アジア東部集団の形成過程

 アジア東部も含めてユーラシア東部集団の形成過程の解明は、ユーラシア西部集団と比較して大きく遅れています。これは、ユーラシアにおいては東部よりも西部、とくにヨーロッパの古代DNA研究がはるかに進展しているためです。これは、近代以降にヨーロッパおよびその派生的文化圏である北アメリカから構成される西洋が覇権を掌握していたことに起因します。近代以降、学術も西洋が主導し、20世紀後半になってアジア(東洋)系の台頭が著しいとはいえ、西洋が確立してきた知の構造は依然として堅牢です。そのため、現代人集団の形成過程についても、まず自分たちの起源であるヨーロッパ、さらに範囲を拡大してユーラシア西部に関心が集中するのは仕方のないところでしょう。さらに、近代化で先行した西洋社会では、開発が進んでおり、それに伴う遺跡発掘の機会が多かったことも挙げられます。また、近代化で先行した西洋社会の方が、治安や政治および社会的安定と統合の点でも東洋社会より恵まれていた、という社会・政治環境も一因となったでしょう。

 こうした人為的要因とともに、自然環境の問題もあります。DNAがどれだけ残存しているかは、年代もさることながら(当然、一般的には新しい年代の方がより多く残る傾向にあります)、環境も重要となり、寒冷で乾燥した気候の方がより多く残りやすくなります。逆に、高温多湿環境ではDNAの分解が進みやすくなります。アジア東部では、たとえば北京は北に位置しており、じっさい冬はかなり寒いのですが、これはシベリア寒気団の影響によるもので、北京の緯度はローマよりも低く、夏の気温はローマより北京の方が高くなっています。当然、たとえばパリはローマよりもさらに気温が低くなります。ヨーロッパ、とくに西部はおおむね、北大西洋海流のため冬は北京よりも暖かいのですが、夏は北京よりも涼しく、この点で北京というかもっと広範囲の華北よりも古代DNA研究に適しています。当然、たとえば上海や広州は北京よりもずっと暑いわけで、この点でもアジア東部はヨーロッパよりも古代DNA研究で不利と言えるでしょう。日本列島も例外ではなく、たとえば札幌でさえ、ローマよりも緯度は高いものの、パリよりは低く、さらに日本列島はおおむね酸性土壌なので、そもそも人類遺骸の長期の残存に適していません。日本列島は非西洋社会としてはかなり早い時期に近代化が進展し、開発とそれに伴う遺跡の発掘が進んだ地域ですが、土壌と気候の点から古代DNA研究に適しているとは言い難いでしょう。

 このように、ユーラシア東部、とくにアジア東部は人為的および自然環境的問題のため、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して古代DNA研究が大きく遅れているのですが、それでも着実に進展しつつあり、とくに中国においては、経済発展とともに今後飛躍的な発展が期待されます。じっさい、アジア東部よりもさらに古代DNA研究に適していない自然環境のアジア南東部でも、4100~1700年前頃(関連記事)や8000~200年前頃(関連記事)の古代DNAが解析されています。また、アジア東部の古代DNA研究はまだ遅れているとしても、アジア東部系と遺伝的に近縁なアメリカ大陸先住民集団の古代DNA研究はかなり進展しているので、アジア南東部やアメリカ大陸、さらにはユーラシア西部の古代DNA研究を参照していけば、アジア東部集団の形成過程についても、ある程度は見通しが立てられるのではないか、と思います。以下、アジア東部集団の形成過程について、現時点での情報を整理します。

 出アフリカ系現代人の主要な祖先となった現生人類(Homo sapiens)集団は、出アフリカ後に各系統に分岐していきます。まず大きくはユーラシア西部系とユーラシア東部系に分岐し、後者はパプア人などオセアニア系とアジア東部・南東部・南部系に分岐していきます。現代東南アジア人の形成過程を検証した(関連記事)、以下に引用する研究(McColl et al., 2018)の図で示されているコステンキ(Kostenki)個体(関連記事)がユーラシア西部系を表します(図1)。
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 ヨーロッパ人の形成過程については、中期更新世~青銅器時代までを概観した(関連記事)以下に引用する研究(Lazaridis., 2018)の図にまとめられています(図2)。
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 アメリカ大陸先住民集団の形成過程とも関連してくる、シベリア北東部における後期更新世~完新世にかけての現生人類集団の変容を検証した(関連記事)、以下に引用する研究(Sikora et al., 2019)の図も参考になります(図3)。
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 分岐していった出アフリカ現生人類系統で注目されるのが、古代シベリア北部集団です。図3で示されているように、古代シベリア北部集団はユーラシア東部系統よりも西部系統の方と近縁ですが、アジア東部集団からも一定の遺伝的影響を受けている、と推定されています。古代シベリア北部集団は、シベリア東部北端に位置する31600年前頃となるヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)の31600年前頃の個体に代表されます。古代シベリア北部集団は、ユーラシア東部高緯度地帯に広範に分布していた、と考えられます。

 シベリア東部において30000年前頃以後、アジア東部集団が拡散してきて、古代シベリア北部集団と融合して新たな集団が形成され、24000年前頃には古代旧シベリア集団とベーリンジア(ベーリング陸橋)集団に分岐します。ベーリンジア集団からアメリカ大陸先住民集団が派生します。古代旧シベリア集団もベーリンジア集団も、アジア東部系統の遺伝的影響力の方がずっと強くなっています(63~75%)。アメリカ大陸先住民集団は、後に漢人など現代アジア東部集団を形成する系統と30000年前頃に分岐したアジア東部系統を基盤に、古代シベリア北部集団の遺伝的影響も一定以上受けて成立したわけです。

 図2で示されているように、古代シベリア北部集団はヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)経由で現代ヨーロッパ人の形成にも一定以上の影響を残しています。つまり、アメリカ大陸先住民集団は、アジア東部集団と遺伝的に強い関連を有しつつも、現代ヨーロッパ集団とも3万年前頃以降となる共通の遺伝的起源を有しているわけです。ユーラシア西部で見られるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)Xが、現代アジア東部集団では基本的に存在せず、アメリカ大陸先住民集団で一定以上確認されていることから、かつては更新世におけるヨーロッパからアメリカ大陸への人類集団の渡来も想定されました。しかし、ヨーロッパ集団にもアメリカ大陸先住民集団にも遺伝的影響を残した古代シベリア北部集団の存在が明らかになり、アメリカ大陸先住民集団のmtHg-Xは古代シベリア北部集団由来と考えると、人類集団の移動を整合的に解釈できると思います。

 アジア東部集団の形成過程に関する議論において問題となるのは、アジア東部集団においては、mtHg-Xが基本的には見られないように、古代シベリア北部集団の遺伝的影響がほとんど見られない、ということです。もちろん、たとえば中国のフェイ人(Hui)が父系(Y染色体DNA)でユーラシア西部系の遺伝的影響を受けていることからも(関連記事)、現代アジア東部集団にも古代シベリア北部集団の遺伝的影響は存在するでしょう。しかし、フェイ人(回族)におけるユーラシア西部系統の遺伝的影響は父系でも30%程度で、母系(mtDNA)でも常染色体でも、フェイ人は基本的にアジア東部集団に位置づけられます。アジア東部集団は近縁なアメリカ大陸先住民集団よりもずっと、古代シベリア北部集団の遺伝的影響が低い、と言えるでしょう。

 では、31600年前頃にはユーラシア東部高緯度地帯に広範に分布していたと考えられる古代シベリア北部集団にたいして、アジア東部集団はどのような経路でいつアジア東部に拡散してきたのかが問題となります。図1で示した研究(関連記事)を参考にすると、アフリカから東進してきた現生人類集団のうち、アジア南部まで拡散してきた集団が、アジア東部集団の起源だった、と考えられます。ここから、アジア南部もしくはさらに東進して南東部から北上した集団(北方系統)と、南方に留まった集団(南方系統)に分岐します。南方系統は、アジア南東部集団の主要な祖先集団の一部です。現時点で北方系統を表していると考えられるのは、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性です(関連記事)。ただ、田园男性の集団は現代人にほとんど遺伝的影響を残していない、と推測されています。田园集団と近縁な北方系統の集団は、北上してきた一部の南方系統集団と融合して、アジア東部集団の主要な祖先集団(祖型アジア東部集団)を形成した、と推測されます。そのさいに南方系統の方が北方系統よりも大きな遺伝的影響力を有したようです(およそ4:1の比率)。

 ここで問題となるのは、アジア東部には、大きな分類ではユーラシア東部系ではあるものの、祖型アジア東部集団とは遺伝的にかなり異なる集団がかつて存在し、現代の各地域集団の遺伝的相違にも影響を及ぼしている、ということです。まず、4万年前頃の田园男性がその代表格で、上述のようにその近縁集団が祖型アジア東部集団の形成に関わったと推測されますが、図1で示されているように、系統樹ではアジア東部の他集団と大きく異なる位置づけとされています。類似した位置づけなのが「縄文人」で、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した(関連記事)、以下に引用する研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)の図では、船泊遺跡縄文人(F23)は田园男性ほどではないにしても、他のアジア東部集団とは遺伝的にやや遠い関係にあります(図4)。
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 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な現代人集団は、日本人をはじめとしてウリチ人(Ulchi)や朝鮮人などアジア東部沿岸圏に分布しています。これは、愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2500年前頃の「縄文人」でも同様なので(関連記事)、少なくとも東日本の「縄文人」の遺伝的特徴だったと考えられます。これと関連して注目されるのは、頭蓋形態の研究から、ユーラシア東部には南方系の「第1層」と北方系の「第2層」が存在し、更新世のアジア東部および南東部には日本列島の「縄文人」も含めて「第1層」が広範に分布していたのに対して、農耕開始以降、「第2層」が拡大していった、とする見解です(関連記事)。

 遺伝学と形態学を安易に結びつけてはなりませんが、アジア東部にまず拡散してきた現代人の主要な祖先集団は、アフリカからアジア南東部までユーラシア南岸沿いに拡散し、そこから北上していった、と考えられます。これが「第1層」とおおむね対応しているのでしょう。「縄文人」もその1系統で、おそらくはこの最初期アジア東部集団のうち複数系統の融合により形成されたのではないか、と思います。アジア東部ではおもに日本列島とチベットでしか見られないY染色体ハプログループ(YHg)Dは、この最初期アジア東部集団に由来するのでしょう。ただ、日本のYHg-Dのうちかなりの割合は、「縄文人」に由来しない可能性もあると思います(関連記事)。農耕拡大に伴い、アジア東部ではおおむね「第2層」と対応する祖型アジア東部集団が拡大して遺伝的影響を高めていき、日本列島でも、本州・四国・九州を中心とする「本土」集団では、遺伝的に「縄文人」の影響が弱くなり、祖型アジア東部集団の影響がずっと強くなっていった、と考えられます。

 では、祖型アジア東部集団の農耕開始前の分布範囲はどこだったのか、という問題が生じるわけですが、これはまだ不明です。おそらく、アジア東部でも北方の内陸部に存在していたのではないか、と思います。祖型アジア東部集団に近い古代集団として、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡の2人が挙げられます(関連記事)。しかし、7700年前頃と推定されている悪魔の門遺跡の2人は現代人ではウリチ人に最も近く、漢人よりも朝鮮人および日本人の方と近縁です。おそら悪魔の門遺跡集団も、最初期アジア東部集団を基盤として、後に拡散してきた祖型アジア東部集団との融合により形成されたのでしょう。祖型アジア東部集団の形成過程と分布範囲については、今後明らかになっていく、と期待されます。


 まとめると、現代アジア東部人の主要な遺伝子源となった集団のうち、アジア東部へ最初に拡散してきたのは、アフリカからアジア南東部へと東進し、そこから4万年前頃以前に北上した最初期アジア東部集団でした。最初期アジア東部集団はアジア東部に広範に存在したと考えられます。「縄文人」は、最初期アジア東部集団のうち複数系統の融合により形成された、と推測されます。一方、最初期アジア東部集団とは別に、アジア南東部もしくは南部から北上してアジア東部内陸部北方に拡散してきた集団(北方系統)が存在し、その集団と、後にアジア南東部から北上してきた集団(南方系統)の融合により、祖型アジア東部集団が形成されました。そのさいに南方系統の方が北方系統よりも大きな遺伝的影響力を有したようです(およそ4:1の比率)。

 祖型アジア東部集団の分布範囲は、アジア東部でも内陸部の比較的北方だったものの北部集団の遺伝的影響をほとんど受けていないと考えられることから、その北限はシベリアよりも南だった可能性が高そうです。祖型アジア東部集団はアジア東部において農耕の拡大にともなって拡散し、遺伝的影響を強めていきました。日本列島もその例外ではなく、弥生時代以降に到来した祖型アジア東部集団系統の遺伝的影響が在来の「縄文人」を上回っていきます。アジア南東部においても、祖型アジア東部集団系統が完新世に2回にわたって南下してきて、一定以上の遺伝的影響を残しました(関連記事)。最初期アジア東部集団の中には、4万年前頃の田园集団のように、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していない集団も少なからずあった、と予想されます。

 私はアジア東部集団の形成過程を現時点ではこのように把握しているのですが、上述のように、アジア東部における古代DNA研究がヨーロッパとの比較で大きく遅れていることは否定できません。アジア東部においては、歴史時代においても、魏晋南北朝時代や五代十国時代~ダイチン・グルン(大清帝国)拡大期などにおいて、ある程度以上の遺伝的構成の変容があった、と考えられます。現時点では、在来集団も拡大集団もともにアジア東部系としてまとめられるかもしれませんが、将来は、アジア東部系もさらに細分化されていくだろう、と予想しています。現時点でのヨーロッパ人の形成に関する研究のように、アジア東部A系統とアジア東部B系統がどのような割合で混合したのか、というような詳しいモデル化も可能になるのではないか、というわけです。ヨーロッパと比較して古代DNA研究の遅れているアジア東部集団の形成過程について、確実な見解を提示できる段階ではまだありませんが、自分が現時点での見解を整理したかったので、まとめてみた次第です。勉強不足のため、今回は考古学の研究成果と組み合わせてまとめることができなかったので、今後はそれも課題となります。

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