松尾千歳『シリーズ・実像に迫る11 島津斉彬』

 戎光祥出版から2017年7月に刊行されました。本書は島津斉彬の生涯を、豊富な図版で分かりやすく解説しています。斉彬の背景として、島津がどのような家柄なのか、ということも鎌倉時代にまでさかのぼって簡略に説明されており、少ないページ数ながら、一般向け書籍としてなかなか配慮されていると思います。斉彬登場の背景として、琉球を服属させ、「中国」との交易にも関わっているという薩摩藩の特質や、曾祖父の重豪の個性は以前から多少認識していましたが、不勉強なため、おもに重豪の代に築かれた幕府・諸藩、とくに諸藩との人脈についてはよく知らなかったので、この点でも参考になりました。

 斉彬がひじょうに優秀な人物として評価されていたことは、一般層にも浸透しているように思いますが、斉彬の個性の形成に、その母親の弥姫(賢章院)が深く関わっていることは知りませんでした。弥姫は息子である斉彬の教育にたいへん熱心だったようで、漢文の素読をはじめとして、書や絵画や和歌も自ら教えたそうです。また、当時の大名家としては珍しく、弥姫は斉彬の乳母を置かず、自ら育てたそうです。弥姫が鳥取藩主の池田治道の娘であることも、本書で初めて知りました。

 斉彬をめぐっては、大規模な御家騒動(お由羅騒動)がよく知られているでしょうが、本書はその背景として、薩摩藩の財政再建をめぐる対立があった、と指摘します。斉彬の曾祖父である重豪の代に、開花政策と征夷大将軍の岳父としての交友関係の活発化により、薩摩藩の財政は悪化します。それに対する財政再建策は重豪の制作の否定でもあったので、重豪は激怒して息子の斉宣を隠居させ、その重臣を切腹させます。斉宣の息子(斉彬の父)である斉興は、調所広郷を重用して財政再建を強く進めます。

 斉興は息子の斉彬が西洋列強に対抗するため近代化を進めすぎて、重豪の代のように財政状況が悪化することを警戒し、斉彬への家督形象を渋り、ここに斉興とその側室の間の息子である久光も絡んで、薩摩藩では大規模な御家騒動が勃発します。しかし本書は、斉彬派が主張したようなお由羅・久光派による呪詛は誤解で、斉彬は久光を高く評価していた、と指摘します。ただ、西郷隆盛のような斉彬に抜擢された一部家臣は、久光に対して悪印象を抱き続けたようです。また本書は、斉興も近代化の必要は認めていたものの、斉彬の政策の行き過ぎとその結果としての財政破綻を警戒していた、と指摘します。

 本書は斉彬の改革について、同時代の幕府や他藩が軍事関係、つまり「強兵」に偏っていたのに対して、「富国強兵」を進めようとし、幕府や藩ではなく日本という視点で改革を進めようとしていたことを高く評価しています。斉彬が目指したのは公武合体による挙国一致体制で、幕府を否定した明治政府の体制とは異なりますが、斉彬の遺志を久光や家臣の西郷隆盛・大久保利通などが継承して明治政府が成立した、と本書は指摘します。なお、篤姫(天璋院)が13代将軍の家定の正室になったのは、一橋慶喜を将軍に擁立するための工作ではなかった、と本書は指摘します。

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