イタリア半島における銅器時代~青銅器時代の人類集団の遺伝的構造の変化

 イタリア半島における銅器時代~青銅器時代の人類集団の遺伝的構造の変化に関する研究(Saupe et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。イタリアの銅器時代(紀元前3600~紀元前2200年頃)は新石器時代(紀元前7000~紀元前3600年頃)と青銅器時代(紀元前2200~紀元前900年頃)の間となり、さまざまな金属資源の新たな道具の開発により特徴づけられ、集団的から個人的なものへの移行、個人的な威信を示す副葬品といった埋葬慣行など、大きな文化的変化に続きました。

 古代DNA研究は、狩猟採集から農耕など、物質文化の変化と一致する人口集団の遺伝的特性における大きな変化の発生を浮き彫りにしてきました(関連記事1および関連記事2)。銅器時代(CA)から青銅器時代(BA)の移行期の初めとなる5000年前頃、ユーラシア草原地帯の人々がヨーロッパに到来し、在来人口集団とさらに混合しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。これらの事象はヨーロッパのほとんどで広く研究されてきており(関連記事1および関連記事2)、イタリア半島(関連記事)やサルデーニャ島(関連記事)やシチリア島(関連記事)の古代ゲノムに関しては多くの研究がありますが、イタリア半島における銅器時代と前期青銅器時代の人口動態はまだよく特徴づけられていません。

 以前の研究では、紀元前2300年頃以後にイタリア北部とシチリア島に草原地帯関連祖先系統構成要素が到来した、と示されていますが、紀元前1900~紀元前900年頃の年代的間隙が存在し、イタリア中央部における草原地帯関連祖先系統の到来についてはほとんど知られていません。さらに、利用可能なデータは、紀元前900年以後のサルデーニャ島で検出されたイラン新石器時代関連構成要素を示しますが(関連記事1および関連記事2)、コーカサス狩猟採集民(CHG)およびイラン新石器時代農耕民との類似性が、イタリア中央部新石器時代個体群(関連記事)と中期青銅器時代シチリア島個体群(関連記事)に存在し、その割合は現代イタリア人より低くいと示されています(関連記事)。

 しかし、シチリア島における青銅器時代個体群のCHGとの類似性はf4統計により裏づけられるものの、新石器時代個体群のCHG流入の証拠はさほど堅牢ではありません。さらに、いくつかの例外を除いて(関連記事1および関連記事2)、以前の調査は、これらの事象と関連する社会動態(たとえば、先史時代社会における親族関係構造の評価)に焦点を当てる問題を犠牲にして、おもに祖先的関係の説明もしくは人口集団の移動と混合の推測に焦点を当ててきました。

 古代DNAは、過去の社会的構造と繁殖行動の推測に役立ちます。ヨーロッパの新石器時代(N)では、いくつかの研究で父系社会組織の広範な文化的つながり(関連記事)が、また青銅器時代への移行期には、大規模で性的に偏った移住(関連記事)や、父方居住と女性族外婚(関連記事1および関連記事2)や、文化拡散と移住の影響が検出されています(関連記事)。これらの変化の社会的影響はまだ議論されていますが、文化的変化は適応に影響を及ぼす可能性があり、たとえば、技術の変化は食性の変化につながり、代謝遺伝子への選択圧につながります。

 これまで、銅器時代から青銅器時代の移行期におけるイタリア中央部の社会的構造や、文化的慣行の変化(親族関係や父方居住や族外婚)の変化が草原地帯関連祖先系統到来と相関しているのかどうか、まだ調べられていません。これは、イタリア銅器時代には多種多様な埋葬慣行が存在するものの、それらが多くの場合、混合された遺骸の集団埋葬により特徴づけられる、という事実に部分的に起因するかもしれません。これにより、埋葬集団の人類学的分析および親族関係と社会的構造に関する解釈が困難になりました。しかし、高処理能力古代DNA配列により、多数の骨格遺骸の遺伝的検査と、関節離断した遺骸からの個体の復元が可能になりました。

 ヨーロッパ大陸部の人口史理解の再形成に加えて、ヨーロッパの古代ゲノムの分析は、ヨーロッパにける表現型形質の選択の時間的深さに関する仮説に疑問を呈しています。たとえば、古代DNA研究では、ヨーロッパの中石器時代狩猟採集民は濃い肌の色と青い目の色を有していた(現在では稀な組み合わせです)可能性があり(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、肌の色素沈着の選択が過去5000年に起きた、と明らかにしてきました。他の最近の研究では、脂肪酸代謝およびデンプン消化と関連する遺伝子内の選択は、農耕移行期に起きたのではなく、ヨーロッパへの草原地帯関連祖先系統の到来に続く紀元前2000年頃に始まり、草原地帯関連祖先系統構成要素自体が動因だったかもしれない、と示唆されています。

 もう一つの未解決の問題は、ヒトゲノムの形成における病原体の役割で、古代DNAを用いて調査が始まりつつあります。一つの特定の病原体であるハンセン病は、青銅器時代の地中海で古病理学的証拠が最初に見られ、紀元前300年頃までにイタリア中央部および北東部での症例が指摘されています。ハンセン病は後にローマの軍事行動により拡大し、ヨーロッパでは中世前期に増加した可能性がありますが、紀元後15世紀までには減少し、この減少におけるヒトの遺伝的適応の役割は不明です。最近古代DNA研究で発見されたものも含めて(関連記事)、感染の発現と進行に関連する遺伝子座は多く存在します。本論文は古代DNAを用いて、イタリア北東部および中央部の銅器時代と青銅器時代の移行以前およびその期間を通じての祖先系統構成要素の多様性と、草原地帯関連祖先系統の変化が推定される社会的構造および/もしくは表現型特性の変化と相関しているのかどうか、調査します。


●資料

 新たに得られたイタリアの古代DNAデータは、ネクロポリス(巨大墓地)のガットリーノ(Necropoli di Gattolino)と、3ヶ所の洞窟から得られました。3ヶ所の洞窟とは、北東部のブロイオン洞窟(Grottina dei Covoloni del Broion)、中央部のラサッサ洞窟(Grotta La Sassa)とマルゲリータ洞窟(Grotta Regina Margherita)です(図1A)。合計で22個体の古代DNAデータが得られました。内訳は、ブロイオン洞窟が銅器時代(CA)4個体と前期青銅器時代(EBA)2個体と青銅器時代(BA)5個体の計11個体、ガットリーノ洞窟が銅器時代4個体、マルゲリータ洞窟が青銅器時代3個体、ラサッサ洞窟が銅器時代4個体です。これらの平均網羅率は0.0016~1.24倍です。

 これら22個体の年代は、ヒト遺骸と共伴した土器破片や金属器などの考古学的証拠と、22個体のうち12個体の直接的な放射性炭素年代に基づいています(図1B)。直接的な放射性炭素年代のない10個体のうち、個体BRC013の年代は、1親等(おそらくは兄弟)の直接的に放射性炭素年代測定された個体(BRC022)に、女性の平均的な繁殖期間(30年)を組み合わせて推測できます。しかし、他の9個体に関しては、考古学的情報と遺伝学的情報の両方を考慮して、最も節約的な区分に割り当てられました。以下は本論文の図1です。
画像


●新石器時代から鉄器時代のイタリアの遺伝的構造

 イタリアの銅器時代と青銅器時代の個体群を他の古代および現代のヨーロッパ人口集団と比較するため、主成分分析が実行され、古代の標本群がユーラシア現代人1471個体の遺伝的多様性に投影されました(図2A)。新たに生成された標本は、2つの主要なクラスタに分散しています。それは、青い円のヨーロッパ新石器時代(EN)と、赤い円の新石器時代後(PN)です、前者は、ラサッサCA(銅器時代)とガットリーノCAとブロイオンCAを含み、後者はマルゲリータとブロイオンの前期青銅器時代(EBA)および青銅器時代(BA)標本を含みます。

 興味深いことに、文献から利用可能な新石器時代と銅器時代と青銅器時代のイタリアの標本のほとんどはENクラスタ内に収まりますが、PNクラスタはほぼ鉄器時代(IA)標本群が中心で、既知の何点かのBA個体を含みます。これは、現時点で利用可能なイタリアBA標本群のほとんどがサルデーニャ島とシチリア島に由来し、この2島では草原地帯関連祖先系統構成要素の減少が報告されてきた、という事実と一致します(関連記事1および関連記事2)。これはDyStruct分析により確認され(図2B)、銅器時代から青銅器時代のサルデーニャ島とシチリア島の個体群における高いアナトリア半島新石器時代(N)構成要素も示します。

 ENクラスタ内の分離(図2A)は明確に、アナトリア半島およびヨーロッパ東部新石器時代個体群(右側)をヨーロッパ西部新石器時代個体群と区別し、それはドイツ西部の標本群(左側に位置し、ヨーロッパ西部狩猟採集民により近く位置します)として定義されます。類似の分離はすでにこれの標本群におけるヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の割合の違いとして報告されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。ただ、本論文で新たに提示される銅器時代個体群のほとんどは、両クラスタの右側(アナトリア半島およびヨーロッパ東部)に位置することに注意が必要です。

 f4統計(ムブティ人、イタリア中石器時代、サルデーニャ島新石器時代、X)により、イタリアの銅器時代標本群とWHGとの間の類似性がさらに調べられました。XはイタリアN(新石器時代)、ラサッサCA、がCA、ブロイオンCAのいずれかです。負のZ得点は、イタリア中央部中石器時代標本が、イタリア半島銅器時代標本よりもサルデーニャ島Nとより多く共有することを示唆します。同時に、f4統計(ムブティ人、アナトリアN、サルデーニャ島N、X)では、ガットリーノCAとの比較のみで有意な負の値が得られ、ENクラスタの両方の間もしくはEN構成要素内の構造間のWHGとアナトリアNの構成要素における不均衡が、本論文の結果を説明できるかもしれない、と示唆されます。

 しかし、f3(ムブティ人、イタリアCA、Y)では、イタリアCAは全てイタリア半島の銅器時代標本で、YはENクラスタとなりますが、主成分分析の観察を識別する能力がないかもしれないことに、注意が必要です。いくつかの研究では、新石器時代に始まるジョージア(グルジア)およびイランの狩猟採集民と関連する集団からの影響が検出されてきましたが(関連記事)、f4(ムブティ人、ジョージアKotias、サルデーニャ島N、X)は、青銅器時代前のイタリア集団のどれとも有意ではありません。

 qpWaveとqpAdmの枠組みを用いて、新石器時代・銅器時代と青銅器時代との間の境界における連続性の可能性が評価されました。2つの推定起源集団を用いると、本論文におけるイタリア北部および中央部の全ての対象とされた青銅器時代集団は、銅器時代的個体群が草原地帯関連祖先系統からの遺伝的寄与を受け、それはおそらく、ドイツの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団、フランスの中期新石器時代集団、イタリアの銅器時代集団など、北方の後期新石器時代・銅器時代集団を通じてだった、というシナリオが支持されます。選択されたユーラシアの中石器時代から鉄器時代にいたる古代人と現代人のモデルベースクラスタ化分析(DyStruct、図2B)とADMIXTURE分析は、サルデーニャ島およびシチリア島個体群との主要な違いとして、イタリア半島の青銅器時代個体群における草原地帯関連祖先系統構成要素の存在を示し、主成分分析におけるPNとEN間の個体群の分布を説明します(図2A)。以下は本論文の図2です。
画像

 これがf4(ムブティ人、ヤムナヤKalmykia、X、アナトリアN)で検証されました(図2C)。Xはイタリアの中石器時代後の標本(少なくとも5000ヶ所の一塩基多型が利用可能な標本のみ)で、検証の結果、草原地帯関連祖先系統構成要素の有意な濃縮のある個体群のみが、本論文で新たに生成されたEBAおよびBA個体群内と、既知の鐘状ビーカーもしくはイタリア鉄器時代個体群に含まれます。ヨーロッパにおける他の銅器時代から青銅器時代への移行について以前に報告された研究とは対照的に、外群f3検定(イタリアCA・EBA・BA、古代人、ムブティ人)では、草原地帯関連祖先系統を有する人口集団はイタリアでは男性に偏った兆候を残さず、仮にその偏りがあったとしても、代わりに在来の新石器時代集団の寄与を通じて見られます。

 コピー類似性に基づく2つの直行性手法であるChromopainter/NNLSとSOURCEFINDを使用し、複数のf4の組み合わせの比較に基づいて、新たな状況が要約されました(図3)。新規標本に関しては、両方の手法はDyStruct(図2B)との全体的な一貫性を示し、ヨーロッパ狩猟採集民関連構成要素の新石器時代後の増加と、草原地帯関連祖先系統の到来を浮き彫りにし、例外は前期青銅器時代のサルデーニャ島です。さらに、イタリアN・CAについて報告されたアナトリアNとWHGの割合は、主成分分析で識別されたENクラスタ内の位置に関係なく類似しています。以下は本論文の図3です。
画像

 新たに生成された全標本でミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定され、Y染色体ハプログループ(YHg)は、Y染色体の網羅率が0.01倍以上の男性10個体で決定されました。以前に報告された草原地帯関連祖先系統とYHg-Rの同時拡大と一致して、イタリアBA男性4個体のうち3個体がYHg-R1で、そのうち2個体はYHg-R1bに分類できました。YHg-R1bは銅器時代の標本では見られません。イタリアのYHg-R1bの2個体はヨーロッパ西部現代人と、鐘状ビーカー文化の被葬者で一般的なYHg-R1b1a1b1a1a(L11)で、ロシアの草原地帯の古代人のゲノムで見られるYHg-R1b1a1b1b(Z2105)ではありませんでした。


●銅器時代と青銅器時代における構造と移動性

 本論文で新たに生成された標本が出土した遺跡は、単一埋葬のネクロポリスがガットリーノ洞窟(紀元前2874~紀元前2704年頃)のみの1ヶ所で、残りのブロイオンとラサッサとマルゲリータは混合埋葬洞窟です。本論文におけるラサッサ洞窟の標本は銅器時代(紀元前2850~紀元前2499年頃)のみで、マルゲリータ洞窟の標本は青銅器時代(紀元前1609~紀元前1515年頃)のみです。ブロイオン洞窟は、銅器時代(紀元前3335~紀元前2936年頃)と青銅器時代(紀元前1609~紀元前1515年頃)の両方の時代にまたがる唯一の遺跡です。

 遺跡の利用と違いが洞窟と墓地の埋葬の間にあるのかどうか、埋葬行動の変化は遺伝的祖先系統の変化と同時に起きたのかどうか、よりよく理解するために、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体で、母系と父系の系統多様性と移動性の情報が得られます)と遺伝的親族関係(家族構造の移動性の情報が得られます)とROH(runs of homozygosity)が分析されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。

 合計で銅器時代(12標本)と青銅器時代(10標本)の標本規模はほぼ等しく、男性と女性の総数は予測と異なりません。しかし、銅器時代の洞窟内における男女比は7:1で予測とは異なるものの、ブロイオン遺跡とマルゲリータ遺跡の青銅器時代層もしくはガットリーノ遺跡の銅器時代ネクロポリスにおける男女比は異なりません。これらの結果は、銅器時代の洞窟埋葬における男性へのわずかな偏りを示唆します。

 1親等および/もしくは2親等の遺伝的親族関係がこれら4遺跡内もしくは4遺跡間の個体群、あるいは新たに生成されたゲノムと既知の古代ゲノムデータセットとの間に存在するのかどうか識別するため、2つの手法が用いられました。まず、親族関係度の最初の決定のため、擬似半数体データのペアワイズミスマッチ推定が用いられました(READ)。新たに報告された古代ゲノムの全てを1集団として、遺跡および/もしくは年代(新石器時代および銅器時代と、青銅器時代)ごとに分けて解析すると、まとめ方に関わらず一貫した結果が得られました。

 親族の程度(たとえば1親等では、両親が同じキョウダイと親子関係)の関係タイプを区別するため、遺伝子型についてのPlink-1.959に実装されているIBD解析が用いられました。IBDとは同祖対立遺伝子(identity-by-descent)で、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存しており、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。遺伝子型はパイプラインを用いて決定され、親族関係が近い場合(1親等から2親等)には、両方の手法が一貫した結果を提供しました。なお英語圏では、キョウダイが1親等(日本語では2親等)、イトコが3親等(日本語では4親等)となります。

 検証された青銅器時代の7個体では、新たにゲノムが生成された遺跡間、もしくは既知のデータとも、親族関係が見つかりませんでした。しかし、標本規模が小さいので、これらの個体から一般的確実性のパターンを推測するさいには注意が喚起されます。銅器時代の12個体については、密接な親族関係がラサッサとブロイオンの両洞窟遺跡で検出され、全ての親族関係は男性間でした。ラサッサ遺跡では、男性2個体(LSC002/004とLSC011)が同じY染色体ハプロタイプを有しており、LSC011はYHg-J2a(M410)、LSC002/004はJ2a1a1b1(Z2397)に分類されます。一方、mtHgは異なっており、LSC002/004がH1bv1、LSC011がJ1c1です。両者は1親等の関係と推定され、IBD値の割合は親子関係と一致し、父子関係と示唆されます。放射性炭素年代測定の較正曲線の性質により、どちらが父親なのか、正確に推定することはできません。しかし、放射性炭素年代測定は、古代DNAから推測される両者の関連性を却下しません。ひじょうに低い網羅率のLSC007はLSC002/004と1親等の関係にあるようで、両者は同じmtHg-H1bv1を有しています。LSC007は、YHgの分類には網羅率が低すぎました。

 これらの個体と同年代の女性LSC005/013(mtHg-H1e5a)は、検出可能な密接な遺伝的親族関係を有さず、主成分分析では男性と離れてクラスタ化し、ラサッサ遺跡の標本抽出された歯では、他の歯の範囲外に位置するストロンチウム同位体値を示します。LSC005/013が遺伝的に他のラサッサ遺跡個体群よりも別の人口集団の方と類似しているのかどうか検証するため、f4(ムブティ人、LSC005/013、ラサッサCA、他の標本・人口集団)が実行されました。いくつかの同時代人口集団では0ではない正のZ得点がありますが、有意な閾値を超えるものはありません。証拠の要約から、LSC005/013は他のラサッサ遺跡個体群と同じ地域で育ったわけではないかもしれないものの、その遺伝的類似性の確定にはより高い網羅率のゲノムデータとより多くの包括的な標本が必要になる、と示唆されます。

 ブロイオン遺跡では、銅器時代と直接的に年代測定された全個体(BRC001とBRC013とBRC022)および/もしくはヨーロッパ新石器時代(EN)クラスタに分類される(図2A)個体(BRC011)は男性で、直接的に年代測定された3個体は全て1親等および2親等の関係を示します。直接的に年代測定された3個体はYHg-G2a(P15)を共有しており、下位区分もYHg-G2a2b2b1a1(F2291)で同じです。しかし、網羅率の違いのため、末端の分枝の遺伝子標識は3個体全てで得られませんでした。BRC013とBRC022はmtHg-H5a1を共有しており、1親等の関係ですが、mtHg-J2a1a1のBRC001/023はBRC013と2親等の関係にあるものの、BRC022との親族関係はありません。PI_HAT値はBRC013とBRC022の間の全兄弟(両親が同じ兄弟)としての1親等の関係と、BRC013とBRC022とBRC001/023の間の異なる2親等の関係を裏づけます。これらの値を考えると、最も節約的な想定は、BRC013とBRC022が兄弟で、BRC013はBRC001/023の祖父である、というもので、放射性炭素年代はこの想定を却下しません。

 新たにゲノムデータが得られた22個体のうち、N・N1・H・J・Kと多様なmtHgのうち、一致するのは2例のみでした。これは、ミトコンドリア水準での検出可能な構造の欠如を示唆しており、銅器時代と青銅器時代における、より大きな母系人口規模・族外婚および/もしくは父方居住親族構造と一致する可能性があります。この想定をさらに調べるため、古代および現代の人口集団におけるROHが分析されました(図4A~C)。これは、ハプロタイプ参照パネルを用いて、低網羅率ゲノムでROH断片を検出する方法です。網羅率の違いが統計的に偏らせてないことと(図4D)、帰属や配列のエラーがないことを確認しました。ゲノム断片の数と長さが、1.6 cM(センチモルガン)未満、1.6~4 cM 、4~8 cM 、8 cM 超の4区分で計算されました。本論文は1.6 cM以上の区分(4 cMや8 cMの区分も含まれます)に焦点を当てました。それは最近の親族関係に関する情報をもたらし、最も確実に推測できます。

 中石器時代後の古代人標本について1.6 cM超のROHの推定値は、現代イタリア人で得られた値の範囲内にあり、同水準の族内婚を示唆します(図4A・B)。しかし、イタリア新石器時代個体群と本論文で新たに報告されたイタリア青銅器時代個体群の1.6 cM超の断片の長さと1.6 cM超の断片の数との間には有意な違いがあり、青銅器時代のより大きな有効人口規模、もしくは在来の銅器時代人口集団との混合事象に続く追加の多様性の結果と一致します。ラサッサ遺跡内では、個体LSC002/4において1.6 cM超断片の合計の長さが最高となり、唯一8cM超の断片が検出されました。以下は本論文の図4です。
画像


●イタリア古代人の表現型特徴の変化

 経時的な祖先系統構成要素の変化が表現型の変化に対応しているのかどうか確定するため、本論文および以前の研究で提示された古代人標本における、代謝・免疫・色素沈着と関連する115個の表現型と関連する遺伝的標識が分類されました(関連記事1および関連記事2)。本論文で新たに提示された16個体と文献からの316個体の計332個体が分析されました。これらは、イタリア中石器時代3個体、イタリア新石器時代および銅器時代52個体、イタリア青銅器時代60個体、イタリア鉄器時代および現代133個体、近東新石器時代および銅器時代41個体、近東青銅器時代18個体、ヤムナヤ(Yamnaya)文化18個体に分類されます。

 3個体以上の標本規模の集団について、各人口集団におけるそれぞれの表現型多様体の有効アレル(対立遺伝子)の頻度が計算された後、アレル頻度における変化を分析するためANOVA検定が実行されました。異なる期間のイタリアおよび非イタリア集団両方の間と、イタリア内の集団間が比較され、イタリアの個体群は期間と地理的位置に基づいて12コホートに分類されました。両方の検定で、ボンフェローニ補正の適用により有意な閾値が設定され、テューキー検定を用いて有意な組み合わせが決定されました。

 イタリア集団を近東およびヤムナヤ文化人口集団と比較すると11個の多様体が有意で、イタリア内検定では8個が、両方の検定では4個が有意でした。標本規模が小さいため、これらの結果は注意して解釈する必要がありますが、いくつかの潜在的に興味深い結果が出現します。両方の検定で有意な多様体、つまりTLR1(rs5743618)、TNF(rs1800629)、HLA(rs3135388)、SLC45A2(rs16891982)については、兆候はほぼ完全に、ローマ共和政期イタリア中央部集団(Cen_postRep)により駆動されており、ローマ期と古代末期と中世の個体群を含みます。追加の草原地帯関連祖先系統にも関わらず、本論文のイタリア青銅器時代標本群とイタリア新石器時代・銅器時代集団との間に検出可能な違いはありません。

 本論文で浮き彫りになった4多様体のうち3個は、ハンセン病に対する保護と感受性に関連しています。HLA(ヒト白血球型抗原)関連多様体(rs3135388)は、デンマーク中世人口集団においてハンセン病の身体症状に対する感受性が示唆されており、青銅器時代後のイタリア人と新石器時代・銅器時代の近東人と青銅器時代イタリア人とヤムナヤ文化個体との間で有意に異なっていました。この検定におけるrs3135388の統計的有意性は、おそらくは鉄器時代以後のイタリア中央部人における保護的アレルの低頻度に起因します。腫瘍壊死因子関連のTNF遺伝子の多様体(rs1800629)も、保護的アレルの頻度が減少しているようです。両方の結果は、ヨーロッパの歴史的および考古学的記録におけるハンセン病の頻度上昇と一致しています。先天性免疫に関わるToll様受容体であるTLR1の多様体(rs5743618)は、アジア人口集団におけるハンセン病に対する保護と結核への感受性増加の両方と関連しており、他の方向での有意な結果を示し、ローマ共和政期イタリア中央部集団でのみより高頻度で引き起こされます。

 両方の検定で重要な4番目の多様体(SLC45A2遺伝子のrs16891982)は、髪と目の色素沈着に関係しています。身体的外見では、銅器時代および青銅器時代のイタリア集団は、イタリアと近東のより早期の集団よりも、鉄器時代および後のローマ期の集団と類似した表現型を有しています。イタリアの既知の中石器時代3個体は、肌と髪の色が濃く、目は青色と予測されていますが、他の標本のほとんどは、中間的な肌の色と茶色の髪と青い目が予測されています。しかし、濃い色もしくは茶色の髪と青い目の組み合わせの個体群も、イタリア中央部の新石器時代個体群を除く全ての期間で予測されます。より濃い色の目と髪に関連する多様体(rs16891982)は、青銅器時代後のイタリア集団とそれ以前のイタリア集団との間で有意な違いを示し、イタリア中央部における頻度低下は本論文で新たに報告された銅器時代個体群で始まり、同じく本論文で新たに報告された青銅器時代個体群と、ローマ共和政期後のイタリア中央部集団で最低の値が観察されます。この違いは、青銅器時代前の新石器時代イタリア中央部集団およびサルデーニャ島集団と比較してとくに顕著です。


●考察

 本論文で新たに報告されたゲノムは、ヨーロッパにおけるイタリア先史時代後期の人口動態のより詳細な説明を提供します。主成分分析で観察され、以前の研究(関連記事)で報告されている、ヨーロッパ前期新石器時代個体群の2集団への区分は、イタリア本土個体群からサルデーニャ島新石器時代個体群を分離し、サルデーニャ島新石器時代個体群がアナトリア半島新石器時代個体群およびWHGとより高い類似性を示しており、ヨーロッパ新石器時代構成要素内の人口集団構造の可能性を提起しますが、祖先系統における微妙な違いを解明するには、高網羅率の古代ゲノムを含むより詳細な分析が必要です。

 本論文の分析は、イタリア全域における草原地帯関連人口集団からの青銅器時代の頃および青銅器時代後の予測される兆候を示します。草原地帯関連祖先系統は、新石器時代および銅器時代のイタリア個体群には欠けており、イタリア前期青銅器時代の、鐘状ビーカー文化期の個体I2478(紀元前2195~紀元前1940年頃)と、レメデッロ(Remedello)遺跡の個体RISE486(紀元前2134~紀元前1773年頃)と、ブロイオン遺跡の個体BRC010(紀元前1952~紀元前1752年頃)に出現し、ブロイオン遺跡個体からマルゲリータ遺跡個体GCP003(紀元前1626~紀元前1497年頃)にかけて増加します。これらの標本群は、草原地帯関連祖先系統が、少なくとも紀元前2000年頃までにイタリア北部に到来したことと、その4世紀後までにイタリア中央部に存在したことを確認しますが、この拡大の動態を評価するには、より高密度の標本抽出戦略が必要です。

 本論文のqpAdmの結果から、草原地帯関連祖先系統構成要素はヨーロッパ中央部から後期新石器時代および鐘状ビーカー文化集団を通じてイタリアに到来した、と示唆されますが、標本規模が小さく、時空間的分布が限定的なので、不明な点として、複数の草原地帯人口集団が供給源となったのかどうかと、イタリア半島全域の草原地帯関連祖先系統の正確な年代と拡散が残ります。青銅器時代ブロイオン遺跡個体に見られるYHg-R1bの下位区分は、古代シチリア島標本群およびイタリアの鐘状ビーカー文化個体群で見られます。イタリア北部および中央部青銅器時代集団と後期新石器時代ドイツ集団との常染色体の類似性と合わせて、Y染色体データは、イタリアの草原地帯関連祖先系統の、おそらくは北部とアルプス横断地域と鐘状ビーカー文化関連の起源を示します。

 銅器時代と青銅器時代の境界における男性親族構造の重要性も、本論文の常染色体データを用いて調べられました。銅器時代の混合洞窟埋葬は何らかの親族構造を含む、と長く仮定されてきましたが、古代DNA研究の出現前にそれを直接的に明らかにすることはできませんでした。本論文は、銅器時代において混合洞窟埋葬が密接に関連した男性の埋葬に優先的に用いられた、というパターンを確認しましたが、この事実の社会的重要性は明らかではありません。イタリアの銅器時代人口集団は、より早期の大西洋沿岸で見られる巨石記念碑の建築よりも、自然の埋葬室空間や横穴墓や溝墓を利用していましたが、関連する男性をともに埋葬する重要性は共有される特徴です。

 本論文の遺伝的証拠は、ラサッサ遺跡とブロイオン遺跡両方の人口集団がこれら埋葬儀式について父系子孫と父方居住を強調したことと一致しており、この強調は青銅器時代には消滅するものの、ガットリーノ遺跡の単一埋葬様式銅器時代墓地にも存在しません(おそらくは標本規模が小さいため)。これらの遺跡は在来人口集団の無作為で偏りのない標本抽出ではなく、むしろこれらの社会の一つの特定の儀式的側面の断片を表している、と注意することが重要です。したがって、父方居住と父系が一般的に行なわれていたのかどうか、もしくはこれらのパターンが経時的に変化したのかどうか、推測することはできません。一般的な人口集団構造と共同体間の関係を復元するには、遺伝子と同位体の標本抽出を増やす必要があります。

 草原地帯関連祖先系統の到来は、本論文で評価された表現型のどの頻度パターンにも影響を与えていないようです。むしろ、最大の変化はローマ帝国期もしくはその後に起きたようです。鉄器時代後のハンセン病に対する保護と関連するアレルの減少は、紀元前三千年紀と紀元前四千年紀から紀元後千年紀の頃の衰退までのヨーロッパの生物考古学および歴史的記録におけるハンセン病の症状の増加を考えると、興味深い問題です。これらの多様体がハンセン病および他の病原性マイコバクテリア感染症とどのように相互作用するのか、まだ正確には明らかではありません。したがって、完全な進化史を確定する前に、臨床面でのより多くの研究が必要です。本論文は全ての可能性のある表現型ではなく小規模な部分集合を検証したので、本論文の結果は、表現型の違いだけではない可能性があり、進化のメカニズムとヒトの遺伝子との間の複雑な関係を完全に理解するには、より多くの研究を行なう必要があります。幸いなことに、この研究で生成されたような全ゲノムは、生物学と遺伝学の全領域で進歩の観点から再考できる貴重な情報源を提供します。


参考文献:
Saupe T. et al.(2021): Ancient genomes reveal structural shifts after the arrival of Steppe-related ancestry in the Italian Peninsula. Current Biology, 31, 12, 2576–2591.E12.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.04.022

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント