人類の痕跡は、ヒマラヤ渓谷における最初の人類の痕跡よりずっと古く、本論文刊行後の研究では、チベット高原高地帯における人類の永続的な定住は遅くとも7400年前頃までさかのぼる、と推測されています(関連記事)。さらにその後の研究では、チベット高原北部の海抜約4600m地点に、人類は4万~3万年前頃には拡散していた、と推測されています(関連記事)。チベット高原では5500年前頃以降に農耕が始まり、これはアジア東部からの影響と推測されていますが、これが人類集団の移動によるのか、それとも文化伝播なのか、本論文は判断を保留しています。なお、これらのチベット高原の人類の痕跡はまず間違いなく現生人類(Homo sapiens)の残したものですが、デニソワ人もチベット高原に拡散しており、その年代は16万年以上前と推定されています(関連記事)。高地適応関連遺伝子も、ヒマラヤ地域の人類集団における南北の遺伝的影響の非対称性を促進した可能性が高い、と本論文は指摘します。こうした高地適応関連遺伝子多様体を、チベット人系統は以前から高頻度で有していた、と推測されるからです。

 本論文は、ヒマラヤ渓谷の人類集団において、過去3000年の間に2回の顕著な文化的変化(メブラク期とサムヅォング期)が起きたにも関わらず、安定した遺伝的継続性が見られる、と指摘します。これは、大きな文化変容と大規模な人類集団の移動との関連が指摘されているヨーロッパの事例(関連記事)とは対照的です。本論文はこれを、高地への定住には遺伝的もしくは文化的な適応の特有のセットが必要だからだろう、と推測します。ただ本論文は、現時点での考古学的データはほぼ埋葬に限定されるので、アンナプルナ保護地域で観察される考古学的変化が本格的な文化変容ではない可能性も指摘しています。

 本論文の見解は、ある地域の文化変容において、人類集団の置換と人類集団の大規模な移動を伴わない文化伝播のどちらの比重が大きかったのか、という人類史に普遍的な問題を考察するうえで興味深いものです。これは複数のパターンが想定され、一様ではなかった、と私は考えています(関連記事)。ある地域における文化変容と遺伝的構成の関係については、特定の傾向はなく、個別に検証していかねばならないのだと思います。また本論文は、古代DNA研究の地域格差の観点からも注目されます。ユーラシア東部の古代DNA研究は、ユーラシア西部と比較して明らかに遅れているのですが、本論文のように研究が蓄積されつつあるので、今後は少しでも格差が縮小するよう、期待しています。


参考文献:
Jeong C. et al.(2016): Long-term genetic stability and a high-altitude East Asian origin for the peoples of the high valleys of the Himalayan arc. PNAS, 113, 27, 7485–7490.
https://doi.org/10.1073/pnas.1520844113

バンツー語族集団の拡大と適応

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、バンツー語族集団の拡大と適応に関する研究(Patin et al., 2017)が報道されました。バンツー語族の人口史については、本論文の後に公表された研究を当ブログですでに取り上げていますが(関連記事)、その研究の前提となる知見が提示されており、重要と思われるので、以下に本論文の内容を簡潔に紹介していきます。

 言語学・考古学的記録によると、バンツー語族は5000~4000年前頃に、アフリカ西部中央からアフリカ東部および南部へと拡大しました。これは農耕の拡大を伴っていますが、文化の伝播だけではなく、人類集団の移動によるものでもありました。しかし、これまでの遺伝学的研究は、アフリカ全体のバンツー語族話者の多様性パターンより、むしろ農耕民と狩猟採集民の比較に注目していたため、サハラ砂漠以南のアフリカ人の1/3(約3億1千万人)を占めるバンツー語族話者の遺伝的歴史の多くの側面は不明のままになっている、と本論文は指摘します。

 そこで本論文は、言語学的および人類学的によく定義された、バンツー語族の起源地(現在のナイジェリア南東部やカメルーン西部)を含むアフリカの西部および西部中央の35集団の1318人のゲノム規模一塩基多型データから、バンツー語族集団の遺伝的および適応的歴史を詳しく検証します。なお、本論文のバンツー語族集団は伝統的な農耕民集団のことで、バンツー語族の熱帯雨林狩猟採集民を含みません。本論文はこのゲノム規模一塩基多型データを、サハラ砂漠以南のアフリカの他のバンツー語族集団および非バンツー語族集団のデータと統合し、合計57集団から2055人の548055ヶ所の高品質な一塩基多型データを得ました。

 アフリカのバンツー語族集団では、西部中央・東部・南西部・南東部集団が遺伝的に相対的な均一性を示します。これは、バンツー語族集団がサハラ砂漠以南のアフリカ全体に拡大した後、比較的最近分離していったことを反映しています。バンツー語族集団は拡大していった地域で在来集団から遺伝的影響を受けており、西部中央集団はアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民から16%、東部集団はアフロアジア語族農耕民集団から17%、南東部集団はサン人狩猟採集民から23%程度と推定されています。

 サハラ砂漠以南のアフリカにおけるバンツー語族集団の拡散に関しては、二つの仮説が提案されてきました。一方は「早期分岐」仮説で、バンツー語族集団の中核地域内で西部系と東部系が分離し、各地へと拡大していった、と想定します。もう一方は「後期分岐」仮説で、バンツー語族集団の起源地から現在のガボンやアンゴラといった南方の赤道熱帯雨林に最初に拡大し、その後にサハラ砂漠以南のアフリカのその他の地域へと拡散していった、と想定します。本論文は、「後期分岐」仮説に近い、バンツー語族集団はアフリカ東部および南部に拡散して在来集団と混合する前に、熱帯雨林経由で南方へと移動した、という見解を提示しています。バンツー語族集団におけるアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民の遺伝的影響は、上述のように西部中央集団において16%ほどで、東部および南東部集団では5%以下です。本論文はこの推定から、バンツー語族西部集団とアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民との交雑は800年前頃に起き、それはバンツー語族集団がサハラ砂漠以南のアフリカに広く拡散した後だった、と推測しています。

 アフリカ東部および南部に拡大していったバンツー語族農耕民集団は、新たな生態系に急速に適応しなければなりませんでしたが、その適応的歴史はよく分かっていません。本論文はこの問題に関して、最近起きたと推定される正の選択の痕跡をゲノムで探しました。たとえば、遺伝的に密接に関連する参照集団と比較して、より大きな同型接合性(ホモ接合性)と集団分化の両方が見られるような、一塩基多型の高い割合を示す領域です。その結果、最近の正の選択の強い痕跡を示すゲノム領域が、バンツー語族集団の西部中央・東部・南東部でそれぞれ、8ヶ所・5ヶ所・7ヶ所検出されました。

 免疫応答を媒介するHLA(ヒト白血球型抗原)遺伝子座は、バンツー語族集団でも西部中央系と東部系でそれぞれ、50.5%と62.4%とゲノム規模での高い割合を示しました。バンツー語族西部中央集団でHLAの次に強い選択の痕跡領域はCD36遺伝子を含んでおり、これはマラリア原虫への感受性と関連しています。CD36の推定される選択された一塩基多型は、バンツー語族西部中央集団では25%ほど観察されましたが、アフリカ西部の非バンツー語族集団では基本的に見られませんでした。バンツー語族東部集団では、HLAの次に強い選択の痕跡が、ラクターゼ(乳糖分解酵素)をコードするLCT遺伝子領域と重なりました。これは、成人後もラクターゼを持続させるアレルC-14010と関連しています。バンツー語族南東部集団では、選択の痕跡の割合がより低く、異なる人口および適応的歴史を反映しているかもしれない、と本論文は推測しています。

 本論文は、バンツー語族集団におけるこうした正の選択を受けた領域に関して、非バンツー語族集団に由来するものがあり、それが拡散先の新たな環境における適応度を高めた可能性を指摘します。たとえば、バンツー語族西部中央集団のゲノムのHLA領域では、アフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民に由来するものが38%見られ、これはゲノム規模でのアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民からの平均的影響の16%を大きく上回ります。バンツー語族東部集団のゲノムのLCT領域では、ラクターゼを持続させる多様体に関して、同様に在来のアフリカ東部集団からのゲノム規模での平均的影響を大きく上回る影響が見られます。これは、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから世界各地に拡散するさいに、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)から、交雑により新たな環境で適応度を高めるような遺伝子多様体を獲得した、と推定されていることと同様です(関連記事)。人類に限らず、生物史においてこうしたことは珍しくなかったのでしょう。

 本論文は、アフリカ系アメリカ人におけるバンツー語族集団の遺伝的影響も検証しています。本論文は、北アメリカ大陸のさまざまな地域の5244人のアフリカ系アメリカ人のアフリカ系統を分析しました。その結果、以前の分析とおおむね一致して、アフリカ系アメリカ人はアメリカ合衆国の北部と南部でそれぞれ、73%と83%のアフリカ系統を有する、と推定されました。本論文はアフリカ系統をさらに区分し、13%がセネガルおよびガンビア(セネガンビア)、7%が風上海岸(奴隷海岸)、50%がベニン湾、最大で30%がアフリカ西部中央(ほぼアンゴラ)に由来する、と推定しています。以下に掲載する、本論文の図4でこれが示されています。
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 アフリカ系アメリカ人のゲノムにおけるバンツー語族西部中央集団由来領域の推定値は、1619~1860年の間に北アメリカ大陸に連行された奴隷の23%はアフリカ西部中央に起源がある、と報告する歴史的記録と一致します。本論文はさらに、アフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民系統は、アフリカ系アメリカ人のアフリカ系統の4.8%以下を占める、と推定しています。アフリカの熱帯雨林狩猟採集民が直接的に奴隷として北アメリカ大陸に連行されたわけではなさそうだとすると、この4.8%は、アフリカ系アメリカ人のゲノムの巨大な断片は、16%程度のアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民系統を有するバンツー語族西部中央集団に由来する、と推測されます。

 本論文の知見は、アフリカ系アメリカ人の起源が以前に想定されていたよりも多様である、と示唆します。また以前には、大きなアレル頻度と、アフリカ西部の非バンツー語族集団であるヨルバ人に基づき、アフリカ系アメリカ人ではマラリアと関連するHBBおよびCD36遺伝子における選択圧が弱くなった、と推測されていました。本論文は、アフリカ西部集団のみを対象すると、この結果は再現されるものの、本論文で推定されたより多様な一連のアフリカ系統の起源を想定すると、同じ結果は得られなかった、と指摘します。以前の結果は、アフリカ系アメリカ人におけるアフリカ系統の唯一の起源集団としてヨルバ人を用いたことに起因する、と本論文は指摘します。さらに本論文は、アフリカ系アメリカ人のゲノムにおけるアフリカ系統では、上述のHLA領域やLCT領域のような平均を超える過剰な割合が検出されなかったことから、選択圧の大きな変化はアフリカ系アメリカ人の歴史では起きなかった、と推測しています。


参考文献:
Patin E. et al.(2017): Dispersals and genetic adaptation of Bantu-speaking populations in Africa and North America. Science, 356, 6337, 543-546.
https://doi.org/10.1126/science.aal1988

日本人の身長関連遺伝子

 日本人の身長関連遺伝子についての研究(Akiyama et al., 2019)が報道されました。日本語の解説記事もあります。身長や体重など、遺伝的要因と環境的要因が相互に影響して個人の違いを生じる特徴は多因子形質と呼ばれています。身長は多因子形質の中でも遺伝的な影響が強いと知られており、ヨーロッパやアメリカ合衆国の双子を用いた研究では、身長の個人差の8割程度は遺伝的要因によって生じている、と報告されています。こうした多因子形質の原因の特定には、ゲノムワイド関連解析(GWAS)が用いられています。これは、疾患や身長・体重などの量的な形質に影響があるゲノム上のマーカー(遺伝的変異)を、網羅的に検索する手法です。これまで、身長関連の遺伝的要因の研究はヨーロッパとアメリカ合衆国が対象の中心で、日本人を対象とした研究は小規模なものに限られていました。本論文は、日本人約19万人のゲノム規模関連解析により、身長に関わる573の遺伝的変異を同定しました。

 本論文は、全ゲノムインピュテーション(全ゲノム予測)という方法を用いて、この問題に取り組みました。全ゲノム予測とは、験で測定されていない遺伝的変異を推定する遺伝統計学的方法です。GWASのさいに、実験で測定された遺伝子変異だけを用いると、数十万ヶ所の遺伝的変異しか比較できませんが、全ゲノム予測の場合、比較できる遺伝的変異の数を数千万ヶ所にも増やせます。本論文は、まず全ゲノム予測の精度を改善するために、バイオバンク・ジャパンで実施された日本人1037人の全ゲノム配列データと、国際的な1000ゲノムプロジェクトで実施された、さまざまな地域集団を対象とした2504人の公開されている全ゲノム配列データを統合し、日本人の全ゲノム予測用の参照配列を新たに構築しました。本論文は、バイオバンク・ジャパンの参照配列に用いた標本とは別の標本で精度を検証し、既存の参照配列と比較して高精度に遺伝的変異を推定できる、と確認しました。とくに、アレル(対立遺伝子)頻度が低い遺伝的変異においては、精度が著しく向上していました。

 本論文は、作成した予測参照配列を用いて、バイオバンク・ジャパンに参加した159195人を対象に、約2800万ヶ所の遺伝的変異が身長に及ぼす影響についてGWASを実施しました。その結果、363のゲノム領域に存在する609の遺伝的変異がゲノム規模水準を超えており、身長に関わる、と分かりました。さらに本論文は、同定された遺伝的変異の再現性について検証するために、日本の4研究に参加した32692人について同様の解析を行ない、609のうち573の遺伝的変異が日本人の身長に関わる、と明らかになりました。このうち64の遺伝的変異はアレル頻度が5%未満で、これまでの方法では検出が難しいものでした。ただ、発見されたそれぞれの領域には複数の遺伝子が存在しているため、どの遺伝子が身長の違いに影響しているかまでは判定できません。そこで本論文は、タンパク質に影響する遺伝的変異の情報を用いて遺伝子単位で関連を調べる手法により、どの遺伝子が身長へ影響しているかを検証しました。

 その結果、CYP26B1とSLC27A3というニつの遺伝子が身長に影響している、と明らかになりました。これらの遺伝子の多様体はいずれも、身長を高くすることに関わっている、と推定されました。また本論文は、CYP26B1遺伝子とSLC27A3遺伝子が他の形質にどのように影響するのか、バイオバンク・ジャパンのデータを用いて解析して、CYP26B1遺伝子は肥満の指標であるBMIに影響し、SLC27A3遺伝子はコレステロールや中性脂肪に影響する、と明らかになりました。それぞれ別の生物学的機序により身長に影響する可能性が示された、というわけです。さらに本論文は、GWASの結果に基づいた「gene-set enrichment解析(GWASの結果に基づいて遺伝子にスコアをつけ、スコアが高い遺伝子が特定の機能を持った遺伝子に集積しているのか、検討する解析手法)」や、アレル頻度別に遺伝的変異が身長に及ぼす影響について検証し、ヨーロッパやアメリカ合衆国の人々の結果と類似した結果が得られたことから、身長に関わる遺伝的要因の生物学的・遺伝的特徴は地域集団を超えて共通していると確認された、と指摘します。

 また本論文は、アレル頻度が低い遺伝的変異の影響に着目し、日本人の身長に関わる遺伝的要因がどのような影響を受けてきたのか、調べました。本論文は、遺伝的変異をアレル頻度に従って100種に分類し、それぞれの身長へ与える影響の平均値を調べました。その結果、アレル頻度が低い遺伝的変異では身長を高くする傾向にある、と明らかになりました。これは、身長を高くする効果を持った遺伝的変異が日本人集団では自然淘汰を受けていた、と示唆する結果で、高身長が日本人にとって何らかの不利な影響を及ぼしていた可能性を示しています。仮にそうだとして、理由についてはまだ不明ですが、島嶼化により大型動物(現代人も動物の中では大型種です)が小型化することは知られています。ただ、日本列島のような規模でも起き得ることなのかと考えると、別の要因を想定する方がよさそうに思います。この問題に関しては今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Akiyama M. et al.(2019): Characterizing rare and low-frequency height-associated variants in the Japanese population. Nature Communications, 10, 4393.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-12276-5

大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』第38回「長いお別れ」

 嘉納治五郎はカイロで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会で1940年の東京オリンピック開催を改めて認めさせた後、帰路の船中で亡くなります。田畑は嘉納の遺志を継いでオリンピック開催を訴えますが、イギリスもフランスも日中戦争(当時は事変扱い)を理由に不参加を伝えてきて、ついに副島道正は、開催中止を決断するよう、政府に訴えます。日中戦争終結の目途が立たない政府も、ついに1940年の東京オリンピック中止を発表します。それでも、金栗四三の弟子の小松勝は、1940年の夏季オリンピック大会が他の都市で開催されることを信じて、希望を失いません。しかし、1939年、第二次世界大戦が勃発し、1940年の夏季オリンピック大会は中止となります。今回は一気に時代が進み、太平洋戦争が勃発し、1943年、小松勝は学徒出陣により出征することになります。

 今回は、1940年に東京で開催予定だった夏季オリンピック大会の中止が主題になるのかと思ったら、あっさりとした描写でした。もっとも、前回までにその過程はよく描かれていたので、さほど不満ではありません。その代わりに今回は、小松とりくの結婚と、古今亭志ん生(美濃部孝蔵)をめぐる物語が長く描かれました。五りんの両親が小松勝とりくであることは、ほとんどの視聴者には予想がついていたでしょうから、予定調和的ではありますが、本筋と落語パートが明示的につながったという意味で、感慨深くもあります。今回は全体的に暗い話となり、次回もそうなりそうですが、ここは避けて通れないので、どのように描かれるのか、本注目しています。

『卑弥呼』第26話「剛毅」

 『ビッグコミックオリジナル』2019年10月20日号掲載分の感想です。前回は、タケル王がトンカラリンの洞窟から脱出できた場合を懸念するイクメに、そうなれば日見子(ヒミコ)たる自分が消えればよい、とヤノハが答える場面で終了しました。今回は、トンカラリンの洞窟の入口の前で、鞠智彦(ククチヒコ)の配下の志能備(シノビ)と思われるシコロが見張っている場面から始まります。そこへ、シコロよりも上の志能備と思われるアラタと棟梁が現れます。シコロはアラタと棟梁に、山社(ヤマト)の兵2人(ミマアキとクラト)が3日前にトンカラリンの洞窟にタケル王を封じ込め、タケル王を洞窟に残して出てきた、と説明します。ミマアキとクラトは、洞窟の中でタケル王を連れまわし、暗闇の中に放置したわけです。洞窟の出口には、おそらくは志能備のスサという人物が見張っていますが、タケル王はまだ現れていない、とシコロはアラタと棟梁に報告します。棟梁はアラタに、トンカラリンの洞窟に残るよう指示し、自分は鞠智彦に報告するために戻る、と言います。洞窟に入ってタケル王を救出しなくてもよいのか、とアラタに尋ねられた棟梁は、地図がなければ誰も迷うだけなので、絶対に中に入るな、と指示します。それでもタケル王を放置することに躊躇うアラタに、タケル王は日見彦(ヒミヒコ)なので、造作なく出られるはずだ、と棟梁は言います。

 山社の眼前まで迫った那軍の陣地では、山社からの使者であるミマアキがトメ将軍と面会していました。山社を守護するミマト将軍が息子のミマアキを使者として派遣したことにトメ将軍は感心しますが、武人として名高いトメ将軍を一度見たかったので、自分の意志で使者として来た、とミマアキは言います。トメ将軍は剛毅なミマアキを気に入ります。ミマアキはトメ将軍に、日見子(ヒミコ)たるヤノハからの和議を提示します。ミマアキはトメ将軍に、山社に攻め入ろうとした暈(クマ)のテヅチ将軍が率いる千人の兵は武装解除され、タケル王は追放された、と説明します。千人もの軍に無血で勝利したのか、と愉快そうに語るトメ将軍に、自分が言った通りだろう、とヌカデが言います。トメ将軍は、日見子と名乗る祈祷女(イノリメ)のヤノハがただ者ではない、と改めて認識します。トメ将軍はミマアキに、日見子たるヤノハと会わせてもらいたい、と和議の条件を提案します。トメ将軍がヤノハと会って気に入れば和議は成立、気に入らなければ戦う、というわけです。

 鞠智(ククチ)の里では、鞠智彦が志能備の棟梁と思われる人物から報告を受けていました。テヅチ将軍が裏切って山社は戦わずして勝利し、大河(筑後川と思われます)を渡って暈軍を撃破したトメ将軍率いる那軍は山社を包囲しているものの、まだ戦いは始まっていない、と報告を受けた鞠智彦は、すべての運が山社のヤノハに向いたな、やはり一度会ってみたい、と言います。タケル王が山社の兵によりトンカラリンの洞窟に放置された、と報告を受けた鞠智彦は、面白い仕置きを考えつくものだ、と感心するように言います。早急にタケル王を救出すべきだ、と進言された鞠智彦は、トンカラリンの洞窟の見取り図がなければ助け出せないので、自分が直接助けに行く、と伝えます。

 山社では、ミマト将軍とテヅチ将軍が会見していました。テヅチ将軍は、自部隊が那軍に包囲されて山社に入った以上、もはや暈には戻れず、山社に合流するしかないだろう、と覚悟を決めていました。ミマト将軍は、先行きは暗いと指摘します。いずれ総兵25000人の暈が本気で攻めてくるので、どう考えても勝ち目はない、というわけです。日見子たるヤノハは那の全軍2万人が山社につくと予言しているが、さすがに信じられない、とミマト将軍は嘆息します。トメ将軍は日見子たるヤノハと2日後の朝に会見し、和議か戦いか、自分たちの運命も決まる、とミマト将軍とテヅチ将軍は語り合います。

 鞠智彦は配下の兵を引き連れてトンカラリンの洞窟まで来ましたが、共に洞窟に入ろうとする志能備の棟梁を制し、自分だけで中に入ろうとします。洞窟の中は危険なので、無駄な死人を出したくない、心配無用というわけです。志能備の棟梁は剛毅な鞠智彦に感心し、鞠智彦の配下のウガヤは、剛毅である以上に、下々の者の生命すら大切に考えている人だ、と言います。洞窟に入った鞠智彦は、タケル王は賢いのでこの辺りまでは正しい道を進んだと思ったが、と呟きます。すると、鞠智彦の声を聞いたタケル王が鞠智彦に声をかけます。暗闇の中でずっと考えていたタケル王は鞠智彦に、今の想いを打ち明けます。自分は真の日見彦だが、父が無事な限りはイサオ王とは名乗れない、とタケル王は言います。倭の日見彦ではあっても、暈の渠師者(イサオ)・梟師(タケル)制は超えられない、というわけです。暈では大王が代々イサオを名乗り、その息子や後継者はタケルと名乗っていました。タケル王は鞠智彦に、今後、自分は暈タケルではなく山社タケル、つまりヤマトタケルと名乗る、と宣言します。タケル王は鞠智彦に、出口まで自分を導くよう、命じます。自分は朝日を待って外に出て、鞠智彦は1日待ってこっそり出れば、自分は自力でトンカラリンの洞窟を抜け出た正真正銘の日見彦として、日見子と騙るヤノハを殺す大義ができる、というわけです。自分の言葉に無反応な鞠智彦を見て、自分は気がふれたわけではないので、安心してほしい、とタケル王は笑って言います。すると鞠智彦は、無表情のままタケル王を刺し、イサオ王から、新たな日見彦を探すのでタケル王は黄泉の国に行けと命じられた、とタケル王に伝えます。倒れたタケル王を見て、自分はお前が嫌いだった、と鞠智彦は呟きます。

 山社では、トメ将軍と日見子たるヤノハの面会の日を迎えました。ヤノハをまだ真の日見子と認めていないトメ将軍は、刀をミマアキに預けようとしません。山社の兵士たちに弓を向けられても堂々としているトメ将軍の剛毅さにミマアキは感心します。トメ将軍と面会したヤノハは、自分が真の日見子か否か確かめる余裕はない、と伝えます。ヤノハが、天照大御神から、那国はトメ将軍を裏切ったので、即刻兵を率いて渡河(筑後川と思われます)しなければ、そなたは百日以内に死ぬ、とトメ将軍に伝えるところで今回は終了です。


 今回はタケル王の最期が描かれ、暈の仕組みもやや詳しく説明されました。タケル王はいかにもといった小者でしたが、鞠智彦はタケル王を賢い人物と評価しています。まあ、賢いというよりはずる賢いといった感じですし、鞠智彦もそうした意味で発現したのでしょう。タケル王の父親であるイサオ王は冷酷な人物なので、息子を見捨て新たなタケル王を立てる可能性が高いと予想していましたが、鞠智彦が自らタケル王を殺害するのは予想外でした。イサオ王は他にも息子がいるのか、あるいは息子に限らず優秀な人物をタケル王として擁立し、日見彦として諸国に認めさせようとしているのでしょうか。鞠智彦がタケル王を嫌っていたのはもっともだろう、と思います。人物相関図で「わがままで幼稚な性格の人物」と紹介されているタケル王の言動に、鞠智彦は随分と振り回されたでしょうから、鞠智彦にとってタケル王は暈の足を引っ張っている人物という認識だったと思います。鞠智彦がタケル王にうんざりしているような描写もこれまでにあったので、今回は納得のいく話になっていました。鞠智彦は自分だけでトンカラリンの洞窟に入り、配下はそれを鞠智彦の剛毅さと思いやりと解釈していましたが、そういう側面もあるとしても、タケル王の殺害場面を見られたくなかったのが最大の理由でしょう。現時点では、ヤノハの思惑通りに事態が進んでいるように見えますが、剛毅な知恵者である鞠智彦と、それ以上に大物かもしれないイサオ王がこのままヤノハの思惑通りに進むことを見逃すとは思えず、ヤノハが鞠智彦やイサオ王とどう関わっていくのか、注目されます。

 今回の表題である剛毅とは、一人は鞠智彦、もう一人はトメ将軍を指します。トメ将軍は、ヤノハが真の日見子なのか見極めるために、ヤノハと面会します。ここで、ヤノハがアカメに、トメ将軍を陥れるような噂を那国で流すよう、命じたことが活きてくるのではないか、と思います。那国上層部は、その噂によりトメ将軍に疑いを抱いているでしょうから、トメ将軍ヤノハはトメ将軍に、兵を率いて那国に戻らせ、那国を掌握させようとしているのでしょうか。あるいは、トメ将軍に自分を真の日見子と認めさせ、トメ将軍を那国に戻らせ、那国上層部のトメ将軍への疑念を解消させるとともに、那国上層部にもヤノハを真の日見子と認めさせ、那国を新生「山社国」の側に引き込もうとしているのかもしれません。いずれにしても、暈軍が今後本気で山社に攻め込めば、さすがに山社の兵数では持ちこたえられないでしょうから、倭国随一の富を誇る那(第1話でのイクメの説明)を新生「山社国」の陣営に引き込むことは必須です。

 暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、ヤノハと暈が和解することはなく、今後も対立を続けていくのでしょう。一方、那は『三国志』の奴国でしょうから、卑弥呼(日見子)たるヤノハの山社国(邪馬台国)陣営に就くことになりそうです。その意味で、今後の展開はある程度予想できるわけですが、その過程には創作の余地が大きいわけで、どう描かれるのか、楽しみです。『三国志』から予想すると、トメ将軍は、倭国から魏に派遣された大夫の難升米でしょうから、今後百日以内に落命することはなく、日見子たるヤノハに仕えることになりそうです。トメ将軍はかなり魅力的な人物造形になっていますから、どのような心境・経緯でヤノハに仕えることになるのか、今後の描写が楽しみです。

久住眞理、久住武『ヒューマン 私たち人類の壮大な物語─生命誕生から人間の未来までを見すえる総合科学』

 人間総合科学大学より2018年5月に刊行されました。本書は人間の総合的理解を意図しています。そのため本書は、DNAのような分子から、細胞→組織→臓器→個体→個体群(社会)→生物圏(生態系)まで各階層を扱い、それらを統合して人間を理解しようとしています。したがって、狭義の生物学だけではなく、文化的な側面にも多くの分量が割かれており、農耕や産業革命、現在進行中の情報革命(第四次産業革命)も言及されています。幅広い視野で人間を総合的に理解しようとする本書の意図はよく伝わっていると思います。専門化・細分化の進展は当然重要ではあるものの、それらを統合化することこそ肝要なのだ、というわけです。

 これは正論でほとんどの人々もそう考えているでしょうが、当然実行はたいへん困難です。本書も、広範な分野を扱っているだけに、個々の分野の専門家には疑問の残る解説もあるでしょう。たとえば、ヘッケルの反復説に肯定的なところです。しかし本書は、参考文献も明記しており、体系的な人間理解の教科書・入門書としては有益だと思います。細胞やホルモンなど、重要ではあるものの、私も含めてあまりよく理解していない人が多いだろう人間の存立基盤についての基礎的な解説もあり、生物学の復習というか、その手がかりとしても役立つでしょう。

 本書は人間の統合的理解を意図していますから、進化の観点も強く打ち出しています。本書は広範な分野を扱っているだけに、人類進化について詳しく解説できているわけではありませんが、形態の進化と文化の変容について簡潔に述べており、参考文献一覧もなかなか充実していますから、人類進化の教科書・入門書としても機能していると思います。本書は、人間の疾病にも進化的基盤がある、と指摘します。これは重要な観点と言えるでしょうが、本書は生物の出現にまでさかのぼり、長い射程で人間の進化を把握しているのが特徴です。

 こうした点も含めて本書は教科書・入門書としてなかなか良いと思うのですが、やや慎重さに欠けるところがあるのは残念です。たとえば、P120の図では哺乳類の誕生が6500万年前とされていますが、P121の図では2億2千万年前に初期哺乳類が進化し、6400万年前に哺乳類が繁栄した、とあります。ここは統一された説明にしておいてもらいたかったところです。またP124では、アウストラロピテクス属が中東で発見されたとありますが、アフリカでしか発見されていません。もっとも、これらが放置の価値を大きく下げているとは思いませんが。


参考文献:
久住眞理、久住武(2018)『ヒューマン 私たち人類の壮大な物語─生命誕生から人間の未来までを見すえる総合科学』(人間総合科学大学)

新種の翼竜(追記有)

 新種の翼竜に関する研究(Pentland et al., 2019)が公表されました。翼竜類に関する情報は、全ての大陸で発見された化石に基づいていますが、翼竜類の骨は薄く、その内部は中空であるため、不完全で断片的な化石が多くなっています。とくにオーストラリアの翼竜類の化石記録は少なく、わずか20点の断片的な標本しか知られていません。この研究は、オーストラリアのクイーンズランド州のウィントン層で出土した、頭蓋骨のいくつかの部分と5本の椎骨の化石が翼竜類の新種だと明らかにし、「Ferrodraco lentoni」と命名しました。Ferroは、ラテン語のferrum(鉄)に由来し、鉄鉱石中に保存されていたことと関係しており、dracoはラテン語で竜を意味します。

 この研究は、上顎頂と下顎頂とスパイク状の歯を含む顎の形状と特徴に基づいて、これをアンハングエラ属の化石標本と同定しました。アンハングエラ属に関する情報は、ブラジルの白亜紀前期のロムアルド層から出土した化石に依拠しています。また、Ferrodraco lentoniと他のアンハングエラ属の翼竜類の比較により、Ferrodraco lentoniの翼開長は約4メートルと示唆されました。さらに、この研究は、前歯が小さいことなどFerrodraco lentoniには独特な歯の特徴があり、これにより他のアンハングエラ属の翼竜と区別できる、とも指摘しています。

 この化石は2017年にウィントン層の一部で発見されましたが、ウィントン層の形成は、9300万~9000万年前頃のチューロニアン期の前期まで続いたと考えられています。アンハングエラ属は1億~9400万年前頃のセノマニアン期の末期に絶滅したと考えられていましたが、Ferrodraco lentoniの発見は、オーストラリアにいたアンハングエラ属の翼竜が、他の地域よりも後の時代まで生き残っていた可能性を示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【古生物学】最も長く生き残っていたかもしれないオーストラリアの新種の翼竜

 最近発見された化石が翼竜類の新種であり、チューロニアン期(9300万~9000万年前)まで生き残っていた可能性のあることを報告する論文が、今週掲載される。この化石には、頭蓋骨のいくつかの部分と5本の椎骨が含まれており、オーストラリアで発見された翼竜類の化石標本の中で最も完全な形を残している。今回の研究で得られた知見から、この化石が、アンハングエラ属の翼竜の後期の種と考えられることが示唆された。アンハングエラ属は、セノマニアン期(1億~9400万年前)の末期に絶滅したと考えられていた。

 翼竜類に関する情報は、全ての大陸で発見された化石が基になっているが、翼竜類の骨は薄く、その内部は中空であるため、不完全で断片的な化石が多い。特にオーストラリアの翼竜類の化石記録が少なく、わずか20点の断片的な標本しか知られていない。

 今回、Adele Pentlandたちの研究グループは、ウィントン層(オーストラリア・クイーンズランド州)で出土した化石が、翼竜類の新種であることを発見し、「Ferrodraco lentoni」と命名した。Ferroは、ラテン語のferrum(鉄)に由来し、鉄鉱石中に保存されていたことと関係しており、dracoはラテン語で竜を意味する。Pentlandたちは、顎(上顎頂、下顎頂、スパイク状の歯を含む)の形状と特徴に基づいて、これをアンハングエラ属の化石標本と同定した。アンハングエラ属に関する情報は、ブラジルの白亜紀前期のロムアルド層から出土した化石に依拠している。また、Ferrodracoと他のアンハングエラ属の翼竜類の比較によって、Ferrodracoの翼開長が約4メートルであることが示唆された。さらに、Pentlandたちは、Ferrodracoに独特な歯の特徴(例えば、前歯が小さいこと)があり、これによって他のアンハングエラ属の翼竜と区別できることも報告している。

 この化石は2017年にウィントン層の一部で発見されたものだが、ウィントン層の形成は、チューロニアン期の前期まで続いたと考えられており、このことは、オーストラリアにいたアンハングエラ属の翼竜が他の地域よりも後の時代まで生き残っていた可能性があることを示唆している。



参考文献:
Pentland AH. et al.(2019): Ferrodraco lentoni gen. et sp. nov., a new ornithocheirid pterosaur from the Winton Formation (Cenomanian–lower Turonian) of Queensland, Australia. Scientific Reports, 9, 1345.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49789-4


追記(2019年10月8日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

ドマニシの前期更新世のサイの歯のタンパク質解析

 コーカサス南部に位置するジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された前期更新世のサイの歯のタンパク質解析に関する研究(Cappellini et al., 2019)が公表されました。古代DNAの塩基配列解読により、絶滅分類群の種分化・移動・混合事象の再構築が可能になりました。しかし、古代DNAの不可逆的な死後分解のために、永久凍土地域を除いて、その回収は年代が50万年前頃までの標本に限られてきました。一方、タンデム質量分析法では、150万年前頃のI型コラーゲンのアミノ酸配列解読が可能になっており、白亜紀の化石にタンパク質の痕跡の存在が示唆されているが、系統発生学的な使用は限られています。分子的な証拠がないために、前期更新世および中期更新世の複数の絶滅種の種分化に関しては議論が続いています。

 この研究は、ドマニシ遺跡から出土した177万年前頃となるサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)の一種の歯に由来するエナメル質のプロテオーム(タンパク質の総体)を用いて、更新世ユーラシアのサイ類の系統発生学的な関係を検証しました。分子系統解析の結果、このステファノリヌスは、ケサイ(Coelodonta antiquitatis)およびメルクサイ(Stephanorhinus kirchbergensis)によって形成されるクレード(単系統群)の姉妹群として位置づけられました。この研究は、ケサイ属が初期のステファノリヌス属系統から進化し、ステファノリヌス属には少なくとも2つの異なる進化系統が含まれていたことを明らかにしました。そのため本論文は、ステファノリヌス属は現時点では側系統となり、体系的な再考が必要になる、と指摘しています。

 この研究は、前期更新世の歯のエナメル質のプロテオーム解析が、古代のコラーゲンやDNAに基づく系統発生学的な推論の限界を克服できることを実証しています。またこの研究の手法からは、ドマニシで出土した他の標本について性別や分類学的な帰属に関するさらなる情報が得られました。これらの知見は、古代の歯のエナメル質(脊椎動物の最も硬い組織で、化石記録に非常に豊富に存在します)のプロテオーム研究が、古代DNAの保存に関して現在知られている限界を超えて、分子進化の再構築を前期更新世までさらにさかのぼらせ得る、と明らかにしています。ドマニシ遺跡では185万~176万年前頃の層で人類の痕跡が確認されており、人類遺骸も発見されています(関連記事)。今後、ドマニシ人も含めて、古代DNA研究の不可能な100万年以上の人類の系統関係が明らかになっていくのではないか、と大いに期待されます。


参考文献:
Cappellini E. et al.(2019): Early Pleistocene enamel proteome from Dmanisi resolves Stephanorhinus phylogeny. Nature, 574, 7776, 103–107.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1555-y

刷り込みによる種分化

 刷り込みによる種分化についての研究(Yang et al., 2019)が公表されました。性的刷り込みとは、子が親の形質を学習して、それを後に自身の配偶相手の選り好みのモデルとして用いる現象のことで、これは種間の生殖障壁を作り出す場合があります。刷り込みの対象となるのが交配に関わる形質で、若い系統の間で違いがある場合、刷り込まれた選好性が行動隔離に寄与し、種分化を促進する可能性があります。しかし、性選択による種分化のモデルの大半では分岐自然選択も必要で、これが、性選択された単一あるいは複数の形質、さらにはそうした形質に影響を与える配偶相手の選り好みに多様性を生じさせ、それを維持する作用が働きます。この研究は、刷り込みが、雌の配偶相手の選り好みに関わるだけでなく、雄同士の攻撃における偏りをも形成し得る、と明らかにしています。こうした偏りは、自然選択と同様に働き、形質や配偶相手の選り好みの多様性を維持させ、これが性選択によってのみ引き起こされる生殖隔離を促進します。

 この研究は、里親実験を行ない、中米に生息してさまざまな皮膚色を示すと知られているイチゴヤドクガエル(Oophaga pumilio)の雄と雌の両方で、最近急激に分岐した交配形質である配色の刷り込みが起こることを明らかにしています。里親に育てられた雌は、育ての母と同色の配偶者を好み、里親に育てられた雄は、育ての母と同色の競争者に対してより強い攻撃性を示しました。また、単純な集団遺伝学モデルを使うことで、雄の攻撃性の偏りと雌の配偶相手の選り好みの両方が親の刷り込みを通して形成された場合には、性選択だけにより同所的多型が安定化され、形質と選好性の関連が強化されて行動的な生殖隔離につながり得る、と実証されました。こうした知見は、両生類で刷り込みが起こる証拠を提供します。またこうした知見により、これまでほとんど考慮されていなかった、競争相手の刷り込みと性的刷り込みの組み合わせにより、分岐的な交配形質を持つ個体間の遺伝子流動の減少の可能性が提示され、それが性選択による種分化の準備となる、と示唆されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


進化学:刷り込みが種分化の準備をする

Cover Story:親の導き:イチゴヤドクガエルでは刷り込みが種分化につながる

 表紙のカエルはイチゴヤドクガエル(Oophaga pumilio)で、中米に生息し、さまざまな皮膚色を示すことが知られている。今回Y Yangたちは、イチゴヤドクガエルにおいて、母親の影響が、子の配偶相手の選り好みや競争をどのように形作るのか、そしてこれがいかにして新たな種の形成を駆動し得るのかについて明らかにしている。刷り込みでは、子は親から形質を学び、これは後に、行動の形成に役立つ。著者たちは、イチゴヤドクガエルの雌の子は、母と色が同じ雄の個体との交配を選ぶことを見いだした。同様に、雄の子は母と色が同じ雄に対してより攻撃的だった。著者たちが示唆する総合的な結果は、こうした刷り込みによって、分岐的な交配形質の多様性を有する個体間の遺伝子流動が低下するため、それが性選択によって種分化が生じる準備となるということである。



参考文献:
Yang Y, Servedio MR, and Richards-Zawacki CL.(2019): Imprinting sets the stage for speciation. Nature, 574, 7776, 99–102.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1599-z

ショウジョウバエにおける日中の色選好性

 ショウジョウバエ(Drosophila)における日中の色選好性に関する研究(Lazopulo et al., 2019)が公表されました。色による光識別は、動物を餌や隠れ家へ誘導し、有害な恐れのある状況から遠ざけることにより、生存を有利にし得ます。このような色に依存した行動には、学習によるものと先天的なものとがあり得ますが、ヒトも含めて哺乳類の先天的な色選好性に関するデータについては議論が続いており、無脊椎動物モデルでの研究では二者択一試験程度しか行なわれておらず、データが限られています。この研究は、青色光・緑色光・薄明光の3つの選択肢を与えられたショウジョウバエでは、色選好性が一日の時間帯によって変化するという、予想外の複雑なパターンが見られることを報告しています。

 ショウジョウバエは、早朝と午後遅くには緑色光に強い選好性を示しますが、正午頃には緑色光への選好性が低下し、青色光には一日を通して強い忌避を示します。遺伝学的操作からは、緑色光選好性のピークには、ロドプシンを視物質とする光受容器が必要で、それらのピークは概日時計によって制御されている、と明らかになりました。正午頃に緑色光の選好性が弱まって薄明光を好むのは、TRP(transient receptor potential)チャネルdTRPA1とPyrexiaに依存し、そのタイミングもやはり概日時計によって決定されていました。対照的に、青色光の忌避は、おもにmd(multidendritic)ニューロンを介して起こり、ロドプシン7とTRPチャネルであるPainlessが必要で、概日時計には無関係でした。これらの知見は、ショウジョウバエでは色に駆動される行動にいくつかのTRPチャネルが関わっており、先天的な色選好性に関わる複数の異なる経路が、周囲の光の中でショウジョウバエの行動動態を調整する、と明らかにしています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


神経科学:ショウジョウバエにおける日中の色選好性は概日時計とTRPチャネルに依存する

神経科学:一日の時間帯に応じた色の好み

 ヒトや哺乳類では、色に対する先天的な選好性については科学的な議論が分かれており、無脊椎動物モデルでの研究は、二者択一試験程度しか行われていない。今回S Syedたちは、ショウジョウバエ(Drosophila)に対する複数色アッセイ法を開発し、色に対する先天的な選好性は一日の時間帯に依存しており、ニューロン経路と分子経路の複雑なセットが関与することを明らかにしている。(1)青色光は一日を通して忌避され、主にmd(multidendritic)ニューロンを介して起こり、ロドプシン7とTRP(transient receptor potential)チャネルPainlessを必要とし、概日時計とは無関係である。(2)緑色光に対する選好性は朝と夕方にピークがあり、ロドプシンを視物質とする光受容器を必要とし、概日時計に制御されている。(3)緑色光に対する選好性は正午頃に低下して薄明光を好むようになり、それにはTRPチャネルであるdTRPA1とPyrexiaが必要で、そのタイミングはやはり概日時計により決められている。



参考文献:
Lazopulo S. et al.(2019): Daytime colour preference in Drosophila depends on the circadian clock and TRP channels. Nature, 574, 7776, 108–111.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1571-y

微量栄養素と海洋漁業

 微量栄養素と海洋漁業に関する研究(Hicks et al., 2019)が公表されました。微量栄養素の欠乏は毎年推定100万件に及ぶ若年死の主因で、一部の国では国内総生産(GDP)を最大11%も減少させているため、単に食料の生産量を増大させるのではなく、栄養の改善を重視した食料政策の必要性が指摘されています。ヒトはさまざまな食餌から栄養素を得ていますが、ヒトの健康に不可欠な、生体内で利用可能な微量栄養素を豊富に含む魚類は、見過ごされることが多くなっています。これは、多くの魚類に関する栄養成分組成の理解や、栄養収量が漁業ごとにどのように異なるのか、といったことに関する理解が不足しているためで、それが、食料と栄養の安全保障のために漁業の潜在力を効果的に利用するにあたって、必要となる政策の転換を妨げています。

 この研究は、世界43ヶ国367種の海水魚における7種類の栄養素の濃度データを用いて、環境的および生態学的な特徴からどのように海水魚種の栄養素含有量を予測できるのか、推定しました。この研究はその予測モデルを用いて、海洋漁業の栄養素濃度の全球的な空間パターンを定量化し、栄養収量をヒト集団における微量栄養素欠乏の広がりと比較しました。その結果、熱帯の温度構造で漁獲された種にはカルシウム・鉄・亜鉛が、比較的小型の種にはカルシウム・鉄・オメガ3脂肪酸が、寒冷な温度構造で漁獲された種や外洋に摂餌経路を持つ種にはオメガ3脂肪酸が、それぞれ高濃度で含まれている、と明らかになりました。

 栄養素の濃度と総漁獲量との間に関連性がなく、これは、その漁業の栄養素の質が種の組成によって決まることを明らかにしています。栄養摂取量が不充分な国の多くでは、漁獲した海水魚から利用可能な栄養素の量が、海岸から100 km以内に居住する集団での必要摂取量を上回っており、5歳未満の小児にとっては現在の水揚げ量の一部だけでも特に影響が大きい、と考えられます。これらの知見は、魚類に基づく食料戦略が、世界の食料と栄養の安全保障に大きく貢献する可能性がある、と示唆しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


漁業:世界の漁業を利用して微量栄養素の欠乏に取り組む

漁業:海洋漁業における微量栄養素含有量のマッピング

 魚類には、ヒトの健康に不可欠な微量栄養素が豊富に含まれているが、多くの魚類に関する栄養成分組成の理解や、栄養収量が漁業ごとにどのように変わるかについての理解が不足しているために、食料と栄養の安全保障のために漁業を利用するのに必要な政策転換が妨げられている。今回C Hicksたちは、世界43か国における367種の魚類の栄養成分組成に関するデータと、階層ベイズモデルを用いて、世界の漁業の微量栄養素組成をマッピングした。その結果、熱帯の温度構造で漁獲された種にはカルシウム、鉄、亜鉛が、比較的小型の種にはカルシウム、鉄、オメガ3脂肪酸が、そして寒冷な温度構造で漁獲された種にはオメガ3脂肪酸が高濃度で含まれることが分かった。漁業の栄養収量と微量栄養素の摂取不足リスクを比較したところ、栄養摂取量が不十分な国の多くでは、漁獲した海水魚から利用可能な栄養素の量が沿海部のヒト集団での必要摂取量を上回ることが明らかになった。今回の知見は、世界的に最も栄養が欠乏している国々の一部については、漁業によってその栄養状態が大きく改善できる可能性があることを示唆している。



参考文献:
Hicks CC. et al.(2019): Harnessing global fisheries to tackle micronutrient deficiencies. Nature, 574, 7776, 95–98.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1592-6

地下水利用の環境への影響(追記有)

 地下水利用の環境への影響に関する研究(de Graaf et al., 2019)が公表されました。地下水は世界最大の淡水資源で、灌漑、ひいては全球の食料安全保障に極めて重要です。地下水の河川への流入は、健全な生態系の維持に重要な役割を果たしていますが、地下水の採取は、持続可能性を失いつつあります。一部の地域では、地下水採取の速度が、降水と河川水による地下水涵養の速度をすでに上回っています。地下水が枯渇すると、河川の流量が減少し、河川・湖・湿地・その他の生態系へ流れ込む水の量が減ってしまい、水界生態系に壊滅的な影響をもたらす可能性があります。この研究は、河川流量が環境流量の限界に初めて到達した地域とその時期(河川流量が初めて2年間に3ヶ月以上連続して臨界点に到達した地域とその時期)を調べました。河川流量の臨界点に達するということは、水域生態系を維持するために充分な地下水流が得られなくなったことを意味します。

 この研究は、地下水の汲み上げと地下水の河川への流入を関連づけた全球モデル(1960~2100年を対象とします)を作成しました。このモデルは、全世界の河川流域の約20%、その大部分が地下水に依存した灌漑を行っている乾燥地帯(たとえば、メキシコの一部、ガンジス川上流域、インダス川流域)で、河川流量がすでに環境流量の限界を超えている、と示します。この研究では、地下水の汲み上げが行われている河川流域の推定42~79%において、2050年までに水域生態系を維持できない河川流量になると考えられる、と明らかになりました。この推定値は、新興国の人口増加や発展による地下水需要の増加の可能性を全く考慮に入れていないために、楽観的な推定になっている可能性が高い、とこの研究は指摘します。またこの研究は、これらの知見が、持続可能かつ効率的な地下水の利用を促進するための将来の取り組みにとって有益な情報になるかもしれない、と指摘します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【持続可能性】地下水利用が環境に及ぼす有害な影響をマッピングする

 世界で地下水採取が行われている河川流域のほぼ半数において、2050年までに地下水の汲み上げが水域生態系への水の流れに重大な影響を及ぼすようになるという予測を示したモデル研究について報告する論文が掲載される。地下水の河川への流入は、健全な生態系の維持に重要な役割を果たしているため、地下水資源の限界を理解することは重要だ。

 地下水の採取は、持続可能性を失いつつある。一部の地域では、地下水採取の速度が、降水と河川水による地下水涵養の速度をすでに上回っている。地下水が枯渇すると、河川の流量が減少し、河川、湖、湿地とその他の生態系へ流れ込む水の量が減ってしまう。

 今回、Inge de Graafたちの研究グループは、河川流量が環境流量の限界に初めて到達した地域とその時期(河川流量が初めて2年間に3か月以上連続して臨界点に到達した地域とその時期)を調べた。河川流量の臨界点に達するということは、水域生態系を維持するために十分な地下水流が得られなくなったことを意味する。de Graafたちは、地下水の汲み上げと地下水の河川への流入を関連付けた全球モデル(1960~2100年を対象とする)を作成した。このモデルは、全世界の河川流域の約20%、その大部分が地下水に依存した灌漑を行っている乾燥地帯(例えば、メキシコの一部、ガンジス川上流域、インダス川流域)で、河川流量がすでに環境流量の限界を超えていることを示している。今回の研究では、地下水の汲み上げが行われている河川流域の42~79%(推定)において、2050年までに水域生態系を維持できない河川流量になると考えられることが明らかになった。

 de Graafたちは、この推定値が、新興国の人口増加や発展による地下水需要の増加の可能性を全く考慮に入れていないために、楽観的な推定になっている可能性が高いとコメントしている。また彼らは、今回の研究によって得られた知見は、持続可能かつ効率的な地下水の利用を促進するための将来の取り組みにとって有益な情報となる可能性があると考えている。



参考文献:
de Graaf IEM. et al.(2019): Environmental flow limits to global groundwater pumping. Nature, 574, 7776, 90–94.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1594-4


追記(2019年10月5日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

腸内微生物相の破壊と分娩様式の関連

 腸内微生物相の破壊と分娩様式の関連についての研究(Shao et al., 2019)が公表されました。新生児は母親と周囲の環境から微生物を獲得し、それが腸内微生物相を形成します。この過程が破壊されることは、小児期やその後の人生における一部の疾患の発症に関連すると考えられてきました。生後数ヶ月(新生児期)の乳児の腸内微生物相の組成に何が影響を及ぼすのか、解明しようとする試みがなされてきましたが、標本サイズが小さく、微生物相の分解能が低いために制約を受けていました。

 この研究は、イギリスの病院で生まれた満期産児(596人、複数時点での採取により合計1679点の試料)の腸内微生物相の全ゲノム塩基配列解読を行ない、帝王切開による出産によって新生児期の微生物相の組成がどのように形成されるのか、調べました。調査した乳児のうち、314例が経腟分娩で、282例が帝王切開による分娩でした。分析の結果、帝王切開による出産は、母体の共生細菌の伝播が阻害され、環境的起源を持つ可能性の高い薬剤耐性日和見病原体の定着が多いことと関連する、と明らかになりました。具体的には、母親から乳児へのバクテロイデス属(Bacteroides)の株の伝播がほとんどなく、エンテロコッカス属(Enterococcus)やエンテロバクター属(Enterobacter)やクレブシエラ属(Klebsiella)など、病院の環境に関連する日和見病原体が約83%と高レベルで定着していました。一方、経腟分娩で生まれた乳児の場合、その比率は約49%でした。また、経腟分娩児の腸微生物相の組成の変動の最大の原因は、母親の抗生物質使用だったことも明らかになりました。

 この研究は、人生の非常に早い段階で腸内微生物相が確立される際に、局所的環境が重要な役割を担っている、と明らかにしており、抗微生物薬耐性を有する日和見病原体の定着が、これまで正しく評価されていなかった病院出産時のリスク要因である、と突き止められました。ただ、この研究は、腸内微生物相の破壊と出生直後の病原体の存在が臨床的にどのような結果をもたらすかについては解明できていない、と指摘しています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


【健康】マイクロバイオームの破壊との関連が認められる分娩様式

 帝王切開によって生まれた新生児は、異なった腸内微生物相を持つ傾向があり、病気を引き起こす可能性のある細菌が定着しやすいことを報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、この種の研究として最大規模のもので、その結果により、分娩様式が生後数週間の腸内微生物相を形作る主たる要因であることを示唆する先行研究の知見が確認された。

 新生児は、母親と周囲の環境から微生物を獲得し、それが腸内微生物相を形成する。この過程が破壊されることは、小児期やその後の人生における一部の疾患の発症に関連すると考えられてきた。生後数か月(新生児期)の乳児の腸内微生物相の組成に何が影響を及ぼすのかを解明しようとする試みがなされてきたが、サンプルサイズが小さく、微生物相の分解能が低いために制約を受けていた。

 今回、Trevor Lawleyたちの研究グループは、英国の病院で生まれた満期産児(596例)の腸内微生物相の全ゲノム塩基配列解読を行い、帝王切開による出産によって新生児期の微生物相の組成がどのように形成されるのかを調べた。調査した乳児のうち、314例が経腟分娩で、282例が帝王切開による分娩だった。分析の結果、帝王切開による出産は、母体の共生細菌の伝播が阻害されることと環境的起源を持つ可能性の高い薬剤耐性日和見病原体の定着が多いことと関連することが明らかになった。帝王切開によって生まれた乳児の約83%が疾患発症の原因となる可能性がある細菌を持っていたのに対し、経腟分娩で生まれた乳児の場合は約49%だった。また、経腟分娩児の腸微生物相の組成の変動の最大の原因は、母親の抗生物質使用だった。

 Lawleyたちは、腸内微生物相の破壊と出生直後の病原体の存在が臨床的にどのような結果をもたらすかについては解明できていないと結論付けている。


微生物学:帝王切開分娩における微生物相の発達不全および日和見病原体の定着

微生物学:新生児のマイクロバイオームには分娩様式が影響する

 現代の臨床業務が新生児の腸内微生物相の獲得に及ぼす影響は分かっていない。今回T Lawleyたちは、これまで調べられたうち最大の新生児コホート(生後1か月以内)において、英国の病院で生まれた596人の満期産児とその母親について、腸内微生物相の縦断的な試料採取(乳児期後期にも追跡試料を収集)とメタゲノム解析を行った。その結果、分娩様式が新生児期の腸内微生物相の組成に影響を及ぼす重要な要因であり、またこの影響は乳児期にも持続することが分かった。帝王切開による分娩では、母親から新生児へのバクテロイデス属(Bacteroides)細菌の伝播が起こらず、病院環境由来の抗微生物薬耐性日和見病原体が新生児に定着する率が高まっていた。



参考文献:
Shao Y. et al.(2019): Stunted microbiota and opportunistic pathogen colonization in caesarean-section birth. Nature, 574, 7776, 117–121.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1560-1

オホーツク文化人のハプログループY遺伝子

 一定以上の有名人の発言でも、イランは「広義のアラブ」というような、どうにも拡散・定着しそうにない馬鹿げたものを揶揄するように取り上げる(関連記事)のは時間の浪費だと考え、当ブログでわざわざ言及することはやめよう、と最近では心がけています。しかし、現代日本社会において、一定以上の比率で存在するだろう特定の政治的志向の人々の間でもてはやされ、定着しかねない与太話に関しては取り上げる価値があると考えているので、Y染色体について検索していて見かけた、以下に引用する表題の発言について私見を述べます。

これは擦文人との関係ではなくオホーツク文化人のハプログループY遺伝子を引き継いでいるという記事です。つまりオホーツク文化人の男系遺伝子を引き継いだという証明。すでに女系のmtDNAを引き継いでいる事は証明されているのでアイヌのホームタウンはアムール川流域である事を示していますね。

 まず、「ハプログループY遺伝子」という用語からして不適切です。ハプログループとは、類似したハプロタイプの集団のことです。ハプロタイプとは、ヒトのような二倍体生物では、単一の染色体上のアレル(対立遺伝子)の組み合わせです。ハプログループとは特定の遺伝子のことではなく、ハプログループの分類名の後に遺伝子をつけるような用語は不適切です。

 次に、上記発言は、2009年の北海道新聞の記事を引用したブログ記事に基づいており、そこでもすでに「Y遺伝子」とありますが、これはおそらく、紀元後7~13世紀のオホーツク文化集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)を解析し、そのハプログループ(mtHg)を決定した研究(Sato et al., 2009)に基づいていると思います。この研究は、北海道「縄文人」にはmtHg-Yが見られないのに対して、現代アイヌ集団には20%弱存在することから、現代アイヌ集団は北海道の続縄文時代および擦文時代の集団とオホーツク文化集団との混合により形成された、と推測しています。つまり、「オホーツク文化人の男系遺伝子を引き継いだという証明」となる研究ではありません。上記発言では「すでに女系のmtDNAを引き継いでいる事は証明されている」とありますが、それがこの研究を指しています。

 おそらく上記の発言主は、「ハプログループY遺伝子」とあるので、Y染色体ハプログループ(YHg)についての研究だと誤認したのでしょう。ちなみに、現時点でもYHgの分類名でまだYは割り当てられていません。率直に言って、この程度の認識で「アイヌのホームタウンはアムール川流域である事を示していますね」と発言するのは、たいへん恥ずかしいことだと思います。以前当ブログでもこの問題を取り上げましたが(関連記事)、実は5年近く前(2014年11月18日)に、的場光昭氏でさえ、

「アイヌ民族の特徴であるY遺伝子がない。」は、体細胞核にあるY染色体と混同される恐れがあるので、誤解を招きます。
ミトコンドリアDNAのハプログループYと訂正お願いします。


と懸念を表明していたくらいでした。上記発言は、的場氏の懸念が杞憂ではなかったことを証明してしまいました。率直に言って、アカウントを削除してもおかしくないくらいの失態だと思うのですが、こういう発言をする人は多くがふてぶてしいので、今後もアイヌ問題関連で遺伝学的研究を都合よく理解して、というか誤認して恥ずかしい発言を続けるのでしょう。なお、検索してみたところ、すでに北海道新聞の記事で「ハプログループY遺伝子」となっており、上記のブログ記事や発言主にも多少は同情の余地があるかもしれませんが、遺伝学的観点からアイヌの由来を語っているわけですから、やはりアカウント削除級の恥ずかしい間違いとの私見は変わりません。


参考文献:
Sato T. et al.(2009): Mitochondrial DNA haplogrouping of the Okhotsk people based on analysis of ancient DNA: an intermediate of gene flow from the continental Sakhalin people to the Ainu. Anthropological Science, 117, 3, 171–180.
https://doi.org/10.1537/ase.081202

ニア洞窟群の10万年以上前の人類の痕跡

 ボルネオ島のニア洞窟群(Niah Caves)のトレーダーズ洞窟(Traders’ Cave)で、0万年以上前の人類の痕跡が発見された、と報道されました。ニア洞窟群は1958年に4万年以上前の現生人類(Homo sapiens)の頭蓋が発見されており、これはアジア南東部では最古級の現生人類遺骸となります。報道では詳細は不明なのですが、トレーダーズ洞窟で109000年前頃の化石の骨とカキの殻が発見されたそうです。ただ、化石の骨が人類のものなのか、報道を読んでも明確ではありませんでした。カキの殻に人為的と判断できる痕跡が確認された、ということでしょうか。別の発掘区域では人工物も発見されているそうで、おそらく石器なのでしょう。

 仮に、人類がボルネオ島に10万年以上前に存在したとすると、どの人類なのか、大いに注目を集めそうです。近年、疑問も呈されているとはいえ、現生人類がアジア南東部やオセアニアへ遅くとも6万年以上前に拡散していた、との見解が複数提示されています(関連記事)。その意味で、ボルネオ島の10万年以上前の人類が現生人類である可能性は否定できません。ただ、ルソン島で発見された67000年前頃の人類遺骸はホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)と分類されており(関連記事)、現生人類ではないホモ属である可能性もじゅうぶん想定されます。今後は10万年以上前の層を調査する予定とのことですから、研究の進展がたいへん楽しみです。

火山島の崩壊前の兆候

 火山島の崩壊前の兆候に関する研究(Walter et al., 2019)が公表されました。インドネシアの火山島であるアナク・クラカタウ(Anak Krakatau)の山腹が2018年12月22日に崩壊し、それが引き金となって発生した津波により430人以上が死亡し、3万人以上が避難しましたが、事前の警告と思われるものはほとんどありませんでした。この研究は、火山が一部崩壊した12月22日より前に、いくつかの活動の兆候があったことを明らかにしました。

 まず、2018年1月にアナク・クラカタウ島の南西側の山腹が海に向かってゆっくりと移動し始め、その後2018年6月30日には同島で熱活動が活発化し、火山の一部崩壊までの数ヶ月間に同島の表面積が拡大し続けていました。この研究は、これらの要因がアナク・クラカタウ火山の山腹崩壊の原因究明に役立つのではないか、と考えています。これらの観測結果は、個別に検討した場合、その後の崩壊現象の発生を予測できるだけの決定的な現象とは判断できないものの、他の火山島で山腹崩壊の監視体制の充実に寄与し、早期警報技術の精緻化にも役立つ可能性があります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【地球科学】アナク・クラカタウの崩壊前に活動の兆候があった

 火山島アナク・クラカタウは、2018年12月に山腹が崩壊し、それが引き金となって発生した津波によって多数の死者が出た。この火山の崩壊が起こるまでの数か月間にいくつかの活動の兆候があったことを報告する論文が掲載される。この論文では、そうした異常現象が観測された時にそれらを個別に検討した場合、その後の崩壊現象の発生を予測できるだけの決定的な現象とは判断されないと考えられるが、この観測結果は将来的に有用なものとなる可能性があると指摘されている。

 アナク・クラカタウは、インドネシアの火山島で、その一部が2018年12月22日に崩壊し、それが引き金となって発生した津波によって、430人以上が死亡し、3万人以上が避難したが、事前の警告と思われるものはほとんどなかった。

 今回、Thomas Walterたちの研究グループは、火山が一部崩壊した12月22日より前にいくつかの活動の兆候があったことを明らかにした。つまり、2018年1月にアナク・クラカタウ島の南西側の山腹が海に向かってゆっくりと移動し始め、その後2018年6月30日には同島で熱活動が活発化し、火山の一部崩壊までの数か月間に同島の表面積が拡大し続けていたのだ。Walterたちは、これらの要因がアナク・クラカタウ火山の山腹崩壊の原因究明に役立つのではないかと考えている。今回明らかになった観測結果は、他の火山島で山腹崩壊の監視体制の充実に寄与し、早期警報技術の精緻化にも役立つ可能性がある。



参考文献:
Walter TR. et al.(2019): Complex hazard cascade culminating in the Anak Krakatau sector collapse. Nature Communications, 10, 4339.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-12284-5

気候変動とバナナ収穫量

 気候変動とバナナ収穫量エピに関する研究(Varma, and Bebber., 2019)が公表されました。デザートバナナは、プランテンや他の料理用品種とは異なり、一般に生食され、世界で最も重要な作物の一つとなっています。バナナは、多くの熱帯の国々の主食で、主要な輸出品です。バナナは世界の貿易と食料安全保障に重要な役割を果たしているため、温暖化によって最も大きな損失を被るバナナ栽培国を特定することは重要です。しかし、バナナの収穫量に関する国レベルのデータが少ないため、デザートバナナの栽培条件が気候変動の影響をどのように受けているのか、突き止めるのは困難です。

 この研究は、27ヶ国のバナナ収穫量のデータをまとめ、収穫量を最適化する年間気温条件と年間降水量条件を計算しました。その結果、収穫量が1960年代以降に全球平均でヘクタール当たり1.37トン増加し、27ヶ国中21ヶ国で1960年代以降の気温の変化によって栽培条件が改善された、と推定されました。しかし、こうしたプラスの作用の大部分が2050年には小さくなり、場合によってはマイナスに転じると予測されました。また、世界第4位のバナナ生産国であるブラジルとバナナの主要輸出国であるコロンビアなどは最大の被害を受ける可能性がある一方で、アフリカやエクアドルやホンジュラスのバナナ作物は、将来的な気温変化の恩恵を最も大きく受ける可能性が高い、と予測されました。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【農業】気候変動によって世界のバナナ収穫量が減少する可能性

 バナナの収穫量は、地球温暖化のために1960年代以降増加しているが、この傾向が今後数十年間に逆転する可能性があることを示唆する研究結果について報告する論文が、今週掲載される。バナナは世界の貿易と食料安全保障に重要な役割を果たしているため、温暖化によって最も大きな損失を被るバナナ栽培国を特定することは重要だ。

 デザートバナナは、プランテンや他の料理用品種とは異なり、一般に生食され、世界で最も重要な作物の1つとなっている。バナナは、多くの熱帯の国々の主食で、主要な輸出品である。しかし、バナナの収穫量に関する国レベルのデータが少ないため、デザートバナナの栽培条件が気候変動の影響をどのように受けているのかを突き止めることは難しい。

 今回、Varun VarmaとDaniel Bebberは、27か国のバナナ収穫量のデータをまとめ、収穫量を最適化する年間気温条件と年間降水量条件を計算した。そして、収穫量が1960年代以降に全球平均でヘクタール当たり1.37トン増加し、27か国中21か国で1960年代以降の気温の変化によって栽培条件が改善されたという推定結果が示され、こうしたプラスの作用の大部分が2050年には小さくなり、場合によってはマイナスに転じると予測された。また、世界第4位のバナナ生産国であるブラジルとバナナの主要輸出国であるコロンビアなどが最大の被害を受ける可能性があり、その一方で、アフリカ、エクアドル、ホンジュラスのバナナ作物が将来的な気温変化の恩恵を最も大きく受ける可能性が高いとされた。



参考文献:
Varma V, and Bebber DP.(2019): Climate change impacts on banana yields around the world. Nature Climate Change, 9, 10, 752–757.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0559-9

アメリカナキウサギの気候応答要因

 アメリカナキウサギ(Ochotona princeps)の気候応答要因に関する研究(Smith et al., 2019)が公表されました。同じ生物種でも気候に対する応答が異なっている原因と、それが気候変化に対する生物種の適応性にどのように影響するのか理解することは、保全活動にとって重要です。こうした差異が生じる原因は、個体群間の遺伝的差異だと考えられていました。アメリカナキウサギは、ウサギと野ウサギに近縁な小型動物種で、北アメリカ大陸西部の高地に典型的に見られ、その極端な気候に対する感受性を調べる研究が長く行なわれてきました。

 この研究は、博物館や野生生物機関や個々の研究者や科学文献からデータを幅広く集め、アメリカナキウサギの気候に対する応答が個体群により異なっている原因を分析しました。この研究では8仮説が検証され、アメリカナキウサギの個体群を生態地域によって分類すると、気候に対する応答の差異を最もよく説明できる、と明らかになりました。これは、アメリカナキウサギの分布が、単にその進化史を反映しているのではなく、むしろ、その生息域の特徴に強く関連している、と意味しています。その理由として、アメリカナキウサギがさまざまな植物を食餌とし、日よけに使っている可能性や、微小逃避地(岩陰や地下氷の近くなどの生息域内の涼しい場所)に依存して温暖化を生き延びている可能性が挙げられています。

 この研究は、保全政策を策定するさいに地理的要因を考慮すべきことが示唆されている、と結論づけています。またこの研究の知見は、懸念される種に対する地域限定的な管理と回復の必要性にとって重要な意味を持っており、ある地域で成功した管理手法が、別の地域では不適切なものとなり、悲惨な結果をもたらす場合さえあるかもしれない、とも指摘されています。「第六の大量絶滅」が強調されるようになってきたなか、保全活動の難しさを改めて指摘する研究と言えそうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


アメリカナキウサギの気候に対する応答に影響を及ぼすのは遺伝的要因ではなく地理的要因

 アメリカナキウサギの気候に対する応答の時空間的差異を予測する際に遺伝的要因より地理的要因の方が重要な役割を果たすという見解を示す論文が掲載される。

 同じ生物種でも気候に対する応答が異なっている原因とそのことが気候の変化に対する生物種の適応性にどのように影響するのかを理解することは、保全活動にとって重要だ。こうした差異が生じる原因は、個体群間の遺伝的差異だと考えられていた。アメリカナキウサギは、ウサギと野ウサギに近縁な小型動物種で、北米西部の高地に典型的に見られ、その極端な気候に対する感受性を調べる研究が長い間行われてきた。

 今回、Adam Smith、Erik Beeverたちの研究グループは、博物館、野生生物機関、個々の研究者、科学文献からデータを幅広く集め、アメリカナキウサギの気候に対する応答が個体群によって異なっている原因の分析を行った。この研究では、8つの仮説の検証が行われ、アメリカナキウサギの個体群を生態地域によって分類すると、気候に対する応答の差異を最もよく説明できることが明らかになった。このことは、アメリカナキウサギの分布が、単にその進化史を反映しているのではなく、むしろ、その生息域の特徴に強く関連していることを意味している。そうなっているのは、アメリカナキウサギがさまざまな植物を食餌とし、日よけに使っているからかもしれないし、あるいは微小逃避地(岩陰や地下氷の近くなどの生息域内の涼しい場所)に依存して温暖化を生き延びているからかもしれない。

 保全政策を策定する際に地理的要因を考慮すべきことが以上の知見から示唆されていると論文著者は結論づけている。一方、この論文と関連したMeagan OldfatherのNews & Viewsには、「[これらの知見]は、懸念される種に対する地域限定的な管理と回復の必要性にとって重要な意味を持っている。すなわち、ある地域で成功した管理手法が、別の地域では不適切なものとなり、悲惨な結果をもたらす場合さえあるかもしれないのだ」と記されている。



参考文献:
Smith AB. et al.(2019): Alternatives to genetic affinity as a context for within-species response to climate. Nature Climate Change, 9, 10, 787–794.
https://doi.org/10.1038/s41558-019-0584-8