注目が高まるY染色体(追記有)

 皇位継承をめぐる議論でY染色体への関心が高まっているように思いますが、それ以前より、皇位継承とは関係なく、現代日本人の遺伝的構成の特異性を強調する観点から、Y染色体は注目されていたように思います。そうした言説では、現代日本人男性において3~4割を占めるY染色体ハプログループ(YHg)Dが韓国人や漢人ではほとんど見られないことから、日本人は韓国人や漢人といった近隣地域の人類集団とは遺伝的にはっきりと異なる、と強調されます。これはかなり偏った見解で、父系遺伝となるY染色体限定ではなくはるかに情報量の多いゲノム規模データでは、日本人と韓国人や漢人との遺伝的近縁性は明らかです。また、Y染色体DNAと同様に情報量はゲノム規模データよりずっと少ないものの、母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)でも、日本人と韓国人や漢人との遺伝的近縁性は明らかです。DNA解析技術が飛躍的に進展したこともあり、近年では、ゲノム規模データによる人類集団間の比較が主流になっています。

 しかし、これはY染色体DNAやmtDNAの解析が無意味になったことを意味しません。どちらも、ある集団の社会構造や形成史を推測するうえで重要な手がかりになります。人類史において移住・配偶の性的非対称は珍しくなく(関連記事)、それがY染色体DNAとmtDNAにはっきりと反映されている場合もあります。たとえばラテンアメリカでは、父系ではユーラシア西部系が、母系ではアメリカ大陸先住民系が多数派を占める傾向にあり、15世紀末以降、ヨーロッパ系の男性が主体となったアメリカ大陸の侵略を反映しています。こうした偏りは、常染色体だけでは解明しにくいと言えるでしょう。また、中国のフェイ人(Hui)の事例は、外来の少数男性がフェイ人(回族)の文化形成に重要な役割を果たした、と示唆します(関連記事)。父系社会の多い現代人において、情報量の多い常染色体DNAデータだけでは分からない歴史をY染色体が提供することも珍しくないだろう、と期待されます。

 とはいっても、当然Y染色体だけで文化や民族を解明できるわけではなく、そもそも民族を遺伝的に定義できるわけではありません。最近では、古代DNA研究の飛躍的な進展とともに、ある文化集団を遺伝的に均一と考える傾向について、懸念が呈されています(関連記事)。この点には注意が必要で、ある地域集団における文化変容・継続と遺伝的構成の関係はかなり複雑なものだった、と考えられます(関連記事)。同じ文化集団だから遺伝的に類似しているはずだ、という見解は問題ですが、一方で、遺伝的継続性が低いから先住集団の文化はほとんど継承されていないはずだ、との見解もまた問題で、たとえば日本列島における縄文時代から弥生時代への移行についても、慎重に検証していかねばならないでしょう。

 具体的には、「縄文人」の遺伝的影響が本州・四国・九州を中心とする現代日本の「本土」集団では低そうなので、縄文文化はその後の「本土」文化にほとんど影響を与えていないとか、「縄文人」や「弥生人」、とくに後者について、均一な遺伝的構成を想定する(関連記事)とかいった主張です。縄文時代から弥生時代への移行の解明に関しても、古代DNA研究が大きく貢献すると期待されますが、そのためには、日本列島だけではなく、広くユーラシア東部圏の古代DNA研究の進展が必要となるでしょう。


追記(2019年12月1日)
 Y染色体DNA解析の重要性を示す地域として、コーカサスがあります。現在のコーカサス地域では、常染色体やmtDNAが比較的均質なのに対して、Y染色体では民族に応じた大きな違いが見られます(関連記事)。フェイ人と同様に、父系の違いが文化の違いに大きな影響を及ぼした事例と言えそうです。

女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります

 表題の発言は半年ほど前(2019年5月10日)のもので、以下に全文を引用します。

女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります。
身を挺して歴代の天皇や、特に女性天皇が死守してきた皇統が、何者かに乗っ取られるのです。
征服者にとっては、それが始まりなのでしょうけどね。


 この発言を嘲笑する人は多いかもしれませんが、重要な論点が含まれており、一笑に付すようなものではない、と私は考えています。網野善彦『日本の歴史第00巻 「日本」とは何か』(講談社、2000年)では、「日本」はヤマトを中心に成立した国家の国号で、王朝名だと指摘されています(P333)。また網野氏はかつて、一部の支配者が決めた「日本」という国号は国民の総意で変えられると述べて、日本が嫌いなら日本から出ていけ、という手紙・葉書が届いたそうです(同書P94)。

 現在の女性皇族が「(天皇の男系子孫ではない)民間人」と結婚し、その子供が天皇に即位した場合、これを「王朝交替」と解釈することは、人類史、とくにヨーロッパ史的観点からは無理のない定義と言えるでしょう。日本も含まれる漢字文化圏でも、後周のように異なる男系でも同一王朝という事例もあり、異なる男系での君主継承が王朝交替の第一義的条件ではないとしても、実質的には男系の交替と王朝交替がおおむね一致しています。また漢字文化圏では、王朝が替われば国号も変わります。

 このように、異なる文化圏の概念の組み合わせという側面もありますが、「日本」という国号を王朝名、それまでとは異なる男系の天皇が誕生すれば「王朝交替」と考えれば、「女系(他系)継承を認めたら、日本は、終わります」という認識は一笑に付すようなものではない、と私は考えています。日本は、漢字文化圏的枠組みでは少なくとも6世紀以降「王朝交替」はなかったと言えるので(関連記事)、漢字文化圏としては異例の長さで同じ国号が続いたことから(漢字表記で正式に「日本」とされたのは8世紀初頭)、「日本」はもう地理的名称として定着した感もありますが、原理的には変えられるものなのだ、と気づく契機になり得るという点で、表題の発言は嘲笑されるべきではない、と私は考えています。

 もっとも、仮に今後日本で天皇制が廃止されたり、皇位の女系継承が容認され、女性皇族と天皇の男系子孫ではない夫との間の子供が即位したりするようなことがあっても、すでに定着した「日本」という国号を変える必要はまったくないと思いますし、もしそういう運動が起きたとしても、すでに長く定着した国号で愛着があるので、私は反対します。網野善彦氏は、「日本」は王朝名だと強調し、「日本」という枠組みで「(日本)列島」史を把握することに否定的ですが、そもそも「政治的」ではない「中立的な」地理的名称が世界にどれだけあるのかと考えれば、「アジア」や「朝鮮半島」や「中国大陸」という地名を採用しておきながら、ことさら「日本」を標的にすることには疑問が残ります。なお、網野氏は天皇号と日本国号の画期性を強調しますが、これにも疑問が残ります(関連記事)。

ワクチン接種を受けていない小児の「免疫記憶喪失」

 ワクチン接種を受けていない小児の「免疫記憶喪失」に関する二つの研究が公表されました。日本語の解説記事もあります。麻疹ワクチン導入前は、ほぼ全ての小児が麻疹感染を経験していました。ワクチン接種は2000~2017年の麻疹症例の80%減少に役立ち、推定2110万人の生命を救いました。しかし、反ワクチン活動・反ワクチン宗教団体・ワクチン接種の機会が限られていることなどから、麻疹は年間700万人以上に感染し、10万人以上を死亡させ続けています。2018年以降、ワクチン接種の減少のみで、麻疹感染が約300%増加しました。

 ワクチン接種の価値の評価に役立てるため、この二つの研究は、麻疹に関する、特徴的な発疹のような明らかな症状がなくなった後も数ヶ月から数年継続する免疫抑制を引き起こし得る、という仮説を検討しました。つまり、麻疹感染によりウイルスと細菌に対する免疫が長期的に活動不能になり、他の病原体による将来の感染症にかかりやすくなる一種の「免疫記憶喪失」が生じるのではないか、というわけです。この仮説はすでに、麻疹が感染性疾患による小児期の最高50%の死亡と関連しているという証拠など、過去の研究で裏づけられています。しかし、麻疹後の免疫抑制がヒトで正確にどのように生じるのかは不明です。

 一方の研究(Petrova et al., 2019)は、ワクチン接種を受けていない小児77名の麻疹感染前後のB細胞(ウイルスを認識しウイルスへの攻撃を配備できる一次免疫細胞の一つ)のシーケンシングを行ないました。小児は4~17歳で、麻疹の自然感染歴はなく、オランダの三つの東方正教会プロテスタント学校出身でした。小児の感染前後のB細胞データの比較から、麻疹による二つの免疫抑制の徴候が明らかになりました。それは、B細胞プールの不完全な再供給と、B細胞クローンの枯渇による免疫記憶の不全です。また、この研究は動物試験で、インフルエンザワクチン接種を既に受けており麻疹に感染したフェレットは、ウイルスに対する免疫が弱くなり、2回目のインフルエンザ感染時に重度の症状を示した、と明らかにしました。

 もう一方の研究(Mina et al., 2019)は、VirScanと呼ばれるツールを用いて、ワクチン接種を受けていない小児の麻疹感染前後の抗体反応を解析しました。この技術は血中の数千のウイルスおよび微生物抗原に対する抗体を追跡します。この研究は、麻疹感染2ヶ月後、麻疹により患者の抗体レパトアの11~73%が壊滅し、回復後もさまざまな感染症の免疫記憶が損なわれた、と明らかにしました。抗体の枯渇は、麻疹・流行性耳下腺炎・風疹のワクチン接種を受けた乳児では認められませんでした。さらに、麻疹に感染したマカクザルでは、抗体レパトアの60%が少なくとも5ヶ月間検出できませんでした。抗体レパトアは病原体への再曝露によって再構築可能ですが、これには数ヶ月から数年かかる場合があり、いくつかの健康リスクがもたらされるかもしれない、とこの研究は指摘しています。

 これら二つの研究は、麻疹を予防するだけではなく、他の種類の病原体に対する「集団免疫」の減弱も予防できる幅広いワクチン接種の必要性を再び強く示しました。ネットでは反ワクチン運動の言動が目立ちますが、こうした問題では、往々にして極論が目立ち、ネットではそうした極論が増幅される傾向にあるように思えるのは、困ったことです。確かに、ワクチン接種による弊害が皆無とは言えないでしょうが、基本的に人類に限らず生物はトレードオフ(交換)の問題に直面し続けるものなので、さまざまな観点から対策を取りつつも、どこかで割り切って決断しなければならないものだと思います。


参考文献:
Mina MJ. et al.(2019): Measles virus infection diminishes preexisting antibodies that offer protection from other pathogens. Science, 366, 6465, 599–606.
https://doi.org/10.1126/science.aay6485

Petrova VN. et al.(2019): Incomplete genetic reconstitution of B cell pools contributes to prolonged immunosuppression after measles. Science Immunology, 4, 41, eaay6125.
https://doi.org/10.1126/sciimmunol.aay6125