古代ゲノムデータに基づくアジア東部における現生人類集団の形成史

 古代ゲノムデータに基づくアジア東部における現生人類(Homo sapiens)集団の形成史に関する研究(Wang et al., 2020)が公表されました。本論文は査読前なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。世界でも農耕・牧畜が早期に始まった地域であるアジア東部には、現在世界の1/5以上の人口が居住しており、主要な言語は、シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、ミャオ・ヤオ語族、インド・ヨーロッパ語族、アルタイ語族(モンゴル語族、テュルク語族、ツングース語族)、朝鮮語族、日本語族、ユカギール語族、チュクチ・カムチャツカ語族の11語族に分類されます。過去1万年に、アジア東部では大きな経済および文化の変化がありましたが、採集から農耕への移行期における遺伝的多様性と主要な交雑事象や集団移動と遺伝的構成の変化に関しては、チベット高原と中国南部の現代人の多様性の標本抽出が少ないため、現在でも理解は貧弱です。また、ユーラシア西部および中央部では人口史の解明に貢献してきた古代DNAデータが、アジア東部では不足していることも、人口史理解の妨げとなっています。

 本論文は、中国とネパールの46集団から、383人(中国は337人、ネパールは46人)の現代人の遺伝子型を特定し、191人のアジア東部古代人のゲノム規模データを報告します。その多くは、まだ古代DNAデータが公開されていない文化集団からのものです。モンゴルからは、紀元前6000~紀元後1000年頃の52遺跡の89人のゲノムデータが報告されます。中国からは、紀元前3000年頃となる新石器時代の陝西省楡林市靖辺県の五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡の20人です。日本からは、紀元前3500~紀元前1500年頃となる縄文時代の狩猟採集民7人です。ロシア極東からは23人が報告されています。18人は紀元前5000年頃となる新石器時代のボイスマン2(Boisman-2)共同墓地から、1人は紀元前1000年頃となる鉄器時代のヤンコフスキー(Yankovsky)文化から、3人は中世となる紀元後1000年頃の黒水靺鞨(Heishui Mohe)および渤海靺鞨(Bohai Mohe)文化から、1人はサハリン島の歴史時代の狩猟採集民です。台湾東部では、漢本(Hanben)のビルハン(Bilhun)遺跡と緑島の公館(Gongguan)遺跡から、紀元前1400~紀元後600年頃となる後期新石器時代~鉄器時代の52人です。このうち、ボイスマン2遺跡の両親と4人の子供の核家族を含む、近親関係が検出されました。これら新たなデータは、縄文時代の4人、「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡からのアムール川流域の新石器時代の8人(関連記事)、アジア南東部の新石器時代から鉄器時代の72人、ネパールの8人という、以前報告されたデータと併せて分析されました。

 主成分分析では、アジア東部の人口構造は、重要な例外があるものの、地理および言語分類と相関しています。中国北西部とネパールとシベリアの集団は主成分分析ではユーラシア西部集団に寄っており、70~5世代前に起きたと推定されるユーラシア西部関連集団との複数回の混合事象を反映しています。ユーラシア西部関連系統が最小の割合のアジア東部集団は3クラスタです。そのうち、まず「アムール川流域クラスタ」は、古代および現代のアムール川流域に住む集団と地理的に、また言語的にはツングース語とニヴフ語を話す現在の先住民と相関します。次に「チベット高原クラスタ」は、ネパールのチョクホパニ(Chokhopani)とメブラク(Mebrak)とサムヅォング(Samdzong)の古代人と、シナ・チベット語族話者でチベット高原に居住する現代人において最も強く表れます。最後に「アジア南東部クラスタ」は、古代台湾集団およびオーストロアジア語族とタイ・カダイ語族とオーストロアジア語族話者であるアジア南東部と中国南部の現代人で最大となります。漢人はこれらのクラスタの中間にあり、北部漢人は中国北部に位置する新石器時代の五庄果墚遺跡個体群の近くに位置します。モンゴル内では2クラスタが観察されます。一方は地理的にはモンゴルの東方に位置するアムール川流域クラスタとより近く、もう一方は後期銅石器時代~前期青銅器時代にかけてアジア中央部で栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の個体群とより近く、こちらはモンゴルの西方となります。一方、何人かの個体はこれら2クラスタの中間に位置します。

 モンゴル「東部」クラスタの最古級の2人はモンゴル東部のヘルレン川(Kherlen River)地域で発見され、推定年代は紀元前6000~紀元前4300年で、アジア北東部では早期新石器時代に相当します。この3人は、遺伝的にバイカル湖周辺地域の新石器時代個体群と類似しており、ユーラシア西部関連集団との混合の最小限の証拠が見られます。モンゴル北部の他の7人の新石器時代狩猟採集民は、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)と関連した系統から5.4±1.1%の影響を受けている、とモデル化されます。これはユーラシア東西の混合の勾配の一部で、西に行くほどユーラシア西部系統と近縁になります。モンゴルの「西部」クラスタの最古の2人は、ひじょうに異なる系統を示します。この2人はアファナシェヴォ文化と関連したシャタールチュルー(Shatar Chuluu)墳墓遺跡で発見され、年代は紀元前3316~紀元前2918年頃です。この2人は現在のロシアのアルタイ地域のアファナシェヴォ文化個体群と区別できず、同様にヤムナヤ(Yamnaya)文化個体群とも類似しているので、ヤムナヤ文化集団の東方への移住がアファナシェヴォ文化の人々に大きな影響を与えた、との見解が支持されます。本論文で分析されたこの時代より後のモンゴルの全個体群は、モンゴル新石器時代集団とより西方の草原地帯関連系統との混合です。

 本論文は、この後のモンゴル人の混合史を定量化しました。モンゴル古代人の単純な混合モデル化は、モンゴル東部系統(65~100%)とWSHG系統(0~35%)になります。ヤムナヤ関連系統は無視できる程度で、ロシアのアファナシェヴォおよびシンタシュタ(Sintashta)文化集団関連系統によりもたらされました。このモデルに当てはまるモンゴルの集団は、新石器時代の2集団(WSHG系統が0~5%)のみではなく、青銅器時代~鉄器時代にも存在します。アファナシェヴォ文化との強い関連で発見された個体のうち、紀元前3316~紀元前2918年頃の個体ではアファナシェヴォ関連系統がほぼ100%でモデル化され、ヤムナヤ関連系統の強い影響が見られますが、それよりも後の紀元前2858~紀元前2505年頃の男児には、ヤムナヤ関連系統の証拠が見られませんでした。この男児は、アファナシェヴォ文化との強い関連で埋葬されながら、ヤムナヤ関連系統が見られない最初の個体となります。アファナシェヴォ文化は、ヤムナヤ関連系統を有さない個体群により採用された可能性がありますこれは、人々の移動というよりはむしろ、アイデアの伝播を通じて文化が拡大した事例もある、と示唆します。その後になる紀元前2571~紀元前2464年頃となるチェムルチェク(Chemurchek)文化の2個体は、アファナシェヴォ文化関連系統の強い影響でモデル化されます(49.0±2.6%)。

 モンゴルの中期青銅器時代以降、アファナシェヴォ文化地域に拡大したヤムナヤ関連系統が存続した確たる証拠はありません。代わりに後期青銅器時代と鉄器時代以後には、ヤムナヤ関連系統はアファナシェヴォ文化移民ではなく、その後の中期~後期青銅器時代に西方からモンゴルに到来した、2/3はヤムナヤ関連系統で1/3はヨーロッパ農耕民関連系統のシンタシュタおよびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団によりもたらされた、と推測されます。シンタシュタ関連系統は、モンゴルの後期青銅器時代個体群で5~57%程度見られ、西方からの到来が確認されます。早期鉄器時代以降、モンゴルでは漢人系統からの遺伝子流動の証拠が検出されます。漢人を外集団に含めると、新石器時代と青銅器時代の全集団はモンゴル東部系統・アファナシェヴォ関連系統・シンタシュタ関連系統・WSHG系統の混合でモデル化できますが、早期鉄器時代の個体や匈奴とその後のモンゴル集団ではモデル化できません。匈奴とその後のモンゴル集団における漢人系統の割合は20~40%と推定されます。

 アファナシェヴォ関連系統は、後期青銅器時代までにモンゴルではほぼ消滅しましたが、中国西部では紀元前410~紀元前190年頃となる鉄器時代の石人子溝(Shirenzigou)遺跡では持続していた、と推測されます。この集団は、モンゴル東部系統とアファナシェヴォ関連系統とWSHG系統の混合としてモデル化できます。アファナシェヴォ文化とモンゴル新石器時代の典型的系統は石人子溝個体群に寄与し、タリム盆地のトカラ語が、ヤムナヤ草原地帯牧畜民の東方への移住を通じて拡大し、アファナシェヴォ文化の外見でアルタイ山脈やモンゴルに拡大し、そこからさらに新疆へと拡大した、とする見解が支持されます。これらの結果は、インド・ヨーロッパ語族の多様化に関する議論にとって重要となります。インド・ヨーロッパ語族の既知で二番目に古い分枝であるトカラ語系統が、紀元前四千年紀末には分岐していたことになるからです。

 ロシア極東では、紀元前5000年頃となる新石器時代のボイスマン文化と、鉄器時代となる紀元前1000年頃のヤンコフスキー文化と、紀元前6000年頃となる「悪魔の門(Devil’s Gate)」の個体群が遺伝的にひじょうに類似しており、この系統がアムール川流域では少なくとも8000年前頃までさかのぼることを示します。この遺伝的継続性は、Y染色体ハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)でも明らかです。ボイスマン遺跡個体群では、YHg-C2a(F1396)とmtHg-D4・C5が優勢ですが、これは現在のツングース語族やモンゴル語族や一部のテュルク語族でも同様です。新石器時代のボイスマン遺跡個体群は、縄文人との類似性を共有しています。また、アメリカ大陸先住民集団は、ボイスマン個体群やモンゴル東部系統と、他のアジア東部集団よりも多くのアレル(対立遺伝子)を有しています。ボイスマン個体群と他のアジア東部集団では、アメリカ大陸先住民集団のゲノムに1/3程度寄与したとされる、24000年前頃の古代ユーラシア北部系統個体(関連記事)と共有アレルの割合が同じなので、アメリカ大陸先住民集団からの遺伝子の「逆流」の可能性は低そうです。なお、古代ユーラシア北部系統は、より広範に拡散していた、さらに古い年代の古代シベリア北部集団の子孫と推測されています(関連記事)。この遺伝的知見は、ボイスマン個体群とモンゴル新石器時代系統が、アメリカ大陸先住民集団にアジア東部関連系統をもたらした集団と深く関連していた、という想定で説明できそうです。また、バイカル湖周辺の新石器時代および前期青銅器時代個体群は、モンゴル東部系統とのかなりの(77~94%)共有でモデル化され、この系統がバイカル湖とモンゴル東部とアムール川流域という広範な地域に拡大していた、と明らかになります。アムール川流域の現代人の中には、もっと南方の漢人と関連するアジア東部集団に由来する系統を13~50%有する集団もいます。紀元後1050~1220年頃となる黒水靺鞨の1個体では、漢人もしくはその関連集団からの系統が50%以上見られるので、少なくとも中世初期にはアムール川流域集団と漢人関連集団との混合が起きていたようです。

 標高4000m以上のチベット高原は、人類にとって最も過酷な生活環境の一つです。チベット高原における人類の拡散は更新世までさかのぼりますが、永続的な居住の証拠は3600年前頃以降と推測されています(関連記事)。本論文は、チベット高原の現代人を遺伝的に17集団に分類しています。「中核チベット人」は、チョコパニ(Chokopani)のような古代ネパール人個体群(関連記事)と密接に関連しており、ユーラシア西部系統や低地アジア東部系統とは過去数十世代にわたって最小限の混合(交雑)しかしていない、と推測されます。「北部チベット人」は中核チベット人とユーラシア西部系統との混合で、高地と低地をつなぐチベット高原東端の「チベット・イー回廊」集団は、チベット語話者だけではなく、チャン語やロロ・ビルマ語話者を含み、この系統はアジア南東部クラスタ関連系統を30~70%ほど有します。チベット人と遺伝的に近い集団として、新石器時代五庄果墚集団・漢人・チアン人(Qiang)があり、チベット人は、他の現代アジア東部集団よりもチアン人と漢人の方に遺伝的影響を残した新石器時代五庄果墚集団と密接に関連する集団系統を有する、と示唆されます。この混合は80~60世代前(1世代28年として2240~1680年前頃)に起きた、と推定されます。これは2集団の混合の下限年代なので、じっさいの混合は、チベット高原で農耕の始まった3600年前頃に始まっていた、と本論文は推測します。黄河上流~中流域の農耕民が新石器時代から青銅器時代に中原と同様にチベット高原に拡散してきて、5800年前頃以降となるYHg-Oの分枝をチベット高原にもたらした、と推測されます。チベット人のYHg-Dは、在来の狩猟採集民集団に由来する可能性が高いように思われます。

 南方では、少なくとも紀元前1400~紀元後600年頃となる台湾の漢本(Hanben)および公館(Gongguan)文化の個体群が、遺伝的には現代オーストロネシア語族話者およびバヌアツの古代ラピタ(Lapita)文化集団と最も類似しています。これは、漢本および公館文化の鉄器時代個体群において支配的なYHg-O2a2b2(N6)とmtHg-E1a・B4a1a・F3b1・F4bが、オーストロネシア語族話者の間で広く見られることでも明らかです。本論文は、現代のオーストロアジア語族話者である台湾のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)を、多様なアジ集団と比較しました。古代台湾集団とオーストロネシア語族集団は、他のアジア東部集団よりも、中国本土南部および海南省のタイ・カダイ語族話者と顕著にアレルを共有しています。これは、現代タイ・カダイ語族話者と関連した古代集団が、台湾に5000年前頃に農耕をもたらした、との仮説と一致します。「縄文人」は、他のアジア東部集団と比較して、古代台湾個体群と顕著に多くアレルを共有していますが、例外はアムール川流域クラスタです。

 漢人は世界で最多の人口の民族とされます。考古学と言語学に基づき、漢人の祖先集団は中国北部の黄河上流および中流域の早期農耕民で構成され、その子孫の中には、チベット高原に拡散し、現在のチベット・ビルマ語派の祖先集団の一部になった、と推測されています。考古学と歴史学では、過去2000年に漢人(の主要な祖先集団)がすでに農耕の確立していた南方に拡大した、と考えられています。現代人のゲノム規模多様性分析では、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、本論文の分析でも改めて確認されました。新石器時代の五庄果墚集団と現代のチベット人およびアムール川流域集団は、アジア南東部クラスタと比較して、漢人と顕著に多くのアレルを共有しています。一方、アジア南東部クラスタは、五庄果墚集団と比較して、漢人の大半と顕著により多くのアレルを共有しています。これらの知見から、漢人は、五庄果墚集団と関連した集団と、アジア南東部クラスタと関連した集団との間で、さまざまな混合割合を有している、と示唆されます。現代漢人はほぼ全員、黄河流域の新石器時代五庄果墚集団と関連した系統(77~93%)と、長江流域の稲作農耕民と密接に関連した古代台湾集団と関連した集団の混合としてモデル化できます。これは、長江流域農耕民関連系統が、オーストロネシア語族およびタイ・カダイ語族話者のほぼ全系統と、オーストロアジア語族話者の約2/3の系統と関連している、という本論文の推定と一致します。五庄果墚集団のゲノムが現代人に汚染されている可能性はありますが、そうだとしても、混合の推定値に3~4%以上の誤差はもたらさないだろう、と本論文は推測しています。北部漢人集団におけるユーラシア西部関連系統との交雑の年代は45~32世代前で、紀元後618~907年の唐王朝と、紀元後960~1279(もしくは1276)年の宋王朝の時期に相当します。歴史的記録からも、この時期の漢人(の主要な祖先集団)と西方集団との混合が確認されますが、これは混合の下限年代で、もっと早かった可能性があります。

 現代日本の「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団は、漢人系統(84.3%)と「縄文人」系統(15.7%)の混合、もしくは朝鮮人系統(87.6%)と縄文人系統(12.4%)の混合としてモデル化され、両者を統計的に区別できません。この分析が示唆するのは、日本の「本土」系統が直接的に漢人もしくは朝鮮人によりもたらされた、ということではなく、まだ古代DNAデータの得られていない、漢人と朝鮮人の系統に大きな割合を残した集団と関連した祖先的集団からもたらされた、ということです。7人の「縄文人」は、紀元前1500~紀元前1000年頃となる北海道の礼文島の船泊遺跡の1人と、紀元前3500~紀元前2000年頃となる千葉市の六通貝塚の6人です。船泊遺跡の方は、高品質なゲノム配列が得られている女性個体ではなく、男性個体が分析対象となっており、この男性個体はmtHg-N9b1で、YHgは以前D1a2a2b(旧D1b2b)と報告されていましたが(関連記事)、今回はDとのみ報告されています。六通貝塚の6人のmtHgはいずれもN9bで、さらに詳細に分類されている3人のうち2人がN9b1、1人がN9b2aです。六通貝塚の6人のうち3人が男性で、YHgはD1a2a1c1(旧D1b1c1)です。現代日本人のYHg-Dのうち多数派はYHg-D1a2a1(旧D1b1)ですが、これまで「縄文人」で詳細に確認されていたのは現代日本人では少数派のYHg- D1a2a2(旧D1b2)のみでした。本論文はまだ査読前ですが、これは「縄文人」としては初めて確認されたYHg-D1a2a1の事例になると思います。これまで、「縄文人」ではYHg-D1a2a1が確認されておらず、YHg- D1a2a2のみだったので、YHg-D1a2a1が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定していたのですが(関連記事)、これでYHg-D1a2aが「縄文人」由来である可能性はやはり高い、と言えそうです。

 本論文は、以上の知見をまとめて、アジア東部における集団形成史を図示しています。アジア東部集団は、古代の2集団から派生したとモデル化できます。一方は、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類(Homo sapiens)個体(関連記事)と同系統のユーラシア東部北方集団(以下、北方集団)で、もう一方はアンダマン諸島のオンゲ(Onge)集団と密接に関連したユーラシア東部南方集団(以下、南方集団)です。アジア東部集団の系統はこの祖先的2集団に由来し、それぞれの割合はさまざまです。

 このモデルでは、モンゴル東部系統とアムール川流域のボイスマン関連系統は、北方集団関連系統からの割合が最大で、他のアジア東部集団と比較して、南方集団関連系統からの割合は最小限に留まっています。モンゴル東部系統の近縁系統は、チベット高原に拡大し、南方集団関連系統の在来狩猟採集民と混合しました。台湾の古代漢本集団は、南方集団関連系統(14%)と北方集団関連系統(86%)の混合としてモデル化されます。縄文人は南方集団関連系統で早期に分岐した系統(45%)と北方集団関連系統(55%)との混合としてモデル化されます。これらの知見は、後期更新世にアジア南東部から日本列島を経てロシア極東まで、沿岸経路での移住があった、との仮説と一致します。上部旧石器時代(後期旧石器時代)のアジア東部の古代ゲノムデータが少ないので、アジア東部の祖先的集団の深い分岐の復元は限定的になってしまいます。そのため、この混合を示した図は角に単純化されており、より詳細な関係は将来の研究に委ねられます。以下、本論文の図5です。
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 最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していきました。ユーラシア西部では、ヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団、新石器時代黄河流域農耕民、台湾鉄器時代集団の間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01~0.02)。今後の課題として優先されるのは、まだ仮定的存在で、現代人集団のアジア南東部クラスタの主要な系統になったと推測される、長江流域集団の古代DNAデータを得ることです。これにより、アジア南東部の人々の拡散が、古代人の移動と相関しているのか否か、理解できます。

 以上、ざっと本論文の内容について見てきました。もちろん、これまでにもアジア東部の古代DNA研究は進められていましたが、本論文は初の包括的な研究結果を示した画期的成果と言えそうです。ただ、本論文でも指摘されているように、アジア東部に限らず、アジア南東部、さらにはオセアニアの古代DNA研究に不可欠と言えそうな長江流域集団の古代DNAデータが得られておらず、ヨーロッパをはじめとしてユーラシア西部の水準にはまだ遠く及ばないように思います。上述の図からは、(ユーラシア東部)北方集団からアジア東部北方および南方系統が分岐し、長江流域早期農耕民集団はおもに南方系統、五庄果墚(Wuzhuangguoliang)遺跡集団に代表される黄河流域早期農耕民集団はおもに北方系統に由来すると考えられますが、アジア東部の南北両系統、さらにはその祖先となった(ユーラシア東部)北方集団がいつどのような経路でアジア東部に到来したのか、まだ不明です。ヤムナヤ関連系統、さらにはその祖先の一部である古代シベリア北部集団の遺伝的影響が漢人など華北以南のアジア東部集団ではひじょうに小さいことを考えると、北方集団はヒマラヤ山脈の北方(北回り)ではなく南方(南回り)経由でアジア東部に到来し、年代と場所は不明ながら、南北両系統に分岐したのではないか、とも考えられます。ともかく、アジア東部を含めてユーラシア東部の古代DNAデータがユーラシア西部と比較して明らかに少ない現状では、ユーラシア西部のような精度での集団形成史はまだ無理なので、アジア東部圏の日本人である私としては、大いに今後の研究の進展に期待しています。


参考文献:
Wang CC. et al.(2020): The Genomic Formation of Human Populations in East Asia. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.25.004606

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この記事へのコメント

2020年05月02日 12:32
久しぶりにコメントします
現代日本人に残るD系統が渡来系弥生人に由来するかもしれないという予想、前々から興味深く思ってましたが縄文人にも見つかったみたいですね
こうやって少しずつ移動の歴史が明らかになっていくのを楽しみにしてます
管理人
2020年05月02日 12:54
東日本で見つかったことは注目されます。今後は、西日本の「縄文人」がどうだったのか、ミトコンドリアとY染色体はもちろんですが、やはり核ゲノムデータが期待されます。