人類史における集団と民族形成

 現代人は複数の帰属意識を持つことができ、これは現生人類(Homo sapiens)の重要な特徴でもあるのでしょう。これは、現生人類が家族という小規模な集団と、それらを複数包含するより大規模な集団とを両立させていることと関連しているのでしょう。チンパンジー属は比較的大規模な集団を形成しますが、家族的な小規模集団は形成せず、ゴリラ属は家族的な小規模集団を形成しますが、より大規模な集団を形成するわけではありません。現生人類が複数の帰属意識を持つことと関連していると思われるのが、現生人類は所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、ということです。現生人類は、父系にかなり偏った社会から母系にかなり偏った社会まで、多様な社会を築きますが、父系と母系のどちらが本質的というよりは、双系的であることこそ現生人類社会の基本的特徴だろう、というわけです(関連記事)。

 こうした双系的社会を形成する前の人類社会がどのようなものだったのかは、現生近縁種や化石近縁種が参考になるでしょう。ヒト上科(類人猿)は、オランウータン属がやや母系に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母系社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父系に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれませんが、チンパンジー属は父系的社会を形成します。現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の49000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、ヒト亜科の最終共通祖先の社会は、単に非母系というだけではなく、ある程度以上父系に傾いていた可能性が高いように思います。人類系統も、単に非母系というよりは、父系に強く傾いた社会を長く形成していた可能性は高いように思います。

 現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。

 しかし、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られます。最近も、アイルランドの新石器時代社会の支配層における近親交配が報告されました(関連記事)。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配も推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。

 近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、上述のアイルランドの新石器時代の事例や、エジプトや日本でも珍しくなかった、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありませんが、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えられます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。

 生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。

 もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。

 こうした進化史を前提として、現生人類は双系的社会を形成していますが、それがいつのことなのか、不明です。所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることの考古学的指標となるかもしれないのが、物質の長距離輸送です。これが集団間の交易だとすると(同一集団が物質を入手して長距離移動した可能性も否定できませんが)、広範な社会的つながりの存在を示し、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることがその基盤になっているかもしれない、というわけです。こうした物質の長距離輸送は中期石器時代のアフリカで20万年以上前の事例も報告されており(関連記事)、現生人類の広範な社会的つながりこそ、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他の非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)に対する優位をもたらした、との見解には根強いものがあります(関連記事)。しかし、ネアンデルタール人でも物質の長距離輸送の事例が報告されており、しかも異なる文化間でのことなので、交易と呼んで大過ないかもしれません(関連記事)。そうすると、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることは、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の段階ですでに存在しており、そこからずっとさかのぼる可能性も考えられます。

 どこまでさかのぼるのかはともかく、現生人類が、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けるように、複数の帰属意識を有することは確かです。民族もそうした集団への帰属意識の一つですが、現代においては大きな意味を有している、と言っても大過はなさそうです(普段はほとんど意識していない人も少なくないでしょうし、現代日本ではその割合が多いかもしれませんが)。民族について、20世紀第4四半期以降、近代において「創られた伝統」と強調する人が日本でも増えてきたように思いますが、近代における民族の「虚構性」はあり、前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多いとしても、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能だと思います。ただ、前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えています。

 民族の形成について、私が多少なりとも語れるのは日本(もしくは、「ヤマト」など他により相応しい呼称はあるでしょうが)民族と漢民族くらいですが、どの要素を重視するかで見解が異なるのは当然だろう、と思います。私は、漢民族や日本民族のような規模の大きい民族となると、その構成員の自認という観点からも、近代以降の形成とみなすのが妥当だろう、と考えています。ただ、どちらも民族意識の核となる構成要素が前近代に見られることは否定できず、もっと前に設定する見解も間違いとは言えない、と思います。

 たとえば、漢民族が戦国時代~秦漢期に形成されたと想定することも可能でしょうが、その場合、日本民族の形成時期は遅くとも平安時代にはさかのぼり、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)という表現に示される(ここで朝鮮が視野に入っていないことに、その後の日本の世界認識の重要な論点が含まれている、と言えそうです)、と私は考えています。日本の漢詩文は、形式・題材・美意識のすべてにおいて、唐からの直輸入だった9世紀前半と比較すると、9世紀後半には、漢詩文という形式をとりながら、日本の身近な風景や人物に題材がとられるようになり、その美意識にも独自のものが見られるようになるとともに、日本で編纂された類書も、9世紀前半には中華地域的視点に限られていたものの、10世紀前半には日本の事象も対象とされていき、これらは「本朝意識」の芽生えとも言え、「国風文化」や、その本格的な始まりを告げる10世紀初頭の『古今和歌集』の編纂に象徴される和歌の「復興」もそうした文脈で解されます(関連記事)。

 現代とより直接的につながるという意味での「伝統社会」の形成を民族形成の指標とするならば、20年前頃に私が今よりもずっと強く東洋史に関心を抱いていた頃によく言われていた?「東アジア伝統社会論」が参考になりそうです。これは、中華地域や朝鮮半島や日本列島の「伝統社会」は、15~18(もっと限定して16~17)世紀に形成された、というもので、漢民族も日本民族もその頃の形成となります。私は、日本の「伝統社会」は平安時代から18世紀前半にかけてじょじょに形成され、南北朝時代や戦国時代は大きな変動期ではあるものの、そこが決定的な画期ではない、と今では考えています。「東アジア伝統社会論」とは異なるところもありますが、17世紀前後に漢字文化圏で「伝統社会」が形成された、との見解はおおむね妥当なように思います。

 まとめると、漢民族と日本民族の形成時期に関する私見は、(1)構成員の多数の自認を重視すると共に近代以降、(2)民族意識の核となる構成要素を重視すると、漢民族は戦国時代~秦漢期、日本は遅くとも平安時代、(3)現代とより直接的につながるという意味での「伝統社会」の形成を重視すると共に17世紀前後となります。その意味で、漢民族の形成は精々近現代だが日本民族は縄文時代に形成された、というような見解は私にとって論外となります。一方、漢民族は戦国時代~秦漢期に形成されたが、日本は明治時代で、さかのぼっても精々江戸時代というような見解も、基準が統一されていないように思えるので、支持できません。

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