ニワトリではなく飼育していたキジを消費していた中国北西部の初期農耕民

 中国北西部の初期農耕民によるニワトリではなく飼育していたキジの消費を報告した研究(Barton et al., 2020)が公表されました。現在では、農耕・牧畜(植物の栽培化・動物の家畜化)は、年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まり、周辺地域に拡散していった、と考えられており、この問題に関しては2014年の総説的論文が今でも有益だと思います(関連記事)。中国北部も9000~7000年前頃に農耕が独自に始まった地域で、地域特有の植物の栽培化と動物の家畜化が進行し、それはキビ属とエノコログサ属(アワ)といった穀類やブタやイヌやニワトリといった家畜です。

 農耕への移行の原因については今でも議論が続いており、とくに高い関心が寄せられているのは、アジア東部のニワトリ(Gallus gallus domesticus)です。ニワトリは現在地球上で最も広範に存在する家畜ですが、ニワトリが、どこで、いつ、どのように進化したのか、合意は得られていません。中国の早期新石器時代の農耕村落遺跡では、しばしばニワトリとして識別されてきた中型の鳥の骨が含まれており、ニワトリの家畜化の最古の事例と解釈されてきました。しかし、こうした新石器時代の中国においてニワトリが出土した遺跡の中には、ニワトリの野生祖先である熱帯に適応したセキショクヤケイ(Gallus gallus)が現在では繁栄していない、中国北部の乾燥地域に位置しているものもあり、議論となっています。

 本論文は、1978~1984年に中華人民共和国甘粛省(Gansu Province)秦安県(Qin'an County)の大地湾(Dadiwan)遺跡で発掘された鳥の骨を分析しています。大地湾遺跡におけるヒトの痕跡は8万年前頃までさかのぼり、農耕の最初の痕跡は老官台(Laoguantai)文化期となる7800年前頃(以下、すべて較正年代です)以降となります。6300年前頃までに、大地湾遺跡では農耕が発展して文化は複雑的となり、永続的な建築・貯蔵施設・工芸品生産地区・豪華な埋葬が出現し、ヒエやキビが栽培化され、イヌとブタが一年中穀類で飼育されたという同位体証拠も提示されています。

 以前の研究では、この早期新石器時代農耕共同体の鳥も穀物を与えられた推測されており、それはおそらくC4植物のキビで、夏の間にのみ成長します。大地湾遺跡では、中型の鳥の骨のコラーゲンの安定同位体値は、C4およびC3植物両方の通年植生を示す範囲に収まります。これは、たとえば現代のキジや過去のシチメンチョウ(Meleagris gallopavo)の値とよく一致します。大地湾遺跡の多くのブタや一部のイヌと同様に、同遺跡の鳥の骨の安定同位体値も、自ら探した餌とともに、農耕により生産された穀類も食べていたことを示唆します。

 大地湾遺跡の鳥は当初、ニワトリも含まれるヤケイ属の一種(Gallus sp.,)と識別されていましたが、最初の分析者は、一部の鳥がキジ科のイワシャコ(Alectoris chukar)もしくは単にキジ科かもしれない、と認識していました。本論文は、大地湾遺跡の鳥の分類学的不確実性を解決するため、すでに安定同位体値が評価された、以前はヤケイ属と識別された個体を分析しました。これらの標本はすべて、7900~7200年前頃となる老官台(Laoguantai)文化期(3点)、もしくは6300~5900年前頃となる仰韶(Yangshao)文化期(5点)の層で発見されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果、本論文で対象とされた大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥はすべてコウライキジ(Phasianus colchicus)に分類されました。これらはさらに亜種に区分できますが、詳細な系統関係の確定にはさらなる遺伝的情報が必要になる、と本論文は指摘します。

 大地湾遺跡は中国で最古の明確な農耕集落で、北西部乾燥地帯に位置します。大地湾遺跡とその周囲のヒト生物群系に生息し、その後にヒトに消費された鳥は、家畜化されたニワトリでも、その野生祖先であるセキショクヤケイでもなく、コウライキジと特定されました。重要なことに、大地湾遺跡の先史時代の鳥と遺伝的に合致する現生3亜種はすべて、砂漠・草原・乾燥高地帯を含む中国北部の混合的環境で現在確認されます。これは、外来の鳥ではなく地元の鳥が消費されたことを示します。

 現在、これらの大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥が囲いで飼育されたとか、その卵をヒトが消費したとかいう証拠はなく、直接的にヒトが管理したという証拠さえありません。本論文の分析から言えるのは、大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥の食性は野生動物に似ておらず、食性のかなりの部分を新石器時代以降のヒトだけが提供できる穀類に依存していたに違いない、ということです。大地湾遺跡の早期新石器時代の鳥は、穀物貯蔵庫の穀類、もしくは栽培化されたキビの収穫と処理で生じる廃棄物を食べ、その鳥をヒトが食べた、というわけです。

 本論文は早期新石器時代の大地湾遺跡における、鳥(コウライキジ)とヒトとのこの単純な共生を「低水準の鳥の生産」と呼び、それが地域的な収穫量を高めるための意図的で低コストとなるヒトの生存戦略だった、と指摘します。農耕共同体の敷地内もしくは隣接する農地内の農業廃棄物を加減するだけで、食用となる鳥の量さを調整できるため、低水準の食料生産においては効果的な手段でした。さらに、この慣行は、農耕共同体が分裂もしくは移住するたびに、籠に入れて輸送したり抱きかかえたりせずとも開始できました。地元の環境に固有の鳥は、単に自分のために農耕共同体の廃棄物を食べ、人々はその鳥を食べた、というわけです。

 鳥の骨のコラーゲンの同位体パターンは、新石器時代の中国北部の他の場所でも見られ、「低水準の鳥の生産」が温帯環境に居住する広範囲の民族言語的集団において適応的だった、と示唆します。このような考古学的な鳥遺骸の時空間的研究は、「低水準の鳥の生産」がキジに限定されていたのかどうか、明らかにできるかもしれません。また、キジあるいはニワトリやその野生祖先を含む他の肉質の地上性の鳥が先史時代にどの程度管理されていたのか、という問題の解明にも役立つのではないか、と期待されます。

 上述のように、農耕と牧畜は世界各地で年代は異なりつつも世界の複数の地域で独自に始まった、と考えられていますが、その過程は「革命」と呼べるような急激なものではなく、試行錯誤を伴う漸進的なものだった、と今では考えられています。たとえば中央アナトリア高原では、狩猟採集から農耕への移行期間は短くなく、早期新石器時代には農耕民集団と狩猟採集民集団とが混在していた、と指摘されています(関連記事)。中国北部の早期新石器時代村落でも、農耕開始からしばらくは生産性が低く、穀類やその収穫の過程で生じる廃棄物を鳥に食べさせ、ある程度管理することで多様な栄養源を確保していたのでしょう。その鳥が、早期新石器時代の中国北部では在来野生種のコウライキジだった、というわけです。こうした早期新石器時代農耕民の経験が、後に中国北部にはその祖先種(セキショクヤケイ)が存在しないニワトリを導入して飼育するさいにも役立った、と考えられます。


参考文献:
Barton L. et al.(2020): The earliest farmers of northwest China exploited grain-fed pheasants not chickens. Scientific Reports, 10, 2556.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-59316-5

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