日本列島「本土」集団の「内部二重構造」モデル

 日本列島「本土」集団(ヤマト人)の「内部二重構造」モデルに関する研究(Jinam et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。日本列島は南北2000km以上に及びます。日本列島は、1960年代初頭に作家の島尾敏雄により「ヤポネシア(Yaponesia)」と呼ばれました。「Yapo」はラテン語で「日本」、「nesia」はラテン語で「島々」を意味します。ヤポネシアは地理的に、北部・中央部・南部に3区分できます(図1)。北部ヤポネシアは北海道(サハリン島とクリル諸島を含む場合もあります)、中央部ヤポネシアは本州と四国と九州(とその近隣の島々)、南部ヤポネシアは沖縄県の島々(琉球列島とも呼ばれます)で構成されます。さらに詳しく区分すると、本論文では、北部が北海道(図1の1)、中央部が東北(図1の2)と関東甲信越(図1の3)と東海北陸(図1の4)と近畿(図1の5)と九州(図1の7)、南部が沖縄(図1の9)となります。沖縄人と北海道のアイヌを除いて、日本列島の人々はヤマト人と呼べます。以下、本論文の図1です。
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 ヤポネシア人(日本人)に関して、エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz)は早くも1911年に、アイヌと沖縄人における共通の特徴を指摘しました。この見解は後に多くの研究者により支持され、埴原和郎たちにより「二重構造」モデルと呼ばれました。「二重構造」モデルでは、16000~3000年前頃(開始期は確定的ではないでしょうが)となる縄文時代の前に日本列島に居住していた人々の遺伝的多様性を説明するためによく援用されてきました。「二重構造」モデルでは、象徴的に「弥生」人と呼ばれる稲作農耕民が、紀元前10世紀~紀元後3世紀の弥生時代に移住してきた、と想定されます。なお、弥生時代の開始年代については議論があり(関連記事)、地域差も大きかったと考えられます。「弥生」人は、象徴的に「縄文」人と呼ばれる先住の狩猟採集民と混合し、現代日本人集団が形成されました。図2は、埴原説に基づく「二重構造」モデルを示します。「二重構造」モデルでは、北方の北海道のアイヌと最南端の島々の沖縄人では、ヤマト人と比較して縄文系統の割合がずっと高い、とも仮定されています。「二重構造」モデルは当初、頭蓋計測データから提唱されましたが、今ではゲノム規模一塩基多型データにより強く裏づけられています。以下、本論文の図2です。
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 しかし、ヤマト人のほとんどの遺伝的データは東京およびその周辺の関東地域に由来します。ゲノム規模一塩基多型およびHLA(ヒト白血球型抗原)アレル(対立遺伝子)を用いると、日本人の内部に下位構造がある、と報告されてきました。それにも関わらず、日本の一部地域は集団遺伝学研究で過小評価されています。そこで、島根県出雲市(図1の6)と鹿児島県枕崎市(図1の8)の人々の新たなゲノム規模一塩基多型データが生成され、日本の他地域のデータと併せて、「二重構造」モデルがこれらの集団に依然として適用できるのかどうか、検証されました。

 出雲市では90個体、枕崎市では72個体のDNAが分析されました。出雲市の90個体のうち21個体は2013年に東京地区に居住していた出雲出身者で、血液標本が得られ、その祖父母のほとんども出雲地域で育ちました。出雲市の69個体は、出雲市の荒神谷博物館で2014年に唾液標本が得られました。これら90個体のうち51標本だけが、遺伝子型決定に充分な高品質のDNAを含んでいました。枕崎市の72個体は、2015年に血液標本が収集され、全員祖父母4人は薩摩南部地域で育ちました。3親等までの親族が除外された結果、出雲市では45個体、枕崎市では64個体のゲノム規模一塩基多型データが分析されることになりました。これら出雲市と枕崎市のデータは、バイオバンクジャパン(BBJ)の日本各地のデータ(標本の地理的位置は収集された病院の位置を反映しています)や、アジア東部(韓国と中国とベトナム)のデータと共に分析されました。


●DNA解析結果

 まず主成分分析が実行されました。アイヌと沖縄人と北京の漢人(CHB)を含むと、枕崎市個体群と出雲市個体群はヤマト人とクラスタ化します。次に、枕崎市個体群と出雲市個体群とBBJデータと韓国人と1000人ゲノム計画データを用いた主成分分析が、106237ヶ所の一塩基多型を用いて実行されました(図3)。各小図の左端のクラスタは沖縄個体群で構成され、ヤマト個体群は中央部クラスタとなりますが、他の大陸部アジア人は右側に位置します。北海道(図3の1)と関東(図3の3)と東海(図3の4)の個体群はヤマト人クラスタの中央に分布しますが、東北(図3の2)および近畿(図3の5)個体群は中央クラスタからわずかにずれています。興味深いことに、九州の個体群は、沖縄(九州A)とヤマト(九州B)の両方のクラスタに位置します。沖縄クラスタ内に位置する九州Aは、地理的には沖縄に近いものの、行政区分では九州の鹿児島県に含まれる島々から標本抽出された可能性があります。BBJの標本の地理的位置は、収集された病院の位置を反映しています。対照的に、出雲市と枕崎市の標本群は、祖父母4人が地元民です。枕崎市は九州の南端に位置し(図1の8)、その住民が沖縄クラスタにやや近いことを示します(図3の8)。以下、本論文の図3です。
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 混合分析は、k(系統構成要素の数)=9の結果が示されます(図4)。ヤポネシア人における主要な系統構成要素(10%以上)は、茶色と水色と暗緑色で示されます。水色の系統構成要素はアジア北東部人(CHBおよび韓国人)で最高となり、ヤポネシア人では、沖縄および九州Aを除いて平均17%です。茶色の系統構成要素はヤマト人では42%、韓国人では25%ですが、沖縄人と九州Aと他のアジア集団ではひじょうに頻度が低くなっています。暗緑色は沖縄人において最高の系統構成要素で、ヤマト集団は一貫してこの系統構成要素を示しますが、九州A集団では黄色の系統構成要素が最高の割合を示します。以下、本論文の図4です。
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 無根系統樹は、集団間のFst距離に基づき、近隣結合法を用いて構築されました。集団は多かれ少なかれ、直線的に配置されます。沖縄・九州Aクラスタが左側、CHB・韓国人クラスタが右側に配置されます。ヤマト人が中央に位置し、近畿個体群がCHB・韓国人クラスタの最も近くに位置します。近隣結合法を用いて系統発生ネットワークも構築され、ヤポネシア人とCHB・韓国人(図5)、およびそれらと他の大陸部アジア人との関係に焦点が当てられました。アイヌ集団は他の集団から大きく離れているので(図5A)、その後のネットワーク分析(図5B)から除外されました。沖縄・九州A集団は1つのクラスタを形成し、残りのヤポネシア人7集団(図5Bの水色)は、沖縄・九州AクラスタとCHB・韓国人クラスタの間に位置します。ヤポネシア人7集団の系統発生関係は図5Cに示されています。なお、図5のBBJデータは、他の図のBBJ データとは異なり、7集団から100個体が無作為に選択されました。この標本抽出の違いにより、おそらく東北集団の変化が起きました。図5Cではやや出雲市個体群に近いか、補足図5のJPT(東京の日本人)とほぼ同じです。枕崎市個体群は沖縄・九州Aクラスタに最も近く、出雲市個体群がそれに続きます。沖縄・九州A・東北クラスタは、残り9集団から分岐eで分離されています。以下、本論文の図5です。
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 f4検定は、GBR (イングランドとスコットランドのイギリス人)とCHBと沖縄人と検証集団で行なわれました(表1)。主成分分析や系統樹や系統ネットワークと一致して、近畿集団がヤマト集団で最高のZ得点(26.2)でした。同様に、GBRとCHBと検証集団1および2(検証集団はともに非沖縄ヤポネシア人)でも、近畿集団とCHBの間での遺伝子流動の証拠が示されました。たとえば、検証集団1および2が関東と近畿の場合、Z得点は最も有意となりました(24.7)。GBRと検証集団と出雲と近畿のf4検定も実行され、出雲市個体群に関連する遺伝子流動があるのか、検証されました。Z得点は比較的低いものの、沖縄と九州A集団と枕崎市個体群では、遺伝子流動を示唆する負のf4値が観察されました。これはGBRと検証集団と近畿と枕崎のf4検定でも繰り返され、結果から、枕崎市個体群と沖縄もしくは九州A集団の遺伝子流動の存在が示唆されました。沖縄集団と九州A集団との間の遺伝子流動は、GBRと沖縄と検証集団1および2(検証集団はともに非沖縄ヤポネシア人)のf4検定によりさらに裏づけられました。


●考察

 本論文では、出雲市と枕崎市の個体群のゲノム規模一塩基多型データの結果が提示されました。主成分分析(図3)および系統発生ネットワーク(図5)における枕崎市個体の遺伝的位置は、多かれ少なかれ、その地理的位置、つまり沖縄と日本列島「本土」の間とほぼ同じです。これは、f4検定(GBR、検証集団、近畿、枕崎)により裏づけられており、枕崎市個体群は他のヤマト人とよりも沖縄および九州A集団の方とより多くの遺伝子流動を示します。

 地理的に、出雲市はヤポネシアとアジア東部大陸部との間の沿岸に位置します(図1)。出雲市から朝鮮半島までの距離は約350kmで、出雲市の人々は大陸部アジア人により近いかもしれません。しかし、f4検定(GBR、CHB、Okinawa、検証集団)では、近畿集団が大陸部アジア人に最も近い、と示されます。これは、ゲノム規模一塩基多型データを用いた他の研究でも裏づけられます(関連記事)。興味深いことに、f4検定(GBR、検証集団、出雲、近畿)で示唆されるように、出雲市集団は本州の他の集団よりも沖縄および九州集団との高い遺伝的類似性を示します。この地理的関係との不一致は、距離により通常予想される分離とは異なる、いくつかの遺伝子流動事象の存在を示唆します。

 北海道・東北・関東・東海・近畿・九州・沖縄の7地域から収集された日本人7000個体のゲノム規模一塩基多型データの以前の分析では、「本土」と「琉球」という2つの明確なクラスタが見つかり、本論文でもそれは観察されました(図3)。また本論文では、以前の研究で見つかった地域固有の特徴も確認されました。それは、北海道と関東と東海の個体群が多かれ少なかれ類似しているのに対して、東北の個体群はそれら3地域の人々とは主成分分析やネットワークやf4検定ではわずかに異なる、というものです。以前の研究では、近畿の人々が大陸部アジア人に最も近い、と示されています。近畿は過去に日本の首都がおかれた地域なので、大陸部アジアからの人類の移住史があります。

 これらの結果とHLAデータから、本論文の最終著者(斎藤成也氏)は3段階移住モデルを提唱しました。その後、図6に示されるように、本論文の最終著者と筆頭著者はヤポネシア人の「内部二重構造」モデルを提唱しました。なお、斎藤成也氏は著書『核DNA解析でたどる日本人の源流』(関連記事)第5章にて、「うちなる二重構造」と表記しています。「縄文人」と、おそらくは旧石器時代の人々(最初の移民)を含む祖先たちによる、日本列島最初の移住の後、おそらくは2回(あるいはそれ以上)の大陸部アジアからの人類の移住がありました。この移住事象の正確な年代はまだ決定されていませんが、これらの人々は、本州の沿岸地域(図6の「周辺部」)に居住していた可能性があります。その後、大陸部アジアからの3回目の移住は、おもに大陸部アジアと6地域(九州の博多、近畿の大坂と京都と奈良、関東の鎌倉と江戸)との間の移動を伴っていました(図6の灰色の円)。これら「中央軸」地域は、歴史的にヤポネシアにおける文化と政治の中心で、大陸部アジア東部から多くの移民を惹きつけた、と推測されます。以下、本論文の図6です。
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 47都道府県全てのヤポネシア人18641個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)頻度データと、沖縄県を除く46都道府県のABO式血液型集団アレル頻度と沖縄県のそれも、「内部二重構造」モデルを裏づけます。47都道府県全てのHLAデータ分析では、15地域の系統発生関係が示されました。興味深いことに、九州北部と関東南部は系統発生的に大陸部アジア人集団により近いのに対して、東北地方北部と四国と沖縄が1クラスタを形成しました。これらのパターンは、図6で示される「内部二重構造」モデルと一致します。しかし中国地方に関しては、図6の「周辺部」に位置する山陰地方と「中央軸」に位置する山陽地方は、HLAデータ分析では系統樹でクラスタ化します。

 「内部二重構造」モデルは、「中央軸」地域の人々が主成分分析やネットワーク分析では密接に関連しているように見える一方で、枕崎市や出雲市や東北といった「周辺部」地域の人々では、最近の移住による遺伝的影響がより少ない理由を説明できるかもしれません。しかし、それら新旧の移民がいつヤポネシアに到来したのか、まだ不明です。全体として本論文の結果は、「内部二重構造」モデルを裏づけているように見えますが、ごく最近の移住のような他の説明も、観察されたパターンに寄与した可能性があります。ヤポネシア人の遺伝的構成を適切に解明するには、全ゲノム配列データとともに、日本列島における分析の進んでいない地域からの標本を追加する必要があります。


 以上、本論文をざっと見てきました。本論文は、日本列島における人類集団の形成に、縄文時代以降の複数回の移住が関わっている可能性を示し、日本列島における歴史的展開と絡めて「内部二重構造」モデルを改めて提唱した点で、たいへん注目されます。日本列島の現代人集団は、大きくアイヌと「本土(本論文のヤマト人)」と沖縄(琉球)に3区分され、「縄文人」が基層集団になったと考えられます。このうちアイヌ集団は、本論文でも示されたように他の2集団と大きく異なっており、それは、CHBや韓国人と近縁な遺伝的構成の、大陸部アジア東部から到来した集団の遺伝的影響が他の2集団よりもずっと小さいことと、オホーツク文化集団など「本土」集団や沖縄集団がほとんど遺伝的影響を受けなかった、北方からの遺伝的影響を一定以上受けたからと考えられます。これを反映して、日本列島3集団における「縄文人」系統の割合は、アイヌが66%、「本土」が9~15%、沖縄が27%と推定されています(関連記事)。

 「本土」集団と沖縄集団は、「縄文人」の後に大陸部アジア東部から到来した、CHBや韓国人と近縁な遺伝的構成の集団との混合により形成され、前者よりも後者の遺伝的影響の方がずっと大きい、と推定されています。この混合が、弥生時代初期の1回のみではなく、複数回ある可能性を提示したという点で、本論文はたいへん注目されます。また本論文が指摘するように、現代日本列島「本土」集団の遺伝的構造は、ごく最近の移住の影響を受けている可能性もあります。日本列島における現代人集団のより正確な解明には、本論文が指摘するように、標本抽出のあまり進んでいない地域の標本追加とともに、古代DNA研究のさらなる蓄積が必要になるでしょう。

 近年の古代DNA研究の進展を踏まえると、日本列島に到来したCHBや韓国人と近縁な遺伝的構成の集団は、古代人では新石器時代黄河流域集団が最も類似しているかもしれません(関連記事)。このモデルでは、新石器時代黄河流域集団は出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団の中で位置づけられます。出アフリカ現生人類は、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア東部北方系統は新石器時代黄河流域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。

 現代において、日本列島本土集団や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、それはアジア東部北方系統とアジア東部南方系統との混合により形成された、と推測されます。チベット人はアジア東部北方系統とユーラシア東部南方系統との、日本列島本土集団はアジア東部北方系統を主体とするアジア東部南方系統との混合集団と縄文人との混合により形成されましたが、いずれもアジア東部北方系統もしくはアジア東部南北両系統の融合系統の遺伝的影響の方がずっと高くなっています(80%以上)。「縄文人」は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。もちろん、これはあくまでモデル化で、実際の人口史よりもかなり単純化されているでしょうから、古代DNA研究の進展に伴い、より実際に近い人口史が復元されるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Jinam T. et al.(2021): Genome-wide SNP data of Izumo and Makurazaki populations support inner-dual structure model for origin of Yamato people. Journal of Human Genetics.
https://doi.org/10.1038/s10038-020-00898-3

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