11000年前頃以降の中国南部の人口史

 11000年前頃以降の現在の中華人民共和国広西チワン族自治区一帯の人口史に関する研究(Wang et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アジア東部および南東部における現生人類(Homo sapiens)の歴史は長く、古代人のDNAに基づく最近の研究では、アジア南東部と中国南部(本論文ではおもに現在の行政区分の広西チワン族自治区と福建省が対象とされます)で異なる人口統計学的パターンが明らかになっています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。これらの研究で明らかになったのは、アジア南東部の8000~4000年前頃となるホアビン文化(Hòabìnhian)狩猟採集民が、深く分岐したアジア祖先系統(本論文ではホアビン文化祖先系統と呼ばれます)を有しているのに対して、4000年前頃以降となるアジア南東部最初の農耕民は、中国南部の現代人と関連する祖先系統(祖先系譜、ancestry)とホアビン文化祖先系統の混合を示す、ということです。

 中国南部では、福建省の9000~4000年前頃の個体群が、中国北部とは異なる祖先系統を示しますが、ホアビン文化祖先系統ほどには深く分岐していません(ホアビン文化祖先系統と比較すると中国の南北間の祖先系統は相互に近縁です)。本論文では、この祖先系統は福建省祖先系統と呼ばれ、現代の中国南部人口集団で部分的に見られ、アジア大陸部から数千年前にアジア南東部やオセアニアへと航海で拡散した人口集団の子孫である、オーストロネシア語族現代人で見られる祖先系統と密接に関連しています(関連記事)。これらの知見から、古代DNA技術を用いて祖先人口集団および早期、とくに農耕移行前の人口動態を調べることは、過去の人口史をよりよく理解するのに重要である、と示されます。

 人類学的および考古学的証拠も、アジア東部および南東部における人口統計学的複雑さを浮き彫りにします。物質文化の調査により、ホアビン文化祖先系統と関連する文化は中国南部でも存在したかもしれない、と示唆されています。中国南部とアジア南東部の境界で発見された先史時代人骨格形態の比較から、アジア東部と南東部の現代人で観察されたものとは異なる、深い祖先系統を示唆するパターンが示されます。以前の比較考古学的研究で示唆されるのは、中国南部において2つの異なる文化伝統が存在し、一方はおもに中国南部沿岸とその近隣の島々で、もう一方はベトナムとの国境地域で見られ、これはアジア南東部と中国南部の古代の個体群で観察される2つの異なる遺伝的パターンを反映している、ということです。

 アジア東部および南東部の歴史がより明確になってきているにも関わらず、中国におけるベトナムとの国境地帯の広西チワン族自治区のような地域は、中国南部とアジア南東部全域の人口史がまだ充分に確立されていないことを示します。広西チワン族自治区では、隆林洞窟(Longlin Cave)において1万年以上前となる祖先的特徴と現代的特徴の混合した頭蓋が見つかっており(関連記事)、ホアビン文化祖先系統と類似しているか、もしくはそれ以前に分岐した祖先系統の可能性が指摘されていて、これは現時点でアジア東部および南東部の古代人では観察されていないパターンです。

 ホアビン文化的な物質文化は中国南部の他地域でも見られますが、ホアビン文化祖先系統はアジア南東部外の古代人ではまだ見つかっていません。広西チワン族自治区の現代の人口集団はタイ・カダイ(Tai-Kadai)語族話者とミャオ・ヤオ(Hmong-Mien)語族話者で、福建省祖先系統と中国北部祖先系統の混合を示します(関連記事)。中国南部とアジア南東部をつなぐ広西チワン族自治区の中心的位置にも関わらず、古代DNA技術は広西チワン族自治区の古代人には適用されておらず、これはおもに、高温多湿地域での古代DNAの保存が不充分なためです。

 この標本抽出の困難にも関わらず、この研究は過去11000年の広西チワン族自治区の古代人に関して、広西チワン族自治区で深く分岐した祖先系統が果たした役割、とくに隆林洞窟個体に関してと、ホアビン文化祖先系統と福建省祖先系統がこの地域に拡大したのかどうか、もしそうならば、どのように相互作用したのか、ということと、広西チワン族自治区の古代人が現代の人口集団にどのように寄与したのか、ということを調べます。


●DNA解析

 これらの問題に対処するため、広西チワン族自治区の30ヶ所の遺跡から170点の標本が調べられました。上述のように広西チワン族自治区は古代DNA研究に適した地域ではありませんが、30個体で10686~294年前頃(放射性炭素年代測定法による較正年代で、以下の年代も基本的に同様です)のゲノムデータを得ることに成功し、この中には上述の1万年以上前と推定されている隆林洞窟の人類遺骸も含まれます。また、福建省の斎河(Qihe)洞窟遺跡の追加の個体(11747~11356年前頃となる斎河3号)からもゲノムデータが得られました。隆林遺骸と斎河3号の年代は12000~10000年前頃で、更新世から完新世の移行期におけるアジア東部の遺伝的多様性を調べられます。広西チワン族自治区で標本抽出された古代DNAは、アジア南東部や中国南部の福建省など他地域で観察されたものとは異なる遺伝的歴史を明らかにします。

 120万ヶ所の一塩基多型で内在性DNAが濃縮され、合計31個体で遺伝的情報が得られました(網羅率は0.01~4.06倍)。まず親族分析が実行され、広西チワン族自治区の30個体のうち7組で密接な親族関係(1親等および2親等)が見つかりました。これら7組のうち得られた一塩基多型数が最も多い個体以外は集団遺伝学的分析で除外され、親族関係にない23個体が残りました。これら広西チワン族自治区の古代人23個体について、主成分分析(図1C)と外群f3統計とf4統計とADMIXTURE分析が実行され、9集団に分離されました(図1A・B)。福建省の斎河3号は、同遺跡の以前に報告された個体と遺伝的にクラスタ化します。以下は本論文の図1です。
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●11000年以上前の広西チワン族自治区個体で見つかった未知のアジア東部祖先系統

 この研究で標本抽出された最古の個体は広西チワン族自治区の隆林洞窟で発見された10686~10439年前頃の個体で、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属、絶滅ホモ属)的特徴と初期現生人類的特徴が混合した頭蓋形態を示します。しかし、隆林個体の遺伝的特性は、現代のアジア東部人口集団で見られる遺伝的多様性内に収まり、非現生人類ホモ属に由来する祖先系統の割合はアジア東部現代人で観察される水準と類似しています。

 中国で標本抽出された9000~4000年前頃の個体群との比較から、隆林個体は現時点で標本抽出されたアジア東部人と密接に関連していない、と示されます。隆林個体は外群f3分析では、アジア東部現代人と密接に関連する古代人、つまり中国北部の山東省で発見された9500~7700年前頃の個体群、および中国南部の福建省で発見された8400~7600年前頃個体群と、遺伝的類似性をほとんど共有していません。じっさい、山東省前期新石器時代(EN_SD)集団と福建省前期新石器時代(EN_FJ)集団は、相互に隆林個体とよりも密接な関係を共有しており、どちらも隆林個体と過剰な類似性を共有していません。

 こうした知見から、隆林個体の系統は、北方の山東省祖先系統と南方の福建省祖先系統が分離する前に分岐した、と示唆されます。混合グラフとTreemix分析の両方(図2A・B)を用いた、隆林個体と新石器時代アジア東部人との間の系統関係をモデル化した後、隆林個体が山東省および福建省の新石器時代集団に代表される南北のアジア東部祖先系統の外群である、という想定のさらなる裏づけが見つかります。以下は本論文の図2です。
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 隆林個体がアジア東部人からどれくらい深く分岐しているのか調べるため、隆林個体および新石器時代アジア東部人と、深く分岐したアジア祖先系統を有する他の個体群が比較されました。後者には、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性(関連記事)と、現代のパプア人およびアンダマン諸島のオンゲ人(関連記事)と、アジア南東部の8000年前頃の1個体(関連記事)が含まれます。比較の結果、隆林個体は深く分岐したアジア祖先系統のどれよりも山東省および福建省の新石器時代集団と密接に関連している、と明らかになりました。本論文の遺伝的分析から、隆林個体はアジア東部現代人系統の側枝で、深く分岐したアジア祖先系統との密接な関係はない、と示されます。

 縄文文化と関連する愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2500年前頃となる個体(関連記事)は、アジア東部人および田園個体など深く分岐したアジア人に対して、隆林個体と同様のパターンを示します。伊川津「縄文人」と隆林個体は、深く分岐したアジア人とよりも相互に密接な関係を共有します。どれがアジア東部人とより密接に関連しているのか評価するため、伊川津縄文人と隆林個体が山東省および福建省の新石器時代集団と比較されました。f4分析では、山東省および福建省の新石器時代集団は隆林個体および伊川津縄文人と同様に関連しており、隆林個体と伊川津縄文人は両方、他の個体では見られない山東省および福建省の新石器時代集団とのつながりを有しています。これらのパターンは、隆林個体と伊川津縄文人と新石器時代アジア東部人は同時に相互に分離した可能性が高いことを示唆します。

 したがって、隆林個体関連祖先系統(以下、広西祖先系統)は、中国南部およびアジア南東部に囲まれた地域で以前に観察された福建省祖先系統およびホアビン文化祖先系統の両方と異なっている、と分かります。日本列島の伊川津縄文人で見られる縄文人祖先系統と同様に、広西祖先系統は田園個体やホアビン文化祖先系統など深く分岐したアジア人祖先系統よりも、アジア東部人祖先系統の方と密接に関連しています。しかし、伊川津縄文人とは異なり、隆林個体は地理的に他の大陸部アジア東部人から孤立していませんでした。これらのパターンは、11000年前頃のアジア東方における遺伝的多様性が、人類の歴史のその後の期間よりも高かったことを示唆します。


●9000~6400年前頃までの中国南部における混合

 11000年前頃の1個体(隆林個体)で広西祖先系統が観察されたので、次に、広西チワン族自治区のより新しい人口集団にも広西祖先系統が見られるのか、調べられました。9000~6400年前頃となる、広西チワン族自治区の独山洞窟(Dushan Cave)遺跡と包󠄁家山(Baojianshan)遺跡の2個体のゲノム規模データが得られました。8974~8593年前頃となる独山洞窟の男性1個体が、隆林個体よりもアジア東部南北の人々とより密接に関連する人口集団の子孫ならば、f4(ムブティ人、隆林個体、独山個体、アジア東部人)~0と予想されます。しかし、代わりに、シベリア(関連記事)および福建省の一部のアジア東部人と関連して、f4(ムブティ人、隆林個体、独山個体、悪魔の門新石器時代個体および斎河遺跡個体)<0と観察され、隆林個体と独山個体との間での遺伝的つながりの存在が示唆されます。外群f3分析で隆林個体をアジア東部および南東部の古代人と比較すると、最高値は独山個体で観察され、隆林個体は独山個体と最も遺伝的類似性を共有している、と示されます。これらのパターンは、広西祖先系統が独山個体に存在することを示唆します。

 しかし、独山個体の外群f3分析では、独山個体が単に広西祖先系統を有するよりも、福建省新石器時代集団およびアジア南東部農耕民と高い遺伝的類似性を共有している、と示され、これは隆林個体では観察されないパターンです。移住事象を表せる系統発生分析(図2A・B)は一貫して、独山個体を隆林個体関連起源集団(17%)と福建省(斎河遺跡)個体群関連起源集団(83%)との混合としてモデル化します。f4分析では、独山個体がシベリア関連アジア東部北方集団および山東省集団と比較して、福建省祖先系統の集団とつながりを共有する、と裏づけます。独山個体で観察された遺伝的パターンから、9000年前頃までに、広西祖先系統を有する集団と福建省祖先系統を有する集団との間で遺伝子流動がおきており、両祖先系統の混合集団が誕生した、と示唆されます。

 独山個体と福建省祖先系統を有する人口集団(図2B)との間で共有されるアレル(対立遺伝子)の増加を考慮して、混合した広西および福建省祖先系統が福建省の人口集団に影響を及ぼしたのかどうか、次に検証されました。その結果、独山個体は、斎河遺跡と亮島(Liangdao)遺跡の個体群でまとめられる福建省前期新石器時代人口集団と比較して、渓頭(Xitoucun)遺跡と曇石山(Tanshishan)遺跡でまとめられる後期福建省人口集団の方とより多くの類似性を示す、と明らかになりました。このパターンは塩基転換(ピリミジン塩基からプリン塩基の置換およびその逆の置換)でのみ持続しました。さまざまな遺跡の個体を分離しておく拡張分析では、12000年前頃の斎河3号と比較して、独山個体への類似性が評価されました。独山個体との類似性は、4100~2000年前頃の後期福建省人口集団だけではなく、1900~1100年前頃となる台湾の漢本(Hanben)個体群でも持続します。

 ベトナムのマンバク(Man_Bac)遺跡とヌイナプ(Nui_Nap)遺跡の個体群に代表される4100~2000年前頃のアジア南東部人口集団と、1500年前頃の広西チワン族自治区の人口集団で、同じ独山個体との類似性が観察されました。BH(Benjamini-Hochberg)補正により、古代アジア南東部人口集団はもはや有意な類似性を示しませんが、広西チワン族自治区のBaBanQinCen(Banda遺跡とQinCen遺跡とBalong遺跡)個体群は示します。塩基転換の場合のみ、独山個体の類似性は渓頭個体で持続しました。全体としてこれらのパターンは、おそらくは広西祖先系統と福建省祖先系統の混合である独山個体と関連する祖先系統が、中国南部の先史時代には重要な役割を果たした、と示唆します。

 広西祖先系統と福建省祖先系統の混合は、包󠄁家山遺跡の8300~6400年前頃の女性1個体で見られる遺伝的パターンに基づくと、広西チワン族自治区では数千年持続したようです。独山個体と同様に、包󠄁家山個体は福建省新石器時代人口集団およびアジア南東部農耕民と最高の遺伝的類似性を共有します。また包󠄁家山個体は、山東省および福建省新石器時代集団の両方と比較して、独山個体とより多くの祖先系統を共有しています。

 包󠄁家山個体は、独山個体と祖先系統を共有する一方、独山個体および他の先史時代広西チワン族自治区個体群とは異なり、アジア南東部の深く分岐したホアビン文化狩猟採集民ともアレルを共有します。f4分析では、ホアビン文化狩猟採集民は、隆林個体および独山個体では観察されないアジア東部北方人と比較して、包󠄁家山個体とのつながりを示します。qpAdmで混合の割合を推定すると、包󠄁家山個体は独山個体関連祖先系統(72.3%)とホアビン文化関連祖先系統(27.7%)の混合としてモデル化でき、qpGraph分析の推定と類似の割合となります(図2B)。移住事象を示すTreemix分析では、包󠄁家山個体は独山個体とクラスタ化し、隆林個体系統からの移住事象を共有し、ホアビン文化集団からの追加の移住事象が推定されます(図2A)。したがって、福建省祖先系統とホアビン文化祖先系統の両方が、8300~6400年前頃の広西チワン族自治区で見つかり、まとめると、南方の3祖先系統全てが包󠄁家山個体を通じて広西チワン族自治区において混合の形で見られます。

 9000~6400年前頃には、中国南部とアジア南東部の境界の先史時代人口集団において混合が重要な役割を果たしました。独山個体は広西祖先系統と福建省祖先系統の混合を有する人口集団に属していましたが、包󠄁家山個体は独山個体と類似しているものの、追加のホアビン文化祖先系統を共有しています。これらのパターンが裏づけるのは、一部の中国南部の遺跡の物質文化の研究で示唆されてきたように、ホアビン文化祖先系統が中国南部に拡大した、ということです。しかし、これらのパターンは、ホアビン文化祖先系統と福建省祖先系統のどちらも、中国南部とアジア南東部の境界に存在した人口集団の説明に充分ではないことを浮き彫りにします。広西祖先系統は少なくとも6400年前頃まで部分的に存続し、独山個体と関連する祖先系統は、同様に広西チワン族自治区外の先史時代人口集団に影響を及ぼした可能性が高そうです。

 本論文の知見から、広西チワン族自治区の9000~6400年前頃の先史時代は、アジア東方南部の各祖先系統のさまざまな水準を含む混合人口集団で満ちている、と示されます。これら混合人口集団の年代と考古学的関連から、混合はアジア南東部の4000年前頃の標本(関連記事)で示されているような農耕文化発展のずっと前に、中国南部とアジア南東部で大きな影響を及ぼした、と示唆されます。広西チワン族自治区では、これらの混合個体群は隆林個体と密接には関連していません。これは、同じ頃の福建省個体群で観察されたパターンとほぼ対照的で、後期新石器時代福建省人口集団は、前期新石器時代福建省人口集団との密接な遺伝的関係を示します。


●広西チワン族自治区の歴史時代の人口集団における変化

 1500~500年前頃の広西チワン族自治区の標本で、歴史時代における上述のアジア東方南部の3祖先系統(福建省と広西とホアビン文化)の役割が評価されました。その結果、歴史時代の広西チワン族自治区人口集団は、主成分分析では先史時代人口集団とクラスタ化しない、と明らかになりました(図1C)。代わりに、1500年前頃の歴史時代の個体群の大半は類似の遺伝的特性を共有し、タイ・カダイ語族話者と緊密なクラスタを形成して重なります。しかし、500年前頃となるGaoHuaHua(広西チワン族自治区のGaofeng遺跡Huaqjao遺跡とHuatuyan遺跡)人口集団は1500年前頃のクラスタとは異なり、主成分分析(図1C)と外群f3分析の両方でミャオ・ヤオ語族話者の近くに位置します。

 現代の人口集団との関係を直接的に比較するため、f4(ムブティ人、アジア東部現代人、1500年前頃の広西チワン族自治区集団、500年前頃の広西チワン族自治区集団)が実行され、ミャオ・ヤオ語族話者は常に500年前頃のGaoHuaHua人口集団と有意な類似性を示す、と明らかになりました(図3A)。広西チワン族自治区の全ての歴史時代人口集団は、洞窟埋葬遺跡から標本抽出されました。碑文と棺の類型に基づいて、広西チワン族自治区の洞窟埋葬はタイ・カダイ語族であるチワン人(Zhuang)の祖先のものと考えられていました。しかし、GaoHuaHua人口集団が標本抽出された500年前頃となる洞窟埋葬は、ミャオ・ヤオ語族人口集団とつながっていた、と仮定されてきました。本論文の遺伝的分析から、以前に提案されたように、これら2期の広西チワン族自治区の人口集団はじっさい遺伝的にかなり異なっており、異なる人口集団に属する、と示唆されます。したがって、これらの人口集団が広西チワン族自治区の現代のタイ・カダイ語族集団とミャオ・ヤオ語族に最終的に寄与したと仮定すると、少なくとも500年前頃までに強い遺伝的構造が見つかります。

 qpAdmを用いて歴史時代の広西チワン族自治区人口集団の遺伝的構造がさらに調べられ、さまざまな起源祖先系統から混合割合がモデル化されました。その結果、歴史時代の広西チワン族自治区人口集団は、独山個体もしくは斎河3号関連祖先系統(58.2~90.6%)とアジア東部北方関連祖先系統(9.4~41.8%)の混合としてモデル化できます。BaBanQinCenを除く全ての人口集団で、独山個体と関連する深い祖先系統の有意な兆候は見つからず(図2D)、これら歴史時代の広西チワン族自治区人口集団で見られる南方祖先系統は、福建省祖先系統と密接に関連している、と示唆されます。

 アジア東部南方現代人と同様に、1500年前頃以降となる歴史時代の広西チワン族自治区人口集団も、アジア東部北方人からの混合を示します。アジア東部北方のさまざまな地域からの既知の古代人口集団を比較し、どの祖先系統が歴史時代の広西チワン族自治区人口集団に最も強い影響を及ぼしたのか、検証されました。外群f3分析では、歴史時代の広西チワン族自治区人口集団は黄河下流近くで見つかる古代の人口集団と最も密接な遺伝的類似性を示します。たとえば、變變(Bianbian)遺跡と小荆山(Xiaojingshan)遺跡の個体群に代表される9500~7900年前頃となる山東省の人口集団(関連記事)と、4225~2000年前頃となる中原の人口集団(関連記事)です(図3B)。

 歴史時代の広西チワン族自治区人口集団と7900年前頃となる小荆山遺跡個体群との間の遺伝的区類似性は、1688年前頃以降となる歴史時代最初期のBaBanQinCen集団から持続しています。したがって、1500~500年前頃となる歴史時代の広西チワン族自治区人口集団で見られる北方からの遺伝的影響は、9500~7700年前頃の山東省祖先系統と最も密接に関連しています。以下は本論文の図3です。
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●考察

 中国南部の広西チワン族自治区の11000~6000年前頃の個体群の分析は、以前には標本抽出されていなかった、アジア東部人と深く分岐した遺伝的系統を明らかにします。この系統は11000年前頃の隆林個体により最もよく表され、山東省および福建省の新石器時代個体群に存在するアジア東部の南北両方の祖先系統の外群として機能し、アジア東部系統の深い分岐が、日本列島の縄文人のような孤立した地域だけではなく、アジア東部本土でも見つかることを明らかにします。もう一方の12000年前頃の個体は中国南部沿岸の福建省地域で標本抽出され、隆林個体とは異なり、福建省祖先系統を示します。これら2個体から、12000~10000年前頃には、中国南部は少なくとも2つのひじょうに多様な人口集団により特徴づけられていた、と示されます。しかし、斎河3号に代表される福建省関連祖先系統は12000~4000年前頃で存在しましたが、このパターンは広西チワン族自治区には当てはまりません。

 もっと最近の標本抽出では、人口集団の継続性は広西チワン族自治区の特徴ではなく、遺伝子流動が9000~6400年前頃に形成的な役割を果たした、と示されます。9000年前頃の独山個体は、福建省祖先系統と隆林個体に代表される広西祖先系統の混合として最もよく特徴づけられ、独山個体と関連する祖先系統は、後に渓頭遺跡個体群に代表される4000年前頃の福建省人口集団に現れます。対照的に、8300~6400年前頃となる広西チワン族自治区の包󠄁家山遺跡個体は、福建省祖先系統および広西祖先系統と追加のホアビン文化祖先系統の混合です。ホアビン文化祖先系統は深く分岐したアジアの祖先系統で、4000年前頃以前にはアジア南東部に広範に存在しました(関連記事)。

 包󠄁家山遺跡個体におけるホアビン文化祖先系統の存在は、ホアビン文化祖先系統の範囲がアジア南東部から中国南部へと拡大したことを示唆します。しかし、福建省祖先系統と広西祖先系統とホアビン文化祖先系統の混合で構成される人口集団は、アジア南東部と中国南部の境界に位置する広西チワン族自治区が、単純に単一の人口集団と関連する祖先系統により特徴づけられないことを示します。中国南部とアジア南東部におけるこれら多様な3祖先系統間の混合から、混合は広西チワン族自治区とアジア南東部において農耕導入前に先史時代人口集団に顕著な影響を及ぼした、と示されます。

 以前の研究では、日本列島と広西チワン族自治区の先史時代人口集団の頭蓋形態がオーストラロパプア人と類似性を共有しており、アジア南東部のホアビン文化個体群と類似している、と示唆されていました(関連記事)。アジア東部と南東部に祖先系統の2層が存在する、とのモデルが提案されてきており、第1層はオーストラロパプア人と密接に関連する先史時代人口集団と関連する初期祖先系統により表され、第2層はアジア東部北方起源で、農耕拡大とともに第1層をしだいに置換していった、と想定されます。

 しかし、第1層としてまとめられてきた中国南部とアジア南東部と日本列島の標本全体の類似した頭蓋の特徴は、本論文や他の研究(関連記事1および関連記事2および関連記事3)では遺伝的に類似のまとまりを示しません。これは、研究されてきた頭蓋の特徴が、これら農耕開始前の人口集団全体の多様性を正確に把握していないかもしれない、と示唆します。ホアビン文化祖先系統のような深いアジア祖先系統は存在しますが、広西チワン族自治区や福建省や日本列島も含めてアジア東部全域の過去11000年の標本抽出された人類遺骸は、相互により多くの共通祖先系統を有しており、アジア東部系統の多くの側枝を明らかにします。

 1500~500年前頃となる歴史時代の広西チワン族自治区人口集団では、黄河流域のアジア東部北方人と関連する山東省祖先系統が顕著で、中国南部とアジア南東部全域で観察されるパターンです(関連記事1および関連記事2)。11000~6400年前頃の広西チワン族自治区の個体群では北方祖先系統は観察されておらず、山東省祖先系統を有する人口集団の移動は6400~1500年前頃に起きた、と示唆されます。歴史時代の広西チワン族自治区人口集団は、オーストロネシア人とは異なり、アジア東部北方祖先系統を有する人口集団からの大きな影響を示します。検出可能な広西祖先系統の欠如から、広西祖先系統が中国南部ではこの時期までに消滅し、この地域で現在見られる遺伝的多様性に実質的には寄与していない、と示唆されます。

 歴史時代の広西チワン族自治区人口集団の標本抽出は、広西チワン族自治区の最近の人口史と関連するいくつかの議論を解決します。現在広西チワン族自治区では2つの主要な言語集団が見られ、一方はタイ・カダイ語族話者、もう一方はミャオ・ヤオ語族話者と関連しています。本論文のデータにおける歴史時代の広西チワン族自治区人口集団は、タイ・カダイ語族話者と関連する祖先系統が少なくとも1500年前頃までに見られる一方で、ミャオ・ヤオ語族話者と関連する祖先系統は500年前頃の個体群に見られることを示します。したがって、これら2つの人口集団は、少なくとも500年間広西チワン族自治区に継続して居住してきました。

 11000年前頃までに、広西チワン族自治区はホアビン文化祖先系統もしくは福建省祖先系統と関連しない深く分岐した祖先系統を示し、この広西祖先系統は9000~6400年前頃までにひじょうに混合した人口集団に取って代わられました。福建省とは異なり、広西チワン族自治区におけるひじょうに混合した人口集団の存在から、広西チワン族自治区は、広西チワン族自治区在来の人口集団、福建省からの人口集団、アジア南東部のホアビン文化と関連する人口集団間の相互作用地帯だった、と示唆されます。アジア南東部とは異なり、農耕開始のずっと前の遺伝子流動が、これらの地域における農耕開始前の人口集団の形成に重要な役割を果たした、と明らかになりました。

 これらの先史時代個体群は、広西チワン族自治区の現在の人口集団とは密接な関係を共有していませんが、1500年前頃以降、現在のタイ・カダイ語族話者およびミャオ・ヤオ語族話者と関連する祖先系統が見つかりました。長江および中国南西部近くの地域における標本抽出により、6000~1500年前頃に中国南部で現在見られる遺伝的構成をもたらすに至った遺伝的変化と、さらに、アジア南東部全域の人類の顕著に多様な遺伝的先史時代が明らかになります。以下は本論文の要約図です。
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 本論文は最後に、限界も指摘しています。本論文での標本抽出は限定的な数の個体に基づいているので、この期間のアジア東部と南東部に存在した遺伝的多様性を充分に表していないかもしれません。12000年前頃から現在に至るアジア東部および南東部のより広範な地域にわたるさらなる標本抽出が、この地域の先史時代人類の遺伝的相互作用のさらなる調査に必要となるでしょう。


 以上、本論文についてざっと見てきました。ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていたユーラシア東部における近年の古代DNA研究の進展には目覚ましいものがあり、本論文は気候条件から古代DNA研究には適さないアジア東部南方の古代人、それも1万年以上前の個体も含めてのDNA解析結果を報告しており、たいへん重要な成果と言えるでしょう。アジア東部南方やアジア南東部の更新世人類遺骸の古代DNA解析はかなり難しいでしょうし、そもそも人類遺骸自体少ないわけですが、気候条件がDNA解析に厳しいものの、最近急速に発展している洞窟堆積物のDNA解析が成功すれば、さらに詳しい人口史が明らかになるのではないか、と期待されます。

 本論文は、完新世最初期の時点でのアジア東部の現生人類集団の遺伝的異質性が現在よりもずっと高かったことを、改めて示しました。アジア東部では完新世に人類集団の遺伝的均質化が進んだわけですが、それが現在の広西チワン族自治区など一部の地域では農耕開始前に始まりつつあったことを示したのは、大きな成果だと思います。とくに、ホアビン文化集団の北方への移動の可能性が高いことを示したことは、大いに注目されます。おそらく、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)など寒冷期に、人類集団が孤立して遺伝的に分化していった地域は多く、遺伝的分化が進展していき、その後の温暖化により人類集団の広範な地域への移動と相互作用が活発化し、遺伝的に均質化していったのではないか、と考えられます。

 また本論文は、特定の地域における長期の人類集団の連続性を自明視すべきではないことも、改めて示したと言えるでしょう。この問題には最近言及しましたが(関連記事)、アジア東部南方についてはほとんど言及できなかったので、本論文は私にとってたいへん有益でした。本論文は改めて、現代の各地域集団の遺伝的構成から過去の同地域の集団の遺伝的構成や拡散経路や到来年代を推測することは危険である、と示したように思います。多くの地域において、現生人類が拡散してきた後期更新世から完新世にかけて、絶滅・置換・変容が起きたのでしょう。また本論文は、非現生人類ホモ属である可能性さえ指摘されていた隆林個体が、遺伝的にはユーラシア東部の現生人類の変異内に収まる、と示しており、形態学的特徴による区分がいかに難しいのか(関連記事)、改めて確認されました。

 本論文は、隆林個体と伊川津縄文人と新石器時代アジア東部人は同時に相互に分離した可能性が高いことを示唆します。ただ、最近の研究で、縄文人が(本論文の云う)ホアビン文化祖先系統(とより密接な祖先系統)と福建省祖先系統(とより密接な祖先系統)の混合だと推測されているように(関連記事)、じっさいの人口史はずっと複雑である可能性が高いように思います。系統樹は遠い遺伝的関係の分類群同士の関係を図示するのには適しているものの、近い遺伝的関係の分類群同士では複雑な関係を適切に表せるとは限らず、隆林個体や伊川津縄文人の位置づけに関しては、今後の研究の進展によりさらに実際の人口史に近づけるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Wang T. et al.(2021): Human population history at the crossroads of East and Southeast Asia since 11,000 years ago. Cell, 184, 14, 3829–3841.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.05.018

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