池谷和信「アジアの新人文化における狩猟活動について―アラビア半島の犬猟に注目して」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A02「ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」の2016年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 4)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P1-4)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。

 旧石器時代におけるイヌと人類との関係については、論議があり(関連記事)、近年では古代DNA研究も進展しています(関連記事)。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅し(より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません)、その他の人類系統も絶滅して、現生人類(Homo sapiens)のみが唯一の人類となり、農耕や牧畜が始まっていく過程のどのおいて家畜としてのイヌ(Canis familiaris)が創出されたのか、まだ確定していません。

 シリアのドゥアラ(Douara)洞窟では、35000年前頃のイヌの下顎が見つかっています。ドゥアラ遺跡はネアンデルタール人の居住跡とも言われており、この下顎はオオカミよりも小さいことから、最古級の家畜化されたイヌとされています(本論文はこのように指摘しますが、年代やネアンデルタール人との関連については、慎重な検証が必要だと思います)。また、3万年前頃のウクライナの2ヶ所の遺跡でもイヌとの骨が発見されています。これらは、旧石器時代に存在したイヌであることを示す点では共通しますが、イヌの社会的役割については明らかにされていません。

 本論文の目的は、旧石器時代のアラビア半島を事例にして、イヌを使用する狩猟活動からイヌの社会的役割を把握することです。具体的には、イヌと人類と野生動物の描かれている岩絵を対象にして、当時の狩猟方法を検証します。カラハリ砂漠の狩猟採集民サン人の社会における、実際のイヌを使用する槍猟の参与観察も踏まえて、狩猟における複数のイヌの行動を観察する一方で、狩猟の実際を通じて岩絵についての解釈が試みられます。

 アラビア半島において、考古学的なイヌの遺物は紀元前4000年以前に見つかっていまする(図2)。これは、紀元前6000年前頃のウシの遺物と比較すると新しいものです。しかし、同じ地域における岩絵(rock art)に焦点を当ててみると、紀元前7000年以前までさかのぼれます(図2)。たとえば、アラビア半島北西部のシュワイミス(Shuwaymis)遺跡では、岩絵の作成年代は新石器時代以前(Pre-Neolithic)までさかののぼります(図2)。以下、本論文の図2です。
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 シュワイミス遺跡のパネルは中央部で損傷しており、大量の水流のため古代の色合いが失われているところもあります。パネルの右部には、13 匹のイヌとの狩猟の様子が描かれており、左部には狩猟者と、1頭の大きなウマ科の動物、および8匹のイヌが描かれている(図3)。図3の写真は、彫刻部分を白色でトレースしたもので、未完成な彫刻は白色点線で示されています。この岩絵から、弓矢猟のさいに複数のイヌが使用されている、と分かります。とりわけ個人の狩猟者が獲物を捕獲するさいには、複数のイヌが獲物の周囲を取り囲み、獲物の動きを止めているように見えます。これにより、狩猟者は獲物に接近して捕獲できるでしょう。以下、本論文の図3です。
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 シュワイミス遺跡には、綱で繋がれた2 匹のイヌとさらに3匹のイヌが、1 頭ウマ科の動物およびその子供を狩猟する様子を描いた岩絵もあります(図4)。パネルの上部の左部、また下部の右部、および中央は損傷しており、おそらく本来はさらに狩猟の様子が描かれていた、と推測されます。この岩絵(図4)を図3の岩絵と比較すると、弓矢猟の対象とされる獲物がイヌと比較して大きく描かれている、と分かります。2 頭のイヌが縛られている理由は不明です。狩猟者と獲物の間に描かれているのは、獲物の屠殺や皮剥ぎに用いられた道具の可能性が高そうです。以下、本論文の図4です。
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 シュワイミス遺跡には、パネルの一部で、中央と左の2 頭のアイベックス(Capra ibex)が8 匹のイヌに攻撃されている様子を描いた岩絵もあります(図5)。アイベックスの1頭は、つなぎ縄に引っかかっているようです。もう1 頭のアイベックス(右)は、後に付け加えられたと推測されます。一般にイヌ猟においては、1 頭の獲物を対象にするのが普通で、同時に2 頭を捕獲するのは無理と考えられますが、この岩絵では複数の獲物が描かれています。また中央の獲物は、曲線となる角の向きが野生のそれと比較して逆になっていますが、理由は不明です。以下、本論文の図5です。
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 シュワイミス遺跡には、堤防西側からの一場面を描いた岩絵もあります(図6)。この岩絵では、3 匹のガゼルが4 匹の犬に狩られています。ガゼルはイヌよりも速く走れるのに、複数のガゼルが犬によって足を止められている理由は不明です。図5と同様に、イヌ猟で同時にガゼルを3頭捕獲するのは困難でしょうから、この岩絵は狩猟の場面ではないかもしれません。以下、本論文の図6です。
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 シュワイミス遺跡には、ライオンと2 匹のイヌによる狩猟の様子を描いた岩絵もあります(図7)。図7では見えませんが、さらに5 匹のイヌがライオンの下に彫られています。「Hanakiyah tools」がライオンの腹の下と、背中の上に彫られており、動物の屠殺や皮剥ぎに用いられた道具と考えられます。この雄ライオンは狩猟の対象なのか、そうならば捕獲する意味は何かと考えると、ライオンは、その肉よりは毛皮を利用された可能性が高そうです。以下、本論文の図7です。
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 以上のような事例を含むシュワイミス遺跡およびジュバ(Jubbah)遺跡での完新世における各狩猟場面でのイヌの頭数を比較すると(図8)、ジュバ遺跡では1~3頭のような小さなイヌの群れが一般的なのに対して、シュワイミス遺跡では1~2頭の小さな群れから17~21頭の大きな群れまでイヌの頭数は多様でした。両遺跡の違いの要因は、大きなイヌの群れを維持するにはより多くの餌が必要と考えると、それぞれの対象地の環境資源の大きさが関わっている、と推測されます。以下、本論文の図8です。
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 これら岩絵資料と、カラハリ狩猟民を対象にした犬猟に関する民族誌データ2例を組み合わせると、以下のようなことが明らかになります。まず、狩猟対象は、ウマ科の動物やアイベックスやゲムズボックのような大型動物と、ガゼルやジャッカルのような中型・小型動物に分けられますが、全ての猟においてイヌが使われていました。次に、猟に使用されるイヌの数は、4~5頭から10~15頭までに及び、数頭の犬がいなくては狩猟が維持できない、と考えられます。最後に、野生動物を対象にしてイヌを使用する狩猟法は、弓矢猟が中心であるとはいえ、槍猟や棒で殴る猟まで多様な形が見られます。ただし、先史時代の狩猟者は常に弓矢を持っていたことから、当時、弓矢猟のさいに矢尻に塗られる毒が開発されていたかもしれません。

 今後は、さまざまなイヌ猟の民族誌を参照することから、さらなる新しい解釈が生まれるでしょう。同時に、個々のイヌがどのように生存を維持してきたのかが、気になる点です。民族誌の事例から、イヌの食料が充分に存在することこそイヌの群れを保つには不可欠だった、と指摘されており、先史時代においても類似の構造が働いている可能性があります。イヌは最古、それも他種よりもずっと古く、農耕開始前から(おそらくは現生人類のみに)家畜化されていたと考えられる動物なので、他の家畜種とは異なる人類との関係も考えられ、その点からも注目されます。


参考文献:
池谷和信(2020)「アジアの新人文化における狩猟活動について―アラビア半島の犬猟に注目して」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 28)』P1-4