松本克己「日本語の系統とその遺伝子的背景」

 日本語の系統やその起源については以前当ブログで取り上げましたが(関連記事)、明らかに勉強不足なので、比較的近年の知見を得るために本論文を読みました。本論文はPDFファイルで読めます。日本語は系統的孤立言語の一つとされていますが、ユーラシア大陸圏における10近い系統的孤立言語の半数近くが日本列島とその周辺に集中している、と本論文は指摘します。日本語以外では、アイヌ語・アムール下流域と樺太のギリヤーク(ニヴフ)語・朝鮮語です。本論文は、こうした系統的孤立言語の系統関係を明らかにするには、伝統的な歴史・比較言語とは別の手法が必要になる、と指摘します。歴史言語学で用いられる、おもに形態素や語彙レベルの類似性に基づいて言語間の同系性を明らかにしようとする手法では、たどれる言語史の年代幅が5000~6000年程度だからです。つまり、たとえば日本語とアイヌ語の共通祖語があったとしても、少なくとも6000年以上はさかのぼる、というわけです。

 本論文は、伝統的な歴史言語学の手法では推定の難しい言語間の系統関係を推定する手法として、「言語類型地理論」を提唱しています。これは、各言語の最も基本的な骨格を形作ると見られるような言語の内奥に潜む特質、通常は「類型的特徴」と呼ばれる言語特質を選び出し、それらの地理的な分布を通して、世界言語の全体を視野に入れた巨視的な立場から、各言語または言語群の位置づけを見極めようとするものです。本論文は、ユーラシア大陸圏の言語をまず内陸言語圏と太平洋沿岸言語圏に分類し、さらに太平洋沿岸圏を南方群(オーストリック大語族)と北方群(環日本海諸語)に分類します。系統的孤立言語とされる日本語・アイヌ語・ギリヤーク語・朝鮮語は北方群に分類されています。本論文の見解で興味深いのは、内陸言語圏と太平洋沿岸圏にまたがると分類されている漢語を、チベット・ビルマ系の言語と太平洋沿岸系の言語が4000年前頃に黄河中流域で接触した結果生まれた一種の混合語(クレオール)と位置づけていることです。また本論文は、太平洋沿岸言語圏がアメリカ大陸にまで分布している、と把握しています。

 本論文は、言語学的分類を遺伝学的研究成果と結びつけ、その系統関係を推定しようと試みている点で、伝統的な言語学とは異なると言えるでしょう。遺伝学的研究成果とは、具体的にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)の分類と、地理的分布および各地域集団における頻度で、本論文ではおもにYHgが取り上げられています。太平洋沿岸言語圏で本論文が注目しているYHgは、D・C・Oです。YHg-DとCは、出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団において、比較的早く分岐した系統です。YHg-Dの地理的分布は特異的で、おもにアンダマン諸島・チベット・日本列島と離れた地域に孤立的に存在します。本論文はこれを、言語地理学用語の「周辺残存分布」の典型と指摘しています。本論文はYHg-Cについても、Dよりも広範に分布しているとはいえ、周辺残存分布的と評価しています。本論文は、日本列島に最初に到来した現生人類のYHgはCとDだっただろう、と推測しています。しかし、本論文は地理的分布から、太平洋沿岸系言語と密接に関連するのはYHg-C・Dではなく、YHg-O1b(本論文公開時の分類はO2、以下、現在の分類名を採用します)と指摘します。YHg-Dが日本列島にもたらした言語は、人称代名詞による区分では出アフリカ古層系だろう、と本論文は推測しています。太平洋沿岸系言語と関連するYHg-O1bのサブグループでは、O1b1a1aが南方群、O1b2が日本語も含む北方群の分布とおおむね一致します。本論文は、アジア東部でもかつてはこうした太平洋沿岸系言語が存在したものの、漢語系のYHg-O2、とくにO2a2b1の拡散により消滅した、と推測しています。

 本論文は、日本語をもたらしたと推測されるYHg-O1b2の日本列島への到来について、アメリカ大陸における太平洋沿岸系言語の存在が重要な鍵になる、と指摘します。アメリカ大陸先住民の祖先集団は、アメリカ大陸へと拡散する前にベーリンジア(ベーリング陸橋)に留まっていた、とするベーリンジア潜伏モデルが有力です(関連記事)。このベーリンジアでの「潜伏」が最終氷期極大期(LGM)によりもたらされ、この「潜伏期」にボトルネック(瓶首効果)によりYHg-O1bが失われたとすると、日本語祖語となる太平洋沿岸系言語の担い手であるYHg-O1b2が日本列島に到来したのはLGM以前で、遅くとも25000年前頃だろう、と本論文は推測します。本論文は、この集団が石刃技法を有していた可能性も提示しています。このYHg-O1b2の到来により、日本列島の言語は、YHg-Dがもたらした出アフリカ古層系から太平洋沿岸系言語へと完全に置換された、と本論文は推測します。しかし、日本列島のYHg-Dは淘汰されず、現在でも高頻度(とくに高頻度のアイヌ集団を除くと3~4割)で足属している、と本論文は指摘します。

 本論文の見解はたいへん興味深く、今後、言語系統の研究と遺伝学的研究との融合が進んでいくだろう、と期待されます。ただ、YHg-O1b2系統における各系統への分岐が25000年前頃までに始まっていたのかというと、疑問も残ります。そうすると、日本列島へのYHg-O1b2の到来年代もずっと後になりそうです。何よりも、まだ「縄文人」においてはYHg-Oが確認されていません。YHg-O1b2はアジア東部にかつて現在よりも広範に分布しており、その中には弥生時代もしくは縄文時代晩期以降に日本列島へと農耕技術とともに到来した日本語祖語集団がいた、という想定の方が現時点では有力なように思われます。また、言語に代表される文化の変容と遺伝的継続・変容の程度との間には常に一定の相関が確認されるわけではなく、かなり多様だったと考えられるので(関連記事)、言語をはじめとして文化と遺伝的構成の関係については、固定的に把握してはならない、と私は考えています。日本語の起源と系統関係については、今後も長く議論が続いていきそうです。


参考文献:
松本克己(2012)「日本語の系統とその遺伝子的背景」千葉大学文学部公開講演会

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

kurozee
2019年11月26日 16:31
この松本論文の直後(2012年12月9日)に京大の公開講演会が開催され、それに基づく「日本語の起源と古代日本語」 京都大学文学研究科 (編)(2015/3/31 臨川書店)という本が発刊されています。本書には、松本氏の「私の言語系統論」が掲載されており、カラー刷りのY染色体の世界拡散地図が附属しています。この地図は、"Y chromosome diversity, human expansion, drift, and cultural evolution" Chiaroni, Underhill, Cavalli-Sforz論文(PNAS December 1, 2009 )に掲載された地図からの引用です。(当時、この地図を食い入るように眺めた記憶があります)
本書の松本論文の後には、吉田和彦氏による松本説についての数ページのコメントも載っているほか、先史日本語に関する3論文が読める良い参考書だと思います。ご参考までに。
2019年11月26日 18:13
ありがとうごさいます。確認してみたら、行動範囲内では、書店には在庫がありませんでしたが、複数の図書館にはあるので、一度読んでみるつもりです。