高畑尚之「上部旧石器時代の北ユーラシアの人々に関するゲノム研究」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B02「人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の現象数理学的モデル構築」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 36)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P27-44)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 現生人類(Homo sapiens)に関する古代ゲノム研究は、大まかにせよ、過去のある時点におけるある地域集団の生物学的特徴、つまり生理学的あるいは形態学的な表現型、移住率や繁殖個体数や交配様式などの人口動態、あるいは祖先の由来つまり祖先系譜(ancestry、当ブログでは最近は「祖先系統」と訳しています)を明らかにしてきました。こうした生物情報には、集団内の個体間の近縁度や社会構造(関連記事)、あるいはグループ間の遺伝的な分化や地理的勾配(関連記事)など、ヒトの行動や文化と密接に関係した情報が含まれます。さらに、完新世の狩猟採集から農耕牧畜社会への移⾏に伴う代謝、免疫および髪や皮膚や目の色に関する変異(関連記事)、酪農社会に適応した乳糖耐性に関わる変異(関連記事)、あるいはグリーンランドのような寒冷地やチベットのような高地での居住に伴う変異(関連記事)どもゲノムに刻まれています。

 しかし、こうした生物情報だけでは現生人類の歴史が語れないのは明らかであり、古代ゲノム研究とは異なる視点からアプローチすることが必要です(関連記事)。当然その主分野は考古学で、古代ゲノム研究とは相補的な関係が期待されます。ゲノムでは決してわからない(骨)考古学の力を示す分かりやすい例は、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体です。田園個体の足の指骨は短いものの、それは日常的に靴かブーツを履いていたためと推測されています(関連記事)。またシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)から装飾品と共伴した縫針も同様の文化情報です(関連記事)。ただ、古代⼈の被服に関しては、アタマジラミとコロモジラミの分岐時期を利⽤したユニークなゲノム研究もあります。本論文は以上のような状況を踏まえて、古代ゲノム研究から得られたユーラシア北部の人々に関する知見を整理し、考古学的手法とのさらなる協業への寄与を意図しています。


●古代北ユーラシア人(ANE)

 現生人類の第二次出アフリカは58000年前頃で、レヴァントに長期間逗留したさいにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と交雑し、その後ユーラシアやサフルランドに拡散しました。ただ、この時期やネアンデルタール人との交雑の場所については、議論があります。ユーラシアにおける初期現生人類の代表的集団が古代北ユーラシア人(Ancient North Eurasians、略してANE)です。現在、世界人口の半数以上が5%以上のANE祖先系統を有しています。中でもシベリア西部のマンシ人(Mansi)やハンティ人(Khanty)では57%にも達します。同様に、シベリア最後の狩猟採集民と呼ばれるエニセイ川流域のケット人(Ket)では、27~43%がANE祖先系統です。

 もともとANE は、ヨーロッパ⼈とアメリカ大陸先住民の共通祖先として、理論的にその存在が予測された集団でした。そのため当初はゴースト(仮定的)集団でしたが、その後すぐ、古代ゲノムから予想通りの存在が明らかになりました(関連記事)。これがバイカル湖に近いマリタ(Mal’ta)遺跡から出⼟した少年個体(MA-1)です。現時点では、MA-1 のゲノムは充分な精度(網羅率1倍以上)では解読されていません。その重要性を考えると、さらに高精度の配列データが望まれます。MA-1 に代表されるANE は、31600年前頃となるシベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)の2個体(ヤナ1およびヤナ2)とともに、シベリア中央部から東部に存在していた古代北ユーラシア集団を形成します(関連記事)。

 ANE とヤナ1およびヤナ2に代表されるANS(古代北シベリア人)はクレード(単系統群)を形成し、ヨーロッパ集団(EUR)とは4万年以上前に分岐しました。45000年前頃から最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)にかけて、バイカル湖を中心とした地域にはANEが連続的に居住していました。この連続性はエニセイ川流域のアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の17000年前頃の個体に基づきますが、最近の研究ではバイカル地域におけるウスチキャフタ3(Ust-Kyahta-3)遺跡などの新石器時代初期の集団でも確認されています(関連記事)。


●アジア東部集団

 MA-1は24000年前頃のANE個体ですが、アジア東部人(EAS)の祖先系統を17%ほど有しており、すでにアジア東部人系統との交雑が起きていた、と示されます。モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された人類の頭蓋冠は放射性炭素年代測定法により較正年代で34950~33900年前と推定され、そのミトコンドリアDNA(mtDNA)はユーラシア現代人集団で広範に存在するハプログループ(mtHg)Nに分類される、と示されました(関連記事)。サルキート個体は、その祖先系統の約2/3がEAS、残りの約1/3がANSまたはANEです(関連記事)。このようにアジア東部には上部旧石器時代からEAS が居住しており、既知の最古の個体は4万年前頃の田園遺骸です。

 EAS のゲノムには、例外なく2種類の種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)由来のゲノム領域(本論文ではD0・D2と表記)のどちらか、あるいは両⽅が合わせて0.1%以上浸透しており(関連記事)、田園個体では0.13%、サルキート個体では0.12%です。ネアンデルタール人と同様に、デニソワ人の場合も交雑の場所が現生人類の拡散経路を推測するうえで有効です。D2は45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のオビ川支流のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された個体(関連記事)を除き、全てのユーラシア東部集団に浸透していることから、交雑の場所はアジア南東部近辺で現生人類拡散の早期に起きた可能性が高そうです。これは、EAS がいわゆる南回り経路でアジア南東部から北上したことを強く示唆します。

 一方、D0の浸透が起きた交雑場所は推測しにくく、D0はD2やメラネシア⼈に特異的に浸透しているD1と比較してデニソワ洞窟の個体(デニソワ3)のゲノムに最も近いことから、ANE の拡散途中にアルタイ地方で交雑が起きた、と想定されました(関連記事)。しかし、MA-1 やヤナ1および2に浸透したデニソワ人のゲノム量がわずか0.04~0.06%であることや、0.2 cM (センチモルガン)以上の⻑さをもつデニソワ人ゲノム断片数が田園個体やサルキート個体では18~20 個であるのに対してMA-1 やヤナ1および2では3~6 個と少数であることは、交雑がアジア東部で起きANE には間接的に伝わった可能性が高そうです。じっさい、中華人民共和国内モンゴル自治区の金斯太(Jinsitai)洞窟遺跡では47000~37000年前頃のムステリアン(Mousterian)石器群が発見されており(関連記事)、現在の中国北部にネアンデルタール人もしくはデニソワ人との交雑集団が居住していた可能性も指摘されています(関連記事)。

 チベット⼈の高地適応に関係したEPAS1 遺伝子はデニソワ人由来と考えられます(関連記事)。しかしこのデニソワ人は、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で出⼟した16万年以上前の下顎骨(関連記事)や土壌から得られた4タイプのmtDNA(関連記事)とは直接的な関係がありません。チベット人に高頻度で見られる高地適応型EPAS1遺伝子は、現在の中国となるアジア東部低地から後期更新世もしくは早期完新世に移住してきた集団に由来し、D0タイプと推測されています(関連記事)。43000 年前頃にデニソワ人との交雑が起き低い頻度で維持されていたものが、12000 年ほど前からチベット人(の祖先集団)の間で頻度を増した、というわけです。その交雑の場所は、現在でも中国人にEPAS1 遺伝子を有する⼈がいることや、農耕が黄河流域で始まりオルドス地方からチベットへ農耕民の拡散があったことなどから、現在の中国北部かもしれません。ともかく、D0 に関係した交雑場所の他に、田園個体、サルキート個体、MA-1、ヤナ1および2に、D0とD2がどのような割合で浸透しているのか、今後の研究が注目されます。

 古代のユーラシア北部で注目される不可解な知見は、中国の田園個体とベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)の間でさえ、遺伝子交流の兆候があることです。4万年前以前のユーラシア大陸を横断する交流には、ANEやウスチイシム集団が何らかの中継的な役割を果たした可能性があります(この問題については本論文刊行後に重要な研究が公表されたので後述します)。さまざまなユーラシア北部集団の遺伝的な繋がりに関する主成分分析の結果(図2)では、集団の連続的な分布が見られくす。⼤半の集団は、右下のクラスタとなっているアジア東部集団からWHG(ヨーロッパ西部狩猟採集民)、マリタ/EHG(ヨーロッパ東部狩猟採集民)、FAM(最初のアメリカ人、First Americans)の3頂点に向かって分布しています。

 華北からアムール川盆地さらにヤクーツクやコルイマに至るまで、アジア東部集団の拡大は初期の拡散以降も引き続き起きたようです。その中には田園個体に近縁な集団もおり、現在はアンダマン諸島に孤⽴しているオンゲ人に近縁な集団(ユーラシア東部基層集団)もいました。それらの集団と古代ユーラシア北部集団との間で3万年前以前から平均2対1の割合で交雑が起きました。しかし上述のように、ヤナ1および2個体に代表されるANSは、この交雑に直接関与しておらず、直接関与したのはANE です。交雑集団はかなり多様で、たとえば、シベリア北東部のコリマ(Kolyma)遺跡の9800年前頃となる個体(Kolyma1)や、14000年前頃となるロシアのブリヤートの14000年前頃の個体(UKY001)もこうした交雑の結果形成された集団に属しますが、ベーリンジア(ベーリング陸橋)を渡りアメリカ大陸先住⺠とはなりませんでした(関連記事)。

 これに対して田園個体やオンゲ人由来の交雑集団は、他集団とともに「最初のアメリカ人(FAM)」となりました。この集団の特異な祖先系統はFAM の中でも際⽴っています。そのためこの集団はYと呼ばれていますが、その祖先系統はアマゾンの先住⺠であるカリティアナ人(Karitiana)やスルイ人(Suruí)に集中しています(この問題については本論文刊行後に重要な研究が公表されたので後述します)。いずれにしてもANE 祖先系統は南北アメリカ⼤陸に拡散したので、⽂化の伝搬もあったと考えられます。たとえば、ANEの発明と思われる細⽯刃(microblade)は北アメリカ大陸にも伝わっています。ただ、その分布は現在のカナダ以南では稀です。細石刃を使用しなくなったか、そもそもFAM の⼀部集団はこの⽂化を有していなかった可能性すらあります。

 ANEとEASの交雑の年代場所、そのような集団がベーリンジアに逗留した期間、アメリカ大陸への拡散時期と移動経路など、さまざまな研究が進んでいますが、本論文では以下の3点が取り上げられます。第一に、移動経路の候補として、現在のカナダのアルバータ州を南北に縦断する無氷廻廊に関する研究があります。かつての無氷回廊の周辺地域にはアサバスカン人々が居住していますが、1500kmに及ぶこの回廊に植⽣が回復して人の移動が可能になったのは12600年前です。この推定年代は14000年前以前にさかのぼるチリのモンテヴェルデ(Monte Verde)遺跡や先クローヴィス(Clovis)文化よりはずっと後のことで、過小評価の可能性もありますが、FAMのアメリカ⼤陸における初期拡散(16000年前頃)は無氷回廊とは別の北西太平洋沿岸と考えられます。

 第二に、FAMは11500年前頃の中央アラスカのアップウォードサン川遺跡(the Upward Sun River Site)で発見された幼児個体(USR1)ではなく、集団Yを含む南アメリカ大陸先住民だったかもしれません。こうした研究では、レナ川流域やアムール川流域が交雑の候補地であり、逗留地もベーリンジア東部ではなく、シベリア北東部と推測されています。第三に、ANE祖先系統は、12000年前頃となる中華人民共和国吉林省の関鍵詞為(Houtaomuga)遺跡出⼟の個体や、現代日本人および韓国人とも近縁な7700年前頃となる朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域に位置する新石器時代の「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡個体群(関連記事)には及んでいません。とくに「悪魔の門」遺跡個体群はアムール川盆地の人々とも連続性を有しており、目は褐色、シャベル状切歯、乳糖不耐などの典型的なアジア表現型を示します。それにも関わらず、細石刃はLGM期にこれらの極東地域で盛⾏しており、文化と生物的なヒトが乖離する例です。


●古代ユーラシア北部集団のLGM 後の大移動と拡大

 LGM 後には、EAS の西方への拡大、あるいはヨーロッパの氷河の後退につれて、ANE もシベリア西部(ウラル山脈とエニセイ川の間の地域)、さらにはウラル山脈を越えてヨーロッパ東部平原へと移動しました。青銅器時代以降のユーラシア草原地帯の人々に関する古代ゲノム研究では、ANEがEHGの直接の祖先とされています。11250年前頃となるロシアのセデルキーノ個体はEHGの直系です。EHGはコーカサス狩猟採集民(CHG)と交雑し、青銅器時代になって牧畜民ヤムナヤ(Yamnaya)文化を形成します(関連記事)。ヤムナヤ文化関連集団は、アナトリア半島から移住してきた農耕民と在地の狩猟採集民が居住するヨーロッパへと多数が拡散して交雑し、ヨーロッパ現代人を形成する三大祖先系統の⼀つとなりました(関連記事)。

 その後もヤムナヤ文化関連祖先系統はユーラシア草原地帯を東に南に移動・拡大し続けました(関連記事1および関連記事2)。ケット人のANE祖先系統は、この頃のアルタイ地方(オクニボ⽂化)で獲得した、と指摘されています。こうした広範な移動の結果、現在世界人口の半数以上が5%以上のANE 祖先系統を有している、と推測されています。青銅器や鉄器が最初に作られたのも、馬の家畜化が始まり戦車(チャリオット)が発明されたのもユーラシア草原地帯です。完新世には人類史に絶大な影響を及ぼした多様な集団が、この草原地帯で興亡を繰り広げましたが、その歴史は上部旧石器時代から居住したユーラシア北部の人々の生物的・文化的遺産に依拠したものでした(図3)。


●まとめ

 今後の古代ゲノム研究では、シベリアとモンゴルと中国北部が焦点になると思われます。ユーラシア草原地帯とツンドラ・タイガは、上部旧石器時代以降における東西ユーラシア集団の分化と融合の地です。集団の移動や置換が激しい地域ほどその時点に近い古代ゲノムを必要としますが、これまでの古代ゲノム研究は数千年前程度の比較的新しい標本でも、予想外の出来事を明らかにしてきました。そうした生物情報がパレオアジアの⽂化史を理解する⼀層の助けになる、と期待されます。

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、近年の古代ゲノム研究を整理するとともに、7000年以上前の現生人類のゲノム一覧を掲載しており、たいへん有益だと思います。近年における古代ゲノム研究の進展は目覚ましく、本論文の刊行(もしくは脱稿)後にも重要な研究が相次いで公表されています。本論文で不可解とされた、北京近郊の4万年前頃の田園個体とベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡の35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)との間の遺伝子交流の兆候については、重要な進展がありました(関連記事)。その研究によると、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で発見された44640~42700年前頃の現生人類個体群は、遺伝的にはユーラシア西部現代人集団よりも現代のアジア東部・中央部およびアメリカ大陸先住民集団の方と近縁で、Goyet Q116-1とも密接な遺伝的関係を有している、と明らかになりました。45000年前頃のヨーロッパ東部には、アジア東部現代人の直接的な集団と遺伝的に密接な関係にある集団が存在し(バチョキロ洞窟集団がアジア東部現代人の直接的な祖先集団の一部だった可能性も低いながら想定されますが)、その集団(と遺伝的に近縁な集団)が後の更新世ヨーロッパ西部集団にも一定の影響を及ぼしていた、というわけです。これにより、田園個体とGoyet Q116-1との遺伝的近縁性については、かなり解明が進んだと思います。

 アマゾン地域先住民集団における「Y集団」の遺伝的影響については、南アメリカ大陸太平洋沿岸にも広範に見られることが示されました(関連記事)。Y集団は遺伝的にオーストラレシア人と密接に関連しており、Y集団の遺伝的影響が南アメリカ大陸太平洋沿岸先住民集団にどのようにもたらされたのか、現時点では不明です。最近のアジア東部における古代DNA研究(関連記事)では、Y集団祖先系統はユーラシア東部沿岸部祖先系統に分類されると考えられます。ユーラシア東部沿岸部祖先系統は、西遼河地域の古代農耕民や「縄文人」にも影響を与えており、とくに「縄文人」では大きな影響(44%)を有する、と推定されています。ユーラシア東部沿岸部祖先系統を有する集団が後期更新世にアジア東部沿岸を北上していき、アメリカ大陸先住民の主要な祖先集団の一部と混合し、アメリカ大陸を太平洋沿岸経路で南進して南アメリカ大陸に拡散した、とも考えられますが、現時点ではまだ不明な点が多いので、今後の研究、とくに古代ゲノム研究の進展が期待されます。


参考文献:
高畑尚之(2021)「上部旧石器時代の北ユーラシアの人々に関するゲノム研究」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 36)』P27-44

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