デンマークの新石器時代単葬墳文化の人々の遺伝的構成

 デンマークの新石器時代の単葬墳文化(Single Grave Culture、略してSGC)の人々の遺伝的構成に関する研究(Egfjord et al., 2021)が公表されました。最近の大規模な古代人口集団の遺伝的研究では、ヨーロッパの縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)は、紀元前三千年紀にポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から西方へと拡大し、ヨーロッパの新石器時代人口集団と混合した、ヤムナヤ(Yamnaya)文化とつながる集団として出現した、と示されています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 この移住過程は、ヨーロッパの文化的および遺伝的景観を永久に変えました。4850~4600年前頃のデンマークとドイツ北部とオランダにおけるSGCの出現は、ヨーロッパの他地域のCWCの形成と類似した文化的変化を表しており、何十年も、これは考古学者の間で広く議論されてきた現象でした。デンマークでは、最初のSGC定住地域はユトランド半島中央部および西部の平坦な砂質土壌で、ここでは骨格遺骸が保存されていないものの、何千もの小さな塚(古墳)がSGCの大規模な存在を証明しています。花粉分析で報告されているように、SGCの到来には景観変化が伴いました。

 デンマーク西部となるユトランド半島では、SGCはおもに埋葬で知られています。定住の証拠は疎らで、建物の残骸はほぼ独占的にSGCの後の段階に由来します。SGCの墓は通常、小さな古墳の下の単一の土葬です。墓において遺体の位置を反映する土壌痕跡からは、遺体は横向きに置かれ、一般的には東西軸の南向きである、と示されます。右側に横たわる遺体(頭は西)は通常、戦斧や燧石の斧や琥珀色の円盤が伴っていますが、左側に横たわる遺体(頭は東)は土器と琥珀色のビーズを有しており、全体的なCWC伝統と一致して、性別を強調する埋葬の扱いが示唆されます。

 生計の証拠は乏しいものの、エンマーコムギやハダカムギの耕作および家畜の飼育が証明されています。ユトランド半島西部の花粉の証拠は、おもに牧草地の形でのこの時点での広範な開墾を示しており、その目的は明確に、放牧のための広大な開地の確保でした。デンマーク東部では、SGCの存在は後からとなりあまり目立たず、さまざまな形となります。デンマーク東部では、いくつかの例外はあるものの、古典的なSGCの塚は見られず、代わりに既存の巨石墓が再利用されます。SGC伝統はより古い漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、略してTRB)と統合します。またデンマーク北部では、ブーストロプ(Bøstrup)様式の窯のような新たな様式の巨石墓が建てられ、その事例としてゲアイル(Gjerrild)遺跡の埋葬記念碑(図1)があります。

 デンマークにおけるSGCの発展が(南方地域からの)人々の移住により促進されたのか、それとも在来の文化的適応およびTRBの在来新石器時代農耕民の拡大を表しているのか、あるいはこの2つの現象の組み合わせなのか、長く未解決の問題でした。この議論は、カテガット海周辺のデンマーク沿岸部の、円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPWC)とつながる混合経済の存在により複雑になっており、この混合経済は魚とアザラシを含む非家畜資源に大きく依存しました。PWCは年代的にSGCと重なり、ゲアイル記念碑が位置するデューアスラン(Djursland)北部に強い存在感を示します。

 ユトランド半島やドイツ北部やオランダにおける何千もの塚の存在にも関わらず、SGC集団が好んで居住した地域の一般的な土壌条件のため、人類遺骸はひじょうに疎らです。この点で、ゲアイル遺跡埋葬のよく保存された骨格(図1)は幸運な例外です。ゲアイル遺跡のSGC個体群が典型的な新石器時代遺伝的祖先系統の在来の人々で、単に新たな埋葬文化を採用したのか、それとも移民CWC集団を表しているのか調べるために、古代DNA分析と放射性炭素年代測定とコラーゲンの炭素13・窒素15食性測定を目的として、ゲアイル遺跡の骨格のうち5個体が標本抽出されました。次世代「ショットガン」配列を用いてゲノム規模情報が得られ、ゲアイル遺跡個体群の祖先系統を、ヨーロッパの他の関連する新石器時代および前期青銅器時代集団と比較できました。本論文は、この例外的なデンマーク先史時代遺跡に埋葬された個体群への詳細な洞察を提供し、ヨーロッパ北部の紀元前三千年紀における移住の役割と新たな文化の形成の理解に貢献します。以下、本論文の図1です。
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●ゲアイル遺跡

 ゲアイル遺跡はユトランド半島東部のデューアスラン北部に位置し、デンマークで知られているSGC遺骸では最も保存状態が良好で数も多い点で注目されます。デンマークの新石器時代文化史では、デューアスラン北部はTRB最終期の発見が欠けていますが、代わりに比較的短いものの重要な狩猟漁撈採集民志向のPWC段階(紀元前3000~紀元前2700年頃)を経ている点で独特です。PWC段階の後、デューアスランの文化的発展はデンマーク東部に続き、巨石墓の継続的使用とわずかなSGCの単葬墳と少なく遅い戦斧により特徴づけられます。したがって、4ヶ所のSGC墓のみが以前のPWCが優勢なデューアスラン北部において報告されており、これらは全て紀元前2500年頃以後となります。

 ゲアイル遺跡の墓は1956年に発掘され、その埋葬は考古学的に副葬品に基づくSGCの上部墓時代(紀元前2450~紀元前2250年頃)となり、薄い刀身と厚い端の燧石手斧や2個の琥珀色ビーズや3個の燧石鏃で構成されます(様式D)。古典的なSGC墓のほとんどとは異なり、ゲアイル遺跡の塚はいわゆるブーストロプ棺である巨石墓を含みます。ブーストロプ棺はほぼ独占的にユトランド半島北部および北東部で見られるので、ユトランド半島中央部および西部の初期各地域の北部と東部の、SGCの後の拡大を表しています。墓室は乱されていたものの、その輪郭を再構築できました。墓室はより広い北端では長さ2.8~3m、幅1.6~1.7mですが、南部では幅がわずか約1mで、入口が見つかりました。

 ゲアイル遺跡の人類遺骸には、少なくとも10個体が含まれており、成人6個体、学童期(juvenile、6~7歳から12~13歳頃)1個体、子供3個体です。これらの頭蓋の形態分析から、ドイツ中央部のCWC個体群とまとめられましたが、その後となるデンマーク後期新石器時代の個体群は、TRB集団とCWC集団両方の混合とされました。これら人類遺骸のいくつかは関節がつながっていましたが、他は多かれ少なかれ乱れており、関節が離れていました。以前の研究では、1~9の番号が振られた数個体の遺骸が識別されました(図1)。2個の遺骸(ゲアイル6および7)は互いに並行して仰向けに置かれており、他の2個体は腰掛けのような位置にいました。ゲアイル6の顕著な特徴は、胸骨に刺さっている燧石鏃で(図1)、おそらくは死因となった戦傷です。様式Dの鏃は後のSGC段階(紀元前2525~紀元前2250年頃)を特徴づけると考えられていますが、本論文のゲアイル6遺骸の放射性炭素年代は、そのような鏃の最初の「直接的」年代測定です。ゲアイル7遺骸の注目される特徴は、おそらく外傷で溜まった血を出すような健康上の問題の治療のための、穿孔による頭蓋の穴でした。

●同位体測定と放射性炭素年代測定

 コラーゲンの炭素13および窒素15値からは食性を推定できます。ゲアイル遺跡個体群の両同位体値は低く、海洋および/または淡水食資源からの寄与は限定的と示されます(図2)。ゲアイル遺跡個体群のうち、ゲアイル1は完全に陸生食性を示しますが、ゲアイル6および7は限定的な海洋食性を示します。以下、本論文の図2です。
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 放射性炭素年代は、6個体のうち5個体は4007~3790年前(非較正)で、較正年代では紀元前2575~紀元前2035年頃となります。これら5個体のうち最古の個体はゲアイル8で(較正年代で紀元前2575~紀元前2345年頃)、ゲアイル5が最も新しく、較正年代で紀元前2284~紀元前2035年頃です。これらの年代から、ゲアイル遺跡の墓室がSGC期に使われたと確認されます。ゲアイル遺跡個体群のうち、1・6・7・8はSGC中期および後期と結論づけられます。これは、考古学で示されたよりも早い記念碑の建設と長い使用期間を示唆します。ゲアイル5の年代はわずかに新しく、後期新石器時代もしくは中期~後期新石器時代移行期に相当します。6個体のうち頭抜けて新しい下顎骨標本(較正年代で紀元前1741~紀元前1443年頃)は前期青銅器時代に相当します。男性2個体(ゲアイル6と7)は年代が重なっており、同時代の可能性がありますが、ゲアイル8はもっと早く、ゲアイル5はそれより後になります。ゲアイル1はゲアイル8とほぼ年代が重複していますが、やや後かもしれまず、ゲアイル8とゲアイル6および7の中間です。


●DNA解析と性別決定

 ゲアイル遺跡個体群のDNA保存状態は悪かったものの、ゲアイル1・5・8個体で、それぞれゲノム網羅率0.007倍・1.038倍・0.020倍のデータが得られました。遺伝的に、ゲアイル5・8は男性、ゲアイル1は女性と識別されました。ゲアイル1は以前に形態学的に女性と識別されていましたが、ゲアイル5・8は遺伝学で初めて性別が識別されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、ゲアイル5・8がK2aで、ゲアイル1がHV0です。Y染色体ハプログループ(YHg)は、ゲアイル8では識別できず、ゲアイル5はR1b の稀な下位系統であるR1b1a2(V1636)です。ゲアイル5のYHgと、以前にYHg-R1b1a2が確認された個体群から、YHg-R1b1a2の分岐がYHg-R1b1a1b(M269)の拡大と多様化に先行する、と示されます。YHg-R1b1a1bの下位系統には、ヤムナヤ埋葬と関連する古代の個体群間で一般的なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)や、ヨーロッパ現代人全体で一般的なYHg-R1b1a1b1a(L51)が含まれます(図3)。以下、本論文の図3です。
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●人口集団分析

 ゲアイル遺跡の3個体(1・5・8)のゲノムデータが、他のユーラシア西部古代人と比較されました。主成分分析(図4)では、年代・地理・文化と関連する古代の個体群のクラスタ化が確立されました。主成分分析では、MDS(多次元尺度構成法)1は、オクネヴォ(Okunevo)文化やボタイ(Botai)文化のようなアジア中央部青銅器時代個体群と新石器時代個体群を分離し、ヨーロッパおよび草原地帯青銅器時代個体群を両者の勾配に位置づけます。MDS 2は、より早期のヨーロッパ狩猟採集民とアジア中央部の新石器時代個体群を区別します。

 ゲアイル遺跡の3個体が、線形陶器文化(Linear Pottery Culture、略してLBK)やTRBや球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)集団で観察される、典型的な前期および中期新石器時代祖先系統を示さないことは明らかです。ゲアイル遺跡個体群はむしろ、CWCやスカンジナビア半島の戦斧文化(Battle Axe Culture、略してBAC)やドイツのウーネチチェ(Unetice)文化のような、ヤムナヤ文化集団の移住とつながる個体群に先行するヨーロッパ北部および東部の個体群と遺伝的に類似しています。より詳細な水準では、ゲアイル遺跡の3個体は、草原地帯個体群に遺伝的により近いCWCと関連する最初期の個体群から、やや離れてクラスタ化しています。以下、本論文の図4です。
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 ADMIXTUREの結果(図5)から、ゲアイル遺跡の3個体全員が主要な「ヨーロッパ後期新石器時代および青銅器時代」クラスタの範囲に収まり、それに応じて草原地帯関連祖先系統構成要素を示す、と確認されます。以下、本論文の図5です。
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●考察

 SGCはオランダからデンマークのユトランド半島まで広がっていました。ゲアイル遺跡個体群のDNA分析から、TRBと関連する以前の新石器時代人口集団には存在しない草原地帯関連祖先系統として観察された、CWCと関連する個体群との密接な遺伝的関係が示されました。したがって本論文の結果から、SGCの習慣に従って生活して埋葬された人口集団が、遺伝的にはCWCと関連する人口集団の北西部の分枝とみなされるべきである、と提案されます。

 SGCは紀元前2850~紀元前2700年頃にユトランド半島中央部および西部に出現し、ユトランド半島の砂質土壌の平坦な景観には、先行する新石器時代集団の居住は疎らでした。ユトランド半島では森林がむしろ開けており、容易に牧草地に変換できます。それは花粉分析で明らかになっており、牧畜経済戦略を志向した後期TRB集団の居住地域で起きた過程です。考古学的指標に基づくと、SGC移住者群の起源はドイツ中央部のハレ(Halle)地域を示しているかもしれず、森林が数世代以内で消滅したので、かなりの程度で継続的だったに違いありません。SGCがユトランド半島中央部および西部に確立すると、デンマークの島々やユトランド半島北部および東部において、まだ後期TRB集団が存在したかもしれない地域に拡大した可能性が高そうです。ゲアイル遺跡個体群は、拡大の第二段階に由来します。


▲ゲアイル遺跡古墳の年代と使用

 ゲアイル遺跡塚の主要な使用期間は紀元前2600/2500~紀元前2200年頃以後で、紀元前1700年頃に再利用されました。これの年代は、人工物から推測されたよりも長い期間で、建設はSGCの中期となります。この年代は、最古の個体ゲアイル8に基づきます。残りの年代は、(再利用されたさいの紀元前1700年頃の個体を除く)最新の個体ゲアイル5に基づきます。スカンジナビア半島南部における中期~後期新石器時代の境界の定義に基づくと、ゲアイル5は後期新石器時代早期もしくは中期~後期新石器時代移行期に分類できます。ゲアイル遺跡では、個体が同時に埋葬されたのではなく、推定約300年間使われたことは明らかです。埋葬されたのが10人以下の場合、平均して1世代に1人しか埋葬できなかったかもしれず、全人口からの強力な選択を示唆します。墓室の個体群が同じ家系に属すのかどうか、本論文の結果からは決定できませんが、選択は性別や年齢の基準ではなかったことが明らかです。

 上述のように、ゲアイル6の胸骨には様式Dの燧石鏃が刺さっていました。様式Dの鏃は後期SGC(紀元前2525~紀元前2250年頃)と考えられており、本論文のゲアイル6の年代(紀元前2447~紀元前2201年頃)を確証します。ゲアイル遺跡の発掘では、ゲアイル6が最後に埋葬された個体と推測されましたが、これは放射性炭素年代と矛盾しています。様式Dの鏃は古典的なPWCの鏃(様式A~C)から派生した、と推測されています。様式CとSGCの様式Dは両方、特殊な戦争用鏃とみなされています。

 2個の土器で大きい方は石棺のほぼ中央で発見され、高さは16.7cm、幅は20.5cmです。これはユトランド半島東部北方地域のヒマーランド(Himmerland)を中心に分布する丸胴様式の典型的な事例です。墓の南端にある、ゲアイル6頭蓋の近くに置かれているより小さな土器は、高さが9.5cm、縁の直系が11.7cmです。これはまっすぐなビーカー(大杯)の大型に分類されますが、側面が湾曲しています。この様式はユトランド半島北東部の同じ地域でも見られますが、じっさいにはデューアスラン西部に由来します。両方の土器は後期SGC(紀元前2450~紀元前2250年頃)に分類され、少なくとも一部の被葬者では、墓の様式のように、後期SGCの内陸部の文化的環境と関連しています。

 縁が僅かに窪んだ薄い刀身と厚い端の燧石手斧はゲアイル6の近くの墓の南部見つかっており、その長さは13.1cm、縁の幅は5.9cmです。燧石の手斧(釿)は、SGCの古墳期に出現し始めました。ゲアイル遺跡の薄い刀身の手斧は様式3A1に分類されており、年代は後期SGCの上部墓期なので、土器の年代に相当します。墓の燧石手斧は、ゲアイル周辺地域が後期SGCの人々の標的になった理由を説明できるかもしれません。この種の燧石手斧は、デューアスラン東部で顕著な分布を示します。隣接するゲアイル・クリント(Gjerrild Klint)には、高品質の豊富な燧石がありました。そのような燧石資源の管理は、これら新たに確立した共同体に、より高品質のさまざまな燧石製品を作って交換することで利点を与えたので、地域を超えてより大きなネットワーク同盟を形成するでしょう。


▲食性と移動性

 骨のコラーゲンの炭素13と窒素15の値から、食性を推定できます。ただ、この値は気候や植生被覆や牧畜のような人類の活動により時空間的に変化する可能性があります。局所的で時系列的に関連する背景知識がない場合、ゲアイル遺跡個体群の同位体値の解釈は一般的でしかありません。ゲアイル遺跡は海岸に近いにも関わらず、その個体群では限定的な海洋性タンパク質摂取量が示唆されます。成人女性のゲアイル1は、完全に陸生食性を示す点で他の個体と異なります。これは、ヨーロッパ北部の他の新石器時代個体群の値と類似しているかわずかに低く、ドイツのCWC集団よりも明らかに低くなっています。これらの結果から、ゲアイル1の食性はおもに植物、つまり穀物に依存していた、と推測されます。これは、後期SGCにおける最初の数世紀よりも高い農耕への依存度と移動性の低い生活様式を示唆する、定住と経済のデータを裏づけます。

 ストロンチウム同位体比(87/86)は以前の研究で示されていましたが、最近のより詳細な研究で訂正する必要があるようです。ゲアイル遺跡の青銅器時代の下顎骨(RISE72)は最低のストロンチウム同位体比を示し、その他の個体と一致します。ゲアイル5・6・7・8はRISE72よりも高い値を示し、とくに成人個体ゲアイル6および7はひじょうに類似した値を示すので、同じ地域で成長した可能性があります。そのような値の最も近い地域は、ゲアイル遺跡から西方に約10~20kmに位置します。同様の値は、スウェーデン南端やヨーロッパ中央部の多くの地域や他のデンマーク地域でも見られるので、この2個体の起源の問題に決定的に答えることはできません。しかし、このストロンチウム同位体比に関する最も簡潔な説明は、ゲアイル遺跡の墓に葬られる個体の地域は、遺跡から少なくとも10~20km離れた地域を含んでいた、というものです。

 成人女性ゲアイル1は、全個体で最も高いストロンチウム同位体比を示し、これは明らかにデンマーク外の出自なので、長距離移動が示唆されます。上述のように、ゲアイル1は海洋資源に依存する食性を示しませんでした。そのため、ゲアイル1の出身地としては、スウェーデン南部、ボーンホルム島、ヨーロッパ中央部のいくつかの地域が考えられますが、同位体もしくは考古学的データからは区別できません。ともかく、ゲアイル1はそのストロンチウム同位体比から、ドイツ南部のCWC集団でも示唆されているように、族外婚慣行と一致します。


▲遺伝的祖先系統

 温帯地域の古代人遺骸でよく見られるように、ゲアイル遺跡個体群のDNAの保存状態は、錐体骨からDNAが得られたゲアイル5を除いて不充分でした。この結果は、錐体骨が古代DNA分析に適していることを改めて確認しました(関連記事)。ゲアイル遺跡個体群のうち3個体で分析に充分なゲノム規模データが得られ、最も高品質なゲアイル5では網羅率1倍以上のデータが得られました。

 本論文の分析は、ゲアイル遺跡の3個体が「草原地帯DNA」と呼ばれる特定のゲノム祖先系統構成要素を有意な割合で有する、と明確に示します。これは、ヨーロッパの遺伝的景観を永久に変えた紀元前3000年頃のヤムナヤ文化関連集団の移住のゲノム痕跡です。紀元前3000年頃以前のヨーロッパ新石器時代農耕民は、紀元前8000年頃に始まる中近東からの大規模な人口集団拡大に直接的にさかのぼるゲノム祖先系統を示しました。しかし紀元前3000年頃に、ヤムナヤ牧畜民がポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から東方へはアルタイ山脈、西方へはヨーロッパと両方に拡大しました。在来の新石器時代共同体との遭遇は時として劇的で暴力的だったかもしれませんが、新たな文化の形成、つまりCWCをもたらしました。したがって、CWCおよび関連する文化の遺骸から古代DNAが分析されると、ヨーロッパ新石器時代とヤムナヤ関連の祖先系統が常に明らかになります(関連記事)。

 ゲアイル遺跡個体群の祖先系統分析からは、デンマークのSGCはCWCの北方の「分枝」として遺伝的に特徴づけられるかもしれない、と示されます。TRBからSGCへの移行は、単純な人口統計学的継続性として特徴づけられる可能性はほとんどありません。むしろSGCの出現は、紀元前3000年頃にヨーロッパの大半で起きつつあった同じ大きな人口統計学的変化の産物です。ヨーロッパ規模の人口統計学的変化に関する現在の知識を考えると、これは驚くべき結果ではありません。しかし本論文の観察はCWC拡大の地理的範囲と年代の理解に重要な情報を示しているので、デンマークにおけるSGCの起源と後の拡大に関する長く続く議論に貢献します。より具体的には、ゲアイル遺跡の3個体はユトランド半島東部への東方へと向かう地域的移住のより後期の段階を表しています。

 ゲアイル遺跡個体群の遺伝的データは3個体分しかなく、そのうち1個体(ゲアイル5)だけが網羅率1倍以上なので、デンマークのSGCの正確な起源や他のCWC的集団との関係について、本論文では詳細な遺伝学的議論は行なわれません。しかし、ゲアイル遺跡の3個体は、平均してわずかに高い割合の草原地帯関連祖先系統を示す、主要なヨーロッパCWCクラスタとはやや離れているようです(図4および5)。ゲアイル遺跡の3個体は、スウェーデンの戦斧文化関連個体群、ポーランドのウーネチチェ文化個体群、以前に分析されたデンマークの後期新石器時代および前期青銅器時代個体群など、他のCWC派生文化の個体群と密接な遺伝的類似性を有しています。これらの観察は、より広範なCWCにおける、微妙な地理的もしくは時間的な人口集団の遺伝的構造を示唆します。ゲアイル遺跡の3個体の遺伝的構成は、まだ存在していた新石器時代人口集団との相互作用の長期の過程から生じたものの、その適切な検証にはより大規模な人口集団ゲノムデータセットのより詳細な分析が必要になる、と本論文では提案されます。

 残念ながら、デンマークとスウェーデン西部どちらのPWC個体群でも、利用可能な遺伝的データはありません。しかし、ゲアイル遺跡の3個体は、草原地帯関連祖先系統を示さないスウェーデン東部の既知のPWC個体群とは遺伝的類似性を示さない、と確認できます(関連記事)。PWC集団はひじょうに移動性が高く、紀元前3000年頃から前期SGC段階まで続くユトランド半島北部およびデューアスランのPWC遺跡群があります。したがって、スウェーデン東部のPWC個体群が、その移動性のためより広範な観点でPWCの遺伝的代表とみなせるならば、SGCの初期段階におけるPWCとSGCの相互作用はひじょうに異なる2人口集団のもので、この時点でヨーロッパの大部分において起きているより広範なCWCとTRBの相互作用と類似しています。しかし、この提案は、西部PWCと関連する個体群の将来のDNA分析により検証される必要があります。

 mtHgは、ゲアイル8および5がK2aで、ゲアイル1がHV0です。これらのmtHgは「新石器時代一括」の一部で、新石器時代以降後にヨーロッパで一般的になり、mtHg-K2の下位系統は以前にその後のCWC集団やイングランドの鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)集団(関連記事)で観察されました。これは、女性遺伝子プールの継続性としてよく解釈されており、到来してくるCWC関連移民はおもに男性で、その後で在来の女性がCWC集団に取り込まれた、と示唆されます。ゲアイル遺跡の3個体のmtDNA分析は、この見解と矛盾していません。さらに珍しいのは、ゲアイル5のYHg-R1b1a2です。これはYHg-R1bの稀な下位系統で、ポントス・カスピ海草原の銅器時代の4個体と、アナトリア半島東部のマラティヤ平野のアルスラーンテペ(Arslantepe)遺跡の銅石器時代1個体(関連記事)で観察されています。


▲考古学的意味と解釈

 デンマークにおけるSGC到来の年代は、花粉分析により確証されます。ゲアイル遺跡の理解でとくに重要なのは、デューアスラン北部のPWCの活動が紀元前28世紀頃に終わり、その後、この地域の考古学的発見がほぼ完全に欠落している、という事実です。この欠落は、紀元前26世紀と正確に年代測定された、最初のゲアイル遺跡埋葬の頃に終わりました。ゲアイル遺跡の西方約12kmに位置するデューアスラン北部のフールスー(Fuglsø)湿原からの高解像度花粉図表では、農耕活動の200年の脱落と森林の再生が観察できます。SGCがデューアスラン北部に到来した時、森林はおもに恒久的な放牧のために再び開けました。花粉拡散の増加は開地の指標として観察できますが、以前のTRB農耕期よりも顕著に少なくなっています。したがって、ゲアイル遺跡の古墳は、約2世紀の「暗黒時代」の後に、この地域において復活した定住の時期を示しています。

 人類遺骸はSGCでは疎らなので、ゲアイル遺跡個体群のDNAデータは、紀元前三千年紀のデンマークにおけるSGCと関連する文化的および社会的変化の背景にある過程に、独自の洞察を提供します。デンマークの地域的なSGCが文化的変容だけではなく、ヨーロッパ他地域におけるCWCの拡大と関連する遺伝的変化も表している、と本論文は提案します。この変容がどのように地域的に認識されたのか、明らかではありません。デンマークのPWCは、ユトランド半島の北部および北東部の沿岸地域で見つかる比較的少ない大規模定住遺跡により特徴づけられます。しかし、利用可能な少ない情報を見るならば、PWC集団との遭遇は必ずしも平和的ではなかった、と示唆されます。経済は混合され、海洋資源に注目しているものの、狩猟や家畜や小規模農耕を含んでいるようです。

 当初、PWCとSGCの共同体はおそらく、領土や資源をめぐって深刻には競争していませんでした。しかし、これはSGCがユトランド半島北部と北東部に拡大してきた時に変わった可能性が高そうです。それは、特殊なPWCの戦争用鏃(様式C)を含む、 SGCの下部墓期(紀元前2850~紀元前2600年頃)の墓により示唆されます。墓の中の鏃の位置は、埋葬のさいに身体に供えられた可能性が高そうです。4基の単葬墓が、リームフィョー(Limfjord)のすぐ南のユトランド半島北部のSGCとPWCの境界地帯として定義される場所にあります。墓のうち3基は、PWC中核領域とみなせるかもしれない場所に位置する、最北で記録される初期SGC墓にあります。したがって、拡大するSGC集団と在来のPWC集団にとって関心のある地域において、侵入もしくは短期の確執の形で起きた暴力的遭遇を予想しなければなりません。そのようなパターンはじっさい、紀元前三千年紀の激しい人口統計学的および文化的過程において暴力的衝突が重要な役割を果たした、と示唆するヨーロッパ他地域の証拠と一致します(関連記事)。

 様式Dの鏃の存在と、ゲアイル遺跡の埋葬の比較的遅い年代から推測して、ゲアイル遺跡個体群の一部の外傷はPWCとSGCの遭遇の結果ではなさそうです。代わりに、そうした外傷はSGC内の競争の結果である可能性が高そうです。明らかな紛争の原因は、本論文で分析されたゲアイル遺跡の石棺の東方1.5km未満の沿岸の崖で見つかる、豊富な燧石堆積物だった可能性があります。これらの資源はPWC期に集中的に利用され、薄い刀身との燧石手斧と様式D鏃の一定の集中により示唆されるように、おそらくその後のSGC期にも利用されました。いずれにしても、鏃および外傷と関連する2個体(ゲアイル6および7)の問題が重なっており、同時代かもしれないことは注目に値します。これは、2人が以前のPWC 地域に居住するSGC集団間の、同じもしくは恐らく関連する一連の敵対的遭遇の犠牲者だったかもしれない、という可能性を提示します。

 上述のように、ゲアイルとデューアスラン北部のいくつかの同時代SGC遺跡は、この地域が放棄されたように見える約2世紀の後の定住を表しており、海から容易に利用できる高品質燧石堆積物のより制約されていない、もしくは共同の利用を可能としたかもしれません。ゲアイル遺跡の塚を建築した集団が紀元前26世紀にこの地域に定住した時、その集団は、この地域と、長く争われていたか未制御だった資源への領域的主張をした、いくつかの集団の一つだったかもしれません。この仮説は、ゲアイル遺跡の人類遺骸に反映されている暴力的紛争を説明できるかもしれません。


参考文献:
Egfjord AF-H, Margaryan A, Fischer A, Sjögren K-G, Price TD, Johannsen NN, et al. (2021) Genomic Steppe ancestry in skeletons from the Neolithic Single Grave Culture in Denmark. PLoS ONE 16(1): e0244872.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0244872