大河ドラマ『麒麟がくる』第32回「反撃の二百挺」

 1570年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)4月、浅井長政の裏切りにより、織田信長は越前から撤退します。明智光秀(十兵衛)は摂津晴門とのやり取りから、摂津が朝倉や浅井と通じている、と確信します。光秀は足利義昭に、次の戦いでの出陣を要請します。今回の戦いで義昭が出陣していれば、浅井長政は裏切らなかっただろう、というわけです。越前からの撤退戦で鉄砲を多数失ったことから、光秀と木下藤吉郎(豊臣秀吉)は堺の今井宗久を訪ねて鉄砲300挺の購入を依頼しますが、すでに鉄砲の大量注文を受けているので用立てはできない、と宗久は言います。宗久はその注文主を直接的には光秀と藤吉郎に教えませんでしたが、茶会に参加する筒井順慶だと示唆します。筒井順慶は松永久秀と敵対しているため、譲ってもらうことは難しいと考える光秀と藤吉郎ですが、ともかく茶会に出席することにします。順慶が信長に好意的だと知った光秀は、順慶に鉄砲を譲ってもらいたと要請し、順慶は信長と義昭への口添えを条件に鉄砲200挺を譲ることにします。順慶は、久秀を退けよとまで要求するつもりはないが、自分も信長と義昭とは懇意にしたい、と考えていました。

 1570年6月、信長は徳川家康とともに近江に出陣し、姉川で朝倉・浅井軍を破ります。光秀は家康から、義昭は食えない男だと忠告を受けます。信長は義昭に出陣を要請して三好三人衆を攻めますが、本願寺が三好三人衆側に立って決起し、さらには朝倉と浅井も出陣し、包囲される形となった信長は窮地に追い込まれ、まずは朝倉妥当を優先します。義昭は、信長が意外と脆いと認識を改めます。信長は、比叡山延暦寺が朝倉・浅井を匿うことに苛立っていました。

 今回は、筒井順慶が初登場となり、光秀との縁ができたことも描かれ、今後も重要人物として存在感を示しそうです。順慶が信長・義昭と通じ、義昭が順慶を優遇したことも一因となって久秀は義昭と対立し、1572年までともかく一応は義昭と協調関係にあった信長とも対立していくわけですから、本作での久秀の重要性から考えても、順慶は今後も重要人物として描かれることになりそうです。何よりも、順慶は本能寺の変での光秀との因縁もありますから(洞ヶ峠の逸話は史実ではないようですが)、その意味でも注目されます。それにしても、残り12回なのにまだ1570年ですから、丹波攻めもあまり描かれず、本能寺の変へと至る過程も駆け足になるのではないか、との懸念は残ります。

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