過去5万年のフィリピンへの複数回の現生人類の移住

 過去5万年のフィリピンへの複数回の現生人類(Homo sapiens)の移住に関する研究(Larena et al., 2021)が公表されました。フィリピンは、アジア太平洋地域の過去の人類の移住の交差点となるアジア南東部島嶼部(ISEA)に位置する、7641の島々から構成される群島です。最終氷期末(11700年前頃)までに、フィリピン諸島は一つの巨大な陸塊としてほぼつながっており、ミンドロ海峡とシブツ海峡によりスンダランドと隔てられていました。少なくとも67000年前頃以降、フィリピンには人類が居住してきました(関連記事)。ネグリートと自己認識している民族集団の祖先が、最初の現生人類の居住と広くみなされていますが、その古代型ホモ属(絶滅ホモ属)や他の早期アジア集団やその後の植民との正確な関係は充分に調査されておらず、議論の余地があります。

 片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)および/もしくは常染色体データを用いての以前の調査は、ISEAへのさまざまな移住事象の可能性を解決しようとしましたが(関連記事1および関連記事2)、明確な合意には至っていません。分析の欠如は、フィリピンの多様な民族集団の不充分な把握と、用いられたゲノムデータの限定的な密度に起因するかもしれません。これらの問題に対処するため、これまでで最も包括的なフィリピンの人口集団ゲノムデータセットが収集され、分析されました。その内訳は、全地理的範囲の115の異なる文化的共同体からの1028個体で、250万ヶ所の一塩基多型が遺伝子型決定されました。また、早期完新世におけるアジア東部本土からの移住史をよりよく理解するため、台湾海峡に位置する福建省の亮島(Liangdao)の古代人2個体(それぞれ、較正放射性炭素年代で8320~8060年前頃と7590~7510年前頃)からのゲノムデータが生成されました(図1A)。

 本論文の分析から、フィリピンでは少なくとも5回の大きな現生人類の移住があった、と示唆されます。それは、フィリピン内で在来の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)とそれぞれ独立して混合した、基底部オーストラレシア集団の南北のネグリート分枝集団と、パプア人関連集団、基底部アジア東部人の分枝であるマノボ人(Manobo)とサマ人(Sama)とコルディリェラ人(Cordilleran)です。基底部アジア東部人の最小限の混合分枝のままであるコルディリェラ人は、農耕移行の確立年代に先行してフィリピンに到来し、全オーストロネシア語族(AN)話者人口集団で広がっている遺伝的祖先系統をアジア東部人とともに持ち込んだ可能性が高そうです。この複雑な人口統計学的歴史は、アジア太平洋地域の人口集団の遺伝的構成に大きく影響を与えた、出入口としてのフィリピンの重要性強調します。


●フィリピン現代人の複数の祖先

 主成分分析による調査は、フィリピンの民族集団が世界規模の比較でアジア太平洋地域人口集団とともにクラスタ化する、と示します(図1B)。ネグリートがパプア人と非ネグリートとの間で一直線に並ぶ独特の勾配を形成するのに対して、コルディリェラ人は興味深いことに、PC1軸でアジア東部人クラスタを定義する端に位置し、アメリカ大陸先住民集団およびオセアニア集団よりもさらに極端です(図1B)。ネグリートと非ネグリートとの間には明確な二分があり、コルディリェラ人に最もよく表される基底部アジア東部人祖先系統と、ネグリートおよびオーストラロパプア人により表される祖先系統との間の深い分岐が示唆されます(図1B)。アジア太平洋地域人口集団の詳細な分析を見ると、非ネグリートは、コルディリェラ人、もしくはティン人(Htin)およびムラブリ人(Mlabri)かマレーの非ネグリートのような、アジア南東部本土(MSEA)民族集団のどちらかに属する集団に明確に分かれます。

 さらなる分析により、後述のようにフィリピンのネグリート集団間の明確な遺伝的構造と、非ネグリート集団間の階層構造とが明らかになり、それはコルディリェラ人やマンギャン人(Mangyan)やマノボ人(Manobo)やサマ・ディラウト人(Sama Dilaut)集団により例証されます(図1C)。これらの観察結果は、推定された祖先系統構成要素と一致します。簡潔に言うと、階層構造はオーストラロパプア人関連のネグリート対非ネグリートの間の二分で始まり、コルディリェラ人対MSEAに属する人口集団への非ネグリートのクラスタ化と、アイタ人(Ayta)やアイタ人(Agta)集団へのネグリートの階層構造、およびコルディリェラ人やマンギャン人やマノボ人やサマ人関連人口集団への非ネグリートの階層構造が続きます。以下、本論文の図1です。
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●フィリピンのネグリートは深い分岐を示します

 地理的障壁と人口集団間の孤立の長い歴史の可能性を考えると、ネグリート集団間ではある程度の分化が予測されます。たとえば、ネグリート集団に限定された主成分分析は、ルソン島中央部ネグリート集団と南部ネグリート集団との間の勾配(PC1軸)、PC2軸沿いのフィリピン北部におけるネグリートの東西のクラスタ化を明らかにします。さらにフィリピン北部ネグリートは深い人口集団構造を示し、3クラスタに分かれます。それは、全アイタ人(Agta)となるルソン島中央部ネグリート、ビコル(Bicol)地域およびケソン(Quezon)州のアイタ人(Agta)集団となるルソン島南東部ネグリート、カガヤン(Cagayan)地域のアイタ人(Agta)とアッタ人(Atta)とアルタ人(Arta)のネグリートとなるルソン島北東部ネグリートです。

 フィリピン北部のネグリートは、オーストラリア先住民およびパプア人の両方にとって外群です(図2A)。合着(合祖)に基づく分岐時間推定手法を用いて人口集団分岐モデルを仮定すると、フィリピン北部のネグリートの祖先は46000年前頃(95%信頼区間で46800~45500年前)に共通の祖先的オーストラレシア人口集団(基底部スンダ)と分岐した、と推定されます。この分岐はスンダランドの古い大陸の陸塊で起きた可能性があり、オーストラリア先住民とパプア人の25000年前頃(95%信頼区間で26700~24700年前)の分岐に先行し、おそらくはフィリピン北部の現在のネグリートにつながる、ルソン島への移住の結果としてでした。

 北部とは対照的に、オーストラロパプア人的な遺伝的兆候は、他のネグリート集団においてよりも、ママヌワ人(Mamanwa)のような南部ネグリートにおいて明らかに高くなっています(図2A)。ママヌワ人ネグリートも、パプア人およびオーストラリア先住民にとって外群として現れ、祖先的ママヌワ人は、37000年前頃(95%信頼区間で36200~38700年前)に分岐した基底部オセアニア人の派生集団で、オーストラリア先住民とパプア人の分岐前に恐らくはスールー諸島経由でミンダナオ島に拡散した、と示唆されます。しかし、南部ネグリートが北部ネグリートとクレード(単系統群)を形成する、という代替的なモデルは却下されません。これを考えると、共通祖先的ネグリート人口集団が、パラワン島もしくはスールー諸島経由で単一の地域からのみフィリピンに拡散し、続いてフィリピン内で分岐して、南北のネグリートに分岐した、という想定を排除できません。

 南北両方のネグリートはその後、コルディリェラ人関連人口集団と混合し、興味深いことに、南部ネグリートはオーストラリア先住民とパプア人の分岐後にパプア人関連人口集団から追加の遺伝子流動を受けました。この以前には評価されていなかったパプア人関連祖先系統の北西部の遺伝子流動は、インドネシア東部や、サンギル人(Sangil)とブラーン人(Blaan)のようなフィリピン南東部の民族集団で最大の影響を有します。


●マノボ人とサマ人の祖先のフィリピンへの早期拡散

 フィリピン南部の民族集団は、非オーストラロパプア人関連で、一般的にフィリピン北部の非ネグリート集団では欠けている、遍在する祖先系統を示します。これまで「マノボ人祖先系統」と呼ばれていたこの独特遺伝的痕跡は、ミンダナオ島の内陸部マノボ人集団で最も高くなっています。コルディリェラ人および南部ネグリート祖先系統を隠し、マノボ人祖先系統のみを保持すると、ミンダナオ島の他の民族集団間でマノボ人構成要素がより明らかになりました。マノボ人祖先系統に加えて、他の異なる祖先系統がフィリピン南西部で識別されました。この遺伝的兆候は、スールー諸島のサマ人海洋民で最も高く、「サマ人祖先系統」と呼ばれます。全ての他の祖先系統を隠し、サマ人祖先系統のみを保持すると、サマ人構成要素は、サンボアンガ半島(Zamboanga Peninsula)、パラワン島、バシラン島、スールー諸島、タウイタウイ島の民族集団間、さらにはサマ人としての自己認識がないか、サマ人関連言語を話さない人口集団間でさえ、より明確になります。

 高いサマ人祖先系統を有する民族集団は、最小限の混合マノボ人集団であるマノボ・アタ人(Manobo Ata)と比較して、ムラブリ人やティン人のようなアジア南東部本土(MSEA)のオーストロアジア語族話者民族集団と顕著に高い遺伝的類似性を示します。このティン・ムラブリ関連遺伝的兆候は、サマ・ディラウト人や内陸部サマ人集団だけではなく、フィリピン南西部のパラワン島およびサンボアンガ半島民族集団でも見られます。これらの知見は、ティン・ムラブリ関連遺伝的兆候がインドネシア西部の民族集団間で検出される、という以前の観察と一致します(関連記事)。本論文の分析では、この遺伝的兆候もインドネシア西部を越えてフィリピン南西部に広がっている、と明らかになります。

 マノボ人とサマ人の両遺伝的祖先系統は、台湾先住民とコルディリェラ人との間の推定される分岐よりも早く、共通アジア東部祖先的遺伝子プールから15000年前頃(95%信頼区間で15400~14800年前)に分岐しました(図2B)。驚くべきことに、マノボ人とサマ人の祖先系統は両方、アミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)やコルディリェラ人からの漢人や傣人(Dai)やキン人(ベトナム人)の分岐前に、共通アジア東部人から分岐しました(図2B)。したがって、本論文の知見からは、祖先的マノボ人およびサマ人は、他のティン人およびムラブリ人関連民族集団とともに、漢人や傣人や日本人やキン人やアミ人やタイヤル人の拡大前に、基底部アジア東部人から15000年前頃に分岐した分枝を形成します(図2B)。

 サマ人はマノボ・アタ人と比較してティン人とクレードを形成します。サマ人とティン人およびムラブリ人集団の共通祖先は、祖先的マノボ人と12000年前頃(95%信頼区間で12600~11400年前)に分岐した、と推定されます。ティン人およびムラブリ人関連遺伝的兆候の現在の地理的分布を考えると、その祖先はコルディリェラ人関連人口集団の拡大前に、スンダランドを経由してインドネシア西部とフィリピン南西部に拡大した可能性が高そうです(関連記事)。興味深いことに、15000年前頃および12000年前頃という上述の推定は、最終氷期末におけるスンダランドの復元から推測される、アジア南東部島嶼部(ISEA)における主要な地質学的変化と一致します。したがって、ISEAにおける気候要因の変化は、人口集団の氷期後の移動と孤立を促進し、ISEAにおける民族集団の分化につながったかもしれません。以下、本論文の図2です。
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●アジア東部人集団としてのコルディリェラ人

 コルディリェラ人民族集団は、ルソン島北部から中央部のコルディリェラ山脈を越えて、フィリピンで唯一の海に接していない地域に居住しています。歴史的に、コルディリェラ人はスペイン人による直接的な植民地化とキリスト教化に抵抗したと知られており、したがって、その独特の文化的慣習の多くを保持できました。この地理的および文化的孤立は、この地域の高い言語的多様性と、一部の集団により示される遺伝的混合の低水準に役割を果たしたかもしれません。以前に報告されたカンカナイ人(Kankanaey)と(関連記事)、それに続く混合およひf3・f4統計分析の組み合わせに加えて、ボントック人(Bontoc)とバランガオ人(Balangao)とトゥワリ人(Tuwali)とアヤンガン人(Ayangan)とカランガイ人(Kalanguya)とイバロイ人(Ibaloi)が、基底部アジア東部人祖先系統を有する最小の混合人口集団として明らかになりました。

 本論文の全混合分析で観察されたコルディリェラ人の間の均質な祖先系統は、強い遺伝的浮動の存在により説明できます。しかし、ホモ接合性連続の数と領域の長さに基づく以前の分析および本論文の調査は、コルディリェラ人の間での最近のボトルネック(瓶首効果)もしくは広範な近親交配を裏づけません。さらに、f3混合とf4統計を用いての検証は、中央部コルディリェラ人が、ネグリートからの遺伝子流動を受けなかったフィリピン内で唯一の民族集団であり続けた、という直接的証拠を提供します。コルディリェラ地域の周辺での一連の移住および植民地期と、ルソン島のネグリートおよび非ネグリート集団との交易および歴史的相互作用の報告された記録を考えると、これは予想外です。アジア太平洋地域の他の全民族集団は、アンダマン諸島人かパプア人かネグリートかティン人およびムラブリ人か、アジア東部北方人と関連する遺伝的祖先系統と混合しています。したがって、地域集団間の標本規模の違いを制御した後でさえ、コルディリェラ人集団は一貫して世界規模の主成分分析ではPC1軸を一貫して定義し、アフリカのコイサン民族集団とは対極に位置する、と明らかになりました(図1B)。

 台湾のアミ人もしくはタイヤル人ではなくコルディリェラ人は、オーストロネシア語族話者人口集団拡大についての最小限の混合された遺伝的兆候の、最良の現代の代理として機能します。アミ人とタイヤル人は両方、ティン人・ムラブリ人関連(もしくはオーストロアジア語族関連)およびアジア東部北方関連と類似した遺伝的構成要素との混合を示します。さらに、全てのフィリピンの民族集団は、アミ人もしくはタイヤル人とよりも、コルディリェラ人とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有します。さらにコルディリェラ人は、アミ人とタイヤル人を除いて、マレーシア人やインドネシア人やオセアニア人と、さらにはマレー半島とオセアニアのラピタ(Lapita)文化の古代個体群の間でさえ、最も多くのアレルを共有します(関連記事)。


●アジア本土からフィリピンへのコルディリェラ人関連集団の移住

 台湾海峡の馬祖(Matsu)島(馬祖列島)は行政区分では中華人民共和国でも中華民国(台湾)でも福建省に属し、現在は台湾が実効支配しています。馬祖島の亮島(Liangdao)で発見された2個体は、現代人ではコルディリェラ人やアミ人やタイヤル人、古代人ではフィリピン北部やマレーシアや台湾やラピタ文化の個体群と最高水準の遺伝的浮動を共有します。中国本土に近い亮島の位置(中国本土からは26km、台湾からは167km)を考えると、8000~7000年前頃の個体である亮島2は、アジア本土への「コルディリェラ人」祖先系統の最古のつながりを表します。

 予測されるように、亮島の2個体(亮島1および亮島2)は、基底部スンダ祖先系統との混合を示しません。亮島1および亮島2は両方、アジア東部北方集団との共有された祖先系統・混合明確な証拠を示し、それはアジア東部本土と台湾の現代および古代の人口集団・個体群と類似しています。これは、アジア東部の古代の個体群の最近の分析と一致します。それによると、さまざまな時点で人口集団間の遺伝子流動が明らかになり、アジア東部北方人と亮島の2個体を含むアジア東部南方人との間である程度の遺伝的類似性が示されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 しかし、現代コルディリェラ人はこのアジア東部北方祖先系統構成要素を示さないので、コルディリェラ人関連集団とアジア東部本土および台湾の民族集団との間の分岐の下限(8000年前頃)を提供します。この知見は、フィリピン北部における4000~3000年前頃の新石器時代遺物の最初の考古学的証拠と合わせて、最初のコルディリェラ人はこの時点でのアジア東部沿岸部の他集団と同様に、定住農耕民ではなく複雑な狩猟採集民だった、と示唆されます。アジア東部北方祖先系統は後に到来したに違いなく、中国沿岸部と台湾地域に起源があり、パタン諸島およびルソン島沿岸地域へ拡散しました。アジア東部北方祖先系統の存在がじっさいに農耕拡大の遺伝的兆候ならば、コルディリェラ人におけるその一般的な欠如から、これらの集団間での新石器時代への移行は、人口拡散ではなく文化的拡散の結果だった、と示唆されます。


●完新世の移住と言語および新石器時代文化

 フィリピンへの完新世の移住については、2つの対照的なモデルが提示されてきました。一方は出台湾仮説で、オーストロネシア語族と赤色スリップ土器と穀物農耕をもたらした、台湾から海洋航海民による新石器時代要素一式の北方から南方への一方向の拡大を支持します。もう一方は出スンダランド仮説で、海洋交易ネットワークと、以前に居住可能だった土地の気候変化による浸水に続いてのスンダランドからの人口集団拡大により先行する、早期完新世以来のフィリピンへの人口集団の複雑な南北の移動を想定します。

 本論文の分析では、ネグリートやマノボ人やサマ人的集団の北方への移住後、中国南部・台湾地域からフィリピンへのコルディリェラ人関連祖先系統の遺伝子流動が、1万年前頃以後に複数の波で起きたかもしれない、と示唆されます。これは、アミ人と、コルディリェラ人とフィリピン中央部・北部のさまざまな集団との間の分岐よりも早い中央部コルディリェラ人との間の、推定される(遺伝的)分岐を説明できるかもしれません。さらに、ルソン島からミンダナオ島へのコルディリェラ人関連祖先系統の単純で段階的な一方向の移動で予想される、ネグリート・パプア人とコルディリェラ人との混合の年代の南北の勾配は観察されません。それどころか、ネグリート・パプア人とコルディリェラ人との混合の最古の年代は、フィリピン諸島全域に散らばっており、推定される中国南部・台湾の起源地域からフィリピンへの人口集団の複雑で不均一な移動を示唆します。

 多様な遺伝的祖先系統からの移住にも関わらず、フィリピンの全民族集団が、オーストロアジア語族のマレー・ポリネシア分枝内に収まる言語を話す、という事実の観点では、フィリピンの言語的景観は著しく多様性が低くなっています。言語と遺伝子の不一致のあり得る一つの説明は、フィリピン諸島内外で広範な言語置換を促進した、移住してきたオーストロネシア語族話者人口集団の支配的影響です。一部の単語が元の非オーストロネシア語族言語に保持されてきた可能性があるので、完全に言語置換は起きなかったかもしれません。たとえば、一部のネグリート集団は、あらゆる他のオーストロネシア語族言語では完全に説明されていない、特定の語彙要素を含む言語を話します。同様に、ボルネオ島の陸ダヤク人(Land Dayak)のオーストロネシア語族話者は、その言語に保持されたオーストロアジア語族の語彙項目の証拠をいくつか有しています。

 一連のさまざまな遺伝的および考古学的証拠から、農耕はフィリピンにおけるコルディリェラ人関連人口集団の最初の到来と関連していなかった、と示唆されます。コルディリェラ人には欠如しており、8000年前頃となる亮島の2個体には存在するアジア東部北方祖先系統構成要素に加えて、コルディリェラ人とアミ人・タイヤル人との間の8400年前頃(95%信頼区間で8800~8000年前)の分岐は、台湾およびフィリピンへの農耕の到来に先行します。公開されている利用可能なゲノム配列データを用いて2・2外群(TTo)手法を適用すると、その分岐年代は17000年前頃(95%信頼区間で25000~9500年前)とさらに古くなります。

 さらに、考古学的証拠では、7000~5000年前頃の中国南部沿岸部とベトナム北部の共同体は漁撈民・狩猟採集民であり農耕民ではなく、水田稲作は中国南部とISEAで3000~2000年前頃にやっと確立した、と示唆されます(31)。これは、ジャポニカ米(Oryza japonica)の最近の包括的な系統発生分析と一致します。コメがISEAにもたらされたのは2500年前頃後で、フィリピンの稲作はもっと最近始まった可能性が高い、と示唆されます(32)。さらに、ISEAにおける稲作の研究では、台湾からのフィリピンとインドネシアのイネ品種の起源への裏づけも、コメの台湾からのおもな拡散への強い裏づけも提供されません。

 したがって、コルディリェラ人関連集団の移住の推進力は、農耕ではなく、気候変化による台湾と中国南部との間の古代の陸塊の地質学的変化により触媒されたかもしれません。その地質学的変化は、12000~7000年前頃の沿岸部平野の漸進的な浸水をもたらしました。これは、コルディリェラ人の有効人口規模における推定される減少の時期の頃であり、コルディリェラ人関連人口集団とアミ人・タイヤル人との間の分岐年代と一致します。したがって、以前に議論された一連の証拠を伴う本論文の知見は、フィリピンとISEAの先史時代の文脈における農耕と言語と人々の拡散の一元的モデルを支持しません。


●一部のフィリピンの民族集団への最近のアジア南部人およびスペイン人との混合の証拠

 2000年前頃から植民地期以前まで、ISEAの文化的共同体は地域全体のインド洋交易ネットワークに積極的に参加しました。この長距離の大洋横断交換経路に沿って、2つの連続したヒンドゥー教と仏教の王国であるシュリーヴィジャヤとマジャパヒトがあり、MSEA沿岸部やインドネシア西部やマレーシアやフィリピンのスールー諸島までの広範な地域を支配しました。この大規模な多国間交易の人口統計学的影響は、低地マレー人やインドネシアの一部民族集団において現在明らかで、アジア南部人の遺伝的兆候の検出により示されます。ジャワ島やバリ島やスマトラ島のインドネシア人に加えて、航海民のサマ人関連人口集団であるコタバル・バジョ(Kotabaru Bajo)やデラワン・バジョ(Derawan Bajo)も、アジア南部人祖先系統の検出可能な水準を示します。したがって、予想外ではありませんが、これらの知見から、スールー諸島の海洋民であるサマ・ディラウト人や、サンボアンガ半島のサマ沿岸部住民は、アジア南部人からの遺伝子流動の証拠を示します。

 フィリピンは1565~1898年の333年間、スペインの植民地でした。しかし、ビコラノス人(Bicolanos)や、スペイン語系クレオール話者のチャバカノ人(Chavacanos )といった、一部の都市化された低地住民でのみ、ヨーロッパ人との混合の有意な人口集団水準の兆候が観察されます。ボリナオ人(Bolinao)やセブアノ人(Cebuano)やイバロイ人やイロカノ人(Ilocano)やイヴァタン人(Ivatan)やパンパンガ人(Kapampangan)やパンガシナン人(Pangasinan)やヨガド人(Yogad)の集団の一部の個体も、ヨーロッパ人との混合の低水準を示しました。この混合は450~100年前頃に起きたと推定されており、スペイン植民地期に相当します。他のいくつかのスペイン植民地とは対照的に、フィリピンの人口統計は、ヨーロッパ人との混合による影響を大きくは受けていないようです。


●まとめ

 本論文で説明されたフィリピンの微妙な人口史は、出台湾もしくは出スンダランド仮説のどちらかの基礎的モデルとのみ一致しているわけではありません。まとめると、フィリピンは過去5万年に少なくとも5回の古代の現生人類の移住の大きな波があった、と示されます(図3A~D)。最初の2回は46000年前頃以後の旧石器時代狩猟採集民集団の拡散に特徴づけられ、現代人の基底部オーストラレシア分枝と遺伝的に関連しています。これらのうち、より早期のネグリート集団は、おそらくパラワン島およびミンドロ島を経由してフィリピン北部に拡散してきて、続いてママヌワ人に代表される基底部オセアニア人分枝(図2Aおよび図3A)が、スールー諸島経由でフィリピン南部へと拡散しました。

 さらに、デニソワ人もしくは他の関連する絶滅ホモ属(古代型ホモ属)は、ネグリートの拡散時にすでにフィリピンに存在しており、独立した局所的な古代型ホモ属との混合が生じました(関連記事1および関連記事2)。さらに、ネグリート民族集団間のデニソワ人祖先系統の検出可能な水準を考え得ると、この絶滅ホモ属からの遺伝子移入兆候は現在まで明らかです。さらに、狩猟採集慣行を伴う元々の狩猟採集民の遺伝的祖先系統が、その後の移住により置換および/もしくは希釈されたにヨーロッパの人口史とは対照的に、フィリピンにおけるネグリートの祖先系統は現在まで依然として大量に存在します。これは、現在までの一部集団で観察されるように、生計の狩猟採集民様式の実践が伴います。

 ネグリートに続くのは、15000年前頃以後のフィリピンへの「マノボ人」的および祖先的「サマ人」的な遺伝子流動で、それは最終氷期末のISEAにおける大きな地質学的変化の頃に、南方経路で起きた可能性が高そうです。その後もしくは同時に、パプア人関連人口集団の西方への拡大があり、フィリピン南東部の民族集団に遺伝的影響を残しました。最後に、アジア南部人からサマ人民族集団への遺伝子流動のわずかな影響と、一部の都市化された低地住民とヨーロッパ人との最近の混合に先行する、最も新しい大きな移住事象は、早ければ10000~8000年前頃となる、中国南部と台湾からフィリピンへのコルディリェラ人関連集団の移動でした(図2Bおよび図3D)。この拡大は複数の波で起きた可能性が高く、古代の航海民集団は、フィリピン内外の現代の人口集団に広がっている言語優位の持続的遺産をもたらしました。以下、本論文の図3です。
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 現在確認されている、水田稲作の到来および拡大の年代と、中国南部・台湾からフィリピンへの人々の人口統計学的移動の年代との間の関連についての遺伝的証拠は見つかりません。全員が一部のアジア東部北方祖先系統を示す、亮島2および他の台湾とアジア東部南方の古代人個体群の遺伝的構成を考えると、最も簡潔な説明は、コルディリェラ人はアジア東部北方人集団からの遺伝子流動の前にフィリピンに拡散してきた、というものです。この観察から、フィリピンにおけるコルディリェラ人の到来年代の境界は遅くとも8000~7000年前頃と推測され、フィリピンの早期コルディリェラ人は遊動的な狩猟採集民だった、と示唆されます。フィリピンの集団間の複雑な混合から分かるように、他の全てのコルディリェラ人的集団は最終的に、さまざまな時点で在来人口集団と混合しました。したがって、コルディリェラ人は人口史において独特の位置を占めており、基底部アジア東部人の最小限の混合された子孫として明らかにされます。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、フィリピンへの現生人類の拡散が、台湾もしくはスンダランドのどちらかのみに由来するのではなく、複雑な複数回の移動の結果だった可能性が高いことを示しました。また、農耕の拡大と人類集団との拡大が一致しない場合もあることも示されました。本論文は、アジア南東部に留まらず、アジア東部やオセアニアの現生人類集団の進化史を考察するうえでも重要な知見を提示した、と言えるでしょう。なお、恐らくは執筆に間に合わなかったため本論文では取り上げられていない最近の研究としては、2200年前頃のグアム島集団がフィリピンから到来した可能性を指摘した研究(関連記事)と、ISEA現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響を検証し、ホモ・エレクトス(Homo erectus)のような「超古代型人類」と現生人類との交雑はなかっただろう、と推測した研究(関連記事)があります。最近のアジア東部各地域集団の形成史に関する研究(関連記事)を踏まえると、コルディリェラ人関連祖先集団は遺伝的には、基本的に内陸部南方祖先系統で構成されていた、と言えるでしょう。今後のユーラシア東部における古代DNA研究により、内陸部祖先系統内の南北の混合がいつどのように進んでいったのか、明らかにされていくと期待されます。


参考文献:
Larena M. et al.(2021): Multiple migrations to the Philippines during the last 50,000 years. PNAS, 118, 13, e2026132118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2026132118

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