大河ドラマ『青天を衝け』第7回「青天の栄一」

 今回、徳川家康の解説では江戸時代の漢詩の重要性が指摘され、近代以降の日本社会、とくに第二次世界大戦後には、日本史における漢詩の重要性はあまり意識されていないように思うので、よかったと思います。主人公の渋沢栄一を中心とする農村部の話は、千代をめぐる栄一と喜作の三角関係が描かれました。大河ドラマ愛好者にはこうした話を嫌がる人が多いかもしれませんが、千代は主人公の妻ですし、さほど長くはなかったものの、3人の心理が割と丁寧に描かれていたので、悪くはなかった、というかなかなかよかったのではないか、と思います。また、江戸に出た尾高長七郎が尊王攘夷の動向に突き動かされていくところも、なかなか丁寧な描写になっていて、よいと思います。

 徳川慶喜を中心とする「中央政界」の話では、阿部正弘が没し、井伊直弼と将軍の徳川家定が接近し、いよいよ幕末の政治的激動が始まったことを予感させます。井伊直弼はすでに登場していましたが、これまではほとんど目立たず、モブキャラのようでしたが、今回終盤でやっと目立った感があります。本作では慶喜が重要人物として描かれていますが、幕末政治史の重要人物である父の斉昭だけではなく、母と妻も短い描写ながらキャラが立っています。栄一は幕末の最終段階で海外に行くため、国内の政治情勢は慶喜を中心に描かれ、慶喜の周囲の人物も重要になってきそうですから、今からしっかりキャラを立てておくことは必要でしょう。井伊直弼も以前の登場でもう少しキャラを立てておいてもらいたかったものです。

大相撲春場所千秋楽

 もうすっかり慣れてしまいましたが、両横綱のうち鶴竜関は初日から、白鵬関は3日目から休場となり、またもや横綱不在の場所となりました。稀勢の里関の悪例があるので、白鵬関と鶴竜関の休場に関して私はずっと擁護してきましたが、さすがに鶴竜関に関しては厳しいと思っていたところ、場所中に鶴竜関は引退を表明しました。親方として鶴竜を襲名するとのことで、まだ親方株を取得していないのでしょうか。鶴竜関は優れた親方になりそうですし、鶴竜関の前に引退した横綱7人のうち5人が定年よりもずっと前に相撲協会から離れていることもありますから、鶴竜関には親方株を取得してもらい、長く後進の指導に当たってもらいたいものです。白鵬関は来場所も休場して七月場所で進退をかけるそうですが、膝の状態がかなり悪そうなので、このまま引退することになりそうです。白鵬関はこれだけの実績を残しているので、一代年寄を認められるべきだと思いますが、もし認められないようならば、これを機に一代年寄制を廃止すべきでしょう。

 横綱不在で今場所も混戦となり、千秋楽を迎えた時点で4敗の力士にも優勝の可能性が残されているくらいでした。優勝争いを引っ張っていた高安関が13日目・14日目と連敗して後退したところは、兄弟子の稀勢の里関の勝負弱さを想起させました(2012年夏場所)。14日目を高安関とともに3敗で迎えた照ノ富士関は14日目に朝乃山関に勝ち、単独首位で千秋楽を迎えました。まず、4敗の碧山関と高安関が対戦し、高安関は硬くなっていたのか、はたき込みで敗れ、10勝5敗で優勝争いから脱落しました。高安関は、あるいは終盤にどこか痛めたのでしょうか。照ノ富士関は貴景勝関に一度は押し込まれながら逆襲して押し出して勝ち、12勝3敗で3回目の優勝を果たしました。

 照ノ富士関は大関復帰を確実にしました。序二段まで陥落しながら大関に復帰したのは見事です。白鵬関はこのまま引退しそうですから、現時点では照ノ富士関が最強と言えるかもしれません。しかし照ノ富士関は、大関から陥落する原因となった大怪我の前よりも心技の面では成長が見られますが、やはり体の面では膝の状態が悪いので、横綱に昇進するのは難しそうですし、仮に昇進できたとしても、満足な成績を残せず短命に終わりそうです。そもそも、照ノ富士関は今年(2021年)11月には30歳になりますから、大関の地位を長く維持することも容易ではないでしょう。

 高安関は最近復調してきたように見えたので、横綱不在の中、今場所最後まで優勝を争ったことは意外ではありませんでした。ただ、高安関も全盛期より力が落ちていることは否定できず、両横綱の衰えと若手の伸び悩みにより、また優勝争いができるようになった、と私は考えています。外国出身力士も幕内上位にいますが、少子高齢化が進む中、やはり圧倒的多数を占める日本出身力士の素質が以前よりも低いことは否めないので、全体的な水準が以前より下がっていると考えるべきなのでしょう。高安関の「復調」や照ノ富士関の大関復帰も、そうした文脈で解釈すべきだと思います。

 7勝8敗と負け越した正代関は不安定で今年11月には30歳になりますし、何とか二桁勝った朝乃山関は出稽古禁止で伸び悩んでいるところがあり、貴景勝関は押し相撲で不安定ですから、間もなく迎えるだろう横綱不在は長期化しそうです。貴景勝関は減量について色々と言われましたが、押し切れないところが見られたので圧力は減少したかもしれないものの、動きは良くなって総合的には正解だったと言えそうです。白鵬関の引退がいよいよ近づき、不安はありますが、横綱不在とはいっても、毎場所混戦の優勝争いも面白いものですから、悲観要素だけでもないとは思います。仮に以前よりも八百長が激減しているとしたら、横綱に昇進するにはそれこそ全盛期の白鵬関くらい力量が抜けていないと難しいので、今後は横綱不在が当たり前のように思えてくるのかもしれません。

アジア南東部現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響

 アジア南東部現代人におけるデニソワ人(Denisovan)の遺伝的影響に関する研究(Teixeira et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。デニソワ人は、現生人類(Homo sapiens)およびネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との遺伝的関係で、現生人類よりもネアンデルタール人に近い種区分未定のホモ属分類群です(関連記事)。ただ、母系遺伝となるミトコンドリアDNA(mtDNA)と父系遺伝となるY染色体では、(後期)ネアンデルタール人はデニソワ人よりも現代人の方と近縁です(関連記事)。

 アジア南東部島嶼部(ISEA)には、更新世を通じての独特で多様な人類の化石記録があります(関連記事)。ジャワ島は、アフリカ外の拡散に成功した最初の人類種であるホモ・エレクトス(Homo erectus)の範囲の南東部を示しており(本論文はこのような認識を提示しますが、エレクトスよりも前にユーラシア東部まで拡散した人類が散在した可能性も指摘されています)、エレクトスは149万年前頃(関連記事)から117000~108000年前頃(関連記事)までジャワ島に存在しました。

 少なくとも2つの追加の固有種が更新世においてISEAに生息しており、5万年頃前後(関連記事1および関連記事2および関連記事3)の現生人類の到来まで生存していた可能性が高そうです。その固有種とは、インドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)と(関連記事)、ルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)です(関連記事)。これら2種の相互および他の人類との系統発生的関係には、依然として議論の余地があります。最近の解釈では、フロレシエンシスはエレクトスの近縁種か(関連記事)、アフリカからの別の拡散事象でISEAに独立した到達したホモ属のより古代型種を表している(関連記事)、と提案されています。ルゾネンシスの現在の分類も不確かです。ルゾネンシスの利用可能な標本は、アウストラロピテクス属やアジアのエレクトスやフロレシエンシスや現生人類などさまざまな人類の分類群と、特定の形態的特徴で類似性を共有しています(関連記事)。

 現代人のゲノムに保存されている遺伝的証拠からは、追加の1つの人類集団がおそらくは現生人類到来時期のISEAに生息していた、と示唆されます。ISEAやニューギニアやオーストラリアに住む現代人集団は、デニソワ人からのかなりの遺伝的祖先系統を有しています。デニソワ人はネアンデルタール人の姉妹系統で、その化石記録は、シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)からの数個の骨格断片(関連記事1および関連記事2)と、チベット高原で発見された16万年前頃の下顎(関連記事)に限定されており、チベット高原では洞窟堆積物からデニソワ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が分析されました(関連記事)。この地理的に限定された化石記録にも関わらず、現代人集団におけるデニソワ人の祖先系統のパターンから、現生人類到来時のISEA全域にデニソワ人が存在したかもしれない、と示唆されます(関連記事)。

 人口統計学的および古代型祖先系統の推論に固有の複雑さにより、現生人類とデニソワ人との間の遭遇の正確な回数と地理的位置を推測することは困難ですが、現代人集団におけるデニソワ人との混合の複数の異なる波動(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)からは、デニソワ人はおそらく5万年前頃までにウォレス線の東のいくつかの島々に居住するようになった、と示唆されます。20万~10万年前頃のスラウェシ島の石器も(関連記事)、デニソワ人がウォレス線の東側に存在した可能性を示唆しますが、ISEAにおけるデニソワ人の直接的な化石証拠は、これまで目立ったものがありません。

 ISEAにおけるデニソワ人の化石記録の欠如と、ISEAでの現生人類とデニソワ人の混合事象を示唆する遺伝的証拠の増加との間の不一致は、人類の先史時代における重要な未解決の問題を提起します。この問題に関する簡潔な解決は、ルゾネンシスおよび/もしくはフロレシエンシスが、ISEAの現代人のゲノムにおけるデニソワ人祖先系統の起源である、というものです。しかし、ルゾネンシスやフロレシエンシスといったISEAの絶滅人類種の現生人類への遺伝的寄与は、アルタイ地域やチベット高原のデニソワ人のいくつかの確認された標本と容易に一致しません(関連記事1および関連記事2)。

 さらに、形態学および考古学的データからは、フロレシエンシスとルゾネンシスは両方、ISEAにおける広範な歴史を有しており、それはデニソワ人の推定出現年代に先行する、と示唆されます(関連記事)。したがって、フロレシエンシスとルゾネンシスは、それぞれの島環境で進化した2つの異なる超古代型人類として解釈されます。他の可能性がある混合の起源はインドネシアのエレクトスですが、その最終出現年代が117000~108000年前頃(関連記事)なので除外されます。したがって、ISEAにおけるデニソワ人から現代人のゲノムへの遺伝子移入の(複数の)起源は、理解しにくいままです。

 あるいは、現生人類のISEA到来まで、ISEAではフロレシエンシスとルゾネンシスが存在していたかもしれず、両者もISEAの現代人集団の祖先と混合した、という可能性があります。超古代型人類との混合の痕跡がアルタイ山脈のデニソワ人で検出されており(関連記事)、それはアンダマン諸島現代人集団でも検出される可能性があることから、超古代型人類とより派生的な人類種との間の交雑が以前に起きて子孫を残した、と示唆されます。そのような交雑事象が現生人類とISEA固有の人類との間に起きたならば、この混合の証拠はISEAの現代人集団のゲノムではまだ検出されていないかもしれず、ISEAにおける1つもしくは複数の超古代型人類種の過去の存在を間接的に確認するでしょう。


●手法

 この問題に対処し、ISEAの先史時代へのさらなる洞察を提供するため、現代人のゲノムにおける遺伝子移入された超古代型人類の領域に関して、これまでで最も包括的な調査が実行されました。フロレシエンシスやルゾネンシスや他の仮定的な後期生存超古代型人類種のような、古代型人類からの遺伝子移入と一致するゲノム痕跡に関して、パプアとISEAの人口集団からの214個体を含む世界中の現代人計426個体のゲノムが調査されました。遺伝子移入された超古代型人類のDNAの領域を検出するため、本論文で「HMMarchaic」と呼ばれる隠れマルコフモデル(HMM)検出手法と、ChromoPainter(CP)と、HMMとを含めることにより、以前の研究(関連記事)で用いられた分析経路が拡張されました。

 重要なことに、HMMarchaicは遺伝子移入されたDNAの検出を導く参照ゲノムを必要としない点でCPおよびHMMと異なり、ゲノム情報が現時点で存在しない超古代型人類集団からのDNAの識別に適しています。したがって、426個体全員のゲノムでの3通りの検出手法の実行と、CPおよび/もしくはHMMにより予測されるネアンデルタール人およびデニソワ人とまったく重ならない領域の保持により、推定される遺伝子移入された超古代型人類の領域を区別できます。結果として生じる一連の推定上の超古代型人類の配列は、残留古代型領域と呼ばれます。重要なのは、ISEAにおける超古代型人類の祖先系統のパターンにとくに焦点を当てるため、本論文の戦略がアフリカ人口集団と非アフリカ人口集団との間で共有される遺伝的変異を意図的に除外することです。したがって、ホモ・ナレディ(Homo naledi)といった(関連記事)、アフリカの現生人類と関わるあらゆる超古代型人類との混合は、本論文の結果から除外されるでしょう。


●現生人類における超古代型人類からの遺伝子移入の証拠はありません

 ネアンデルタール人およびデニソワ人の遺伝子移入された区域に重なるHMMarchaic遺伝子移入領域をフィルタリングすると、個体あたり1250万塩基対の残留古代型配列が識別されました。これが、超古代型人類から遺伝子移入されたと推定される領域です(図1a)。検出された残留古代型配列の量は、世界規模の人口集団全体で一致しており、ISEA東部(1500万塩基対)とパプアおよびオーストラリアの人口集団(1800万塩基対)でわずかに高い量になっています。

 以前の結果と一致して、ISEAとパプアとオーストラリア(先住民)の人口集団は、デニソワ人祖先系統の最大量(パプア人とオーストラリア先住民のゲノムでは6000万塩基対に達します)を有しており、それが意味するのは、パプアやオーストラリア先住民の人口集団が、分析された全人口集団で観察された古代型祖先系統の合計と比較して、残留古代型配列の割合が最も低い、ということです。本論文の結果から、超古代型人類の祖先系統は、アフリカ外の現代人集団のゲノム祖先系統の、少量の可能性があるものの一貫した量を含むかもしれない、と示唆されます。

 しかし、現代人集団における広範な超古代型人類との混合の証拠は現在欠如しており、この世界的な残留古代型兆候は、手法的な人口産物か、出アフリカ移住に先行する現生人類集団における古代の遺伝的兆候か、不完全な系統分類もしくは平衡選択の結果として生じる、本論文のアフリカ人参照標本では検出されない高度に分岐した現生人類由来の配列の分離である可能性がより高そうです。同様に、パプアとオーストラリア先住民人口集団で観察される残留古代型配列の追加の250万~500万塩基対は、パプアとオーストラリアにおける少量ではあるものの意味のある超古代型人類の祖先系統を表しているかもしれませんが、代わりに、デニソワ人の断片もしくは一部の他の手法的人口産物を検出する、統計的手法の能力における人口集団内多様性を単純に反映しているかもしれません。

 残留古代型領域が本当に遺伝子移入された超古代型人類のDNAなのかどうかさらに区別するために、残留古代型領域内の遺伝子移入された超古代型人類のDNAに特徴的な、遺伝的に異なる変異モチーフ(一定の機能を有すると予測される特徴的な共通の配列や構造、アレル状態)の調査により、一致した痕跡が検索されました。具体的には、残留古代型領域における各ヌクレオチド位置について、検証個体(X)、デニソワ人(D)、ネアンデルタール人(N)、非アフリカ系個体(H)のアレル状態が特徴づけられました。これにより、X・D・N・H形式の一連の変異モチーフが得られ、タイプ1000と0111は超古代型人類からの遺伝子移入の兆候を示している可能性があります。各個体における全ての残留古代型領域のこれら変異モチーフを列挙した後、一般化線形モデルを用いて、モチーフの割合が人口集団特有の違いを示すのか、また切片のみで構成される帰無モデルを有する完全なモデルを対比させることによりP値を計算するのかどうか、検証されました。

 線形モデルで仮定されたように、多項ロジスティック回帰モデルを用いず、線形モデルを考慮した場合、人口集団間で変異モチーフは有意に異なりました(図1b)。しかし、これらの違いはひじょうに微妙で、既知の古代型祖先系統と強く相関しており、交絡効果の存在と一致します(図1c)。たとえば、パプア人のゲノムは他の人口集団と比較して1000モチーフのわずかに高い割合(2%未満)を示しますが(図1b)、個体間変動も高く、超古代型人類の遺伝子移入のシナリオでも予測される、人口集団における0111モチーフの割合での類似の増加は観察されません。

 全モチーフ数の違いを正確に説明することは重要ですが、あり得る説明は、祖先的もしくは派生的で複雑な人口史や、フィルタリング段階で除去されなかった残留古代型領域の中でのネアンデルタール人とデニソワ人の古代型兆候の持続のような、アレル(対立遺伝子)の誤分類を含んでいることです。たとえば、パプア人とオーストラリア先住民で観察される250万~500万塩基対の余分な残留古代型配列は、アルタイ山脈のデニソワ人のゲノムとはひじょうに分岐しているデニソワ人的起源からのかなりのより多くの遺伝子移入を有する、これら人口集団に起因しているかもしれません(関連記事)。

 この結果、より分岐した領域の一部は、参照配列のないHMMarchaic走査では検出されるものの、参照ゲノム配列に依存する2つの手法(CPとHMM)では検出されない可能性があります。じっさい、デニソワ人とネアンデルタール人の祖先系統は全人口集団で1000モチーフの割合と正の相関がありますが、0111モチーフの割合とは負の相関があり、これらモチーフの割合における違いは、残留古代型領域内の割り当てられていないネアンデルタール人とデニソワ人の祖先系統により引き起こされた、と強く示唆されます。以下、本論文の図1です。
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●デニソワ人からの超古代型人類のDNAの間接的遺伝子移入

 最近の研究では、現代人は遺伝子移入されたデニソワ人の配列に含まれている超古代型人類の祖先系統(デニソワ人と未知の超古代型人類との間の古代の混合事象に由来します)の痕跡(400万塩基対)を有する、と報告されました(関連記事)。重要なことに、これらの間接的に遺伝子移入された超古代型人類のゲノム断片の大半は、本論文でも検出されました(回収された各遺伝子移入された領域の配列の長さの100%で)。これらのほとんどは、本論文における推定される超古代型人類の領域にも含まれていました。同様の結果は、HMMarchaicと、予測されたネアンデルタール人の遺伝子移入された領域内の超古代型人類断片を有する残留古代型領域との比較で得られました。


●合着シミュレーションは経験的観察を裏づけます

 本論文の分析経路による間接的に遺伝子移入された超古代型人類断片の正確な回復から、低水準の直接的に遺伝子移入された超古代型人類祖先系統がもし存在するならば、検出するのに充分に強力である、と示唆されます。それにも関わらず、現代人への超古代型人類からの遺伝子移入の証拠の欠如が統計的能力の欠如に起因する可能性を除外するため、合着(合祖)ソフトウェアmsprimeを用いて、オーストラリア先住民とパプア人の歴史が経験的に情報に基づいた人口統計学的モデル下でシミュレートされました。これらのシミュレーションには、オーストラリア先住民とパプア人の共通祖先人口集団における超古代型人類の異なる量(2%、1%、0.1%、0%)を有する、別々のネアンデルタール人およびデニソワ人との混合事象が含まれています。次に、完全な分析経路をこれらシミュレートされたゲノムデータセットに適用し、超古代型人類の領域が検出され、さまざまな水準の超古代型人類からの遺伝子移入の能力と誤検出率が定量化されました。

 本論文のシミュレーション結果から、HMMarchaicは超古代型人類の祖先系統を確かに検出できる、と示されました。真陽性率(TPR)は、0.1%と2%の超古代型人類祖先系統を有するモデルで50~90%の範囲です。一方、偽陽性率は極端に低い割合を維持します。0.1%と0%の超古代型人類からの遺伝子移入モデルにおける個体あたりで検出された残留古代型配列の量(2000万塩基対、図2a)は、パプア人とオーストラリア先住民の経験的データで観察された量と著しく近くなっています(1800万塩基対、図1a)。これらのモデルに関しては、残留古代型兆候の大半は、CPとHMMでは検出されなかった、ネアンデルタール人とデニソワ人からの遺伝子移入に由来します。対照的に、1%と2%の超古代型人類からの遺伝子移入モデルは、経験的推定よりも個体あたり少なくとも2倍以上の残留古代型配列を検出し(それぞれ3300万塩基対と4700万塩基対)、それはおもに超古代型人類の領域の数で膨張により引き起こされました。興味深いことに、HMMarchaicを用いてのネアンデルタール人とデニソワ人の領域を検出する能力は、増加する超古代型人類の祖先系統の量により負の影響を受けます。それは、この手法の能力が、遺伝子移入された古代型人口集団と外群の現生人類人口集団との間の分岐に比例しているからです。

 同様に、0.1%と0%の超古代型人類からの遺伝子移入モデルで観察された変異モチーフは、超古代型人類からの遺伝子移入の高水準を提供するよりも、経験的データへの密接な適合を提供します。たとえば、1000変異モチーフと0111変異モチーフは経験的データではそれぞれ27%と6%なのに対して、0.1%モデルでは26%と6.5%で、0%モデルでは22.5%と4%です。本論文の経験的観察への0%モデルと0.1モデルの密接な適合は、非アフリカ系現代人のゲノムへの遺伝子移入された超古代型人類からの配列がほとんどないか、皆無であることへの強い裏づけを提供します。以下、本論文の図2です。
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●考察

 ネアンデルタール人および/もしくはデニソワ人との過去の混合を経由して間接的に継承されたわずかな水準を超えての、非アフリカ系現代人のゲノムにおけるあらゆる検出可能な超古代型人類の欠如は、現代ISEA人口集団の祖先とデニソワ人との混合の強い証拠とは完全に対照的です(関連記事1および関連記事2)。超古代型人類集団の子孫としてのルゾネンシスおよびフロレシエンシスの現在の古人類学的解釈に基づくと、本論文の結果は、ルゾネンシスやフロレシエンシスと現生人類との間の交雑は起きなかった、と示唆します。しかし、ルゾネンシスやフロレシエンシスと現生人類との遭遇が、生存可能な子孫を生み出せなかったか、子孫が生存できたとしても、これらの系統がその後絶滅したならば、交雑が起きた可能性を完全には否定できません。アルタイ山脈のデニソワ人と(関連記事)、おそらくはアンダマン諸島人口集団の祖先への超古代型人類の遺伝子移入の証拠から、生存可能な繁殖がじっさいにあり得たかもしれないものの、これらの仮説のさらなる評価は、利用可能なデータを考慮すると、現時点では不可能です。

 代替的な説明は、ルゾネンシスとフロレシエンシスは現在受け入れられているよりも現生人類との分岐がずっと遅い人類クレード(単系統群)で、ISEA全域のデニソワ人的系統のより早期の分岐の子孫で、かなり後期まで生存していた、というものです。これは、フローレス島の100万年以上前(関連記事)およびルソン島の70万年前頃(関連記事)の人類の存在は継続的ではなく、ISEA全域に遍在するデニソワ人祖先系統はルゾネンシスとフロレシエンシスの一方もしくは両方から生じた、と示唆します。じっさい、ISEA全域のデニソワ人祖先系統のパターンは、ルゾネンシスの存在したフィリピンと、可能性がある候補地としてフロレシエンシスの存在したフローレス島(関連記事1および関連記事2)での、別々のデニソワ人からの遺伝子移入事象と一致します。さらに、フロレシエンシスとルゾネンシスの顕著な小型化と固有の島での進化の長期化は、その形態とあり得る系統発生関係の複雑な評価を有している可能性があります。この説明は、「南放デニソワ人」の独自性への簡潔な答えを提供するでしょうが、考古学および化石データの解釈に基づく現在の総意とは一致しません(関連記事)。

 これらの問題の解決において大きな混乱は、デニソワ人化石記録の少なさで、現時点では、指骨1個、下顎1個、いくつかの歯と一部の頭蓋断片だけで、意味のある形態学的比較がひじょうに困難です。さらなる研究のための有望な地域にはスラウェシ島が含まれ、そこでの石器記録は、デニソワ人の居住の可能性がある20万~10万年前頃と一致します(関連記事)。興味深いことに、スラウェシ島は、固有の小型スイギュウ(Bubalus spp.)やスラウェシ島イボイノシシ(Sus celebensis)や野生イノシシ科種(Babirusa spp.)が生息しており、それらは完新世まで生存したと知られているウォレス線の東側の数少ない大型動物種です。ISEA東部の大型動物相生存のパターンは、現生人類以前の人類の既知の居住地域と一致しており、フローレス島やその周辺のコモドドラゴン(Varanus komodoensis)、オセアニアフィリピン諸島の現存するミンドロスイギュウ(Bubalus mindorensis)、ブタ(Sus spp.)、ルサジカ属種(Rusa spp.)が含まれます(図3)。このパターンは、古代型人類によるあり得る狩猟圧力への長期暴露が、その後の現生人類と接触における大型動物種の生存を促進した可能性がある、と示唆します。したがって、そのような島々は、理解しにくい「南方」デニソワ人の証拠を回収するための、将来の研究努力の要望な候補地です。別の興味深いものの低そうな可能性はオーストラリアで、北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡では65000年前頃の人工物が発見されており(関連記事)、デニソワ人の存在と関連していたかもしれません。以下、本論文の図3です。
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 明らかに、ISEAにおける人類の先史時代のさらなる解決は、ISEAにおけるデニソワ人の存在の直接的な化石および考古学的証拠から大いに恩恵を受けるでしょうし、DNAが回収できない系統発生関係の解決に役立つのは、プロテオーム解析かもしれません。それにも関わらず、現在の化石および考古学的記録は、ISEA全域の遺伝的証拠の増加とともに、ウォレス線の東側の古代型人類の広範な存在を示し、ISEAに到来した最初の現生人類集団が、どのような経路でサフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島は陸続きでした)に拡散したとしても、恐らくさまざまな人類集団と遭遇しただろう、と示唆されます。これは、ISEAとニューギニアとオーストラリアの現代人集団で見られるデニソワ人祖先系統のほとんどがその地で得られた可能性を示唆し、将来にはこの充分には研究されていな地域全体でより多くの考古学的および遺伝学的研究が必要になる、と強調します。


参考文献:
Teixeira JC. et al.(2021): Widespread Denisovan ancestry in Island Southeast Asia but no evidence of substantial super-archaic hominin admixture. Nature Ecology & Evolution, 5, 5, 616–624.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01408-0