大河ドラマ『麒麟がくる』第43回「闇に光る樹」

 1579年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)夏、明智光秀(十兵衛)は丹波全域を平定します。光秀は降伏してきた丹波の有力な国衆である波多野兄弟に助命を約束して安土城へと送りますが、織田信長は波多野兄弟を殺し、その首を塩漬けにして光秀に見せます。信長は光秀と細川藤孝の功績を称える一方、本願寺攻めに苦戦している佐久間信盛と毛利攻めに苦戦している羽柴秀吉を叱責します。信長が光秀だけを呼んでいる間、秀吉は藤孝に相談し、正親町天皇に譲位を迫る信長のやり方に疑問を呈します。信長は光秀に、あくまでも正親町天皇に譲位させるつもりであると語り、東宮の誠仁親王には新たに作る二条の御所に移っていただくと構想を打ち明け、その建築の奉行に光秀と藤孝を任命します。光秀も藤孝も信長の強引なやり方を危惧しますが、信長を諫めようとする光秀を藤孝は思い留まらせます。

 1579年11月、誠仁親王は二条の新たな御所に移ります。信長の暴走を食い止めたい近衛前久と藤孝は光秀を頼りにしますが、藤孝は光秀が将軍の足利義昭と会ったことを危ぶみます。一方、武家の出身ではない秀吉は、将軍への想い入れはありません。1580年4月、本願寺は織田に降伏しますが、そのしばらく後、本願寺攻めの総大将だった佐久間信盛は信長に追放されます。この頃、光秀は毎日のように、信長らしき人物が月へと続く樹を昇っており、その樹を切り続ける、という夢を見ていました。夢の中の光秀は、その樹を切ってしまえば信長が死ぬと理解していました。

 光秀は、都に目の治療に来ていた帰蝶と再会し、信長について相談します。佐久間信盛など重臣を相次いで処罰し、正親町天皇に譲位を迫る信長に対して、帰蝶の父の斎藤道三ならばどうする、と光秀に問われた帰蝶は、毒を盛る、と答えます。光秀は、道三に信長と共に大きな国を作るよう示唆されたことから、信長を毒殺するのは自分を殺すことだ、と言います。帰蝶は、信長を作ったのは道三と光秀なので、信長が独り歩きして暴走を始めたら作った人物が始末すべきと道三は答えるだろう、と光秀に語ります。

 1582年3月、織田は徳川とともに武田を攻めて滅ぼします。光秀も武田攻めに従軍し、徳川家康と再会します。家康に領国統治の秘訣を尋ねられた光秀は、自国を豊かにすることが戦いをなくすために重要で、そのためには検地が必要だ、と答えます。信長は家康を安土城に招こうとしますが、徳川から接待役は光秀と注文があったことを疑問に思います。そこに森蘭丸から、光秀と家康が良好な関係にあると報告を受けた信長は、家康は妻子を切腹させようとしたことで自分への恨みがまだあるのか、と考えます。家康を招いての饗応当日、信長は光秀に饗応役を丹羽長秀に引き継ぐよう命じますが、家康から饗応役を断らないでもらいたいと懇願されていた光秀はあくまでも饗応役を務めたい、と主張します。饗応の場で、膳の順序が違う、と激昂した信長は光秀に折檻します。

 今回は、光秀と信長の懸隔の広がりが描かれました。信長は相変わらず光秀に好感を抱いており、何とか光秀に喜んでもらおうと位階を授けようとしますが、光秀の反応は乏しく、さらに家康と光秀の関係から猜疑心を強めていき、家康を安土城に招いての饗応では、光秀を試そうとします。そこでの光秀の反応に、裏切られたと感じたことで、信長は光秀に激昂するわけですが、信長の視点からは、切なさも感じさせるすれ違いになっているように思います。光秀の視点からは、信長の暴走をどう止めればよいのか、悩んでいるところがあり、信長の光秀への対応が、さらに信長との距離感を広げていくことになります。

 今回の帰蝶の助言は、光秀が謀反を起こす重要な契機になっていますが、まだ決定的とまでは言えず、それは今回の満座で信長から恥辱を受けたことと、次回描かれるだろう信長の命令(テレビ番組表の予告にありました)が決定打となるのでしょう。本作における本能寺の変の要因は、基本的には信長の非道を阻止することとされるようですが、最終的に光秀が謀反を決断するに至った信長の命令が何なのか、気になるところです。光秀と家康の関係を疑った信長が、自分を阻害して光秀が家康と良好な関係を築くことに不満を抱き、再度光秀を試そうとして、家康を討て、と光秀に命じるのでしょうか。いよいよ残り1回となり、寂しさもありますが、たいへん楽しみでもあります。

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