仲田大人「日本列島への人類移動を考えるための覚え書き」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P84-91)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 ユーラシアにおける現生人類(Homo sapiens)の拡散については、ヨーロッパやアフリカでの研究がモデルとして引用されてきました。「現代人的行動」モデルはその代表例です。ユーラシア東部でもこのモデルから現生人類の拡散を論じられるとしても、ユーラシア西部と比較して考古学的記録の偏りもあり、推測が難しくなっています。現生人類がユーラシアに拡散したさい、西部には先住のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在しましたが、東部には種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)もおり、アジア南東部島嶼部にはホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)などその他の人類もまだ存在していたかもしれません。現生人類拡散期のユーラシアに東部においては、西部とは異なった複雑な人類進化史が想定できるようです。本論文は、現生人類のユーラシアへの拡散と、日本列島への到来について、近年における遺伝学・形態学・考古学の研究成果を整理しています。

 現生人類の起源については近年、アフリカにおける複雑な進化が提案されるようになりました(関連記事)。アフリカからユーラシアへの現生人類の拡散時期については、早期説と後期説があります。早期説では6万年以上前からの小規模な拡散と、6万~5万年前頃の本格的な拡散が想定され、前者の拡散ではレヴァントを越えるさいに失敗した可能性も指摘されています。後期説では、ユーラシアへの現生人類の拡散は爆発的な1回の事象で生じたとされます。アフリカからユーラシアへの現生人類の拡散経路については、早期説ではアフリカ東部からアラビア半島を経てのユーラシア南岸沿いとの見解(南方経路)が、後期説ではそれに加えてレヴァント経由での拡散(北方経路)も想定されています。

 ユーラシア東部に関しては、頭蓋形態の分析・比較から現生人類がどのように拡散してきたのか、推測されています(関連記事)。その研究では、ユーラシア東部には南方系の第1層と北方系の第2層が存在し、更新世のアジア東部および南東部には日本列島の「縄文人」も含めて第1層が広範に分布していたのに対して、農耕開始以降、第2層が拡大していった、と推測されています。第1層がオーストラリア先住民集団やメラネシア集団やアンダマン諸島集団との類似性が指摘されている南方系なのに対して、第2層は漢人や日本人などを含む北方系とされます。中国で発見されている更新世の現生人類も「縄文人」も第1層に分類され、第1層に分類される最北端の人類遺骸は周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡で発見されています。アジア東部には、まずアフリカからユーラシア南方を経てアジア南東部に達し、そこから北上してきた集団が拡散したようです。

 遺伝学では、アジア南東部に拡散してきた現生人類が、さらにオセアニアへと東進した集団と、北上してアジア東部に拡散した集団とに分岐した、と推測されています(関連記事)。その北上した一部集団の1個体が、北京の南西56kmにある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性ですが、この集団は現代人にほとんど遺伝的影響をのこしていない、と推測されています(関連記事)。また、更新世アジア南東部狩猟採集民集団と「縄文人」の遺伝的近縁性が指摘されていますが、「縄文人」は現代アジア東部集団系統の「北方系」のより強い遺伝的影響が見られる、と推測されています。

 考古学的には、ヨーロッパやアジア北部における石刃技術の出現が、北方経路での現生人類拡散の指標とされています。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)石刃群はレヴァントを起点として、ヨーロッパ東部・アジア中央部・アルタイ地域・中国北部に点在します。IUP石刃群は一般的に、ルヴァロワ(Levallois)式とプリズム式という二つの技法を有します。IUP石刃群と人類遺骸との共伴事例はまだありませんが、地理的情報システム(GIS)や古気候データも使用した研究では、「乾燥期」には現生人類が天山山脈やアルタイ山地西部から北上し、アルタイ山地を経由してバイカル湖東南端を南下する経路が、湿潤期にアルタイ経路や天山山脈西部を通る経路や天山山脈の南方を通るタリム経路が想定されています(関連記事)。北方経路とはいっても、様々だったかもしれない、というわけです。

 中国におけるIUP石器群については、華北とチベット高原では石刃技術が見られるものの、華南では報告されていません。華北とチベット高原に関しては、(1)IUP石刃石器群の遺跡、(2)石刃を伴う細石刃遺跡、(3)石刃の疑いのある遺跡に3区分されています。(1)は新疆から黒龍江までの中国北部・北西部で見られ、石核・剥片石器群と分布が相接します。華北では4万年以上前から石核・剥片石器群が継続しており、その分布密度から人口密度もまた相当高かったと推測されています。それに対して、北西部は4万年以上前から続く石器群は少ないので人口密度も低かったと推測されており、そこに(1)がアルタイ地域・シベリア方面から拡散してきた、と考えられています。しかし、より南あるいは東へは、石核・剥片石器群やルヴァロワ式石器群の分布と重なるために分布を広げられなかった、と推測されています。(1)と(3)に関しては、異なる集団が担い手と考えられています。(1)は西方から拡散してきた現生人類集団、(3)は在地で継続的に進化してきた非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)集団だったかもしれない、というわけです。

 アジア各地の中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行について、(1)ルヴァロワ技術と初期の石刃技術をもつIUP石器群が残される地域、(2)礫石器と剥片・石核を有し、そこに石刃インダストリーやその他の石器インダストリーが融合する地域、(3)中国南部のような礫石器インダストリーが継続する保守的な地域、という3パターンが指摘されています。(1)はアルタイ地域の事例が典型で、華北のIUP石器群や韓国のスヤンゲ遺跡第6地点などは(2)となります。ただ、(2)においても華北では IUPは一過的な流行であったの対して、韓国スヤンゲ遺跡第6地点で見られるように大型石刃技術がなくなったあとも石刃・細石刃石器群が展開する、というような違いもあります。日本列島も(2)に含まれ、韓国の石器群と似た上部旧石器時代(後期旧石器時代)前半の石器技術のパターンを示す、と指摘されています。

 中国における石核・剥片石器群の動態については、まず、石核・剥片技術が華北の泥河湾地域に出現し、河北省張家口(Zhangjiakou)市陽原(Yangyuan)県の許家窯(Xujiayao)など海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の遺跡では多様な剥片石核法が用いられ、鋸歯縁石器や大型削器が作られる、と指摘されています。MIS3には、華北の太行山脈東側では石核・剥片石器群が続きます。周口店上層や仙人洞など骨角器や象徴遺物をもった技術複合体も出現します。一方、アジア北東部との境界になる太行山脈西側では、45000~40000年前頃にIUP石刃石器群とルヴァロワ石器群や「中部旧石器的な」鋸歯縁石器群などが移動してきます。水洞溝や内モンゴル自治区の金斯太(Jinsitai)洞窟などの遺跡が相当します。しかし、4万年前頃以降には太行山脈西側一帯にも石核・剥片石器群が展開し、水洞溝遺跡第2地点がその典型で、その他にも峙峪や塔水河のように縦長剥片の石器群も見られます。

 MIS3後半になると、石核・剥片石器群は華南地域にも出現します。白蓮洞や貴州省(Guizhou Province)の観音洞洞窟(Guanyindong Cave)遺跡において小型剥片石器群が作られるようになりますが、MIS2には礫石器群に置換されます。中国北部においては、人類の拡散方向はユーラシア草原地帯に沿っていました。アルタイ地域からモンゴルにかけてのIUP石刃石器群やルヴァロワ石器群も、その流れで登場します。MIS3後半の 縦長剥片をともなう石核・剥片石器群も、外部集団との接触により生じた可能性があります。こうした状況は、MIS3においては環境変化が居住者たちにさほど影響を与えておらず、従来の生活様式には圧力となっていなかったことを示します。しかし、MIS2の最終氷期極大期(LGM)には、集団の南北移動という大きな変化が見られます。

 油房遺跡においては、最下層(MIS3)で剥片技術、MIS2上層では精巧な石刃技術とアジア北東部との関連の強い細石刃技術が見られるようになります。泥河湾盆地周辺においては、MIS2の環境に対応するため、アルタイ地域やアジア中央部から高緯度草原地帯を移動してきた集団との接触を通じて、技術を得たかもしれません。暖期には高緯度に分布していた動植物群は、MIS2の乾燥期には次第に南下し始めます。それと共に人類集団も北から南へ移動したと考えられ、その過程で石刃や細石刃技術が華北から中原にかけて拡大していったようです。柿子灘遺跡第7層のように細石刃技術とダチョウの卵殻ビーズという、それまでの在地にはない遺物も見つかっており、細石刃技術の展開には新規の文化集団が参入している場合もあった、と推測されます。

 モンスーンがぶつかり合うアジア東部は、夏には華北において、冬には内陸部でその影響を受けます。この2地域がアジア東部の石器技術伝統とアジア北東部やユーラシア西部の石器技術伝統との境界に相当します。華北は外部から移動してくる集団との窓口にあたり、さまざまな地域の技術伝統の交差点でした。環境変化の対応と各地の文化に対面するフロントとして機能していたことがMIS3ステージ以降の旧石器文化を形成してきた背景にある、と考えられます。

 華南でも定型性の高い骨角器が報告されています。貴州省の馬鞍山遺跡では8層のうち第6層から第3層で骨角器が確認されており、年代は35000~18000年前頃と推定されています。いずれの文化層からも研磨成形された骨角器が見つかっています。35100~34800年前頃となる第6層の骨角器は小型哺乳類の長骨を用いた錐とされ、使用痕判定から、柔らかな獣皮を穿孔する道具として利用されたと考えられています。華南地域の旧石器群は礫石器・剥片石器群で、石製の狩猟具を伴いません。第5層以降では狩猟活動に用いられた骨角器も含まれており、石器技術とは別の狩猟具製作を有機技術で行っていた、と考えられます。35000年前頃という年代の骨角器は、南方経路ではタイのランロンリン岩陰、マレーシアのニア洞窟、スリランカのバタトンバ・レナ、ティモールのマジャ・クルなどで発見されている骨角器資料と同じかそれ以上の古さとなりそうです。

 かつては、有機技術が10万~6万年前頃頃にアフリカ中期石器文化で発明された革新的技術で、その現生人類集団が移動により拡散した、と考えられてきました。しかし、近年、南方経路上で相次いで見つかる骨角器の年代は45000年前頃以降で、ヨーロッパやアフリカでは研磨技術による骨角器整形が稀であることなどから、こうした文化革新はアフリカとは不連続に発生したかもしれない、と指摘されています。中国では4万年前頃以降、華北において骨角器技術ないしは貝製装飾品が作られるようになります。以前より周口店上層や仙人洞におけるそうした有機質資料は「現代人的行動」の特徴をよく表している、と注目されており、最近では水洞溝遺跡群で淡水性貝類ビーズやダチョウの卵殻ビーズも見つかっています。骨角器の研磨技術も華北の小狐山において観察されており、とくに華南に特有というわけでもありません。日本列島日本における研磨技術の出現を考える場合には、アジア東部でどのようにこの技術が出現するのかが、重要となります。

 石器型式において中国や韓国の旧石器と類似する資料は日本にも多く見られます。これに関して、既存の研究が特定型式に注目するあまり、石器群の発達を単線的な枠組みで考えきたことが指摘されています。そこで、層位に基づいて石器群伝統が4区分されています。それは、(1)ハンドアックス(握斧)と多面体石器を有する石器群の伝統、(2)石英製小型石器群の伝統、(3)石刃と剥片尖頭器を有する石器群伝統、(4)細石器を中心とする石器群伝統です。これらは時間的な変遷を示していますが、断絶的な変化ではなく、いくつかの技術システムが共存して持続するなかで、より効率的な技術がほかに取って代わる、進化論的な変化だった、との見解も提示されています。また、後期旧石器(上部旧石器)群を、中期旧石器(中部旧石器)以来続く剥片石器を含む礫石器伝統、在地の剥片石器伝統、石刃石器伝統、細石刃文化伝統の4つと認識し、それぞれの文化伝統は分岐のさいに共存する様相を示す、との指摘もあります。この点で注目されるのは、スヤンゲ遺跡第6地点に代表される石刃石器群の出現です。韓国の場合、礫石器伝統が広がっているところに、石刃をベースとした石器群伝統が共存し始めます。それにより、縦長タイプの剥片石器の製作や礫石器の多様化を招くなど、技術的な融合が進み、後期には石器群に多様性が現われてきます。

 モザイク・モデルでは、旧石器群の年代を精査することで、石器群の変化にはテンポの違いが見られること(漸進的か飛躍的)、石器群のモードは単線的に変化するものではなく、モザイク状に残される状況であることから、文化伝統が必ずしも年代的指標になり得るわけではない、と指摘されています。韓国の葛山里遺跡では、較正年代で34500年前30700年前という値が示されています。すでに石刃石器群が展開している時期ではあるものの、石器組成は礫石器群に剥片石器群が伴う遺跡であり、後期旧石器群の多様性が指摘されているに注意を促している。韓国では中期・後期の移行期、後期旧石器の変遷を論じる場合、示準マーカーによる単線的な変化の見方は採用されていないようです。

 この視点を踏まえて、年代の精査と石器群のグループ化を詳細に行ない、日本列島への人類移動を論じたモデルも提示されています。そのモデルでは、MIS6とMIS3とLGMという3回の画期が想定されています。このうちMIS6とMIS3については、(1)最初はMIS6〜MIS5eの頃で、鈍角剥離法を用いて石英・石英脈岩を叩き、小型石器や握斧、石球(多面体石器)を作るもので、日本列島西南部に断続的に到来してきました。(2)遅れてMIS3中盤に円盤型石核や石球、嘴状石器、錐、礫器を有する「朝鮮系の鋸歯縁石器石器群」が入ってきます。この背景として、(1)ではMIS7~MIS5の温暖期にかけての人口増に伴うレフュジア(待避所)探索の可能性が指摘され、(2)においてもMIS4 から MIS3の寒冷期をしのぐための南下策としての移動が想定されています。

 日本列島における旧石器時代遺跡の人類遺骸は、ほぼ琉球諸島でしか見つかっていません。縄文時代になると人類遺骸が豊富に見つかるようになり、上述のように、遺伝学では「縄文人」の起源として南方経路からの少なくとも一定以上の影響が指摘されています。IUP石刃石器群と在地石器群の関係から、MIS3となる4万~3万年前頃における人類集団の動きも少しずつ解明されつつあります。IUP石刃石器群は点在的な分布のように見えますが、核地域(core area)を形成しながら展開していったと考える方が実態に近い、と本論文は指摘します。それはおそらく、石材原料が安定的に確保できる一帯が石器群の形成に好適な場として選ばれたからでしょう。

 拡散の状況から推測すると、この石器群は、(1)集団規模は小型であった可能性が高く、(2)在地の技術伝統との融合も柔軟だった、と考えられます。その理由は、アジア中央部・アルタイ地域・華北・韓国など、核地域ごとに石器群の様相が少しずつ異なることです。その異なる部分が在地の石器技術との融合をよく示している、というわけです。ただ、中国北部や東北部や中原などでは、性格の異なる石器伝統が根づいている地域へは、在地集団の人口規模や生態環境の違いもあってか、進出しません。さらに、水洞溝のようにIUP石刃石器群が分布していた遺跡でも、その後は継起せず石核・剥片石器群に取って代わられることもあります。これらの状況も集団規模を反映するものとして理解されます。日本列島の初期石刃石器群が九州で見つからず、本州中央部以東に最初に残される理由も、そうした背景で考えられるかもしれません。この問題の検証には、在地の石器群の解明が必要です。

 日本列島の旧石器については、示準となる石器型式や石器技術を層位に基づいて配列する編年研究がさかんに行なわれてきました。一方で、石器群の構成をグループ化する方法が顧みられることは少ない、と本論文は指摘します。中国や韓国の旧石器では文化モデルとも言えるような、文化(技術)伝統やインダストリーあるいは相(facie)を単位に据えて議論されることが多いようです。日本の編年研究は石器群変化の目盛りとみるには都合がよいものの、その変異を目盛りに沿って時間軸に置き換え、それを文化シークエンスと把握しがちになります。文化モデルでは、識別された文化伝統やインダストリーの背後に何らかの文化集団を想定しまうことも多く、石器群とヒト集団を対に把握できるのか、という古くからの問題が改めて提起されます。ただ、韓国旧石器の共存モデルやモザイク・モデルの考え方は石器群、ひいては文化の多様性を理解するという点においては有効な方策だろう、と本論文は指摘します。色々な想定や解釈を差し引いて、日本列島の旧石器でも、インダストリーや相のような概念を再考してみよう、というわけです。そこから相互の関係性、すなわち融合・分岐・断絶などを観察することが必要になります。

 本論文ではここまで、日本列島の後期旧石器の特徴の一つである、刃部磨製石斧の出現については言及していません。磨製技術については骨角器製作との関連が、礫石器については韓国の礫石器・剥片石器伝統、とくに鋸歯縁石器群との関連がそれぞれ想起できる、と本論文は指摘します。また本論文は、岩手県金取遺跡の考古資料にも注目しています。韓国の葛山里遺跡の磨製石器(礫)は、地理的には近いものの、刃部磨製石斧の出現を比較するには年代的な開きもあることから、今後も色々な証拠を集め、日本列島への人類到来問題と合わせて総合的に考えていく必要がある、と本論文は指摘します。


参考文献:
仲田大人(2020)「日本列島への人類移動を考えるための覚え書き」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)』P84-91

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