アンデスの人口史

 アンデスの人口史に関する研究(Nakatsuka et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。南アメリカ大陸のアンデス地域における人類史は、14500年にわたります。現在のペルー・ボリビア・チリ北部となるアンデス中央および南部中央では、沿岸地帯と高地帯への初期の人類の拡散の後、定住様式の浸透と複雑な社会が出現し、ついには1400~950年前頃のワリやティワナク、510~420年前頃のインカといった広範な影響を有する文化が形成されました。なお、これらの年代は放射性炭素年代測定法による較正年代で、紀元後1950年を基準としており、以下同様です。

 アンデス中央部の考古学的研究はひじょうに豊富で、古代DNA研究においても、2018年にはアメリカ大陸全体(関連記事)やアンデス高地(関連記事)を対象にしたものが公表されましたが、まだ地理的・年代的な空白も多く、人口動態の詳細な変化に関する情報は充分ではありませんでした。しかし、9000年前頃のアンデス中央部および南部中央の個体群が、沿岸地帯やアマゾン地域の現代人集団よりもアンデス高地の現代人集団に遺伝的に近い、と明らかになったことは重要です。

 本論文は、9000~500年前頃のアンデス中央部および南部中央の89人のゲノム規模データを収集し、その中には新たに報告された65人が含まれており、さらにアルゼンチンのパンパ地域の個体のデータも追加しました。これらのゲノム規模データにより、南アメリカ大陸におけるヨーロッパ勢力の侵略前の人類集団の遺伝的構成の変遷が、以前よりもずっと詳細に明らかになりました。また本論文は、ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチンの先住民からの合意と協力を得て、古代DNA研究が進められたことを明言しています。これは古代DNA研究の問題点とされているので(関連記事)、アメリカ大陸に限らず世界規模で重要になってくると思います。

 常染色体データの分析では、2000年前頃以降、遺伝的構造は地理と強く相関しています。最古級の高地帯個体群は、ペルー北部(8600年前頃)でも南部(4200年前頃)でも、沿岸地帯集団よりも後の高地帯集団の方と遺伝的に近く、後期高地帯集団の系統は何千年も前に確立され始めていた、と示唆されます。これは、高地帯と沿岸地帯では生計戦略が異なっている場合が多く、数千年にわたってひじょうに異なる移動パターンを有していた、と想定する考古学の研究成果と一致します。本論文は、沿岸地帯の独特の古代系統のより詳細な理解には、沿岸地帯の古代ゲノムが必要になる、と指摘しています。アンデスにおける南北の遺伝的分離は、遅くとも5800年前頃には始まっていた、と推測されます。これは、アンデス中央部において、経済・政治・宗教の差異が増加していく5000年前頃の後期先土器時代の始まりに対応しており、植物栽培への依存の高まり、および一部地域での人口急増と並行した事象です。植物栽培への依存度の高まりにより定住性が高まり、遺伝子流動が減少したのかもしれない、と本論文は推測します。

 アンデスにおけるこの初期人口構造の確立後も、ペルー北部とペルー南部の高地帯間の遺伝子流動は継続しました。ペルー南部高地帯のひじょうに古いゲノムデータが不足しているため、遺伝子流動の方向は決定できませんでしたが、考古学では双方向の文化伝播が指摘されています。また、ペルー北部における高地帯と沿岸地帯との間、さらにはペルー南部とチリ北部との間の2000年前頃以前の遺伝子流動も検出されています。これらは、考古学で指摘されているこの時期の文化交流と一致します。

 2000年前頃以後、ほとんどの地域では、大規模な文化の変化やそうした異文化間の交流や国家の盛衰にも関わらず、遺伝的均一性が観察されます。たとえば、ペルー北部沿岸地帯では、1850~1250年前頃のモチェ(Moche)文化から1250~575年前頃のンバイエケ(Lambayeque)文化へと変わっても、顕著な遺伝的相違は検出されません。ペルー北部高地帯集団でも、1200~550年前頃にかけて、遺伝的継続性が確認されます。ペルー中央部沿岸地帯でも、1350~950年前頃の高地ワリ(Wari)文化の盛衰を挟んで1850~480年前頃にかけて、遺伝的継続性が確認されます。1480~515年前頃のペルー南部沿岸地帯でも、2050~1200年前頃のナスカ(Nasca)文化の衰退後も遺伝的構成に顕著な変化は見られません。ペルー南部高地帯でも、ワリ文化の影響に関わらず、遺伝的継続性が確認されます。

 これらの地域おいて、文化的・政治的な大変化にも関わらず、他地域の一部で見られる集団の大規模な置換や遺伝的構成の変化は検出されませんでした。ただ本論文は、人々や支配層の小規模な移動、あるいは本論文の分析手法では検出できなかった移動の可能性は排除できない、とも指摘します。しかし、2000~500年前頃にアンデスの各地域で確立された集団遺伝的構造が、現代の先住民のそれに強く反映されていることも確認されています。インカ、さらにはおもにスペインによるヨーロッパ勢力の侵略でも、これらの地域における集団遺伝的構造は完全には破壊されなかったわけです。

 この均一性の例外はクスコとチチカカ盆地です。1450~950年前頃のティワナク(Tiwanaku)の影響圏は、現在のチリ北部・ボリビア西部・ペルー南部に及びますが、ペルー南部高地帯個体群は、この時期のチチカカ盆地の全ての他集団よりも、ボリビアのティワナクの1000年前頃の個体の方と遺伝的に類似しています。これは、ティワナクのような行政・宗教の中核的都市では、周囲の集団から移住してきた人々が存在したかもしれないことを示唆します。ティワナク崩壊後からインカ帝国拡大前の、現在のチリ・ペルー・ボリビアの国境付近の700年前頃の個体群では、チチカカ盆地集団よりもペルー南部高地帯集団の方との遺伝的近縁性が確認されました。これらの個体群は遊牧民墓地で発見されており、ペルー南部高地帯からの移民だったかもしれません。考古学では、ワリとティワナクの終わりにラクダ科の牧畜が拡大した、と示唆されています。

 550~420年前頃のインカ(Inca)帝国では、クスコ(Cusco)地域とトロントイ(Torontoy、聖なる谷)で個体群における有意な遺伝的不均一性が検出されます。この中には、ペルー北部沿岸地帯・ペルー南部高地帯・チチカカ盆地系統が含まれます。クスコでは、先スペイン期個体群はペルー南部高地帯のような他地域集団よりも現代人との関連が低く、現代のクスコ集団の遺伝的構造の形成過程は、将来の研究の課題となります。本論文はこれに関して、インカもしくはスペインによる強制移住や近現代における農村部から都市部への大規模な移動の可能性を指摘しています。インカ帝国時代の極端な移動の事例では、アンデス南部の500年前頃のミイラ化した少年(関連記事)が、遺伝的にはペルー北部沿岸地帯系統と最も近縁であることが挙げられ、子供の長距離移動が示されます。これは、ペルー北部沿岸地帯の特定の場所がインカ帝国にとって重要だったことを示唆します。

 アンデス中央部と他地域の遺伝子流動は、アマゾン北西部とペルー北部の間で検出されました。ペルーのアマゾン地域の現代人は、ペルー北部高地帯系統29%とアマゾン系統71%の混合としてモデル化されます。また、ペルーのアマゾン地域の現代人系統とペルー北部の4100年前頃の個体でモデル化すると、ペルー中央部沿岸地帯ではアマゾン関連系統が39±14%と推定され、ペルー北部および中央部沿岸地帯とアマゾン地域との双方向の遺伝子流動があり、高地帯よりも北部および中央部沿岸地帯でアマゾン関連系統の影響が大きい、と示唆されます。ペルー北部高地帯よりもペルー北部および中央部沿岸地帯でアマゾン関連系統の影響が強いことから、遺伝子流動はペルー北部の低い山を経由したか、高地帯集団ではアマゾン集団からの強い社会的障壁を維持していた、と考えられます。アマゾン関連系統との混合は、ペルー北部沿岸地帯で1478±252年前頃、ペルー中央部沿岸地帯で1153±90年前頃と推定され、南方への移住パターンの仮説と一致します。mtDNAの研究と同様に、チチカカ盆地もしくは地理北部への熱帯低地帯由来の遺伝子流動は観察されませんでした。アンデス低地帯東部とチリ北部沿岸地帯との間の食料などの交換は考古学で明らかになっていますが、その交換から2000~3000年後のチリ北部の個体でも、遺伝子流動は検出されませんでした。ただ、古代アマゾン地域集団のDNAデータはまだ得られていないので、まだ検出されていない系統からの遺伝子流動の可能性は排除できません。

 アルゼンチンのパンパ地域では、6800年前頃の個体よりも1600年前頃の個体の方が、ペルーの南部高地帯・南部沿岸地帯・中央部沿岸地帯・チチカカ盆地集団よりも、遺伝的に類似しています。これは、パンパ地域とアンデス中央部との間の遺伝子流動を示唆します。パンパ地域の1600年前頃の個体は、6800年前頃のパンパ地域の個体関連系統80±12%と、アンデス中央部沿岸地帯関連系統20±12%としてモデル化されます。ペルー中央部沿岸地帯集団は、ペルー南部高地帯関連系統77±17%とパンパ地域の1600年前頃の個体関連系統23±17%としてモデル化されます。アンデス南部の土器および金属製品の起源は1000年前頃のパンパライブ地域にあり、パンパ地域の個体は同位体分析によりアンデス南部で育ったと示唆されているように、相互交流があったようです。

 以前の研究では、アンデス中央部において4200年前頃より、南カリフォルニアのチャネル諸島の古代人と遺伝的に最も密接に関連している系統の流入が見られる、と推定されました(関連記事)。本論文で検証された4200年前頃以後のほぼ全ての集団でも改めて確認され、このチャネル諸島関連系統がアンデスに遅くとも2000年前までには拡大し、混合の年代はおそらく5000±1500年前頃と推定されました。

 本論文は、アンデスにおける古代ゲノムデータ数を大きく増加させ、アンデスの人口史をより詳細に解明しています。アンデスでは、高地の南北間、高地と低地で遺伝子流動が続きつつも、2000年前頃以後には地域的な遺伝的継続性が強く見られるようになったことを指摘します。これは、考古学で示唆されているように、植物栽培への依存の高まりなどによる定住生活の固定化が影響しているのでしょう。また、文化的・政治的な大変化にも関わらず、地域の安定した遺伝的継続性が見られることも重要です。そうした中で、ティワナクやインカのように広範な影響力を有する文化・国家の中心部では、「世界都市」的性格も見られることは注目されます。これには、強制的な移住も含まれていたのかもしれませんが、アンデス地域における長期の地域的な遺伝的継続性は、ティワナクやインカのような広範な大勢力が少なかった、あるいはその期間が短かったことに起因しているのかもしれません。また、アンデスとパンパやアマゾンのような他地域との遺伝子流動も検出されており、安定的な地域ごとの遺伝的構造を基本としつつ、考古学から窺えるように、文化的交流に伴いある程度は人々の移住があったことも示唆されます。


参考文献:
Nakatsuka N. et al.(2020): A Paleogenomic Reconstruction of the Deep Population History of the Andes. Cell, 181, 5, 1131–1145.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.015

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