髙倉純「北アジアの後期旧石器時代初期・前期における玉やその他の身体装飾にかかわる物質資料」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P16-22)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 更新世の遺跡で確認される玉やその他の身体装飾にかかわる物質資料は、人類進化に関する多くの考古学的議論において、ヒトの行動や認知の進化を議論するうえできわめて注目すべき題材です。それらは、モノによる社会的情報(年齢やジェンダー、婚姻・親族・階層・帰属集団など)の視覚的表示を通して、より複雑な象徴的コミュニケーションの達成を反映していると考えられてきたため、現生人類(Homo sapiens)による「現代人的行動」の構成要素の一つに挙げられてきました。その出現年代や帰属する生物学的人類集団との対応関係を突き止めることは、ユーラシアやアフリカにおける考古学的研究において重要な検討課題の一つと認識されてきました。

 遺跡調査の進展と資料の蓄積により、アフリカでは、玉やその他の身体装飾に関連する物質資料(のセット関係)の出現年代が、ヨーロッパの上部旧石器時代の開始年代よりもさかのぼる、と明らかにされてきました。一方、それらの出現年代は、現生人類の生物学的な進化が起きた年代と対応とておらず、モザイク的な出現状況を示唆することも指摘されています。また、ユーラシア西部では、初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)や前期上部旧石器時代(Early Upper Paleolithic、 EUP)の段階から、玉やその関連資料のセット関係の存在が確認されてきており、現生人類だけではなく、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が生存していたと考えられる年代の遺跡においても、該当資料検出の可能性が指摘されており、現生人類だけがモノを介して象徴的コミュニケーション行動を遂行していた、との見解は揺らぎつつあります。こうした研究の成果は結果的に、「現代人的行動」という認識の妥当性を問う契機にもつながっています。

 アジア北部では、近年、シベリアやモンゴルの旧石器時代遺跡において、玉やその他の身体装飾に関連する物質資料が相次いで確認され、象徴行動との関係から現生人類の進化や拡散の問題との関連が議論されています。こうした関連資料が、現生人類のユーラシアにおける拡散や文化形成をめぐる議論にどのような示唆を与えるのか、アジア北部での玉を中心とした身体装飾にかかわる物質資料の集成や比較検討の結果も踏まえて、本論文は検証します。身体装飾としては、オーカーなどの顔料による彩色も関連してきますが、本論文では、それらは玉への彩色あるいは玉との比較にかかわる議論のみが取り上げられています。

 アジア北部におけるIUPの存続年代は較正年代で48000~45000年前頃から39000~38000年前頃まで、EUPの存続年代はその後の29000~28000年前頃までと推定されています。地域としては、アルタイ山地(デニソワ洞窟、カラ・ボム遺跡、ストラーシュナヤ洞窟、ウスチ・カン洞窟、ウスチ・カラコル遺跡、マロヤロマンスカヤ洞窟、アヌイ2遺跡)、エニセイ河流域(マーラヤ・スィヤ遺跡)、バイカル湖周辺(ゲラシモーヴァⅠ遺跡、陸軍病院遺跡、マモヌイⅡ遺跡、シャーポヴァⅠ遺跡、ウスチ・カヴァ遺跡)、ザバイカル(パドズボンカヤ遺跡、ホーティク遺跡、カーメンカ遺跡A石器群、ワルワリナ山遺跡、トルバカ遺跡)、モンゴル(トルボル4遺跡、トルボル15遺跡、トルボル16遺跡、ドロルジ1遺跡)、北極圏(ヤナRHS遺跡)に分布する諸遺跡から、玉やその他の身体装飾にかかわる関連資料が出土しています。

 このうちデニソワ洞窟(Denisova Cave)11層の事例は、早くから注目されており、東洞11.2層出土のアカシカやエルクの歯を素材に穿孔がなされているペンダントは、放射性炭素年代測定値の較正年代で47000~38000年前頃との結果が得られています(関連記事)。これは、現時点でアジア北部におすい最古の装飾に関連する物質資料となっています。IUP石器群との伴出も指摘されていますが、石器群や生物学的人類集団との対応関係などについては、現時点では確定できません。デニソワ洞窟の事例以外に関しても、玉やそれに関連する資料は、いずれも上部旧石器時代に帰属しています。アジア北部においては現時点で、中部旧石器時代の石器群に伴出する玉やそれに関連する資料は確認されていないことになります。

 該当資料には、石・骨・角・歯・牙・貝。ダチョウ卵殻などが素材として利用されていました。体系的で明確な分類基準が示されている訳ではありませんが、形態的な特徴に基づき、ビーズ(Bead)・リング(Ring)・ペンダント(Pendant)・ブレスレット(Bracelet)・ヘッドバンド(Diadem)・その他(Unknown article)に分類されています。ビーズ・リング・ペンダント・ブレスレット・ヘッドバンドらは、いずれも形状からの類推に基づき、単独もしくは複数が紐などで組み合わせられ、身体にそのまま装着して使用されていた、と考えられています。ゲラシモーヴァI遺跡やマモヌイII遺跡、シャーポヴァI遺跡からの出土資料には、「その他(Unknown article)」に区分されているものもありますが、それらの中には穿孔の痕跡がなく、研磨や刻みによって装飾が加えられ、衣服の一部に組み合わされて使用されていた可能性が想定されているものも含まれています。多くの遺跡の出土資料に関しては、出土コンテクストなどの詳しい記載は示されていませんが、IUPのパドズボンカヤ遺跡では、オーカーによって彩色された、いくつかのペンダントが炉址の周辺からまとまって出土しており、顔料生産との関連も想起させます。こうした機能的な差異を反映する分類とは別に、形状・材質・製作技術・装飾・彩色の痕跡などを指標として、玉やその関連資料に関して以下のような4タイプが設定されています。

●タイプI
 厚さが薄く、平滑な形状を呈するもので、平面形状は主に円形や方形となるものです。石・骨・牙・歯・貝・ダチョウ卵殻など、さまざまな素材が利用されています。製作はおもに穿孔によっており、表裏での研磨は部分的なので、素材の自然面を留めているものが多く、製作は比較的容易だったと考えられています。オーカーなどによる彩色の痕跡が認められる場合が時にあるものの、刻みなどによる二次的な装飾はほとんど確認されていません。時期や地域を問わずこのタイプは出現しており、IUPのパドズボンカヤ遺跡やカーメンカ遺跡A石器群やトルボル4遺跡第5文化層、EUPのウスチ・カラコル遺跡(9.2層)やアヌイ2遺跡(13.2層)やマーラヤ・スィヤ遺跡やウスチ・カヴァ遺跡下層やドロルジ1遺跡やヤナRHS遺跡などで確認されています。

●タイプII
 素材となる石や歯や骨の立体的な形状を保持したまま、おもに切断や穿孔により製作されているため、形状が平滑ではないものです。研磨は部分的か、もしくはまったく認められません。オーカーなどによる彩色の痕跡が認められるものはありますが、刻みなどによる二次的な装飾はほとんど認められません。カーメンカ遺跡A石器群やカラ・ボム遺跡(OH-5石器群)など、IUPの石器群に伴出が認められますが、EUPに属するヤナRHS遺跡でも確認されています。

●タイプIII
 厚さが薄く、平滑な形状を呈するもので、円形や方形やヒト形を呈するものです。石や骨や角や牙など様々な素材が利用され、切断・全体的な研磨・穿孔により製作され、多くのものには単純な直線的刻みによる装飾が施されています。ほとんどの事例ではオーカーなどによる彩色の痕跡が確認されています。タイプIやIIと比較すると、製作にはより時間を要したと考えられています。カーメンカ遺跡A石器群やホーティク遺跡第3文化層やパドズボンカヤ遺跡などIUPでの伴出が認められますが、EUPになって増加する傾向が認められ、ストラーシュナヤ洞窟やアヌイ2遺跡(13.2層)やマーラヤ・スィヤ遺跡やゲラシモーヴァⅠ遺跡やシャーポヴァI遺跡やウスチ・カヴァ遺跡下層などで確認されています。

●タイプIV
 複数の面から構成される立体的な形状を有しているもので、軟らかい石や角や牙など、限られた素材だけを対象に製作されているのが特徴です。研磨や穿孔などの製作痕跡が明瞭で、なおかつ帯状や放射状などの意匠の刻みで、さまざまな二次的な装飾が加えられています。オーカーなどによる彩色や二次的な焼成の痕跡も頻繁に確認されています。アヌイ2遺跡(13.2層)やマーラヤ・スィヤ遺跡やゲラシモーヴァⅠ遺跡や陸軍病院遺跡やマモヌイII遺跡やシャーポヴァI遺跡やウスチ・カヴァ遺跡下層やホーティク遺跡第2文化層やヤナRHS遺跡など、おもにEUPに帰属するとみられる諸遺跡で確認されています。

 形状が平滑なのか複数の面から構成される立体的なものなのか、研磨などによる顕著な形状修正や複雑な装飾が認められるのか否か、という二つの指標を組み合わせて、4タイプが設定されています。定量的なデータによる検証という課題は今後に残されていますが、形状からの類推に基づく機能的な分類とは異なる基準を導入したこのタイプ分類により、IUPからEUPにかけて、タイプIIIやタイプIVが増加する、つまり、形状や装飾の多様化、製作工程の複雑化、素材選択の限定化という傾向が把握できるようになりました。また、素材からの顕著な形状修正が見られるタイプIIIや複雑な意匠の装飾がみられるタイプIVが、EUPになって本格的に出現すると明確化されたことにより、従来は相互が分離して議論されてきましたが、シベリアでは次の中期上部旧石器時代(Middle Upper Paleolithic、以下MUP)に盛行する骨角牙製彫像の製作技術や意匠との関連性に言及することも可能になってきました。

 アジア北部のIUPからEUPにかけての時期に見出された形状や装飾の多様化、製作工程の複雑化、素材選択の限定化という変化の傾向が、妥当な認識であったならば、それに対してどのような意味づけが可能なのか、ということが今後の議論における課題と考えられます。身体装飾にかかわる玉などの物質資料の変化は、アジア北部でのIUPからEUPにかけての文化変容を解き明かすうえで、重要な議論の対象の一つです。

 上述のように、玉やその他の身体装飾に関連する物質資料は、象徴的コミュニケーションの遂行を反映しているものとの観点から、現生人類の進化や拡散を論じるうえで重視されてきた経緯があります。しかし、一括りに「装飾品」といっても、形状・素材・製作技術・装飾や彩色の有無などに着目すると、上述のように様々なものが含まれており、身体装飾にかかわる物質資料が視覚的に表示・伝達していた社会的情報にも多様性があった、と予測できます。対象資料を一括りに認識するだけに留まらず、資料の多様性を踏まえて、社会的情報の伝達過程に変化を見出していこうとする議論が求められる、というわけです。

 ただし、身体装飾に関連する物質資料がどのような内容の社会的情報を、着装者とそれを視認する者との間で具体的に伝達していたのかに関しては、考古資料からアプローチすることが相当に困難な課題である点は認識しなければなりません。更新世の遺跡では、例外的に墓坑から着装に近い状態をとどめている玉が複数まとまって検出されることもありますが、ほとんどの事例は使用のコンテクストから分離され、本来は複数が組み合わさって機能していたと考えられるものが単独の状態で確認されています。そうした資料から、使用状況や着装者の性格を直接的に把握することは、あまり期待できないと言えるでしょう。伝達されていたメッセージの内容の直接的な解読ではなく、どのような状況でモノが作られ、コミュニケーションが遂行されようとしていたのか、という点に焦点を合わせることで、地域や時期にまたがる複数資料の比較、コミュニケーション行動の変容に関する解釈が現実的に可能になっていくのではないか、というわけです。そのためには、出土資料の製作・使用を取り巻いていた状況を明らかにし、解釈を導いていくための指標のモデル化が必要となります。

 身体装飾に関連するオーカーなどの顔料と玉が、象徴的なコミュニケーションが遂行されていた情報伝達システムのなかで、どのような特性を示すのかを比較するために、考古資料においても検証可能な複数の指標を導入する試論が提示されています。そのうち、形状や装飾の意匠の定形性、素材の入手・製作に要したコスト、どれだけ多く着装していたのか(量的表示の程度)といった指標は、玉やその関連資料の多様性とその時間的変容を、情報伝達システムとのかかわりで考察していくさいにも、有効な示唆を与えてくれると考えられます。これらは、伝達情報の広範囲にまたがる共通理解の形成、あるいは着装者が表示する社会的情報の差異性の強調にも関連する指標です。情報伝達システムの空間的広がりの性格や、コミュニケーション行動に関わっていた人々のなかでの着装者の役割・社会的立場の分化を推論していくうえで、大きな意味をもつ指標と想定されます。IUPからEUPにかけての玉やその関連資料の変化の背景を解明するためには、単純な「進化論」(単純→複雑)的現象の指摘に留まるとどまることなく、こうした指標を手がかりとして、比較と評価に取り組んでいかなければなりません。

 本論文は最後に、上述のアジア北部におけるIUPからEUPにかけて認められる玉やその関連資料について、今後の検討課題を挙げています。第一に、それらの素材がどこで、どのような状況下で入手されたのか、いかなる製作工程を踏まえて製作されていたのかに関しては、まだ充分な研究が試行されていないため、製作にいたるコストを正確に評価し、比較することが現状では難しい、と本論文は指摘します。素材の同定とその産地を推論するための古生態学的あるいは岩石・地質学的検討、そして製作技術に関する検討が欠かせない、というわけです。北海道を対象としたものですが、旧石器・縄文時代の岩石を素材とした玉を対象に、原産地を絞り込むための研究も始められています。同様の研究の展開がアジア北部においても求められます。第二に、形状や装飾の意匠の定形性、量的表示の程度といった問題については、3次元計測を含めた遺跡ごとでの定量的データの取得とその比較の手続きが有効と考えられます。


参考文献:
髙倉純(2020)「北アジアの後期旧石器時代初期・前期における玉やその他の身体装飾にかかわる物質資料」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)』P16-22

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