歴史書に「愛国ポエム」が挟まっていてもいい

 辻田真佐憲氏の表題の記事が昨年(2019年)末に公開されました。色々と疑問の残る記事ですが、まず、

昨今、歴史書は「著者の主張やイデオロギーを紛れ込ませない」のがいい本だとされている。中立客観を標榜し、事実を淡々と並べ、解釈は読者に委ねる。それが潔いとされているのである。

そもそも、中立客観を標榜している本に主張やイデオロギーが紛れ込んでいないわけではないし、もっといえば、「実証主義で歴史修正主義を屈服させる」というたぐいの主張が、物語を否定しているようで、なんの実証性もない、物語否定の物語(メタ物語)に依拠していることもしばしば見受けられる。

との認識は、多分に藁人形論法のように思います。ここまで言うなら、具体的な本・論文・(ネット上のものも含めての)言説を提示し、それらが一定以上影響力を有している、と示すべきでしょう。とくに疑問に思ったのは、当ブログでも取り上げた(関連記事1および関連記事2)『日本国紀』の評価です。辻田氏は同書について、

わたしは、さきの会話をしながら、百田尚樹の『日本国紀』を思い出さずにはいられなかった。同書も、教科書的な記述の合間に、著者の考え――あるひとはこれを「愛国ポエム」といっていたが――が挟まっていると指摘されている。そしてそれにエビデンスがないなどと批判されている。

とはいえ、この主観的な部分があるからこそ、逆に同書は広く受容されていると考えることもできるのではないか。

もとより、その内容がすべて正しいといっているのではない。ただ、「結局どうなの?」という声がなくならない以上、それを無理に封殺しようとすると、その受容を満たしてくれるものがかえって強く求められるといっているのである。


と評価しています。「主観的な部分がある」歴史関連本は珍しくありません。そうした中で『日本国紀』が売れて(実売部数は出版社が期待したほど、あるいは公称している程ではないかもしれませんが、一般的にはベストセラーに分類されるでしょう)、一時的?にせよ大きな話題になったのは、同書の著者とされている百田尚樹氏の作家個人としての人気が大きかったからだ、と私は考えています。つまり、同書は内容ではなく著者の属人的な要因によるベストセラーだった、というのが私見です。

 なぜそう考えるのかというと、以前の当ブログの記事でも述べましたが、同書は基本的に淡々とした叙述になっており、所々で主観的な叙述、辻田氏に言わせると「愛国ポエム」が挟まっているだけで、全体的には退屈な歴史書になっているからです。同書は歴史挿話集といった感じで、体系的な歴史物語にはなっていません。Amazonでの同書の評価はきわめて高いのですが(当然、少ないながら低評価もあります)、同書を高く評価した人に著書名を伏せて読ませたら、まず間違いなく退屈な本という評価が大半を占めるだろう、と私は考えています。また、近現代史の叙述では「愛国的」なところもあるものの、王朝交替説や九州王朝説や天智・天武非兄弟説に肯定的であることなど、全体的には反日的で自虐的だ、と批判する人も多いでしょう。仮に、同書の著者を朝日新聞記者として刊行したならば、同書を高く評価した人の多くは、近現代史では「真実の歴史」に媚びているところもあるものの、「反日自虐本」であることは隠せない、と罵倒したでしょう。

 同書は内容的には、「反日自虐本」との批判が殺到しても仕方のないところがありますが、それが、

日本は悪い国だと教育を受け、大東亜戦争がどんな戦争だったかを習うことも無い戦後生まれにはこの本が本当の「歴史教科書」だと思います。

とさえ評価されるのは、同書の著者とされている百田尚樹氏のこれまでの言論活動(本や雑誌やテレビやネットなど)から、百田氏のファンが多いためだと思います。百田氏が書いたことだから「愛国的な真実」に違いない、というわけです。このように多数の人々に属人的評価をさせてしまう、百田氏の作家あるいは言論者としての力量が優れていることは否定できません。「愛国ポエム」調の歴史的言説を提示したところで、百田氏のような売れっ子になれるのは本当にごく一部です。『日本国紀』が話題になり、少なからぬ?層に「愛国的な真実の歴史」として好意的に受け止められたのは、「愛国ポエム」という主観的要素があるからではなく、百田氏が築き上げてきた個人的人気のためだった、と私は考えています。人間は、何を言った(やった)かではなく、誰が言った(やった)かで判断する、とはよく言われることです。これを安易な属人的判断として批判するのは簡単ですが、世の中には悪意のある人もおり、属人的判断が必要であることも否定できないとは思います。

人類進化系統樹におけるアンテセッサーの位置づけと後期ホモ属の進化の場所

 人類進化系統樹におけるホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)の位置づけと、後期ホモ属の進化の場所に関する研究(Castro, and Martinón-Torres., 2019)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)も含む後期ホモ属は広義のホモ・エレクトス(Homo erectus)から進化した、と考えられます。後期ホモ属においては、脳容量増加などの傾向が見られます。後期ホモ属の進化の場所はアフリカと考えられてきました。以前の有力説では、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先はハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)とされ、エチオピアのボド(Bodo)やドイツのビルツィングスレーベン(Bilzingsleben)中国の大茘(Dali)および鄖県(Yunxian)などの人類遺骸が含まれます。一方、アフリカの現生人類系統としてヘルメイ(Homo helmei)という種区分も提示されています。人類進化系統樹における位置づけの曖昧なホモ・アンテセッサーや種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も、広義のエレクトスから進化した後期ホモ属の一部です。

 アンテセッサーは20世紀末に、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先候補として提案されました。アンテセッサーは、スペイン北部のグランドリナ(Gran Dolina)洞窟遺跡で発見されたホモ属遺骸群の新たな種区分で、年代は85万~80万年前頃と推定されています。アンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統の推定分岐年代については、63万~52万年前頃(関連記事)とか751690年前頃(関連記事)とか複数説が提示されていますが、いずれにしても、アンテセッサーが最終共通祖先候補でも矛盾しない年代です。アンテセッサーは、未成熟個体でも成体でも現代人的な中顔面を示します。アンテセッサーのこうした現代人的形態は祖先的で、中期更新世のハイデルベルク人やネアンデルタール人のような中顔面は派生的との見解も提示されています。この見解では、現生人類の中顔面はボドやカブウェ(Kabwe)のようなアフリカの中期更新世人類から独立して派生した、と推測されています。

 こうした見解に対して、顔は形態学的および生理学的観点ではひじょうに複雑なシステムで、成因的相同は起きそうにない、との見解も提示されています。大茘や金牛山(Jinniushan)のような中期~後期更新世のアジア東部の人類に関しても、現代人的な中顔面は収斂進化ではなく、アンテセッサーからの共有祖先形質と考えられる、というわけです。さらに、アンテセッサーは頭蓋・下顎・歯・体骨格で、ネアンデルタール人などヨーロッパの中期更新世人類との共通の特徴が指摘されています。そのため、アンテセッサーがネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先系統と分岐した絶滅系統の可能性も提示されており、この見解では、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先はまだ特定されていないとこになります(関連記事)。しかし、アンテセッサーは単に世界中のホモ属の祖先形態を表しているのではなく、ユーラシア東部のエレクトスとは頭蓋や歯が異なることから、ネアンデルタール人と現生人類の分岐の場所に関する考察に役立つのではないか、と本論文は指摘します。

 まず、アンテセッサーはアフリカで進化し、後にアフリカでネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した、という想定です。この仮説の派生として、最終共通祖先候補であるハイデルベルク人と現生人類の中間的な種としてヘルメイが想定されるか、あるいはヘルメイが最終共通祖先候補とされます。この仮説が正しければ、アンテセッサーの特徴や、ネアンデルタール人のようないくつかの中期更新世人類系統の祖型的特徴がアフリカで見つかるはずです。

 次に、代替的でより節約的な仮説では、レヴァントも含むアジア南西部こそが、後期ホモ属進化の重要な舞台だった、と想定されます。アジア南西部の更新世の環境は比較的安定しており、生物多様性が高く、人類の居住に適している、と指摘されています。アジア南西部こそ、アンテセッサーだけではなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先が進化した場所だったのではないか、というわけです。この仮説では、進化の続くアジア南西部からヨーロッパ・ユーラシア東部・アフリカへと人類が移動した、と想定されます。この仮説は、ヨーロッパの中期更新世人類の多様性(関連記事)、ネアンデルタール人のアジア南西部起源、アンテセッサーに見られるヨーロッパとアジアとアフリカの共有祖先形質的な中顔面、75万~55万年前頃という最終共通祖先の推定存在年代を説明できます。

 120万~50万年前頃となる前期~中期更新世の移行期には、気候変動幅が41000年周期から10万年周期へと変わっていきました。この気候変動周期の変化以降、アフリカでは乾燥化が進んでいきましたが、気温や降水量も周期的に変動していき、温暖で湿潤な時期もありました。動植物相に影響を与えたこれらの変化により、レヴァント回廊が前期更新世後期および中期更新世の特定の期間に開き、ユーラシアからアフリカへの、また逆方向の人類集団の移動が異なる時期に起きた可能性は否定できない、と本論文は指摘します。

 本論文の見解は、「超旧人類」・現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先集団はアフリカからユーラシアへと最初に拡散したホモ属であるエレクトスで、その一部がアフリカに戻って現生人類系統へと進化した可能性を指摘する、遺伝学的見解(関連記事)とも整合的です。あるいは今後、アジア南西部こそ後期ホモ属の主要な進化の場所だった、との見解が有力になっていくのかもしれません。ただ私は、更新世におけるホモ属の出アフリカは珍しくなく、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先がアフリカで出現した可能性は高い、とまだ考えています(関連記事)。


参考文献:
Castro JMB, and Martinón-Torres M.(2019): Filling the gap. What does Homo antecessor tell us about the origin of the “emergent humanity” that gave rise to Homo sapiens? Journal of Anthropological Sciences, 97, 209-213.