現生人類のmtDNAの進化速度の見直し

 現生人類(Homo sapiens)のミトコンドリアDNA(mtDNA)の進化速度を見直した研究(Cabrera., 2021)が公表されました。進化遺伝学は、人類史を時系列的な分子の文脈の中で研究しています。この点で、その主要な手法は分子時計です。分子時計は、系統間の変異の違いとして測定される、タンパク質もしくはDNA配列の間の分岐速度が、その最初の分離から経過した時間に比例していることを確立しました。しかし、その後の研究では、分子時計は系統内のヌクレオチドもしくはアミノ酸の位置により、系統間でも、さらには分類群間でも異なる、と明らかになりました。したがって、この不均一性を考慮に入れるために、毎回より洗練されたモデルを実装する必要があります。

 この分子時計の時間目盛内で検出された別の問題は、分子時計が、種内および種間で調べられた系統の歴史に沿って変わることです(関連記事)。最近、古代DNA分析の発展により、進化速度の推定を改善するための、さまざまな時点での追加の較正点が提供されました。しかし、少なくともヒトにおいては、これらの改善が、現代の配列で以前に得られた進化速度を実質的には変えていません。さらに、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)が大規模な全ゲノム配列決定に置き換えられるか、あるいは変異率が組換え率に置き換えられた場合、変異率と進化速度推定値との間で観察される有意な違いは消えていません。

 これら進化速度の不確実性にも関わらず、遺伝学は人類史の解釈において権威のある役割を果たしつつあります。したがって、考古学が現生人類の起源を30万年以上前に、もしくはアフリカからユーラシアへの拡大を12万年以上前に想定する場合、その年代は遺伝的推定年代(現生人類の起源は20万~15万年前頃、出アフリカは6万~5万年前頃)よりもずっと古くなり、それら遺伝的推定年代よりも古い年代の現生人類は現代の人口集団の遺伝子プールに寄与しなかったかもしれないので、考古学的知見は遺伝的に無関係とみなされます(関連記事)。その見解に反して著者は、過去の人口統計学的動態への分岐率の依存性を受け入れ、信頼できる値として平均的な生殖細胞系変異率を信頼することで、遺伝学的年代と考古学的年代を一致させられる、と示唆しました。さらに、世代に沿った人口集団における祖先系統の持続性が、速いmtDNA変異率にも関わらず、種内合着(合祖)年代推定値の精度に強く影響する、と分かります。

 本論文は、古代と現代のミトコンドリアゲノム配列を比較して、進化速度は経時的に著しく変化し、平均生殖細胞系変異率よりも顕著に遅い値と速い値に達する、と確認します。したがって、進化速度には時間依存性の影響が存在し、最近では加速度が増加しています。一過性の多型が、系統樹から推定される進化速度に減速の役割を果たすことも検出されました。これらの不確実性を修正するための実用的手法として、ハプログループ内の最も多様な系統の使用が提案されます。


●分子進化速度

 古代人423個体と現代人784個体のミトコンドリアゲノムを用いて、ミトコンドリアの進化速度が推定されました。古代人のミトコンドリアゲノムは較正年代に応じて10区分され、平均年代は1119±483年前から40160±4658年前です(表1)。この期間内の各ミトコンドリアマクロハプログループ(MとNとR)の現代人と古代人の配列間の変異の違いの平均数を比較すると、有意な違いは観察されませんでした。最も分岐した比較の対応のないt検定は、p値が0.54でした。mtDNAハプログループ(mtHg)間のこの均一性は、得られた合計値の統計的信頼性を強化します。観察された進化速度は、最新の期間(表1の第1期間)の1年につき4.33×10⁻⁸から、最古の期間(表1の第10期間)の1.91×10⁻⁸までの範囲です。前者の推定値を、最後の生殖細胞系変異率(1.30×10⁻⁸もしくは1.89×10⁻⁸)と同等とするならば、それぞれ2.27~3.33倍速くなります。しかし、最古の期間で得られた変異率(1.91×10⁻⁸)は、他の研究で計算された変異率のより低い範囲にあります。


●時間依存効果

 経時的な変異の線形蓄積を想定すると、最新の期間と最古の期間の両方で同じ変異率が予想されますが、実際には、最古の期間で観察された変異率は最新の期間のそれよりも2.27倍遅くなっています。これは、ヒトや他種で観察されたように、より古い期間の変異率と比較して有意に速い最近の置換率を有する変異率に対しての、時間依存効果の存在と一致します。この効果は図1で表されており、期間に沿って蓄積された変異の観測数と予想数が、1000年単位で示されています。じっさい、同じ期間に観察された進化速度に対して、各期間の年代の有意な負の回帰が観察されます。以下、本論文の図1です。
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●一過性の多型効果

 一過性のmtDNA多型の持続は約2Ne(有効人口規模)なので、ヒトにおける女性5000個体の有効規模を仮定すると、その過程は約1万世代、1世代平均25年とすると、25万年続くでしょう。直接的結果は、ヒトのような増加する集団では、固定時間、したがって一過性の多型の持続はさらに長くなるだろう、ということです。したがって、ヒト集団に見られる通常は高いミトコンドリアゲノム多様性にも関わらず、同じミトコンドリアゲノムを共有する多数の個体が存在するかもしれない、と予想されます。たとえば、古代mtDNA研究では、8000年以上の期間にわたる、祖先的なM系統の持続を裏づけます(関連記事)。

 さらに、1年につきゲノムあたり1.947×10⁻⁴の平均変異率を用いると、祖先的なミトコンドリアゲノムにおいて12500年の期間で変異を生じない確率は、まだ有意ではありません。これは、人口集団において同じミトコンドリアゲノムを共有する2個体が母系で関連している時間として発見された、500減数分裂/世代(1世代25年と仮定して12500年)の限界とひじょうによく似ています。この期間は、人口集団が大きなボトルネック(瓶首効果)を受けたか、新たな世代が少数の個体群から創出され、単一系統もしくは主要系統のみが残っている場合に、増加する可能性があります。その結果、系統は数世代にわたって変わらないかもしれませんが、同じ人口集団の同一系統には、同じ期間に1つもしくは複数の変異が生じます。このような想定は図2Aで示されます。祖先系統は人口集団に存在する間、さまざまな世代で子孫を生み出せることに注意が必要です。

 このように、人口集団がn世代後に標本抽出される場合、祖先系統(e)に加えて、有意な変異の違いを蓄積した祖先系統から派生した系統も見つけられます(f、h)。しかし、この事実は、同じ標本(図2B)から構築された系統樹には反映されていません。なぜならば、それらの系統が出現した世代とは関係なく、全ての派生的な系統が祖先分岐点(e)から同じ時に出現するからです。系図と系統樹との間のこの違いは、注目すべき結果をもたらします。一方では、この違いは、選択的制約を呼び出す必要なしに種内ハプログループ比較で見つかった、系統間の変異率均一性の欠如を説明できます。他方では、系統樹が構築されている系統への変異の影響なしに移った世代の表現の欠如は、これらの系統樹から計算された合着(合祖)の年代を短縮する一般的な効果があります。以下、本論文の図2です。
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 この短縮効果を弱める一つの単純な方法は、配列の平均の代わりに分析されたハプログループからの主要な変異数を有する、それらの配列を選択するか、ポアソン分布の分散を考慮して、下位四分位にまとめられた配列の平均を取得することです。本論文では、アフリカのmtDNAマクロハプログループL0およびL3と、出アフリカmtDNAマクロハプログループM・N・Rを構成する主要なハプログループの最高の変異数を有する配列がまとめられました。これらのデータと進化速度を用いて、mtHgの分岐で表される人類史の重要事象の合着(合祖)年代が計算されました。それは、現生人類の年代(L0とL1~7の分岐)、出アフリカ(L3とL4の分岐)、ユーラシア人口集団のアフリカへの「帰還」(L3の合着)、ユーラシア全域への現生人類の拡大(M・N・Rの合着)で、とくに重視されるのが、サフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きでした)への拡散(Pの合着)、ヨーロッパへの拡散(U5の合着)、アメリカ大陸への拡散(A2・B2・C1・D1・D4h3a・X2aの合着)です。予想されるように、全てのこれら新たな推定は、以前の計算よりも顕著に古くなります(表3)。


●考察

 mtDNAの変異率は環境および遺伝的変数にも関わらず、合意の得られている平均値に近似しますが、本論文では、mtDNAの置換率は経時的に変わり、変異率よりも小さくも大きくもなり得る、と確認されました。したがって、進化速度が変異率の2倍になると明らかになった全ゲノムの同じ状況に達し、人類進化の年代に疑問を提起します。しかし、進化速度が人口規模に依存し、最近の爆発的な人口増加を有する人口史を通じて人口集団規模における大きな違いがあった、と認めるならば、これが当てはまると予想すべきです。分子進化の中立理論とのこの明らかな矛盾は、いくらかの説明に値します。まず、伝達率と固定率を区別することです。

 N0規模の人口集団において変異が出現すると、それは1/N0の次世代(N1)に伝達される確率と、伝達された場合の1/ N1の固定される確率があります。人口規模が世代に沿って一定のままである場合、伝達の確率と固定の確率は中立説の予測のように同じです。しかし、人口規模が世代間で変動する場合、伝達の確率は固定の確率とは正反対の動作を示します。次世代で人口規模が2倍になる場合(N1=2N0)、伝達の確率は2/N0です。しかし、変異が伝達されるならば、変異の個体確率は1/2N0です。逆に、次世代で人口が半減した場合(N1=N0/2)、伝達の確率は1/2N0ですが、伝達されるならば、固定の確率は2/N0です。繰り返すと、これは、大きな人口集団では変異の固定確率は小さな人口集団よりも低い、と予測する中立説に従っています。しかし、進化速度を駆動するのは伝達の確率です。

 人口集団もしくは種の間の進化速度を推定する場合、これらの多様体が異なるアレル(対立遺伝子)に固定されるのか、各人口集団もしくは種における一過性の多型として分離されているのかに関係なく、我々は配列間の変異の違いを数えています。したがって、本当に重要なのは、各系統で独立して蓄積された変異の量です。じっさい、変異は変異率に従って現れますが、増加する人口集団では、より多くの系統、系統ごとにより多くの変異があり、これらの系統は減少する人口集団の場合よりも長期間維持される、と知られています。これは、増加する人口集団では進化速度が加速し、変異率よりも高くなる理由を説明します。なぜならば、伝達される可能性がより高いように見える変異と、すでに人口集団で分離している変異が、より長い期間多型のままであるからです。人口が減少すると、正反対のことが起きます。

 本論文で古代と現代のミトコンドリアゲノムの比較分析により確認された時間依存効果は、人口規模動態への分岐速度の依存に関する上述の議論を経験的に確証します。同義置換と非同義置換の進化速度の違いにより繰り返し示されているように、選択が進化速度にも重要な役割を果たすことは確かです。しかし、その効果は、遺伝的浮動に分子進化の主要な役割を与える分子進化のほぼ中立進化説により説明されるかもしれません。

 著者は以前、ヒト集団で観察される急激な増加の効果を相殺する新たなアルゴリズムを提案しましたが、それは標本抽出された系統をまとめる系統樹の形態に基づいています。しかし本論文では、系統樹が経時的な祖先的系統を無視し、その結果、実際の年代よりも新しい合着年代が得られる、と示されました。平均ではなく各ハプログループ内の変異の数が多い系統を採用するよう、本論文では提案されましたが、実際の合着年代を推定する実用的手法として、変動する人口規模と系統樹が進化速度に課す問題に対処するには、より洗練されたモデルが実装されるべきです。

 それにも関わらず、本論文の2つの手法が、最近の考古学的知見(関連記事)とより一致する、30万年前頃という現生人類の起源の合着年代を示していることに言及する価値があります。現生人類の出アフリカは15万年前頃と推定されており、これはレヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)、さらには17万年前頃となる(ミスリヤ洞窟(Misliya Cave)での発見(関連記事)と一致する可能性があります。また、ユーラシアのmtHg-M・N・Rの合着年代は、ユーラシアにおける現生人類の拡散を10万年前頃までさかのぼらせ、これは中国南部の福岩洞窟(Fuyan Cave)遺跡の現生人類遺骸の年代と一致します(関連記事)。オーストラリアのmtHg-Pの分岐は、現生人類がサフルランドにアジア東部と同じ頃に到達した、と示唆しているようです。この同年代の拡大の一部として、ユーラシアの人口集団はmtHg-L3の分岐と一致してアフリカに「戻った」かもしれません(関連記事)。

 著者は以前、アメリカ大陸への人類の拡散を4万年前頃と提案しましたが、それは直接的もしくは間接的(関連記事)に考古学的年代により裏づけられます。しかし、このアメリカ大陸への最初の移住は、mtHg-A2・B2の年代により示され、その後で第二の波が続き、また27500年前頃のmtHg-C1・D1・D4h3a・X2aにより示される、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前だった、という可能性があるようです。ヒトの進化速度は未解決の問題として存続しますが、ヒト進化の主要事象について遺伝学者により提案された年代を疑問視するのに充分な証拠がある、と著者は考えています。


 以上、本論文についてざっと見てきました。21世紀になって、DNAの変異率は現生人類の出アフリカなど人類史における重要な事象の年代を推定する重要な根拠とされてきましたから、DNA変異率の推定値はひじょうに重要です。本論文は現生人類のmtDNAの変異率の見直しと、より洗練されたモデルを提言していますが、確かに重要な指摘だと思います。ただ本論文は、mtDNAの変異率の見直しの結果、出アフリカやユーラシア各地への拡散といった現生人類史の重要な事象の年代が現在の有力説よりもさかのぼり、それは近年の考古学的知見とも整合的と指摘しますが、現生人類の起源と拡散はひじょうに複雑な問題で(関連記事)、特異な遺伝(片親性遺伝標識)となるmtDNAの分岐をそのまま現生人類史の重要事象に直結させてよいのか、慎重な検証が必要だとは思います。

 また本論文は、新たなmtDNAの変異率とそこから推測される現生人類史の重要事象の年代が、近年の考古学的知見と整合的と主張しますが、これも慎重な検証が必要でしょう。たとえば本論文は上述のように、中国南部の福岩洞窟の現生人類遺骸の年代は12万~8万年前頃と推定する研究を肯定的に引用していますが、この年代は以前から強く疑問視されており、最近になって、15000年前頃未満で、完新世のものも含まれる、との結果が得られています(関連記事)。現時点では、アジア東部における6万年以上前の確実な現生人類の痕跡はまだ確認されていないと考えるべきで(関連記事)、本論文の見解を直ちに有力説として認めるべきではないでしょう。


参考文献:
Cabrera VM.(2021): Human molecular evolutionary rate, time dependency and transient polymorphism effects viewed through ancient and modern mitochondrial DNA genomes. Scientific Reports, 11, 5036.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-84583-1