韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析

 最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

 検索してみると、この研究は朝鮮語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の朝鮮語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介した朝鮮語のブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。私は朝鮮語を全く解さないので、機械翻訳に頼って内容を確認しましたが、著者は専門家である可能性が高く、少なくとも集団遺伝学に関してかなりの知見があるので、その内容紹介は信用できる、と判断しました。以下、このブログ記事に依拠して、この研究の内容を見ていきますが、機械翻訳なので私の誤認がかなり入っているかもしれません。

 この研究は、釜山市の加徳島の獐遺跡で発見された6300年前頃の人類遺骸のDNAを解析しました。獐遺跡では、朝鮮半島南岸地域の初期新石器時代で典型的な土器が発見されているようです。獐遺跡で発見された48個体のうち埋葬方法が識別可能なのは31個体で、そのうち23個体で屈葬が採用されていたそうです。屈葬は縄文時代の日本列島で一般的ですが、朝鮮半島の新石器時代では基本的に見られないそうで、黒曜石や土器などで交流が確認されている、縄文時代の九州とのつながりが示唆されます。

 獐遺跡の個体のうち、標本2はミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)がD4b1で、標本8はmtHg-D4aです。現代韓国人では、mtHg- D4b1の割合は6.36%、mtHg-D4aの割合は7.7%とのことです。mtHg-D4はアジア東部現代人では高頻度です。韓国の慶尚南道の青銅器時代の遺跡では、21個体のうち11個体がmtHg-D4で、そのうち2個体がmtHg-D4bでした。mtHg-D4は新石器時代には朝鮮半島に定着し、現代まで主流母系の一つだった可能性が高そうです。縄文人では、mtHg-D4a・D4b1はまだ確認されていないようですが、D4b2は確認されています。標本2と標本8は女性と推定されています。

 核ゲノム分析では、獐遺跡の標本2と標本8で違いが見られ、f3統計では、標本2は現代「(本州・四国・九州を中心とする)本土」日本人と、標本8は北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された縄文人(関連記事)、次いで現代本土日本人と最も高い類似性を示します。f4統計でも、標本8が標本2よりも縄文人と近い、と示され、標本2と標本8は遺伝的にかなり離れていることが明らかになります。主成分分析でも、標本8が標本2よりも縄文人に近い、と示されます。また、標本2も標本8も、現代韓国人より現代本土日本人に近い、と示されます。標本2も標本8も、現代本土日本人と同程度以上の縄文人系統を有している、と推測されます。

 以上、この研究の内容を、上記の朝鮮語ブログ記事に依拠してざっと見てきました。現代本土日本人は、縄文人とアジア東部大陸部から弥生時代以降に到来した集団との混合により形成され、船泊遺跡縄文人の研究で推定されているように、縄文人の遺伝的影響は9~15%と少ない、と指摘されています。しかし、この研究は、日本列島で弥生時代が始まる3000年以上前に、朝鮮半島において現代日本人と比較的近い遺伝的構成の集団が存在した可能性を指摘します。つまり、朝鮮半島に縄文人が渡り、そこでアジア東部大陸部集団と混合して形成された祖型本土日本人集団が弥生時代以降に到来し、日本列島では先住の縄文人とあまり混合しなかった可能性も想定されるわけです。この研究は、今年(2020年)になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究を踏まえねばならない、と思います(関連記事)。それに基づくと、ユーラシア東部への現生人類(Homo sapiens)の拡散の見通しは以下のようになります。

 まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万~5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。

 アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。

 縄文人は、アジア東部南方系統(55%)とユーラシア東部南方系統(45%)の混合としてモデル化できます。このモデルは、Y染色体ハプログループ(YHg)Dの分布とも整合的です。YHg-D1aは現代では日本人とチベット人において高頻度で、とくにアンダマン諸島人ではほぼYHg-D1aで占められています。現代チベット人も15%程度と低頻度ながらユーラシア東部南方系統の遺伝的影響が見られ、アジア南東部では更新世~完新世の狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団もユーラシア東部南方系統に位置づけられますが、ホアビン文化の個体でYHg-D1が確認されています(関連記事)。縄文人のYHgは現時点でDしか確認されておらず、そのうち詳細に区分されている個体は全てYHg-D1a2aです。一方、ユーラシア東部北方系統およびそこから派生したアジア東部系統の古代DNA研究では、まだYHg-D1は確認されていないと思います。したがって、YHg-D1はユーラシア東部南方系統のみに由来する可能性が高く、その意味でも、ユーラシア東部南方系統が縄文人の一方の主要な祖先だった、と考えられます。

 これらの知見を踏まえて獐遺跡の標本2と標本8を位置づけると、まず問題となるのが縄文人の形成過程です。中国では、古代DNA研究で縄文人的な個体の存在がまだ確認されていないと思いますし、今後も発見される可能性は低いでしょう。朝鮮半島では、縄文人の遺伝的影響を受けたと推測される6300年前頃の個体が、釜山市の加徳島で確認されました。現時点での考古学などのさまざまな証拠からは、縄文人が日本列島で形成された、と考えるのが妥当なところでしょう。上述のように、考古学では縄文時代における九州と朝鮮半島との交流が明らかになっており、日本列島から朝鮮半島へと縄文人が渡り、混合したとしても不思議ではありません。日本列島から朝鮮半島へと渡った縄文人は、朝鮮半島に存在したおもにアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団と混合したのでしょう。

 ただ、朝鮮半島南端という釜山市の位置を考えると、獐遺跡の標本2と標本8が当時朝鮮半島でどこまで一般的な遺伝的構成の集団だったのか、朝鮮半島の広範な地域の同時代人のゲノムデータが蓄積されるまで、判断は難しいと思います。この研究でも指摘されていますが、佐世保市の弥生時代の人類遺骸は、遺伝的には縄文人と現代本土日本人の中間で、獐遺跡の標本2と標本8よりも縄文人に近い、と示されています。獐遺跡の標本2と標本8から3000年以上経過しても、九州西北部では先住の縄文人と新たに到来しただろう、おもにアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団との混合が起きていたと推測されます。

 したがって、6000年以上前に縄文人が朝鮮半島に渡り、朝鮮半島ですでに現代本土日本人に近い遺伝的構成の集団が形成され、この集団は現代朝鮮人にはさほど遺伝的影響を残していないものの、日本列島に到来し、先住の縄文人とはさほど混合せず、現代本土日本人の主要な祖先になった、とは考えにくいように思います。むしろ、獐遺跡の事例は一時的な例外で、朝鮮半島における縄文人の遺伝的影響は、日本列島の弥生時代の前には「希釈」され、改めてアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団が朝鮮半島から日本列島へと到来し、先住の縄文人と混合していった、という可能性の方が高いように思います。

 レヴァント南部では、青銅器時代末期から鉄器時代初期にかけて(関連記事)と、十字軍の時代(関連記事)に、一時的なヨーロッパ系統の遺伝的影響の増加が見られますが、その痕跡は後に「希釈」され、ほとんど検出不可能となります。それと似たような事例が完新世の朝鮮半島でも起きたのではないか、というわけです。上述のように、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっていますが、一方で、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、両者の文化的交流は限定的だった、とも指摘されています。もちろん、私見が妥当だと強く主張するわけではなく、今後のアジア東部、とくに日本列島と朝鮮半島の古代DNA研究が今よりもずっと進展するまで、最終的な判断を保留しておくのが妥当だろう、と思います。

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