2019年の古人類学界

 あくまでも私の関心に基づいたものですが、年末になったので、今年(2019年)も古人類学界について振り返っていくことにします。今年の動向を私の関心に沿って整理すると、以下のようになります。

(1)今年も大きく進展した古代DNA研究。

(2)タンパク質解析の人類進化研究への応用。

(3)人類の出アフリカの時期と経路をめぐる新たな証拠。


(1)近年ずっと繰り返していますが、今年も古代DNA研究の進展には目覚ましいものがありました。当ブログでもそれなりの数の古代DNA研究を取り上げましたが、知っていてもまだ取り上げていない研究も少なくありませんし、何よりも、まだ知らない研究もおおいのではないか、と思います。正直なところ、最新の研究動向にまったく追いついていけていないのですが、今後も少しでも多く取り上げていこう、と考えています。とりあえず、以下に当ブログで今年取り上げた研究を、数行程度で簡単に紹介していきます。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった「古代型ホモ属」と現生人類(Homo sapiens)との交雑については関心が高く、今年も重要な研究が相次いで公表されました。それらの研究で提示された見解には食い違いも見られますが、全体的に、交雑も含めて後期ホモ属の各系統間の相互作用はたいへん複雑だった、と示す傾向が強いように思います。20年前と言わず10年前と比較しても、人類進化、とくに後期ホモ属に関しては、かなり複雑な想定が必要とされているように思います。

 具体的には、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合系統とユーラシア東部およびオセアニアの現代人の祖先集団との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_35.html
現生人類と複数系統のデニソワ人とが複雑に交雑し、デニソワ人系統が3万年前頃までニューギニア島(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸と陸続きでサフルランドを形成)に存在した可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_19.html
デニソワ人やネアンデルタール人と近縁な絶滅ホモ属と現生人類との複雑な交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_40.html
ネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先と未知の人類との交雑の可能性を指摘した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_19.html
アフリカにおける現代人系統と未知の人類系統との交雑の可能性を指摘した研究などがあります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_34.html

 古代型ホモ属の新たなDNA解析結果も報告されており、ドイツとベルギーの12万年前頃のネアンデルタール人個体のDNA解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_56.html
ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_39.html
DNAメチル化地図からデニソワ人の形態を推測した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_50.html
DNAを直接解析したわけではありませんが、臼歯の歯根数からアジア東部における現生人類とデニソワ人の交雑の可能性を指摘した研究も注目されますが、
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_19.html
これに対しては異論も提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_43.html

 古代型ホモ属絶滅後の現生人類の古代DNA研究も大きく進展しており、やはりヨーロッパを中心としてユーラシア西部を対象としたものが多く、当ブログでもそれなりの数を取り上げました。私がとくに注目した研究としては、アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html
アメリカ大陸北極域とシベリアにおける人類集団の変遷に関する研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_17.html

 また、古代DNA研究の威力を改めて示した研究として、十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_33.html
ペリシテ人のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
これらは、前後の期間では検出されない、ある時期の微妙な遺伝的構成の変化を検出しています。十字軍兵士のDNA解析の事例は史料の裏づけにもなっており、歴史学においても古代DNA研究がますます活用されていくだろう、と予想しています。ユーラシア西部やアメリカ大陸と比較して遅れているユーラシア東部の古代DNA研究も進んでおり、北海道の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究と、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
愛知県の「縄文人」のDNA解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html

 ただ、こうした古代DNA研究の問題点も指摘されています。古代DNA研究における植民地主義的性格を指摘した記事や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_43.html
古代DNA研究が「極右」に利用される可能性を指摘した論文があります。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html
また、古代DNA研究というよりは広く遺伝学、さらには「科学的研究」の中に、人種差別的性格があることを指摘した記事もあります。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_55.html
これらの指摘の中には、同意できない見解も少なくないのですが、古代DNA研究が大きな問題を抱えていることも否定できないでしょう。


(2)このように古代DNA研究の近年の進展は目覚ましいのですが、年代に関しては限界があります。現時点でDNA解析に成功した個体は、人類では43万年前頃、それ以外の動物では78万~56万年前頃が最古の事例となります。そこで、古代DNA解析の限界年代を超えた古い年代の人類遺骸の遺伝的情報を得る手段として、タンパク質解析が注目されています。近年の古代タンパク質解析研究の進展に関する総説では、300万年以上前の動物遺骸のタンパク質解析も可能と指摘されています。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_58.html
人類ではありませんが、ジョージア(グルジア)の177万年前頃のサイ科動物のタンパク質解析結果を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_11.html
190万年前頃のギガントピテクスのタンパク質解析結果を報告した研究があります。
https://sicambre.at.webry.info/201912/article_19.html

 何よりも、チベット高原東部のホモ属下顎骨が、タンパク質解析により、それまではシベリア南部のアルタイ山脈の渓谷に位置するデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていなかったデニソワ人と確認されたことは、大きな成果だったと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_4.html
今後、古代DNA研究の困難な年代・地域の人類遺骸の遺伝的情報が得られていくだろう、と大いに期待されます。


(3)人類の出アフリカについては、現生人類とともに、それよりもはるかに古い最初のものも注目されます。最初の出アフリカは「異論の余地のない(アウストラロピテクス属的特徴をほとんど示さない)」ホモ属によるものだった、との見解が長きにわたって有力でした。しかし、近年ではジョージアでアウストラロピテクス属的な特徴も有する180万年前頃のホモ属遺骸も発見されており、見直されつつあります。レヴァントでは248万年前頃の石器が発見されており、人類の出アフリカが以前の有力説よりもはるかに古かったことを示唆していますが、人類遺骸はまだ発見されていないので、どの人類系統が最初にアフリカからユーラシアへと拡散したのか、不明です。
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_39.html

 遺伝学的な証拠からは、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは6万~5万年前頃と推定されています。それ以前の現生人類の出アフリカは十数万年前頃で、レヴァントまで拡散したものの、絶滅したかアフリカに撤退した、と考えられてきました。しかし近年、現生人類の出アフリカの時期と範囲を見直すことになるかもしれないような証拠が提示されています。ギリシア南部では、21万年以上前と推定されている現生人類的な頭蓋が発見されています。
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_25.html

 アジア南部でも10万年以上前までさかのぼる現生人類の痕跡の可能性が指摘されていますが、人類遺骸は発見されていないので、どの人類系統が担い手なのか、まだ断定できる段階ではありません。
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_43.html

 高地や砂漠などは人類にとって極限環境とされており、現生人類でも進出は遅れたと考えられていますが、現生人類の高地への拡散の最初期の事例として、47000~31000年前頃となるエチオピアの事例が報告されています。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_19.html


 上記の3区分に当てはまりませんが、その他には、ルソン島の後期更新世の新種ホモ属を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_17.html
中国南部の末期更新世の祖先的特徴を有する人類に関する研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_46.html
初期アウストラロピテクス属の進化を見直した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_57.html
最古のオルドワン(Oldowan)石器を報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_10.html
研究がたいへん注目されます。


 この他にも取り上げるべき研究は多くあるはずですが、読もうと思っていながらまだ読んでいない論文もかなり多く、古人類学の最新の動向になかなか追いつけていないのが現状で、重要な研究でありながら把握しきれていないものも多いのではないか、と思います。この状況を劇的に改善させられる自信はまったくないので、せめて今年並には本・論文を読み、地道に最新の動向を追いかけていこう、と考えています。なお、過去の回顧記事は以下の通りです。


2006年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_27.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_28.html
https://sicambre.at.webry.info/200612/article_29.html

2007年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200712/article_28.html

2008年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200812/article_25.html

2009年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/200912/article_25.html

2010年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201012/article_26.html

2011年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201112/article_24.html

2012年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201212/article_26.html

2013年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201312/article_33.html

2014年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201412/article_32.html

2015年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_31.html

2016年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201612/article_29.html

2017年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201712/article_29.html

2018年の古人類学界の回顧
https://sicambre.at.webry.info/201812/article_42.html

ボノボの詳細な形態とヒトとの共通性

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ボノボ(Pan paniscus)の詳細な形態に関する研究(Diogo., 2018)が報道されました。これまで、ヒト(Homo sapiens)は他の動物よりもはるかに特殊で複雑と考えられる傾向にありました。こうした見解は、特定の筋肉がヒトだけで進化し、その独特な身体的特徴をもたらした、と示唆します。しかし、こうした見解の検証は、これまでおもに単一標本の頭部または四肢のわずかな筋肉にのみ集中していた霊長類の柔組織の記述が少ないため、困難なままでした。野生と博物館の双方で、霊長類、とくに類人猿の解剖標本は希少です。

 本論文は、類人猿の形態に関する以前の全情報をまとめるとともに、自然界で死亡した何頭かのボノボの形態を分析し、ヒトの7種の異なる筋肉が存在するかどうか調べ、これらの7種の筋肉が類人猿に類似した形態で存在している、と明らかにしました。たとえば、ヒト二足歩行と一意的に関連しているといわれる腓骨筋は、検査したボノボの半分に存在していました。同様に、少なくともチンパンジー(Pan troglodytes)および/またはゴリラには、独自の洗練されたボーカルの進化と関連すると考えられていた斜披裂筋と、顔面コミュニケーションの進化と関連すると考えられていた顔面筋の笑筋が存在する、と明らかになりました。

 これらの知見からは、ヒトの軟組織の起源と進化が明らかに複雑で、かつ例外的ではない、と考えられます。これらの筋肉が類人猿に存在し、場合によっては特定の種の個体群の一部にしか存在しない理由について、何らかの選択圧があるのか、あるいは単に他の機能の副生成物に関連する進化的中立的な特徴なのか、より詳細に調べる必要がある、と本論文の著者であるディオゴ(Rui Diogo)氏は指摘します。ヒトは他の類人猿と明確に区別できるわけではなく、全体的にはあまり変わらないので、ヒトの体と進化史をよりよく理解するためには、霊長類の形態の徹底的な知識が必要になる、とディオゴ氏は指摘します。

 本論文の知見は、ヒトの特定の筋肉が、二足歩行や道具使用や声によるコミュニケーションや表情など、ヒトの特質に対する特別な適応の選択圧の結果として進化したという、ヒト中心の見解に疑問を呈しています。ヒトも類人猿の一種であり、ボノボやチンパンジーなど他の類人猿と共通する形態と進化史を有しています。これまで、ヒトの形態について、二足歩行や道具使用といったヒトの顕著な特徴と関連づけてその特有性が過大評価される傾向にあったのかもしれませんが、今後は、本論文のような霊長類の詳細な形態学的研究により、どこが共通でどこがヒト特有なのか、より正確に把握されるようになっていく、と期待されます。


参考文献:
Diogo M. et al.(2019): First Detailed Anatomical Study of Bonobos Reveals Intra-Specific Variations and Exposes Just-So Stories of Human Evolution, Bipedalism, and Tool Use. Frontiers in Ecology and Evolution, 6:53.
https://doi.org/10.3389/fevo.2018.00053