アフリカ東部の環境変化と中期石器時代への移行

 アフリカ東部の環境変化と中期石器時代への移行に関する研究(Potts et al., 2020)が報道されました。環境変化と人類の進化を結びつける仮説は、地球規模もしくは地域規模の気候変化と主要な進化基準との間の時間的相関に焦点を当ててきました。アフリカにおける人類の進化に関しては、軌道周期による乾燥化や湿潤化や気候変動の増加が、どのように人類の適応や種分化の出現と一致し、それが始まるのか、特定することが一つの手法です。

 しかし、これらの一般的な古気候仮説のいずれかが、人類進化における重要な移行を説明するのか、まだ明らかではありません。今も続く課題は、気候と環境の記録を、エネルギー獲得に不可欠でありながら、生物の既存の適応戦略を損なうかもしれない変化の影響を受けやすい、水の利用可能性や食料や他の生態資源と結びつけることです。本論文では、南ケニア地溝帯において、高解像度の掘削コアデータを近隣の盆地からの露頭記録と統合し、この地域の基本的な考古学的および古生物学的変化の期間に、景観規模の生態資源の変化がどのように人類の適応に影響を及ぼしたのか、調べられます。

 ケニア南部のクーラ(Koora)盆地のオロルゲサイリー(Olorgesailie)掘削計画では堆積物が回収され、水利用可能性や植生や全体的な資源景観の変化の証拠が提供されます。これらの変化は、近隣のオロルゲサイリー盆地で記録されている、アシューリアンの消滅および中期石器時代技術によるその置換と関連しています。オロルゲサイリー盆地では、既知のアフリカ東部の証拠では最古となる、アシューリアン(握斧や他の大型切削石器により定義されます)の永久的な喪失と、中期石器時代の行動革新の出現が示されます(関連記事)。この移行には、新たな技術、相互接続された社会的集団間の資源交換を示唆する長距離の黒曜石移動、強化された象徴的能力と関連するかもしれない着色材の使用が含まれていました。

 ケニア南部の地溝帯におけるこれら行動革新の始まりは、50万~32万年前頃に起きました。現生人類(Homo sapiens)の最も深い分岐の年代は35万~26万年前頃と推定されており(関連記事)、最古の現生人類化石と広く認められているのは、モロッコのジェベルイルード(Jebel Irhoud)遺跡で発見された32万~30万年前頃の個体で(関連記事)、オロルゲサイリー盆地におけるアフリカ東部では最古の中期石器時代の証拠と一致します。この時点でアフリカには、ハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)的な人類やホモ・ナレディ(Homo naledi)といった非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)が存在しましたが、どちらも中期石器時代の人工物とは関連づけられていない一方で、現生人類は中期石器時代の人工物と広く関連づけられています。397000~334000年前頃となるケニア南部のレイニャモク(Lainyamok)遺跡の人類遺骸(保存状態の悪い歯と大腿骨骨幹部)は、早期現生人類と計量的に一致しているものの、他には古代型ホモ属と現生人類との区別ができません。アフリカ東部の中期更新世後期の他のホモ属頭蓋は、通常現生人類と古代型ホモ属の特徴の混在を示しますが、その年代は曖昧です。

 本論文は、中期石器時代もしくは現生人類の起源がケニア南部地溝帯にあるとは想定していません。しかしケニア南部は、中期石器時代の行動革新がアシューリアン(アシュール文化)と永久的に置換したことを示し、正確な年代を有する地域としては最古の記録を提供します。ケニア南部の地溝帯では、394000~320000年前頃となるアシューリアンから中期石器時代への移行期には、哺乳類において大規模な85%もの置換が起きました。この置換では、以前は優勢だった大型草食動物(体重900kg以上となる、おもに草本を採食する動物であるグレーザー)が消滅する一方で、より小型で水に依存しない、グレーザーや低木の葉・果実を食べるブラウザーのような草食動物が増加しました。

 オロルゲサイリー盆地の露頭記録で50万~32万年前頃に侵食が中断し、この期間に上述の行動と動物相の移行が起きます。そこで、この重要な空白期間のデータを得るため、オロルゲサイリー盆地に隣接し、そのすぐ下流(南へ約24km)にあるクーラ盆地の掘削コアにより、高解像度の環境データを保存している堆積物が回収されました。139mのコアは、アルゴン-アルゴン法に基づき、1084000±4000~83000±3000年前と推定されました。これから得られたデータは、広範な地域の植生や岩質や水文を反映しています。

 オロルゲサイリー盆地の人類が用いた石材は、オロルゲサイリー盆地よりもずっと広範な資源獲得を示します。中期石器時代技術で使用される黒曜石は、オロルゲサイリー盆地から25km~95kmの範囲の複数の方向の地点に位置する火山露頭源から輸送されていますが、対照的に、アシューリアン石器群に典型的な石材の輸送は5km以内です。これらのデータを地域の地殻変動および景観区画の証拠と統合することにより、高い地質年代学的解像度で、変化する資源景観の連続を人類の行動および動物相の重要な移行と結びつける枠組みが提供されます。

 民族誌的観察では、食性や狩猟採集範囲や集団移動性や規模は、適応的特徴の中で、環境条件と体系的に関連している、と示されます。また狩猟採集民は、資源の予測不可能性と危険が高まる状況において、技術への投資を増やし、資源獲得の範囲を拡大し、遠方の社会的同盟と交換ネットワークに依存する傾向にある、と報告されています。現代の狩猟採集民におけるこうした反応が、オロルゲサイリー盆地の中期石器時代の考古学的革新と相似していることを考慮すると、資源の予測可能性の低下が、ケニア南部地溝帯における中期石器時代の適応の早期出現における要因だったかもしれない、との仮説を検証するため、コアの記録が調査されます。具体的には、現生人類の狩猟採集民の観察された適応的反応の出現をより広く形成したかもしれない生態学的要因である、資源の変動性が増加している期間に、この地域で中期石器時代の行動がアシューリアンを置換したのかどうかです。

 クーラ盆地の掘削コアデータは、100万~40万年前頃の安定した期間の後に、気候と生態の変動が大きくなったことを示します。たとえば、乾燥期は40万年以上前にも起き、78万~59万年前頃に集中していますが、47万年前頃までの約53万年前間のうち5%ほどの長さにすぎず、47万年前頃まで淡水の利用可能性は高かった、と推測されます。47万年前頃以降、乾燥期が増加し、50万~30万年前頃には8回の乾燥期があり、そのうち5回は5000年程度続いたと推測されます。30万年前頃以降も乾燥期は頻繁に訪れますが、各期間は50万~30万年前頃よりも短くなります。

 こうしたクーラ盆地における変化をまとめると、47万年前頃から始まるものの、40万年前頃から大きく変わっていき、30万年前頃に次の大きな変化があります。まず湖の水深は、47万年前頃までほぼ一貫して中間の深さですが、47万~40万年前頃に浅くなり、40万年前頃には変動するようになり、30万年前頃以降は浅いか変動を示すようになります。水質は、47万年前頃まではおもに淡水ですが、47万~40万年前頃は塩水となり、40万年前頃以降は淡水と塩水の間で変動するようになります。景観は、40万年前頃までは草原地帯に森林が散在するサバンナ的なものでしたが、40万年前頃以降、森林と草原の混在から森林地帯へと変化し、25万年前頃以降は森林と草原の間で変動するようになります。草は、40万年前頃までは短いものが優占しましたが、40万年前頃以降は高い草へと移行していき、25万年前頃以降は高い草が優占します。資源は、47万年前頃までは比較的利用可能性が高いものの、それ以降は利用可能性が急速に変化し、時として乏しくなります。15万年前頃以降も、資源の利用可能性は変動を示します。また、40万年前頃以降に火山構造活動が活発化したことも指摘されています。

 オロルゲサイリー盆地では、上述のように50万~32万年前頃のデータが欠けているので、その前後の変化となりますが、動物相でも人類の行動でも大きな違いが見られます。動物相では、大型動物が減少し、以前には確認されなかった23kg未満の小型動物の割合が一気に増加します。水に依存しない動物も増え、食性では、おもに草本を採食する動物であるグレーザーが減り、多様化します。動物は全体的に、環境および資源利用可能性・予測性の変動劇化に対応して、小型化して食性が多様となり、水に依存しない割合が増えました。動物相全体では、この間に85%ほどの置換があった、と推測されます。一方、近隣のマガディ(Magadi)盆地に関しては、35万年前頃以降、現在へと続く比較的持続した乾燥気候が推測されており(関連記事)、本論文は、近隣でありながら、オロルゲサイリー盆地とマガディ盆地との景観の対照性を指摘します。

 オロルゲサイリー盆地の人類の行動も、前期石器時代となるアシューリアンの120万~499000年前頃と、中期石器時代となる32万~295000年前頃とでは、大きく変わりました。石器は、大型のもの、とくに大型切削石器が優占していたアシューリアンから、より小さく多様な中期石器時代技術へと変わりました。石材は、ほぼ全て(98%)地元の火山岩だったのが、地元産だけではなく、25km~95kmの範囲の複数の方向の地点の黒曜石や燵岩(チャート)も使用されるようになりました。顔料の使用は、アシューリアン期では証拠がなく、中期石器時代には確認されています。

 本論文は、こうした景観と動物相の変化に伴う、資源利用可能性・予測性の変動劇化が、前期石器時代から中期石器時代への人類の行動変化をもたらしたかもしれない、と指摘します。動物相は全体的に小型化し、中期石器時代のより小型化した石器はそれに対応しているのではないか、と本論文は推測します。また、環境と資源利用可能性・予測性の変動劇化は、危険性減少のため、顔料の使用といった象徴的な意思伝達により支えられた、広範囲のネットワーク構築につながったかもしれない、と本論文は指摘します。石材の調達は、前期石器時代には5km未満でしたが、中期石器時代には25km~95kmまで拡大しており、これが広範囲のネットワーク構築を反映しているかもしれない、というわけです。

 本論文は、広範な社会的つながりや技術革新といった「現代的行動」をもたらしたものが、環境と資源利用可能性・予測性の変動劇化への適応だったのではないか、との見通しを提示しています。こうした変動性の激しい環境への適応が、現生人類への進化の選択圧になった可能性はあると思います。ただ、現生人類はとくに環境変動劇化への適応力が高かったかもしれませんが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他の人類も、一定以上環境変化に適応できていた可能性は高いでしょう。ネアンデルタール人はおそらく、ヨーロッパで40万年以上存続したわけで、これは環境変化に一定以上適応できなければあり得なかったでしょう。じっさいネアンデルタール人社会でも、異なる文化間での長距離の石材移動が行なわれた可能性は高いと指摘されており(関連記事)、ある程度は広範な社会的ネットワークが存在した、と推測されます。現在まで生き残ったことから、現生人類の適応力が他の人類との比較で過大評価されているようにも思います。


参考文献:
Potts R. et al.(2020): Increased ecological resource variability during a critical transition in hominin evolution. Science Advances, 6, 43, eabc8975.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abc8975

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