楊海英『独裁の中国現代史 毛沢東から習近平まで』

 文春新書の一冊として、文藝春秋社より2019年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は独裁の観点からの中国近現代史です。本書は中国共産党を主要な対象としていますが、政権獲得(中華人民共和国成立)前の共産党だけではなく、孫文にまでさかのぼって現代中国の起源を検証します。新書となると、古い時代までさかのぼるよりは、孫文から見ていく方が、分量の点からも適切かもしれません。本書は孫文について、漢民族至上主義的なところがあった、と指摘します。現代中国の民族問題を考えるうえで、孫文にまでさかのぼることは重要だと思います。中国共産党には伝統的な秘密結社の性格が多分にあった、との見解も重要だと思います。現在、中国は事実上共産党の一党独裁制ですが、当初強かった秘密結社的性格が現在の有り様を規定するところはあると思います。

 本書は、国民党と共産党との組織体質や理念の類似性、さらには第一次国共合作において、まだ小勢力だった共産党が国民党に寄生する側面もあったことを指摘します。まだ小勢力だった共産党は、国民党との違いを打ち出そうとします。それは、コミンテルンとの類似性の強調と、民族政策でした。国民党が、孫文の漢民族至上主義方針を継承したのに対して、共産党は各民族の自立、対等の立場での民主共和国の設立を主張しました。一方で共産党は、モンゴルやチベットやウイグルは遊牧など原始状態にあり、それを支援するのが共産党の任務とも主張しました。マルクス史観を根拠に、諸民族を序列化する意識がすでに見られたわけです。とはいえ、当時の共産党は、漢民族による少数民族の植民地支配の見直しと、各民族の独立を主張していました。しかし本書は、こうした主張が野党的な立場にいた時だけだったことを指摘します。

 結成当初、知識人と富裕層が主導していた共産党を変えたのは毛沢東でした。第一次国共合作の破綻により、共産党は国民党に迫害される立場に追い込まれ、農村部に逃亡します。この時、農民をまとめあげて軍隊に組織していったのが毛沢東でした。毛沢東は地主や富農を敵視し、その土地や財産を没収して貧農に分配する「土地革命」により農村に勢力を拡大していこうとしました。しかし、地主や富農は農村の指導者でもあり、毛沢東の思惑通りには支持は拡大しませんでした。

 この状況で国民党からの攻撃を受けた共産党は、延安まで長距離の敗走を余儀なくされ、途中で略奪もしましたが、これを「長征」と輝かしい歴史であるかのように語りました。この過程で、共産党の一方面軍はイスラム軍閥に壊滅させられます。毛沢東は延安で、厳格な等級制を導入し、密告を推奨しました。共産党はモンゴルの有力者と義兄弟の契りを結び、独立を約束するなどして協力関係を築いていきました。抗日戦争における共産党の役割について、本書はかなり厳しいというか、中華人民共和国の体制教義とは正反対に近いような見解を提示します。この問題に関しては不勉強なので、本書の見解がどこまで妥当なのか、的確に判断できませんが、一般的に、中華人民共和国の体制教義をそのまま受容することにはもはや大きな無理がある、と言うべきでしょう。

 第二次世界大戦で日本が敗北した後、中国では国共内戦が再開され、アメリカ合衆国だけではなく、ソ連も国民党の統治を想定していましたが、共産党が勝ち、中華人民共和国が成立します。本書はその理由として、抗日戦争でおもに日本軍と戦った国民党軍が疲弊していたのに対して、共産党軍は戦力を温存していたことと、ソ連軍が一時的に満州を占拠し、日本軍の兵器が共産党軍に渡ったことを挙げます。また本書は、国共内戦における長春包囲戦など、共産党の残虐性を強調します。確かに、中華人民共和国(共産党政権)の体制教義を鵜呑みにすることはひじょうに危険ですが、共産党の勝因やその残虐さの度合いに関しては、今後も少しずつ調べていくつもりです。

 本書は中華人民共和国には三つの側面がある、と指摘します。それは、古くからの王朝支配、ダイチン・グルン(大清帝国)を打倒した孫文に始まる「漢民族中心主義」、中国を「更地化」する社会主義イデオロギーで、これらにより毛沢東は「完璧な独裁」を確立した、と本書は指摘します。土地改革も含めてこの過程で、粛清により多くの人が犠牲になりました。毛沢東による独裁は、1950年代後半の反右派闘争でほぼ完成します。

 1950年代の大躍進政策と1960年代の文化大革命により、中国では多数の死者(とくに大躍進政策で)が出て、経済も大打撃を受けました。本書はこの大惨事の要因が、毛沢東という独裁者だけではなく、共産党政権の志向・野望にもあった、と指摘します。本書は文革を、国際的(とくにインドネシアの九・三〇事件)および地方の視点(漢民族から見て「周辺地域」となるチベットやモンゴルやウイグル)と、中華人民共和国で繰り返され、今も続く「粛清の連鎖」との観点から把握します。「周辺地域」では文革期に、漢民族による強圧的支配が進行しました。本書はこの民族浄化の背景に 漢民族中心主義・中華思想があった、と指摘します。今も続く「粛清の連鎖」は、敵の定義の曖昧さと恣意性、誰でもいつまでも敵とみなされる可能性があることです。著者は1989年の天安門事件の直前に日本に留学しますが、これは、当時の学生運動に半ば見切りをつけたためでもあるようです。モンゴル出身の著者にとって民族問題はひじょうに重要でしたが、北京の学生たちの多くは少数民族問題への関心があまりにも低いように、著者には見えたためでした。

 改革開放路線で中国経済は飛躍的に発展しましたが、腐敗も進み、それは一部の不心得者が起こした例外ではなく、構造的必然だ、と本書は指摘します。これは妥当な見解で、現代中国における腐敗と格差の背景には、根深い歴史的問題があると思います(関連記事)。現在の習近平政権は、反腐敗闘争で支持を得ましたが、腐敗は構造的問題なので、現代中国である程度以上の地位にある人間を腐敗の罪状で処分することはいつでも可能で、腐敗を理由とした政敵の追い落としも可能です。じっさい、習近平政権はそうして政敵を失脚させてきたわけで、本書はこれを文革的手法そのものと指摘します。

 なお本書は、人類の起源について世界中のほとんどの学者はアフリカ起源説を基本に研究を進めているものの、中国は例外で、中国の学者だけは、今も中国人は「北京原人」の子孫で、人類の起源は中国と主張し続けている、と指摘しています。しかし、そもそも以前に中国で主流だった見解は、各地域の現代人の起源は基本的にその地域の太古の人類集団にまでさかのぼり、それは中国も同様とする多地域進化説的な見解で、人類の起源は中国とまで主張した中国人研究者はほとんどいなかったでしょう。また、現在では中国のとくに遺伝学の研究者のほとんどは、基本的に現代人のアフリカ起源説を認めていると言えるでしょう。さらにさかのぼって人類というかホモ属の起源に関しても、自然人類学の研究者たちの多くはアフリカ起源説を大前提としているようです。以前、中国人研究者が中心になって、陝西省の212万年前頃の石器を報告した研究が公表されましたが、アフリカ起源説を前提としています(関連記事)。

 このように、本書の見解には誇張されているところも多いと思われ、もちろん鵜呑みにはできません。著者が中華人民共和国(共産党政権)に批判的なのは明らかで、それは少数民族出身であることから仕方のないところもありますが、それ故の行き過ぎは少なからずあるとは思います。その意味で、本書の問題点を挙げて、著者の見解全体が出鱈目であるかのように主張する人もいるでしょう。ただ、誇張や誤りが少なからずあるとしても、本書の中華人民共和国に関する見解には、参考になるものが多いと考えています。

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